無責任賛歌
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| 2005年05月10日(火) |
彼は誰か。/『のどかnobody(ノーバディー)』2巻(田山りく・及川雅史) |
「想定外の事件」というのはまさしくその通りだろう。 いつぞやの三馬鹿のような、無自覚な連中とは違う。カメラマン・記者ではないが、命を賭した仕事に従事していることは間違いない。ただし、その「思想的背景」は知る由もない。
イラクの武装組織「アンサール・アルスンナ軍」(アルカイダと深い関係があるとされるイスラム教スンニ派の武装組織で、外国人の拘束、殺害事件を多数起こしているグループ)が、昨九日、イラク西部ヒート近くで米軍基地から出てきた車両を襲撃し、イギリスの警備会社「ハート・セキュリティー」から派遣されて米軍基地の警備支援に当たっていた日本人、斎藤昭彦氏を拘束した。斎藤氏は重症だという。 率直な疑問を口にするなら、「米軍基地にどうして他国の『警備』が必要なのか?」ということなのだが、識者によれば、近年、アメリカなどでは兵士を抱えるコストを削減するために、有事のみに利用する傭兵・ボディーガードを民間会社に依存する割合が大きくなっているということである。要するに「準兵士」として働くわけで……って、つまり「MASTERキートン」(ロイズで働く前のね)か! と、実際にそういう人が活躍している現実は知識として知ってはいたものの、日常のニュースの中にこうして飛び込んできた途端に何か戦慄のようなものを覚えてしまうのは、やはり安楽な中に暮らしている日本人の心の間隙というものであろう。 斎藤氏はかつて1979年から81年にかけて陸上自衛隊第1空挺団に所属し、その後、フランスの傭兵部隊に20年間所属し、200人からの部隊も率いていたという。ハート社は元特殊部隊所属の除隊者で構成されており、斎藤さんが雇われたのもそういった経歴が買われたためらしいが、だとすれば斎藤さんにとって、他国の警備会社の傭兵となることも「国防」の延長線上にあったことなのだろうか。その線がよく見えない。 しかし、武装組織は明らかに斎藤さんを「米軍の一味」と見ている。斎藤さんを除いて、ほかの傭兵たちはみな殺したということだが、なぜ斎藤さんだけをとりあえずではあるが助けたのか。テレビのニュースでは、「日本人は金ヅルだから」というコメントを寄せる識者もいたが、果たしてそうか。「金銭要求のための人質」あるいは「自衛隊撤退を要求するための人質」ならばまだ生存の可能性はあるだろうが、「そうでない」可能性のほうが高いのではないか。自らの「宣伝」工作のためという意見もあったが、こちらの可能性が高いと私も思う。犯行声明文に具体的な要求がない点もその推測を裏付けているように思う。 だとすれば、極めて厳しい現実を我々は覚悟しなければならないのではないか。 日本政府はもちろん情報の収集、および救出に尽力するだろうが、明らかに「米軍協力」が明確である今回のケースは、これまでの中で最も危険な現実を日本人に付きつける結果になりはしないか。これでまたね、「自衛隊撤退」を訴えるトンチンカンな連中が現れそうな気がするが、これはもうそういうレベルの問題ではないのである。 私のような凡人には、イラクに行く動機自体、心の中に全く見出せない。今や、どんな目的でイラクに行こうと、テロリストたちに利用されることにしかならないことは状況が示している。覚悟のない傭兵がいるわけもないが、だからと言って、余りにも我々の日常とかけ離れた立場に身を置いている斎藤さんの心情が分からぬ以上、憶測だけでは賛同も反対も示すことはできない。 なんかね、ネット見てるとさ、斎藤さんと三馬鹿とを一緒にしてる連中もバカだけど、斎藤さん立派! と持ち上げている連中も、「傭兵」の何を知ってそういうことを言ってるのか、分かんなくてね、やっぱりバカなんじゃないかって気がしてくるのよ。斎藤さんは「自衛隊」としてイラクに入ったわけじゃないんだから、我々との繋がりをどう実感すればいいのか、今の段階では「よく分からない」というしかないのが大半の日本人の現状じゃないかと思うんだけど、何だかもう「知ったかぶり」なやつが多くてヤダねえ。
私はもう、いったい、イラクとは何なのだろう、と根本的な疑問を自分に対して問いかけるだけである。
斎藤さんの弟さんが会見を開き、「ご迷惑をおかけしまして」と涙を流している。しかし、何をどう迷惑をかけたというのか、それすらも見えない今は、困惑したままテレビの画面を茫然と見流すしかないのである。
飛び石連休が終わって(大型にはならないのよね、うちの職種の場合)、普段の勤務に戻りはしたのだが、途中でちょっと体調を崩したこともあってか、どうもエンジンがグズってる感じ。 急な頼まれ仕事あり。たいした手間はかからないので、さっと片付けちゃえばいいのだが、これがどうにも取りかかれない。ほかの仕事があるのを言い訳に、明日に回す。休憩時間にウトウトすると、あっという間に時間がなくなる。夜中に頻繁に目覚めているので、睡眠が浅いことも原因なのだろう。休日の前くらいはやっぱり睡眠薬を飲もうかなあ、という気になってしまうのは、やっぱり気弱になってる証拠だろう。
同僚が雑談で由布院映画祭の話題をしているのを小耳に挟む。 「『タカダワタル的』って映画を今度上演するそうですよ」 「誰ですか、高田渡って」 なんて会話をしているものだから、つい、「ああ、あれでしょう、『自衛隊へ行こう』の」と口出ししてしまったものだから、「藤原さん、高田渡をご存知でしたか!」と、しばしその場の4人ほどで高田渡話で盛り上がってしまった。 浅学非才でモノシラズな私ではあるが、それなりに手持ちの知識だけで少しはお喋りができることがある。高田渡などは私の趣味の範囲からはちょっと離れてはいるのだが、それでも「こういう人のことは知っておいたほうがいいよなあ」というアンテナにだけは引っかかっていたのだ。 話題はそれからあっちこっちへ飛んでいって、千石イエスの経営してたバーが今どうなってるかとか、黒い霧の池永さんのバーの様子はどうだとか、ドカベン香川のバーは(バー話ばかりではないか。全部福岡にあるのである)、なんてお喋りで時間をつぶす。みなさん、仕事が煮詰まっていて息抜きしまくっているのである。いいのかこれで(笑)。 とりあえず今日は週明け早々だからまだアイドリング。起動は明日から明日から。
