無責任賛歌
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| 2004年09月26日(日) |
To be or not....../竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻 |
朝方、起きぬけのしげがなんだかベソかいたような顔をしている。 なんだまた鬱か、と思ったらそうではなくて、「オレ、茶碗割ったかもしんない」と言って、真っ二つに割れた茶碗を持ってくきた。 「なんか、足がゴリゴリするなあ、と思ったら、割れてた」 「……そりゃ確実に割ってんだよ」 しげの寝相はかなり悪いのだが、特にその足の破壊力ときらまさに悪魔的と形容するほかはなく、私も何度となく被害に遭っているのである。つか、足元の茶碗くらい片付けてから寝ろよ。 うちにある茶碗だの皿だの、食器類がわじわと減ってきていて、気が付いたらカレー皿やら小振りのどんぶりやらは、今や一人分しかない。私一人のときにはここまで茶碗割ったことはないのになあ。またそのうち百円ショップで皿とか買わにゃならないなあ。うちじゃあ食器の新陳代謝はしょっちゅうなのに、どうしてしげの脳みそは新陳代謝してくれないのだろうか(注・しげのに限らず人間の脳みそは新陳代謝しません)。
しげはひと足先に芝居の練習。私はカメの日光浴と、水換え。 ひところ元気のなかった竜宮亀太郎も、エサを生き餌に変えてから前にも増して食欲旺盛になって、自分よりも2倍弱はデカくなった玄武をモノともせずにその上に乗っかり、エサを食らっている。でも食い方がドヘタくそで、噛んだエサがすぐに口の中からポロポロこぼれるのである。だもんで私は日に一回くらい、しかも少量しかエサをやらないようにしているのだが、しげは「亀キライ」とか言ってるくせに、スキを見てはすぐに水面いっぱいに広がるくらいに餌をばらまくのである。 「だってこいつら、ちょっと顔近づけただけで『エサ?エサ?』って思ってバタ狂うんだもん」としげは言うのだが、だからって大量にやったら、結局は食い残してしまうのである。しばらく経つとそれが下に沈殿して、糞と混じって腐敗する。これですぐ水が濁っちゃうんだよなあ。「部屋の中がカメ臭くなる」って文句言ってるくせに、そうしてる一番の原因はしげにあるのである。 本当は、日光浴は毎日させてやりたいし、水換えも三日に一度はしたいんだけど、しげはそういう協力はする気ないのな。させても水槽割るからさせないけど。
午後から練習に参加。今日の出席者は、桜雅嬢、加藤君、鴉丸嬢、其ノ他君、穂稀嬢。 昨日のことがあったので、果してしげをこのまま使っていいものかどうか、演技の様子を見てみたが、殆ど上達していない。歩き方から「普通に歩く」ことができないのだから、これはかなり重傷である。 普通、人は足を前に出すとき、カカトから真っ直ぐ降ろしていくものだが、しげはガニまたで、足のウラをほぼ平面にぺったんぺったんと降ろしていくのである。幼児かペンギンの歩き方を想像していただければよかろうか、みっともないと言うか滑稽だと言うか、ともかく、こんな珍妙な歩き方では、演じる役柄がどうしても限定されてしまう。シリー・ウォークじゃないんだから。 この十年ずっと、「歩き方がヘンだ、演技にならないから矯正しろ」と言い続けてたのだが、しげは全く改善しようとしなかった。「やってみたけどうまくいかん」ということならともかくも、「普通に歩くとキツい」とか言ってすぐやめてしまうのだから、どんなにエラそうなことを言っても、しげには本気で芝居をする気がないのだ、と断定せざるを得ないのである。キャスト変更したいものの、ともかく人材がいない。はっきり言っちゃえば、ある人くらいしか代役ができる人はいないのである。しかし、「しげの代役なんだけど」と言えば、恐らくは固持されるのは想像がつくのである。となると客演を頼むしかないが、いきなりの主役を依頼できるものでもない。にっちもさっちもいかないのである。 鴉丸嬢からは夕べ電話があって、事情を説明したのだが、「しげさんくらい、芝居のこと考えてる人はいないよ」という返事だった。そんなことは分かっているのである。考えてることを「表現」できないからアタマを抱えているのだ。 「演技の才能とは何か?」というのは実はすごく簡単で、「自分の表現が他者からどのように見られているかを客観的に把握できる」ということである。つまりは「鏡を見ろ」ということなのだが、しげは全然鏡を見ようとしない。 ではしげに演技の才能が全くないかというとそうではなくて、「恥を知らない」がゆえに、「これはできない」という役は基本的にはないのである。これは本来、演技者としては相当な「強み」になるはずなのだが、努力が全く伴わなかった。この十年、直観だけで芝居をしてきたツケがここに来てしげのクビを締めているのである。 加藤君、其ノ他君にも、このままでいいのかどうか聞いてみたのだが、「構わない」ということであった。 「いつ『鬱』が来るかわかんないよ? いいかな、それでも?」 「そのときはなんとかします」 其ノ他君がそういうからには、これは口先だけではない。何かあったら本当になんとかするだろう。となれば、私にはもう何も言うことはない。しげの芝居が形になろうがなるまいが、このまま行くしかないのである。
