21世紀猫の手日記
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2021年08月30日(月) 出勤した

何しろけち臭い法人なので、親が死んでも休みが3日。

どーなんだ。

出勤は、何かみんなに気を使われている感じがした。(そりゃそうだ)

うーん、私、長い間に、この職場でも前の職場でもないんですが
なんとなく”自分は差別されている”というか”お前ごときが人と同じようにしてるんじゃないよ”というか、すげー自分のこと卑下するようになっていました。

病気持ちだという自覚も、(実際人と同じくらいのことができなかったのでしかたないけど)、卑下がひどいとだめだな。自己評価が際限なく低いと、できていることも全然できない風に感じられる。実際できてないことも多いけど、できてなくても、そんな暗くならなくてもいいんだよなぁ。って思った。

普通に扱ってもらえるっていうのは、ありがたい。

自分も自分を普通に扱おう。……できないこともあるけど。それはもうしかたないねぇ。

今日、施設の玄関前で育てた、インゲンとトマトときゅうりもらった。
ありがたいねぇ。
冷やし中華にして、トマトときゅうりはすぐ食べた。おいしかった。
インゲンはゆでて、白ごまであえた。

ダニ?に左手と右ひざ2か所刺されたのか、腫れてかゆい。
葬儀場で虫をもらってきたのだろうか?

そしてだ。PCの広告が、なぜかドクターヴィジョンという、医者の転職サイトが表示されている。病院を調べたことは確かだけど、医者の就職は調べてないんだが…年収1400万とかどうなの?精神科ならいいほうなのかこれ、医者。医者の相場がわかっても、全然楽しくないぞ。


2021年08月28日(土) 父の言葉に傷つく理由。

というわけで、知床旅情って歌を聴きながら泣くという謎行動な今日でした。

クリントイーストウッドの映画、クライマッチョの予告編を見て泣く。

なんで知床旅情なのかっていうと、午後の音楽療法(OTの先生がキーボードで昔の歌を弾いてみんなで歌う:いわば生演奏カラオケ:マスクはしているが、このコロナのご時世に何やってんだと突っ込まれるとかえすことばもないっちゃない:大きな輪になって4mくらいはあけてはいるんだが)で、古い歌ばかりやっているので、覚えてしまったのだ。

役に立たない私は、もう、ほぼ音楽療法に参加してるんだよな。役に立たないから音楽療法なのか、とりあえず見ておいてポジションなので、この係なのかは不明なんだが、まぁ、なんかそういう役回りなのだ。

最近家でどんな曲きいてたかっていうと、ブルースブラザースのスイートホームシカゴとか、
♪なにもーかもーすててーくよー、つれてーってつれてーって(車のCM曲のふわりだかきらりだか)、曲じゃないけどアナトリアカフェというアラビアっぽいテクノのチャンネルが気に入っていた。あ、あとアニメのボトムズの曲、”鉄のララバイ”謎リピートしていた。もうちょっと爽やかなのを聞けと思う。


で、音楽療法、結構歌うんだよ。♪あの子はいつも歌っているとか、(タイトルわすれた←いつでも夢を)
津軽海峡冬景色とか、お祭りマンボとか、高原列車はいく、とか昭和の歌ばかり連日だ。家へ帰ってから、youtubeで、原曲はどうなのかと聞いてみたりすることもある。

いいうたもある、私の好きな♪いつものように幕が開き(ちあきなおみの喝采)とかなぁ。その、泣ける歌も多いので困る。アカシアの雨が止む時、という歌がある。西田佐知子だ。(知らなかった)
もう、死んじゃったらなんかおもってくれよというかまってちゃん系のないようだが、当時ならそういうニュアンスではなく、”あの人”に問題があるようなんだが、……それはさておき、心がつらい状態の人間には辛い歌詞なのだ。
長崎は今日も雨だったですら、つらい時があるのだ。

で、なんか微妙に動揺しやすい感じになる。あの昭和歌謡は。

母の死亡を宣告されてからは、歌の時間にこっそり涙を流しティッシュでふいていた。父のあと2ー3か月を聞いてからもそうだ。

入院した父は手のひらを返したようにいい人になって、私を傷付けるようなことは言わなくなった。

ありがとうございます、感謝しますと皆に手を合わせている。思考力が落ちちゃってそうなっているのか、ほんとにすべてに感謝する気持ちになったのかは…わからない。反仏教キャンペーン中のはずだが、母親の葬儀の写真(スマホでケースワーカー経由で見た)に戒名書いたアレがあるのにノー突っ込みなところが怖い。葬式はそういうもんだとなっとくしているのか、坊さん呼んだの気が付かないのか。思考力がおちてワヤワヤなのだろうか?