ここしばらく、しげの「さびしんぼう」というか、情緒不安定、かなり長引いているのだが、車に乗っていると、いきなりハンドルから手を離して私の手を握ってくるので、運転は大丈夫かと気が気でない。 しょうがないので、こちらから手を握り返して、片手運転させているのだが、オートマ車じゃなきゃ、事故を起こしているところである。つか、オートマでもちゃんと両手で運転してくれよ。 「晩飯は?」と聞くと、「作るの忘れたんで、コンビニで弁当を買う」と言う。 今更もう、お前は昼間何やってたんだよ、と文句は言わない。文句を言うほどの元気など週明け早々ありゃしない。週の半ばは忙しくて言う元気がないし、週末は疲れ果ててやっぱりそんな元気はないのである。 弁当買ったら、またゴミが出ちゃうなあ、と思ったので、「じゃあ、車の中で食べようか? そしたらゴミもその場でゴミ箱に捨てられるし」と提案したら、これがいたくしげの気に入ったらしい。 そのままでは狭苦しいので、助手席の背もたれを倒して、私は後部席に移動して、弁当をわけて食べる。食べてる最中、しげは私の顔を見てニコニコしているのである。いつもとちょっと違った食事の仕方をするだけで癒されていると言うか、この程度のことで喜んでるとは、よっぽど日ごろから私が邪険にしているようだ。本当はしげが不幸ぶりっ子してるだけなんだけど。
マンガ、田山りく原作、及川雅史作画『のどかnobody(ノーバディー)』2巻(角川書店)。 天才建築家、長瀬のどかが、傾きかけた温泉旅館をリニューアルして救っていく、温泉旅館版ビフォーアフターの第2弾。今回は「熱海」「箱根」「伊東」「石和」が舞台。富士山が切り取られた一幅の絵画のように眺められる温泉とか、天井から葡萄がたわわに実る温泉とか、うーん、こういう温泉が本当にあるのなら、一度行ってみたいもんだと思わせるが、いかんせん、殆どが関東周縁。それに温泉郷自体は実際の場所に取材しているけれども、旅館はあくまでフィクションらしい。残念。 今回は、これまで連戦連勝を誇ってきたのどかが、大失敗をやらかすエピソード(のどかの彼氏さんも初登場。職業が落語家ってのがユニーク)や、謎のアシスタント(笑)の三井ケイ(ミケちゃん)が、その驚くべきオタク知識を発揮する番外編(入りてえぞ、アンモナイト風呂!)もありで、1巻より好調な印象だ。 絵柄がもう、思いっきりほのぼの系のアニメ絵なので、しげからは「結局“萌え”で買ってるんじゃん」とジト目で見られているが、確かにストーリーは他愛無いけれど、「こういう温泉に入りたいなあ」という気分で読んでるだけなんで、余り目くじら立てないでほしいものである。
2004年05月10日(月) いそがしいそがし。&ゴールデンウィーク映画興行成績。 2003年05月10日(土) すっ飛ばし日記/イラストな女 2002年05月10日(金) 人生は重い荷物を……。/『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』ほか 2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)
| 2005年05月09日(月) |
あえて取材しないという選択を取れないのは何故?/『弁護士のくず』2巻(井浦秀夫) |
平日だけれども、土曜日の休日出勤の代休で休み。 朝から夕方までは家でゴロゴロしながら日記の更新など。平日は体力使い果たして寝てしまうことも多いので、なかなか書くに書けないのである。
テレビのニュースは相変わらず兵庫県尼崎市JR福知山線の脱線事故の詳報。 平日はワイドショーを見ることがないので、どういった塩梅かと思ってチャンネルをひねり回してみるのだが、なんだかもう、ゲンナリするほどに酷い。いや、腹立ちは、事故を引き起こした責任のあるJR西日本に対するものと、テレビの過剰報道との両方に分かれるのである。 JR西日本に対しては、1991年に起きた「信楽高原鉄道事故」 (JR列車と信楽高原鉄道車両が正面衝突し、死者42名を出した事故。複線でJR列車が一時停止して信楽列車をやり過ごさなきゃならないのを、ダイヤを気にしてJR列車が単線に突っ込んでいったために起きた)の時の教訓を何一つ生かせていなかったという憤りである。関係者に緘口令を敷いた隠蔽体質、責任のなすりつけ、今回の事故と全く変化がない。 しかし、悲しみもまだ癒えない遺族に証言を強要し、それを「JRの体質をたてなおすためにはこれしか方法がない」と言い訳するみのもんたを見ていると、「デタラメこいてるんじゃねえ」と横っ面を張っ倒したくなる。“いつ、誰がテレビにそんなことをしろと頼んだ?”視聴率稼ぎが目的の連中に善人面されることくらいむかっ腹が立つことはない。 しかもこいつら、ついこないだまで「ボウリング場で宴会」がどうのと非難しまくってたくせに、「JR西日本の管内放送では、その日、死者が出たとも脱線事故だとも一切放送しなかったために、事故の規模を知らずにボウリングに参加していた可能性があります」といけしゃあしゃあと喋ってやがる。 一般のアンケートでも、今回の事故は「個人の問題ではなく、JR西日本の体質が問題」とする意見が圧倒的に多かった。その世論を受けて、マスコミはコロリと個人攻撃を止めて、システム批判に切り換えているのである。この節操のなさ、定見のなさは何だ。 人の生き死にをショー化していながら(でなきゃなんでこうもBGMにアニソンが流れまくるのだ。これが「演出」でなくてなんだと言うのだ)、こういうキレイゴトを垂れ流す行為が、逆説的に生命を軽んじる結果になっていることになぜ気づかない。みのもんたの言は、「またこんなに人が死にましたねえ。たくさん死ねば死ぬほど、取材する対象が増えてショーを続けられますねえ。もっともっと事故が起きませんかねえ」と言っているに等しい。 昼日中からテレビを見ることがあまりないので、断言はしかねるが、みのもんた、いつもあんな調子なのか? でもって、みのファンの主婦連は、アレを聞いて「もっともだ」とか頷いてるのか? あんな白々しい演出にコロリと騙されてるのか? なんだかもう、信じられない世界が真昼の日本を覆っているようである。
