無責任賛歌
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| 2002年12月06日(金) |
頑張れ爆走� 紳萋鷁麁�本オタク大賞/『SとMの世界』1巻(ビーパパス・さいとうちほ)/『井戸の中の悪魔』(篠田真由美・秋月杏子) |
「第二回日本オタク大賞2002」が、以下のように決定。
大 賞 ………… 株式会社 海洋堂 赤熊賞 …………『千と千尋の神隠し』DVDソフト トップをねらえ!賞 ……『ほしのこえ』 初夢ジャンボオタク賞 … HGUC RX-78ガンダムGP03デンドロビウム …『鉄騎』 残念賞 …………『手塚治虫ランド』(テーマパーク) 岡田斗司夫賞 … SFムービーセレクション第3弾『謎の円盤UFO』(食玩) 唐沢俊一賞 …… ベータマックス 眠田 直賞 ……『トータリースパイズ!』 切通理作賞 ……『ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇』 氷川竜介賞 …… 雑誌「ネットランナー」付録『中華キャノン』 鶴岡法斎賞 ……『忍風戦隊ハリケンジャー』のウェンディーヌ 米沢嘉博賞 ……『神罰』 児玉さとみ賞 … ジョイまっくす(ニトロプラス広報) カンザキカナリ賞 ふたけっと
毎回、楽しい賞を作ってくれるなあ、と感心する。 『ほしのこえ』、ウワサによれば結構酷評受けつつの受賞だったそうだが、『トップをねらえ!』賞ってのはまさに皮肉だ岡田斗司夫さんが提唱したのかな。確かにSFネタとして考えた場合、『トップをねらえ!』第5話「お願い!! 愛に時間を!」とかぶってるのはわかるんだが、別にこのネタ、『トップ』の専売特許ってわけじゃなし、そうおちょくらんでもええやん、という気もしてしまうのである。 もっとも、皮肉と言えば「手塚治虫ランド」の「残念賞」というのも皮肉の利き過ぎだとは思うんだが。一応、資金不足ゆえってことになってるらしいけれど、そんな単純なものじゃないよな。 手塚治虫を神格視してディズニーと同列かそれ以上に扱おうって人間が結構いたりするものだから、いかにもそんなテーマパークが作れそうな気になったのかもしれないが、率直に言ってそこまで社会的な波及力のある人ではないし、イメージキャラクターとなるような作品も、ディズニーとは比較にならないほどに少ないのだ(既に「手塚治虫」って誰? とその存在を知らない若い人も多い)。アナタ、ヒゲオヤジやアセチレン・ランプの着ぐるみが遊園地の中を闊歩してるの見て、楽しめますかね(^_^;)。ましてや小山内桐人や変身後のトッペイがウロチョロしてたら子供は泣くぞ。もともと「テーマパーク」に向く漫画なんか殆ど描いてない人だってこと、手塚プロの連中も認識しとくべきじゃないか。「アトム」と「レオ」と「サファイア」だけで数々のアトラクションを持たせられるわきゃあないのだ。まだしも『スタジオジブリランド』の方が実現性があろうってものである。「ラピュタ」の崩壊を体感できる巨大なアトラクなんかがあったら、私なら3時間行列してでも入るがな(^o^)。
それにしても大賞が「海洋堂」とはねえ。 掲示板にも書いたことだが、確かに素晴らしいディテールのジオラマを食玩で展開したことを評価するに吝かではないのだが、「こんなん作ってどうするよ」というものも結構あるのだ。「鉄人28号」目的で買った「タイムスリップグリコ」だが、それを当てるためにムダにしちゃったものの中には、「牛乳配達のオート三輪」とか「学校給食」とか「旋風機」とかもあるのである。脱脂粉乳のミニフィギュアとか、作ってる方も虚しい気分にならんかなあ。どっちかというと、海洋堂製作の食玩の、ベストテンを作ってその最高傑作に大賞を挙げてほしかったなあ。細か過ぎるか。 ちなみに、私が思う今年の海洋堂食玩ベスト3は、『銀河鉄道999』「鉄郎のかーちゃん(死に際の表情がいい……ってヘンタイか)」、『タイムスリップグリコ・鉄人28号』「正太郎くんと大塚署長(初期バージョンの正太郎くんの顔が最高!)」、『ゴジラ名鑑』「モスラ対ゴジラ(モスラ浮いてるし)」ってところだろうか。もちろん名作アニメシリーズや妖怪根付、手塚治虫も外せないんだけれどね。
けれど、このラインナップを見て、「アレが入ってない」「アレが全く言及されてないのはなぜだ」って感想を抱く人も多いんじゃなかろうか。 実は私もこの大賞のノミネート掲示板に『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』をノミニーしておいた。だからと言って、「どうして選考から漏れるんだ!」と喚き騒ぎたいわけではない。 昨年、『オトナ帝国』が圧倒的指示でオタク大賞を受賞した(というより、『オトナ帝国』に受賞させるためにこの賞が新設されたようなもの)その翌年がまた『クレヨンしんちゃん』では賞のあり方としてどうか、という問題もあるし、第一、今回の『青空侍』は、オタク的マニアックな魅力とは全くベクトルが違っていて、まず「映画」としての魅力を評価すべき作品なのである。もちろんあの映画に全くマニアックな要素がないというわけではなく、侍の風俗、戦闘の描写などを「時代劇マニア」として評価することや、タイムスリップが起こる必然性に関してのSF的整合性の見事さに言及することは可能だろうが、さて、それをして大賞を与えるにふさわしい突出した要素として見てよいかどうか、という点については、当然、論議の対象になろうとは思っていたのである。まあ、全く初めから無視されるのも寂しいよなあ、という気持ちで書きこんだのだから、別に審査委員に目がないとか思っちゃいない。 掲示板には他にも『おじゃ魔女どれみどっか〜ん!』40話や、『少林サッカー』などの書き込みがあったが、これらはどの賞にも滑りこまなかった。これらは確かにちょっと惜しいという気がする。吾妻ひでおの『スクラップ学園』復活を挙げてた人もいるが、これはいくらなんでもコア過ぎると言うものだろう(^_^;)。 放送の様子は「輝け!第二回日本オタク大賞2002」と題して、 第一部 2003年元旦23時〜24時 第二部 2003年1月2日23時〜24時 スカイパーフェクTV!279chほか全国一部CATVにて放送の「MONDO21」にて放送予定だそうである。元旦の、コタツで温まってミカン食ってテレビ見ての、だらけた夜の過ごし方はこれで決まりだね(^^)。今回から扶桑社から単行本も出るそうだから、放送でカットされるであろう過激な審査委員のやりとりはこちらでチェックされたらいかがか(それでもカットされるだろうしなあ)。
また今日もしげ、「具合が悪い」と言って、朝送ってくれない。 ここんとこ連日なので愚痴は省略。昨日の日記の文句をコピーして貼っておいていいくらいだな(^o^)。
マンガ、ビーパパス原作・さいとうちほ作画『SとMの世界』1巻(角川書店/あすかコミックス・420円)。 ビーパパス作、となっているが、実質これは幾原邦彦だろう。言わずと知れた『少女革命ウテナ』コンビによる新作である。……ということはこれもそのうちアニメ化……?(・・;) まあ、『ウテナ』の作者たちだからマトモなもの作るわきゃないってのはわかってるんだけど、なんつーか、タイムスリップもの+「真珠夫人」って言えばいのかな? 相当アブナイです、このマンガ(^_^;)。
