無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年02月23日(月) 日記書き書き。

 突然できちゃった連休なので、日がな一日、ホームページの原稿書き。短く書こうとしているのに、コンテンツも日記も、なぜかどんどん長くなる。なぜかしら。
 しげも仕事は休みなので一日ゆっくり。夜、映画に出ようかと思っていたのだが、ここのところの疲れが溜まっていたしげが「明日にしよう」と言い出したので、結局一日中、のんべんだらり。こういう一日のほうが、書くことあまりなくて日記に時間がかからなくてすむので助かるのである(^o^)。


 日本映画専門チャンネルで、『他人の顔』『心』など。
 ここのところ毎日朝の時間帯に文学原作シリーズをずっとやってくれているのだが、だいたい1950年代を中心とした映画が多い。思いきり古い谷崎潤一郎製作の『蛇性の淫』とかやってくれないものだろうか。ってフィルム残ってないんだけど。川端康成の『狂った一頁』は現存してるんだから、そういうのに目をつけてくれてもいいと思うんだが。
 『心』は漱石原作の映画化だが、原作に忠実な市川崑監督版ではなくて、現代に舞台を移した新藤兼人監督版のほう。主演が松橋登と辻萬長とでは、漱石の雰囲気は全然ない。
 それまで寝ていたしげが起き出して来て、「なにこれ?」と聞くので「『こころ』だよ。漱石の」と答える。ふと、「おまえは『こころ』を読んでたっけ?」と聞いたら、「途中まで読んだけど、鬱陶しくなったんで後ろは飛ばし読みした」。しげにかかっては漱石も鬱陶しいの一言で終わりである。
 あれは、漱石自身、構成や人間心理に難があったと失敗作であることを認めているし、弟子の芥川龍之介からも「未だし」と斬って捨てられている作品である。国語の教科書などでは古今未曾有の傑作のように紹介している例が多いが、無批判に受け入れているだけではなかろうか。もっとも、面白い部分がないわけではなく、「先生」が「奥さん」に向かって、「お嬢さんをくださいくださいぜひください」「急ですねえ」「急に貰いたくなりました」と迫るあたりの描写は、ユーモリスト漱石の面目躍如といったところである。高橋留美子もここに大ウケしていたっけな。
 しげ、映画を見ながら、「あれ? この二人、『奥さん』を取り合うんじゃなかったっけ?」とまた記憶違い。「未亡人取り合ってどうするんだよ。『お嬢さん』の方だよっ!」と訂正する。

 DVDで『五辨の椿』。これもホームページに批評を書こうと思っているが、原作にかなりムリのある作品なので、ちょっと意あって力足らずの感。


 せっかく昼間は家にいられるのだからと、しげと『牡丹と薔薇』36話を見る。
 先週、後半は見ていなかったが、ぼたん(大河内奈々子)は失恋の痛手から立ち直って、もう新しい男・清原由岐雄(西村和彦)と婚約まで行ってるようである。で、やっぱり香世(小沢真珠)と三角関係になってるのだな(^o^)。
 で、香世は由岐雄に振り向いてもらいたいために、由岐雄の友人で、自分は好きでも何でもない賢太郎に身を任せてしまうのだ。いや、そんなことされても振り向く男はいないと思うが。
 当然、由岐雄の気持ちは変わらないので、香世は処女の上げ損である。効果がなかったと知ると香世は途端に賢太郎を邪険に扱い出す。
 「愛してるって言ってくれたじゃないか!」
 「肉体関係を持ったからって愛しているなんて勘違いしないでよ、この猪野郎! 私はただあなたと寝れば由岐雄さんが嫉妬してくれるかと思っただけなの! 私はあなたが嫌いなの、気持ち悪いの!」
 と、こういうセリフを衆人環視の喫茶店の中で大声で叫んでるのだな。恐るべし香世!
 で、次に香世が取った手は、「私だけが汚れたままなんて許せない。ぼたんも汚れるべきなんだわ!」と言って、友人の不良たちにぼたんのレイプを頼むのである。
 いや、処女じゃなくなったのが汚れたのかどうか、解釈は勝手だけど、自分からしたことでしょう。先週は「許してぼたん!」とか言ってたのに、女の顔はコロコロ変わるなあ(^_^;)。
 いつもそうだが、こういう事態に男は常に無力である。止めろよ由岐雄。
 しげに、「『昼メロ』って凄いなあ」と言ったら、「いつもこんなもんだよ」と平然として言う。いつもこんなの見てるのか。主婦の教育上、頗る悪いと思うが、子供番組の規制を云々する人たちは、一度、昼メロやワイドショーを御覧になってみたらいかがだろうか。

