TENSEI塵語

2008年03月30日(日) ホントに腹立つなぁ〜

 福田首相は29日、内閣記者会のインタビューに応じ、4月1日の失効が確実となったガソリン税などの暫定税率について、地方自治体の財政や環境問題への影響を理由に、「今の税率水準は維持しなければいけない」と語った。政府・与党は4月末にも、衆院で再議決して暫定税率を復活させる構えだが、首相の発言は、首相が一般財源化を約束した09年度以降も、暫定税率を含む課税水準は維持すべきだとの考えを示したものだ。

 暫定税率撤廃の影響については「年間で2.6兆円の税収不足、消費税で言えば1%に該当する。地方では財源不足が生じ、地方経済が停滞してしまう」と強調。暫定税率の即時撤廃を求める民主党を「地方の声を無視」していると批判。


こんないい加減な!!!
無駄遣いをなくした後の、どういう用途のためにどれだけ必要だから、
暫定税率がどれだけ必要かを語るべきだろう。
「地方では財源不足」って、期限切れの暫定税を予算に組み込む方が
どうかしてるんでは??
ないのが前提で、あるのが前提じゃないんだよ。
頭おかしいんじゃないの? 耄碌爺さんたちよ。

福田翁の脅しに、誘拐犯の身代金に似たものを感じたのは私だけ?


 首相は衆院の解散・総選挙については、景気が「踊り場」にあり、経済・金融情勢が不安定だとして「そういうこと(解散)よりも国民が安心して暮らせるように将来へのしっかりとした方向性を示す必要がある。その一つが社会保障の議論だ」と述べ、早期解散に否定的な考えを示した。
 衆院での3分の2の議席を保つため、与党内に解散を先延ばしすべきだとの声があることについては「あくまでも政治情勢だ」と語った。


さっさと解散総選挙して、衆院の議席を3分の2未満にしないと、
あんたらは真剣な議論をしないでしょうが!!!
再議決なんてものは、強行採決、独裁政治と一緒!!
せっかくのねじれ国会の意味も半減。
政治を無意味に空転させてる元凶はお前らだ。


 中国チベット自治区などでの騒乱については「声高に批判したり、オリンピックと関連させることをうんぬんすることが、今の段階で適当か、よく考えなければいけない」と冷静に対応する考えを強調した。

まだ考えてない証拠だ。
あの人権蹂躙を野放しにしておけるってことは、
戦後日本の首相・与党として失格だ。
戦前の日本を反省する憲法の精神が微塵もない!
耄碌爺ぃたちは、もうさっさと野に下れぃ!!



2008年03月29日(土) 小松亮太「コラボレーションズ」

最近、何気なくふと気づくと心の中に流れていたり口ずさんだりしてるのが
亮太くんのアルバム「コラボレーションズ」の中の『土手と君と』。
アルバムの1曲目だが、山口智子の朗読入りヴァージョンも9曲目にある。
懐かしいような切ないような温かいような味わいで、
最初聴いたときはそれほど印象に残らなかったのだが、
何度も聞いているうちに自然と心の中に住みついてしまったのだろう。

このアルバムがいつものと違っているのは、多彩な趣向である。

2、3曲目は小曽根真のピアノとの共演というか競演というか、
たいへん緊迫した、いつもの小気味よいリズムのタンゴ。
これはいつものアルバムと同様の楽しみだ。

4曲目はチャーリー・コーセイの歌で『下弦の月』。
「モノノ怪」というアニメの主題歌らしいが、実に入念な演奏である。
歌のバックでバンドネオンが始終めまぐるしく動いているし、
間奏が実に念入りに作られているのも、聞くたびに驚きである。

5曲目はジェイク・シマブクロのウクレレとの『星と友情』。
ここまで緊迫した演奏が続いて来て、しばし心の休息といった感じ。
安らぐ。。。

すると一転、6曲目で渋い曲調になり、寺田恵子の歌で『揺監歌』。
ザ・・ザ・・ザ・、ザ・・ザ・・ザ・、、、というリズムが
この曲では格別に心の高揚を促している。
途中で竹内まりやの「駅」に酷似した一節があるのがちょっと気になるが、
私好みの情緒であることは言うまでもない。

7曲目の笹子重治のギターとの『テキーラ・トリステ』は、
いたって脳天気な明るさで始まるが、
バンドネオンの奏でるアドリブ風のメロディーはほのかな哀調を帯びている。
ギターがあまり活躍しないのが残念だ。

8曲目の『海神礼讃』の共演者は、何と和太鼓の林英哲。
タンゴ奏者と和太鼓奏者の共演である。
その先入観を取っ払って贔屓目で聞いてみても、
どうしてもちょっとちぐはぐなぎごちなさを感じてしまうのだが、
ついつい聞かされてしまうのは、和太鼓演奏のおもしろさだろうか。
メロディーの裏に流れている細かいオブリガードも味わい深い。



2008年03月28日(金) 福田翁のやけくそ提案

福田翁が譲歩案を示したことに対し、各紙は概ね好意的である。
毎日の社説から一部引用すると、、、

 暫定税率の期限切れが目前に迫った揮発油税(ガソリン税)などの取り扱いについて、福田康夫首相が27日、緊急記者会見し、道路特定財源を09年度に廃止して一般財源化するとの新たな方針を表明した。

 あまりに遅すぎた提案ではある。しかし、提案の内容自体はおおむね妥当なものだと考える。民主党はあくまでも暫定税率の即時廃止を求める構えだが、ここは前向きに協議に応じる時である。

 新提案は道路特定財源廃止の時期を明示したほか、(1)道路整備中期計画は期間を10年から5年に短縮して新たに策定する(2)暫定税率分も含めた税率は、環境問題や道路整備の必要性、財政状況を踏まえて検討する−−などの内容だ。

 一般財源化した後の使い道などは与野党協議会を設置し、決定する提案を盛り込むと同時に、仮に与野党協議がまとまらなくても、政府・与党として実現を図る方針も表明した。

 毎日新聞はこれまで再三、一般財源化を最優先するよう主張してきた。その点からすれば、ごく当然の提案であり、どうしてもっと早い段階で決断できなかったのかと思うほどだ。また新提案はガソリン税を将来、環境税や炭素税などへ衣替えすることも視野に入れたものだ。これも方向性として評価していい。

 対する民主党は一般財源化は評価する一方で、暫定税率の即時廃止と一般財源化はセットだとの考えを変えていない。



民主党も、他の野党も議論には応じるべきだと、私は思う。

しかし私は福田翁のこの提案が、そのまま暫定税維持になるとは思わない。
寧ろ反対に、道路のために現在徴収しているだけのお金は要らないことを、
明言した、と受け取るべきである。

徴収だけはしておいて、使い道はこれから見直す、なんて信用できない。
今まで、信用できないようなことをいくつもしてきたから、信用できない。
まず見直しなさい。
道路建設に本当に必要なのはどれだけか、ちゃんと与野党で議論する。
環境のために、どんな用途でどれだけ使うか、ちゃんと与野党で議論する。
福祉のために、どんな用途でどれだけ使うか、ちゃんと与野党で議論する。
そういうことを時間をかけてでもちゃんとやってもらう。
その上で、一般財源をどれだけ切り詰めても足りない分を算出する。

そういうことをきっちりやって、ちゃんと説明するならば、
ガソリン代が高額になっても、泣く泣く政府に協力してあげる。
税金というのは助け合いの精神であって、与党を資するためのものではない。
与党を助けるために税金を納めているのではないのだ。
自民党はこの点について、徹頭徹尾勘違いをしている。
本当に国民の生活にとって必要ならば、払います。
しかし、君たちの政治資金や、天下り官僚のご褒美にはしたくないだけだ。
あるいは役人たちのすぐに飽きる遊び道具を買う資金とかね。。
そんな義理もまったくないし〜。。。

「暫定」税というのは「やむにやまれぬ当面の上乗せ」税じゃないのか?
だったら、一般財源という、先に貯まってしまうお金を、
さまざまな用途に配分するのとはまったく違う意味を持っている。
とりあえず先に取り上げるべき種類のものではないのだ。





2008年03月27日(木) 案外休めぬ春休み

昨日1日会議で閉口したが、去年のを読んでみたら昨日の方が短かった。

一昨日は1日休暇を取っておいて、昼ごろふらっと出かけ、
机の上の片づけをした。
だらしない性格なので、いるようでいらない紙類や
いらないようでいる紙類が無造作に堆積している。
ほとんどが夏休み以降の堆積だが、年度始めのものもある。
その日は3時過ぎにふらっと帰って、夕方少し昼寝ができた。

