無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年07月24日(木) 他に売れてるものがあるからいいじゃないか/『コータローまかりとおる!L』6巻(蛭田達也)/『灰色の乙女たち』1巻(加藤理絵)ほか

 昨23日、マルチメディア総合研究所が、2002年度の東京圏の店頭パソコン販売概況を発表。それによると、秋葉原のパソコン販売台数割合が、前年度比3.2ポイント減の29.9%、初めて30%を割り込んだとのこと。逆に新宿は前年度比0.9ポイント増で21.2%。研究所は「秋葉原地区では大型販売店の閉店など空洞化が進む一方、新宿地区では西口に大規模店が進出した」と分析している。けど「空洞化」って言い方は何なんだかねえ。別に空地が増えたわけじゃあるまいし。
 これってつまり、秋葉原にオタクショップが増えたことを言ってるんでしょ? ニュアンスとして、「オタクな野郎が増えたせいでパソコンが売れなくなっちまったじゃねえか」って含みがあるような気がして仕方ないんだが、これって私の勝手な思いこみか妄想だろうか。


 ハリウッド版『Dragon Ball Z』の監督を『GODZILLA』のローランド・エメリッヒが引き受けたかも、というウワサ。
 『ドラゴンボール』は全巻買ってるわりには思い入れがないので、誰が引き受けても構わんのだけれども、エメリッヒがばかすか予算注ぎ込んで作るとなると、『北斗の拳』とか『ストリートファイター』みたいなちょうど香ばしい程度のヘタレな映画にはならないで、随分大味なバカ映画になっちゃいそうな気がする。キャストがどうなるのかまだ全く伝わって来てないけど、エメリッヒが監督するとなると、これも結構ネームバリューのあるやつ選んだりしかねない。
 孫悟空をジェット・リーと言うのはありきたりだから、キアヌ・リーブスとかはどうかな?(^o^) で、ジェット・リーにはクリリンの方を演じてもらうと。そっちの方がハマリすぎかな。マイケル・ジャクソンとジャネット・ジャクソンで悟空とクリリンというのも考えたが、思いついただけであまり面白くはないな。
 チチは、マギー・チャンあたりが似合ってるように思うが、ルーシー・リューあたりが来るかも。スパルタママっぽい東洋人のイメージっつったら、アメちゃんにはこんなキャストくらいしか思い浮かぶまい。まあ必ずしも東洋人をキャスティングするとは限らんのだが。
 悟飯(息子の方ね)もそうなると必ずしも東洋人に拘る必要ないよなあ(つか、東洋人の子役なんて今誰がおるか殆ど知らん)。もうハーレイ・ジョエル・オスメントくんでもダニエル・ラドクリフくんでもいいけど、『ハリポタ』流れならロン役のルパート・グリントの方が似合ってるか。イライジャ・ウッドはもうデカくなっちゃってるからムリだろうな。
 ピッコロやベジータは誰がやってもなあ。ハリウッド俳優で顔が緑っぽいのを捜すと……おるかい(^_^;)。
 もちろんこんなのは、誰が何やろうがどうでもいいと思ってるから適当なことを言ってるんで、『DB』ファンの方はあまり目くじら立てないでくださいね。


 東宝が、19日から公開されている映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2/レインボーブリッジを封鎖せよ!』の公開後3日間の興行収入が、18億円、観客数が126万人になったと発表。これはこれまでの記録、『千と千尋の神隠し』の16億円を抜く勢い。気の早いマスコミは最終的な興行収入でも「『千と千尋』を抜くか!?」と煽ってるが、映画のヒットは今や口コミとリピーターによって支えられているから、『ターミネーター3』や『ハルク』、『パイレーツ・オブ・カリビアン』を向こうに回して、果たしてそこまでの魅力を観客に与えてくれるかどうか、ちょっと心許ない気はするんだが。
 もっともそのヘンは制作者側も充分考えているらしく、年末には「ディレクターズカット」版とか、音響を入れ直して更に迫力を増した「ニューバージョン」とかの上映も考えているという。……いやね、映画に各バージョンが生まれるのはもともと製作者と監督との間に異見が生じたせいとか、不可効力の面が大きかったんだけどね、それをわざわざ作るってのは道義的にどうなんだかねえ。そういうのが「戦略」になるって考えるのは分かるけど、せめてDVDになるときにしてくれんか。バージョン違いがやたらあるのって、観客にしてみれば「どれがホントの作品なの?」って悩まされるだけなんだが。
 映画は当然ヒットを狙わなきゃなんないものなんだけど、現実には、製作者の予測を越えた「何か」を観客が感じとった場合にのみ、爆発的なヒットにつながるってケースが圧倒的に多い。その「何か」ってのはまさしく「時代の要請」だったりするのだ。製作者が「読み通り」とほくそ笑むのは、そこに「思いあがり」が入ってるのは確実なんで、かえってヒットの分析を妨げてしまう危険があるんだけどね。


 昨日に引き続き、シティボーイズDVDボックス2、『レトロスペクティヴ シティボーイズライブ! 1995−1997』。
 『愚者の代弁者うっかり東へ』『丈夫な足場』『NOT FOUND あるいは、レイヴ・ウィズ・ザ・キャッチボール・シスターズ』の三本を収録。シティボーイズ三人に、中村有志・いとうせいこうが加わってギャグもシュールさもパワーアップした傑作群。シティボーイズの神髄を知りたい人はこのあたりからご覧になるのがオススメである。
 最初の二つはWOWOW放送時と殆ど同じで、前説のインタビューがカットされているくらい。つか、『丈夫な足場』には「この番組は平成8年5月4日に収録されたものです」というWOWOW本放送時そのままのテロップが流れるところまで同じ(^_^;)。これ、当時大竹まことが自動車事故起こして謹慎中だったんで流れたテロップなんだよね。そんなもんまでDVDに再録するかよ(-_-;)。字幕をマスターに焼きこんでたんなら、上から斜をかけるくらいのことはできるだろうに。大竹さん、これ見たら頭かかえるんじゃなかろうか。
 最後の『NOT FOUND』は、実際には凱旋公演として日比谷野外音楽堂での『非常識な青空』(と言いつつ、殆ど夜になってたが)を収録している。WOWOW放送時はこれが実に変則的な放送の仕方をしていて、始めこの『非常識な青空』を放送したとき、『外された人達』のスケッチだけはパナソニックグローブ座の公演バージョンのものと差し替えられていた(理由は不明)。更にその後、グローブ座版も完全放送されたのだが、そのときは野音版のときは演じられなかった「拡声器家族」のスケッチが一つ増えていた。
 DVD版は野音版の完全収録(ビデオ版と同じ)なので、『外された人達』は野音版が初めて収録それている。
 グローブ座版と野音版を見比べると、スケッチの完成度ではグローブ座版のほうが高いのだが、野音版には最後に特別ライブ「無間地獄&恋人たちのゴム脳」が追加されているので、できれば同時収録してほしかった。せめてボーナスディスクを付けるとか、そういうサービスが欲しいところなんだが、こういうライブDVDはたくさんハケるものでもないし、あまり予算をかけられない、というのが正直な事情なんだろう。
 チケット即日完売のこれだけ面白いライブショーでも、世間的な認知度はまだまだなんだなあ。見たことない人、いっぺん見てみようよ。今年行われたシティボーイズミックス『NOTA 恙無き限界ワルツ』のWOWOW放映は9月11日深夜12時(9月12日A.M.00:00)から。もっとも今回のライブはシティボーイズライブのレベルとしてはちょっと低調なんだけどね。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』巻の六(講談社/少年マガジンコミックス・410円)。
 掲載誌が「マガジンスペシャル」に移ってからの分だけれども、話がなかなか先に進まない。アクションを大ゴマで見せてるせいなんだけど、それがイケナイってことじゃなくて、単行本を3巻くらいまとめて読むとちょうどいいペースなんだよね。それにしても今回のシリーズのヒロイン(?)功流美母さんが全く出てこないっての、ちょっとまずくないか。人気あると思うんだけどな。
 久方ぶりの登場、天光寺のフィアンセの小夜子ちゃんが“わずか一年で”巨乳になったのにはちょっとねえ(^_^;)。いや、流行ものを取りこむのはこのマンガの昔からの定番だったからこれもありえることではあったんだけど、ロリコンキャラをいきなりイエローキャブにするかよ。これから活躍するならともかく、今までイロモノ以外の役に立ってなかったからなあ。ま、いいんだけど。


