-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 Hype Tokyo

2/ARTIC主催の展覧会としては、秋のビッグ・イベント”LET'S HAVE A DREAM !"があるが、それに先立って7月に第一弾興行として”Hype Tokyo"という展覧会を企画している。

今回、俺はアーティストとしてよりもキュレーターとして、このイベントを作っている。キュレーターとは展覧会の仕掛け人みたいなもので、イベントのコンセプトを作り、それに沿って作家集めから選考まで行う。そして開催までの資金集めやギャラリーとの打ち合わせも含めて、全体をオーガナイズするのだ。

今日は開催地であるAcadia Galleryで打ち合わせ。約2週間の会期の費用や、会場のセッティング予想までを話し合った。この”Hype Tokyo"というキーワードを元に作家を選定するのだが、今年一月に日本へ行った際にPickした作家数人を招聘したいとも考えている。もちろん滞在費までは出せないので、来れる作家のみという形になると思うけど。

それと地元トロントの若手画家の中からセレクトして、比率でいうと日本人半分、カナダ人半分くらいにしたい。こちらカナダでも日本のサブ・カルチャーを元にしたアニメや漫画が人気になっているが、その流れがアートにも及んでいるのが現状の面白いところ。

カナダ生まれの外国人の中にも、それに敏感に反応して面白い作品を作る作家が増えてきた。それらをMixして”Tokyo"というキーワードのもとで展示してしまおう、というものだ。

時間がないので、続きはまた明日。

2002年03月14日(木)



 ”Yes"って言うのはそんなに難しいのか?

ご無沙汰でした。慌しかった先週末と比べ、少し落ち着いた数日でした。その間、日本から帰国してきた友達が、次の部屋が決まるまで居候してるので、部屋探しを手伝ったりした。

本当にトロントの家賃の高騰には頭が痛い。ダウンタウン圏内で1BD(1LDKくらい)を借りるのに$1000は下らないんだよね。友達の中には次の家賃から$50も値上げされる所もあるし。

俺の今住んでいるアパートも、契約した2年前と今では$100も高くなってる。そんな訳なので、一日5〜6件見ても、値段に見合わない物件ばかりだった。完全な貸し手市場。

さて、話は変わって、先日取材したオノ・ヨーコさんの記事が地元新聞に掲載されました。随分と大きく扱ってくれたので、周りからの反響も大きかった。この記事では会見のほんの一部を抜粋して、一般の人にも分かりやすく解説を付けたりしたんだけど、近いうちに会見の全部をHPにアップしたいと思ってますので楽しみにしてください。

そして、そのヨーコさんと共にトロントに来ていた、キュレーターのH氏から昨日FAXが届いた。とりあえずトロントの事とかに触れつつ、核心の”LET'S HAVE A DREAM"について少し気になる言い回し。現時点でヨーコさん側から、名前のパーミッションは取れておらず、宣伝に写真や名称を使用することはStopされているが、ここを粘り強く交渉しているところだ。

今月中に新たなイベントのパッケージが仕上がる予定なので、何よりそれを見て判断してもらいたいところ。彼女の展覧会名”Yes, Yoko Ono"の”Yes"とは何なのか?をH氏に問いたい。世の中、行く先々で”NO"という言葉を耳にする。とりあえず判断出来ないような場合でも、とりあえず”NO"と言っておくのが安全だからだ。

そんな否定的な言葉が充満する現代で、彼女が何故”Yes"というタイトルを付けたのか?そこを考えてもらいたい。・・・ここで誰に愚痴ってもしょうがないんだけど(笑)たまには大声で”Yes!"と言われてみたいよ。それはこのイベントに限らずね。実生活でもそう。


2002年03月13日(水)



 ギリギリ完成!

只今3月7日午前3時。ついに全ての絵が完成しました!カンヴァス作品は6枚。ドローイングは12枚で、これのデジタル加工はスタッフが4日間通い詰で仕上げてくれた。そして何とか期日に間に合った。

これだけの量を一気に制作するのは初めてだったかもしれない。また当分筆を持たなそう(笑)去年の日記を読み返してみたら、ちょうどこの3月は国で最大のクラフトショウであるOne Of A Kind Showに出展するために、ほとんど寝ないで制作していた頃だ。

なんの因縁か、3月になると怒涛の制作ラッシュが来るみたい。そういえばこのHPと日記も一周年になるんだなぁ。One Of〜開幕に合わせて急遽立ち上げたから。日記に関しては、正直こんなに続くとは思ってなかった。だって今まで日記なんてものは書いたことが無かったからさ。