フランスに修学旅行でやってきた主人公の高校生、舞姫セカイ。彼女にはずっと思い続けていたクラスメート、御堂がいた。意を決して、TGVの中で自分の想いを告白した瞬間、列車は脱線事故を起こす。身を捨てて世界を守ろうとする御堂。セカイの意識は遠のき、再び彼女が目を覚ましたそこは、中世フランス、ルイ14世の統治する謀略と動乱の時代だった。 見知らぬ世界に投げ出され、戸惑うセカイだったが、その奇妙な容姿(当然セーラー服である)と言動から、魔女だと疑われ、裁判にかけられそうになる。彼女の窮地を救ったのは、「S」と呼ぶ人形を大切に抱いている不思議な美少年、ソヴュール。彼が世界をこの時代に連れてきた張本人であったが、自らの素性とセカイをタイムスリップさせた理由については、口を固く閉ざして語ろうとはしない。 やがて、王家の権力闘争に巻き込まれたセカイの前に、御堂とそっくりの男、マキャヴァリオが現われる。一瞬、御堂が助かっていたのかと錯覚し、心惹かれたセカイだったが、 彼が永遠の命を持ち時間を自由に移動できる「魔人」であり、この世界での数々の動乱を、不思議な術を駆使して陰から引き起こしていたと知って、恐怖に怯える。 マキャヴァリオはセカイを「我が花嫁」と呼び、犯そうとする。それは、かつて「魔王R」が得ていたという万能の力「SとMの書」を手に入れるために必要な「儀式」だったのだ……。
どのへんが『真珠夫人』なのかっていうと、セカイがしょっちゅう犯されかけてなんとか助かるってシークエンスね(^o^)。マキャヴァリオはどうやら真性の悪魔らしいけれど、何だかんだ言って、いずれセカイは犯されちゃうんだろうな。ソヴュールの助けってのがあまり役に立ちそうにないし、これから先何巻続くかわからないけれど、テレビシリーズにしたら毎回どうやって世界を助けるかに苦心するんじゃないかな(^o^)。しかし、ホントにそんな企画、通るのかなあ。通ったら面白いけれど。 タイムスリップを繰り返して、毎回別の世界に行くってのもよくある設定ではあるけれど、バラエティな物語を期待はできる。ただし、少女ものだと飛ばされる世界が限定されて狭くなりそうで、せっかくの設定をうまく生かせるかどうかが心配。どうも時間移動はできても空間移動を同時にはできないらしく、フランスから外へは行けないみたいなんだよね。間違っても『タイムボカン』にはならんってことか。日本の過去じゃあ、あまり耽美な世界は描けないだろうし(いや、新撰組ものとかではアリかも)。 一応悪の魅力のカッコイイ系と、愛玩タイプの美少年系のキャラを用意してはいるのだけれど(まんま『ウテナ』の暁生or冬芽と幹やんけ)、人気が出るかどうかってのが微妙だなあ、と思う。意外にあっさりと次の間で打ち切られちゃう可能性もなきにしもあらず。 けど、別にセクハラ発言するつもりはないけどさ、少女マンガってもう少し革新してってもいいとは思うんだよ。24年組が台頭していったころから考えると、明らかに現実から遊離していって、御伽話の世界に埋没していってるマンガが増えてるしねえ。けれど現実として、年頃の女の子って、男の愛玩物にされる危険を常にはらんでるよね。セカイもこのままの展開だと、犯されながらも相手の男・マキャヴァリオを愛するようになりかねない。そうなっちゃったら男の思う壷じゃん? と怒る女性ファンも出てきそうだけれど、そんな虫のいいこと考えながら女を犯す手合いだって、実際に男の中にいたりするし、そんでもってホントに女が男を愛するようになっちゃう場合もあるのである。悲しいけど。 そのあたりの描写がリアルなんで、もしかしたらこの物語、第2の「少女革命」を幾原さんが狙ってるんじゃないかな、とも思うのだ。犯されてもなお、少女は自らの魂を潔く誇らしく気高くして行けるものなのか。『ウテナ』ではそれに対する解答を「男に抱かれたあと、女に走る」という形で提示していたんでちょっとずっこけちゃったが(でもある意味説得力はある)。 ともかく、この物語世界の意味について描こうと思ったら、2巻3巻程度では足りないということはわかる。できれば人気が出て、5巻、10巻と続いてほしいと思うんだけれど、難しいかなあ。
篠田真由美原作・秋月杏子漫画『建築探偵桜井京介の事件簿� ^羝佑涼罎琉�魔』(角川書店/あすかコミックスDX・546円)。 ミステリーのコミック化、もうブームを通りこしてごく当たり前の感じになっちゃったけれど、取り上げられる作品が新本格以降の作家ばかりに集中しているのが不満なところである。マンガ家さんたちも松本清張や高木彬光や鮎川哲也や土屋隆夫などに目を向けてほしいものである。内田康夫でミステリを図られてもファンとしては困るんだよ。ふと思ったが、いかにも漫画化されそうな伊集院大介シリーズのコミックがないってのは、栗本薫が自作の漫画化を嫌ってるってことなのかな? 昔、コンタロウが『ぼくらの時代』をマンガ化したことがあったけど(同タイトルのシリーズとは別)、アレが気に入らなかったとかかなあ。 それはさておき、篠田真由美初のコミック化であるが、やはり原作のコミック化は難しいねえ。いや、こんなアクの強い絵柄を原作読んでるときは想定してなかったのせいなんだけど。目はいつもどこかウツロ、異様に長いマツゲで、半開きの口の上唇だけを太い線で描くあの奇妙な絵柄は、どうやって生み出されたものだろうか。やっぱり同人誌あがりなのかな。顔の表情も角度も、コマ内での構図も固定化されてるので、ストーリーにダイナミズムが生まれていない。 ただ、ヘタクソだと言うことはこれから発展途上のマンガ家さんだってことでもあるので、もう少し期待して今後を見て行きたいという気もする。コマワリのし方はそう悪くないからである。 収録作は表題の『井戸の中の悪魔』と『迷宮に使者は潜む』の二本。どちらもトリックはそこそこ。これが「建築探偵」ものだという前提で読めばあっさりとネタがわかる程度のものだ。でも、だとすればもっと「建築物」に視点を置いた作画をすべきではなかったか。どうもキャラクターばかり描いてて、肝心の「建築」の描写がおざなりになっているのである。
2001年12月06日(木) 他人の日記ネタ。Aさんすみません(^_^;)/『ナジカ電撃作戦』MISSION 009/『韃靼タイフーン』2巻(安彦良和)ほか 2000年12月06日(水) 人は年6回風邪を引く/『冒険配達ノート ふまじめな天使』(赤川次郎)
| 2002年12月05日(木) |
数年前までは忘年会なんて殆どしなかったなあ/『時代小説英雄列伝 銭形平次』(野村胡堂) |
我が永遠のアイドル、石野真子が政治家(兼、極真空手の元全日本王者(^o^))大西靖人と“不倫同棲”してたんだそうな。 今でも2時間ドラマのキャストなどで「石野真子」の名前を見つけるとついついチャンネルを合わせてしまう私であるから、さぞショックを受けているのではないかとご心配の向きもあろうが(え? 全然してない?)、まあ、そんなショックは彼女がナガブチと結婚した時点で通過儀礼として済ましている。私もいいトシのオトナなのよん(キモイわ)。 それにしてもナガブチの次が広岡瞬だったし、今度の大西さんて人もよくは知らんが、経歴見る限りロクなもんじゃあるまい。妻もいるのに熱烈アタックを繰り返したっていうから、昔、『狼なんかこわくない』や『恋のハッピーデート』に涙した口ではないのか(いや、私は泣いてませんよ。泣いてませんとも)。そんなん、ストーカーと付き合うのと変わらんぞ。石野真子、オトコを見る目がホントにないのね。 アイドルからの転落人生というのはよくある話だけれど、同期の榊原郁恵の幸せぶりを思うと(アレでも幸せなのだろう)、石野真子の落ちついた場所が結局は「愛人の座」だったっていうのはなんとも寂しい(やっぱりショック受け取るやんけ)。でも、この先まだまだ二転三転しそうなんでヤなんだよなあ。死ぬまで愛人ってわけにもいかないだろうし。誰か彼女をホントにホントの幸せにしてやってくれ(T∇T)。
