TENSEI塵語

2008年04月30日(水) 暫定税率復活

あ〜あ、やっぱり再可決しちゃった。
造反者も出なかったとは、自民党議員ってどうなってんだろう?

とにかく政府も地方も、切れるはずの暫定税を見込んで予算を組んだ、
それは大きな過ちなのに、それをぜんぜん過ちと認識することなく、
「このままでは困ってしまいますから」と国民に負担を強いた。
この神経はホントにわからん。
我々がこんな予算の組み方したら何言われるかわからないのに。。。
ないはずのお金を予算に組むんだもんなぁ。。。
で、「国民から取りゃあいい、当然だよ」とふんぞり返っている。

ニュースではじーさんが嘘八百の演説をしてたが、もう聞く気もない。
国民目線(所信表明演説にあった法螺)など些かもない。

朝刊には、見込み違いの高速道路建設の話が載っている。
そんなのが朝刊に載ったその日に暫定税の再可決ができる神経もわからん。
奴ら、ホントに人間???????

新聞には、年収200万しかないワーキングプアの話が載っている。
悲惨な労働に喘ぐ人たちが増えている。
ネット難民が問題になっても、政府は知らん顔である。
暫定税なんておかしなものには必死なのに、
不幸な国民のことなんておかまいなし。
なぜなら、ワーキングプアなんてのは彼らには「負け犬」に過ぎないから。
「君たちは努力が足らんだけだ」
「自己責任!!」
「お金はどんな手を使ってもいいから儲けるもんだよ。
 儲けたやつが偉いんだよ。儲けたやつはわしらの息子じゃよ」
確かにねぇ、犯罪者まがいの成金くんを讃えた閣僚もいたもんなぁ。。

ま、今までにも何度も苦い思いをしてきたのだけど、
今度の衆院選でまた自民党が勝つような国だったら、
もう永久に国民生活に目を向けた政治が行われる可能性は皆無だね。



2008年04月29日(火) カッチーニの「アヴェ・マリア」

きょうは1日コンクール課題曲の講習会。
手伝うことがあるなら手伝わなきゃいけないし、
最近市吹の練習ばかりで、ちょっと練習が雑になってる反省もあって、
朝から夕方までちゃんとその講習会をじっくり見ることにした。

その行き帰りの車の中で、
「久石譲 W.D.O.BEST」というCDを聞いていた。
ずっと前に何かのCDを買ったついでに(たぶん小松亮太か吹奏楽か)、
ちょっと興味が湧いてこれも加えたのだが、
1度に何枚も届いたので、そのうち聞こうとそのままになってたのだ。

これは「久石譲&新日本フィル World Dream Orchestra」の
3年間の活動のベスト・アルバムだそうで、
「男と女」「白い恋人たち」「風のささやき」「ピンクパンサー」など
13曲ほどの映画の音楽を編曲して演奏しているもので、
どんな編曲してるのかな? という興味から手に入れたけれど、
オリジナル作品じゃなくて、若いころ聞き飽きた曲が多そうなので、
そう急いで聞こうという気も起こらずにそのままになっていた。

きょうは、車に乗って、聞く予定だったCDがカバンになかったので、
カバンにずっと入りっぱなしだったこのCDを入れてみた。
どれもおもしろい編曲なのでずっと聞き続けていたら、
12曲目の「Mission Impossible」の次に、
ストリングスにフルートがかぶっているらしい長い音が聞こえてきた。
その音が3音動いたとき、、、
「アヴェ・マリア、、、??!」

カッチーニの「アヴェ・マリア」が流れてきた。
何でこの曲が、、ここに、、、??
ストリングスの前奏の後に、女性コーラスが聞こえてきた。
美しい、、、間奏に入ったら、もうたまらなかった。
もうずっとうるうる状態。
久石さんの演奏らしく、最後は盛り上げるし。。。
でも、短かったなー、、、もうひと回り繰り返してもいいのに、、、
と、次のトラックとセットでその後繰り返し繰り返し聴いた。

「天国の階段」という後味の悪い韓ドラのBGMで、
このドラマのトレードマークのように繰り返し流れていたころ、
このドラマのオリジナルの曲だとばかり思っていた。
 (本当にそれまでぜんぜん聞いた覚えがなかった)
この曲聴きたさにサントラ盤を手に入れて聴いているうちに、
カッチーニという人の「アヴェ・マリア」だと知った。

「カッチーニのアヴェ・マリア」というサイトを見つけて、
そこを通じていろいろな演奏を聞くことができたけれど、
それらはそのころだけで済んでしまって、
しばらく前まで好んでよく聴いていたのは、
宮本笑里&宮本文昭の父子演奏だった。

きょうは思いがけなく理想の形態での演奏を見つけて、
(というより所有しているのを知って)とてもうれしかった。

それ以外にも「ロシュフォールの恋人たち」「ピンクパンサー」
「Mission Impossible」「アイアンサイド」など、
こういう編曲で吹奏楽でやりたい!!
とわくわくするような演奏にも出会えたし。。。




2008年04月28日(月) 山口衆院補選自民党敗北〜!

いやぁ、ちゃんと当然の結果が出たなぁ。。。
10年以上も前だったら、こうはならなかった。
暫定税廃止してね、再議決なんてしないでね、でも政権は維持してね、と、
自民党に投票して、暫定税は支持されたと首相のうれしそうなコメントを
聞かされて、税金搾り取られるのが日本民族の性だった。
願いとは裏腹に投票する、新興宗教さながらの自民党支持が、
無駄遣い体質や、杜撰管理システムを助長してきたのだ。
それがもう二進も三進も行かないところまで来ていることは、
こんな敗北をしても、まだ、明後日暫定税再議決をせざるをえない、
命取りの再議決を避けることができないことでよくわかる。
あの、、、今回負けた理由は、暫定税問題なんだよ。
君たち、それをやったら、次期総選挙では絶対勝ち目ないよ。
野党に下がっちゃうんだよ、、、わかってんのかなぁ。。。

私は、自民党内からの造反者が出るか、
公明党が自民との同調をここで断念することを願っているのだが、
そんな庶民目線の根性あるやつ、ホントにいるかなぁ。。。
ま、確かなことは、福田翁の所信表明演説の「庶民の目線」は嘘八百!!
庶民の目線なんてかけらもないわ!



