-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 オンタリオ美術館

一昨日くらいから体調が崩れてきて、今も頭痛が酷い。ついにやっちゃったなぁ、という感じ。何が原因か分からないんで、とりあえず風邪薬のんでごまかしてるけど、風邪じゃない気もする。

友人Mくんは「最近若者の過労死が多いから気を付けな」と不気味な忠告(笑)少し休みながら作業を続けてるんで、大分ペースが落ちてる。やばいねぇ。

プラスさぁ、トロント寒いんですよ!5月なのにまだ最高気温5度だもん、今日なんて。まだ冬用のダウン・コート着てるんだから、日本じゃ信じられないでしょ。日は長くなって、日没が夜8時半なんだけどね。

今日は領事館へPassportの受け取りに行って、帰りにAGO(オンタリオ美術館)へ。ここの地下にはギャラリー経由で美術品を一般に販売、レンタルする部署があるんだけど、一ヶ月くらい前に「作品を提供しませんか?」とのオファーがあったので、この日に直接話を聞くことにしていた。

どこでリサーチして俺の事を知ったのかは不明。作品と名前しか知らないみたいだった。で、契約事項の中に”アーティストとしての経歴5年以上。また、大学もしくはカレッジでの美術専攻とディプロマ”というのがあった。やっぱり、ここでも学歴主義なんだねぇ。

俺は美術系の学校は行ってないんで、それを伝えると「どうして行かないの?今からでもどこか入ればいいじゃない?」と中年の学芸員に真顔で説得される。(汗)

「学校出てるプロのアーティストと、出てないプロの違いは何ですか?」と聞くと、「私には分からないけど、でも有利よ。」と半端な答えをもらう。結局何を聞いてもピントがずれていたので、きっとロクなリサーチして選ばれたんじゃないと判断し、お断りしてきた。

オンタリオ美術館と言えども、名前だけで食ってる部分も多いし、所詮コンサヴァ(保守的)なのだ。今はそっちの商業主義に合わせるつもりはないんで、これでいいのだ。


2002年05月13日(月)



 LET'S HAVE A DREAM 進行状況

徹夜の甲斐があって「Just Dessert」用の作品2点が仕上がった。今日から3点目に突入。

今日は”LET'S HAVE A DREAM !"の進行について報告します。

参加予定のIchiro選手に交渉のFAXを送った件で、マリナーズの広報担当から連絡が入る。基本的にシーズン中は野球以外のイベントに関わることは難しいらしい。現地の日系コミュニティーと関わる事も制限されてるんだって。政治家みたいだ。

しかし、我々は14、15日の直接会談まで積極的に交渉を続けます。書面を書き足しFAX送信。

SLOANのマネージメントからも連絡が入り、秋にヨーロッパ・ツアーが検討されてることを知らされる。今のところ参加はイーブン。スケジュール次第かも。ただし非常にイベントに好意的なので、何らかの協力は仰げそう。プログラムを組み直し、ステイトメント上書きして検討することに。

元Luna SeaのSugizo氏マネージメント側と詳細を打ち合わせる事になり、それに伴った資料をスタッフのYumiと作成。TV関係等は直前にならないとはっきりしたタイム・テーブルが出ないんで苦しい。まず当日のスケジュールと移動枠を元にドラフトを仕上げた。

近況はこんな感じですね。出演者側とはこれからが交渉大詰めです。


2002年05月11日(土)



 銀行のトラブル

今年始めに合併したみずほ銀行のトラブルは、終結したように見えてたけど海外に居てまで被害に会うとは思わなかったよ。カナダから国際電話を掛けて、不具合を報告してるのにタライ廻しされた。

ちゃんとオーガナイズされてから合併して欲しいもんだ(怒)結局、電話代でパンクしそうだったので、姉に頼んで解決したから良かったけど。

さて、HYPE TOKYOのカナダ部門では、「バンクーバー新報」さんの協力によりバンクーバーでの告知が追加決定しました。若いワーホリくんたちのメッカとも言えるんで期待してます。

そしてイベントのDM(ダイレクト・メール)のドラフトが仕上がり、ちょっと校正。プリント会社で打ち合わせした後、近所のPropeller Galleryを覗いて、バレンタイン・ショーでお世話になったStaffのM嬢と談笑。来期のボード・ディレクターを選出してる最中で、何と!俺の名前も挙がっていてビビった。

Propeller Galleryはアーティスト達が非営利で運営する団体で、このボード・ディレクター(以下B・D)10名前後を年毎に選出して運営しているのだ。いわば、選ばれたその一年間はギャラリーの共同オーナーという立場になる。で、展覧会を企画したりオーガナイズするわけ。

帰ってからやっと自分の絵の制作に入る。今日中に仕上げようと、徹夜覚悟で挑む。空が白みはじめた朝6時、一枚目が完成!!!勢いに乗って途中で保留していたやつを引っ張り出し、それも2時間後に完成!!

