無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2003年10月02日(木) |
追加日記1/『サブカルチャー反戦論』(大塚英志) |
昨日の日記に書き忘れてたことだけど、先月メールを送って来てくれた外国のお友達の数、なんと67人。先々月の三倍に増えている。 うーん、何が原因だかは分からんけれど、それだけこの日記の注目度が高くなってるってことなんですかね。スパムメール送りつけられるようなレベルでの人気ですが(^_^;)。でも内容は相変わらず圧倒的に「あなたの○○○○○を○○○○○○○○せんか?」というものばかりなんだな。どうしてはるか海の向こうの人が、見も知らぬ私のナニの心配までしてくれるのか。世の中、親切な人がいっぱい増えてることである。
日本人の見知らぬお友達からも、もちろんメールは来てるけれども、昨日来たのはこんなの。
> ケイコです。ひさしぶりー憶えてる? 最近携帯変えたの。綺麗な写メ撮れたんで送ります。見てみてね。
「写メ」ってなんだ? と迷ったが、これ、「syashin しゃしん」と打とうとして、「syashime しゃしめ」って打ち間違えたのだろうか? ちょっとムリがある気はするが(あとで「写メール」の省略形だと気がついた。ちょっと語感が悪過ぎやしないかなあ。それに「写メを撮る」なんて言い方もヘンだぞ)。 「ケイコ」という名の知り合い自体はこれまでの人生を振り返ってみると(振り返るほどのものではないが)何10人といはする。小学校の担任の先生は三人いたけど、そのうち二人がケイコだった(^o^)。思い返せば「ケイコ」という名前の人間には結構縁があって、私の人生の節目節目になぜか「ケイコ」が現れることが多いのだが、これがたいていロクなことをしてくれないのである(-_-;)。私にゃ「ケイコの呪い」でもかかってるのか。 一番私に縁の深かった「ケイコ」さんはもう鬼籍に入られている。もしそこで写真を撮ってくれてるんだったら、ぜひ見せてほしいとは思うのだが。 今んとこ、馴れ馴れしく「ケイコです」と名前で呼び掛けてくる知り合いに心当たりは全くないので、メールは即刻削除。だいたい私は仲間内で「○○ちゃん」と名前で呼びあってる人に対しても、頑なに名字で呼んでしまう融通の利かないところがあるので、それを知ってりゃ、絶対名字でしかメールは送ってこないはずなのである(おかげで知り合い同士が結婚して名字が同じになってしまうことくらい困ることはない)。 これに引っかかる人間ってのも広い世の中に結構な率でいるんだろうなあ。
NHKBS−2で『イーストウッドの肖像』。 もう誰もが知ってる有名な事実だが、クリント・イーストウッドの出世作『荒野の用心棒(“Per un pugno di dollari”=「ひと握りの金のために」) 』は黒澤明監督の『用心棒』の盗作である(後に東宝に権利金を支払って和解した)。このドキュメンタリー、いかに『荒野〜』が『用心棒』をバクッたかを、二作品の映像を交互に見せることで説明している。なんかこうハッキリと示しちゃうというのもちょっとイヤガラセに見えなくもないな。 この盗作騒ぎを『用心棒』自体がダシェル・ハメットの『血の収穫』の影響を受けてるじゃないか、とトンチンカンな擁護をする向きがあるが、「インスパイアされた」というのと「盗作した」のとは違うのである。『用心棒』は『血の収穫』の換骨奪胎(しかし、黒澤明がハメットを読んでいたかどうかは疑わしい。少なくとも敵対する二者の間で第三者が利すると言うなら、原典は『漁夫の利』にまで遡れよう)であるが、『荒野の用心棒』は明らかに『用心棒』の盗作なんだから、ヘタな擁護はかえって『荒野』の価値を貶めてしまうというものである。だいたい、セルジオ・レオーネ監督もクリント・イーストウッドも、既に盗作を認めてるんだから、四の五の言わなくていいじゃないか。
夜、しげが急に「博多ラーメンが食べたい」と言うので、ちょっと遠方ではあるが千代のラーメン屋まで出かける。 7、8年ほど前にはこのラーメン屋にも足繁く通ってたものだったが、しばらくぶりに来てみると外見は同じであったが、中はすっかり改装されて、従業員の人も全く変わっていた。チケットを先に買うシステムになってたのも大きい。 ラーメンの味自体は昔ほどコッテリしてなくて、ややあっさりぎみの醤油とんこつ。もう一昔前のように、表面に脂の膜が浮いてるようなとんこつラーメンを見かけることは少なくなった。味が向上してきたことはいいことなのだが、こうなると、あの臭くてギトギトしてた昔のとんこつラーメンもちょっと懐かしくなっちゃうから不思議なものである。気分が悪いときに食ったりしたら、マジで吐いてたりしてたんだが。
帰宅して、しげと一緒にDVD『名探偵ポワロ』を見る。 第9巻の『二重の罪』と『安いマンションの事件』の2本。しげからはいつも「一緒にDVD見てても、あんたすぐ寝るからキライ。オレは死体と一緒に映画見る趣味ないよ!」と怒られてるので、がんばって見る。 どちらもミステリとしては定番過ぎるトリックでたいしたことはない。最初の10分でトリックを見破れる程度のものである。けれどこの2本、ポワロのキャラクターの面白さが特に目だって見られるもので、そうした興味で楽しんで見ることができる。 『二重の罪“DOUBLE SIN”』、つまらぬ事件が続いて引退を決意するポワロ、ウィンダーミアまでヘイスティングスを誘って休暇に出かける。しかし、バス旅行の途中で知りあったメアリという女性が取り引きのために持っていた細密画が盗難に合う。ヘイスティングスはメアリに犯人を逮捕すると約束するが、意気消沈しているポワロは事件に興味を示そうとしない……。 ヘイスティングスが自ら事件解決に奔走して失敗を繰り返すあたり、これで一気にヘイスティングスファンが増えたんじゃないかと思えるほどの大活躍ぶりである。デビッド・スーシェのポワロのそっくりさは充分に喧伝されてるけど、ヒュー・フレイザーのヘイスティングスもいかにもなワトソンぶりだと思う。「ようし、わかったぞ!」とポワロを置いてきぼりにして走り出すところなど、テレビの前の視聴者がみんなきっと「おいおいお前きっと勘違いしてるよ」と突っ込んでることだろう。 