桜雅、穂稀両嬢は先に退出、残ったメンバーで何となくの流れでカラオケに。カラオケ自体も随分久しぶりだが、加藤君が歌うのを聞くのも今回が初めてである。と言っても日本全国、オタクの歌いっぷりはみんな同じで、アニソン歌えばみんな絶叫するのである。でも声のノビが実にいい。これが演技の時の発声に生かせてないのが残念なくらいだ(^o^)。しげと交互に戦隊ものなんか歌いまくって、盛りあがること。 このメンバーだと全く酒が入らないので、歌いながら乱れてクダ巻いたり、つまんねえオヤジギャグ飛ばしたり、マイク持って離さないようなマナー知らずなやつもおらず、安心して歌えてありがたいのだが、最初に『誰がために』とか絶叫系をリクエストされて、調子に乗ってそんなのばっかし歌ったおかげで、一時間足らずでもう声が出なくなった。其ノ他君の『アニメタル』に合わせて歌ってたときにはもう声がカスレ状態である。明日が仕事じゃなくてホンニよかった(^_^;)。 帰宅したらもうヘロヘロ。日記も付けずに寝る。
マンガ、星里もちる『ルナハイツ』3巻。 少年マンガ描いてたころと違って、最近は時々混じってくる殺伐としたネタがなんだか神経に障る(やりすぎると柳沢きみおになっちゃうからなあ)。今回も怪文書バラまく同僚がいたり、まどりに言い寄る後輩に南條が異常なほど嫉妬心を抱いたり、「作り過ぎ」ていてどこかいやらしい。それでもギリギリ「読める」のは、のほほんとした重さんがいるおかげではなかろうか。この人も今巻ではちょっとだけ殺伐入ってたけど。
野間美由紀『新・パズルゲーム☆はいすくーる』2巻。 掲載誌が変わったせいで、タテ広告のスペースを使っての作者のダベリングコーナーがなくなっちゃったのがちょっとサビシイ。話は相変わらず他愛無いし、トリックと言えるほどのものはないけれど(「春巻き」とかねえ。)、まあ、ムリして作ってないだけ微笑ましい。かと言って過大評価は禁物でミステリ好きには勧められないけど。
竹本泉『トランジスタにヴィーナス』7巻(完結)。 あんまり売れ行きよくなかったんで打ち切りだそうな。それでも7巻まで続いたのは竹本さんにしては長期連載なんだけれど。イーナスが美人系じゃなくてカワイイ系だったら、あと3巻は続いてたかな。いや、それより竹本さんのSFが今ひとつ受けないというのは残念でならないのだ。「女神能力」なんてアイデア、そうそう思いつける人いないぞ。ただ女の子どうしがキスしまくるだけのマンガじゃないんだってば。
『悲しみよこんにちは』のフランソワーズ・サガンが24日、心臓疾患のため死去。享年69。 『悲しみ』は今ベストセラーになってたら絶対『かなこん』とか省略されちゃうんだろうな。小説も読んだし映画も見たことは確実なんだけれども、かなり昔なんで、もうおおざっぱな筋しか覚えてない。映画は原作に忠実だったって記憶があるけれども、ホントにそうだったろうか? ファザコンな少女がヤモメな父の新恋人を事故に見せかけて殺すって話だったから、見ようによってはこれもミステリーである。今だったら特にショッキングな物語でもないけれども、当時大ヒットしたのは、それがやはり「18歳の少女」によって書かれた(しかも美少女)という事実が、話題をスキャンダラスなまでに大きくした要因だったろう。 ただ、そう言いきってしまうと、じゃあサガンは「年齢のせいだけで」売れたのかって勘違いされてしまいかねないのだが、必ずしもそうではなかったのではないかと思う。小説自体ウロオボエの私が言い切っちゃうのは多少乱暴ではあるのだが、「つまんなかった」という記憶はないので、充分内容を伴ったものだったろう、と推測しているのである。 ではサガンは綿矢りさのルーツなのかってことになるけれども、『蹴りたい背中』のように、読んではみたけど、改めて大の大人がああだこうだと語り合うにはどこか気恥ずかしく感じる雰囲気ってのはサガンにはなかった。綿矢りさは「現象」だけれども、サガンは「事件」だった。だからかつては女子学生が「サガンを片手に歩く」というのがステイタスたりえたのである。残念ながら日本の女流作家で、たとえ作品が読まれてはいても、そのような形でステイタスたりえた作家はまだいない。いったいサガンの「何が」ほかの作家たちと違っていたのだろうか。 それはヌーヴェル・バーグの雰囲気を直接的には知らない私には、これこれこうとうまく説明はできないし、個人主義がどうのこうのと、マコトシヤカなウソを並べたてる気はないのだけれど、『悲しみ』が「少女」という存在を、圧倒的な「強者」として成立させた、という点だけは間違いない事実だと思うのである。その「思想」は換骨奪胎されて、日本の「少女マンガ」にも受け継がれた。少女が主導権を握る時代を予見したということで、サガンは少女マンガ家たちの心のルーツでもあるのである。
