無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年07月13日(土) 病院への長い道/『エンジェル・ハート』4巻(北条司)ほか

 ここのところ、通院が途絶えている。
 体重の変化はなく、太っても痩せてもいないが、病状もつまりは変化がないということである。つまり決してよかあないってことなんだけど。
 このまま全く検査をしない、というわけにもいかないので、今日こそは病院に行こうと思っていた。
 しげも最近体調を崩すことが多くて、朝夕の送り迎えもままならなくなっている。誰しも一年にいっぺんくらいは悪いところがないか診察してもらったほうがいいのだけれど、しげのように会社に属していない者は、たいていこれをサボる。で、ガンだのなんだのに冒されて手遅れってことになってしまうのである。というわけで、昨日からしげには「お前もついでに健康診断してもらえ」と命令しておいた。
 ……おっと、こんな「妻の身を案じる夫」のフリをしていると、またしげから「偽善者」と呼ばれてしまうな。もちろん、私の思惑は、しげのどこにも異状がなければ、文句を言わせずこき使おうというハラである。

 9時を過ぎてもフトンの中で丸まっているしげに、声をかける。
 「オイ、病院行くぞ」
 しげ、顔も出さずに、恨めしげな声で、「……行かん」。
 「なんでだよ、昨日、行くって約束したじゃないかよ」
 「だって、何て言えばいいのかわからん」
 「健康診断してくれって言えばいいじゃん」
 「それでどこも悪くなかったら、『コイツ、健康なくせに病院に来やがって』とか思われるもん」
 そんな医者がどこの世界におるか。
 要するにしげは病院が怖いのである。
 「注射が怖いんか? 四の五の言わずに行くぞ」
 「アンタ一人で行ってきい」
 またいつもの対人恐怖症である。
 いつもなら、しげなんかほったらかして自分だけ出かけるところだが、いい加減、譲歩してやるのにも飽きた。バカにはバカと、ハッキリ言ってやらねばかえって酷だ。
 しげを少しばかり「優しく」説得する。

 どてぽきぐしゃ。

 予定より2時間ほど遅れたが、「説得」が功を奏して、しげ、出かけることをしぶしぶ承知する。……全く、病院に行くまでに体力気力消耗させやがって、グスグス泣くんじゃねえ、どうせ行ったら行ったで、開き直って受診するに決まってるくせに。
 案の定、行き付けの病院に出発したときにはしげの涙もすっかり乾いていた。
 病院に着いた時には、もう11時を回っていたので、待合は結構混雑。
 散々待たされて、尿検査と採血。採血の結果はすぐには出ないが、尿の結果はいつもと変わらず悪い。ここんとこまるで運動してないしなあ。診察してくれたのは、かかりつけの先生ではなくて院長先生。時間帯がズレたので交代したのか。
 「あの、最近、腕がよく痺れてるんですけど」
 「両方ですか?」
 「いえ、片方だけです」
 「じゃあ糖尿のせいではないですね」
 「……寝違えただけですかね」
 「そうでしょう」
 ちょっと疑心暗鬼になりすぎた感じだったが、かと言って油断して食べすぎないように注意はしなければなるまい。前回の検査結果も相当悪いのである。
 しげは心電図まで取られたそうだが、どこといって故障はなかったとのこと。
 と言うことは、具合が悪いとしょっちゅう言ってるのは、仮病かダラクサ(=ナマケモノ)なのかどっちかだな。
 このやろう、思いっきりこき使ってやるから覚悟しろ。~凸(-~~- )

 しげ、「ねえ、オレがどこも悪くなくてガッカリ?」と出かける時の泣き顔はどこへやら、ケロッとして聞いてくる。
 呆れて「バカ」とだけ返事。それ以外に答えようがないわい。


 コンビニで『週間文春』を立ち読みしたら、小林信彦さんが『人生は五十一から』でヘンリィ・スレッサーが今年の4月2日に亡くなっていたことを書いていた。ああ、その死亡記事は見逃してたな。
 スレッサーと言えば、『怪盗ルビィ・マーチンスン』。小林さんはこれを「ぬるい作品」と評し、「こんなのを載せてたから、『ヒッチコックマガジン』は潰れた、と人から言われた」ことを書いているが、代表作と言われる『ママに捧げる犯罪』よりも日本で一番人気があったのが、この『怪盗ルビィ』であったのだ。だって私ですら読んでるし(つーか、これしか読んでませ〜ん)。
 しげは読んで「つまんない」って言ってたけど、自分では大泥棒のつもりなのに、何をやっても“善意”の行動になってしまうってところが洒落ててよかったんだけど。和田誠が映画化したときには、ルビィは女(小泉今日子)に変えられたけれど、これが『ヒズ・ガール・フライデー』の故智に倣ったことは一目瞭然だし、ルビィというキャラクターがより可愛らしくなっていて、これは成功だったと思う。
 映画化に合わせて、文庫カバーが私の好きな画家さんである楢喜八さんから小泉今日子の写真に変えられちゃったのは残念だけど。映画の宣伝をしたいときは、オビを付けるだけにしてほしいものである。
 