 マンガ、加藤理絵『センチメンタル漫画文學作品 灰色の乙女たち』1巻(スクウェア・エニックス/ステンシルコミックス・580円)。
 タイトルと表紙の絵柄だけで購入。つまんないとまでは言わないけど、まあ普通の少女マンガ。あまりこういうのに「文學」なんて惹句を付けないでほしいんだけどなあ。
 母親をなくして、父親と二人で生活してる村山ミサキ。ところが気が弱くて亡妻のことを忘れられない父親は、なんとミサキを放り出して家出してしまう。一人で気丈に生きる決意をするミサキだが、ステキな彼、春原純に出会ったことから、少しずつ頑なな心がほぐれていくのを感じ始める……。
 まあ、そういうマンガです。20年くらい昔だったら読みながら滂沱の涙を流したかもしれないけど、ちょっとこのトシになっちゃうとねえ。どうしても「その程度の不幸な子ならいくらでもいるよなあ」と思ってしまうのである。それでも主人公は別に自分の不幸に甘えてはいないから、不快感はないんだけれども、もう少し話のキモになるような工夫が作れないものかな。

2002年07月24日(水) ウソから出たアホウ/『追悼の達人』(嵐山光三郎)ほか
2001年07月24日(火) 目標達成!……って何が/『腐っても「文学」!?』(大月隆寛編)ほか


2003年07月23日(水) 神ならぬ身なれば/映画『不連続殺人事件』/DVD『レトロスペクティヴ シティボーイズライブ! 1992−1994』

 福岡市の一家4人殺害事件、犯人(?)の似顔絵が発表されたけど、なんかビートたけしに似てないか(^o^)。
 つか、なんで肩揺らして首を曲げて斜めを見てんのよ。そういう仕草してるって情報でもあったのかね?

 
 少女監禁事件でちょっと影が薄くなってた(という見方は不謹慎なんだが、実際マスコミの報道の「量」を考えればそれは事実である)長崎の駿ちゃん誘拐殺人事件、駿ちゃんのお父さんが、昨22日、犯人の少年が事件についてコメントしている言葉を聞いて、激昂していることを発表。
 少年が被害者への謝罪の気持ちを表したり、「自首するつもりだった」などと話していることに対して、お父さんは「言い訳としか思えない」と反発しているとか。事件直後、既に「極刑に」と怒りを表明していたから、少年の反省の気持ちなど受け入れられないのは分るが、12歳の少年がたいした罪の意識など持ち得ず、「言い訳」にしか聞こえないコメントしか言えないのも事実だろう。
 既に少年が最近書いた作文なんかがあちこちで紹介されてるが、まあマトモに読めるシロモノではない。もっとも、イマドキの中学一年生の文章力なんて、大概あの程度のものであろう。それなりに文章が書ける人間は自分を基準にして判断してしまうから、あの12歳がすごく幼稚で精神的に欠陥があるように思えてしまうが、実際はあの程度のバカガキはそこいらにゴロゴロしてるんである。
 まあどんなコメントを口にしてるのかは分らないが、「ぼくはとてもわるいことをしてしまいました。こんなことはもうにどとしたくないです。しゅんくんのおとうさんおかあさんごめんなさい」とかそんなものではなかろうか。多分、誰が見ても誠意だの反省の念だの全く感じられないものじゃないかと思う。
 少しずつ少年を取巻く環境や、親の教育の仕方にも異常なところがあったような報道がされつつあるが、さて、それがどれだけ真実に近いものだろうか。既に世論は全ての責任を「親」におっかぶせて、事件の持つ本質的な意味から目を逸らそう逸らそうとしている。犯人の少年だって、そのうち自分には責任がない、「親」がボクを虐待してたんだとかなんとか責任を回避するような「知恵」を学習するのではないか。
 これは冗談ではなく、昨日読んだ『フロイト先生のウソ』に、残虐な行為に走った子に過去にトラウマがなかったかどうかほ「誘導」すると、一様にありもしなかった「虐待」の事実を思い出す、という例が報告されているのである。それくらい12歳(実はオトナも)の記憶力や認識能力などはアテにならない。
 12歳の心の闇を探る、と言っても、現実にはブラウン運動を予測するようなものだ。将来的に彼が心の底から罪を悔いる気にならないとまでは断定しないが、たとえどんなに心の底からの贖罪の言葉を彼が口にする日が来たとしても、駿くんのご両親の気持ちが晴れることなどあるまい。
 「更生の可能性があるなら」、年齢に関わらず、加害者にはその機会が与えられなければならない。これはもう法治国家の義務みたいなものだ。で、「更生の可能性がない」などと断定することなど、簡単にできるはずがないことは納得せざるを得ないだろう。その理念のもとに立っていれば、法的判断が加害者の人権を最大限保護する方向に動くことは当然のことなのである。
 つまりあの12歳を処断するためには、彼が「全く更生の可能性がない」ことを「事実に反してでも」証明しなければならない。世論は今、「そういう方向に」動こうとしている。それがどれだけ危険なことか、お分りいただけようか。
 私はもう、発想を変えて、「加害者に更生する可能性があっても極刑に処す」法理論を確立しなきゃならんのじゃないかと思っている。「この先何十年も更生と反省の日々を送らせるのはつらかろうから、早いとこ死なせてあげようよ」というリクツである。乱暴だというご意見もあろうが、だったら、駿くんのお父さんの「極刑に」発言はもっと乱暴であろう。被害者の親であることが意見の正当性を保証するものではないのである。
 それがダメ、というなら、社会は少年の更生に関して「責任」を持つしかない。地域が、彼に関わる人全てが、何らかの形で彼の一生の一部を引き受けなきゃならないことになるのである。その可能性を考えずに、法がどうのと好き放題言ってるやつの意見なんぞ、一片の価値もないのだ。
 

