Silent Song
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2005年05月30日(月) 「思い通りにいかないから…」

ボロボロ涙、落ち続けた。

悔しかった、
悲しかった、
怒れた、

自分の思い通りにならないことがあって、

感情が自分の内に轟々と湧き上がって
辛くて抑えられなかった。

だから洋服ダンスの取っ手に
ビニール紐をかけて

・・・首を吊った。

もちろん死ぬために
やってるわけじゃないから、
足はついてる・・・。

でもその足の力を緩めて、
体重を首に乗せる・・・。

頭が、「どっくん、どっくん」…
鼓動をたててるのを耳の中から感じる。

「命がけの表現なんだね」
「首を吊るまでしないと、命までかけないと駄目なんだよね。」


・・・カウンセラーが繰り返し、言っていた。

そうなの。
私には、ガーッと湧き上がった感情を、苦痛を、
こうして気を散らすしかないの。

「このままポックリ逝ってもいいかなぁ…」

なんて頭で冷静に考えながら、
落ちるのは恨みでもなく、憎しみでもなく、
ただ、深い、深い、悲しみだけ。

だから、
大粒の涙がボトボト落ちた。

正直もう、死んでも未練はない。

だって、私は最後に幸せだったから。
それは、不幸だった私に、神様がくれた
最後のプレゼントだと思うから。

連れに

”大きな子供”がすねてるようにしか見えない」
「思い通りにならないと、そうする
ことがクセになっちゃってる」


って言われた。
その通りだと思う。

「これはもう私の心(性格)の病気なの。
私はもう諦めてるの。もう放っといてよ!」


私は泣きながら、連れを激しく突き放した。

でも連れは離そうとしない。
突き放そうとしても、強く抱きしめる。

「どうすればいいのか、どうしたら静花にとって
いいのかを迷ってる。」

「何もかも言いなりになってれば、
静花は幸せっていったけど、それって”満足”
じゃないのかな。
確かに”満足”はするかもしれないけど、
本当はもっと静花も気づかない心の奥で
何かを求めてるようにも感じるんだよね…」

そんなことを言ってた。

そんなこと、私にもわかんないよ!

…でも、連れは心理を分析するのに鋭い
ところをもってる。
だから悟ってもらえないこともあるけど、
こっちが「ギクッ」となるような
心の芯をついてくることもある。

・・・だから知り合って、
お互いの性格をわかりはじめた頃、
キミの心理分析の洞察の鋭さ、賢さを感じ、

「この人なら自分のことを理解してくれる。
わかってくれる。」

そう強く感じた。
だから、とても大事な人だった。

・・・事実、キミは私の予想通りだった。

・・・・・・。

でもこんな時、そんな”大事”なキミを
自ら突き放して、別かれる方向へ
私はもっていこうとする。

これから長く一緒にいれば
ぶつかることも、相手が思い通りに
ならないことも多々ある。

そのたびにこんなことしてたら
きっと、私はいつか「本当に死ぬ」。

だから、「あなたといると私は死んじゃうのよ!
別れてよ!」
そう、訴える。

だからって、
本当に彼を失ったら、
自分が”ものすごいこと”になることも
頭で予想はできてる。

それでも、
私は「破滅」へと向かう。

「死」や「破滅」「自己自滅」に
かきたてるものが、私の心には常にある。

胸のクロスは、
以前本当に死のうと思っていたとき、
「死んだ後、開放されて、神様が救ってくださる
ように」
祈って、つけた傷。

あのときは心の苦しみや鬱の方が酷く、
常に心が痛くて、
体の感覚が麻痺していた。

だから自分の体を傷つけても
痛みをあまり感じなかった。

今は切ろうとすると痛くて、切れないけれど・・・。

カウンセラーがそれを聞いて、

「じゃぁ、以前より、”人間らしく”なったんだね。」

・・・って言ってたっけ。

・・・・・・。

・・・でも、あのときも今も、
私の心の中は「最後」を向いてる。

連れは

「同じことの繰り返しにみえても
”螺旋階段”を登ってるのかもしれない。
上からみれば、同じところをただグルグル
回ってるように見えるけれど、
実はちょっとずつ、上に登ってるんだよ。」


最後の方にそう言っていた。

私にはわかんないよ。。。
そんなこと。。。




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ワタシはヒトリでイキテイク。
ワタシはイツカシヌノダカラ。

     ワタシは・・・・・・・・・・・、

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2005年05月26日(木) 「いくじなし!」

結局あなたは何もしてこなかった。

今はもう、何事もなかったように、
違う場所で他の人と楽しくやってる。

あなたにとって私ってなんだったの?

