管理人日記
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 ブルース・リー 心の師匠よ

2003年09月30日(火) ■

ブルース・リー 心の師匠よ


ブルース・リー

…この名前を書けば書くほどに書き足りない。いつ彼のビデオを見ても本を読んでも、特集番組見てももっともっと見たくなる。やっぱ墓参り(ロサンゼルス)に行くしかないな…などど常に思っているのである。

カンフー映画との出会いはやはりジャッキーチェンものからであるが、いつも明るく、アタ―っとやってるジャッキーを見ていると、本当の漢(おとこ)とは、拳の道とは何かが違うのではないか?と思うようになる。

そんな中学生時代に出会ったのが、「ドラゴン・危機一髪」。タイでロケされた映画で製氷会社で麻薬を密売してる社長を退治という少しスケール小さめの話であったが、アクションが、コレコレコレこれだよ!!キタ―――っと思ったのだ。

台湾人の秀樹の妹コンテスト的なもんで優勝したマリア・アーという美少女を起用、夢破れてアメリカから香港へ帰国したブルースをこれ一本で救いあげた映画である。

もっとも最初は主人公が違ったのだ。役名忘れたが、マリア・アーのお兄さん役が主人公だったのだが、ブルースがいい感じだったので急遽変更。哀れ彼はとっとと殺されて氷漬けにされてしまう…(笑)非情だよな、さすが香港映画。

しかし色んな文献を探っていくと、ブルース・リーとジャッキーチェン(ついでにサモハンキンポー・ユンピョウも)は日本で言ったら北野武とたけし軍団のそのまんま東やらラッシャー板前やら、ガダルカナル・タカみたいな関係なのであった。

一人売れるスターがいると、その周りに100人くらいの取り巻きができるのだという。そして栄光をつかもうとしてオイオイしてるのだよ。ジャッキーやらサモハンがブルース・リーの映画にやられ役や代役で出演しているのは有名な話なので知っている方も多いだろう。

しかし殿=ブルースから離れてから現在までの活躍ぶりは、やはり本人の努力によるもんだと最近はとみに思う。やっぱり頑張ってるもんね、彼らは。

サモハン監督、主演の「十福星」なんか見てるとホントに涙が出てくる。この映画は事情があって親が育てられない子がぶち込まれる施設でジャッキー、サモハン・ユンピョウが出会い、成長していく話なんだがマジ話なんでとても泣ける。カンフー映画なんて…とカンフー役者を誤解してる方に見て頂きたい。

あ、それから、「ドラゴン ブルース・リー物語」もね!ブルースの奥さんリンダさん寄りな話で、少々批判もあるが、あららブルース・リーって苦労人…と気づくに違いない。しかも息子のブランドン・リーもこの映画公開直後に不慮の死を遂げてるし、ファンにはとにかく必須の映画である。

今はジャッキーもサモハンもユンピョウもあんまりブルース・リーを語らないが彼らはブルースを大変尊敬している。

サモハンの「燃えよデブコン」を覚えているだろうか?そこにこんなシーンがある。田舎から都会に出た少々おつむの弱いデブコンは街でブルースリーのそっくりさん(でも似てない)がインチキカンフー映画を撮影しているのを見てムカムカ!!思わずアチョ―ッとけり倒してしまい、そこで捨てセリフがこうだ。

「いいか、ブルース・リーは俺が尊敬している人だ。彼のマネをするならもっと真剣にやれ!!!」

いや〜〜〜インチキパクリカンフー映画に投げつけた言葉で、ホントにすっきりしたね。

ブルースの「水のような心になるんです」は素晴らしい教えである。がしかし、凡人の私には中々難しい心構えだ。すぐにカッとするし、全てをゆだねるような気持ちにはなれないんだな、これが。

あああ、いかん。

カンフー映画やら香港映画やらMr Booシリーズやら、書いてるときりがありません。また書いていきたいと思います。他の映画もね。

2003年09月30日(火)



 リハビリ

お酒とは大変恐ろしいもんで、またおいしいもんである。ステキな大人はお酒とうまく付き合っていかなくてはいけないのだが、ステキじゃない私はお酒に負けてしまっていた。

よく若い娘さんが「飲みすぎちゃって!」などと言うが、私のはシャレになんなかった。どんなレベルかって、それはまず朝から飲みたいものがビールビールビール、昼でもビールビールビール、とにかく酒のことで頭が一杯。