夕方から、ラクーンドッグさんの誘いで、基礎練習に参加。 その前に、細川嬢をしげの車に乗せてかなきゃならなかったので、いったん別の場所で待ち合わせ。ところがこれがひでえ渋滞に巻き込まれてしまって、5時前に家を出たのに、千代町の「パピヨン」に着いたのは六時過ぎ。本当なら六時前には着いているはずである。 ラクーンドッグさんとは本屋で合流、そのあと「パピオ」の練習場に向かう。 練習場自体は10時半まで予約を入れていたそうだが、私は明日からまた仕事なので、そこまで付き合っていたら体力を消耗してしまう。ただでさえ病み上がりなので、最初の基礎練習と「フルーツバスケット」まで付き合わせてもらった。 キソレンったって、もう何年もまともに体を動かしていないので、腹筋も背筋も腕立て伏せもどれ一つとして満足にいかない。まるで体が曲がらず、すぐにへたばる。細川嬢もしげも、体が動かないようなことを口にするが、中年の私に比べれば段違いによく動いている。 「フルバ」は(と略すとマンガのタイトルみたいだが)、満遍なくみんながお立ち台に(笑)。ラクーンドッグさんが、「宮崎駿の映画を見たことない人」とお題を出すが、誰も立たない。そりゃ、たいていの人が見てるだろう……と思うのだが、ドッグさんは『魔女の宅急便』も『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』、全てご覧になっていないとか。『ロード・オブ・ザ・リング』も『ハリー・ポッター』も一本も見たことがないそうで、これはこれですごいと言う気がする。でもこれじゃいつまでもオニから逃れられないのも当然である。 私が立ったときに、「SMに興味がない人」と言ったら、ドッグさんしか立たなかった。女性陣はみんな興味があるのか。ドッグさんが細川嬢に「どこまでもですか!?」と言ったら、細川嬢、「あります!」と即答。恐るべし! 本当は「フルーツバスケット」の後、読み合わせもある予定だったのだがそれはパスさせていただいて帰宅。 途中、ラーメン屋に寄って、ホルモン丼を食う。焼肉屋で食べるホルモンはたいてい生焼けか焼き過ぎかで美味くないのだが、店で出されるホルモンはどうしてちょうどよい焼き加減になっているのか、これが不思議で仕方がない。
CS日本映画専門チャンネルで西河克己監督『絶唱』(1966・日活)。 大江賢次の同名小説(河出文庫で現在でも入手可能)の、舟木一夫・和泉雅子主演による二度目の映画化。久しぶりに見返したけど、 最初の映画化は1958年、同じ日活の滝沢英輔監督作、小林旭・浅丘ルリ子主演。三度目は1975年、この二回目と同じ西河克己監督によるモモトモ(山口百恵・三浦友和)映画。 完成度という点では、三度目のものが一番だったように思うが、この二度目の映画化はオープニングで舟木一夫の主題歌が哀切込めて(つか陰気に)流れるところがポイントで、「な〜ぜ、死〜んだ〜♪ あ〜あ〜あ、小〜ゆ〜き〜♪」と、おいおい、最初からネタばらししていいのかよって苦笑してしまい、本編でも、他の二本での情熱的な小林・三浦に比べて、舟木一夫ときたら、徹頭徹尾、腺病質な演技で観客の感涙を絞るものだから、「何じゃこりゃ?」という印象だけは強いのである。 「なぜ死者との婚礼が行われたのか?」というミステリー的な興味で引くには、途中の大地主の息子と山番の娘との身分違いの恋の過程が案外スムーズに展開してしまうので、かなりダレる。クライマックスは婚礼そのものではなく、病床の小雪のもとに帰ってくる順吉が間に合うか否か、そこにかかっているが、西河監督はこのあたりを舟木・和泉版と、モモトモ版とではシチュエーションを微妙に変えている。そのあたりが見所と言えようか。 劇中で「木挽き唄」を歌うシーンがあるので、この原作は「歌手兼俳優」の若手コンビを売り出すのに重宝されていたことが分かる。歴代のコンビの中で、本作の和泉雅子だけが異質に見えるが(つか、冒険女優が何で結核で倒れる薄幸の美少女なんかやってるんだってな感じ)、それは現在の和泉雅子を見ているからそう思えるので、当時は彼女も「アイドルスター」だったのである。いや、私もギリギリその時代を知ってるからねえ。ちょっとヒイキしちゃいたくはなるのよ。少女時代の梶芽衣子が、「太田雅子」名で、恋のライバルを演じているのも要チェック。
マンガ、井浦秀夫『弁護士のくず(九頭)』2巻(小学館)。 主演・ビートたけし(笑)の弁護士マンガ、オフィス・キタノから訴えられるような様子もなく、ちゃんと続いています。主人公の九頭元人が髪を金髪にしたらさすがにクレームが来るかもしれませんが。 弁護士ものは小説にしろマンガにしろ、どうしたって「庶民の見方」的な視点でしか描かれないが、どれもこれもが『家栽の人』になっちまったらそれはそれで面白くない。ミステリーとしての興味がどんどん薄れていくからである。 依頼人を解雇した会社の上司を、恋人を若い女に取られた中年女を、父親の愛人に遺産を取られまいと遺言書を隠した家族を、夫に依存しているくせに気位だけは高くて離婚訴訟を起こした女を、九頭は口先三寸で罠にかけ、本音を引き出し“丸く(なったのかどうか)”収める。丸く治めるためには嘘八百を並べても構わない。 「金をふんだくってやりましょう」 「判決が出る前にカタをつける」 「お前はバカなんだよ! ちゃんと自覚しろ!」 「うまく騙されて気持ちよく協力してくれる人がいてさ」 「こいつバカみたいにヒトがいいから何やっても怒らねーよ」 およそマトモな弁護士の言だとは思えないが、これでも大人しいのを選んでいるのである。被告をあるいは原告である依頼人にすら、「罠」を仕掛けるような行為を、果たして弁護士がホントにやっていいのかどうか、読んでていつも気になるのだが、一応、監修に弁護士さんが付いているので、ある程度は(こっそりとは)行われていそうである。 その「罠」の部分がミステリーなんですね。いくつかの作品には「どんでん返し」も用意されていて、だからあまり細かいネタばらしはできないのだけれど、絵柄で食わず嫌いをされる向きもあるかもしれないが、これはなかなか拾い物のシリーズである。
2004年05月09日(日) クレーマーの話、続き。 2003年05月09日(金) すっ飛ばし日記/すれ違いな二人 2002年05月09日(木) 明日は誰の夢を見るかしら(^o^)/『スーパーまるでん』3巻(森下裕美)ほか 2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)
| 2005年05月08日(日) |
「ひっ(ざ)びきー、呼ーび♪」/映画『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』 |
昨日が休日出勤だったので、今日からが連休。一応、ゴールデンウィーク最後の連休と言うことなのだろうが、こう飛び飛びに出勤してるんじゃ、あまり「大型」という感覚は生じない。三日休むと体がなまるが(今、寝床が狭いので、節々もやたら痛む)、一日出勤しただけでは元には戻らず、かえって調子を崩す気がする。連休はやはり二日程度で、出かけるのは一日、あとの一日は寝て暮らすくらいがちょうどいい。