坊さんを呼んで葬儀を行ったので、ビクビクしていた私はいったいなんなんだ。葬儀はいらんて父は言ってたけど、生きている人の気持ち的に区切りがつかないのと、戒名もないのは良くないとおもったので私が知っている真言宗のお寺さんを頼んだのだ。このビクビクいらんかった?


ずーっと介護の仕事をしてきた友達に、久々に電話した。

ここ数年、特に母がたおれてからどうも言葉がきつい。倒れる前はほぼ無視に近かった。悲しくて当たる人が私しかいなかったからなのだろうか?それとも、心の底から私を軽蔑しきっていたのか?と思っていた。
(考えすぎかもしれないけれど、あった後数か月泣くダメージを食らっていたのは事実なのでなんともなぁ…)

父の言葉がきつすぎて、とてもつらかったのだが、いま手のひらを返したようにいい人になっている、よほど混乱しているのか、死が近くて脳が緩くなってきているのだろうか?どう思うと聞いた。

適切な言葉を選べなくなっていたんじゃないのか?それって、〇〇の父もそうで言葉がひどくて、〇〇困ってたじゃん。という回答をいただいた。

ああ、そういう老化のでかたもあるよな。(デイケアで来る方々は比較的紳士淑女が多いので、あんまひどいことは…言わない。言葉の暴力レベルが高い人は、特にそれが職員じゃなくほかのご利用者様に言っちゃうような人は出入り禁止になってしまうのだ)身内だとピンとこなかった。

そうか、ものすごく嫌がられていたわけじゃなかったのか。最悪の言葉が次々と出てくるのですごくつらかったんだけど……。老化か……。そうか。おもいつかなかったな。


うーん……。大した理由もなく、私たちは傷つけあっていたのではないのか?
適切な言葉が出ない父親に、無茶無茶傷つけられる娘。だから、よりつかない。よりつかないので、ほかの親せきと仲良くする。それはそれで疎外感だよな。私、▽▽の親せきとは仲良くするなって言われてましたから、…そんないうことを聞く義務ってなかったのかもしれない。
父から見たら、なんでかしらないけど、自分が年を取ったら急に娘が冷たくなった、いじわるだくらいに思っていたのかもしれない。 

母の葬式で▽▽側の親せきとライン友達になったんだよなー。めちゃめちゃ、気後れしたりわだかまりもっているのが、私だけ。向こうは普通でしたねぇ。

母が亡くなったのも悲しいが、そういう愚かな行いをしていた自分も悲しい。
バカじゃないかとおもう。しかし、苦しかったのでしかたがない。
母が死んで悲しいどころではない、人生やり直したいと思っている。



2021年08月27日(金) 田舎の人材不足で、誰でもいいから有資格者カモンなのか?

……
ほんとに誰でもいいんですかぁ?なんかさ、職場に併設されているログハウスに五右衛門風呂ついてるんだけど、そんなのでリラックスして楽しいのって最初だけだろ??
いや多分、私はいっちゃうと思うけど。そんなんでいいのか??んん?


父の写真の件だが、父の入院時、家の整理をしてたら…写真はたくさん出てきた。父はすくなめで、母は大量だ。母方の兄弟がとった写真が沢山あるので、あえて私が増やすことはないって感覚で私にだけ厳しくとるなとるなと言っていたのかもしれない。

母の棺には200枚は写真は入れたと思う。ハガキも、50枚以上入れた。
年賀状や、私や父が書いたハガキだ。私は、母に何をかいていいかわからず、絵をかいて送った。自分、犬、猫。風景。昔住んでいた家。かけなくて苦しかった。楽に描けるものを送ったらよかったのにね。

最後の絵葉書は、吉祥天を描いたものだった。(泣)


写真を見ると、母も父も充実した人生を送ったようだ。

心にとめとけっていう説は、心も脳も故障するのでやっぱりあてにならない派になった。

年一くらいはイベントがあればとったほうがいいと私は思う。なぜかというと、私がここ5年、就職用の写真しかとってないからだ。イベントもないし、誰かに写真を撮られることもない人生だからだ。あっても困るかもしれない。撮ってもらえる人は人生はマシなんだとありがたがっていいと思うぞ。


母の死で思ったことがある。父が急に、何かと感謝しますと言う、敬虔な爺になったことと関連しているかも。

(正直にいいわけすると、その、あたりまえってのが全然わからない、考えすぎの人の言うことだから)

……私は、滝に打たれたりとか(やったことないが)、お経を読んだりとか、何か特別なことをするのが、人生とかなんかの修行だと思っていました。

でも、本当はなるべく普通に(この普通がよくわからないけど)生活をして、楽しんだり悲しんだりすることが、何かの修行なんだと気が付きました。まぁ、ただ漫然と過ごしてはいけないのかも。悪いことをしないよう気を付けて、怠けない程度に、良心的に、毎日出勤するとか、ご飯作るとか。生活していく中で起きる、我慢だったり、工夫だったり……、そういうことが大事だったんじゃないか?

