-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 Casa Cafeにて・・・

また怒涛の月曜日。地下鉄の一日パスを買って、フライヤーの配布に出掛ける。リュックに詰めるだけ詰めたんで、ほとんどエビ反りになりながら画材屋、レストラン、洋服店を中心にまわる。チャリティーっつってもあんま反応良くないなぁ。置くのを断られる度に心の中で”バカヤロー”と叫んでるよ。

Yonge x Bloorまで行って、久々にCasa Cafeに顔を出した。明るくオーナーのレイチェルに声を掛けようと思ったら、何かいつもと雰囲気が違う。いつもはケーキがギッシリ詰まってるショウ・ウィンドウは空っぽ。壁に掛けてあろうはずのアーティストの絵も無い。

奥から出てきたレイチェルは目が真っ赤で、今にも泣き出しそうじゃないか。久々の再会どころか、悪い予感で体が硬くなった。詳しくは書けないが、店を手放すことは間違いないらしい。あんなに息子も旦那も最高にイイ奴らだったのに、たった数ヶ月で全てが変わってしまうなんて正直信じられない。

俺がトロントに来て始めて個展を開いたのがココ。レイチェルがわざわざPatに電話して、俺にコンタクトを取ってくれたのだ。俺にとっては本当にスタート地点だったんだ。そんな話を始めると、レイチェルの目から涙が出てきたので、俺まで泣けてきてしまった。でも彼女は気丈に、これからもトロントで頑張ること、いつかまた店を持ち、俺の絵を飾ってくれると言ってくれた。本当に何て言っていいか・・・。

Casaを後にして、気持ちはBlueなままで図書館へフライヤーを配布。それからJapan FoundationでTaniにどっさり渡して、Print Threeという印刷屋へ向かう。ここでカタログ用のフォト・ペーパーを注文しようと思って。一度United Graphicsのランディに聞いたら、ここのオーナーのPaulに話すように言われたから。実はデザイナーのHiroも以前ここで働いたことがあるらしく、そんなに縁が深いなら行くしかないでしょ。

行ってビックリ!以前パソコン関連の仕事をしてたときのBossである鷲見さんが働いてるではないか!一年振りくらいの再会でお互い驚く。とりあえず先にPaulとの交渉を済ませてから外で立ち話し。俺が最近新聞に出まくってるので、「潜伏期間は終わったか」と思ってた矢先らしい(笑)

思わぬ長居をしてしまったので、またしても宅配便を逃してしまった。しょうがないのでまたオフィスでカタログの製作に戻りつつ、今夜Hiroに手渡すテキストの準備をする。夜12時頃から街頭にポスターをメチャメチャ貼りまくり、そのままHiroの住むケンジントン・マーケットへ向かう。

途中の”Kara"で遅い夕食を一人で取ってHiroのアパートへ。頼んでおいたデザインは満足いく仕上がり。ただ、最終的な缶詰パッケージにするにはまだ幾つか問題も残っているんで、それを考えつつ帰路についた。


2002年10月21日(月)



 最終ミーティング

ボランティアを含めた最終全体ミーティングの日。カタログの印刷を中断して、朝から資料作りに追われた。資料は全部で5枚。壁に平行線を引く方法や、絵の面付けの仕方、オークションの詳細や注意事項まで、思いつく限りを書いたんだけど、初めてこれを読む人に納得いく説明が出来てるかは自信ない。

オフィスにはスタッフを加えた総勢14人が集まった。はっきり言って、そんなに入れる広さじゃありません。パイプ椅子やら、ストールやらを駆使して何とか全員が座ったけど、酸素なくなって苦しかった。

とにかくずーっと喋りましたよ。午後1時から3時までミッチリ2時間。他にも、このイベントの生い立ちとか、俺の想いとかも言いたかったんだけど、ボランティアの皆さんには情報過多になってしまうと思ったので、それは個人的に別の機会にしようと思う。

一度解散して、残ったイケコとYukoちゃんがチラシ折りをしてる間に、やっと今日はじめての食事。と言ってもMac。4時からはカメラマンのYuko(Yから始まる人多すぎ!ちなみにイケコも本名は優子なのでトリプル・Yuko!)との最後の作品撮影。

この撮影も回を重ねるごとに良くなっていて、写真集として見てもかなりイケてるカタログになりそうな予感。その写真をプリントする用紙をこれから発注しなきゃいけないんだけど(汗)

