心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2005年10月29日(土) 冬休み

同僚に麻雀を朝4時までつきあわされ、寝たのが朝6時だったので、起きられるかどうか心許なかったのですが、子供との約束は守らねばなりません。

お昼には起きて、映画『あらしのよるに』を見に行ってきました。上映時間120分というのは、さすがに小学校低学年の子供にはきつかったかもしれません。途中で飽きてきて、ポップコーンを頬張ってなんとか集中力を取り戻すといった風情でありました。
映画の内容については可もなく不可もなくといったところでしょうか。つまらなくはなかったけれど、人に「ぜひ見たほうが良いよ」と勧めるほどでもなかったかな、という感じです。

イチゴ狩りがポシャってしまったので、別の企画をと考えて、二日前の夜に「映画を見に行こう」と誘ったら子供たち二人はとても乗り気でした。もうすこし大きくて字幕が読めるようだったらハリーポッターなのでしょうけれど・・・。


2005年10月26日(水) 会社の飲み会

会社の飲み会に出席しました。
こういうものに意味がないとは言わないですが、やっぱり疲れます。
騒々しいテーブルの片隅に座って、たばこの煙に燻され、愛想笑いをしながら、飲み飽きたジンジャーエールに口を付けても爽快感はまるでなしであります。

もうそろそろお開きという時間になって、本部長が登場して、さらに延長1時間。

やっと先に帰らせてもらうことにして、「野球はどうなったんだろう」と車のラジオをつけてみたら、ボビーの英語が飛び込んできて結果がすぐに知れてしまいました。

マリーンズはパ・リーグの中では一番好きなチームですが、いかんせん試合を見るチャンスがありません。顔と名前が一致するのは、代打で一回出た初芝ぐらいです。敗れた阪神を語る人は多いのですが、パ・リーグの一位ソフトバンクホークスを語る人は少ないです。

「プレーオフ制度に問題があるにしても、パ・リーグが盛り上がったのは確かだし、プレーオフ制度がなかったら、毎年ソフトバンクの優勝ではないか」というのが酒の席でのおおかたの意見でありました。たしかにそうかもしれません。
だが、へんてこな制度を導入するよりも、完全ウェーバー制のドラフトだとか、テレビ放映権収入の均等分配などで、普通に140試合戦って、毎年どこが優勝するかわからないくらい戦力が拮抗する仕組みにした方が面白いと思うのですが、当分そうはなりそうもありませんね。

しかし、土日の休みにテレビ中継で見るのが、野球に接する精一杯という、いまの自分の生活を見直した方がいいような気がするのであります。

むかしBOX-916に、疲労が取れるのは「睡眠・飲酒・入浴」だと誰かが書いていましたが、二日続けて入浴というご褒美も取り上げられてしまいました。しかたなく、シャワーを浴びていますが、暖房のない部屋はもう寒くてたまりません。

ともかく来年は野村楽天と古田ヤクルトを応援します。
日本シリーズでの対決は無理でも、交流戦での師弟対決を楽しみにしています。


2005年10月24日(月) あったかお風呂

仲間がミーティングで、「疲れて、帰ったらこのまま寝てしまいたいと思っても、帰って風呂にはいると身体が温まって、血行が良くなって、なんだか調子が良くなる」と言っていましたが、

僕もそうですたい。

(たまには、こういう技もしないと)。

今夜は久しぶりに母屋でお風呂でありました。週末はちょっと風邪気味だったので、お風呂はお休みでした。僕自身は風邪で熱があっても風呂に入る人なのですが、義父母は風邪の時には風呂にはいるもんじゃないという意見の持ち主であって、婿の身としてはあまり自分の意見を押し通すわけにもいかずにおりました。

しかし、低体温、低血圧の身としては、お風呂なしは辛いです。

久しぶりにお風呂にはいると、ほんわかと身体が温まっていい気持ちであります。
酒も、飲み始めの頃は、飲むとほんわかといい気分に暖まった時期もありました。でも、いつの間にか泥酔するまで飲まないと気が済まなくなっていたのですが、それでも「ほろ酔い」があるんではないかと、何度も「コントロールされた飲酒」にチャレンジしては敗れ去っていたわけです。

AAメンバーが温泉が好きな人が多いのもうなずけるような気がします。


2005年10月23日(日) 最近コンテンツの更新が少ない理由

うつっぽいというか、風邪っぽいというか、どっちともつかないので、一日寝ていました。

最近はJIGブラウザなどで携帯電話から『心の家路』をごらんになっている人もいるようです。
しかしすべての人がフルブラウザを使える携帯電話を持っているわけではありません。

だから、なるべく多くの人の携帯電話で『心の家路』を見られるようにしたい→Compact HTMLやHDMLのページを作りたい→いちいち携帯専用のページを記述するのは面倒だ→パソコン用のページから自動生成するようにすればいい→パソコン用のページを解析して、Compact HTMLやHDMLのベースになるページを作るソフトを書けばいい・・・。

そういうことを休職中にやっておけば良かったのでしょうが、休職中はあまりプログラムを書いたりする根を詰める作業は禁止されていたので、今頃になって取り組んでいます。なんとかお正月までには、携帯やテキストブラウザで見られるページと、パソコンで見られるページを統合したいと思っています。

URLもwww.ieji.orgに来たのをAgentで分類して、テキストブラウザや携帯でも同じURLでポイントできるようにしたいですね。

その次が、日記のサイト内への収録。そして最後が掲示板の予定です。

10月初旬に眼鏡屋で頼んだめがねがやっとできあがったという連絡が来ました。明日からまたセルフレームのめがねに戻れそうです。

よくある間違い。
「心の旅路」・・・ときどき家出してますが、心だけで旅には行きません。
「こころの家路」・・間違いではない、がちょっと違う。


2005年10月22日(土) うう、寒い

2階に引っ越しをしたのは8月だったので、暖房のことはまったく考えていませんでした。
いくら数百ワットの電力を消費するパソコンを2台稼働させているとは言え、それはCPUもディスクも最大稼働したときのピーク値。普段はせいぜい電球程度の消費電力&発熱をしているにすぎません。

というわけで、寒い2階を逃げ出して、3階にこたつを設置して、ノートパソコンに頼っております。

このノートパソコンは毎日会社にも持って行っているというものです。
が、自宅で使ってみると、内蔵しているハードディスクの回転音が気になります。このノートパソコンを購入したのはもう5年前になるでしょうか? 当時は流体軸受けのハードディスクが世に出てきた頃でありますが、まだ信頼性に疑問が残ると言われた時期で、このノートPCのものはボールベアリングの軸受けであります。

ベアリングのハードディスクの場合は機械的に接触しているので、どうしても摩耗が起こります。そして摩耗するほどに音がうるさくなってくるのです。

会社は静かな環境だと思っていても、やっぱりそれなりに騒音レベルは高いのでしょう。仕事中は気になりませんが、自宅では気になります。

できればパソコンごと買い換えたいところでありますが、ハードディスクの入れ替えだけですませようかどうしようか・・・というこの頃であります。


2005年10月21日(金) 年金裁定下る

雑記を読み返してみると、7月7日に社会保険事務所で障害年金の申請を行っています。8月中旬に付箋がついていったん手元に戻ってきたのを再提出したのが8月22日。そしてまた、9月の中旬に書類に不足があるといって、追加を求められたので提出しておきました。
このぶんだと裁定が下るのは来年になるのかもしれない・・・。そう思っていたのでしたが、今日、社会保険業務センターから封書が届きました。