わりと……、当たり前のことを当たり前にコツコツ続けることが、なんか大切なことだった。……それに気が付いた、そんな気がしました。

私たちは(父と私)は、亡くなった母に感謝したらそれでよいのではないか。

父はどうかしらないが、私は、そういう”割と普通に生活をする”っていうことが苦手です。あまり気合が入らない。リンゴの皮剥いたりするのは、えらくないとか思っていた(苦笑)。ほんとはなにも、偉いことも偉くないこともそうそうないんだろうと思う。

ついでにいうと、自分のAC要素や、自閉症よりの要素の方にばかり目が行き過ぎていた。自分の気持ちばかりだな。若いうちなら仕方がないと思う。

途中からだ、母がどういう気持ちだったのか考えるようになったのは。結構辛かったんじゃないの?とか考えられるようになってきた。

それから、私は、母の人生の価値ってすごく小さく見ていた。倒れた母を正視できなかった。障害を受け止めることができなかった。あまり頻回に会いに行かなかったのは、会いに行くと苦しかったからだ。

これは、障害を持ったことが苦しかったんじゃなく、母が私に大きな影響があるってことを認めるのが苦しかったんだとおもう。

気が付くまでは、相当な共依存関係だったんですよ。私は母親がおかしいっておもってましたが、自分も相当おかしかった。そういうのに、気がつきかけている状態で母と会うのはかなり苦しかった。


2021年08月25日(水) 怖い顔でやめるなって言われるわけだが、

正直、今の職場にはついていけてない。名前わからん人は2人くらいに減ったけど、隅から隅までわかっているわけじゃない。もう少し簡単なところがいいとおもうんだが、やめるなと叔母は言う。あんたにとって最後のチャンスだそうだ。うるさいなとおもう。最後のチャンスはもっとあとだろ。

もしかしたら、最後チャンスはそうかもしれんけど、君…、私が夜寝てから動くのを知っているのだろうか?
うーん、極寒の地で夜、外出たら肺炎で死ぬかもしれん、謎リスクを抱えているのを知らんから気楽に言えるんだろうなと思う。

そう、(苦笑)そんなの知りたくもないし、興味もないんだろう。
私は気楽に生きちゃいけないんだろうかな。

楽しそうだから、行ってみようとおもうけどさぁ。大体、彼の地は精神医療が崩壊していて、札幌まで客が来ちゃうのだ。申し込んでも受診まで7か月待ちとかがありありなのだそうだ。薬は送ってもらうとしてだ、どうなのかと思う。

プラスなところは、気楽にやろうっておもってるとこかな。

とりあえず、”心に効く魔法の杖”という本占いでは、いってみたらぁ
みたいな感じなので行ってみる。やばかったらやめたらいいし、もうちょっと簡単な仕事ないかって聞いてみる手もある。この法人がいいかどうかって問われると、そんなに良くねぇよ。

親が死んでも忌引きは3日だよ?ジャスト焼くだけ(苦笑)
どーなのかとおもうぞ。

まぁ、法人の求人を見たら、単純にヘルパーもナースも少ないようで出していた。私はバイトというか、実習というか練習させてもらいますくらいのスタンスで行こうと思う。裏にあるのは、単なる田舎の人出不足だろう。

そりゃねぇ、ソコにそんなに人材応募してきたらオカシイでしょう。こねぇよ。寒いし、車いるし。水道凍るし、鶴と虫しかこねえし、たいてい虫に刺されてぼっこりはれてエライ目にあうと相場がきまっているんだ。ぷんぷん。

物もいいようだな。




2021年08月24日(火) 父、母と同じ病院に移動したのが17日。そして、安心したのか?

(25日に書いている)22日の午後3時ころ母と面会した。

手を触った感じや、私と話したらウンウンとうなずいていたのでまだ10日は持つと思ったんだが、医者の予言は2-5日。父とも面会した。

父はふらつきがあるのか車椅子になっていた。1週間でガクッと落ちた感じだ。まさに、死ぬのを待つモードになっている。

険しいなにかが、取れたのだろうか?ありがとうございます、感謝しますと皆に言い、ナースに何に感謝しているの?と突っ込まれていた。私に見せていたのとは違う、まったく良い敬虔な感じの爺さんになっている。別人だー!!

看護師に合掌してお礼言ってるのだ……えーーーー?モードチェンジしたのか?


……父は母にたくさんのハガキを書いていた。私と会話すると、何故か私を叩き潰さないと気が済まない傾向があるのは、ものすごく寂しかったせいなのかもしれない。私は、父の言葉に心が傷ついて、あった後泣くことが多かった。1か月から3か月は泣いた。(出勤前とか)だから、なるべく合わないようにして、通信はこまめにハガキを書きあうことにした。

叔母には”寂しいサミシイ”と電話で言っていたそうだ。服をとってきてとか甘え放題である。えーーーー?


