管理人日記
管理人



 ジプシーのバイオリン引き

今でもありゃー白昼夢だったのかい?って光景が目に浮かぶ。

それは、イタリアのローマから地下鉄で20分くらいの郊外のチネチッタという駅の大型スーパーでのこと。

イタリアでは個人店がほとんどで、大型スーパーや百貨店っていうのは外資でないと存在しない。例外はリナ・シェンテという化粧品やらのデパートのみ。

代表的なイタリアのチェーン店だと思われているベネトンはイタリア国内では個人経営なので、ショップによって品揃えが全然違う。百貨店も日本の三越があるのみ。

だからチネチッタにできた大型スーパーってのはイタリアでも珍しかったのだよ。だからいろんな人が集まってくるんだ。いい人ばかりではない。ジプシーと言う名のホームレスも集まってくる。

ジプシーとは聞いたところによると、旧ユーゴスラビア難民である。国内は戦争でガタガタ。土地が陸続きな他国に難民として逃げるのであった。島国の日本では考えなれないことだよねえ〜

しかしイタリアなんかに逃げたところでやっぱ食ってかなくちゃならないので、様々なことをする。

オープンテラス(というのかな?)なレストランテなんかで飯を食っていると背後からヌッと子供が近づいてきて、花を買ってくれという。これは花売りの子供。花だけならいいが、親切な人が花を買おうと財布を出したところで引ったくりに早代わりなんてことも少ないのでご用心だし、とても悲しい。

そして親子で引ったくり。

「地球の歩き方」なんかにもよく書いてあるが、子供が旅行者の気を引き付けたところで母親がダンボール紙を持ち上げ、旅行者の目を隠し財布をひったくるというもの。まんまダンボールを持って歩いているんで絶対近寄らないようにする。

そしてやっぱり売春。

事情がよくわかならかった頃は、夕方街角でどう見ても15〜6歳の女の子が数人固まっているとその中に一人はお腹のでっかい子がいたのを「太って体格のいい子だな」と思っていた。それを連れにいうと「バカ、あれは妊娠してんだよっ、ジプシーの売春婦だよ」と言われた。そっかーと驚愕。だって、あれは子供だぞ。

いづれにしろ、親が体罰をくわえながらやらせてるそうだ。焼きごてあてたり、ものすごい殴ったりしてね。それがイタリア国内でも問題になり、救済措置がとられたそうだ。恐いよね。

イタリアではジプシーは忌み嫌われている。汚いってね。

話戻すけど、そのチネチッタの大型スーパーでのこと。この日はイタリアではウン十年ぶりというような零下80度の寒波がやってきていた。温暖な地中海性気候のイタリアではありえないような寒さだった。そんな寒波の日に出入り口の外側にピッタリと張り付くように(店内に入ると放り出される)ジプシーの少女がいた。20歳前だろうね。

彼女はものすごく痩せていて、しかもヒラヒラとした紫のインド綿のような服しか着てない。みんなダウンのコート着込んでも寒いっていってんだよ。アクセサリーは日本のインドショップなんかで買えるようなジャやジャラしたやつつけてる。そこで物乞いをしてるんだよ。私も話しかけられたよ。

「裕福なジャポネーゼ(日本の女)よ、どうかおめぐみを」

と言われた。私は自分は裕福ではないと思ったし、ここでお金をあげてしまうとますます働かないで物乞いだけするようになってしまうなと思うので、施しはしなかった。でも私は本当に裕福ではないのか?悩むよね。

貧乏旅行してるんだから、裕福ではないけど彼女らから見たら、私は裕福なんだよね。

どうしたらいいのか、自分には何ができるのか。

こういうときは非常に落ち込む。自分ひとりに何ができるのか、その場でお金をあげればいいのか、あげないほうがいのか。己の無力さを思い知る。加えて彼女はとても美しい女性だった。激寒の青空の下で、ユラユラ揺れながら物乞いする姿は紫の蝶々のよう。それはとても現実感が無かった。私が男だったら彼女をお買い上げしたりするんだろうな。

落ち込みながらも宿のある、中心街のレプップリカのほうに帰ってきた。ここには世界でも有名なブランドショップ街がある。プラダ、ヴィトン、エルメス、フェラガモ、ブルガリまだまだ有名な高級品が立ち並ぶ。

ふと気が付くと、初老の女性が立っていた。何をするのかな?と見ていると、高そうなバイオリンをハードケースから出し、そして静かに引きはじめた。それはバッハの曲だった。