プライベートを除外して、ほとんどアートに関する事ばかり綴ってきたのが良かったのか?いやいや、私生活がそのまま絵に反映されるんだから本当は書かなきゃいけないんだけどね。まだそこまでさらけ出せないな。うん、当分このまま行きます。俺には絵を描いていくしか脳がないから・・・

2002年03月06日(水)



 やり直しを命ずる

4枚目のカンヴァスが仕上がり、最後のサインを記入したあとで考え込んでしまった。その作品が特別に悪かったというより逆で、予想以上の出来になってしまったからだ。これはもちろん良い意味で。

他の3枚と比べるとどうしてもこの新作が引き立ってしまう。こういうことはよくある。頭で思い描いていたものよりも、予想していない変化が起きて素晴らしい出来になってしまうこと。これは喜ばしい事だが、ある意味でひとつの選択を強いられることでもある。

結局仕上がっていたはずの3枚を書き直すことにした。ショウのオープンまであと2日。はっきり言って馬鹿だ。このままのペースで行けば、期日に間に合うというのに、どうしてもそれが出来なかった。

人に命じられて描き直すのは仕方ないが、自分で自分に命じることはなかなか大変なこと。それで良しとすれば、それで決定だからだ。それが甘えと言うなら甘えだろうし、特権といえば特権だろう。

個展は、見に来たお客さんが全部の作品を見て俺という画家を判断する。作風がバラバラであっては、俺のイメージもバラバラということになるから、やっぱり共通の作風で望むべきだ。

それまでの3枚も、もちろん納得して描いてきたが、この4枚目というのが新しい扉のような気がして、急に過去の3枚が古く感じられてしまった。これは事実だからしょうがない。



2002年03月04日(月)



 引越し

久々で徹夜に突入中。その甲斐あって残り3枚のカンヴァスのみとなりました!やっと筆が乗ってきた感じで、最初に仕上げた作品の手直しもしたりしました。

7日の午後3時がギリギリのリミットだとすると、およそ一日一枚の計算。これならイケルと思いきや、DMやプライスリストの作成、ラベル作りが残ってる。結構ヤバイ。

今月半ばに引越しする事になりました。今住んでいるのは、いわゆるマンションで、湖に近いし眺めも最高なんだけど、事務所としてスタッフの交通の便や、外部との打ち合わせにはちょっと便が悪いんだ。

2/ARTICの会社登記を目標に、思い切って絵の制作と2/ARTICの事務所としてQueen Stにあるスシ屋の2Fの物件を契約した。ここよりは相当ボロくて汚いんだけど事務所としての立地条件は最高。いい生活なんてする余裕ないし・・・。

知り合いの持ち物件なので、面倒な1年契約とかないし、レントが破格なのが決め手だった。ひとつ面倒なのが、郵便の転送手続きだ。様々な書類が現住所に届くのでこれだけはやらなきゃいけない。でも、カナダの場合転送費用が掛かるんだよね。半年で$60くらい。日本だとタダじゃなかったっけ?

当然、荷造りは全く出来てないので、個展のスタート後に頑張ります。

明日は親父の四十九日。早いものです・・・

2002年03月03日(日)



 個展の日程が決まりました。

もう3月ですか・・・。早いねぇ、ホントに早い。3月の個展の会場であるCasa Cafeに顔を出して、正式な日取りを決めることにした。その結果3月7日に搬入で8日からスタートという、とんでもなく繰り上げされた日程に決まってしまった!

俺の考えでは、15日くらいの予定でいたのだが、Casaに現在展示しているアーティストを少し早めに打ち切りたいということで、どうしても繰り上げてくれと言われたので、渋々OKした。

予定を一週間も繰り上げるというのは、現在の進行具合からいって無謀。でも、追い込まれないとやらない俺の性格から言えば丁度良いのかもしんない。

ってことで、本日から怒涛の追い込みに突入しました。その甲斐あってドローイング作品が12点全て完成!!あとはスタッフにデジタル処理をしてもらうだけになった。

明日からはペインティング作品に取り組む。5枚を同時進行しているけど、一日一枚を仕上げなければいけない計算だ。頑張ろう。

2002年03月01日(金)



