無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年03月16日(日) 出来ない要求/アニメ『ヨコハマ買いだし紀行』/『ななか6/17+』(八神健)/『オタクのピンクサロン』(筋肉胸毛)ほか

 今朝はちゃんと起きたぞ、ということで『アバレンジャー』『仮面ライダー555』『明日のナージャ』と特撮・アニメ三昧。特撮系の女優さんたち、ホントにいい娘が増えてきたなあ。でも私の好みはヒロイン系じゃなくてメガネっ子だったりするんだが。
 『ナージャ』第7話「仮面舞踏会のワナ」、金持ちがナージャを舞踏会に招いてバカにしようとするんだけれど、怪盗黒薔薇が現れてナージャの窮地を救うって話。……こないだ『ナージャ』は少女小説、少女マンガの集大成をやるつもりじゃないかって書いたけど、定番過ぎるってのもどうだかなあ。単に薄っぺらい話としか見えなくなってきてるぞ。


 外に出てメシ食うカネがないので(高い寿司食ったりするからだ)、スパゲティを作って食う。
 ソフト麺をミートソースで炒めるだけだけれど、カレー粉をちょっとだけ焦がして混ぜるのがミソ。トマトソースの酸味がこれで抑えられて、香ばしさが増すのである。所詮は独身料理なんだが。
 ……って、どうして結婚してるのに独身料理作ってなきゃならんのかね。


 CSキッズステーションでアニメ『ヨコハマ買いだし紀行』。
 原作マンガは1巻しか読んでない。絵柄も話も好みだったのに、なぜかハマんなかったね。世界観は好きでも、多分、物語としての発展性を感じられなかったからだろう。みんなが幸せな物語って、実はカタルシスを与えないのである。雰囲気はほんやらしてるので、アロマテラピー的癒しにはなるんだろうけれど、そういうのには私は引っかからないもんで。
 作画技術、演出ともに完成度は高いんだけれど、それだけに「山」がないのがツライところ。椎名へきるは最近殆ど声優やってないみたいだけれど、やればやったで悪くはないんだよなあ。プロダクションが声優として売ろうとしてないのがよくないんじゃないか。


 『アニメージュ』の押井守の連載、なんと『ゼロウーマン�掘戮鮗茲蠑紊欧討い襦F睛討蓮嵒霤諜徃�子のオッパイすげえ」というだけのもの。
 まあ、確かに私もあの映画での武田久美子のオッパイはすげえとは思うが、それをあの押井守が『アニメージュ』で語るってのは、いったい何のイヤガラセなのかね。それともホントにただ単に女に目覚めただけのことなのか。
 今度の『イノセンス』、どんな映画になるのかちょっと心配になってきたぞ。


 マンガ、八神健『ななか6/17』10巻(秋田書店/少年チャンピオンコミックス・410円)。
 スケ番おりんや虹坂さんの片思い話なんかを間に挟んで、いよいよヒロ編も佳境。多重人格とは言え、ヒロが自分自身である七華を自殺に追いこむようなことをするとは思えないので、雨宮さんにも七華にもショックを与えるような行動をなぜ取っているのか、どうにも腑に落ちないんだけれど、そこんとこは上手く11巻で説明してくれるのであろう(^o^)。

 マンガ、八神健『ななか6/17+ 〜八神健傑作集〜』(秋田書店/少年チャンピオンコミックス・410円)。
 オリジナル読切版『七華』ほか、五編を収録。
 『ななか6/17』。
 ストーリー展開は第1巻、第2巻あたりをコンパクトにまとめた印象だが、これだけ単独で読んでもよくまとまっている。雨宮さん、最初はホントにただの悪役だったんだなあ。
 『鏡の国のジェニファー』。
 『ミステリー・ゾーン』の一編のような佳編。昔、友達の家から美しい人形・ジェニファーを盗んだありす。大人になって、ジェニファーに鏡の国にいざなわれるありすだったが、人形に「魂」はあっても「感情」がないことに気づいたときには……。ハッピーエンドともアンハッピーエンドともどちらとも決めかねる微妙な味わいがイイね。
 『フォーチュンブレイカー』。
 まあ、これは普通のほのぼのSF。
 『よい子悪い子』。
 同人誌に描かれたもので、編集の制約のない、全く自由に作者の意志のみで描かれたもの。これが八神健の最高傑作ではなかろうか。
 人の目を気にしていい子に見られたい少女と、いい子に見られるのが恥ずかしい男の子。自慰に耽るうちに幽体離脱した少女は、男の子のもとに飛んで行くが……。偽善と偽悪の問題をサラリと描いた力量に拍手。
 『私のゾンたん』。
 子供のころ創作した怪物が、現実に現れてしまうはなし。でもホラーではない。作者はこーゆーのを一番描きたいらしいね。毒が全くないあたり、子供向けマンガとしてはよく出来てるんだよな。とすれば八神さん、発表の舞台を間違えてないか。