 CS日本映画専門チャンネルで録画しておいたATGアーカイブ『不連続殺人事件』を見る。
 坂口安吾の日本推理作家協会賞受賞作に惚れ込んだ曾根中生監督が原作に忠実に映像化。1977年公開。
 脚本に大和屋竺・田中陽造・曾根中生・荒井晴彦の4名が名を連ねているが、ストーリー構成もセリフもまさしく原作そのままである。探偵小説として無類の完成度を誇っている作品だから、イジリようがなかったのかもしれないが、正直な話、楽な仕事してんなあ、という印象は否めない。小説をそのまま引き移しても映画になるはずもなく、昔見た時にも思ったんだけれど、演出がなんともヨワイのである。
 安吾自身はこの小説のトリックを独創的なものと主張していたが、実は彼が尊敬してやまない海外の某作家のいくつかの長編のトリックを頂いている(タイトルは未読の方のために隠しときます)。それを喝破した横溝正史は、文士の余技にプロの探偵作家が負けてたまるか、それじゃあ、オレが同じトリックを使って「上をいくもの」を一つ書いてみせようと、更に創意工夫を凝らして代表作の一つとなる金田一耕助ものを一作、安吾風のファルスを一作、モノにした。それくらいポピュラーなトリックだから、すぐに見破れそうなものだが、どっこい、原作の方はそう簡単にはいかない。
 推理作家協会賞授賞式で、江戸川乱歩は、この小説の最大のトリックは、安吾の意図したソレではなく、安吾の文体そのものにある、と言った。あの「無頼派」の文体によって描写される人物がいずれも俗悪かつ淫靡で、もう誰が犯人でも構わんじゃないかという印象を与える点がスバラシイというのだ。
 一見、ホメているようではあるが、この乱歩の指摘は、「アンタの考えたトリックは先例があるから威張れたもんじゃないよ、賞をやるのはアンタが無意識で書いてる文章が物語を錯綜させる効果を偶然あげていて、これも一つのトリックと解釈できるからだよ」と言ってるのに等しいのだが、安吾自身はこの受賞をすごく喜んでいたそうだ。おめでたいことだが、微笑ましくもある。
 問題は映画である。
 安吾の文体そのものがトリックだとすれば、映画はその文体を映像にいかにして移し変えるか、ということに腐心しなければならないのだが、そこでこの映画は決定的なミスをしてしまった。原作に忠実だからではない。ほんの少しだけ、「原作にない余計なシーン」をつけ足してしまったのだが、これがミステリ慣れしている人間から見れば犯人バレバレのヘボ演出だったのである。探偵小説の機微を知らない演出家に作らせるとこういうことになるのだが、実際、テレビの2時間ドラマの類ではこの手のヘボ演出はやたら多いのだ。
 面白い偶然はあるもので、この『不連続殺人事件』の元ネタの一つとなった某作家の小説が、翌年映画化されて日本にも輸入されたのだが、やはり「原作にない余計なシーン」を付け加えていた。その原作を私は当時はまだ読んでいなかったのだが、「全く同じ映像」が展開されるので、そのシーンが出た瞬間にトリックを見破ってしまった。二作を比較すると二つの作品のトリックが同一であることが簡単に分かる。その海外映画はミステリとしての評価が案外高いのだが、そういう理由で私は今に至るも失敗作だと思っている。
 それにしても二作の監督が「創造した」はずの演出法が、全く同じであったというのは、映像作家としてもちょっと問題なのではなかろうか。もちっとアタマは働かなかったのかと情けなく感じることである。
 本格ミステリが必ずしも映像に向かないとは思わない。ただ、映画監督というのはどうしても「映像」のドラマを優先してしまうので、ミステリとしての要素は簡単に破綻する。それを両立させる方法を案出できないならミステリ映画を撮ろうなどと思ってはいけない。
 でも、そんなにつまんないと言うほどではないのだ、この映画。
 キャストだけはこの映画、通好みだと言える。ATGのことだから実際は「そのときスケジュールが空いていた」人を寄せ集めただけに過ぎないのだが。以下にそれをちょっと示して見る。
 
 歌川一馬(嵯川哲朗)詩人。8番目の被害者。
 歌川あやか(夏 純子)一馬の現在の妻。土居光一の元妻。
 歌川珠緒(水原明泉)一馬の妹。放蕩娘。2番目の被害者。
 歌川加代子(福原ひとみ)一馬の腹違いの妹。肺病病み。5番目の被害者。
 歌川多門(金田龍之介)元政治家。一馬の父。6番目の被害者。
 下枝(泉じゅん)歌川家の小間使い。多門の現在の妾。
 矢代寸兵(田村高廣)作家。
 矢代京子(桜井浩子)八代寸兵の妻。歌川多門の元妾。
 土居光一<ピカ一>(内田裕也)画家。
 望月王仁(内田良平)流行作家。1番目の被害者。
 巨勢博士(小坂一也)探偵小僧。
 南雲一松(殿山泰司)疎開中の老人。
 南雲由良(初井言栄)一松の妻。多門の妹。
 南雲千草(伊佐山ひろ子)一松と由良の末娘。3番目の被害者。
 三宅木兵衛(石浜 朗)フランス文学者。
 宇津木秋子(楠 侑子)女流作家。三宅木兵衛の妻。歌川一馬の元妻。7番目の被害者。
 神山東洋(神田 隆)弁護士。多門の元秘書。
 神山木曽乃(絵沢萠子)神山東洋の妻。元新橋の芸者で多門の元妾。
 人見小六(江角英明)劇作家。
 明石胡蝶(根岸とし江<季衣>)女優。人見小六の妻。
 丹後弓彦(木村 元)翻訳家。
 内海 明(内海賢二)詩人。傴瘻男。4番目の被害者。
 海老塚晃二(松橋 登)歌川家主治医。
 諸井琴路(宮下順子)看護婦。
 坪田平吉<ツボ平>(粟津 潔)小料理屋の主人。宇田川家の元料理人。
 坪田テルヨ(岡本 麗)その内儀。
 八重(梓ようこ)歌川家の女中。
 奥田利根五郎(谷本 一)復員軍人の製図工。論語読みの狂人。
 片倉清次郎(浜村 純)歌川家の元番頭。
 南川友一郎巡査(長 弘)駐在。
 平野雄高警部<カングリ警部>(桑山正一)捜査部長。
 荒広介部長刑事<八丁鼻>(武藤章生)
 長畑千冬刑事<読ミスギ>(清川正廣)
 喜作(西沢武夫)歌川家の下男。

 原作にはあと飯塚文子、別名アタピン女史という女刑事も登場するが、これはカット。しかしそれ以外は殆ど原作をカットしていない。よくぞ140分の枠に収めたものである。
 特撮ファンには『ウルトラQ』『ウルトラマン』の桜井浩子の出演が嬉しいところだろう。『Dr.スランプ』則巻千兵衛役などの声優、内海賢二が顔出しで出演しているのも珍しい。江角英明は『ルパン三世』のパイカルや『こち亀』の邨田署長の声優だが、もともと日活のバイプレーヤーとして活躍していた人だ。
 内田裕也はこれ以前にチョイ役で『エレキの若大将』などに出演してはいたが、本格的な映画出演は初めて。あくまでロックシンガーであるという意識を持っていたのか、時代設定が戦後なのに、その当時のアフロな髪形のままで出演。これにはムチャクチャ違和感があったが、芝居もドシロウト以下であった。後年、『戦場のメリークリスマス』『コミック雑誌なんかいらない』ほかで狂気的な演技を披露することになろうとは当時は全く予測していなかった。
 探偵役の故・小坂一也はアプレゲールの軽妙さが今一つ出ていない。時代を原作通り昭和22年に設定してくれたのはいいのだが、戦後の「雰囲気」まではなかなか再現できなかった。
 それにしても故人の多いことよ。しかも好きな役者さんばかりだ(T.T)。考えてみれば映画公開時からもう26年が経っているのだ。内田良平、殿山泰司、初井言栄、神田隆、浜村純、桑山正一各氏、みな今は鬼籍の人。悲しい。

 詳細は省いているが、原作第1章に「俗悪千万な人間関係」とある通り、一馬と加代子は兄妹でありながら道ならぬ恋に落ちていたり、珠緒は誰彼なしに男から男へと渡り歩いていたりしている。魑魅魍魎跳梁跋扈と言うか、小説を読んでも映画を見ても、胡散臭い登場人物が多過ぎて、誰が誰やら区別がつかないのである(^_^;)。これでは確かに誰が犯人であるか見当がつかないのも当然だ。私は映画より先に原作小説を読んでいたが、私が想定した犯人も全くのハズレであった。
 映画を見るか小説を読むかとはよく言われることだが、まずは安吾が純然たる「ゲーム小説」として書いた原作を賞味して頂くのが順当だろう。
 『不連続』に始まる「巨勢博士シリーズ」には、長編『復員殺人事件』(中絶のため続編は『樹のごときもの歩く』と題して高木彬光が執筆)、短編二作『選挙殺人事件』『正午の殺人』がある。これは全て『坂口安吾全集11』(ちくま文庫)で読める。11、12巻には『安吾捕物帖』も収録されており、これは勝海舟を狂言回しにした最上質の短編ミステリ集なので、ぜひご一読を請うものである(昔、NHKで連続ドラマ化されたこともあるのでご承知の方も多かろう)。安吾が若死にしなければ、もっともっと探偵小説を書いていたことだろう。
 野田秀樹も「坂口安吾の生まれ変わり」とか嘯いてるなら、巨勢博士シリーズを続けて書いてみろと言うのだ(もちろん彼が生まれ変わりではない証拠はいくらでも出せるが、その一つに、野田秀樹はドストエフスキーの『罪と罰』を探偵小説として評価しているが、安吾は生前にそれを『私の探偵小説』の中で「暴論」と切って捨てている事実がある。好きならエッセイまでちゃんと読んどけよ、野田秀樹)。