 DVD『必殺必中仕事屋稼業』、一気に6話から12話まで見る。
 『必殺』シリーズを余り熱心に見てなかったのは『時代劇は必殺』とか言っときながら、全然時代劇じゃなかったからだけれど、こうして通しで見ると、時代劇になってるのとなってないのとの振幅の差が激しいね。
 第八話の『寝取られ勝負』は、下飯坂菊馬脚本、三隅研次監督で、セリフなんかもしっかり江戸江戸してるんだけれど、第十二話の『いろはで勝負』は、もう笑うしかない。半兵衛と政吉が、乱れた遊郭を潰すために中に潜入するのだけれど、味方のフリをするためにでっち上げたソープランドのアイデアが評判取って大繁盛する。でも、当時から江戸にソープはあったんだけど。湯女ってそんな役割だし。奇を衒いすぎると、かえってつまんなくなるものだ。
 江戸の雰囲気出せてないと言えば、おまき役の芹明香、どう見ても現代人。好きな女優さんだから文句言いたかないけど、三隅監督には嫌われてたみたいだなあ。第八話では付け足し的に最後にワンシーン出てるだけだし、第十話では全く出番がない。池波正太郎から始まったシリーズだから、時代劇としてきっちり作りたい人と、おもしろけりゃ何でもアリの人と、スタッフ間でも考え方の違いがあったんじゃないかなあ。
 まあ、バカ時代劇は誰でも作れるんで、時代考証ちゃんとやってくれてる作品の方が私は好きだな。もちろん、「仕事屋」なんて職業が当時なかったことはわかってるけど、その、ドラマ造りのための虚構と、ただのいい加減とはワケが違うからね。だからホントはご新造さんには歯に鉄漿しといてほしいんである。婆ちゃんの世代まではやってたんだから、私には違和感ないしなあ。
 ああ、でも三十年近く前のドラマだから、ゲスト出演者も、相当数の人が死んでるなあ。
 菅貫太郎、和田浩二、菊容子、天津敏、神田隆、真木洋子、東野英心、藤岡重慶、岡田英次、みんな故人だ。しかも、お年だし仕方ないって人がほとんどいないぞ。若死にが多すぎる。ドラマ見てても、なんか切なくなってくるね。


 マンガ、北条司『エンジェル・ハート』4巻(新潮社/バンチ・コミックス・530円)。
 あ、なんだかいきなり日常編に入っちゃったな。
 それも、香と阿香との組織適合性がほぼ同一、という「奇跡」があってこそのことだけど、奇跡の大安売りはどうもねえ。ジャンプ系のマンガ家さんはやっぱりどうしてもハッピーエンドを望むのかね。……だったら最初から香を殺すなよ。ドラマ造りのためにキャラを勝手に使い捨てしといて、後で適当に辻褄合わせするいい加減さ、腹立たないのかね、かつての『シティー・ハンター』ファンは。
 けれど、アクションシーンより日常描写の方がずっとうまいな、北条さんは。細かく書きこんでるし、デッサンはしっかりしてるから、「うまい」と錯覚されてるけど、北条さん、マンガとしては下手なほうだ。細かく描きすぎてるせいでアクションなのに絵が「止まる」こと多いんだよね。まだ『キャッツ・アイ』のころの方が線に伸びがあったぞ。
 こういうほのぼのした展開にしといて、また最終回で阿香が死ぬようなことになったら、本気で北条さんをマンガ家として最低のレッテルを這ったがいいと思うぞ。……怒ってるなあ、オレ。そんなに香が好きだったのか。

2001年07月13日(金) ふ、ふ、ふ、ふ○こせんせぇぇぇぇぇ!/『悪魔が来りて笛を吹く』(横溝正史・野上龍雄・影丸穣也)ほか



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