 マンガ、筋肉胸毛『オタクのピンクサロン』(司書房・900円)。
 なんかタイトルだけで衝動的に買ってしまいました。もちろんアダルトです。作者く、すげえ名前だけれど、稲葉晃次という名前でもっとすげえマンガ描いてるらしい。
 コスプレピンサロの客と女の子たちの生あったか〜いヤリトリをまったり綴った4コマものです。
 でも、主人公の生子ちゃん、オタク相手のピンサロ嬢なのに、たいていのオタク客を毛嫌いしてるんですね。
 一例。
 オタク客「僕は『新』の方の003を頼んだんだ!『新』の003の方が原作に一番近いと思うんだよね! 平成版は気が強すぎると言うか、作画が外注なのもどうかと。フランソワーズはもっと人の悲しみに自分も心を……」
 生子「ごめんなさい透視しちゃった! あなたのち○○小さくってとってもかわいそうだわっ!」
 ……ホントに客をこんな風にあしらってたらクビになるんじゃないか(~_~;)。現実のピンサロ嬢も、内心オタク客を蔑んでるとしたら、ちょっと悲しいよなあ。いや、私はピンサロはおろか、ふーぞく店には一切行ったことがないので、実際の彼女たちがどんなこと考えてるかなんて、よく知らないんですが。
 生子ちゃん、コミケで同人誌も出してるコスプレイヤーなんだけれど、「ブラのカップのサイズは知られてもそんなに恥ずかしくないけど、ニプレスのサイズを知られるのは恥ずかしい」そうである。なんかすっげーリアルな述懐だなあ。作者、男(多分)なのに。
 しげもFカップであることは世間に知られても平気なんだろうが、ニプレスのサイズをバラすぞと言ったらきっと激怒するだろうなあ。仕返しにコンドームのサイズをバラされてしまうかもしれない(^_^;)。
 そのしげ、マンガ中で男の客のち○○に、別の男の子のち○○をくっつけて「ち○○キッス!」とやってるシーンを見て、「アンタもやって!」なんて言いやがった。
 だれがやるか。

2001年03月16日(金) ワーオ、なんてこったい!/DVD『シックス・センス』ほか


2003年03月15日(土) まあ、便出しゃ痩せた気にゃなれるか/映画『タキシード』/『神恭一郎事件簿2』(和田慎二)

 ここんとこ、見たい映画が随分重なっちゃってて、ちょっと調整にくたびれているのである。このトシになるとそうそうハシゴはできないが、それでも映画はできるだけ映画館でじっくりと見たい。そう思うのは、私が映画館のことを「コヤ」と呼ぶ最後の世代だろうからだろう。このへんの感覚はもう文化の問題だから、「周りのウルサイ客を気にして集中できないから、一人で自分の部屋で映画を見てる方がいい」とのたまう人とは相容れまいなあ、と言うしかないのである。
 本当は朝のうちに映画に行って、夕方にはゆっくりしてるのが私にとっては都合がいいのだが仕事で疲れ切ってるしげ、昼まで寝こいて起きてこない。生活リズムがもう全然違っちゃってるんだものなあ。ようやく2時ぐらいになって、キャナルシティに向かう。 
 映画は4時からなので、その間、福家書店、マツモトキヨシ、マクドナルドで時間を潰す。
 マツモトキヨシじゃ、しげ、ダイエット用品を血眼になって探している。痩せ様という情熱だけは買うが、本気で痩せる気なら、毎日ジョギングでもすればいいのである。運動しないで痩せようって根性自体、初めから間違ってると思うけどなあ。宿便出しただけで痩せれるものなんかね。


