無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年09月27日(金) トンデモさんがいっぱい/オペレッタ『マリツァ伯爵夫人』

 平日だけれど、お仕事休みでゆっくり朝寝。
 こないだ休日出勤した振替だからサボリじゃないよん。
 ああ、三連休は気持ちがゆっくりできるなあ。

 しげは昨夜、職場の飲み会とやらで、サンドイッチやら野菜炒めやらを作って持って行った。仕事が終わるのは3時過ぎなので、当然、店なんて開いていない。だもんで、それぞれか食料持ちよりってことになったんだけど、何となくピクニックみたいだよな。
 帰宅して、余ったサンドイッチやらおでんやらを分けてくれたんだけど、考えてみたらこれが久しぶりのしげの手料理。いったい何ヶ月ぶりだよ。ヘタすりゃ数年食ってないんじゃないか。


 しげの機嫌が随分悪いので、てっきりまだ私の東京行きのことをグズってるのかと思ったら、私がしげの留守中にゴミを出すのを忘れたのを怒ってたのだった。
 「重くて運びきらんから出しといてって言っといたやん!」
 「ああ、ごめん、今度出しとくよ」
 「先週も疲れたとか言ってしてくれんやったやん。どうせまた忘れるっちゃろ!」
 しょっちゅう物忘れしてるしげからは言われたくないセリフだ。
 「忘れんからもう言うなよ」
 「オレが忘れたときは怒るくせに、自分のときだけそう言うやん!」
 「比較するなよ。お前が家事忘れるのは毎日で、オレはたまにやん」
 「たまじゃない!」
 「たまだよ」
 何を夫婦でタマタマ言い合ってるのか。


 昼飯は昨日の残りのカレー。
 しげも食うかと二人分作っといたんだが、ちょっとしか食べてないので、まだ丸々一人分くらい残っている。せっかくしげに合わせて甘口に作ったのに。
 「甘くなかったよう、辛かった」
 としげは不満たらたらだが、牛乳とリンゴジュース、かなりぶちこんだぞ。そりゃ、もともと辛口なんだから、多少の辛味は口に残るだろうけれど、口当たりは悪くなかったはずだ。しげの舌、いつまで経ってもオトナにならないなあ。

 ふと、思いたって、父に電話する。
 写真家の天才アラーキーこと荒木経惟氏が、今、「日本人ノ顔」プロジェクトとして、「福岡の顔」500人を募集している。こないだ誕生日プレゼントを渡すのがちょっと遅れて気が引けてたので、まあ当選するかどうかはわからないけれど、応募してみる気がないかどうか、聞いてみようと思ったのだ。
 事情を話すと、父、何だか照れている。
 「おれ、最近、写真写り悪いったい」
 最近って、そのトシで今更写真写りを気にするかね。
 「それがいいっちゃない? だって荒木さんなんだから、カッコイイ写真が撮りたいわけじゃなかろうもん」
 「そうやな、アラーキーだもんな」
 気安くアラーキーなんて言ってるけど、オヤジ、こっそり藤田朋子写真集なんて買ってんじゃないだろうな。いや、あながち否定できないのは、父の店にも自宅にも、小向美奈子の水着カレンダーがかかっているのを私が知っているからである。
 「……遺影によかろうとか考えとろう?」
 「そうそう。アラーキーに撮ってもらったら記念になるやん」
 相変わらず親子で縁起でもない発言をしている(^_^;)。でも父は特にいやだとは言わなかった。近々応募用紙を持って行くと約束して電話を切る。
 実際には肖像権を放棄するから遺影には使えないと思うけれど、父はしょぼくれちゃいるけど年輪のあるイイ顔をしているのである。全然特別じゃない、ほかの人と何か変わってるところがあるわけじゃない、けれどこれが博多の職人の、ごくフツウの親爺の顔だからイイのだ。
 応募用紙には写真を添付するから、そのへん、荒木さんが見抜いてくれると嬉しいんだが。


 山本弘さんのSF秘密基地の特別会議室、ここしばらくまたもや(今度で何度目かね)荒らしにあってたのだが、結局今まで同様、レッドカードを出されてチョン、ということに相成った。
 コトの起こりは『こんなにヘンだぞ「空想科学読本」』で、『2001年宇宙の旅』の“Grip shoes”を字幕で「磁力靴」と訳してあったのは誤訳だとし、「柳田理科雄は誤訳をそのまま信じた、第一、あんな小さな靴の中に磁力発生装置は内包できない」と批判したのを、その荒らしさんは、「発生装置は外部に作っておけば可能だ!」とやらかしたのである。
 この批判が二重の意味で的外れなのは明白で、「内包できない」ということは外部に作っちゃダメって意味じゃないから、別に山本さんは「磁力の発生装置が外部にあること」を否定してなんかいないのである。第一これは「誤訳を信じた」ことを問題にしてるのであって、「磁力靴が作れるかどうか」の問題ではない。そのことを山本さんからもほかの常連の方々からも何度も説明されてるのに、ご当人は「柳田理科雄の主張を認めなさい!」の一点張りなのである。書き込みするたびにその論旨は支離滅裂、常軌を逸したものになっていくので、これだから既知外と関わるとロクなこたあねえ、と、偏見が助長されそうで困った事態なのである。
 荒らしの心理、というのは、そのうち大学の心理学部とかの研究対象になるんじゃないかと思うが(もうなってるかな?)、異常肥大した自意識がもたらす行為だろうってことは充分推測される。まあ、負けを認めたくない心理っつーかね、誉めてもらえりゃ有頂天になるけれど、叱られたら自分を必死に正当化しなければ情緒不安定になっちゃうのだろう。私もそういう人間、イヤと言うほど見て来ました。

 「バカにされる」ことを極度に嫌う人がいる。バカにされたら怒るのって、そんなん当たり前やん、とお考えの方もおられようが、実はそれがトンデモさんへの第一歩。
 まあ、「人をバカにしちゃいけません」とガッコでせんの……いやいや、教わってきてるものだから、自分の主張に正当性があると考えちゃうのだろうけれど、そうやって腹を立ててる段階で、本人は「なぜ自分がバカにされてるのか」、自らを省みる目を無くしてしまっているのである。いや、対処してる山本さんも他の方々も、決してバカにしてるんじゃなくて、至極マットウな「批判」をしてるだけなのだけれど、自意識過剰な人間には、全ての批判が「こいつはオレのことをバカにしているのだ」と受け取られてしまうのだ。
 逆を言えば、仮に自分が誰かの批判を受けて腹を立てたりした時、それが根拠のないプライドにすがってるせいじゃないか、メンツに拘ってるだけじゃないか、と冷静に自分を観察してみる必要がある。それがオトナと言うものだ。
 で、ホントに冷静になれば、たいていの場合、「怒る必要なんてないじゃん」という結論が導き出されること、多いんだよね。
 仮に、ホントにバカにされたときだって、腹を立てる必要はないんである。
 「お前のかあちゃんデベソ」とからかわれたときに怒るということは、「デベソ」であることが母親にとってマイナス面であることを自ら肯定してしまうことになる。どうぞ私の母のデベソを差別してください、からかってください、と表明しているようなものだ。つまり「バカにするな」と怒った瞬間に、その人がバカだってことが露呈されちゃうんだよねえ。そんな簡単なリクツすら理解できないままオトナになっちまった人間が、どうしてバカでないと言えるのか。自らの愚かさに気付きもせず、似たようなヘリクツを繰り返してるもんだから、結局は誰からも相手にされなくなっちゃってるんだよねえ。

 ましてや件のトンデモさん、「自分が答えられないからうざったいとは何だ」とか、「あなたには答える義務があります」とか、「あなたがやっていることは名誉毀損です」とか、「答えられない」んじゃなくて「答えてるのにその意味が理解できないから答えたくない」んだってことにも気付いてない。これ以上、山本さんに答える義務なんてねーよ。
 名誉毀損って、ハンドルネームの人物が社会的にどういう損害を受けるってんだ。「自分の文章を削除したらあなたの立場が悪くなりますよ」って、脅迫してるの自分のほうじゃん(-_-;)。全く、トンデモさんに関わっちゃうとロクなことがないね(遠い目)。

 それにしても、相変わらず山本さんはぎりぎりレッドカードを出すまで荒らしさんトンデモさんに実に気マジメに対処されている。
 けど、以前、日本語の文章になってないデンパさんの文章を添削してあげたのはちょっとやり過ぎだと思う(^_^;)。ヘンにイジって、デンパさんが暴走したらって考えたらすっごく怖いと思うんだけど。
 
 
 あまり大きな事件じゃないけれども、なんだかなあ、と引っかかった事件。
 北海道白老町で堀川市郎さん(74)が全身を殴られ死亡した事件で、25日、妻の瞳容疑者(71)が傷害致死の疑いで逮捕された。
 まずその年齢に驚いたけどね。年齢からして、随分長いこと連れ添ってきた夫婦なんだろう、それがなんでまた殺人にまで、というのが素朴な疑問だったが、それより何より驚いたのは、その殺害方法だった。
 「瞳容疑者は、21日午前11時ごろから午後8時半ごろまでの間、自宅で棒のようなものを使って堀川さんの全身を殴り、死亡させた疑い。瞳容疑者はこの間、断続的に堀川さんを殴り続けていたとみられる」。
 えーっと、11時からら8時半ごろまでって、およそ10時間?
 相手を殴り続け? 71歳で?
 なんちゅー体力のある婆ちゃんだ!\((;◎_◎)/!
 よく、ミステリで「こんな力の必要な犯罪はか弱い女には無理だ」とかいう言質が出てくるけど、現実にはそんなことないね。女でも婆ちゃんでもやるときゃやるって実例じゃないの。でもミステリで「10時間被害者を殴り続けた婆ちゃん」を犯人として描いたら、絶対「リアリティがない」とか批判されちゃうよなあ、まさに「事実は小説よりも奇なり」。
 ご本人は「夫に昔、乱暴を振るわれた、女性問題で悩まされた」というのが動機だと言ってるけど、夫がトシを取って自分より体力がなくなるのを待って復讐するなんて、あ〜た、アドニオン諸本か(←『頑丈人間スパルタカス』)。
 これ、素直に考えれば同時に自分も体力が衰えるわけだから、きっと日頃からトシ取らないよう、健康に気を遣って、ジョギングなんかもして、「明日のために打つべし」とかやってたんじゃないのかね。うわあ、肉体派の婆さん。面白いけどちょっとイヤだ。
 あなたの身の回りに、シャドーボクシングしながら走ってる婆さんはいませんか? もしかしたら心に秘めた何やら熱いパッションがあるのかもよ。