なにしろ、後から出した妻の年金の裁定の方が先に出ているのであります。僕の方はいろいろと書類の不備を突かれている様な気がして、これは不支給の決定をするための証拠集めではないかと疑い、だんだんにやるせない気分になっていたところでありました。

幸運のおまじないである、ハミルトン・アイランドのおみやげのペーパーナイフで封を切りました。中には「裁定通知書」が入っていました。結果についてはここに書くことはできませんが、3月に東京のクリニックに電話をするところから初めて、実に半年以上かかっているわけであります。長かったというのが正直な感想です。

あと、ネットで調べたときにも書かれていたことでもあり、妻の通知もそうだったので、驚きはしませんでしたが、「裁定通知書」のような重要な書類が書留でもなく、配達記録でもなく、ただ普通の郵便で届くという不思議であります。不達だったりしたらどうなるんだろう。

話は変わって、今回はうつ病で申請したわけですが、「アルコール依存症」で障害年金の申請ができるかどうか考えてみました。これは「その他の精神疾患」というくくりの中でも、中毒および器質精神病というたぐいに分類されると思うのですが、基準は「適当な介護がなければ、日常生活の用を弁ずることが不能である程度のもの」ということなので、アルコール性痴呆やコルサコフ症候群を発症するぐらいの勢いでないと無理そうです。それよりも、肝臓などの内臓疾患での申請の方が通りそうな気もします。

さて、裁定に不服があれば「審査請求」という手段が残されているのでありますが、もう書類作成はめんどうくさくてたまらないので「これぐらいにしておこう」という思いと、一人一人の審査請求が積もり積もって、障害年金制度の改革につながっていくので、「ボランティアだと思ってやるべし」という思いと、どちらにしようか、ちょっと悩んでいるのであります。


2005年10月20日(木) 不調

しばらく調子が良かったと思ったらまた不調であります(うつが)。
やっぱりサーバー移転で夜更かしをしたのがいけなかったのでしょう。
つくづく無理のきかない年齢になってきていることを感じます。

そういえば、6時間ぐらいサーバーにアクセスできない状態になっていました。.htaccessの記述ミスであります。ご迷惑をおかけしました。

明日からは早く寝たいものです。


2005年10月19日(水) 精神科

僕と妻のかかっている精神科のクリニックでは子供は見てくれないので、別のクリニックのお世話になっています。
話を聞いてもらって、ほんの少しばかりの安定剤を出してもらっています。毎週きてくださいと言われているのですが、あんまり学校は休みたくないみたいなので、隔週です。
妻が入院中なので、今日は僕が付き添っていきました。

妻の場合には午後なのですが、僕は午後は仕事なので、朝一番から行くことにしました。9時から診察開始のところ、8時から受け付け開始だそうです。が、・・・8時に行っても開いていないし。しばらく待って、受付のおねーさんがやってきました。結局9時までにやってきて受付を済ませた患者さんは僕らを含めて2組だけです。「次からは8時40分ぐらいでいいかなぁー」と親子でうなずき合いました。

ここのクリニックはじっくり話を聞いてくれます。なので、必然的に一人あたりの診察時間は長くなります。そうなると待ち時間も長くなってしまうわけです。そのせいか、受付で「今日はお薬だけお願いします」という患者さんが多いです。なかには電話で「何時頃薬を取りに行きます」なんて言ってくる人も珍しくないようです。待合室にそんなに患者さんはいないのに、受付に薬の袋がたくさん並んでいます。

子供を学校まで送ってから、今度は自分のかかっているクリニックへ。こちらでは「薬だけ」とか言っても、「なるべく問診を受けていってください」と言われます。それが正しいあり方なのかもしれませんが、待ち時間があまり長くならないようにするためには、一人あたりの診察時間は短くならざるを得ません。「薬だけ」というのはあくまでも非常手段?のようです。

今年1月にうつで休職を決めたときには、週に2回来てくださいと言われていました。しばらくして週に1回になりました。それまでは長いこと「2週間に一回」だったので、毎週行くのは結構面倒でした。10ヶ月近くたって、やっと「最近落ち着いているから、2週間にいっぺんでいいでしょう」と言われて、ひさしぶりに分厚い薬の束を抱えて帰りました。

どうも精神的なものは、「悪くなるのはあっという間で、回復には時間がかかる」というもののようです。アルコール依存症しかり、うつ病しかり。悪くならないように日頃のこまめなケアが大切という点では、心も身体も一緒かもしれませんが。

そういえば、昨日の晩、スポンサーから電話がありました。(なんで電話してくるんだろう)と思いましたが、そこはやっぱり音信不通が長くても、「家族の入院」というストレス・ライフ・イベントには、AAスポンサーらしいケアが必要だと思ったのでしょう。
いつまでたってもスポンサーはスポンサーで、スポンシーはスポンシーなのかもしれませんね。

Perlのスクリプトの書き直しもすんで、やっとサーバー移転が終わりました。


2005年10月17日(月) 旧サーバー解約・・・

昨夜寝る前に、前のサーバーの契約を解除しようと下手な英文でメールを送っておきました

今日はひさびさの本社出張でありました。
ふだんだったらノートパソコンを持って行くのであります。
でも、本社の社内LANには個人所有のノートPCは接続させてくれません。まあ、セキュリティを考えれば当たり前なんですが。しかたがないので、インターネット接続用にはPHSを持って行くことにしています。しかし、今はPHSは入院中の妻の手元。
というわけで、ひさしぶりに「自宅に帰るまでメールチェックもなし」という状態に置かれました。

帰宅してメールをチェックしたものの、サーバー会社からは返事も来ていません。
しかたないので、サポートのページを開いてみました。電話でのサポートというのは無理であります。ロンドンまでの電話代という問題ではなく、もはや英語にまったく自信がないからです。
IRCチャットで24時間サポートをしている、というのでIRCクライアントをインストールして、IRCサーバーにログインしてみました。しばらく様子をうかがっていると、そこにはサーバー会社のサポート係の人が常駐していて、質問にチャットで答えてくれるようです。
下手な英語でキャンセルを頼んでみました。
「契約期間が切れたら更新のためのメールで請求書がいくが、それを無視して払わないように」
途中で解約できないのか?
「契約期間中のキャンセルは受け付けていない」
DNS情報はどうすんだ?
「レジストラのDNS情報を自分で編集してくれ」

というわけで、旧サーバーも解約できない状態で置かれています。そして相変わらず旧サーバーは意味不明のアタックにさらされていて、転送量は日増しに増しているというわけです。今時転送量制限のあるレンタルサーバーなんて珍しいのですが、旧サーバーはそうなのであります。そして、転送制限量を超えると「月末までアクセスできなくなる」というのではなくて、従量制で追加料金を請求されてしまうというわけです。
これが面白くないので、サーバーを移転したのに、旧サーバーが解約できないのでは、意味がないではないか・・・。
というわけで、深夜まで対策に追われたのでありました。もう朝4時だよ。


2005年10月16日(日) 新サーバー契約

現在のIEJI.ORGサーバーとの契約はまだ3ヶ月ほど残っているのですが、新しいサーバーと契約してしまいました。値段の点でロリポップにしようかと思ったのですが、サーバーのレスポンスなども勘案したあげく、さくらインターネット と契約することにしました。

というわけで、移転作業を一日やっておりました。

あとアクセス解析のスクリプトの修正が終われば、現在のサーバーは解約して、新サーバーにIEJI.ORGを割り当てることになります。

すでに仮のアドレスでは http://ieji.sakura.ne.jp/ 稼働しているので、ひまな人は見に行ってみて頂きたいです(といっても、同じものが置いてあるだけですが)。