ピーター・ユスティノフ主演版の『エッジウェア卿殺人事件』のヘイスティングス(ジョナサン・セシル)も味はあったが、ちょっとウッディ・アレンぽくってうらなりすぎである。フレイザーのヘイスは原作より人間味も増して、これ以上の適役はないという雰囲気だ。 ゲンナリしていたポワロが、ジャップ警部の講演会をコッソリ覗いて、てっきり自分の悪口を言いまくっていると思いこんでいたのに、ベタボメされて急に元気を取り戻すのもかわいらしい。いやホントに無邪気な男たちである。 『安いマンションの事件“THE ADVENTURE OF THE CHEAP FLAT”』、オープニングでボワロたちがアメリカ製のギャング映画を見るシーンがあるが、これが何の映画か分らない。主演俳優はジェームズ・キャグニーらしいのだが、キャグニー映画を全部見ているわけじゃないので、どれだかよくわからない。 どっちにしろ、ポワロはギャング映画が大嫌いという設定を説明するためのダシに使われてるので、映画を貸し出した会社もあまりいい気はしなかったんじゃなかろうか(^o^)。
掲示板のスレッドに、話の流れで李白の詩を訳してみたのだが、そのまま流しちゃうのももったいないのでここに記録しておく。正確さはあまり気にしないように。
> 悲歌行 李白
悲来乎 悲来乎 (悲しやな、悲しやな) 主人有酒且莫斟 聴我一曲悲来吟 (ご主人、酒はまだ酌いで下さるな、まずは我が『悲来吟』の一曲を聴かんことを) 悲来不吟還不笑 天下無人知我心 (悲しみに歌わずまた笑うこともなければ、天下に我が心を知る者もない) 君有数斗酒 我有三尺琴 (さあ、君に数斗の酒を酌ごう、私には三尺の琴があるから) 琴鳴酒楽両相得 一杯不啻千鈞金 (我が琴に聞き惚れて酒を楽しめば、ほんの一杯の酒が千鈞の金にも勝るだろう) 悲来乎 悲来乎 (悲しやな、悲しやな) 天雖長 地雖久 (天も永遠か、地も久遠か) 金玉満堂応不守,富貴百年能幾何 (されど金銀宝玉を満たす家は必衰し、百年の富貴を誇る盛者はいくばくもない) 死生一度人皆有 孤猿坐啼墳上月 (死生は誰にも一度きり、ほら、猿が墓の上で月に向かって鳴いている) 且須一尽杯中酒 悲来乎 (さあ、ともかくこの杯を呑み干してくれ、悲しやな) 悲来乎,鳳皇不至河無図 (悲しやな、聖王出現の瑞兆たる鳳凰が現われることも、黄河の竜馬の背に現れた河図が見えることもない) 微子去之箕子奴 漢帝不憶李将軍 楚王放却屈大夫 (微子は去り箕子は奴隷となり、漢の武帝は李広を忘れ、楚の襄王は屈原を放擲した) 悲来乎 悲来乎 (悲しやな、悲しやな) 秦家李斯早追悔 虚名撥向身之外 (秦の李斯は後悔するに敏であったが、その虚名は既に身を滅ぼしていた) 範子何曾愛五湖 功成名遂身自退 (范蠡はなぜ五湖を愛したか、功成り名を遂げ自ら身を引くことができた) 剣是一夫用 書能知姓名 (剣なんて敵一人を斬ることしかできないし、書なんて姓名を書くことができれば充分だ) 恵施不肯干萬乗 卜式未必窮一経 (恵施は魏の恵王に万乗の国を譲られたが断り、卜式は中郎にまで昇りつめたが経の一つも極めてはいなかった) 還須黒頭取方伯 莫謾白首為儒生 (黒髪の艶やかなうちに諸侯の旗頭になりたいが、たいていは白髪頭の儒学者で終わるものよ)
大塚英志『サブカルチャー反戦論』(角川文庫・540円)。 『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』『少女たちの「かわいい」天皇 サブカルチャー天皇論』に続く、サブカルチャーシリーズ第3弾。 全部読んでるということはやっぱり私は大塚さんのファンなのかな。大塚さん嫌いの大月隆寛はハッキリ好きではないんだけど、だからと言って大塚さんの意見に全面的に賛成というわけでもない。正直な話、大塚さんが振り挙げてるのは「蟷螂の斧」だという気はする。大塚さんの分析は鋭いけれども、政治はおろか世論一つ動かすには至るまい、という悲しい事実も感じないではいられないからである。 2年前の9.11に始まる「戦争」は、まあ見事なくらいに全世界にテロと紛争の種をばら撒いてくれた。もちろんそれをやってくれちゃったのはブッシュさんであるわけだけれども、アメリカさんに守ってもらってる以上は戦争反対なんて言えないじゃないのよ、と「現実」主義を唱えてたみなさんは、今の「現実」をどうお考えかな。 大塚さんが喝破したごとく、やや規模が大きいとは言え、アメリカ一国を狙ったただの「テロ」が「戦争」に拡大解釈されていった背景には、アメリカの政治理念がその建国以来、「映画」のような「物語」に依拠してきたという事実がある。つまり、あまりにも単純な「勧善懲悪」的「西部劇」の世界である。 インディアンの虐殺も、広島・長崎の原爆投下も、アメリカにとっては「正義の戦争」だったんである。イラク戦争を肯定することはアメリカさんの「戦争の早期終結のために原爆投下は正当化される」という意見も受け入れるのが筋なんだけど、そこまで考えてモノ言ってる人、そう多くないね。 けど、いくら小林よしのりさんみたく「作法としての反米」を標榜したところで、アメリカべったりの政治を日本が放棄できるわけもない。大塚さんはもっと率直に「この国は憲法前文や『九条』の理念を文字通りに受けとめ、愚直に生きる途がやはり本当はあったはずだ」と述べるが、それを「愚直」と自ら語ってしまうあたりに、現実としてこの国にそれを実行することは到底不可能であったことを露呈してしまっている。 だからやっぱり大塚さんの主張はムダ骨で愚かでしかないんだが、小利口ぶって「現実主義」を口にする連中よりはよっぽど心地よい。「現実を語るほど、人は現実を認識できなくなる」というのは誰の言葉だったか。人間、あまり利口になるのも考えものである。
2002年10月02日(水) もうあのクニについて書くのはやめようかな/ドラマ『迷路荘の惨劇』/『よみきり▽もの』3巻(竹本泉)ほか 2001年10月02日(火) 新番組マラソン開始!/アニメ『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』第1話「異界への旅」ほか 2000年10月02日(月) 出たものは全部食う、は貧乏人の躾か?/『名探偵は密航中』(若竹七海)
