JERRY BEANS!!

2002年09月28日(土) 広がって

この頃、自分の周りの人たちがだんだん、クリアになって行く気がする。

以前までは、鼻にかかる人が居たり、嫌いなタイプの人に目が行ったり
して、毎日少しずつ魂を削られる思いがしたものだけど、最近は誰も
私を汚さない。それどころか、周りの人たちがみんなとても透明に見えて、
それにつられて自分の心もするりと透き通っていくような気すらする。

私は、気付かぬうちに、足を引きずって耳を塞いでいたのかしら。

知らないうちに、蹲って目を閉じていたのかしら。これまで。


昔は、他人に対して、とても羨ましいと思うことが多かった。
私がどうしても欲しい物を容易く手にする人が羨ましかった。けれど、
最近はあまり他人を羨ましいと、思わなくなった気がする。

かつては自分に強いて言い聞かせてきた価値観が、今は自然と、心に浮かんでは
広がって消える。言葉がすっと周りの空気になじむような。そんな感じ。

あまりに道が透明で、こんなことは生まれて初めてで、少し戸惑ってしまう。
変わったのは、一体誰だ。はたして私か。それは、解らないのだけれど。



2002年09月27日(金) さなぎの抜け殻

大人になって指針を失った人が世の中に、溢れて見える。

小さな頃に、学校という制度に落ちこぼれることなど、

大人になってから行き先が見つからない人に比べれば余程幸せだ。


子供の頃の出来そこないは、いくらでもどうとでもなる。
勉強ができなくても、ある程度の脳みそがあれば大丈夫だ。
成績が悪くても、頭が悪くなければなんの問題も無い。

けれど、行き先と目的を見失った大人達は、不幸でもなければ幸せでもない
世界を永遠に彷徨うことになる。それは、なんの起伏も無い世界だ。


行き先を失った大人は、あらゆる問題を人と考えようとする。
他人の価値観で決めたがり、決断の責任を逃れようとする。
それはとてもとても、無意識の世界で。仕事も恋愛も人生も、だ。


自分の頭で考える。これが一番大切なのだ。自分を決めるのは自分。
責任を取れる範囲で行動を起こせばよいのだ。ただこれだけの事を、
大人になればなる程関係無いしがらみに取り付かれて足を引かれる。

自分で考えない人に幸せなどやってこない。幸せのようなものは、所詮
幸せの「ようなもの」でしかない。自分で考えない大人は、子供の抜け殻だ。
悲しい、さなぎの殻なのだ。



2002年09月26日(木) 心の世界

今日は、大学の時のバイト先の友達が誘ってくれた個展に行ってきた。
前も何回か行ったんだけど、毎回、観に行くたびに彼の絵は良くなる。

君の絵がとても好きだと言うと、毎回定期展に誘ってくれるようになった。

表向きはとても無骨で不器用なくせに、彼の描く世界はなぜか、とても
繊細なのがいつも不思議だと思う。そのギャップも楽しいし、何より
彼の描く絵が好きなので、今回も行ってきた。

毎回、行くたびに繊細さが増す。

彼の絵は、棘が少しずつ取れて、より細かく、より深く、綺麗に咲く花のようだ。

私は、この世界で、何より、美しいものが好きだ。

けれど、本当に美しいのは、よいものを生み出す人の心だと思う。
その心をどれだけのもので、どうやって表現したらよいのか、人はいつも
迷って居るんだろうけれど。…そんなことを考えながら色んなものを観たり
聞いたりするのが一番嬉しくて楽しい。

いつもそうして私の心を刺激し、それでいて和ませ、高揚させてくれる
人たちと、そういう人と出会えた事に、感謝したいと思う。

彼の描く心の世界が、いつかきっと認められて行くと私は信じています。



2002年09月21日(土) 愛なんてくだらない

愛を追いかけて、追いかけて、追いかける人ほど
哀れで淋しくて、報われない恋をしているような気がする。

報われない愛の先。
理想を掲げて、全ての項目を維持するような愛など
なんて、くだらないのだろう。

追いかけるのは夢と幸せ。

愛は気付けばそこにあるもの。
いつのまにか人と人とに生まれるもの。
自分の夢や幸せと繋がるもの。

そう思えない人が、愛だけを追いかけて溺れてゆく。

夢と幸せを消耗しながら、死にせまるような。
そんな愛は、くだらない。



2002年09月19日(木) あなたいくつ?