ベッドが待ってる・・・という安心感を胸にこの日記を書きなぐってます(笑)

2002年05月09日(木)



 胃が痛いっす。

朝6時に起きてオフィスへ向かう。着くと同時にメールチェック。今日も鬼のような数のメールが届いている。そのうち新着メールだけで三桁いきそう・・・

”Hype”や”Let's〜”関係のメールに混じって、久々の俺の作品へのオファーが混ざってた。日本で俺の絵を売るにはまだ早いが、ちょっと良い話だった。返事もそこそこに、次々とメールを返信。気が付くと午後1時。

近所の画材屋+Galleryに”HYPE TOKYO"のパンフを補充に駆け回る。途中で歩きながらホット・ドッグで朝食兼昼食を済ませる。道の反対側にArtfocusのPatを発見するが、無視して着々と巡業を続ける。

Kinko'sからシアトルへFAXを送り、文具屋でプリンターのインクを買って出てくると土砂降り。最悪。オフィスへ戻り、絵筆を握って2時間、隣人のSくんがマーボー豆腐を作ってくれて早めの夕食となる。ラッキー。

と、思ったらスタッフのYUMIちゃんが登場。何やら風邪で病院に収容されてたらしい(汗)大丈夫か!?頼んでた仕事を校正して早めに帰す。

再びメールをチェックすると、”Let's〜”でオファーを出していたカナダの人気ロック・バンドSLOANのマネージャーから直々のメールが届く。小躍り!

ひょっとして順調に行ってるのか!?と錯覚するのもつかの間。絵の制作は一向に進んでいない。ひょっとしてまた締め切り落とすかも・・・。胃が痛い。


2002年05月07日(火)



 怒ってるヒマなし!

パスポートの更新で日本領事館へ。手続きを済ませてオフィスへ戻る。そうだ、こんな事でペースを乱されてはいけない!!怒涛の仕事責めで、スケジュールがパンパンなのだ。

HYPE TOKYO参加のアーティストや、関係者からの鬼のような数のメールに返信を打ち始めること4時間。ちょっと一服したところにスタッフのMannyが突然やってきた。そうだ、JCCC(日系文化会館)と電話で交渉をする予定だったのだ。

軽く打ち合わせしてから電話。その後また書類を手直しして送信。今度はTakaがやってきて14日のマリナーズ・イチロー選手への書類を作成と、球団広報へFAXを流す。

マリナーズはBlue Jaysとの3連戦なので、トロントに3泊の滞在らしい。15日は”Japanese Night"というタイトルが付いてて、試合前に太鼓やら舞踏やらのカルチャーイベントがくっつくらしい(汗)

とりあえずTakaには2連チャンで張り込んでもらう。GOOD LUCK!

その後、絵の制作に入るが全く手につかず。思いっきり勘違いな色を背景に塗りたくってしまい、後悔手遅れ・・・



2002年05月06日(月)



 Hype Tokyoキャンペーン

19日から始まる「Just Dessert」展示用に、48x48インチの巨大キャンバスを4枚描いている。といってもまだその一枚目しか手を付けてないんだけどね。

その一枚が今日でほぼ完成・・・と思ったんだけど、ちょっと寝かせておくことにした。どうもね、「完成!」と手放しで喜べないところがあって、これは保留だな、と。

次に、これまた4ヶ月程寝かせてあったやつを引っ張り出してきてリフィニッシュ。長いこと寝かせてあった甲斐あって、イメージがすっきり頭の中に生まれてきたね。まぁ、あんま作品の進行具合を書いたところで、つまんないとの意見も耳にするんで止めましょう(笑)。

話題といえば、7月のHYPE TOKYO。これは本当に面白くなりそう。もちろん参加するアーティストが面白いわけだけど、こっちもプロモーションに本腰を入れる時期が来たね。とりあえず専用HPをちょっとリニューアルしました。

これからどういうプロモーションをするか?と言うと、デカイのは路上キャンペーンをやります!トロント在住の参加アーティスト一人を引っ張り出して、トロント市内の3箇所で大パフォーマンスを決行してもらう予定。スタッフのTakaとミーティングしてて、イケそうな手応えだったんで。

予定日は開催日前後の休日が有力。一週間ずれてたらアメリカの独立記念日やカナダ・デイに当てれたんだけど、これは無理そう。それまでに約一ヶ月前から準備及びリハーサルをするんで、あんま時間ないね。

何でリハーサルが必要なのか!?それはまだ言えないけど、とにかく街中の話題を独占することは必至でしょう(笑)