彼女もジプシーだったのである。

指はかじかみ、真っ赤になっている。

時折吐く息は真っ白である。

しかし、彼女はこのブランド品街にふさわしく上品に、にこやかに笑いながらバイオリンを引き続けた。施しをたくさんもらえるように幸福そうに笑っていたのかもしれない。足元に空き缶がありそこに少々のコインが入れられていく。

もしかしたらこの人はユーゴを追われなかったら有名なバイオリン引きだったのかもしれない。あらぬ想像が膨らんでいく。

彼女はバイオリンのソリストとして、街角でずっと引き続けていた。

芸を披露してるジプシーにはお金をあげてもいいんじゃないか?でも私はお金を施せるような立派な人間だろうか?もしかしたらこの人の方がよっぽど人間的には優れた人かもしれない。

本当に寒く、私は鼻水が止まらなかった。

でも、このジプシーのバイオリン引きにはお金をあげることができなかった。相手を見下しているような気がしたのだ。

でも彼女はお金が欲しかったんだろうな。しかし、邂逅しただけ。

チネチッタの薄着のジプシー少女を何が違うんだろうか。

さっきはお金をあげなかった。

だからここでもお金を施さないことにしてしまった。

私のしたことは正しかったのか、正しくなかったのか、今でも考え、結論が出ない一件であった。

2003年08月23日(土)



 HIVポジティブと現職刑事と

何度も話すが、都立職業訓連校というところは私にとってホントにお金で買えないような人生で大切なことを教えてもらっている。この弱者救済的な教育の場は決して積極的でなく、受け身ばっかでいても素敵なことばかりが催されていた。

私が通っていた一年制のクラスでは、道徳な時間が強制的に設けられている。東京都の方針だろうが、いろんな人物を招いてお話を聞くというものだった。

それがほんまもんのエイズ患者に聞く「エイズ予防について」と、現職デカ(お巡りさんという感じではない。私服のスーツ着てるTVドラマで見るようなデカ)二名からの「麻薬・覚醒剤の恐ろしさについて」のレクチャーであった。

エイズポジティブの方は新宿二丁目にいるようなおかまであった。

そういう目でみちゃいかんのだが、とにかくあやしさ満点で、「もしかしたら、アレが(感染)原因だったかなぁ〜〜?っていうせくすはありましたねえ〜(あくまで明るい)」などとのたまい、普段は騒ぎまくっている一同を一瞬にして黙らせた。そして最後にお約束のコンドームを一人一個ずつ配ってオシマイ。

それ以上に凄かったのが現職刑事からの「みるみるわかる★麻薬レクチャー」であった。

この方々は押収した貴重なほとんど全ての種類の違法幻覚剤の本物を持ってきて下さったのだ。

覚醒剤はもとより、マリファナ(原産地別・状態別)、エクスタシー、アシッドペーパー(LSD)、S、コカイン、ヘロイン、キノコ、サボテンとな〜んでもあり、そしてエンジェルダストと呼ばれる大変恐ろしいもの(これを食らうと、おそろしく狂暴になり不死身になったように暴れる、そしてその記憶が全て残らない)まであったような記憶があるのだった。そしてさらに摂取方法まで(涙)教えてくれたのだった。

♪こんな錠剤や紙なんですよ〜よく見てね♪イケナイんだよって軽く教えてくれるんだから、今時、毒されていない18,19歳(ホントにみんなイイ子)の子が多い、うちの学校の生徒はどんどん引いていったよ。

そして刑事さんはまた軽く休憩にしましょ、といい休憩になった…しかしこの後どんなレクチャーすんだよっつー期待にもれずさらに迷路のような話が始まった。

10分後。今度は覚醒剤と暴走族と犯罪についてであった。

なんでも東京のある地域のひったくりは、ほぼ9割がたが暴走族の資金稼ぎのために起こっているという。

つまりゾッキーがひったくりしてるっつーんだよね。それを警察ってえのは百も承知で、あんまり急にひったくりが増えると、直接暴走族に注意するんだ、というじゃありませんか。そんなんでひったくりが減るの?と思うでしょう。ほんとにすぐに減るんだって。わかってるんだよね、お互いに。

そして突如、最近の主要暴走族の名前を5〜6個いいだし、構成員やら活動暦なんかをペらぺらっと教えてくれたのだった。ブラックエンペラー、過去は最大規模の暴走族で、今でもあるが現在はこんなんだとか、中国人と日本人混成の○○ゴンズ(マジやばくて書けない)で、今はここ一番まずいとか。