 北朝鮮の国営朝鮮中央通信が、26日、「日朝間の問題は大局的な見地から解決されなければならない」という趣旨の論評を発表して、その中で日本人拉致事件について、「数人死亡したことをもって日本側が度を越した騒動を起こしては、事態が収拾できない状況に追い込まれる可能性がある」と警告。
 ……北朝鮮ってバカ?
 こういう言い訳が、逆に日本人の感情の火に油を注ぐことになる可能性、考えてないのかな?
 初めて拉致事件について触れたと言っても、首相訪問時の様子を正確に伝えなかった時点で、北朝鮮の底は割れているのである。「大局的な見地」なんてカケラも考えちゃいないだろうがよ。
 日本が「先の戦争で日本もいいことをした」と語れば、「侵略しといて何抜かす」と激怒した自分たちのこと、忘れてるのかね。「拉致しといて何抜かす」という感情の激化をあおってるのは北朝鮮の方ではないの。これでもうはっきりしたけど、北朝鮮は在日の人たちを完璧に見捨ててるね。
 この報道は明らかに北朝鮮の国内向けのもの。日朝の国交が正常化されれば、いやでも拉致のことは北朝鮮人民に伝わる。「わが国は拉致をしたのか!」という世論が起きることを見越して、予め「ごく一部の英雄主義者たちの暴走によるもの」という情報を民衆に擦りこんどいて、国家としての責任を回避しようってハラだね。
 あはは、かつての日本の侵略行為を「陸軍の暴走によるもの」と言い訳した論調と全く同じだねえ。こうもストレートに日本のマネをするなんて、ホントに日本は朝鮮に悪いことばかりしている。朝鮮文化のルーツは日本だね。

 「日本人が死亡したことは、その遺族にとっては極めて遺憾なことで、わが政府は彼らの痛みを和らげるために最善を尽くしていると承知している」。
 日本人が先の戦争について「遺憾」という言い方をしたら、アチラは「反省が足りない」と滅法怒ってたはずなんだけどなあ。それとも「遺憾」という言葉についても考え方が変わったのかな?
 ……で、その「痛みを和らげるために」何をしてるの? 具体的なこと何も言ってないんですけど。この態度も日本人の対応そっくりだねえ。

 「日本には日朝間の肯定的な事態の発展が気に入らない勢力がいる。今、彼らは拉致された日本人のうち、長い期間のうちに一部が死亡した問題を、感情的に極大化し、反共和国(北朝鮮)敵対意識を吹き込む大々的なキャンペーンを繰り広げている」。
 「肯定的な事態の発展が気に入らない勢力」って、北朝鮮に対して怒ってる連中って、世論調査によれば日朝の国交正常化を望んでる人間にだってゴマンといるんだけど。
 それに「長い期間のうちに一部が死亡した」って、ほとんど死んでるのに、明らかにウソじゃん。しかもこの論評子がいかにバカかってのは、「長い期間日本人を拉致したまま、本国では報道管制を敷いてた」ってこと、結局認めちゃってることに気付いてないんだもんね。
 北朝鮮の人たちもみんながみんなバカじゃないから、こんなウソを聞いてりゃ亡命者はぞぞっと増えるだろう。もしかしたら、北と南の統一、意外と早くなるかもな。

 「現在、わが国には過去、日本に強制連行されて半世紀が過ぎても生死すら分からない数百万人と、日本皇軍の性奴隷(従軍慰安婦)として連行された数十万人の女性たちの遺族たちが悲しみと苦痛に耐えながら暮らしている。こうしたむごたらしい歴史的な問題と、日本人数人の問題を絶対に対比はできず、万一、2つの問題が感情的に連結し、対峙(たいじ)した場合、想像できない事態が起きるだろう」。
 えーっと、つまり、過去に罪を犯した国は、いくら報復されても仕方がない、と言いたいわけね? 戦争は歴史だけど、日本人数人の命は歴史にも残らない無価値なものと言いたいわけね?
 で、そんな言い草しといて感情的になるなと? 仲良くしましょうって?
 そりゃ、私はならないけど、なる人間が日本人の中にドッと増えてもいいって覚悟で報道してるのかな? あんたらが、今、見捨ててるのが、その強制連行されて生死すら分らない数百万人の同胞なんだけど、自覚してる?
 これも、移民がドッチャリいるのに、アメリカに宣戦布告した日本の態度とそっくりだよねえ。自分が犯した罪を反省もしない態度までマネして、どこまでも日本に追従するその態度、これぞ皇国教育の賜物ってか?

 これでまた、在日朝鮮人差別が陰湿化しちゃうよ。いったいこれをどうしたらいいんだろうね。
 ともかく、あの「国」は他国にいる「同胞」を見捨ててしまった。在日の人は頼るすべを失っちゃったのだ。もはや自ら身を守る手段を必死で探すしかない。
 一つ提案なんだけどね、露骨に差別するやつが出てきたら、「あいつ、実は北朝鮮人なんだぜ。自分がそうだと思われたくないために、ワザと差別して北朝鮮人でないフリをしてるのさ」とかウワサを立てたらどうかな。
 このリクツ、説得力があるから信じるやつ必ず出てくるぞ。そのうち、「あいつもこいつも北朝鮮人」ということになれば、誰も差別なんてしようがなくなると思うんだけど、どうだろう。
 ……はい、そうです。これも「同化政策」のパロディです(^o^)。
 あ、でもこの手、その人が差別者かどうか見分けるのに役に立つよね。
 「あなた北朝鮮の人でしょ?」
 と言われて、必死になって、「お、オレ、北朝鮮人なんかじゃないよ!」とか否定したら、もうはっきり差別者ね。
 さあ、君も君の友達にいきなり声をかけてみよう、LET'S TRY!

 さて、北朝鮮の報道を真っ向から批判する意見を書いたけれど、これを「日朝の関係悪化を狙ったもの」と誤読するやついるかな?
 いるだろうなあ、「批判」ってのを「相手を敵とする」と同義にしか考えられないバカ、どこにでもいるもんな。でもヒトコトだけ付け加えとくけどさ、「反論があれば受け付けます」って態度を表明した上でこういうことを書くのって、何のためかちょっとくらいは自分の頭で考えてみてね。


 夕方6時半から、アクロス福岡シンフォニーホールで、ウィーンの森バーデン市立劇場公演、イムレ(エメリッヒ)・カールマーン作曲、オペレッタ『マリツァ伯爵夫人(Grafin Mariza)』を鑑賞。
 あちらのオペレッタなんて、日本のコヤにかけて面白いのかいな? という疑問がないわけでもなかったが、それは杞憂に終わった。
 確かにこれは出演者はみな外人、完全な洋モノであるわけだが、堅苦しい芸術作品ではなく、日本で言えば軽演劇、歌と踊りの入った吉本新喜劇と言ってもいいくらいエンタテインメントに徹している。筋立てはもう、このままマンガにしたら見事に定番の少女マンガになるだろうってくらい、お馴染みの設定やセリフがテンコ盛りである。この芝居が作られたのが1924年だってのがちょっと信じられないくらいだ。

 父親の遺産を相続してから、マリツァ伯爵夫人(ヨアンナ・マリア・ルウェッフェル)には結婚の申し込みが殺到。ウンザリした彼女は一計を案じ、ハンガリーの国境に近いバルカン地方の屋敷に引っ越し、そこでヴァラスディンのコロマン・ツゥパン男爵という架空の人物をでっちあげ、彼と婚約すると求婚者たちに伝える。
 求婚者の一人、モーリツ・ドラゴミール・ポープレスク侯爵(マンフレード・シュヴァイゲル)は悔し涙に暮れるが、もう一人、密かに落胆している男がいた。
 マリツァに新しく雇われた領地経営長は、トゥレックと名乗ってはいたが、実はヴィッテンブルグ家のタッシロ伯爵(ミヒャエル・ハイム)。伯爵家が倒産して財産が競売され、かろうじて妹のリーザ(スサンネ・ラーテ)をブカレストの寮制学校に入れて、彼女に仕送りをするために身をやつし、働いていたのだった。素性を明かせぬがゆえに、彼はマリツァに心惹かれつつも使用人としての立場を崩さず、冷淡な態度をとる。
 ところが自分の命令に唯々諾々とする風でもないタッシロに、マリツァの方もいつしか魅力を感じるようになる。おりしもジプシーのマンニーア(マグダレーナ・ホフマン)は、マリツァに「貴族の凛々しい騎士と恋に落ちる」と預言していた。
 ところがそこへ現れたのは、偶然にもマリツァがでっち上げた男爵と同姓同名の男(ロマン・マルティン)。地方弁丸出しのこの粗忽者は、新聞の一面を飾った婚約記事を見て、本気で自分がマリツァと婚約したと思い込んでしまったのだ。困惑するマリツァだったが、その場はどうにか誤魔化すことに成功する。
 相手がいないまま開く予定だった婚約披露宴には、リーサも招かれてきていた。再会を喜ぶタッシロだったが、妹に事情を打ち明ける様子を垣間見たポープレスクは、二人が恋人だと勘違いし、マリツァに注進する。
 リーサへの嫉妬と、タッシロも自分の財産目当てかと憤ったマリツァはタッシロに大金を渡して屋敷から出て行くように告げる。自分の真実を疑われたタッシロは、ジプシーたちに金をバラ巻き、屋敷を去ろうとする。
 そのとき初めてマリツァはリーサがタッシロの妹だと知る。タッシロの伯母であるクッデンシュタイン侯爵夫人(マルガレート・ツガール)が現れ、売られた彼の財産をすべて買い戻したことを伝える。障碍のなくなった二人は、再び恋に落ちたのだった。