ようするにアル中だった。それはかなりやばくなってきて、日常的なことではシラフの時でも、人が何話してるのか意味すらわからない、そして聞いたはじから全く覚えていない(10分も経ってないのに)。少々お医者さんのご厄介にもなったよ、ふっ。

自分でもマズイ…と思ったのは以前自分で他のHPに書いた文章が、今読んでみたら全く意味がわからない、ということだ。酔っ払いながら書いた文もあるが、6割はシラフで書いてたのに…こんなに意味不明な文章を世に出していたのかと思うとかなり冷や汗もんだ。

後は細かい作業に集中できないということ。

私は編物が昔から得意だったのだが、アルコール量が増えるにつれ、全く手につかなくなってしまった。楽器も弾くことができない。

そんな生活が4年くらい続いた後、私は妊娠した。ヤバイ酒止められるかしら…なんて思っていたら、あれほど浴びるほど飲んでいた酒がまずくてしょうがなくなったのだ。いや〜、体って凄い。やはりそういう風にできてるんだね!

ま、お陰で悪循環だった大量の飲酒癖がすっかり収まってしまい、今に到るというワケ。

そして最近やっと実に5年振りに、編みぐるみ(編んだぬいぐるみ)を一体作成することができた!小さいものだけど、やっとできたんだ〜という感慨ひとしおである。ここまで長かったな…まだ楽器を弾くことはできないけどね。

しかし妊娠で禁酒というきっかけがなかったらと思うと、とても恐ろしいよ。今頃私はどうなっていたんだろうな〜ママン、恐いよ。

ま、そんなこんなで現在の私は密かにリハビリの日々なんでありました。皆さんもお酒にはホンッとに注意して、溺れず楽しく飲みましょうね。じゃないと、シャレになんないよ。

人って弱いから、きっかけがあると酒に依存してしまうんだよね。ま、時にはそういうこともあるという事で!

2003年09月25日(木)



 アムステルダムって、ネーデルランドって

オランダ、正式名称ネーデルランド。

国王の意向で「本人の勝手でしょ」で大概のことは許される凄い国だ。幼児ポルノ(つい最近禁止になったばっか)、売春、同性愛…しかし、一番凄いのはマリファナがどこでも買えることであると思う。

コーヒーショップという名のラスタカラー満載のお店にちょいと勇気を出して入れば、そこはネオナチ風の若者やら昔のパンク系の方やら、普通の夫婦やら、おいちゃんやらが中にいる。喫茶店のようになっていて、店内でマリファナを楽しむこともできる。

そして透明なガラスのカウンターには、これまたびっくり、世界各国産のマリファナがずらりとならんでいる。産地別に特性があるのでわけているらしい。マニア?が見たらよだれもんだろうな〜

国がマリファナOKにしてると、雰囲気的にはかっこ悪いと思われているとかガイドブックには書かれていたが、なんのその。この賑わいっぷりは結構盛んだと見たね。

そう、私はアムステルダムに行きました。10年くらい前のこと。

で、こんな国だと治安が悪いんじゃないか?と思うでしょ。私が行ったのは2月で、オフシーズンだったし、この国は雪・雪・雪…雪がばんばか降る。かなり寒い。関東出身の私には初めて自分の頬が切れそうな寒さというものを味わったのだった。そんなんだったから、観光客なんていない。というわけ治安については実はよくわからなかった。

でも街はいい感じ。いたるところに寒さを押してたくさんの花が売られている(もちろんビニールハウスの中でだが)雪の中にところどころあるビニールハウスの中のチューリップの見事なことといったら!