ロンドンのサーバーは実に700ものドメインとの共有でしたが、今度のは100です。それにサーバーのスペックも向上しているのでレスポンスはだいぶ良くなると思います。


2005年10月15日(土)

10 years ago (7) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

娘たちと3人でバスに乗ってママのお見舞いに行きました。
なぜバスか?
それはパパが仕事の日も、子供たちだけでママに会いに行けるようになるための練習です。まあ、実際問題として小学校3年生と1年生でバスに乗せるかは別として、バスに乗るのも社会勉強かなと思って、雨の中、ジジババが反対するのもふりきって、でかけました。

事前にバスの路線図と時刻表をネットからプリントアウトしておきました。市内は複数の路線が入り乱れているため、バス停によっては、どのバスに乗るのかかなり注意しないといけないところもあります。けれど我が家の直近のバス停は、大学病院の前にも止まる循環線が通っているだけです。30分に1本という割合です。

バスに乗れたので、こどもたちはたいそう楽しそうではありました。
入院治療計画書というのを見せてもらいました、入院の目的は「休養」で、入院期間の目安は3〜4週間。すでに一週間経過しているので、あと2〜3週間で退院かもしれません。もっといろいろ薬を変えてみたりしてじっくり入院してもらいたい気持ちもあるのですが、結局「休養」で終わってしまいそうな気配であります。
まあ、入院を機会にいろんなことを見直すきっかけにはなりましたが・・・。

それにしても、サーバーへの嫌がらせ的攻撃が減りません。対策もいたちごっこなので、新しくサーバーを借りて移転の準備を始めました。今度のサーバーもBSDであるうえに、シェルまで使えます。これでますます我が家のパソコンにLinuxを入れる理由が減っていきます。
Perlスクリプトのたぐいは書き直しを迫られるものもあり、移転の準備にはしばらく時間がかかりそうです。

さて10年前。

老人の口から出た言葉は叱責でした。

「お前さんは生きていないよ。生きていないのに生きている意味がわかるわけがない。生きてみれば生きる意味はわかる。生きりゃいいんだ。ただ生きてみろ」

またしばらく沈黙が訪れた後、母が「ご迷惑をおかけしまして」などということをしゃべり、ミーティングは終わりになりました。

みんなは帰っていきましたが、いつも僕を迎えてくれていた会場チェアマン夫妻は残って、僕ら親子に声をかけてくれました。そして、「せっかくここまできたんだから、もう少し話をしようや」ということになって、僕らはチェアマン夫妻の車の後を追って、夫妻の家へと向かったのであります。後に僕のAAスポンサーになってくれるこの人の家を訪れたのは、後にも先にもこれ一回です。

八ヶ岳の山麓の高原にその家はありました。その家の2階の一室に招かれ、座布団の上に座って、気楽に話をしようということになりました。

ですが、僕は出かける前に飲んだ酒が回ってきていて、気分が悪く、機嫌も悪くなっていました。僕はチェアマンに絡み始めました。

「おい○○○(呼び捨てであります)。あんた、5年もAAをやっていて、飲まないでいるのが3年てことは、最初の2年はやっぱり飲んだってことじゃないか。それに、いつも自分で言っているが、5年かかって結局飲まなんでいるのは、自分と奥さんだけだろう。他の人を助けるとか何とか言ったって、5年間でほかに一人も助かってねーじゃねーか。偉そうなことを言っていたって、こんなAAなんて効きゃーしねーじゃねーか」

後のスポンサーは、元やくざ者であります。おまけに両手とも小指が半分しかないという人です。キレると男二人で羽交い締めにしないと止まらないという人であります。はらわたの中は煮えくりかえっていたに違いありません。が、耐えた。我慢したのは、僕の母の手前、僕を殴るわけにはいかなかったからだと、後日語っています。

調子に乗った僕は、神について何を知っているか問いました。チェアマンは「たいしたことは知らん」と答えるのが精一杯でした。

さらに勢いづいた僕は、「ほーらみろ、そんなあんたがやっているから、いつまで経っても誰も助からねーんだよ。世の中にはできる人間とできない人間がいるんだ。俺が本気でこれを(とミーティング・ハンドブックを振り回しながら)やったなら、俺みたいな優秀な人間がやったなら、あっという間に何万人と助けてだな、全国から教祖さまとあがめ奉られるようになってやるぜ!」

後のスポンサーは僕のことを「完全な狂人」だと思ったそうであります。僕の記憶はこの後少し飛んでいて、夫妻が僕らを高速道路のインターチェンジまで誘導してくれたところだけを覚えています。

この(後の)スポンサー宅でのやりとりを、僕はすっかり忘れていて、思い出すまでに2年以上かかっています。スポンサーはこの後3週間うつで寝込んだという話です。

また、当時はACという言葉が世に出てきた頃で、AAミーティングにACoAの人がやってきていました。彼女は僕の「生きている意味って何ですか?」という言葉に反応してしまい、ミーティングから帰った後もその言葉が頭から離れず、いっそのこと死んでしまおうと、飛び降り自殺をするために子供3人をつれて霧ヶ峰にドライブしたそうであります(未遂に終わったそうですが)。
そんな話も、僕が飲まなくなって何ヶ月した後で聞くわけです。

たぶん、もっと酷い言葉を使っていたのでしょう。でも、とぎれとぎれの記憶の中で思い出せることはそれだけです。

後年僕が調子に乗りすぎることがあると、スポンサーがいさめて「さすがに教祖になって何万人も救う人は違うなぁ」と言うので、さすがのあの言葉はまずかったなと思うのでありました。

いつかしらふで訪れる約束をしたスポンサー宅ですが、なんだかんだいって訪れていません。近所では有名な猫屋敷だそうであります。

(この項終わり)


2005年10月14日(金) 10 years ago (6) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (6) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

娘たちの授業参観のために今日は仕事をお休みです。
最近は、毎日起きてから1時間以内にお通じがあります。今まで生きてきて、このような状態が長続きしたことがありません。酒の飲み過ぎで、水様便を垂れ流していた頃を除けば、便秘と下痢を周期的にくり返しているのが僕の人生でありました。
やっぱり、毎週月・水・金と定期的に会社にやってきてくれるヤクルトおばさんからジョアのレモン味を買い、毎日飲んでいること、しかも先週飲み忘れた期限切れのやつも気にせずに飲んでいることが良いのかもしれません。
難を言えば、うんちが柔らかすぎて、最後の方はやっぱり水様便になってしまうことでしょうか。忙しいのに2回・3回とトイレに行かざるを得ないことも珍しくありません。
(あ、食事中の方には申し訳ありませんでした。でも最近昼休みのアクセスは減っていますね)。

というわけで、授業参観までには「まだ時間がある」と思っていたところをトイレに釘づけになってしまい、あわてて走っていきました。

上の子の授業を15分みて、下の子の授業を15分見て、また上の子のを15分見て、上の子のほうのクラスの懇談会に出席してきました。父親できているのは僕一人です。我が子の保健室登校のことは話題に上りませんでした。
終わった後、先生と立ち話をしました。その順番待ちが結構長かったですが・・・。長女は登校するとまず先生と相談して、「今日はこの授業とこの授業に出る」と決めるのだそうです。それ以外の時間は保健室で「精神的に休養」という、ア・ラ・カルト的授業の受け方をしているようです。こちらからは家庭の事情を報告。クラスの中で孤立しているというわけでもなさそうなので、当面は経過を見守るってことになるでしょう。