今夜も朝5時くらいまで頑張ってます。写真以外のテキストを印刷するために、大判の紙をカットしながら同時にプリント作業。これが終わったら少し寝ます・・・。

2002年10月20日(日)



 今夜も・・・

数時間の仮眠を経て、土曜日となった。トロントでは今年で3回目の国際アートフェアが開催されている。”Let's〜”の会場であるSPIN Galleryは今年初参加ということで、陣中見舞いを兼ねて挨拶にいった。

Artfocus のブースもあるので、昨日苦労して折り込んだパンフレットを多めに持って出掛ける。実質会場に居たのは30分くらいのもので、後は一緒に行ったイケコを残して、先にスタジオへ帰った。

今日も引き続き、午前中から折り込み隊がスタンバってて、ライターのYukoちゃんとAkiちゃん、スタッフのYumi, Mannyが音楽を掛けながらノリノリで作業を始めていた。

俺は、それに参加せずにカタログのデザインと、明日のミーティングで配布する資料を制作。色んな問題を少しずつ整理しながら格闘していたので、急に振られた「英語しりとり」で、Sから始まる英単語に”Superman"と答えてしまい、速攻NG。しりとりなんて何年ぶりだろう(笑)

夜9時を廻ったので、全員でSushi Placeで夕食後にお開き。また明日にミーティングで集まってもらうことに。

一人でスタジオへ戻り、明日の資料の準備やらカタログの制作、プレスリリースの原稿作りをやる。隣人のSくんが帰ってきたので、前から頼んであったパソコンのハードディスクの増設をやってもらいながら、この日記を書いてます。もう午前2時。今夜もゆっくり寝られそうも無い・・・。

2002年10月19日(土)



 Rush

午後には複数の荷物が届くことになっているのでスタジオを空けられないから、午前中に文具店や、ハードウェアストアで買い出し。

この頃は同じローテーションで一日が始まる。荷物の一弾目は"T-シャツ”だ。イベントのキャンペーン用として、やっと話がまとまって良かった。しかし、到着すると全て女性用のT-シャツが!!半分は男性用を頼んだのに!

速攻モントリオールに電話して交換を頼んだ。はぁ〜。小林くんが遊びに来たので一緒にランチを食うが、荷物が気になるので下のSushi Timeで持ち帰りにしてスタジオで食った。

午後4時半。待ち望んでいたイベントのパンフレットが工場より届いた!このパンフレット4000枚を折り込む為に、4人のヘルパーをスタンバイさせている。プラス、バイトの休憩時間に駆けつけてくれたMihoちゃんを合わせて一斉に折り込み作業に入る。

ほとんど休憩もせずに折り続けるんだけど、全然減ってる気配がない。午後8時を過ぎてもまだ1000枚に達していない。9時にヘルプの2人が帰って、入れ替わりにカメラマンのYuukoが打ち合わせにやって来た。その彼女もいつの間にか、折り込み隊に参加している(笑)

12時前にHiroとMayukoちゃんが”イカ焼き”の差し入れとともに参上。再び大人数での折り込み作業となる。Mihoちゃんがバイト後に戻って来たところで、HiroとYuukoとカタログの打ち合わせに入る。

トロントは狭いながらも、幾つかのグループというか、ネットワークがあって、普段はあまり交わる機会がないが、今日のスタジオはまるでボーダレスで、色んな所の友人が集まってくれた。こんなところでも"助けられてるなぁー”という実感が沸く。

折り込みが、約半分に達したのが午前2時くらい。終電のこともあるので一旦解散。残ったHiroとMayukoと明け方までカタログのアイデアを交換する。

イベントまであと一週間足らず。さすがにここまで来ると肉体的には勿論、自信のあった精神面までフラついてくるのが情けない。プライベートは無いに等しいくらいボロボロだし、見過ごしてきた小さな問題までもが現実味を増して襲いかかってくる。


2002年10月18日(金)



 Starting Over

短い間ではあるが、一緒に苦楽を共にした戦友であるTakaがチームを去ることになった。別れは突然というよりも、必然な成り行きだったと思う。

俺は人と接するのが決して上手くないが、その点を円滑に補ってくれる相棒として、または俺のアホみたいなアイデアの洪水を整理し、デベロップしてくれる人間としてよく頑張ってくれたと思う。

ゆえに、この時期に彼が去ることは痛い。確かに痛いが、俺に新たな決意をさせるに十分たる出来事となった。前に日記で「ビジネス面がダメだったばっかりに、才能を食いつぶしてしまったアーティスト」の事を書いたが、実はそのまま自分にも当てはまることを自覚している。