そしてやおら黒板に暴走族の東京分布地図(支配図?)を、まるで歴史の授業さながら「え〜、この当時のユーラシア大陸はここは漢で、そして大モンゴル帝国ではチンギスハーンが支配しており…」てな具合で書いてくれたのだった。

ここまではミナゴロシ圏内で〜ここからはドラゴンズってね。ああ、タイヘン勉強になったよ。ティーンズロード(暴走族というかレディース雑誌)亡き今、誰も教えてはくれないよ。

圧巻の授業は終わったのだった。しかしこのとき聞いたヤバイ地区には住めないよね、絶対に。友人が住んでいたので、遊びにいくと朝は道路に血痕なんかがよく残っていたのは知ってたから、わかってたけどね…

余談だが警察っつーのをなめてはいけないらしい。

ご近所の変な人っているでしょ?事件の犯人で、近所の人がみんな声変えてTVなんかで「あの人は前から変な人だったんですよね〜」って言われてるような人。そういう人とか噂というものは警察はしっかり押さえていて何か事件が起こると、まっさきにその人を調べるという。

これを読んだ人はマジ普段の素行に注意!イケナイことは、どーせ誰も気がつきゃしねえよ、なんて思ってやり続けないこと。ヤバイので注意しましょう。ま、これは消費者金融の友に教わったんだけどね。

ま、これが学校の授業の一環だよ。ホントすっばらしいよね。普通の大学や専門学校じゃ教えてはくれないし。しかし、当の私ときたら当時深刻なアル中で、勉強は全く理解できないわ、記憶は飛ぶわで意味が無いのであった。

2003年08月21日(木)



 私のアイドル

…と言えば、迷わず「本田恭章」だった。

アイドル系(というにはちょっと違うが)の方にはまったのは後にも先にもこれっきり。今でも当時の彼の曲は、全曲歌えるよ、ふっ。

彼を追いかけてばかりいたら(後はファミコン、ドラゴンクエスト三昧)、高校生活が終わってしまった。

それほどにも私のココロを狂わせた愛しの恭章よ〜今いずこ?とふと思って数年前ネットで検索。

ヒット!!

今でも活動してた。そして公式サイト、ファンが作ってるサイトに見入ってしまい、ついにファンサイトのチャットルームへ…

初対面のヤスアキファンと夜通しチャットをして今現在の情報を詳しく得た。みんな後一週間後のライブで、入り待ちするというじゃありませんか!

ヤスアキの迷惑になるから(乙女)…と昔はやったことがなかったのだが、最後にライヴに行ってから10年経過してるのでやってみたくなった。

そして、0909(ワクワク)しながらの当日。彼はやってきた。おおおおお〜〜金髪そして痩せている〜〜昔からの王子様に私は出会えてしまった。しかし冷静なもんで

「10年ぶりにライブにきました。写真を撮らせて下さい」

と言った。ヤスアキは「あ、そうですか、いいですよ」と気軽に応じてくれてついにパチリ。

ほんの数秒だったが、乙女だった頃からの夢がかなった瞬間だった。

そしてその後、ファンの方々からヤスアキは結婚して、女の子が産まれたとか、そのせいでファンが激減した、とか聞いた。

それから数日後、この話をとあるHPで書いた。するとおかしなメールが届いた。なんと名乗っていたか忘れたが、自称本田恭章の関係者らしい。内容は、許可なく本田のことを書くと著作権がどーのこーので法律で罰せられます、みたいなことが書いてある。しかもすっごく文が長い。法律がえんえん書いてある。

さっそくファンの方に尋ねると、本当かどうかしらんが、ヤスアキを盲愛してるスタッフだという。他のファンサイトにもこの方から抗議メールが届いたそうだ。

アホラシイ。

別に私は個人的にファンで会えて嬉しかったということを書いただけだ。これで金儲けしようなんて思ってないよ。他のファンの子も同じだと思う。

ヤスアキが結婚したからファンを辞める人、盲愛する(自称)スタッフ。

アーティストを、その人の曲がすきだったら盲愛するのは違うと思う。どう変ったって、愛するのがファンじゃないのかね?