「バウリンガル」が売れに売れちゃってるそうである。 「バウリンガル」が何だか知らない人のために説明しておくと、犬の首輪に装着した小型マイクで鳴き声を分析して、「楽しい」「悲しい」など6種類の感情を会話体に「翻訳」して飼い主に伝えるペット商品のことである。値段の14800円を高いと思うか安いと思うかはペットに対する思い入れによるってとこじゃないかな(^^)。 ともかくどれだけ売れてるかってのは、この不況の折だってのに、販売メーカーの「タカラ」の株価が急上昇してるっていうんだから、相当なものなのだろう。でも、そんなもん付けないと犬の気持ちがわからないってことは、もともとペットとの間に心の交流なんてなかったってことじゃないのか。 さらに胡散臭いのは開発に当たったっていう日本音響研究所長の鈴木松美博士の存在である。私、この人って結構トンデモさんじゃないかと疑ってるんだけどね。 この人をテレビで最初に見たのって、もう、二、三十年前になるんじゃないかな。何の番組かは忘れたが、写真からその人の声を再現する、という企画で、坂本龍馬に『王将』を歌わせてた。寄りに寄ってなぜ「王将」? しかもこれが聞くからにいかにもキカイで作った声って感じでねえ。っつーか、単に誰かの声の回転音を遅くしただけじゃないのかって言いたくなったよ。その時、黒柳徹子の声も合成して、「こんなに本物と同じ声が作れます」って主張してたけど、そんなん本物が実際にいるんだから似せられるのは当たり前(^_^;)。だいたい、外見というか、ノドの形だけで声が作れること自体、信憑性に欠けると思うんだけどね。だって、太って肉がついたらそんなん解らなくなるやん。 この鈴木博士、こないだもウサマ・ビンラーディンの公開ビデオを分析して「本物」と鑑定結果を出したけれど、しばらくしてどこぞの調査機関が再鑑定して「本物とは断定できない」とあっさり否定してしまった。ウケ狙ってるだけの人って気がして仕方ないんだけど、未だにトンデモさんとして追求する人がいないのは、音響とか声紋に関する研究者がもともとあの人の他には日本にはいないってことなのかもな。鶏口牛後だね、まさしく。
例の『千と千尋の神隠し』まっかっか事件で、DVD購入者三人(みんな弁護士だそうな)が、販売元のウォルト・ディズニー・ジャパンに対して、正しい色調のDVDとの交換と、一人につき1万円の慰謝料を求める訴訟を京都地裁に起こした。 なんでジブリや宮崎駿を訴訟対象にしなかったかってあたり、自らを悪人にしたくない心理が働いてる気がするねえ。原告たちは「ブエナとジブリの関係について、私たち購入者は分かりませんので、販売元を相手取りました。ただ、裁判の過程で今後、ブエナが『ジブリの言う通りのものを販売した』と主張してくるかもしれませんが。制作者としてどのようにお考えなのか、宮崎駿監督にも(法廷で)話を聞いてみたいと思います」と言ってるけど、ディズニーとジブリの関係が分らないならそれくらい予め調べろよ。弁護士だろ? それともまさか、「宮崎駿に会いたい」ってのが本音じゃないだろうな。まず絶対出て来ないと思うけどね。 私も何度か本編と予告編を比較して見直してみたが、色弱の私には「赤いと言われりゃそう見えなくもない」というレベルでしかないのよ。第一、テレビにはたいてい色調補正のボタンがあるのだから、それで調整すればいいだけじゃん。「訴える」なんてレベルの問題じゃないよ、これは。
職場で上司と転勤についての相談。 ホントはこういう大事な話は人のいない密室で行われるのが普通なのだが、ウチの上司は脳天気なので廊下で堂々と立ち話をしかけてくる。いいのかそんなんで。私は隠しごとは嫌いなんで、同僚にも「来年ここにいないかもー」と平然と喋ってるけど。おいおい、それってマズイんじゃねーの? と思われそうだけど、そうでもないのよ。つまりねー、たかが私一人の動向で職場に動揺が走るとかねー、そういう事態には絶対ならないってことなんでねー。 ちょっと悲しいかも(/_;)。
迎えの車の中でしげが突然、「今日、アンタは『豊竹』でオレに奢るよ」と言い出す。 何だそのインチキ宗教の予言者みたいなモノ言いは、と思ったが、話を聞くと、今度の劇団の忘年会の場所に「豊竹」を選んだので、そこへ下見に行くのだと言う。だったら「奢って?」と言えよ。しげにとっては私に「お願い」するのも自分が負けた気分になって嫌いらしい。それにしても、最近は「時間がないから」と言って、店に寄ることも少なくなって来たのに今日はどうしたのかと思って、「仕事はないの?」と聞いたら、「今日はないから寄れるんじゃん!」と怒鳴られる。 別に怒って言うことはない。口の利き方ってものをいい加減で覚えろ。 「当日はいったい何人集まるの?」と聞くと、「7人」と答える。 AIQの人たちにもお誘いをかけるつもりなので、もう少し多くなるとは思うのだが、それにしても在籍メンバーの人数を考えると、ちょっと少ないのではないか。 「10人だと飲み放題の割引が効くから、10人ってことで申し込もうと思うんよ。当日、人数が減ることはあるし」。 そりゃそうかもしれないが、普通は参加人数自体を増やそうと努力するもんじゃないのかねえ。 「藤田くんとかは声かけたん?」 「メール送ったけど返事ないし」 ウワサだけは耳に入っているので、もしかすると顔を出しづらいのかも知れないけれど、全く反応がないってのは、そのヘンのウワサが事実かもって勘繰られることになりかねないんだが。 何にせよ、反応がなきゃないでまた何か声をかけるなり電話するなり、連絡取る方法はいくらでもあるだろうと思うのだが、しげはそれ以上はまず押さない。1度声をかけたんだから、返事がないのは無視してる証拠、と考えて無視し返してるんだろうが、人間関係を作ろうって気がない点では、しげも藤田くんもどっちもどっちである。全く、ウチの劇団の連中はどうしてこう、コミュニケーション不全なやつばかりであるのか。つまらんプライドは捨てて誰かまず折れろよ。
「豊竹」が忘年会の会場に決まったのは、其ノ他くんのプッシュが大きかったらしい。 劇団で飲み会に一度行って、気に入ったから、という話だが、いつの間にそんなことをしてたんかな。全然気づかなかったぞ。 実際、炭火焼の焼き鳥は美味いし、種類も多い。一品料理も鍋料理もあって、宴会には最適である。今日も焼鳥のほかに豚の角煮などを頼む。舌鼓を打って、チラシを貰って帰る。
知り合いの本屋と積文館を回って、本を買いこみ帰宅。 ふと台所を覗くと、買い置きしておいたラーメン「goota」の数が減っている。しげに食われたのだ。どうしてこいつは人のメシを勝手に食ってくかな。
