心の家路 たったひとつの冴えないやりかた

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たったひとつの冴えないやりかた
飲まないアルコール中毒者のドライドランクな日常
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2002年04月29日(月) ピンクの雲の上で(その)

さて、夜のフェローシップで、僕には「会わねばならない」と心に決めた人が二人いました。
ひとりは隣県の仲間で、僕はいつも彼のソブラエティの後を追いかけているというような、そんな人です。要件は、僕のスポンシーのステップ5を受けてもらうよう、お願いをすることでした。快諾していただけたので、あとは二人を引き合わせ、スケジュールとかは二人で決めてもらうようにお願いしました。僕も、スポンサーにはステップ5は受けてもらえず、別の仲間を紹介されました。比較的年齢も社会的背景も近いその仲間とは、それまであまり親しくはなかったんですが、それが縁になって、ラウンドアップの実行委員など一緒にやりながら、忌憚のない意見のやり取りもしましたっけ。(そういえば、その仲間とも2年ぶりに会えました)。

もう一人は、新年早々からチャットやらメールやらで、親交の復活している仲間とです。「12&12は、BigBookを読んでることが前提の本でしょ? だから、ステップ2・3をすっ飛ばしてステップ4・5をやっても形だけになっちゃうのよ」という意見には傾聴すべきものがあります。僕は、彼女の外貌が attractive であることが心配の種で、ジャンク箱の中に放り込んだ磁石のように余計なものを引きつけるのを、はらはらしながら見ていたわけなんですが、内面に spritual な貯金が貯まる様子を見るにつれ、(同じジャンク箱の中のくず鉄として)僕なんかの心配は無用だと思い直したのでした。
「おやすみ」を言ったのが2時だったかな。(僕は何か食べないと眠れないので)柊の摂食障害とからかわれながら、夜食を食べ、麻雀部屋には近寄らないようにして、布団に入りました。



2002年04月28日(日) ピンクの雲の上で(その◆

会場到着は5分遅れ、しかもついた途端に、持参の朝食を食べ始めるというルーズな僕です。以前も、オープンスピーカーズの駐車場案内の件で、案内図を掲示しない・案内係が居ないというチョンボをやらかしたことがあったのですが、その反省が活かされず、今回も同じ事態が発生してしまいました。
会場前の駐車場は、図書館?との共用駐車場で、「会場側の利用者が駐車場を占領してしまうと図書館利用者が大変迷惑する」ので、「会場裏側の駐車場に誘導して欲しい」と言われていました。でも、張り紙をしていないので、皆が会場前に駐車します。そこへ僕が行って「AAの方ですかぁ? すみません、会場の裏手に移動してください」とお願いするわけです。「張り紙ぐらい、仲間が用意してくれるだろう」という甘えが自分にありました。皆さんには二度手間をおかけして、ごめんなさい。

さて、ミーティングが始まって1時間もすると、もう来る人もわずかです。会場の中の後ろの椅子に座って、仲間の話を聞くことにしました。東京から来た女性の仲間を「関係者」と勘違いして、「無理なさらずに、途中でお帰りになってもかまいませんよ」などと余計なことを言ってしまったりしました。
仲間の話に、思わず涙が出てしまいました。一瞬「恥ずかしいな」と思ったのですが、仲間の話で涙を流すのは、決して恥ずかしいことではない、と思い起こしてハンカチを取り出しました。



2002年04月27日(土) ピンクの雲の上で(その 

「ねむい」

ノバのレッスンから帰ってくると、既に9時過ぎです。
夕食を済ませて、「ちょっと横になるつもり」が、起きてみると1時近くになっていました。家人に「そのまま寝ればいいのに」と言われましたが、風呂を沸かしなおして入りました。仲間の書いた記事のなかに、「疲労を取るには睡眠・入浴・飲酒しかない」てのがありましたが、僕も、ほぼ同意見です。しかも、入浴が大切であると思っています。例え仕事で朝5時に帰ってきても、風呂に入ってから寝ます。睡眠時間に1時間を加えるよりも、入浴したほうが(僕の場合)疲れが取れるのです。明日はオープンスピーカーズ。
駐車場案内やら、受付やらで、仲間の話がどれだけ聞けるかも定かでありませんが、
ともかく、僕にとっては久しぶり(2年ぶり?)のAAイベントへの参加なのです。