アーティストをペットのようにかわいがるのは、アーティスト本人からいっそう遠ざかるもんだ。

ま、そんなことは置いといて、例の写真を最近現像した。今まで、なんか気分的に現像できなかったのである。さて、その写真には私の主婦になる前の大きな思い出の一コマが写っていた。

ここで書くとまた検索でヒットするから、また抗議メールが届くかな?そんなことを思いながらも、昔応援してた人には今でも頑張って欲しいし、応援し続けたいと思います…

2003年08月10日(日)



 グラン・ブルーに憧れて

SOLBITのドラマー、南たけし氏ではないが、私も映画「グラン・ブルー」が大好き。10年くらい前にふとビデオをレンタルして鑑賞、いたくいたく感動したので早速その映画の舞台であるシチリアに行くことにした。旅のきっかけなんでこんなもんだよね。

そして日本からの直行便が無いので、ローマにてトランジット。日本からローマまで14時間、国内線に乗り継ぎ1時間半、乗り継ぎ時間入れて17時間ほどかかってやっとシチリアに到着した。ま、ローマからはシチリアは東京から沖縄くらいの距離なのかな?

しかしなぜかすでに飛行機の中から日本人が、というか東洋人がおらず人々の注目の的であった。それはシチリアに到着しても同じこと。とにかく外国人というのが全然いない。一応、ラ・べラ(きれいねー)と口々に言ってくれてはいるのだがジロジロ見られてとても気恥ずかしかった。

しかし到着時間は現地時間ですでに21時を回っている。それを見込んで現地での送迎を珍しく頼んでいた。そして彼は空港にいた。とても恥ずかしい「ようこそ、ミス・○○(私の苗字)」などと書いた画用紙を手に持って。

そして車に乗り込む。普通の乗用車。しかし何かがおかしい。乗り込んだのは私だけでなく、なぜかイタリア人女性も二人一緒だった。とりあえず誰ですか?と尋ねてみる。すると簡単にこう言う。

「ボクの妹と、恋人のマリアだよ」

…ようするに、「日本人を見せてやるから!」と妹と恋人を連れてきたらしい(笑)。お前、これは仕事じゃねえかよ!

そう思いつつも、シイ、マリア(そう、マリアっていうの)と答える小心者の日本人であった。完全に負けとるな、私。ちなみに私はこのときが海外旅行が初めてだった。

さて、辺りは夜とはいえ、この国では夏は9時頃まで表は明るい。太陽の当たり場所が違うんだね。早速えんえんと広がる美しい海に言葉を無くす。明日朝に海を見るともっとキレイなんだろうな〜とか思いながら。ホテルは、初めての海外にふさわしくオーシャンビューなので楽しみだった。

そして小一時間が経過。パレルモという街ののジョリーホテルに到着。このふざけた送迎人にバウチャー(予約完了チケットみたいなもんかな?)を渡し、チャオ(バイバイ)。夕飯を食ってないので無理やりホテルの喫茶でサンドイッチを出してもらって風呂に入り寝た。

そして朝。

快晴。しかも2重に虹が出てる!!!そしてこの青い海!!!
これだよ、コレ!!

すっかり気分を良くしてグランブルーの撮影現場ないかしらあ〜〜なんて町をうろつく。しかしどこの海も青くて青くて、

「ここにも、そこにも少年エンゾが海に潜って金貨取ってたよ!」

という妄想にかられたのだった。

ここシチリアには3日間だけの滞在で、後はローマに行ったのだけど浮かれた私は帰国後も相当幸せなままだった。そしてフィガロ・ジャポンという女性誌を買った。イタリア特集だったからだ。そして「グラン・ブルーの舞台」というページを一番最初にめくったのだが、そこで意外な事実が判明した。

なんと映画グラン・ブルーの舞台はシチリアのパレルモではなく、シチリアのタオルミーナという街であった…じぇえんじぇえん場所が違う!!!よく調べもしないでシチリアのパレルモ行きを決めてしまったんだよね。嗚呼…人生そんなもんだよ。でもショックだったねえ〜。

そしてタオルミーナには未だ行ってない(涙)。

映画で、エンゾとジャックとロザンナ・アークエット(役名忘れた)がパスタを食う断崖絶壁のリストランテ(レストラン)はタオルミーナのとあるホテル内のものだったのだが、そのおいしさや、サービスなんかでは評価が低いのも知った。でも、グランブルー好きは一度行ってみたいもんね〜。

そこのリストランテでは夏季限定(すっごい暑いから)で、アーモンドのシャーベットをブリオッシュにはさんで食べる朝食があるらしい…おいしいそう…ううう、やはり行ってみたい…

いつかいつかいつか行ってやる!!と今でも苦々しく思っているのでありました。

2003年08月09日(土)



 あの格闘家の今


この間テレビのお昼前のニュースで、タイのムエタイの戦士そして、オカマであるパリンヤ―ちゃんを見かけた。

日本でキック(だっけ?)の若宮選手と戦ったパリンヤ―ちゃんは当時16歳で、試合に上がる前コーナーでメイクに余念が無かった姿には、さすが悠久の王国タイが産んだ人だよなーと感心したもんだった。