人の日記を読んでいて、たまに思う。

「あなた、いくつ?」と。

文章から、言葉の言い回しから、いくつ位なんだろうと
思ってプロフィールを見たりもするんだけど。
それを見てみると思うよりはずっと年上だったりして驚いてしまう。


…言葉は、心を映す鏡だ。
それを知る人は、自分の心を飾る為に言葉を使ったりもするけれど、
文章はそれでも、どうしても隠せない心の裏をほんのりと匂わせる。

「あなた、いくつ?」

…心の幼さは隠す事は出来ない。



2002年09月17日(火) 臆病者

たった一枚、この夏に恋人と撮った写真があって、それを友人に
焼き増しして送ってもらった。10月から3ヶ月ほどイギリスに留学する
都合もあって、恋人の部屋に飾ってもらおうと思ったのでした。

…普段まったくそういう目に見える形で「好き」という気持ちを確認しない
性格の二人だから、写真など大事にした試しがない。

彼の部屋でひとり留守番をしていたとき、初めて、その写真を
飾ってみたけれど、なんだか恥ずかしくて、直ぐに引き出しに仕舞った。
まだ本物の私がいるのに飾ってしまうなんて、消えたいくらい恥ずかしい。


でもそれ以上に、目に見える形で自分の存在を残して置いておくことが、
怖くて怖くて、仕方が無かった。


もし私が居なくなって、後で彼が残った写真だけ見るとしたら、どれだけ悲しくて
淋しいか知れない。写真も、本体の私が消えたら消えてしまえば良いのに。
そう思った。私は飛行機に乗るのが、とても怖い。死ぬのも怖い。けれど、
目に見えない物の代替品である、目に見える「証」が、ただの紙に変わる瞬間が
私には一番怖い。そしてその次に、彼が淋しくなかったら良いなと思う。

写真は怖いから、引出しに仕舞ったまま。臆病者は、私。



2002年09月12日(木) 恋愛の価値とは?

人を好きになったりする気持ちは大切だと説く人が居る。
まったくそれはその通りだけれど、そんなもんに価値などないと
私は思う。

恋愛に価値があるとしたら、それは、英会話を習う価値とか、
スポーツクラブに通う価値とか、そういう類の価値と同等レベルだと思う。

人を好きになる気持ちは人間の欲求の一つだからもう少しは大きなもの
かもしれないけれど、それだけが特別みたいな人は好きじゃない。

人の日記を読んだりすると「この人本当に恋人の事が好きなんだろうか」と
思う人も、居る。もしかすると、恋愛に夢中になってる自分に酔ってるだけ
なんじゃないか、と言う事だ。

私は、好きな人が居て、その人が傍に居てくれたらそれで結構満足だから、
その人に何をして欲しいとか、こうであって欲しいとか、あまり思わない。
でも、私の嫌いな女の子は、“何でこうしてくれないの”と、うざったい
セリフしか吐かないから、読んでいると胃の辺りが圧迫される気持ちになる。

大切に思うべきは、「恋愛」ではなくて「恋人そのもの」「それ自体」だ。
恋愛ごっこが好きなら、いつまでもずっと同じことを繰り返してればいい。
人を変えるだけで同じループを辿るだけだ。いつか相手にされなくなるまで。

