-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 無理な注文は本当に無理なのか?

出来ることは出来る。出来ない事は出来ない、と答えるのは大事なことだ・・・。また一つ無謀なオファーを受けてしまった。

以前、営業に行ったBeaches地区のREMARKABLE BEANのアート・キュレーターであるMs.Mから昨日留守電に「緊急でショウをやってほしい」とのメッセージを受け取る。

前回の交渉では「夏くらいに・・・」という表現で、開催日を仮で決めたんだよね。今の時期はHype TokyoやらLet's〜の準備で忙しいから。しかし、彼女は「どうしても早い時期にやってほしい」らしかったんだけど、その時は断ったんだ。出来ないものは出来ないから、と。

しかし、今回の電話では予定していたアーティストが穴を空けて(キャンセルということね)、どうしてもお願いしたいという状況らしく、う〜んと考えた挙句OKしてしまった。

そんな、ふんぞり返って絵を売ってる身分じゃないんで、ここは無理にでもやってしまおう、と考えた訳だ。で、旧作だけを出す訳にはいかないんで、新たに1、2点新作を持っていくと約束した。言ったは良いが、手元にストックがあるわけじゃないんで、早速キャンバスを3枚仕入れて、今下地を塗り終わったところ。そう。1、2枚と言ったけど、やっぱり3枚くらい描こうと思ってみた。

搬入は4日後に半分と、あとは11日のスタート時に半分。またこれから寝れないなぁ・・。

それと別件で、以前トロントにレクチャーの為に訪れたMr.スーパーフラット 村上隆氏にインタビューを申し込んでいた件で、村上氏より回答メールを頂く。文面は「あれ、村上氏 疲れてるの??」と一瞬思わせるものだったが、よく読んでみると彼らしい表現で答えてくれていた。

掲載はたぶん日加タイムスという日系新聞になると思う。許可が出ればこのHPでも転載します。あ、オノ・ヨーコさんの記事もアップしとかないと。もうちょっと待ってください!



2002年04月04日(木)



 HYPE TOKYO WEB公開

毎月言ってることだけど、もう4月。はやいねぇ〜。このスタジオもちょっとずつ落ち着いてきました。

Newsのコーナーでも告知してるけど、”HYPE TOKYO”のHPがアップされました。制作を人にまかせようと思ってたんだけど、時間が掛かりそうな見込みだったんで昨日一日で作った。

作家を日本からも数名セレクトしたいんで、募集の告知を日本の出版社に流したり、それ系のWEB SITEに送ったりした。雑誌系の大御所では「美術手帖5月号」と「イラストレーター」に載るんだけど、「イラスト〜」の方は締め切りに間に合わずWEBだけになった。

それと、前回日本に行った時に偶然入った画廊でなかなか良い作家がいたので、その作家達も選考にいれようと思う。次は第二段階として、こちらカナダの作家の募集に入ります。作品の輸送を考えると、日本の方がどうしても時間が掛かるんで先に出したというわけ。

トロントの雑貨屋を見回してみると、結構日本のキャラをパクッたようなのが多いんだよね。TVでは相変わらずドラゴンボールとかやってるし。この展覧会で、それらがいかに日本のカルチャーに影響を受けているかをあからさまに提示しようと思ってる。

ま、どっちがオリジナルとかは問題じゃなくて、まさに今ってのはこういう時代ですよ、っていうのを目に見える形でプレゼンテーションするわけだ。中には日本で育った俺とかよりも、日本のカルチャーにリスペクトを持ってるやつもこっちにはわんさか居るからね。



2002年04月02日(火)



 監督いる?

先日Sheridan Collegeに通うスタッフからHP用のインタビューを受けた。質問されたことよりも、終わった後の雑談のほうが良い話が出来た気がする・・・。

現在開催中のOne of a kind showに出展中のジュエリー・デザイナーのTracyから連絡があり、俺のデザインの指輪が3つほど売れたそうだ。嬉しいねぇ。ギャラ上げてくれるだろうか?