2008年04月27日(日) 「マタイ受難曲」

先日4回ほど、バッハの音楽について書いてみたのだけれど、
バッハで1番好きな曲は? と尋ねられたりしたら、迷うけれど、
結局「マタイ受難曲」と答えるだろうな、と思う。

それでも、「ブランデンブルク」を聴いてる時には「最高!」と思うし、
グールドの「ゴルトベルク」を聴いてる時にはそれが最高だと思うし、
「ヨハネ受難曲」を聴いてる時には「マタイ」よりいいじゃんと思うし、
それがまた「音楽の捧げもの」のトリオソナタだったりもするし、、、
それほど微妙なランキングなのだが、こうして冷静に判断を迫られると、
たぶん、「マタイ受難曲」と答えそうな気がする。

この10年ほどかそれ以上、クラッシックからは遠ざかっていたけれど、
年に1〜3回は聞き続けていた曲だ。「ヨハネ」もだけれど。
もうちょっと若かったころは、各地で盛んな「第九を歌う会」が
「マタイ受難曲を歌う会」だったら、頑張って参加するのに、、、
と真剣に思ってた。

もうとにかく、最初のオーケストラが鳴り始めると、
そしてさらに合唱が最初の一声を発して歌い始めると、
そのたびに、ジーーーン、、としてしまうのだ。
そして、合唱が「Wohin? Wohin? Wohin?」と歌うあたりになると
思わず目頭が熱くなってしまう。
合唱はこう歌っているのだ。

「見よ」
「どこを? どこを? どこを?」
「我らの罪を」
「すべての罪を負いなさった。でなければ我らに希望はないだろう」
「見よ、彼は愛と哀しみゆえに、十字架を自ら背負って行く」
「我らを救いたまえ、イエスよ」

もちろん、終曲もこの長い物語を締めくくるすばらしい合唱である。
物語中のアリアも合唱もいい曲が多く聴けてうれしい。

細かく書き始めたらきりがないけれど、
物語の中で、音楽的に私が最も好きなのはペテロの否認の場面である。

ペテロが2度「イエスを知らない」と歌った後、
合唱(その周囲にいる人々)が歌う。
「確かにお前も仲間だ。国訛りもその正体を現している」
からかうように脅かす群衆。。。。
しかし、ペテロは断固としてこう歌う。

「Ich kenne des Menschen nicht!」

そして福音史家が「その時鶏が鳴いた」と告げる。
「ペテロはイエスの言葉を思い出し、外に出て泣いた」
と歌うときの福音史家のメロディーは、ここだけ悲痛で情緒的である。
  (しかし、感情を抑制して歌わなきゃいけないそうだ)

そして、ペテロの涙を表現するようなヴァイオリンソロが流れ、
アルトの歌声がこう歌い始める。
「神よ、憐れんでください。したたり落ちる私の涙のために。。。
 見てください、私の心も目も、あなたの前で泣いています。。」


カラヤン盤、リヒター盤、ガーディナー盤、、、
生演奏で聴いたのは聖トマス、、、かな? どれも好きだ。
ガーディナー盤は、軽すぎるという批判も出そうだが、
物語に入ってからの合唱のテンポがよく、
たたみかけるような合唱がドラマティックに全体を展開させている。
「ヨハネ受難曲」になると、
リヒターよりガーディナーに軍配を上げたくなることもある。



2008年04月26日(土) 不思議な政治家たち

朝刊の第1面の題字の下に、きょうの目玉の記事が紹介されているのだが、
その一番上にあったのが、

「道路を造るために集められた税金なのに、道路以外の事業に注ぎ込まれる
 実態が次々に明るみに出ている道路特定財源。
 国土交通省の拡大解釈で「リニモ」や東山動植物園にも使われていた」

もういいかげんにせんかい! と言いたくなるのだが、
まだまだ今後も今までの他用途ばらまきが明るみに出るのだろう。
要するに、「道路のためにどうしても必要だ」と騙し続けて、
庶民から大金を巻き上げて、自分たちの政権にとって都合のいいところに
ばらまいていただけのことである。
こういうのは、裁判にかけたら、詐欺行為にならないのだろうか。

それなのに、そのすぐ下にはこんな紹介が。。。

「政府・与党は、、、5月12日に道路整備財源特例法改正案を
 衆院で再議決する」

あくまでも詐欺行為を継続するらしい。
来年度から道路財源を一般財源化するなんて言ってるのは福田翁だけで、
こんなの単なる口約束の空約束になるに決まってる。
来年度の自民の党首はたぶん別の人だろうし。。。
だから、そんなことがまったく書かれてないままの法案を復活させるわけ。

普通の人間だったらね、こんな2つの話が並んでるの見たら、
自分たちがその当事者だったら、赤面して、世間様の前に出られませんよ。
彼らの顔は厚い鉄で何層にも固められているに違いない。

今度こそ、自民党内から造反者が出ることを祈るばかりだ。
自民党の中にも、鉄仮面でない人間がいることを教えてほしい。


先日、イラクへの自衛隊派遣は憲法違反という判決が下されたのに、
自民党内でそれについて議論されている雰囲気がまったくない。
「そんなの関係ねぇ」と言った閣僚もいたそうである。
恐ろしい人たちである。
三権分立って、そういう意味じゃないでしょ?
法の裁きなんて無視したっていいんだよ、と国民に手本を示してるみたいだ。




2008年04月24日(木) 理由なく殺される、、、

まだ18歳のときに女性とその子を殺した、2人殺しただけなのに、
死刑判決が下されたと、今後の厳刑傾向を危ぶむ意見も含めて、
あちこちでこの判決についての論議がなされている。

私も、死刑廃止論者の言い分とほぼ同じ言い分で、
死刑制度に疑問を抱いていた時期もあった。
被害者にも気の毒なところがあるから、十分にその意をくむべきだとも。。

しかし、ここ何年だか、何十年だか、
殺される理由のない人が殺されてしまう理不尽な事例が目立ってきた。
「ムシャクシャしてた。誰でもいいから殺したかった」
「人を殺してみたかった。誰でもよかった。殺しやすいやつを狙った」

誰でもいいなんていう殺人があるかい!!(`ε´)

こいつを殺さなきゃ俺が殺されるとか、長年憎くてしょうがなかったとか、
こいつがいる限り我々の幸福はないとか、こんな政治をやるやつは許せん、
等々の理由で犯行に及ぶなら、それはまだ、犯罪には違いないけれど
殺された当人にそれなりの事情もあり、
犯人にも切羽詰まった事情でやむにやまれず、、という同情もできる。
犯人の思いも十分に聞いてやるべきだろう。

