JERRY BEANS!!

2002年08月28日(水) 欲と感情

人から知性を奪い去ると、そこには欲と感情だけが残る。

人は知性を無くしても、この二つがあればいくらでも起動する。

この二つが一番の原動力だからだ。

人は、欲が在ればどんな事でもしてしまうし、感情があるから

様々などうでも良い事柄に、主観を交えて反応する。


生きていて、年をとれば取るほどに。少しずつ知性を無くして。

乾いた体と心で、ポロポロと表面から崩れていってしまう。


欲と感情は、過剰な火。人の中から生活に必要な潤いを消してしまう。

いつか、全てが枯れるまで。



2002年08月25日(日) 普通の人

「普通」という言葉は、人にあまりよく思われない風潮がある。
「普通の人」なんて聞くと平凡で凡庸で、毒にも薬にもならないような、
無味乾燥、面白みのまったく無い人、と言うような印象を受ける。

けれど毎日普通に生きれるなら、一体どんなにいいだろう。

小さな頃は、幼い自我と自尊心で自分だけはきっと特別だという考え
を持っていた。けれどその気持ちは、自分だけではなく、他の人にようやく
目が行き始めた頃に、今度は自分の浅はかさに対する羞恥心に変わった。

それ以来、「普通」に生き、「普通」に考え、「普通」に行動する
事を目標にして努めて自己について考えてきた。
けれど普通に毎日をやり過ごすには、心に余裕が無ければ出来ない。
「普通」の余裕が持てない人には、何事も普通に行えないのである。

勿論「自分は普通の人生でいいんだ」なんて、半ば諦めのかかった生き方
ではいけない。それは、本当は上昇志向のある人が、それを出来ないから
そう言うだけだ。私の思うのはそう言うものではなく。
「毒も薬も必要ない」ような人生を送りたい。

毒が必要になる程健全すぎる事も無く、薬が必要なほどに劣悪でもなく、
自分で作り上げる自分の中の波みたいなもので、アップダウンし、試行錯誤し、
喜んだり哀しんだりしながら、生きたいのである。

一見普通のそういう生き方は、実はとてもとても難しくて、未だに、そして
多分一生、「普通」が完結はしないんだろう。先はおぼろげで、とても
遠い道だ。



2002年08月24日(土) 私の過去中、最高に「馬鹿」な男についての思い出

というのは。なんとなく車を運転していて、昔つきあってた人の実家の
前を通って、その人の事を思い出したからなんだけれど、その人は
高校の頃から浪人していた時まで付き合ってた彼で、私にしては
珍しく「どうしようもないほど“なんだかなぁ”」って感じの終わり方
だった人だ。

当時はなんでか知らんが夢中だったんだけど、今思うとこの人は今まで
付き合ってきた中で一番「馬鹿」だったと思う。

最初に「君と付き合うのは疲れるから別れよう」と言ったのは彼で、私は
それでも好きだからお断りしたんだけど、なんだか別れ話をしている間に
こいつの本性というか、それまで隠していたイヤな部分がだんだん解ってきて、

最後には私が「よし分かった。あんたは要らない。あんたの言う通り
別れよう!バイバーイ。」って言ったんだった。

でも事態はここで急変する。それまで別れたくない、と言っていた私が急に
要求をのんで「別れる」と言ったら、彼はやっぱり「彼女」が惜しくなったのか
「やっぱり別れたくない」、とごねをこね出したのだ。一体全体なんだそりゃ?
である。

それでも私としては気持ちは吹っ切れたので「え、ヤダよ。もう別れるって決めた
から貴方のことはどうでも良いもん。もう新しい男を見つける旅にでるさ(笑)。」
なんて言ったら泣きながらすがりついてきた。もうこの時点で完全に酔いは
醒めた。それでもぐだぐだと彼は色々言ってくる。それまで別れをごねてた私を
焼き増しして貼り付けたみたいだった。立場逆転。

「でもさ、やっぱ別れようって言ったのは貴方の方からだし。悪いけどもう
貴方と付き合うことはやめたい。」と言ったら、彼が最後の一言。


「じゃあ、別れるから、最後に一回やらせて。」(←泣きながら。)


