Silent Song
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2002年05月15日(水) 「ひとりぼっちの迷宮」

ひとりぼっちの迷宮

ココロの迷宮・・・

深い、深い

抜け出せない

自分の意識でどうにもできない
悪循環の閉じた世界

そこから抜け出すためには
一人では抜け出すことが困難なことを
知っている

でも反面

どこに援助を求めてよいか、
さえもわからない現実・・・

色々調べたり、あたったりしてみたけど

今現在の心についてわかってることは
まだほんのわずかで、
心関係の援助機関は乏しく

救いはどこにもなくて・・・

どうにもできない事実。

もう、”希望”なんて持ちたくないよ。

すべて諦めて、
希望や期待を持たないで
生きられたら、
そっちの方が楽かも・・・。

「自分は他の人とは違うんだ。
自分はこうして生きるしかないんだ」
・・・って。

でも、

私の心から、
希望や期待は消えなくて
いつでもココロの奥底に
くすぶってて

それが私をまた苦しめるのだ。

もしくは、

自分に与えられた枠の人生で
諦めて
耐えて、生きようとしてるのに
普通の人並みの生き方に適応して生きてたり
人並み?な人間関係をもつと

やっぱり周りの人と比較するようになって、
「自分は普通なんじゃないか」って
「なのに、なんで自分は・・」って
思う気持ちが強くなっていって
抑えている期待とか希望が刺激されて

「キミも人並みに幸せになれるんだよ」
なんて、ささやかれるような感じで。

しかも、そういうことがあると
ココロは”その気”になっちゃうものだから

余計たちが悪い・・。

でも、結局は、

幸せになれない自分に
思うように生きられない自分の
壁にぶつかるのだ。

はぁ・・・・。

「ふつーの」人達と適応できてても、
それはそれで胸が痛いし苦しいし

「ふつー」じゃないと割り切って
そういう生き方をしても
それはかなり胸が痛く悲しいのだ。

いったい
私にどうやって”生きろ”というのだろう?

ねぇ、

なんだか胸が、どうにもやるせなくて、
涙すら、出ないんだよ・・・。

  どうにも救われる道がなくて・・・。



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2002年05月14日(火) 「理性」と「本能」

人間は他の動物と違い
「理性」がある。

だからこそ素晴らしい面も
沢山あるけど・・・

自らの中にある
動物本来の「本能」や「自然な感情」を
大事にすることも

ジブンを幸せに生きるためには
すごく大切なことなんだって
今は思う。

”理性”と”本能”って
時折、強く対峙する。

そしてそれに板ばさみされる状態になると
大きな悩みや葛藤の元にもなる。

・・・私は過去、理性の固まりだった。

「本能」は低レベルな卑しいことで、
「理性」こそ、高度で正しいものだと、

そう強く考えていた。

・・・今は、
ある種の「理性」は
自分を苦しめることを知った。

・・・今は、


   「”不自然な”理性」から
    私は楽になりたい・・・・  


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2002年05月09日(木) ”愛”欠乏症

・・・愛。

暖かい感情。

ヒトのココロの根底を包む優しいもの。

自分を受け入れ、かつ
他者を信じるための礎になるもの。

人を許し、理解するもの・・・。

親から子への慈しみ・無条件の愛。
友人・仲間同士の親愛・支えあいの愛。
恋人同士のお互いを想い合う・愛。
他者から他者への思いやり・人間愛。

愛はあらゆる関係にも存在し、
わかちあい
いたわりあい
認め合い・・・

また、
それがあるから

ヒトは自分の心に
温かい気持ちや安心をもちながら、
幸せを感じ生きられるのではないか、と、

私は常々、思う。

・・・・・・。

家(親・家族)にも、
社会にも、

自分自身にさえも
居場所がない人間は、

 どうやって生きていけばよいのだろう・・・

冷たい冷たい
土壌の中

どんな花が咲かせられると
いうのだろう・・・

家に明るい笑顔が欲しい

優しいコミュニケーションが欲しい

暖かな感情が欲しい・・・

・・・なぜ

なぜ、私の家の中には
そういう暖かい感情がないの???

なぜ、ここはこんなにも
淋しいの・・?

ワタシの原点の場所なのに・・・。


・・・・。

時折、大変辛くて、悲しくて、
淋しいのです。

愛が欲しいと…。


        私は”愛”欠乏症


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2002年05月08日(水) ある日の目覚め

  
  雨音とともに、目が覚めた・・・


なんだかとても、静かで穏やかな気持ちで
目が覚めた。

外は雨が降っていた。

湿った空気が伝わってくる。

濡れた道路を走る車の音・・・

何もかもが、
自然が、世界が、

私に語りかけてくるような・・・
新鮮な気持ち・・・
健康的な
生きてるんだって感じられる、自然な感覚・・・

深い深い、悩みと苦しみのフィルターが
私を閉ざし、苦しめ続け

かなり長い間
私は外を自然を”感じる”ことが
できなくなっていた。

まるで
自分と外界の間にベールがあって
その中に自分が遮断されているような・・・

何を見ても
何を聞いても

楽しめない
感じられない・・・

趣味も・・・
服も・・・
生活も・・・

何をするにもしんどくて、
不安と動悸と辛さ、しんどさ・・・

何も考える余裕がない・・

意思はなんとかしなきゃと焦るのに
焦るばかりでカラダとココロがついていかない・・・

・・ただ、苦しいだけ

ひたすら
その特異な苦しみを

誰にも理解されない原因不明の辛さを

一人ぼっちで
抱えて耐えるしかなくて・・・

ただ、とにかく
その状態で”生き延びて”いくことが
精一杯で・・・

ただ、闇の中
いつ晴れるかもわからない闇の中を
不安と恐怖を抱え、
日々おびえ、ココロを痛め、
苦痛とやりきれなさにただひたすら耐える日々・・

「早く以前のようになりたい。」

「早く健康な状態になって、これからのために
行動できるようになりたい・・・」

普通に、自然に、・・・当たり前に!