きょうもその予定だったが、昨日の会議が長かったので事情が変わり、
朝からきっちり出かけた。
机の周囲や机の下に無造作に貯まっているものを処分した。
明日の教科会のために、授業配当表を作ってみたが(昨夜も試みている)
1、2年生の授業については割とすんなり決められたが、
3年生の分がなかなか難しくて、いくつも作ってみなければならなかった。
一昨日、新しい教科主任がきょうは休みだと言ってきたので、
代わりに作っておく約束をしたのだった。

昼には帰宅できる予定だったけれど、もうそれだけで昼になった。
まだ、明日の図書部会の準備がある。
昼食に出て、戻って、2時間ほど図書館にこもって資料を作った。
月が変わる1日に、転勤してきた人たちへのオリエンテーションがあるので
その資料づくりもついでに。。。
結局、夕方4時過ぎに1時間だけ休暇をとって帰った。

この3日間休みっぱなしの人もいるし、さらに、
来週の月火水木と休める人もいる。
案外休める人もいれば、案外休めない人もいる。

分掌主任なんて引き受けてしまうと、余計な仕事が増えるわりに、
手当がつくわけでもないし、授業の軽減があるわけでもない。
(手当や軽減があるのは、教務・進路・生徒指導だけだ)
要するに、わざわざ忙しくなるのを覚悟で引き受けざるをえないわけだ。

故橋本氏が、教員の給与を改定するならばと試案を書いていたことがある。
つまりそれは、かなり現状より低い基本給に、
授業1単位につきいくら、この役に就いたらいくら、、、という風に、
こなす仕事や役割別に報酬を上乗せする仕組みである。
現行のものになりつつある能力給なるものは、
管理職の気に入る仕事をしたものだけに恩恵のある能力給なので、
必ずしも公正なものにはならない(寧ろ、たいていは公正でない)。

私は橋本案に1票を投じたが、金額設定や場合設定がかなり難しい。
しかし、暇爺たちと給料や労働条件が同じだというのも腹立たしいし、
学年主任を引き受けた人たちと自分の給料が同じでは申し訳ないと思う。




2008年03月26日(水) ガソリンだけじゃないのに?

ガソリンにかけられている暫定税が期限切れでとりあえず廃止の見込み。。
そうかといって、4月1日から即座に25円安く買えるわけではなく、
3月に仕入れた分にはまだ25円の税金がくっついているそうだから、
実際にガソリンが安くなるには平均して2週間ほどかかるとか。。。

私など、たいていオレンジランプが点いてから給油するので
一度に入れるガソリンは55リットル前後である。
つまり、一度の給油で1300〜1400円納税しているわけだ。
ここ3、4年は省エネ運転を心掛けているので、給油は月2回半くらい?
ざっと2カ月で、この暫定税分だけで7000円。
しかし、これは暫定税率分だけで、実際のガソリン税は53.8円。
同じように計算すると一度の給油で3000円前後。
ざっと2カ月で15000円である。

とにかくすごい金額なのである。
それでも、我々は通勤や買い物に車を使う程度で、
運搬だの訪問だの、車が商売の道具になっている人たちには、
この1リットル25円は我々の想像が及ばないほど重いものだろう。
ガソリン高騰の今なら尚更である。

ま、しばらくは、暫定税のない期間があっていい、というのが庶民感覚だ。
少なくとも、今までに無駄遣いした分くらいは、
ホントは返してくれるのが筋だけれど、せめて免税という形で、
庶民に報いてもらって当然だ。
与党はいろいろな面で困るだろうが、困ればいいのだ。

自民党は、審議に応じない民主党をさまざまに批判するが、
そうして、いかにも「国民」のために必要な税のように宣伝するが、
だいたいにおいて、審議のまな板にのせるのが遅すぎるのだ。
強行採決、強引採決に慣れてしまった驕りのせいであろう。
時間切れを口実に不十分な審議を全部棚上げして、
審議のための最小限の時間は費やしたからこれで十分として強行採決で
しゃんしゃん! というのが彼らの常套手段だったからだ。
だから、ぎりぎりの日程で提案して、煙に巻けば何でも成立した。
卑怯な議論のお手本が国会、という審議を何十年も続けてきたのだ。

この件も、提案が遅すぎた。
(日銀総裁の件も、状況が読めず遅すぎた、だけのことである)

しかしねぇ、きょうのネット上のニュースにこんなのがいくつもあるぞ。


 ガソリン税などの暫定税率を定めたいわゆる“日切れ法案”の成立期限である3月末が迫るなか、石油業界だけでなく、石油化学業界からも悲鳴が上がっている。

 ナフサ(粗製ガソリン)など石化製品の主原料を仕入れる際に課せられている石油石炭税は、2年ごとの租税特別措置により免除されてきたが、法案が成立せずに失効すると、1キロリットル当たり2040円、年間で総額1100億円もの課税コストが発生する。今期の業界の経常利益見込み総額約2700億円の半分近くに上る規模で、原料高とのダブルパンチで業績が大幅に悪化するのは必至。石油化学工業協会は21日の理事会で対応を検討するが、国会混乱のツケを負わされる懸念が出ている。

 ≪「政治の無策」≫

 「石化工業に携わる全国70万人の労働者に、多大な影響を与えることになるだろう」

 石化協の米倉弘昌会長(住友化学社長)は、租税特別措置失効による深刻なダメージを強調。有力国会議員への陳情などを重ねている。

 民主党が暫定税率廃止を主張し、1リットル当たり約25円の値下げを目指しているガソリン税とは異なり、同党もナフサの免税の必要性を認めており、2月29日に参院に独自の租税特別措置法改正案を提出している。

 しかし、日銀総裁人事とガソリン税をめぐる与野党対立で、日切れ法案の参院での審議は空転しており、時間切れによる失効の可能性がある。

 業界幹部は、「与野党が賛成している法案が政治の無策のために通らない」と天を仰ぐ。

 1978年にできた石油石炭税法は、原油や天然ガス、石炭への課税を定めているが、製造業の原料用については2年の無税措置が認められてきた。国内産業の国際競争力の低下への配慮から、ほとんどすべての先進国で原料への免税が適用されている。

 石化メーカーでは好調な輸出に対応するため、軒並みフル生産状態にあり、ナフサタンクなどに備蓄された在庫は2週間分程度。このため、いったん失効した後に4月末に見なし否決規定に基づき、衆院の3分の2の賛成で再成立させても、課税対象期間の仕入れは、避けられない見通しだ。

 ≪結局持ち出し≫

 ナフサの価格は1バレル=100ドルを突破した原油高に引きずられ、今年に入り過去最高値を更新した。石化メーカー各社は大口需要家である自動車や家電メーカーとの間で原料費上昇分を、そのまま製品価格に転嫁する契約を結び、コストアップを吸収できる仕組みとなっており、業績は好調だ。

 しかし、来期以降についての値上げ交渉は難航しており、これまでのように転嫁ができるかは不透明だ。当然、想定外の課税が発生した場合、取引先に税負担分の上乗せを求めるのは難しい状況だ。

 「結局、税負担分はメーカーの持ち出しになる」(業界幹部)のは確実で、収益の圧迫要因となる。



記事はまだまだ続くのだが、要は、
この件は、「ガソリン税の暫定税率維持法案」ではなくて、
数十種類の税制に関わる「租税特別措置法改正案」で、
ガソリンの分は「その他」の一項目に過ぎないのだ。
公益法人優遇の税制改正などというものもあると聞いている。。。
十把ひとからげで論じ、運命を共にさせられるものなのかと疑問が湧く。

しかし我々がこの2カ月ほどニュース等で知らされてきたのは、
道路特定財源の計画の杜撰さと過去の無駄遣いの数々である。
ガソリン税と道路財源についての疑惑はさんざん聞かされ、読まされ、
しっかり見直して、必要性を明らかにしたら必要な分を課税してね、
というところに落ち着いた。

そのひとつだけを取っても、まだまだ審議が必要である。
しかし、その問題の法案には、何十もの税制が関わっているのである。
その中には4月に失効してはいけないものもいくつかあるのかもしれない。

返す返すも、乱暴な政治運営だと痛感せざるを得ない。




2008年03月25日(火) 「嫌われ松子の一生」

映画自体には好感が持てないのだが、
中谷美紀が数々の主演女優賞を得たのは、他と比較しなくても納得する。
ひとつの映画の中で、さまざまな役を演じきっているという感じだ。
とりわけ、晩年の松子の、ぶくぶく太った汚くだらしない姿には、
普段の中谷美紀が片鱗も見られない。

松子の悲惨な生涯を、陰惨にし過ぎないためか、
夢や憧れ(とは裏腹に)を強調したいためか、
映画にはミュージカル的なシーンや、メルヘン調のCGが使われている。
この効果は大きい。
こういう緩和策がなかったら、私は途中で見るのをやめていたかも。。。

とにかく、家を出てからの松子の恋人が、暴力的な小説家とヤクザで、
(優しい床屋さんもいたけれど、これは松子の逮捕であっという間に破局)
血も多く、イライラや身勝手が前面に出て、見ていてつらいのだ。