2003年02月23日(日) オタクアミーゴス in 九州 V(ファイブ)��
2002年02月23日(土) トンデモさんが一杯/映画『カタクリ家の幸福』ほか
2001年02月23日(金) 哀愁列車/『ちょびっツ』1巻(CLAMP)ほか


2004年02月22日(日) 久しぶりのネット散策

 寝過ごして、『デカレンジャー』2回目を見損なう。ああ、石野真子のご尊顔を拝しそこなってしまった。土曜の夜の夜更かしは厳禁だな。
 何とか『仮面ライダー剣』から後、『アトム』までは一通り見たけれど、何か物足りない。アトムなんか、ようやくクライマックスに来たのだから、もう少しなんとかなってもよさそうなものなんだけれど、どうにも浅薄な印象を拭えないのである。手塚プロは新作として『火の鳥』を黎明編からアニメ化するつもりらしいけど、下手な作家性を持ちこむのは止めて、原作に出来るだけ忠実に作ってほしいものだ。


 久しぶりに、ネットであちこちの日記やら掲示板やらを散策する。
 唐沢俊一さんの裏モノ日記、まとめて読んだほうが「繋がり」が見えて面白い。「日本に徴兵制なんて敷かれないよ」という意見を読んでいると、ちょっとホッとしはするが、賢しらな人間の予測を遥かに越えるのが歴史というものだから、一抹の不安は残る。恒久平和が幻想であることまでは否定できないだろう。やたら国民の不安を煽ろうとする文化人たちに対する唐沢さんの憤りには共感。
 弟のなをきさんが、劇場公開時からのルネ・クレール版『そして誰もいなくなった』のファンであることも書かれていた。日本公開自体も映画製作から30年が経っていたが、DVD化は更に30年後、その間ずっと幻だった映画である。話題にできる人も少ないというのに、見る人はちゃんと見て面白がっているのだ。「ローランド・ヤングがワトソン役者」ってことにまでちゃんと触れている。いやもう嬉しいのなんの。
 2月20日の日記に紹介されていた、ワシントン大学の調査結果で、「結婚生活が円満に続くのは、相手に対して肯定的な会話が否定的な会話の五倍以上あるカップルであり、この五倍という数字を割り込むと、結婚生活は高い割合で破綻する」というのには笑った。全く、アメリカ人はストレートなことである。多民族国家はそうでなければ成り立たないということも理解できないわけではないが、機微の希薄な関係というのも味気ないことである。
 従来の日本人、特に我々の世代までの場合、このデータはまず該当しない、どころか、全く逆のデータが出ることは間違いのないところだろう。配偶者を誉めるなんて気恥ずかしい行為は死んでもしたくない、という感覚の人間の方が圧倒的に多いのである。実際、この日記でも私が女房を誉めたことなど殆どない。
 ところが、私たちよりひと周りほど下の世代になってくると、この感覚がまた逆転して、どうやら随分欧米化しているらしいのですね。つまりちゃんと「愛してる」と言い続けてくれないと、本当に愛してくれているのかどうか信頼できないという感じで。そういう人たちにしてみれば、私がやたら女房のことを貶すのがどうにも理解できないことであるらしい。
 けれど私にとってはやはり「愛していると言い続けなければならない」家庭のほうが、「愛情」を強制されている自由のないものにしか感じられないのである。つか、夫婦は愛情で結びつかなきゃならないものだなんてこれっぽっちも考えていないから、もともとそんな言葉は不要なのである。
 とりあえずもう十年以上も夫婦続けてきて、これから先も別れる予定はありやせんから、「この人たちはどうしてこれだけいがみ合ってて、なのに別れようとしないんだろう」なんて詮索は、余計なお世話というものです。……てなことも時々日記に書いているのだが、忘れてる人も多いので、改めて書いておきます。