雪ももちろん粉雪だ。べたべたした雪ではない。さらさらしていて、風に舞うので地元の人は傘をささない。この雪の中で「捕まえてごらんなさい〜」と男と戯れることも想像したよ(笑)。それだけメルヘンな雰囲気。

そして日本人があんまりいない場所だと(シチリアとか…)大抵ジロジロ見られるのだが、ここオランダでは早くから移民国家なので肌の色の違いくらいでは全く無視される。アジア系の方も普通に働いているからね。これは気がラクだった。同じように同性愛者も男同士で手をつないでようが、ジロジロ見ないんだろう。いい国だ。

そしてこれは知られてないんじゃないの?と思うんだけど、ここアムステルダムは「アンネ・フランク」の隠れ家跡があるんだよ。ユダヤ人のアンネが最後に日記に書いた、そしてナチスに捕まったあの家が。それがホントに狭いんだ。窓もあんまり無いし、ま、ナチスから隠れるためにはしょうがないんだろうね。

こんなに狭い中で若い女の子が息も殺すようにしてたなんて、これは結構涙もんだった。アンネが見たであろう窓からの外の風景がとても悲しく見えた。

しかし!これもガイドブックには酷評である。「アンネフランクの家は並ばないで見られるわけではない」。ハイシーズンだとそうかもしれんが、まるで行くな!というようなこの書き方!ちょっと問題あると思う。戦争を考えるためにもここには行ったほうがいいし、こんな書き方はアカンです。

とにかく平和に過ごしたマリファナフリーの国のアムステルダムだったが、ホテルに私以外に泊まっていた日本人男性は、完全に精神がクラッシュしていた。本人は

「ゴッホの絵を見て(ゴッホもこの国の出身で、博物館がある)、はまったんだ」

とか言っていたが、それはどうだか。大方マリファナ以外のロクデモないものにでもはまったんだろうことを最後に書いておく。


2003年09月20日(土)



 実験と演習の日々

私が通った短大は理系だった。しかし私は理系(栄養科)であるということに全く気づかずに入学してしまったのだった。入学してから私を待っていたのは、女子大生という美しい響きにそぐわないよう毎日医者のような白衣を着て、試験管やらシャーレやらに囲まれた、実験実習演習の日々だった。

色々な実験があった。

自分の舌をしびれさせ、味覚についての実験
・このとき私は中耳炎で、味覚が全くわからず、私が取ったデータは全て無駄となる。

キナコの中の水分を計る実験
・あんなにカラカラなキナコの中の水分を計るって一体…別にいいじゃねえかという気分で一杯。

日常の食品から大腸菌を培養するってのもあった。

教授が、朝ご飯の残りを持ってくるように、という。みんなスクランブルエッグや、ご飯やらパンやら持ち込んだ。そしてすかさずそれを滅菌シャーレにて大腸菌を培養。半日おきくらいに測定したが、どれもこれも、あれよあれよという間に大腸菌のコロニーで一杯。実験と言えどマジ飯が食えなくなる。

ある朝実験室に行ったら、黒板にこう書いてあった。

「各自、自分の尿を取ってテーブルの上に置いておくように」

…みると自分の席には見覚えのある採尿コップが。みんな黙って採尿し、尿内のビタミンCやらBやらを測定した。前の日、豚肉たくさん食ったという大変大柄な女子大生からは大量のビタミンBが測定された(豚肉にはBが多く含まれている)。爆笑もんだった。

一番騒ぎになったのはやはりラットの解剖だった。かわいいんだよね、ネズミ。それをはさみでチョッキンチョッキン。グループ内では私が一人でやった。医者って凄いと思ったよ。臭いしやはり恐い。他のグル―プでは間違って真っ先に心臓をカットしてしまい、大量出血で他の部分が解剖できないところもあった。また医者てすごいと思ったね。

そして一番事件になったのはヨーグルトを作った授業。菌を使って作る食物の授業だった。ヨーグルトなんて簡単で、大体誰が作ってもおいしいもんだ。が、しかし…苦い味がする!というグループがあった。教授はあわてて、

「ボツリヌス菌が培養されてしまったかもしれない!もう食べないで!!」

と早速分析に走った。この菌だと食中毒で死んだりするからね。

そして緊張の測定結果が出た。教授は一言こう言った。

「…これ、乳酸菌じゃなくて、納豆菌が培養されてます…」

そう、前の授業では納豆を作ったんだよ。用具をよく洗わないでヨーグルト作ったのか(でも煮沸消毒してるんだよね〜)納豆菌てしつこいから、乳酸菌を抑えて培養されてしまったようだったのさ。

