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2014年03月03日(月) ACという概念について

回復は上り坂だ・・・というエントリを書こうとしたら、すでに書いてあったので、別のネタを書かねばなりません。

というわけで、「AC概念の拡大とミスマッチ」というネタで書きます。

最近あっちこっち行くと、「ブログ読んでます」と専門職の人に言われることがあり、この雑記は素人として書いているとはいえ、あまりいい加減なことは書いちゃならない、と思ったりすると、何か書くたびに資料を調べたりして、手間がかかるようになりました。

しかし、別に論文書いているわけじゃないんだから、論拠なんかできる範囲で提示するだけでいいんじゃないか、と思い直して、書きたいことを雑記で書いていくことにします。

「共依存」という言葉が登場することは少なくありません。しかし、最近は共依存という概念があまりに拡大されてしまったせいで、人によって何を指して共依存と呼んでいるのか違っていたりします。それを確認せずに話を進めると、話が噛み合わないこともしばしばです。

共依存という概念は、ACという概念と同時に誕生したのだそうです。「アルコール依存症の家族にはアルコール依存症本人と同様の傾向が見られるのではないか」ということが、1970年代のアメリカの援助職の中で言われるようになりました。

本人と家族の両方に共通した傾向とは何か? それは「自己中心性」だとされます。

AAの基本テキスト(ビッグブック)には、自己中心性には二種類の現れ方があるとされています(p.88)。

ひとつは、「意地悪で、利己主義的で、わがままで、不正直」というパターンです。これは傍目にも分かりやすい自己中心性です。demanding つまり、自分本位の要求をたくさんするタイプです。

もう一つは、「親切で、思慮深く、忍耐強く、寛大で、節度があり、献身的」というパターンです。こちらは自己犠牲的で望ましいことじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、献身的である背後には、人や物事を自分の思い通りに操りたいという自己中心性が隠されています。親切タイプの自己中心性というやつですが、実は策略家です。

一人の人間の中には、この二種類の自己中心性が同居しており、状況に応じてどちらかが出てくるわけです。虐待的な環境にある人は、後者のパターンを多く身につけるとされます。

想像してみてください。ある家にアルコホーリクの男がいたとします。彼は日中は働いているが、夜は家で大酒を飲み、不機嫌になれば家族に嫌みを言い、時に暴れ、飲み過ぎて仕事を休んでしまうこともある。だが、そんな人に収入を頼って生活を続けていかなければならないとしたら、他の家族(彼の奥さんや子供たち)はどんな対応をするでしょうか。

ともかく彼に仕事を続けてもらい、家の中もなるべく平穏にしたいと思うのなら、なるべく穏便に、彼には気持ちよく酒を飲んでもらい、気持ちよく寝てもらい、翌日は気持ちよく仕事に行って欲しい。そのために、忍耐強く、献身的、自己犠牲的な対応を身につけたとしても不思議じゃありません。

このようにして、酒を飲み続けるアルコホーリクと、その人に頼りつつも飲む生活を支える家族の関係が出来上がっていきます。この両者は一見対照的でありながら、実は同一の自己中心性を備えています。

家族は大酒を飲んでいるわけではありませんが、大酒飲みと暮らすうちに本人と同様の性質を身につけてしまう。本人の病気は alcoholism ですが、酒を飲んでいないのに、大酒飲みと同様になってしまった家族を指して、para-alcoholism あるいは co-alcoholism という言葉を当てはめました。

para という接頭語には「側」という意味があります。アルコホーリクの側にいることで(大酒を飲んでいないのに)アルコホーリク同様になった家族という意味です。co という接頭語には「共同の」とか「相互の」という意味があります。アルコホーリクと共同生活を送るうちに、相互に影響し合ってアルコホーリク同様になったということです。

同様のことはアルコール依存の家族だけでなく、薬物の家族にも当てはまりますが、それにはパラ・アルコホリズムとか、コ・アルコホリズムという言葉は相応しくないので、依存を現す dependency という言葉に置き換えて、co-dependecy と言う言葉に変化しました。これが日本語に翻訳されて「共依存」という言葉になったわけです。

ここまで説明してきたとおり、共依存とアルコール依存に共通するのは、自己中心性です。12ステップはこの自己中心性を減らし、「他者との真の協力関係を築き上げる能力」を身につけていくためのものです。他者との衝突を繰り返し、自分の中に不快感を溜めていけば、やがてその不快を解消しようと酒に手を出すことでしょう。再飲酒を防ぐには、自己中心性を減らしていく必要があるのです。

そして、アルコホーリクの回復に12ステップが役立つのなら、同じ自己中心性を備えた共依存者にも12ステップが役立つはずだ、と考えられます。このように、依存症の家族グループ(○○ノンと呼ばれるもの)は、どうやって依存症本人に酒や薬を止めさせるかを学ぶ場所ではなく、家族自身が回復していく場所と位置づけられます。もちろんそんなことは、1970年代に援助職が発見するまでもなく、1950年代にはアラノンが始まっていたわけですが・・・。

