月の夜のつぶやき

2012年01月27日(金) 頑張って切り替え 考えない

くさくさしていたけど、
どよ〜んとしていたけど、
悲しかったけど、

でもそろそろこういうのとも
きっぱりお別れしないとな、と
切り替えることに意識を向けた。

事実は消えないけど、
悲しかった私がいた事も、
あんなやりとりがあったことも、
そして修復のアクションも
実はまだ起こしてないけど。

無理矢理気味に
これまで気にしつつ
まだ手をつけてなかったことをしてみた。

家のあちこちを掃除してみたり、
キッチンでしたかったことをしたり。

幸い、
りんごのコンポートを
保存瓶で煮沸密閉することに成功。

こんなことでも
私が楽しいと思えば楽しい。
楽しくて幸せと思えば
それだけで
小さな幸せが1つ増える。

もう十分に考え続けたから。
いくら考えても
同じ答えにしか今はならないから。

だから、もうやめよう。



2012年01月26日(木) こんな会話

ある日の会話。

私 「私が滞在している間に容態が急変して
   そして亡くなってしまいました」

相手「あなたが行ったからじゃないの?」

私 「どうしてそういうことを言うのですか?」

相手「違うのよ。あなたが行って、
   安心したからじゃないの、ということよ。

   私の周りにもそういうことは多いけど
   みんなが集まると安心して逝ってしまう
   ということは多いのよ。

   悪くとってはだめよ。
   いいようにとらないとだめよ。」

 
こんな会話って、ありですか?


私が行ったから、祖母は死んだんですか?
私が行かなかったら、
祖母はもっとがんばっていたのですか?


そう言いたくなりました。
でも、言葉を失って何も言えませんでした。

みんなが集まったわけではありませんでした。
ただ、付き添いの手伝いに
母と私が加わっただけでした。
もちろん、いつでも起こり得る悲しい事態に
みんな覚悟をしているつもりでしたが。



2012年01月25日(水) 悲しみという感情

突然悲しくなった。
そうなったきっかけは単純で、
これまでのいろいろなことを思い出したから。

たとえば、
早く結婚して、子供いっぱい産みなよ、
といつも言っていた祖母のこと。
私が一人っ子だから、親がいなくなった後
ひとりぼっちで寂しいから、と。
いっぱい子供がいたらにぎやかで寂しくないよ、と。
私のことを思ってくれての言葉。
「いっぱい」ってどれくらいか分からないけど。

かたや、
自分が寂しいから、張り合いが欲しいから
だから子供を産んでくれ、といった義母。

祖母の気持ちを温かく思い出し、
そして悲しくなった。



なんかこういうこれまでのいろいろを
子供の頃からのいろいろを思い出してしまった。

「なんでそんなこというの?」

と思うしかなかった色々なこと。
うまく伝わらなかった気持ちの悲しかったこと。


なんでだろう、というくらい
悲しみを伴った記憶ばかり。

その内、記憶は甦らなくなり、
ただただ悲しいという気持ちだけが残った。
胃の辺りからこみ上げてくるような悲しみ。
もはや原因がどうだ、とかいうレベルではなく
ひたすらに悲しい。
悲しくて泣きそうになりながら
しばらく過ごしていた。


こんなの初めてだ。
一体、どういうことだったのかも分からないが、
振り返ると興味深いことだったようにも思う。

その内、今度は喜びばかりの日も来るだろうか。
理由なくとも喜びが湧いてくる日があるなら
すごく楽しみな気がする。



2012年01月20日(金) 震えたり

最近、自分が少しおかしいと思う。
このままではよくないことになりそうだ、と。

昨年末の義兄の電話の後、
なぜか体が震え始めて、
すぐには収まらなかった。

先日の義母の電話では、急激に脈拍が上がってしまい
少し気分が悪くなってしまった。

それ以前にも、嫌だな〜と思いながら我慢していたら
胃の辺りから胸にかけて、
体表面の筋肉が勝手に攣ってしまうような感覚で
30分ほど辛くて横になってバタバタしていた。
ふくらはぎが攣るのと似た感覚だったように思う。