松子のいい表情は随所に見られる。
元教え子の今ヤクザの龍の出所を、薔薇の花束を手にして待っているところ
よかったなぁ、、、龍はその時は、その献身に耐えられず、殴って去るが、
その後の心の変化によって、松子が、
すべてを許して愛してくれる、自分にとって神だったと告白する。
見ている我々が救われる場面である。

松子の悲劇の始まりは、修学旅行の盗難事件の処理の不手際ではない。
病弱の妹ばかりかわいがられてる、という僻みと孤独感である。
そうでなかったら、辞表を出しても家を飛び出しはしなかったし、
自分を求めてくれる人にならどんな風でもついて行くという、
少々屈折した愛情は持ち得なかっただろう。

そうして、生涯の孤独感と淋しさを、束の間癒しつつ生き続けた。

生き甲斐とか夢とか愛について、いくらか考えさせてくれる映画ではある。



2008年03月24日(月) 「薔薇のない花屋」最終回

先週、うっかり見そびれた。
最初のころも、1回見そびれた。
一応、サイトのあらすじは読んで確認はしたが。。。

いやぁ、最終回泣いてしまったなぁ。。。
隣に美桜も雫もいて、雫の隣に雫の祖父の安西もいて、
喫茶「コロン」のマスターも小野先生も工藤も菱田おばさんも集まった
再開店して1年余の花屋「雫」の狭い居間での英治の誕生パーティー。
英治は、嬉しい涙を禁じ得ない。
人前で涙を見せられずに生き続けてきた英治は退席しようとする。
しかし、美桜は「行かないで」と止める。
「あなたはこの幸福な場所にいるべきなの」

英治の屈折した過去を聞かされてきた我々には、
涙にうろたえる英治を力強く支える美桜が女神に見える。

私は、このドラマは到底泣けない、とずっと思っていた。
一番の要因は、英治役の香取くんのセリフの拙さだ。
このドラマの後のスマスマのビストロで、毎回驚くべきパフォーマンスを
やってのける香取くんだが、どうもシリアスな演技は苦手のようだ。
グズグズグズグズした湿っぽさだけで、その他には何もない。
ほとんど棒読みみたいなもので、説得力なし。
きょうも、冒頭の、雫に本当のとーちゃんじゃないことを電話で告げる時の
セリフまわしに苛立ちを覚えたものだ。
泣けるシーンのはずなのに、これじゃあね、、、って感じだった。

しかし、このラストに近い誕生パーティーのシーンにはやられた。


来週からのこの月9のドラマは、キムタク主演の「Change」だそうだ。
小学校教師が首相になって行くドラマだそうだ。
「政界の常識がわからない」政治家を描くようなことが予告されている。
楽しみだ。
「HERO」のような感動を与えてくれるかもしれない。




2008年03月23日(日) チベット

うーん、、、知らなかったなぁ。。。
チベットは、私が生まれたころは、まだ一国として独立した国だったが、
私が3歳のころに中国の侵攻を受けて、
それ以来、チベット人たちはさんざん迫害を受け続けて、
国土も母国語も民族自体も喪失への一途を歩まされている、ということだ。

きょう私が読んだのは
  超入門 チベット問題
  隠蔽されたチベットの真実

最近の暴動が最初に起きたのは14日ごろだったかな?
中国の武力制圧で何百人ものチベット人が死んでいるが、
世界からの、また国連からの中国への批判がなさ過ぎるじゃないか。
中国のチベットに対する理不尽な侵略と弾圧は、来年で50年目になる。
それまで野放しにされてきたのも不思議だが、
ここへ来て、中国側の行動が妙に擁護されているような印象を受ける。

日本が第二次大戦前に行っていた朝鮮や中国への侵略行為は、
戦争犯罪の一部として断罪された上、
現地の人たちの反日感情を長く引きずった。
韓国や朝鮮からは、今なお反省を促す抗議がしばしば飛んでくる。
(それは、日本の与党が認識不足のせいでもあるが、、)
そんな中国がチベットに対してやっていることは、いったい何なんだ??

北京オリンピックを無事に開催したかったら、チベット人に自由と独立を、
という意味での今回の暴動であるとしても、中国側は文句は言えまい。
平和の祭典であるはずのオリンピック開催国が、
こんな理不尽な武力侵攻を長年続け、
1民族の権利を踏みにじっているようでは困る。
オリンピック開催国の資格などない!! ということだ。



ところできょうは千秋楽。
先場所に続き、横綱相星対決。
理想的な状態にはなってきたけれど、4大関のうちひとりは休場、
3人の大関がそろって8勝7敗というのは淋しいことだ。
把瑠都が12勝3敗で、怪我で休場して以来しばらく下位で彷徨ってたが、
また強さを発揮しつつあるようだ。
今後は大関へと一直線かな、、?
今の角界に欠けているのは「強い大関」だから、把瑠都に期待しよう。

さて、きょうの横綱対決は、白鵬がまわしを取れないまま出て行って、
朝青龍の小手投げにひっくり返され、賜杯を譲る結果に終わった。
残念だ。
先場所のような力の入る相撲を誰もが期待していただろうから、
この、ちょっと安易なあっさりした一番にがっかりした人も多いだろう。
しかし、白鵬が横綱になったおかげで、
千秋楽まで緊迫した賜杯争いが続くのだから、この功績は大きい。



2008年03月22日(土) よくわからん政治屋感覚

道路財源について、与党が修正案を出し、修正協議に向かおうとしている。
これはもちろんいいことだ。
無駄遣いしまくりの道路財源だったことが次々明らかになってるんだから、
国民に頭を下げて詫びを入れて、譲歩すべきだろう。
今までの無駄遣いの弁償もしてほしいところだが、、、何せ、
その無駄遣いのおかげで潤った方々や政党がいるわけだから。。。

それにしても、福田翁のこの言い草は何だろう??

「廃止すれば2兆6千億円ものお金が予算から消えてしまう。
 国民生活に大きな影響を与えかねないことを私たちはしたくない」

え??? どんな影響があるんスか???
どんな影響があるのか、ちゃんと教えてほしいものである。
道路特定財源がたとえ0になったって、国民全体はそう困らないと思うが。

道路建設に携わる庶民は仕事がなくなって困る人もあるかもしれない。
それにしたって、不要な道路を税金でむりやり作るのはダメなんだから、
必要な道路を作るためのお金は、既存の税金でも捻出できるでしょ?
政党交付金なんてムダな用途をやめて、まず300億円余。
それから、官僚の天下り先のさまざまな団体への法外な補助金を整理すれば
かなりの額が捻出できるはずである。

さて、与党の修正案をまとめると、だいたいこんな話になる。
道路特定財源は一般財源化の方向で見直すし、
道路整備計画も見直すから、とにかく暫定税率はこのまま維持してくれぃ。

民主党は、とりあえず暫定税率廃止が入ってないから、
修正協議には応じられない、という立場を取っているそうだ。

私は、暫定税率を廃止してくれ、とは思ってない。
必要な税金は納めます、無駄遣いはやめてください、
我々国民生活がよくなるように使ってください、というだけのことである。
そういう立場から見ると、実に乱暴な修正案だと思う。

暫定税というのは、一般税ではまかなえない、どうしても足りない、
必要な道路建設のためにどうしてもこれだけの費用が必要だ、
そのために、これからx年間のためにy円を調達しなければならない、
そうして生まれたのではないのか?
最初の計画が終わった時点で、白紙になるのが当然ではないのか?
そうだとしたら、今ごろ議論しつつ右往左往しているのがおかしいのだ。
もし、どうしても必要で継続すべきものだったら、
しっかり計画内容を吟味した上で、半年も前に決着しておくべきだ。

税率だけしっかり維持することだけを主張して、
道路にどれだけ使うか、教育や福祉や環境のためにどれだけ使うか、
それを明示しないで後回し、なんてのもおかしな修正案だ。
私が毎日読んでいる朝日の論調は、暫定税維持、一般財源化のようだが、
それも実に乱暴な意見だ。
一般財源でも今までどれだけ無駄遣いされてきたことか。。。

4月からの暫定税はいったん諦めてもらって、
ちゃんと、本当に必要な道路建設の整理・計画をしてもらい、
その他、一般税をどれだけ切り詰めてもなしえない必要経費を算出し、
ガソリンだの何だのに暫定税を付加してもらう分には差し支えない。
日本社会をよくするための納税には我々は文句は言わない。
しかし、政治屋たちの利害のための納税はイヤである。

ところが、地方自治体の首長たちが暫定税維持を求めて訴えているそうだ。
何でも、もうそれを見込んで予算編成しているとか、、?

