無責任賛歌
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| 2005年11月02日(水) |
いたたた、たたた/ドラマ『花より男子』1,2話/『ヒッカツ!』1巻(矢上裕) |
最近、気に入っているCM。 日本生命の「二つあるといい」ってやつだけど、ホンモノのネコとネズミで『トムとジェリー』をやってくれてるんだね。一部CGは使ってるんだけれど、ネズミが壁の穴に逃げ込んで、その前でネコがネズミが出てくるのを待ってる姿勢が、もうトムさんそっくりで、尻尾振ってる後姿が可愛いの可愛くないのったら。 って、アニメの方がネコの動きをトレースしてるんだけどねえ。
「はてな日記」の方にも書いたのだが、朝目覚めて足を伸ばした途端に足が攣った。 ちょっと痛いとかそんな程度ではなく、足を床に置こうと動かしただけで激痛が腰まで走る。こりゃ、本気で仕事に行ける状態じゃないと、職場に「1時間ほど遅刻します」と連絡を入れる。最初はしげに「動けないから、お前が職場に連絡してくれ」と頼んだのだけれど、しげは、携帯をかけたら私に押し付けてきた。まあそれでも構わないんだけれど、ちょっとくらいこちらの疲れを軽減させてやろうという気遣いがほしいものである。 ようやく足が動かせるようになって、職場に向かう途中の道で、偶然、出張に向かう上司とすれ違った。挨拶を交わしただけですれ違ったが、そのとき、上司が「わかってるよ」という感じの視線を向けたのがちょっと気になった。上司にはうちの家庭の事情をいろいろと説明しているので、もしかしたら“必要以上に”こちらの状況を悪く受け取っているのかも知れない。今日のは、足が攣っただけなんだけど(苦笑)。
急にまたサイトのアクセス数が増えたなあと思ったら、URLがいくつかの箇所にリンクされていたのだった。私はこうして日記を「公開」して誰にでも読めるようにしているので、もちろんどんなにリンクを貼られようが引用されようが、それが引用目的であれば何も文句はないという姿勢である。 ただよう、その引用されてた部分がよう、やたら漢字の誤変換が多かったとこで、でもそういうのを私が訂正しようとしたら、しげが「卑怯者」って怒るんで(この理屈が分からない)、まあ、意味は何となく通りはするからいいか、と放置しといたのだ。まさかそこが引用されるとは。 さすがにちょっとこれはなあと、文章には手をつけずに、何ヶ月か以前の日記を書き直したのだが、既に引用されちゃった部分は訂正のしようがないのである。やっぱり、書き損ないくらいは訂正させてほしいんだけどねえ。別に恥ずかしいからってことじゃなくて、単に間違いは訂正するのが当然だからである。
夜中に、職場にコンタクトのレンズケースを忘れてしまっていたことに気がつく。 もう取りに行くこともできない時間で、しかも明日は休日。これはもう、今日は寝ないで、コンタクトをつけたまま、明日朝一番で薬局に駆け込んでレンズケースと洗浄液を買うしかないと覚悟する。とんだことで徹夜しなくならなくなっちまったよ(汗)。
ドラマ『花より男子』一話、二話。 なんと再放送をしてくれたので、見逃してた一話を見られた。少女マンガの実写化って、昔は「マンガのキャラと人間とじゃイメージが違い過ぎ〜!」と文句付けられることが多かったんだけど、それがなくなってきたってのは、イケメンの若手俳優が増えたからってことなのかな。 ドラマは良くも悪くも典型的な少女マンガなんで、つくし(井上麻央)がどんなにお金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんに反抗しても、最後はくじけて男の子に助けられちゃうのである。要するにやっぱりシンデレラ願望マンガ。夢なんて見るなよって言ったって夢見るしかないのが日本の女の子が置かれている不幸な現状なんだから、これ以上、文句を付けるのは控えておきましょ。 でも(笑)、井上麻央は、こないだの『火垂るの墓』にも出演してたけど、ヒロインとしてはちょっと華がないんとちゃうかなあ。
アニメ『蟲師』第二話「瞼の光」。 一話に劣らぬ作画クォリティだが、やはりアニメーションにした途端に、マンガの持っていた、どこか世界そのものが頼りなげに見える描線の味わいは全く失われてしまっている。全く、誉めていいんだか貶していいんだが、判断に困るアニメーションだ。 ギンコのセリフも、声質(高すぎ)、間(やや早過ぎる時多し)とイントネーション(「蟲」が時々「無視」っぽく聞こえる)など、どうもズレているように思えてならない。今ひとつ自然になりきれてない感じなんだよね。
マンガ、矢上裕『ヒッカツ!』1巻(メディアワークス)。 前作の『Go West!』の出だしが突拍子もなくて無茶苦茶面白かったので、今度の新作はつまんなくはないけれど、うーん、もっとはじけてくれないかなーという印象。 いや、もちろん、「必殺技」ならぬ「必活技」を編み出そうとする主人公、ショータのキャラクター、格闘技もののパロディキャラとしては充分面白いんだけれども、今は心ならずもただの破壊魔であっても、いつかは「必活拳」を発明しちゃうんだろうなあと先を予想しちゃうと、なんか今ひとつストーリーに乗り切れなくなってしまうのである。 他のレギュラーキャラもなんかもうちょっと。押しかけ女房キャラのモモコも、詐欺師のカンジも、どこかで見たようなキャラで、新味にかける。ま、2巻以降の展開次第だなと思う。
2004年11月02日(火) 会議は怒る/アニメ『岩窟王』第1回 2002年11月02日(土) トイレはなが〜いお友達/映画『ザ・リング』/DVD『北京原人の逆襲』 2001年11月02日(金) スカートの下のお花畑/『HUNTER×HUNTER』13巻(冨樫義博)/『20世紀少年』7巻(浦沢直樹)ほか 2000年11月02日(木) 部屋片付けてたらあちこちから○○が……/『古館伊知郎トークブルース・お経』
| 2005年11月01日(火) |
いつか親を殺す日/ドラマ『火垂るの墓』/『光車よ、まわれ!』(天沢退二郎) |
