-A VAGRANT LIFE IN NEW YORK-
飯沼省



 寒いのは俺だけ!?

25日のSLOANのチケットをゲットした。今回は大勢で行くし、久々のライブなんでワクワクするね。しかし、このバンドてっきりイギリス出身かと思い込んでいたのだが、カナダのバンドじゃん!風貌だけでブリティッシュと判断した俺がアサハカだった。かなりかっこいい。

夜にユキさんとミィーティングをした。もちろんオノ・ヨーコプロジェクトについて。タイトルも正式に”LET'S HAVE A DREAM-piece to peace”に決定しており、正式発表用のステイトメントを練る段階だ。

原案を俺がつくり、それを元に修正を繰り返して完成した。もう明け方になってしまい、ユキさんの明日の仕事に響くのでそこでやめたのだが、なかなか満足のいく文面に仕上がった。この後はプレス向けとスポンサー向け、アーティスト用と英訳バージョンの作成もしなきゃいけない。

個人的にはヨーコさんへの報告の手紙も書くべきだろう。12月に入ったらニューヨークまで会いに行く予定だが、それまでにイベントの全容を明らかにする必要があるので気は抜けないね。はっきり言って見切り発車のところはあるが、とにかく前進あるのみ!

これ専用のHPも立ち上げるし、このtomolennon.comもサーバーが小さいので急遽引っ越すことになり、知人のホスト・サーバーに見積もりを依頼した。それに伴い出費がかさむ・・・寒いねぇ。トロントは身も懐も寒い街だ。

絵の方は、555 Yongeでの展示にむけて、久々に油絵に挑戦するつもり。壁面がデカイんでパステル用の紙だと大きさに限界があるからだ。構想はほぼ出来上がってるのだが、それにはまた特注のキャンバスが必要になりそう。懐が・・・(泣)


2001年10月19日(金)



 Freeze!

さぶ〜い!トロント今日は寒かった。体感温度はー6℃と表示されてた。これが真冬になると「今日はー6℃で暖かいね。」という表現になる。慣れって恐ろしい・・・

遂にTaro Grillでの展示を延期することに決定しました。残念ですが制作のペースが間に合わなかったのと、優先すべきプロジェクトが発足してしまったのが直接の原因です。11月だと店側の都合が合わなかったりして、今後体勢が整いしだいの開催となります。期待してたみなさん、ゴメン!

その代わりといっては何ですが、555 Yonge Stのカフェ・バーでの展示が決まりました。恐らく11月初旬の開催予定。先日オーナーからメールを貰って店を下見に行ってきました。大通りに面した銀行が入ったビルの1階という良い立地条件。店の前を通っただけだと小さな店に見えたのだが、中に入ると吹き抜けの中二階がドカーンとあるHUGEスペースでビビった。

はっきり言って、過去最大規模の壁面だと思う。オーナーの希望では常設できるような作品が欲しいのと、予算が許せば壁面に直接描いてほしいというビッグなリクエスト。ちょっと考えさせてもらって、次回22日にもう一度ミーティングを持ちます。

壁面に描くというのは一度やってみたかった。どうせやるならコーヒー・カップからテーブル、照明に至るまでの総合プロデュースをしてみたい。俺色に染める自信はある。

2001年10月17日(水)



 BIG in Japan

トロントから一時間ほど行ったところにCambridgeという小さな町がある。そこで「BIG in Japan」というショウがあった。日本の若手現代美術家5人を招いての中規模のショウだった。キュレイターのキャサリンは日本に6年滞在してジャーナリストとして活動していた女性。

ユキさんと車を乗り合わせて行ったのだが、車の調子も悪く、途中休憩を挟みながらのドライブだったので到着したとき既にショウが終わっていた(泣)
裏の駐車場で日本人らしき人を発見したので声を掛けると、それが参加者の1人である藤原氏だった。せっかくだからとキャサリンを紹介してくれ、閉館後の館内を彼女が案内してくれた。

彼らはどれくらい日本で有名なのかは知らなかったが、キャサリン曰く「Famous!」らしい。さらにせっかくだからと、内輪のパーティに招待してくれたので、そこから数分のレストランへ移動。そこには先に来ていたダイスケ・タケヤとロバートが居たので暫し談笑。遅いので、俺らはもう来ないと思ってたらしい(笑)

