無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年07月13日(火) オタクでなくとも旧作は見よう。

 こないだダイヤモンドシティに行った時に、冷風機を買ったのだが、しげの寝部屋に設置されたそいつの恩恵に未だあずかっていない。居間にも一応、クーラーがあることはあるのだが、長年フル稼動させてきたせいで、「効き」がイマイチなのである。

 今日も残業。予定されてた居残りで、トンガリさんとも関係がない仕事なので特に文句はないのだが、昨年よりいくつかの役職から解放されているというのに(別に降格されたわけではない)、仕事自体は増えて残業する日が連日、というのは納得がいかないのである。ともかく雑事が増えたね。私の仕事は基本的に立ち仕事なのだが、ここんとこ、パソコンに向かって座ってる時間の方が長いのである。そのうち本業が何か忘れちゃうんじゃないか。……ちょっと忘れたいかな(T∇T)。


 『特撮エース』No.4、実はそんなに熱心に読んでるわけじゃないんだけど、もう4冊目も買ってしまいました(^_^;)。『ウルトラマン THE FIRST』もどうもねえ。
 どっちかと言うとコラムとか記事が楽しみで読んでるところがあって、とり・みきさんの『とりが見た!』なんか、実にイイコトを言ってくれている。「2004年というのは、後年、語り継がれる年になるかもしれない」というのは今現在でも強く感じるところである。特撮系で『CASSHERN』『キューティーハニー』『ハットリくん』『ローレライ』『鉄人28号』『デビルマン』『ゴジラFINALWARS』、アニメで『イノセンス』『スチームボーイ』『ハウルの動く城』と大作、話題作がつるべ打ち、なんて年は空前絶後だ。もちろん、その出来云々について、「ちょっとどうもな」と思う面がないわけではないが、『CASSHERN』や『ハニー』にしたところで、映画スノッブや自称「濃いオタク」が貶すほどヒドイ出来、というほどのものではない。『ハニー』はともかく(^_^;)、『CASSHERN』のヒットが「宇多田夫効果」だけではないことは確かだ。
 とりさんが書かれている通り、じゃあ、我々がかつて見てきた特撮、アニメが現在の作品よりはるかに優れていたかというと、そんなことはない。『ゴジラ』第1作にしたところで、人間ドラマ部分の絵作りは、旧来の日本映画に多かった単調で古色蒼然とした正面バストアップの切り返しが多く(小津安二郎かい)、特撮部分と比較した時の違和感は拭えない。バストアップは「人間」を描くには効果的だが、怪獣映画は基本的に「世界」を描くものであるから、「人間」はジャマになることがしばしばなのだ。宝田明と河内桃子と平田昭彦の三角関係は要らなかったと思う。芹沢博士が犠牲になる理由はそれがなくても成立するし。
 「怪獣映画にも人間ドラマを」というのは、オタクのくせに一般作品だのゲージュツ作品だのに対するコンプレックスがあるものだから、自分の好きな作品であるにもかかわらず、堂々と誇りを主張することのできない根性なしのタワゴトに過ぎない。怪獣映画だからと言って、人間描写が不自然であってはならないのだが、人間をドラマの中であえて機能させる必要はないのである。他のシリーズとは一線を画する第1作にすら、その「腰砕け」は見受けられるから始末に悪いのである。
 シネマスコープになってからはそのあたりの違和感は軽減したが、今度は脚本自体がどんどんおちゃらけていった。『三大怪獣』もなあ、あのラストのゴジラ・モスラ・ラドンの会話さえなけりゃあなあ(~_~;)。正直な話、ゴジラシリーズを、今まで全く怪獣モノを見たことがない普通の若い人に「見ろよ!」と勧める勇気は私にはない。恥ずかしいからではなくて、マトモな感覚の持ち主ならばあんなのがツマラナイのは当然だからである。馬鹿馬鹿しさ、つまらなさの楽しさを喜ぶ感覚(馬鹿にして楽しむのではないぞ)がなけりゃ、怪獣映画のようなイロモノ・ゲテモノを楽しめるはずがないのである。
 平成シリーズ以降は、またぞろ沢口靖子や峰岸徹や土屋嘉男や阿部寛に(この役者さんたち自体は好きなのだが)ヘボな演技をさせて、せっかくの怪獣映画をだいなしにしてくれていたが、怪獣だけでドラマを作ることができない製作者たちの力不足なのである。人間はせいぜい怪獣バトルをお膳立てする程度のただの傍観者でいいんだってば。
 こんな具体例を挙げていけばキリがないのだが、いつの時代でも珠玉の作品よりもクズの方が圧倒的に多いのは事実なので、昔の作品を若い人に見せたいと思うときには、「面白いところもあるけれど、今見ると古臭くてつまらないところは当然ある。けれど、だからといって、今見ても面白いところを無視していいことにはならない」と注意することが必要だと思うのである。その上で「妥当な評価」というものを求めたい。それが、とりさんの書いてる「『バット・グッディーズ』(=過去を全く知らない若い人たちが聞いても感銘できる曲)は確実にある」という言葉に繋がっていくことだと思うからである。
 『ゴジラ』シリーズは確かにかなり「イタイ」。けれどあの、怪獣たちが街を破壊し、全ての希望を蹂躙していく悪魔の所業とも言える行為に、我々は人間の浅墓な知恵を越えた絶対的な運命の力を見出し、喝采を送ってはいなかったか。我々はなぜ恐竜型、爬虫類型、昆虫類型の怪獣たちにより心惹かれるものを感じていたのか。植物や哺乳類より、原初的な暴力と性を体現した存在として、我々が無意識のウチに怪獣たちに「その形」を求めていたからではなかったか。怪獣映画の「見所」は決して少なくはないのである。
 だから、若い人には「古い」というだけで旧作を敬遠しないでほしいのである。『ウルトラシリーズ』が、『怪奇大作戦』が、『ゴジラ』も『ガメラ』も、みなDVDで見られる時代になっているんだから。
 だいたい、我々だって、親から聞いて「面白いぞ!」と言われた映画なんかを後追いで見て、感動してきたクチなんだから。クロサワだって、MGMミュージカルだって、親の薫陶を受けてなきゃ見ようって気にはなっていない。中村獅堂の『丹下左膳』の新作が面白かったのなら、ぜひとも大河内伝次郎の左膳や大友`柳太朗の左膳も見てほしいのである。チャップリン、キートン、マルクス兄弟は、今見たらまるで見るに堪えないか? もしそう断言する若い人がいたら、そりゃ人間として何かがケツラクしてるとしか私には思えないのである。