月初めの映画の日なので、しげと「何か映画を見に行こうか?」と話をする。 「いいね、行こう」と返事をもらったので、そのつもりで仕事をさくさく進める。 11時ごろ、しげからメールが入る。予定では父の退院を手伝って、荷物をマンションまで運んだ頃合だったから、てっきりその報告だと思って開いてみると、全然、違っていた。 「父ちゃんが、六時に迎えに来いって」 何の迎えか、と、問い返すと、「ごはん」との返事。 ああ、と思い出したのは、先日、退院が決まった時に、父から「退院祝いに飯でも食わんや」と誘われていたのだが、「退院したばかりで飲み食いとかしなさんな」と断ったことがあったのだった。断っていたのだけれど、断られて、はいそうです、と納得する父ではなかったということである。まあ、分かっちゃいたんだけど。 しげに、またメールを送って、父はもう退院したのかを聞いてみる。 もう別れて、父は天神に遊びに行ったそうな。それじゃあ直接、父に事情を聞くしかない、と、電話をかけてみる。 「どげんしたとね。具合はいいとね」 「具合は変わらんたい」 「なら、無理せんと、今日はゆっくりしとったらどうね」 「心配せんでよか。今も天神でご飯食べたとこや」 「それでまた夜に外食じゃ、体によくなかろうもん」 「いいと。俺はもう、先がないんやけん、好きにさせんや」 「先がないんやなくて、先をなくしようっちゃろうもん。ばってん、止めたって止まらんもんね。お父さんは」 結局、押し切られて食事をする約束をした。しげには今日の映画はチャラで、と連絡を入れる。どこに迎えに行けばいいのか父に聞き忘れていたので、しげに確認を取ると、「店」だと言う。あの親父は、退院直後にもう仕事をする気でいるのだ。なんでこう、あの世代というのは自分の命を削ってまで働こうって気になれるのかね。死にゃあそれでシマイだって感覚がないのか、つまらんヒロイズムに浸っているのか。多分、後者だろう。でなきゃ、感覚異常が起こった時にオタオタして病院に飛び込んだりはしていないはずである。喉元過ぎればだなあ、って、愚痴ったって、どうしようもないことではあるのだが。
博多駅でしげと待ち合わせをして、店に向かう。 父はもう準備万端整えていて、「どこで食おうか」と問いかけてくる。下手をしたら「焼肉」とか「しゃぶしゃぶ」とか言い出しかねないので、父のマンションの近所の、セルフサービス形式の食堂に行く。おかずが予めカウンターに並べられていて、自由にお盆に取っていけるので、カロリーの調節がしやすい。 私があまりうるさく言うものだから、少しは自重したのか、父のおかずは一品だけ。あとはヒジキに味噌汁、漬物程度である。 「ご飯も『小』にしたけん、文句はなかろうが」と威張って言うので、「でもおかずの魚は天ぷらやん」と言い返すと、「焼き魚の方がいいかいなと思ったばってん、俺は天ぷらが好きやけんな」と笑って言う。笑うなよ。
久しぶりの「シャバ」なので、いつも以上に父は饒舌である。相変わらず姉の悪口ばかりで、「(世間に)人情がなくなった」を繰り返す。人情なんて、昔からなかったと思うが。なかったからこそ、我々日本人は、人から親切にされたときに「有り難い」と答えてきたのである。 父も昔はそれほど「人情幻想」に捉われちゃいなかったように思うんだが、そういうものにすがりたくなってしまっているというのは、それだけ心が老化してしまっているということなのであろう。 「昨日も、ひどい事件が起こっとったろうが」 「ああ、高校生の女の子が、お母さんに毒盛ったってやつ」 「信じられんな。子供が親を殺すとか」 「親が子供を殺す場合もあるやん」 「そうたい。世の中もうおかしゅうなっとるな」 父は、昔、酔っ払って私を殺しかけたことがあることなど、とっくに忘れているのである。これは比喩でも私の妄想でもなくて、私の態度が生意気だという理由で(泥酔した親を前にして、小学生がいい顔ができるわけがない)、鉄製の盆で頭をめちゃくちゃ殴られたのだ。血まみれになった私を、母が間に入って助けてくれなかったら、本当に死んでいたかもしれない。当時の私には児童相談所に虐待の事実を報告して何とかしてもらうなんて知恵はなかったから、私はひたすら毎日を怯えて過ごすしかなかった。我慢が何とかできたのは、三十年くらい前までは、そんな目にあっても親には逆らえないと我慢している子供が私のほかにもいくらでもいて、それも「しつけ」の範囲内だと考えられていたからである。時代は本当に変わったよなあ、親が子供を虐待した程度のことがニュースになるんだから。 子供のころ、父からぶたれなかった日は一日もなかったくらいなので、私の父への親子の情愛などというものはとっくになくなっている。 それでも今、父を見捨てないでいるのは、反発するには父があまりに年を取り過ぎてしまったせいだろう。ここにいる父はもう昔の父ではない。バットを振り回して逃げる私を追い回し、何度も殴りつけた父はもういないのである(これはしょっちゅうやってたので、さすがに父にも記憶は残っているらしく、こないだも姉に「そのくらい子供はしつけないといけない」と威張って言ってたそうだ)。恨みを忘れたわけではないが、恨める対象がいなければ諦めるしかないのである。
その、母親にタリウムを飲ませたとかいう静岡県伊豆の女子高生も(容疑を否認し続けているそうだが)、母親になにかの恨みがあったのかなあ、と漠然と思う。ニュースを見ていると、「ブログに毒殺日記を付けていた」とか、「グレアム・ヤングのファンだった」とか報道されているから、単なる快楽殺人者だったのかもしれないが。 逆説的なモノイイになってしまうが、恨みや憎しみがあった方が、人と人との関係は「人間らしい」ように思う。思いが報われないから人は人を憎むのである。つまりはそれだけ相手への思いが強いということだ。こう言っちゃなんだが、しげは私と結婚していなかったら、私のストーカーになっていただろう。ホモオタさんが未だに私に執着してストーカーになっているのは、私に相手にされなかったからである。善悪の問題は別として、その思いは人間のものとして理解がしやすい。 毒殺未遂少女にとっても、その手段は、彼女なりの親へのアプローチだったのかもしれない。けれどもそれは、我々の常識では到底図り得ない領域のものである。どうせそのうち、「人権派」の弁護士やら識者やらが、「未成年の少女には更生の機会を」とか言い出すんだろうけれど、常識の埒外のメンタリティの犯罪者を、どのように更生させられるのか、その具体的な方法をきちんと提示してくれてる例って少ないよね。