今日の寝る前のお話は「ギョウ虫とサナダムシ」でした。


さて、10年前。

モンティ・パイソンというイギリスのコメディアン(?)グループがあります。
「モンティ・パイソンの空飛ぶサーカス」をやっていたのは東京12チャンネルなので、田舎者の僕がその存在を知ったのは上京後のことです。『未来世紀ブラジル』という映画を見てとても気に入ったのですが、その美術をこのグループが担当したと聞いて、モンティ・パイソンの映画をビデオに集めるようになりました。アーサー王伝説をちゃかした「ホーリー・グレイル」、キリスト生誕をちゃかした「ブライアンの一生」、そしてもっとも気に入ったのが「人生の意味」を問うた Meaning of Life(邦題は「人生狂想曲」)。

生きている意味って何だ? と問いかけながら、答えはちゃかしてばっかり(ブラックユーモア)という映画ですが、Meaning of Life という言葉は、僕の心にずっとひっかかりました。

せっかくAAミーティングで「飲まない生き方」を与えられたかに見えた僕も約5ヶ月で再飲酒して、もとの飲んだくれに戻ってしまっていました。

結婚式の日取りも式場も、新婚旅行の日程まで決まっているのに、本人は飲んだくれてばかり。本人も両親も途方に暮れていました。

両親も酒をやめるのにAAなんて、まるで頼りにしていませんでした。水曜日の晩に僕が峠を越えてミーティングに行き、9時に終わって高速道路で帰ってくると、だいたい夜10時半ぐらいにはなります。それから風呂と夕食ですから、世話をする母親の方も大変です。「お前、そこまでしなくても酒は止まっているじゃないか」ととがめられたことも何度かありました。「あんな元やくざのやっているミーティングに行くのはおよし」と言われたこともありました。
その言葉が悪かったとは言いません。それは普通人の正常な感覚です。でも、正常な感覚で捉えきれないのがアルコール依存症の本質です。
そしてその言葉は、僕がミーティングにいつの間にか通わなくなったことを、自分自身に言い訳するにはもってこいの理由でした。

しかし、僕はふたたび飲んだくれてしまいました。
それまで酒を切るのに成功した方法は2種類だけでした。一つは精神病院に入院すること。もう一つはAAミーティングに通うことでした。

これから入院したのでは結婚式に間に合わない。だから、もう一つの方法を試してみるほかないだろうということになりました。そうか今日はミーティングの日ではないかと突然気づき、夕方になるのを待って、母は僕を車の助手席に積んでミーティング場へと向かいました。
一つ大きな問題があるとしたら、それは僕がぐてんぐてんに酔っぱらっていて、どんな空間もあっという間に酒臭くしてしまうほど、呼気にはアルコールが含まれていたことでした。

僕が途中で寝てしまったせいで、母は道に迷い、会場についたときにはミーティングはもう始まっていました。みんなはすぐに僕の状態に気づいたのですが、誰もそれをとがめませんでした。狭い部屋はあっという間に酒臭くなってしまいました。
何となく皆の話が「僕に聞かせるためのミーティング」になっていったような気がしますが、頭がもうろうとして、皆がどんな話をしたかまったく覚えていません。

最後に、僕が話す番になりました。
僕は問いかけました。ろれつが回っていませんでした。

「人間は、何のために生きているのですか?」
「人生の意味って、生きていく意味って何ですか?」
「どうしてこんなに苦しいのに、生きて行かなくちゃいけないんですか?」
「死のうとしても死ねない、生きようとしても生きられない、いったいどうしたらいいんですか?」
「いつか死んでしまうのに、どうして生きていくのですか?」
「何のために生まれてきたのですか?」

どうして僕の人生はこんなに苦しいのか、そしてそんなに苦しいのになぜ生き続けなければならないのか、どんなに考えても答えは見つかりませんでしたし、誰も納得できる答えをくれはしませんでした。モンティ・パイソンの映画のように、誰も答えられはしないんだと思っていました。

僕は皆の答えを待って黙りました。誰も答えてはくれませんでした。無言のまま、何分間かが過ぎていきました。

沈黙を破ったのは、この会場を借りている教会の信者で、腰が悪いために自力ではミーティングに来られず、会場チェアマンが送迎しているという老人でした。家族をなくし、糖尿病を患って自炊で苦労し、ミーティングではもっぱら聞き役で、しゃべることの少ない人でした。その人がしゃべると言うだけで驚きでした。

(続く)


2005年10月13日(木) ねむねむ

12時前には寝るんだよ、というお姉さまからのありがたいお達しを無視して 10 years a go を書いたせいでしょう、今日は眠くてたまりません。

ともかくなるべく早い時間に起きることを目標にしています。

今日も早く帰れたのに、接続プロバイダーのサポートに電話はできませんでした。
でも、子供が9時前に寝てくれるのは大変助かります。

Iomegaのアウトレットで、USBのZIP250ドライブが$48だったので、買ってしまいました。日本への輸送料は約2,000円です。


2005年10月12日(水) 10 years ago (5) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (5) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

社会保険事務所から妻宛に封書が届いていました。
メールで連絡したら、開封しても良いということでしたので、ミーティングが終わって帰宅した後で開封したら、障害年金の裁定の結果でした(どっちだったかは書けません)。
僕より後から申請したのにもかかわらず、先に結果が出たのは、やはり社会保険事務センターから問い合わせの有無(僕のは2回、妻のはなし)が影響しているのでしょう。
まあ結果はともかく、これで宙ぶらりんの状態のものがまた一つなくなったので、それだけでもありがたいのであります。

さて、10年前。

結納というのを結婚式のどれぐらい前にやったのか記憶は定かではありませんが、おそらく10月だったのではないかと思います。
結納とは本来双方に送り合うものだそうですが、まあだいたい嫁(や婿)をもらう方が、あげる方に金品を送るというのが現在のあり方でありましょうか。まあ、そういう堅い話のない結婚もありふれているのでしょうが、僕の場合にはお見合い→おつきあい→成婚という手順ですから、結納を省くわけにも行きません。
僕は婿入りなので、結納はあげる方ではなく、もらう方でした。

さて、この週末は結納という週に僕は連続飲酒に陥っていました。
母はまだ毎日勤めに出ていましたし、農夫である父は秋の忙しい時期を迎えていました。「うちには寝たきりが二人いる」と言われたもう一方の祖母は、この前の年に故人となっていましたので、僕は誰もいない古い家で昼間から飲んだくれていました。

18才まで過ごした部屋に、10年後に戻ってきて、そこでまた過ごした4年間。僕がその部屋のどこに酒を隠すか、母は完全に把握していました。わずか10メートル離れた便所まで行くのが面倒で、窓から小便をしていると、この10年の間に立派にコンクリート舗装された裏の道を、近所の少女が犬を散歩させて通り過ぎていったりしました。

(このままではまずい。なんとかしなくては)

そう思って酒を切ろうとするものの、どうにもなりません。
母は僕の部屋を覗くと「お前頼むから、今度の日曜だけはちゃんとしてくれよ」と懇願するのでありました。「だいじょうぶだ。ちゃんとする。きっとちゃんとするから」。

この縁談が破談になったら、さぞかしその話は人の口に上るでありましょう。人の噂を口にして生きている、そんな風に言われる田舎であります。今まで何があっても断り続けてきた見合い話を受けようと思ったのは、人生で一度ぐらい結婚しておきたいというまことに自分勝手な思いからでした。それにまだ30を過ぎたばかりの男ですから、いろいろと欲がないわけはありません。