 連日のDVD三昧、今日は『みんなのうた』を9集まで。実はこいつも一曲ずつコメント付けてコンテンツに挙げたいと思っているのだが、いったいそんなことが可能なものなのか、見当もつかないのである。


 既に2億ドル(約215億円)の予算を注ぎ込んでいて、未だに制作開始の目途も立っていない映画『スーパーマン5』、一度は監督を引き受けた『チャーリーズエンジェル』のMcG監督が降りてしまった。ティム・バートンやら、ブレット・ラトナーやら、いずれも製作開始までこぎつけての降板ばかりだから、ムダガネがここまで膨らんだのも当然なのである。映画が公開された時はこのムダガネ分も当然のように計上されて「製作費○億ドルの超大作!」とか宣伝されるものだから(『スタートレック』第一作の時がそうでしたね)、みなさん、騙されないように(^o^)。
 McG監督が降りた理由は、予算削減のためにニューヨークでの撮影を拒否されて、オーストラリアで撮れ、と製作元のワーナー・ブラザースに命令されたからだ、と説明しているそうだが、確かにこれだけ待たされた新作スーパーマンが、お膝元のアメリカを舞台にしているのではなく「オーストラリア出張編」では、あちらのお客さんは拍子抜けだろう。日本出張編だったら完全にイロモノになるな。「製作費○億ドルのイロモノ」ってのも見てみたい気はするが。
 ワーナーは、次の監督に『アルマゲドン』のマイケル・ベイ監督や、『X‐MEN』のブライアン・シンガー監督に打診しているというウワサである。けれど、まあマトモな感覚の持ち主っつーか、リコウな監督ならば、普通、こんな自分のキャリアを下げることが分かりきってるような「ババ」は引かないものだ。逆を言えば、この期に及んでもなおコイツならババでも平気で引くだろうって思われてる監督ってのが、アチラの業界でどんな見られ方をされているのかが分かる、ということでもある。……『X‐MEN』は1も2も好きなんだけどねえ。実力が買われてアプローチされてるってわけでもなさそうなのがどうにもねえ。つか、シンガー監督が候補に挙がってるってことは、ハル・ベリーが出る出ないでモメてた『X―MEN3』はやっぱり頓挫したってことなのか?
 どうもウワサに踊らされてやたらヤキモキさせられるのは居心地が悪いのである。もういっそのこと『ジャスティス・リーグ』を実写化しちゃってよって。