それまで自由気ままの代名詞のようなアート家業をしてたのに、急にスタッフや部下を集め、人徳まで獲得し、事業を成功させるなんてのは誰にでも出来ることじゃない。正に今、それにトライし、失敗を犯して学んでいる最中だ。

世の中には”使う側”と”使われる側”がいるというが、そのどちらにもなれない自分とは何なんだろう?自分のアートには自信もプライドもあると言えるのに、外交面から来るストレスや苦手意識が、少なからずその自信を削ぎ落としている。

いつからこんな風に思うようになったのか、考えるにアート一本で食っていけるようになった頃から、自分自身をマネージメントする必然性に気付くような出来事に頻繁に出合ったような気がする。

絵を売らなければ生活が出来ない。絵を売るためには展覧会を開かなければいけない。展覧会を開くには会場のオーナーに売り込まなければいけない。それらをスムーズに回転させていく上で、名前を売ることは最重要だった。

作品のクオリティには自信がある。しかし、どうやって名前を広めるか?そこを考え始めたときが、俺の中でのビジネスのスタートラインだった。誰かに拾われるまで待てるほど人生は長くない。しかし、一からビジネスを学ぶ事は決して遅くない。

失敗は大きく、経験は多くするほうが良い。ただし、忘れてはいけないのは、途中で投げ出してしまうこと。どんなに嫌なことがあっても、理不尽な裏切りや、誤解や、そんなものは世の中ゴマンとある。その中でやり遂げる力こそ本当の力だと思う。投げ出すことは一番楽な選択肢じゃないか?

そんな時に人は自分を正当化しようとしてしまう。逃げ出したことに理由を持たせたいから。そこに理由なんて無いんだ。言い訳ならまだ良い。一度”やる!”と決めたゴールに、辿り付けないと気付き始めた頃から、いかに自分を正当化するかに考えが変わってしまう。

人を責めることで、自分を正当化させる。それはどんな理由であれ、逃げだと思う。それをしないように、自分と向き合っていきたいと思う。


2002年10月17日(木)



 皆に感謝ですわ

「時間を金で買う」という言葉があるが、コンピューターや機材に金をつぎ込む事もそれと同義語だと実感した。

昨夜から今朝に掛けて、”Let's〜”用のポスター/パンフレットの最終仕上げをデザイナーのHiroとやったんだけど、コンピューターのメモリーぎりぎりのところで作業してたので物凄い時間が掛かった。実はこの日の為にわざわざハード・ドライブを増設しようとパーツを購入してたんだけど、時間が無くて現状のシステムで作業に入ったわけだ。

ポスター一枚分というと、かなりの容量を動かすわけで、保存ひとつ取っても相当な時間が掛かる。操作を一つ進めるたびにビールとつまみを食って、雑談するほどのスピードで朝5時までかけてやっと完成した。相当いいデザインに仕上がった。はっきり言って、これまでの展覧会のポスターの常識を覆すもの。これだけでも話題になり得る。Hiroに感謝。

今度はそれを隣町の印刷所へ入稿するために、8時半にはトロントを出発しなければならなかった。一時間半掛けて、ようやくUnited Graphicsに到着。オーナーのRandyとは初対面だが、デザイナーのHiroはかつてここで仕事をした事があったんで、久々の再会といったところ。

Randyはこのイベントの為にスポンサーを引き受けてくれて、善意で色々なアドバイスもしてくれた。仕事柄、年中割引きとかサポートを依頼されるらしいのだが、ほとんどは断るらしい。一つ受けると、噂を聞いた人々が鬼のようにやって来るからだとか。納得。

それだけに、このイベントに協力してくれたのはありがたい事だね。奥さんのMinaさんは、何とGlobeのマーク・パンサーの従兄弟らしく、思わぬコネクションが出来てしまった。もっと早く知ってれば”Let's〜”に誘えたのに(笑)

トロントに戻ってHo-suレストランで飯を食いながら、そこのオーナーとスポンサーの話をした。この店には週3−4回通ってるので話しやすい。その後、バイトの中休みを利用してMihoちゃんがカタログ製作の手伝いに来てくれた。明日も一日手伝ってくれるらしい。ありがたい。

2002年10月15日(火)



 りんごとの関係

”Let's〜”まで2週間。今日はStaffミーティングの日。昨夜は、頭の中が整理つかないまま徹夜でその資料を作った。

オークションの形式で迷ってる部分があって、スタッフの意見を聞きながら決めようと思う。また、キャンペーンも強硬スケジュールながら決行する。これは30日の早朝、トロントのビジネス街へビラ配りに行くのだ。しかもビラと一緒にりんごを配る計画!