野村胡堂(縄田一男編)『時代小説英雄列伝 銭形平次』(中公文庫・620円)。 『鞍馬天狗』に続くシリーズ第2弾。厳密に言えば『銭形平次』シリーズの通しタイトルは『銭形平次捕物控』なんだから、そう表示してほしかったところだ。 映画化、テレビ化されていて、名のみは有名でも、原作は読んだことないと人の言う時代小説は結構ある。だもんだから、銭形平次についても映像のイメージだけで勝手にツッコミを入れる人もいて、その代表的なものが「あんなに毎回銭を投げてて、平次んちは財政危機に陥らないのか」ってもの。原作じゃ投げ銭の描写なんてほとんどないんだって。ありゃ逃げる下手人にとっさの判断でやってんだから、そうそう毎回下手人が逃げ出すものでもなし、たまにしかやらないのは当たり前なんである。テレビのルーティーンに対して突っ込みたいのは、原作ファンの方なんだがなあ。 こないだも鴉丸嬢が同じこと言ってたんで、「そりゃちゃうよ」とついたしなめてしまった。でも考えてみたら大川橋蔵の『銭形平次』の本放送すら記憶にない世代なんだから、何も知らなくって当たり前、無知を突っ込み返すのも野暮ではあった。 だいたいエラそうに言ってる私だって、銭形平次シリーズの全ては読んでいないのである。昔、富士見時代小説文庫で傑作選が全10巻で出ていたのと、講談社大衆文学館で、『銭形平次・青春編』を読んだだけだ。これでもあの膨大なシリーズの5分の1程度に過ぎない。この傑作選シリーズも現在は絶版、今、銭形平次シリーズ383作全てを読もうと思ったら、大きな図書館で『銭形平次捕物全集』50巻を探すしかないのだ。そんな中、わずか1巻本とは言え、映像とは違った平次の魅力を伝える一冊を編んでくれたのはありがたい。 収録作は『平次屠蘇気分』『五月人形』『赤い紐』『迷子札』『鉄砲の音』の短編5作と、『随筆銭形平次』の抄録。 随筆を読むと、野村胡堂がトリックの創案にいかに腐心したかが縷々として語られている。つまり、捕物帳を単に江戸風俗を描くものではなく、探偵小説として成立させようとしたということである。一時、「『銭形平次』は海外小説の翻案ではないか」という疑惑が浮上したことに対し、「種本はない」と言下に否定しているが、これも作家としての矜持だろう。 でも、作者の主張をそのまま鵜呑みにもできない。例えば『五月人形』などは、あちこちの店に飾られた五月人形が次々に何者かによって破壊されていく、という話で、あまりにも有名なあの小説が明らかにネタになっている。ただし、単純な翻案と言えないのも確かで、そのトリックの解決が元ネタ作品とはちょっと変えてある。ネタを探偵小説の古典に求めてはいても、換骨奪胎していればいいってことか。 でも、実のところ銭形平次の小説としての面白さは、作者には悪いがトリックなどではなく、平次とガラッ八の掛け合い漫才にある。
「親分、世間はとうとう五月の節句となりましたね」 「世間と来たね、お前のところは五月節句が素通りすることになったのか」 「あっしも男の子でしょう。鯉幟や五月人形の贅は言わないが、せめて柏餅くらいにありつけないものかと朝っから二、三軒、男の子のありそうなところを当って見ましたが」 「さもしい野郎だなア、生憎おれのところもお祝いするほどの男の子はねえが、謎を掛けられて季節のものを食わせねえほどのしみったれじゃねえ。おい、お静、表の餅屋へ行って、柏餅を総仕舞にしてな、臍が欠伸するほど八の野郎に食わせてやるが宜い」 「じょ、冗談じゃありませんよ、あっしだって、柏餅を買うお鳥目くらいはありますがな、大の男が餅屋の店先に突っ立って頑張るのも色気が無さ過ぎると思って、ツイ独り者らしい愚痴を言ったんですよ」 「食い気ばかりかと思ったら、色気もあるんだな、お前は。ま、安心しねえ、お静は気が小さいから、柏餅を一両と買って来る気遣けえはねえ」
冗談に冗談で返すこの妙味が、テレビ版では今一つ薄かったように思う。 やはり映像化作品については原作にも当たってほしいものだ。『バガボンド』で『宮本武蔵』を語られてもねえ(^_^;)。
2001年12月05日(水) おばさんのタイホ/『おさんぽ大王』2巻(須藤真澄)ほか 2000年12月05日(火) NOT THAT IT MATTERS/アニメ『鉄腕アトム・ミドロが沼の巻』
| 2002年12月04日(水) |
殺伐とした日々/『文章読本さん江』(斎藤美奈子) |
アニメーターの大塚康生氏が平成14年度の文化庁長官賞を受賞されたそうである。 日本アニメーション史の生き証人である氏が『ルパン三世 風魔一族の陰謀』 (1987<昭和62>)を最後に第一線から退いて、もう随分と時間が経ってしまった。氏のホームページによれば、所属されていたテレコムを1994(平成6)年に定年退職後、近年は専ら後進の育成に励んでおられるようだが、アニメーション職人は死ぬまでアニメーター、という意識が私にはあったので、もう氏の新作が見られないというのは寂しい限りである。同じく定年でリタイアしててもおかしくない宮崎駿が未だに創作意欲の衰え一つ見せてないのにねえ。 氏の功績を考えれば、こういう賞とか勲章の類は何10個も貰ってておかしくないのである。これまでコツコツやってた技術屋がようやく日の目を見たような印象を受けるのは、もう何十年も大塚康生ファンをやってる身からすれば噴飯ものなのだが、実際、若い人には今一つ大塚さんの業績というものが伝わってないように思えてならないのである。 大塚さんなかりせば、今の宮崎駿だってありえないんだぞー。宮崎監督の『未来少年コナン』も、『ルパン三世 カリオストロの城』も、作画監督は大塚さんだったんだからなー。 いや、それ以前に東映動画創世記のころは……って、こういうのがトシヨリの愚痴ってやつか(-_-;)。 アニメ誌もこういう情報をきっかけにして、大塚さんの特集くらい組んでもいいと思うんだがな。コラム記事程度じゃ、とても大塚さんの業績はフォローしきれない。でもそんなのやってくれそうな雑誌って、今や『アニメスタイル』くらいしかないんだよなあ。……って、まだ続いてるのかなあ、あの雑誌。
関連情報、というわけでもないが、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のテレビ放送が来年1月24日の『金曜ロードショー』枠に決まったそうである。「視聴率40%超えを狙う」とは日本テレビ編成局のコメントだが、DVDが普及してるのにそんなに行くのかなあ、と思っててフト気づいた。 今度の放送は「赤い」のか? もしかしたらそれを確かめようと、DVD買ったやつもみんな見るんじゃないかな。まさかそこまで計算してのジブリの作戦?……なんてことはないと思うが、意外とこの40%という数字、達成不可能なものではないかもしれない。 もっとも、別に40%取ろうが取るまいが私ゃどうでもいいんだけどね。
しげ、また具合が悪いといって送ってくれない。 昼寝て夜寝て、どうして具合が悪くなるんだか。しげは私がプレッシャーを与えるせいだと言うが、そのプレッシャーってのは「少しは家事しろよ」って言ってることか? そんなん、受験浪人が塾にも通わずウチでゴロゴロしてる時に、親から「少しは勉強したらどうだ」と言われた瞬間、「うるせえな、今やろうと思ってたんだよ。イライラしてんだから声かけるんじゃねえよ!」と身勝手な屁理屈こねてるのと変わらんぞ。 じゃあ、プレッシャーかけちゃいかんと黙ってたら、少しは何か片付けの一つでもするのか。もちろん、しげがそんなことをしたためしはない。まさしく、屁理屈こねてる甘えたガキと精神構造は同じなんである。 ここまでになっちゃうと、充分テレビのネタとして使えそうにも思うんだが、どこか「衝撃のバカ嫁! 10年間家事一つしなかった女!」とかいうテーマで面白がって放送してくれるバラエティ番組とかないかな。せめてそれくらいのことででも家計を助けてくれないと、ホントにしげはいるだけで役立たずなんである。