 映画『タキシード』。
 『キネマ旬報』に「アメリカはジャッキー・チェンを発見するのが遅過ぎた」と書かれていたけれど同感。結局、「カンフーと言えばブルース・リー」という固定化されたイメージだけでしか香港アクションを見られなかったせいで、ハリウッドは20代のころのジャッキーの才能を見抜けなかったのだ。
 もっとも、ヘタにハリウッドに渡っちゃって、適当に使い捨てられてしまってたら、ジャッキーがあれだけの作品を残せなかったかもしれない。『プロジェクトA』や『ポリス・ストーリー』が作られなかった可能性もあるのだ。そう考えると、ハリウッドの無能もジャッキーにとってはよい方に働いたと考えるべきなのかな。
 だってねえ、この『タキシード』を見て思ったことなんだけどさあ、結局、ハリウッドって、カンフーアクションに対して未だにリアリティを見出してないんじゃないかねえ。ごく普通の青年が、ハイテク満載のタキシードを身につけることによって超人に変身するって設定、つまりは「作られたもの」としてしかあのアクションを見てないんじゃないかって思えてねえ……。
 まあ、それはいくらなんでも考え過ぎだろうな、とは思うんだよ。けれど、アクションシーンが激減、あっても昔ほどのキレはない、部分的には吹替えも使ってる、それどころかCGでエフェクトかけてるところすらあるってんじゃ、往年のジャッキーアクションを知ってる身にしてみればただただ寂しくてねえ……。
 いつかジャッキーが引退する日が来るのは間違いないんだけれど、でもそれも遠くないんだなあと実感しちゃった映画でした。
 
 帰りは「金龍」でラーメン。
 しげは普通のラーメンで、私は油そば。こってりしてるので、しげは油そばを避けたのだが、でも我慢しきれなくなったのか、何も言わずにいきなり私の器から麺を一本だけつまんで食べる。この「せめて一本」って感覚がイジマシイよねえ。


 マンガ、『神恭一郎事件簿2 オレンジは血の匂い』(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・620円)。
 だいたい、既に持ってる単行本を、新編集の新装版が出たからと言って買いなおすのは馬鹿げているのである。じゃあそれほど和田慎二が好きな作家なのかというと、そうでもないんだから何をか言わんや。
 だいたいこの「神恭一郎」モノも、高校時代の女友達に奨められて読んだはいいものの、あまりにつまらなくてバカ正直にその子に真実を告げてしまい、大喧嘩をしてしまったという、私にとってはイワクつきの作品なんである(どうして私はこうおべっかを使うということができないのか)。つまんないならなぜ買うか。魔がさしたというしかないんだよねえ。さしすぎじゃん。
 第1巻の『愛と死の砂時計』同様、この『オレンジは血の匂い』も某有名ミステリのパクリ。といっても、これはもう腐るほどパクられまくってるパターンだから、もう一つのジャンルと言ってもいいのかもね(-_-;)。

2001年03月15日(木) ナニワの謎/『怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史』(松村喜雄)ほか


2003年03月14日(金) 夫の威厳なし!(T∇T)/『なるたる』10巻(鬼頭莫宏)/『機動戦士ガンダム Ecole du Ciel』1巻(美樹本晴彦)

 朝方、仕事から帰ってきたしげに父からのホワイトデーのプレゼントを渡す。
 てっきりお菓子か何かと思ったら、袋を開けてみたら何とお高そうなネックレスである。
 しげ、まさかこんなものが貰えるとは思ってなかったらしく、「いいのかな、こんなの貰っていいのかな」と慌てふためく。かと言って、返すわけにもいかんやん。
 「でも、ちゃんと付けれるかな、オレ、首ぶっといし」
 そんなのは自分のせいだろう。私にどうしろと言うのだ。
 あたふたしながら、早速付けてみるしげ。
 「似合うかな、似合うかな」
 悪くないんじゃない、と答えておいたが、内心、親父のやつ、厄介なことをしてくれたなあ、とヘコんでしまった。私ゃ、ホワイトデーのお返しはそのへんのコンビニのお菓子にしておこうと思ってたんだが、これじゃムチャクチャ見劣りしてしまうではないか。
 かと言って、たいそうなものを買ってやる余裕はないので、しばらくはしげの「フン、情けない夫」という蔑みの視線に堪えるしかないのである。
 とほほ(+_;)。