しかしもしこの縁談が破談になったら、僕は笑いもので、きっと二度と縁談は来なくなってしまうでしょう。それが急に恐ろしいことのように思われました。

部屋は東京にアパート住まいしていた頃のように散らかっていました。寝たばこで火事をしないようにということがいつも頭から離れませんでした。

夜になり、ふと僕は妻(になる予定の女性)に電話をかけました。
「来てくれ。今から来てくれ」

彼女は慣れない夜の道を運転してやってきました。そして暗い顔をした母に案内されて、飲んだくれている僕がいる部屋までやってきました。枕元に座った妻に、僕は布団の中から起きあがって、「来てくれてありがとう」と言いました。

「これが本当のあなたの姿なのね」

部屋の惨状と、酷い顔をした僕を見て彼女はつぶやくように言いました。

「そうなんだ。だが、助けてくれ。俺を助けられるのは君しかいない」

(いや、僕を助けられる人間はどこにもいない)

「お願いだ。助けてくれ。きっと幸せにするから」

それ以上何を話したかは覚えていません。彼女は婚約者がアル中だということが判明しても、破談にするとも何とも言いませんでした。後で聞いたことですが、彼女はこのことを自分の両親には何も言わなかったそうであります。

結納の日の前日の土曜の晩にも、僕は彼女を呼び出しています。今度はあまりに僕の部屋がちらかっていたので、客間での対面でしたが、僕は飲んだくれて畳の上に横になったきりでした。

その晩も僕が言ったことはたった一つだけでした。

「助けてくれ」

それに対して彼女はこう答えました。

「わかったわ。私がんばるから。二人の未来のために努力するから」

(恐らく如何なる人間的力も、われわれのアルコール中毒に救いをもたらすことはできない)

こうして、ここに共依存のカップルが一つできあがったのでした。

翌日の結納の儀では、カメラを用意した人はいるものの、結局写真は一枚も撮影されませんでした。婿さまの状態があまりに悪く、彼はぶるぶる震えていて、ひげを半分しか剃っていなかったからで、そんな状態を写真に残すには忍びないと思われたからでした。

妻(になる女性)は、(そうは言ったものの、本当にこの人で大丈夫かしら)と心配になり、涙が止まらなかったそうであります。だが僕は禁断症状が酷くて、当日のことはぼんやりとしか覚えていません。

そうあの時、東京で自殺未遂をして帰ってきてから約4年。その間に3回の精神病院への入院。もう父も母も、アル中息子の世話を焼くことに疲れ切っていました。保健所の酒害者家族教室に通った母は、「夫婦だったら別れれば縁は切れる。でも親子はそうはいかない」というほかの家族の嘆きを聞き覚え、本当にそうだねぇと息子に言い聞かせていました。

縁談を理由に父母に体よく見捨てられたのだと言うことは、うっすらと理解できていました。それに文句を言えるような自分ではありませんでした。けれども、一人で生きていける自信など全くありませんでした。だから、同情から差し出された助けの手に、相手のことなんか考えずに、僕は必死でしがみついたのであります。

後になって酒をやめることができたのだからと言って、あの後に妻に与えた苦痛の埋め合わせができたわけではないでしょう。どんなに気に障ることがあったとしても、「あの時あの奥さんがいなかったら、あなたは死んでいたでしょう」とAAのスポンサーに言われた言葉を思い出せば、彼女こそ命の恩人であります。

ドクター・ボブの物語にあります。
「もし彼女がそうしなかったなら、自分はとうの昔に死んでいただろう。どういうわけか、私たちアルコホーリクは、世界で一番素晴らしい女性を妻に選ぶ恵みを与えられているようだ。なぜそんな彼女たちが、私たちがもたらす拷問に耐えなくてはいけないのかは、私にはわからない」

もちろん、妻にも持病があり、隠し事はその後いろいろ判明するのですが、文句を言えた義理ではありません。

酒をやめることができたのはAAのおかげでしょう。でも、僕がそのことに集中できるようにしてくれたのは、妻やそのほかのたくさんの人たちでした。

(この項、終わり)。


2005年10月11日(火) はた迷惑

いつからだったかわからないのですが、数ヶ月前からニューヨークGSO(正確にはAAWS社)のウェブサイト(www.aa.org)が見られなくなりました。www.alcoholics-anonymous.orgでも同様です。DNSアドレスが引けないという状態です。

実は数ヶ月前に、サーバーを移転するという英文のメール(の転送)を受け取ったので、それかなぁと思って調べてみたらそれはUKの件でした。

いったいGSOのウェブサイトに何が起きているのか? そして、こんなにも長い間アクセスできないのに、騒ぎが起きないのはなんでだ?
自分のところからアクセスできないのなら、経路障害を疑ってみるのですが、ロンドンに置いてあるieji.orgのサーバーからも、会社からもアクセスできません。JSOのスタッフにたずねてみても、やっぱりアクセスできないと言います。

でも、そのうち復旧するだろうというぐらいの気持ちでいました。
で、昨日の雑記に「だれか知っている人がいたら教えてください」と書いたら、親切にメールで教えてくれた人がいました。どうもありがとうございました。ここでお礼を申し上げておきます。スラドの記事によれば、Level3とCogentの間が不通になっているということであります。

ためしに自宅からtracertしてみると、IIJ経由でサン・ノセまで行って、Level3にルートされ、Level3のダラスまで行った先は、ふっつりとぎれています。経路情報だけはやりとりしているけれど、つながっていないというわけですか。そしてGSOのサイトはCogent側にあるというわけですな。

前のJANISを使っていた時代も、アメリカ内部はLevel3.netを通過していました。迷惑している人はきっと僕だけじゃないでしょう。なんともはた迷惑なところで争いをやってくれるものです。

しかしまあ、こちらとしては自分の契約している接続プロバイダーに文句を言うしかありません。こういうことのないようにアメリカ内部での経路に冗長性を持たせてくれるように頼むには、「つながんねー」という苦情の山を築くしかありません。

自宅へ帰ったらユーザーサポートに電話をしようと思ったのですが、娘たちが寝る前にお話をしてくれというのにつかまってしまいました。8月に部屋を引っ越した際に、アザラシのごまちゃんのぬいぐるみが出てきたのですが、これを長女が気に入ってしまい、寝るときに抱いています。それでパパが添い寝をするときに「ゴマちゃんの一日」とか「ゴマちゃんの大冒険」だとかいう話を即興で作って聞かせることが習慣になってしまいました。
今はジジババの家で、次女も一緒になって寝るので、二人に聞かせるために、いいかげんな話を適当にでっち上げています。
毎日いいかげんな話をでっち上げるのは大変なのですが、最近はテーブルトークRPGのシナリオ集などで勉強しています。

というわけで、今夜もゴマちゃんを大冒険させているうちに、ユーザーサポートの時間は終わってしまったのでありました。


2005年10月10日(月) 変化

妻が入院して4日。変化があるといえばないことはありません。

まず本人は夜9時消灯、朝7時起床・ラジオ体操という、(普通の人だったら当たり前かもしれないけれど)慣れない生活リズムについて行くのが精一杯といったところ。食事は3食普通に食べて、間食を一切しないという生活になっています。

子供たちはジジババの元で、夜9時には寝るという生活になじんでいます。長女は保健室登校を続けていますが、1時間か2時間は教室で過ごすことも増えてきているとか。今週の金曜日は授業参観&PTA懇談会であります。仕事を休んで学校へでかけるつもりです。

もっとも変化がないのが僕の生活でしょうか。
金曜の送別会でどっぷり疲れたので、この週末は肉体的にも精神的にも疲労回復のためにあてられてしまいました。昼間起きているのは最低限で、後は寝ていて、夜になって活動するというパターンになってしまいました。
でもこれからは、子供を病院に連れ行ったりする役割が僕に回ってきます。仕事を休んでというわけにはいかないので、やっぱり朝から活動しないといけないでしょう。本社からも呼び出しをくらっていますが、これもやっぱり朝からでかけないといけません。
僕もこれからは生活リズムを正常人と同じにしていかないといけないのであります。

