あふりかくじらノート
あふりかくじら



 追憶の夕暮れ。

哀しみのなかに生きているひとが
ほんとうにたくさんいるのだと知りました。

いえ、知っていたのだけれど
眼を閉じていました。

わたしは、いまこの地球の上にいて
この街がこんなに好きです。
故郷とかそういうものよりも、
安らぎと愛着と帰属を求められたら。

わたしは、こうして生きていきます。
誰かの哀しみのことを考えながら、
どちらかというと
わたしのなかのきれいな想い出のために
何より、生きている人間のために
わたしはその行為をします。

天気のいい日に、海と街がきれいに見渡せる
あの山に登ろうと思う。

もう、一年経ったから。


2001年04月11日(水)



 地球の裏のそのあたり。

テレパシー。
言葉に出さなくても、誰かの考えていることがつたわる。
それがたとえ、手の触れられる距離にいるひとでも、
地球の裏側にいるひとでも。

突然、誰かに電話をかけたいと思う。
その誰かが、偶然わたしのことを考えていたりすることもある。

突然、どこそこへ行きたいと思う。
その場所へ、いろんな偶然が重なって導かれる。

テレパシー。
でも、それらはたとえば、多くの偶然が重なって起こることでもあるし、
また色々な条件とか感覚の共有とかが、必然的に導くことであるのかも
しれない。

フィードバック。
自分の昔おとしたことばのかけら。

そういえば、くじらの歌声は何千キロの彼方まで届くとか。
いったいどんな会話をしているのだろう。


2001年04月20日(金)



 丘にのぼれば空へちかづくから。

丘くじらです。

三方を海に囲まれたエディンバラの街。
そのなかに、雄々しく威圧感のある岩山がそそり立つ。
アーサーズシート。

ハイキング気分の登山コースをたどる。
行って帰ってほんの二時間ほどのコース。
隙のない切り立った崖の、岩の存在感。
木がまったくはえていない、岩と草の丘。
なだらかな斜面が、天へと導く。

わたしは何故のぼるのか。
「丘にのぼれば空へちかづくから。」
そのときだけ、いまは亡き人との想い出をとりだし、
生きている自分の、地を踏みしめ登りゆく
足に腕に肩に、そこに流れる血液の温度に、
大切に染み込ませてゆく。
これは、生きている自分のための、ささやかな儀式。

360度のパノラマは、古い街に秘められた魂と
遠くに煙るブルーグレーの山々と島。
そして、なんだか哀しい色の海。
あたたかい風景、だとおもった。
地球の上で、わたしがどの位置にいるのか、
考えてみた。

2001年04月22日(日)



 脳みそと文字の友好関係。

文学のこと。

アフリカの大地に属するための、
言語、そしてセクシュアリティ。

そのまわりに恐怖と悪夢が渦巻く。
善と悪。
力の拮抗。そして、そのふたつの罪深い融合。

ベッシー・ヘッドは、そうして創り出された
人工的な「悪」のなかに生まれ、生きた。

文学がそこに表現できるもの。
その限りない可能性。

アフリカの立体像が、ここに見えてくる。
彼女の、彼女流の、「属し方」。

そしてわたしはそこから、逃れられない。

2001年04月24日(火)



 春先のくじらは旅にでる。

「アカデミックな意味で、わたしは真剣です。」

ベッシーヘッドと自分を重ねることへの恐怖。
真剣に、「アカデミック」をアートしようとする。

極限に近いような精神的集中の時期。
(ようするにエッセイの締め切り連続中なのだが。)

わたしは、文章を書くのです。
もっともっと丁寧に書きたいと切に願う。
もっともっと、一生懸命だれかにこころを伝えたい。

だから、時間もかかる。
脳が、重い。


エディンバラは、とんでもなく良い天気だ。
旅人が、街に溢れる。
わたしの意識は、否応無しに青い空に抜けてゆく。

くじら、浮遊。


わたしの、たいせつなたくさんのひとたちへ。
…ようするに、メール書かなくてごめんなさい。

2001年05月07日(月)



 懐かしさの狭間、エディンバラの追憶。

天気の良い午後、いつもの石畳の通りを歩く。
いつもの教会、いつもの陽射しが降り注ぐ。
みなれた店、パブの扉。

わたしは、この街を懐かしく思う。
スデニ、ナツカシサノハザマ。

初めてここにたどり着いた日。
大学院にいきはじめて、睡眠時間を削りながら
課題を読んだ日々。

ひとつところに、トドマレナイ。

あの瞬間のわたしから、今のわたしはもう
ずいぶん遠いところに来ていて、街では
知っている顔とすれ違う。

もう、すっかりこの街に慣れてしまった。
その石畳、ときの流れ、古い記憶、旅人たち、
城、大聖堂、酸素、陽射し、酵母のにおい、
日に焼けたパブの看板、バグパイプ…。

わたしがひとつところに存在する意味とは何か。
わたしの感覚のなかでの土地の変貌とは何か。

エディンバラという街を、わたしはとても好きだ。
だから、この街にいながらにして、すでに懐かしい。

そう感じたとき、ここを去る日のことがみえてきた。

もう、ここへきて8ヶ月になる。
それは、わたしのなかで、ある意味悠久の時間。

いつかは、去らなくてはならない。
ひとりで。
…ひとりで。


2001年05月10日(木)



 芝生のにおい。空をすべるくじら。

表通りは、あふれんばかりの幸福な笑顔の観光客でとてもにぎやかで、
それでも大学の中は、すこしだけ静かな陽射しに満ち溢れている。

土曜日。

青い空とそんな緩やかなときの流れのなかで、思考が浮遊するとき
大学のなか、静かにしずかに、フラットメイトに会った。

あした、ぎりしゃに、かえるって。

5年もこの街にいて、すっかり倦んでいて、ただただ
精神的な重圧が…論文、論文、論文。
「自分は何故ここにきたのか。」
彼女はしずかに微笑んだ。
じぶんには、できなかった。もう、この街を去るから。

もう、この街を去るから。

サンドイッチを買って、すこし歩いて、
とても広い芝生の上で食べた。彼女と一緒に、食べた。
まるで、わたしたちもたくさんのひとたちと同じくらい
幸福なふりをして。

それは、とびきりおいしいサンドイッチだった。

寝転がって、芝生のにおいが空をすうっとすべる
自分の身体にまとわりついた。

…ただ、それだけのこと。それだけの。

きょうは、土曜日。

2001年05月13日(日)
初日 最新 目次 MAIL HOME

エンピツランキング投票ボタンです。投票ありがとう。

My追加


★『あふりかくじらの自由時間』ブログはこちら。★




Rupurara Moon 〜ルプララ・ムーン〜 ジンバブエのクラフトショップ



『あふりかくじらの自由時間』 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


【あふりかくじら★カフェ】 を購読しませんか?
めろんぱん E-mail


 iTunes Store(Japan)