無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年05月10日(土) すっ飛ばし日記/イラストな女

 休日だけど出張。
 帰宅してみると、鴉丸嬢が遊びに来ている。
 タイミングがいいなあ。こないだから、ホームページに華がないんで、彼女にイラストを描いてもらおうと考えていたのである。渡りに船とばかりに依頼する。
 「いいけど、どんなの描くの?」
 だいたいのイメージイラストを描いていたので、それを取り出して見せる。
 「あ、それさっきまでしげさんと一緒に見てたんだよ」
 しげめ、また人に何の許可もなく勝手に。
 「それ、そのままホームページに乗せるつもりじゃなかったと?」
 「オレ、自分の絵のヘタさは知ってるよ。うまい人がいれば。その人に描いてもらうよ」
 しげ、意外なことを聞いた、というように目を丸くしている。しげの心の中では私は常に唯我独尊、人を人とも思わぬ傲慢野郎、と見られているらしいが、もちろんそんなのはしげが自分の傲慢さを誤魔化すために、私を極悪非道の人間に見立てているのである。
 鴉丸嬢、「じゃあ、ちょっと描いてみるね」、と言って私のラフをもとにサラサラと下書きを描く。やっぱり描き込んでるだけあって、構図の取り方も立派なものだ。「まだヘタだよう」と謙遜するが、そんなことを言ったらしげの絵はいったいどうなってしまうのか。小学生だって今どきはもちっとマシな絵を描くぞ。
 自分のマンガも描かねばなるまいに、快諾してくれてありがたい。これで彼女が本当にプロになれば、描いてもらったイラストにプレミアが付くことは必至であろう。あくまで計算高い私なのであった。


 CSでアニメ『成恵の世界』第1話。
 原作の方にはあまり注目してなかったが、見てみるとなかなかいい出来。SFだったのか、これ。普通のラブコメかと思ってたよ。
 ああ、でも見るアニメ絞ろうと思ってた矢先なのになあ。

 『ガンダムエース』、ついに月刊化。
 『ガンダム The ORIGIN』、セイラさんがガンダムに乗りこむシークエンスはカット。あれは劇場版『哀・戦士編』のときも劇場で失笑を買っていたシーンだったので、カットは仕方ないところだろう。ファーストガンダムを聖典化して語る人は多いが、結構ダサかったり臭かったりするシーンは多いのだ。
 トニーたけざきの『ガンダム漫画』、相変わらず面白い。いいなあ、サクにサム。海洋堂、フィギュア化しないか(^o^)。月刊化したことでもあるし、単行本は10年先かと思われてたが、これで5年先くらいに縮まったかもね。
 しかし、ホントにこの2本くらいしか読めるマンガがないなー。

2002年05月10日(金) 人生は重い荷物を……。/『新映画宝庫 Vol.4 スタークラッシュ 大宇宙映画放浪編』ほか
2001年05月10日(木) 仕事復帰、半分だけだけど/『× ―ペケ―』6・7巻(新井理恵)


2003年05月09日(金) すっ飛ばし日記/すれ違いな二人

 さて、また読み応えないだろうけど、すっ飛ばします。

 去年から今年にかけて若干のリストラがあったので、警備担当の当番も回数が増えてしまったのである。居残りすること自体は別に苦ではないが、ホームページの更新の時間が取れなくなるのがどうもね。

 帰りが遅くなるので、今日もしげは迎えには来ないはずであった。
 けれど、今日は仕事がないと言うので、珍しくも迎えに来ると言う。
 それで寒い中、駐車場まで出てみるが、しげの車の影も形も見えない。つーか、夜も更けてて真っ暗闇じゃ、軽トラと人力車の区別もつかない。そんなんが停まってるものか。
 仕方なく、携帯に電話を入れる。
 「今どこ? 姿が見えんよ」
 「ああ、ごめん、ウチで寝とった」
 姿が見えないはずである。だって来てないんだもん。
 せっかく時間が空いてるなら、一緒に食事でもと思っていたので、職場の近くのミニストップで待ち合わせをする。
 ほどなくしげがやって来たので、「めし、どっかで食うか?」と聞いたら、「うんにゃ」と首を横に振る。
 「なんで?」
 「飲み会があると」
 つまり、仕事がない日は飲み会の日なのである。なんかホントに生活時間帯が合わなくなっちゃったなあ。

2002年05月09日(木) 明日は誰の夢を見るかしら(^o^)/『スーパーまるでん』3巻(森下裕美)ほか
2001年05月09日(水) 病気で寝ててたいして書く事ないはずなのに(^_^;)/『死神の惑星』1・2巻(明智抄)