ドラマ『火垂るの墓』。 高畑勲監督の傑作アニメーション、これを最初に見た時には、「これをどうしてアニメーションにしなきゃならないのか」という疑問を抱いたものだった。「こんなふうにリアルに描くんだったら、実写でいいじゃん」というのが理由である。 けれど同時に「でも、もう戦争の惨禍や、当時の日本人らしさを描こうと思ったら、もう実写では再現不可能になっているのかもなあ」とも考えていた。 結果は、本作が証明してくれた。もう、現代の日本人に太平洋戦争を描く映画を作ることは無理である。
井上由美子の脚本のデタラメさはもう、いちいち突っ込んでいつたらキリがない。もともとの原作にも雑なところはあるんだが(野坂昭如は締め切りに追われて数時間で書き殴ったとかいう話である)、ひと様から預かった子を、それも海軍将校の子をあんなに虐待したら、隣組の中で非国民扱いされるのはオバサンの方だろう。戦時中の隣組は、民衆の相互監視の意味があったんだから。オバサンは、自分の子供を犠牲にしても預かった子の方を優遇しないと何を言われるか分からないのである。アニメの方はあそこまで苛められる前に引け目を感じた清太と節子が出ていったから、そう不自然でもなかったんだけどね。 あのオバサン、自分の夫がいくら戦死したからって、特高に聞かれたら逮捕されかねない「軍人は国を守ってなんかいないわ。大切な人を死に追いやってるだけよ」なんてセリフを口にするのは、その時代の人間としてはどう考えてもおかしい。どうも脚本の井上由美子、思想的にかなり左がかってんじゃないかって匂いがプンプンするのである。 オバサンが、盗みを働いた清太の引き取り人になっておきながら、再び「あなたに食べさせるものは何もないの。これが戦争なのよ」と言って突き放すに至っては、何をか言わんやだ。警官に保証人として指名されておきながらそれを反故にすることなど絶対にあり得ないことだし、「これが戦争だ」なんてセリフは、戦時中なら、戦争に批判的なアカしか言わない。庶民が言っていたのは「今は戦時なんだから」で、これも、「だからワガママ言わずに我慢して」と「協力し合う」ためのセリフであったのである。 ここまでくれば、「歴史の捏造」と言ってもいい。この脚本家は明らかに思想的に偏っている。いや、偏っていたとしてもそれはその人の思想の自由だから文句をつけるわけにはいかないのだが、歴史的に現実には絶対にありえないセリフを書いて、視聴者を誘導しようというのは、戦時中の「大本営発表」と同じである。そのことに脚本家が気付いているのかいないのか。気付いていたとしたらこいつはとんでもない卑劣漢だし、意図的でないなら底抜けのバカである。
でも脚本はねえ、バカに書かせなきゃまだ改定の余地があるんだが、どうにもならないのは、戦時中で食料もないのにふくよかなオバサン役の松嶋菜々子かな(笑)。芝居もなんでこの人はこう、気取るばかりで、リアルな演技ってものができないかね。『リング』と同じ演技を『火垂る』でやるなよ。
唯一よかったのが、子役の二人で、特に佐々木麻緒ちゃんの演技にはもう舌を巻く。やっぱりこの子は日本のダコタ・ファニングだよ。 単に、アニメ版の節子がそのまま抜け出てきたと錯覚するくらいに似ている、というだけではない。『ウルトラマンマックス/第三番惑星の奇跡』の時にも思ったことだが、この子はわずか六歳にして、直観的にスタニスラフスキー式の演技を体得しているのである。ラストなんて本当に死んだようにしか見えん。 そう言えばこの子、『妖怪大戦争』でもスネコスリ役だったんだよな。あの映画は神木隆之介君、佐々木麻緒ちゃんという、日本に大天才子役の共演映画だったわけだ。
でも、清太と節子のシーン、特に蛍を防空壕に放つあたりのシークエンスは、構図からカット割りまで殆どアニメ版の模倣なのだった。……実写にする意味ねえよ、この映画。 えーっと、「はてな」の方では誉めてるような書き方をしましたが、あくまで麻緒ちゃんの演技についてだけです。あっちは基本的に「いいとこ探そう」というスタンスで書いてますから、こっちとはどうしても感想変わっちゃうんでね。
天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(ブッキング)。 西に『ナルニア国ものがたり』『指輪物語』があれば、東には『オレンジ党』シリーズありと、日本ファンタジー史上の金字塔と言ってもいい傑作シリーズの「露払い」である本作が、昨年、17年ぶりに復刊。いや、私、てっきりこの本は持っていると思っていたのだけれど、図書館で借りて読んだから買ってはいなかったのだということに気がついた。また絶版にならないうちに、他のシリーズも買わねばな。 児童文学やファンタジーに詳しい人なら、今更本作の価値を説明する必要もないのだけれど、長らく絶版だったということは、そんな基本的な常識もすっかり失われているということである。 本格ファンタジーの要素である、光と闇の対立、闇と戦うために集まった少年少女戦士たち、闇に打ち勝つための魔法のアイテム、少年たちを導く古代の伝承とその導師、そしてこの世界の成り立ちが明かされ、別れと出会いが示される感動のラスト。一見、西洋的と思われるこれらの要素を、見事に日本化し、舞台を異世界ばかりでなく、日常において展開してみせたのが、本作の特徴なのである。初刊行から32年の月日が流れているが、その価値はいささかも色あせてはいない。富士見ファンタジア文庫とか読んでファンタジーに触れた気になってる若い読者には、まずこの「原典」を読めよ、と言いたいのである。 今回の復刊に際しては、なんと唐十郎がオビに推薦文を寄せている。対象読者である小学校高学年・中高生に「唐十郎」のネームが何の意味があるかとも思うのだが、「思春期の黙示録的行脚がここにある」というのは実に的確な批評だ。初刊当時、天沢氏は宮沢賢治研究家としては知られていたが、児童文学の書き手としては全くの新人で、その筋の専門家、評論家の視野には全くと言っていいほど入っていなかった。それが、どんどん版を重ねていくことになったのは、ひとえにその「思春期」の少年少女たちの心を本作と次に続く『オレンジ党』シリーズががっちりと捕まえたからである。
