JERRY BEANS!!

2002年07月31日(水) 蜘蛛の道、メロンの網目

世の中にはあんまりにも沢山の道があって、

蜘蛛の巣どころか、ありんこ1匹も這い出る事が出来ないくらい

道は狭まって交錯して、四方八方、上下左右に広がっていて、

私たちはそのうちの一つの始点にいつも立っている。


違う道がどれだけ沢山あっても、最初に自分の立っている始点は

それぞれに決められているから、そこから違う道に行こうとするのは

本当に大変だろうな、と思う。


一番最初に、私たちはそれぞれの始点に立っていて、それは誰が決めた

ものでもなくて。…自然とそこに道があるだけ。そして、気付いたら

私たちは歩いてしまっていて、いつか別々のところへ離れていってしまうのかな。

一度通ったら、二度と戻れない、今まで歩いてきた道を、立ち止まる事も

出来ずにただ振り返るだけだわ。それでも歩かなきゃいけないから、

いつか、どこかに辿り付くのかもしれないと、微かな希望だけ胸に抱いて、

やっぱり歩くしかないのです。今何処にいるのかとか、今は何時なのかとか、

考えてもきりが無いから、やっぱり、歩くしかないのです。


ただ、目をつむって、全てに運命をゆだねる時は、あなたの事を思い出すわ。

そんな夢を見るときだけ、一緒に歩いているように、錯覚させて。

見ている方向が同じなら、きっと最後に辿り付くところは一緒でしょう。

そうだといいな、…そう思って、やっぱり歩くしかないのです。



2002年07月30日(火) 結局

めでたく会社を9月で辞める事になりました。

が、今まで私の中ではいろいろと憤りがあり、葛藤があり、

今度何かあったらぶち切れて、ガラスに椅子をぶつけて叩き割ってやるとか、

グラスを思い切り4メートルくらい離れた壁に投げつけてビビらしたるとか、

そういう思い切った行為に出たいなぁと思っていただけに、あっけなく

言ってしまって、ほんでしおらしく受理されてしまってなんだかガックリだ。


本当なら「私に謝れ、今畜生!」くらい言ってやっても良かったのではないか?