第一、あの場合、
あなたが悪かったでしょ?

なのに、手紙で一度謝って、
また仲良くしたいです、なんて書いただけで、

後は何の働きかけもなく、
なしのつぶて。

         いくじなし!


こちらが何も言わなかったら
もう、そのまま。
逃げるんだね。

相手に心からぶつかっていく勇気もないくせに、
他人に愛想をふりまくだけの、いくじなし。

あれだけ月日が経ったけど、
今でも君のあの時のことは忘れないよ。




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2005年05月21日(土) 「柵(さく)」を越えて


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「あなたはダメなのよ」
「○○したらダメなのよ」
「だからあなたはダメなのよ」
-----------------------------------------


…って固定観念、
自分自身に対しての過度の厳しい評価、

ってどこからきてるんかなーって
ちょっと考えてみたら、

…うちの親だった。(母親)

母親に言わせれば、
自分も自分の母親にそういう教育や
評価を受けてきた
みたい、

だから私に対しても、
幼い頃からそういうシツケをしてきた。

…でも出来上がったのは、
「自分でも自信がもてなく
不安な弱い人間」
だった。

自分の考えを覆したのは
連れの評価だった。

初めて、母以外の人の価値観で、
私は認めてもらった。
通信簿じゃない評価で、
ありのままの自分を理解してもらえた。


目からうろこが落ちた。


「え、そういうのって許されるんだ」
「自由なんだ・・・・。」
…って感じ?(苦笑)

昔の自分のメールを読んで、
昔の自分が自分を許せないことを
今の私が読んで、

「なんでこんなに自罰的なんだろ、
この子は…。
それくらい、別にかまわないのに…。」

…って思った。

知らないうちに、
自分の考えや価値観に【狭い囲い】
組み込まれていて、
そこから出るのを極端に恐れていた。

でも、今ならそんな過去の自分を
「大丈夫だよ」って抱きしめてあげられる。

お母さんを責める気はない。
母だって私と同じぐらいの年齢だったわけで、
それに一人の人間だから、
完璧じゃないもの。

…でも、私が【自己否定】の殻から
抜け出すには、

無意識に縛りつけられてる
【幼き頃からの母の価値観】から
抜け出せないといけないんだと
思った。

精神的にも、「母」から
自立or分離しなきゃいけないって。


自分を否定するのは極力辞めよう
と思った。

外れるのを怖がってた「柵(さく)」を
外れてみたら意外に、
大丈夫だったから。

危険圏だと思い込んでたところは、
別に「正常範囲」だったんだ…。


でもその「正常範囲」も許せないことで、
私は私の心を追い詰めていた。
自分自身の首を絞めていた

それを気づかせてくれた、
試させてくれた連れに、
心から感謝したい。

いつか恩返ししたい。


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2005年05月20日(金) 「I am OK.You are OK.」

心の病や問題に陥る人は
たいてい、「自分に厳しい」らしい。

昔習った、「交流分析」だったかな?
(遠い記憶なので違うかも…(汗))
の考え方で、人は4パターンあって、んと…、

-------------------------------------

1.「I am OK. You are OK.」
 (私もあなたもOKだよ)
2.「I am OK. You are not OK.」
 (私はOKだけど、あなたはダメだよ)
3.「I am not OK.You are OK.」
 (私はダメだけど、あなたはOKだよ)
4.「I am not OK.You are not OK」
 (私もあなたもダメだよ)

-------------------------------------


の4つ人には分類があって…。

…そいで、一番いいのは
「あなたも私もオッケーよ」が一番なんだけど、

2番から4番の人は何かしら
性格的、態度的に問題?(っていうと大げさか)
がある感じで。

つまり、
「自分を肯定しつつ、他者を批判する人」と
「自分を否定しつつ、他者を肯定する人」と
「自分を否定しつつ、他者も否定する人」で、

一番本人が苦しいのは、
4番の「自分にも他者にも否定的な人」
なんだよね。

…また、
「自分には否定的で他者には肯定的」
っていうのもAC(アダルトチルドレン)
の人が陥りやすい性格パターン
らしい。

・・・・・。

私は、過去は
「あなたも私もダメなのよ」
タイプだった。
自分にも厳しかったし、他人にも厳しかった
わけだ。うん。本当に。

だから、すっごく苦しかったよ。
もー、超のつく堅物で、人も許せないから
器も狭くって。

…でも最近は
「私はダメだけど他の人は許せる」
…になってきつつある…カナ?