しかし、ここんとこ妙に目立ってきた凶悪犯の殺人には、
そういう情状などもう考えたくもなくなっている。
めちゃめちゃである。

殺される理由などまったくないのに、そこにいただけで殺される。
一昨日など、その未成年殺人の青年の死刑が確定した日に、
「死刑になりたいから」と、何も理由のないタクシー運転手を殺害した
若い自衛隊員がいた。
タクシー運転手はなぜ殺されなければならなかったか。
その自衛隊員を乗せてしまった、というそれだけのことである。
その青年にはわだかまるさまざまの思いがあったかもしれないが、
タクシー運転手には、彼に殺されなければならなかった理由など何もない。
何も彼に対して罪を犯してない。

被害者やその遺族にとって、何の理由もなく貴い命を奪われた、
ということほど、悔しく悲しいことはないのではないか。
偶然事故に遭った場合にも「どうして??」を繰り返す。
誰も望みもしなかった事故に遭ってしまった以上、しょうがないのだが、
それでも、どうして死ななければならなかったかを訴え続ける。
それが、犯人の身勝手な欲求の犠牲として、
ただ、たまたまそこにいたからという理由で命を奪われてしまうのだ。

何という理不尽な死!!!
こんな理不尽な死をもたらした奴に生きる権利があるのだろうか?
死刑制度に道理があるかないか、そんなことはもうどうでもよくなる。
生い立ちが不幸だった?
そんなの関係ねぇ!!
お前の生い立ちが不幸だからといって、
何でその生い立ちと関係のない人が命を奪われにゃならんのだ!!
何でお前の不幸の代償を、無関係の人が支払わにゃならんのだ!!

理不尽な死をもたらした奴は、理不尽であっても、即刻死刑!!
理不尽に人を殺した奴は、理不尽に死ね。
監獄の中で、1%でも希望を抱いて生きていくことも許されない、
そんな風に思うようになった。
これはハムラビ法典ではない。
犯人自身、その犯行を反省すれば、その罪の∞の重みを悟り、
自ら死刑を志願するか、自ら命を断つはずである、それほど重い罪なのだ。



2008年04月23日(水) リヒテルの「平均律」

リヒテルの「平均律クラヴィア曲集」は、その最初の8曲だけを
30年も前に聞いてたきりなのでかなり遠い記憶なのだが、
第4番と、第8番フーガの鬼気迫るような緊迫感だけは忘れてない。

その2曲を久々に聴いてみたかったし、
リヒテルの第9番以降はまだ聴いてなかったので、
取り寄せて聴いてみることにしたのだった。
この録音を持ってないということはいけないことだ。
きょうそれが届いたので、さっそく聴いてみた。

聴き始めた第1番の前奏曲の美しさにまず息をのんだのだが、、、
まぁ、この曲はたいていのピアニストがこれくらいやるかな?
グールドがこの美しい響きをわざと殺したのはなぜなんだろう。。。

とにかく、安心して聞ける。。。
曲によってはグールドの方が曲が活きてると思うものもあるのだが、
これはこれでどの演奏もすばらしい。。。。。。

で、第4番は別格という感じがするのである。
前奏曲の情緒もなのだが、フーガが異常だ。
このテンポ、集中力、、、弱音からじわじわとフォルテシモに高まるが
テンポがずっと変わらないので、すごい緊迫感である。
あのころもそうだったけど、この曲の演奏には、
並々ならぬ深い精神を感じさせられてしまうのである。
どの曲だってそうじゃないか! と言われるファンもいるだろうが、
そうじゃなくて、この曲だけ際立ってそう感じさせられるのだ。
30年ぶりでも、どこでどんな音が鳴るか、たいてい覚えていた。

それから第8番。
前奏曲も美しい曲なのだけれど(ちょっと長すぎるけど)、
フーガはさらに美しい。
それが終始ピアニシモで演奏されている、、、これが堪らない!
何と美しく気高い音楽だろうか!
後半の、主題の反行形が低音に現れ始めると一層心がジーンとする。。


今、他の曲も聴きながら、これらの曲と同じく
破格の感動をもたらしてくれる演奏を探しているところである。
しばらく時間がかかるだろうけれど。。。
あと40曲にじっくり耳を傾けるわけだから。。。



2008年04月22日(火) もうちょっとだけ、グールド

私は生来怠け者のせいか、いくら作曲家や演奏家に心酔しても、
めったにその生涯とかエピソードを求めはしない。
音楽だけ聴いていれば十分、、、というところが強い。

一昨日、「グレン・グールド」でググルってみたら、
グレン・グールド賛歌というサイトを見つけ、噂に聞いたことの他に、
いろいろなことを知ることができた。

バーンスタインとのエピソードが格別におもしろかった。
また、リンクでパルティータ第2番の貴重な映像を見ることもでき、
映像提供サイトのYouTube で他にも興味深い映像を見た。
何とあのチェンバロ協奏曲第7番(Vnコン第1番)も
グールドのピアノでの演奏を見ることができたし、
ピアノでなくチェンバロを弾く映像も見ることができた。
フーガの技法の1曲の映像もなかなか凄いものだった。
パルティータ第6番の演奏映像も見応えあった。

でも、グールドの演奏は概してすごくて、多くは心酔できるのだけれど、
もし身近なつきあいでもしていたら好きになれなかっただろうな、と思う。
もし、一緒に仕事するようなことがあったら、
バーンスタイン同様、怒って訣別してしまっただろうとも思う。
それは、私が高校から大学時代にかけて、
太宰治を文章の神様、文章の師匠と崇めていながら、
もし身近なつきあいをしていたら大っ嫌いだっただろうな、
と思っていたのとよく似ている。

グールドのCDを買い込んで聴きまくっていたころ(20余年前)、
これは、私のようにまったく自由な立場で聴く分には、
かなりすんなり入り込めるし、いい悪いも自由に言えるだろうけど、
プロのピアニストや、プロでなくても、
「インヴェンション」や「平均律」で鍛えられた人たちには、
複雑な思いで受け止められるのではないかと思ったものだ。




2008年04月20日(日) グールドとバッハ(2)

大学時代も「ゴルトベルク変奏曲」はチェンバロ演奏で時々聞いていた。
誰の演奏だったかなぁ。。。
たいてい途中で眠ってしまうか、途中でやめてしまうか、、だった。

後に、この曲は、不眠症に悩む何とか伯爵の依頼で作られた、
などという話を聞いて、体験的に納得してしまったが、
作曲家が、聴いてるうちにつまらなくて眠ってしまってくれ、
なんて思いで音楽を創るなんてことは考えにくいので、
バッハとしては、適度な波を感じつつ精神に安らぎを与えるような、
そんな音楽を書こうとしたのかな? と思ったりもした。
でも、その伯爵は、隣の部屋でこの曲を弾いてもらいながら、
私と同じように安らかな眠りについたに違いない。