とも思うのだが。



しかし、自らを省みることをしない人は一生そのままだろうなぁ、と思う。

社長を見て、ああ、この人はなんで事務所に来る人が皆が辞めていくのか

考えたりもしないんだろうなぁ、と思って少し哀れになってしまった。


今となっては余計な同情で何の役にも立たないが。


ちなみにこの日、設計の女の子からも辞表が届いてました。…。



2002年07月24日(水) 君と一緒に

夏の夜は蒸し暑くて寝苦しい。

今宵の月は満丸。夕焼け色。クリーム色。真白。蒼白。

夏の暑さを避けるように、暑さの隙間に宇宙から涼しい風が届く夜は

君と一緒に海辺を歩きたい。空を見ながらする、遠い銀河の話。

一人で居ると、ここに何か感じるたびに君となら、と思う。


夜の街を散歩するのもいいな。波の音を聞きながら昔話しよう。

窓を開けて、網戸にしたまま月影で、手をかざしながら明日の話をしよう。

僕はただ、毎日君と居たいだけなんだ。

僕が生きてること、君が知っててくれたらそれでいい。

君と一緒に、生きていることを確認しあってたい。君と一緒に。



2002年07月23日(火) お金で買えないもの

お金で買えないものがたくさんある。
が、それに気付けない人は多分悲しい人だと思う。

時々は私も思う「もっとお金があったら」と。

だけど、お金が無いから不幸だとは、思わない。けっして。

逆に、お金は有るけど、心に何もないのなら、とても不幸だろう。
ただ息をするだけの生活、何の教養もない生活、品格の伴わない生活。

そんなものなら、羨ましくない。

お金で買えないものが、いつも欲しい。年月とともに重ねるもの。
その時でしか手に入らないもの。努力しなければ身に付かないもの。

私は人として生きたいのだ。ただそれだけなのだ。



2002年07月22日(月) 探し物

何かに強く惹かれる時。…言葉、音楽、影像。
それがどうして、自分の心をこんなに求心させるのか、考える。

私たちはみんな、探してるんだ。
自分の中にあるもの。自分を構築する全ての部品を。

その部品の何処かは、全く知らない何処かの誰かがこの世に表現して
「形」にしてくれている。だから、それを見つけた時、魂が震えるほど
心が惹かれてしまう。

そうして、何処かの誰かが形にしてくれた一部を、集めて自分に
当てはめて、自分の形を取ろうとしている。だからこんなに震えるのかな。

たくさんの体の部品を集めて、心を満たすものを集めて、
でもまだ空白が多くて、いつもデコボコな人間。人の心は歪んでばかりだ。

私は探している。私の言いたいことを言ってくれる言葉や
私の心の中を表現してくれる影像や、私の体の中に流れる音楽を。
それを形にしてくれている誰かを。

それらと出会う為に、こんなに途方に暮れながら、探している。たったひとりで。



2002年07月17日(水) 私の誇り

今日叔母に会って談話をして、少し今の人生の悩みみたいなもんが
吹っ切れた気になった。

彼女はとても格好いい人。繊細だけど、とても芯の強い人だ。一見すると
厳しくて怖そうな感じを受けるけど、話せば話すほど、心の強い人だなぁと思う。

実は少し憧れている。

好きな人がいると、その人に認めてもらえるようでありたいと願う。
その人に、呆れられるような人間にはならないようにしなくては、と思う。

この人は私にそう思わせる人だ。

私の迷いや悩みなんかを、綺麗に整頓させてくれる。
きちんとした人になりたいと思う。そういう気持ちを起こさせてくれる。

こんな私の体の血が、この人と繋がっていて良かったと思う。


彼女のそういう所は、父方の血だと思う。私にも、半分だけ流れているけれど。


私は父方の血がとても好きだ。みな、何故か少し淋しそうで、けれどいつも、
とても凛としているから。これだけは、私の誇りだ。

どこでどんな人に馬鹿にされても、胸を張って、生きれる理由。



2002年07月16日(火) こうありたいのに

好きでもない人達に影響されたくないと、常々思う。

好きなものになら、心も中身も全て占領されてもいいと思うけれど。

常に「純粋」でいたいと思うけれど。

…特別でもなんでもない、私にとって量産型のくだらない人達に
汚染されたくない。なのに。


どうして上手く行かないのかな。

柔らかい言葉で言おうとするほど、悪意が表面に出てきてしまうのは
なんでかな?そう思う感情を隠して生きるのは難しいのかな?

所詮、人は自分の好まない事は上手く出来ないんだろう。そう、思いたい。



2002年07月14日(日) 電話

普段ほとんど、彼のからの電話は無い。
彼ともっと話がしたい。でも、私も掛ける用事が無い。

彼と居る時、話す内容は薄い。電話してまで話したいこともない。

だけど、「おやすみと言おうと思って。」なんて言って
電話が掛かってくると、体がじんとするくらい、嬉しいなぁ、というか、
甘いなぁ、というか。体の内の内側の芯の方から、何か、濃度の高い
アルコールが滲み出てきたような感じがする。熱くてじんじんする。

たかが色恋沙汰に、知らず知らず没頭している自分に気付けば
なんだか馬鹿らしく、可愛らしくて。内容も無い、ただの電話で
めんどくさいこと全部いっとき、忘れさせてくれるなんて。
なかなかやるじゃない?と、思う。



2002年07月13日(土)

私の妹は今年で20歳。私の五つ下だ。

父を亡くしてから、友達のようで、姉らしくも無いけれど
一生懸命、手抜きもしながら一緒に育ってきたつもり。

だけれども、とにかく、妹は男の趣味が悪い。

趣味が悪いのは私も人の事言えないけど、とにかく、妹はいつも、
私の嫌いなタイプの男ばかりを連れてくる。
それもよりによって、私が一番嫌いな男のタイプ。

「理由無き亭主関白、絶対王政、男尊女卑」男である。

妹が作ったカツを、「これさぁ、俺、前にもカツ嫌いって言ったよね?」
(言ってない。あまり好きじゃないと言っただけ。)とか言って食べない。
私なら「じゃあ喰うな。」で終わりだね。…人から作ってもらった物に
文句を言うとは!(しかもその言い方!)人の厚意を無駄にする奴はいかん!