今回は時間がなくて覗きに行くことは出来なかったけど、まぁまぁな人出だそうだ。また今年のクリスマスには出展しようかな?と思案中。

昨日はまた頭の中でたくさん考えることがあった。それで気づいたのが、自分の中にある”監督”についてだ。野球などチームスポーツには必ず監督という存在がいるでしょ?オーケストラでも指揮者がいるように、どんな素晴らしい腕をもった選手がいても監督がダメだとチームとしては機能しないように、自分の中にも監督はいるんじゃないか?と。

例えば、上手い絵を描ける手があって、斬新な発想をする脳もあったとする。しかし、非常に怠け者で一年に一枚しか絵を描かないとしたら、非常に勿体無い。そいつに良い監督がいれば、強制的に毎日描かせたり、時にはおだてて才能を伸ばすように指導してくれるはずだ。

同じように、自分の”感情くん”は怒っていても、監督が「ここはグッと抑えろ」と言ってくれたり、嫌いなものを「体に良いから食べろ!」と強制してくれるのだ。

自分に良い監督がいれば、どんどん自分というチームは良くなっていき、逆にダメ監督をもつ人は、どんどん自分というチームが弱くなっていくものだ。

自分で決めたことは3日も続かないという人が、よく「人の命令だったり、仕事とかだったらやれるのに・・」というが、それはきっと怠け者の監督がいるせいだ。試しに頭の中でそれぞれの自分の”監督くん”を創造してその命令を実行してみるといい。時には自己判断して、悪い監督だったら更送して、新たにもっと怖い監督を連れてくればいい。

ちなみに今の俺の監督は長渕剛だったりする(笑)

2002年03月31日(日)



 ELENI MANDEL

Queenの”Rivoli"にてELENI MANDELのライブがあった。歩いて1分ということもあり覗きに行った。

彼女のライブは約一年ぶりに見る。そのうえNew CDの発売ライブだったので客は満員。なぜか嬉しくなる。前回は弾き語り形式だったけど、今回はドラムにウッドベース、ギターというバンド編成で、随分印象が変わった。

俺の大好きなトム・ウェイツのフォロワーと呼ばれている彼女。益々それに磨きが掛かったみたいだった。良いんだけど、でもネタがあんまりにもウェイツってバレバレなんで、そこがちょっとはまりきれない部分でもある。それっぽいから見にいってるくせに矛盾してるんだけどね・・・

前座のSilverheartsも、これまたウェイツのフォロワー。ボーカルのダミ声までコピーしてる。トム・ウェイツのコンサートは希少だから、手軽にウェイツの雰囲気に浸りたいのならOKなんだけどね。どうしたんだろ、最近。やたらコレ系が耳につくんだな。

そう考えると、やっぱオリジナルというか元祖は強いなぁ。絵でもそうだけどね。

2002年03月29日(金)



 記憶装置

昨日、全ての引越しが完了しました。途中からSくんとスタッフのTakaが手伝ってくれたので助かった。で、今日早速キャンバスを仕入れ、次の展覧会の準備に入りました。

とは言っても、室内はダンボールの山で、これが消えるには相当掛かりそうな雰囲気…。なにせ、引越しの作業がらみでPCは使えなかったし、イベントの庶務も停止状態だったんでペースを戻すのに必死なもんで、荷物の整理よりまずは実務といったところ。整理は後回し。

イベント”LET'S HAVE A DREAM"のHPを開設する準備も進行してて、担当のケンイチくんから昨日いくつかのサンプルを送ってもらった。メールのみのやり取りなので、なかなか意見が伝わらない。

頭の中から涌き出るイメージ通りに作るとしたら、日に日にアイデアが変わっていって、見通しが立たなくなるので、とりあえずは最小限のページを作るつもりなんだけどね。その原案すらも日々変わってしまう。

我ながら厄介な奴だと思う。頭の中のイメージを映し出すモニターが早く発明されないだろうか?もしくは、そのアイデアをストックできるようなフロッピー・ディスクが欲しいね。でもよく考えるとそれってパソコンの事かも?とも思えるんだけど、これを自由自在に使いこなせれば大分理想に近づくんだろうか?