他にも私は混ぜたらいけない薬品を混ぜてしまって、有毒ガスを発生させてしまったり(かなりパニックになった)、ステーキ焼くときにお酒を掛けてそして、火をつけてアルコールを飛ばすときに天井まで炎を上げて焼いてしまったり、自分の学問に疑問を持っているとろくな結果にならないのであった。

そして手元に残ったのは学校のマークが入った出刃包丁と、栄養士の資格、そしてあわれ薬品で焼け爛れた白衣。やっぱ、入学前に学校が教えてくれる内容は理解して納得しておかないとね!


2003年09月12日(金)



 チカウ・チカウ

数日前のニュース。

イギリス貴族男性が、自慢の馬に乗ってホッケーのようなことをするポロという伝統的な競技がある。その日はタイでのお話で、馬の変りにゾウにまたがって行うポロの模様がTV画面に写された。

そしてやはり、というかタイ名物、ニューハーフのポロチームが出場するということで大騒ぎになっているようだった。そしてゲーム終了後、ど派手なニューハーフたちが笑顔でコメントしていた。うんうん。いつもながらさすがである。

そんなことは日記に全く関係ない。

10数年前、時代はバブルだった。誰も彼もが万札を財布にぎっちり入れて浮かれていた。その当時私はえらい派手な洋服やで働いていた。

キンピカでボディコンな服屋だったので、そりゃーいろんな客が買いにきた。日本人の派手目な人、韓国人ホステス、中国人ホステス、万引き目当ての主婦軍団←ゆるせん!!、日本公演にきた中国雑技団の女性もいた(キレイ)。なんでわかるのか?私は客と話するからわかるんだけどね。

しかし何と言ってもここの洋服やで圧倒されたのは、アジア系外国人のスタイルのいいことだった。

クリスマス。

うだつの上がらない学生風の日本人男子とロングヘアの華奢なフィリピ―ナがやってきた。彼が彼女にクリスマスプレゼントにドレスを買ってやりたいと言う。クリスマスの19時なんて店は大変ヒマだし、根気よく服選びに付き合ってやった。

背中のジッパーを上げるドレスが多かったんだけど、着にくいので試着を手伝ってくれという。私は快く引き受け、試着室に入ってあら・びっくり。スッゲー痩せてるのにこのオパイは何だ!!フランス映画の女優さんが一見痩せてて、脱がせてみるとボインボインってヤツを思い出してしまった。

おまけにラブラブで「彼女の名前とここのブランドの名前が同じなんだよ」と言う。1時間後に帰っていったよ…さてこれからこの二人はどこにいったんでしょうねえ〜〜

そして違う日。あきらかにヤクザという50歳代くらいの男性と10代にしか見えない韓国人ホステスが腕を組んで入ってきた。やはり女にドレスを選べ、という。

買ってくれる人はどんな客でもいい客なので真剣にデニムスーツ、キンピカスーツと2着選んであげた。彼女は童顔なのでデニムのスーツの方が似合い、それにすると言った。そしてお会計になったのだが、ヤクザの財布の中を見てまたびっくり。万冊がぎっちり入っている。2センチ近くあったので100万円ですかあ?でもラブラブな二人。

ヤクザ「お前、ホントにこれでいいんだな?また後になってチカウ・チカウ(おそらくこれじゃなくて違う洋服、の意)っていうなよな〜〜どっちかひとつでいいんだな?」

彼女はニコニコしながらヤクザの腕を取って帰っていった。チカウ・チカウっていう言葉を私の頭の中に残しながら…

あまりにも私的にヒットした出来事だったので、大手CDショップに勤務している友人に話してやった。するとウケてくれたのだが、彼女はでもね、うちでもそんな話あるよ〜と言った。

やはりヤクザが韓国人ホステスと腕を組んでCDショップに現れ、CDをホステスに買ってやっていたらしい。散々選んでお会計になった。そしてレジの前でヤクザはこう言ったそうだ。

「お前、買うんなら、チョーヨンピルかケ―ウンスクかどっちか一枚にしろ!!後でチカウ・チカウって言うなよなあ!」

これまた私的に大ヒット!!