2003年05月08日(木) ある終焉��

 昨日書いた掲示板への書き込みが、今日になって、批判サイトの方にコピペされている。
 わあ、やっぱりウチのホームページ、いろんなとこから覗かれてるんだな。
 そこは、例の閉鎖されたサイトに対する批判サイトなわけだから、私の「批判文」は反作用的にやたら持ち上げられたかっこうになっている。しかし、もちろん私はあれを「善意」で書いたわけではない。

 一つは妻への牽制のためである。
 かつて、そこの管理人さんに対してかなり激烈に怒っていた妻が、今回のサイト閉鎖を知って、なんだかまたモヤモヤしたものを感じているらしいのである。要するに「あれだけキレイゴト並べといて、さっさとケツまくって逃げるのかよ」というところだろうが、逃げる人は逃げるのである。文句言ったところで仕方がないと思うのだが、妻はなにしろ次の行動の予測ができない人間であるので、ヘタをしたらフォローのしようがないことをやらかしてしまいかねない。ともかく私の方が先にリアクションを取っておいた方がいい、という判断が一つ。

 もう一つは、どうやら陰で私を散々悪者にしてきたらしい取巻きの人々から、何らかのリアクションがあるだろうか、と考えたからだった。その人たちがここを覗いているのでなければ、これは私の一人相撲に終わるのであるが、どうやら誰かがここをROMし続けていることは間違いないようなのである。
 その人たちが、仮に、これまでは管理人さんの虚言にうまく乗せられていたのだとしても、一方的な情報のみで物事を判断する愚に自分が犯されていた可能性に気がつけば、どこかで何かの反応をしてくれるだろうと期待したのである。
 もし逆に、何の反応もないようであれば、管理人さんが取巻きの人々の「善意」によって潰されていったことの間接的な証明になる。取巻きさんたちはまさしく、甘い言葉で管理人さんの心を殺していったのだ。
 そして、リアクションはあった。私の予想した形ではなかったが。

 私の書き込みをコピペした人は、その取巻きさんの一人だろうか。もし、その人が、自分は管理人さんをずっと甘やかしてきたのかもしれない、と考えてコピペしたのだとすれば、私の愚かな試みも少しは効を奏したと言えるのかもしれない。

 こうたろう君に電話をして、コピペされたことを伝える。これからどうするかは「様子見だね」という会話をしたが、彼が私のあの書きこみを読んで「優しいねえ」と言ったのにはちょっと困ってしまった。
 友人というものはありがたいもので、物事を善意に解釈してくれるが、私がまるで善意の人でないことは、私自身がよく知っていることだ。
 どちらかというと、私は取巻きの人たちのこれまでの善意と愛情溢れる言葉に、相当虫唾が走っていたのだが。
 人間、優しくなったらおしまいである。

2002年05月08日(水) ピンクの象は出て来ません/『ホーリーブラウニー』1巻(六道神士)ほか
2001年05月08日(火) 38℃線突破/『なみだ研究所へようこそ!』(鯨統一郎)


2003年05月07日(水) ある終焉��

 昨日の閉鎖されたサイトについて、今の時点での感想を書いておく気になり、掲示板に以下のように書きこみ。

> 大好きだったあるホームページが閉鎖してしまいました。
 以前はしょっちゅう遊びに行ってたのだけれど、まあいろいろあって、たまにROMするだけになってました。
> それでもそこの管理人さんには元気で頑張ってほしいと願ってはいたのですが、すっかりお疲れになってしまったようです。客観的に見れば、閉鎖に至った原因はご本人に大いに責のあることなのですが、最近はもう、ほんの少しも自らを省みる余裕さえなくなってしまっていたように見えました。
> 同情はしません。ご本人はいつも同情されることを求めていましたから。それに応えることは、その人の心を殺すことになります。そして、その人の周りには、その人の心が死ぬとわかっていて、見え透いた同情の言葉を投げかける人たちが随分といたように思います。
> でもそういう人たちほど、自分こそが管理人さんの一番の味方だと思い、管理人さんもその人たちが本当の味方なのだと勘違いしていたようです。それは単に馴れ合いの生み出した幻に過ぎないのですが。
> 本気でその人のことを思うのなら、みんな、もっとその人の思いこみを揶揄し、罵倒し、心を傷つけ、自らの愚かさに気づかせてやればよかったのに。しかし、そこまでその人を愛した人は誰もいませんでした。
> みんな、「安全なところからの物言い」を繰り返していただけです。
> それにのに管理人さんは、端から見ればスカスカで中身のない言葉を、自分が愛されているのだと錯覚し、まだしも管理人さんを思う忠言を口にする人々を排斥していきました。それは、どう言い訳をしても、その管理人さんの愚かさに違いありませんでした。
> みんな、自分が「利口」だと思っています。そんな人間なんていないのに。なぜ、その人は素直に自らの愚かさを認められなかったのでしょうか。そうすれば、空虚な言葉に振り回されることも、サイトを閉じることもなかったでしょうに。「愚かさの徳」を忘れた人々の姿は、いつも切なく、寂しいものです。
> 陰で笑ってる人がいますね。
> その人の正体には早くに気付いていましたが、それを伝えても管理人さんには信じてもらえなかったでしょう。今もそうかもしれません。
> そのことを思うとき、私はただ深く、静かに絶望するだけです。