 会社という箱

ディレクターのアキコさんとミーティング。”Let's Have〜”についてや、2/ARTICという組織について色々と考えていることを話した。まだ俺は人の上に立てる器じゃないと思うし、明確な方程式がない。だから手探りで、あっちこっちに手を伸ばしているが、これがスタッフを混乱させる。

とりあえず会社という箱を作ってしまうのか、それとも自分の限界に達して箱が必要になってから会社という箱をつくるのか?俺はいまその中間にいる気がする。

もともと2/ARTICという組織はイベント”Let's Have〜”のために立ち上げたものだ。イベントを成功させるためには個人事業では収まりきらなかったからだ。ビジネスという側面から見た場合、相手の会社と交渉する時に、どうしても個人だと立場が弱くなってしまう。事実、一人のアーティストとしてある会社に電話を掛けた時と、2/ARTICという会社の人間として電話した場合の対応には雲での差があった。

そういう意味で、会社という肩書きが有効というだけで、俺個人のアート活動に会社が必要というのではない。ところが一旦名前が出来てしまうと便利なもので、自分の絵のプロモーションや収益に関しても全て会社の収支に計上してしまうようになった。スタッフは”Let's Have〜”というイベントのためのボランティアが中心となっているのに、いつしか営利を生むtomolennonという分野にも協力せざるを得ない状況になっていた。

これでは完全に従業員として給料を支払うべき部分だ。当初の俺の線引きが曖昧だったので、ここまで好意に甘える形になってしまったが、もう一度本質を見つめ直し、自分にはどんな力があってどんな力が足りないのかを確かめてみたい。


2002年02月27日(水)



 制作再開

つかの間の休息を取る暇もなく、3月の個展へ向けて再び絵の制作に入る。一枚はほぼ完成だが、残る15枚は横一線(笑)下書きからラインを入れただけのものがズラっと並んでいて、プレッシャーを掛けてくる。

描く時期によって微妙に画風が変わってくるが、今回の変わり様は結構大きいかもしんない。HPのギャラリー・ページを見ると、まだ今年に入ってからの作品は出ていないので、その変化の大きさに皆びっくりすると思う(?)

変化の原因のひとつは、パステル画ではなく、アクリル画ということ。この先もメインはパステルでやっていくと思うが、他の画材にも色々挑戦してみたいんで、今回はアクリルに拘ってみたいと思う。またいずれパステルに戻った時に、良いフィードバックがあればいいと思うんで。

それとドローイングっていう、ペンとインクだけで描いたもの。これらはほとんどスケッチ・ブックに書き留めるアイデアをそのまま作品にしたようなもの。意外と完成品よりも、スケッチ段階の方が豊かな表情をした絵が良い場合があって、いつかそのまま出したいと思っていたんだ。でもこのドローイングってシンプルなだけに、そのライン(線)には相当気を使う。ピカソとか、シーレとかのドローイングを見ると、絵自体よりもその線の力に圧倒されるもんね。あ、ジョン・レノンの線も凄く魅力的だ。俺もはやくそんな線を描きたい。

昨日、画材店に寄ったときに偶然スタッフのハルちゃんに遭遇。彼女にフレームのバックグラウンドをオーダーするように頼んでいたので、せっかくだからこの場でやってしまった。でも、カナダ人って本当にいい加減で、ここの店員も適当な測量でボードを切るもんだから、大きさがバラバラに切れてしまった。そこは厳しくもう一度やり直してもらった。普段は適当な俺でも、こういう部分に関しては嫌な奴になれる(笑)


2002年02月24日(日)



 See you again at New York!

昨晩ヨーコさんたち一行はホテルに戻らず、結局手紙を今日のレクチャーに持参することにした。うちのスタッフのMickeyは朝10時から会場で張り込んでいる(開場は午後2時なのに!)

俺も午後1時には到着し、ヨーコさんのキュレーターであるMr. H氏に会う事が出来た。これは実質的な初対面。NY滞在中は彼は多忙で会う事が出来なかったからで、その後FAXや電話で幾度となく交渉を続けてきた人物だ。

その電話のときは色々と厳しいことを言われ、どんな厳つい男なのだろう?と思っていたが、実際に会うと初老の紳士だった。昨晩彼に渡すために”Let's Have A Dream"のステイトメントを改めて書き直したので、これを手渡す。同じくヨーコさん宛ての手紙も渡してもらうことにした。