国政与党も、知事たちもおかしいんじゃないの?
暫定税の維持が承認される前から、それを見込んだ予算編成なんて。。。

我々公務員末端部分は、そんな安易な計画はできない。
4月になると、また予算枠が減りました、と言われながら、
気を遣いつつ予算請求をする。
予算振り分けの責任者は、請求者のそれぞれと折衝しながら予算を決める。
我々は、生徒のためにこういう設備も入れたい、ああいう設備も入れたい、
と願いながらも、それを切り詰めたり断念したりしながら、
とにかく、予算編成が確定するまで、それを使うことができない。
本当はもっと必要だと思っても上から下りてこないものはどうしようもない。
自腹を切るしかない場合もある。。。

まだ認められていない収入をあてにするなんてとんでもないことだ。
もらえると思って計画していたんだぞ、なんて我々には言えない、
しかし、与党や知事たちには言えるそうだ。

しかも、道路に関してはあれだけ一生懸命訴えてくれる知事たちや首相も、
教育のための予算については、「ないんだからしょうがない」だもんな。

どう考えてもろくな奴らじゃない。



2008年03月21日(金) 金田一耕助シリーズ

一昨日の夜「女王蜂」を見て、
昨日の午前中に「病院坂の首縊りの家」を見て、
昨夜「獄門島」を見て、今夜「悪魔の手鞠唄」を見て、
これで、旧作の「犬神家の一族」を除けば、
市川昆&石坂浩二の金田一耕助シリーズを全部見直し終わったことになる。
これはここ20年ほどの間に時折湧いていた願いでもあった。

どれも哀しい話である。
とても殺人など似合わないような上品な女性たちが連続殺人を犯す。
理不尽な過去を背負っているがゆえに、そうせざるをえない。
法によって裁くのは残酷だ、と思わされる。
警察とか探偵とかは、そういう意味では冷酷な存在だとも思わされる。
それほど、彼女らに同情しないでいられなくなるのだ。

幸い、彼女らは逮捕され護送されたりはしない。
警察や探偵の虚を衝いて、自ら命を絶つ道を貫くからだ。
それがせめてもの、哀しい救いだ。

横溝ミステリーのもうひとつの特徴は、家系と出生の秘密である。
これが、どうしようもない逃れられない業というものを描き出す。
彼の作品を読み漁っていたころは、こういう因縁に縛られた運命に、
ドロドロした恐怖感を感じさせられたものだった。

市川昆が映像化したものは映像美が優って、そういう点が緩和されている。



2008年03月20日(木) サウンド・ホライズン

昨夜iTune store で「楽園への前奏曲」というアルバムを見つけたので
DLして聞いてみたら、驚くべき企画のアルバムだった。

曲はソフトなロック系が多いが、いろいろなジャンルの混合と言える。
クラッシック音楽の手法も含まれている。
全体が組曲である(こういうのはピンクフロイドの「狂気」以来だ)。
しかも、一連の物語のように構成されているようだ。
8曲それぞれにタイトルはついているが、1曲が単純にはできていない。
普通の歌のような、1番〜2番〜後半のリフレインの形式ではない。
詞の内容に従って自在に音楽が変化する。
ナレーションや擬音が実に音楽的に入って来る。
軽い音楽だけれど、言葉と音の総合芸術的な音楽で、ドラマチックである。
言葉をしっかり聞きとらなくても、ドラマチックな音楽を感じさせる。

かなりハイセンスな若者集団という印象で、つい聴き入ってしまった。
「楽園幻想物語」というアルバムもDLして聞いてみた。
きょうは、もうひとつ置いてあった「少年は剣を・・・」というEP盤も
DLして、今それを聞きながら書いているところだ。

5〜6名のグループを想像したが、そうではないらしい。
ググルってみたら
サウンド・クリエイターRevo が主宰するアーティスト集団となっていた。
必要なアーティストをその都度集めて編成するのだそうだ。

聴くことの楽しみがまた増えたわけだけれど、
このユニットの音楽がワンパターンに陥らないことを祈る。



2008年03月19日(水) 映画「女王蜂」

きょうの入試合格発表準備で今年度の仕事が全部終わった。
校務委員などやっていると年間かなりの時間的負担があるのだが、
その代わり、これから悩ましい指導要録は書かなくてもよい。
今後予定されているいくつかの仕事は来年度に向けての仕事である。

やっとこさ気楽な夜である。
昨夜同様、市吹で練習する曲を探さねばならないのだが、
ここのところなかなか見られないでいたDVDを見ることにした。

先月の13日に市川昆監督逝去の報が流れた夜、思わず注文したのが、
金田一耕助シリーズのDVDボックスである。
「犬神家の一族」だけは新・旧2作セットを去年買っているが、
このDVDボックスにはその他の4作が入っている。

彼の映画なら好き、というわけではないけれど、
とにかく「木枯らし紋次郎」シリーズと、
この横溝正史シリーズが好きなのだ。
そう美しいとは言えない横溝正史の世界を、美しく描いている。
金田一耕助に石坂浩二を起用したのは、映画を見るまでは大胆過ぎー、と
思ったものだが、実際見てみたらぴったりハマり役だった。
(今、下の検索窓で検索してみたら、去年の7月6日に書いていることの
 繰り返しになってしまいそうなので、この辺にしておこう)

今夜の視聴第1作を「女王蜂」にしたのは、
十何年か前にTVで見たとき、なかなか強い印象を受けたのだけれど、
途中からしか見たことがない記憶のためである。
もちろん、ストーリーも忘れてしまっている。
どの作品もそうだ。
大学時代に横溝正史の原作も読んでいるし、その後映画も見ている。
でも、どんな話だったかはまったく思い出せない。
そういう点ではどれも同じなのだけれど、
まだ途中からしか見ていない、という理由でこれを先にした。

非常に緊迫した展開だった。
そして、人間の性の哀しさがよく現れた物語だった。





2008年03月18日(火) あ〜あ、、、

やっと明日への憂えのない時期に入った。

どのDVDを見ようか、あるいは、どのニュースを素に塵語を書こうか、
迷いながら帰宅後を過ごしたが、結局は、
市吹の新年度の新曲選定のための検討で終わってしまった。

オーボエ奏者が育休中なのが返す返すも残念だ。



2008年03月17日(月) 疲労

定演の後の疲労は快い疲労ではあるけれど、打ち上げで飲み過ぎても、
精神も高ぶっているし余韻にも浸っていたいし、
おまけに昨夜は来週からの楽譜の注文を慌ててしてたし、大相撲も見たし、
とにかく疲れたからといって、さっさと眠って熟睡できるわけじゃない。
その日を終えてしまうのがもったいない気持ちも大きいのだ。

定演翌日は、仕事の支障がなければ、翌日休暇をもらったり、
時間休を取ったりしたこともしばしばだったが、
きょうはそういうわけに行かない、午前中3つも授業はあるし、
追認考査の処理やその会議もしなければならない。
授業の2つは例の自由読書タイムだからそれ自体は楽なのだけれど、
とにかく出勤自体がつらいし、心が仕事モードになりにくい。

結局、きょうやるべきことが片づいた午後3時ごろに休暇をとって、
帰宅して昼寝した。
うとうと程度の2時間ほどの睡眠だったが、楽しかった。

きょうで授業は終了、明日は保健関係・生徒会関係の行事だけで、
(午後に会議があるけれど、、、)明後日は終業式。
やっと一息つける年度末に入った。

何か今年は疲れたなー。。。
3年前、担任で2年生担当だった時とは、同じ2年生担当でも大違い。
休暇もまだいっぱい余っている。
あの年は、ここまでで、次年度に影響しない程度の休暇を使い果たしてた。
今年度はそう簡単には休暇が取れないような日程だった。
ただ、これから指導要録を書かなくてもいい点だけは、3年前より楽だ。
その恩恵だけでも、この1年の多忙を許してやっていい。



2008年03月16日(日) 定演終了

ホント、たいへんな1週間だった。
今年度の大仕事のすべてがこれでやっと終わったのだ。
しかし私には終わったと同時にすべきことがあって、打ち上げから帰って、
来週の練習のために、新しい楽譜を3冊注文した。
漱石の「道草」の、「片づくことなんてありゃしない」をまた実感した。
他の大仕事にしても、4月に入れば何事もなかったように新たに始まるのだ。
ほっとした思いの中で、先日逝ってしまった橋本氏の不在が身にしみる。
まだ信じ切れないでいるし、どうして? という疑問も消えない。



2008年03月15日(土) しあわせになれる壁紙?