 『不連続殺人事件』は、後に1990年11月、フジテレビの「男と女のミステリー」枠で「昭和推理傑作選」と題して再映像化されている。脚本は安倍徹郎、演出は若松節朗。2時間の枠に収めるためにかなり人物が整理されている。例えば巨勢博士、八代寸兵、八代京子の三人は巨勢博士(野村宏伸)一人に統合された。
 他のキャストは以下の通りである。映画版と比較するのも一興だろう。
 
 歌川一馬(古尾谷雅人)
 歌川あやか(佳那晃子)
 歌川珠緒(芦川よしみ)
 歌川多聞(内田朝雄)
 宇津木秋子(松本留美)
 明石胡蝶(白都真理)
 南雲千草(あめくみちこ)
 杉江下枝(万里洋子)
 川北加代子(浅野愛子)
 八重(石井富子)
 絹代(絵沢萌子)
 諸井琴路(中尾ミエ)
 平野警部(山谷初男)
 車掌(ラサール石井)
 荒刑事(山田辰夫)
 望月王仁(原田大二郎)
 丹後弓彦(ベンガル)
 人見小六(河原崎健三)
 三宅木兵衛(速水亮)
 内海明(ビートきよし)
 海老塚医師(西岡徳馬)
 土居光一(神田正輝)

 こちらはなんとなく元アイドル総登場と言った雰囲気だ(^o^)。芦川よしみも最近見ないなあ。万里洋子も浅野愛子も当時は清純アイドルとして売ってたものだったが、お決まりのヌードから引退というパターンを辿った(と思う)。絵沢萌子は映画版にも登場しているが、テレビ版では待合(連れこみ旅館のこと)のおかみ役。個人的には巨勢博士と推理合戦を繰り広げる腹の知れぬ弁護士、神山東洋がカットされたのは残念である。
 近親相姦ネタは避けて、巨勢博士と加代子の間にほのかな愛情を感じさせるなどのアレンジは推理ゲームとしては余計であるが、テレビドラマの性格を考えるといたし方のない改変だろう。当然、内海明も傴瘻男ではない。


シティボーイズDVDボックス1、『レトロスペクティヴ シティボーイズライブ! 1992−1994』、立て続けに鑑賞。
 舞台のテレビ放映はどうしても魅力が半減してしまうが、シティボーイズは比較的その魅力が減殺しない珍しい例である。すごく単純なことだけど、セリフの間がちゃんと取られているから、耳で聞いてるだけでも面白いのだ。小劇場の連中が、夢の遊眠社についても第三舞台についても、ビデオ映像になると途端につまらなくなるのは勢いだけで間がなっちゃないからなんだよね。ああ、あと、セリフ回しも芝居も一律で、キャラクターも全然演じわけられていない。しょっちゅうトチる(^_^;)シティボーイズのお三方より、つまんない芝居しか作れなかったのはなぜか、小劇場出身者はもちっと考えた方がいいよ。
 収録されているのは『鍵のないトイレ』『愚者の代弁者西へ』『ゴム脳市場』の三本。けれどWOWOW放送時より、随分カットされている。
 『鍵のないトイレ』は、本編のカットはないが、楽屋裏インタビューと、ラジカル・ガジベリビンバシステムの紹介映像がカット。
 『愚者の代弁者西へ』は、『ラジカセマン』のスケッチがまるまるカット。ホームレスを扱ったのが悪かったのか、『コンドルは飛んでいく』をBGMに使ったのが、ビデオ化する際に許諾が取れなかったのか。ピー音が入るのまでは我慢するけど、まるまるカットというのはなあ。おかげで、WOWOW放送時の録画ビデオが消せないのである。『ゴム脳』には見たところ、カットはなかった。
 それにしても、毎年見るたびに面白くなって、ついにはこのライブを見るために上京するようになるとは、10年前には思ってもいなかったのである。

2002年07月23日(火) 夫婦ファイト!/『コリア驚いた! 韓国から見たニッポン』(李元馥)/『ロングテイル オブ バロン』(柊あおい)ほか
2001年07月23日(月) 猛暑に耐えるくらいならクーラー病の方がいい/『(週)少年アカツカ』(赤塚不二夫)ほか


2003年07月22日(火) オタクの末路?/『吼えろペン』8巻(島本和彦)/『フロイト先生のウソ』(R・デーゲン)/DVD『マジンカイザー死闘!暗黒大将軍』

 昨21日、川崎市でペット卸販売店に侵入してカメ88匹を盗んだ無職の男(46)が逮捕された。
 もともと男は大のカメ好き。自宅でも、カメ20〜30匹を飼育している。男はカメを盗んで帰宅すると、水槽には入れずに洗面器やたらいに振り分けてそのまま眠った。朝になって家中がカメだらけになっていることに気づいた家人が、さてはカメを盗んだかと110番通報したと言う。
 いやまあ、なんと言うか、女の子を集めるよりは罪がないかなという微笑ましい事件だね。罪になるんだけど。本人はホントに純粋にカメが好きで、売買して儲けようとかそんな気は全くなかったらしい。これこそ純粋犯罪と言えるかね。今私が作った言葉だけど。
 でも、ふと考えれば、88匹という数はやっぱり異常は異常なんである。最初は一匹二匹だったのがどんどんエスカレートしてってあのカメこのカメとほしくなったのであろう。日本に生息するカメはクサガメ、ニホンイシガメなど7種類だけだが、全世界では70種類以上いるとか。そういうものもツガイで集めてきちんと飼育しよう、なんて考え始めれば確かにキリはあるまい。多分、一種ごとに育て方も違うと思われるが、そういうものも調べて飼おうとしてたんではなかろうか。そういう粘着質は、食玩を全種類コンプリートしなければ気がすまないオタクの気持ちに共通するものがある。憶測だが、この男がかつて『ガメラ』のファンであった可能性は案外高いのではないか。かつてのガメラブームを知らぬ若い人にはピンと来ないだろうが、『ガメラ』ファンは必然的にホンモノのカメも好きになっていたものなのである。
 オタクに対する一般人の偏見は未だに強い。
 家人も多分、男から「またカメ飼いたいんだけど」とか言われて「いい加減でこれ以上カメ飼うのやめなさいよ、もう30匹もいるのよ」と怒ったりしてたんではあるまいか。オタクの欲望を頭ごなしに規制することがどんな事態を産むか、家人は気づかなかったに違いない。まあ野放しにして財産食いつぶされても困るが、オタクの心はみな繊細で傷つきやすいのである。優しく真綿でくるむように接して頂けるとありがたいのだが。いや、私の集めてるものは本とかDVDとかあまり危険のないものばかりなんで(^_^;)。


 香取慎吾主演で『忍者ハットリくん』が映画化だって。もちろんアニメでなく実写である。ここまで来るとなんでもあり……つか、ずっと先に実写ドラマ化されてたこと知ってる人ももう少なかろうなあ。って私も本放送時にはまだ生まれてない。これも有名だが、デビュー当時の松坂慶子が出てたくらい昔なんである。
 ふと思ったのだが、我々がマンガの実写化にどうしても拒否反応を抱いてしまうのは、アニメが普及する以前、マンガが実写化されたモノに稚拙っつーか、ロクでもないものがやたら多かったせいではなかろうか。『鉄腕アトム』も『鉄人28号』もなんかねー、という出来である(もちろん『忍者部隊月光』のような例外もある)。
 かつての「恥ずかしい」記憶が無意識に残っていて、どうしても拒絶反応を起こしてしまうのだ。……って、だからそのころ私、まだ生まれてないんだって。