同僚がまた一人辞める。 病気が悪化したので仕方がないのだが、実力があるのにそれをひけらかすこともなく、具合が悪くても弱音を吐かない、それでいてムリをしている様子は全くなく、飄々としていてそこにいらっしゃるだけでどこか安心できるような、そんな方だった。ずっと日記を御覧になってる方ならピンときたかもしれないが、映画ファンで、古いドラマの話や「ぶりぶりざえもん」の話題で盛りあがったことのある、あの女性である。 「全然元気そうに見えるでしょ?」 と屈託なく仰っていたが、本当はそうとう苦しかったのだろう。最後まで全然普通である。けれど私は返す言葉を見つけられなかった。 いい加減、上の連中は、才能のある人間を食いつぶしていくような職場環境を改善しようって気はないのか。 私もとうに労働意欲をなくしている。
晩飯は「王将」。 どんどん増える棚のフィギュア、でっかいピグザムが置いてある前に、ちょこなんとワンピースのちび人形が四、五個。「こんなん前からあったっけ?」としげに聞いたら「あったよ」とのこと。別に前より増殖してたってわけじゃないようだ。どのキャラかよく見ようと触っていたら、「盗ったらいかんよ」としげが言う。 あのな、それなりの社会的立場もあるオトナは万引きなんかしないって(-_-;)。わしゃ小木茂光か(←『OUT』)。こういう何も考えてない発言してるからバカだバカだと言われるのである。言われたくなきゃバカな発言しなきゃいい。少なくともしげの身の回りでこういうバカな発言するやつは誰一人いないぞ。
帰宅して、今日はアニメ『ヒカ碁』で佐為が消える日だったということに気がついて、慌ててテレビを点けるが、ちょうどエンディングで、肝心なシーンは見損ねてしまった。多分クライマックスだから、作画にも力が入ってただろうに、残念。あともう一回の佐為の登場予定は、第一部の最終回。今度は見逃さないようにせねば。
斎藤美奈子『文章読本さん江』(筑摩書房・1785円)。 『文章読本』ではなく、『文章読本』の研究本である。まずはこの着想が素晴らしいね。 斎藤さんの本は以前『読者は踊る』を読んだことがあるが、そのときも着眼点が面白いな、と感じた記憶がある。 そもそも、我々日本人はどうしてこんなに「文章が上手く書けるようになりたい」と思うのであろうか? そういうのは学校で教わるもので、何もいちいち「文章指南書」の類を紐解く必要はないのではないか? 作者は、100冊以上の「文章指南書」を俎上に乗せ、「名文」への欲求がいかにして日本人の中に形成されていったのかを社会学的かつ心理学的に解題していく。しかもこれが平易な文章で書かれてるものだから、滅法面白いんだわ。
まず、百花繚乱たる『文章読本』には、「御三家」と「新御三家」が存在する、と斎藤さんは説く。この例え方がキャッチー(古い)。 ・御三家 谷崎潤一郎『文章読本』 三島由紀夫『文章読本』 清水幾太郎『論文の書き方』 ・新御三家 本多勝一『日本語の作文技術』 丸谷才一『文章読本』 井上ひさし『自家製 文章読本』 この選択に異論がある人もあろうが、私は妥当だと思うね。ベストセラーになってるものばかり、ということもあるが、ガクセイへの影響力という点で納得がいくのである。いや、全部読みましたよ、一応ブンガクブ出身なもんでね。 それぞれの本に斎藤さんが付けたキャプションも面白い。 「谷崎潤一郎の天衣無縫」ナチュラル志向と言いつつ、矛盾だらけで何が言いたいんだかわからない。 「三島由紀夫の貴族趣味」芸術家にしか文章は書けないんだと。読本の意味ないじゃん(^_^;)。 「清水幾太郎の階級闘争」芸術的な文章より実用的な文章のほうが上って、上下の問題じゃないでしょう。 「本多勝一の民主化運動」ともかく卑屈で神経質である。デンパな文章書きたい人にはお勧めか?(^o^) 「丸谷才一の王政復古」かな遣いは今さら昔にゃ戻りませんって。 「井上ひさしの滅私奉公」文章を語るのに初めてディベートとエンタテインメントを持ちこんだけど、くどいです。 斎藤さんの言ってることを短くまとめるとこんなところか。多少私の感想も入ってるが。
結局のところ、我々が文章指南書を欲するのは、みんな自分が「文が書けないことはよくない」と思ってるからだろう。 明治時代の小学生が文章の定型にハマるあまり、花見に出かけりゃ必ず「一瓢を携へて」と書いた、というのは笑い話であるが、このことは、何も今のガクセイの文章力が昔に比べて著しく低下してるってわけでもない、ということを証明している。しかしこういう状況は、「美しい日本語を守ろう」なんて考えてるヒトにとっては実に憂えるべき状況であろう。となれば、そのヒトたちが「このままでは日本人から正しい日本語能力がケツラクしていく。それを看過するわけにはいかない」と一念発起、指南書を書こうって気持ちになっちゃうのも分らないではないのだが、それがかえって結果的に日本人全般に「悪文コンプレックス」を生みつけることになっちゃったんではないか。 「公文書などもあるのだから、お固い文章も書けないと」という意見もあろう。しかし、今書かれている公文書の生真面目そのものに見える文だって、昔の漢籍のみが文とされていた時代から見たら、全部ハナモゲラなのである。人の書いたものにやたら難癖つけたがるやつは多いが、別に作者はそいつのご機嫌取るために書いてるわけじゃない。そのくらいのことは理解しなきゃ、自分のほうがゴーマンかましてるだけってことになるんだよ。 著者の斎藤さんが導き出した結論は「文は服だって言ったじゃん。いつどこでどんなものを着るかは、本来、人に指図されるようなものではないのである」。 全面的に賛成。\(^o^)/
2001年12月04日(火) 「ピー」って口で言わんでも/『ワンピース』21巻(尾田栄一郎)/『うまんが』1巻(新井理恵)ほか 2000年12月04日(月) 仕事休んでマンガ三昧(^_^;)/映画『戦場のメリークリスマス』ほか
| 2002年12月03日(火) |
余裕のない日。いつもかも。/DVD『アードマン・コレクション2』 |
鳩山由紀夫民主党代表の辞任と、『電波少年』の打ち切りがほぼ同時にニュースになる。これもいわゆる「共倒れ」というやつなんだろうか(^o^)。 もともと、どっちも「芸ナシ」という点では共通してたけど、ヘタなあがきを見せての終わり方まで似通ってたのには大笑い。なんかさー、どーにも納得いかないんだけどさー、自由党との新党結成とか、カッパ騒動とか、こんなんマジで成功すると思ってたのかね? 人間、切羽詰ると自然とトンデモさんになっちゃうのだなあ。最近、私もいろんな意味で余裕なくなってきてるし、自戒自戒。
のどの調子もイマイチで未だに具合が悪いけれど、もう仕事は休めません。 けれど、しげ、「気分悪い」と言って車で送ってくれない。なんで気分が悪いかも答えない。仕方なくタクシーで職場へ。けれど、今日の仕事はもうへろへろである。 どうにもカラダが持たなくて、休眠室のベッドで横になりながら、少し気分がよくなったら起き出して仕事をして、また疲れて横になる、という寝たり起きたりの繰り返し。 こうまでして仕事をせにゃならんのか。せにゃならんのよ(T∇T) 。