2003年09月26日(金) 真剣に死刑/『ワイド版 風雲児たち』16巻(みなもと太郎)/『サトラレ』5巻(佐藤マコト) 2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか 2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック�掘戞拭悒疋鵐�ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか 2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ
| 2004年09月25日(土) |
だから鬱になってるヨユーなんてないんだって/『鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』 |
いよいよ仕事が立て込んできて、なんかまだ病み上がり感覚の身にはいささかキツイ。 取りまとめなきゃならない仕事が二つ三つ重なってるので、あちこちの関係者に進行をせっつかないといけないのだが、思った通り、だいたいみんな仕事してくれてない。そのことは見越して、当然スケジュールに余裕は持たしてるのだが、各所に頼んだ仕事、ちゃんとシメキリ通りに仕上げてくれた人が一人しかいないというのは、ちょっとみんな仕事サボリすぎじゃねえのか。これじゃあトンガリさんから「あんたたちだって仕事してないでしょ!」と逆ギレされるのもムリはないのである。もちろん、トンガリさんも、頼んだ仕事、見事にぶっちこいてくれてましたとも。
でも今日はトンガリさんのことで腹を立てる段ではなかった。 またまたまたしげが鬱に入り、ひと騒動やらかしてくれてたのである。 朝方は「迎えに行くから電話よこしてね」と言っていたしげ、帰りになって連絡を入れても、どうやら携帯の電源自体切っているらしく、「お留守番サービス」にしか繋がらない。 仕方なく帰宅してみると、今日は仕事のはずなのに準備もせずに寝こいている。 「仕事は? 昨日もおとといも休んでるから、今日は行くんじゃなかったのか?」 「行かん」 「どうして」 「……」 具合が悪い時にはしげはちゃんとその旨はっきり言う。黙っているということは、ただのサボリだということだ。 「なんで理由が言えないんだよ」 しばらく押し問答をしていたら、ようやくか細い声で「理由はない」と答えた。 「……もう、仕事したくないのか? 店、やめるのか?」 「……」 「仕事せんと、芝居もできんやろうが。どうするとや?」 「……」 「仕事ちゃんと行ってこい。今からなら間に合うやろ」 「もう『行かん』って言ったもん」 「だから、それを『行きます』ってもう一度連絡しろってんだよ。まだ間に合おうが」 「……」 「芝居もする気ないとや?」 「……」 「自分のしたいことも言えんのか。だったら公演なんかできんめえもん。仕事行かんのなら、みんなに公演は中止するってメール送るぞ。それでもいいとや?」 「……」 これはもうどうしようもない、と、しげの目の前で次のようなメールを劇団の主だったメンバーに送った。
> 女房がやる気なくしたんで、今度の公演は中止します。突然ですがすみません。連絡も取らないで下さい。
実際に本気で公演を中止するつもりだったのかどうか、と疑問に思われる方もいらっしゃるだろうが、9割9分本気だった。私の目から見ればしげは全くと言っていいほど芝居に本気で取り組んではいない。今まで何度もしげに芝居のキャストだのスタッフだのに引きずりこまれながら、私が途中で抜けることが多かったのは、「お前がヒステリーを起こすようなら芝居には協力しない」という約束を一度もしげが守れなかったからである。「起きるものは仕方がない」などという言い草はモノ作りには通らない。医者が手術の失敗を「調子が悪かった」で済まされるものではないのと同じだ。 何でもそうだが、「本気でやりたい」と思うのなら、誰でもそのための下準備はする。それは単に先立つものが必要、とかそういう物理的なことだけでなく、自分の心構えの問題でもある。生活を切り崩してまで芝居に打ちこむ覚悟があるなら、それはそれで構わない。しかし結局は私に甘えることでしか芝居がやれない、というのなら、そりゃ根本的に生き方自体、間違えている。自分で自分の生活立てた上で芝居やるんじゃなきゃ、何の意味があるか。なんだかんだでしげは既に私に7万円、返せるアテもない借金を作っているのだ。練習に出ても演技プランをマジメに考えてる様子もない。これでは私もこれ以上は協力のしようがないのである。被害が大きくなる前にやめさせるのも仕方がないと、考えていた矢先だった。 ただし、「連絡を取らないで下さい」と書いたのは、残りの1分、しげが改心する可能性をそれだけは残しておいたからである。これは「少し時間をくれ」というPPのみんなへの「腹芸」だったのであるが、それに気が付かずにすぐさま「どういうこと?」とメールを送ってきたのが若干名いた(^_^;)。全く、行間を読むことができないヤツラである。 メールの返事はほったらかしといて、しげに詰め寄る。 