グールドの「ゴルトベルク」を聴いたら(もちろん81年初出の)、
こんなので眠れるものかーー! と思わずにいられなかった。
第1変奏が始まった瞬間に、カッと心に喝が入った感じ。
体中の精神が一気に呼び覚まされる感じ。
躍動するリズム、アクセントが体のあちこちを刺激する感じ。。

それから、どの変奏も実に刺激的で、しかも美しく、
静かな変奏曲は、精神の奥に沈潜して行くような深い集中力。。
しかも、ひとつひとつの変奏の間にほとんど間を置かず、
あたかも、30ほどの変奏を4つくらい(?)の大きな部分に分けて、
ドラマチックな展開をしているような高揚感もある。

とにかく、聴いているうちに眠たくなるどころか、
どんどん興奮して元気になってしまうのだ。

その心の高揚の極めつけは最終変奏。
大合唱が一緒に聞こえてくるようで、思わず指揮したくなってしまう。
そして、、、最初のアリアが還ってくる。。
最初よりももっと静かにゆっくりと、高ぶった心を慰めるように。。

初めて聞いたころ、どこに行くにも一緒だった。
毎日聴いてるのに、1日に数回繰り返して聴いたこともあった。
 (私の場合こういうことは珍しいことではなかったが、、)
聴けば聴くほど、身体がこの曲を求める、という感じだった。

それまでに聴いたグールドのバッハに確かに強く惹かれながら、
私の中では、まだ完全に心酔できないところがあった。
一番わかりやすい例が、「平均律」第1集の第1番。
この曲でそこまでする?(笑) という思いが未だに修正できない。
未だに、あれはいかん! と思っているのだが。。。

でも、この「ゴルトベルク」には完敗、感服、平伏_(_ _)_
後に、LDで初めてグールドがこの曲を演奏する映像を見たとき、
機械にディスクをセットして、その膝をついた姿勢のまま見始め、
終わったときに我に返ったら正座して足が痺れまくってるのに気づいた、
ということもあった。
時間もまわりのことも忘れて聴き入っていたのだった。



2008年04月19日(土) グールドとバッハ

高校時代までの私の好きなバッハといえば、コンチェルト系。
「ブランデンブルグ協奏曲」、チェンバロ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、
「管弦楽組曲」、オーボエとヴァイオリンのための協奏曲。。。
特に「ブランデンブルグ」とOb&Vn は未だにぜんぜん飽きない。
でも、チェンバロやオルガンなどの独奏曲は苦手だった(聞くのが)。

高校時代に、ピアノを習っている先輩が、
高校生になってから、「平均律」ばっかりやらされてると言っていた。
指を鍛えるのに最適の教材なのだそうで、
レッスンの時に演奏がうまく行っていると、その先生は、
ちょっと離れたところで、合唱団でもいるかのように指揮し始める。。
 (その先生は、市内の合唱界の大御所のひとりで、
  たまたま私も中学時代、その先生が小学校の一室を借りて
  大人の合唱団を指導しているのを窓の外から盗み見てたことがある。
  塾をさぼって、、、何度か、、f^_^; )
「バッハのピアノ曲って、どういうところがいいの?」
「うーん、、やっぱり何といってもメロディーがいい」

そりゃ、コンチェルト群聞いてればメロディーの良さはわかるけど、
どうもチェンバロ演奏やオルガンの曲を聞いても、
なかなかピンと来ないのだった。
「トッカータとフーガ」や「前奏曲とフーガホ長調」(だったかな?)
は別にして。。。
自分には、年老いてある境地に至らないと
バッハの良さはわかるようにはならないのではないかとさえ思った。
ま、そのころの私は、まだマーラーブームには数年早かったけれど、
マーラーに熱狂してたし、バッハよりはブラームスだったり、
ピアノ曲といえば、ショパンやベートーベンばかりだったから。。。

あ、そういえば、中学時代にグールドのピアノ演奏で、
「運命」を聴いたことがあったなぁ、、、ピアノだけでの演奏には
それなりに興味深かったけど、
 (私はといえば、その当時、交響曲や管弦楽曲のスコアの
  主旋律だけをたどりながらリコーダーでピコピコやっていた。
  他に何も弾ける楽器がなかったので。。
  「運命」や「新世界」の全曲演奏とか、、(笑) )
とにかく、オーケストラの音にばかり魅せられていたので、
たぶんこのグールドとの初の出会いは素通りに終わってしまった。
今聴けば、いろいろな聴き方ができるかもしれない。

大学の2年目か3年目に、リヒテルの「平均律」第1巻の第8曲までを
聴いて、、、もう驚愕の第4番と第8番!
何という緊張感、何という集中力、、、深い精神世界!!
もちろんそれがしばらくの間の愛聴曲になったわけだが、
ここでおもしろいのは、その少し前にラジオか何かで、
グールドの第4番だけを聴いて、おもしろいと思わなかった、
それで、その時もグールドを素通りしてしまったということである。

それからしばらくして、グールドによって目を覚まさせられたのが、
「パルティータ フランス風序曲」だった。
これが、グールドの演奏をまともに聞いた最初の曲ということになる。
もう驚きの連続!

徹底したスタカート奏法に、まず魅せられた。
私もギター合奏でやってはいけないかもしれないスタカート奏法を
強要したくちだが、何と何と、グールドは、
速い16分音符の連続でさえスタカート奏法を徹底している。
いったいどういう指をしてるんだ?
それでいて、各声部に歌が溢れている。
この奏法のおかげで、各声部が実に明瞭に響いてくる。。。
何と活き活きしたバッハだろうか。。。
これは、チェンバロ的な響きを求めつつ、
チェンバロでは表現し得ない表現を追求したのだろうか?
 (これが、その初出会いのころの感想である)

もっとも、がっかりしたこともいくつかあった。
たとえば、この組曲の第2ブーレなどは、
ヴァルヒャのチェンバロ演奏で聴いていた時には抒情的だったのに、
グールドの演奏からは「情」というものが排除されていた。
それから、これだけスタカートを徹底しているのに、
その流れの中でこの音は長すぎるんじゃない? とか。。。

しかし、聞き込めば聞き込むほど、この演奏は魅力的だった。
バッハの音楽の美しさを、最も明瞭に教えてくれたのがグールド、
ということになった。
大学在学中は、他にイギリス組曲・フランス組曲のいくつかしか
聞けなかったけれど、卒業して就職してから、
特にCDの時代になってからグールドのバッハを買い集めた。

で、衝撃の出会いが「ゴルトベルク変奏曲」。。。(つづく)



2008年04月18日(金) ついに出た違憲判決

自衛隊のイラクでの活動は違憲、と名古屋高裁が判決した。

やっと出たかぁ、とちょっとスッキリするような気分である。

出てあたりまえの判決が出るまでに、どれだけの時を経たのだろうか。。
しかし、名古屋高裁の判決を勇気ある正義の判決と讃えなければならない。
あたりまえの判決を讃えなければならんとは、ちょっと哀しい状況だが。。

さて、自民党は憲法違反に対し、これからどう対処していくのだろうか?
憲法違反を平気で犯せる連中が、政治の中枢にいていいのだろうか?
国民の誰でも平然と憲法違反してもいいことになってしまうではないか!