 字数をオーバーしたので、この芝居の感想は明日の日記に。

2001年09月27日(木) 「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか
2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)


2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか

 エロメールがやたら送られてくるとこないだ慨嘆したばっかりだが、また来た。
 「素敵な男性と朝まで二人・・・
  素敵な男性を今すぐ貴女の元へ向かわせます
  全国ネットワークですぐに紹介
  若い女性も遠慮しないで遊びまくろう!
  1回限り、長期、何でもあり。」
 オレは男だっ!凸(`△´+)
 ……って指立てちゃマズイな(-_-;)。


 柳美里氏のデビュー小説『石に泳ぐ魚』の出版差し止め訴訟で、彼女の敗訴が確定した。これでこの作品の出版差し止めが決定、どうしても読みたいと思ったら、『新潮』1994年9月号を探してみるしかなくなった、ということになる。
 「表現の自由か、個人のプライバシーか」という問題は、個々の作品の性格を考えてみなければ簡単に結論は出せないことである。
 となれば、当該作を未読の私はそもそも何かを言える立場にはない。けれどことは在日韓国人の、しかも身体障碍者に関する問題である。私の職業をご存知の方なら、この件について私が何か語るべき立場にあることを首肯していただけると思う(まあ、この日記はその立場を捨てて書いてるわけだから、ちょっと今回は卑怯なんだけど)。
 あえて憶測だけでものを言わせてもらうと、原告の女性の主張である「無断で小説化されてプライバシーや名誉を侵害され、精神的苦痛を受けた」という主張を全面的に信じるならば、「じゃあ、事前に『こういうの書くけどいい?』って作者が確認しとけばよかったんじゃん」でケリがついてしまう問題のような気がする。柳氏と原告は友人だったそうだから、この「無断で」というところで原告は「裏切られた」という思いを持ったのだろう。
 では、どうして柳氏は無断で小説を書いたのか、というその理由が、新聞の記事だけでは判然としない。だからこれも憶測でものを言うしかないのだが、柳氏はもともと、小説を書く場合、そのモデルたる人物に了承を取る必要はない、という判断を持っていたのではないか、ということだ。
 基本的にこの考え方は間違ってはいない。
 相手が人間であれ、あるいは国、地域、施設の場合であっても、いちいち対象となるものに許可を得なければならないとすれば、小説を書くこと自体、できなくなってしまう。小説に「新宿は魔界と化していた」と書いたら、それだけで新宿区からのクレームを気にしなければならないのか。そんなことになったら菊地秀行も訴えられてしまうことになる(でも冗談でなくその可能性はあるんだよね)。
 プライバシー、という問題に関して言うのならば、描かれた対象が著しく損害を与えられた、と証明されない限り、批判は受け入れられるべきだ。例えば、役者がその私生活をフォーカスされたことに対して訴えるのは是だが、演技についてボロクソに批評されて「おかげで次の仕事がなくなった、損害賠償しろ」というのは非である。そもそもそんなふうに批評される演技をした本人に責任がある問題ではないか。
 しかし、今回の件では、原告は完全な私人である。その点を考えるならば、柳氏のほうが明らかに分が悪い。『仮面の国』で小林よしのりを「常識知らず」と罵った柳氏が、なぜ事前にモデルの件について当人に相談する、というごく当たり前な世間知を持ち得なかったのか。やはりなんだかこちらには分らない事情がありそうで、結論が出た問題にもかかわらず、なんだか釈然としない部分を残しているのである。
 腑に落ちない、と言えば、原告も結局はわが身のことしか考えてなかったのではないか、という疑問が残る。小説の内容は、柳氏の主張を信じるならば、障碍を乗り越えて生きる女性の力強い姿を描いたものだそうだ。ならば、その出版は、同様の障碍を持つ人々に対して、勇気を与えるものとして、原告は喜んでもよかったのではないか。裁判に訴えたことで、「障碍者を題材に書くと、たとえ書き手の方は障碍者のためのつもりであっても、何かクレームをつけられることはままある。ならもう一切触れないでおこう」なんて意識が世間に植えつけられたら、結果的に「囲い込まれて」損をするのは自分のほうではないのか。
 部落解放運動の過激な糾弾行動が、逆差別を生んだ実態を考えてみればいい。
 何にせよ、現物を読んでいず、また、裁判の経過が不明瞭な状況で、私が想像できるのはここまでである。だから、こういう問題は、もっとオープンに語れるようにしないと、邪推が広がるばかりなんだってば。


 深作欣二監督が、『バトル・ロワイアル2』の製作発表会で、骨がんに侵されていることを、25日の製作発表会見で告白。
 手術はほぼ不可能で、放射線治療を続けているが、痛みも相当ひどく、モルヒネを打つこともあるという。
 『バト1』のときも、「随分老けたなあ」と思っていたが、やっぱり病気だったのか。ご本人も今度の作品が最後の作品、と決意されてるようであるが、つまり、『怪人二十面相』の映画化は断念したわけだね。ついこの間、石原慎太郎に東京都庁の撮影許可を取りつけたばかりだったってのに、ついに幻の映画で終わるか。
 深作監督の『二十面相』映画化は、以前も何度か頓挫している。
 おそらくは製作費やロケ地の問題等があったのではないかと推察されるが、それでも深作さんは映画化をあきらめてはいなかったはずである。
 映画評論家の故・田山力哉氏が、死ぬ寸前に、企画進行中の『二十面相』映画化について、「なぜ今更そんな古臭い企画を」と憤慨していたが、古い作品を現代に蘇えらせることなんて、いくらでもある。ある意味いいがかりに近いこの田山氏の批判に対して、深作さんは完成した作品をもって答える義務があったはずだ。『バト2』作るより、『二十面相』の企画を優先すべきではなかったか。
 これは勝手なカングリなんだけれども、深作監督は、二十面相役にビートたけしを想定していたのではなかったか。どこでその話を聞きつけたか、TBSがテレビでやっちゃった。深作監督、さすがに二番煎じと謗られるのがイヤになっちゃったんじゃないかな。
 巨匠なんて祭り上げられてるけれども、深作監督のよさは二流、三流に徹してるところだと思う。へたに「文芸大作」なんてものに取り組んじゃうと、『火宅の人』とか『華の乱』みたいにどうということもないものしか出来あがらない。まるで水に合っていないのだ。『二十面相』は深作監督にはぴったりの企画じゃなかったか。『バト2』作るなとは言わないが、岡田裕介社長は「いくら製作費を使ってもいい」とまで言ってくれてるのである。深作監督に『二十面相』を本気で作る気があったなら、取りかかれないはずはなかったと思うのに、いつどういうわけであきらめちゃったのかなあ。


 推理作家・鮎川哲也氏が24日午後、多臓器不全のため死去。享年83。
 その生年には、大正3、4、5、6、8(1914、15、16、17、19)年、昭和3年(1928)と諸説紛々であったが(本人が韜晦して明かさないのだからミステリ作家ってやつはもう)、『黒いトランク』(創元推理文庫)の解説鼎談で戸川安宣氏が「大正8(1919)年2月14日」と公表し、今回の享年もそれに準拠している。
 遺作は、三番館シリーズの『モーツァルトの子守唄』だが、長編としては鬼貫警部ものの『死びとの座』が最後になる。くそ、買ってるけどまだ読んでねえや(いつもの如く、しげが読んだままどこかに放っぽったままで行方不明なのである)。噂されていた新作『白樺荘事件』(題名から判断するに『私だけが知っている』の小説化か)は未完のままで終わったようである。
 デビューは1943年(昭18)頃、「佐々木淳子」名義で、『婦人画報』の朗読文学募集に一席入選した『ポロさん』。当時氏が住んでいた満州国を舞台に、支那長屋に引っ越してきたロシア人、ポローチコフ氏の、奥さんとの交情を描いたO・ヘンリーかつげ義春かって雰囲気の掌編で、ミステリーではない(現在は『鮎川哲也読本』で読める)。
 その後、那珂川透、薔薇小路刺麿、中川淳一、中川透(これは本名)、宇多川蘭子、Q・カムバア・グリーン(“cucumber green”のシャレ。キュウリは緑って、確か目の前のキュウリを見て思いついたとかそんなだったような)、藤巻一郎、猿丸二郎、畷(なわて)三郎、五反田四郎とペンネームを変え続け(不遇の時代が長かったのである)、昭和31年(1956年)、書下し長編探偵小説全集の新人募集懸賞である“13番目の椅子”に『黒いトランク』が当選、これが日本推理小説ベストワンに推される事も少なくない傑作として、今に至るも読み継がれているのである。このときペンネームを「鮎川哲也」とした。
 この後、アリバイ崩しを中心とした鮎川哲也の本格ミステリの傑作群が次々と発表されていくのである。