小学五年生の川岡一郎は、ある雨の朝、クラスメートの何人かが、一瞬だけ「黒い、ぐっしょり濡れた化け物」に見えてしまって驚く。ところが一郎のその動揺を察したクラスメートたちは、次第に一郎をつけ狙うようになる。闇に引きこまれようとした一郎を救ったのは神秘的な美少女・戸ノ本龍子だった。彼女は、「闇」の正体が「水の悪魔」であることを告げ、共に立ち向かう仲間たちに一郎を引き合わせる。そして、敵を倒すためには、この町に隠されている三つの「光車」を探し出す必要があると言うのだ。古代の「地霊文字」が導くという「光車」は、いったいどこにあるのか。光車を狙う「第三の勢力」も登場し、戦いの中で、一郎たちは一人、また一人と仲間を失っていく……。
我々が生きる上で必要不可欠な「水」が敵となる。 鈴木光司の『仄暗い水の底から』の三十年近くも前に、既に「水」の恐怖を描いている点をまず高く評価したい。マンガでは水木しげるが『水神さまがやってきた』で、「生きている水」を発想しているが、小説で、しかも児童文学でそれを描いたのはこの『光車』が嚆矢ではなかろうか。雨の日は特に恐ろしい。外に出ればいつ何時、水に襲われるか分からない。 蓮池に少女の死体が浮かんだ。それを食い止めることは誰にもできなかった。ひと思いに全員を殺せるのに、「水」は「光車」の仲間たちを「泳がす」。この「闇」の恐怖は、思春期の少年少女たちにとっては、いつか自分たちが出会うかもしれない「見えない敵」の寓意として心に留まる。 唐さんが「黙示録的行脚」と呼ぶのはまさにこの部分あるだろう。善と悪との究極の戦いとしてこの「光車」を巡る戦いは認知され、少年たちの進むべき道を預言しているのである。 一郎はこの戦いの終わりに、一人の少女を失う。しかし、もう一人の少女を手に入れる。自分を導いてくれたものを失い、新たにともに歩むべきものと出会ったのだ。それもまた『源氏物語』以来のファンタジーの伝統であり、「少年」が必ず通過しなければならないイニシエーションでもある。そして読者である少年少女たちもまた、いつか、あるいは今まさに、同じ経験をする、あるいはしていることに気がつくのだ。 中高生の時に、この「ファンタジーの必読書」を読み損なった大きなお友達は、自分が辿ってきた「悲しい道」をもう一度思い出すつもりで本書を読まれてはいかがだろう。司修の版画、挿画も、この光と闇の世界を実に神秘的に描いていて最高である。
2004年11月01日(月) とりあえずの再開。でも本の感想まではとても(^_^;)。 2002年11月01日(金) そう言えば「丹」ってのも何だか知らない/舞台『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカ再誕生』/『聞く猿』(ナンシー関)ほか 2001年11月01日(木) ヒミツな情報/アニメ『ナジカ電撃作戦』4話/『クラダルマ』5・6巻(柴田昌弘) 2000年11月01日(水) 夢で他の女と会うのも浮気なんて言うなよ/『文鳥』(夏目漱石)ほか
| 2005年10月31日(月) |
負けないこと・投げ出さないこと・逃げ出さないこと・信じ抜くこと/映画『機動戦士Ζガンダム�� A New Translation 恋人たち』 |
休日出勤したので、今日は仕事は休み。これ幸いと映画に行くことにする。初日 に三日遅れて、シネ・リーブル博多駅で、映画『機動戦士Ζガンダム�� A New Translation 恋人たち』(ZG�供�Lovers―)。 多分、昨日一昨日はお客さんもいっぱいだったんだろうけれど、朝一番の回は七、八人。見た感じ、大学生かなんかのオタクだろう。ゆったり見られてこれは助かった。
いつもなら、ここで長々と感想を書きたいところだけれど、実は書いた文章、ふと思い立って『ガンダムエース』の感想文募集に送っちゃったんだよね。賞金10万円にちょっと釣られた(笑)。 全国で五人しか入賞しないから、それはまずありえないんだけれども、一応、「未発表原稿に限る」という規定なので、そのままここに載せるわけにはいかないのである。落選が決まったらあらためてアップしようと思うので、一応、簡単な要旨だけを記しておく。
・本作の再編集は前作以上に「コラージュ」的である。 ・カミーユとフォウの恋愛は全体の「露払い」でしかない。 ・旧作画は、フォウの場合もサラの場合も、カミーユとの関係が最も密着した時に使われている。新作画に挟まれているために、どちらの場合もテレビとは違って、より濃密な情感が付け加えられている。 ・サラは池内千鶴が声をアテているために萌えキャラになっている(笑)。 ・真打ちの恋愛はたったヒトコトしか発しなかったハマーン様。愛は相手を支配することである。彼女の登場で、それまでの恋愛群蔵劇が全て吹っ飛んだ。 ・ラストシーンは第一作のネガ。アーガマはシャアやカミーユたちを乗せた「棺桶」である。
本文はこれの100倍以上書いてるんだけど、まあ、あと二、三ヶ月はお待ちください(笑)。