 昨年10月に発売された『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』上下巻が、全国の書店に約35万セットも在庫になってダブついてるんだそうな。
 一瞬、えっ? ハリポタって実はそんなに売れてないの? と錯覚しそうだけれど、これは初刷りが売り切れちゃって、大量に追加注文したら、その分が売れなかったってことらしい。そりゃ、初刷りだけで230万セットも出したってんだから、いくらベストセラーだからって、人口の1割も買う人はいないんだから、キリのいいところで見極めときゃよかったのに、ってことでしょ。なんかバブル崩壊と全く同じ計算違いしてるよねえ。
 出版社の静山社は、岩波書店と同じく返品不可の「買い切り制」を取ってるので、損をするのは書店ばかり、ということになる。業界筋によると、在庫で溢れてるのは35万セットどころか、70万セットに上るんじゃないかって話もあるくらいで、小さな本屋になると、第4巻を返品できなくて在庫スペースが少なくなり、他社の本を返品せざるを得なくなったとか。
 出版不況の中で、ついつい絶対確実と思われたヒット商品に飛びつきたくなったってことなんだろうけれど、全国の書店がそこまで追いつめられてたかと思うと、ちょっと寂しい気持ちにさせられちゃうのである。


 改装中だったあのバカ高いネタの回転寿司、「すし大臣」が、「大河すし」と名前を変えて新装オープン。
 いや、オープン自体はもう何週間も前のことだったんだけれど、まあ、私の財布がしばらく寿司断ちしてたから(^_^;)。
 中がどんなに変わったのかな、と思って入ってみたけれど、座席が少なくなっているだけで、あまり変化があったという感じではない。何のための改装だったのか。
 久しぶりなので、高いネタも遠慮なく食う。でもウニと大トロは避けちゃうところがやっぱり庶民(^o^)。


 夕方、東京のこうたろう君と電話。
 日本映画専門チャンネルの話で盛り上がる。
 こないだの江利チエミ・渥美清主演の時代劇ミュージカル『唄祭ロマンス道中』、二人とも見ていたので、話が弾む。
 こうたろう君が「東宝は東映に比べてミュージカルシーンの画面の使い方が上手くない」と言うので、「カメラワークの癖の違いじゃないか」と答える。更に「屋内から屋外に出た時の空間の撮り方がヘタだ」と言うので、アタマの中で東宝と東映のミュージカルシーンの違いを思い浮かべてみたが、明確な違いがわからない。何となく東映の方が「奥行き」のある映像造りをしていたような気はするが、これは東映の方が時代劇のセットを作るノウハウに長けていたからかもしれない。っつーか、同じセット、常時使い回してたもんな。そら、慣れるやろ(長け過ぎてて「手抜き」の仕方も知ってたせいで、後年『トラ・トラ・トラ』の黒澤明降板事件も起こっちゃったわけだけど)。
 「久しぶりに『美女と液体人間』や『大怪獣バラン』も見ちゃったよ」と言ったら「やっぱり」と笑われる。
 あのチャンネルは、日本映画ファンにとっては魔窟だ(^_^;)。


 マンガ、鬼頭莫宏『なるたる 骸なる星・珠たる子』10巻(講談社/アフタヌーンKC・550円)。
 ちょっと距離を置いて読まないと、このマンガもアブナい展開になってきた。大塚英志・田島昭宇の『多重人格探偵サイコ』もそうだけれど、明らかに「出版コード」に対して挑戦する意図のあるマンガってのは、ともすれば作者自身がエキセントリックになって暴走しかねないんである。
 マンガ本編よりまず先に、折り返しの作者コメントがもうキちゃってるし。
 「一人一人に自分の『神様』。
 それ以外の神様はいらないと思います。
 自己批判と変革のできない神様とは
 そろそろ縁を切る時間です。」
 言いたいことはわかるけど、言っても詮無いことを。それに「縁を切ったほうがいい」とか「縁を切ろうよ」とかじゃなくて、「縁を切る時間です」だもんなあ。自分自身が神様になっちゃってないか?
 本編もあまり意味なくのり夫を殺しちゃったしなあ。シイナはどうせ生き返るんだろうけれど、のり夫はあのまんまだろうし、かわいそうだよなあ。