このように見てくると、共依存が本来何を指していたかが分かります。それ以外の意味があるとすれば、それは後からくっついたものです。アルコール依存と共依存は、12ステップがテーマにしている自己中心性というものを共通項にしていますが、だからといって「同じ病気」だと言っているわけでもないし、「依存症の人が酒や薬をやめないのは、家族の共依存が原因だ」と言っているわけでもありません。にも関わらず、「同じ病気」とか「共依存原因論」みたいな単純で分かりやすい話に飛びついた人が多かった時代もあり、今でもその残滓があちこちに見られます。

さて、アルコール依存の問題がある家庭では、子供たちが親からの影響を受けながら育っていきます。その子供たちは、大人になっても子供のころに身につけたパターンを捨てられずにいることがあります。それはつまり「親切で、思慮深く、忍耐強く、寛大で、節度があり、献身的」に相手に尽くせば、相手は自分の願いどおりになってくれる、という思い込みを持っているということです。

これに対して、Adult Children of Alcoholics(ACoA)という名前を付けました。AC(アダルト・チルドレン)です。彼らの特徴は over achiever であることです。achieve とは「成し遂げる」こと。つまり、求められる以上に成し遂げる人です。

彼らの多くは社会的に成功しており、仕事に対して献身的で(つまり仕事依存的で)、家族に対しても献身的です。しかし、自分自身の望みというのはハッキリせず、むしろ他者や状況が自分の願い通りになってくれたときに喜びを感じます。もちろん(どんなに命令的になっても、他者を思い通りに操れないのと同様に)、どんなに献身的になったところで、物事を自分の思い通りに動かすことはできません。ACの生き方はどこかで行き詰まる運命です。

ACの本質は共依存です。共依存⊃ACですから、ACの人は全員共依存のはずで、「私はACだけど共依存ではありません」という人は本来存在しないはずです。

本来的な意味でのAC(つまりover achiever)の人の回復の話を聞けば、どのようにしてそうした自己中心性を減らし、自分自身の望みや他者と協力関係を築く能力を身につけていったか、という話になっています。

親がアルコール依存の人の中に看護職や援助職に就く人が目立つのも、ACとは何かを考えれば頷ける話ではないでしょうか。

さて、共依存の概念が拡大していったように、ACの概念も拡大されていきました。具体的には、「機能不全の家庭」で育った人に対してです。そして、本来のACとは異なった概念へと変貌を遂げていきました。

拡大されたACの概念に含まれる人たちは、(本来のAC概念とは対照的に)under-achiever であることが多いようです。彼らはあまり社会的には成功していない。学校に通っている間に不登校や引きこもりになってしまったとか、学校は無事卒業して就職したものの、その仕事が長く続かず、その後はあまり定職に就いていないとか。その過程で、何らかの依存症になる人もいれば、ならない人もいます。

そして、こうした社会不適合の原因として「機能不全家庭に育ったから」という理由が当てはめられており、ひらたく言えば親の育て方が悪かった、ということなのでしょうか。彼らには献身的な自己犠牲の姿はあまり見られず、むしろ社会に適合できないことへの苦労が前面に出てきます。

おそらくこうした不適合には、何らかの精神疾患や人格障害や発達障害が絡んでいるのだと思います。発達障害が専門の杉山登志郎先生によると、虐待のある環境で育つと発達障害類似の状態になるそうですから、それも関係あるのかもしれません。

さて、もともとの共依存は、アルコホーリクと同様の自己中心性に的を当てた概念でした。だから共依存に12ステップが効果があるのは自然でした。けれど、後々になって共依存の概念が勝手に拡大され、「旦那さんが酒を止めないのは奥さんが共依存だからです」という主張が行われるようになったとき、奥さんが12ステップをやれば旦那が酒を止めることにつながったのでしょうか? そんなことが実績として評価されたことはなかったわけです。

拡大された概念に対して12ステップが有効だとは限りません。(だからこそ、ジョンソン式介入やCRAFTなどの、12ステップとは別の手段があるわけですし)。

そして、もともとはACすなわち共依存だったわけです。ですから、ACの回復に12ステップが役立つのは自然な考えでした。しかし、拡大されたAC概念(不適合群)に対して12ステップがはたして有効なのでしょうか。

12ステップは、アルコホリズム以外の様々な分野に広がっていきました。どの分野においても、自分たちがアルコホーリクと同様の性質を持っていることを認めた上で、だからこそ12ステップが効果があることになっています。例えばACA(日本ではACoA)では、ACが自らをパラ・アルコホーリクと呼んでいます。アルコホーリクと同じだからこそ、同じ12ステップが効果を持つわけです。自分はアルコホーリクとは違う、と思っているACに12ステップが効かなかったとしても不思議じゃないぞ、と。

まあ、いろいろ書きましたが、拡大してしまった共依存やACの概念をいまさら縮小することはできないでしょう。みんな自分の好きに共依存やACの概念を使っていくでしょう。けれど、拡大した概念に対して12ステップが有効かどうか、それはわかりません。

今回の雑記はさすがに調査不足で少々精度が低かったかもしれません。ただ、あまり正確さを気にかけすぎると、雑記というかたちになる前に崩れていってしまうアイデアも多いので、未消化な部分が残っていたとしてもかたちにしてみることにしました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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