答えはYesでもあり、Noでもある。結局頭に浮かんだものをめんどくさがらずにパソコンに記録させていく作業が出来なければダメだからね。浮かんだら浮かびっぱなしじゃなくて、机に向かい、イメージ通りに表現できるまで頑張る根気がなければダメなんだ。

そう考えると、紙とペンから始まって、現代のパソコンに至るまで人間の頭の中のイメージを記録する手段は延々と進化してるんだよな。要はそれを使いこなしてるかどうか?という違いで有効に使える人と、そうでない人に別れるわけだ。

で、俺は後者のほう。それだと、いくらハードが進化したって一緒なんだよな。それを記録させる作業がめんどくさい、ということだから。今まで一体幾つの素晴らしいアイデアとイメージが頭に浮かび、そして忘れ去られていったか…。

よくいるもんね、常にペンとノートを持ち歩いて、何かあればさっと書き留めてる人が。一日に3つアイデアが浮かんだとして、それを書き留めなかったとしたら、果たして1週間後に幾つ覚えてられるだろうか?せいぜい1個か2個だろうね。

もしそれを書き留められたら一年に換算すると、物凄いアイデアのストックが溜まることになるね。パソコンに座る時間が取れない、とか紙とペンがその場に無かったとかは言い訳だよなぁ。今日からなるべく実行してみよう。

2002年03月26日(火)



 ”まぁいいや”ということ

みんなが「まぁいいや」という言葉を使うのはどういう場面だろう?この言葉が最近嫌いでしょうがない。

聞いた話では、「痴漢にあったけど、ただお尻を触ってるだけだったから”まぁいいや”と思って放っておいた」とか、「敷金を返さないと大家に言われたけど、めんどくさいから”まぁいいや”と思ってそのままにした」とか、”まぁいいや”でかたずけてはいけない部分にまで使われてる気がする。

例えば、「ミソらーめんを頼んだら、チャーシューメンが出てきた。でもチャーシューも好きだし”まぁいいや”」というのなら分かるが、上記の2つの例は明らかに違う。

大げさに言えば、「裁判に掛けられて、罰金で済むはずなのに死刑と言われたけど”まぁいいや”と思ってそのままにした」のと一緒。そんなことは絶対に無いはずでしょ?でも使われ方からすれば一緒じゃない?

きっと自分にとって、どうでもいい事や無関心な事に関しては”まぁいいや”という言葉が便利なんだろうね。特に若い人と話していてこの言葉が出てくるとドキっとする事がよくある。自分の人生を左右するような大きな出来事や、場面でも平気で使ってしまうからだ。

”まぁいいや”と言う事によって、人との争いや、めんどくさい事柄から一時的に逃げることは出来るが、その先の人生は結局”まぁいいや”としか呼べない程度のものになるかもね。

”まぁいいや”そんな人達の事を心配しても余計なお世話と言われるだけだし(笑)


2002年03月22日(金)



 恩人

昨日レンタカーを借りて、自分一人で運べる荷物を運び込んだ。で、今日の昼にレンタカーの返却に行ったんだけど、そこで起きた出来事が頭から離れない。

俺の前にお客さんが一人いて、彼は車のキーをインロックしちゃったみたいでタクシーでこの営業所まで合鍵を取りに来ていた。店員はゴソゴソと合鍵を探すが結局見つからずに、「合鍵はありません。自分でどうにかしてください」と客に言った。