会場は300人程の聴衆が詰め掛け、超満員。その中にカナダのSLOANというバンドのギタリストであるJay氏がいたので、ちょっと挨拶。実は秋に開催する”Let's Have A Dream"展にてSLOANにも参加してもらおうと思っているからだ。このバンドのドラマーもアーティストとして個展を開いたりしてるので、どのような形になるか分からないけど、とりあえず呼びかけている。

ヨーコさんがステージに登場すると、会場からは凄いどよめき。昨日は疲れている様子だったが、今日のヨーコさんは気合が入っていた。BAG Pieceなどの実演を含めて2時間ほど熱のこもったパフォーマンス。観客には”9.11 2001"と刻印された青空のパズルピースが配られる。

”トロントの町並みを見たときに、あぁ、トロントはちゃんと生きてるな、と感じました”とヨーコは感慨深げに言いました。去年の悲劇を乗り越え、それでも逞しく生きているというのを確認しながら、ヨーコさんは人類は分かち合い、共に生きているということを訴えました。

終演後、ステージ上でスタッフのC氏から呼び止められ、ヨーコさんが俺の手紙を読んだことを聞いた。しかし、ヨーコさんはこのまま空港へ向かい、NYへ帰らなければいけないので、申し訳ないがまた機会を改めて話をしようと言われた。これは予想していたこと。残念だがしょうがない。

せめてもの救いは、ヨーコさんがC氏を介してコンタクトを取ってくれたこと。C氏との別れ際「じゃあ、次はNYで会おう!」と言われ、何とも言えない良い気分になった。

今回のヨーコさんのトロント訪問に際し、沢山の人の協力を受けました。それと同じくらいの妨害もされましたけど(笑)協力してくださった関係者各位には本当に感謝しています。スタッフのMickeyをはじめ、ホテルのベル・ボーイまで感謝の気持ちを秋のイベントで返したいと思います。

そして、妨害してくださった営利目的業界の皆さんには、今後何十年とかけてもしっぺ返し致しますのでよろしく。

2002年02月23日(土)



 オノ・ヨーコ登場!

朝10時。ヨーコさんの記者会見が行われるAGOに到着。ロビーには多数のメディア関係者がごった返している。受付にて厳重なID確認が行われ、数分後にやっとPassをもらった。それからボディーチェックと荷物検査。はっきり言って空港のセキュリティーより厳しかったかも(笑)

一昨日の日記で「取材許可が降りた!」と書いたけど、実は昨日になってAGO側から俺に関する資料を要求されたんだ。俺が本当にアーティストとして実績があるのか、とかヨーコさんとの関係などをまとめてその日中に提出しなければ、許可を取り下げると言われた!これには頭にきたけど、従わざるを得ない。

至急、資料を作成してFAXじゃなく直接AGOに持っていった。その人に言いたいこともあったしね。ちょっと怒りモード。で、昨日の夜8時過ぎに彼女から電話があって、ようやく正式な許可を得たという経緯があった。

それにしても、こういったメディア向けの記者会見は初めて。会場に入ると100数十人くらい記者団が陣取っていた。その中で見慣れた顔を発見。そう、ヨーコさんのアシスタントで、去年New Yorkでお世話になったC氏がいたのだ!挨拶すると向こうもビックリしてた。

「トモレノン、何で記者じゃないのにここに居るの?」と突っ込まれたが、なんと最前列のヨーコさんの目の前に座らせてくれた!!!Thank You!

AGOの館長やジャパン・ソサエティN.Yのモンローさんのスピーチが終わり、いよいよヨーコさんが登場。物凄いオーラか、と思えば、まるで空気のようにふわっと現れた。会場は物凄いどよめき。しかし、その瞳の輝きは強烈で、何度か目が合ったがけど動けなかった。

そして喋り出すと、ひたすらキュート。記者団もすっかり彼女の話術に引き込まれている様子。トロントの想い出や、ジョンの事にも触れ、約1時間ほど質問を受け付ける。そして一足先に会場を後にした。

会見後にモンローさんと初対面。電話やFAXのやりとりはあったが、やはり直に話すと良い感触だった。明日のレクチャーにも出席するとのことだったので、また明日に時間を取ってもらうことにした。

C氏にも打診したのだが、やはりヨーコさんのスケジュールは厳しい。まして69歳という年齢もあり、夜は早く寝るという。しかし、滞在しているホテルを教えてくれたので、今晩にでも足を運んでみるつもり。

今日の感想。”ヨーコさん、やっぱり運命かもしんない”

2002年02月22日(金)
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