私はめちゃくちゃ後悔している。えーと、家族全員会いたかったけどあえて合わないで寂しい思いをしていたのだろうか。私がめちゃくちゃ悪い人じゃないか。……いや、これは私悪い人だ。(確定と後悔と反省した)しかし、あったら出勤に支障がでるギリギリレベルの状態になるので、やはり気軽には会えなかったのだ。

母、23日、夜の11:23頃死亡する。第一類感染症とかいてあった。24日、通夜(24日は私はうっかり朝出勤して帰りなさいと言われ帰った:帰ってから葬儀場へ行った)。25日、告別式をして火葬してきた。

叔母の家で父母の書類を整理したり、手続きを確認していたら、父から電話が来た。もさもさした上着をとってきてとのことだった。なんでも言って甘えたいモードと敬虔なモードが混じっている。傲慢で嫌味というか、人をえらく傷つけることを言う父ではなかった。

傷つけるってどんなことって、うーん、お前の帰る家はもうない、ここにお前の住むところはない、って言われたことはある。意図はわからん。しかし、父が体調をくずしてからは、この家に私が住んでほしいと言っていた(7月ころ)。家の近所の職場に合格したら、近所に住んで面倒をみるパターンもありなのかと、ちょっと考えたことがある(3月頃)。

話はもどる。父が急にいい人になった…。人は状況で変わる。私も沢山悪いところがある。弱った父といい距離が取れずに、放置気味で見放したと言われればそういうことになる。食事の面倒ももっと見るべきだったのだろうか?こまめにおかずを作って持って行ったりする余裕は無職期間ですらなかった。無職期間は、ここまで苦しいことがあったかというくらいの悩みっぷりだった。

私は良くないっていうのがすごくわかった。基本、他人に興味ないのがまずい。今の職場は、人間関係いいほうだと思うんですね。リーダーや、体制が良くないんで、自然とみんな協力し合うというか。私も、もっと人のために働こうと思う。


2021年08月16日(月) みんなやさしいな、こりゃーなー。

というわけで、直属上司と次長には、父が余命三か月のメタメタであることをほうこくした。
みんなでフォローするので、休む時はやすんでいいよという温かい言葉をいただいた。

そんな余命3か月の身内を抱えて(抱えてないが)、

今朝、出勤して、ご利用者の第一便が到着して、うがいやら着替えなんかが終わって、自分がお迎えに行く間の時間、ちょっとうるっと来た。父の肌色は黄疸がでていて、目の前の比較的健康なジーちゃんたちとは明らかに色が違った。黄土色の人だ。

背中の感じも骨ばっていた。

私はどうしたらよかったのだろう?多分、同居したってワガママいっぱいになって好きなものしか食べないだろうし、こういう結果にしかならなかったろう。あたりが(私に対しては)むちゃくちゃ強いので、私が病気になってしまったろうと思う。 ……普通に家出する羽目になったとおもう。

明日、ホスピスっぽくしてくれる病院へ転院予定だ。
毎度、反仏教キャンペーンの父だが、「ああ、神様はいるんだぁー」と言ったそうだ。
転院先は母が入院している病院なのだ。

んー……母が倒れたことも、自分が骨折したことも、この4年不幸のどん底だったのか?父は。骨折の後遺症もないのに。


うーん、私は、……しっかりしようと、試行錯誤している。そのわりには、無職が2回とどうなんだってかんじだが。(しかも半年以上)

なにがどれだけできるのかわからない。ビルは楽しいしできんことはないようだ。気持ちの上では良いんだが、なんだろう?運命っていうか、ZAZAもっと大人になれよ的な何かが発動して、君はそこ楽すぎるから違うところで修行ねみたいな感じになった感じがする。

今まで働いていても引きこもりに近い生活範囲だった反動か、朝夕自動車でぐるぐる回らされている感じがする。(イヤー勘弁してほしい:懐メロをガンガン聞かされてである)
研修となれば、連日80kmの風光明媚かつ荒涼とした国立公園のそばを朝夕行き来することになるのだ。はっきり言うと面倒だな、断言できるのはくそ寒い。
宿舎がどんなところか知らんが、玄関にミカン置いたら凍り付くとか、ドア鍵が凍って回らないんだろう?(怒)うっかり金属に素手で触ったら、皮がくっつくアレなイベントが連日で油断できないんだろ?知ってるぞ##嫌だぞ。
毎日、水落とすんだろ#キーめんどくせぇ……#なぜ冬に招待するんだ。
春とか夏とか……、もっと気を遣えねぇのか。退職するぞ!