【私はダメ】って否定感は相変わらずだけど、
他人を許せる・認められるようになってから、
生きるのがだいぶ楽になったよ。

みんな、完全な人間なんていないんだよね。

相変わらず(担当カウンセラーにいわせれば)
私は自分に対して厳しいらしいのだけど、
でも他人には余り厳しくしたくないなーって思う。

でも、
自分にも他人にも厳しい人もいるわけで、
そういう人って、
他人を知らず知らずのうちに
傷つけてる
ことに意外と気づいてない。

私も過去、ずいぶん、
偏った考え方で、「自分が自分でいけない」
と思う考えや価値感を
他者にあてはめ「否定」したり、かなりしてた。

自分に厳しいあまり、
他者も許せなかったんだよね。
受け入れられなかったんだ…。

自分に許せないこと(●●しては
ダメな悪いこと)は、
他人も
(●●することを)許してはいけないと
思いこんでた。


…でもそれって間違いだって気づいた。

自分や自分の考え方が
そんなに「正しい」わけでもないことも。。。

・・・うまくいえないけど、

人には人それぞれ、価値観があって、
誰かに迷惑かけたり傷つけない限りは
自由だと思うんだよね。

私は人を悪意で傷つけたり、
平気で迷惑かけたり不快な思いさせる人、
正直言って、大嫌い。

お子様だし。器狭いしね。私。

でも、それ以外の人は、
何かしら理由があるって思ってる。

その人じゃないとわからない何か、が。

初めから「○○だからダメだ」
なんて人を見ちゃダメだよね。

「○○なのはどうしてかしら?」って
その人の立場になってから考えなきゃ、さ。


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2005年05月19日(木) それぞれの生き方と掴んだもの。

君は世界でたった一人。

誰も君と同じ人間なんていない。

ヒトはね、動物はね、
どうあってもいいんだよ。

「こうなきゃいけない」自分なんて、
元からありはしないんだ。

ただ、
社会とか幼い頃からの固定観念とかに
私たちは縛られてるから、

つい
「ああしないと」「こうではダメだ」
とか思ってしまうけれど…。

誰がなんと言おうとも、
世間にどういう尺度で測られようとも、

「あなたはあなた」
それでいいじゃない。

それこそが【正解】だと、
私は思う。

誰も、みな「えらいヒト」なんて
いやしないんだ。

みんなそれぞれ、
自分なりの生き方をして、
自分の考えを言ってるだけ。

何も「正しい」ことなんて、ありはしないし、
自分を信じられなくなったら、
それが「間違ってる」ことだと思うよ。


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2005年05月17日(火) 5年前のあなたとのメールのやり取りの跡と、5年前の私…

ヒマだったから、

昔、あなたとやり取りしたメールの数々を
読み返してたよ。

なんて堅苦しい、「あなたの文章」。
敬語使ってて、若々しい「私の文章」。

お互いひたすら手探りで
四苦八苦の葛藤のし合いだったね。

・・・5年前のあの頃。

私はあなたを「すごい人」として
見上げてた。


まさに理想が服を着て現れたような、
そんな風にまぶしくて、萎縮していた。

私には、私にはないものをもってる、
楽しい人、社交的な人のように思ってた。


     でも…実際は逆だったネ。


器の大きい人、精神的に強い人って印象は
今も変わらないけど、

どっちかっていうと、
私たちはとても良く似てた

・・だから、強く、強く惹かれあったんだ。
タブン…ね。

君も「完璧」を演じてたように、

私も「完璧」を必死で演じてた。

メールからにじみ出てる、いい子」なワタシ。


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「今まで私は怒りとか恨みとか、負の感情は
出さず、自分を押し殺してきた…」
-------------------------------------------


・・・って、私が送ったメールに、
一文があった。


・・・そうだったね。。。


私は他人には誰にも怒らずに、
そういう強い負の感情はかみ殺して、
ひたすら良い態度だけで接してた。

そんな昔の自分に「ハッ」となった。
すごくムリして人と接してたんだ…私。。

今はあなたに対し、
怒るわ、泣くわ、恨むは、嫉妬するは…
思いっきり負の感情ぶちまけてるよね。(苦笑)

