TENSEI塵語

2008年02月29日(金) 大きな区切りだ

今朝、寝坊した。
目覚まし時計のセットをしていなかった。
妻も目覚まし時計のセットをしていなかった。
妻が驚いて起きる声が聞こえて、慌てて目を覚ますと、7時35分。
いつも出る時間だ。
大急ぎで用意して、7時50分ごろ発進。
毎朝長い渋滞になるところで、素直に渋滞の列に加わるのをやめて、
邪道の割り込み車線を使わせてもらって時間短縮に努め、
何とか始業の5分前に着くことができた。

きょうは卒業式なので、授業はないが、
採点をちょくちょくしながら、放送機器の点検。。。
何とか卒業式は無難に役目を果たすことができたが、
実は、大変なのはこの後片づけだ。
重いものを何度か運ばなきゃいけない。
やっと一段落して職員室に戻ると、多くはのんびり談笑している。
あっちではまだ働いてる人たちがいるのになぁ。。。
もっともくつろいでいるのは、例のヒマ爺たちだ。

最後の片づけのものを収納してから、ちょっと休憩しようかなと思ったら、
体育館のシート巻きの召集がかかったらしく、何人かが向かっていた。
もちろん、ヒマ爺たち始め何人かは、のんびり昼食をとっている。
やっぱりやるのかー、、、ま、でも、おおぜい向かったみたいだから、
見てるだけで済むかな、と、体育館に行ってみたら、以外にも人手不足。
結局、毎回どおり、腰痛に気遣いながら作業に加わるはめになった。

もうここまででクタクタだが、昼過ぎから入試関係の会議があった。
何と正面に向き合って、先日の疫病神のヒマ爺が座った。
そんなとこに座るなよ(`ε´)
顔見ると睨みそうなので、要項を見るか、目をつぶるしかない。
目をつぶっていると、声は聞こえているけれどウトウト状態に陥る。
このヒマ爺は、会議の最中に、自主的にひとつ簡単な作業をした。
それは確かに、職員にとってちょっと便利になる作業ではあった。
しかし、彼は会議が退屈で、気晴らしにそれをしたに過ぎない。
それでいて、大得意で、自分がいなきゃこの学校は回らない気分である。
会議の後で全員で作業するときにはさぼった。
暇つぶしの仕事が、彼にはきょう最高の仕事なのである。
私が嫌っているヒマ爺たちの特徴はこれである。
普段は徹底的に怠惰を決め込んでいて、何かひとつ仕事をすると、
他の誰よりも奉仕・貢献したような錯覚に陥って悦に入っている。
実に狭小で怠惰な独善家だからである。

それから、クタクタに耐えつつ採点を続けたが、終わらなかった。
結局明日も出校せざるを得ない。
ま、最近の流れで覚悟していたことではあるけれど。。。

しかし、この2カ月の大仕事のいくつかがこれで終わった。
校誌の編集、図書館報の編集、アンサンブルコンテスト県大会、
また、それほどの大仕事ではないけれど、
土曜学習の講師だの、卒業式の放送だの、分掌の反省だの、、、だの、、
何もなくても忙しい業務に付随した仕事も無事に終わった。
ホントに疲れたなぁ、、、としみじみ振り返る。

そうだよ、そうして、あっという間に今年も2カ月が過ぎたと思うのだ。
実際には緊張に満ちた長い2カ月だったのに。。。



2008年02月28日(木) ほとほと呆れる自民党

ほとんど、平日は毎日のように、国会で道路特定財源が叩かれている。
59兆円計画の土台は崩れるばかりで、
明らかにしないと59兆円の財源の多くが無駄遣いになるに決まっている。
まだまだどれだけの財源が必要で、そのためにどれだけの税収が必要か、
ちっともわからない状態なのだが、自民党は明日委員会採決、
今週中に衆院でも採決しようとしている。