それで満足なのだろうか。恋愛に価値など求めているうちは、大事な人にも
気付かない。大事な人の、気持ちにも。  悲しい。



2002年09月08日(日) プラチナの指輪

先日、知り合いの男の人の車で家まで送ってもらった。
帰る方向が同じなので、時々乗せてもらう人だ。
彼の車では、奥さんに「帰るコール」する間は声を出さないでね、と
言われている。奥さんに余計な心配をかけないように、との配慮らしい。

私は彼を、とても、やさしい人だと思う。

先日そうして久しぶりに送ってもらうとき、彼は奥さんにいつも通りに
電話をした。けど、いつもとちょっと違って、奥さんは何か泣いている
みたいだった。

彼のほうだけの片一方の話を聞いていると、どうやら奥さん、結婚指輪を
なくしてしまって、泣きながら探していて、それでも無くって、困って
いるらしい。彼は「また新しいのを買ってあげるからぁ〜。仕方がないでしょ」
と言って奥さんをなだめていた。

たったひとつのプラチナの指輪。それが無くなったくらいで一体何が消えて
しまうというんだろう。私も以前付き合っていた人からネックレスをもらった
時、同じように首からぶら下げていい気になってた。まるで「売約済み」って
札が貼られた商品みたいだと思ったけど、それで彼が喜ぶならと思った。

本当なら、どうでも良い事。だけど、私も同じようにやはり「それ」を
無くしてしまったら、なんだかぽっかり小さく穴が開いたような気がした。

今の恋人は、そういう贈り物をしてこないから、とても好き。

物はいつか、消える。だからといって必死になって、普段からそんな小さな物
を気にかけなきゃならないのも、何か違ってる。

もう居ない人からの贈り物は、ただそれだけ、それしか残っていない確かな
「証」だから涙も出るし、気も使うけれど、いつも傍にいてくれる人からの
贈り物など、たとえプラチナの指輪でも、それだけでは心の隙間を埋める事
すら出来ないというのに。隙間を埋めるのは単なる「錯覚」。そうではなくて、
もっと確かな、この手に触れる恋人の肌のほうが、私には大切だと思う。

冷たいプラチナなどではなくて。



2002年09月07日(土) 女の子の夢

乙女の夢は儚いものです。
男の子とは違って、女には時間がある。

だんだんと年を取る毎に、許される時間がなくなる切迫感がある。

私はそれが嫌で、女で居る事が嫌いな時期があった。

最初は、私の体が子供で居られなくなった時。
胸に物があたる度に、痛みが走ったあの時期。
私は自分の体の時間が止まればよいと思った。そうしなければ
「私」が消えてしまうような気がしたから。

でも、痛みがなくなり、胸が今のサイズになる頃には、諦めがついた。

「子供」ではいられないんだと思って泣いた。

私が一番好きだったのは、子供だった頃の思い出。

好き放題に木に登って、暑い夏は川に足を浸して、田んぼ脇の用水路で
魚を釣って、草をすりつぶしたものを体に塗りたくって遊んだあの頃が、
私が一番好きだった時間。私が一番好きな「私」の形。

女になって良かったことなど、恋人に愛してもらえることくらいで。
それでは、あの頃の全能感は得られない。
だから、そんな現実を忘れる為に色んなことをしているだけだ。

大人は夢を見ないのかしら。
女は夢を見ないのかしら。
男は夢を、見るのかしら?

子供の頃のように、ただ滅茶苦茶でデタラメな夢に翻弄されたい。

女になんかなりたくなかった。それは、私が女の子だった時の夢。



2002年09月06日(金) 他人の家の事情

この前従兄弟のお兄ちゃんが結婚した。けど、その時から彼の家では
色んな問題がテンコモリになっていて、親戚一同、ネタに事欠かない。

そのイトコのお兄ちゃんは今年で32歳。私の父の姉、の長男だ。
彼は学生時代から12年連れ添ってきた同級生の彼女にフラれ、失意のどん底
状態だった所を私と同じ年(今年で25歳か?)の女にうまいこと釣られた。