 およそ、推理小説ファン、ミステリファンを名乗るもので、鮎川哲也を読んだことがない、というのはまさしく恥であろう。赤川次郎や内田康夫や西村京太郎や山村美紗なんか一冊も読まなくてもいい。特に、『黒いトランク』を読んだこともないのに「私、ミステリが好きなんですぅ」なんて言おうものなら、簀巻きにして那珂川にたたっ込まれても文句は言えない。
 創元推理に鮎川哲也賞が設けられ、乱歩賞ほど有名でないにもかかわらず、「本格推理作家」を標榜する人々が多数応募し、デビューしていっているのも、「鮎川哲也」の実力があったればこそなのである。
 「鮎川哲也と土屋隆夫の本がベストセラーになるようでなければ、本当の意味で推理小説がブームになったとは言えない」とはミステリファンの中ではよく囁かれたものだったが、そのことを考えれば、日本には未だにミステリブームなんてものは起こったことはないのかもしれない。

 二十年ほど前、今はなき探偵小説専門誌、『幻影城』に、鮎川氏は戦前の探偵作家たちの消息を博捜して、『幻の探偵作家を求めて』というシリーズを連載していた。これが当時の私にとってどれだけ楽しみだったことか。
 林不忘の弟にして長谷川四郎の兄、ファンタジーの名手、地味井平造。名探偵青山喬介シリーズの本格派、大阪圭吉。江戸川乱歩の影武者として『蠢く触手』を書いた岡戸武平。ドジな弁護士、花堂琢磨シリーズの葛山二郎。せんとらる地球市の住民、星田三平、などなど……。それはまさしく「発掘」に近かったが、日本の探偵小説界がこれほどの鉱脈を持っていたことは、鮎川氏の存在がなければ、更に何十年、あるいは永久に埋もれたままであったろう。
 当時刊行された『「新青年」傑作選』のオビには彼らの写真が載っているが、いやにトシヨリ顔のものが多いのは、このときの取材時に撮られたものが多いからである。

 生真面目な本格派、と評されることが多いが、一種独特なユーモアもその作品には横溢していて、『死者を笞打て』では、知り合いの作家たちがパロディになって登場する。権田萬治は万田権治、星新一は星野新一、大藪春彦が大虻春彦。からかわれた本人たち、表面上はにこやかにしてたとは思うけれど、内心、ちょっとくらいはむかっ腹が立っていたのではないだろうか。
 後に、鬼貫警部は、小林信彦の『オヨヨ大統領』シリーズや江口寿史のマンガ『名探偵はいつもスランプ』で、「鬼面警部」の名前でパロディにされたが(江口の、名前は「鬼面」なのに、顔は童顔、というキャラが秀逸)、鮎川さんがもしそれらを読んでいたら、結構楽しんだだろうと思う。もちろん、「鬼貫」の名前は、俳人上島鬼貫から拝借したもので、別に「鬼のような刑事」を意図して作った訳ではない。作者本人は「鬼」という言葉が好きで、揮毫までして額に飾っていたようだが。
 鬼面と並ぶキザな探偵、ファイロ・ヴァンスもエラリー・クイーンもかくやというディレッタント、星影龍三は、戦前の帝国キネマ製作の『怪紳士星影』に登場する和製ルパン、星影龍三の名前をそのままいただいたものである。もとがルパンなら、多少ナルシスティックな面を見せるのもいたし方のないところか。

 鮎川氏の作品には、裏切られるということがなかった。
 本格もの、倒叙もの、ユーモアミステリー、ジュブナイル。
 決して作品数は多くはないが、読めば何がミステリーであって何がミステリーではないか、それを判断する指針となっていた。
 『名探偵コナン』なんかに飽きたらなくなってる人、鮎川哲也を読みなさい。損はさせません。


 例の「私、あの人刺すかも」の同僚、今のところ殺人は犯していないが、職場での評判が頗る悪い。
 日頃から不得要領な喋り方で、クドクドと論旨も定まらぬ愚痴を語りつづけ、対応する者はみな困っているのだが、ご本人は全く気付いていない。
 いや、ウスウスは感じているだろうから、かえって被害妄想の度合いが強くなっているのである。
 別の同僚から、ふいに「有久さん、延長コードは返って来ました?」と聞かれる。何のことかと思ったら、以前、例の同僚に貸していたのが、机の上においておいたらいつの間にかなくなっていて、「あなたが盗ったんでしょ!」と詰め寄られたと言うのである。
 実際にはまた別の同僚が机の上に出しっぱなしじゃ危ない、と、ブツを机の中に入れてくれてただけだったんだが、机の近くをうろついてただけで疑われたものだからその人もたまったものではない、相手とちょっとした口ゲンカになってしまったというのだけれど、そりゃそうだろう。
 そこにあったものが無くなったのだから、持って行かれたのではないか、と疑うところまではまあ、頷けなくもないが、いきなり盗人扱いはやはり常軌を逸している。相当精神的に追いつめられてる感じだが、仕事上、私はこの人といろいろ相談しなきゃならない立場にあるんだよなあ。他の同僚はできるだけ対話を避けてるんだが、私がまた一応、ソトヅラだけはよくて、形の上では親身になって聞くものだから(でも聞くしかないじゃん)、延々と愚痴を聞かされること。
 ……いや、私は仕事の話がしたいんだけど(-_-;)。
 いつの間にかその同僚のカウンセリングをする羽目に陥っているのだ。昔からこんな状況に追い込まれること多かったけれど、私ゃ何かそういう星の元にでも生まれてるのか。


 しげがまた拗ねている。
 しげの性格を先刻ご承知の方なら、ご想像がつくことと思うが、今度の東京行きについて、一人きりにさせられるのが歯痒いのだ。
 「……アンタ、東京行くっちゃろ?」
 「行くけど?」
 「なんでオレに声かけんと」
 「声かけんって……お前、仕事は?」
 「あるよ?」
 「あるなら初めから無理やろ。声かけられなくったって、しかたないやん」
 「その根性が好かんと! 初めから決めつけとるやん!」
 「じゃあ、行く?」
 「……行ってもすることないし」
 「ミステリー文学館覗くんだってば」
 「会う人もいないし」
 「こうたろうくんに会えるじゃん」
 「……日帰りで行くと?」
 「いや、一泊するよ」
 「なら、行けんよ。次の日、練習やし」
 「だったらやっぱり初めから無理なんじゃん!」
 「……しかもほかの女と会うし」
 「……ちょっと待て(・・;)」
 「オレ以外の女と楽しく過ごすんやもん(T-T) 」
 「おい」
 「オレ、おいてきぶり(←「おいてきぼり」の意のしげ語)やん(TロT) 」
 「だからオレが東京で何するってんだよ!」
 まあ、覚悟してたことではあるがしんどい。
 仮に連れてったら連れてったで、「人と話せん」とか言って、また泣いちゃうんだよな、こいつは。いや、出かける土壇場になって、「やっぱり行かん」とか言って拗ねることにもなりかねない。と言うか、実際に毎回そうなので、いい加減こっちも相手をしてやる気力が失せているのである。
 いつまで経ってもオトナになる気がないから、こんな風に放り出されることになるのだ。自業自得、ちったあわが身を省みて、そのバカいい加減で治せ。


 CSファミリー劇場『快傑ズバット』第9話「涙の河を振り返れ」。
 今度の用心棒は釣師十兵衛。殺し屋釣師ってのもムチャな設定だが、今回も早川健、「お前さん、釣りの腕は日本じゃ二番目だ」と嘯く。釣道まで極めてたってのか早川健。
 その殺しの釣りの技術ってのが、要するに爆弾を釣りで遠くまで飛ばすってんだけど、確か、爆弾を使った漁業の仕方がホントにあったな。もしかしてそれから発想したのか。
 けれど、これくらい書くのに楽な脚本もないよなあ。ワク組は全部同じだし、あとは変なキャラを登場させるだけでいいんだもの。ファンがこういうのを楽しむのはまあいいとして、作り手の立場になると、やっぱり「ラクしてんじゃねーよ、世間にウケてるのはこれを宮内洋が演じてくれてるからだろーが」とヒトコト言ってやりたい気分になって当然と思うんだが。


 野口文雄『手塚治虫の奇妙な資料』(実業之日本社・1785円)。
 手塚治虫に改稿癖があったことは有名である。
 雑誌収録時の作品がいったいどういう理由があったのか、コマが切り張りされ、絵が改められ、ときにはストーリーそのものが変更された。
 そんな首を傾げる事態が、その生涯において休むことなく繰り返されていたのだ。もちろんそれは水木しげる評するところの、手塚さんの「一番病」ゆえであろう。ともかく自分の作品が読者に「古い」と断ぜられるのが怖くて仕方がなかったのだ。
 作者の野口さんは熱狂的な手塚フリークらしく、「どうして変えちゃったんですか!」と愚痴は言っても、そういった明確な批判はしない。妙に手塚さんに摺り寄るような文章になってるのが、読んでいて気持ちの悪さすら感じるところだ。「結局どちらがいいかは読者の好み」って、それなら批評本を出す意味だってないじゃん(^_^;)。それはその通りなんだけれども、何かを批評するのなら、ある視点に立てばこう考えるしかないってこと、自分がなぜその立場を取ったかを明確にした上で語らなきゃ、何もか語ってないのと同じなんである。
 そういうフラフラした見方なもんだから、もう文章はときには妄想の域にまで達していると言わざるを得ないところまで来てしまう。
 『ハトよ天まで』で、新聞連載時にはあったが単行本で削除されたページについて、手塚さん自身は「代筆部分を削った」と語っているのだが、野口さんはなんの根拠もなく「どう見ても代筆というようなヒドイ代物には見えない」と断定する。「もし当時これほどうまい代筆者がいたら、手塚マンガにあれほど歴然たる代筆場面が散在するはずがない」とか書いてるんだけど、手塚さんが毎回代筆者変えまくってたのは有名なんだから、その中には手塚さんの絵にソックリなの描ける人もそうでない人も混じってて当然じゃないのかね。第一、テレビアニメスタッフはできるだけ手塚さんの絵そっくりに描くことを鍛錬されてたじゃないの。「うまい代筆者」なんて、昔から今に至るまで、吐いて捨てるほどいたよ。出崎統なんか、実際に『少年』に特別編として『鉄腕アトム』を本物そっくりに描いてたし。
 じゃあどうして毎回アニメーターに代筆させなかったのかって反論されるかもしれないけれど、あのね、アニメーターってそんなにヒマじゃないの。アニメーターにとってはアニメは仕事だけれど、手塚さんにとっては(本人の意志はどうあれ)余技だからね、たまにならともかく、そんなにしょっちゅう代筆なんてしてやらないってば。
 それに、言っちゃあなんだが、野口さんの「代筆に見えない」って主張自体が私には根本的に間違ってるように思えてならないんだけどね。キャラクターのポーズやアングルが単調で、しかもヒョウタンツギばかり出して線の違いがバレるのを隠してるあたり、私には代筆にしか見えないんだが。
 だから手塚さんの代作を少しでも減らしたいって心理は分るんだけどさ、批評にもならない駄文を書き連ねられても読者は頷けやしないよ。まあ、絵自体は豊富に掲載されてるんで、手塚ファンなら、文章を読まなくても買って損はないです。