| 2003年10月01日(水) |
別れの謂れ/『おそろしくて言えない』1巻(桑田乃梨子) |
10月になった。
西原理恵子さんは「10月には戻ってくる」とご自分のホームページ『鳥頭の城』に書かれていたが、覗いてみると、「日々マンガ」が更新されている。 内容は、別れた御夫君に向けて、「お酒をやめて帰って来て下さい」と呼びかけているもの。 なんかもう、私はこういうのは読んでてダメである。涙が堰を切ったように流れ出して止まらない。見も知らぬ作家さんのことを思って泣くというのも我ながら思い込みの激しいことであるなあ、と思うが、得てしてファンとはそんなふうに勝手なものである。
離婚の原因は酒か。 他にもいろいろあったかもしれないが、それ以上は詮索しなくてもいいことだと思う。酒が一番の原因というだけで、私は納得してしまう。
私の父親も酒飲みだった。もともとたいして飲めないくせに、酒量は相当なものがあった。アルコール中毒にこそならなかったが、年を取り、糖尿病になって、足先が痺れるようになった。もっと長生きすれば、いつかは足を切断しなければならない事態になるかもしれない。
私は酒好きを必ずしも嫌いなわけではない。 笑い上戸に泣き上戸、やたら陽気に振舞う人もいれば陰気に沈んで愚痴ばかり言う人もいるが、宴会の雰囲気は好きだし、ああ、ここには「人」がいるなあ、と思えて、飲めないこちらも楽しくなる。たまに絡まれたりするのも程度が酷いものじゃなければ、そう悪い気もしない。「私の酒が飲めないってえ?」なんて言いながら酔っぱらった女の人にしなだれかかられたりしたら、困るけどまあやっぱり嬉しいものである。もっともそんな経験はないんだが。
でも、あえて「事実」を言えば、酒飲みの8割は人としては屑だ。 酒に呑まれずにほろ酔い加減で自分を抑えられる人などわずかしかいない。 日頃の鬱憤を酒に甘えて吐き出し、ついでにゲロも吐く。他人の幸福を妬み、根も葉もない噂話に下品な笑いを浮かべる。時には暴力も振るい、家族を恐怖に陥れる。それでいて世の中の全ての悲しみ、苦しみを自分一人が背負っているような顔をするのだ。自意識過剰も甚だしい。 いったい、彼らは何を思いあがっているのか。
子供の頃、酔っ払った父と母がケンカしている声を聞きながら、無理に眠ろうと布団の中に縮こまっていた時のことを、今でも夢に見ることがある。 病気にかかる以前から、私は酒を殆ど飲まなかったが、理由はそんな父を見て育ってきたからだ。 酔いつぶれて、鼾をかいて寝ている父を見て、こいつさっさと死んでくれないか、それとも眠っている隙に首を絞めて殺してやろうかと思ったことは何度もあった。
では、私は父を嫌いであったか。 嫌いだったろう。今でも人間として誇れる人だとは思っていない。 憎んでいたのか。 憎んでいたと思う。今でも、根本的なところで、相容れないものを感じることがある。 親子の縁を切りたいことは何度もあったし、仮に今切ったとしても、恐らくたいした痛痒を感じることはないだろう。 しかしそれでも思うのだ。 この人に、一番近い人間は私だと。血ではなく、心が。
酒に呑まれなければやりきれなかった、そのころの父。 自分の望んだ通りの愛情など得られるはずもないと思い切れるには、人にはあまりにも長い、長すぎるほどの時間が必要だったと思う。 そして、諦めがついたからと言って、心が平穏になるはずもない。 酒にしか逃げられない人間はいるのだ。 そんな彼らに、「他に心を慰める方法がないのか」と問いかけることほど、無意味なことはない。
けれど、そんなことが母への横暴への言い訳なるはずもないことも事実だ。だから父もやはり屑だったと思う。
父は糖尿が悪化して、一時期酒をピタリとやめた。それは母が死ぬ、ほんの半年前のことだった。 遅すぎたと思う。 そして、母が死んで父はまた酒を飲み始めた。死に急いでいるのだろうが、私は酒を止めろと父に言う気は全くない。そういう道を選んだのは父自身の意志だから。 父は酒に逃げて、どうしようもない道を歩いていた。
父は、私が子供の頃、やたら酒を奨めていた。いろんな酒を買って来ては、「これならお前の口にも合おうや」と言って飲ませようとした。中には結構高価なワインやウイスキーなんかもあったように思う。長いこと封を切らずに取っていた「ナポレオン」が、父の書架には飾られていた。 でも私は、どんな酒を奨められても、一滴たりとも飲もうとしなかった。 父はいつか私と酒を汲みかわすようになりたいと思っていたのだろう。私も同じ気持ちだった。いつか父と酒が飲みたいと思っていたのだ。いや、今でもそう思っている。 だけど、飲まなかったのだ。
どうして父は、ごく普通に、たしなむ程度に酒が飲めなかったのだろう。 父は、自分が晩酌を始めた途端に、母が私を別の部屋に避難させていたのをどう思っていたのだろうか。 疑問形にすることはない。それはとうの昔に父にはわかっていたことだ。分かっていたから、どうしようもなかったのだ。 今更悔やんでも詮無いことを思いながら、私は母が亡くなった今でも、父と酒を飲むことを拒み続けている。父と酒を汲みかわす日は、多分、来ない。 しかし私も、酒こそ飲まなかったが、ふと気がつくと、父と同じような、やっぱりどうしようもない道に足を踏み入れていた。
西原さんは、鴨志田さんが酒をやめて戻ってくる日が来ると、信じているのだろうか。 もう再び元に戻ることはないのか、それともまた仲良く暮らせる日が来るのか。 未来は多分、西原さんには見えていると思う。 見えていてその上で、西原さんは鴨志田さんに「帰ってきて下さい」と願っているのだ。 なぜこういう人が幸せになれないのだろう。
仕事がちょっと長引いて、帰宅したのは9時直前、楽しみにしていた『SASUKE』はもう終わっていた。うーむ残念。スペシャル番組で飽きずに見られるのって、これのほかにはそうそうないんだけどなあ。