「仕事もやめるなら、挨拶に行こう。一人で行けないなら、オレも付いてって、一緒に頭を下げてやる。ウソついて仕事休んでばかりですみませんって謝ってやる。劇団のみんなにもちゃんと謝ってまわれ。それくらいのケジメは付けれるな?」 「……」 「返事せんか。もうみんなにはメール送ったんだから、これからどうするかは決定したろうが。いったん『行けない』って連絡入れたら、もうあと戻りはできないんだろ?」 「……」 ……まあ、このくらいの「ほのめかし」ではしげは私が何が言いたいかはわからない。 「さっき、仕事に行けって言ったとき、『もう、一度“行けない”って言っちゃったから、訂正はできない』って思ったんだろ?」 「……」 『黙っとったってわからんやろうが。なんで自分の意志なのにはっきり言えんとや。結局、おまえは何がしたいとや?』 「……」 「したいことはないんか」 「……芝居がしたい」 「聞こえん」 「芝居がしたい」 まだ全然か細い声だったが、泣いてはいなかった。 「仕事はどうするとや」 「行く」 「なら、店に電話してこい」 しげが電話している間に、私は劇団のみんなに「お詫び」のメールを送った。
> 先ほどは、突然の内容のメールでご心配をおかけしまして申し訳ありません。 > 実は、女房がまた鬱になってしまい、仕事もここんとこずっとサボリ、今日も病気だとうそついて休もうとする、当然、収入がないからパピオの使用料も払っておらず、私からも既に七万円借りたままで返す当てもない、いったいこれからどうするつもりなのか、問いただしてみても返事もしない、もうどうしようもない状態になったので、これはとても芝居がやれる状態じゃないと思って、PPのメンバー全員に先ほどのメールをお送りしたのです。 > メールを送っている間、情けないことに女房は私を止めようともしませんでした。 > そのあと、「言いたいことも言えんで芝居やろうなんてふざけたこと言うな!」と言ったら、ようやく「芝居やりたい。仕事も行く」と言い出しました。 > みなさんご存知の通り、女房は心の病気で意志薄弱です。優しくものを言っただけでは、自分で決断せずにすぐに逃げようとします。一旦は追い詰めないと、ちゃんと返事させることもできなかったのだとお察し下さい。 > 予定通り公演は行いますし、明日の練習もありますが、女房はこういう感じでいつまた鬱になって逃げようとするかわかりません。キャスト変更も含めて、どうしたらいいか、みんなで相談した方がいいと思います。明日はそういう話もしたいと思いますので、お見えになれない方もご意見をお寄せ頂けると有り難いです。
正直、しげのキャストだけは変えてしまいたいのだが、ほかにやる気のあるやつがいないのである。と言うかよ、やる気ないヤツが揃ってるのに、劇団維持する意味なんてないってホントに思うんだけどねえ。しげが「今度の公演で引退する」って宣言したあとも、「じゃあ自分が引き継いで」って言い出したやつは現れなかったし。 私は芝居が好きだ。好きなのだが、だからこそ本気で芝居が好きでもないやつと組んで公演を売ってく気なんて、サラサラない。今度の芝居を最後に解散してしまっても構わないと思っているのである。
『TVアニメ 鋼の錬金術師 シナリオブック vol.1』。 原作ファンの方には申し訳ないが、私は原作よりアニメ版のほうが面白いと思ってる派である。もちろんメディアが違うので単純比較はできないし、優劣を競うのも無意味だ。「面白い」ってのはただの「感想」なんで気にしないように。ただ、そこには当然理由があって、それはこのシナリオ集の水島精二監督の脚注を見ればよく分かる。私が「ここのセリフはうまく原作をシェイプアップしてるな」って思ったとこ、脚本家の會川昇さんの功績かと思ってたら、殆ど水島さんの改訂だった。原作の量が少ない分、構成に手を入れてはいるものの、元の會川さんの脚本はかなり原作に忠実なのである。 映像にする場合、「語りすぎ」「描きすぎ」は禁物なんで、原作にあった「いいセリフ」「いい絵」ってのは必ずしも全部は使えない。ましてや、少ない原作を補完するために多数の設定の付け加え、改変を行わざるをえなかったので、やむをえずカットしたってとこもあると思う。逆にそこをカットできないと、作品はふやけたものにしかならない。原作に人気があってもアニメはコケてって例は多いけど、これはやっぱマンガのアニメ化としてはかなり理想形に近い演出で作られてるのは間違いないのである。井上敏樹の脚本の回だけはふやけてるけど(^o^)。
横山光輝原作・長谷川裕一漫画『鉄人28号 皇帝の紋章』2巻。 新アニメシリーズの辛気臭さ、無意味な勿体つけ、青臭くて鼻につくメッセージ性に比べると、長谷川さんの「まんが」っぷりには感動すら覚えてしまう。正太郎、ちゃんと「探偵」してるしさ(アニメ版の正太郎は慨嘆するばかりで冷静さがない)。「なぜオックスは飛べないのか?」なんてセリフ、ゾクゾクするよ。ロボットバトルロイヤルも次巻はいよいよ大詰めになりそうな予感。鉄人・オックスのタッグ対ギャロンか? これは燃えるぜ!