(今は退職も面倒になってきている)





2021年08月15日(日) ASDとかADHD風味が濃い私。

濃い。若い頃は平気で人の話に割り込んでいた。悪い意味で俺が俺がだったと思う。
今は、人の名前が(必死に覚えようとしているが、正直全く興味はない)覚えられなかったりしているし。

うつの原因も、会社で人間関係築けなかったからじゃないの?とか言われると、今ならそれも過労以外の原因の一つと思う。


えぇと、今日は、余命3か月らしい父の一時帰宅に付き合いました。膵管当たりのCaが、メタメタにメタる。(これでいいのか?専門用語)比較的楽な死に方をしそうなのだが……。

父が私の病気に対して理解を示さなかった理由が今日、わかった。

たとえば、外出しようとして鍵を一瞬どこかに無くしてしまうことってないですか?
ポケットにいれてしまったり、机の上に置いていたり…あれ?どこ?


これに近いことを父がして落ち込んでいた。

保険証をコピーするために、どっかへ置いてなくしてしまったのだ。
ただし、その時は発熱していたらしい。
大事だ、コピーする、どっか置いた、行方不明。

私ならよくある案件ですよ。ただ、父、これが初めてだったらしい……。

物を忘れる、考えても思い出せない、…私は職場で毎日困っている。
父は、歳行ってこれが初めて。

私は、仕事に慣れるまで手が自由に動かなかった。ハイエースのシートベルトを締めてあげるのに、結構時間がかかっていた。ドアだって適正な力で閉められずに、渾身の勢いでドアを閉めてうるさかったので先輩に注意されましたよ。力加減がわからなかったのだ。歩くのもそうだ。

試験勉強で全身なまっていたのだ。衰えるにもほどがある、歩くのに足だってよく上がっていなくて、最近になって多少地面に引っかからなくなったというレベルだ。

で、足がむくんで感覚が若干遠かった父は、ふわっと転んで倒れてしまった。
うまく歩けなかったーーーーーこれも人生初だそうで、こんなことで転ぶなんてとへこんでいた。(けがはない痛いところもないので大丈夫)

え?なんだそれ?親父はパーフェクトに生きていたんだね?その感覚なら私のことなんか理解できないわけだ。
体が動かない、思った通り動けないはあるあるだ。背中が伸ばせない、上がむけない、目玉が正面むけられない、地面しかみられない、頭が働かない、がんばっても道に迷う、思い出せない(今は覚えられない思い出せないメインだが)、……なるほどなぁ。

私って、そうとうポンコツだったんだ。そうじゃない人から見たら、そりゃぁ…心配だな。彼らができることが、できない……。言っても言ってもできない。こりゃぁ……話が通じないわけだ……。納得。

考えても考えても思い出せないなんて…と父は言いますが、私それ31からデフォっすよ。そんなのうつなら普通だよ。80すぎて、それを知るってのは相当幸せだよ。そのくらい年相応だよ。とフォローしたら、”ZAZAに言われるとは俺もおしまいだな”と笑っていました。

そして、私がなんかすると、頑強にキョヒるんですが、叔母のところには、寂しいさみしいと一日おきに電話をしていたそうな?あれ?…私、悪い人だったか?しかし、もう会えないかもしれない。悪いことしたじゃないかーーー。
やっぱり、人間素直にならないと損だな。

ちなみに、父が寝ている横でカエルのおもちゃ(木製で背中がギザギザの固い木でできていて某でなでるとケロケロなる)を鳴らしたら、おまえはのんきでいいなぁと呆れられました。まぁ、最後かもしれんのにソレだものな。


うーん、叔母夫婦に、正直厄介払いでやめてほしいからじゃないのか?と村での研修の話をしたら、あなた免許いっぱい持ってるでしょ?何にもない人にはそれはしないでしょといわれ、まぁたしかになという気持ちにはなった。いやがらせの一種の研修でもないのかぁ?私にとっては、距離と場所がいやがらせ
でしかないが。

単に人が足りないだけのほうがまだありがたいけどねぇ。断りやすいし。

ただ、純粋に復職のお膳立てかもしらんしな。まぁ、自信もっていろんなことができる人になってほしいわな。法人としては。できん?できんぞぉーとケアワーカーされるよりは、看護師でやってほしいんだろうなってのもわかる。
保険の点数上、私がいるとプラスなんだよな?でもなぁ…。



どんな奴が行ったか聞くと、前のPTのリーダーだったり、不特定なのか、家族がいない奴が研修の憂き目にあっているような印象はある。主婦にやったらエライことになるしな。辞められるわ。