 マンガ、矢立肇・富野由悠季原案・美樹本晴彦『機動戦士ガンダム Ecole du Ciel 天空の学校』1巻(角川書店/角川コミックス・エース・588円)。
 「少女が主人公のガンダム」ですな(^o^)。
 っつーか、舞台とか人間関係とか、設定がすっごく『トップをねらえ!』に似てるように感じるんだけど。
 主役のアスナが親の七光りがあるわりにドジッ子だとか、メガネっ娘の親友がいたり、ライバルでタカビーなおねえさまがいたりとか、厳しいコーチが付いてたりとか……。
 いや、『トップ』自体、いろんなモンの寄せ集めなんだけどさ。更に言えば、主役のアスナ・エルマリート、「親に過剰に期待されてる子」ってとこは『エヴァ』のアスカ・ラングレーのイメージもちょっと入ってないかな。
 でも、親友の子の名前が「エミル」ってのがちょっとねえ。私ゃこいつがいつ「りゅんりゅん」言い出すかと思ってハラハラしちゃったよ(←わかんない人のために解説。恋愛シミュレーションゲーム『センチメンタルグラフィティ』に、「えみる」って言う「りゅんりゅん」喋る生き物が出て来るんですよ)。
 『ガンダムエース』掲載時は、あまり丹念に読んでなかったんだけれど、こうやってまとめて読んでみると、何とか筋は追える。追えただけで面白いとは言わないけどね(^o^)。

2001年03月14日(水) さて、勝ったのはどっち?/『HUNTER×HUNTER』11巻(冨樫義博)ほか


2003年03月13日(木) スターと役者のはざまで/『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(大月隆寛編)

 「吉永小百合展 五つの扉」ってのがが11日から、日本橋三越本店で始まってて、大盛況なんだそうな。初日から一万人の来場というから、サユリスト健在なりってことか。こんな言葉もう死語かと思ってたが。
 その目玉展示ってのが、約30年前に御夫君が撮られたという、本邦初公開、吉永小百合のビキニ姿。もっとも普通のスナップなので、色っぽさとかは全くないんだが、これがそれだけ話題になるってことは、吉永小百合って「キャラクター」がどれだけイメージが固定されて来たかってことの証明みたいなものなんで、役者としては決して嬉しいこっちゃないと思う。
 なんたってねえ、『青春の門』でセックスシーンを演じた時に(でも脱いでない)、それまで80本以上の映画に出てたってのに、「演技開眼」とか言われちゃったんだから。演技者としてどうかって意見は多々あろうが、決してどヘタクソというほどじゃないんで、こりゃいくらなんでもヒデエ、と当時も思った。「キレイなだけで演技力なし」なんてイメージを持たせるに至った原因は、サユリストの狂熱ぶりに確実にあったよな、と思うんである。
 まあ、確かに少女時代の吉永小百合の代表作というと、『キューポラのある街』ばかりが挙げられて、ほかのプログラムピクチャーは軒並み評価が低い。リメイクものに出たときなんか、どうしても同じ役を演じたほかの役者と比較されちゃうので、損なのである。
 『青い山脈』の寺沢新子役、杉葉子(1949)、雪村いずみ(1957)、吉永小百合(1963)、片平なぎさ(1975)、工藤夕貴(1988)、とあるわけだが(テレビシリーズでは加賀まりこや坂口良子も演じてたらしいが私は未見。どんなんだったんでしょうね?)、これは映画自体の完成度(だいたい戦後すぐという設定でないと意味がない物語だし)もあって、杉葉子が他を圧倒している。
 も一つ、『伊豆の踊子』の薫役も並べてみると、これがまた錚々たるメンバーである。田中絹代(1932)、美空ひばり(1954)、鰐淵晴子(1960)、吉永小百合(1963)、内藤洋子(1967)、山口百恵(1974)(テレビ版は島本須美(声)、小田茜、早瀬美里、後藤真希。島本版以外は未見)。「大人に見えるけど子供」という設定を考えると、田中絹代と山口百恵がイメージに近い。大人顔と言うよりオバサン顔の美空ひばりや、「外人じゃん」の鰐淵晴子に比べれば、吉永小百合も悪くはないが、色気は全くない。吉永小百合は、後に『映画女優』の中でも「田中絹代」として薫を演じるが、これは悪い冗談だった。
 「イメージを崩したくない」「固定化したイメージを崩したい」、この相反する思いを役者は常に心に抱き、その間を揺れ動く。それは吉永小百合にもきっとあったに違いないし、だからこそ、後年になればなるほど「えっ? あの吉永小百合が?」と衆目を驚かすようないろいろな役に挑戦もしていたのだが(『夢千代日記』などはその最たるものだろう)、結局、ファンはその「新しいイメージ」をも旧来のものに取りこんで、どんな「汚れ役」であってもそれを純化させてしまうのである。
 「スターがいなくなった」と嘆く人は多いが、役者にとってはイメージの固定化された「スター」などはいない方がいいと思える場合もある(映画界の活性化という意味ではいてくれないと困る面もあるのだが)。吉永小百合は未だに「スター」だ。けれど、彼女が「なりたい(今でも、という意味である)」のは、スターなのか役者なのか。