CSファミリー劇場で『押繪と旅する男』。乱歩の映像化作品としては悪い方ではないが、原作の短編にオリジナルを付け加えた分だけ長尺になって、間延びした印象。 これ、最初に見たのは福岡アジア映画祭のオープニング上映のときだったんだけど、何の故障があったのか、上映開始が1時間も遅れてしまったのだ。次に用事のあった私は、泣く泣く途中で映画館を出たのだったが、そのとき会場にはゲストで主演の故・浜村純さんもおいでだったのである。上映後はコメントなんかも語られたと思うのだが、せっかくのチャンスを逃してしまった。 もちろんあとでテレビ放送があった時に最後まで見たが、情に流れすぎているのが乱歩の世界と相容れないという感覚は拭い切れなかった。単体の映画として見た場合にはそう悪くもないんだが。そう昔の映画でもないのに、浜村さんも、多々良純さんも、天本英世さんも、既にこの世にないのが淋しい。
女房がバイトから早めに帰宅して来たので、遅い晩飯に空港通りの「めしや丼」に向かう。「ガスト」の「二画取り」はやっぱりもう飽きたようである。 ここの彩り弁当はミニハンバーグに焼きサバ、野菜の煮付けにミニサラダ、デザートにパイナップルの角切り少々と、おかずの種類は多いが、量はさほど多くなく、私のお気に入りである。 しげ、仕事明けで相当喉が乾いていたと見え、ドリンクバーもあるこの店に来たのだけれど、かなり疲れがからだに来ているらしく、なかなかメシが喉を通らない。そのくせ注文してるのがトンカツ定食とかコッテリしたヤツばかり、しかもご飯のオカワリまでするのである。真夜中にそんなもん食ってたら胃にもたれるに決まっているじゃないか。 案の定、「気持ち悪い」とか言って泣き出すが、分かっいてて目先の欲に負けているやつに同情なんかしてやらないのである。
マンガ、桑田乃梨子『おそろしくて言えない』1巻(白泉社文庫・630円)。 えいくそ、新書版持ってるのに、「描きおろし・巻末特別ふろく『なかよしだもの』22ページ収録!!」の惹句を見て、つい買ってしまった。これだからムダに本棚から本が溢れ出ちまうのである。22ページと言っても殆どエッセイマンガみたいなものだから、わざわざ買うほどのこともないと冷静な理性はそうささやいているのだが、まあ理性の通りに行動することが正しいと決まってるわけでもなし(^o^)。
紹介文を見ると、主人公の御堂維太郎のことを「最強のオカルティックハラスメント男」なんて書いてある。連載時の平成2年ごろにはもう「セクシャル・ハラスメント」という言葉が一般化してたんだなあ、とこういうところで確認できる。別にこんなところで確認しなくても『現代用語の基礎知識』のバックナンバーを調べた方がはやかろうが。 更に数年後には例の宗教団体の事件があったせいでオカルトを利用したイヤガラセはシャレにならん自体になっちゃった。一時期この作品が全然店頭に見かけなくなってたの、そのせいじゃあるまいな(^_^;)。
ともかく、復刊してくれたのが嬉しい一冊。 悪霊・低級霊と波長が合いまくりで、あらゆる災難を引き寄せてしまうくせに霊感ゼロ、徹底的な現実主義者の高校生・新名皐月。 怪我、病気、事故、失恋の不幸の連続の果てにようやく彼が相思相愛になった相手は、新名に霊的イヤガラセをすることに無上の喜びを覚える霊能力者・御堂維太郎の妹・維積であった。 しかもこの維積ちゃん、兄の霊的教育の反作用で、バリバリの霊感少女で歪んだ性格の維積B(ブラック)と、抑圧された乙女心が表に表れるようになった維積W(ホワイト)の二つに人格が分裂していた。 御堂と維積Bの二人にジャマされて、果たして新名と維積Wの恋は実るのか?
コメディではあるけれど、桑田さんのマンガで恋の障碍となる条件はいつだってとんでもなくハードだ。これだって、「あなたは多重人格だとわかってる人を愛せますか?」って話である。後の『ほとんど以上絶対未満』じゃ、「女になってしまった親友を友人として遇せますか」なんてとこにまでモチーフが過激化していく。『だめっこどうぶつ』は「種の壁は越えられるか」ってことになるか(^.^)。 言葉は悪いが、桑田さんは根にすごく暗いものを持ってる人だと思う。ドラマは人と人との葛藤を描くものではあるが、それにしても現実に置き換えたら(意外に現実にありえないことではない設定の話も多い)、登場人物たちにのしかかってきた問題の重圧はハンパなものではない。たいていの人間は、あんな環境に置かれたら、それに耐え切れなくなって、心が壊れてしまうのではないか。 なのに、桑田さんのマンガのキャラクターはいつも前向きだ。御堂が新名をからかい、新名が御堂を拒絶し続ける様子ですら、「相容れない人間同士にも未来はある」と謳っているようである。 「世の中、ツライことばっかだけど、でも生きてて悪いってほどでもないよ」。 なんか言葉にはしてないけれど、そんな雰囲気が漂ってる感じがするのである。でもそれはこのマンガを最後まで読んでようやく、ああ、そうだったのか、と気付いたことなんだけどね。
桑田さんのマンガの中でもこれは最初にして最大のヒット作で、CDドラマ化もされた。タイトルは『おそろしくて聴けない』(脚本・さらだたまこ)。でも多分もう絶版になってるだろうなあ。 キャストは御堂維太郎に故・塩沢兼人、新名皐月に緑川光、御堂維積に宍戸留美、新名葉月にかないみかという布陣。塩沢さんはもう、御堂にピッタリとしか言いようがない好演だが、宍戸留美の二役ぶり(二重人格なのである)も意外にいい。ドラマ自体は、キャラクターの解説に留まっていて物足りない感が強いのが残念。
2002年10月01日(火) たかが賞金で金持ちにはなれない/アニメ『あずまんが大王』最終回/『西洋骨董洋菓子店』4巻(よしながふみ) 2001年10月01日(月) 貴公子の死/ドラマ『仮面ライダーアギトスペシャル』/『終着駅殺人事件』ほか 2000年10月01日(日) スランプと○○○の穴と香取慎吾と/映画『マルコヴィッチの穴』
| 2003年09月30日(火) |
映画の栄華/『ロン先生の虫眼鏡』1巻(光瀬龍・加藤唯史) |
