管理人日記
管理人



 差別はイケナイ、仕事は一生懸命

その昔、近藤真彦、マッチってば人気があった。

小学生当時私は男性アイドルに全く興味が湧かずとりあえず「たのきんトリオ」で誰が好き?と聞かれれば「マッチ」と答えていたもんだ。顔も知らなかったが。

そしてその人気は「ギンギラギンにさりげなく」BY作詞伊集院静にて名実ともにTOPアイドルに上りつめるが、彼の人気は実は日本国内だけではなかったのであった。

香港・台湾でも「誰が好き?」「マッチよ〜〜」というのが当たり前だった。そしてそのあまりの人気っぷりに、しぶしぶマッチが香港訪問することになったのだ。

沸き返る現地。大好きなマッチが来る、香港ではホントにみんなが喜んで、期待してたんだよ。

おお、それなのに…マッチは現地で最悪のわがまま、感じ悪い行動を繰り返したのだ。日本におけるT.A T.U.の比ではないくらいに。怒る香港の人々。愛から一気に憎しみに変った瞬間であった。イケナイよ、マッチ!アジア蔑視は。

そしてその後のマッチは日本国内でもアイドルとしては失速し、レーサーへと転職していく。やはり香港での例ではないけど、色んなとこでこういう行動してたんだろうね。自分がちょっとばかり人気があるからって何してもいいわけではない。

ところが最近のジャニーズ系の若者たちはどうだろう。こぞってアジアに進出し、しかも成功してるではないか。今はアジアのイメージも良くなったからかな?同じアジアの同朋を小ばかにしないで真剣にお仕事してるんならとてもよい事だ。

T.A T.U.もむかつくが、同じような嫌な思いをさせていた日本人のアイドルがいるってことも言いたかった。しかしアジアで超イメージがいい日本人アイドルもいる。

それは西城秀樹だ。彼は凄い。昔も今もファンを大切にしている。現地でのファンの集いなど積極的に行っているようで根強い人気があるようだ。そして映画にも出ているし。

しかしその映画も自分が飛ぶ予定だった高所があまりに高かったので、スタントに変ってもらい、飛んでもらった直後なんと自分の目の前でそのスタントマンが首から背骨が飛び出してしまった、という事件に遭遇している。しかもそれをテレビでたまにワハハと笑って話しているのでとてもステキ。さすがヒデキだ・アイドルだ。

話はちょいと変るけどジェット・リー。彼は映画「少林寺」で有名になったが、中国出身だったので、とある香港アイドル俳優からは「リーリンチェイ(彼の昔の役者名)は香港の言葉である広東語を覚えようとしない、僕が覚えたら?と言ったらめんどくさいようなことを言っていた」などと非難していた。

まるで香港で一生仕事してくんだから広東語を話せないと役者として×という言い草をされていたのだが、なんのことはない。ジェット・リーはハリウッドデビューをし、英語を話していた。そう、彼は香港アイドルなんかじゃなくハリウッドを夢見ていたのだ。その後の彼の活躍や目覚しい。

アジアなんて、とバカにしていたアイドルと小うるさい、(ちょっと中国をバカにしている)アジアの同朋の国(ではなく全世界を目指す人。とにかく視野を大きくもたなくてはね、ということかな。

でも日本のアイドルは過去に海外で恥ずかしいことしてるんですよね。ホント差別はいけないよ、仕事をするときは一生懸命で、って思います。

2003年10月05日(日)



 ピアノ界のパンク

菅野美穂主演のフジ子・ヘミングのドラマを見た。

私が以前聞いた話によると、フジ子のお母さんはもっと激しく理不尽な人だったような気がしたが、まあ、いいお母さんね、と思わせるような話になっていた。

あまりの個性と才能っぷりに日本国内では伸び悩んでいたフジコはドイツ留学し、そこでもリストの曲なんか弾いて「それはジプシーの曲だあ!」などどドイツ人に殴られたりしていたが(やはりジプシーって忌み嫌われているのね…)、ここ一番ってとこで運が悪い人だった。