和田慎二『スケバン刑事』(完全版)2巻。 描き降ろしカバー、海槌麗巳が随分優しい表情になってるけど、これって『if』を書いた「後遺症」かな?(^_^;) サキも今描くとかなり「カワイイ系」に近くなってる。連載当時ですら古臭い絵で、説明的なセリフは多いし、キャラの底は浅い、正直つまんないマンガだったんで、少女マンガ誌じゃなきゃ目立ちもしなかったろう。それでも今巻の『無法の街』とかは好きなエピソードだったな。町ぐるみ排他的ってとこは、実際あるしね。
島本和彦原作、『逆境ナイン』の実写映画化が進行中である。 原作者の島本さんのHP『島本和彦外伝』の本日の日記で、その撮影現場の様子が“熱く”レポートされているのだが、ちょっとサビシイ気分になってしまったのは、「原作のマンガが現在手に入らないのが申し訳ないが」とか、「エキストラの女の子の99.999%は原作マンガなんて知らないんだろうなあ(笑)」なんて自嘲的に書かれているあたり。 ごく一部の島本和彦ファンが撮影現場にも来ていて、島本さんに気付いてサインを求めてきたのだが、そのあと「あれは誰?」とばかりに「島本和彦なんて知らない人」までもが我も我もと押し寄せて、「団扇だとかTシャツとか帽子とか携帯の電池入れ(を外した裏)だとか紙コップを開いたもの」にサインを求めたのだという。これにまた島本さんが腹を立てもせず、いちいち全部サインしてあげてたというのだから、もう泣けてくるじゃないか。島本さん、「あの場所ではアレが楽しかったからやったのだ。漫画家はそれくらいしか感謝の気持を表せないからなあ」なんて書かれてるけど、別にエラぶった人でなくたって、これは断っても当然のことだ。感謝って、自分のファンでもない人たちになんで感謝の印を見せるんだよ。いい人過ぎるよ島本さん(+_;)。紙コップに描いてもらったサインなんて、そいつ、ウチに持って帰ったら捨てちゃうに決まってるじゃないか。 なんかすごくアタリマエなことを書くのは気が引けるのだが、サインって、憧れの人のものをほしがるものじゃないのか? たとえ有名人であっても、別にファンでもなんでもない人のサインをもらって嬉しいのか? シティボーイズのギャグで「海老名みどりをおっかけてどうする」ってのがあったけど、「有名人ならそれでいい」っていう態度、例えば「宅間守のサインが欲しい」ってのと同レベルで「島本和彦のサインが欲しい」と言ってるのに等しいんだぞ(ここで「宅間守のサインなら欲しいよ」とか突っ込む人、アンタは帰れ)。 昨年だったか、私は天神で、歌手の白井貴子のサイン会に偶然出くわしたことがあった。実は私は、学生のころ、彼女のコンサートに一回だけ行ったことがある程度のファンではあった(^.^)。すんごい小さい方なのだけれども、いつでも可憐でパワフルで、今でも好きなことは好きなのだ。けれども、最近はCDも買っていないので、これで「ファンでござい」とサインの行列に並ぶのはあまりにも失礼だと思った。たとえあちらにファンかそうでないか気が付かれないとしても、サイン欲しさに「フリ」をするような下劣なまねはしたくない。別にカッコつけでも何でもなく、自然にそう思うのだ。結局私は、白井さんのトークをちょっと聞いただけでその場を離れた。 『逆境ナイン』のコミックス、とうに絶版になっている(つか、キャプテンコミックス自体が全部入手不可能になっている)。マンガがアニメ化されたことだって殆どない(『炎の転校生』がオリジナル・レーザーディスク・アニメになったくらいだが、レーザーディスクがまだ普及してないころで、これがもののみごとに売れなかった。製作したガイナックスは大馬鹿である)。一般に島本さんを知らない人がいるのもムリはない。 けれど、一般人は知らないかもしれないけれど、もしも誰か評論家が本気で「現代マンガ史」を編もうとしたら、島本さんは絶対に外せない人なんだぞ(と思うんだけどなあ)。パロディでコメディを描くマンガ家さんはそれまでにもたくさんいたが、“パロディでストーリーマンガを描く”なんてスタイルを発明していきなり確立しちゃったのは、島本さんが殆ど初めてなのである。“エポック・メーキング”な人なのだ、島本さんは。それなのにご本人自身が謙遜するように「知られてない」みたいなことを仰るなんて……嗚呼(TロT)。 だから逆に、この映画がきっかけになって、コミックスの復刊とか、そういうことがあったらなあと思うのである。もっと知られよ島本和彦。羽住英一郎監督、もしかしたら“それを狙って”『逆境ナイン』を映画化しようと企んだのではなかろうか。ともかく原作に惚れこんでいなければ、数ある島本マンガでもよりによってコレを「映画にしよう」なんて発想は、絶対にありえない。