JERRY BEANS!!

2002年11月30日(土) 私の恋人

最近、恋人に会えなくなってから一ヶ月くらいだけど、
会いたいなぁと毎日思っているうちに、だんだん感覚が
変に崩れて来た気がする。

    会いたいなぁ、…「誰に?」
     私の恋人。…「どんな?」

…私の好きな人は誰だったっけなぁ、と記憶がだんだん
おぼろげになる気がする。今ここに居ない人を思うのは、
亡くした人を思うのに似ていて少し悲しい。


昔々、遠距離恋愛をしていた時によく思ったけど、
人は離れている間に誰かを思うのにはとてもエネルギーを
要すると思う。誰かを好きだと思う時、どうしても
その人でなければならない理由を探すのは困難だ。
…恋人は、家族ではないから。

元をたどれば他人だから、その人に執着するのは少し難しい。
それでも多分、日本に帰って顔を見たら、ああ、そうだ、
私はこの人に会いたかったんだわ、と思うだろうけれど。


誰かを好きだと思う感覚は、他人に思う気持ちだと私は思う。
その気持ちが愛に変わったら、彼は家族になるのかなぁ、とも。

私は、自分の家族になってくれる人を探しているのだ。
ただ好きなだけじゃなくて、愛している人とずっと居たいなぁ、と思う。



2002年11月26日(火) 人生50年

今年の12月でようやく25歳になる。
子供の頃に想像していたより、25歳はずっと子供で、
まだ何もあの頃の自分に勝るものが無いのが少し残念だ。

かつて人生50年とよばれていた頃から考えると、
人生の半分が終了してしまった事になる。
まぁここ最近では75年は生きるだろうとしても
3分の1は終了したという訳だ。なんだかあっけない。

人生はジェットコースターみたいだと、また誰かが言った
と思うけれど、過ぎ去ってみれば色んな時があっと言う間
だと感じるのも最近になって分かってきたかも知れない。

人生はあっという間だとして、思い出の時がとっくに
過ぎ去った過去の事だとしても、時々感情だけは突然
思い出したように降って来て、本当に突然、悲しくなったり
涙で胸がつまったりする事がある。

ここに来て久しぶりに独りで夜を過ごすようになって、
とてもとても久しぶりに、ああ、悲しい、と、思い出してしまった。

なぜ私が東京から実家の大学に入り直したのか、とか。
どうして私は独りで眠れなかったのか、とか。

眠るのは死ぬのととても似ているから、私は眠るのが怖い。
それをしばらくはぬるくても幸せで気づかなかったんだわ。
それか、どうでもいいことに忙しくて、か。

思い出すと暗くなるから思い出さないようにする。
けれど忘れるわけにも行かないから、思い出そうとする。
そういう時、どうしたら良いか分からなくなって、
どうしようもないくらいの不安が、胸から体中の先まで滲んで
行くんだわ。

そんな気持ちを薄めるために、他のことで自分を埋めようとする。
それをこれからもう25年続けていくのかしら。

何か、どこか、全く違うところに心が飛んで行く、きっかけが欲しいと
今は思う。



2002年11月23日(土) CHILDHOOD

小さな頃の思い出は数えても数え切れないほど、
心の深層部分まで私を支配する。

この頃昔のことをよく頻繁に思い出す。
学校と言う場所で些細な質問に答え続けているからだろうか。

英語で話すとき、英語では難しいことが言えないので、私はいつも
自分の言いたい事を、とても簡単で短い日本語に直してから
英語で話す。そのせいか、だんだんと頭の中身が単純に
組替えられてしまうような気がする。

自分の言葉の通じない所にきて、とにかく役に立つのは
子供の頃から続けていることや、子供の頃に習い、習得した
事だったりする。私は、もっと柔軟になりたいと思う。
子供のころからそう思ってきたけれど、最近になってようやく
少しずつ柔らかくなってきたような気がする。