国会での追及も始まるだろうが、
福田翁は、相変わらずのらくらとごまかし答弁を続けて行くのだろうか?
また、教育上悪いお手本を国民の前にさらけ出すのだろうか?
与党自民党は、悪いお手本の宝庫である。

元凶は、自民党政治家たちが憲法の精神をまったく理解してないことにある。
しばらく野に下って、口惜しい思いを噛みしめながら、
しっかり勉強し直して、出直してほしいものだ。
政治家がいちばん考えなきゃいけないのはどういうことか、
憲法の精神と理念がどういうもので、政治家は何をしなければならないか。
エリートと言われる連中が多いようだが、
まっとうな勉強はぜんぜんしてこなかった連中なのだ。



2008年04月17日(木) 映画「ふたり」

十何年前に見たのか忘れたけれど、こんな懐かしい映画を見た。

そのころ久石譲の「My Lost City」というアルバムが好きで、
しつこいほど繰り返し聞いていた。
ピアノとストリングス中心の演奏で、情緒たっぷりの曲が多い。

この映画が始まって最初の場面は、主人公の実加が、
乱雑に散らかった部屋のあちこちをひっくり返して探し物をしているが、
その時口ずさんでいる歌がなんか懐かしい印象の親しいメロディー。。。
あまりに途切れ途切れな歌い方だったのですぐにはわからなかったが、
「My Lost City」の中の「Two Of Us」だと気づいて、激しい驚き。

この「Two Of Us」の歌ヴァージョンが映画の中で何度か聞ける。
主に事故死した姉の千津子が高校の演劇部の公演でヒロインとして歌った、
その録音テープから流れるものである。

この音楽と、尾道の町の光景、、、物語の印象は薄かったけれど、
この2つのために、なかなか忘れられない映画のひとつになっていたのだ。

物語という点で言えば、赤川次郎の原作を読んだ時の方が集中できた。
どうも映画の方は、ぼそぼそ喋りが多すぎるし、テンポも緩慢すぎる。

しかし、あの音楽のせいか、尾道という町の情緒のせいか、
あるいはそのやや鬱陶しいぼそぼそ喋りのせいか、
不思議な情緒を湛えた、これはこれで魅力的な印象が拭えないのである。



2008年04月16日(水) 漢字変換ミスコンテスト

こんなのがあるんだったら、貯めといて応募するんだったな。。。
でも、最近の私は1文節か2文節くらいでさっさと変換しちゃうから、
めったにおもしろい誤変換には出くわさない。
「曲探し」と入れようとして「極左餓死」になったりするくらい。

新聞で読んだ限りで、笑えたのはこんな感じ。。。(  )内が正解。

恋人立ち退き説 (恋人たちの季節)
豚以下集う   (部隊活動)
胸囲ないもんね (きょう居ないもんね)
口臭か胃の出血を確認してください (講習会の出欠を確認してください)

変漢ミスコンテストのサイトで他にも見ることができた。
しかも応募者のコメント付き。

肋骨食ってください  (六個作ってください)

なんて笑えるなぁ、、、しかも、今打ってみたらホントにそう出たし。。。

あなたの小鳥怪死体  (あなたのこと理解したい)
○○さんの意見は幼虫以下と思います  (要注意かと思います)


ところで大賞となったのはこんな作品。。。

馬食い家内が象サイズになった (うまくいかない画像サイズになった)

何か、釈然としないなぁ。。
その人は確かにこの文を書いたのかも知れないが、
私にはどうしても、この文が生まれる状況とか文脈が想像できないのだ。
「画像サイズが、、なったり、、なったりして、うまくいかない」
という文ならあるだろうけれど、何か不自然。
その前に、画像をこうしたとか画像をああしたとか書いてるだろうから、
こんな簡略な文だったら、いちいち「画像サイズ」なんて書かずに、
「サイズ」で済ませるような気もするし。。。

ちなみに私が「うまくいかないがぞうさいずになった」を変換した結果は

うまく行かないが造作居ずになった


私だったら「肋骨食ってください」に座布団10枚!



2008年04月15日(火) 多忙。。。

休日出勤して、とりあえず安心して新しい週を迎えたものの、
やはり昨日もきょうも忙しい。

思い起こせば、今の職場に転勤して以来、4月いっぱいは超多忙。。
前の職場ではそれほどには感じなかった感触。。
いったい何が違うのか、今考えてみてもわからない。



2008年04月13日(日) 「楽園幻想物語組曲 Elysion」

きょうも起きたのが9時半。
ま、休日出勤とはいえ、朝ゆっくり寝られるだけはありがたい。
きょうは夕方までやれるから、、、と思って11時ごろ職場に着くと、
校舎を開けておいてくれた先生が、2時に帰ると言いだしたので、
採点と月曜の授業準備という最低限のことだけ済ませた。
夕方まで居残ってもよかったのだが、施錠のために余計な時間がかかる。。

平日の帰り道と休日の行き帰りの車の中は、このところずっと
サウンド・ホライズンの「楽園幻想組曲」が鳴っている。
ほとんど歌詞は聞いてないのだが、繰り返し聞けば聞くほど
音楽の展開が味わい深く興味深い。
ナレーションも音楽の一部になってしまい、曲調を変化させる。
突然別の歌に変わったりする。
同じメロディーを何回も繰り返していても、
バックの音楽はさまざまなリズムに変化したり、編成を変えたり。。
そして、何度も聞いてるうちに、
やっと全体のドラマチックな展開が体感できるようになってきた。

