心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2014年04月01日(火) しゃべりまくるんだ・・何を?

ごめんねエイプリル・フールのネタじゃなくて真面目な話で・・・。

12ステップを伝えるときに、まずステップ1で必ず取り上げなければならないことが二つあります。

その一つは、ビッグブックの「医師の意見」の文章を書いたシルクワース医師が「身体のアレルギー」と呼んだものです。彼はアルコホーリク(つまりアルコール依存症の人)は、アルコールに対してアレルギー体質である、と述べています。

少しでも医学知識を持つ人は、これを聞いて疑問を持つに違いありません。現在ではアレルギーとは「免疫反応が特定の抗原に対して過剰に起こること」を指します。依存症は免疫の病気ではありません。彼は医師なのに、医学的にとんちんかんな主張をしている、と思われるでしょう。

しかし医学用語ではなく、アレルギーという言葉が一般的な英語としてどんな意味を持っているかを調べてみましょう。それには英英辞典を使うのがよろしい。手元にあるオックスフォードのワードパワー英英辞典を引いてみると、allergy の項にはこうあります。

a medical condition that makes you ill when you eat, touch or breathe sth that dones not normally make other people ill

つまり、他の人々にとっては問題がない何かを、ある人がそれを食べたり、触れたり、吸ったりすると具合の悪い状態がもたらされることです。

花粉症の人が花粉を吸うと具合の悪い状態がもたらされる。その害は、鼻水やくしゃみや目のかゆみです。しかし、花粉症じゃない人々にとっては、花粉は何ら問題にはなりません。これがアレルギーです。

同様に、アルコホーリクが酒を飲むと具合の悪い状態がもたらされる。しかし、アルコホーリクでは無い人にとっては、アルコールは何ら問題にはなりません。シルクワース医師はこれを指してアレルギーと呼びました。

では、その具合の悪い状態とは何か? 彼はそれを渇望と呼びました。アルコホーリクが酒を一杯飲むと、次の一杯が飲みたくなる「渇望」が沸き上がります。それによって二杯目を飲むと、どうしても三杯目が飲みたくなる・・・。こうしてアルコホーリクは酒の量をコントロールできずに飲み過ぎてしまいます。この渇望は意志の力で打ち勝つのが難しいほど強いのです。

しかしこの病気に理解のない世間一般は、アルコホーリクが酒を「飲み過ぎる」ことについて、こう思っています。アルコホーリクは、我慢しようという意志が弱い、快楽主義で心地よさを求めすぎている、酒に逃避している・・・。そういう面がないわけではないが、しかしそう思ってしまうのは病気への無理解ゆえ。誤解と偏見です。

シルクワース医師は、それはアレルギー同様の生理的現象だと述べています。花粉症の人が、鼻水やくしゃみが出るのは、意志が弱いからでしょうか? 快楽主義だからでしょうか? そんなことはありませんね。生理的現象に意志の力で打ち勝つのは難しいのです。例えば「下痢」という生理現象に意志の力で打ち勝てるでしょうか? しばらくは我慢できるかもしれませんが、いつかは堪えきれずに悲惨な結末を迎えます(意志の力で我慢しようとせずに早くトイレに行った方が良い)。

同様に意志の力で酒をコントロールする(節酒する)ことをアルコホーリクに求めるのは無理なことです。そのことを理解すると、それまでなんとか酒をコントロールして飲もうと努力してきた人も、飲酒を諦めて完全に酒を止めるしかない、と思うようになります。

もしアルコホーリクが、もう二度と酒を飲まないと決意して、それを一生続けることができたら、すばらしいことです。しかし多くのアルコホーリクが、二度と飲まないと誓い、周りの人にもそれを公言したにもかかわらず、再飲酒してしまいます。