2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか
2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ


2002年09月25日(水) まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか

 巨人2年ぶりのリーグ優勝、原監督就任1年目での優勝ってのは、長島も王も成し遂げられなかったことであるわけだから、一応、快挙と言ってもいいのだろうな。
 死んだお袋が原辰徳の熱狂的なファンで、LPまで買ってたくらいなんで(今は私が引き取っている。おそらく死ぬまで二度と聞くことはあるまい)、極楽か地獄か中宇でさぞや喜んでるであろうが、私は野球は王貞治の引退で、相撲は千代の富士の引退で興味がすぽーんと消えてなくなっちゃったので、まあ勝とうが負けようがどうでもいいのであった。ああいうのに熱狂するのは自分が「少年」で、遥かな高みへの「憧れ」があるからなのであって、今更このトシになって、ゴジラ松井のどこに憧れりゃいいんだか。
 しばらくは、どこのデパートでも、安売りセールと称して、実は普段とたいして変わらない値で売れ残り品をサバくようなアコギな商売をさらしてくれるのだろうな。値段ってのは商品の顔なんだぞ。安易にテキトーな値段をつけることが、商品自体の価値を貶めることになるってこと、解らんのか……って、これも昔ながらの職人の意地に過ぎんのかね。


 北朝鮮の拉致工作の実態の一端が少しずつ明かされている。
 と言っても、日本の調査でそれが判明したわけではなく、韓国当局の調査によるものってのが情けない話だが。
 1980年6月のある夜、平壌放送で流された「29627」という数字が工作員の生年月日「(19)29年6月27日」を意味していて、拉致決行の合図だったとか。原敕晁さんが、宮崎県の青島海岸から工作船で拉致されたのはその翌日のこと。

 どうも腑に落ちないのは、工作員の辛光洙容疑者、韓国に逮捕されたのが85年のこと。その情報は当然日本にも伝えられてたんじゃないかと思うんだが、どうして今までニュースにならなかったのか。やっぱり外務省の情報隠しか。
 いや、似たような情報はこれまでも何度かワイドショーなんかで取り上げられたことがあった。ただそれは全部断片的で、継続したニュースとしてマスコミが報道してきたのは横田めぐみさんらごく一部のものでしかなかった。

 結局、膨大な情報の流れの中で拉致疑惑のニュースなんて忘れられていったってとこが真実なわけだ。政府だけが無策なわけじゃない、適当な情報を流して事足れりとして来たマスコミも、それを受けても聞き流してきていた我々大衆も、結局は同罪なのである。電車の中でやくざに絡まれてる女子高生を周囲が見て見ぬフリしてるのと同じやね。でも、それが大衆の心理というものだ。
 だから本来、「今まで政府は何をやっていたのか」なんて、エラソウなこと、大衆が軽々しく言えるものではない。今までノンポリ通しておいて、何か事あれば慨嘆してみせるっての、言っちゃなんだがいささかみっともなくないか。

 もちろん私だって、その「大衆の無責任」にだらしなく乗っかって、政治の腐敗も世界を揺るがす大事件もみな、対岸の火事として看過して来たわけである。
 「『日本はどうなってるんだ』なんて嘯いてるくらいなら、オマエが政治家になったらどうだ」なんて突っ込まれたら、返す言葉もない(ないからもちろん政治家になんかならないが)。
 しかし、自分が社会に対しても、ごく身近な他人に対しても、全くの無力であり、所詮は矮小な一個人に過ぎないと自覚した時、我々は「無責任」という枷を引き受けざるをえないのである。それはもちろん卑怯卑劣な行為であることに違いはないのだが、では、何の才もない人間が、さも我こそは、と自らに語るべき資格があるかのごとく、権威を振りかざし、しゃしゃり出た時、どういう事態が起こるか。
 仮に、あなたが、外務省の人間だったとして、拉致問題に被害者の身になって対処しただろうか、考えてみたらいい。人は追い込まれねば、そうそう他人のために積極的に動いたりはしないものなのである。外務官は外交の専門家だろう、専門家が自分の仕事しないでどうする、という批判は正論だが、専門家でない人間に専門の仕事が任されてる実態は、外務省に限ったことではない。そもそも日本人が働きバチなどと言われたのは、日本人の大多数が有能だったからではない、上意下達のイエスマンがそのほとんどだったからではないか。
 「上が動かないから」、当然、下っ端は動けない。動けば潰されるとわかっていて動くバカはいない。杉田千畝が何千人何万人もいるわけがなかろう。我々は「無責任」という共犯幻想の中で生きる生活を自然に選択しているのである。

 朝鮮総連の北朝鮮国籍の人たちが、今、慌てて韓国籍に鞍替えしているそうである。……国籍って、そんなに簡単に変えられたの? (。_゜)?
 これをみっともない、と評するのは簡単なのだが、彼らも自分が迫害されると知りながら、座してそれを待ってもいられまい。中には、本当に拉致に関わった人間もいるだろうから、身を守るためにはナリフリかまっていられないのである。
 まさしく卑劣、無節操には違いないが、北朝鮮という国に固執していないだけ、マシだとも言える(もっとも国籍変えてスパイ活動する可能性もあるが)。
 さて、我々は彼らを受け入れて、なお偏見を持たずにいられるかどうか。
 今まで「無責任」を通して来たのなら、当然、今まで同様、たとえ相手が拉致の関係者であった可能性を感じてもなお、変わりなく接しなければウソだろう。それは、「君が、たとえ北朝鮮の命令で仕方なく任務を遂行していたとしても、君は君だから、変わりなく接するよ」、なんて甘っちょろいものではない。
 「君が今でも北朝鮮の工作員で、私を自分の任務に利用しようとしているとしても、あるいは仮に私を拉致しようと考えていたとしても、そのことで君を責めはしないよ。当局にチクリもしない。もともと君と私は友人ではあっても他人なんだから。ただ、ホントに拉致ろうとしたら本気で殺すぞ」
 これくらいの覚悟がなくて、他人と付き合えるか。「偏見を持つな」ったって、拉致の実態が判明して行けば、北朝鮮の関係者が十把ひとからげに拉致疑惑で見られるのを回避することは、土台、無理な話だ。だったら「偏見持った上で付き合う」選択をするしかなかろう。それのどこが悪い?
 それとも本気でオウムの時のように、「北朝鮮は日本から出て行け」キャンペーンを張るつもりか。今までだって「スパイ天国日本」なんて言われてきたわけだろうが。隣の人間が実はスパイかもって状況を、受け入れて来たんじゃなかったのか。今更何を動揺している。
 実際、「北へ帰れ」と言ってるやつも、「在日差別をするな」と言ってる連中も、どちらも情報に振りまわされ、冷静さを著しく欠いている。今回の件で、我々の周囲の状況の何がどう変わったっていうのか、冷静に考えてみてほしいものである。


 仕事、残業の予定だったが、早く帰れることになる。
 しげには、「遅くなるときには電話するよ。電話がないときは定時に帰れるから迎えに来て」と頼んでいたのに、あのばかちんは寝惚けてやがったのか、「遅くなる」の部分しか聞いてやがらなかった。
 もう夕方でも肌寒くなってるってのに、いくら携帯に電話をしても返事がない。仕方なくタクシーで帰ると、やっぱり高いびき。
 タクシー代を取りたてたから、一応私の損はないんだけども、別にしげから金を取りたてたいわけじゃない。なんでこうもないがしろにされなきゃならんのか、それが侘しいのである。


 夕方からアニメなどダラダラ見る。連続してみるのは結構久しぶり。
 『キン肉マン�鏡ぁ戞悒轡磧璽泪鵐�ング(最終回)』『テニスの王子さま』など。感想は別になし。悪いか。
 『ヒカルの碁』第五十局「藤原佐為?」は総集編。
 佐為の回想でヒカルとの出会いが語られ、主にアキラと佐為の対決を中心にこれまでの展開が語られる。最後が洪秀英(ホンスヨン)に「俺の名は進藤ヒカル!」と宣言するシーンで終わるまとめ方は、ああ、そうか、これも「佐為との別れ=『ヒカルの碁』の始まり」の伏線だったんだな、ということが解って、なかなかウマイ。