それはそれでともかくも、私がその彼を、一番気に入らない、という所は、
私の妹を、他の人に「これ、うちの。」って紹介することだ。
…いつから、うちの子がお前のになったんだ?誰も許してないんですけど?
てか、この子はそれこそ私から見て「うちの」子だけど、お前の言う「うちの」
ってなんだ?なんだってんだぁ、ああぁ?
…ってな訳で、妹は本当にあほである。いや、あほだと、思う。

「やめれば?」って、よく私は勧めるけれど、男を好きになるのは、ただの理屈
じゃないからな。だけど、あの子はあんな男の何処がいいんだろう?
こんな男のために気を悪くしたり我慢したりする事ないのになぁ。ふう。

…なぜかいつも亭主関白な男か、軟弱マザコン男しか連れてこないうちの子は、
何かトラウマでもあるんでしょうか???。…27歳、着物屋店員の大介君よぉ、
うちの子を勝手に人に「うちの」(この途中で切る言い方もいやらしさ満点)って
言うの、やめてくんないかい?…と、言いたいのは山々だけど、恋愛事に関して
は、いかに兄弟姉妹であってもただの「他人」だからなぁ。
お姉ちゃんは、淋しいね。辛いっすね…。

多分、妹は、誰かに規則を作ってもらって、それに縛られている方が安心する
んだろうと思う。うちは、兄が妹をそう教育したから。
…私は逆に放任しながら教育した。甘やかしたのと、厳しくしたのと、どちらも
両極端なのがいけなかったのかなぁ…?まあ、せめて騙されて泣かなければいい
な、とは思う。いかにあほでも。かわいいうちの妹ですから。



2002年07月08日(月) ガラス張りの

恋人がこの世で一番そばに居ると言うのは多分勘違い。

私はあの人の恋人かも知れないけど、その一番近くに居る事で、

触れられない部分もある。時に、それは一番遠くなる存在で。


言って欲しい事が山ほどあってもそれを全部話してはくれない。

私ではどうしても聞けないこともある。多分友人なら聞けただろう事。

多分友人なら言ってもらえた事。


恋人は時に、ガラス張りの向こう側にいて、私が彼にとってただの女である

限り、それは溶けない壁。多重の解けない鎖。

私は自分勝手に縛られた愛情に似たエゴでそれを溶かそうともがいている。

彼の、恋人になった時から、多分私には彼を無条件で許容する心が生まれた。

恋人になってしまってからは、いつもガラス越しの心配ばかりしている。



2002年07月07日(日) 過酸化水素水

ただ毎日生きているだけで、時々苦しくて苦しくて仕方なくなる。

生きたまま体が酸化していくように。

空気にさらされて呼吸が出来なくなる陸の魚みたいに。

口をぱくぱくしながら、言いたい言葉も出てこなくて、

ただ漠然と苦しいだけで。

沢山の酸素と泡で、体中の液体が沸騰するよう。指先から気泡になって

分解していくような気がする。

空気の粒が体中の穴をふさいで、もうどうにもどこにも呼吸が出来なくて

精神はただれ、固く硬直の後にきっと全てが泡になって消えて行くでしょう。

指先で触れて、消毒されてく。それならばきっと私は毒。



2002年07月05日(金) 全国?躁病BOX狂

日にちは7月5日付けなんですが、今日は7月7日でして。

で、久々に家に帰ってきたら母がテレビを見ていて、どうやらテレビの中では
27時間テレビとかいう企画ものをやっているらしいのです。が。

私はテレビがあまり好きではありません。映画はそこそこ嫌いでもなく、
映画館に行くのも好きといえば好き、という程度に好むのですが、どうも
民報の番組は騒々しくて好きではないのです。