中洲の映画館、「福岡東映」が本日で閉館。 まだ大洋劇場(洋画系)にオークラ劇場(成人向け)が残ってはいるものの、中洲はもう完全に映画の町ではなくなってしまった。東宝も松竹も東映も日活も大映も、かつての五社時代の映画をかける小屋はもはや一軒もない。 「福岡東映」が、起死回生を賭けて全館リニューアルを断行したのは1994年のこと、早速私も見に行ったのだが、周囲を客寄せのつもりかゲーセンと飲食店でゴテゴテと固めて、肝心の映画館は狭い通路を地下にもぐって行かねばならず、何より音響がリニューアルとは名ばかり、昔ながらのスピーカーを舞台の両端に置いただけのオソマツなもの、音は割れててセリフは聞こえづらいという、映画館としては最低の評価を与えるしか仕方のないところであった。 私が最後に「福岡東映」に行ったのは『エヴァ/シト新生』のときだったが、やはり音が割れてシンジがブツブツ呟いているところなどは何を喋っているかがサッパリわからず、業を煮やしてキャナルシティで同じ映画を見直したところが、あれだけくぐもって聞こえていたセリフが、今度はバッチリ聞こえたのであった。これには驚くというよりは呆れ果ててしまった。 設備のどこにカネをかけるべきかが分かっているところとそうでないところとの差がハッキリ分かれていて、こりゃ東映も長くないなと思ったものである。結局、10年は持たなかった。映画館がなくなったあと、あそこは改装されて別の何かになるのだろう。でもどうせ周囲に合わせて呑み屋かチャラチャラした遊戯施設の類になってしまうのに違いない。
映画館が一つなくなるというのは、普通なら淋しい思いをするものだが、中洲の映画館の場合はそれも仕方がない、という思いをするところが多かった。 あまり詳しくは語れないのだが、仕事上、中洲の映画館の方々と何度か交流を持ったことがある。正直な話、あまり嬉しくない目にあったことも多かった。ともかく態度が横柄で契約は曖昧、話がとんとビジネスライクにいかないのである。逆に、キャナルシティのAMCに伺ったときは、その対応が中洲の映画館とうって変わって要点は明確、実にトントン拍子に話が進んで行ったのである。あのときは外資系の企業に、古臭い日本の興行主が勝てないのは当然だと思ったものであった。 戦後の博多の復興に、中洲が貢献したことは事実である。けれど、あたかも闇市をそのまま大きくしたような形で中洲を発展させてしまったことは、博多に大きな禍根を残した結果になった。もういっぺん更地にして一から立て直した方がよかないかって気もしてくるのである。
朝は早出で夜は残業。合間の休みは全くなし。代理の仕事も入って、息つくヒマもありゃしない。死ねというのかチトトンシャン♪ だから指の利かない人間に指を酷使させるなよう(T∇T)。 まあ泣き言ばっか言ってるワケにもいかないので頑張りはしたんだけどさ、こういう時に限って、間違い電話とかが携帯にかかって来るのな。私の携帯は殆どしげとのやりとりでしか使ってないので、昼日中に掛かってくるのは99%間違い電話である。で、実際、ちょっと応対する時間すらないので、もう問答無用で切る。これで諦めるかと思ったら、しつこく掛かってくる。仕方がないので電源自体切る。ところがあとで電源入れたら、何度も入れてるのだ。そのくせメッセージは全くない。どこのどいつかと思って、仕事が引けてようやく電話をかけてみたらやっぱり間違い電話だった。気付けよって(-_-;)。 それとももしかして、誰ぞへのサラ金の取り立てかなんかだったのか?
バスの本数が少なくなったので、またタクシーで帰る。 晩飯はコンビニのオニギリ。体重が落ちかけてきてるので、あまり暴食はしないようにという配慮である。
福岡ダイエーホークス優勝の瞬間をBSで見る。とは言え特に感動はナシ。 大阪対博多、ってのはプロ野球史上でもほぼ初めてなんじゃないかな? 西鉄ライオンズ時代の相手は確か全部巨人が相手だったような。 大阪、博多、どちらも太閤秀吉が開いた商人の町という共通項があり、住んでる人の気質も似通ってる面が多い。かと言って仲がいいとも言い切れないところが微妙なところだ。松竹新喜劇や吉本新喜劇が好きで、小学校の頃、クラスにちょっと面白いことを言うヤツがいたら、先生や友達からすぐ「お前、吉本に入れ」と言われてしまう風俗まで大阪・博多と共通しているクセに(私も昔はよく言われた)、博多人は大阪弁を生で聞くのは耳障り、と感じているところがある。生の人間同士だと、やはりライバル意識が芽生えるせいなのか。 野球そのものより、スタンドのファン同士の熱狂合戦の方が面白くなるかもしれない。
チャンネルをいろいろ回してみると、福岡だけでなく、小倉でも大歓喜の様子が中継されている。まあ、みんなでお祭り騒ぎができること自体はいいこった。 例の「飛びこみ」も、多分あっちこっちであってるんだろうが、その様子を中継している局は一つもない。実際の飛びこみ映像を放送することで、マネをして飛びこむ馬鹿がこれ以上増えたりしないないように、という配慮だろう。 興味本意・野次馬根性の権化なテレビ局が、珍しくも良識的な判断をしたものだが、世間からの批判が強まったための腰砕け的な措置であることは分かりきってるので、あまり誉めてやる気にもならない。死者が出なきゃ、今日だって喜び勇んで撮影してたに決まっているのだ。 テレビ局も、その程度の常識的な判断ができるのなら、日頃からも少し報道の仕方を考えとけよ、と言いたい。 何にせよ、「飛びこみ者は報道の価値ナシ」、という判断がされたわけだ。「下の人などいない!」というのと同じことで、「飛びこみ者などいない!」ってことになったわけである。存在を消されるほどに世の中から迷惑がられてるってことなんだよ? 周囲の人間も気がついてるなら当人に言ってやんなよ。
マンガ、光瀬龍作・加藤唯史画『ロン先生の虫眼鏡』1巻(秋田文庫・690円)。 加藤唯史のマンガを最初に読んだのは『少年ジャンプ』の『サテライトの虹』だったので、当時の私の中では加藤さんは「かわいい女の子を上手く描ける人」という印象だった。でも時代はまだラブコメブームが来るにはほど遠く、「バックステージものは当たらない」というジンクスも手伝ってか、『サテライト』は単行本でわずか2巻で終わってしまった。しかもジャンプコミックスでは出してもらえず、落穂拾い的な作品が多かったジャンプ・スーパー・コミックスの方でである。表面的な人気だけでしか作品価値を判断できないジャンプシステムの中では、加藤さんはこのまま消えて行ってもおかしくはなかったかもしれない。 ところが加藤さんは、いきなり活躍の場を『少年チャンピオン』に移して、「昆虫・動物マンガ」を描き始めた。画力のある人だから、そういう分野もソツなくこなしていたが、その転身ぶりがあまりに極端だったものものだから、当時はかなり驚いたものである。しかも原作者が、あの光瀬龍と来たもんだ(ロン先生が光瀬龍自身だということに気付くのにはちょっと時間がかかったが)。驚きは二重三重である。 マンガとして見た場合、ウンチク的要素の強い本作は地味で、全盛を誇っていた頃の『チャンピオン』の中ではかなり損をして見られていたと思う。連載も巻末ページに近いことが多かったし、カラーになったことも殆どなかったのではないか。本書のあとがきでも、「チャンピオンの良心」と呼ばれながらも人気がなかったことを加藤さんが述懐されている。 けれど、文庫による再刊ラッシュの中にあって、本作の復活は嬉しいものの一つだろう。