2002年05月03日(金)



 どんな世の中に暮らしてるのだろう

5月を迎えた今日という日は、とにかく悩む・考える日だった。大きく分けると、自分自身アーティストという道を進む上で避けては通れない、つまり解決することのない悩みと、もう一つはイベント”LET'S HAVE A DREAM"についてだ。

前者の問題は、ひとつ進めばまた新たな問題が出てくるので、その度に考え直すだろうから進むしかないと、諦めにも似た感覚があるのだが、後者はちょっと違った。

ある知人に、第三者としてこのイベントについての意見をもらったからだ。つまり、事前にイベントの主旨も参加者も何も情報を与えずに意見を言ってもらったのだ。

まずステイトメントを見せてイベントの主旨を文面から読み取ってもらった。直接話して訴えるのではなく、文章から読み取ってもらいたかったからで、ステイトメントの完成度が低ければそれだけ疑問や穴が見えてくる。

これを読んでもらった段階で、知人は疑問を抱いた。「理想論だね」と一言。まず”夢をもとう”という言葉の響きが彼にはリアルではないということだ。彼は40歳前後の世代で、常に”ゴール”へ向かって生きてきたという。彼曰く「夢というのは全く叶うはずがないものだから夢なんだ。でも実際に目標として進むべきものは”ゴール”なのだ。」と。

言いたい事はわかる。俺だって色んな大きさのゴールを自分で設定してそれに向かってるんだから、それが夢という名前でないことも理解している。しかし、恵まれた環境にいる子供ならいざ知らず、明日さえわからない子供達に対していきなり「ゴールを設定しろ」と言ったって、出来るはずがない。

一人一人が安心して明日を迎えられる世の中が来なければ、誰もゴールなんて決められないんじゃないか?このイベントは、まずその世の中をつくっていこうという段階なのだ。

あなた自身、命の危険に晒されず平和に暮らせているから”ゴール”を目指せなんて言えるんだ! そう言いかけたが飲み込んだ。よく考えると俺の周りにはこういう考えの人々が沢山いるし、こういう人達にこそ理解してもらうことが大切だからだ。ステイトメントの文章を読んだだけではきっと伝わらないのだろう。それじゃあ、口で伝えればいいのだが、それではダメなんだよな・・・。

世の中には金があって、地位や名誉をもった人々が大勢いる。その人達が平和のために何もせず暮らしてて、金も名誉も時間もない俺みたいな無名の画家が私財をなげうって平和のイベントを開催しようとしている。どんな世の中に俺は暮らしてるんだろう?と不安になる。

そして知人は、「一体こんなことをやって何になる?君は若いんだし、自分自身のやるべきこと、画家として一流になる事だけに専念すればいいじゃないか?」とでも言いたげな表情をした。哀れに思われる筋合いはない。価値観が違うのだ。自分だけよければ他はどうなっても構わないという人とは。





2002年05月01日(水)



 人前で絵を描くこと

久々にBrown Stoneへ行き、作品の撤去を申し出た。これは5月に始まる個展に使用するための一時的なもので、終わったらまた戻すんだけどね。

この5月用の作品を現在制作中なんだけど、この時点で作品数が足りないのがはっきりしてて、そこで旧作をちょっと持ち出すというわけ。それにここのオーナーがBrown Stoneでの作品を見てオファーしてきたものだったから、彼もそれを望んだので急遽申し入れに行った。

で、Brown StoneのアデルはOKしてくれたものの、ちょっと予定が狂ったというような表情だったので聞くと、Brown Stoneでは夏にパティオ内で絵の制作実演をやって欲しかったと言うのだ。

ここはYonge Stでも特に若者で賑わう店で、夏のパティオとなると順番待ちの列が出来るほどだ。そこで、絵を実際に客の前で描くパフォーマンスをすれば反響が大きいだろう、という話だった。

しかし、5月からの個展は3ヶ月もの長期になるので夏が終わってしまう。たとえパフォーマンスだけやっても、そこに絵が展示されてなければ効果も半減だしね。これにはちょっと考える時間が必要だと言って、とりあえず撤去の件だけは決定してきた。

パフォーマンスといえば、過去に一度だけやったことがある。トロントに来て初めて参加したAnnex Showの時だ。やはりただ展示してるブースよりも、その制作プロセスが見えるのは面白いらしく、多くの人が足を止めてくれたっけ。

あ、更に遡ると97年にバンクーバーに滞在してた頃は、路上に座って絵を描き、それを売っていたんで、パフォーマンスというより制作現場を見せてたこともある。この時は作品を描いてる途中の段階でも買い手が付いたりした事もあって、人前で描くことに衒いはないんだ。

その時代が原点でもあるんで、一度立ち返る意味でもBrown Stoneでの実演はやってみたいなぁ。


2002年04月28日(日)