それにしてもニュース検索に変な記事がひっかかっています。オールアバウトジャパンからは「ネコを外に出すこと」、なぜか富士物流の「先進自動車」の話題。前者はネコの「薬物中毒」、後者は「アルコール検知器」のアルコールと、「メーカー依存」の依存がキーワードのようです。まあ、あまり神経質にならずにおおらかに読んで頂きたいです。

そういえば、ニューヨークGSOのウェブサイト(www.alcoholics-anonymous.org)が見ることができない状態が続いています。DNSで引けないというのはどういう事態なのでしょうか。これについて情報を持っている人がいたら教えてください。

ところで、セキュリティの問題から「いつ」とは言えませんが、ieji.orgを置いているレンタルサーバーも期限が切れます。最近は国内でもレンタルサーバーの値段が下がってきているので、<今度こそ>国内に移転しようと思っています。
現在契約している会社になにか問題がある訳じゃありませんが、ヨーロッパ経由、あるいは南米経由で無意味なアクセスに継続的にさらされています。悪意でやっているのか、どこかほかへの攻撃のとばっちりをくらっているのかは不明ですが、あまり気持ちの良いもんじゃありません。
いろいろと面倒なので、この際だからサーバーを移転してから対策しようという考えです。IPアドレスが変わるので、DNSレコードが更新されるまでの間2〜3日間はアクセス不能になるかもしれませんが、事前にご案内をしますので、ご心配なく。

なお、日記と掲示板は国内のサービスを使っているので、移転はしません。


2005年10月09日(日) うう、寒い

妻が入院して、子供たちはジジババの世話になりに母屋に移っていきました。僕も風呂と食事は、それから衣類の洗濯は世話になることになります。
アパートでは炊事も入浴もしないので、温度がその分上がらないのでしょう、寒々しく感じられます。

会社の送別会の後、前の会社からの同僚何人かで集まって話をしたのですが、どうも今の会社は「出世も、より多くの収入も望まない、現状維持で良い」という人間を快く思っていないようで、激しくプレッシャーをかけてくるんだそうであります。まあ、経営側としては、現状維持で満足という人間が多数を占めてしまうと、会社の発展が望めなくなってしまうので、会社人間(ワーカホリックといってもいいかも)が多くを占めてほしいのでしょう。
僕はコンピューター・プログラマーという点では専門職であるのですが、それとて今の会社では特別なスキルではなく、専門職にとどまるためには例えば博士号を取ったぐらいの数学屋であるとか、高周波回路の設計ができるとかのスキルが必要で、せっかくぺーぺーにまたなることができた僕にも、部下の管理だとか、そういうストレスフルなことが頭の上に降ってくるのもそう遠い未来ではなさそうです。

それにしても寒いな。


2005年10月08日(土) 魂の持ってきどころ

何年か前にAAにつながったあと、ふとしたことでAAを離れてしまい、ガンで余命何ヶ月と宣告されてAAに戻ってきたメンバーがいました。
余命何ヶ月という状況にもかかわらず、彼は働いていました。「無理しなくても」と言うと、「働かないと生活していけない」という答えが返ってくるのでした。抗ガン剤を打つために入院し、しばらくすると退院してまた働くの繰り返しでした。平日は働いてくるともう外出する体力も気力もなく、週末に奥さんの運転する車に乗せられて、土曜のAAミーティング会場に現れていました。お子さんが大学を卒業するまであと何年、俺は死ねないんだ、といって医者の宣告した時期を超えて彼は生きながらえていきました。

僕は自分のことが忙しくなり、土曜日のミーティングに出かけることも滅多になくなりました。
先日、ふと思い出して、その人のメールアドレスに「おそるおそる」というタイトルでメールを出しました。550エラー(メールアドレスが取り消されている場合)でメールが返ってくることが恐ろしかったのです。

返信はエラーメールではなかったものの、奥さんからで、ご主人が昨年の3月に亡くなったことや、先日納骨を済ませたこと、そして二人でAAに通った頃の思い出が書かれてありました。僕は「二度と会えない人」がまた一人増えたことを知るのでした。

ガンを宣告されてAAに戻ってきたのは、僕の知る限り彼が二人目です。
なぜ戻ってきたのか訪ねてみたのですが、二人とも感情のスリップを口にしました。

AAメンバーは、たとえAAから離れて暮らしていても、死を目の前にしてAAにもどってくるようにできているのじゃないか。そんなふうに想像してみたりします。


2005年10月06日(木) 妻の入院

妻の入院が決まりました。明日からだそうです。
準備は万端整っているので、特に前夜だからといって騒ぐわけでもありません。
最初に入院を口に出した義母(妻の母)は、今となっては入院に反対で、「できることなら入院せずにすますことはできないか」と言っているそうです。まあ、一時の感情で入院を口に出してみたものの、それから1ヶ月はたったでしょうか、人の気持ちだって変わって不思議でありません。
妻の調子も特にそのころより悪くなっていると言うことはないのですが、いつもかかっているクリニックの精神科医とは別の医師に処方を見直してもらったり、家事育児から離れて休息を取ると言うことも必要ではないかと思っています。
大学病院では、平均滞在日数を45日にするという目安があるそうなので、2ヶ月入院しているということはおそらくないでしょう(症状が改善しなくても退院させられちゃう)。
精神医療でも「セカンドオピニオン」を取ってみるということは必要だと思います。

さて、楽天ゴールデンイーグルスの監督就任が確実な野村克也監督。
僕は野村監督がヤクルトスワローズを率いる前からのスワローズファンでした。スワローズは確かに弱い球団でした。8月になって応援団長が「残り試合全勝すれば優勝できます」なんて叫んでいるような球団でした。いつもホエールズと最下位争いをしている弱さが好きでありました。弱将関根潤三は、ホエールズもスワローズも率いたことがありました。関根さんの野球解説は今も好きです。
「野村監督はんたーい」と神宮球場の外で酔っぱらいながら叫んでいた自分を思い出します。
スワローズにやってきて1年目は5位でした。3年目に優勝。翌年からは隔年で優勝して日本一になります。ヤクルトが優勝しないときは4位で、巨人が優勝。巨人を率いる長嶋監督がベビーフェイスなら、アンチ巨人の象徴としてヒール役を好んで演じてセ・リーグを盛り上げました。また日本シリーズでは、同じ捕手出身の森監督と激突。
勇退といってもいい形で監督業を廃業するかと思われたものの、阪神の監督を引き受けて周囲を驚かせます。

でも阪神では3年連続最下位。いつのまにかヤクルトファンから野村ファンになった僕は、3年間だけ阪神ファンをやりました。それがなんとなく有名人になった夫人の脱税問題で、引責辞任とは。

でも、野村監督は公の場で夫人の悪口を言ったことは一度もないです(僕の記憶にある限り)。「自分には過ぎた妻です」と言ってはばからなかった。
僕もみならって、妻のことが仕事に影響して云々などという言い訳をしないようにしようと思うのであります。(すぐに弱音が出そうですが)。

いくら野村監督でも楽天を3年間で優勝がねらえるチームにするのは無理だと思いますが、来年からはじっくりと応援させて頂こうと思っています。古田プレイングマネージャーも面白そうですが、まあ彼も監督としては新人ですからね。

おおっとその前に、シダックスの社会人日本選手権が残っています。志田会長の恩義に報いるためにも、是非優勝してほしいです。


2005年10月05日(水) 10 years ago (4) 〜 手遅れだと言われても、口笛...