 仕事帰りに博多駅の「杵屋」でミニ天丼定食。天丼にウドンがついてるんだけど、これくらいがカロリー的にはちょうどいい。別に食っちゃいけないものがあるんじゃなくて、量を減らしゃいいだけなんだから。


 マンガ、島本和彦『吼えろペン』8巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 島本和彦はこのマンガのこの巻を描くために生まれてきたと言っても過言ではないのではないか(^o^)。
 もちろん、「富士鷹ジュビロ」の登場である。まあこれまでにも島本さんは実在マンガ家をモデルにして描いてきてたけど、これはもうホンモノ以上に熱い(いや、本人知ってるわけじゃないけど)。島本さんはこのエピソードを描くだけで通常の2倍くらいの時間をかけちゃったのではないか(^o^)。
 これまで島本和彦の「熱さ」に対抗できるマンガ家などそうはいなかった。熱く見せかけて実は軟弱、でもやっぱり熱血という島本さんの築き上げたギャグだかシリアスだかよくわかんないけど、勢いがあればそれでヨシ! というスタンスは、唯一無二のように思えたのだ。まさかその牙城を脅かすギャ……いやいや、熱血マンガ家が現れようとは誰が予想しただろう。
 何たって、富士鷹ジュビロが富士鷹ジュビロの絵柄で咆哮するのだ(本人が描いてんじゃないかってくらいのすげえカキコミ)。まさに「吠えろペン」というタイトルは彼のためにあったと言っても過言ではない。
 いやもう、とてもその「熱さ」を伝えられる筆など私は持っておりません。いくつかのジュビロ氏のセリフを引用するだけで御容赦(^_^;)。

 「面白くなるように……話に読者が食いつくように……と連載の当初はどんどん目新しいエピソードやキャラクターを投入し……これでもかこれでもか! と風呂敷を広げまくり――気がついたら大変なことになっちゃってるもんなんだよ!!」

 「大人がだ! マンガ描いてメシを食わせてもらている、仮にもプロがだよ!! 自分をきつく戒めながら、それでも立ち向かって行くという姿を! 若い読者に見せられんでどうする!」

 「おれは、たとえ死にそうに時間のない時でも! 原稿を落とす――いわゆる雑誌に穴をあけたことはないんだよ! もちろん今後もあけるつもりはいっさいないが! それがプロとして最低限の縛りじゃあないのか!?」

 「アシのみんなには正しい線を描くようにと指導している……が、魂のこもったキャラクターは実はイビツであるべき! くずれてなきゃいかんのだ!」

 「一度雑誌に載せたものを……単行本の時に改竄するのは読者に対する裏切りだ!! だったら最初っからやらなきゃいいんだ! 単行本描き直しという腰の抜けた行為は、おれは大嫌いだ!!!」

 「ククク…ついにおれも『吠えろペン』に出るか! ついに! ……だがな…言っておくが、下手な遠慮するなよ! やるからには面白さ最優先だ! わかってるな!? 遠慮してつまらんものを描いてみろっ、絶対に許さんぞっ!!」

 手塚治虫を思いっきり批判してるのもあるな(^_^;)。
 けれど私もここで声を大にして言おう。

 「ジュビロのセリフを聞いて、妙に斜に構えたり、何をアツくなってんだバカ、とか嘯くヤツラは魂が腐っている! 人間のクズだ! 男なら自らの魂に向き合わんでどうする! 燃えて吠えてこそ、それが男の生きざまというものではないのかっ!!」

 ……うーむ、やはりジュビロ氏ほどの熱さはなかなか再現できんなあ(^_^;)。



 ロルフ・デーゲン(赤根洋子訳)『フロイト先生のウソ“Lexikon der Psyco-Irrtumer”』(文春文庫・740円)。
 タイトルはフロイトだけをターゲットにしているが、「心理学」全般の胡散臭さを様々なデータをもとに片っ端から批判した本である。
 精神分析も含めた心理学が決して万能ではないことは随分前から指摘されてはいる。学問としても新しく、理論として確立されているわけでもない。フロイトのようになんでもかんでもリビドーで説明しようってのはそりゃムチャだろうとシロウトでもわかるし、学会でもフロイトを引用すれば失笑を買うとも聞いている。じゃあ、ユングならいいのか、というものでもないらしい。要するに学問としては未だ「発展途上」の分野なのである。
 だから突っ込もうと思えばいくらでも突っ込みどころはあるのだが、往々にしてこういう本は「突っ込みすぎ」て、かえってその実証性を疑われることにもなりかねない。
 例えば犯罪者の人格形成に教育やマスメディアが一切関与していないような書き方はやはり「言い過ぎ」ではないか。子供が犯罪を起こせばすぐに「親の教育が悪いからだ」と短絡的に語りたがる人間が多いのには確かに閉口するのだが、「親による虐待などの不幸な家庭に育った子供が、将来破壊的な行動に走るとは限らない」ことは、「犯罪行動の素因として幼児期の虐待が影響している」ことを否定することにはならないのである。
 「実証的データを元にした検証」というのが謳い文句ではあっても、そのデータの抽出が恣意的であれば導かれる結果は当然誤る。そのことを戒めている本書が同じ過ちを犯していては、失笑を買っても仕方があるまい。
 もう少しその「実証」の内容を細かく見てみる。
 「無意識」の項で、筆者は「投影」(=性衝動や願望、罪の意識を他人に無意識的に移し替える防衛機制)などあり得ない、と否定する。分りやすく言えば、誰かが「あいつは陰険なやつだ」と非難したら、実はそれは自分のことを語っている、というものである。
 この時点で、「そりゃそういうこともあるだろ」とたいていの人は納得すると思うのだが、筆者は納得しないのである。彼はデヴィッド・ホームズの実験を紹介してそれがいかに間違っているかを説明する。
 被験者にまず自分の欠点を挙げてもらった。次に、彼が他人の欠点をどう思っているかも挙げてもらった。また、知人・友人にも被験者に対する評価も挙げてもらったのである。結果、友人から指摘された欠点を被験者が他人に投影している例は全く見られなかった、というのだが、さて、この実験が実験として成立していると言えるだろうか。こんな杜撰な実験で「投影はない」などと結論付けちゃいかんのじゃないか、と誰でも気づきそうなものなのだが。
 「あいつはおっちょこちょいだよな」
 「そりゃお前のことだろ」
 こんな会話を友人間でしたことのない人間はいないだろう。ネット上の論争でも「そのセリフそのままお前に返すぜ」というパターンは実に多い。みんな「目糞鼻糞を笑う」例はいくらでも知っている。
 「投影」はコムズカシイ心理学用語のなかでも一番理解しやすいものの一つである。「投影」は現実にあるのだ。なのになぜこの実験では被験者が他人に「投影」をしなかったのか。被験者が想定した「他人」に自分の中にあるような欠点が発見できなかったか、あるいはこんな「あなたの欠点と他人の欠点を挙げて下さい」と言われれば、それが何の目的で行われてるかを被験者が気づいてあえて投影を行わなかった、と考えるのが妥当だろう。こんな実験は何の証明にもなっていないのである。
 一つ一つの例を詳しく見ていくとキリがないのだが、「心身症」も「多重人格」も全てウソ、心理療法はプラシーボ(偽薬)効果以上の効果を上げていない、などと断定されると、そりゃなんぼなんでも言い過ぎやがな、と反証を挙げたくなってしまうのである。「臨死体験」や脳に関する「10パーセント神話(=脳の90%は使われていない)」「右脳左脳」などに疑義を提するあたりが納得できるだけに、我田引水的な部分が結構目立つのが残念なのである。
 