・・・タブン、
他の人に対しても、私はあの頃より
そういう感情や態度出して
接せられてると思う。

あの頃より、多少タフにもなってると思う。



         ・・・もう5年も経つものね。


5年って年月って結構大きいなって感じた。
あの頃の私…、今の私…。

何が変わって、
何が変わらないのか…。

色々考えさせられたよ。

ただ、
あなたは唯一、大人になって初めて
”むきだし”のありのままの自分で接し合えた人。

これは言える。

お互い、不器用で”いい人”で、
探り合ってばかりで、似たもの同士で…。

だからぶつかって、切磋琢磨の連続で…。

・・・でも、
やっとここまでたどりついたんだよね。

5年前の私と比較して、
今の私は「成長した」って、
正直、心から言える。

辛い思い、苦しい境遇にあえいだ、
その結果得た、強さや柔軟さもあると思う。

私はもう「いい子、完璧な子」ではないけれど、
代わりに、「本当の私」でいられてる実感があるの。

過去の自分のメールをみて、
「どうしてこんなに自分を責めるの?」
「どうしてそんな謙虚すぎるの?」
って正直、思った。

本当に、
「完璧な女の子」になろうとしてた、

ううん、「ならないといけない」と思ってた
私がそこに見える。

だから傍目から見て、
”魅力的”に見えたんだろうね。

私は、”私”になれて良かったと思う。

すごく苦しかったけど…。
おかげですごく屈折してしまった部分もあるけど、
見苦しい、弱い、感情的でワガママなヤツだけど、
でも過去よりずっと、…「人間らしい」でしょ?

・・・・・・。

私はまだまだ発展途上なんだろう。

これから、5年後。

           5年後の私は、今の私の日記を読んで
               何を思う??


















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2005年05月16日(月) 「もう人と比べたくない」

「人(他人)と比較しないコト」

・・って、実は本当にすごく大切なこと
なのかもしれない。

価値観も、好みも、
考え方も、性格も・・・

何もかも、

人それぞれなのに、

みんな違うのに、

…なのに人は他人と自分を見比べて
自分を自分で「評価」しようとする。

社会の仕組みがそうだから、
そうなっちゃうのは当たり前だけど…。

…でも最近は思うんだ。

たとえ他人の評価、社会の評価に
沿って生きても、
その期待に応えていても、

それでどうかなったとしても、
誰も責任はとってくれないコト。

そういう生き方を決めたのは「他人」の尺度だとしても
それを選んだのは自分だから…。

でも、
それじゃ、何も得られないヨ…。

…だったら、他人や社会の期待に沿うだけ
バカバカしい。

それで、本当の自分の心を押し殺して、
他人や社会に適応しても、

ちっとも楽しくない。
辛いだけ。
窒息しそうなだけ…。

・・・だったら、
尺度を「自分の中」に置いて、

「人は人、自分は自分」って
割り切って道を選んだほうが
断然いい。

そのほうが、
自分が選んだから、自分自身だからって、
どんな結果でも納得できるし、
それが自信にも、つながる。

たとえ、他の人から「変わってるね」って
言われようとも。

それが「ワタシジシン」なんだもの。
何が悪いっていうの。

「幸せ」の尺度も人それぞれ。
何に「幸せ」を見出すかも人それぞれ。

たとえ、第三者や社会的評価からみたら
今の私は”不幸せ”だとしても、
”堕落”しているように見えても、

ワタシはいま、「幸せ」ダヨ。

意味のない、苦痛なだけの、集団行動に
適応を強制されてきた過去の人生
に比べたら
今のがずっとシアワセ。

自分を愛してくれる人がいる、

自分を理解してくれる家族がいる、

病気に対し、信頼できる医者という
杖があり、薬があり、

自由に寝て、起きて、笑って、怒って…
母と笑い合ったり、ちょっと散歩したりして、

お金は足りなくて、倹約一筋だけど…、

そんな風にのんびり生きてる。

セカセカと、周りに合わせて
生きてたころと比べたら、

今のが全然「シアワセ」。

「本当の自分のまま」の自分で、
感情で生きられる…。

・・・さて、
これからどうしようかな?


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2005年05月14日(土) 「Ta-lila〜僕を見つけて〜」

お店でたまにかかってるのを、聞いて、
すごく心打たれた曲です。

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地球儀を廻して考えてる
僕が生きてるという事を
人は孤独という引力で
愛を探し続けてる
このちっぽけな生命(いのち) 早く見つけて

U-lala 僕は歌い続ける
君が僕を見つけてくれるまで
こんな広い世界の中で
君に歌うこの声届くように

まだ見えぬ未来で
僕らは多くの人とすれ違い
そして本当に愛せる君に
いつか出逢うのだろう

君はどの糸をたぐり 僕と出会う?