ただ、いろいろやってみたいほうなのでな。最悪、やめたらいい。

ここもなぁ、通勤ながすぎて嫌だしな。

当たり前ですよって言われたらそれまでだけどさぁ。
残業すると、給料出ないしあいたたたで20時まで残ったら、家に着くの21時。
朝は7時ちょっと前に出る。
いやー、同じ環境でもきんじょならさー。8時まで付くのにでるの7時半とか。いやぁ、近所じゃねぇか??
(せめて街の中だ、通所じゃないな、私)


2021年08月13日(金) それだと通勤時間が長いのだ あいたたた編

某村で働け2.3か月指令の続きだ。

じゃぁ、いなかから何分?経路は?と調べてみたら、あの公園へ行くあの観光で相当昔に通ったあの道をさらに行く。いなかからバスで一時間。天然の走り屋が多い道東なら40キロの道なんて、30分かからぬ猛者もいるだろう。でも、40キロは遠い。そうそうバスだってないぞ。600円じゃいかんよな?小樽、札幌間バスみたいに15分おきにはないだろ?

あくまで私のイメージだが。

で、結局いなかからバス通なら1時間だ。うん?今より10分通勤時間が伸びる。
ぶっちゃけ、小樽から札幌通勤に近い。高速じゃないけど、信号ないからな。乗り遅れても、道に迷っても死やんか。夜歩けないし歩いたらダメ。中古車でも買わんとやっとられん。いや、中古車でもむしろJAF来なかったら、冬なら死ぬ。だって、隣は国立公園じゃん。嫌だ。ディスですまん。
実際住んでいる人には失礼だが。


大丈夫なのか?死しか見えんが、なんとなく楽しそうなきもしなくない。実は、直属の上司にはめちゃくちゃ覚えが良くない。個人的には、むしろ顧問のじじいとよく話している。(偉い人にすぐ覚えられるスキル持ち)

何しろ、直属上司には面談で「なんでいるの?」と言われた。いや、そういわれても困る。言わなかったが、母親が産んだからとしか答えが出なかった。やめたほうがいいのか?やめてほしいんだろうなー。つか、高齢者住宅へつとめるはずだったが、なんかなくなってここになったのだ。

で、正直に次に、次長と婦長の面接で、ここの人たちのようにはとうていしごとができないです。仕事ができるようになりたいですと言ったら、なんだか田舎で研修することになったのだ。

向いてない評価らしいので、実は同じ経営のほかの建物のサ高住の配膳と掃除なんかの仕事があって、そこをやりたいと言ったら、なんだか偉い人たちのまずいスイッチを押してしまったようだ。まぁ、そりゃ驚かれるだろうなぁ。

多分、正社員やめてパートになりたいと2つ資格持っている奴が言うってのは前代未聞だったのかもしれない。たいていパートの人が、正社員なれませんかってパターンなんだろう。


ほとんど自分のせいだが、直属上司(リーダー)が余計な事いわんで、素直に向いてないようだから、ほかの部署行ってくれないかといえばよかったんじゃないのか?なんでいるのは表現としてどうなのか。
リーダーは残念ながらあまり賢くない人なのだ。

(何を言われたのか分からなかった。なかなかにヒドイできではあるが、ボイラーのおっちゃんが5か月でここまでって思ったら、相応な感じはする。人の顔と名前がなかなか覚えられないのはうつなのと、…そもそも一瞬見ただけじゃわからんし、だいたい初対面全裸ですぜ?昼休み顔見るくらいしかないし、昼休みだって2か月くらいは見られなかったし、配膳にもさんかしてないんだからわかるわけないだろって思う。6月くらいだぜ?そんな余裕でてきたの。そもそも見てない連中の顔なんて覚えられるかと思う、人手不足すぎたのだ)

しかし、顧問はなんとZAZAに法人で65まで働いてほしいというのだ。???
笑顔なんですわなぁ。彼曰く、なんでそんなにやれないと思うの?ご利用者から見たら、だれがやっても一緒だから気にすんなっていうんだよな。(苦笑)
なんでいるの?の次の次でそれだ。


うーん、私から見ると、今働いているところの先輩方って、神なんですね。
そんなテキパキさは私にはないし、職人技の入浴ですよ。

(車椅子の移動とかちょっと早すぎて危険だけどね。

そしてチンチンとか自分で洗いなさいだから、どこまで洗えているか微妙。お尻は背後からこちらで洗うけど、便がついてるかどうかのチェックに等しいレベルだ。こすらないよりはいいけど、足の指も全員洗っているわけじゃないので、どれだけきれいかと問われると、微妙。

片麻痺が重度で手が届かない人数人は最初からあらってあげる。

しかし、そうじゃない手は届くけどどうなのかのひとたちがもんだいだ。あえて頼まれたときは洗ってあげるが、結構モロっッていうか滑る感じで足汚いんだよね。爪白癬おおいし。足がねぇ気に入らないのさ。

