無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年03月14日(水) さて、勝ったのはどっち?/『HUNTER×HUNTER』11巻(冨樫義博)ほか

 ホワイトデーである(昔は「クッキーデー」とか「マシュマロデー」って呼び方もあったがすっかり消えたな。お菓子屋の陰謀だってことがこのことからもはっきりとわかるな)。

 期待してる人も、石投げつけたい人も、両方いるだろうからあらかじめ言っとく。
 今日はノロケるぞ。読みたくないやつぁ、さっさとご退場願おう。

 儀式だイベントだというのは所詮は欺瞞なのであまり好きではないのだが、かと言って、人の思いに背を向けたいというわけでもない。「お返し」はちゃんと用意してある。

 バレンタインデーの前に、「アンタ、欲しい?」と女房が聞いてきたが、これは「あげたい」という言葉の裏返しである。私も決して素直な人間ではないので、「くれるならもらうよ」とそっけなく答えたものだった。
 女房はどうも私とのコミュニケーションを一種の「勝負」だとみなしている向きがあるのだ。女房のアタマでは、自分の方からアプローチすること、即ち「負け」ということになるらしい。
 その辺の発想が私にはよく分らんのだが、なんとか私の方から「チョコ欲しいよう」と言わせようとしている時点でもう「負け」てるようなものだ。私は実際、女房がくれる気がないならもらいはしないし、仮にくれなかったからと言って別に気を悪くしたりするわけでもない。
 そういう執着のなさが女房には暖簾に腕押し、糠に釘で気に入らないんだろうが、それが私の自然なのだから仕方がない。逆に私が粘着質な性格で何かにつけ執着するタイプだったら、そのほうが女房は困ると思う。

 今日も女房が「私のこと、好き?」と聞いてくる。
 いつものことで私も「好きだ」なんて言ってやらない。「オレが浮気するとでも思ってるのか?」と言い返す。
 「今日は職場で私のこと考えてた?」
 「考えてたよ」
 「ほんと? 忙しいのに私のこと考えてられたの?」
 「いや、そんなヒマなかった」
 「……ウソついたの?!」
 「違うよ。お前のことは心の基本にあるんだ」
 「なんかウソっぽい……」
 「冷蔵庫にホワイトデーのブレゼントがあるよ。よしひとさんの分も買っといたけど、それもお前にやる」
 「なんで?」
 「よしひとさんには改めて別のを買うよ。古くなったのあげるわけにはいかないし」
 「私には古いの渡すんだ」
 「今はまだ買ったばかりじゃないか」
 「中身はなに?」
 「さあ。忘れた」
 冷蔵庫からお返しを持ってきて女房に渡す。女房、早速中を見て確かめる。包み紙を破り、箱のフタを開ける時の女房の目がランランと光る。いや、ホントにお菓子には眼がないのだ。
 クランチチョコミックスと抹茶ロールクッキー、そう言えばそんなの買ってたなあ、と今更ながらに思い出す。
 女房、そのまままたフタを閉めて引き出しの上に置く。
 「なんだ、食べないのか?」
 「すぐには食べないよ」
 あとの楽しみに取っておくということか。多分私が寝入ったあとで食べるつもりであろう。美味しそうに食べる様子を私に見られると「負け」になると思っているのだ。
 ……だからその時点でもう負けなんだってば。
 つくづく解りやすい性格してるやつだ。
 
 ……自分で書いてても思ったが、私は基本的にはタラシだな。親の血か。
 
 マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』11巻読む。
 前巻の重大発表、子供が生まれたことと、アニメが3月で終わることだった。……引くほどの話題じゃないよなあ。
 明朗マンガのフリして始めておきながら、さすがは冨樫、期待を裏切ることなく、幻影旅団のあたりからまた『幽遊白書』の「仙水編」の時みたいにコワれ始めてきた。もう随分、テレビアニメ向きじゃなくなってきたなあ、と感じていたが、今巻15ページのノブナガや、154ページのクラピカのアップはすでに少年マンガのワクからはみ出した作者自身の狂気の顔になっている。
 こういうキャラクターが頻出するようになると、もう主役のゴンに活躍の場はない。しかし、私としては冨樫さんはヤケになっちゃった方が面白いと思っているので、ストーリーが迷走しても構わない。作画レベルも決して落ちてはいないし、このまま順調にコワれていってくれることを期待するものである。