2002年09月30日(月) 今時の格闘オタク/アニメ『天地無用! GXP』第1話/『Heaven?』4巻(佐々木倫子)ほか 2001年09月30日(日) 新人さんの名前は?/『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー)ほか 2000年09月30日(土) 邪馬台国と背後霊と泥繋がりと/映画『モンティパイソン 人生狂騒曲』ほか
| 2003年09月29日(月) |
痛痒な腰痛/『だめんず・うぉ〜か〜』5巻(倉田真由美) |
早朝っつーか、昨日の深夜、いつもは午前様のしげが珍しくも12時前に帰宅。 腹が減って喉が乾いてて遊びたいというので、ガストに出かけていって、ディスプレイで二画取りを延々3時間。 最後はなんだか意識がモーローとなる。ふとしげを見ると、眼の下にクマ。多分私も、顔色が土気色になってたに相違ない。なんでそこまでするかな。 でも、そこまでやりぬいたせいか、あれだけ熱中していたしげもすっかり飽きたようである。「まだやる?」と聞いたら、「もういい」と一言。ついこないだまでは「スキルが上がったね♪」と喜んでたのに、熱しやすく覚めやすいしげならでは。でもまあ、3時間もやり続けりゃそんな気分になるのも当然か。 気晴らしに軽く、占いとかやってみる。 「ポーの箱庭診断」、二人の相性を測ってみるがまあまあってところ。こういうので二人の相性が悪かったことは滅多にないが、神社のお御籤と同じで「大吉」の率が高い仕掛けになってるんだろうな。 心霊ビデオのコーナーを開いた途端に、しげ、悲鳴を上げる。 「なんでそんなん見るん! 消しい!」 「オレはこういうの好きなんだよ! イヤなら離れてろよ!」 「離れれるわけないやん!」 「なんで!?」 しげ、ムッとして答えない。その間も心霊ビデオは「もう一度見てみよう」とか言ってワイン蔵かどこかのヘンな影っぽいのを再現している。どう見たってただのシミュラクラである。いったいどこが怖いというのか。 「いやあ!」と言って逃げ出しそうな格好をしていながら、しげ、腰を上げようとせずにニジリニジリと椅子の端に身を寄せるだけ。いったいどうしたのかと思ったら、ゲームのやり過ぎで腰を痛めて、動けなくなっていたのだった。 だったら最初からゲームなんかしたがるんじゃないよ(-_-;)。
帰宅は3時過ぎ。休日出勤の代休で、仕事が休みなので、夜更かしもできるのである。 ひと寝入りして起きたら10時過ぎ。7時間は寝た計算になるので、寝不足ということはない。せっかくの平日休みなので、こないだの検査の結果を聞きに病院に行くつもりであったし、しげも「トリアスの温泉に行きたい」と言っていたので、グースカ寝こいているしげを起こしに行く。 「そろそろ起きろよ、午前中にトリアス行くんやろ?」 しげ、布団の中でモゾモゾ動いちゃいるが、起きあがる様子がない。それどころか息も絶え絶えに「……ゴメン、無理……」と言って私を見上げたその顔、ぐっすり寝たはずなのに夕べにもまして病人顔でマブタが腫れあがっている。 思わず「どしたん?」と聞くと、「腰が痛くて動けん〜」と泣き出す。 「腰が痛いから、マッサージに行きたいって言ってたの、お前じゃないか」 「だからマッサージに行けんくらい、腰が痛いと〜」 本気で体重落として、骨にかかる負担下げた方がいいんじゃないか。
とは言え、私も気がつくと首の調子がおかしいのである。 右には曲がるが、左に曲げようとするとキリキリと痛い。左側を見るときには、上半身から左に向けなきゃならないのである。寝違えたらしいので、お出掛けは中止。でもこんな調子では、日記の更新もままならないのである。
マンガ、倉田真由美『だめんず・うぉ〜か〜』5巻(扶桑社/SPA!コミックス・900円)。 5巻まで来ましたねえ。 世にダメ男のタネは尽きまじなんで(つか、男はたいていどこかがダメである)、もうしばらくはネタが尽きなかろうから、もちっと続くとは思うけれど、いつかパワーダウンしちゃうときは来ると思うのである。くらたまさんの場合、「次」が予想しにくいんだよなあ。巻末に描きおろしでフツーのマンガが載ってるのは、「こういうマンガも描けますよ」というプロモーションか。ちょっとホロリとさせるタイプのマンガだけれど、どうしても西原さんを想起させられるのは損だと思う。どちらかというと、いしかわじゅんの『東京物語』みたいなセンで長編描けるようになった方がいいんじゃないかなあ。女性であの絵でそっち路線というのはあまり多くないし。一歩間違えるとただのレディースになっちゃう危険はあるけどね。 今巻も「マサカこんなダメ男が本当にいるのか」というエピソードのオンパレードであるが、一番の特徴はたいてい「借金男」ですね。私もしげに金借りたことあるから大きなことは言えんのだが(^_^;)、ヒモ願望のある男って、結構多いんだよね。若いヤツで将来の夢を語るときに大風呂敷を広げるヤツには特に要注意。ミュージシャン志望とかアーチスト志望とか役者志望とか(^o^)。女に甘えてカネふんだくることしか考えてなかったりしてな。 じゃあ、ある程度トシ食ったヤツで、それなりの地位も築いてるオトナだったら大丈夫かというとそんなことはない。詳しくは今巻のくらたまさんと林葉直子女史との対談をご参照のこと。ホラ、例の某名人のことです(^o^)。あの事件については、なんつーか、世の中には男見る目持った女もいなけりゃ、女見る目持った男もいやしねえんだなあ、としみじみ感じるお話でしたが。 幸い私の場合は、あとでバクロされて困るようなテープなどは存在していないから大丈夫♪(ホントか?)