本当に、何かが限界なんだと思う。
このまま黙っていてはいけないのだろう。
自分で自分の精神を病ませてしまう。


祖母の死は、
私を正常な精神状態ではなくしたかもしれない。
今尚、精神的に疲れていて、
そして波が激しいのかもしれない。

でも、自分では分かる。
それだけではなくて、
これまでの蓄積なんだ、と。
それが傍目には仮に些細だとしても。

きっと、これは内なる自分の
涙ながらの訴えなんだ、と。

しっかりしなければ。



2012年01月17日(火) いざこざ 小レベル?

ついにやってしまった!という感じ。

あまり人の気持ちが察せられない人かな、と
義兄の奥さんと義母の会話を聞いていて思ったけど
やっぱりそうだったみたいだ。
というか、義母がそういう傾向があるのは
もっと前から分かっていたことではある。

会話って、その直近の言葉のやり取りで
なんとなく方向性は出来上がっているし、
そういう文脈の中で意味合いも出来てくる。
「ところで」とかそういうものでもなければ。

会話の流れ。
私はそれを重視しすぎ?
でも、とんでもない言葉を投げられた。
理解不能な言葉。

いつもは我慢してきたけれど、
今回ばかりはそうはいかなかった。

でも
義母はそんなつもりじゃなかった、
という。
事情を知った夫が電話して
いろいろと話をしてみたけれど、
そういうばかり。

でも、そんなつもりじゃなくても、
あまりひどいことを言うと
相手は怒るでしょ。

そういうひどいニュアンスを持つことすら
もしかして想像してなかったとか?
本来義母が言いたかったことと、
少し言葉を省略しすぎてズレがあったみたいだけど、
本来言いたかったことだって、
私にしてみたら許容範囲外。
どちらにしても、あんまりな言葉だ。

きっと、どうしてこうなったのかは
いつまでもわからないんだろうな。

悪意も害意もなかったと分かっていても、
気持ちがざっくりとなったのは消えない。
悪気はなかったの、で済む話と
そうはいかないことがあるってこと。

「わるくとってはいけないのよ。
 良いようにとらないといけないのよ。」

と焦って繰り返していたけど、
それってその言葉を発した直後に
その張本人が言っていい言葉なの?
先に本気で謝るんじゃないの?

この辺、なんかこじれてる原因かな。

今はすごく悲しい。
すごくすごく悲しい。



2012年01月05日(木) 気楽な日々

静かな気侭な日々が終わりました。
退屈ということはなく、
見たい番組をきっちり最後まで見れることとか、
好きなタイミングで好きにお茶を飲んだりできるのが
こんなにうれしいものなんだなぁ、と。


大してすることがない、という意味で
夫にとってはいつもと変わらない時間だったらしく、

どこで過ごしても同じだね、と

言われましたが、
決してそんなことはないです。
私、すごく気を使っていますよ、いつも。


「いつ来るん?」

という義兄の昨年の電話。

「来たら持って帰ればいいと思って
 畑の大根を抜いてなかったんだけど、
 それがおおきくなってしまって、送ろうか?」

という先日の義母の言葉。


きっと、言葉を使うのが下手な人たちなんだ・・・
そう思いたいです。
でも、ちょっとひっかかるのです。
だって、夫の実家へ行かないのは、
ちゃんと連絡していたし。

私の実家に行くと伝えていたから、
義母はそういう前提で話をしてきたから、
夫が疲労してたので自宅で過ごしたと伝えました。
両親の理解も得ていることを伝えると、
慌てたみたいにも思えるタイミングで
自分たちのところにも
大変なときは来なくていいのよ、と。

素直になれないな・・・。
そうやって、辻褄だけ合わせてるみたいだし。
夫の体調なんて、気遣う言葉は
これまでただの一度もなかったのですから。


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