食べ物をおいしいと思え、
人と純粋に笑いあえ、
優しい音楽に落ち着いた気持ちで耳を澄ませられ、
美しい自然を美しいと感じ、

人の優しさや温かさを・・・
いつか信じられるようになりたいと・・・

もう・・・祈るしかない気持ちで
願っていた。

他に救いも、頼るものも、
なかったから・・・・

医者もカウンセラーに助けを求めたことも
結局は私を傷つけ、余計追い込まれた
だけだった・・・

人はもう、信じられなかった。

だから、もう、
私が頼りにできるのは・・・

神サマと、時間だけだった。

自分の中の、自己治癒力と、自浄作用を
ひたすら信じるしかなかった・・・。

        ・
        ・
        ・

この壮絶な深い苦しみと悩みのせいで

沢山のもの、
失ったなぁ・・・。

それを思わない日はない。
そう思うたび、胸が痛むんだ。

本来苦しまなくて良いことを無駄に
苦しんだのだなぁ・・・

なんか・・・笑っちゃうね。

なぜ、
誰も助けてくれなかったのかなぁ…

なぜ、
誰も理解しようとしてくれなかったのかなぁ。

初期のころ
混乱してる私の上っ面だけを捕らえず、
本当に私の立場や気持ちにたって
理解しようとしてくれる存在がいたなら

きっと私は
ここまで深く傷を抱えることも
一人グルグル深刻に悩み苦しみ続けることも
なかったのに・・・

母は今もそのことを後悔している。

連れも悔いている。

友達とは疎遠になった。

私も・・・

私ももっと、
自分を信じられたなら・・・・

・・・・。

でも、思うよ。

この苦しみと悩みと闇は
私が二十数年生きた人生の中で

本当に本当に
一番苦しく、辛く、先がみえず、
どうしたらよいかも見えず、
必死で調べてもわからず、
助けも得られず・・・

本当に、いまだかつてない
「試練」だった。

だからこそ、

それを乗り越えたとき、
私は多分、

ヒトとして、
大きく成長すると感じている。

きっと
かつての自分より

深みをもてるだろう・・・。


自然を感じられる
世界を感じられる

そんな当たり前のことが

本当はすごく
幸せなことなんだなぁ・・・・。















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2002年05月04日(土) ”コンプレックス”

ヒトへの気持ちはジブンの姿を
如実に映し出す。

ヒトの幸せを心から喜べるには

自分がある程度満たされてないと
難しい・・・


世の中の価値観で
マイナスとされる要素をもつヒト

社会的地位が低かったり、
仕事がなかったり、
学歴が低かったり、
容姿が醜かったり、
暗かったり、
弱かったり、
鈍かったり、
「オタク」だったり、
変わってたり…

・・・要素はなんでもいいけれど

社会的に「低い」「弱い」とされる要素を
持つダレカの

その要素を見つけると

過敏なくらい
「勇(いさ)んで」
攻撃するヒトがいる。

中傷したり

批判したり

見下したり

攻撃したり・・・

・・・・。

・・・・。

本人は気づいてるのだろうか??

そのヒト自身が
その価値観に深く支配され、
脅かされている(もしくはきた)ことを。

狭い狭い、箱のナカ

キミ自身のココロの中にあるものは

「キミ自身を批判してきた目」だと
いうことも・・・


他人(ヒト)を批判する
批判的に思う、その目は

その実は

自分に向けた「何か」でもある、という
真実。

他人(ヒト)をみる”目”は自分のココロ

他人へ向けた目は同時に
”自分に向いた目”でもあるね。

・・・・・・。

「他者(ヒト)を見る自分」を通して見えるのは
やっぱり「自分」なのだ。

たとえそれが、どれだけ表面的には
他者(ヒト)への気持ちだろうとも・・・

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広く暖かい土壌をもつヒトは
他者(ヒト)に対しても寛大であり、視野も広い

私は、そう思う。

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他人の悩みやふるまいって
傍から見てると
とても冷静に見ることができる。

だから
第三者にとってそれを見て
口で非難すること、
批判することは
とても簡単なことだよね。

・・・ジブンも、そう・・

でも、たいていの人が
非難する相手、対象に、
自分の中の怒りをぶつけている。
・・・それと気づかずに。

他人を客観的に
批判したり非難したりすることは
誰でも容易にできる。

でも、他者を
【受け入れる】ことって
すごくすごく難しい。

それができる人か
できない人かで

その人の「器」の一面がみられる..
そんな風にも思う

・・・・だから、
それができる人は
私は本当に、すごいと思う。
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2002年05月01日(水) 人生において、「結果」ってなんだろう。

人生とは
「”過程”の連続」
・・そんなようにも思える。

何が勝ちで、
何が負けで、
何が「結果」だって・・

どこかで、そう、
なんらかの形で区切ったり
決め付けたりして・・
決められるものではない、と。

いつも
何かの「結果」を求めようと、
何らかの形にしようと

ただもう、
ひたすらにがむしゃらに
生きてきたけれど・・。

・・・・・・。

・・私は
私はただ、ここにいる。

私として、ここにいる。

    それが一番の真実。


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