友人から「壁紙にするとしあわせになれるらしい」と送られてきたメールの
添付写真を開いてみたら、黄色い背景に黄色い衣装の美輪明宏。。。

「しあわせになるために、
 ケータイ開くたびにこのじーさんの顔見なきゃいかんの?
 試練?(笑)」

と返信したら、
「高校生の間で流行ってるらしいから学校での話の種にどうかな」
という返信。。。

かなり意外で、ちょっとおもしろくなって、ググルってみたら、
いろんな記事が検索された。

最初に始めたのがクリープのメーカーだそうだ。
CMで採用していたころに、壁紙の配布をしたそうだ。
高校生でなく、OLの間で流行ってるという記事もあった。

こんな日記もあって、私と同類なので笑ってしまった。

なんだか、いま流行っているらしい。
スピリチュアルが好きって知っている人から、話題の写真をいただいたので
携帯の壁紙にしてみた。
携帯を見るたびに、美輪さんと目があって、結構つらい。
本当に幸せがくると思っている人は愉快だな。
明日、写真をくれた人と会うからそれまでは壁紙にする予定だけど、
ギブアップ気味です。



そりゃあね、菜々子さまだったらケータイ開くたびにしあわせだけど、、、
ケータイ開くたびにつらい思いするんだったら、
宝くじで即座に1億円か3億円当たってくれるんじゃなきゃ割が合わない。



2008年03月14日(金) 通夜

明日の葬儀に出るのがいいのだろうけれど、
明日は午後から定演の準備に出かけなきゃいけないこともあり、
(しかも準備だけでなく、開演前余興演奏の初の合わせもあるらしい)
たいへん慌ただしい。
何とかきょうの通夜に行っておきたいものだ、と思うのだが、
きょうは午前中は高校入試の面接試験、午後は選抜の会議と作業で、
何時に終わるかわからない。。。

幸い、会議は案外順調に進行し、作業もひょっとしたら4時半に終わるかも
というペースで進行していった。
ところが、どうも教務主任も教頭も、早く終わっては恥みたいな感覚で、
あらゆる場面でやたらと時間を引き延ばし、
できるだけめんどうな点検作業をつけ加えているように見える。
最後の約40分は、こんなに人数がいてもしょうがないのに、
おおぜいに無駄な時間を過ごさせてちんたらちんたらやっている。

それでも何とか5時10分の勤務時間終了と同時に終わったので、
大急ぎで帰宅し、着替えて、通夜の会場に向かった。
通夜に間に合うのにぎりぎりの時間である。
結局、もう少しで会場につく直前に渋滞に遭い、
しかも、駐車場が満車で駅のタワー駐車場に回らされたため、
15分遅刻してやっと会場に入った。

涙をこらえ、目を潤ませずにいられない参列というのは、
20何年か前の、大学時代に家庭教師で教えていた教え子の葬儀以来だ。
というより、この2回だけである。

彼の名前の前には、小さめの字で「故」とつけられている。
いなくなってしまったことがまだ納得できていない。
あの場所に座っていると、そのことをまざまざと教えられるわけだが、
「故」の字も遺影も読経もその現実をつきつけているにもかかわらず、
それとは裏腹の、まだいるはずだ、の幻想が二重写しになる。

どうして突然逝ってしまわねばならなかったんだ?
せめて、だんだんと逝ってくれれば、
これほどつらい思いをしなくて済んだかもしれないのに。。。

彼の老後のプラン。。。
日本語教師としてしばらく東南アジアのどこかで日本語を教える。
やがて世界放浪の旅に出る。
最期は、モンゴルの荒野で夕日を眺めながら死を迎え、鳥葬。。。

そんなとこで淋しく死なずに、僕らのいるところで死んでよ、と言っても、
笑って否定していた。
墓参りのたびにモンゴルまで行くのはかなわん、と言っても聞かなかった。

何度も語っていた彼の最期の夢はかなわなかった。
あまりに突然に最期がやってきたので、かなわなかった。
あと3年で定年退職、それまでに日本語教師の資格を取る予定だったが、
来年から始めるぞ、と意気揚々だったところに死神が訪れた。

人生のプランなんて、あてにならない。

私など、彼よりうんと不摂生で、体に悪いことばかりしているし、
それを忍耐で改める気力もないだらしない人間だから、
ホントにいつぽっくり逝くかわからない。
停年までムリに勤めるのやめて、早めに退職して、
生活を切り詰めてでも、好きなことやって暮らすかなぁ、と真剣に考えた。



2008年03月13日(木) 友人の急死

帰宅し、夕食後いつものようにネットを始めて、定期訪問先へ、、、
橋本氏の日記を開いたら、なぜか短い、、、と驚くことが書かれていた。


橋本裕の娘です。
父は3月12日23時17分に急性心不全のため急逝しました。
突然のことで私たち家族も悲しみを抑えられません。
父の日記をこんな形で終了させることになってしまいとても悲しいです。
今まで日記やHPを通して父と仲良くさせて頂いて、
本当にありがとうございました。





なかなか内容が飲み込めなかった。
そんなことがあるかっ!! っていう感じである。
何度読み返しても信じられない。。。。


そういえば、今朝、入試の日で早く出なければならなかったので
30分ほど早起きしたのだが、橋本日記の更新はまだだった。
いつも早起きして4時台か5時台に更新している人だから、
おや、今朝は更新が遅いみたいだね、、、と思っていたのだった。
・・・この時にはもういなくなってしまっていたのだ。。。

年明けから、私が「24」を見終わったら貸すことになっていて、
それを楽しみにしていた。
ついでに「ホテリアー」をまた貸して、と言っていた。
去年の秋に貸してあげたばっかりなのに、また、、、
よっぽどヘギョちゃんが気に入ったらしく、これは熱狂的な部類である。
残念ながら、私の方がなかなかうまいこと空かず、
11月の終わりに会ったっきり、会えずじまいになってしまった。


そのうちいつでも会えるから、、、なんて思ってちゃいけないんだなぁ。
そのうちそのうち、、って、会おうと思ったときにはもういない。。。
実際、今月中に、あと数日もしたら会うつもりだったのだ。
橋本氏に限らない、他の友人たちだって。。。

自分だってそうだ。
そのうち暇になったら、あれもやりたいこれもやりたい、、と思ってたって
暇になる前に何が起こるかわからない。
不本意な忙しさにもみくちゃにされて、
何もできないうちに終わってしまうかもしれない。

何だか、とても虚しく淋しい夜である。。。



2008年03月12日(水) 驚いた!

きょうの2時間目は、2年生のあるクラスの現代文の授業で、
学年末考査後は全面的に読書にしていて、きょうはそこでは3回目だった。

教室に入っていくと、何も言わないのに本を用意して読み始めた。
前回も前々回もそうしなさいというような指導はしていない。
出欠を確認して帳簿に記入し終えたころには9割以上が読書に入ってた。
2〜3人がまだ小声で喋っていたが、すぐに読書に入った。

違うがなー。
ここは、教室を回りながら、生徒と少し言葉を交わしながら、
だんだんと読書の態勢に入って行くんだがね。
前任校ではたいていそうだった。

きょうは短縮授業だったので45分弱の時間だったが、
それから私はぜんぜん声を発せずに、自分の読書をした。
声を発したのは、チャイムが鳴り終わった時の「終わります」だけである。
終わりのチャイムが鳴っても、大半が読むのをやめない。

こうして見ると、彼らが読書好きに見えてくるのだが、
図書館利用状況が近年最悪の学年なので、読書を採り入れてみたのだ。

この読書タイムを始める前は大きな不安を抱いていた。
20分以内の読書タイムならまだしも、授業時間全部は長い。
本を用意してくる生徒も半分以下だろうと思っていた。
とにかく、図書管理用だけでなく、国語の授業のようすを見ていても、
読書とは無縁の生徒がほとんどだと思っていたせいでもある。
ところが、2回目以降はほぼ全員が本を自分で用意しているし、
私語を注意する必要はないし、途中で眠りそうになる生徒も稀である。
ちゃんと図書館に本を借りに来た生徒も何人かいたようである。

今までももっと積極的に取り組むべきだったなぁ、と思う。
前任校よりも、読書指導がうんと楽にできるようだし、
目論見どおり、図書館利用の増大にもつながりそうである。

しかし、触発されてやってみた他クラス担当の非常勤講師は、
私語を注意して回ってるうちに1時間終わってしまったと言っているから、
日頃の教科指導の姿勢や、雰囲気づくりも問われるようだ。



2008年03月11日(火) 4月のような、、、

暖かい日になった。
無意識に、目が桜並木に向いた。
もちろん枯れ枝しか見えないが、視線が桜を求めるほど暖かい日だった。
夜になっても暖かさは続いている。

今週は、もう授業の準備にあくせくする必要はなくなり、
いろいろと雑用を片づけているところであるが、
明後日とその翌日は入試の仕事で、たいへん煩わしい週である。

土曜日は定演の準備、日曜日は定演で、
ホントはもうちょっと落ち着いた週を過ごしたいのだがなぁ。。。
その週の幕開けの昨日は、会議で怒ってしまったし。。。


週間天気予報を見ると、金曜に雨が降るらしいが、日曜は晴れるようだ。
しかし、たいてい毎年定演の日は、雨降りか風が強いか、
あまり穏やかな天気の記憶がない。
冷え込む予想でないのがありがたいところだ。