 『世界危険映像まる見え恐怖の怪奇事件大捜査スペシャル』。
 ……タイトルなんとかしてくれ(-_-;)。日本語になっとらんわ。
 クリストファー・ロッカンドールだかロッテンベリーだか名前は忘れたが、フランス生まれの詐欺師が、財閥の御曹司、プロデューサー、FIレーサーを名乗り、ミッキー・ロークを始め、ハリウッドの有名人たちから総額30億円以上を巻き上げたエピソード、ダマされたとわかった後のロークの落胆して呆然とした顔をおおっぴらに映してたが、やっぱ向こうでも嫌われてるのかね、あの人。日本じゃ例のボクサー転向騒動で、役者どころか人間としての株も下落しまくりなんだが。
 それでも一応、金は持ってたんだねえ、カモられるくらいだから。映画にも出てないのに小切手でン万ドルも切るなよ。それだからますます嫌われるんだ。
 それなりに金もあって成功した人間がどうしてコロッとダマされたかっていうと、やっぱり「見せガネ」の効果が大きいんだね。
 「今、十万ドルしかないんで、百万ドル貸してくれないか」
 ……仮に私が百万ドル持ってても、こんな言質にだまされるとは思えないけど、やっぱハリウッドの人間って、「お里が知れてる」んだろうね。
 詐欺がバレたきっかけってのが、うっかり出しちゃった安ワインの味を高級ワインと間違えたってんだから、本物のワインがわかるハリウッド人だって実は少ないってことなんだろう。教養ってのはやっぱり必要なときもあるんである。もっとも、川島なおみに教養があるとも思えんが。


 『キネマ旬報』10月上旬号。
 訃報記事がいつもよりやや多い印象。新聞は丹念に読んでるつもりだったが、日高澄子、御木本伸介両氏の死去には気付かなかった。もっとも、このお二人のお顔がさっと出て来ない。相当数の映画に脇役として出演しているので、名前は記憶しているのだが、どのお顔の方であったやら、とウロオボエなのである。こんなんじゃとても映画ファンとは言えない(-_-;)。
 『女王陛下のOO7』の監督、ピーター・ハント氏も死去。あれは原作に最も忠実な映画化であったにもかかわらず、ボンド役者がショーン・コネリーからジョージ・レイゼンビーに変わったために、不当に低い評価を与えられている。そのせいか、主役も監督も、『OO7』シリーズの連続当番はなかった。
 でも、ボンド唯一の結婚話だし(ダイアナ・リグって、昔はあんなにかわいかったんだ!)、テリー・サバラスの憎々しいブロフェルドぶりと言い、捨て難い一本だったんだけどなあ。
 1ページを割いて、鈴木伸一氏がウォード・キンボール氏の追悼記事を寄せている。本来、アニメ雑誌こそがこの人の特集をグラビアつきで記事にせねばならんというのに。アニメ雑誌作ってる連中が本気でアニメが好きなのかどうか、疑りたくなってくるのはこういうときだ。


 金城哲夫『小説ウルトラマン』(ちくま文庫・882円)。
 『ウルトラマン』の生みの親、金城(カネシロなんて読むなよ、キンジョウだ。本当はカナグスクかもしれんけど)哲夫自身の手になるジュブナイル。こんなの書いてたとは知らなんだ。子供向けだから深みはないが、主要エピソードはキチンと押さえてある。
 テレビ版と違った設定もいくつかあって、その中でも最たるものが「宇宙人会議」によって地球攻撃が決定される下り。藤子Fさんの『征地球論』よりこっちのほうが早いな。『スーパージャイアンツ』でも宇宙人会議の描写はあったが、あちらは地球を守るためのもの。
 議長がメフィラス星人、というのはいかにも納得、というところだけれど、「3分以上闘いを長びかせて、かれが動けなくなるしゅんかんをねらっておそいかかればよい」と提案すると、誰か分らない宇宙人が「闘いが長びきそうになると、かれはきまって、逃げ出してしまうのだ」と突っ込む。……ウルトラマンって、そんなにしょっちゅう逃げ出してたっけ(^_^;)。スカイドンのときは確かにそうだったけど、あれは実相寺演出だしなあ。
 ほかにもジェロニモンが宇宙怪獣だったり、ゼットン星人はやっぱり名前がなかったり(「謎の宇宙人」だそうな)、小説版独特の描写が楽しい。けど、バルタン星人の笑い声を「ウヒウヒウヒヒ」とか「ケ、ケ、ケ」と書くのはちょっとなあ。やっぱりあれは「フォッフォッフォッ」とか「ヴォッフォッフォッ」でしょう。 
 後半は『ウルトラセブン』のシナリオの再録。以前、朝日ソノラマで出版されたこともあるやつだが、『ノンマルトの使者』でのキリヤマ隊長の狂気ぶり、こういうのを見せられると、子供はやっぱり怪獣ファンにはなってもヒーローファンにはならないよなあ、とつくづく思う。私はやっぱり、怪獣ファンではあっても、ウルトラマンやウルトラセブンのファンではなく、ましてや科特隊やU警備隊のファンではサラサラないのである。あ、フジ・アキコと友里アンヌは別ね♪

2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき)
2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか


2002年09月24日(火) チチに弱い男ばかりじゃねーぞ/『アフター0 著者再編集版』3・4巻(岡崎二郎)ほか

 職場の警備の当番が回ってきたので、夜8時まで居残り。
 そのあとは警備会社の方にバトンタッチするわけだが、それまでは職場のウチソトを見回らなくちゃなんない。
 トリメの私になんてムチャなことを……と苦労して見回ったのだが、周回したあとで気づいた。懐中電灯持って見回ればよかったんじゃん! ……猿である。
 けど、今回初めて職場の点検してみて、ある事実に気づいた。
 実はウチの職場、これまでしょっちゅう泥棒にあってるのである。年に一回は荒らされてるし、今年なんか立て続けに三日連続くらい、泥棒にやられた。なんでそこまでって疑問に思ってたんだが、その理由が判明した。
 うちの職場、窓の鍵が壊れまくっているのだ。
 しかも何十ヶ所も。
 これじゃ「どうか盗んでください」と言ってるも同然だ。
 これまでの警備の当番だった同僚も、その報告はしてると思うんだけど、全く修繕一つされてないってのはどういうわけだ。総務の怠慢か。それとも修繕一つできないくらい、うちは左前なのか。
 一応、見回りの報告はしたけど、これももしかしたら無視されるのかなあ。
 この日記を書くにあたって、職業を伏せたのは正解だったな。これじゃ恥ずかしくて、とても身分を明かせやしない。


 送りはしげにしてもらったが、帰りは8時過ぎじゃとてもしげには頼めない。とっくに仕事に出かけてるころだ。
 職場からウチまで、バスと地下鉄を乗り継ぐと、車で20分の距離が1時間半かかってしまう。こりゃどうしたってタクシーを拾わなきゃならないんだが、こんな時間じゃタクシーだってそうそう通るもんじゃない。
 どうせ夕食は一人で取らなきゃならないんだし、職場の近くのリンガーハットで、皿うどんとイカゲソを食べる。売り子のねーちゃんが「『イカゲソくん』です」と言って持って来たが、商品に「くん」付けするセンスってどうだろうかね。

 なんとかタクシーを拾えて、帰宅したのが9時過ぎ。
 何の番組だか、テレビではデート詐欺の手口をバラしてる特番を放送中である。出会い系サイトだかなんだかで知り合った女性に会ったら、ダイヤだのなんだのを売りつけられて、2百万も騙し取られたとかいう話。
 詐欺をするやつが悪いに決まってるんだが、いくら色香に迷わされたとは言え、そうホイホイとカネを払っちゃうものかね。視聴者みんな、「男のほうもバカじゃん」とか思ったんじゃないか。
 実は私も、昔(もちろん独身時代である)、知り合いの女性から印鑑売りつけられそうになったが、「値段はいくら?」と聞いたら、そいつ、バカ正直に「言っちゃダメって言われてるの」と答えやがった。「それじゃ買えないよ」と断ったら、「友達でしょ?」と、ボディコンのムネの谷間を見せつけられながら、摺り寄られた(←多少脚色あり)。
 そんなミエミエの手でオチるほど、私はヤワではない。( ̄ー ̄)ゞフフン。
 きっぱり断りましたが、もったいなかったですか?(^o^)
 悪徳商法の連中って、よく観察すればいかに表面的に親切そうに見えても、結局はカネが目的っての、透けて見えると思うんだけどなあ。
 チチだのシリだのに簡単にだまされるってのは、日頃女の子に縁がなくて、ただひたすら孤独で、儚い夢にすがらなけりゃ生きていけないくらいツライ思いをして生きてる男が多いってことなのかなあ。でも、それって、寂しくて痴漢に走るやつとメンタリティはたいしてかわんないと思うぞ。


 疲れていたので、ひと寝入り。
 目覚めたらもう2時を回っていた。
 ネットを覗いたり、日記をつけたりしたあと、丁度アニメ『あずまんが大王』の放映に間にあった。いつもはこの時間帯、寝てるからあまり見てなかったんだよなあ。
 最終回直前なのでみんなの受験話。山本弘さんはアニメ版はお気に召さないようだが、音楽が時々合ってないのと、一部の声優に難があるのを除けば、原作を無理に改変してなくて出来はいいほうだと思う。
 おーさかがトンチクイズに答えるとき、タイムショックみたいに時間を刻む音が入るあたり、芸が細かい。
 ちよ父の声、若本規夫さんだったんだなあ。でもセリフ回しは相変わらずで「ぅぁわたしがネコでぬぁあいとでも!?」(^_^;)。
 いったい、いつから若本さんはこんなに濃くなっちゃったかなあ。「若本紀昭」時代はまだ普通だった気がするんだが。私の記憶では、『アッセンブル・インサート』の課長役あたりからじゃないかと思うんだけど、これも違ってるかもしれない。いや、いいんですけどね、濃いの好きだから。