 漫然とテレビのニュースなど見る。
 ここしばらくニュースをまともに見てなかったので、ここらでチト世界情勢でも、と『ニュースステーション』にチャンネルを合わせると、久米宏の白髪がえらく増えている。……私はいったいどれだけニュースを見ていなかったのだろうか(^_^;)。
 森降ろしの話題が未だに続いている。
 誰が言い出したか、景気対策が先で総裁選なんぞやっとれるかい、というよく分らん論理で六月まで政権が伸びるかもということである。総裁選をあと回しにしたって景気対策できるとも思えんが、具体的な方策も示さず、それで話を都合のいい方に無理矢理通そうってのが国民をナメとるね。でもなめられても仕方ないくらい、国民だって大した識見もなく「森やめろ」コールを繰り返してるだけである。
 キャスター連中も憤ってるが、どうせマスコミもなぜここまで森総理を嫌っているか、原因なんか忘れているに違いない。というか原因なんてあったのか。
 もはや「怒り」の雰囲気だけが先行していて、報道としての姿勢は完全に失われている。松本サリンの冤罪事件のころからちっとも変わっちゃいないのだ。
 愛知で女の子を放置して餓死させた両親の公判の報道も、偏向が目立つ。
 被告の母親に取材して、なんとか「娘を甘やかして育てたのが悪かった」という証言を誘導して引き出す手口がいやらしい。子供を死なせて平気な馬鹿親は昔だっていたろうに、それがあたかもイマドキのヤンパパ・ヤンママのせいであるかのように仕立て上げようとしてるんだものな。
 そうやって誰かを悪者に仕立て上げなきゃ自分たちのアイデンティティが保てないくらいに、日本のマスコミの思想的基盤は脆弱なのである。結局、弱い犬ほどよく吠えるってやつだからな。
 ああそうか、テレビのニュース番組丹念に見なくなったのは、久米宏も筑紫哲也も、その正義派ヅラを見てると吐き気を催すからだったな。
 女房がニュースを一切見ようとしないのもひとつの見識ではある。

 『唐沢俊一のキッチュの花園』読む。
 キッチュ、という言葉自体、もう八十年代の遺物のような印象を持ってはいたが(その点を考えると、この本の売れ行きが心配ではある)、世間からキッチュな物件が消えてなくなったわけではない。
 誰も言わないからはっきり言っちゃうが、福岡の街中はまさしくキッチュの花園である。キャナルシティなんて存在そのものがキッチュと言ったっていいくらいのものだ。天神だとジークスあたりがそれらしいか。ともかくちょっとうろつくだけで、妙なもの、変なものが目に付いてしまうのである。
 私は唐沢さんのように変なものを集める趣味はあまりないのだが(と言いながらよく探すと変な物が部屋のあちこちに転がってはいるが)、カタログ的に見せられるとちょっと欲しくはなってくる。
 コンドームに、こんなに変り種があるとは知らなかったなあ。知ってても使うとは限らんが(^o^)。シンプソンズ型コンドームなんて使いたくもないわ。
 アナル用コンドーム、「ナイスガイ」、そもそもなぜ必要なのか用途が分らん。妊娠の心配もなかろうに、何から何を守るというのだ? それともコンドームに関する私の基礎認識自体が間違っているのだろうか。
 ウチにあるモノは多分一つもなかろう、と思っていたが、健康器具のコーナーの「ネックストレッチ」、たしか女房が昔、使ってたような気がする。女房も健康のためには命もいらぬってとこがあるので、ムダなものをよく買うのである。20年前なら、たとえユリ・ゲラーに命じられなくともきっと、ルームランナーとぶら下がり健康器を買っていたに違いない。
 先年つぶれた「大分ネイブルランド」には、「炭坑夫グッズ」がやたら売っていたが、あれなんか唐沢さんが見たら狂喜したかも知れんな。残念ながら人にやっちゃって、「炭坑夫ボールペン」も「炭坑夫スプーン」も手元にゃないけど。
 ……スプーンの柄の先に、真っ黒でリアルなヘルメットかぶった炭坑夫の首がついてんですけど、そんなもんでコーヒー飲む気になれるやつ、いるんだろうか?



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