さて、今日の『仮面ライダー響鬼』は、十五之巻「鈍る雷」。 コトバ的にはヘンなサブタイトルだが、これはストーリーをうまく象徴していてイイ。雷撃とともに変身する斬鬼。けれど彼の体はもう…… 今回は明日夢君(栩原楽人)もヒビキ師匠(細川茂樹)も出演シーンが少ない。冒頭で、明日夢君が盲腸手術の跡(毛はやっぱり剃ってるようである)を見ようとしたちょうどその瞬間に、ひとみ(森絵梨佳)から電話がかかってきて、びっくりしてパンツのゴムを傷口に思い切り当ててしまうというベタなギャグがあるくらい。いや、ベタでもかわいいからいいやな。お母さん(水木薫)がなんか勘違いしちゃう描写は、朝の番組なのにいいのかな(笑)。 こっちが年取っちゃったせいもあるんだろうなあ、昔だったら明日夢みたいな優柔不断なキャラは見るだにハラ立ててたと思うんだが、どんなに情けなくても、「くじけるな! お前、ヒビキの跡を継ぐんだろ!」と応援したくなってしまう。まさしく「少年よ旅立つのなら 晴れた日に胸をはって Hit the beat! keep your beat! 心が震える場所 探して Hit the beat! keep your beat! 誰にも出来ないこと 見つけ出せ」ってな心境なのである(この「your」の部分は、「ユア」ではなく、思いっきり「ヨー」と発音するのがGood。「ひっ(ざ)びきー、呼ーび」と聞こえるように歌うのだね)。けど、この展開でもしも明日夢が跡を継がないようなことにでもなったら、詐欺みたいなもんだよな。 今回のメインストーリーは、「斬鬼(松田賢二)→戸田山(川口真五)」の師弟相伝の話。ここで「鬼」がどのように次代に継承されていくのか、具体的に描写するエピソードを入れておくことで、「響鬼→明日夢」ラインの伏線としておく、という構成なのだろう。戸田山にはまだ音撃戦士としての名前が付いていないようだが、次回のサブタイトルを見ると、「轟鬼(トドロキ)」になるみたいだ。「頷鬼(ウナズキ)」じゃなくて良かった。 引退を口にするザンキに対して、戸田山はいかにもイマドキの若者ふうに「ムリっスよお! ムリムリ!」と狼狽しているのが可笑しい。「いや、鬼になりたくないってわけじゃなくて……」と言い訳する様子が(弟子になってるんだから、当たり前である)、見ようによっては明日夢君より幼く見えるのである。日菜佳(神戸みゆき)はどうしてこんなのに惚れるかな(←嫉妬入り)。電話で戸田山相手に激ラブに猛アタックしてたのが、相手がザンキに変わった途端に「あ゛」と、一気にトーンダウンする小さなギャグがまたかわいい。……なんかオレ、『響鬼』の面白さを小出しのギャグで判定しているなあ(苦笑)。関係ないけど、「ヤマアラシ」って妖怪の名前じゃないだろう(しかし、ホントにあれだけデッカイ魔化魍が暴れてて、この世界の人間たちはその存在に気づいてないのだろうか?)。 いや、ちゃんとアクションシーンとかも実によく「魅せ」てくれてると思いますよ。ラスト、童子と姫に包囲されつつも悠々と(ホントは余裕あるわけじゃないのに)変身する斬鬼と戸田山のカットなんか、その構図と言い、間と言い、シビれましたもの。響鬼がちょっとくらい情けなくても、ワキが固めてくれているぞ! 斬鬼はギター振り回してまるでジミヘンみたいな戦いっぷりでしたが、戸田山はどんな戦い方を見せてくれるんでしょうか? そして、未だにバイクに乗れない(乗れるこた乗れるのだがヘタ)らしいヒビキの運命やいかに! ……このネタ、まさか最終回まで引っ張るつもりじゃないだろうな(笑)。
「母の日」ということで、CS放送は「母の日映画」を放映しているところが多い。 「時代劇専門チャンネル」でも、山本周五郎の『かあちゃん』のテレビドラマ版を放送。映画版はついこの間、2001年に市川崑監督、岸恵子主演のものがあったが、これは1987年『傑作時代劇』シリーズ枠での放送で、主役の「お勝=母ちゃん」を市原悦子が演じている。実は、1973年『ぶらり信兵衛道場破り』の一エピソードでも市原悦子は同役を演じており、「“母ちゃん”女優」ということになる。 何度となく映像化されている作品なので、ストーリーをご存知の方も多かろうが、五人の子供を育てているケチなお勝には実は秘密があって……、という軽い推理小説風味のある人情時代劇。推理作家としても『寝ぼけ署長』ほかの傑作の多い山本周五郎ならではの、小味の利いた短編小説。 ドラマ自体は、あまり大きな起伏はなく、淡々とした描写が続くのだが、最後の最後で三郎(松田洋治)の語る「真相」が「なるほど」と膝を打つ感じで「粋」なのである。すべからく、ミステリーのラストは「粋」でなくてならない。O・ヘンリーか、スタンリィ・エリン、ヘンリィ・スレッサーあたりの味を日本人で体得していたのが山本周五郎であったと言える好短編である。 このネタは山本周五郎もよっぽど気に入っていたと見えて、複数の小説でも「使い回し」している。影響を受けた小説や映画も数知れずであるので(その中には既に推理風味すらなくなってしまっているものも少なくない)、ご覧になった方の中には「なんだ、このネタか」と拍子抜けされる方もいらっしゃるかとは思うが、ありふれたネタだからこそ、役者の技量が試される部分もある。「母ちゃん」の市原悦子はまさに適役だが、「母ちゃん」の家に泥棒に入って改心させられる勇吉役の堤大二郎も根の実直さをよく表している。その勇吉に惚れるおさん役を、牧口昌代がこれまた元気に好演。どっかで見たことある人だなあと思ったら、元アイドル歌手でした。今はどうしているのやら。長屋の差配役で殿山泰司が出ているのがチェックポイントか。 45分という短めの時間枠が、アイデア一本で成立するこういう作品にはちょうど合っていると思う。
劇団のホームページの方に、グータロウ君、鴉丸嬢と、メンバーの日記が新たに参加。 グータロウ君の日記はまあ何というか、親子の情愛が行間からにじみ出てくるようなほのぼの日記だし、鴉丸嬢はもう、日ごろの口の悪さはどこに行ってるんだってくらいのかわいらしい日記で(「大人画廊」のイラストはまあ、アレですが)、どちらも私には逆立ちしたって書けやしないものである。 なんか活動休止してからがかえって日記コンテンツが充実して来た感じで、こうなるとラスト・サムライ其ノ他君にも登板していただきたいところであるが、本気で体力使い果たしてるからなあ。討ち死にしないで頂きたいと願うほうが先なのである。
定期的に訪れるしげの情緒不安定。 きっかけが特にあるわけでもなく、「いきなり寂しくなる」のだから、躁鬱病じゃないかという気もしてくる。何か具体的な治療法があるのなら何とかしたいところだが、それがないから困り果てているのである。もうね、この十年以上ね、ずっと言い続けてるんだけどね、私の心がしげから離れたことがあったかって言うんだ。私ゃ職場でも「どうしてそんなに奥さんの話ばかりするんですか」と言われるくらい女房の話をしているぞ。ヒューズ中佐もかくやってくらいだ。それが理屈では分かるけど感覚では分からないというから、しげの感覚の方が狂ってると断定できるのである。 「じゃあ、どうすれば『心が離れてない』って納得できるんだよ」 「あのね、あんたが寝ててもね、オレがじっと見つめたら、パチって目を開けて見つめ返してくれると」 「オレはエスパーじゃねえええええ!」 しげの要求度はこういうレベルである。人間の力でしげの心の隙間を埋めることは不可能であるということがご理解頂けようか。 だから自分の心の病気は自分で治せ。