なんつーかね、野球マンガのフリしてこれ、ぜんっぜん野球マンガじゃないんだから。 梶原一騎的“やればできる”精神主義を、本質的にはただのヘタレな連中にあえて語らせて「ズレ」を生じさせてギャグに落とす。「逆境に燃える」のは分かるけど、実力が伴わなきゃ、普通は絶対勝てないもんだ。つまり、こういう「勘違いな連中」が、ストーリー展開としてはケチョンケチョンにやられて終わり、というのが「これまでのギャグマンガ」の笑いどころだったわけだ。 ところがこのマンガではそれをムリヤリ「勝利」に持って行くという、ありえないことをやらかしてるんだね(^o^)。登場キャラクターたちはみんなその「勝利」に感動してるんだけど、読んでる方はただひたすら「唖然」である。 これは実は、ジャンプ的「友情・努力・勝利」の完全否定なんだね。当然この観念も梶原一騎の影響下にあるもので、彼らの勝利は「真の」友情の結果でもなければ、「真の」努力の成果でもない。どんなに「それらしい燃える言葉」が羅列されようと、彼らの勝利は「なぜか勝ってしまった」としか言いようがないものである。客観的にヒレツな行為ですら、登場人物たちの“誰一人として”ヒレツだと思わなければ(つか、「堂々と言い放って」言いくるめられれば)何となく許されてしまう。主人公の不屈闘志の「堂々としたヒレツ」なキャラクターに、ほかのキャラクターたちが全て巻き込まれて「洗脳」されていってしまい、結果的に「誰もがヒレツだけど立派に見えてしまう」という、トンデモない世界が現出してしまうのだ。散々非道なことやっといて、「それはそれ!! これはこれ!!」と堂々と言い張るようなもんで(ちゃんと作中でそう言ってるのである)、基本的に詐欺と変わらんのだよなあ、このマンガ(^_^;)。 でも、だからこそ面白い。梶原一騎的熱血スポコン漫画だったら、こいつらは真っ先に「粛清」されてしまう軟弱キャラだ。だって、こいつら、基本的に精神主義ではあるけれども、カジワラ的な「修行」はしてないから。つか、カジワラの修行にだって実は意味なんてなかったのだが、その「無意味な修行」がなぜか結果を出してしまうという点をパロディにして最後までそれを押し通しているのである。彼らは「自分たちは軟弱ではない」と「根拠もなく」思いこむことによって、ただ勝利していく。結果的にそこでは友情も努力も、そして勝利の価値さえも無化されていく。島本マンガの本質は「燃える無意味」なのであり、「勘違い人生でどこが悪い。みんな勘違いして生きてんだ!」という堂々たる主張なのである。もっとも、キャラクターたちはみんなバカなので、自分たちの行動が客観的にどう見えるか全然自覚してないが。 ……まあ、ホントに「努力が大切」と信じてる人には嫌われるし、人気は出ないわな、こういうマンガ(^_^;)。でも、羽住英一郎監督は島本マンガの本質をちゃんと「分かってる」と思うのである。でなきゃ、サカキバラ・ゴウ役にココリコ田中を起用したりしませんて。まあたいていのマンガファンは藤岡弘、(「、」を忘れないでね)のイメージでサカキバラを見てるとは思うんだけど、藤岡さんに演じさせたら藤岡さん自身のセルフ・パロになっちゃうから、それはあまりに失礼というものなのである。藤岡さんはいつだって真剣にヒーローを体現すべく努力されているのだから、ファンを自認する者ならば、たとえそれが「藤岡弘、探検隊」であろうが決してツッコんじゃいけないのである。
2003年09月25日(木) 文化の分化/『浪花少年探偵団』(東野圭吾・沖本秀子)/『探偵学園Q』12巻(天樹征丸・さとうふみや) 2002年09月25日(水) まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか 2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき) 2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか
| 2004年09月24日(金) |
週末だけど週末じゃない/『なんてっ探偵アイドル』18巻(完結) |
もう出勤してくれなくていいのになあ、と思っているとやっぱりしぶとく出勤してきたトンガリさんであるが、なんか反省したかというともちろんそんなことするわきゃないのである。それどころか、私が出した資料について、「ここんとこがおかしいのではないか」と文句を付けてきた。 あのさあ、そこんとこはね、アンタが資料提出してくんなかったから、私が調べて訂正したとこなんだよね(-_-;)。そのこと、会議の席上でも言ってたのに、何も聞いてなかったんだなあ。つか、聞いていてもトンガリさんのつるぺたな脳みそでは理解できなかったに違いない。なるほど、会議に出たがらないはずである。 この分だとトンガリさん、この先またどれだけミスをするか見当もつかない。完璧な人間なんてものはいないが、かと言って、ここまで無能なのがハッキリとした人間もそうはいない。これで堂々と給料貰ってるんだから、全く、世の中をナメて生きてく人間も増えようというものである。