パリンヤ―ちゃんは泣きながらファイトをするので、なにかとても胸にくるものがあり、タイ国内でも、一発やらせてくれたら100万バーツ(当時300万円くらい)払うといっている男がいるくらい人気ものだった。

そして今現在のパリンヤ―ちゃんは、というと…

22歳になっていた!そしてムエタイを引退し、なんと女性をターゲットにした、エクセサイズ系ボクシングジムをオープンさせていた。日本が誇るボクシングチャンプ竹山&畑山と同じ発想である。下手な会社経営に走るより安全策のように思われるし、けっこう繁盛してるようだった。

そしてパリンヤ―ちゃんは、性転換したらしく豊かな胸、長い髪、すらりと伸びた足、筋肉は少々落としてより女性らしくなった姿で優しく厳しく女性にトレーニングする姿はとても美しかった。そして女性会員のコメントが。

「パリンヤ―先生は優しく手をとって教えてくれることもあるわ。でも同じ女性同士だから恥ずかしくないわ」

オカマが差別されない国、タイらしいコメントであった。何よりもパリンヤ―ちゃんが楽しそうなのがとても良かった。

格闘技選手の引退後の職業選びは大変だと思う。日本でも今どうしてるのか、とても気になっているキックボクシングの選手がいる。

それは、立嶋篤志である。

皆さん、彼を知ってますかね?千葉出身、超いじめられっこだった彼はいじめられなくなるためにとあるキックボクシングジムに入門。めきめき上達し、高校進学せずにタイにムエタイ留学。帰国後高校に通いだし、夜はキックボクシングの試合に出場するという”至上最強の高校生”というキャッチコピーで頑張っていた。

そして、日本初の年棒1000万円契約のボクサーが誕生した。昔いじめられていただけあって自己顕示欲は人一倍。派手なパフォーマンスで人気があったのだよ。

最近はどうしてんだろ?と思っていたら、彼の自叙伝本が(去年だったけ?)出版されたので、早速購入して読んでみた。

読んでビックリ、壮絶な話だったからだ。サクセス本かと思いきや、頑張って試合で勝ったりしてるのだが、ファイトマネーの件では人にだまされまくっているじゃないか!年棒1000万も結局だまされて日々の生活にすら困窮していたということであった。なんでこんなに人にだまされるんだろう?っつーくらいだまされとる。いやいや驚いた。

実は、コレ読んで面白かったらソルビットの安井則之氏に貸してあげようか…と思ってもいたんだけどね。安井氏も自叙伝書いたりしてるから、何かの参考になるかな…と勝手に思っていたんだが、こりゃー悲しくなるぞ!と辞めた。

ネットで検索しても立嶋篤志の名前ではほとんど上がってこないんですね。一体今彼はどこでどうしているのやら。引退はしてないようなんだが、何かメディアに出なくなったみたい。最近、格闘技通信読んでないから知らないだけなのかな…

運不運ってあるのか、それとも知力の差?

成功してる人の話聞くと余計に気になる立嶋篤志の現在。他の格闘家の行方も気になるんだが(チャンプア・ゲッソンリットとか北斗晶とかね(笑)どうでもいい?)立嶋はまたどこかで誰かにだまされてるのかと思うとちょっと気の毒。

それとも〜顔か?

ハタケはまさにサクセスしてるんだよなあ〜

そして世界のオカマの星、パリンヤ―ちゃんも…

みんな、引退後の計画はずっとしてたのかな?してないのかなー?

でも格闘家は、現役時から引退後のことなんて考えて立ち振る舞ってるってのはやっぱ失格なんでしょうか?これは無類の格闘技好きの、浅草キッドにでも聞くしかないね。

今日の日記は格闘技好きな方と、オカマ好きな方(笑)以外はよくわからんもんになってしまいましたっ。

2003年08月08日(金)



 レズビアンの心


さて、今は連絡全くとってないけど、レズビアンの知人がいる。彼女と知り合うきっかけは、以前この日記でも書いた都立職業訓練校であった。ここでは大変香ばしい方とたくさん出会えてホントに劇的な日々を送れたと思う。

彼女は女の子と結婚式したり(と言っても、籍なんかは入れてない。私からみたらただの同棲)独自のレズビアンのネットワークがあって、おさかんであったというか、まあ、世の中にこんなにたくさん同性愛者がいるんだなーって教えてくれた。