 夜、突然父から電話があり、ホワイトデーのお返しをしたいとのこと。
 そう言えば、しげは父にもチョコをあげてたんだった。糖尿なんで小さめにしたとは言ってたけど。
 一緒に食事をしたそうな口ぶりではあったが、肝心のしげがもう、仕事に出かけていていない。仕方がないので、贈り物だけ持ってくるとのこと。
 「そう言や、昨日、しげさんの店に行ったとぜ」
 「姉ちゃんと? どけんやった?」
 「うん。忙しそうに働いとった」
 「なんか話した?」
 「仕事しよるモンに話しかけたりはせんが。よう動きよったし、よかったやないか」
 「……まあね〜、ああなるまでには時間がかかったしね〜」
 実際、結婚当初は本気で全く働かない、ただ食って寝るだけの文字通りのゴクツブシだったので、それを考えると隔世の感があるのである。それでもまだ全然人並になったとは言えないのだが、他人の1年を3年かけて成長するやつだから、これからもあいつが大人になっていくのを気長に待つしかないのである。
 でも、考えたくないことだけど、しげの成長、もうこのへんで止まってるって可能性もあるんだよねえ(-_-;)。

 晩飯はカネがないので、目玉焼きのみ。これでも醤油とマヨネーズをかけて混ぜて食うと美味い。なんとか腹が朽ちたところに、父が姉と自転車に乗って、プレゼントを持ってやってきた。
 食事を一緒に誘われたが、今、食ったばかりである。……しまった、高いメシたかれるチャンスだったのに(-_-;)。……って、不況で財政の苦しいオヤジに四十ヅラ下げてたかろうって根性がさもしいのである。反省しろよ。
 突然、父が、ポケットから何か平べったいものを差し出したので、「何?」と聞いたのだが、予想もしてなかったことを父は言った。
 「お母さんの通帳が出て来たったい。おまえの名義になっとるけん、引き出して使え。ばってん、ちょっとしか入っとらんけんな」
 そのとき私がどんな表情をしたのか、当然、自分には見えないのだからわからないのだが、多分、いつも以上に無表情になってしまったのではないか。本気でビックリすると、感情自体がホワイトアウトしてしまうのである。
 父と姉は用事が済んだらサッサと帰って行ったが、取り残された私はしばし呆然自失の状態が続いた。
 通帳の日付を見ると、平成6年。母が死ぬ1年前である。金額は2万円。
 母ははまだ60の坂を越えたばかりだったし、体調こそ悪かったが、すぐに死ぬものとも思ってはいなかっただろう。1年に2万円ずつ溜めて行って、5年か10年経ったら、ちょっとした旅行でもしげとさせよう、くらいのことを考えていたのではないか。そう思えるのは、母が死ぬ直前に行った沖縄旅行の金10万円を、私が出しているからである。
 母が死んで8年になる。最後に小遣いを貰ったのがいつだったか、もう覚えちゃいないが、もし母がまだ生きていて、本だの映画だのDVDだのと散財している今の私の様子を見たら、「余計な世話をするんじゃなかった」と自分のためにさっさと使っちゃってたかもしれない。
 そうしてくれてたほうがよかったのにな。