仕事の合間に、職場の若い連中と、映画の話などで弾む。 アタマの回転はそんなによくはないのだが(^o^)、やたら映画が好きなやつがいて、月に数本は映画を見に行っている。若いやつらの財政状態を考えれば、これは充分「映画ファン」と称してよいくらい、見に行っている方だと言えるだろう。 最近は『ヴィレッジ』を見に行ってきたそうだが、ちゃんと「マナー」を守って、見てない連中がいる前ではオチを言わない。この程度のことも守れないヤカラが多いことを思うと、なんだかすごく貴重に思える。 お喋りしているうちについつい気分が高揚してきて、 「映画も本もさあ、世間の評判とか人の批評とか気にしなくていいんだよ。自分が面白いと思ったものは、ほかの誰が何と言おうと好きだって言わなきゃな」 とか、エラソウなことを言う。でも実際その通りなんで、一つの映画を「語り尽くす」ことなんて、もともと不可能なことだ。結局、人は自分の知る限りの範囲でしかものが見えない。自分の「限定された知識と教養」に基づく視点でしかモノは語れないのである。意見が対立する、というのは、実際はお互いの「視点」が違っているに過ぎない場合も多い。だから、事実誤認による勘違いなどは除いて、よっぽどのことがない限り、映画の感想で「間違って」いることなどはありえない。だから、自信を持って映画を語って構わないのである。
仕事のないしげ、定刻通りに迎えに来る。 しげ、今日のカウンセリングで、担当のカウンセラーさんに本を勧められたとか。 タイトルは、『高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て』(吉田友子・著)というもので、どうやらカウンセラーさんは、しげの病気はこれではないか、と考えていらっしゃるらしい。 私には「自閉症」の知識は殆どない。単なる「ヒキコモリ」ではなく、脳の疾患かなんかだったような、ってことをなんとなく聞いたことがあるが、そう言われてみると、しげの症状に当てはまるような気もしてくる。カウンセラーさんは私にもこれを読んでほしいような感じだったらしい。しげは「専門家でもない人間がそういうの読みたがるのってヘン?」と聞いてくるが、別にヘンでもなんでもなかろう。「人間」に興味のある人なら誰でも一度は心理学関係の本に手を伸ばすものである。 しげがすぐにでもその本を買いたいと言うので、「ダイヤモンドシティ」に行く。 回転寿司屋で食事をしたあと、「フタバ図書」へ。ここは本の検索ナビがあるので、特定の本を探すのには便利である。面積や書籍数だけでなく、こういうサービスがあるかないかでも本屋の差は生じてくる。ほかの本屋に比べて紀伊國屋やフタバ図書をついヒイキしてしまうのも、検索ナビがあるって点が大きいのだ。 フタバ図書では目的の本が見つからなかったので、とって返して博多駅に向かう。 いつもは本屋を何軒も回るのはめんどくさがるしげなのに、今日はえらく積極的だ。こういう積極性がどうして家事に向けられないのか不思議なのだけれども。 紀伊國屋では、本は一発で見つかった。ここで見つからなかったら、天神あたりまで足を伸ばすしかなかったのでホッとする。……そう言えば天神の「本屋戦争」、状況はどうなっているのかな。書籍数ではビルまるまる一つが本屋の「ジュンク堂」が筆頭だろうが、本の数が多いからと言って、必ずしも勝負が決するわけでもない。裏通りのジュンク堂より、三越の「八重洲ブックセンター」や福ビルの「丸善」、天神コアの「紀伊國屋」の方が客は入りやすかろうし。もっとも私が天神で入る本屋は、「福家書店」と「アニメイト」が専ら。天神くんだりまで出て、なんでわざわざ普通の本屋に入らなきゃならんか。……あー、でも「まんだらけ」と「とらのあな」はやや避けてます。だって雰囲気、暗いんだもん。
金曜日の夜はたいてい映画に行くのだが、明日が休日出勤かつ早朝出勤の予定なので、早めに帰ることにする。本もたくさん買いこんだし、結局夜更かしすることになるとは思うのだが(^_^;)。