2003年07月13日(日) 虚構に生きる人々/DVD『プリンセスチュチュ 雛の章』/『Go West!』1巻(矢上裕)ほか
2002年07月13日(土) 病院への長い道/『エンジェル・ハート』4巻(北条司)ほか
2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか


2004年07月12日(月) 「似て非なるもの」の休止

 休日明け、いきなり世間は夏である。と言うのも、先週末までは鳴き声ひとつ聞こえなかったセミの野郎がいきなりワシャワシャ鳴き出したからだ。なんかねえ、セミは成虫になって2週間で死ぬってえからねえ、言ってみりゃ、毎年我々は「断末魔」の合唱を聞かされてることになるのだけれども、だからって涼しくなるどころか、ひたすら暑苦しく感じるだけなんだから、なんだかもう、サッサとくたばって欲しいって気になってくるのである。中にゃ、10月近くまで鳴いていて越冬するんじゃないかってくらいしぶといセミもいるからね。
 岩波文庫の『イソップ寓話集』を読むと、巷間知られているところの『アリとキリギリス』の話は『蝉と蟻たち』となっている。『伊曽保物語』でもそうで、もともとは「セミ」が正しい。
 原話の母国であるギリシアにはセミがいたのだが、これがフランス、ドイツに伝播した時に、コオロギやキリギリスに変更されたものだとか。(詳細は右サイトを参照のこと→http://www.geocities.co.jp/Bookend/9563/grasshopper/Grashopper.html
 ロシアじゃ「トンボ」だってえけど、トンボって鳴くのかよ。いやまあ、羽音なんだろうけど。日本とロシアとじゃ、トンボの種類も違うんだろうか。トンボならまだしも、蟻とセンチコガネ、蚊とミツバチ、雌鶏と狐になってる例もあるらしいが、センチコガネは働き者じゃないってことなのか。よく分からん感覚なのである。
 日本にはコオロギもキリギリスもいるけれど、もともとセミだっているわけだから、「蝉と蟻」でもよかったような気がするが、「遊び人」のイメージはセミよりキリギリスだったんだろうかね。美しい音色を聞かせてくれるキリギリスより、クソやかましいセミが懲らしめられる方が日本人としては溜飲が下がる気がするのだが。


 気がついたら、曽我さん家族が再会してて、選挙も終わっちゃってたけど、なんだか全く何の感慨も浮かばないのである。
 「事件」には興味を引かれても、もともと「政治」にはとんと目が向かないタチではあったが、もう拉致云々については、何がどう動こうと政治屋さんたちの稼ぎのネタにしかならないんじゃないかとシラケちゃってるのである。
 曽我さんとジェンキンスさんの熱烈キッスの写真がデカデカと載ってる新聞を、車の中で読んでそのままフロントにほったらかしにしてたのだが、しげがイラつくこと。
 「運転してたら、ジェンキンスさんの顔が真正面にあるんだよ。どけてよ」
 なんだか、新聞がジャマっていうより、曽我さんジェンキンスさん二人がジャマって言ってるように聞こえて、随分シツレイな話である。
 

 さて、本日もまた会議だったのだが、トンガリさん、出勤自体しなかった。やっぱり連絡はナシの無断欠勤である。
 前回に引き続き、トンガリさんの仕事の不始末をいかにして解消するか、というのが議題であったのだが、ひととおり資料はまとめて、トンガリさんにも事前に渡してある。トンガリさんがどれだけいい加減な仕事をしてきたのかという資料だから、それに目を通していれば確かにとても顔を出せた義理ではない、というのも当然なのだが、どうせ、目を通さないままただ逃げてるだけに違いないのである。仮に目を通していたとしても、ナカミはケロッと忘れてしまっているだろう。いや、これは私の憶測ではなく、これまでにも資料を渡すたびに説明をしているのだが、次にそのことについて問い質すと、何一つ覚えていなかったこともしばしばなのである。
 なに一つ、自分のしでかしたことについては反省してはいないし、ただその場限りのウソをついてゴマカそうとするばかりなのだが、そうやっていつまで逃げ回っていれば気がすむのだろうか。いや、逃げているという意識すらないのか。
 私も、疲れてるのを通りこして、いい加減イヤ気が差してきているのだが、上司はいつまでこのイカレたすっとこどっこいを放置しておくつもりなのだろうか。私はもうそろそろ手を引きたいんだけれど。


