月の夜のつぶやき

2011年11月30日(水) 忘れることの大切さ

9月からすごく大変な時間を過ごしていて
いろいろなことを全て忘れてしまっていた気がする。
忘れたのなら、それでいい。
忘れてしまったままにしていた方がいい。

忘れるべきというようなことは、
多分ここに書かないほうがいいんだな。
といいながら、書いてしまう。
話せない代わりに書いて発散、というところだ。
だから、また、削除。

*****

祖母の死は紛れもない事実。
でも、これまでも祖父母を亡くしてきたけれど、
今回は何かが違う。
すごく不思議な感覚だ。

もうあの家に祖母はいないけど、
祖母を構成していた核である魂は生きている、と思う。
現に、時々私のそばにいてくれていると感じる。

本気でそう信じているからだろうか。
これまでと比べて、寂しさや悲しさの質が違う。
涙が出ることも多いけれど、何かが違う。


私のレイキの先生からの言葉が
祖母の最後の数日を見守った私を支えてくれた。

「人は最後まで、
 例えば意識がない状態でも自分で全てを選べます。
 何を選んでも見守り祝福してあげて下さい。」

どうしたらいい、なにができる、と
混乱状態になってしまっていたのが、
冷静になることが出来た。


本当にそうだった。
きっちりと祖母は最後まで自分で選んだと思った。
遅れて病室に駆けつけた孫が到着できるまで待っていた。

「S君、すぐに来るからね。」

と繰り返した私たちの言葉が届いたのか、
あるいは祖母自身が全てを把握していたのか、
途切れた脈が回復を繰り返し、
みんなが揃って数分後に息を引き取った。


人の長い一生の最期を初めて見た。
とても頑張った立派な人生だったと思う。
祖母ほどは頑張れない私だけれど、
まだ涙も多いけれど、
でも、側にその気配を感じつつ
私も一生懸命に私の人生を生きたいと思う。





2011年11月28日(月) 静かな時の流れ

全てが終わった。
臨終に居合わせるというのは、
私にとっては初めてのことだったが、
離れて暮らしていたにもかかわらず
祖母の最後の瞬間に立ち会う巡り合せになった。

自分の家に帰ってきた今、
実感がないことに戸惑う。
たしかにそこにいたのに、
なぜかまた訪ねればそこに笑顔がある気がする。

これは、もしかすると私の心の抵抗だろうか。
現実を拒否しているのだろうか。

祖母のお決まりの口癖を思い出しても、
涙は出ない。
またその言葉が聞ける気がして、
それが当然な気がして、奇妙だ。

でも、分かっている。
もういない。
そう思うとき、逆にとまらない涙があふれる。

思っているより、押し殺してしまっているのかな。
自分の反応の奇妙さに戸惑う。


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