予定では、今日はさらに天神に回って、もう一本映画を見て、父の見舞いをして荷物をいくつか持って帰って郵便局にも寄ってブック・オフにも行く予定だったんだけど、しげが「気分が悪い」と言って愚図ったので全部中止。 帰宅してしばらくしたら、父から「何で今日、来んやったとや」と電話がある。「しげの具合が悪くて」と答えたら、「だったら明日はもう迎えに来んでもいいぞ」と拗ねられる。 しげに「見ろ、お前がわがままばっかり言うけん、親父が拗ねたやないか」と怒る。まあ、これくらいのことで拗ねる親父も親父なんだが、いつものごとく、前日にきちんと寝てなくて体調崩したしげもまた考えなしなのである。 「こないだ叱ったばかりなのになんで同じ失敗を繰り返すとや」 「ごめんなさい」 「謝ってももう遅いやないか。これからどうすればいいか、考えきらんか?」 「分からん。どうしたらいいか頭がパニックになって考えきらん」 「だったら外行って、頭冷やしてこい!」 しげを叱って、いったん外に追い出す。しばらくして、携帯に「ちゃんと考えて行動するようにするから」とか細い声で電話がかかってくる。なんだかまだアテになりそうにはなかったが、とりあえず部屋の中に入れて、「何も考えきらんて言うけど、『明日ちゃんと迎えに行きますから』って親父に連絡入れればすむことやないか」と言うと、「どうしてそんな簡単なことが思いつかないのか自分でも分からない」と言う。 思いつかないのも当たり前だ。しげには「相手の立場を考えて行動する」経験が殆どないからだ。すぐに謝って、失敗をどんな形でやり直せばいいか、考えればいい。私はいつもそう言っている。しかし、考えるためにはその基盤となる「経験」がなければならないのだが、それがしげには決定的に欠けているのだ。 分かりやすく言えば、「どうすれば人の心を思いやれるのか」が分からない。そして「分からない」と思った時点で考えることを放棄するから、「分からないものは分からないまま」で放置されてしまう。 しかし誰だって、他人の心がお見通しってことはあり得ないので、だから「自分の内面に照らし合わせて、相手はこのように考えているのではないか」、と類推しているだけだ。その過程を、いつまで経ってもしげが辿ろうとしないのが私にはどうにも理解不能なのである。
しげはすっかり自信をなくして、「もう芝居もやめようか」と言い出す。キャストがいつまでも集まらないことについて「見通しが甘かった」というのだ。甘いも何も、私から見れば本気でキャストを集めようとしているようにはとても見えない。ちょっと声をかけてみて「出たいけど出られない」と返されて、それですぐに諦めるのであれば、本気で誘っているとは思われないだろう。 忙しいのは誰だって同じだ。私だって、これまでにしげのいい加減さに腹を立てて、途中でリタイアしたことは何度もある。それでも自分に芝居を作る熱情があって、「君と一緒にやりたい」と伝えてこそ、人は心を動かされるものなのではないのか。しげはすぐに諦める。相手を説得することを面倒くさがる。そんなことでは、人は心を打たれはしない。しげの言葉には、人を動かすための「実」がないのである。 そうでなければ、今まで一緒に芝居を作ってきたPPPの連中が、今回、「誰一人参加しない」という事態にどうしてなってしまったのか。仲間と本気で語ったことがどれだけあったか。それがなかったから、みんなももうやる気を失ってしまっているのではないのか。 「言いだしっぺがそんな無責任なことを言うのか。 芝居作りで壁にぶち当たらないなんてことがあるのか。 いつだって壁があることは前提だろう。壁にぶち当たったらそこで考える。考えたらきっと何かいいアイデアが生まれるよ。考えても何も方法が思いつかないなんてことはありえない。それは、考えるのをやめるから答えが見つからないだけだ。 実際、お前だって、曲がりなりにも『考えて』きたからこそ、ここまでこぎつけてきたんだろう? だったらどうしてそれが自信に繋がらないんだよ。 キャストが見つからない? それがどうしたよ。もっと探せよ。探しても見つからないって? だからまだ熱心さが足りないんだよ。 それでも見つからなかったら、どうするかって? そのときは脚本を変えるさ。一人足りなくても成り立つように考える。 そんなことできるのかって? できる。諦めなければできる。逆境は考えるためのきっかけだよ。逆境があるからアイデアも生まれるよ。俺だって自分には才能なんてないと思ってる。俺はお前以上に芝居作りには自信なんてないんだよ? なのにどうして自分には必ずアイデアが思いつけると思えるのか。 あきらめないからだよ。お前も諦めるな。絶対に諦めるな」 俺は大事MANブラザーズバンドかい(笑)。ぺらぺら喋ってるうちに、しげの顔に少しだけ笑顔が生まれる。 これでちっとは気が落ち着いてくれたのならいいのだが。
自宅のマンションから歩いて五分ほどのところに、新しく「マックスバリュ」というスーパーマーケットができている。24時間営業なので頗る便利になった。便利にはなったのだけれど、こうなると近所のセブンイレブンが結構な打撃を受けるんじゃないかと、今度はそれが心配になる。品物は確かにスーパーのほうが安くて品揃いもよいが、セブンアンドワイで本やDVDの通販を頼んだり、未払いのお金を払ったり(苦笑)、それができなくなるような事態にはならないでほしいのである。 とは言え、今日も泣きやんだしげと、そこでラーメンやカレーなど非常食をたっぷり買い込む。駐車場も広いし、やっぱ便利だわ。ただ、11時を過ぎると裏門が締まるのには気付かず、その駐車場でちょっとウロチョロしてしまったが。
2002年10月31日(木) 食い損ねた話/『あたしンち』8巻(けらえいこ)/DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』3巻 2001年10月31日(水) すみません、ちょっと疲れてます/『蝙蝠と蛞蝓/睡れる花嫁』(横溝正史・児島都・長尾文子) 2000年10月31日(火) 母さん、もうすぐ側に行くよ
| 2005年10月30日(日) |
あさりよしとおサイン会/『仮面ライダー響鬼』三十八之巻 「敗れる音撃」 |