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だいたい、前の日からパニックに陥っていたのです。
このWebサイト作成の元になった「ミーティング会場地図作成」は昨年の秋でした。あれから、ひとつの会場が休止し、新しい会場がひとつできました。今回のオープンスピーカーズには、その変化を反映した地図を用意することになっていました。議長と相談して300部刷る事になっており、原稿も「とっくに出来上がっている」ハズだったのですが・・・・。新しい地図を格納したファイルを開いてみると「2001年12月版」
あれれ? どうやら、古いファイルで新しく描いた地図を上書きしてしまったようです。バックアップのZIPディスクの中身も、DATテープの中も、全部「2001年12月版」です。パニック状態の頭の中で、「どこかにデータが残っていないか」必死で考えました。ああ、「心の家路」のファイルの中に、新グループの地図はあるはず。そこに、Web用に変換する前のデータが残っていました。いそいで「2001年12月版」にそれを貼り付け、編集を加えて、プリントアウトしたものを、コピー印刷屋さんに持ち込んだのは5時半でした。閉店する6時までに、なんとか300部刷ってもらうことができました。
B4版両面コピー印刷300部で2700円。紙代コミで一枚9円です。(前回は500枚で3500円)。この老夫婦の経営する文房具店がなくなってしまったら、いったいどうしたらいいことやら。
それにしても、「お出かけ」の予定を延々待たされた子供たちよ、ごめんね。



2002年04月26日(金) はっぴば〜すでぃとぅゆぅ

仲間のバースディミーティングに行ってきました。
仕事を抜けるのが遅れて、ついたときにはケーキも切り分けられ、本人の話も終わりに近いところでした。県内のAAメンバーでも、僕の「飲んでいた頃」を知る仲間は、次第に減ってきました。さびしいと言うか、何と言うか。でも、自分の酷かった頃を知る人に会うのは、大切なことですね。
昨夜、母親と話をしました。

「あの人(僕のスポンサー)は、今どうしている?」
「よくわからない。たまにしか会わないから」
「あの人には恩がある。何かお返ししなくちゃいけないよ」
「AAはそういうのと違うんだ。あの人は、あの人の生活の中から時間を割いてくれた。だから、僕も自分の生活の中から時間を割いているの」

最近はすっかりフットワークも重くなっているので、なかなかバースディミーティングだからと言って、遠くまで出かけることもできなくなりました。
もっと時間が欲しいよなぁ。



2002年04月25日(木) やっちまった〜〜

岐阜県の某所から、高速道路をぬうわKm/hで走りながら長野へ戻ってまいりました。そのまますぐに自分の車に乗り換えて、病院でのミーティング会場へ急ぎました。なんとか2分遅れで、会場に飛び込んでみると・・・・あれ?
患者さんがこんなに多いのは・・・これは前回と同じ。でも、なんで隣のグループの仲間がふたり揃って来て、司会もしてるの? 彼らの輪番は第3週(先週)では? それとも僕が何か大切なことを忘れているのか? 昔のブラックアウトの翌朝に、連結しない記憶の空白部に、何が起こっていたのか、周囲に聞くこともできない、あの感覚ににた「じゃあ、僕が先週のミーティングの担当になったんだっけかな、だとしたら、先週はいったいどうなったのか?」疑問と不安がよぎります。ミーティング終了後、

「あのね、柊が第5週を担当してるから、第4・第5と二週続くと仕事とかで大変でしょ。だから、4月から、第3と第5に変えたんだけど・・・」
「そ、そうでしたね」
「いや、僕らも、先週柊に確認するの忘れてたから」
「いや、それは僕の責任ですから・・・」

で、先週のミーティングですが、「ふと何かに駆られて」ミーティング場に顔を出した地元の仲間が、司会を勤めてくれたそうです。ありがとう。また仲間に助けられましたね。
しかし、彼曰く。「ハイヤーパワー、ですね」