バッッッッッカじゃないの、君たちは!!
これだけいろいろ疑われている法案の、賛成に手を上げられるわけ???
とても尋常の神経の持ち主とは思われない。
福田翁など、そのトップレベルの精神異常者としか思われない。
報道陣のマイクに向かってこんなことをのたまった。
「もう十分審議に時間をかけましたからね。もういいんじゃないですか?」
小学校の児童会長でも、こんな愚かなことは言わない。

確かに時間はかけただろう。
そして時間をかければかけるほど、法案の土台が崩れて行くのだ。
庶民は、「で、何で暫定税率維持が必要なの??」と疑問だらけだ。
今のところ、このままの形で賛成票を投じる理由はもうなくなっている。
採決前にしなきゃいけないのは、計画自体の見直しと予算の見直しだ。
国民の中には、なけなしの持ち金の中から納税している人も多いのだよ。
特に、小泉くんの庶民に冷酷な政策後はそういう人が増えているのだよ。
国民のために税金を徴収するのは決して悪いことではないけれど、
自民党の保身や繁栄のために血税を搾り取るのは犯罪に等しいのだよ。
もしも賛成票を投じる議員がいたら、彼は議論とか審議の意味を知らずに
国会議員という立場にいる似非議員だから、即刻クビにしなきゃいけない。



2008年02月27日(水) サラちゃんのニューアルバム

サラちゃんの5年ぶりのアルバム「シンフォニー」が、
日本国内盤発売日のきょう届いた。
待ちに待ったニューアルバムである。

ポケモン主題歌の「いつもあなたのそばに」と、
世界陸上だったかの開会式で歌った「ランニング(ジュピター)は、
すでにiTune Store でダウンロードして何度も聞いている。
「木星」の中間部のメロディーも、こうして聴くと、
また新鮮な美しいメロディーになったなぁ、と感心したものだったが、、、

さっそく聞き始めて、その2曲以外の何曲かに魅せられてしまった。
これからしばらくはカーステレオに突っ込みっ放しになるだろうし、
帰宅後も、この私の右側にあるmac mini からしばしば流れることだろう。



2008年02月26日(火) 「デス・ノート」今、第10巻

なかなか続きを読めずにいた「デス・ノート」を昨夜再び読み始めた。

死んだ探偵Lと同じ施設から出てきたニアの推理がすごい。
まさしく、第2のLだ。
ニアはもうライトがキラだと確信して操作を進めている。
ニアのために自分は1番になれない劣等感から別路線をとるメロもいる。
メロとのノートの争奪戦によって、ライトの父の総一郎は死んだ。
メロを抹殺してノートを奪還する作戦だったが、
日本の警察官としての良心のために、メロを殺せず、自身が撃たれて死んだ。
こういう経緯も映画にはなかったことだ。
ライトの宿敵だったLを死神の手で死なせたものの、
ライトにとっては、そのLが2倍になって帰ってきたようなものだ。

さて、これも映画では省略されていたストーリーだが、
ニアに追いつめられたライトは美沙のノートを魅上照という青年に託す。
友人でも知人でもない、キラ崇拝者として登録していた人物に過ぎない。
その魅上の生い立ちの物語が簡潔に挿入されている。

照は、幼少時から周りをよく観察し、物事をよく考えることができた。
正義感が強く成績も優秀だった照は小学校中学校と常に学級委員を務める。
それは照にとっても勲章であった。
自分の責任を以て、自分のクラスを全校、否、日本一のクラスにするよう
自分に誓い、行動した。
しかし、そこにはその正義感を煙たがる者もいたし、
必ず、悪、敵、が存在した。

(ここで教室内の暴力的ないじめの場面。助けに入る照)
照は悪に立ち向かう。
だが、時には正義が負けているようにも見える。。。
周りの者にもそう見えていただろう。
他の子供の冷ややかな視線すら感じることもあったが、
照は使命感からやめはしなかった。
どんな目に遭おうと、喜びさえ感じていたのだ。
それは、被害者の「ありがとう」の言葉だった。
時には、加害者の子の方が照の執念に負け、
また時には、クラスのほとんどの子を見方につけ、自分の正義を証明した。