例年、1カ月前に紹介している定演プログラムを、ちょっとわけあって
躊躇していたが、ま、紹介しておこう。
いつもながら、曲目だけは太鼓判を捺せる豪華なものである(笑)
開演1時半。入場無料。
開演前のちょっとした余興演奏にベースギターで参加させられるそうだが、
前日の合わせのでき次第で、私が音楽監督として却下することもあり得る。



【第1部】

1 NHK大河ドラマ「功名が辻」のテーマ     小六禮次郎 作曲
          「風林火山」のテーマ     千住  明 作曲

2 地底都市「カッパドキア」−妖精の宿る不思議な岩−
                         八木澤教司 作曲

3 じんじん(沖縄わらべうたより)        福島 弘和 作曲                                      

4 マゼランの未知なる大陸への挑戦        樽屋 雅徳 作曲                                       


【第2部】                
                     
1 メイク・ハー・マイン             郷間 幹男 編曲

2 ZARDコレクション             金山  徹 編曲
    揺れる想い〜マイフレンド〜負けないで

3 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン       櫛田てつ之扶 編曲

4 ジャパニーズ・グラフィティ 12       星出 尚志 編曲
    銀河鉄道999(TV版)〜宇宙戦艦ヤマト〜銀河鉄道999(劇場版)

5 東京ブギウギ                 遠藤 幸夫 編曲

6 アメリカン・グラフィティ 17        岩井 直溥 編曲
    子供じゃないの〜家へおいでよ〜ミスター・ロンリー
    〜恋はリズムにのせて



2008年03月10日(月) 議論不可

議論の出発点がまったく違うもんだから噛み合わない議論。。。
こうしたい、だけが優先してるもんだから、煙に巻くような論法。。。
愚痴は言うけれど意見は言わない同僚たち。。。
無責任な教科主任たち、、、ま、選ばれた人たちではなくて、
持ち回りでやむを得ずやってる連中だもんなぁ。。。
信念のない奴らは教員やめろ!!

私の方がやめたくなってきた。
ま、いつも早くやめたい、早くやめたいとばっか思ってるけど。。。


教員になって2校目の全日制高校では、横暴な管理職に悩まされたが、
他の職員は聞く耳を持っていたし、
管理職が超横暴だっただけに、却って職員間のつながりがよかった。
組合活動でも、あの地区は創意工夫重視の若々しい雰囲気があった。

ぐっと北上して前任校へ移ったら、妙に年寄り臭かった。
組合活動もぐっと事務的になってしまった。
しかし、その学校の民主的なシステムには驚かされた。
議論はできるし、職員会議での採決もしばしば行われた。
校長がペコペコ頭を下げて職員の意向をねじ曲げることもあった。
「校長先生のご判断」「校長先生のリーダーシップ」なる用語を使って
職員会議で発言する、不思議な教員もここで初めて見た。
この地域の気風なのかなー、、と不思議だった。

校長という最高責任者は、職員の総意を引き受けるのが仕事で、
最高責任者という称号のもとに、自分の好きにできる役職ではない、
というのが私の考えである。
上に立つ者は、辛い立場に身を置くのがあたりまえである。
自分の責任のとりやすい形に歪めて、職員に苦労を強いるのがあたりまえ
と思っている校長は、もうそれだけで校長失格と言わざるをえない。

それでも、前任校では言葉は通じた。
意を尽くして発言する場は与えられたし、理解もしてもらえた。
同じ考え方の人たちの援護発言を期待することもできた。

この学校はダメだ。
異次元の人たちに取り囲まれているかのようだ。
議論すればするほど、こっちの頭がおかしくなりそうになってしまうのだ。

地域性なのかなぁ、、、?
そういえば、軽蔑すべきほとんど無能な組合員に初めて出会って。
もうかなり長い間分会会議に出たくなくなった、、、こんなのも初めて。



2008年03月09日(日) 「ボーン・アルティメイタム」

日中はずっとテスト作り。。。。。。。
単位不認定者の追認考査で、実に余計な仕事、、、なんていうと、
部外者は暴言だと言うだろうが、内部の者にとっては余計な仕事なのだ。
ごくわずかのとんでもない怠け者のための仕事なのだから。。。
並みの怠け者ではなかなか単位不認定には手が届かないものだ。

持ち帰った資料が不足していたので、午前中出校して大まかに作って、
帰宅してから仕上げた。
5時間ほどかかった。
これを踏まえて、明日明後日ともう一人の先生に補充授業をしてもらう。
もちろんそれもホントに余計な仕事なのだ。


夜、やっと時間が空いたので「ボーン・アルティメイタム」を見た。
4カ月前、映画館に見に行きたくて、その前に見るべき第1・2作を
取り寄せて見た、その第3作である。
結局、何やかんや忙しくて映画館には見に行けなかった。

前2作を凌ぐ緊張感で、ほとんど映画に没頭していた。
だれる場面がほとんどない。
売りのカーチェイスは、またかー、、と思われないように、
1つはバイク、もうひとつは過激なバトルに仕上がっていた。

それにしても、権力側の悪人ほどたちの悪いものはないなぁ。。。
自分たちの不正を隠蔽するために、警察を動員して抹殺しようとする。。。
権力側にいる間は、殺人・暗殺さえも合法なのだ。
しかし、ボーンの奔走によって、奴らも刑事罰の対象になった。


きょうから相撲が始まったのを、夜になってから知った。
あ〜あ、また初日を見そこなった。
3大関が敗れ、2横綱は安泰だったそうだ。



2008年03月08日(土) Tシャツ転写用紙

定演のポップスステージ用にパーカッションパートがTシャツを作るそうで
3週間前からあれこれと騒いでいたが、
その中心人物から先週の日曜に妻のところにSOSの電話が入った。
Tシャツ転写用紙の印刷が自分のエプソンのプリンタではできないそうだ。
結局、私のキャノンのプリンタでやることになり、
すぐにデザインのファイルを送ってもらい、用紙も宅急便で送ってもらった。

送られたファイルはエクセルのファイルだった。
翌日用紙も届いたので、試しに1枚だけ印刷してみたが、印刷はできた。
ただ、試しに印刷した「P」の文字が、PC画面では反転してるのに、
印刷して出てきたのは反転してない「P」そのものだったが不思議だった。
図柄の方の反転がなかなかできないので困った。
いろいろ試行錯誤するうちに、いったんその図柄を部品に分けて、
それを再統合したら、全体の反転が可能になった。

用紙の取説によると、24時間以内にアイロン転写をしてほしいそうなので
きょうの昼過ぎにその用紙への印刷を始めた。
それをきょうの練習の際に配って、各自明日の昼過ぎまでに、
配布するTシャツにアイロンで転写する指示を出すことになるそうだ。

画面の絵がちゃんと反転していることを確かめて印刷してみた。
ところが、プリンタから出てくる図柄は反転していない。
何で、、??
いったんデータの図柄を元に戻し、再び反転させて普通紙で印刷確認。
そうすると、ちゃんと反転した図柄が出てくるので、安心して、
用紙を転写用紙に変えて印刷してみると、今度は反転していない。
何で、、??!!

不思議だ、、、エクセルがこんな複雑な動作をするのも、不思議だ。。。

もう不思議でしょうがないが、反転しない状態に戻して、
転写用紙に印刷してみた、、、あれ?? 反転してる。。。

何でこうなるの??? エクセルとこの用紙の相性が悪いのかなぁ。。。

3枚ほど印刷が進んだころに、衝撃的に気づいた。
あっっっっっっっっ!! というほどの衝撃である。
目から鱗が、ぼろっっっっ! と落ちた感じである。

要するに、私が愛用しているこのキャノンのPixus-MP600 は、
用紙設定を「Tシャツ転写用紙」にすると、
自動的にデータの図柄を反転して印刷してくれるわけだ。
何という優秀な機能であろうか。。。

それにしても、思い込みというのは恐ろしい。



2008年03月07日(金) 学校長なるもの

新任が定時制で2年間過ごした後、知多半島の全日制高校に赴任した。
その時の校長は温厚な人で、職員会議でしばしば教育議論をした。
最底辺校から赴任した私はしばしば意見を求められた。
職員会議の後で、いい意見言うねぇ、と何人かの先生に声かけられた。
そういう意識のなかった私は、そう言われるたびにうろたえた。
とにかく、教員になった最初が、非常に荒れた定時制だったので、
(そのために、自殺してしまった同僚1名、辞職した同僚1名、である)
私としてはわけもわからないまま教員生活を送っていたのである。

その学校に赴任して2年目に来た校長は、
2年間学校をぐちゃぐちゃにして退職して去った。
第一教頭は横暴な右翼みたいな奴で、校長とうまく連携していたし、
第二教頭は犬のように従順な奴で、うまく協力していた。