それでこの前、脳みそ沸騰状態で恋の情熱フィーバー的に結婚式あげちゃった
んだけど、この嫁さんがまた問題のタネだったのだ。

もともとヨメはんの実家は、何故か両親ともに無職でして、一家の生計を
そのヨメはんとヨメはんの実姉とで養ってる状態だったんだそうで。
そういう理由で従兄弟の両親は結婚に反対。だけどヨメはんの「結婚!!」願望
だかなんだかに押し切られて結婚する事になったんだそう。

結婚式の費用は、ヨメはんの家はお金がないということなので従兄弟の両親が
全負担。ヨメはんの希望により、スモーク炊いてみたり、色々やったらしい
のだけど、問題はそこじゃないんすよ。

結婚式当日、当然ヨメはんのご友人たちも、式には参列しますよね?だけど、
そのご友人たち、控え室では禁煙でもお構いなしで「片手に空き缶、片手に
セーラム」系(セーラムなんて甘っちょろいヤニ吸うくらいなら禁煙しろ。)
で我が物顔。声はバカに多い「ボリューム最大」。流石に結婚式ともなれば
会社の上司やら、親戚の方々も来るわけなんだけど、そういうの考えんのかなぁ。
わかんないけど。そんで、発言も「なんかサー、○○(ヨメはんの名前)も
ヨさそーなのつかまえたジャーン?これで一生安泰ってやつ?チョー羨ましい
よねぇ〜。」とかそう言うことを言ってたらしく。当然うちの親戚の人も
聞いてまして。おばさんの耳にはいって、おばさんは目茶目茶不機嫌。
当然式の最中も、そんな調子のままでして、おばさんがご来客の方に
お酌をしてまわってるときも、ご友人たちは片手にワイングラス、片手に
煙草で「ドーモォ〜。」とグラスを突き出したらしい。私は仕事の都合で式には
参列しなかったんだけど、さすがにいい年(私と同じなら25だろ。)して、
んな、漫画に出てくるようなギャルちっくな「ねーちゃん」が未だにいるなら
見てみたかったなぁ。と、力強く思っちゃうわ。

しかし大事なオチは、先日にあったのよ。
当のご本人(従兄弟のお兄ちゃんと、ヨメはん)の二人が新婚旅行に出かけて
居る間中、おばさんは結婚式当日の「ヨメはんのご友人」についてのご報告を、
様々なルートから聞いてしまったらしい。親戚から言われるのは「忠告」だから
まだいいかも知れんけど、友達や会社の上司やそういう他人様たちに、
「おめでたいお式に難癖をつけるみたいで申し訳ないけれど…。お宅のお嫁さん
のご友人?…もし本当にお嫁さんのご友人なのだとしたら、ご結婚、もう少し
ゆっくりご検討してからでも良かったんじゃないかしら…?」なんて忠告(しかも
多数の人に)されちゃったら、もう親として恥ずかしいだろうなぁ。と思う。

そのおかげでおばさんはガックリうなだれまくり。そんな所にお兄ちゃんは
のんびり顔でアツアツの新婚旅行から帰ってきた。おばさんは「あら…
そう。」と薄い反応。お兄ちゃんはどうしたんだろう、って実家に寄って
様子を見に来たわけなんだけど、おばさんが「貴方のお嫁さんの事で、たくさんの
方からご忠告受けたのよ。貴方のお嫁さんの事は分からないけれど、ご友人が
あんなだったら、お嫁さんだってそうなんじゃないかって、言われたわ。
云々…(言われたこと、全部お兄ちゃんに説明中。)…。どうなの、貴方は
お嫁さんのご友人やそういう所を知ってて私たちに黙ってたの…?」

(次がオチだ!)

「知らなかった……。」(ガックリうなだれて焦点の合わない目を泳がせる兄)、
おばさんも、がっくりと同時に湧き上がる感情がぁ!
「あなたにあんな女を掴ませる為に32年間も育ててきたんじゃないのよ!」
!!!!
おばさん平手打ち。従兄弟のお兄ちゃん、茫然。(以上、終劇!)