確かに鍵をロックしてしまったのは客のミスだが、合鍵を持っていないレンタカー会社もおかしいと思った。しかし、事件はそこから。店員が鍵のシリアルナンバーから合鍵を作ってくれる鍵屋に電話を掛けはじめた。しかし、どこへ掛けても出来ないと断られたり、転送&転送の挙句に切られたりしてるうちに明らかに不適当と思われる汚い言葉を使い出した。

電話を受ける方も、いきなり無理な注文をしてきておまけにスラングだらけの話を聞くわけがないから、適当に断る。そうすると店員がさらに逆上するという悪循環。諦めた店員は客に向かって「鍵をなくしたのは俺じゃない。お前のミスだ。自分でどうにかしろ!」とキレてしまったのだ。

ラチが開かないといった表情で客は店を出て行った。そして俺の番。「車を返却にきたんだけど。」と言うと。引き続きキレた口調で「車をチェックするから表へ行け」と言った。ちょっとカチンときたので、「怒ってるのは分かるけど、俺はさっきの客じゃない。」とやさしく言うと、「オーライ」とは言いながらも舌打ちをした。

車の外観にはまったく傷もなく、ガソリンも満タン。マイレージも制限以内であったからこれで終わりと思ったら、「後部座席にタバコの焦げあとがある」と言い出した。見ると確かに小さな焦げ跡があるが、後部座席には荷物は積んだが、誰も乗せていないので「それは俺じゃない」と答えたが、昨日車を借りる際に点検したときにサインした契約書を見ると、座席に損傷がない、という欄がちゃんとあってそれをしらずにサインしていたのだ。

点検したときにいた店員は、座席のチェックまでしていないはずなんだけど、「それを怠ったのは君の責任だ。現にちゃんとサインしてるじゃないか」とそいつは言ってきた。そこから少し言い合いみたいになって、ついにそいつが言ってはいけない言葉を言った。

「英語もろくに出来ないで、偉そうにするんじゃねぇ、ジャップ」ジャップというのはJapanese。つまり日本人を馬鹿にするスラングだ。聞こえない程度に言ったのかもしれないけど、俺はその一言で「もういい。あなたとは話したくないから他の誰かと変わってくれ」と怒りを抑えて冷静に言った。しかし他の店員はおらず、仕方なくまたそいつと話した。

「タバコの焦げ跡の話をするにも、あんたのその口調ではまともな話が出来ない。でも俺は時間がないし、これ以上あんたと話したくないから、代金を支払うよ・・・」と言いかけた時に、別の客が横から話しに入ってきた。彼はインドからの移民でタクシードライバーだと言った。彼もこの国に来た当時は、英語がほとんど話せないために色々と辛い思いをした、でも明らかに今のは店員の態度に問題がある。と言ってくれたのだ。

年齢は50くらいだろうか。俺と店員よりも遥かに冷静に話を分析し、店員の態度を少しやわらかくさせた。そこから彼の移民当時の苦労話がはじまり、「そりゃ大変だったな」と、店員が相槌をはさむまでになった。俺と店員はそのインド人の話に引き込まれ、気づいた時にはタバコの話など二人とも忘れていた。

そして最後に「小さなタバコの焦げ跡ひとつで、あんたの首が飛ぶのかい?イラついてる憂さ晴らしにしちゃぁ、ちょっとエゲツナイ仕打ちだと思うぞ」と店員に諭してくれた。するとさっきまで頑なな態度を取っていたはずに店員は「OK きっと以前に付いていた焦げ跡に誰も気づかないでいたのかもしれないな」と急にイイ奴に変貌。結局三人で握手をして水に流すことになった。

俺はこのインド人ドライバーのことは一生忘れないだろう。ムカついた店員の顔はもう忘れたが、この恩人の顔が頭から離れないのだ。俺もいつかそういう人になれるだろうか?