この2年間の体験は大きい。
校長も愚かなことをすることがある、という観念を植えつけてくれた。
愚かな校長判断は次に赴任した前任校でもあった。

私にとって校長判断というのは「絶対」ではない。
これは、会社員が、社長の判断は「絶対」ではないと言うことだから、
人によっては不遜な言説だと思うかもしれない。


きょう、昨日の問題で、校長室を尋ね、空き時間に1時間校長と議論した。
結局、互いが互いに意見を譲らないまま、時間切れに終わった。

校長は言った。
「最高責任者として、一番自分が納得できるところで指示を出した」
だから、内規を無視して、自分なりの意向を押し通すというわけだ。 
けれど、こんなのは、もっとも小心な最高責任者だよなー。。。




2008年03月06日(木) 年寄り集団に囲まれて、、、

今朝の橋本日記から一部引用である。

 先日、精神科医の和田秀樹さんの本を書店で立ち読みした。そこに、「老化は記憶力ばかりではない。その前に、感情の老化がはじまる」と書かれていた。なるほどと思った。
     (中略)
 それではどうしたら、私たちは「感情の老化」をふせいだらよいのだろう。「人は歳月を重ねたから老いるのではない。理想を失うとき老いるのである」とは、アメリカの詩人であるサミエル・ウルマンの言葉だ。彼の言葉はこう続いている。

<七十歳になろうと十六歳であろうと、人間の心の中には驚異に対する憧憬や、星や星のようにきらめく事象や思想に対する驚きや、不屈の闘志や、未知なるものに対する子供のような好奇心や、人生の喜びおよび勝負を求める気持が存在するはずなのだ。大地や人間や神から、美しさ、喜び、勇気、崇高さなどを感じることが出来るかぎり、その人は若いのだ>



きょう、単位認定に関する会議があった。
今の学校で、職員会議で闘うのはたいへんだ。
意見をぜんぜん言わずだんまりを決め込む教員が多いからだ。
雑談ではあれこれ言うが、会議の席、管理職の前では意見を言わない。
つまり、私や他のひとり二人の発言者が間を置いたら、
さっと先に進んで、議事をそのまま認めた、ということになってしまう。

前任校でもその前の学校でも、こうして頑張っていると援護があった。
さらに、管理職や担当だけでなく、あちこちから我々への反論もあった。
今の学校ではどちらからの意見も出ない。
それでいて、事務的手続きについての質問は、些細なことまで次々に出る。
心配性の事務屋の集団に成り下がってしまっている。
教育をどうするかという問題になると、もう議論できない。
他に意見を言ってくれる人はいないから、教頭は言う。
「あなたはそう思うわけですね。ひとつの意見ですね」
確かにそれは私自身の意見だが、同意見の人は他に何人もいる。
しかし、○○さんも△△さんも□□さんも××さんも同意見だ、などと
会議の席でこちらから言うわけにもいかない。

しかし校長のきょうの考えを制度にしてしまうのは許せないのだ。
校長の言い出したことに反対できない、と考えるのは精神の老化現象だ。
今までに誤った判断をごり押しした校長を3、4人見てきている。
ひどい結果になってしまった前例である。
きょうのところは一定のところで引き下がったけれど、まだ諦めない。
校長が提案する理由はよくわかっているので、校長には腹を立ててない。
私の闘いは、その背景にある、現場を忘れた県教委という集団との闘いだ。
現場を忘れ、自己保身に汲々として、教育の指導者を自称している
教育界の諸悪の根源との闘いだ。
私がもっとも腹を立てているのは、現場で苦労しているのに、
県教委の理不尽な「御指導」から来る理不尽な運営方針に、
何でもかんでも従うしかないと首を垂れている教員たちだ。
よぼよぼの奴隷集団だ。

前々任校では教育会の老人によく言われたものだ。
「それは正論だろうけど、、青いなぁ、、、もっと大人にならにゃいかん」
大人になるってのはどういうことだ?
理想を捨てた廃人になれってか? と反論したりもしたものだ。
理想と言っても大したことではない。
今、目の前にいる生徒たちのために一番いいのは何かを考える、
たったそれだけのことだ。
何を教えるべきかを真剣に考え続ける、たったそれだけのことだ。
歳をとり、経験を積めば積むほど、それが見えやすくなる。
教員は、歳をとるほど精神的に若くならなきゃいけないのだ。
「真剣に考えることをやめたら、たとえ20歳でも老人だ」とは、
私の高校時代の日記の一文である。




2008年03月05日(水) 「スーパープリンセスピーチ」DS

・・・なんてゲームを始めてしまった。

いつもと逆で、ピーチ姫がマリオたちを助けに行くことになっている。

スーパーマリオをやり慣れた者にとっては、
少々動きが緩慢だし、ボタン操作が違っていてやりにくい。
やりにくいけれど、やられにくいのはありがたい。
1ステージごとにセーブしてくれているらしいのもありがたい。
かなり優しい作りだ。
最終ボス戦の時でも、ボス戦に至るまでの途中のところがクリアできてれば
ボス戦でやられてやり直しになっても、スキップさせてくれる。

このゲームの1番の特徴は、ピーチ姫の「喜怒哀楽」気分だ。
ゲームは上画面で、ボタン操作によって進行する。
下画面には、ピーチ姫の「喜怒哀楽」がそれぞれハートマークで待機。
「喜ぶ」にタッチすると、ピーチ姫に竜巻が起こる(飛ぶこともできる)
「怒る」にタッチすると、ピーチ姫のまわりに火がつく。
「哀しむ」にタッチすると、ピーチ姫が大泣きして涙を流す。
「楽しむ」にタッチすると、ピーチ姫のHPが回復する。

ピーチ姫の武器はカッサー(傘)で、振って敵キャラを倒すこともできるが
カッサーに敵キャラを食べさせると「喜怒哀楽」ゲージを回復できる。

この程度のゲームでは夢中になれそうにないなぁ、、と思いながらも、
ついつい、6ステージか7ステージか+ボスステージをクリアし、
とりあえず第1エリアを済ませてしまったのだった。
案外気に入ったのかもしれない。。。



2008年03月04日(火) 「デス・ノート」を読み終わって

やっとこさ「デス・ノート」12巻を読み終わった。
Lとライト、さらにLの後継として登場したニアとライトの心理戦が
とにかくおもしろかった。
終盤は少々難解な推理戦になっている。
読み応えのある漫画である。

それにしても考えてしまうなぁ。。。

人を裁けるのは誰か?
神か、人か、法か?

漫画を読みながら(映画の時もそうだったけど)、
数々の殺人事件、特に幼児の殺害事件のことが通奏低音のように、
明確な意識もないままに、ぐるぐると回っていた。

10年近く前に、大阪の池田小学校で20人以上を殺傷(死者8名)した
宅間とかいう犯人は、死刑囚となった。
そりゃあ、死刑で当然だ、とたいていの人は思うだろう。

先日、3、4年前だったか、安城の某ショッピングセンターで
1歳にもならない乳児の頭にナイフを思い切り刺して死なせた
氏家という男の判決が確定した。
求刑は懲役30年、しかし、心神耗弱とか統合失調症とかの診断が加わり、
懲役22年に減刑された。
殺された乳児の両親の思いはどんなものだろうか?

何の罪もない乳児が、有無を言わさず、何の理由もなく殺された。
まだこれから言葉を覚え、歩くことを覚えようとしていた乳児が、
無限の可能性を秘めた人権を、一瞬のうちに奪われた。
犯人にとっては、殺害の対象はその乳児でなくてもよかった。
たまたまその子が目に留まったために、その子が殺されたのである。

こんな極悪な悲劇でも、法はその犯人の命を奪わない。
丁重な扱いである。
人権を無視・軽視して人権を奪ってしまった犯人に対し、
しっかりと人権を擁護する。
精神疾患だとか未成年だとかの理由で、責任能力を疑問視し、
本人がやった罪に比べるときわめて軽い罰で済ませてしまう。
被害者の周辺の人たちからすると、堪らなく口惜しい裁きに違いない。
罪なき者が死に、罪なき者を殺した罪ある者が生きながらえる。。。
これは実に理不尽なことだ。
しかも、精神障害を偽って演じて罪を逃れようとするケースもある。。。

神の裁きだったら、、?
いや、神はたいていどんな時も「沈黙」しているものだ。

デス・ノートの所有者は容赦なく、死をもって裁く。
犯罪者は死から逃れられない。
法による裁判などという悠長な手続きなしに、死刑が待っている。
そう思えば、これから犯行を企てる者にも、
犯行に及べば法的な裁判を待たず死が訪れるという恐怖感がもたらされる。
言い逃れも詐病も何の効果もない。
罪を犯せば、必ず死ぬ、、、という状況ならば、犯罪は抑えられるだろう。