ドイツでぼろぼろになって暮らしていても、お母さんに顔向けできない、お母さんは私を認めない、お母さんが恐いって日本に60歳くらいになるまで帰れなかったのだが、母の死をきっかけに日本の自宅に帰ってみたら壁じゅうにいっぱいフジコの新聞記事やら写真やらが貼ってあったのだ。

そこで、自分は母に愛されていた、認められていたと気づいたと聞いていたのだがTVドラマでは一枚ピアノの上にフジコの新聞写真が立ててあっただけになっていた。

それじゃあここの親子の壮絶な関係がわかりにくいんじゃないかな〜と思ったが、虐待っぽいから変えたのか、それとも私が以前聞いたのが間違っていたのかわからなくなってしまった。どっちがホントなんだろ?

ま、その話は置いといて、フジコのピアノだよ、ピアノ。なんというか〜重いというか、どす黒いというかとにかく闇に吸い込まれるような凄い弾き方なんだよな。とにかく個性的で衝撃を受ける。

私も4歳から13歳までピアノやっていたけどセンセイから言われるのは、とにかく楽譜の解釈通りに弾くことだった。

イタリア語でだんだん大きくとか、だんだん小さくとかやさしくとか、命令の形容詞がピアノ(というかクラシック音楽)にはがたくさんある。そしてこの曲を弾く早さがあらかじめ楽譜に書いてあり決まっているのでその範囲内で解釈して弾くんだが、当時の私には大変面白くなかった。

それから加えて、運指(指運び)の練習練習練習!!まあ、ギター弾くにもこの運指って大切なことだからやらなきゃならないのだが、とにかくイヤでたまらなかった。練習のための練習曲ばかりで、じゃいつが本番で応用編なんだよっ、と突っ込みたくなる毎日だった。

自分の解釈で自由に弾けないクラシックがたまらなく退屈で坂本龍一やら、矢野晶子やらポピュラーピアノを弾くようになり、それから自分で曲を作るようになってからはすっかりクラシックピアノはご無沙汰していた。

そんなある日に大衝撃をくらったのが、スタグラフ・ブーニンである。彼は旧ソ連の天才ピアニストで私と同い年であったが、彼のデビューアルバムを聞いてぶったまげた。

それはショパンの「別れの曲」だったが、この解釈は!!!最初の数秒聞いてもう絶句。恐ろしく心をこめてゆっくりと引き出す第一楽章。こんな解釈していいって、私習ってないよっ、っつーかそんな風に弾いてる別れの曲を過去に聞いたことがないよ。これはピアノ界のパンクではないか!!

これは本当に天才なんだな〜とうらやましく思った。こんな弾き方が許される=弾きこなせる=考えられる…とにかくなんか敗北を感じたのだったよ。何かの天才って、凄いよなって自分の凡人っぷりをかみ締めたのだった。

世界的に賞をとったそんなブーニンにすら「ピアノの練習音がうるさい」だのなんだの文句つけておかしくさせて、アメリカ亡命までさせた旧ソ連て一体?(笑)やはりおかしな国だといえよう。

そしてフジ子・へミング。ブーニン以来の衝撃で彼女もまた私にパンクを感じさせたのだった。こんな弾き方ができるなんて。技巧的とは言えないらしいが、これはもはや魂のピアノだ。魂こがして(by ARB)だよ。

しかし基本のクラシック練習が山ほどあっての自分流、革新的なのピアノなのか、最初っから自分のやりたいようにやったらいいのか、それとも天才はどうやっても天才なのか。考えてしまうとこだね。

機会があったら一般的な街頭で売ってるような無名のピアノ弾きの弾くショパンのCDと、ブーニンやフジ子・ヘミングが弾くショパンの違いを聞き比べて見て下さい。永遠に変らないように見えるクラシック界にも明らかに改革を起こしてる人はいますっ!!ハイ。


2003年10月01日(水)
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