決定打である。…この一言で、恋愛の熱どころか、それまで付き合ってきた
私の彼との時間や思い出や、もうそりゃぁ、何もかも、全てが「無駄」だと
思った。アホか、こいつ。…自分から別れ話を提案してきたくせに
なに言ってんだ?と思った。いままで何人かとつきって別れて、ってのはあった
けど、最後がこんなに「締まらない」奴には会ったことがなかった。
オマケにこの男は、バイト先まで送ってもらうと「500円」という男だった。
あの頃は好きだったので疑問にも思わず500円を渡していたが、今になって
自分が普通に車を運転し始めると、「なんで500円も取るんだよ!?」という
気持ちで一杯である。まだまだ言うなら、私がたまたまお互いに共通の友人(男)
と軽くキスをした事があった時に、隠すのはやだなと思って事実を彼に言ったら
「浮気するような女の子とは別れなさいってうちの母親も言ってた。」と
ほざいたんだったな。

私も当時は相当な馬鹿であったけれど、それにも増してこの男はヤな奴だった
なぁ…。今になってようやく笑える話だけれど、さすがにこいつと付き合って
別れてからも、こいつのような男には友人でも会った試しがない。

それももう既に8年くらい前の話だけれど、やはり、高校生くらいだとまだまだ
人間と言うのは未熟なものなんでしょうか。こんな馬鹿馬鹿しい思い出なんかを
持ってる自分がちょっと情けない。この男は今は何をしてるんだろうな。
もう二度とお会いしたくないけれど。(苦笑)



2002年08月23日(金) 時間の中和点

昔むかし、中学の理科を受け持っていた自称発明家の先生が、
「宇宙は常に安定方向に向かっている」と、なんだかとっても
尤もそうな大言を言った。

安定方向に向かう、と言うのは、つまりは「濃い濃度の水溶液と薄い濃度の
水溶液を混ぜると、必ず両者は一定の濃度まで互いに近寄り、ある一定の
温度で完全に混じりあい、その状態で安定する」と言うような化学の原理から
来ているようで、他にも温度の違うものでもそうだし、化学反応もそうだし、
要するに中和するというのは非常に安定しているということなんだそうだ。
うむ。(油と水は混じらない、というのもあるけれど、その辺のことは私は
科学者でもなんでもないので分からない。そういうものは混じらない事が
安定した状態なんだろうと思うが。?。)

さて、そう考えると、宇宙が常に安定(中和)の方向に向かっているとすると
この世界の時間の流れもその原理に当てはまるんだろうか?

時間は常に私たちの生きる世界では一定方向にしか流れない。と、いう事は、
時間の流れも中和の方向に向かっているとしたら、この世のどこかではこの時間の
流れと全く反対の方向で、私たちの向かう方向に流れてくる時間を過ごす
世界があるという事なんだろうか?

そうしたら、この時間とその時間の中和点で二つは完全に混じりあって、
時間は安定して止まるのだろうか。
安定した世界とは、どんな世界なのか、私には想像すら出来ないのだが
もしもそんなことがあるのなら、そこがこの世の最終地点なのかもしれない。
出来ればもういちどあの時に戻りたい、なんて、よく考えたものだけれど、
最終地点までいってしまえば、もうそんなことも考えなくて良いのかな。
最後の最後で。



2002年08月22日(木) 堕落と怠惰

誰かを変えようとして、一番その人を変えられるものは、
一体何だろう。

人は、努力をしなければ簡単に堕落して行く。しかし
それと同時に、切磋琢磨し続けることがとても難しいのも
事実である。そう考えると、やっぱり人間は「堕落する生物」
なのかなぁ、と思っていた。けれど、どこまで堕ちても、
各個人による基礎レベル、それ以下にはなかなか堕ちない、と今は思う。


私たちには、誰かを意識的に「良く」させる事も
「悪く」させる事も出来ない。ただし、環境をつくることは可能だけれど。

人は、本質的には他人に左右されないけれど、周囲による環境には
左右される傾向にある。誰かの諫言は聞こえないが、声にならない
大勢の他人のつくり出す環境には飲み込まれ易い。


堕落するのは、果たして容易いのか、難しいのだろうか。


本当に人を変えてしまうのは、堕落ではなく自分自身の怠惰だ。



2002年08月16日(金) 歓心

先日幼友達の実家に久しぶりに挨拶に行った時、そのお宅のご親類の
方が来ていてご紹介を受けた。はじめまして、と挨拶をしてから
しばらくお話をして、お茶をご一緒に頂いた。

そのご婦人に「あなたは世間ずれしていない、気持ちのとても可愛らしい方
なのね」という言葉を頂いた。初めてそんな風に誉めてもらったので、
思わず嬉しくなってしまいました。