 陽気なイタリアン

午後1時、Peppino'sへ搬入の為指定された時間にレストランへ向かった。どうやらここはランチ営業はしないらしく、キッチンの仕込みが始まる2時前に展示を済ませたいようだった。

オーナーのジョセフ一人が待っていて、「ようやく仕上がったか。止めたんじゃないかと思って心配してたんだ、息子よ」と肩を叩いてくれた。そうだ、このオッサンは初対面でも「息子よ」と言ってきたのを思い出した。

まぁ、気にせず2人で展示場所をあれこれ検討してるうちにジョセフの故郷であるイタリアの話しになった。彼には出来の悪い息子がいるらしく、イタリアを離れる前に家を出て行ったきり20年も会っていないと言った。

どうやら、その息子が俺に似ているらしいのだ。俺もどんな人だったか気になったので質問したり、逆に質問されたりしてるうちに2時になり、キッチンのスタッフが集まり出した。基本的にイタリア系のスタッフが多いらしく、陽気に話しに紛れ込んでくる。それが一人増え、二人増え、最後にはその日出勤のスタッフ全員がひとつのテーブルを囲んでいた。

ジョセフが俺を紹介すると、スタッフの一人が以前どこかで俺の絵を見たと言い出し、何故か日本の有名画家という設定になってしまい焦って取り消そうとしたが、これがイタリア気質か一向に構う気配なし。結局全員で記念撮影して、後日その写真にサインすることになった!いいのかお前ら!?

撮影が終わったあと、ジョセフがワインを持ち出し、スタッフがチーズを運んできて乾杯!何なんだ、これは?物怖じするとみっともないんで、俺も負けじと飲んでしまい、案の定酔っ払った。

相変わらず「息子」と呼びかけるジョセフにも親近感が生まれ、お互いの家族の話から、日本とイタリアの話を延々と話し、気づいたら3時過ぎてて慌てて残りの絵を展示した。帰る時も店員総出で見送ってくれたし、なんだか故郷を後にするような妙な気分だった。

ちなみに、ここには96年、ビートルズのリンゴ・スターも来てて、俺の写真をリンゴの隣に飾ってくれと念を押した(笑)

帰る道すがら、俺はパスタが大好物だし、きっとイタリアには何か縁があるに違いないと、大いなる錯覚をしながら、いつかイタリアに行ける日を夢見て爆睡したのだった。

2002年04月26日(金)



 親友となるには

一月に他界した父の納骨が故郷である北海道で行なわれる。27日に納骨式のため、日本の母と姉夫婦が北海道へ向けて出発した。数日間の滞在になるんで、猫のBlueも一緒に連れて行くことにしたらしい。ペットホテルに入れられなくて良かったね。

本来ならば、俺もそこに居なければいけない立場。電話にて”よろしく”とは言ったものの、心は北海道へ飛んで行きたい気持ちだ。

納骨後には、父の青年時代のマージャン仲間、すなわち悪友達が集まってくれるらしい。どの顔もしばらく遠ざかっていた記憶の中でははっきりしないが、本当に父には友達が沢山いた。楽しい青春時代だったと思う。

カナダに渡ってから、数人の友人達が日本から遊びに来たりはしたが、このカナダで親友と呼べるような奴はまだ居ない。友達は少しはいるけど、友達から親友になるには長い年月と、多くの心傷や喜びを共にしなければ成立しないよね。しかも、もういい歳だから若さにまかせた大胆な行動は当然無くなってくるし、夜通し語り合う悩みもないからそれも難しい。

つくずく若さが羨ましかったりする今日この頃。日本に住み、周りは全部日本人って環境でも親友なんてめったに現れないのに、ここカナダという土地で圧倒的に日本人比率が少ない中では尚更だ。かといって、日本人以外の人々と積極的につるんだりしないしさ。

俺はカナダに来てから日本が好きになった人なんだけど、やっぱり”合う”わけよ。生理的に日本の習慣や考え方、そして日本人がね。好き嫌いを人種や国籍で分けるのは嫌だけど、この”合う”って感覚は否定しようがないんだ。

それまで日本の習慣や考え方が嫌いでしょうがなかった俺が、外国へ行けば自分の思うままに生きられると錯覚してたのに、逆に日本の良さを見せ付けられてしまった形になるね。それはそれで良いんだ。自分のルーツを大事にするのは良いことだ。

で、頭も中身も金髪に染め上げたなんちゃって外国人や、かぶれっ娘も否定はしないけど、日本人を卑下して外国人に媚びるのはやめて欲しいよな。あれ、全然違う話しになっちゃった(笑)

2002年04月24日(水)
初日 最新 目次 MAIL HOME