 それでも今日は定時に帰れそうだったので、迎えに来てもらえるかどうか、しげに連絡を入れる。
 どうしたものか、電話の向こうでは、しげが妙に上ずった、ラリった声をあげている。「きゃあ」とか「へへへ」とか、心ここにあらずみたいな感じなので、家でも外でも既知外に絡まれるのはちょっとカンベンだぞ、と思いながら、何があったのかと「いったいどうした?」と聞いてみると。
 「なんでもないよ、カメにエサやろうとしたら、フタを中に落としただけ」
 「……誰がお前にエサやっていいと言った!」
 「だって、オレだって、エサやってみたかったんだもん」
 「まさかお前な、『うりゃあ!』って思いっきりエサやって、水濁らせたりしてないだろうな」
 「してないしてない」
 「……ホントだな?」
 「ホントホント♪」
 帰宅して、溶けたエサですっかり濁った水の入れ替えに、私が苦労させられることになったことは言うまでもない。
 
 帰宅してからはずっと、輸入版CDの『Monty Python Sings』と『Eric Idle Sings Monty Python』を聞く。今度の芝居に『Always Look on the Bright Side of Life』と『Sit on My Face』を使うことは決まっているのだが、本当はもう一曲、『Galaxy Song』も使いたかった。しげに「雰囲気合わないよ」と反対されて断念したのだが、私はどっちかというとラスト近くは『Galaxy Song』の気分で書いていたのだけれども。
 CD三昧だったので、読んだ本は寺沢大介『ミスター味っ子�供截唄�だけ。もうアニメ化になることはないと思うけれども、もしなったら、大人になった陽一はやっぱり高山みなみが演じるんだろうか。それとも子供の陽太か?


 春休み恒例の『ドラえもん』劇場版が、「充電」のため来年は休止とか。ちょっと気になるのは、その発表を行ったのが配給元の小学館と東宝で、実際に制作に携わっているシンエイ動画ではないことである。「今春の25本目を節目に1回休み、製作スタッフも入れ替えたい。平成18年には、さらに内容の濃いものを届けたい」と小学館は説明しているそうだが、まさか、他のプロダクションに作らせる、という意味じゃあるまいな。
 確かに、藤子アニメはシンエイ動画の専売特許というわけではない。これまでにもスタジオぎゃろっぷやマジックバスが『キテレツ大百科』や『SF短編シアター』をアニメ化している。『ドラえもん』のアニメ自体、旧版は「日本テレビ動画」の制作である(覚えてる? 富田耕生や丸山裕子の声の「ドラえもん」)。東宝と小学館が他のプロダクションに制作を発注する可能性がゼロだとは言えないのだ。
 ……オトナになったことの何がイヤかってね、「休養」とか「充電」とか聞くと、「裏に何かがあるんじゃないか」って、すぐ勘繰りたくなるとこなんだよねえ。で、実際にそーゆーことがあったりするし。シンエイ動画と東宝とがトラブったんじゃないかとかね。
 まあ、テレビアニメはこれまで通り放送されるということだから、多分それは私の妄想なのだろうけれども、毎年『ドラえもん』と『クレヨンしんちゃん』の連続2本の映画興行がどれだけタイトなスケジュールでなされているかは聞き及んでいるので、それでいてあれだけ上質の映画を作り続けているのは驚異であると同時に「息切れ」も止む無しか、とも納得してしまうのである。正直な話、もう「ネタ切れ」だろうと思う。ドラえもんとのび太たちは、宇宙も、空も、海も、地底も、密林も、魔界も、過去も、未来も、ありとあらゆる時空を冒険し尽くしてしまった。これから先、どこへ行こうと大同小異だ。映画上映は旧作のリバイバルでいいから、そろそろドラえもんを「原作通りに」未来に返してあげて、のび太を本当に「成長」させてあげてもいいのではないだろうか。マンガ家を変え、スタッフを変え、声優も変え、アメコミじゃあるまいし、『ドラえもん』がそうやって延々と受け継がれていくマンガであっていいのだろうか。
 もちろんこんな感慨は『ドラえもん』を「昭和の遺産」と見る(それどころか私は、劇場版シリーズ自体、もともと「余燼」としか見ていない)いち読者のタワゴトに過ぎない。これからも『ドラえもん』は21世紀のマンガとして描き継がれていくのだろう。オトナの事情も介在させながら。……けれどねえ、『ドラえもん』の短編を膨らまして長編に仕立てたり、他の藤子作品を「翻案」したり、そういう小手先の「水増し」が続いている状況を悲しんで見ている観客だって結構いると思うんだよなあ。言ったって仕方ないとわかっちゃいるけど、あえて言いたい。
「藤子さんが生きてたらなあ」
 ……終わりどころを間違えて、老残を晒しているアニメの例を、我々は腐るほど知ってるはずなんだけれど。