しげ、帰りは迎えに来てくれるが、メシをどこで食うかでまた口論になる。 「メシ、どこで食う?」 「オレはウチに帰るよ。仕事まで時間ないもん」 「じゃあ、オレのメシはどうするんだよ。お前、自分のことだけ考えてて、人のことなにも考えてないだろ?」 「じゃあどこ寄ればいい? そこで落とせばいいっちゃろ?」 「落としてそのままほったらかしか? 具合が悪いのに歩いて帰れってか? おまえ、根本的に看病しようって発想自体なかろ? 自分は病気になったら甘え腐るくせして、オレが病気のときはジャマってか? 人間じゃねーよ、おまえ」 「じゃあどうすればいいん!」 「なんでそんなこと考えてやらなきゃならないんだよ! そんな余裕があるなら怒るかバカ!」 毎度毎度、こんなくだらんことでケンカするのはバカバカしいと重々承知しているのだが、具合が悪いと私も言葉と感情のセーブが出来ないのである。日頃溜まってた鬱憤が一挙に吹き出た感じで、しげを罵倒して、結局そのままウチに帰る。 しかし、この日記つけ始めてもう二年になるけど、その間しげが料理作ってくれたことなんて殆どないんじゃないか。これで自分が家族の一員になってる気になってるのがフシギで仕方がない。何度も書いてるが、仕事の送り迎えをしてなければ、ただの寄生虫である。 今度しげが病気になったら、どんなに頼んでもお粥一つ作ってやるまい。
夜、ひと寝入りしたあと、少し具合がよくなってきたので、こうたろうくんに愚痴の電話をかける。 いや、愚痴を言うのが目的じゃなくて、『奇跡の人』のチケットが取れたことを報告するのが目的だったのだが、気がついたらしげのことを罵倒しまくっていた。生活のサポートができないなら、せめてジャマだけはしないでいてほしいのに、実際には足を引っ張られてばかりなので、ホトホト疲れているのである。 具合が悪いときにメシの一つも作ってほしいと妻に望むのは高望みなのかね?
DVD『アードマン・コレクション2』。 『ウォーレスとグローミット』(何度も書くが「ウォレスとグルミット」は誤訳である)シリーズのアードマン・スタジオ製作のクレイ(粘土)・アニメーションの短編を収録したもの。けれど『W&G』のニック・パーク監督の作品は今回は未収録。主にピーター・ロード作品が多く、全般的にダークなムードが横溢しているのだが、私はこちらの方が好みである。
� 悒織ぅ肇襦Ε掘璽�エンス』 『アードマン・コレクション』劇場公開時に製作されたオープニングアニメ。そこは映画館の観客席、今まさに映画に見入っているのは、奇妙な顔の子供たち。彼らが見ているのは、SFアドベンチャー? ホラー? 恋愛映画? 飛んだり撥ねたり消え失せたり、子供たちの阿鼻叫喚の中、次に始まる映画は……? ディズニーもワーナーも手塚治虫もこの手のオープニングを作ってるけど(『シンプソンズ』もか?)、単にキャラを並べただけのものに比べてずっと面白い。やはりキャラには演技をさせなきゃね。
�◆悒團屬肇櫂亜� 「ガチャピンとムック」みたいな子供向けキャラクターショー……に見せかけた残酷アニメ。いつもナカヨシなピブとポグだけど、ちょっとしたものの取り合いからケンカがどんどんエスカレート、ノコギリ、硫酸、爆薬、大砲、気付いたら二人はバラバラに……。 設定は好きだけど、オチが『ロジャー・ラビット』だったのはちょっと興醒め。アードマンが誰でも思いつくネタでシメちゃいけませんな。
��『仮出所』 『快適な生活』と同じく、先にインタビューを録音しておいて、それに合わせて作画するパターンの一編。つまり犯罪者のインタビューをアニメ化してるんである。なんちゅーものを作るか(^_^;)。日本で言えば安藤昇とか安部譲二の語りをアニメ化するようなもんだろうが、そういう企画自体、日本じゃ成り立つまいねえ。「悪いことから足を洗ったとは言い切れないけど、今は前ほどひどいことはやっちゃいないよ」としみじみ語ってるのがリアル。好きな一編である。
�ぁ悒Ε�ー・ストーリー』 やっぱり爺さんの戦中の思い出を語らせてアニメ化してるんだけれど、どうもこの爺さん、ちょっとボケてるらしい(^_^;)。どこまでがホントの話だか分らないが、戦時中は斜めに立ってる家に住んでたり、空襲があったら石炭室に逃げこんでたそうである。なんでそんな危険なところに(ー∇ー;)。全く、よくこんなのアニメにしようと思ったよな。
�ァ愽饌羔寡歉鼻� これはちゃんとしたドラマ。 内容はアードマン版『ノートルダムの傴瘻男』。犬使いの小人・タイニー(直截的な名前だ)は、映画スターの大男アーノルド(眼鏡かけてるけどモデルはシュワちゃんかね)にこき使われる毎日だったが、愛しのダフネがアーノルドに殺されそうになったとき、ついに反逆を決意する。 物語としては普通だけれど、時間が交錯する演出と、劇中映画のモノクロ映像の処理が見事。
�Α悗△觴�付嬢の告白』 またもやインタビューのプレスコアニメ。こういうのが好きなんだな、ピーター・ロード。でも、このインタビューものってどの程度真実なのかな? ちょっとヤラセっぽくもあるんだけれど。 ヤクやってるゲイに薬貰ってるみたいですけど、大丈夫ですか、あなた。この「どーでもいいことを喋ってる女」をアニメ化しよう、なんて発想も日本人にはちょっと思いつかないなあ。 「アタマが痛い」って、だったらクスリやめろよ。
�А悒瀬Ε鵝Ε▲鵐鼻Ε▲Ε函� 救済センターにやってきた爺さんと係官とのとんちんかんなやりとりをアニメ化。ここまで来ると「世の中にアニメにならないものはない」という実験をやってるんじゃないかって気になってくるね。 これ、録音されてたこと、爺さん知らないままなんじゃないかなあ。この爺さんも、ここは救済センターだってのに「金払うから入れてくれ」なんてヘンなこと言ってるし、ちょっとボケてるみたいだ。こんなの日本じゃ人権問題に引っかかって封印されちゃいそうだよなあ。
�─悒丱咼蹈鵝� ラストはちょっと奇妙な肌触りの諷刺アニメ。 武器商人の集う晩餐会で、今しも主賓のスピーチが始まろうとしている。 ウェイターは仕事をサボリ、会場の隅では大男が小男を苛めている。大男はなぜかどんどん肥え太り、会場いっぱいになってしまう。 「武器を売り、平和を守ることが利益を生むのだ」 スピーチがクライマックスに達したとき、それは起きた……。 暗示の意味を考えるのは野暮だからしないが、アードマン・スタジオが何を語ろうとしているのかが垣間見える一編。大男の最後まで続く不敵な笑みが印象的。
2001年12月03日(月) 平和だねえ。/『蒼い時』『華々しき鼻血』(エドワード・ゴーリー)ほか 2000年12月03日(日) この日記も歴史の証言/映画『エクソシスト2』ほか
| 2002年12月02日(月) |
いつか見殺しにされる予兆/DVD『助太刀屋助六』/DVD『真夜中まで』 |
唐沢なをき氏のホームページ『からまん』に衝撃の告知。と言ってもファンでない人にはどーでもいーことかもしれんが。 今月から来月にかけて唐沢さんの新刊がドドッと出るので楽しみにしているのだが(『電脳なをさん』も出るぞ!)、文春漫画賞受賞作の『電脳炎ver.4 ウィン版・マック版』(小学館)も1月末にいつものごとく90%同じ内容で同時発売。ところが、この巻を最後にマック版はなくなってしまうと言うのである。 理由は誰でも想像がつくと思うが、マック版とウィン版の売り上げ比が、ウィンユーザーとマックユーザーの割合と同じ状態になってしまい、マック版を販売したても全くペイしなくなってしまったからだとか。 唐沢さんは「マックユーザーの方には申し訳ないのですが、時世時節とあきらめてください」と苦衷のコメント。もう心からのマックユーザーだから、その悲しみがこちらまで伝わって来そうな感じなのだが、あまりにも当然過ぎる結果にかえって微笑ましさを覚えてしまう。申し訳ないんだけど。 それはさておき、唐沢さんの新刊『バラバラくん』、2冊セットでもう出てるはずなんだけど見当たらないなあ。どうして唐沢さんの本はこうも毎回見つけづらいんだか。