 最後の一行は、実は友人の言葉を引用したものである。
 当の管理人さんがこの文章を読むことがあるかどうかはわからないが、読んでもその意味を理解できるどうか、心許ない。これを書きながら、かつて全ての言葉を曲解され、言ってもいないことを言ったと思いこまれ、どう語りかけても言葉の通じない思いをした記憶が蘇えったからである。
 これに誰かのレスが付くとは思ってもみなかったが、鍋屋造物さんが即座に「人は自分の都合の良い事しか聞き入れない」と書きこまれたのを見て、更に寂しくなった。気持ちはわかる。キツイ言葉は耳にイタイし、慰められれば誰だって嬉しかろう。けれど、自分に都合よくモノゴトを解釈することの愚だって、人は知ってるはずなのだが。
 ヨナさんは「外側に起こる現象は、すべて自分自身の内面の反映」とレス。サイト閉鎖の挨拶の管理人さんの挨拶の中で、再三「サイト閉鎖は自分がいたらないせい」と語っているが、そんなことを本気で考えてはいないことは、文面で「自分のどこがどういたらなかったのか」を具体的に全く語っていないことからも見当がつく。
 その方の口癖に、「あなたは本気で悪いと思ってますか?」というのがあった。その言葉が相手にどう取られるものか、全く本人は気付いていなかったようだが、これは「人は本気で謝りなどしない」ということを前提とした発言だ。普通、何の根拠もなく「相手が本気ではない」という決め付けを行って、まともに相手をしてもらえるはずもないし、逆に考えれば、そう発言した自分自身が「本気で謝らず、口先だけで生きてきた」可能性をも露呈している。
 私は怒りはしないが寂しかった。

 管理人さんを批判していたサイトには、擁護派の方の弁として、私がウラで画策して批判者を集め、その方を苦しめているように煽っている書き込みもあった。そんな事実は全くないのだが、どうも取巻きさんたちはそのデマを信じているフシがある。「そう思いこまなければ自分のほうが加害者になる」ことを恐れる心理が、管理人さんやその取巻きの人たちにも働いているのだろう。歪んでるよなあ。本人たちはピュアなつもりなんだろうけど。
 自分以外の誰かを悪者にしなければやりきれないのもまた、人の心理とは言え、それもまたどうにも寂しいことである。どうしてそうまでして、自分が「善人」でいたいのだろうか。それは結局、世間の何物をも自ら受け容れる姿勢を持たない行為であるのだが。


 ホームページを開設してみたはいいものの、なかなかコンテンツを充実させられない。普通に仕事をしていれば、パソコンの前で何かをできる時間なんて限られているのだが、それにしても画面が「工事中」のままでは、せっかく来ていただいた数少ない読者の方々に対しても申し訳ない限りである。
 だもんで、自分で何かを書けないなら、人のフンドシで相撲を取ろう、ということで、やんさんから頂いたノンフィクションをサカナに、「FADイレギュラーズ」というコンテンツを立てる。
 中身は御覧の通り、やん嬢の「バカな男に引っかかったよ」(実は今も引っかかったまま別れられていないようである)話なのだが、そこに私が、「バカはお前だ」というツッコミを散々入れるという極悪非道なもの。でもさあ、この子の行状見てると、みんな何か言いたくなるのよ、ホントの話。
 まあ詳しくは書けないけど(実は以前チラッと書いたことあったんだけど、やんさんにダメ出し食らって削除した。コンジョねえなあ)、若いワリに(若いからかも)結構危なっかしい生き方をしていて、「お前、ちったあ人生考えて行動しろよ」と言いたくなってしまうんである。
 で、これもまた当然のことながらそういう忠言は右から左に抜け出て行くものなのである。余計なお節介だと言われるだろうが、全くの他人ならいざ知らず、一度関わりを持った相手に対して「人には人の考えがあるから」と距離を取るのは、私ゃあまり好きではない。ギャグめかして書いちゃいるが、結構あのツッコミは本気なのである。
 相手の尊厳を尊重することと、コトナカレで距離を取ることとをあえて混同させるような卑怯な行為はしたくないんだよね。