足だけ水虫予防のため、洗面器でごしごし別に洗っちゃう某所のデイケア風呂とは比べ物にならん危うさがある)

正直、のんびりしたところで使ってもらえるんなら、のんびり10年働けたらそれはそれで幸せなのかもしれない。くそ寒いのと自動車運転がついてくるが。

突き詰めると、リーダーが苦手になったってことかもしれない。嫌いとはおもっていないんだが。
(リーダーに関しては、その後一年とたたずやめてしまう。同僚も妊娠して休んでいた人以外は、全員辞めてしまうのだ。リーダーも自分のことでいっぱいいっぱいすぎて、ど素人のおばちゃんまでは手が回らないので渾身のいきおいで突き放したんだとおもわれる)

できれば8か月つとめられれば、もうやめて構わないんだと思う。なんで8か月って、私が講習を受けるための稼働年月だ。多分、座学は得意だから、それはなんとかなるかもしれんし。むしろ、2年間どこかに勤めるほうが難題なのかもしれない。




2021年08月12日(木) どうしたらいい?いってみたいがたぶんもたないだろう?

困ったものだ。今一つ、会社と会わない感じがする。

入浴がすごいってのはわかるんだが、なんだ?私から見ると雑なんだよな。
早い、効率的ってのもわかる。しかし、雑なんだ。
なんか事故が起きそうでコワイレベルなんだよな?
あんま、参加したくない。

で、どうも今一つ不適応なんだが、某村で研修しないかと言われた。
これはもう断れない決定事項らしい。期間は2,3か月で、(アバウト)
開始は9月か10月と言われた。

えーと、これは、父の死に目に会うなってことかしら?
父はもう2か月持たない奴だぞ?死んでからにしてくれないか…
そんな、すげー仕事してましたっけ?顧問?

住むところは田舎かどいなか村だそうだ。バスで通うんだってさ。
これは…行っていいやつなのか?住居費用も移動費用も法人持ち。

ただ、これ、行ったからと言って法人が期待するような活躍ができんのか?と問われると果てしなくクエスチョンである。この寒くなる時期に、なぜよりによって日本でも指折りの寒さの地域に私をご招待するのだ。来年の5月とかにできないのか?

正直にただのうつ病でっせと、顧問にカムアウトしても、どーもそれはそれで田舎に行ったらなおるかもと返されそうでオトロシイのだ。


えーと?どいなかで人が足りないんですか?


2021年08月07日(土) しかし物には限度がある。

度を越して徹底するのが良いこととは…全然おもえぬ、今日この頃です。

なんでしょうなぁ…。

まな板にお湯かけたら十分なところ、オートクレーブに放り込み、ガス滅菌して、ガンマ線でもばしばし当てちゃってるみたいな。あのね、写真ゼロは家族いる人はダメだと思うぞ。葬式してもらえる可能性がある人はダメよ、絶対。


うーむ、父の返事は、また偉い人のいうことだった。いい話なんだが、腹が立つので晒す。ムカついたからな。ないんだな?


…………人が、人に与える印象は時々、折々によって異なると思う、もちろんZAZAの気分によって異なる。だから、受け取ったまま心の中の思い出として作っていってほしいと思うよ。遠い昔、写真の一枚に線香が1本と湯呑に水よりよりいいと思うよ。(写真は探してみるよ)お元気で。


要するに、物質に拘らず、思い出のほうを大事にしろって話だろうがっ!!……、その思い出が、脳やられてるから思い出せん。母だって、失語症で口にだせん。それに、その印象だが、心というのは常に揺れて変わる。私の中でめちゃくちゃ良くない印象でしたぜ。ここ数十年。でも、最近、母に関する評価もちょっと変わったし、良くなりましたよ。心なんて当てになりませんぜ。


写真という物体が必要ですぜ、ニュートラルに時を切り取ったものが。
と思うようになったんだよ、つい最近##(なんか腹立つ)#

やっぱり葬式用の写真も無いんだな? 

君が成人したころの写真で葬式するぞ(いいのか?)


多分、父の写真を撮ったら叱られるんだろうと思う。しかし、本人曰くあと一年だそうだから、とっとこうと思う。本人が嫌がるからと言って、過去帳事件の二の舞にするわけにはいかんのだ。
(写真撮ると叱られるっていうのも、そういうのはやめてくださいっていうなら、普通にやめるけど、なんか一瞬気が狂ったみたいにギャオって感じで怒鳴って怒るからさ、正直、やられたほうは意味不明な瞬間で終わるんだよね。何が起きたかわかんないわけよ。母は止めないしさー。解説受けたの今回が初めてだし)

(ZAZA家の過去帳が父入院のどさくさで、某家に渡ってしまったのだ)
私が探してもなかったもんな。いや、正直に言ってもらえたのでそこは安心だけど、いらんだろ?うちの過去帳なんかさー。私の死体と一緒に焼いてしまえばいいのにと思ってたんだが、よそんちに伝わっちゃうみたいだ。


ほんとのところは、ものにも心にもこだわんないのが一番いい。
若い頃は、ものより心のほうが大事と思っていた。
今は、心くらいあてにならんものはないと思っている。

物に溢れた部屋や生活も良くないとは思うが、思い出や気持ちが一番とかいうのもちょっとどうかと思っている。

はっーーーーーー。中庸に目覚めたんでしょうかwww自分www。


2021年08月01日(日) 写真はいらないものだったのだろうか?