風邪ますます悪化、職場に休みの連絡を入れる。もう有休残ってないってのになあ。 朝のうちに医者に行きたかったのだが、しげが起きて来ない。一人で自転車漕いで寒空を病院まで走ってく元気はなかったので、まあ、昼頃には起きるかと待ってたが、1時を過ぎても2時を過ぎても起きて来ない。 おいおい、夕べ寝たの3時ごろだろ? まる12時間も寝るか? と思ってたら結局起きてきたのが4時過ぎ。「医者に連れてって」と頼んだらまた露骨にイヤな顔をされる。「一人で行きゃいいじゃん」とか言うものだからマジ切れする。 ムリヤリ起こして「寝させない気か!?」とか下らん文句を聞くのがイヤだったから寝かせといたのに、ここまで自分勝手なこと抜かしやがるか。 「いいよもう。おまえが具合が悪くなったとき、今度はオレがほったらかしてやるからな」 「前からほったらかしとるやん」 「勝手に記憶を捏造するな!」 自分が病気の時に私から食事を作ってもらったり薬飲ませてもらったりしたことはキレイサッパリ忘れてやがるんだから、ニンゲンじゃないよな。しげに言わせれば、「オレだってアンタのために薬買って来てやったり、食事作ってやったことはあった」と主張するんだろうが、そんなのは全て「私が頼んでさせた」ことだ。自分から動いたことなんてないじゃないか。何も言われなくても食事作ってやったりした私と比較できるものではない。 もしもしげが本気で私の心配してるんなら、今日だってせめて昼には起きて食事くらい作ってるはずである。今日も昨日と同じく、私は自分で咳とくしゃみとめまいに悩まされながら冷凍そばを自分で作って食ってたのだ。買い置きがなきゃ飢えてるって。 しげがどんなに言い訳しようと、しげに他人を気遣うだけのメンタリティは存在していない。結婚するとき「もう少しマトモな人間になる」というのはしげが私とした約束だったのだが、その約束を未だに果たそうとしてはいないのだ。 こいつ、カルネアデスの舟板じゃないけど、何か危険に晒されたらなんの遠慮もなく私を犠牲にして自分だけ助かろうとするんだろあなあ。そんな外道相手に犠牲になってやらなきゃならないかって気もするけど多分その場になったら私って「いいよもう」とか言って諦めて舟板から手を離しちゃうんだよ。 ……やっぱり人生捨てないと結婚なんてできるもんじゃないね。
寝てるだけだと退屈だし業腹なので、買ったまま見損ねてたDVDを続けて見る。ゆっくり休んでろと言われそうだが、自分でメシ作ったりして、ゆっくり休めないからこんなことでもしてストレス発散させてるのよ。
まずは1本目、DVD『助太刀屋助六』。劇場公開時も行きたかったんだけどなあ。あっという間に打ち切りになるんだもの(^_^;)。 岡本喜八監督、あのトシであの言語不明瞭な状態で、果たして映画がマトモなものになるのか心配だったんだけど、意外や意外、往年の冴えはさすがにないものの、よくぞここまで作れたなあってくらいの佳作。この程度のレベルの時代劇が常時作られていけば、時代劇ファンももっと増えると思うんだけどね。 ともかく設定が面白い。 出だしのナレーションがその世界観を見事に表していて、しかもテンポも抜群、これぞお手本、てな感じなので、ちょっと長いが、そのまま引用させて頂く。
この男、別に気が触れているのではない。 少しばかり足りないのでもない。 いい若い者が子供相手に遊んでいるように見えるのだが、どうして本人はいたって大マジメ。世のため人のため、そしてなによりもまず自分のために、かくのごとく忙しいのである。 この男、その日の得物は、手近にあった物干し竿だ。刃物は嫌いだ。抜いたこともない。いったい何事、と思った時には、こりゃもう敵討ちと決めていた。 義を見てせざるは何だっけ、首を捻った時には物干し竿を絞る。
この男、十七歳の時に故郷を飛び出して江戸へ向かったが、途中、ひょんなことから敵討ちに巻きこまれ、助太刀をやってしまった。その時の、何とも言えないいい感じ、何しろ侍の野郎がオレに頭を下げやがった。この俺にだ。これが病みつき。その上、無理やり俺の手に何やら握らせやがった。ズシリ。滅法いい感じ。これがまた病みつきになって以後七年。 敵討ちを探しながら、流れ流れた……。
流れ流れて七年目の春、ある敵からさる敵討ちに示談を、そう、示談。つまりは、金銭的話し合い方を持ちこまれた。 十五両、大金である。でも、あぶく銭のやらずぶったくりでもある。第一、花の武士道はどうなる。 え? そこまで地に落ちた? まあいいか。 と、この男、いつしか鼻っ先を、生まれ故郷の上州に向けていた。 とは言っても、誰かが待っているわけでもない。 待っているとすれば、五歳のとき、三十五歳の若さで亡くなったお袋の墓だけだ。 まあいいか。
この男、人呼んで、いや、人は別に呼ばないが、助太刀屋助六。 助太刀屋助六、粋なヤクザのつもりである。
いかがですか、この名調子と反骨! 私は黒澤明の映画を貶めるつもりは全くないんだけれど、あの人の映画はやっぱり「侍」の視点で描かれてるんだよね。私ゃもう先祖代々職人の家系だからさ、好みから行けば圧倒的にアルチザン・岡本喜八に軍配が上がっちゃうのよ。 「義を見てせざるは何だっけ」、侍の理屈なんかどうだっていい。 何が気持ちいいかって、「侍の野郎がオレに頭を下げやがった」。 そう、江戸の昔っから、武士道なんて「地に落ち」てたんだ。 「助太刀屋助六」と御大層に名乗っちゃいるが、「人は別に呼ばない」無名の人。これぞ岡本喜八の主人公だね! 世の中ってさあ、バカでトンマでモノ知らずのお人好しな名もない庶民が作ってんだってこと、何の衒いもカッコつけもなく、サラリと粋に語れる人って、なかなかいないんだよね、黒澤さんの名作『七人の侍』ですら、「勝ったのは百姓だ」とか、いかにも「思想」が入ってるようなセリフを語らせてるじゃん?(間違ってもあれは「百姓賛歌」なんかじゃない。勘兵衛の淋しげな口調を思えばただの「侍の愚痴」に過ぎないんじゃない?) 「まあ、いいか」はもう「思想」自体を否定してる。 庶民には右だろうが左だろうがシューキョーだろうが、思想なんていらないんだよ。
また、このファーストシーンに敵や敵討ちの役で懐かしい顔が続々出てくること。しかもナレーション通り、侍の胡散臭さが露なワザトラシイ演技(←誉めてます)をしてくれるもんだから嬉しくってもう。 天本英世、伊佐山ひろ子、佐藤允、竹中直人、嶋田久作、田村奈巳。みなさんほかの監督の映画に出てる時よりも三倍増しくらい生き生きと演じていらっしゃるんだもの、岡本監督のことがもうめっちゃ好きなんだなってことが伝わってきて、心がほんのりと暖かくなっちゃうのよ。
でもねえ、この素晴らしいナレーションを誰がやってるかって、岸田今日子なのよ。 え? 予告編じゃ春風亭小朝ですごくよかったのに。ちゃんとクレジットまでされてたのに、なんで変更になったの? 岸田さん、暗いし括舌も悪いし(前記のナレーションは耳コピーなんで、間違ってるかもしれない)、軽さが全く出せてない。どう考えてもミスキャストじゃない?