2002年05月07日(火) この文も詭弁かもしれない(^o^)/アニメ『十二国記』第五話「月の影・影の海 五章」
2001年05月07日(月) フライド・エッグ・ムーン/『三毛猫ホームズの恐怖館』(赤川次郎・竹内未来)ほか


2003年05月06日(火) ある終焉��

 連休明けで仕事が溜まりに溜まりまくっている。同僚はみんな休日返上で出勤して片付けてるんだよなあ。そもそも休日潰さないとこなせないような仕事を自ら増やしてるのはいったい何のためだと思うけど、まあ私の常識は職場の常識とも世間の常識とも全然違っているらしいので(自覚なしかよ)、まあ仕方がないのである。まあ、しげを駐車場で待たせる心配がなくなったので、残業できはするんだけどね。手当てつかねーけど。

 帰り道、晩飯を物色しにローソンに寄る。
 新発売で、これはもう当然九州限定商品だろうが、「九州味好み弁当」ってのを売っている。地元の味ったって、世代が違えば味覚も違うわけで、何をもって「九州味」と呼ぶかは決めつけられもしないが、逆に言えば、「これが九州味だ!」と誰かが言い出して、それが受け入れられればそれが九州人好みの味ってことになっちゃうのだ。わしゃまだラーメンの「とんこつ」を博多人好みと認めたくはないが。
 中身を見ると、チキン南蛮・甘〜い玉子そぼろ・ごぼう天・明太子・焼き鯖・黒豚入りつくね・がめ煮・焼きラーメンと、確かに九州のスーパーの惣菜売り場によく並んでる品を一つところにぶちこんだ感じ。でもこの中で博多っ子好みの品ってったら、がめ煮くらいじゃないかな。甘くて糖尿には悪そうだが。


 帰宅してネットを散策していると、1年ほど前まではよく出入りしていたあるサイトが閉鎖されていた。
 ROMだけはしていたものの、そこの管理人さんとは、全く交流がなくなっていた。以前、メールでの言葉のやり取りの行き違いから仲がギクシャクしてきて、果ては妻がその人のことをとことん憎むようになったので(妻は、私が相手のことを本気で気にかけるようになると歯に衣着せぬモノイイになることを知ってるので、本気で嫉妬したのである)、これはもう絶縁するしかなかろうと諦めたものである。
 興奮すると自分を律することのできない性格の方で、どうやら私以外の人とも随分トラブルを起こしてきたらしいことがほかのサイトでも話題になっていたのであるが、結果的に批判の嵐に耐え切れなくなったのが閉鎖の理由であるようだった。

 その「批判」については、私も最近になって読んではいた。中にはたいした根拠のない、誹謗中傷に近いものもありはしたが、全てがそういうものばかりではない。真摯に管理人さんのためを思っての忠告もあった。恐らくは自らの心の弱さを糊塗するためであろうが、その方には相当に強い虚言癖があったのである。しかし、それをたしなめる言葉に限って、管理人さんは無視をし、自らを慰める言葉のみを受け入れていた。
 苦笑するしかなかったのは、かつてその方が私に対して罵倒を浴びせていた言葉が、そのままその方に対して返されている例が数多くあったことだ。表の顔をきれいに取り繕うことの愚を私は指摘したのだが、そのときにはその方は激昂して反駁した。その言葉がそのままその人に対して投げかけられていたのである。二枚舌を使い分けてきたことを指摘された格好になったその方の心境は、果たしていかがなものであったろう。
 そのサイトに集っていた定連の人たちは、懸命にその方を擁護していたが、実はそれは、私を擁護し、その管理人さん自身を責めたてる言葉になっていたのである。その方の内面を知らぬ人たちの無自覚な行為とは言え、随分とその方にとっては酷な仕打ちをしたものだ。

 けれど、私はふと考える。
 管理人さんを慰める取り巻きの人たちは、本当にその方の性格の破綻に気付いていなかったのだろうか。
 ネット上のやりとりであろうが、しばらく会話をしてみれば、その方の感情の起伏の激しさに気がつかないはずはない。場合によってはその方の暴走をたしなめる必要も生じていたはずなのである。
 なのに誰もがその方のことをさも聖人のように誉めそやしていたというのは、いったいどういう心理なのであろう? その表現はいささか気持ち悪いほどであったのだが。