夜、「AMCキャナルシティ13」で映画『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』。 いやね、オープニングには思い切り期待させられましたよ。いきなり始まったかわいらしく昔懐かしい『小さな妖精』の人形アニメーション。あれ? アタマに別の短編がくっついてるのかな? と思わせといて、突然、画面がびりびりと裂けて、「これは、こんな楽しいお話ではありません」と来る。どんなに「不幸せ」な物語が展開されるのだろう、とワクワクしたのだが、続くナレーションのジュード・ロウ、これが語りにまるで軽快なところ、ブラックな味わいがなくって、一気にトーンダウンしてしまう。こういう詐欺師的な語り手を演じるのなら、それらしい雰囲気を出してもらいたいものだ。吹替版の松本保典はどんな調子だったのかな? 本編の物語がまた、面白くなりそうでそうならない不完全燃焼。ヴァイオレット(エミリー・ブラウニング)、クラウス(リアム・エイケン。『ロード・トゥ・パーディション』の“あの子”だ!)、サニー(カラ&シェルビー・ホフマン)のボードレール家の三人姉弟を襲う不幸の数々が、どうにも観客の身に迫ってこないのだ。 三姉弟の両親は家屋敷ともども焼け死に、引き取られた先のオラフ伯爵(ジム・キャリー)はボードレール家の財産を狙って、あの手この手で師弟たちを抹殺しようとする。慌てた弁護士ポー(ティモシー・スポール)に他家に預けられるけれども、彼らもまた次々に謎の死を遂げて……っても犯人はオラフ伯爵だってバレバレなのだが、そこはもうこういうナンセンス・ブラック・ユーモア・ミステリーの定番なので、それをどううまく見せるかが脚本家と演出家と役者の腕の見せどころだろう。ところがこれが、残念なことに今ひとつ、いや、今三つくらいにへにょへにょと冴えないのである。 まあそれはもともとの原作が基本アイデアはいいものの、今一歩のところで「詰めが甘い」点にも原因はあるのだが、次々と子供たちを危険な目に合わせるのはいいのだが、それを切り抜けるアイデアがあるときは荒唐無稽、あるときは無理がある、あるときは偶然に頼りすぎると欠点が目に付き、なかなかカタルシスを得られないのである。かてて加えて、ジム・キャリーの過剰な演技が、面白さよりも一人よがりを感じさせてうまくない。 『キネ旬』で立川志らく師匠が「不幸な映画なら木下恵介の『日本の悲劇』の方がよっぽど不幸だぞ」と書いていたが、もちろんこの『不幸せな物語』は本気で不幸を描こうとしたわけではない。不幸を様々なアイデアで乗り越える子供たちの機知の面白さをこそ楽しみたい映画である。しかしそのためは子供たちに降りかかる不幸は本気で恐ろしいほどの不幸でなければならないのに、そこからして「甘い」ことに対して志らく師匠は皮肉を投げかけているのである。 それにしても、こないだの『ステップフォード・ワイフ』のグレン・クローズもそうだったけれど、メリル・ストリープやキャスリン・オハラといった名女優たち、コメディとなるとどうして押さえが利かなくなって臭くなるのかなあ。コメディアンにシリアス演技は出来るけれども、その逆はムリって風評、ホントだってことになっちゃうよ?(もっともキャスリン・オハラはコメディアン出身だから、コツを忘れたものか) 演技者で一番よかったのが、“殆ど何もしていない”カメオ出演(しかもノン・クレジット!)のダスティン・ホフマンってのはどういうわけかね(ジム・キャリーの演技を見ながら、一言「最悪」と言うだけ。まことにその通り!)。 まあ、主人公の三人師弟がかわいかったのと(『ハリー・ポッター』三人組ほどの魅力には欠けるのが痛いが)、オープニングの人形アニメーションとエンディングの切り絵アニメーション(影絵って書いてる批評がネットにあったけど、影絵と切り絵は違うよ)が素晴らしかったので、一応は及第点の出来とは言えようか。全編をラストの切り絵アニメーションで作っていたら、こりゃもう、とんでもない大傑作になっていたことは確実である。まあ、アニメだけならもう100点満点で、これだけのためにDVDを買ってもいいくらいである。アニメファンなら必見。
2004年05月08日(土) またまたクレーマーの話。 2003年05月08日(木) ある終焉�� 2002年05月08日(水) ピンクの象は出て来ません/『ホーリーブラウニー』1巻(六道神士)ほか 2001年05月08日(火) 38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎)
| 2005年05月07日(土) |
批判は言葉で言え/『WāqWāq(ワークワーク)』3巻(藤崎竜) |
俳優の小林勝彦氏が、6日、肝細胞がんで死去。享年68。 脇役一筋という方だったので、出演したドラマ、映画、アニメなどは無数にあるが、それ故にどれを代表作と呼んでいいかは分からないくらいである。名前を聞いて「誰だっけ?」と首をひねられる方も、顔写真を見れば、「ああ、この人」とすぐに思い出せるくらい、一般の人にも身近な役者さんで、時代劇、現代劇を問わず、善人から悪人まで、チンピラから殿様、軽い役から重厚な役まで、何でもこなされていた。 近年は声優としての活動の方が目立っていたように思う。『スター・ウォーズ』シリーズの銀河皇帝パルパティーンは故・千葉耕市氏がアテていたのを小林さんが引き継いでおられたが、これでまた新しい皇帝探しをしなければならなくなった。こういった声優交代が一番悲しい。 特撮ファンには『快傑ズバット』23話の「紅フォックス」役の人と言ったほうが顔が思い浮かぶだろうか? こういう方こそが映画、ドラマの根底を支えていらっしゃるわけで、68歳での死去というのはなんとしても若すぎる。 最近はマンガ家の雑賀陽平さんのケースと言い、沈鬱な気持ちになるような逝去のニュースが多くて、日記に書くのは避けてたんだけれども、地道に活動されていた方が亡くなっても、日記等で取り上げられるケースが少ないので、書かでものことを記した。やっぱり、若い人にはもっともっと本や映画を見てほしいのである。