それなのに、この全国ネットの放送では、27時間も(わざわざ眠らずに)
頑張っちゃうってことで、ああ、私はそれだけで背中が寒くなる思いなんですよ。
これが。ほんと。愛は世界を救いません。救ってるのはもっと多分別のもので。
更に言えばきっと人によって違うものである筈だと思うのです。


…私が昔からテレビが嫌いだったという訳ではありません。
小さな頃はちゃんと「八時だよ!全員集合」が「クイズダービー」のあとに
始まるのをめちゃんこ楽しみにしていたし、他にも日曜日の「ビックリマン」
だって好きだったし、「志村ケンのだいじょぶだぁ〜」だって見てたけど。

なぜか最近テレビ番組を見るのが面倒くさい気がして駄目なんです。
テレビの箱の中が私の憧れ(現実世界とは違う何か)という側面を薄くしてから
というもの、なんだか全く興味を薄くしてしまったのです。
たまには見るし、映っている所に居合わせれば「世界不思議発見」は見るが。

けどさ。

いくら暇だからって27時間もがんばんなくていいと思うぞ。
夜は寝ようよ。普通に。で、お星様にお願い!ってのもなんだか現実離れして
ると思わないかな。

本当に欲しい物があったら、お星様に願うよりも先にする事があるはずだと
思う。…星は美しいし、願いも叶えて欲しいけど、みんなが一斉に
7月7日だからって(って、多分そういうイベント的なものであれば何でも
いいんだろうが)突然「お星様〜〜〜!」ってのはちょっと気味悪いから
やめた方がいいような気がする。

テレビの影響なのかも知れないが、最近どこそこいろんな人たちが、
躁病みたいになってる気がしてならない。そのくせテレビのスイッチを切った途端
に今度は絶望的に淋しくて、うつ病みたいに沈んだりしちゃわないだろうか?

テレビ番組。面白いけど、何かが違う。少なくとも私の中では。



2002年07月03日(水) 「希望しません」に丸をつけろ

社会にでるまで、ずっと、世の中から後ろ指さされるような人間には
ならないようにと思って過ごしてきた。…もともと私はワガママで
自己中心的な人物なので、それが人から許される範囲にいれるよう、
努力しようと思っていた。

が、しかし。世の中には、ほんとうに「嫌な奴」や、本当に胸にむかつきを
おぼえるような人材がたくさんいると気付いてしまった。

今までは自分の周りの大人たちをみて「大人はなんて汚いんだ!」と思うと
同時に、様々な事が許され、自由に事を行える彼らを見て多少の羨みも抱いて
いたが、自分が大人になってみて、思うには、

「本当に汚い人たちを見ると、全くもって羨ましくも何とも無く、ただ腹が立つ
だけである」ということで、ある。私の個人的な主観で申し訳ないが、
それでも、自分だけの狭い世界で全てを牛耳ったと勘違いし、横暴で、
そのくせ強いものにはへつらい、媚びをうり、そして裏ではまた愚痴をこぼし
悪口を言う。(下手すると自分のことになりそうだが;)
そんな人間、羨ましいと思うだろうか??

自分勝手に生き、年を取ればとるほど、自分を諌めてくれる人は居ない。
自分を許してくれる人とだけ接して行く。自分の思うとおりになる所にしか
いないから、全てが自己中心的で勘違いして、他の人からは嘲笑される。
…私には耐えられない。

人の為だけに生きるわけではないけれど、人のために生きる事が全く出来ない
のなら、そこに生きる価値があるのかどうか。

もし誰かの人生を肩代わりして、その後を受け継げるとしても、そう言う人の
人生など、受け継ぎたいと思うだろうか?

私は、「希望しません」に丸をつける。

自分の思うとおりにしかならない世界で、彼らは果たして幸せかどうか。

知らないという事は、本当は不幸せだと私は思う。


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