 DVD『マジンカイザー 死闘!暗黒大将軍』。
 第2シリーズが作られるとばかり思ってたのだけれど、結局1時間のスペシャル完結編でおしまい、ということなのかな。ブロッケン伯爵、ピグマン子爵、ヤヌス侯爵は未登場のまま、私が一番好きな原作エピソード、「ドナウα1」(考証的には正しくても「ラインX1」にしちゃダメなんだよう)も映像化されないままだから、ホントはここで終わってほしくはないんだけど。
 地獄大元帥でもう一本、ということも考えられなくはないけれど、ミケーネの七大軍団は使い切っちゃったし、スケールダウンするのは否めないものなあ。テレビシリーズだって闇の帝王との決着はつかないままだったから、まだまだ未消化な印象は否めないのである。
 けどマジンガー軍団の敗北、もりもり博士の死、ゴーゴン大公の甲児暗殺作戦など矢継ぎ早にエピソードを畳みかけて暗黒大将軍との一騎打ちに持ちこむまでの勢いはよくぞやってくれた、と感激ものである。やっぱり原作のエッセンスをちゃんと使ってくれるのが一番いいのだ。
 『マジンガー』には出演していない永井豪キャラとして、リッキー(ちい子先生)、パイロット(悪馬尻直次郎)、欧州連合軍の隊長(雷沼教授)がゲスト出演。そのへんはサービスなんだろうけれど、暗黒大将軍の声は映画版の小林清志氏でもなければTV版の緒方賢一氏でもなく、飯塚昭三氏。ゴーゴン大公も加藤修氏ではなく長克己氏。どちらも悪くはないけど、オリジナルメンバーでというコンセプトが崩れちゃってるのは残念。

2002年07月22日(月) 角川+大映=…?/『楽勝!ハイパー▽ドール』vol.2(伊藤伸平)/『スレイヤーズすぺしゃる�魁,襪覆討�・へすてばる』(神坂一)ほか
2001年07月22日(日) 愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか


2003年07月21日(月) うらんでやるわああああっ(^o^)/映画『星空のマリオネット』/『花の高2トリオ 初恋時代』

 ここんとこ、しげが某女性のWEB日記にハマッて毎日更新を楽しみにしている。
 どんな日記か、口にするのはちと言いにくいのだが、自分が男に愛されないことを恨んで、モテる女性に対する怨嗟と呪詛の声をツラツラと書き綴っているという……(^_^;)。
 まあもしかしたらネタなのかもしれないけど、それにしてもここまでの筆力は感嘆に値する。
 自分の容貌にも性格にも能力にも自信があって、だもんでどうして自分がモテないのか分らない、みんな親が、見る目のない男が、私のジャマをするバカオンナが、私にロクな仕事をくれない会社が悪いんだ、恋愛経験が全くないわけではないけれども、それも不倫だったりして最後はいつも哀れな結末、けれど夢だけはまだ持ってて、いい男捕まえていつかは幸せになるの絶対よ、玉の輿なの玉の輿、オホホホホ……。
 って、直接の引用を避けてまとめただけじゃ、とてもその日記のキョーレツさは伝わらない。我田引水疑心暗鬼被害妄想電波障害如法暗夜阿鼻叫喚、カンペキにキテるよなー、こいつ、と、笑うより引いちゃうような日記なんですよ。開設されてまだ一週間だってのに、もう40000HITしてるんですね、これが。一日6000人!? やっぱりデンパなところにゃ人が集まるものですねー(^_^;)。
 それにしてもしげはなんでそんなとこ読んでるのかなー、なんかシンクロするところでもあるんかいな、と思っていたら、よしひと嬢まで「わあ、すごい!」とか言いながらパソコン画面を食いいるように見ているのである。「私も日記書きたいんですよねえ、そうか、こう書けばいいんだあ」。
 いや、こんなん見本にしていいこたないと思うんですけど。それともそんなにオトコや仕事についての毒吐きたいんですか、よしひとさん(^_^;)。
 もしホントによしひと嬢が日記を書き始めたら、ぜひリンクさせていただきたいんですがね。ご本人は「でも荒らされたらいやだし」とか仰ってるが、なあに、メールアドレス公開しなくて、掲示板設置しなけりゃいいんですよ。もっとも2ちゃんねるにウォッチスレ立っちゃうかもしれませんが(^o^)。


 頚部リンパ節がんの治療のため休養していたいかりや長介が、19日、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2』の舞台挨拶に出席。復帰自体は嬉しいのだけれど、あまり無理はされないでボチボチ仕事していただきたいものである。
 ここんとこ、好きな役者さんの訃報を聞くことが多い。ドリフ復活はもうずっと期待し続けているのだけれど、いかりやさん(チョーさんと呼ぶべきか)の自伝『だめだこりゃ』を読むと、それももうないような気がする。『全員集合』終了でドリフはもう終わっていたのである。
 荒井注さんも亡くなられて久しい。なんだか自然と落ちこんでいくのだが、いかりやさんが倒れたとき、加藤茶がやたら「いかりや長介はきっと帰って来ます!」なんて悲痛なコメントを述べていたので、復帰したと言ってもまだ不安が消えないのである。
 若い人たちにはもういかりや長介は「ドリフのチョーさん」じゃなくて「『踊る』の和久さん」なんだろうな。決して演技力があるとは言えないいかりやさんをあまり動かさずに、存在感だけを利用して「うまく」使っていることは事実だけれど、もう少し立たせて上げてもいいんじゃないかと思うのだけれども。
 でもまずは『踊る』シリーズを復活させて、いかりやさんの居場所を作ってほしいと思う。本広克行監督、そういう「気配り」が本当の映画人なら必要だと思うんだけど、どうかね。


 朝のニュース番組で、ピーコさんがこないだの博多の水害について怒っている。博多の行政なっちゃないって。あれからいくつかの番組が今回の水害について「検証」を行っているのだが、視察に来た県職員に、市民の一人が「あんた、4年前には大丈夫だと言ったじゃないか!」と食って掛かっていたのだが、その職員が無言でなにも言い返せないのが印象に残った。「河川工事さえ終わっていれば50年に1度の水害にも耐えられる」とか言ってた職員もいたが、その「河川工事が終わっていたところ」からも水が溢れ出しているのである。キャスターの「終わっていも水害が起こる可能性はあるんじゃないですか?」の質問に「なんとも言えません」と平然と答えるやつもいるしなあ。
 それどころか今回の水害の原因、河川工事の遅滞だけでなく、御笠川上流の太宰府で、道路工事が済んでいたのが原因だったことが判明したのである。つまり、4年前は太宰府の地面が水を吸収していたのが、今回はアスファルトで舗装された地面は水を全て御笠川に流しこんでしまった。これが下流に一気に押し寄せる結果を生んでいるのである。
 これじゃ、下流の川幅広げて底を攫っても意味がない。自分たちのやってることがどんな結果を生むのか、想像する力がないからこんなことになるのだ。もう1回、太宰府のアスファルト取っ払うか? 
 河口広げても、満潮になれば水は逆流するのである。もう一本どこかに人口川でも作らないことには抜本的な解決はできんのじゃないか。もちろんそんな土地、どこにあるんだと言われりゃそれまでだけれど。せめて博多区民の税金下げてお詫びするくらいのことはしてみろよ。


 水害の煽りを食って、今日の芝居の練習は休みになったそうで、しげはよしひと嬢を見送ってすぐに帰って来る。
 腹が減っていると言うので、店が開店する早々、「バーミヤン」で遅目の朝食と言うか、早めの昼食。北京ダックを頼んで二人で分けようと思ったが、しげは一つも取ろうとしない。「おなか空いてるけど食べきらん」。食欲魔人のしげには珍しい、と言いたいところだが、最近ようやくしげは昔みたいなバカ食いができなくなって来ているようなのである。まあ以前は異常だったからな。
 けどやっぱり肉だけ食って野菜や果物は毛嫌いしているのである。だからそれじゃ栄養偏るばかりだってば。

 帰宅して、しげ、そのまますぐに寝る。夕べもちゃんと寝てたのに爆睡。
 そのまま夜の10時まで10時間眠りつづける。絶対こいつ、生体バランスが崩れてやがるな。こないだ精密検査受けてからもう数年経ってるし、そろそろ医者に行かなくていいのか。