少しずつ自分が壊れて行く感覚か。余計なものが剥がれて行く感覚か。

小さな頃の思い出が、もう一度自分に降りかかってきたような、
とても不思議な感じがする。



2002年11月21日(木) 何故という質問に

英国に来てからいろんな人を見る。東京に居たときも
同じようなことを思ったのだけど、たくさん人が居ると、
価値観の個人差がとても大きく感じる。


「何故?」という質問が私はとても好き。

何故かと人に問うた時、その人の答えはその人の価値観を
反映していることがとても多いからだ。

何故それを買ったの?
何故それを選んだの?
何故ここに来たの?
何故そう思うの?
何故

その答えは、私にその人の価値を教えてくれる。



2002年11月16日(土) 人の心配事は

英国の学校に来てから、まだベストフレンドとか
いう感じの子は居なくて、でも別に困ってないので
大抵休み時間に一人で居たら、韓国の男の子が心配して
くれてなのか、「いつも一人だけど大丈夫か?」などと
気を使ってくれる。

だが、元々英国に来たのも、ゆっくり自分について考えたい
という事もあり、別段誰かと話したいとか、そういう事も
なかったので少し微妙な気持ちになった。

昔から一人で居るのがとても好きで、人の往来を見ながら
物思いにふけるのも好きだし、ひっそりとして静かな場所
…図書館や博物館、美術館、公園なんかでぼーっとするのも
好きなのだが、人がたくさん集まるところで一人で居ると
なんだかとても浮いてしまうようだ。

私は一人で居ることをとても大事なことだと思っているので、
こうしたことをしていても自分を寂しいとかは思わないけれど、
もし誰かが私を見て、私のことを可哀想な人だと思うとしたら、
それが、とても悲しく、寂しいなぁ、と感じるだろう。

韓国のその人は、私にもっと積極的に人と接するべきだと言う
けれど、本当にそうかしら、と思う。いくらか昔に、私も自分を
とてもつまらない人間だと思い、もっと友好的な人物になるべき
なのだろうかと考えたことがあったが、結局それは自分になにかを
強いることになると思って断念した。おそらく、彼の言うことは
とても正しいことなのだけど、なぜだか自分にはフィットしない
と思う。

英国に来てまで誰かに心配されてしまうなんて。と、少し自分を
責めたくなってしまった。何だか複雑な心境にかられた。



2002年11月15日(金) 片言でも

たった一片の言葉でさえ、その言葉が本当かどうか、
確かめる術はない。言葉にしてしまえば簡単な事かも
知れないけれど、何かの気持ちを言葉にするのは
とても難しい。

伝えたいことを伝えるために、私は言葉を選ぶけれど、
多分それでも、私の気持ちを全て解る人などこの世に
一人も居ないだろう。

それは悲しいことでもなく、楽しいことでもなく、
ただそれだけの事実としてそこに横たわるだけなのだが。

人は知りたがり、話したがり、伝えたがる。

何故だろうかと、私は、異国の地でもまた、考える。



2002年11月10日(日) 愛がなければ

イギリスに来てからいろんな人を見るのだけど、
日本に比べて人の貧富の差がものすごくはっきりしていて、
人々自身もそれをものすごく自覚しているのですごい。

こっちでは特に教会や大聖堂や寺院がとても素晴らしいのが
嬉しい。…私が今まで考えてた仏教の世界なんかでは、
神様って、人と同じ高さの違う次元に存在するって感覚だった
んだけど、キリスト教では神様はものすごく上の場所にいて、
何かの時には自分たちの所まで降りてくる存在だというのが
建物の構造を見ると解る。

皆が違うものを見て、違うことを思って、違う事をする世界で
愛を叫ぶのはとても難しいことだと、とてもとても思った。

だけど、だから愛がなければ駄目なんだろう。



2002年11月04日(月) NO LOVE NO LIFE

NO LOVE NO LIFE


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