歌詞が、というか、特にナレーションが聞き取れないのがつらい。

昨日は終曲の「エルの楽園」の歌詞を聞きながら走った。
ちょっと楽しげなメルヘン調の歌で、心地よい楽園での目覚めの後、
誰かが泣いている、とか言って、
「気のせいかしら 楽園で泣くはずないわ だって楽園なんだもの」
と言っている。
ところが、「ホントはね 知っているの」でいきなり打撃音!
この後の部分で楽園の正体が語られるようだが、
部分的には聞き取れるけれど、、、、よくわからーん!
美しい哀感漂う歌の中で
「空は荒れ 木々は枯れて 花は、、、」とか
「エルは生まれ エルはいたみ エルは望みの果て
 安らぎの眠りを求め 、、、堕ちて行く」
とか歌ってるのはわかるのだが、ナレーションがわからん。

きょうは8曲目の「サクリファイス」の歌詞を聞いてみた。
以外とよくわかったが、最後の方がよくわからない。
しかし、これが先日歌詞を見つけた「笛吹き男とパレード」の中の
「喩えば妹を犠牲にされた姉」らしいことに気づいた。

「喩えば歪んだ真珠の乙女」というのは4曲目の「バロック」のことだ。
そうすると、
「喩えば箱舟を信じた少女」
「喩えば収穫を誤った娘」
「喩えば星屑に踊らされた女」
も他の歌の中にいることになるから、しっかり聞いてみなくては。。。

この楽園物語が解明できたころには、飽きちゃってるだろうな。。。
いや、わからないまま飽きちゃうかも。。





2008年04月12日(土) 休日出勤

今週初めの入学式も始業式ももう1カ月前のことのように思われるほど
忙しい、いろんなことをしなきゃいけない1週間で、
仕事山積みのまま週末を迎えてしまった。
来週も図書館オリエンテーションもあるし、忙しいのは見えている。

とにかく膨大な採点と、週初めの授業の準備だけはしておかなきゃと、
きょうは朝から出勤する予定だったが、起きたら9時半。。
10時半に職場に着いて3時近くまでがんばったけれど、
採点さえまだ終わらず、、、苛酷。。

明日も行かにゃならんとは、、、(>_<)



2008年04月10日(木) 権力乱用、とな。。

まだ木曜日。。。
今週は長いわ、、疲れたー。。。

昨日は国会で熱気ある党首討論が展開されたそうだ。
のらりくらりの福田翁が目覚めたそうだ。
逆質問の応酬もあったそうだ。

何と、権力乱用のプロ集団の長が民主党を「権力乱用」と批判したそうだ。
毎日jp より。

 福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表による今国会初めての党首討論が9日行われた。首相は、前財務省財務官の渡辺博史・一橋大大学院教授を日銀副総裁に充てる人事案が民主党などの反対で不同意となったことを「権力の乱用だ」と批判。小沢氏は「(日銀幹部が)大蔵(財務)省のポストという形になっていることは、もう改めなきゃいけない」と反論した。

 首相は日銀人事問題について、小沢氏から質問がないのに「かつて官僚であった者がそのポストにつくのは、そんなに悪いことなのか」と自ら切り出した。「よほど変な人事をしないのであれば、それを認めていただくのが国会の(同意)人事制度だ」と強調した。

 これに対して小沢氏は「必ず財務省がポストを得る既得権益がある。そういう支配の構造を直さないといけない」と指摘。「権力乱用」批判については「去年の(参院)選挙でどういう事態が生じたかの認識がなさ過ぎる」と、首相の「ねじれ国会」に対する認識の甘さを逆に批判した。


民主党に4度不同意されたわけだが、理由はどれも同じである。
「財務官僚でない人を」と最初から言っている。
しかし、福田翁は、それに耳を貸さず、財務官僚を候補者に挙げた。
最初から、財務官僚なら不同意、とわかっていながら、である。
そして、4回も不同意したお前は、権力乱用だ、と罵るわけである。

まったくひどい論理であるが、福田翁も必死のようだ。
きっと官僚側からも恐ろしいほどの圧力がかかっているのだろう。

権力乱用は自民党のお家芸である。
権力乱用を当然の権利として何十年も暴虐の限りを尽くして来た立場だと、
自分たちに逆らって邪魔をするヤツは権力乱用に見えるらしい。
自民党の恐ろしい体質が、より深まって見えてきた。



2008年04月08日(火) 歌詞見つけた

サウンド・ホライズンの歌、なかなか聞き取れないので検索してみた。
長い物語だし、、
特にナレーションが聞きとりにくい(音楽の方が大きかったりして)。
なかなか見つからなかったけど。。。
「楽園」の中の曲では、「エルの天秤」と「笛吹き男とパレード」だけ。
ちょっと研究材料に。。。


   エルの天秤

(殺人…窃盗…誘拐…密売…)

悪魔に魂を売り渡すかのように 金になることなら何でもやった
問うべきは手段ではない その男にとって目的こそが全て
切実な現実 彼には金が必要だった

傾き続けてゆく天秤 その左皿が沈みきる前に
力づくでも浮き上がらせるだけの金が 右皿には必要だった…
そして…その夜も天秤は仮面を躍らせる

  闇を纏うように 夜の静寂(しじま)を探り
  瞳(め)と瞳(め)を見つめ合って
  夢想的(ロマンティック)な月灯りに
  そっと唇重ね 息を潜めた

  慌しく通り過ぎる 追っ手達を遣り過ごし
  手と手を取り合って
  戯曲的(ドラマティック)な逃避行に
  酔った二つの人生(いのち)愛に捧げた

  さよなら−−−(権力の走狗共には便利なカード)
  さよなら−−−−−-(娘を売れば至尊への椅子は買える)

  身分違いの恋 許されないと知っても
  ♂(お)と♀(め)は惹かれ合った
  嗜虐的(サディスティック)な貴族主義を
  蹴って檻を抜け出す 嗚呼それは悲劇

  運命の遊戯盤(ボード)の上で
  支配力を求めて 生と死は奪い合った
  徹底的(ドラスティック)な追悼劇を
  笑う事こそ人生 嗚呼むしろ喜劇

  さよなら−−−(コインで雇った者が裏切る世の中)
  さよなら−−−−−ー(他人ならば不条理と責めるは惨め)

楽園への旅路 自由への船出
逃走の果てに辿りついた岸辺
船頭に扮した男が指を鳴らすと
黒衣の影が船を取り囲んだ

     『帰りの船賃でしたら御心配なく
      既に充分過ぎるほど頂いておりますので
      けれども彼はここでさよなら…残念だったねぇ…』

  娘さえ無事に戻るならば それで良い
  使用人(おとこ)の方など殺(ばら)しても構わんわ
  一度も眼を合わせずに伯爵はそう言った
  金貨(コイン)の詰まった袋が 机(テーブル)叩いた

  いつも人間(ひと)は何も知らない方が
  幸福(しあわせ)だろうに
  けれど他人(ひと)を求める限り
  全てを知りたがる 何故破滅へと歩みだす?