量による。山ほどあったらいらないだろうけど。

ただ、私の記憶にある団欒的なもの…それは父が70近くになってからやってくれたドライブだった。サクランボだったか、もも園へ家族で行き、お寿司を食べて帰ってきたことがあった。父はデジカメで写真を撮った。

私は自分のカメラで写真を撮ったんだが……、両親の姿を撮ろうとすると激しく叱られた。でぇ、すきを見て背後から撮った写真が一枚だけ現存している。

海を見ている両親の後ろ姿である。多分、ほかの親せきが何かの集まりで彼らをとる分にはOKなのだろうが、私の場合は強烈にNGであった。いやがらせなのか、なんなのかいまだによくわからない。
正確には嫌がるので50年で5枚無い。すげーロングショットである。…君らはスパイかなんかだったのかね?

そういう形に拘るな、記憶しろなのか、皆目わからんが父はこういうものは消してしまえといってました。年取って思います、いつ何したか思い出せないから記録いると。

うーん、そ、たとえば家族で旅行しましたな、そしたらまぁ、次の月か次の時、デジカメをTVにつないで見るんです。見た後”消せ”っていわれるんです。すべてを残すと膨大ですわな。確かに見ませんよ。でも一枚くらい、いつどこへ行ったかくらいは残さないのか?と思いました。

父と母と二人でいった旅行もその有様で、私は何度も消しました。全部な。でな、今コロナで母と会えないですけど、アルバムあったら、”お母さん、昔〇〇へ行ったんだねー”とか話もできたんじゃないの?
何でも思い出せるとは限らないわよ?過去記録全消しってやばくねぇ?ネットの痛い発言をなかったことにするより、ずっと痛すぎることなんじゃねぇの?人として。

====とか、よそんちの家族見たりしたらそう思うようになった。

(もちろんよそんちったって、家の中見たわけじゃないし、いろいろな家があるけど、関係性としてーーー適正な数にアルバム整理はするだろうけど、おばあちゃんの写真は10枚って家もあるかもしれないけど、生きてるうちから全消去はないんじゃねぇの???って思った)


写真、山ほどあったらいらんかも、でもそっから葬式用をえらぶんじゃないのか?

いずれは捨てるにしてもだ、徹底しすぎるのもいかがなものか。


私はそういう考え方じゃないんだ。旅でも宴会でもイベントがあったなら写真撮ったらエエとおもいます。いらなかったら後で捨てたり消せばいい。最初から全部消すつもりで写真撮るのが逆にわからない。
ちょっと見たらいい。人間には思い出を見る時間も必要だと思うし、私なんかここ10年イベントゼロで写真すらないんですよ。面接用だけですよ。


結果として私は両親の写真をほぼ持っていません。子供の時の写真も捨てられてしまいました。捨てられそうになった祖父のアルバムからレスキューした、出征まえの祖父と就職時の父(白黒でミニマム)生まれたころの私。
母の写真はほぼ無い…。私が頑張ってとった3枚だけだ。しかも一枚は、後ろ姿だ。

!!葬式どうするんだよ?? しらねーぞ。

ほかの親せきが、親戚が集まった時に取った両親の写真があるだろうからそこか?

とるなとるなってギャーギャーうるさいのも、アレほんとはどうかしてたんじゃねーの?とおもう。意味がわからん。私が撮影したものを保管することに関して怒っているなら、そこまで言われる筋合いがない。(写真を保管することに関して有罪だと思っていたのかもしれない)私のアルバムだって4冊だけだし。(三冊半ですぜ)


整理するのが大変だからか?何十冊にしなければいいじゃん。アルバムが30冊以上あったらまずいかもしれない。
死んだ爺さんはそれくらいあったけど、子供5人いたらそうなっても、って気がするし、激動の時代だったし。
仕方ないよなとおもうし、残しておきたい思いがあるって、素敵なことだとおもうんだよー−ーー。

父に葬式用どころか、君の写真無いんだけど、顔が思い出せなくなるから、あったら一枚くらいくれないかとハガキにかいてみた。これが、都合のわるいことなら返事がこないだろう。


zaza9013

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