昨日が休日出勤だったので見られなかった『ウルトラマンマックス』、録画しておいた第18話「アカルイセカイ」(幻影宇宙人シャマー星人登場)を見る。タイトルは『アカルイミライ』のモジリだろうが、内容はまるで無関係。つか、文字通り闇を嫌う宇宙人が、巨大な反射板で世界から夜をなくして明るくしちゃうお話。 シャマー星人を演じるのはワハハ本舗の佐藤正宏さん。いささか悪乗りのし過ぎで、こういうのが楽しい人には楽しいのだろうが、私にはダメとまでは言わないまでも、「外している」ようにしか見えない。佐藤さん、もっと愛嬌のある役柄をやらせてもいいと思うのだが、今回のシャマー星人はDASH隊員たちを徹底的にバカ扱いしていて、あまりいい感じはしない。まあ、所詮は侵略宇宙人だから、いい人っぽくなっちゃっても困るんだろうけれど。『ウルトラマンタロウ』はこんな感じのエピソードが多かったよなあと思いつつ、また三池監督が復帰しないかなあとか思う。
『仮面ライダー響鬼』三十八之巻 「敗れる音撃」。 さて、30話以降、思い切りトチ狂ってしまった、「旧」響鬼ファンの皆様、脚本家が井上敏樹から米村正二氏に代わりましたよ。これで安心してまたヒビキを見続けられますね。 と、簡単に言ってのけることもできないんだろうけれど、目を覆いたくなるような雑な展開はかなり減った。桐矢君から散々バカにされ続けてもなぜか優柔不断なままだった明日夢君も、吹奏楽部の落ちこぼれになりそうだと気付いてようやく、「特訓」を始めるようになる。それはあくまで吹奏楽部の特訓なんだけれども、これで「鬼の弟子」になるきっかけはようやくできてきた感じだ。 って、やっぱりここまで来るのに40話近くをかけちゃったってのは、いくらなんでも長すぎだよなあ。せっかく投入した桐矢君がいまいちお笑いなキャラで、明日夢君を鼓吹するにはいたらなかったのはやはり脚本の井上敏樹の失敗だろう。思い付きで「面堂終太郎」をぶち込んでみたものの、明日夢君は「諸星あたる」じゃないんだから、桐矢君のツッコミにツッコミで返すような器用なマネはできない。 つか、明日夢君はもともと鬼になる気はなかったんだから、「俺がヒビキさんの弟子になる!」と意気込まれても、すぐには反発できないんだよね。「そう言われても僕は鬼になるべきなんだろうか」とか悩むばかりで。 多分、井上敏樹は、脚本を書きながら、「しまった、桐矢に何をやらしても明日夢が動かねえ!」と頭を抱えたに違いない。どっちかと言うと、桐矢君が「動かした」のはあきらの方だった。明日夢君と違って、あきらは既に鬼の弟子になっていて、自分の復讐心と鬼としての資質との狭間で行き詰まりを感じていて、だから桐矢君のストレートで不躾なモノイイがぐっさりと胸に刺さることになったし、朱鬼の元に走ることにもなったのである。わずか二話で急激に。 やっぱり29話でいったん『響鬼』を終わらせてしまったのは、後を引き継ぐ人たちにとっては相当困った事態だったんだ、と思わざるを得ない。つか、あの幕切れは、ある意味「いやがらせ」ですらある。「別に鬼の跡を継がなくてもよくなった」明日夢君に、「弟子になること」を決意させるのは、いったん死んだ沖田館長を蘇らせなきゃならないことくらい、難しいことなのである。 でもこれからの展開、ザンキは爆弾抱えたままの体で、恐らくは自らの死と引き換えにあとに何を残せるか模索することになるだろうし、あきらに去られたイブキ、ザンキに突き離されたトドロキは、どん底から這い上がるための必死の努力をしいられることになるだろう。ようやく『響鬼』は「ドラマ」らしくなってきたと言えるのである。 まあ、29話までのまったり路線も悪くはなかったけどよ、やっぱり「石ノ森章太郎の遺志を継ぐ」のであれば、ライダーはライダーらしく、「さんだらぼっち」にしちゃいけねえよな、と思うわけよ。とんぼがお志摩と所帯を持ったのって、連載の終盤だ(笑)。 これでようやく『響鬼』は「第三部」に突入、明日夢の決心と謎の男女との最終対決が描かれていくのだろう。実際、29話のように、最後まで明日夢が弟子にならないで終わってたら、やっぱりファンの多くが怒ったと思うんである。 この更なる路線変更がどのような結末を迎えるのか、それとも更に路線変更とか井上敏樹復活があるのかとか、興味は尽きないのである。。
今日こそは『機動戦士Ζガンダム�供[�人たち』を見に行くつもりで、しげとも約束していたのだが、またまた夕べ寝つけなかったしげ、いくら揺すっても起きてこない。 「午後から出るか?」と聞いたら、寝ぼけ声で「うん」というので、仕方なくそのまま放置。どうしてこいつはどこかに出かける直前になると
今日は2時から天神の福家書店で、あさりよしとおさんのマンガ家生活25周年、『るくるく』5巻発売記念のサイン会がある。しげもあさりさんのファンなので、当然サインは欲しいのだが、こういうサイン会の列に並ぶのは大嫌いである。何たって集まってくるのがキモいオタばかりだから(笑)。だもんで、一人で出かけるしかないのである。私はもうキモオタの中には自然に溶け込むので、何も怖いものはない。オタクはどうしたってキモオタにしかなれんのだ。 天神コアに到着したのが1時45分。ここの福家書店は、一応、地下一階(普通書籍・文庫)、地下二階(コミック・同人誌)と2フロアあるものの、それぞれご近所の本屋程度の面積しかなく、二、三十人も人が来ればかなり狭苦しくなってしまう。 実際、地下二階に行ってみると、カウンターから店の奥にかけて、『るくるく』5巻を手にした、あまり手入れの行き届いていない髪型にメガネのオタクオタクしたオタクばかりがズラリと並んでいた。 案内の人が、「整理番号順に50人ずつお呼びいたします。2時までお待ちください」と何度もおらんで(=叫んで。あえて博多弁を使うのは、本当は「叫ぶ」「怒鳴る」というほど強くはないし、かと言って「呼ぶ」ほど弱くもないからである)いたので、目をやると、書店の入り口から2階への階段に、ポールが立てられている。「限定200名」と聞いていたので、いったいこの狭い書店のどこでサイン会が開けるのか疑問だったのだが、なるほど、階段に列を作ったとはうまい手である。 ふと、サイン本は何冊も書いてもらえるのかどうか、と思いついて、書店の人に聞いて見たところ、「それは構わないと思います。ただし、冊数に限りがありますから」と言われた。確かにみんながみんな、五冊も十冊もサインを頼んでいたら、あっという間に売切れてしまうだろう。それで、ギリギリまで本が売れ残るかどうか待つことにした。