華やかな婚礼 幸せな花嫁
運命の女神はどんな脚本(シナリオ)を好むのか
虚飾の婚礼 消えた花嫁
破滅の女神はどんな綻びも見逃さない

嗚呼、、、燃えるように背中が熱い
その男が伸ばした手の先には何かが刺さっていた
嗚呼、、、緋く染まった手を見つめながら
仮面の男は緩やかに崩れ落ちてゆく
嗚呼、、、その背後には娘が立っていた
凄まじい形相で地に臥せた男を凝視していた
嗚呼、、、一歩後ずさり何か叫びながら
深まりゆく闇の彼方へ走り去ってゆく

徐々に薄れゆく意識の水底で 錆び付いた鍵を掴もうと足掻き続ける
扉は目の前にある 急がなければ もうすぐ もうすぐ約束した娘の…



    笛吹き男とパレード
   

そのパレードは何処からやって来たのだろうか…

嗚呼…そのパレードは何処までも続いてゆく…

(タリリラッターラララ…)

『おお友よ、罪も無き囚人達よ!
我等はこの世界という鎖から解き放たれた!
来る者は拒まないが去る者は決して赦さない!
黄昏の葬列…楽園パレードへようこそ…』

  パレードは何処までも続いてゆく  世界の果てを目指して
  先頭で仮面の男が笛を吹く  沈む夕陽に背を向けて
  ララ パレードは何処までも続いてゆく  世界の果てを目指して
  男の肩に座った少女が歌う  その笛の音に合わせて

  心に深い傷を負った者にとって  抗えない魔性の音…

『やぁ友よ、幸薄き隣人達よ!
我等はこの世界という鎖から解き放たれた!
来る者は拒まないが去る者は決して赦さない!
仮初めの終焉…楽園パレードへようこそ…』

  パレードは何処までも続いてゆく  世界の果てを目指して
  燃えるような紅い髪の女が踊る  沈む夕陽を背に受けて
  ララ パレードは何処までも続いてゆく  世界の果てを目指して
  《気味が悪い》(グロイ)首吊り道化師(ピエロ)の
  刺青(タトゥー)が笑う  あの笛の音に合わせて

  心に深い闇を飼った者にとって
  逆らえない魔性の音…

  笛の音に誘われ  一人また一人列に並んでゆく
  やがてそのパレードは  夕陽を遮って地平線を埋め尽くす…

   (ララーラララ ララララ…)

喩えば箱舟を信じた少女…
喩えば歪んだ真珠の乙女…
喩えば収穫を誤った娘…
喩えば妹を犠牲にされた姉…
喩えば星屑に踊らされた女…
誰も仮面の男ABYSSからは逃げられない…

『御機嫌よう!可哀想なお嬢さん…
楽園パレードへようこそ…』

  笛の音を操って  一人また一人列に加えてゆく
  やがてそのパレードは  夕陽を裏切って地平線を灼き尽くす……

嗚呼…そのパレードは何処までも続いてゆく…

そのパレードは何処へ向かってゆくのだろうか…







2008年04月07日(月) メタボ検診って?

職場の定期検診があって、X線撮ったり血を採られたり血圧計ったり、、
の後で、心電図の前に、「お腹のまわり計りますから〜」
あぁ、そーいえば、メタボ検診なんてのが始まるって言ってたな。。。

意味あるんかいな、これ、と、計ってもらった直後に思った。
ズボンのサイズでだいたいわかるじゃん。
それに基準の寸法よりも、やっぱり見た目の方が大事なのでは?

何か、すごいお金をかけてるようなんですけど、、、

莫大な負担増



2008年04月06日(日) チンドンコンクール??

TVのニュースを見てたら、きょうから3日間に渡り、
富山で「全国チンドンコンクール」なるものが開催され、
全国から300人ものチンドンマン(屋 じゃないみたいだ)が集まる、、
と、TVでは言っていたのだが、検索してみたら、
プロ、アマ合わせて150人くらいとも書いてある。
このサイトが詳しいみたい。。。

それにしても、いったいどこに生息しているのだろう?
もう四半世紀もお目にかかってない気がするが。。。
いったいどんなところで仕事しているのだろう?
伝統的な商店街はさびれ、代わった大ショッピングモールなど、
チンドンマンのお世話になろうという気はさらさらないように見えるが。。
アマチュアのチンドンマンがあるというのも、初耳で不思議だ。

子供のころに見た断片的な記憶の映像と絡まって
不思議なタイムスリップ感覚。。。



2008年04月05日(土) 555億円の埋蔵金

朝刊の7面のそう大きくない記事だったので見落とす恐れもあった。
呆れた。
財源がないのをどうしてくれるんだ、と福田翁は言うが、
貧しい庶民から搾り取ることばっかり考えてないで、
身近なところからちゃんとお金の使い道を考えろ、ってんだ。
庶民いじめの福田内閣ってレッテル貼ってやるぞ。


     道路財源支出先50法人、555億円ため込む 

 道路特定財源からまとまった収入を得ていた国土交通省所管の50公益法人が、余剰資金にあたる内部留保を06年度末時点で合計約555億円ためていたことが分かった。50法人にはすべて国交省OBが天下っており、このうち27法人は国が定めた上限を超えてカネをため込んでいた。

 50法人はそれぞれ、ガソリン税など道路特定財源を原資とする道路整備特別会計から、06年度に500万円以上の収入を得ていた。道路特定財源からの06年度の収入額の合計は673億円。事業に必要な額よりも多くのカネが法人に流れ込んだことで、膨大な内部留保が生じていた。

 内部留保は毎年度の利益の積み上げで、民間企業は事業拡大資金などに使う。しかし、公益法人は利益追求が目的ではないため、国は年間予算額に対する内部留保額の割合を「原則30%以下」としている。国交省によると27法人の内部留保が国の基準を超え、基準を超えてため込んだ額は計124億円に達した。

 50法人には、06年4月時点で国交省のOBが計1264人、役職員として天下っている。こうした役員の多くは、年間の上限報酬が1500万〜1800万円だった。

 道路財源の使い方について見直しを進めている国交省は、50法人を数年内に半減する方針だ。限度額を超えた内部留保の扱いについては、国庫へ返還させる方向で調整している。



新聞記事に私が希望するのは、勉強不足の庶民にもわかるように
問題はここにあると明示するような書き方をしてほしいということだが、
何か資料提示だけで、問題点をぼかしたような書き方である。
要するにこういうこと?