Ta-lila 僕は踊り続ける
降り続く銀色の雨の下
Ta-lila この体朽ち果てても
君にこの生命(いのち)が届くなら

遠い記憶の中で 君が呼んでる

U-lala 僕は歌い続ける
君が僕を見つけてくれるまで
こんな広い世界の中で
君に歌うこの声届くように

Ta-lila 僕は踊り続ける
降り続く銀色の雨のした
Ta-lila この体朽ち果てても
君にこの生命(いのち)が届くなら

「Ta-lila〜僕を見つけて〜」
ナナムジカ  より。

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・・・・。

私にも本当の運命の人は
別にいるのかもしれない。


この歌を聴くと
普段にも増して強く思う。

ううん、

…私だけじゃなく、
きっと他の人も…。

…でも地球は限りなく広く、

その人に出会う確立は
ものすごく低いのだろう。

本当に
運命の人と結ばれる人は、
私はこの世では、ごく稀だと思う。

例え・・・・
今、誰かと結婚し、幸せな家庭を築いていても、
誰かと恋人として幸せな日々を送れていても…。

真実の運命の人
めぐり合い、結婚できる人は
奇跡だと思う。

ロマンチックで
夢見がちな私の偶像かもしれないけれど…。

でも、この想いは

例え、私がおばあちゃんになっても
きっと消えないで

少女の私の心に残り続けるだろう。

いつも願ってる。
出逢えることを。

たとえ、この命が尽きても・・・。


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2005年05月11日(水) 「人との縁」

君に会うために、
私はあの苦しい学生の日々を
送ってきたのかな…。

だって、

もし少しでも歯車が違ったら
絶対君とは出会ってなかった。

もし、高校時代、第一志望の大学に
受かってたなら…
滑り止めの大学に通わなかったら、

今の私はどうなってたのかな?

他の人と付き合ってたのかな?
どうなってたのかな?

その人はあなたより、
私を幸せにしてくれたのだろうか。

人生の分かれ道の選択は一つしかないから、
「もしも」なんて考えても意味ないけれど。

人の縁って本当、
ほんのちょっとの行動の選択の違いで、
出会ったり、出会わなかったり。

そう考えると不思議だね。

すごく、すごく、不思議だ。


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2005年05月10日(火) いいじゃないか死んでも…。

いいじゃないか、死んでも…。

…と、「生」に執着しない私は
おかしいのかなぁ??

死んだ方が、いろんなことから開放されて
楽になるのになー…。
別に今がすごい辛いとかなわけじゃないんだけどね…。

でも、仕事のこととか、病気のこととか、
悩んでいかないといけないわけで…。
(とくに仕事。いつまでも無職な生活を
続けてられないし…。)

でも、死ぬなんて、すっごい鬱状態で、
かつ勢いがないと決行できないけどネ…。

あ、でも友達とか身内とか連れとかが
死ぬのは絶対イヤだ。

…矛盾してるけど…。

残された方はすっごい悲しいもんね…。

なんか事故でポックリいかないかなぁ…。
電車なんかあえて一両目に乗りたいし。。。
(事故った時に、死ねるから…)

多分、私を今、1番苦しめてるのは
「仕事につかなきゃ」っていう
プレッシャー&後ろめたさなんだろうな。。。

でも仕事につくって、
今の私にはすっごい大きなハードル…。

でも…しなきゃいけない…。



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2005年05月01日(日) ごめんね…。大切な友人へ。

ごめんね、ごめんね…。
何もできず、本当にごめん。

気がつくのも、こんなに遅れて
しまった…。

・・・神様、酷いよ。
なんであんないい子を
あんなに酷く苦しめるの?

彼女が何をしたっていうの?

悲しいよ…。
涙出そうだよ…。

彼女の日記を読んで、
彼女がどこか遠くへいっちゃいそうで
すごく怖くなった…。

いやだよ。
そんなのイヤだ。。。

どうかもう、
彼女を苦しめないで。

病気から開放してあげて。

大切な友達なの。

あんな酷い状態、
予測すらできなかった…。

ごめんね、
本当にごめん。

どうか、
あたり前のことが当たり前に
過ごせるような…、

そんな普通の「健康な身体」を
彼女に返してあげて。

あんなの辛すぎる…。

空気を吸うのもきっと
苦しいんだよ…。
一秒先が、とても不安だと思うよ…。

いつ、その苦しい症状から
開放されるかさえもわからず、
本当に怖さと孤独で、一人ぼっちで
闘ってるんだよ。

私はただ見守ることしかできない…。

どうかせめて、彼女の辛い症状をとる
薬を彼女に与えてあげて。

どうか、どうか・・・・。


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