しかし、それができたのは小学校まで、、、
中学校になると、照が正義を死守することは難しくなっていく。
悪に立ち向かうと、必ずその悪は照と被害者の両方をターゲットに
してくるのはもちろん、傍観者だった者までもが照の敵となっていく。
加害者が傍観者たちに照や被害者への暴行を強要し、皆が敵になる。
もう照の味方になる者も存在しない。
常に回数などわからぬほど殴られ、時には木に吊され、時には裸にされ、
皆の嘲笑の的にされた。
それでも歯をくいしばり、正義を貫こうとする照ではあったが、
被害者を救うには、加害者たちがこの場から削除されるしかないという
考えに至るようになっていく。

そんな照を、唯一本気で心配してくれたのは、照の母だった。
母を味方と信じる照はすべてを話す。
しかし、母の答えは、
「世の中、すべて自分の思い通りにはいかない。
 照がやられる理由はないのだから、もうやめなさい」だった。
それは照の身を心配しての言葉だったのだが、照にとっては、
「間違っている」
「この親は正義ではない」
「自分が正しい」
この時、照は心の中で、母さえも完全に否定する。。。

そして、奇跡、いや、偶然は起きた。

加害者であった4人が、無免許で車に乗り、暴走したあげく、
壁に激突し、4名全員が死亡。
その無謀な運転に幾名かの一般人が巻き添えとなり、その中の1名が死亡、
それが、照の母親だった。

自分が否定した者の削除が、1度に起きた。
最初は恐ろしかった。心から震え、涙も出た。
しかし、この削除で、喜ぶ者が確実にいるはずなのだ。
被害者であった子は絶対に喜んでいる。
いや、その子だけではない、クラスのほぼ全員が、
心のどこかで喜んではいないか。。。

間違っていなかった。
数日後、そこにあったのは平穏なる教室、清々しい笑顔。。。
この現実を目の当たりにし、照は、
「悪いことをすれば報いがある。
 それでいい、、、そうあるべきだ」と考えるようになる。
そして、
「悪は削除されればいい」
照のその気持ちは強くなっていくのだ。

優秀な成績で、高校・大学と進学していく照。
そこにも必ず、存在価値のない、いや、その存在が害となる悪がいた。
そういう者を見るたびに、照はそれを正そうと努力したが、
成人に近くなるほど、その改心は明らかに望めない。

「改心できない者は、世の中から削除された方がいい」

それが世の中のため。
照の考えは、ますます強固なものになっていく。。。


そして、「悪を裁くことこそが正義」という信念が固まった魅上は、
検事こそ天職と考えて検事となった、、、その時、
キラの犯罪者の征伐が始まったのだ。
魅上は、キラの登場を神の降臨とし、キラを崇めていた。
そして、キラからノートを託され、自身も神になったと信じた。


魅上照の登場で、この物語の問題性が一層深くなったように思う。



2008年02月25日(月) 疲れることばっか

きょうも明日も、しゃあしゃあと休暇を取りまくる人が多いせいで、
人手不足らしくて、2時間とも試験監督が入っている。
こっちは土日ものんびりさせてもらってないんだけどなぁ。。。
どうも、金曜のヒマ爺のさぼりの被害に遭ってから調子狂っている。
あの被害の1時間がそれほど大きいとは思わないけど、
精神面にかなり作用していることは確かだ。

試験監督を終えたら、総務主任に仕事の手伝いを頼まれた。
卒業式の椅子並べの準備の基準ポイント作りである。
ぜんぜん私がやるべき仕事ではないのだが、
他の総務部の人はほとんど休暇だし、この主任はこれで5年のつきあいだが
何かというと私を頼ってくる。
彼は数学の先生だが算数や暗算は苦手だし、
私は数学の大半を忘れてしまったけれど、算数だったらまだ大丈夫である。
この作業には、算数程度の計算力と算段力が必要なので、
非常勤講師の試験問題作りの世話をちょっとしてから手伝いに行った。