 結果的に、私はその方が、取巻きの人たちの「誉め殺し」にあったと思うのである。
 サイトを開けば、それは衆人に公開されることになる。誰にどう批判されることも覚悟しなければならない。それは、批判する相手が名乗りをあげようか匿名であろうが関係のないことだ。サイトを閉じることは、結果的に「誰からの批判も一切受け付けません」と宣言するのと同じことになる。それなら、もともとなんのためにサイトを開いたというのだろう? その方が誰の批判も受け容れる覚悟があったなら、こうしてサイトを閉じる必要もなかったのではないか?
 つまりはその方は本当は自分を慰める言葉、癒される言葉だけがほしかったのである。そして取巻きの人々はその管理人さんの心の弱みに付けこんだ。恐らく最後まで管理人さんは、自分が取り巻きの人々に「利用」されていたことに気がつかなかったことだろう。
 管理人さんはサイト閉鎖の挨拶で、未だに「どんな批判でも受け付けます」と気丈なところを見せているが、これも恐らくは自らを守るためのうわべだけの言葉だろう。その方は自らの紡ぎ出す美しい言葉だけに浸る生き方を選んでしまった。それはそれで別に悪いことでもなんでもないのだが、もともとそうなることを望んでサイトを開いたわけではなかったはずだ。
 そこまでその方を追い込んだのは、明らかに「取巻き」の人たちなのである。「批判者」たちの方ではない。
 だから「取巻きさん」たちに問いたいのだ。あなた方は管理人さんに何をしたのか、「自覚」はあったのですか、と。
 

 マンガ、鳥山明『ドラゴンボール 完全版』11・12巻。
 ピッコロ大魔王の復活は、当時は随分盛り上がったものだったが(キャラデザインも画期的だった)、同時に『Dr.スランプ』以来の鳥山さんのトボケた味がほぼ完全に払拭されるきっかけになったアタリでもある。
 ピッコロの上目遣いに相手を睨めつけるポーズが、リアル化していく孫悟空にまで伝播していくのだ。私はこのへんからもう、惰性でしか『ドラゴンボール』を読まなくなっていったのだが、実際にはこのあたりから人気の更なる高騰が始まっているのである。
 しかも女の子に。
 「やおい」という言葉を私が耳にするようになったのがいつごろからか、もうハッキリとは覚えていないが、80年代後半はまさにやおいの時代と括ってもいいようなくらい、私の感覚では付いて行けないアニメに女の子のファンが集中した。
 それまでにも女の子が熱狂したアニメもないわけではなかった。しかしそれは同時に男の子たちにもエポックメーキングな作品として評価を受けていたのである。『海のトリトン』などはいい例だ。しかし、ドラマ的にも作画的にもオソマツの一言に尽きるのに、女の子だけが熱狂するアニメやマンガが、この時期からドッと増えていくのだ。
 世の30代、40代の男性諸君、あのころ、『聖闘士聖矢』や『鎧伝サムライトルーパー』や『天空戦記シュラト』のネタを女の子から振られて、どうしていいのかわからなくなった経験、ありませんか。
 当時は「なんでやねん」と思っていたものだったが、今にして思えば、それはやはり抑圧された女の子たちが、自分語りを始めた一つの例なのだろう。自分を語るのに予めキッチリと作られたドラマは想像の幅を広げるのにジャマなのである(だからドラマが劇的な展開を迎えると、「こんなの私の○○じゃない!」と泣き騒ぐ)。
 最近流行ってるらしい「ドリーム小説」もそうだが、ドラマを楽しむのではなくて、自分の物語にキャラクターや設定を利用しているのである。まあ、一見、女の子たちが自立し始めたようにも見えて、悪くないのかもしれないけれど、そうやって新しく作られた物語が果たして他人の共感を得るものになるかって問題が残ってるんだよね(^_^;)。
 私も自分を主人公にしてアニメの設定の中に入りこんで一発、小説書いてみようか。……でも特に「この世界に入りたい」ってのないしなあ。『ドラゴンヘッド』とか、絶対いやだもんな(^o^)。

2002年05月06日(月) やっぱり類友(^_^;)/DVD『シティボーイズライブ』/DVD『ブギーポップは笑わない』ほか
2001年05月06日(日) 襟足に寒気/『仮面ライダーSPIRITS』1巻(村枝賢一)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)