 山本弘さんとこの掲示板も、久しぶりに覗いてみる。
 「SF1000冊読破していない人は語る資格無し」と、言いたいことはわかるが、その挑戦的な書き方から、明らかに煽りであろうと思われるスレッドに、レスがたくさん付いている。
 このあたりの論議ももう私は何十年も前に語り尽くしていて結論を出していることなので(だから、煽りと分かっていても、何かひとこと言いたくなる心情も理解できなくはない)、今更何か意見を言う気にもなれない。けれど、レスの一つに、「SFの話のできる友人に恵まれなかったので、そういう話のできる場があると、つい浅学を顧みず喋り出してしまう」旨の発言があって、ああ、やっぱり時代が違うんだなあと実感させられて淋しくなってしまった。私の学生時代と言ったら、周囲は「そういう先輩や友達」ばかりで、SFにしろミステリーにしろ「基礎教養」として読んでいなければならず、その手の話をしない日の方が少なかったくらいなのだが。私なんぞ、先輩の会話に何とか付いていこうとして、随分トンチンカンな発言をして恥をかいていたものだった。
 ともかく、オタクの輪が広がったとは言っても、彼らの大半は、やはりコミュニケーション不全の状態に陥っている。知識はあっても、ディベートの経験がないから、その知識を相手に「面白く伝える」術を殆ど知らない。相手を思いやる気持ちがないと言ってもいい。トリビアがネタだけの状態ではいっこうに興味を引かないのと同じ(だから濃い薄いはあまり関係ないのである)、あるいはオヤジギャグがシラケてしまうのと同じで、知識というものは、ナマのままでは決して他人の興味は引かない。「演出」というものが絶対に必要になってくるのである。

 ネットの、特にオタク系のサイトに参集する人たちの「痛さ」は、プロアマを問わず、何よりこの「会話不足」に原因があると思う。それが証拠に、表現のおかしさを具体的に指摘すると、たいていのオタクは怒り出すのである。言ってることが分らないから、こちらは「分かりたくて」質問するのである。別にバカにしたわけでもなんでもないから、本当は怒らなきゃならない理由なんて全くない。なのにどうして感情的になっちゃうかというと、会話不足で、日本語に不自由なものだから、こちらの発言の趣旨を汲み取れずに逆恨みしてしまっているのである。……別にそんな意図は全くないのに、こちらが意見を押し付けようとしていると思いこまれてしまったこともあったなあ。こうなると、もともとギクシャクしていた会話が、修復不可能なくらいに成立しなくなってしまう。少し冷静になって考えてみれば、こちらが人間関係を悪化させるために発言しているわけではないことくらい、見当がつきそうなものなのだが、でもその見当がつかないのが「痛いオタク」だってことなのだろう。
 判断力が停止してしまう、人の言ってることが理解できない、そのくせそれが自分のせいだとは考えない、どうしても冷静になれない、自分では気の利いたことを発言している気になっているが、実際にはいつまで経っても話術が洗練されていかない。そういう内容の発言が何十回何百回と繰り返されているのを見れば、これはもうオタクに関わっちゃ危険だと判断されても仕方がないだろう。
 ただ、オタクたちがそうなってしまったことに対しては、同情すべき点もないわけではない。オタクには、オタクであるというそれだけのことが原因で、周囲からいわれなき差別を受け偏見の目で見られ、結果的にそれが強い劣等感やトラウマとなって残ってしまった、という過去を持っている人が多い。その結果、「傷つきたくない」強迫観念が肥大してしまい、ちょっと批判されただけで勝手に自分がバカにされたという被害妄想に陥ってしまうのである。批判と中傷は全く別種のものであるのだが、そんな基本的なことも理解できないくらい、判断力を失ってしまうのだ。
 そこまでイッてしまえば、もう同情しても仕方がない。差別されたことがイタい行為の免罪符になるわけではないのである。SFが文壇から差別されているからと言って、文壇を差別し返せば、やってることは結局同じだということだ。そういう心理状態における発言は、ヨッパライの絡みと同じで、いやらしいばかりである。ヒガミでしかないものを、さもマトモな意見のように堂々と主張されても、受け手は困惑するしかないのであるが。……私が相手を心底バカだなあ、と思うのはこの時点になってであって、それ以前ではない。バカにされて怒る人はバカにされても仕方がないってことなんである。
 せめて、自分の常識が絶対に正しいという思いこみでモノを語ることだけはやめてもらいたいものなのだが。