10 years ago (4) 〜 手遅れだと言われても、口笛で答えていたあの頃

上司と面接をして、上半期の業務目標の達成度を評価しました。といっても目標は僕のいないときに設定されたものですし、上司も僕の能力を測りかねていたでしょうから、かなりいい加減な目標であります。でも評価は下されなければなりません。
きっとこれが冬の賞与の査定対象となるのでしょう。僕の現在の立場は、時給のパート職員とほぼ同じですが、パート社員にも賞与が出る会社なので、はっきり言って僕はわずかな額でもいいから賞与が出ることを期待しています。そして、出なかったらすごく恨むんだろうな、会社とか自分の境遇とかを。

年内にはフルタイム勤務に復帰したいという話をしましたが、「まあそう急がなくても」と言われてしまいました。でも、年内ぐらいには復帰しないと貯金が底をつきます。

仲間のバースディ・ミーティングの後、実家へ。母親は海外旅行に行くので、来週は不在だよと教えられました。行き先は敦煌だそうです。これで何回目の海外なんだか。これもアル中である息子が腕時計もなしに東京から帰ってきて、アルバイト代が入ったと言っても家にも一銭も入れずに偉そうに腕時計を買い、そしてその懸賞で海外旅行を引き当てたというところから始まったものであります。当たったのは一人分だけ。「海外なんざ仕事で行くようになってやるぜ」と息巻いていた息子はそれを親に譲り、田舎者の農夫夫妻は一生縁がないものと思っていた海外旅行の代金を折半して出かけていきました。行き先はアメリカ西海岸。
月夜のグランドキャニオン上空をヘリで飛んだり、サン・ディエゴの海軍基地を眺めたり、貧しいメキシコの街を訪れたりして、海外旅行が大好きになった夫妻は、次からは全額自腹で出かける計画を立てます。パリを旅して、ショーボートでリチャード・クレーダーマンの生演奏を聴き、ブルゴーニュのワインを飲んだ父は、もう一度フランスを、パック旅行ではなく個人旅行で訪れようとフランス語のラジオ講座を聴きながら、ブドウの選定にせいを出していた10年前。
父がいなくなって一人旅はつまらないと言いながら、スペイン・イタリア・ギリシャ・揚子江・治安定まらぬカンボジア・カナダ・・・とすっかり旅行好きになってしまった母であります。

さて10年前。

スリップ(再飲酒)の繰り返しというよりは、酒の切れている日のが少なくなっていたあのころ。僕は妻になる予定の女性を伴って、AAミーティングに出かけました。AAメンバーの、特に若い主婦のメンバーに「初々しい」などと冷やかされつつ、なんだかよそ行きのミーティングをしました。
あのころは正直さなんて必要だなんて全く思っていなかったので、墓場まで持って行きたいことをわざわざ選んで話すこともありませんでした。しかも、自分でも「それほど酷くない」と思っていた経験談を2〜3織り交ぜて短い話をしただけのつもりだったのに、妻になる女性からは「すごい過去を持つ男なのね」と真顔で言われてとまどってしまいました。
AAミーティングにも「趣味で通っている」のだと思われてたようです。それは僕のミーティングに対する当時の態度をよく示しているのかもしれません。

やがてミーティングから足が遠ざかりました。
二日酔いなのか、禁断症状なのかはわかりませんが、朝に無理矢理起きてみても、手が震えて、吐き気と頭痛がして、激しく下痢をしているような状態で、とても車に乗って通勤などできませんでした。しかたなしに親に駅まで送ってもらい、電車とタクシーで会社に現れていました。帰りが大変だろうと同僚が車で送ってくれたのですが、明らかに酒で仕事ができなくなっている状態であるにもかかわらず、途中の酒屋の前で止めてもらって、酒を買い込んでくる僕を驚きの目で見つめ、「もう二度と君は送ってあげない」と宣告せしめたのも、この頃でした。

自分の部屋で布団に潜って酒を飲んでいると、ふと時計が目にとまります。ああ、この曜日のこの時間。今頃みんなはいつもの教会でミーティングをやっているんだろうなぁ・・・。そのことに気づくと、みんながしかめっ面して話をしているときに、「俺は飲んじゃってるんだもんねー、えへへー、いいだろう、うらやましいだろう」とあざけりの気持ちが浮かんできました。しかししばらくするとその気持ちは、「俺は何で飲んじまっているんだろう。みんながあそこに集まっているのに、どうして俺は一人で孤独にここにいるんだろう」という孤独感に変わっていきます。やがて、「もうどうにでもなれ」という気持ちになって、意識を失うまでがぶ飲みを続けるのでありました。

「徹底的にわれわれのやり方に従った人で回復できなかった人を、われわれはほとんど見たことがない」

まるで回復できないのは、回復できないやつが悪いんであって、AAのせいじゃないもんね、とでも言いたげな文章です。「そこまでやらなきゃ回復できないんだったら、回復なんていらねーよ」というのが僕の正直な気持ちでした。「そんなやりかたで回復したって、きっとうれしくないよ」。酸っぱいブドウの論理で自分をなぐさめるしかありませんでした。

ひいらぎに「飲まないで生きる」生活が与えられるのは、まだ半年以上先の話です。

(この項、続きません)。


2005年10月04日(火) アルジャジーラ・めがね・降り続く雨

またまたニュースをチューニングしてみました。
ひとつはライブドア・ニュースを検索対象に加えたことです。これは「ライブドアがアルジャジーラのニュースを配信する」というニュースを読んで、見に行ってみたところ、他にはないニュースを配信していたところから検索対象に加えてみようと思った次第です。実のところは、ライブドアに対するニュース配信を打ち切った新聞社・通信社が多いらしく、ライブドアとしては独自のニュース源を増やして差別化を図る必要があったということらしいです。
ただ、ライブドアのニュース検索は、「○日○時○分」という形式でニュース配信時刻を表示してくれるので、何年の何月なのかわかりません。あまり古いニュースはないみたいなので、年がわからないことはないのですが、何月のニュースなのかは「適当な推測ルーチン」をでっち上げているので、実際にニュースを読んでみると何ヶ月かずれているということはあるかもしれません。

もうひとつは、72時間以内のニュースをまとめた「新着」というジャンルを作りました。これは4つの検索対象すべてについて、72時間以内の日付時刻がついているものをまとめたものです。毎日このページを読みに来ていただいているのに、検索結果はあまり変化しないので、新着だけ見ればいいように作ってみました。

どっちにしても、完全に「他人のふんどしで相撲を取る」という技ではありますが、検索プログラムもこまめにチューニングが必要なので、まあそこらへんにオリジナリティを感じていただければと・・・いいわけですね。

さて「二萬円堂」には確かに値札がなく、どのような組み合わせでも2万円+消費税という値段でありました。セルフレームのめがねといっても、最近の流行のものは、レンズのサイズが小さく横長であります。もちろん流行とは無縁の僕は、PSY'Sの『私は流行、あなたは時代』を口ずさみつつ、古くさい大きなセルフレームを選択しました。といっても4種類しかなく、選択に時間がかかったのは、どれもあまり気に入らないからでありました。
できあがるのに20日間いただきます、という店員の言葉にも怒りを覚えず、別に急いでいないからいいですよと言って2万1千円支払って帰りました。

めがねを購入しただけでも、運勢が変わり始めたのか、帰宅すると妻が、大学病院から電話があって木曜日に入院できるという話を伝えてくれました。しかし木曜は長女の耳鼻科の日であるため、入院の日を金曜か、来週のはじめにずらせないか交渉中だそうであります。僕としては、耳鼻科には僕が仕事を休んで連れて行けばいいから、一日も早く入院して欲しいのですが、もう妻が病院に電話してしまっているので、変えようもありません。