どうせ私の整理番号は「52番」で、2時きっかりにはサインはもらえないのである。 「整理番号50番以降の方は、2時15分から案内します」と係の人がまたおらぶが、実際に呼ばれたのは30分過ぎて。早めに終われば『Zガンダム』に行こうか……とか、考えていたのだが、まず無理であった。慌てて『るくるく』を更に二冊買って、列に並ぶ。更に待たされること30分、一時間経って、ようやくあさりさんの前に出た。あさりさんは渡される本に、顔を上げもせず、矢継ぎ早にサインしていく。俯いているので顔はよく分からないが、トレードマークの禿頭に、サングラスにヒゲと、こんな個性的な人が、あさりさん以外にいるはずがない。 「三冊お願いしたいんですが」と言うと、あさりさんの横に立っていた書店のお姉さんが「一人一冊までです」と言う。「え、でも、メガネの店員さんが『何冊でもいい』と仰ったんですけど」と聞き返すと、『確認します』と、地下二階に降りていった。ほどなく、「確認できました」ということで、三冊、サインしてもらえることになった。 ところが、店員さんが本のカバーを取りながら、「あと2冊のご署名はいかがいたしましょうか」と聞いてきたので、私は虚を突かれて一瞬、口ごもってしまった。実はこれ、この日記のキリ番ゲットの人のためのプレゼントにしようと思っていたのである。けれども、そう聞かれてしまうと、誰かの名前を言わないわけにはいかない。とっさのことで名前がすぐに思いつかず、慌てて携帯を取り出して、 「この名前でお願いします」と、“履歴の一番新しい人二人”の名前を見せた。 という経緯で、プレゼントを送られる人は決まってしまったのである。だから、これは全くの偶然というか「運」だったのであって、決して「友情順」で選ばれたわけではない。「フジワラはそんなに私のことを思ってくれていたのか」とか勘違いして、余り感謝しないで頂きたいのである。 更に、ちょうど私のところであさりさんのサインペンのインキが切れてしまったので、あさりさんが描いてくれてたろくちゃんのイラスト、マツゲのところが少し薄くなってます。重ね重ねすみません(汗)。
いったん帰宅、それから福岡市文学館(赤煉瓦文化館)で、次の芝居の会合。 父の入院などのゴタゴタで、脚本は少ししか進んでいないが、そろそろはっきりとゴーサインを出さなければならない。今日は参加者を最終確認するための集合である。と言っても未だに最後の一人が見つからないのだが。 主要キャストは、男性が小田さん(本日は欠席)、川田さん、渡邉さん、ラクーンドッグさん、私の五人、女性が池田さん、堤さん、小林さん、細川さん、よつばさん、しげの六人である。 ともかく最後の一人が決まらないので、「暫定」の配役を決めるが、しげが「もし来月いっぱいであと一人が見つからなかったら企画は流すことにしようと」などと言い出すので、「いや、それはしません」と私が反対する。「ここまで集まっていただいて、流すことはしません。もしあと一人、男性が見つからなくても、手はあります」と企画を勧めることを約束する。本当にいざというときの手は二つ三つ考えてあるのだが、現段階では時期尚早なのでまだ書かない。 ひととおり役になってもらって、一部脚本を読み合わせ。もちろんまだ形にはならないが、イメージは掴める。テンポがよくなればかなり面白くなりそうな手応えだ。 人手が足りないので、私も出演することになってしまったが、私が当然一番下手である。セリフを喋りながら、イヤな汗をかいてしまった。三月までには「見られるもの」に仕上げて行かなければならない。プレッシャーを感じる。 その他、こまごました打ち合わせをして、1時間半ほどで散会する。
以上のような事情で、当劇団では、来年3月11日(土)、12日(日)に舞台に立てる人で、福岡近辺にお住まいの方を探しています。男性の役ですが、女性でも構いません。お話に興味があるという方にはシノプシスもお送りします。ぜひとも参加ご希望を。
2002年10月30日(水) DNAに値段ってあるのか/『源氏物語』第弐巻「帚木」(紫式部・江川達也) 2001年10月30日(火) ベランダでフラメンコる女たち/『狼には気をつけて』3巻(遠藤淑子)ほか 2000年10月30日(月) 仕事がたまっているのに眠いぞコラ/ドラマ『名探偵金田一耕助・トランプ台上の首』ほか
| 2005年10月29日(土) |
せっかちになるのもわかるけど/『辣韮の皮 萌えろ! 杜の宮高校漫画研究部』4巻(阿部川キネコ) |
休日出勤。 今日は『機動戦士Zガンダム�供[�人たち』の初日であるが、無粋な仕事をこなさねばならないので、諦める。どうせ狭苦しい劇場に暑苦しいオタクがひしめきあっているのである。ちょっと間をおいて出かけてもよかろう……というのは初日に行けなかったことの負け惜しみ。くそう。 昼間、父から突然、職場に電話がかかってきた。 「今日、病院に来れんや」 「もともと行くつもりだったけど、どうして?」 「病院の先生が、話があるげな。本当は月曜日にしてもらおうと思いよったとばってん、今日の方がよかろうて先生が言いござるけん」 父の声が沈んでいるので、悪い知らせかと、いささか不安になる。 しかし、父も何の話か聞かされてはいないのだから、勝手にマイナス思考で思い込んだって仕方がないのだ。 「じゃあ、仕事が終わったらすぐ来るけん」 「五時ぐらいに来れんや」 「まだ仕事終わってないよ。六時は過ぎるから。でもできるだけ早うする」 電話を切って、バタバタと翌日の仕事の準備。
今日の仕事は、昼間ずっと、ある種の「肉体労働」をしなきゃならなかったので、40の坂を越えた身にはかなりなハードワークだった。 バテたというか、ダルいと言うか、ともかく全身が重く感じて仕方がない。もともとデスクワークが主の我々が、どうして「肉体労働」しなきゃならなくなったかというと、役員同士で連絡の不徹底があって、関連業者に作業を依頼する時間が取れず、何の技術もない我々が肉体を酷使せねばならなくなったという次第なのである。 肩を回すと、コキコキとイヤな音がする。ひと仕事終えた後はちょっと風呂にでも入ってからだをほぐしたい気分であったが、そんな時間の余裕はない。ともかく仕事を終えたら、病院に向かってすっ飛んで行った。多分、精神的にもかなりキツキツの状態だったのだろう、あまりに慌てて、職場に携帯電話を忘れていってしまった。 よくあることだと言われるかもしれないが、これまで、職場に携帯を置き忘れた経験なんて、私は一度もないのである。