 昼間は、入院中の日記をせっせと書く。外は雨なので、運動もできない。これは退院早々、カロリーコントロールに失敗かと思っていたが、夜になって、まだ湿気は残っているものの、雨はきれいに上がった。
 散歩がてら、しげが仕事に出かけている間に、キャナルシティまで『ゼブラーマン』を見に行く。もちろん行き返りとも「歩き」である。
 映画本編より、予告編の『CASHAAN』の恐ろしいまでに作りこまれた映像に圧倒される。マンガの安易な実写映像化はどんなもんかと思いはするが、出来がよければ小さな文句はキレイに吹っ飛ぶ。これは期待していいのではないか。
 お客はレイトのわりには結構入っていて、ざっと7、80人ほど。しげがワーナーマイカル福岡東に行った時には数人だったそうだ。それにしてもカップルが多いが、やっぱり「哀川翔」目当てで見に来てるんだろうね。その期待には答えられてないと思うけど。

2003年02月22日(土) オタアミV前夜祭/映画『ひき逃げ』
2002年02月22日(金) また買ったぞDVDBOX/『墨汁一滴』『ボクのらくがき帖』『石ノ森マンガ学園』(石ノ森章太郎)ほか
2001年02月22日(木) 霧の摩周湖(行ったことない)/『スレイヤーズすぺしゃる』2巻(神坂一・トミイ大塚)ほか


2004年02月21日(土) 退院後のばたばた

 昨日、退院の報告を掲示板に書き込んでおいたら、早速、ふーみんさん、あやめさん、ヨナさん改め塾頭さんからご挨拶のレスがつく。ありがたいことである。
 「努力の賜物ですね」とお褒めの言葉はまで頂くが、10年くらい前の若いころだったら、ここでギャグのつもりで「そうです、エラいでしょう」とか返事してるところであった。ところが最近は、そういう韜晦がすっかりサムく感じられるようになってしまっているのである。若いころは謙虚にすることが何だかイイ子ぶってるように思えて、かえってそんなヒネクレた対応をしていたのだが、今思い返せば、それもまた若さゆえのカッコつけである。嬉しければ嬉しい、悲しければ悲しいと素直に言えばいいんだよな、というような気分に変わって来たのは、やっぱりトシヨリになってきたという証拠なのだろう。つか、『クレヨンしんちゃん』の映画を見て泣いてから、感情の歯止め利かせるのがめんどくさくなってしまったような(^o^)。それもまた自然のながれであろうか。


 朝、久しぶりに自宅で見る実写版『美少女戦士セーラームーン』。
 そろそろ美奈子がプリンセスではないとバレかけてきている展開。タキシード仮面の正体も美奈子にバレるわ、亜美ちゃんは敵に洗脳されるわ、もちろんうさぎの切ない恋もちゃんと描くわ、これだけの内容を30分に詰めこんでしかもダイジェストの印象がないというのは、小林靖子の脚本の手腕、素晴らしいの一語に尽きる。
 マジでDVD欲しいんだけど、しげには「また女の子目当てで」とか誤解されちゃうんだろうなあ。いやそりゃ、女の子がかわいくなければ買う気にはなれませんけどね、実写版『エ○○―○美』とか。