2002年03月20日(水)



 捨てるもの。捨てないもの。

新居・・・というか新事務所の鍵を今日受け取った。さっそく掃除をしに出掛けたんだけど、めちゃめちゃ汚い。一階が飲食店ということもあり、ねずみやゴキブリも出そう・・・。

カナダは寒いんで、基本的にゴキブリとかあんまりいないんだけど、やっぱり食料を扱ってるビルには出るらしいね。部屋の隙間という隙間を塞いで防御してみたんだけど、無駄だろうな。

一方、引越しの箱詰めが全く進んでいない旧家で荷物の整理をはじめた。簡単に捨てれるものは結構あるんだけど、やっぱり捨てられないものも多い。思い切って全部捨てよう!・・・と思ったが、やめて全部取っておくことにした。

かたずけ上手は捨て上手とも言うが、俺の場合全く反対にしてみたくなった。確かに捨ててしまえばすっきりするし、気持ちの整理もつくんだけど。でも何故捨てるのをやめたかと言うと、例えば数年ぶりに帰った実家で、捨てたと思ってたものがそのまま残ってたりすると妙に嬉しかったり、懐かしかったりするでしょ?ある意味で自分の記録でもあるわけだから。

それと同じで、もし俺があした死んでしまったとして、それ以前のものが綺麗に捨ててあったとしたら、俺の過去を辿る手がかりが全く無いということにもなる。まして俺だけの物じゃなく、嫁さんの物もあったりするから、余計に捨てるのをためらってしまう。

それなら無理せずに全部取っておこうと思ったわけだ。捨てる事に頭を悩ますよりは、多少荷物が多くなった方が楽ではある。いつかは捨てるかもしれないけど、それはその時に判断すればいい。ただ、今は取っておこうと思うのだ。

2002年03月18日(月)



 追加決定

昨日訪問したBeachesのBeaches CafeのオーナーPeterから連絡があり、今日の午後に会ってきた。このレストランはBeaches地区で一番の立地条件と、ガラス張りの大きなテラスが特徴だ。今日は土曜のブランチ・タイムに行ったので、大勢のハイソな客人達で賑わっていた。

早速Peterと交渉。さすが人気店だけあって、俺の他にも展示希望者が10名ほどいて、早くても来年の5月ということに。まぁキャンセルが出れば繰り上がるんだけど、文句は言わずに契約。で、店内の寸法を測っていると一人の日本人女性が声を掛けてきた。

彼女はPeterの奥さんで日本人のMさん。ウェイトレスとして店を手伝っていた。で、彼女がお勧めの店が近くにあるというので紹介してもらった。そこはイタリア・レストランで”Peppino's"というこじんまりした小さなビストロ。

開店準備中に突然訪問したので、ちょっと当惑されたけど、オーナーのJosephと話すことが出来た。しかし、店内を見回すと壁にはいわゆる複製画のThomas Macknightが数点掛けてあり、他の絵を展示するスペースは無かったんで、もしかして場違いな所へ来ちゃった?と思い、「絵を展示したいんだけど・・・」と聞いてみた。昔は若い画家に絵を飾らせていたらしいのだが、あまり良い画家がいないんで最近は飾らせていないそうだ。

で、せっかくだから作品だけでも見てもらう事にした。内心ここはダメでもしょうがないな。と思って。そしたら意外に気に入ってくれて、スペースは狭いけど展示しても良いということになった!ただ、俺も他の複製画と一緒に飾られるのはイヤなので、それらを外してくれることを条件にOKした。

期間は5週間。俺の作品が出来次第にすぐに展示するというので、とりあえず4月中旬にブックしてもらった。ははは、めちゃめちゃ忙しいじゃないか!作品が売れる、売れないは後から付いてくる事だ。まずは人目にさらし続けることが大事だからね。

2002年03月16日(土)



 ツイてる日

久々に朝から営業活動。現在Casa Cafeで行われている"My Favorite Oasis In Toronto"の次の開催地を探しに、東のBeachesと呼ばれる地域に行った。