2002年04月24日(水) 旅先でAA

一泊二日の出張でした。
とある製品の使い方のトレーニングコースという名目で、一日半、ディスプレイとにらめっこでした。初日は4時半に終わってしまったので、ホテルにチェックインしてもまだ時間があります。夕食にふさわしい店がなかなか無くて、一緒に行った同僚と、駅周辺をだいぶ歩いてしまいました。落ち着いたのは、うどんがメインメニューのファミリーレストランでした。そこを出ても、まだ6時半だったので、駅まで戻ったところで、「ちょっと友人と連絡が取れたので、会ってくる」と言って、同僚と別れました。
電車でふた駅110円で、ミーティング会場最寄りの駅に到着です。そこから歩いて5分のところに会場はありました。夕暮れの中に「AA」と書かれた看板がかかっているのを見るたびに、なんだか「ほっ」とした気持ちになります。中に入って、献金箱にお金を入れ、コーヒーを自分で入れて飲めば、「新しく来た人」ではなく、「どっかヨソのグループの人」だとわかってくれます。
ビッグブックミーティングで、仲間が7章を読んでいました。
それが終わると明かりが消され、一本の大きなろうそくに火が灯され、キャンドルミーティングが始まりました。初めての体験でした。見知らぬ人々、僕は名前も顔も覚えませんでした。次に会っても、判らないでしょう。それでも、確かに僕は、彼らから「何か」をもらったのです。



2002年04月22日(月) 臨時代行お役御免

結局300行ぐらい書いてなんとかなりました。
出張が続くので、月曜日の朝一番からの出勤は無理です。なぜかというと医者に行くからです。アルコール依存だけの人はうらやましいですね。抗酒剤と縁が切れれば、医者に行く必要はなくなるから・・・。
まあ、ひがんでも仕方がありません。ともかく、月曜日の朝一番にレポートを出すのは無理なので、上司の机の上に、結果のハードコピーを置いて帰りました。その件については何も言われなかったのですが、午後の雑談のついでに、「ああ、朝一番でお客さんから電話があってね、目の前に良い結果がでているから、安心してもらえたよ。助かった。サンキュー」といわれました。エンジニアにとっての、最大の賛辞は、自分の仕事の結果が「誰かの助けになる」ことですから、これ以上の言葉はありませんね。
もっとも、これは社内ならではの話であって、高いお金を払ってくれるお客さんが、感謝の言葉を残してくれることは滅多にありません。「役に立って当たりまえ」それが、この職業の本質です。いや、どんな職業でも共通か。
「奥さんが発熱しているので、ミーティングに来れない」と言うスポンシーを、「あなたが家にいて、何かの役に立つの?」と冷たく言い放って、迎えに行きました。そして、月末なのでビジネスミーティングで、今まで僕が臨時で務めていた、チェアマンと代議員として、彼を正式に選出したのでした。
は〜、やれやれ。でも、グループやAAのために、日常生活の中から何かを削っていれば、確実に大きな「何か」がもらえるのも確かです。彼に恵みあれかし。



2002年04月21日(日) ねぶい

眠いです。日曜日の夕の英語のレッスンが終わって、また会社に来ています。どうしても今日中に仕上げておかなければならないプログラムがあるのです。月曜日はミーティングがあるので、(バスケットも預かってるわけだし)、残業するわけにもいきません。火曜・水曜と東京出張で、木曜日には「このプログラムの実行結果」をもって中津川に行かないといけません。その日は日帰りなので、病院のミーティングの輪番をこなさないといけません。金曜日は仲間のバースディ。土曜日は、パソコンの設定を一件請け負っていて、夕方からNOVAのレッスン。日曜からは待望のオープンスピーカーズというわけです。(金曜以降の予定は関係ないけど)なにしろ、今日中に仕上げないといけないのです。
でも、途中でお弁当を買ってきて、食べ終わったとたんに、睡魔に襲われてやるせなく、日記を書いている次第です。ねぶい。
全般的には鬱のほうへ振れているので、作業効率が悪いってのもあるんですが、「それが普通の状態」と割り切らないと、とてもじゃないけど、精神的に滅入ってしまうでしょう。ああ、帰ってお風呂に入りたい。
あと300行ぐらい書けば・・・、いや500行かなぁ。



2002年04月18日(木) 日常その2

「早く寝る」とか書いておきながら、午前3時半まで、いろいろやっていました。今夜もすでに2時近いです。
父がなくなったのが、僕のソブラエティの始まる半年前。父よりも10歳ほど年下の母と、実家の兄とで、続けてきた稲作ですが、ことしから供出ぶんは、農協に代理耕作を依頼することになりました。耕作するのは、自家消費ぶんだけです。おかげで、今週末の種まきは「来なくていいよ」といわれてしまいました。
ゴールデンウィーク明けの最初の土日が田植えになるのですが、毎年のように長野地区のオープンスピーカーズに重なり、ミーティングと田植えとどちらに行くか悩んだものですが今年は、オープンスピーカーズが連休前なので、助かります。もっとも、自家消費分の田んぼ3枚程度であれば、寝ぼすけの僕がお昼頃に駆けつけたころには、田植えが終わっているのでしょうが。