 マンガ、岡崎二郎『アフター0 著者再編集版』3・4巻(小学館/ビッグコミックス・各530円)。
 『大いなる眠り子』シリーズを二分冊して収録。『アフター0』唯一の連続作品なだけに完結7・8巻に収録されると思ってたけど、随分早く収録されちゃったなあ。
 死んだ父親の魂が1歳の息子に憑依して様々な事件を解決する、という、ちょっとない設定が楽しいSFミステリー。
 普通、シチュエーションコメディのように、ある設定に基づいて展開されるシリーズというのは、話を量産するために(もっと意地悪な言い方をすれば、作者が楽をするために)「受け口」を広くして作られるものである。例えば、不幸を背負いこむ運命の少年が主人公であれば、さこに次々と宇宙人やら妖怪やら悪魔やらが現れるのは自然であるとか。「七つのタマを集めれば願いがかなう」という設定さえあれば、あとは様々なキャラに争奪戦をやらせればいいだけの話である。その設定さえあれば、あとは何をもってきたって話は出来あがる、というのが基本パターンなのである。
 けれど、このマンガの場合、主役は赤ん坊である。初め私は、赤ん坊の行動範囲なんて、たかが知れてるから、シリーズを続けるのはちょっと厳しいんじゃないか、と勝手に思っていたのだ。ところがどっこい、とんでもない。
 殺人事件、財産探し、誘拐、グルメもの、育児ものなど、遭遇する事件もバラエティに富んでいるが、毎回のゲストも実に多彩、産業スパイや大金持ちの隠し子、国際的犯罪者などはまだまだ普通、長命人、妖精、エンマ様や神様の使い、葛飾北斎まで出てくるんだから何が何だか。
 そして一歩間違えればふざけた駄法螺話に陥る寸前でちゃんと「SF」してるのが岡崎さんの才能の表れだろう。オビの「小松左京絶賛!!」の惹句はフカシじゃないんである。残念ながら新作の収録はなかったが(未収録短編はシリーズ外のもの)、これはもうSFファンならまさに必読、子々孫々まで読み継がれるべき傑作中の傑作なのである。

2001年09月24日(月) 荒らしを起こして♪/DVD『マジンカイザー』1巻/『KUNIE』1巻(ゆうきまさみ)ほか
2000年09月24日(日) ○○と○○はどちらが臭いか…汚ねえな/『いつも美空』1巻(あだち充)ほか


2002年09月23日(月) なんだかいろいろ/『一番湯のカナタ』1巻(椎名高志)/DVD『ハレのちグゥ デラックス』第2巻/舞台『天神薪能』ほか

 9/22の続き。

 DVD『羅生門』デラックス版。
 いやもう、特典映像がすごいすごい。野上照代のコメンタリーを初めとして、今生きてる当時のスタッフのインタビュー、NHKスペシャルの『キャメラも芝居するんや』(撮影の宮川一夫のドキュメンタリー)と、これならン万円払った価値があろうってもの。
 もちろん特典がすごくたって、映像が悪けりゃしょうがないんだが、モノクロのコントラストが見事で、これが五十年前の映画か、と見紛うばかり。以前見たテレビ放映の時のや、リバイバルで劇場で見た時のより数弾優れている。
 日本語字幕がつくのも嬉しい。これは多分難聴の人のためにあるんだろうけど、もともと音声が割れ気味で聴き取りにくいんで、字面で確かめられるのは助かる。仮にちゃんと聞き取れたとしても、若い人には「検非違使」なんて、耳で聞いただけじゃなんだか分らないけど、漢字で出してくれてるから、辞書で調べられるだろう。
 音声の裏ばなしで言えば、東宝の火事でネガテープが失われ、急遽一部だけ録音しなおしたこと、そのセリフだけ音質が変わってしまっていたこと、今回のインタビューの中で明かされてたけど、それ、昔見た時、気づいてたわ。真砂が夫が縛られてるのを見て多襄丸に襲いかかるシーン、「俺はこんな気性の激しい女は見たことがない」というセリフ、ここだけ聞き取りやすいんである(^o^)。
 どうやら目と違って、耳は結構いいらしいな、私。


 東京のこうたろうくんから、「また東京に遊びに来ないかい?」と手紙が来ていたので電話をかける。
 今週は私もいろいろ舞台を見に行く予定があるし、飛行機の切符が取れるかどうか分らないから、とりあえずこうたろうくんと日程が合うかどうか、確認のためだったが、今週中はまだ無理っぽい。
 来月に入ったら行けるかもしれないが、そのときまで私の財布が持つかどうかの問題もある。しげは仕事が目一杯入ってるから、ちょっと厳しい。
 けど行きたいんだよな〜、豊島区のミステリー文学資料館で、横溝正史の『八つ墓村』の生原稿を来月12日まで展示してるんである。日曜休館だってことだから土曜に行くしかないけど、どうしても日帰りか、土曜に行って日曜の朝に帰る強行軍になっちゃうしなあ。
 二、三日うちに結論出さないとなあ。


 マンガ、椎名高志『一番湯のカナタ』1巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 地球に亡命して来た星の王子様・カナタさまご一行が居候することになったのは、なんと潰れかけた銭湯・星の湯。跡取り息子のリョウは、大迷惑を被りつつも、持ち前の義侠心から、どうしてもカナタたちを見捨てることができない。そうこうしているうちに、王子様を追って、反乱者の刺客が地球に来襲し始めて事態は笑いごっちゃない展開に……って設定は、こないだ読んだあろひろしの『みこと日記』と似たようなものだけれど、椎名さんのほうが格段にマンガのテクニックが上手い。精進してる人間と、パクリをパクリとも思わない人間との違いが表れちゃってんだなあ。
 もちろん、椎名さんの設定だって、藤子・F・不二雄の『ウメ星デンカ』が下敷きにあることは明らかなんだけれど(口うるさいお目付けもいるしな)、やっぱりアレンジは加えてるんである。絵の構図までパクってる(でもその自覚はないらしい)あろさんとは比較にならない。
 それに、椎名さんは同様の設定で『ゴリガン』という短編を一度発表している。それを叩き台にして内容を換骨奪胎、更に面白くするためにキャラクターも増やしてるが、決して日常性と非日常性とのバランスが崩れて読みにくくなるような愚は避けている。例えば主人公の幼馴染の彼女は両作に共通して登場するが、あろさんの作品では怪力バカでドラマの邪魔にしかなってなかったけれど、本作のサヤカはボケをかましつつも、しっかりカナタたちが地球に受け入れられる素地を作る役割を果たしてるんである。
 キャラはやっぱり作りっぱなしじゃダメだね、ドラマに関わらせなきゃ、って当たり前のことなんだけれど。前回の『MISTERジパング』がやや不発気味だっただけに、今回はぜひとも長く続けてほしいもんである。ついでに『乱波SS』の続きもできたら。



 というわけで、ここからが23日の分。
 けど結構いろんなことがあったんで、凝縮して書かないと、またハミ出ちゃうな(^_^;)。

 北朝鮮拉致事件で最後に身元確認された曽我ひとみさんが、日朝首脳会談当日、外務省幹部との面談を「会いたくない」と断っていたとか。拉致議連の平沢勝栄議員は「本人の意思であるわけがない。言わされたに決まっている」と断言したようだが、何を根拠のモノイイかなあ。
 もちろん、北朝鮮側に言わされた可能性も否定はできないが、今まで生存していられたってことは、北朝鮮の工作員として働いてたってことなんである。アンタ、祖国を裏切って、なおかつ肉親に堂々と会えるものかね。世論は「拉致被害者を返せ」と単純な論調に終始してるが、実は生存者は既に洗脳され、被害者から加害者になってる可能性だってあるのである。帰国して、スパイ活動をしないと断言できるものかどうか。
 みんな忘れてるはずはないんだけど、「李恩恵」とされる日本人女性、田口八重子さんが死んだのは、まず間違いなく大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫・元工作員の教育係だったことがバレたからでしょう。
 ある意味、曽我ひとみさんが、「会いたくない」と言っている、というのは、北朝鮮が今後日本に対して非合法活動、敵対行動を取らない、と意志表示しているという意味でもあるのである。生存者がみんながみんな、「喜んで帰国したい」と言い出したら、そのときの方がよっぽど事態は危ういと見たほうがいい。
 そのことをマスコミだって気づいてるくせに、どうしてまた「感動の再会」を演出しようなんて姑息なこと考えてやがるのだ。政治に人情の問題をはさんだらどれだけ危険か、考えたことはないのか。
 「拉致被害者は帰らない方がいい」という意見が、家族の方々に対して厳しいモノイイだということは分るが、現実というのはそういうものである。たとえ国交が正常化しようが、真の解決などはありえない、という事実を、批評家でも芸能人でも誰でもいいから、テレビでちゃんと語ってくれよ。