ダメ男のことについては、こないだ劇団の集まりがあったとき、どういう経緯だったか、私とよしひと嬢と二人して鴉丸嬢に、「男がいかに女をモノ扱いするか」について、トウトウと説諭していたことがあった(なにやっとんじゃ)。 男は女に「反逆」を許さない。ともすれば「オレの言うことを聞いてりゃ間違いないんだ」と支配しようとする。 でもそれは男の「虚勢」なんですね。ホントは男って、すごく弱いんですよ。 「自分がこの女を守ってやれる」「自分が付いてなきゃこの女はダメだ」ってのは、そう思うことで、やっとこすっとこ、「男」としてのプライドとか、アイデンティティを保ってるだけなんだけど、そのことに無自覚だから、そこを女に突つかれると、すぐに感情が爆発して、暴力を振るったりするんである。ドメスティックバイオレンスって、そんな感じで引き起こされてる場合が多いんだよ〜。 そんな浅薄で単純な男ばかりじゃないだろうと、「白馬の王子様」を夢見てたい女性の方もいるかもしれないが、だからそれは夢です(^_^;)。叶わない幻想なんて、持たない方がいいと思うけどね。 いいですか、女なしで自立できてる男なんていないんですよ。 言い換えれば、「男なんてそんなもん」と見切って、うまいこと男に甘える術を身につけられてれば、女性はダメ男に引っかからずにすむんである。
2002年09月29日(日) やっぱり被害に合うのはしげ。/アニメ『サイボーグ009・地上より永遠に』/DVD『マジンカイザー』第7巻最終話ほか 2001年09月29日(土) 郵便ポストが赤いのも/『エクセル▽サーガ』8巻(六道神士)ほか 2000年09月29日(金) Sashimiと震災の真実とバーブラと/『爺さんと僕の事件帖』2巻(しかくの)ほか
| 2003年09月28日(日) |
女優に有情/舞台中継『赤鬼 RED DEMON』/『砲神エグザクソン』6巻(園田健一)ほか |
悲しい訃報が二つ。
漫才コンビ「いとし・こいし」の夢路いとしさんが、25日、自然気胸及び肺炎併発のため亡くなっていたことが分かった。享年78。 私の年代の人間にとっては、1962年から12年間続いた「がっちり買いましょう」の司会が一番馴染み深い。けれど、歴史上、一番面白かった漫才コンビを上げよ、と言われて第一に名前の上がるのがダイマル・ラケットだとしたら、二番手は間違いなくいとし・こいしのお二人であろう。私個人は子供の頃、お二人のような大御所よりも、若手のカウス・ボタンや阪神・巨人の方が好きではあったが、お二人の牙城が揺らぐことは決してなかった。20年前の、あの異常な漫才ブームのさ中にあっても、お二人の漫才は「いつも通り」で、そのときようやくお二人の漫才が至極「上品」なものであることに気付かされた。 プロフィールを調べてみて驚いたのだが、お二人は1945年、広島の爆心地近くで被爆しているのである。原爆症にならなかったのは奇跡としか言いようがないが、笑いの神様がその才を惜しんだのかもしれない。 93年、兄弟で紫綬褒章を受章。
27日、『雨に唄えば』のドナルド・オコナー氏が、心不全のため死去。享年78。 仮にミュージカル映画のベストワンを選べ、と言われたら、これもまたアチラを立てればコチラが立たずで頭の痛いことであるのだが、あえて個人的な趣味で選んでしまえば、私の場合は何と言っても『雨に唄えば』である。 ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ(レイア姫のキャリー・フィッシャーのママと言わなきゃわかんない人もいる。嗚呼……)、ドナルド・オコナーの三人によって歌われた数々のスタンダードナンバー、主題曲の『雨に歌えば(Singin' in the Rain)』や『グッド・モーニング(Good Morning)』を何気なく鼻歌や口笛で歌った経験のある人も多いだろう。 中でも、『ザッツ・エンタテインメント』でも取り上げられたオコナーのまさに一人舞台、『笑わせろ(Make'Em Laugh)』。壁を走り撥ね回り、元はサーカスの役者だったというのもさもありなんというパフォーマンスぶりで、私なんぞはこの一曲でジーン・ケリーよりもドナルド・オコナーの方が好きなっちゃったくらいである。DVDにはオコナーのコメンタリーも収録されているそうだ。買おうかどうしようか、随分迷ったけど(というのも、これは親父も買う可能性が高かったから)、買っちゃおうかなあ。 ミュージカルダンサーの旬は短い。ジーン・ケリーもフレッド・アステアも、一時不遇をかこち、晩年は性格俳優に転じた。オコナーの場合も、70年代は映画出演作が一本もなく、80年代になってようやく『ラグタイム』や『トイズ』に出演している(でもどちらも見てるのにオコナーが出てたかどうか記憶にないんだなあ)。それが世の習いとは言え、いささか淋しいことである。 遺作はジャック・レモン、ウォルター・マッソー主演の日本未公開作『カリブは最高(Out to Sea)』(1997)。未見だが、なんとオコナーはこの作品でタップを披露しているらしい。当時71才、まさしく最後の芸を披露してくれているということか。レモン&マッソーの名コンビにとっても、この後の共演作は『おかしな二人2』があるのみである。 この辺までキチンとフォローしてくれない死亡記事が殆どなのはホントに残念(T.T)。
先週はうっかり見損なってた『鉄腕アトム』、ウワサによるとなかなかよかったらしい。アニマックスの再放送待ちとして、今日はしっかり見逃さないようにする。 第25話『もしも涙を流せたら』。 タイトルだけ見ると、これは原作の『電光人間』のときのアトムのセリフから取ったもののようだが(アトムにお茶の水博士が「涙を流す」機能を付けたのは、『宇宙こうもり(コウモリ伯爵)』のエピソードのとき。ただし、単行本ではカットされている)、ストーリー自体は関係がない。
地上の環境を守るために、地下に作られた理想都市・ジオシティの落成式に招待されたお茶の水博士とアトム。 しかし、都市の設計者・セバスチャン博士(=手塚キャラのフランケンシュタイン博士)は、環境修復システムが、ホログラフィのニセモノであることに気づく。このままでは地球は地下から汚染されてしまう。 ジオシティのマニー市長は、直前になって環境修復システムにかける資金が惜しくなったのだ。セバスチャン博士は、都市の機能を止めるために、植物育成剤・ケミカルAを巻くが、異常な繁殖を始めた植物は、都市を、人間たちを襲い始めた……。
「ケミカルA」と聞いて、つい、『PPG』を思い出してしまいましたが、まあ、クスリにつける名前としてはオーソドックスなんだろうか。 人間の環境汚染に復讐する植物の来襲というのは、もう見飽きるほどに見てきているネタだけれども、子供だま……ああいやいや、よりよいお子様を育成する「善導」アニメとしては、いっぺんはやんなきゃいけないネタだったんだろうねえ、と、海より広い心で許してあげましょうよ、ねっねっ。