国交省の天下り役員の多い法人に莫大な道路財源が流れ、
天下りに高額報酬を支払い続け、さまざまな無駄遣いをしたにもかかわらず
なお555億円ものカネが余っていることがわかった。


> 50法人を数年内に半減する方針だ。

つまり、半分は要らない法人だったことになり、
要らない法人にカネを垂れ流していたということだ。

> 限度額を超えた内部留保の扱いについては、
> 国庫へ返還させる方向で調整している。

なーにが「調整」だ!
去年のうちに返してないなら犯罪だ!

一昨年度決算のはずなのに、今ごろ明るみになるのも不思議だ。

政府は暫定税率維持を叫ぶ前に、埋蔵金発掘を徹底すべし!


毎日jp が対策案をより詳しく伝えてくれていた。

与党のプロジェクトチーム(座長・佐田玄一郎前行革担当相=自民)は同日、必要以上の内部留保を国庫に返還させることなどを柱とした改革案をまとめており、公益法人の「埋蔵金」が、国庫に戻る可能性が出てきた。

(中略)
与党プロジェクトチーム(PT)は、基準を超える額に加え、基準以内でも不要なものは返還させるとしている。

 PTはこのほか、
(1)道路特定財源から50法人への支出(約670億円)を半減する
(2)競争性のある入札方式を増やし随意契約を減らす
(3)常勤役員数と役員報酬を削減する
ことも求めた。
やむを得ず随意契約を結ぶ場合も「(随意契約を結ぶ)対象法人の数を10団体未満に抑える」(佐田座長)という。

 50公益法人のあり方をめぐっては、国交省の改革本部も法人数の半減などを打ち出しており、最終報告を今月中にまとめる方針。佐田座長は「国交省案が不十分な場合はさらに意見を申し上げる」と述べた。



2008年04月04日(金) 疲れた〜!!

朝職員室に入り、いつものようにまずコーヒーを入れようかと、
電動ミルに豆を入れたところで、ふと思い直した。
午前中はぜんぜん飲んでる暇ないかもしれない。。。
それで入れるのをやめたのだが、実際それ以上だった。

まず、体育館に放送の用意に行ったら、開いてない。
鍵を取りに行ったら、いつものところにいつもの鍵がない。
やっと体育科をつかまえて、新しい鍵の保管方法を聞いて、、、
これだけでもうかなり時間を費やし、歩いている。。。
放送準備をして、今度は教室へ、それから清掃。
それから離任式なので、指導部長と校舎見回りと施錠をして、
体育館へ行って今度は放送室の仕事。
離任式が終わったので、諸連絡のあいだに、新任を連れて、
いろいろ説明をしながら、校舎の開錠に回った。
それから生徒の下足箱の移動の監督。
それからまた体育館に戻って、入学式の準備の仕上げ作業。。。

2時まで昼食にありつけず、今朝ミルに入れた豆もその時に挽いて使った。
朝、風邪薬を飲んでおこうと思いながら、つい忘れてしまったので、
それもあってか、なかなかつらい半日だった。

体調不良もあって億劫ながら出かけた歓送迎会は、
お開きの直後にさっさとエレベーターに乗って帰ってきた。
へたにだらだらおしゃべりにつき合っていると、
夜中までまずい酒につき合う流れになる恐れがある。

各駅の電車に乗ったら、次の駅で座れて、あっという間に眠ったような、、
ピシッと腿を叩かれたような感覚でふと目を覚ますとおおぜい降りるので、
どこの駅かよくわからないまま降りてみたら、
「高山線のりかえ」という標示が見えて、岐阜だとわかった。
あぶないところだった。
まったく意識不明状態だったのに、あの衝撃は何だったんだろう?
パスの中では、空席を見つけても座らないようにした。



2008年04月02日(水) 風邪ひいた?

午前中、どうも調子が悪かった。
やけに寒さが身にしみるし、気持ち悪いし、額も熱いような、、、
家の体温計が壊れたと聞いていたので、薬局に大液晶のを買いに行って、
計ってみたら、意外や意外、、、平熱。。。
二日酔いかぁ? 昨夜そんなに飲んだっけ??

いかにも二日酔いらしく、昼前にはかなり体調も落ち着いた。
しかし、肩まわりは痛いし、喉もちょっと痛いような。。。

そんな体調不良に抵抗しながら、朝から夕方まで、
新年度早々のテスト作りに取り組んだ。
結局作りきれずに帰ってきた。
ホント時間かかるわ、国語の試験は。。。



2008年04月01日(火) もうガソリン値下げ?

昨日までに仕入れたガソリンには暫定税がまだくっついているのに、
きょうから値下げに踏み切ったガソリンスタンドが多々あるそうだ。
もちろん、損覚悟である。
なぜそうまでしなきゃならないのか理解しかねるのだが、
我々にはわからない商売人たちの苦労があるのだろう。

福田翁たちは、暫定税廃止にまつわるさまざまな混乱の責任を、
民主党や野党の悪行であるかのように主張するのに躍起である。

しかし、それは福田翁たちの責任である。
暫定税なるものは、本来昨日でなくなるのが当然の税だったのに、
維持を前提にさまざまな予算を組んで来たのは、
強行採決や強引採決に慣れっこになってしまった彼らの驕りである。

そして、彼らは、昨夜からの庶民の行動も心に刻むべきだろう。
夜中でも、ガソリンスタンドに車が殺到した。
いったん寝たけど、起きて駆けつけました、という人もいる。
夜中にガソリンスタンドに車が並んだのだ。
1リットルたった25円安いだけのガソリンのために。。。
朝5時に開店して昼前に売り切れたスタンドもあるそうだ。
もちろん、早々に値下げして自腹を切った店だけの話である。

運転手つきの車で優雅に通勤する与党議員にはわからない切実さ。。。
もしわかれば、搾り取った税金を無駄遣いを許すはずがない。

福田翁は必死だが、何のために必死なのだろう。
官僚たちの甘い汁を守るため?
税金をばらまけば自分たち一派に莫大な献金を寄せてくれる組織のため?

そうじゃないんだったら、ちゃんと説明しろ!
国民の生活の、こういうところをよくするためにこれだけ必要だから、
これだけの税金を納めてください、と。
庶民にも納得が行くように、安いスタンドに並ぶのがアホらしいくらいに
ちゃんと説明してみろ!!
それが国家の指導者の仕事だろ!

そんな観点がまったく欠落してるから、脅しのような演説にしかならないし
具体的な説明などまったくできない。
お前らは身分上は公僕だけど、実質は私僕だ!!
自分たちのことしか考えてない! 失格!!


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