 昼、CS日本映画専門チャンネルで『星空のマリオネット』。
 鴻上尚史が「自分の好きな映画」としてこれを選んで解説しているのだけれど、「しまったなあ」と笑っていたのが面白い。普通こういう場合「永遠の映画」を選ぶものだけれど、鴻上さん、つい「青春の一本」を選んでしまったのだ。つまり「今思い返すと、かつてコッソリ書いていたポエムのように恥ずかしい思い出」なわけなんだね(^o^)。
 私も鴻上さんと年は殆ど同じなんだが、当時『星空』に感動するほど幼くはなかった(いや、鴻上さんってやっぱ精神年齢幼いよ)。自分がこれからどうなっていくか分らない、何か目の前に見えない壁があって、それをどうしてもぶちやぶれない、だから若者は暴走する、親を、社会を憎み、性におぼれ、果ては自暴自棄になって自殺する。
 そんな暗いストーリーに共感を覚え、かえって明るさを感じて開放されたと鴻上さんは語るが、自分の鬱屈を開放する手段なんて、もっと早い時期に済ましとくものじゃないのかな。バカガキの勝手なリクツに共感できるほど、アタマの悪い観客ばかりではなかったと思うが。まあ亜湖のヌードにボリュームがあったことは認めるけど。


 続けて同じくCSで『花の高2トリオ 初恋時代』。
 森昌子・桜田淳子・山口百恵唯一の共演映画であるが、青春の恥ずかしさと言えば私にとってはこちらの方かな。見に行きましたよ劇場まで。素敵なおねえさまに憧れる年頃の中学生だから仕方ないじゃん(^_^;)。
 実際の主役はフランキー堺と南田洋子だったりするのだが、それでも過密スケジュールを塗って、プロダクションも違うこの三人がよく集結できたものだ。キャラクターの描き分けはしっかりものの森昌子、はねっかえりの桜田淳子、敬虔な山口百恵といかにもではあるのだけれど、まあアイドル映画と言うか少女モノはこんなものである。十字を切って祈る山口百恵の可憐さったらないよ(* ̄∇ ̄*)。
 オープニングは当然3人が歌ってるんだが、同じ曲を歌わせるとやはり森昌子、山口百恵は聞けるけれども、桜田淳子はナマッてて耳障り。ヒロインとして立ってるのも山口百恵で、三人を並べるとどうしても桜田淳子だけが見劣りするのがその後の運命を暗示しているような(^_^;)。


 夜中に目覚めたしげと、遅目の夕食を「ガスト」で。
 ディスプレイで「あなたの脳年齢を計ります」ってのがあったんで、お互いやってみたら、私が56歳で、しげが43歳。私は16歳、しげは14歳、実年齢より上である。なんかやっぱボケ始めてんのかな。

2002年07月21日(日) アニソンしか歌えないわけじゃないけど/DVD『千と千尋の神隠し』/『吼えろペン』5巻(島本和彦)ほか
2001年07月21日(土) やたら長長文になっちゃいました。すみません/『裏モノ見聞録』(唐沢俊一)ほか


2003年07月20日(日) もう今更ロリコン犯罪にも驚かないし/『バジリスク 甲賀忍法帖』1巻(山田風太郎・せがわまさき)ほか

 「打ち首」大臣の鴻池祥肇さん、18日午後の衆院予算委員会で、東京の4女児監禁事件について「小6、4人も、加害者か被害者か分からない」とか発言してたんだね。昨日はとてもニュース見てる時間がなかったから知らなかった。
 いや、被害者は被害者だろう、別にあの子たちが吉里容疑者にナニかしたわけではなかろうから。それともこのおっちゃん、あの女の子たちの方から吉里容疑者をロウラクして、SMプレイでもしていたと言うつもりか? まあ、その可能性がないと断定もできないが、現段階では限りなくゼロに近いと判断するのが妥当だろう。前回の発言でもそうだが、まだ事件の全容が解明されたわけでもないのに、この人、先走ってモノを言いすぎなのである。
 ともかくえらく言葉に不自由している方ではある。お生まれは昭和15年だそうで、戦後の荒廃時代にモロに小、中学校時代を過ごされたわけであるな。なるほど、ガクがないのも仕方ないやな(^o^)。
 被害者の女の子たちにだって、甘言に乗せられて、見知らぬ男にホイホイくっ付いて行った点に自己責任があるのは事実なんだから、今回こそ「本人たちに危険に対する自覚が足りない」とか言うくらいなら問題はないんだけどねえ。でもネットではこの人、大人気らしいぞ。「よく言ってくれた!」とかで。みんなホントに子供が嫌いなんだねえ。
 既に新聞記事では、あの子たちが「フツーの子ではなかった」的な論調が見え始めている。遊び好きだったとか、目立ってたとか。そんな子、そのヘンにいくらでもいるでしょ(^_^;)。これも「危険な場所をうろついて悪いオトナに騙されるようなアホはごく一部の子」にして身近な問題にしたがらない「囲いこみ」の意識の表れなんだね。一部じゃないよ、八割はそうだよ、アンタの子供もおんなじバカなんだよ(^o^)。
 私もあの子たちについては「自業自得」とは思うけど、「加害者」にまで「格上げ」して距離を置こうとは思わないね。現代ってのは否が応でもああいうバカガキどもを背負ってかなきゃならない時代なんだよ。大臣がそこから逃げるような発言(本人に自覚はなさそうだが)して、それを大衆が指示する世の中って何なんだ。
 そう言えば『壁際の名言』でも唐沢俊一さんが、電車に乗って騒ぐガキに対して怒ってて、「禁子供車」ってのは作れないのか、とか書いてたけど、そんなの言い出しゃキリがないよな。子供がいてメイワクなのはどこでも同じ。デパートだろうがレストランだろうが映画館だろうが、バカなガキに走り回られて迷惑だからって、入場禁止にできるかね。「禁子供の『ポケモン』映画」とか(^o^)。
 そうじゃなくって、「騒ぐ子供はオトナがみんなで叱ろう」ってのがスジだったはずなんだけどね。唐沢さん、子供を「聖域」にしちゃいけないと仰るが、「禁子供車」なんて発想してる時点で腰が引けちゃってて、もう子供を「聖域」に囲いこんじゃってるんである。
 事態はもう「手遅れ」な所まで来てるんだよ。バカガキどもは大人がもう、本気で叱ることなんてできなくなってることを知っている。彼らはもうナニモノにも束縛されない。彼等に何か自律を求めるのなら、その「見本」が世の中になきゃならないんだけど、さて、そんなシチメンドクサイことを引き受けようってオトナがどれだけいるもんだか。
 鴻池さんを支持してる人は、あの人を「オトナの見本」にしたいのかな?(^o^)


 18日にはも一つ、政策秘書給与を流用した詐欺容疑で、社民党前衆院議員の辻元清美(43)、土井たか子社民党党首の元政策秘書五島昌子(66)ほか4容疑者も逮捕されている。
 逮捕の時期が今になったのは、選挙に出馬するのを妨害する目的なんじゃないかとか社民党は怒ってるみたいだけど、出馬する気でいたのかよ(^_^;)。
 まあ、この人のタイホのウラに何かインボーはなかったかと言われると多分あると思う。けどもともとこの人自体がインボーの人であって、そのインボーを隠してキレイゴトを言い続けてきたから嫌われる結果になったのだ。これも自業自得なんだが、それでもこの人を担ぎ上げて出馬を要請してた連中がいるというのがなんとも……。いったいバカはどこまで増殖していくのかね。 


 休日でも朝8時には目覚める。
 『仮面ライダー555』には間に合うけど、『アバレンジャー』は見られない時間帯。って頑張って起きて見るほどの番組ではないんだけどさ。劇場版公開も近いが、この2本立てが定番化するということは、来年以降も『仮面ライダー』は続くのか。いや、続いちゃイカンとは言わんが、ドラマをリアルにしたいなら、役者の演技だけは何とかできませんか。