読んだ本、ハイ・コンラッド『名探偵はきみだ 証拠をつかめ』。 『2分間ミステリ』に代表される推理クイズ集の一冊。前書きで「かなり難しいトリックです」とか、作者が威張って書いてたんで、ちょっと期待したんだけど、実際の出来はごく普通。クイズ集なのでかなりムリなトリックもあり、「この程度のレベルだろう」と目算を付けて読んで行けば、殆どのトリックは見破れる。ミステリマニアならこれをもとに「もっといいトリック」ほ思いつくことも可能だろう。やっぱこんなクイズ集じゃなくて、一冊まるごと「小説」を読んだほうがオモロかろ。
マンガ、奥田ひとし『新天地無用! 魎皇鬼』7巻。 車椅子の少女が絵本作家になるまでを描く42・43話とか、『天地』シリーズがまさに旬のころに読んでたら、すごく感動したと思うんだけど、なんかもう今更って感じね。つか、『天地』でやんなくてもいい話じゃんか。奥田さん、こういうの描ける実力あるんだし、もう『天地』から離れてオリジナルマンガ描いた方がいいと思う。初期のころはアニメの絵にできるだけ近く描こうとしてたけど、今やレッキとした「奥田絵」にもなってんだから。
井上敏樹・北崎拓『なんてっ探偵アイドル』18巻(完結)。 ああ、やっと終わった。アイドルで探偵というシチュエーションと、北崎さんの描く女の子の絵が昔から好きだったから、ともかくも買ってきたのだけれど、まさかここまで続くとはねえ。でもラストはアキラたちのネクスト・ジェネレーションも登場して、それなりに感動っぽくまとまったので、まあいいか。「アイドルはいずれ衰え、消えゆくからこそ真に美しい」ってセリフ、陳腐ではあるけど真実だ。このセリフが聞けただけで充分満足。
『MIND GAME』のSTUDIO4℃が製作するインターネットアニメーション『きまぐれロボット』、表題作ほか、星新一のショート・ショート10本をYahoo! JAPAN内の特設サイトで無料配信して、その後DVDとして販売するとか。 無料配信するんだったらそのあと売れるんかい、という懸念がないわけでもないが、星新一だしなあ、STUDIO4℃だしなあ、音楽も『MIND GAME』のときと同じ『山本精一と不思議ロボット』だしなあ。 オレ、うっかり買うかも(~_~;)。 少なくとも、製作したアニメの9割が実は駄作というガイナックスの『小松左京アニメ劇場』よりは絶対に面白くなると思うんである(『王立』とか『エヴァ』とか、傑作は数本しかないぞ、あそこは)。ああ、思い出すに、ありゃひどかった。ビデオ買ったけど。 声優はインパルスの板倉俊之と、タレントのMEGUMIの2人だけ、全作二人芝居の形式で行くってことだけど、『鉄腕アトム』出演時のMEGUMIの声聞いてるとさあ、不安が・ちょっと・ねえ(^_^;)。ニュース記事じゃ「MEGUMIが声優に挑戦」とか書いてるけど、『アトム』はMEGUMIにとっては「なかったこと」になってんのか? 今度のも結果的に「なかったこと」になっちゃわなきゃいいけど。……いや、あの子は決してチチだけの子じゃなくて、タレントとして才能はあると思うけど、声優道はあまり修行にゃなんないと思うんだけどねえ。
ゲームにはもうとんとご無沙汰なんで、そっち方面の「カン」はすっかり鈍っているのだけれど、年内発売が予定されている任天堂の新ハード、ニンテンドーDS、これは買うべきなのか買わざるべきなのか、いったいどっちなんでしょ? セガサターンの二の舞になんなきゃいいんだけどねえ。 気になってるソフトがひとつあって、セガがこの新機種に参入するタイトルのひとつで、『きみのためなら死ねる』というもの。思わず「岩清水」(もちろん『1・2の三四郎』の方である。アレまでまさか「探偵マンガ」になるとはなあ)を連想した方はもう相当なご年配(^o^)。 次々に訪れる彼女の危機を、タッチパネル機能など様々なDSの機能を使って救っていく「恋愛?ゲーム」だそうな。……気になりはするけど、プレイして行くうちにだんだん引いてきゃしないかなあ。タイトルからして、プレイヤーそっちのけでキャラが勝手に暴走して行きそうだし。救おーが救うまいが、どーだっていー、って気持ちにさせちゃうとコケるんじゃないかなあ。
2003年09月24日(水) クノイチのミノウチ/『新天地無用!魎皇鬼』5巻(奥田ひとし)/『全日本妹選手権!!』5巻(堂高しげる)ほか 2002年09月24日(火) チチに弱い男ばかりじゃねーぞ/『アフター0 著者再編集版』3・4巻(岡崎二郎)ほか 2001年09月24日(月) 荒らしを起こして♪/DVD『マジンカイザー』1巻/『KUNIE』1巻(ゆうきまさみ)ほか 2000年09月24日(日) ○○と○○はどちらが臭いか…汚ねえな/『いつも美空』1巻(あだち充)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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