それはさて置き、ショウの内容は良くも悪くも日本という温室で育った彼らの精一杯の表現だったと思う。外国ではそれがカルチャーとして面白く映るらしいが、俺にとっては、喜びも悲しみも怒りも何も感じないという奇妙な感覚に囚われた。
作家に色々と聞いてみたい事もあったが、日本人特有のシャイな面も手伝ってか、聞き出す事が出来なかった。

ギャラリー側のキュレイターであるGordonと話していて、彼らの作品そのものよりも日本というカルチャーに興味があるから招待したとの印象を受けたが、日本に住んでいたキャサリンにも同様の感覚があったと思う。
カルチャーを反映させたものが現代美術という定義で語られるなら、誰でも芸術家になれるとも言える。作品を「解説」する必要がある現代美術とは悲しいものだ。

2001年10月13日(土)



 Meeting @ Brown Stone

今日は一日中雨だったが、久しぶりに街をブラブラしてみた。夜にユキさんと会う約束だったので、Eaton Centreを含めダウンタウンをあても無く彷徨った。ついつい洋服をゲットしてしまって無駄使い・・・反省。

21時Brown Stoneでユキさんと酒を飲みながらミーティング。内容は当然オノ・ヨーコに関するプロジェクトについて。電話ではちょっと打ち合わせしてたのだが実際に会って話すと脱線ばかりであまり進まず。
しかし、土台となる基本的な事柄を決めることが出来たので良かった。幾つかの決定事項は出来たが、これからの道のりの険しさも大体予想がついてきた。

閉店まで居座った後、ウチに移動してさらに煮詰める。ユキさんが持ってきたアイデアの中にも色々刺激されるものがあったね。明日再度電話にてミーティングすることにしてお開き。
明後日の13日はケンブリッジで日本から現代美術家がやって来てのショウがあり、良さそうな人がいたら引っ張るつもりなので、それまでに概略を書式にする必要がある。

メールをチェックしてると"Dessert Cafe & Bar"という店のオーナーからの展示の依頼だった。Brown Stoneで作品を見たらしい。とりあえず明日TELすることになりそう。

2001年10月11日(木)



 Happy Birthday, John & Sean

明日は10月9日。ジョン・レノンと息子のショーンの誕生日です。ジョンが生きていれば61歳?アメリカの報復攻撃をどう思っただろうか。

トロントは本格的な寒さがやって来て、最高気温が8℃。夜中だとー5℃くらいに冷え込んでいます。そろそろコートが必要だね。

今読んでいる本はフローレンス・ターナー著の「チェルシー・ホテル」。買ったのは中学くらいだから、もう10数年前のものだ。未だに持っている本の中では最古の部類に入る。チェルシー・ホテルはニューヨークに今も実在する有名なホテルで、70年代のエネルギッシュだった時代のアメリカを象徴するように著名な詩人や作家、芸術家がそこで数々の伝説を作り上げた場所だ。あのシド&ナンシー事件もこのホテルで起こっている。

当時TBSの1時間番組でチェルシーのドキュメント番組を見た俺は、「ここに住みたい!」と思い関係する本を片っ端から買い漁ったのだが、現在も手元にあるのはターナー著のものだけだ。ホテルと言うだけあってツアーの途中に滞在するロックスターや、部屋を自分好みに改造して何年も住み着く芸術家達が夜な夜なクロス・オーバーを繰り返す場所だったらしい。

そんな環境に身を置きたいという気持ちは中学の頃から変わっておらず、むしろ強まってると言ってよい。ただ、今そんな場所があるかと言えば難しいだろう。ドラッグで身を滅ぼすのがカッコ良かった時代はもう終わっているのだから。
しかし、創作活動を続ける人間はどうしても他ジャンルからの刺激を欲する傾向があるように、今の俺もアートの枠を越えた同業異種への関わりを求めている。

環境が及ぼす影響は大きい。交流の深さや幅の大きさではなく、自分の可能性はどこにでもあるのだと錯覚する事が重要だと思っている。そこに身を置きたいという気持ちは既に自分の可能性を広げているということ。錯覚なのか実感なのかはその後になってみないと分からないもの。だけど、それを感じるという行為が素晴らしいのだと思う。

2001年10月08日(月)



 日本の音楽

前回の日記でオノ・ヨーコさんについて書いたら各方面から沢山の励ましのメールを受け取りました。思えばこのHPを立ち上げてから半年が過ぎ、僕の唯一の宣伝手段として運営してきました。陰ながらいつもアクセスして情報をチェックしてくださる皆さんにとても感謝してます。ハイ。