 大月隆寛編『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(鹿砦社・1680円)。
 内容よりもその分厚さにちょっと驚嘆。っつーか、引いちゃったんだけどね。
 田口ランディは『コンセント』しか読んでないし、確か庵野秀明と対談してたときは一方的に自分の感情をぶつけてたなあ、という印象しかない。だもんで盗作がどうの人格がどうのということは特に感じちゃいなかったのだが(『コンセント』は理屈っぽいポルノだと思っている)、まあこの本、実に詳細に田口ランディの剽窃癖を暴き立てている。
 そのなかには「こりゃ確かにマズいよなあ」ってものから「どこがどうマネ?」と首を捻ってしまうものまで、随分細かいところまで追求しているのだが、どっちかと言うと、田口ランディを蛇蝎のごとく憎む筆者たちのエネルギーがどこから来るのかなあ、ということの方が気になっちゃうのね。いや、盗作がイカンというのを批判するのはいいんだけど、なぜここまで粘着質的に絡みつづけなきゃならないのかって考えるとどうにもその理由がサッパリわかんないのよ。編者の大月さん、「深い理由はない」「けったくそ悪いだけ」と言い放ってるけれど、その程度のことでわざわざネット仲間に声をかけて、一冊の本まで作るものなのかね?
 やっぱり動機は「嫉妬」なんだろうな、と思う。大月さんはやたら「ブンガク」に拘っている。田口ランディの小説、冷静に読んで見れば傑作とは言わないがまあ、普通の出来ではある。けれど「あの程度で作家になれるのかよ」と一旦、思いこんでしまうと、心の内に生じたジェラシーの炎をどうにも抑えきれなくなっちゃうんだろうなあ。
 でも、大月さんの目的が「田口ランディを潰す」ことにあるのなら、それはちょいと難しいと思う。本文中、栗原裕一郎さんが記事にしているが、昔ならいざ知らず、今や「盗作」は作家生命を脅かすほどのスキャンダルではなくなっているのである。むしろ、「無意識でやった」と謝罪して改訂すれば、それが宣伝になってまた本が売れる。
 こういう批判本を出すことが、ますます田口さんの作家生命を永らえさせることになると思うんだが、大月さん、そこまで考えてるのかね。

2002年03月13日(水) 「かろのうろん」ってわかる?/『博多学』(岩中祥史)ほか……“NEW”!
2001年03月13日(火) 少女しか愛せない/『NOVEL21 少女の空間』(小林泰三ほか)ほか


2003年03月12日(水) ケダモノに振り回されてる話/映画『美女と液体人間』『大怪獣バラン』

 まあ、これもどうでもいいニュースですが。
 アゴヒゲアザラシの「タマちゃん」を保護しようと、地元市民団体「タマちゃんのことを想う会」とアメリカの動物保護団体「マリンアニマル・ライフライン」が、11日朝に、横浜市の帷子川で、漁網で捕獲しようとしたけれど、あえなく失敗。
 それを見ていた「タマちゃんを見守る会」のメンバーや付近住民ら約40人は、「どうしてタマちゃんを刺激するようなことをするのか」と激しい抗議の声をあげたっていう話だけど、ついこないだまで、「体を悪くする前に保護したらどうか」なんて声も多かった気がするが、それを実行しようとした人たちがいたら怒るのか。結局どうしたいのかね。
 まあ、ムリヤリな保護がアザラシのためになるとも思えないけど、日本全国の注目がたかが一匹のアザラシに集まっちゃってるってのもなんだかなあ、だ。子の「ほのぼのしたがり」の風潮ってなんなんだろうかね。
 もしこのあと、「たまちゃんの味見をする会」ってのが現れて、アザラシ食ったりしたら、「思う会」の人たちは「あの時助けとけばよかったんだ」とか言い出すんだろうな。誰か食ってみろよアザラシ。カラダにゃ悪いかもしれんけど。


 しげ、バイトが早出なので、一緒に晩飯を食う時間がないとのこと。
 仕方がないので、家の近所のコンビニで弁当を買って食う。なんだかどんどんしげと過ごす時間がなくなってきてるけど、夫婦の危機の予兆であろうか。もう随分前からそんなこと言ってたようにも思うが。

 CS日本映画専門チャンネルで、「東宝特撮王国」(こんな大層なタイトルが付いてるんである)『美女と液体人間』、続けて『大怪獣バラン』を見る。
 『美女』は特撮ものであるにも関わらず、オトナの雰囲気がまんまんで、子供心にも胸をドキドキさせられたものであった。でも、今見るとラストが随分あっけないねえ。まあ、燃やして殺すってのは定番だけど。
 『バラン』も長いこと「幻の映画」って言われてたらしいけど、しょっちゅうテレビでやってたぞ。特に福岡じゃ。でなきゃ安永航一郎が「バラダギさま」をパロディにできるはずないじゃん。

2002年03月12日(火) 「思春期」という名の汚泥/『サブカルチャー反戦論』(大塚英志)ほか……“NEW”!
2001年03月12日(月) 伏字な話/ドラマ『D』episode1 ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)