ほんとにそこここにいるんだよね。ま、いい男が少ないだけなのかもしれないが…

で、くしくも私の遠縁の叔母さんも、今から30年前くらいかな?若かりし頃新宿2丁目で、はじめておなべバーを作った人だったので(当時の11PMとかに出てた)それほど抵抗は無かった。ま、厳密に言うとおなべ(男になりたい・男装する)とレズビアン(女のかっこのまま女を愛す)は別みたいだけどね。

しかし私の叔母さんの現在は、おそらく連れそう人が見つからなかったんだろうね、豪華なマンションに一人で暮らしているらしい。若い頃はあたま角刈りで、男もんのスーツをビシッ!と決めてて、そりゃ〜かっこよかった。

宝塚のOBを私の実家に連れてきたことがあって、幼児だった私はマジびっくりしたよ。男と違ってひげとか無いからね。つるっとしてて、少女漫画で主人公とくっつくヒーローみたいだったよ。ま、叔母さんは人間性は素晴らしい人だったから、ウチの両親も仲良くしてたね。

この話をレズの彼女にすると、宝塚OBで芸能界で成功できる人はほんの一握りだから、そうできなかった人はおなべになる人も多いといっていた。私の記憶は確かであったことが判明し、ちょっと嬉しかった。

ああ、百貨店の店員にもいたなあ。

働いてた百貨店で研修があって、各フロアの売り場の人が無作為に数日に分けて私服で研修したんだけど、メンズスーツ売り場のべリーショートのかっこいい女の人二人が、男もんのスーツに手馴れたネクタイでやってきたっけ…いや、正直素敵だったよ。

そして訓練校の彼女はやっぱ、自分のマイノリティーをわかってもらいたいんだよね。学校で授業中に私はレズビアンだから!と公言しはじめた。そして引いていく人が多い中、食いつく子がいた。

それは19歳のギャル、はつみちゃんであった。彼女はまだ高校を卒業したばかりという若さにまかせてとんでもない質問を始める。しかも授業中に。

「女同士って、イケるんですかあ〜〜?あたしよくわかんない〜〜」
「…私はイカせるのが上手いのよ〜テクニシャンと言われてるの、いいのよ〜」

ああああ〜別にかまわんが、どうか、他の場所でやってくれよ!みんな授業してんだぜ、いくら実習でパソコン部屋と教室行ったり来りしてるからといって…

と思って周りをよく見たら、みんなマイペースに自分のことをやっており、他人の話などそんなにはかまっていないのであった(笑)…さすがみんな問題があってこの学校に来た人ばかりだよ!

それからも私はレズの彼女の元彼女に会ったり、彼女が別の女に振られたり、貴重な話を聞かせてもらいました。しかし、おまけというか、そんなに一緒にいたために私が彼女の恋人★という噂まで出回ってしまいましたよ。

私はヘテロセクシャルだあ〜〜〜!

でも、こんな経緯や育ちから、人がホモでもレズでも、オキャマでもオナベでもニューハーフでも偏見は全く無くなりました。その人が持ってる心さえ良ければ、人はみんな案外わかりあえるもんです…みんな、自分を大事にするのと同じくらい他人の思考も大事にしてあげようね!

人を認めてあげよう

そう思うのでした…


2003年08月07日(木)



 親に捨てられた・2


会社で人事を担当していたことがる(人事というか同時に営業とパソコンインストラクター、社内報でインタビュアーもしており恐ろしく多忙な日々であったがおかげでネタはほんっとに尽きない)。

とにかくたくさんの女の子に毎日のように会ったり、悩み相談を受けたりするのだが、かわいそうな話があった。

ある日、私宛てに電話が入った。Kさんという私と誕生日が一緒の女性からだった。なんだろうと思うとお金を貸して下さい、ということだった。

理由はお財布を落としてしまい、全てのカードを止めてしまったので一人暮らしで今日のご飯にも困るという。2万円でいいというのだが、何で親兄弟に頼まないんだろう?変だなと思いながらも給与の前払いで対応しようとした、

早速経理に聞いてみると、今月分はしめてしまったのでできないという。しかしそれを聞いていた社長がポケットマネーから2万円ポンと出してくれた。それを貸してあげたのだが2ヶ月経っても返してくれない。

催促にいこうかなと思っていると、また電話が鳴った。今度は彼女の出向先の会社からだった。彼女が突如失神して倒れ、新宿の女子医大に運ばれたという。

またおおげさな、脳貧血じゃないの?なんて思いながら少々遅くなって女子医大に到着すると、そこには真っ青になったうちの会社の部長がいた。「これは大変なことになったよ」