普通「あの子はとてもいい子よね」なんて言ってもらっても、その「いい子」
という表現の中に、社会的な振る舞いや立場や態度をよく理解している、
という意味が含まれている事は否めません。けれども、そのご婦人はそういう
意味の言葉ではなくて、心の純粋さに関わる言葉をくださったんですよ。

初めて会った人に、心が素直で可愛らしい、というような言葉をかけて
いただいて、まあとにかく初めての経験だったのでびっくりしましたが、
服装や、持ち物やお家柄なんかを誉められるよりもずっと嬉しいと思いました。

こんな言葉をかけてくださる人が居るんだなぁ、と歓心した一日でした。



2002年08月14日(水) 私という部品

あの人の考えている事が知りたい。

けれど、近くに居れば居るほど、解らない事は増えて、遠く離れれば淋しいと
思う時間が増えて行く気がする。

ひとつの感情を、誰かと半分ずつ分けて色んな気持ちを共有して行けたらいいな
と思った。けれどやっぱり、私は私で他人は他人だ。全ての気持ちが共有出来る
はずも無い。私にも、誰とも分けたくない領域がある。それはお互い様の事情。
けれど、それを納得しろと頭が命令しても、心は、淋しいと言うし、
心が不満を言って泣いても、理屈はそれを満たさない。

あの人の考えている事が知りたいのは、知らないと不安だからでしょうか。
それとも、ただ私が、自分自身に不安を思うから、それを相手に代替して
不安の原因を転嫁しようとしているのでしょうか。

ただ唯一救いになるのは、私があの人を解らないと思うときは、あの人も
私を解らなくて困っているという事。

これからしばらく離れていると思うと、私は不安なのです。
私の心の部品のどのひとつも、あの人の体を満たさないのかと思うと。

せめて、どれか一つでも彼に必要とされたらいいのだけれど、
「在れば便利だけど、必要ではないもの。」彼にとっての私は、まだ、
そんなところなのかも知れないなんて考え出したら、一瞬だけ体が冷たく
なるのを感じるのです。



2002年08月12日(月) 衝動性

この頃、衝動的なものや気持ちを純粋だと、そう思う人が増えた気がする。
衝動的な、動物的な、五感以外のものから感じる何かを、信じたいのかな。

それはそれでいいのかも知れないけれど、衝動的な心や、動物的なカンが
異常なほど冴えるのは、その全てが、普段は鬱屈され閉じた状態であるからだ。

常に全ての感情が剥き出しなのは、動物的なのではなく、動物。
常に衝動的なのは、単なる稚拙。

動物と稚拙の生み出す世界はただの堕落です。

人間なら、人間らしく。意味を考えながら使うのが良いと思う。



2002年08月11日(日) 片言

「愛してください」という人が多い。
「愛されたい」と嘆く人も多い。
「愛されない」とすがる人も多いけれど、

本当は誰の事も愛していないから、その結果がそうなだけだ。

自分のことしか好きじゃない。
自分のことしか愛してない。
酷い時には、自分のことすら愛していない。


そんな人に無条件に愛をくれる人は居ないのです。
それは何処にも行く当てのない旅のようなもの。

…見つからない限りその靄からは抜け出せない。

つい口にするその言葉こそ、呪い。



2002年08月10日(土) 言い知れない恐怖

私には苦手なものがある。
それは実の母親。

母は、私に媚びを売る。媚びを売らなくても私は遠くに行きはしないのに。
媚びを売るのは、本当には一端が繋がっていないからだと思う。

好かれたい気持ちと媚びる気持ちは全く違う。その違和感が、この人には
何故か消えない。彼女には何かの疎外感があって、それを補う為に私たちに
媚びを売るんだと思う。だけど、それのせいでかえって人を離しているのに
気付かない。

誰かを好きになって、その人に好かれるのはとても自然に成せる事だろうけれど、
それ自体が自然に出来ない人にはその全てが難しい事のように思えるのかも
しれない。

もしもそんな不自然で悲しい思いをこれから先も繋いでいかなければならない
としたら、とても恐ろしい。けれど血と環境はそれを繋ぐだろうから
余計に恐ろしい。目は背けられないが、気持ちはコントロールできるから
いつでも必死なのだ。私は。