多くの人たちが「ついうっかり」とか「魔が差した」などと表現しますが、飲み出せばいずれは渇望によって元の飲んだくれに戻ってしまうと分かっていながら、最初の一杯に手を出すのを避けられないわけです。その瞬間、私たちアルコホーリクの心は、正常な判断ができないほど不健康な状態に陥っています。つまり、狂気の瞬間が訪れてしまうわけです。

シルクワース医師はこれを指して「精神的強迫」あるいは「精神の強迫観念」と呼びました。しかしビッグブックが出版された時点ではその用語は確定していなかったようで、ビッグブックでは「最初の一杯の狂気」と呼んでいます。

普段は「もう二度と飲まない」という正常な判断ができている人なのに、長い人生のどこかで「飲む」という狂った判断をしてしまう。それを意志の力で防ぐことができない。それがこの依存症という病気の核心的な部分だというわけです。

それを理解できれば、その人は自分の力だけで酒を止めていくことを諦め、助けを求めるようになるでしょう。

身体のアレルギーと精神の強迫観念。この二つを認めることによって、その人は「アルコールに対して自分が無力である」ことを理解するのです。

アメリカでAAができて20年後に、『AA成年に達する』という本が出版されました。その中でビル・WはAAの初期を振り返ってこう書いています。

> ニューヨークでの初期のころを振り返ると、しばしばその情景の中心に、酒飲みを愛した温和な小柄な医師、ウィリアム・ダンカン・シルクワースの姿が見られる。彼は当時、ニューヨークのチャールズ・B・タウンズ病院の主任医師だったが、AAをまさに基礎づけてくれた人だと言える。私たちは彼からこの病気の本性を学んだ。彼は、アルコホーリクの頑固な自我(エゴ)をパンクさせるための道具を私たちに与えてくれた。それは、私たちの病気の特徴を述べた、あの衝撃的な文句である。飲まずにいられなくなる精神的強迫と、狂気か死を運命づける身体的アレルギーという……。これは絶対に必要なキーワードである。シルクワース博士は、希望のない暗黒の土地をどう耕すかを教えてくれた。まさにこの絶望の土地から、私たちのフェローシップのあらゆるスピリチュアル(霊的)な目覚めが花開いた。(『AA成年に達する』p.21)

二カ所の強調は原文のままです。身体的アレルギーと精神的強迫、このふたつは「絶対に欠かせない」とビルは述べています。この二つのキーワードからAA共同体が成長してきたのです。

最近かなり不安に思うのは、日本のAAはこの二つの概念を新しい人たちに伝えることがちゃんとできているのだろうか? という疑問です。その点が曖昧だと、新しくAAに来た人たちがステップ1に中途半端にしか取り組めなくなってしまいます。

もちろん、小難しい言葉を使って説明する必要はありません。先日も都内のあるミーティングで、年配のメンバーが難しい言葉を使わずに精神的強迫を説明しきってくれたことに、僕は舌を巻きました。けれど、意志の力で酒を止めていけるとか、AAという仲間の中にいれば酒を飲まずにいられる、と考えてしまっている人も少なくないのではないか・・・だとするなら、日本のAAから「絶対に欠かせないもの」が徐々に失われているのではないか・・まあ、あんまり心配するのは止めましょう。

まあ、もし減っているのならそれを補うように努めれば良いわけですが。

さて、AAのメッセージを運ぶというのは「12ステップを伝えていくことだ」というのは、そのとおりです。

しかし、物事には順番があることを忘れてはいけません。12ステップによる自分の回復が嬉しかったあまりに、いきなり棚卸しや埋め合わせの話をしてしまう人もいます。しかし、それはうまくいきません。世の中のいろんなことが順番を間違えたためにうまくいかなくなります。ステップも同じです。

まず、ステップ1のことを伝えることから始めなくてはなりません。ビル・Wもその順番を間違えて失敗ばかりしていたので、シルクワース医師に以下のようにたしなめられています。