博多駅に着いた時点で、父からまた電話が入る。 「今、お前どこにおるとや?」 「博多駅だよ」 「まだ博多駅や? 先生、もう待っとらっしゃあぞ」 時計を見ると、まだ5時40分である。 「六時は過ぎるよ、もうちょっと待っとって」 「何時までや?」 父の「せっかち病」に先生の方がかかってしまったのだろうか。でもどう急いだって、これ以上早く博多駅まで来る方法はないのだ。「待ってる」のなら、「待たしとけ」と言うしかない。言うしかないけど、口をついて出てきた言葉は、「もうすぐだから」なのであった。 で、病院に着くなり、父がナースセンターまで私としげを連れて行く。主治医の先生が更に「家族相談室」という密室に親子三人引き連れて行って。雰囲気は更に物々しくなる。もしかしたら、何かまた悪い検査結果でも出たのか……と思ったら。「来週の火曜日に退院していいですよ」。 別に脳梗塞が治ったわけではないが、あとはもうこれ以上動脈硬化などが進行しないように気をつけるしかないので、入院し続ける必要はない、ということである。 「かかりつけのお医者さんで投薬や点滴を続けてください」と言われて、ついさっきまで暗い表情だった父の顔がぱあっと明るくなった。「仕事に戻れんごとなるかと思いよったとです」と、いかにも胸のつかえが取れたように晴れ晴れとしている。 ちょっと安心しすぎじゃないか、腕の感覚異常がなくなったわけじゃないだろう、と思うが、口に出しても父はマトモに聞きそうな雰囲気ではない。とりあえずは退院の準備について打ち合わせをしに病室に戻る。 何時ごろに退院するつもりか父に聞いてみると、「午前中やろうな。請求書もそのころに来るやろう」と答える。私は仕事で迎えには来られないので、しげに荷物運びを頼む。しげ、一応頷きはするのだが、相変わらず父の前では殆ど口を開かない。愛想よくしろなんて言うつもりはないけれど、いい加減で挨拶くらいはマトモにできるようになれないものかね。
マンガ、阿部川キネコ『辣韮の皮 萌えろ! 杜の宮高校漫画研究部』4巻(ワニブックス)。 表紙は八乙女泉のルパン三世と伊達牧子のクラリス“お姫様抱っこ”コスプレ。泉が絶対コスプレ拒否派である以上は、本編ではあり得ないシチュエーションなんだけれど。 イタいオタクの現実を活写して笑い飛ばすマンガと言えば、堂高しげるの『全日本妹選手権!!』が思い浮かぶが、あっちはもう雑誌もろとも終わっちゃったので、今やオタクいじりマンガの代表はこれくらいになってしまった(『げんしけん』はただのオタクマンガで、オタクいじりマンガではない)。 こちらも続いてあと1、2巻かなあという雰囲気なので、ネタも満載、既に1巻当初の「脱オタクを目指した滝沢少年が、なぜか漫研に入ってしまってそこのかわいい月子先輩に恋しちゃったけれど、最強のオタク・新寺部長に徹底的にからかわれ翻弄されてしまう」という設定はもうかなりどこかにすっ飛んじゃってしまっている。つか、脇キャラや新キャラの活躍が目立っていて、新寺部長の悪辣ぶりがちょっと目立たなくなってきたんだね。 でも私は塩釜女史のファンなので、出番が増えてたのが嬉しい。SFやファンタジーが好きなことにもシンパシーを感じるが、『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンのことを「馳夫(はせお)」とちゃんと原作本の訳そのままで「喋る」こだわりもね。決して、巨乳の眼鏡っ子だからではない(笑)。 ともかく、まさに「今」しか分からないであろう「ギャグネタ」を次々と繰り出して来るその情熱には脱帽である。
表紙は八乙女泉のルパン三世と伊達牧子のクラリス“お姫様抱っこ”コスプレ。泉が絶対コスプレ拒否派である以上は、本編ではあり得ないシチュエーションなんだけれど。 イタいオタクの現実を活写して笑い飛ばすマンガと言えば、堂高しげるの『全日本妹選手権!!』が思い浮かぶが、あっちはもう雑誌もろとも終わっちゃったので、今やオタクいじりマンガの代表はこれくらいになってしまった(『げんしけん』はただのオタクマンガで、オタクいじりマンガではない)。 こちらも続いてあと1、2巻かなあという雰囲気なので、ネタも満載、既に1巻当初の「脱オタクを目指した滝沢少年が、なぜか漫研に入ってしまってそこのかわいい月子先輩に恋しちゃったけれど、最強のオタク・新寺部長に徹底的にからかわれ翻弄されてしまう」という設定はもうかなりどこかにすっ飛んじゃってしまっている。つか、脇キャラや新キャラの活躍が目立っていて、新寺部長の悪辣ぶりがちょっと目立たなくなってきたんだね。 でも私は塩釜女史のファンなので、出番が増えてたのが嬉しい。SFやファンタジーが好きなことにもシンパシーを感じるが、『ロード・オブ・ザ・リング』のアラゴルンのことを「馳夫(はせお)」とちゃんと原作本の訳そのままで「喋る」こだわりもね。決して、巨乳の眼鏡っ子だからではない(笑)。 ともかく、まさに「今」しか分からないであろう「ギャグネタ」を次々と繰り出して来るその情熱には脱帽である。
2002年10月29日(火) A fluit of “H”/舞台『Bad News ★ Good Timing』/『超少女明日香 学校編』1巻(和田慎二) 2001年10月29日(月) 「ばびゅーん」の語源は『宇宙少年ソラン』から/『黒鉄 <KUROGANE>』5巻(冬目景) 2000年10月29日(日) まあスクルドがかわいかったからいいか/アニメ『ああっ女神さまっ 劇場版』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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