りんごには”Let's〜”の日付と時間を記したシールが貼ってあり、たとえビラを捨ててもりんごを食べる時にシールの文字が嫌でも目に入るという、我ながらアッパレな2重構造。オフィス街のランチタイムで話題になること必至である。

効果的な宣伝とは何か?というのは日頃から考えているが、アートと結びつけるのは中々難しい。ポスターを貼ったり、ビラを配る、新聞に広告を出すのはどこの世界でも常識すぎるし、TVでPRするのは莫大な金が掛かる。あえて言うなら、宣伝にもユーモアが欲しいと思っていた。しかも、相手に押し付けがましくないもの。

何故りんごか?と聞かれれば、幾つかの理由がある。第一に、歩きながらりんごを食ってる人をよく見かけること。電車に乗ってる時も、おもむろにバッグからりんごを出して食ってる人も見かけるし、非常にポピュラーな食べ歩きグッズと言える。第二に、八百屋と手を組めば安く仕入れられること。トロントでは年中りんごを売ってるし、年間通して品不足が無いことが挙げられる。

そして俺自身と結びつく点は、Beatlesとオノ・ヨーコだ。Beatlesが設立したレコード・レーベルの名は”Apple"。そう、あのApple Computerよりも先に名称を取得していた、りんごをトレードマークにしたレーベルだ。オノ・ヨーコの場合はAppleを使って何点かの代表作を作っている。John Lennonがヨーコと初めて出会った展覧会で、飾ってあったそのりんごを一口食べてしまったとか、しまわないとかいうエピソードも残っているゆかりの品だ。

最後のは、分かる人だけニンマリしてくれればいいのだが。

2002年10月13日(日)



 秋ですな

寒い。トロントに早くも冬が訪れたようだ。外を歩く人は皆コートやマフラーを纏っている。スタジオで今年の夏、大いにお世話になったクーラーを窓から取り外し、屋根裏部屋にしまった。代わりに移動式ヒーターを取り出して冬支度をした。

来週になればスポンサーのEpsonから、ン百万もするプリンターが届けられるので、スペースを空けようと朝から格闘している。それに、カタログ制作用に新たに机をこしらえた。買う金がないので空箱の上に板を這わせた程度のものだが、これからイベント当日までスタッフが24時間体制で作業に入るので、テーブルごとに作業を分担する方法を取る事にした。

普段は俺とTakaくらいしか居ないから、広く感じられるスタジオも、全員ミーティングがあったり、同時に何人も作業に入るようになると手狭に感じる。引越し自体は何度か考えたけど、ここよりも立地条件の良い場所は有り得ないのが、それを渋らせる。

単に寂しい所が嫌いなだけなんだけど、ここに居れば横にカフェはあるし、目の前はHMVだし、一階には安い寿司屋がある。で、24時間とにかく賑やかだということ。それに画材屋も5分掛からない程度で3箇所もある。カナダと言えば大自然を思い浮かべるだろうが、ここトロントの中心部には雑多で汚く、排気ガスで充満してるような地区もある。そこに我がスタジオがあるのが嬉しいのだ。

前に住んでたオンタリオ湖沿いのアパートは、画材を買いに路面電車に乗らなきゃいけなくて大変だった思いがあるし、夜になると人も歩いてなくて寂しかった。郊外は緑も多く、鹿やキツネが出ることもあるけど、そんな所に住んでしまったら、今描いてるような絵は描けなくなってしまうね、きっと。

自然の風景を描く画家が、自然の中で暮らすように、都会を描く俺が都心に住むのも自然なことのように思える。窓から夕暮れの店先を見れば、オレンジ色の照明が暖かそうに路面に漏れ出している。秋から冬にかけて、最も好きな季節が来たと実感する瞬間だ。

2002年10月12日(土)



 Dear John

Happy Birthday,John!62歳ですよ、生きてたら。新聞では何やら犯人のマーク・チャップマンの仮釈申請が却下になったり、元使用人との裁判にも完全勝訴したりで、世の中が全部味方になったような気がするね。

そのヨーコさんは「Lennon,Ono助成金」というのを立ち上げて、紛争地で活動するアーティストを支援する活動に出ていますね。それに加え、アルバム”Double Fantasy"に入ってた「Kiss Kiss Kiss」がリバイバルでCLUBでガンガン掛かってて、そのチャートの6位だとか!乗ってますねぇ。