 番組名は忘れたが、タレントのオセロが司会してたニュース番組の中で、「ファミコン言葉(ファミリーレストラン・コンビニエンス言葉)」について取り上げていた。例の「禁煙席でよろしかったでしょうか」「コーヒーの方お持ちいたしました」「1000円からお預かりいたします」などの、若いウェイトレスさんが使っている珍妙な言葉である。
 どこぞの大学の先生が、「家庭や学校で敬語を使う機会がなくなり、アルバイトで初めて敬語を使おうとしたときに起こる誤用ではないか」と説明していたが、それではなぜ一様に同じ間違いをしてしまうのか、とか、西日本から東日本に向かって「誤用の移動」が行われていったのか、ということの説明がつかないのである。
 「言葉は変わる」とはよく言われることだが、これはそういうレベルの問題ではない。語句がその語句の持っている意味と全く別個の使われ方をしているのだ。時制や、語句の指し示すベクトルが狂っているのである。「とんでもないことでございます」の「ない」を「打ち消し」と「勘違い」して、「とんでもございません」と間違ってしまう誤用や、発音が省略されたり語尾が変化するようなものとはわけが違う。
 言語感覚が変化したわけではなく、明らかに論理的な矛盾が生じているのだから、ちょっと考えれば訂正できるはずなのに、それがなぜできないのだろうか。若者の脳が溶けてバカになっているから、と説明された方がよっぽど納得がいくのだが、じゃあなぜ若者がバカになったのかと考えると、その理由もわからないのである。実際にどうして誤用を正しいと感じられるのか当人に説明を求めても、やっぱりバカだから説明できない。袋小路なのである。
 「まだ過去の出来事にもなっていないことに対して過去形を使うことはできない」と説明されても、オセロの黒くない方(名前忘れた)は、堂々と「どこがおかしいかわからへん」と言っていた。こうなると「若者の脳をバカにするクスリが実は学校給食に混ぜられている」なんて陰謀説まで唱えたくなってくるというものである。
 番組では、ついに社員研修で敬語の誤用を訂正させている様子も紹介していたが、家庭の教育力がここまで低下しているのだ。もう家庭そのものを、子供が若いうちにさっさと解体して(実質的に子供が中学生になるころには家族は生活単位として機能しなくなっている)、子供は独立させていったほうがいいと思うんだがなあ。中卒雇えよ、中小企業。


 朝やや遅めに外出。
 まずはかかりつけの病院に退院の報告に行くが、しげ、早速「道が混んでて車が停めにくい」とブチブチ文句を私に向かって言う。それは私のせいじゃないだろう。こういうヤツアタリが私のストレスになってるってことの自覚がないのだよなあ。
 そのまま博多駅の周辺で本やDVDなどを買う。しげは付き合う気はないのでさっさと帰ってしまった。帰りは運動がてら、途中まで歩いて帰宅。ところが歩き始めた途端にスリッパが破れて、ゆっくり歩かなければならなくなってしまった。退院一日でいきなり運動の頓挫である。明日は靴を履いて外に出よう。

 
 昼過ぎに帰宅。
 ホームページ、日記から分離させた読書録などのコンテンツを新しく作る。これとても読んだ本、見た映画の全てをカバーできはしないのだが、ありがたいことに一度書き流した記述もあとで読み返してくださる方々がいらっしゃるので、検索しやすいためにはこちらのほうがよいのだろう。休日はできるだけこちらのほうも更新して行くつもりである。
 午後はずっと溜まっていて見られなかったDVDを浴びるように見る。と言っても昔見た映画の再見が多いのだが。『マルタの鷹』『おしゃれ泥棒』『機動警察パトレイバー』『砂の器』『事件』『配達されない三通の手紙』などなど。「Mystery映画館」のための見返しなので、どうしてもじっくり見てしまい、ホームページの更新自体がままならない。読んだり見たりの時間と、書きこむ時間のバランスの取り方に、今後も苦慮しそうである。

2003年02月21日(金) しげ、テレビ出演!/『江戸川乱歩と少年探偵団』(堀江あき子編)/『クイーンフェニックス』上・下(横山光輝)
2002年02月21日(木) アホがアホを教育したってねえ/アニメ『七人のナナ』第7話/『鉄鋼無敵科学大魔號改』(唐沢なをき)ほか
2001年02月21日(水) 買い物ブギ/『ブギーポップは笑わない』第1巻(緒方剛志)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)