 しげとよしひと嬢、今日も朝から芝居の練習。連日の練習で大変そうだが、考えてみたら公演までもう2ヶ月を切ってしまったのだった。
 しげは私がゲーセンのUFOキャッチャーで取った「でじこ」のTシャツを着ているが、その上に例の真っ青ハデハデのハイビスカスアロハを羽織ってているものだから、もう見るからに頭悪そうである。Tシャツ、しっかり「にょ」とか書かれてるし。
 しげは「人間としてダメって感じ?」
 と喜んでいるが、もちろんダメである。しげがダメでなかったことなんてどれだけあるだろうか。


 『鉄腕アトム』第15話「人工知能を守れ!」。
 これも原作なしのオリジナルかね。ちょっと『マッド・マシーン』が入ってる気はするけれども。脚本が「パメラ・ヒッケイ&デニー・マッコイ」となってるけど、さてこれは実在人物なのかどうか。なんとなく「イザヤ・ベンダサン」のパターンのようにも思えるけど。
 今回のゲストは、人工知能を持つロボットに反対する企業グループ、オーガニックスのリーダー・ケイン。髪形とあごひげから考えるとどうやら元キャラはレッド公らしいのだが、鼻が小さくなってしまっているので、それと気付く人は少なかろう。つーか鼻の小さいレッド公なんて別人だよな。『ブラック・ジャック』ならまだしも、『アトム』でキャラをリアルにする必然性があるのか。それともこれ、ケイン氏がアメリカ人だから、「アメリカ人の鼻はこんなにでかくない!」とか文句つけられて改訂したのかなあ。それともお茶の水博士も天馬博士も鼻がでかいから差別化をはかったのか。
 話はまた「心を持ったロボットは善か悪か」という単純な二項対立の、これまでとたいして変わらぬエピソード。『アトム』見てる視聴者は基本的に「心持ってていいじゃん」と思ってるんだから、こうも毎回、同じテーマを見せられるのははっきり言ってくどい。もっとバラエティに富んだ展開を見せてほしいものだけれど、これが「グローバル・スタンダード」ってやつなら世界はすごく狭いと思うぞ。

 WOWOWでOO7シリーズの『サンダーボール作戦』と『OO7は二度死ぬ』を。
 これも何度見たかわかんないくらいだけど、テレビにかかってるとつい見ちゃうな。昔見たやつだと画面が随分変質してドギツイ色だったんだけど、ニュープリントかデジタルリマスターか、かなり美しくシャープになっている。DVDもこの画質なら買ってもいいなあ。
 しかしこのときのキッシー鈴木役の浜美枝、子供にしか見えんな。ショーン・コネリー、ロリコン親父か(^o^)。なんでも浜美枝は他のボンドガールに比べて自分だけ体型が違うので(^_^;)一緒に撮影されるのをひどくイヤがったという話だけど、さもありなん。いや、そこがかわいいんだけどね。


 今日も風呂は使えないので、夕方、3人でまた「月の湯」へ。今日の縁日は風船釣りであった。食事はここでしたくない、というので、粕屋のサティまで足を伸ばす。しげ、「車の音がヘン」とか言ってるが、そりゃ水没したやつをムリヤリ動かしてるのだから、ヘンだろう。かえって故障起こすことになりゃしないか。
 サティの中の「博多新撰組」で回転寿司。店員の一人が顔見知りだったので驚く。知り合いだけならホントに腐るほどいるんだよなあ。これだから悪いことはできないのである。
 そのあとワーナーマイカル福岡東で映画。
 ちょうど話題作の間隙に入った感じで、これといって見るものがない。私は何でもかまわないんだが、しげもよしひと嬢も、「見たくないものは見たくない」のである。ホントのこと言うと、たとえ自分の趣味に合わないモノでも、若いうちは「何でも見てやろう」って気持ちでいてほしいんだが。
 結局、私はもう見てるけど『チャーリーズエンジェル フルスロットル』を一緒に見る。でも昨日からの疲れが溜まってたのか、後半結構寝ちゃいました(^_^;)。
 よしひと嬢はなかなか楽しかったもののようで、「『マトリックス リローデッド』よりずっと面白い」とのこと。
 しげが何かしきりに小首を傾げているので、どうしたかと思っていたら、口をモゴモゴさせながら「ねえ、一つ聞いていい?」。
 「なんだよ」
 「あの、途中で仲間外れたやつがおったやん」
 「ドリュー・バリモアか?」
 「あれがどっかのバーに入ってったら、女が待ってたやん」
 「うん」
 「あれ、悪役と同じ人?」
 映画を見た人はここで思いきりコケよう(^_^;)。
 そのバーの女性というのは、今回の映画に特別出演したジャクリーン・スミスで、テレビシリーズで初代チャリエンの一人、ケリーを演じていた。自分のために仲間が危険な目に合うかもと意気消沈していたデュラン(ドリュー)を元気づけにやって来たのである。
 今回の悪役、デミ・ムーアとは似ても似つかない。
 「別人だあ! 顔が全然違っとうやんか!」
 「ええっ! そっくりだよ! だから、あいつ、『悪役のくせに自分が犯人だって分るヒント与えてヘンだなあ』って」
 「ヘンなのはオマエの頭だ!」
 ところがそこへ割って入ったよしひと嬢、「あ、でもあれ、同じ人だとは思わなかったけど、幽霊かなとは思いました」。
 ……映画を見るのって、そんなに難しい行為ですか……(゚゚)。

 そう言えばこれもしげのアホを更に再確認する話。
 『ハルク』の予告編でジェニファー・コネリーの出演がクレジットされてるが、しげはまたそれを見て、「前に聞いたかもしれないけどさあ、ジェニファー・コネリーって、ショーン・コネリーの娘?」と聞くのである。
 この日記にも前に何回か書いたと思うが、この質問、私はもう何十回聞いたかしれない。なんでここまで同じ質問を繰り返すか。記憶力がないと言っても程度問題だぞ。そのうち私がボケてホントに「ジェニファー・コネリーとショーン・コネリーは親子かも」とか思いこんじゃったらどうしてくれるつもりだ。
 しげの海馬は野菜食わないんで飢え死にしているに違いない。


 マンガ、山田風太郎原作・せがわまさき漫画『バジリスク 甲賀忍法帖』1巻(講談社/アッパーズKC・560円)。
 山田風太郎の映像化は、漫画にしろ映画にしろ本当に難しい。あの奇想は詠む者の神経に直接作用するような魔力を持っているので、そんじょそこらの作家では、とても扱える代物ではない。映画のたいていは安っぽいポルノにしかなっていない。その点、乱歩や夢野久作ともよく似ている。さて、今回の漫画化が、どれだけ妖異夢幻の風太郎世界を映像化しえているか。
 タイトルに「バジリスク」と余計なモノを入れたのは『バガボンド』がヒットした知恵に倣ったものだろう。元のタイトルが好きな私はちょっと残念なのだが、忍者たちの走る姿を「地走り」に例えたのは悪くはない。
 徳川三代将軍の世継決定を賭けて、甲賀と伊賀の特殊能力を持つ忍び、十人対十人が凄絶かつ妖艶な血闘を繰り広げる。……まさに血闘、せがわさんの線は細いがグロテスクな筆致が、忍者たちの粟立つような凄艶さを見事に描いていく。背景のCG効果も決してうるさくはない。これまでのマンガ化の中でも、石川賢の『魔界転生』に匹敵する成功作になりそうだ。
 伊賀の朧の、朱絹の、蛍火の、甲賀の陽炎の美しさを「こんな線で描けたのか」と感嘆しつつ鑑賞。やっぱ女だけにしか目が行かんな(^o^)。

2002年07月20日(土) 漫画映画復活!/映画『猫の恩返し』/『ああ探偵事務所』1巻(関崎俊三)/『美女で野獣』1巻(イダタツヒコ)ほか
2001年07月20日(金) 一人で見る映画/映画『千と千尋の神隠し』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)