しかも何がいけないって、肝心の主役がねえ……。 真田広之、悪くはないよ。今時あれだけ動ける俳優さんっていないのは解るからね。けどやっぱり「軽さ」がない。この映画、1969年のテレビ時代劇『仇討ち・助太刀屋助六』のリメイクだそうだが、オリジナルではジェリー藤尾が演じていたとか。未見だけど(DVD化できないのかな?)そっちのほうが圧倒的に合ってたんじゃないかなあ。 実際、こういうお調子者のキャラなら、昔だったら『ちゃっきり金太』あたりを見れば解る通り、エノケンが演じて然るべき役どころなんである(昔過ぎるって)。いや、少なくとも美男じゃマズいって判断はしておくべきでね、映像特典で竹中直人が「もっと出たかった」発言をしてるのは、「自分が助六を演じたかった」と読み変えられるだろう。でも竹中さんじゃ真田さんほど動けないからムリ。喜八組なら、かつての砂塚秀夫ならもうドンピシャの適役、けれどもうおトシだからなあ……。 真田広之の父親を演じる仲代達矢もどうにも「重い」。これも役柄として強そうに見えちゃダメなんだよ、誠実ではあるけれど成り上がりでしかも好きな女ほったらかしてたような男なんだからさ。小林桂樹にやらせとけばいいのに、仲代さんをどこかにキャスティングしたかったための失敗だろうね。この映画に仲代さんの出番はもともとないよ。 「映画の演出はキャスティングでその八割が決まる」というのは市川崑の名言だけれど、その点で行けば岡本喜八映画の最大の欠点はそのキャストだ。大部屋俳優に至るまで味のある役者の多かった二十年、三十年前に比べて、最近の岡本作品は「ほかに誰かいなかったのか」と言いたくなるキャストが目立つ。 その中で、唯一、「このキャストはいいな」、と思ったのが助六に思いを寄せる棺桶屋の娘、タケノ(山本奈々)だったりするんだが、これは私がロリコンなせいではない(^o^)。池脇千鶴をちょっと泥臭くしたような(失礼)、『赤ひげ』の二木てるみにちょっと似た(古いね)風貌で、美少女然としてないところが時代劇向きでリアルだなあ、と思うわけ。岡本喜八の映画って、『独立愚連隊』でも『殺人狂時代』でもすぐに「荒唐無稽」と評されてたけど、設定は確かに非現実的でも人物描写は決していい加減じゃなかったのだ。現実の人間を見て御覧よ、まさしく「事実は小説よりも奇なり」で、「こんなやつ本当にいたのか」ってくらいキテレツでヘンなやつって見かけるじゃん。フツーに見える人間の中にだって狂気はいつだって潜んでる。そこを常に捉えて描いている喜八映画を指して、単純に荒唐無稽と言い捨ててしまう批評がいかにくだらないか。 だからこそこの映画、どうしても「惜しい」って感覚がしてしまうんである。これが三十年前に作られてたらもっともっと面白いものになってたろうにねえ。 あ、あと山下洋輔の音楽はいいですね。カット割りがだいぶ「甘く」なってるのを相当手助けしてます。
DVD『真夜中まで』。 真田広之二本立てだな(^o^)。敵が岸辺一徳ってとこまで同じ。五社協定があった昔ならいざ知らず、今こんなにキャスティングが似通っちゃうってのは、ホントに役者払底だし企画者のアタマの悪さも表してる……と言いたいところだけれど、こちらに関してはキャスティングの違和感は殆どなかった。和田誠監督のこれまでの『麻雀放浪記』『怪盗ルビィ』『怖がる人々』といった作品も佳作だったけれど、今回が一番の出来じゃないかな。 その理由は何と言っても上映時間1時間50分と、映画内の時間経過を一致させたその演出によるだろう。冷静に考えれば、ジャズの公演と公演の合間に起こった麻薬密売事件を、単に事件に巻き込まれただけのジャズ・トランペッターがヒロインと一緒に解決しようとするって設定に無理はありまくりなんだけれど、この演劇的な同時性がその欠点を結構補っている。
もっとも、真田広之が何度かバックレようとするたびに、ミーハーなファンの柴田理恵に追いかけられたり、ホームレスの名古屋章に説教されたりして結局ヒロインのミシェル・ヨーのところに舞い戻ってしまう、という展開は和田監督ふざけすぎ、と思わなくはないが。 いやね、毎回チョイ役で意外な役者を使って映画ファンの気をそそるってこと和田さんやってるけど、これ一般的には殆ど意味ないんだわ。和田さん自身が映画ファンだからそれやりたくなるのわかるんだけど、内輪受けに過ぎないんでね。 例えば小松政夫さんがマジシャン役でチラッと出てくる。ワンシーンだけでセリフも全くないんだけれど、これで喜んでるのは私くらいのものだろう(^o^)。少なくとも、「小松政夫がワンシーン出てるんだよ!」と言われて「じゃあ劇場に行って見ようかな」と思う人って、世間にはそうそういないと思う。ましてや「三谷幸喜が映画マニヤの役で出てるよ」なんて言っても「ふーん、それで?」と言われるのがオチだね(^_^;)。「意外な人が特別出演」みたいな形で宣伝されても、実際に映画見た時に「で、どの人が意外な人だったの?」って思われたら逆効果でしょ? これ、役者さんに対して失礼になるんじゃないかと思うんだけど。 で、実は今回は和田さんも反省したのか予告編からちゃんと誰が特別ゲストで出演してるかクレジットされるんだけれど、なぜか佐藤仁美の名前だけ忘れている。……やっぱ、すごく失礼じゃん(-_-;)。 配役ってさ、やっぱり「その人がその演技をするのにふさわしいかどうか」って観点でマジメにキャスティングしてほしいんだよね。だから実は、ゴジラ映画やなんかの特撮映画で、昔の作品に出てた人をチョイ役で使ったりするのも実はあまり好きではないのである。
ジャズ演奏のヨシアシはあまりよくわかんないんだけれども、多分真田広之は自分では吹いてないと思うな(^o^)。
2001年12月02日(日) ナンビョーY子さんのHP/『新世紀エヴァンゲリオン』7巻(貞本義行)ほか 2000年12月02日(土) 『BLOOD』=『プロジェクトA子』?/アニメ『BLOOD THE LAST VAMPIRE』
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☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
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