風呂と食事をすませ、頭痛がするので鎮痛剤を飲んで寝て、起きると10時半でありました。皆でテレビドラマを見ているので長女が寝たがりません。子供は早く寝かさなくてはと思うものの、テレビの前から子供をひっぺがして、布団に連れて行く気力が出ません。まあ、こうやって母子でテレビを見るのもあと数日かと自分を無理に納得させて、今夜は添い寝はなしになりました。

最近僕は、うつに対して有効な治療法を発見しました。それは適度な運動と、十分な睡眠です。昼夜逆転の生活はやっぱり心にも体にも良くないようであります。結局常識が正しかったと認めるのに長い年月を必要としただけのことであります(頑固な自我というやつがじゃまをして)。

といいながら、一度寝てしまったので、なかなか寝られずに夜更かしをして、雨が降り続く明け方に寒さで目が覚めてしまいました。毛布一枚では寒いのですが、掛け布団は3階の押し入れの中です。面倒くさいのでそのまままた寝たら、起きたときにはすこし風邪気味になってしまいました。

先週の水曜日よりはかなり具合がいいです。うつにも波があるし、人生にも波がある。今日は仲間のバースディであります。


2005年10月03日(月) めがね

ニュース検索をチューニングしてみました。
具体的には、「急性アルコール中毒」が引っかからないようにしたのと、ある種のキノコがアルコールの分解を抑制して云々という記事が混じる対策、あとメチルアルコール中毒についてです。「依存度」という言葉を排除することで、経済記事の混入も防ぐように・・・なっているといいな。

急性アルコール中毒も広く考えればアルコール問題ではあるのですが、とりあえずアルコール「依存」の問題と、自助グループ関連にフォーカスしておきたいので、除くことにしました。薬物依存関係の記事では、自衛隊の記事があっちこっちに散見されてうんざりです。検索エンジンがキャッシュしたときにはトップ記事だったので、ページに混じり込んでいたのでしょうが、現在見に行っても「薬物」の薬の字もなかったりします。

ネットオークションで不要なものを落札してしまいました。入札して値段をつり上げて遊んでいるうちに、自分が落札者になってしまうというまさに「自業自得」のパターンであります。ネットオークションといえども商取引なので、一方的にキャンセルすれば契約違反になってしまいます。泣く泣く買うのであります。
「値段をつり上げて」どこが面白いのかというと、自分が落札者にならない範囲で、他人により多くの支出をさせるというところにギャンブル性があるからでしょうか。

僕は長いことセルフレームの黒縁のめがねをかけてきました。縁が太く、丸いやつです。これは顔の部品としてとても目立つので、セルフレームのめがねは僕のトレードマークのように人々の記憶に焼き付いて、顔を覚えてもらえるのでありました。

しかし、セルロイドは紫外線によって劣化します。最初は柔らかく弾力があったセルロイドが次第に堅くなっていきます。曲げに対して伸縮せず、細かな亀裂を生じさせて曲がるようになります。そして金属疲労で金属が折れるのと同じように、たいして大きな応力でもないのに、セルロイドは亀裂からぽっきりと折れてしまう日がやって来るのであります。

このようにして定期的にめがねを買い続ける生活をしていたのですが、昨年後半にめがねが恒例に壊れたときに、ついに妻の堪忍袋が切れ「セルフレームのめがねは(定期的に壊れるので)まかりならぬ」というお達しがだされ、金属フレームのごっついめがねが新調されました。しかし、ごっついだけあって重く、とっても疲れるので、もう一度だけめがねを作り直すことにしました。
そのときも「セルフレームはだめ」という理由で、現在の金属フレームのめがねに落ち着いたのですが・・・。

思えば、あれからロクなことがないなぁ、と思うのであります。

僕は縁起は担がないけれど、げんは担ぐタイプなのであります。というわけで、明日は2万1千円を握りしめて「にまんえんどう」という名前の眼鏡屋さんにいってみようと思うのであります。もちろん、セルフレームのめがねを買うのであります。ああ、自己中。


2005年10月02日(日) 日曜日

一応午前中に起きました。
長女が『はじめての「ぬう」と「あむ」』という本をお気に入りで、何か縫ったり編んだりしてみたい年頃のようです。昨日は外出のついでに布と糸を買ってきました。が・・・、男親に絹糸と木綿糸の違いがわかるはずもなく、今日は交換にお出かけしていました。

「30周年でひいらぎの具合が悪いって聞いて電話してみました」という電話をいただきました。なんのことはないパソコンのサポートであります。「Windows98にシステムの復元の機能が見あたらない」という話でしたが、システムの復元が組み込まれたのはMeとXPからなので、素直に諦めて頂いて、リカバリーCDで復元して頂くしかありません。

紙の新聞を取らなくなって1年あまり、「やっぱり紙の新聞が読みたい」と唱えていたら、母屋から義父母の読み古しの読売が届くようになりました。特定のニュースを追いかけるには、Yahoo!ニュースなどで検索するのが一番てっとりばやいのですが、世の中全般を見渡すには、やっぱり紙の新聞の閲覧性というのが効いてきます。

産経新聞の新サービスは東京朝刊の紙面が月額315円で読めるというもの。Flashでニュースを配信するというのが目新しいところです。これなら仕事時間中に読めていいかなと思います(いいのか?)。
データがFlashだとすると、コピーしたり、再配布したりできそうな感じですが、そこのところがどうなっているか、契約してみないことにははっきりしません。

ヤクルト古田監督というニュースも気になりますが、やっぱり野村克也が楽天を率いるのかどうか、気になるところであります。

子供たちとまたよく風呂にはいるようになりましたが、頭を洗いたがりません。面倒だというのであります。これから年頃になる女の子が、何日も頭を洗わないのはどうかと思うのですが・・・。


2005年10月01日(土) 色紙

10時半に起き、疲れがとれていないので、もう一度寝て起きると午後4時でした。

すでに子供たちは2回おでかけした後でしたが、もう一度誘って街へ出ました。
お目当ては一番大きな文房具屋さんです。
仲間のバースディのための色紙作りの材料を買いに出たのでした。

僕は1年・2年・3年と一昨年、今年と色紙をもらいました。
でも仲間の色紙はあまり作ったことがありません。
あっちこっちのミーティング場にでかけるよりも、決まったミーティングに欠かさず出ることを信条としていますし、あまりAAのイベントにも出かける方ではありません。だから仲間の色紙を抱えて、寄せ書きを集めて回るのはあまりやったことはありません。
字も下手だし、イラストが描けるわけでもなく、レタリングも下手です。だから、なるべく色紙作りは回避してきたのですが、今回はお鉢が回ってきました。

ICトーンでレタリングをしながら、はたしてこれは「まだ苦しんでいるアルコホーリクにメッセージを運ぶ作業」なのかどうか、ちょっと考えました。しばらく考えても結論は出なかったので、あまり難しいことを考えるのはやめて、色紙のデザインに集中することにしました。

夜は家族でお祭りに出かけたのですが、日中に一時間以上歩き回った僕は疲れてしまい、仕掛け花火の点火を待たずに、ひとりで先に帰ってしまいました。

まあ、ともかく太ってしまった妻を連れ出して「歩くこと」「子供と一緒に過ごす時間を取ること」「少しでも睡眠時間を多く取ること」そんなことを心がけていきたいです。

できあがった色紙は人工的な要素が多くて暖かみに欠けるような気がしましたが、あまり自分の能力に過大な期待を寄せるのはやめ、まずまずの出来だという結論にすることにしました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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