 自民党の野中広務元幹事長、訪問先の中国で曽慶紅・中国共産党組織部長と会談したときに、「机をたたいて交渉していた時、既に6人が亡くなっていたかと思うと、無念で、言葉もない」と語る。
 さて、これが自らの「無能」を自覚した言葉なら、政治家にしては珍しく誠実な発言だけれど、それはまずあるまい。ある程度気づいてたのにウソついてるのか、それとも、ただの自己弁護なのか。
 曽氏が「中国は(北朝鮮の犯罪と)知らなかった」と嘘八百を堂々と並べ立ててることから判断しても、多分、野中さんは中国と北朝鮮の手にマンマと乗せられちゃってて、本気では動いてなかった、あるいは動き方がわからなかったと見るのが妥当なとこだろう。まあ、ここで曽氏がバカ正直に「スマン、実は知ってたけどオマエには言わなかった」なんて謝るわけないんだけど。
 そんなことにも気づかず、ここで曽氏を追求できないところが、やっぱりこの人が無能である証拠。騙される人間はどこまでいっても騙されるのだ。
 だから「騙されるやつが悪いんだよ」なんて霧島美穂みたいなこと嘯くやつが増えるのだ。
 もっとも、今更日本の政治家を批判したってしょうがないのよ、所詮そんなのは無意味な内紛なんだし。マスコミは、も一つ、北朝鮮の犯罪に中国がいかに後方支援したかを暴露していかなきゃならんはずだが、おそらくそんな発想はないんだろうな。弱腰だけならまだしも、バカってのは始末に負えない。
 政治家の批判はそれはそれでしていいんだけど、一番の批判の標的がどこなのか、忘れないでほしいもんだ。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』第2巻「ちょっとまってマリィたん/第二回」の2話。
 サブタイトルに“illusion”と付いてるのはやっぱりこの話が全部グゥに食われたハレの見てる夢ってことだからだろうか。
 それはともかく、なんだかテレビシリーズよりどんどんギャグが過激かつオタクっぽくなっていくように思えるんだが、放送コードがなくなってスタッフ暴走してるのかな。ベルの鼻血もテレビシリーズより三倍増し(当社比較。ってどこや)って印象だし。
 原作マンガ自体が相当オタク度は高いんだけれども、マリィがネコ耳少女のコスプレ(顔まで「でじこ」になってちゃ、既にコスプレとは言わんが)するだけならともかく、トラジマビキニ娘や太正浪漫キモノ娘やああっ女神さまの妹まで全くアレンジせずにそのまんま出すのは、これは既に著作権への「挑戦」ではなかろうか(^_^;)。あくまで「コスプレ」と言い張るつもりなんだろうけれども。
 もともと『クレヨンしんちゃん』作ってたころから、『鉄骨しんちゃん』だの『ターミネーター』だの、気がついたら濃いオタクネタをぶちかましてくれてたシンエイ動画だから、これくらいは普通なのかも知れない(更に古いこと言えば、『ドラえもん』のころから『ウエストサイド物語』のパロやったり、『こち亀』より10年以上早く『そのうちなんとかなるだろう』を本編中で歌わせたりしている。しかもママに)。
 原作の都会編をテレビシリーズではほとんどはしょっちゃったせいで、マリィとリタの恋のさやあてのエピソードが割愛されちゃったのはなんとも残念なのだけれど、ここ数年のギャグアニメとして出色の出来なのは間違いない。エンディングが特にキテて、脳内麻薬だだ盛れアニメになってるので、うなされたい人は寝る前にどうぞ。


 実は昨日が父の誕生日だった。
 しげも九月生まれだし、なんだか知り合いに九月度高いっつーか、乙女座度高いんだけど、何か私には乙女座の呪いでもかかってるんだろうか。
 父もとうに赤いちゃんちゃんこのトシも過ぎて、そろそろ平均寿命に近づいてきてるんだが、「もうダメだ」と言いつつ未だに仕事を引退しない。職人はやっぱり死ぬまで職人だってことかな。
 昨日は何かプレゼントを買って持っていこうかと思ってたのだが、しげが睡眠を優先したので断念。夕方から芝居を見に行くついでに天神コアでショルダーバッグとペットボトルのホルダーを買う。色はしげの趣味でどちらも黒。
 「父ちゃん、トシヨリだけど心は若いから若者向けの方がいいよね」とはしげの言。ある程度はそうだろうが、かと言ってあまり流行の最先端を行くようなファッションのものは身に付けても貰えないと思う。程よくシックな方が父も喜ぶだろう。父がペットボトルを持ち歩くかどうか、やや疑問ではあるが、あればあったで使いそうな気もする。そのへん、博多の人間と言うのは「おおまん」(「適当」ってことです。ヘンな意味はない)である。
 二つ合わせて七千円ぽっちというのは親へのプレゼントとしてはケチ臭いが、高いもの買っても「無駄遣いしやがって」とか、かえって悪態つかれちゃうからこのへんが妥当なところだ。高いばかりで役に立たない置物の類より、安かろうが使えるもののほうがいいやな。

 コアの8階、グルメパークの「さぼてん」でアスパラ巻き定食。
 とんかつ屋に入っても野菜中心のメニューを頼んでしまうのは、また少し太りギミだから。また少し本気でダイエットせねば、糖尿もヤバいが、足が自重を支え切れずに捻挫しそうなんである(^_^;)。やっぱりなんとか80キロ切らないとなあ。
 

 コアの屋上で、『天神薪能』鑑賞。
 演目は舞囃子「八島」、狂言「棒縛」、能「船弁慶」。
 街のどまん中で『薪能』というのは面白い試みだったが、正直なところ企画倒れである。
 まず、ビルの空調の室外機がゴウゴウ鳴り響いていて、半端なうるささじゃない。演者の方々は挨拶で「この音が波の音に聞こえれば」とか言ってたが、単調な機械音をそんな風に好意的に聞いてやらなきゃならないギリはない。結局、音声はマイクに頼らざるをえないが、自然との一体化を図る能のあり方として根本的に間違ってやしないか。
 いや、音より何より、流れてくるサバの味噌煮や何やらのマリネの匂いが臭いのなんの。波にドレッシングの匂いがあるかって。
 更に腹が立つのは照明である。
 事前に観客にはパンフレットで謡曲が配られるのだが(現代語訳までつけてある親切なもの)、客が公演中ずっと舞台見ずにこれ見てんのよ。で、その客のためなのか、公演が始まっても街灯型の照明を点けっぱなし。……薪能の意味ないじゃんかよ。
 いくらセリフの意味が分らないからって、例えば外人アーティストのコンサートで歌詞カード見ながら舞台見るやついるかよ。客もバカなら、それに迎合するスタッフはなんなんだ……とか思ってたら、狂言が終わった時点で、照明が消えた。
 単なる消し忘れかい!凸(`△´+)!

 『棒縛』、主人が所用で家を空ける間、使用人が酒を盗まぬかと、太郎冠者と次郎冠者を棒にカカシのように縛りつける。しかし、気転を利かした二人、器用に酒を飲んでしまう。すっかり酔っ払ってるところに帰ってきた主人、怒って二人を打擲しようとするが、逆に追い立てられる。
 演者の所作にキレがあれば当然笑える芝居なのだが、みんなトシヨリでただひたすら退屈。なんで二人で7千7百円も払って旦那芝居見せられなきゃならんのだ。いや、払ったのはしげだけど。そのかわり、しあさってのオペレッタは私が払ったんだからいいのだ。

 『船弁慶』、源義経は、兄頼朝との不和から、都落ちすることになり、静御前と涙の別れをする。義経の前途の幸を祈って、舞う静。
 海上に出ると、義経を狙って現れる平知盛の怨霊。しかし武蔵坊弁慶が折伏し、これを鎮める。
 これが主演目だけあって、一応、見られることは見られる。
 けれど、決して名演と言えるほどの所作ではないし、やはり街灯は消しても舞台上は脇からライトが当たっていて、能面には篝火の陰影一つ表れない。これで「薪能」だなんて、詐欺じゃないのか。
 後ろの席にいたご夫婦、「期待し過ぎたかな」と落胆されていたが、満足して帰った客なんて一人もいないんじゃないか。おそらく、この場所で薪能が開かれることは今後はなかろうし、あったとしても、今日来た客は二度と来ないだろう。
 主催は西日本新聞とRKBだそうだが、企画段階でこれだけ劣悪な環境だってこと、知ってたのかどうか。

 しげは「俺に能って合わないのかなあ」とか言ってたが、そんなことはないぞ。今回は企画が杜撰だったのだ。演者がシロウトだったのだ。本物の能はこんなものじゃない。野村萬斎を見ていればそれは分る。プロ中のプロと比較しちゃ悪いかもしれないが、あの人の芸はやはり傑出しているのだ。
 萬斎さんの来福公演のチラシがパンフレットに挟んであったので、これを見に行こうか、と話をするが、期日を見ると、丁度オタクアミーゴスの公演日。……間が悪いなあ。 


 マンガ、中津賢也『桃色サバス』2・3巻(少年画報社文庫・各620円)。
 2巻でカゴメの妹・ヘキサが登場するあたりまではよかったが、3巻で番外編「西遊記」をやったり、外伝で美少女雀士イーピンゴッデスが出てくるあたりでもう話はわやくちゃの大暴走。作者自身が登場して、「世界観が壊れる」とあせって見せるが、そんなもんもともとたいしてなかったろうが。
 もちろんこういう暴走は大歓迎。
 崇高なテーマなんぞクソくらえ、カゴメもマユもヘキサもみんな脱ぎまくれ! ってのがこのマンガのコンセプトだったはずなのに、この手のマンガによくある、感動話を時々盛り込もうとする悪いクセが出て来てるんだよねー。とり・みきでさえ、つい『クルクルくりん』で一回だけやってしまった。でも中津さんがそれやってもヘタなだけだよ。
 カゴメがいなくなるかも、なんて話、ありがち過ぎ。世代的には『うる星』の「君去りし後」なんかの二番煎じと見られても仕方がない。そういう話の方が妄想型のオタクには受けるのかもしれないけれど、そんなの描いててた中津さんは楽しかったのだろうか。
 やっぱり中津さんはエロとエロとエロいギャグを描くのが一番本領を発揮できると思うんだけど、案外本人は自分の資質に気がついていないのかもなあ。

2001年09月23日(日) 行間を読んでね/映画『ラッシュアワー2』&『ファイナルファンタジー』
2000年09月23日(土) 昼寝とDVD三昧の一日/映画『スリーピー・ホロウ』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)