聞けば、完全に意識混濁しており、さっき回復したが自分の名前しかわからないらしい。頭は打ってないので原因不明。一番仲のいい同僚の女の子がつき沿っているがその子の名前もさっきまで思い出せなかった。ええ?やばいなーと思いながら病室に向かった。彼女がいた。

大丈夫ですか〜と声をかけた。ハイーと弱々しく答える。状況を確認したところで医者が来た。私たちは外に出た。しばらくして医者が声をかけてきた。医者はこう言った。患者さんはあなたのこと、誰だかわからないと言ってるんですが…

オイオイ金貸してんのに!ってのは冗談だが、驚いた。ほんまもんにやばいらしい。死ぬかもしれないなどと医者に脅された。

緊急に家族と連絡を、と言われたのだが、ここで彼女の悲しい事実が判明した。なんと両親がいないという。生きてはいるようなのだが両親とも連絡先がわからないらしい。他には身寄りがないのだと。一緒に住んでいる友人以外誰にも連絡したくないと言うのだ。

原因不明の意識混濁で今にも死ぬかもしれないんだよ!それなのに親類縁者に連絡できないなんて。

結局彼女は原因不明のまま回復したが、違う病院に移った。そこに私はお見舞いに行ったが彼女はやはり記憶がない部分が多いと言っていた。くしくもその日は彼女と私の誕生日。

あまりにもかわいそうなので明るい気分になれるようにひまわりの花束を病室に持っていったのであった。ふと彼女の手をみるとなぜか無数の縫い傷がある。全て2〜3センチ程度の古いもののようだが、これは一体?まだ何か深い事情があるのかもしれない。また彼女を傷つけてもしょうがないので理由は聞かなかった。

もう一人。

彼女はかなりの美人でおまけにかなりの自信家である。ルックス重視の受付嬢だったのだが彼女はしょっちゅう自分の実家を“開業医をしているのでお金には困っていない”だの、困ったことは父に相談するだの、かなり自慢ばかりしていた。私はへーそうなんだ、いいねーと適当に流していた。何事も問題ないかのように見えていたのだが…

ある日彼女の同僚の別の受付嬢から連絡が入った。なんと、会社終了後、彼女がカッターを振り回して暴れるので殺されそうなので助けて下さい、という話しであった。

私は早速その電話をくれた子と面談をした。話はこうであった。どうもクスリをやっているようで、もうかなり前からおかしな言動が目立つとのことだったが、幸い?出向先の企業の人は誰も気が付いていないらしい。驚いた私はもっと早く連絡して下さいよ〜と言おうとしたらこう言われた。彼女は実はとてもかわいそうな子なんです、と。

彼女の親が開業医でお金持ちだというのは本当だが、本当は彼女は14歳のとき両親が離婚していて、そしてその父親も母親も彼女を引き取らなかったそうだ。両親とも、娘はいらないと言ったそうだ。

だから彼女は14歳のときから一人暮らししているようで、どうも高校も行ってないらしい。履歴書に書いてある高校名は彼女が中学から通っていたエスカレーター式の私立有名女子高校の名前で、本来ならば通えたはずの高校だという。しかし、殺されそうなことは本当なのでどうか内密に事を収めて下さい、どうかお願いします、という。

衝撃だったが帰社し、すぐにこの話の事実関係を調べてもらったところ、本当だということが判明した。後は私の判断では動けない。

友人関係とかだったらね、心の扉を開いてあげよう!とかしないでもなかったが、これは企業間の取引に関わるお話だし、人一人も殺されそうになっている。上司の判断で、社内に呼んでみんなで芝居を打って自分から辞めてもらうようにしよう、ということになった。

ちょうど彼女からは私にはもっと素晴らしい仕事(マスコミ関係とかって言ってたね)ような気がするので辞めたいな、と言われていたのだ。ひどい話だが、芝居はうまくいき、少々の保証金を支払い、辞めてもらうことに納得してもらった。

以来彼女からの音沙汰は全くナシ。今どこで何をしているのか不明である。

なんとも後味の悪い「親から捨てられた」話であるが、本当だったんだろうか?信じられないというのが正直な気持ち。親は子に対して責任が絶対にあると思うし、例え子供が犯罪者になったって親が責任を取るべきだとも思う。

子供を捨てる。

今でもうそだよーと誰かに言って欲しい、信じたくない話であった。

2003年08月04日(月)