これもまた、悲しいニュース。 『名探偵コナン』の作者、青山剛昌さんの出身地の鳥取県大栄町にある「コナン大橋」(知らない人もいるでしようが、そういうのがあるんですよ)に設置されている「江戸川コナン」のブロンズ像が、4月30日から5月1日にかけて破損されるという被害にあっていたとか。 「コナン大橋」には、西北に虫眼鏡を持った像が、東北にも立像が建てられていたのだが、前者は右腕が接合部分からもぎ取られて橋の欄干に捨てられており、後者の立像はトレードマークの眼鏡が切り取られていた。しかも被害は今回が初めてではなく、これまでに六回も壊されているとか。修理総額は約二百十万円。今回の被害は更に百万円を超える可能性もあるということである。このような悪質ないたずらが続けば、立像の設置自体を考え直さなければならなくなるのではないか。 モノはブロンズ像である。ちょっと叩いて壊れるとか、そういうものではないから、犯人は「コナン」に対してかなり悪意を抱いていると考えられる。私も日記等で「コナン批判」をやらかしているから、容疑者の一人になるかもしれないが(しまった! 身内としか会ってないからアリバイがない!)、もし犯人が本当に「コナン嫌い」だったとしても、こういう形での復讐には憤りを覚える。 確かに私は『コナン』というマンガを読むたびに腹を立てている。トリックがチャチだとか、そういうレベルではない。作者の青山剛昌はミステリーを愛しているフリをしていながら、その実、バカにしている。既成作品のトリックを、作品名を含めてバラして平然としているのが何よりの証拠だ。最低限のマナーすら心得ない人間を、どうして評価できるだろうか?(こないだ見たアニメの再放送では、コナン・ドイルのある有名な作品のトリックをバラした上、コナンに「こんなチャチな事件なんか、扱いたくない」とか言わせていた。アニメスタッフもどれだけ思い上がっているかがよく分かる) しかし、だからと言ってブロンズ像を破壊する正当な理由になどならないことは当然のことだ。そんなことをして何になる? 青山剛昌が改心してマトモなミステリーを書く気になるとでもいうのか? ならんぞ、絶対。何の効果もないのに、こんな阿呆な復讐を企てるのは、何か事件が起きたとき、犯人の親族の家にまでイタズラ電話をかけるような下劣なヤカラと同じ行為、いや、反日デモのついでに、鬱憤晴らしに破壊活動を行った中国人と同様の、知能レベルが著しく低い狂気の沙汰である。 「青山剛昌いけすかねえ」と思うのなら、作品批判を論文にして、どこぞのマンガ情報誌やアニメ・映画雑誌に投稿するとか、自分でホームページ立ち上げて好き勝手書きゃいいのである。こういう「暴力」に訴えるというのは、最低の手段だ。こういうことをされると、「コナン嫌い」がみんな犯人のような白痴じゃないかと疑う馬鹿だって出てきて、真面目に批判しようとする人間も一緒くたにされかねない。逆にマトモな「コナン批判」がしにくくなってしまうのだ。 「言論(小説やマンガ、映画などの作品も含む)でなされたことに対しては、言論で返せ」これが社会の、と言うよりは「人間のルール」というものである。警察、とっとと犯人捕まえて縛り首にしてしまえ(注・法的には器物破損で縛り首にはできません)。 ……何だか興奮した文章になってしまいましたが、これ、ホントに私が犯人で、そのことを迷彩しようとしてこんなこと書いてるように見えなくもないですね。でも、全然違いますから、警察の人、私んとこに調査に来たりしないようにお願いします。
旧聞に属するニュースらしいが、角川書店から、今年末、「石ノ森章太郎萬画大全集」全500巻が刊行されるとのニュース。えーっと、『藤子不二雄ランド』が全301巻で、『手塚治虫漫画全集』が全400巻。これを軽く陵駕しちゃうわけで、当然、個人のマンガ全集としては世界最大級であるということである。 石ノ森章太郎の「選集」は、詳細な資料を兵録した石ノ森章太郎自選集『Shotaro World』全90巻が、メディアファクトリーから刊行されているが、これはあまり売れ行きがよくなかったらしい。角川書店、またでかい風呂敷広げやがったものだが、勝算はあるんだろうか? 手塚治虫も藤子不二雄も、初期作品は後期の作品と絵柄も違うし構成も稚拙と判断して、未収録のままにした作品が多かったのだが、いかに多作の石ノ森作品とは言え、500巻となれば、そういった初期作品まで博捜しなければ揃うものではないだろう。デビュー作の『二級天使』とか、正直、現代人の目で見て面白いとはとても言えないと思うのだが、そんなのを今の若い子に、どうやって買わせるつもりなのだろうか?(こないだ出た完全版、私は買っちゃったが)。 更に気になるのは、このラインナップに他作家との合作や、「石ノ森章太郎名義だが石ノ森章太郎が描いていない」作品も含まれてしまうのか、ということである。前者は赤塚不二夫との共同ペンネーム「いずみあすか」名義で描かれた作品や、鈴木伸一のペンネーム、風田朗名義で描かれたスタジオ・ゼロの合作マンガ『レインボー戦隊』、あるいはメインキャラ以外の殆どの作画を石ノ森氏が担当した『オバケのQ太郎』などがある。合作だけに、このあたりは権利的に収録がかなり難しいんじゃないだろうか。 そして、収録されても困るのが、「名義貸し」作品である。「監修」と銘打ってる『シャーロック・ホームズ』シリーズとかはさすがに含まれないだろうが、厄介なのは『マンガ日本の歴史』とかだ。初期は確かにご本人が描かれていたが、体調を崩した途中からはシュガー佐藤に全面委任してしまっている。『家畜人ヤプー』と言い、『北斎』と言い、『ホテル』と言い、石ノ森御大の跡をシュガー氏ほかが継いだ作品は多い。これらを「石ノ森作品」として認めてしまってよいものかどうか? いや、それを言い出せば、代表作と言っていい『人造人間キカイダー』だって、レイアウトは確かに石ノ森氏だが、作画は山田ゴロ氏ほかに描かせたもので、自筆で描いたのは最後の2ページだけなのである。一応、これはメディアファクトリー版でも「石ノ森作品」と認知されて収録されているから今回もそうなるとは思う(つか、これはカットしたらファンが激怒するだろう)が、手塚作品以上に石ノ森作品には「あいまい」なものが多い。しかも、御大の作品と比べると、そういった「名義貸し」作品は、一部を除いて駄作があまりに多すぎるのである。ラインナップによってはまるで売れないものも出てくるのではなかろうか。 角川は、大映を吸収合併して以降、映画『男たちの大和』製作やら、やたら花火をぶち上げてるが、全部本当に成功の見込みがあるんだろうか。「SNOOPY BOOKS 55周年記念復刻全86巻」とかもあったなあ。いや、大半を友人から貰った鶴書房版で持ってるんで、いらないんだけど。
今日も腹の具合は最悪だったのだが、何とか便所に入ったり出たりしながら、一日勤務。便所で腹を撫でながら、しげにメールを送る。以下はそのやり取り。