昨日ポートフォリオを新しく作り直して、5ページくらいの作品ファイルを配布用に用意しておいた。まずBeachesのギャラリーも覗いておこうと思って、とりあえず入った一軒目で店のオーナーと話しているうちに何故か作品を売りこんでいる自分に気付いた。特に売り込もうとした訳じゃないのに具体的に仕入れ値が何%で、コミッションが何%とかいう話しになっていた(笑)とりあえず今回は顔見せということで、後日ここの仕入れ担当者も含めて話しをすることになった。棚からボタ餅。

2〜3件のカフェにポートフォリオを預け、後日マネージャーに連絡を取る事にしたが、どこもウェイティング・リストがあって数ヶ月先まで埋まっている。今日廻ったのは既に壁面を貸しギャラリー状態にしている所ばかりだったのでしょうがない。その中でもRemarkable BeansとBeacher Cafeは良い感じ。

場所を変えてリトル・イタリーまで足を伸ばした。前から気になっていたCollege Street Barへ直行。幸いマネージャーがいたので直接話せた。普通アポ無しで行くと、担当者が居ないか、居ても迷惑そうな顔をされるのが普通だが、ここのPaul氏は非常にフレンドリー。作品も一発で気に入ってくれて、その場で日程を決めてくれた。ここもウェイティング・リストがあったのだが、特別に真夏の最も美味しい時期である7月3日から6週間という、通常の倍の期間を設けてくれた!そして、彼個人のコレクションに俺の作品を加えたいということで、何点か買ってくれることになり、後日Casa CafeとBrown Stoneに案内することになった。何て良い奴!

店内はちょうど良い暗さと、大きなバー・カウンターがある非常にセンスの良い店だ。作品数にすると12〜15枚くらい制作することになりそうで、早速頭が痛い。

こういうラッキーな日は、とことん攻めるに限るという事で、今度はキャベッジ・タウンという映画関係者が多く住む地域のカフェに行った。用意していたポートフォリオが最後の一冊になったので、一軒だけの狙い撃ち。さんざん迷った挙句、フレンチ風カフェのJetFuel Coffeeへ。カウンターでカプチーノをオーダーしつつ、お姉さんに話しを振ってみた。店内には写真家の作品が飾ってあったので、ペインティングは飾らないの?と聞くと、店には専属のキュレーターがいて彼がセレクトした作家のみを扱っていると言われた。

こういう場合は、連絡を取ったりが非常に面倒で、返事も無い事が多いので止めようか?と思ったが、ダメもとで彼女に作品を見せた。「WOW!」と叫ぶように俺の作品を取り上げ、「裏庭に行きましょう!」と言いながら俺を裏口へ連れていった。そしたら驚くべきことにそこにはトロントで有名な某キュレーターが秘密のアジトよろしく座ってタバコをふかしているではないか!

彼女が早口で俺のことを紹介してくれ、彼も話しに頷いている。「タバコは吸うか?」と聞かれたので、迷わず”Yes"と答えると一本くれた。それを吸いながら色んな質問をされたのだが、廻りの雰囲気が異様で何を答えたかはっきりと覚えていない(笑)何だかシシリー島のマフィアのアジトで接待されているような気分になった。

一時間ほど居ただろうか、これ以上ここに居たら明日の朝まで捕獲される気がしたので、展覧会の事を切り出す。やはり一年後までのリストがあって、早くて来年の2月だという。でも急にキャンセルする作家もいるので、空き次第では今年の夏くらいにチャンスはありそうだ、という。「とりあえず暇があったら、カフェに顔を出せよ」とデ・ニーロ風にささやくので、OKと言い残し足早に店を出るチキンな俺。

と言う事で、7月にCollegeでの展示が正式決定の他、数ヶ所が交渉次第ということになりました。一日でここまで決まるとは思わなかったけど、こういうツキを逃すとまた時間が掛かるので、数日中に決めたいと思います。

2002年03月15日(金)
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