2003年07月12日(土) AIQ(オタク・アミーゴス・in・九州)始末/DVD『ノストラダムスの大予言』
2002年07月12日(金) ある事件の記憶/DVD『アベノ橋魔法☆商店街』vol.1/『奇妙な論理�機Ν供戞複諭Ε�ードナー)ほか
2001年07月12日(木) 怨念がおんねん(古)/『平成十三年度版 九州怨念地図』ほか


2004年07月11日(日) 水木主義者の至福

 天神須崎公園の福岡県立美術館で、「大(Oh!)水木しげる展」の最終日を見に行く。
 先週の「平賀源内展」にはしげを誘えなかったが、今日は一緒。けれど、筋肉通のしげには、立ちっぱなしの美術館はちょっとつらかったようだ。最終日のせいかお客さんも結構多かったし。
 入口に貼られている水木さんからのメッセージが楽しい。
 「会場に入ったら口を開けて見て下さい。口を開けているときは何も考えていないでしょ。無が入ってくるんです。会場を出るとき口を閉じればいい。ワッハッハ!」
 爆雷で片腕を失うという悲惨な戦争体験をしていながら、こういう境地に辿り着けるというのが最高である。展覧会では、アノ戦争がどんな戦争だったかも、水木さんの自伝・実録マンガを辿りながら追体験できる仕掛けになっているのだが、当然そこには『劇画・ヒットラー』もある。ある意味、自分の腕をふっ飛ばしてくれた諸悪の根源に対して、同情と哀れみを惜しまぬ水木さんの度量の広さ、ものすごさを、いったいどう形容すればいいものか。
 星の煌くほど数あるマンガ家さんたちの中でも、水木しげる、藤子・F・不二雄、永井豪の3人は私の心の中では別格なんだけれども、その中で更に別格、となるとやっぱり水木サンになってしまう。怪奇、恐怖、悲惨、諧謔、諷刺、神秘、幻想、悪趣味、下品、ほのぼの、すっとぼけ、哄笑、悲哀、それらさまざまな要素をないまぜにしたその作風は、唯一にして無二。手塚治虫の模倣者は腐るほど現れたが、ある意味手塚作品よりも人口に膾炙しているとさえ言える水木作品の追随者は、数えるほどしかいない。会場にはDVDで荒俣宏さんと対談している水木さんの映像も流れているのだが、呵々大笑している水木さんって、ご本人が「妖怪」にしか見えないのであった。
 会場に入るなり、その水木さんの等身大人形がお出迎えしてくれるのだから、これは実に怖い。しげは思わず私にしがみついていたが、水木さんの人形ならいきなり動き出してもフシギはないかもしれない(^o^)。
 各展示場に掛けられていた自伝マンガは既刊作品からの抜粋であったが、やはり少年期、デビュー時代のスケッチや自作の絵本など、見慣れているあの「鬼太郎」タッチとはひと味もふた味も違った細密なデッサンやシュールなダリばりのイラストなどが興味を引かれる。「少年天才画家」と称された、というのは決して誉め過ぎではない。
 水木さんの故郷、鳥取県の境港(近年は別のデキゴトでも有名だが)の「水木しげるロード」に展示されている鬼太郎やネズミ男たち妖怪の銅像群もナマで見られた(同じ鋳型から取ったのだそうな)。これでわざわざ鳥取まで出かけなくてすんだな(^o^)。
 「百鬼夜行絵巻」など、妖怪資料も数多く展示されていたのだが、中でも目を引いたのは、ご当地福岡のみの展示で、福岡の妖怪と言ったら何と言ってもこれしかない、という「河童」の図である。福岡は遠賀川の「河童大戦」の伝承は民俗学的にも有名で、その手の話を一昔前なら、近所の「河童爺さん」が子供たち相手によくしてくれていたものである。その、『妖怪図鑑』なんかでもよく見かけていた「河童」の現物が、そしてあろうことか、水木さんもマンガの中にしばしば登場させていた「河童の手のミイラ」がこの福岡の博物館にちゃんと収蔵されていたのである。
 ……ああ、なんだか、「百年の知己」に出会ったみたいで、これ見られただけでも至福を感じちゃうなあ。
 帰りに、売店で図録のほかにTシャツ(ネズミ男柄「金は追いかけると逃げる」のロゴ入り)、を購入、それから「妖怪道五十三次」の手拭いを、これはしげにプレゼント。限定販売のフィギュアは断腸の思いで断念。展覧会はこれからもあちこち回って行く予定なので、他地方の方々、ぜひ御来場あれ。