 親に捨てられた


旅でのなんとなくイヤーな話。

香港の日本人専用のHというゲストハウスがある。日本人専用ということで安心して泊まれるんじゃないかと思って訪ねてみた。ここは格安で、ガイドブックにもよく出ている。

場所は中心街からかなり離れており、周囲は結婚式のすんゲー派手な衣装を売っている店や、なんと棺桶ショップ(かなりびびるよ)なんかもあり、香港ピープルの生活感満載の場所にある。

婚礼用品と葬式用品が隣り合わせにあるってことは香港の人の死生観なのかな?どっちも近いものってね。そして鳥ショップの臭いにおいの隣の階段がHゲストハウスの入り口だ。そこを上がっていくと薄暗いカウンター、奥にはドミトリー(大部屋)がある。

日本の漫画単行本がたくさんある。カウンターにいるのも日本人だ。しかし!かなり萎えた。正直汚いし、イヤーな雰囲気で一杯なんである。泊まってる日本人の顔つきの暗いことったら!しかし勇気を出して一応、空き部屋はあるか尋ねてみる。

すると女は女専用のドミトリーしかダメだという。女専用…って目の前にあるベットだけがカーテンで閉まるというなんともあけっぴろげなものだった。部屋の壁すらない。なんで女は個室はだめなのか考えてみた。

おそらく個室だと、この宿に泊まってる男なんかを引っ張り込んでしまってややこしいことになるからだろうな、と思った。

ジメジメしている部屋、ジロジロみないようにしてるんだけど見られてる感じ、ここも日本に帰れない人ばかりなのかな?薬とか蔓延してそうな雰囲気だし、廃人になりそう…うーーん、イヤだイヤだ。そんな部屋だったら不良外人で一杯の重慶マンションの方がまだいいよ!そこまでしてこのHに泊まる必要は無い。

というわけでここには泊まらなかった。だけどもガイドブックにはかなりオススメ♪ってな感じで記載されてるので要注意。

不思議な人もいる。

この人は他の海外放浪者も会ったことがあるという日本人男性である。

何でもこの人は大金持ちの生まれだったが、16歳になったある日、両親に突如海外に連れていかれ、そして現地で50万くらいだったか持たされて家族の解散を告げられたという。つまり海外で親に捨てられたというのだ。ネタかもしれない…でもわからない。もしかしたら少々頭がおかしくなっているのかもしれない。ちょっと恐い。

道を歩いててマジ迷って、出会う日本人ってのは神様にも思える。でもね、中にはへ?という人もいる。あの人、本当に本当に親に捨てられたのかな…


2003年08月02日(土)



 家は、走らない


その人はうら若き某世界的有名企業の重役。

顔はかっこよく、お家柄的にも申し分ない男性から見ても十分魅力的な男性であった。そして私の知人のお兄さんだったので、その素敵なうわさは聞いていた。外見だけの男ではない。

仕事でも画期的なシステムを考案し、そのシステムは今や日本中の誰もが一度以上はお世話になったことがあるはずの代物である。これを読んでいるあなたも絶対に、ぜええ〜ったいに利用したことがある!

そんな凄いことを考案した方はまた給料の額も半端じゃない。

家の車庫に並ぶ車…それはまさしく資産と呼ぶのにふさわしい一台数千万円程度のものが数台並んでいる。この方は外車が大好きで、所有することに命を掛けているのであった。

そんなこの男性が結婚することになった。

しかし相手はなんだかさえない女性だったようだ。何を話しても反応が弱く、ナンカヘンな人、あの方にふさわしくないわ!ってえのがもっぱらの評判だった。

しかし結婚を決めたからには家族で住める家が必要だ。周囲は、あんなにすげー外車を何台も持っているので、家となったらどんな豪邸を買うのかと期待していた。のにその方が購入したのはフツーのマンションで2LDK程度のものだったのだ。しょぼいもんだった。

一体なぜ?家族(両親と妹)は詰め寄った。お金はたくさん持ってるのに理由がわからないじゃないの!と。お兄さんの答えは豪快だった。

「あ・の・な〜〜、車は走るだろう?だけどな、家は走らないからだよっ!」

…そうか、家は走らないからか。なんか納得したぞ…

やっぱ偉業をなした方は少々ヘンな方であるケースが多い。

伊藤博文は実は処女破りが趣味だったとか、毛沢東の晩年の楽しみは、乙女が目の前でみつあみしてるところを見ることだけだったとか。おそらくその奥さんとも何か通ずるものがあるんだろう。

ほんっと紙一重ってヤツだよな〜〜って今でも思います、ハイ。


2003年08月01日(金)
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