おお、それぞれの店でのヤクザと韓国人ホステスよ…みんな全て印象的すぎるぞ!


2003年09月10日(水)



 日常はドラマだ!

夏のある日、ベイベの4ヶ月検診に行った。

以外に人数は少なく(それでも40人ちょい)なんとなくママと子らを眺めていた。パパママ揃って検診にきている人も数人いた。

ほほえましい中に何か異質なおっさんが一人いることに気が付いた。このおっさん、どうみても60歳くらい。杖をついていて、ジャージを着込み、ちょっとヤクザっぽい。ナンデここにいるの?と観察し続けていた。すると、私の横からそのおっさんに近づく女性あり。彼女はおっさんに話し掛けていた。

「アーナーター、オマタセ!」

そう、彼女はフィリピン人だった。そしてその腕には男の赤ちゃんが…そう、この60歳くらいのおっさんは、ついこの間、赤ちゃんを授かったばかりの新米パパなのであった。

おおおお〜なんか注目しちゃったよ!70歳で代一子もうけた歌舞伎系(だっけ?)の役者さんもいたしなあ〜〜。このフィリピ―ナはどう見積もっても30歳には行ってないようにみえる。

このおっさん、どんな人生があったんだろう…(イメージ、歌舞伎町で切ったはった)そしてこの息子が歩む人生は?もう自分自身がワイドショーになってしまったのであった。

そして、ふとまた気が付くと、見覚えのあるハーフの赤ちゃんを抱いたママが隣にいるじゃありませんか。おお、これはこれは…同じ病院で2日違いで赤ちゃんを産んだママなのでした。

「久しぶり―元気でしたか?」

少し話をし、彼女は地元のよい医者やらお店など良く知っていて、私はママ友がだ誰もいないのもあり彼女、ママ友になってくれないかしら〜と少々込み入った話を聞いてみた。そしてママ友として連絡先教えてくれないかしら?とお願いした。すると彼女は言った。

「あのね〜、私昨日から働き出したの。だから育児は旦那さんが担当することになったの。」

旦那さんは確かカナダ人だった。大柄で、子供が生まれたときに「金髪じゃない」と騒いでいたっけ。ああ、あの旦那さん、仕事してなかったんだ。

「…そっかー、でも乳飲み子だし、ママとしては切なくない?」
「寂しいよっ!!っつーか、離乳食とかキチンと旦那がやってくれるのか不安で不安で…」

私は彼女をママ友にすることをあきらめた。そして、じゃーねと別れた。

それにしても人それぞれ事情があるよね〜。
でも他人にはドラマにしか見えないような事情もあるので、日常の色んなことからは目が離せないね。これからもおもろい?ことを探していこうと誓うのでした。

2003年09月08日(月)



 誕生


すんごい昔、まだ尾崎豊が生きていた頃、オザキに自分の子供が生まれて、作ったアルバムに「誕生」と言う名前を付けた。そして、その「誕生」の製作インタビューで雑誌パチパチに出ていた。

オザキはしょっぱなからインタビュアーが質問する前に、「自分に子供が生まれたということは生命の誕生であり、うんぬんかんぬん」と、べらべらページの半分くらいしゃべくりまくり、逆にインタビュアーに「…であなたはどう思いますか?」と質問をしていた。ウレシイのはわかるけど…??

こんなんで始まったこのインタビューには、すでに破綻しかけたオザキの精神を目の当たりにしてしまったようでゾッとしたのを覚えている。

ま、それはいいんだけどそれだけ自分の子供誕生には親はおかしく(?)なるもんなんだな〜ということで…

で、親類に赤ちゃんが誕生した。高齢出産で皆心配したけど無事母子ともに健康ってやつで安心した。

そしてすでに来年すぐにもう一人生まれる予定である。私の近辺は出産ラッシュだ。一体このどこが少子化なんだろう?しかし私が長男を出産したのはすでに34歳だったわけで、結婚が遅けりゃ産む子供も少ないんだろう。つーことで私も日本の少子化に荷担しているのであった。