2002年04月17日(水) 日常

毎日日記を更新している人たちは「えらいなぁ」と、つくづく感じますね。
F&Fのように、予定校が自動的に入る仕組みもたいしたものだと思いますが、その文章を書くだけの余裕があるというのも、すごいですね。レーザービームプリンタを愛用しているのですが、これは機構は普通のフォトコピーと同じ機械なので「裏紙」を使うと、だんだん調子が悪くなります。
だからと言って「裏紙」を使わないで捨てるのももったいない話です。そこで、引退したインクジェットプリンターに登場願って、そっちは「裏紙専用」印刷装置になりました。でも、それをつないであるパソコンが起動していないと、ノートパソコン類からは(無線LANをとうしても)印刷できないのです。かといって、パソコン1台を一日中つけっぱなしにしておくのも電気代がもったいない。
そんな、わがままな要求を満たすために、プリントサーバーと呼ばれる品を安く入手してきました。その機械の設定に午前3時までかかったのが、月曜の晩。
火曜は仕事中に眠くて仕方なく、「フレックス利用して4時半で帰る」と宣言していたのに急な仕事が入って、深夜の帰宅になりました。ジュースでも買って帰ろうと思ってコンビニに寄ったのですが、どんなジュースもおいしそうには見えません。「うまそうだなぁ」と思う目線の先にあるのは、缶チューハイやリキュール類の缶。強い飲酒の衝動があるわけじゃありませんが、疲れで鈍磨し、しかもささくれだった神経をアルコールが優しく揉み解してくれる・・・という幻想を捨てきることができません。
そういえば、前回のスリップもコンビニで買ったリキュールから始まったんだっけ。
なんだかんだで、昨夜も午前3時になりました。
今日は早く眠れます。ゴールデンウィークも休めそうだし。



2002年04月15日(月) 別れ

昨年11月にひょっこりグループに現れた転勤族の仲間が、また移動していくことになりました。
今度は転勤ではなく、早期退職のハッピーリタイアメントだそうで、うらやましい限りです。転勤の途中で、東北に家を立てたそうで、そちらに移るとか。JSOの一覧表で見たら、その県にはミーティング場がふたつしかありません。彼がそのグループと関わるのかどうか、僕には関係のないことですが、できれば少ない仲間でやっているだろうそのグループに、力を分けてあげてほしいなと願うのです。さよならは言いませんでした。仲間曰く「AAに別れはありません」。ビックブックの最後にも書いてあります。
「また会いましょう」、握手、そして去っていきました。



2002年04月13日(土) 遠方より友来たる

大学時代の後輩が、信州へ遊びに来ました。
彼は卒業後、アメリカへ留学して、日本に戻った後に、院卒して、最近は外資系企業でシステム屋さんをやっているという、いわゆるエリートです。思い起こせば、僕の飲み方が最悪になる前、友人たちと居酒屋で騒いでいた頃、なぜかまったくアルコールを飲まない彼も、よく混じっていましたっけ。なぜ彼が「絶対に飲まない」のか、当時も理由を尋ねませんでしたし、今も知りません。東京在住の最後の頃は、知り合いに迷惑かけどおしだったので、信州に戻ってから昔の友人に連絡する機会もありませんでした。
一年目のバースディを迎える頃、彼の運営していたBBSやinternet場の掲示板に、そろりそろりと顔を出せるようになり、そのうちに少しづつ皆と打ち解けられるようになってきました。仕事で上京し、夜、時間があるよと言ったら、数人集まってくれました。僕がまったく飲まなくなった理由を、誰も尋ねませんでした。彼と会うのは、それ以来です。
昔の友達と、再度接触する機会を作ってくれた、大切な恩人。
僕は、感謝の言葉も何も言いませんでしたが、また再会を誓って別れました。今年こそ大学の学園祭に顔を出そう、と誓うのでした(多分無理だけど)。