というような事があったらしいんですわ。本人が良いなら、それで良いんだろう
けれど、本人も知らない事があって結婚するのは大変そうですな。これから
従兄弟の家はどうなっちゃうんでしょうか?…せめてヨメはんとお兄ちゃんの
二人っきりだけででも、「幸せ」ならまあいいんだけど。

結婚って、難しいもんなんですね。



2002年09月05日(木) 余計な知恵

今年で22になるイトコが居る。一人っ子で育ったおぼっちゃんだ。

彼の恋人は、私と同じ25歳のお嬢さん。だけど、この人、ちょっと
変わってる。…彼の両親を、「一成さん、真由美さん」って名前で呼ぶ。
最初は23才とかって、年を誤魔化してたんだったかなぁ。

イトコは来年の春から就職が決まってて、それがわかった途端に「同棲」の
二文字を多発するらしい。お菓子の問屋さんに勤めているらしいのだが、
イトコの両親の家に「ガムをダンボール一杯」送ってきてくれるらしい。


…何かが間違ってる気がするのだけれど。


恋人の両親を名前で呼ぶってのは、おそらく「私はご両親を○○君の両親
だから仲良くしたいんじゃなくて、一人の人間同士として尊重しあいたい
と思うから、名前で呼びたいの!」と言う感じの主張からくるものなんだ
ろうけど。

って、こんなふうに安直に想像されちゃってしまう辺りが「浅薄」な証拠だ。

普通にモメないように仲良くするには「おじさま、おばさま」で十分じゃないか。
それに23も25も変わらないでしょが。ガムをダンボール一杯に送ってきても
噛みすぎでアゴ疲れますって。…。

だんだん時代が進むにつれて、女もドンドン社会に進出しはじめました。
変な知恵をつける人も沢山います。頭が良くなったのも、勉強ができるように
なったのも、文化に詳しくなったのも素晴らしいのですけれど、
「中途半端な余計な知恵」はろくなものを呼び起こしません。

女も25年やってると、だんだん壊れてくるのかしら。もっと、どうせ使うなら
頭はもう少し別のことに回してやったほうが良さそうな気がするけどな。

色んな事を、感じてしまったり思ってしまったりするのは仕方の無い事だけれど、
それを全て行動に移すのが果たして良いかというと、そうでは決してない。
レディの端くれと思うだけの心があるなら、何が一番良いのか考えるだけの
回転は欲しい所。変に余計な知恵というのは、女をバカにするだけだ。そうして
女はバカだと思われて行くのかしら。ああ、悲しい。



2002年09月03日(火) 要領の良い人

「要領の良い人は、生きていくのに苦労が少なくて良い気がする。」

そういうと、少し語弊があるかもしれない。きっと「努力」というものは
あらゆる人が、自分の身の丈による「それ」を平等にこなしていて、
そしてそれは他人の目からは見え辛いという事かもしれない。

だけど私は、不器用で、要領が良すぎない人の方が、ずっと好き。

生きることに苦労するとしても、生きる痛みを知らない人は
他人の痛みを想像するしかないだろうから。

手を切る痛みは、経験しないと分からない。

傷跡から血が吹き出る感触も、皮膚の切れる瞬間も、肉がが疼く感覚も。
私にだって想像しか、することが出来ない。

だからといって故意に自分の手を切る必要はないけれど、体の痛みですら
そうなのだから、目に見えない、心の傷は当然のようで。

あらゆる人の心の傷を、そうでない他人は「そんなこと」と言って笑うかも
知れないけれど、誰でも、他人の言う「そんなこと」で悩んで、涙を
流したり胸を痛めたりしながら、その傷を撫でてるんだと思う。

その傷を理由に自分を庇護する人は嫌いだけれど、痛みを知っていて、
それ故、人に優しく出来る人が、私は好き。


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