たまにちょこちょこ見ている『いつみても波瀾万丈』、本日は「安達祐実伝」(^o^)。まだ22だろう、ちょいと早いんじゃないか、と言いたくもなるのだが、デビューが2才というから、実はもう20年のキャリアがあるのである。実際、言葉遣いが実にしっかりしていて、「じゃないですか」を連発する福留功男の喋りの方が鬱陶しく聞こえるくらいだ(^o^)。小学校時代からずっと続く「苛め」も相当酷かったみたいだし、それでグレずに堪えてきたのは立派なもんである。一歩間違えばドリュー・バリモアになってた可能性もあるのである。ちょっとなってる面もあるか。 実際、「役者」としての安達祐実はやっぱり今も「不遇」なんである。映画出演は『お墓がない!』(1998)を最後に、一本もない(声優出演を除く)。テレビレギュラーは一応、『大奥』とかがあるけれど、主演ではない。 そういった安達祐実の「惨状」を見るにつけ、役者を、特に女優を育てるのって、今はホントに難しくなってるのだなあ、と思ってしまうのである。迷走してる印象は強いけど、本来、女優の才能のある人だってことは、見てりゃわかりそうなもんだけど。本当なら、主演映画がもう10本はあってもいいのに、生かせる監督がいないんだよなあ。 『家なき子』のあと、随分長いこと干されたそうだけど、その理由というのが定番の「色が付いてて使いにくい」ってやつ。それさあ、役者の個性を生かせないってのとと同義なんだがなあ。だって、それ言い出しゃ、使える役者って、男優だろうが女優だろうが誰もいなくなるじゃん。 『ガラスの仮面』は、安達祐実の転機になるドラマだったんだが、あれ以来、グラビアアイドルの方に行っちゃって、これといった「演技」を披露する機会に恵まれていない。なんであの時期に映画版を作らなかったかなあ。今でもまだギリギリセーフでイケるから、「紅天女編」やれよ。原作無視して完結させていいから。テレビスペシャルみたいにキスして終わりってそんな生っちろいもんじゃなくて、ちゃんと劇中劇で『紅天女』作っちまえばいいのになあ。 まあ、その『ガラスの仮面』で共演した野際陽子とどんな会話するんだろ、と興味があって、今回の『波瀾万丈』を見てみたんだけれども、ごく不通の会話でしたね。そりゃそうか。 「初めて会ったとき、なんて澄んだ眼で真っ直ぐ見る子なんだろう」という野際陽子の述懐は間違いなく当たってる。『ガラスの仮面』にハマる人ってのは、ちょっと危ない方向に行きはするけれど、役者としては「使える」ようになるのである。大竹しのぶ然り、荻野目慶子然り。なんかスゴイ系譜だけど、だからこそ演技に「個性」が生まれるんだよ(^_^;)。
昼間はアニマックスやらWOWOWをぼんやり見ながら日記書き。時間があるとついつい長めに書いちゃうのでやっぱり更新が追いつかない。 今日から『名探偵ホームズ』の再放送が始まるので、それも録画。ビデオでは持ってるけどもうこれからはDVDしか見そうにないから。全く技術の進歩にも困りものである(-_-;)。 正直な話、宮崎駿が絡んでないやつで見たいのは殆どないんだが、まあそれだけ録画するってのもなんか中途半端な感じなんで一応全話録るつもり。できるかな。 WOWOWで『ダーティハリー』、久しぶりに見るが、もう1も2も3も頭の中でゴッチャになってるので(多分5まで全部見てるはずなんだが)、ラストで犯人が撃たれて湖に浮かぶシーン、「あれ? スタジアムで死ぬんじゃなかったっけ?」とか首を捻る。これだから映画も2度、3度と見返さなきゃなんない。これからはホントに記憶力との戦いになるなあ。
夜、NHK教育でNODA・MAPの『赤鬼 RED DEMON』、ロンドン公演版を見る。 日本版は日本人の中に一人だけ外人が混じる、という設定だったと思うが、こちらは外人の中に日本人である野田秀樹だけが混じる逆設定。 野田秀樹が「赤鬼」ってのはムチャだと思うが、面白かったのは、日本人という設定でありながら、野田秀樹のセリフが殆ど日本語でないハナモゲラだったことだ。たまに「Oh!God!」が、「大事」と混同する、というギャグはあるが、ともかくのだひできは「へにょろぺっちゃらくっちゃら」みたいな喋り方で殆ど言語不明瞭な謎の男を演じ続ける。こういう「言語否定」なところからコミュニケーションを模索している試みが面白い。いろんな人が指摘してるのに、なかなかみんなが気付かないんだけど、言語くらい意志伝達の方法として貧弱なものはないんだからね。
続けて、NHKBS−2でつかこうへい作・演出『ストリッパー物語』。これも昔のやつと全く毛色が変わってる。 私はつかこうへいは殆どストーリーは無視して、役者のカラダの動きにだけ注目して見るという甚だシツレイな見方をしているのだが(だってセリフが未だに説教臭い絶叫型なんだもん)、やっぱ体技は凄いわ。脱がずにあれだけ「ストリッパー」を感じさせるんだもんねえ。 ストリップの演技には、セクシーに行きそうで行かない、その直前で「結局はアンタ、ナニが見たいんでしょ」とナニをほっくりだしちゃう身もフタもないところがある。まあそれがかえって、ストリッパーの心を客より優位に立たせて、性を売る後ろめたさから救っている面もあるのかもしれない。 でも客もまた、その彼女たちの微妙な心にそこはかとない影を見て、ナニを見る以上の繋がりを感じたりもするのである……ってなもんだかどうだか、私はストリップを見たことなんで一回しかないからよくわからんのだが。 でもストリッパー同士のトップ争いってだけで、ああ、これつかさんの『幕末太陽傅』なんかなあ、と見るのは多分そんなにハズレた見方じゃないと思う。女の争いはいつも切ない。
マンガ、園田健一『砲神エグザクソン』6巻(講談社/アフタヌーンKC・540円)。 単行本の出る間隔がかなり空いてるので、前の話がウロオボエになってるよ。マンガ喫茶で読み直さないといけないかなあ(ウチにあるやつは、本の山の奥に沈んでるのである)。主役の砲一が実はロリコンで、幼児体形の茜ちゃんとナニしまくりというのは覚えてたが(^_^;)。 今巻で一番印象に残って次巻まで覚えてられてるシーンは、やっぱりキンバー先生の×××になるかな。いや、×××な意味じゃなくて、×××するようなヤツは×××されても当然、私だって×××が×××されたら×××するよってことなんである。でもキンバー先生、×××されたけれども×××が×××になってホッとした。いや、これも×××が×××になったからって、それでキンバー先生が×××になったとは思わないのだけれども、やっぱ×××が×××になるなら、それに越したことはないってことで。 何が何やら分かりませんな(^o^)。なんか×××なマンガだと勘違いされちゃマズいから一応フォローしとくと、これは地球を制圧した宇宙人リオファルドにレジスタンスを挑み、地球の復権を図ろうとするヒーローの物語です。その究極の兵器がタイトルにあるエグザクソンね。スペルを書くと「EXAXXION」で、Xが三つもあるのがミソ。ああ、やっぱり×××の話に(~_~;)。
2002年09月28日(土) こんぴーたなんて使えません/『まいっちんぐマチコ先生』1・2巻(えびはら武司)/DVDBOX『電人ザボーガー』 2001年09月28日(金) さらば長嶋/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』�掘��検憤舵�良和)ほか 2000年09月28日(木) 百鬼夜行とヤオイSFとデクノボーと/『イミューン ぼくたちの敵』(青木和)ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|