ここ最近、個人的な追悼も含めて"レノン・リメンバース”を読んだり、”マイク・ダグラス・ショー”を見返したりしました。人生に”もし”という言葉は無いけど、生きていたら・・・と考えずにはいられない。

俺にとってJohnとは、歌手は歌うだけ。画家は絵を描くだけ。作家は本を書くだけ・・・という壁を初めて破った先駆者。今では常識かもしれないけどJohnが生きてた時代は、職業と役割がすごく限定されてた時代だと思うんだ。Beatles時代のJohnも当てはまる。まぁ当時にしては意表を突く”In his own write"という本を出したりして十分そのアーティストとしての片鱗は伺わせるんだけど。とにかく最初に壁をぶち破って、世界中に見本を見せてくれたのはJohnだと思ってる。

ヨーコさんと出会って以後、解き放たれたようにアーティストとしての”John Lennon"を確立していく様は感嘆に値する。絵の発表や異文化のアーティストとの交流、一連の平和活動、みるみるうちに”ミュージシャン”という肩書きではくくれない存在になっていった。音楽で表現したい時はそうするし、絵でやりたい時は絵でやる。アーティストという定義は広いけれども、俺にとってはJohnがその定義である。「ミュージシャン」とか「画家」とか「彫刻家」という枠がある前に、まず表現者であるということ。

表現手段の一つとして音楽があり、絵があり、文章がある。いつまでも見上げてばかりの存在じゃなく、おこがましく言えば同志と言えるくらいになりたい。

2002年10月09日(水)



 ビジネスマンですか?

今日は月曜日。目まぐるしい一週間の始まりだな。俺みたいな定職を持たない人種にとって、普段は曜日感覚なんて無いに等しいんだけど、いかんせんイベントが終わるまでは社会のペースに合わせざるを得ない。つまり月曜から金曜の9−5時は社会との戦いの場なのだ!

何か熱くなってるけど、それはパニくってるのと同義語でもある。掛ける電話も多ければ、受ける電話も多い。我がオフィスは未だにインターネットは電話回線なので、電話の合間にメールをチェックするだけで、もう留守電が溜まるって感じ。う〜ん、やっぱケーブル接続にしようかな。その辺もイライラの原因。

プラス、今日はイベントのボランティア募集の面接日だったし、雑誌Bit'sの取材日でもあったから一人で血管浮かせてた。

最近の取材で良く聞かれるんだけど、アーティストなのかビジネスマンなのか?って質問。そりゃ、ビジネスせずにアートができるんだったら最高だけど、それは一握りのアーティスト、しかも年齢もキャリアもそれなりの人のやり方で、俺みたいな若造は自分で両方やらなきゃいけないわけ。

裏を返せば、どれほどの才能あるアーティストがビジネス面がダメだったばかりに堕ちていったかを考えるといい。アートの世界しか知らず、死んだ後に評価されるアーティストが美徳とされる風潮が未だにあるが、俺は真っ平ゴメンだ。自分のキャリアは自分でマネージメントしたい。

一方では、展覧会の誘いがあったり、チャンスに便乗する方法論もアリだとは思うが、小さくてもいいから自分の主旨・嗜好で展覧会を企画し、誘う側になる方が気持ちいい。それくらいの軽い気持ちが原点にある。

気持ちが軽くても、いざ誘う側になると次々に壁が出てくる。これは誘われる・乗っかる側には無縁の壁だ。まず、今まで参加するだけだったギャラリーの顔が180度変わる。「企画書に予算と収益表、具体的な集客見込みを添付して持ってきて」とか、「一年前から書類を提出しないとダメ」とか、どんなに主旨や嗜好が面白くたってアイデアだけなら誰も見向きもしないのだ。そこに具体的な計画と見通しが伴って初めて対等に話ができる。

それらは単に”アーティスト”だけでは済まない要因が詰まっている。いわゆるビジネスマンが企画を立ち上げるのと何ら変わりは無い事なのだ。スポンサーもしかり。一般社会から見て現実的な、有効性のある企画書でなければ会議にも掛けてもらえない。そこで”僕はアーティストだから”という無茶苦茶な理論は絶対に通じないのだ。

疲れたので簡単にまとめると(笑)、アーティストとして自分のやりたい展覧会をやる為にはビジネスマンにもなる!ということかな。展覧会の理想や純度が高ければ高いほど、ビジネスに徹する割合も高くなる!


2002年10月07日(月)
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