私「着いた途端に下痢ビチ〜。朝礼にも出られない〜」 私「トイレットペーパーがねええええええ!」(ホントになかったのである。掃除のおばさん、継ぎ足しとけよな。幸いティッシュペーパーを持っていたから助かったが) しげ「知らんっ。頑張れえええええ」(どう頑張ればいいのだ) 私「ベルトが切れたああああああ!」(締めようとした途端に、ホントに根元から切れたのである。もう一度はめ直して何とかしたが) しげ「ふぁいとおおお」(もう投げやりである) 私「弁当、量多すぎ。食ったけど。ゲップ。」(ホントに丼飯二杯分はあった) 私「また下痢りん。ぷう。」(食えば出るのは当然である。でもせっかく作ってもらった弁当、残せないんだよう) 私「し、尻の穴がイタヒ……」(下痢便が乾くと痛いのだ) 私「きついよう。あへあへ言ってるよう。でも仕事してるよう。ふにいいいいい」
途中からしげは返事しなくなった。愛想がないと言うか馬鹿なメールばかり送るんで呆れたのだろうが、こんなアホなことでも書いてなければ、ハラの苦しみをごまかせなかったのである。しげから貰った正露丸、なかなか利かなかったし。 とりあえず、帰宅するまで、しかぶらずにすみました。ホッ。
夜、『欽ちゃんの仮装大賞』を見ながら就寝。腹の具合、少しは収まってきた模様。
マンガ、藤崎竜『WāqWāq(ワークワーク)』3巻(集英社)。 雑誌連載のほうはどうやら無事完結したようで、まずはめでたい。ファンの間では「打ち切りだあ!」と嘆く声もあるようたが、それはどうだろうか? この3巻で「ワークワーク」世界の殆ど全ての謎が解明されているし、護神像を奪い合う戦いも一区切りしている。もちろん人気があればもっと「引き伸ばし」をさせられたかもしれないが、脇道に入りこんで、何やってんだか分からなくなるのは長期連載作品を見ていれば分かることである。10週打ちきりとはわけが違うし、まあまとまりのある終わり方をしてくれたんじゃないかなあ。 いやね、「人間によって作り出された機械の反乱」って、またぞろ『青騎士』かよ(いやもう、『R.U.R』や『メトロポリス』以来って言ってもいいんだけどね)と、ちょっと引きはするのだけれど、もうこれはロボットものの基本パターンだから、文句言っても仕方がない。それよりも、もはやどう転んでも陳腐な結末しかもたらさないその戦いそのものを描くのではなく、「人間(赤き血の神)」が滅亡した後の世界、残された「人形(黒い血の人間)」と「機械(人間が人形を殲滅するために作った機械生命体)」の新たな争いを描くことをベースにして、そこに更にカタルシスとなる「防人と護神像どうしの争い」という別の要素を導入したところに工夫はあったと思う。まあ、“もっと面白くできる”要素は充分にありはしたのだ。 キャラクターの描写不足、強引なストーリー展開は『封神演義』の時以来の藤崎竜の欠点で、それが世界観の広がりや作品の勢いに繋がらなかった分、ちょっと小ぢんまりとしちゃったな、という印象は確かにある。けれどそれは単に技術的な問題に過ぎないし、デザイン力、構成力ともにこれから伸びておかしくない人だとは思うので(デビューして何年だお前、って問題はあるのだが)、ファンがあまり打ち切りだ打ちきりだと騒ぐと、かえって作品の評価自体、下落させることにもなりかねない。ここはファンの方々もオトナになられて、「想定の範囲内」と理解した方が、次回作に期待もできるというものではないだろうか。
マンガ、岡野剛『未確認少年ゲドー』5巻(完結/集英社)。 岡野剛作品は『ぬ〜ベ〜』のころから、絵柄に対する興味だけでしか買ってないのだが、おかげでしげからも「何でこんなの買うん」と言われてしまう始末。確かに小学生向けだと言うことを割り引いて考えても、この話で10週打ちきりにもならず、5巻まで続いたってのは、それこそ立派なんじゃないか。いや、これは皮肉。なんで「未確認生物を救う」話が最後はやっぱりバトルで終わるかね。 「未確認生物」ってアイデアは悪かないんだが、ちょっとおふざけに過ぎたのが、テコ入れしなきゃならなくなった原因じゃないかって気がしてならない。そりゃ、『ぬ〜ベ〜』のときも出てくる妖怪、全部おふざけで見てて痛くてかなわなかったが、それ何の間違いやら、受けてしまった。それがそもそもの不幸で、まぐれで一回成功したからって、自作の焼き直しをここまで堂々と臆面もなくやらかしちゃ、「ほかに描けるものないのか」という批判を受けたって仕方がないと思う。 岡野さんがジャンプでお呼びがかかる可能性はかなり低くなったと思うけれども、 この人の場合、原作を付けてあげたほうがよかないか。どうも描きたいものがハッキリしてないように思えて仕方がないのである。
2004年05月07日(金) このへんで三馬鹿事件もおしまい。 2003年05月07日(水) ある終焉�� 2002年05月07日(火) この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」 2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか
| 2005年05月06日(金) |
色気なしの夫婦メール/『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』1巻(西 義之) |
経営不振から、リゾート運営会社の加森観光に営業権を譲渡することになっている「スペースワールド」であるが、このゴールデンウィーク中の入場者は15万人を越える勢いで、昨年を大幅に上回ることが確実なのだそうな。 「もうすぐなくなるかも」ということで入場者が増えたのかな? それなら日ごろからもっと地元の連中が行ってやってたらどうなんだと思うが、何だか北九州って、デパートと言い、テーマパークと言い、地元民が非協力的だよな。リバーウォークは大丈夫か? 快速も急行も停まらない駅にテーマパーク作ってるってのもどうかと思うんだが、それでもスペースワールドの場合も定期的な設備投資はしてたし、ハウステンボスよりは大丈夫だろうと思っていたのである。実際、九州の見られるテーマパークといったら、スペースワールドと三井グリーンランドが双璧だったんだから。それがここ数年は新しいアトラクションも増やせない状況になっていたということで、不況の嵐の凄まじさを思わざるを得ないのだが、さて、加森観光はこれから先、いったいどういう手を打ってくるか。 加森観光は、これまでリゾート再生に失敗したことがない。北海道のクマ牧場、北海道内のスキー場開発、岩手県の安比スキー場、盛岡グランドホテル、大分・別府温泉の杉乃井ホテルと、全て再生させてきた。しかし、再生規模から言えばスペースワールドが最大級と言えるので、今回がその手腕を本当に試される機会だと言える。 北九州市民には悪いけれど、ハッキリ言って、もう福岡県近辺だけに集客を求めるのは無理だと思う。本州から、あるいは海外から大枚はたいて来ても満足したと思えるだけの何かを提供できるんじゃないと、立ち行かないんじゃなかろうか。ディズニーランドみたいなブランド感がないのが弱いんだけど、そこを強化できれば道が開けないでもないと思うんだけどね。「宇宙ポテト」とか売ってたって、それだけじゃねえ。