 4月29日〜 5月30日 鳥取県立博物館 終了
6月 4日〜 7月11日 福岡県立美術館 終了
8月 4日〜 8月16日 神戸・大丸ミュージアム
8月19日〜 8月31日 京都・大丸ミュージアム
9月11日〜10月31日 岩手県立美術館
11月6日〜2005年1月10日 江戸東京博物館
2005年1月15日〜4月 3日 新潟県新津市美術館
2005年4月 9日〜5月22日 北海道旭川美術館
2005年6月 3日〜7月24日 岐阜市歴史博物館
2005年7月31日〜9月25日 高知県立美術館

 しげは、そのあと練習に回ったので(私が参加するのは役者が揃うときだけである。今日はカトウ君が休みなので私も休み)、私は天神を歩いて、博多駅まで。紀伊國屋で予約しておいたDVD、『マルクス・ブラザーズ コレクターズボックス』と新作『鉄人28号』第1巻、『シャレード』(もちろんヘプバーン版の方)、『ベスト・オブ・モンティ・パイソン』を入手。
 『マルクス』はMGM時代の六作品に特典映像218分を加えた決定版ともいうべきもの。最終作『ラヴ・ハッピー』が収録されてないのは残念だけれども、これは確か版権が別になってたんだっけ。「マルクス」で見てないのはこれだけなんで、どっかではやいとこDVD化してほしいもんだ。
 『モンティ・パイソン』と名のつくDVDはこれですべて入手。こうなると最後に残る『ライフ・オブ・ブライアン』をぜひともDVD化してほしいものである。もちろん。日本語吹替版付きで。

 帰宅してみると、アマゾンに注文していた『モンティ・パイソン』のCDも届いていた。おかげで一日中、DVDとCD三昧。「Always look on the bright side of life」をなんとか日本語訳してメロディーに乗せられないかと思案するが、うまくいかずに断念。誰かどっかのサイトでそういう試みしてないものかな。


 夕方、練習の終わったしげから連絡。
 映画に行こうか、という話だったのだが、鴉丸嬢、其ノ他くんも一緒だというので、みんなでダイヤモンドシティで食事をすることにする。
 手近な食堂に入って各自注文するのだが、夜も遅いのでみんな少食。なのにしげだけが、ダイエットするとかこないだ言ってたような気がするが(いつも言ってるのだが)、平然と角煮丼に生姜焼きセットをガツガツ食っている。あまりその食べっぷりがいいので、私が何を食べたか、思い出せないくらいだ(^o^)。
 食事中だというのに私は私で、飼いはじめたカメを携帯カメラで撮った写真を其ノ他くんに見せて喜んでいる。なんか親バカなオヤジみたいだが、ホントに可愛いから仕方がないのだ。2匹重なって、見栄切ったりするんだぞ、こいつら♪
 「名前は『亀太郎』と『亀吉』になったんだけど、名字はなんかいいのないかな」と言ったら、即座に鴉丸嬢が「『絶倫』と『激倫』は?」と言う。そういうのは名字ってんじゃなくって「二つ名」というのだ(^_^;)。其ノ他くんは「玄武」とカッコイイのを考えてくれたのだが、しげがまた「『遅漏』と『早漏』!」と言い出したので、ワヤになる。
 ……どうでもいいが、ここ、食堂だぞ。声をちったあ落とせ(~_~;)。まあ、名字は掲示板でも募集中なので、もうしばらくは思案することしよう。

 そのあと、「フタバ図書」で、廃墟写真集(当然、志免炭坑竪坑櫓も掲載)『墟』のほか、『アニメージュ』『Newtype』『特撮エース』などを購入。偶然にもカウンターの売り子の女の子が知り合いだったので、私がオタクであることがまたバレてしまったのであった(^_^;)。

2003年07月11日(金) だからそれはラクな意見なんだってば/映画『バトル・ロワイアル�供…炭臆痢淵譽�イエム)』
2002年07月11日(木) 灰色の巨人/『サトラレ』3巻(佐藤マコト)ほか
2001年07月11日(水) 変と変を集めてもっと変にしましょ/『コミックマスターJ』7巻(田畑由秋・余湖裕輝)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)