以前は「子供を今の世界に産んでも、その子は幸福でないのではないか?」などと哲学ちっくにもんもんと悩んでいたけど(結婚してもいないし予定も無かった頃)子供が出来てみりゃーそんな考えは吹っ飛び、実際生まれてくれば、その生命力というか、パワーに圧倒される。

思えば私は充分すぎるほど遊び、飲み、旅行にも行き、買い物もし、そんなことに実は疲れ始めていた。もう自分以外の何かにお金と時間をかけたかったんだね〜。

で、出産になったわけですが、最近出産本とか育児本をみると皆おんなじことを言っていてかなり納得する。漫画家・桜沢エリカとか、エッセイスト?横森理香とか、漫画家・中尊寺ゆつことかね。みんな贅沢に、仕事に頑張ってそうなんだけど、疲れてたのね。うん、自由になりすぎるのって、疲れるよね。

ところで、子供は母親(というか面倒をみてくれる人)が大好きである。

イジワルして部屋のカーテンに隠れて様子を見てると、私がキッチンにいるのかと思って一生懸命キッチンの方ばっかり覗き込んで話かけている。

とってもかわいい。

いまだかつてこんなにも一日中誰かに追い求められたことがあるだろうか!(いや、ない)ホントに母親と子って、濃い関係だよね…

なんてうっとり書けるのは今息子が寝てるからである。起きたら最後、彼はいまんとこ王子様なので彼に従わなければならない。しかし、すぐに手がかからないようになるって言われても育児ってホント大仕事です。でも3歳になったら男だから、もうチュ―もさせてくれないようになるかもしれないのでしっかり抱っこしてチュ―しとこう。

おう、泣いてるよ〜〜


2003年09月03日(水)



 愛は国境よりも強し

これは私の知人がパチンコ屋でバイトしていた時のお話。

パチンコ屋でバイトしてた人はわかると思うけど、あの世界も独特で仕事暦が長いほど威張れるようだ。一年目はぺーぺーでも数年いればもういっぱしで、みんなが気を使ってくれるようになるそうだ。それはあたかもヤンキ―世界のようであると。

ま、そんなこたどうでもいいんだが、この方のパチンコ屋にとんでもないヤンキ―娘が入ってきたそうだ。もう金髪、どピンクのスーツなんか着て仕事にくる。顔色は悪し、不機嫌におはよーございまーすと挨拶するし、ちょっとお近づきになりたくないと誰もが思うような外見だった。

そんな娘があるとき、何を思ったかナント中国人超貧乏留学生とお付き合いするようになった。金髪ヤンキ―と中国人留学生カップルなんてアヤシイ!と誰もが思っていたそうだ。

そしてみんなの期待を裏切らずに、この中国人は不法滞在で検挙されてしまったのだった。強制送還はまぬがれないよな〜〜と。

しかし!!こっからが予想外のお話だ。

なんとこの中国人は、実は中国国内の高官の御曹司であったことが判明した。じゃなんでオーバーステイしたんだろうか?

彼はこのヤンキ―娘が大好きで、ついつい帰れなかったようだった。どうやら、愛ゆえだったんだよね。

でもそれを日本の入国管理局は許してくれるはずがない…と誰もが思っていた。

しかししかし…

「彼女を愛していたため、中国に帰れませんでした」という話を入国管理局にしたところ、彼は許されたのだった!!マジなお話。愛は国境より強かったんですねえ〜

ただちにこの金髪ヤンキ―娘との婚姻が執り行われ、揃って中国に帰国する運びとなった。

でもこの日本国内でもお近づきになりたくないような金髪のヤンキ―、中国の高官のお父さんにどうやって説明したんだろうか?

中国人の彼は「日本ではこういう金髪頭が流行してて」(爆笑)と話して事なきを得たそうだ。おお、愛は強いし美しい…

そしてバイト先のパチンコ店にはそれきり話をろくにしないままヤンキ―娘は中国に行ってしまったそうだ。残された店長やらバイト仲間やらは、残った給料をどう支払おうか、そーだ、国際送金ダァ!などと大騒ぎになっていたのだった。

いやいやいや、愛って、強いんだね〜

しかしこのヤンキ―、中国高官の家に行ってどんな嫁面してんだろ?それは誰にもわからないのであった。

2003年09月01日(月)
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