本当なら助けてあげたいけれど、血が繋がった私や家族では助けることは
できない。父のいない今では、その人は自分で探すしかないのである。



2002年08月09日(金) 消えてくれてありがとう

去年の日記を読み返して、自分があの人の事を、もうすっかりと
忘れていたことに気付いた。あんなに夢中になって、涙まで流して、
辛い思いもたくさんしたにも関わらず。

あの人には、たくさん傷つけられて苦しめられて、とても痛いと思ったけれど、
あの人の言葉も行為も、私の中に、きつく深く、残るほどの傷はひとつも
残すことが出来ていない。

昔むかし、好きだった別のある人は、未だに私の中で、音を立てて
軋むというのに。それすらの事もない。

今になって、全くキレイに消えてしまった私の中のあの人。

ああ、消えてくれて、ありがとう。

一時は殺してしまいたいと思うほど、あなたの血を、全て全て、毛嫌い
したけれど、それも今となってはどうだっていい事で。あなたが何処で誰と
くっ付こうが、のたれ死のうが、私の知るところでもないし、そんな事すら
忘れていた私の回復能力には、今とても感謝している。あの頃、あの時に
思った「愛している」という言葉も、気持ちも、あの時のままで、瞬間的に
あの時の「永遠」になってしまって消えてしまったのだ。
あの時のキツかった思い出は、今の私を毛ほども傷つけない。

今はもう、小さく胸に残るような、鈍いとげの痛みすら、思い出せないでいる。



2002年08月06日(火) 日本語

日本語は世界で最も美しい言葉だと、誰かが言う。

そうなんじゃないかなぁ、とは思うけれど、それが本当に美しいのは

必然と必要が絡むからだと思う。

日々ネットの海を渡りながら色んな文章を読むけれど、本当に美しい言葉

にはなかなか出会えない。難しい言葉や美しい言葉をただ羅列しても

そこに心がないなら、どんなに素晴らしい言葉もただの屑だからだ。


本当に誰かに何か伝えようとして、でもそれが出来なくて辛くて、その気持ち

が文として表れている人なんて、何人いるだろう。


本当に美しい言葉は、心を持って生きている。

50年経った後も、変わらず感銘を与える自信があるでしょうか?

言葉は腐らないけれど、その意味が色褪せるようなら、本当に美しいとは

言い難い。表面的な美しさや知性を追いかけても、そこに心の無い言葉は、

いつでもただの道具でしかないのです。そういう言葉を読むのが、辛いです。



2002年08月05日(月) 第三者

誰かのことを思って文を書く時。

それを読んだ誰かに“こんなふうに愛されたい”と思われたい。


一番好きな彼よりも、関係のない第三者に羨ましがられたいと思う。

一番好きな彼には、ただ気付かずに、居て欲しい。


あなたの言葉に作為が沈みませんように。

私の仕草に媚びがでませんように。


一番好きなあの人の前では、こんなたくさんの、言葉も行為も

意味がなくなってくれたらいいと思う。




2002年08月02日(金) 今の仕事について

今の職場にいて、良かった事はあまり無いかも知れません。
けれど、それは最初からある程度分っていたことなのです。
真に理解はしていなかったと思うけれど。

ではなんでそんな程度の環境だと知ってて、わざわざ今の会社に入ったのか
というと、実の所、亡くなった父の仕事を、一度はきちんと知っておきたい
と思ったからなのです。

ずっと、今まで育ってきて、父がどんな所でどんな事をして、私の為に
お金を稼いでいたのか、養われている間は知りもしなかったので。

父は、私からは「仕事」を遠ざけていたようです。というのも、父には
本当はしたかった仕事が他にあったからだと思います。その夢は、今は兄が
継いでいるように思います。私には、継がれた夢はありません。
私にあるのは父の考え方や感じ方のみなのです。そのかわり、兄に比べて
私は自由でした。

父は、仕事だけに染まれるほど単純な人では在りませんでした。その精神は、
いつも複雑で、勝気な強気なふりをするほど、その内面は繊細だったと思います。
その中身にいつか触れよう、と思う間もなく、父は、亡くなってしまいました。

私と話す時の父は、いつも純粋で、一本気で、けれどとても繊細でした。
私は父の仕事の顔を知りませんでした。だから、父のその顔を追いかける為に
父の仕事と関連のある今の会社に入ったのです。

だから、後悔はしていないのです。

ほんの少しの痛みとひきかえに、父の欠片をたくさん集めました。
だから、いいのです。私は父が好きでした。今は、もう思い出の中でしか
会えないけれど。今はもっと近い感じで、父の事を好きだと思えそうです。


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