さて、最近いくつかの日本の音楽を耳にする機会があって、思いのほか自分に影響があったことに気づきました。元々日本の音楽シーンに対して嫌悪感があり、あえて遠ざけていたわけですが、和田アキコやチャゲアス、サザンは別格として大好きだったりします。それに比べて最近のバンドや歌手の質の悪さに聞く気も起きなかったんです。

先日偶然耳にしたのがhitomiという女性歌手。彼女の声は本物だと直感しました。別に歌唱力がズバ抜けてるわけではないが、人の心に入り込める力を持った声です。これは日本の歌手の中では持ってる人は少ないです。その声を聴いて「あぁ、まだこんな人が日本にいるんだな。」とちょっと嬉しくなりました。しかも、ちゃんと売れてるらしいじゃん。尚ヨシ。

続いてMr.Children。彼らは日本にいる頃から聞いてたけど、カラオケ用って感覚で聴いていた気がするのだが、近頃の彼ら(と言ってもVoの桜井氏)は肩の力が抜けてよい具合に歳を取ってるね。もともと言葉を選ぶ感覚は鋭かったのに、さらに深い解釈を取れる歌詞が増えたのはきっと人間的に大きなヤマを超えた出来事があったのだろう。
歌い手というのは、特に自分の人生と共に変化していくもので、特に詩には大きく表れる気がする。それを歌いこなす力は、その人の器によって左右される。晩年のジョン・レノンもそうだったが、自分の弱さをさらっと打ち明ける強さという部分で桜井氏は良いと感じた。

何かを伝える事を職業としてる人には、それなりのパワーが備わっている。でないと人の心になんて入り込むことは出来ない。しかし、誰もが最初からこの力を持っていたわけではないと思う。努力と運。

努力は当たり前の事だが、人より抜きん出る為には寝る暇を惜しむのは当然。そして運だが、言い換えてみれば「運を引き寄せる力」だとも思う。求心力という言葉がある通り、強い磁場を持った人には周りから集まってくるものだ。運を引き寄せる為には自分を磨くということ。
常に自問自答を繰り返すことが、自分を確立させる近道だと思う。たまに何かを質問した時に答えがなかなか返ってこない人がいる。逆にポンっと返事が返ってくる人は自問自答してる人だ。絶えず自分と向き合い、話合っていこう。長い友達だから。

2001年10月04日(木)



 来た!!!

現在HPのプロバイダの関係で取り外していますが、「Let's Have A Dream- From us to YOKO」というコーナーとプロジェクトがあります。世界中からオノ・ヨーコさんへのメッセージを集めていて、来年2月にトロントで行なわれるヨーコさんの大回顧展のオープニングの日にtomolennon主催でヨーコさんをリスペクトする展覧会を市内の小さなギャラリーで開催します。

それに伴い、ヨーコさん本人に作品の依頼をしていました。それは、ヨーコさん自らが書いた「夢をもとう!」という手書きの作品です。
依頼をはじめたのは数ヶ月前になりますが、何の反応もなく(当たり前ですけど)ダメかも?と思ったものですが、手紙を書きつづけること5通。プラス、ヨーコさんの広報担当者にも打診してみました。

その結果がこれです!!本人直筆の「夢をもとう!」という言葉が送られてきました!そうです、夢を持った人にヨーコさんが返事をしてくれたのです!
追伸として、「色紙がなかったので、この様にしました。あしからず。オノ・ヨーコ」とあり、感激も頂点。

プロジェクトの本質はヨーコさんをリスペクトする為のものですが、彼女がジョン・レノンと共にやってきた平和運動も今、非常に重要な意味を持ってきています。やはり、NYのテロ以降いろんな意味で考えさせられ、ヨーコさんが無記名で全米の新聞広告にジョンのイマジンの歌詞を掲載したことでも分かるように、彼女自身もその必要性を痛感してるのだと思います。

「夢をもとう」という言葉は平和というキーワードで繋がっているはずで、このプロジェクトに必要不可欠な要素でもあるわけです。今、彼女が何を考え何を感じているのか知る必要があるとともに、我々アーティストが何をするべきなこかを考えた時、このプロジェクト(展覧会)をチャリティにするべきだと思いました。
その考えを伝えるためにニューヨークで直接ヨーコさんに会ってこようと思います。もちろんヨーコさんの返答次第ですが、賛同してくれるアーティストやミュージシャンを含めた総合的なイベントに出来る可能性を感じています。

新聞や雑誌など使えるものは全て使うつもりで、来年2月までに出来ることを考えてみようと思っています。この日記を読んでいる皆さんの力を借りる必要があるかもしれません。どうかその時は僕に力を貸してください!