> 君がまずしなければならないのは、彼らの自信をはがすことだ。医学的な事実を知らせることだ。とことん手加滅せずに。飲まずにはいられなくなる強迫観念について、飲み続けていたら気が狂うか命を落とすことになる肉体的過敏性、または身体的アレルギーについて、しゃべりまくるんだ。一人のアルコホーリクから受け継いだことを次のアルコホーリクに話す。恐らくそうすることで、そういうやっかいな自我(エゴ)が激しく打ち破られていくだろう。そうなって初めて、君の薬を試すことができるんだ。あのオックスフォード・グループから学んだ倫理的な原理をね。(『AA成年に達する』p.102)

最初に「精神の強迫観念と身体のアレルギーについて、新しい人にしゃべりまくる」ことが大切だと言っています。ビルはこのアドバイスに従って、ドクター・ボブに会ったときに、この二つのことを実に6時間に渡ってしゃべりまくったのです。その知識がボブの心を動かし、そうしてAAが始まったのです。もし、ビルがアドバイスを受け付けずに霊的な原理のことばかりしゃべっていたら、AAは始まらなかったに違いありません。

だから私たちは、「絶対に欠かせない」この二つのことをちゃんと理解する必要があります。その上で、新しくAAに来た人や、病院で会った患者さんたちに、このことを「しゃべりまくる」必要があります。そうすることによって、私たちは新しい人たちの回復への「意欲をかき立てる」ことができます。

ではあるものの・・・実はこの二つを伝えても、自分がそれに当てはまると素直に認める人は少数派です。否認の態度でこう言われることのほうが多いでしょう。

「教えてくれてありがとう。でも私はあなたたちとは違うし、私にAAの助けは要りません」

こんな時に、苛立って対決的な直面化技法なんて持ち出さない方が良いです。このふたつの事実がその人にちゃんと伝わっていたなら、いずれ変化が起きるはずです。

> 一人のアルコホーリクの心に、もう一人のアルコホーリクがその病気の本質を植えつけたなら、その人はもう以前と同じではありえない。それ以後、飲むたびにその人はこう考えるだろう。「ひょっとすると、あのAAの連中の言う通りかも」。そしてこういう経験を何回か繰り返し、最悪の状態になる何年も前に、納得して私たちのところに戻って来る。(『12&12』p.33)

精神の強迫観念と身体のアレルギーという「この病気の本質」がその人に伝わっていることが大切です。その人は、酒を飲み過ぎるたびに「これはAAの連中が言っていた身体的アレルギーというやつのせいなのかも」と思うでしょう。さらに、酒を断ったのに再飲酒してしまった時には「これが精神の強迫観念というやつか」と思い至るかもしれません。やがては自分の意志の力で問題を解決できないことを認めるでしょう。そうやって底つきの底を浅くすることができます。

これがAAの伝統的なインタベーション技法だというわけですね。

(AAメンバーとしてではないけれど)先日横浜でステップ1の話をいろんな依存症の20人ほど相手に100分以上させてもらいました。もちろん話をするだけでなく、参加者の人たちが身体のアレルギーと精神の強迫観念について把握できるような工夫も入れ込みました。随時質問を受け付けながらやったのですが、途中である人が「じゃあ、どうやったら解決できるのですか。私はどうすればいいのですか?」と尋ねてきました。

ジョー・マキューの緑本の46ページに書かれているようなことが実際に起きたので、驚いてしまいました。その人は自分の問題を把握し、解決するための意欲を持ったということでしょう。

20人のうち一人だけ? まあそうです。あまりに少ないかもしれませんが、僕にとってはそんな体験は初めてだったのですから。僕が繰り返し取り組んで技量を向上させていけば、打率は上がる可能性はあります。何も全員を納得させる必要はない。野球だって3割打てば名選手なのですから。しかもこいつは遅発性信管みたいなもので、後でその人の中で効果が生まれる仕組みでもあります。

ビルがボブにしゃべりまくったように、私たちもしゃべりまくって行こうではありませんか。身体のアレルギーと精神の強迫観念について。それはAAには絶対に欠かせないものなのですから。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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