しかし、デス・ノートの所有者も、全能ではない。
実際、計画遂行に邪魔になる人物は犯罪者じゃなくても殺さねばならない。
現行法の下では、デスノートの効果は大量殺人と変わりないのだ。






2008年03月03日(月) 初の読書タイム

試験後に残った授業時間に何をやろうか考えて、現代文は読書にした。
前回のテスト返しの後で、本を持ってくるよう指示しておいた。

今の職場は5年目だが、まだ1度も試みていない。
前任校では、自分のクラスだけで朝の読書を2回ほど期間限定で試み、
その年の学年末の残り時間をすべて読書にし、
以外と苦労なく読書時間を過ごせることがわかり、
しかも、意外とおもしろい、と意外な生徒が読み続ける現場を見て、
本格的に「朝読」を推進し、実現させて、その学校は今も続けている。

今の学校の生徒の方が前任校の生徒よりも物わかりがいいから、
きっとやりやすいだろうとは思いつつも、ためらってしないでいた。
それは、「朝読」自体に理解を示す教員がほとんどいない環境もあるし、
10分や20分ならともかく、50分近く読書だけで過ごさせるのは、
こちらにかなりの緊張を強いられるからである。
前任校で試みたときでも、私語はしないにしても、
多いときで1クラス数名が途中で居眠りするので、何度も起こして回った。
他の30何人かが読書という行為を続けているだけでも大したものだから
数人くらいは放っておけばいいのかもしれないが、
放任しておけば伝染し連鎖する恐れがあるので、監督する必要があるのだ。
下手をすると、半数以上が居眠りタイムになる恐れを抱かねばならない。
それは、読書という授業時間の完全な崩壊だ。

きょうも、さまざまな不安と緊張を心に抱えて教室に向かった。
幸い、そう長々と読書について述べなくてもすんなり読書に入ってくれた。
本を忘れてきた生徒が10人ほどいたけれど、
(図書館で借りることも勧めておいたけど、その後卒業式の予行と
 次の日は卒業式で、図書館はほとんど閉館状態だった)
そういう時のために、あのころ使っていた自由貸し出し本を持って行った。
途中で眠りかけたのはひとりだけで、軽く声をかけたら、
後はずっと本に向かっていた。

それは、予想外の光景だった。
ほとんどの生徒がほとんど姿勢を崩さず本に向かい続けていた。
前任校でも、これほど徹底した40分以上の読書タイムを経験していない。
実際に本を読み続けているのか、それはわからないのだけれど、
とりあえずは、本というものに向かわせるのがこの読書タイムの目的だ。
これがきっかけにならないか、というのが我々の願いである。
放っておいたら、きっかけさえないままに過ぎてしまうかもしれないから。

私も、普段なかなか読み進められないでいた「カラマーゾフの兄弟」の
新訳を、ゆっくり読み進めることができた。
時折生徒のようすを眺めながらも、かなり落ち着いて読むことができた。

きょうのこの1クラスの初回を見る限りでは、前任校よりかなり楽である。
しかしそれはまだわからない。
もう1クラスはタイプがちょっと違うし、どちらもあと3〜4時間ある。
しっかり生徒のようすを見て、これからを考えようと思う。



2008年03月02日(日) 新しい音楽編集

私が中学・高校のころの音楽試聴機器といえば、
LPレコードプレーヤーと、オープンリールのテープレコーダーだった。
最初は、レコードの音や、TVやラジオから出てくる音を
テープレコーダーのマイクから録音していたが、
やがて、直接につないで録音できることを知って、多用した。
もちろん、そうすれば余計な音は入らない上に音質がクリアだったからだ。

今、これから書こうとする内容にとって大事なことは、
その場合でも、録音レベルを自動で調整してくれる機能はなかったので、
自分で調整しなければならなかった。
しかし、そのおかげで、BGMなど作る時は自由がきいた。
フェイドアウトしたりフェイドインしたりは、当然の方法になっていた。
特にオープンリールの場合には、手で回すこともでき、
(2つのリールを同時に同方向に回してやるのだ)
それでも録音されている部分の音が鳴るので、
音の切れ目ぎりぎりのところに次の曲を始めることもできた。

やがて、カセットテープという実に手軽なものができた。
カセットテープレコーダーがラジオに内蔵というものもできたので、
いちいちつながなくても、カセットを放り込んで録音ボタンを押すだけ。。
しかも、小さくて軽い。
しかし、ラジオの音楽を録音すると、録音レベルはオートなので、
音の小さい時には大きく録音され、大音量の時には遠くに引っ込んだりした。
オーケストラの音楽を録音するには、却って困るような録音機能だった。
外部からの音を録音するには、録音レベルを手動でできたので、
BGMを作るのに困りはしなかったが、手回しなどはできない上、
ボタンを押してから動き出すまでのタイミングが微妙で、
曲をつなぐにはかなり不便をした。
音質も、オープンリールのテープの方がよかった。

カセットテープ時代は長かった。
やがて、DATが登場した。
デジタル・オーディオ・テープで、カセットテープよりカセットが小型で、
音質は格段に向上した。
私も、その小型のデッキを10万円ほどで購入し、
主に吹奏楽の練習のために10年ほど愛用した。
使い勝手はカセットテープとほぼ同じだが、
そのために、一般にはあまり普及しなかった。
ほとんど同時にCDが普及し、その録音用としてMDが普及したからである。

MDは、それは便利である。
小型CDが入ったような薄いカセットで持ち運びに便利だ。
しかも機械に入れてしまえば、操作はCDと同じで、
テープのように巻き戻したり早送りしたりする手間がない。
音質もCDとほとんど変わらない。

そうこうしているうちに、私の音楽試聴環境も、
CDとMDとPC、それにiPod が主になった。
生録音に使っているのは、SDカードに記録するタイプのものである。

しかし、最近困っていたのは、CDとMDとPCでは、
録音には困らないけれど、音量の調節ができないことだ。
つまり、フェイドイン・フェイドアウトができないことだ。
このために、時折頭を抱えるはめになる。
また、曲の途中で切ってつなぎたい時もあるのだが、
そういうこともたいへん困難なことになってしまった。
便利でいい時代にはなったが、却って不便なことも生じているわけだ。

先日、Peak というソフトを入手した。
きょうそれを使って、今度の定演で使おうと考えた、
もと歌紹介のためのCDを作った。
1曲をそう長く流すわけにはいかないので、長くとも40秒以内で、
フェイドアウトしてカットしなければならなかった。

このソフトに演奏のファイルを読み込むと、波形でデータが現れるので
マウスによる場所(または範囲)指定とボタン操作で加工できる。
例えば、この後は不要という部分をドラッグして範囲を指定し、
「カット」のボタンを押せば、まず曲が短くなる。
そのカットしたところから数秒前までを範囲指定して、
「フェイドアウト」ボタンを押せば滑らかなフェイドアウトで曲が終わる。
この滑らかさは、嘗て手動でやっていたのとは格段に違うし、
こちらがぜんぜん苦心しなくて済む点でも、遙かに優れている。

きょう使った機能はそれだけだが、それだけでも本当にありがたい。
他にもいろいろなことができるようだ。
コピー&ペーストもできるそうだから、
つないだり挿入したりもできるのだろう。
つまり、市販の演奏でも長くしたり短くしたりできるわけだ。
すごくおもしろいことになってきたように思う。



2008年03月01日(土) あまりに非道い強引採決

昨夜、ガソリン税の暫定税率延長などを盛り込んだ税制改正関連法案が
与党の強行採決されたそうだ。
とてもまだ採決できる段階ではない。
今回ほど、国会でその案の基盤がぼろぼろ崩れた例も珍しいほどだ。
はっきりさせるべきことがどんどん増えて行く一方だったし、
採決前に、本当にこの案のままでいいのか検討する必要も出てきた。

しかし自民党からすれば、もともと国民のために道路作るわけじゃないし、
これ以上審議を続ければ、ますますボロやほころびが出るばかりだし、
首相は「審議は十分」と言ったけれど、本音は、
「これ以上審議するのはもう堪らん」というわけだろう。

予算案は、憲法の規定で、参院に送られてから30日で
参院で議決されなくても自然成立することになっているそうだ。
そういえば、毎日の報道は暫定税率関係のことばかりで、
予算案で何が焦点となりどんな審議が為されたのか、聞いてない気がする。
税制法案の方はまったく審議不足で強引な議決が行われたが、
こっちは十分審議されたのだろうか?

昨夜の強引採決によって明らかになったのは、
自民党は、税金の無駄遣いを改めようという気持ちがまったくないことだ。
福田翁は所信表明で「国民目線」ということをくどいほど強調したが、
大嘘つきだということも(わかっていたけど)暴露した。
彼らにとって、税金と献金はほとんど区別がないのではないだろうか?

参院で、道路財源について徹底的にやってくれ。
次の選挙で庶民が自民党を総すかんするように。。。


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