2002年04月10日(水) 情報を良く伝えられたグループの良心

毎月の初旬に地区委員会の議事録の作成と発送、中旬に市内の病院向けに定期的なパケットを送るという習慣にしようと思っていたのです。が、・・・3月の中旬のタイミングを逃してしまって、3月のパケットがそのまま送られずに残っています。さらに、3月末の地区委員会の議事録も、先週末に清書しておきませんでした。
「いつまでも、ずるずると先延ばしにしているとまずいなぁ」とは思っていたのですが、意外な人から催促がありました。ミーティング会場とグループを閉めてしまった人から、「もう、議事録は送ってもらえないのですか?」という電話が入りました。議長からの指示で、今年いっぱいは議事録は送ることになっているので、単に遅れているだけだと説明して電話を切り、さっそく作業に取り掛かりました。
そして、今日8通の封書を発送して、作業は終了です。
この議事録、いったい何人の人に読んでもらえるのでしょうか。先に書記をやっていた仲間からは、毎月FAXで議事録を送ってもらっていたのですが、帰宅してFAXが届いているのを見ても、目を通そうという気力のある日のが少なくて、しばらくそのまま放置されているのが関の山でした。まあ、いちおうグループのビジネスミーティングの前には報告をするのですが、サービス活動に関心を持ってもらえない仲間にとっては、「いろんな話」の一部でしかないのかもしれません。ましてや、オフィス経由で送られてくる、地域や評議会の議事録をメンバーにちゃんと回覧しているグループはどれぐらいあるのでしょうか。(すくなくとも、うちのグループはしてません)。
「情報を良く伝えられたグループの良心」こそが「愛の神」であると言われますが、それだけ情報を分かち合っているかというと、それは現実には難しい話。会場を維持していくだけで、かなりのエネルギーを失ってしまっているのが現実でもあります。



2002年04月08日(月) 変化

(先週までの)スポンシーが「奥さんの世話」で休むという連絡があったので、司会を誰に頼むか悩みました。 このグループでは、司会者を選ぶのはチェアマンの権限です。来月半年のメダルの仲間に、「やってくださいよぅ。難しいことは何にも無いんだから」と押し付けて、コンビニにおにぎりを買いに行きました。
帰ってきたら、2月にバースディを迎えた仲間が、「やらせてもらいます」と言ってくれました。あれほど固持していた司会を・・・・。人は変化するものですね。「AAは輪番制ですから、次は誰それね」なんて話をしながら、ミーティングは始まりました。
珍客がひとりきました。卒業組のメンバーが、ひょっこりと顔を見せました。この会場も、どんどんメンバーが入れ替わっていくので、ちょっと驚いたんじゃないのかな。何せ彼の知っているであろうメンバーは、僕だけなんだから。ああ、いえけない。地区委員会の議事録を早く書いて、発送しないと。それから、市内の病院への定期便も出さないと・・・・。忘れていることが沢山あるきがします。



2002年04月07日(日) ひさかたのオフ

まずまずの週末だった・・・のかなぁ。
部屋の掃除ですが、「それよりもベランダに出してあるダンボール箱を片付けてくれ」という要望にこたえることにしました。 自分の望むことよりも、周りの人の願望をかなえるほうが、おおむね日々は順調に流れていくようです。
土曜日、閉鎖病棟に居ると聞いた昔の仲間を訪ねることにしました。お土産には、タバコを4箱。しかし・・・、面会制限で会えませんでした。「制限、いつごろ解けますかねぇ」と受付嬢に尋ねても判るはずもなく「主治医に確認とってから来てください」と言われても、ごもっともな話です。 余ったタバコをお土産に、仲間の家を訪ねました。 昔のPC-9821xxに、Windows95をインストールするためですが・・・・、やっぱ無理でした。 同じぐらい古い ThinkPad に、プリンタードライバーをインストールする手段も・・・だめでした。
何しにいったのか判らずじまいで、帰って焼肉を食べました。
日曜日。イチゴ農園にイチゴ狩りに行く予定だったのですが、予約がいっぱいで来週に繰越しました。しかたないので、DIYストアに買い物にいって、2時間店内を歩き回っていたら、疲れ果てて帰って寝てしまいました。 NOVAに行くために、夕方起き出してみると、義父が自分の車のついでに僕の車のタイヤもサマータイヤに交換してくれてました。


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by アル中のひいらぎ |MAILHomePage


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