しげが自分の日記をブログに切り替えた。 実は私はまだブログというものがよく分かっていないのだが、要するにhtmlトカ知らんでも、楽にホームページ的なものが作れるってことらしい。 日記の文章は相変わらず説明不足で分かりにくいのだが、まあ読みやすくはなっている。しょっちゅうあっちこっちと流浪しているしげの日記であるが、今度はそれなりに続きそうな気配なので、ごヒイキにしていただけるとありがたいのである。 笑ったのはしげ自身の自己紹介。
〉しげ。 〉ダメ主婦 〉ヒキコモリ 〉トリ頭
〉そんな私がしげさんです。
自覚してるんなら改善しろってばよ。 http://blog.livedoor.jp/aykroyd/
連休明け早々、体調を崩す。ともかく下痢が止まらねえ。血便にはなっていなかったので、腸とかに穴が空いてたわけではないなと、仕事には出かけたのだが、力むとミが出そうでかなりヤバイ状況。おもらししそうだから早退するというのも情けない話だが、アンタ、シジュウ過ぎた中年が職場でそうそうソソウができますかって。 ある程度仕事を片付けたら、残りは同僚に任せて、少し早めに帰ることにする。「ちょっと“しかぶり”そうなんで」と言ったら笑われた。二十代の同僚なのだが、まだ「しかぶる」は通じるようである。「まりかぶる」はさすがに無理かもしれないが。 しげにメールを入れて、車で来てもらうことにする。以下はメールのやり取り。 私「具合悪い。下痢が激しい。2時間くらい早く帰りたいけど、迎えに来れる?(T_T)」 し「何時に?」 私「3時15分。いい?」 し「ん〜。」 私「着いたら教えて。それまで死んでる。」「もう家を出た?」 し「出た。まうちょっと」 私「ちょっと死んでる」 し「着いた。」 私「どこ? 見えないよ」 し「下↓。」
甘い夫婦の会話を期待する向きもあるかもしれないが、我々のメールでのやり取りはこんなものである。それでも私は状況が分かるように説明しようとするのだが、しげの返事はたいてい「ん〜」か「ん」だけなので、イエスかノーかすら分かりにくい。 でも、そこんとこを問い合わせてみても、返って来る言葉がまた「んー」や「ん」だったりするので、やっぱりわけが分からないのである。いや、ちゃんと迎えに来てくれたからいいんですけれどもね。 私に対してだけではなく、こういう「しげ語」を誰彼なしに使う癖があるので、しげと会話する人はその時々で注意してください。トリ頭なんですぐ忘れるとは思いますが(徒労を慫慂するのも申し訳ないことですが)。
食事はガストで豆腐ハンバーグのランチ。こういうのかうどんくらいしか今は食えない。 ともかく喉が渇いていたので、ドリンクバーでがぶ飲み。積文館でマンガを何冊か買って、帰宅して横寝する。それでも居間とトイレの往復はやまない。 「パンツにシミが付いたかも」 「いやー! 自分で洗え!」 「そんな体力があれば自分でやるわい!」 全くビロウな話で申し訳ないが、最近私の日記を読み始めた方、私はあっちこっち病気を持ってるんで、時々こういう話が混じります。お食事中にはあまり読まれないほうがよいかと思いますので、そこんとこ、ご注意。
テレビで映画『Shall weダンス?』をやってるのをチラッと見て寝る。やっぱオリジナルの方が圧倒的にいいやな。
マンガ、西 義之『ムヒョとロージーの魔法律相談事務所』1巻(集英社)。 『D.Gray-man』もそうだけど、現在のジャンプマンガでは、気色の悪さが必ずしもマイナス要因として働かないのがよく分かる作品。「キモイ」は今やイケてんのか? 幽霊やら妖怪やらの退治ものは、正直な話、もう食傷気味だ。よっぽど工夫がないことにはなかなか食指が動かなくなっている。けれどこのマンガに関しては、まずキャラクターの絵柄に惹かれた。物語自体も、単純と言えば単純だけれども、設定にちょっと工夫があるので、意外に“読める”。幽霊だか悪霊だかの見せ方も、まあいかにも『リング』的(マンガで言えば、山岸凉子か御茶漬海苔的)な構図ではあるのだが、恐怖感は充分に伝わってくる。 闇雲に悪霊を封じるとか成仏させるとかいうのではなくて、「魔法律」という法律があり、それに照らし合わせて「処刑」するというのがまずは面白い設定ではある。ただし、本当に物語が転がって行って、面白くなるかどうかは、この法律の扱い方次第で変わってくるだろう。法律が存在するのなら、そこには「抜け穴」もあるはずで、当然、処刑執行人と悪霊との間に、虚々実々の駆け引きが生じる展開になるのが自然の流れだろう。と言うか、そうしなければせっかくの設定が生かせない。1巻の段階ではどの幽霊もあっさり刑を執行されちゃっているし、ライバルっぽいキャラの暗示がされているけれども、それは設定から考えるに方向性が違うようにも思えるので、ちょっと先行きが不安ではあるのだが、一応は期待してよい程度の出来には仕上がっていると思う。 主人公のムヒョのビジュアルが少年のわりには気色悪いのは、地獄くんとか浦見魔太郎の流れで、ホラーマンガの歴史を考えれば特に珍しいわけでもない。けれど、これまでヒーロー然としたヒーローの多かったジャンプマンガの中では充分個性的だ。カエルみたいな顔っつーか、切れ長の三白眼に、笑うとむき出しになる歯。およそヒーロー向きのキャラではない。『魔少年ビーティー』や『遊戯王』がこれに近い味を出してはいたが、ここまで露骨に気色悪くはなかった。ムヒョ(ネーミングもよい)のようなダーク・ヒーローをきちんと造形してこれなかったのが、ジャンプマンガの「物足りなさ」につながっていたように思う(ジョージ秋山がジャンプで連載を持ってたころは少しはそういう傾向もあったのだが)。 「外見は気持ち悪くても本質はいいやつ」の路線が崩れているわけではないが、少年マンガでそこまで崩す必要もなかろう。読者に気色悪い奴が増えたんで、こういうキャラを受け入れられる素地ができていたという分析も可能だが、そう言うと怒る人もいるかな(笑)。 もっとも、その分、相方のロージーのキャラクターが普通すぎて、物語を転がすのにこういうバカキャラが必要だというのも分かりはするのだが、もうちょっと何とかならなかったのかと心配になる。あと、レギュラーの女の子キャラ、必要なんじゃないかね?
2004年05月06日(木) アメリカの真っ直ぐくん。 2003年05月06日(火) ある終焉�� 2002年05月06日(月) やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか 2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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