2001年10月01日(月)



 9月28日

最近のトロントの最高気温は10℃ちょっとという日々が続いてます。おまけに雨が多い!雨好きな割りに、降り続くと不満が溜まる。しかも雨の日に限って大事な用があって外出しなければいけないので尚更だ。

本業の絵ですが、なかなか新作がリリースされないんで遅いなぁと思ってる方もいるでしょう。そうなんです、スランプです!

新しいスタイルを模索してる昨今、スケッチは欠かさずに描いているし、構図まで決まってる図柄までいくつかあるのだが、それを描き上げるスタイルを検討している。例えばリトグラフやシルク・スクリーンのような複製が作れる版画スタイルや、筆で一筆描きのようなスタイルだとか、また油絵で描いてみようとか色々あるわけです。

まぁ、とにかく思いつくもの全てでやってみようと思います。そんで残ったものを追求すべきかな。

話は変わりますが、今日9月28日は個人的に記憶に残る日になりました。人の命の尊さや、絆とは何かというのを考えさせられる出来事があったからです。悲しみや痛みを優しさに変えるには長い時間がかかるものです。

2001年09月28日(金)



 現実にある距離

日本の姉から電話があり、母がバイクで事故を起こし入院していたとの知らせを受ける。あのNYテロ以降日本に電話していなかった為全く知らなかった。心配するからと、俺には知らせなかったという事だ。

確かに離れているとすぐに行けるわけではないし、心配する事くらいしかできないのだが、やはり”知らなかった”というのが心苦しい。元々電話を頻繁にかける性格ではないけど、東京で1人暮らししてた頃に比べるとカナダに来てからは電話するようになったと思う。しかし、離れている距離がそうさせているのか、心配させるような話題はお互い避けている気もする。

今回のはいい例だと思うのだが、もし、俺が入院していたらやっぱり連絡しなかっただろうね。だから気持ちは理解できる。親の死に目に会えないかもしれない事も頭の中では整理できているが、実際にそうなったら海外で離れていた事を後悔する感情も当然生まれてくるだろう。

友達のサト君は、数ヶ月前にお父さんが亡くなり急遽日本に帰った事があった。いくら急いで帰ったとしても日本では着々と物事が進み、自分が着いた頃には葬式も準備も全て整っていたという。

何も出来ないことはこっちに来る時に決心がついてるだろうが、現実的に自分の無力さと直面するのはシンドイ事だ。



2001年09月27日(木)



 Peterの意見

久々にBrown Stoneに顔を出した。相変わらず若いオーナーのPeterがカウンターでメニューの検討をしていた。今ではお約束のNYテロの話題でしばらく語り合う。

「絵の反応はどう?」と聞くと、「通りがかりの人が随分入ってくるんだよ。それはいいんだけど、絵だけ眺めていって料理を注文する奴はいないから困る(笑)」らしい。配布しているポストカードの在庫が切れていたので100枚くらい渡した。

Peter Panでの展示はどう?と聞かれたので「昨日一枚売れた。」というと、「こっちはまだ売れてないけど、俺としちゃぁどれが売れても困る。なるべく売れないように無愛想にしてるんだ。悪いけど。」と、我が子のように俺の絵を思ってくれてるので別に悪い気はしない。・・・でも売れたほうがいい・・・

昨日はユキさんとサトくんとのミーティングのはずだったが、なぜか人数が増えててただの食事会になってしまった(笑)嫁さんと及川さん、マリちゃんにサトくんの奥さんのマリコちゃんの7人も集まり、手巻き寿司パーティーになった。

まぁ、しょうがないけどOne of a kind出展の是非は後日に持ち越しだね。心の中では80%不参加で固まってきている。やっぱりテロの影響は年内は消えないだろうから、消費が落ち込む気がするし。
出るからには売上という結果を出さなければいけない。赤字でも反響が良かったというのはアマチュアまでだから。


2001年09月23日(日)
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