行ってみたら、10人ほどの生徒たちともう始めていたけれど、
会場中央がどこかを無視してるから最初からやり直しである。
それから全部指図して、1時間ちょっとかかって基本枠を作った。

体育館に行ったついでに、昨日作ったMDを試聴しようとしたら、
MDプレーヤーは置いてあるものの、電源コードも接続コードもない。
しょうがないから、CDプレーヤーのコードを抜いて挿してみたら
電源は入ったけれど、MDを入れても吐き出されてしまう。
困ったなぁ、、、MDが使えないと厄介なことになるぞ。。。

それから遅めの昼食に出て、銀行にも行って、
試験問題印刷の仕事に入れたのが2時半ごろ。。。
点検したり修正したりにも予想以上に手間取って、
先日の採点の続きに取りかかれたのがやっと4時ごろ。。。
1時間半の振替休暇を取る予定だったのが、まったくそんな状況でない。
結局5時半に出て、酒屋と本屋に寄って7時過ぎに帰宅した。
本屋では目的のものは手に入らなかった。。。

夕食時、朝刊を読んだら、一面の下の方にこんな見出しが、、、

「首相、修正に柔軟姿勢   租税特措法改正案 
 民主に対案提示促す」

中を読むと首相のコメントが引用されている。

「考え方はまとめていただかないと、
 どういう修正をしたらいいのかわからない。
 与党も案を出したけれど、野党の中でまとまらないというのでは困る」

こういうアホが首相をやってるわけだ。
答えは明らかじゃないか。
あれだけ無駄遣いを指摘されたのだから。。。

こう修正するのだよ。
まず、目下計画書に挙げられた中で、実際どれが本当に必要な工事か、
実際どれだけの工事が可能か、それをはっきり割り出す。
それで、実際どれだけの経費が必要かわかるので、税率を決める。
たぶん、通常のガソリン税だけで十分なはずだが、
ホントに足りなければ、多少暫定的に上乗せしてもいいだろう。

とにかく、今までどおりの暫定税率を維持する必要のないことは、
今までの審議を見れば明らかなのに、自民党は、
自分たちの原案どおりに通してもらえるとありがたいと言っている。
それは、引き続き無駄遣いさせてね、とお願いしているようなものだ。
今まで、国民から巻き上げ過ぎたから無駄遣いしてきたのか、
無駄遣いしたいから国民のなけなしの金を搾取してきたのか知らないけど、
とにかく、国民の悲鳴は聞かざることにして、
甘い汁には目のない連中である。
一般人だったら詐欺行為として起訴されると思うんだがなぁ。。。

とにかく、疲れることばっかしだ。



2008年02月24日(日) きょうも仕事三昧

昼寝は1時間ほどできたけど、ほとんど仕事のための休日になった。
まず、試験の解答用紙を作るのに、2時間近く。。。
それから、「蕾」の市吹の練習の録音を聞き比べて、
使うか、使うならどれに決めるか、かなり迷ったがなかなか決まらない。
いっそのこと、ピアノ演奏を使うか、と、
年末にiTune Store でDLしたリラクゼーションピアノの演奏を聞くうち、
卒業式が始まる前の20分ほどのBGMも注文されていたので、
この路線で行こうかな、、と、利用者のランキングの上位のを
いろいろ試聴して、「ハナミズキ」「三日月」「瞳をとじて」「オレンジ」
などをDLして、CDにした。
市吹の練習の録音の「蕾」は、結局、2種類の演奏をMDにダビングした。
トラックの最初に10秒近い空白があるのでそれを省き、
それぞれの演奏を曲全部と前奏抜きのを繰り返す形にダビングした。
どれも、明日体育館で聞いてみて、雰囲気を検討することにした。

なかなか落ち着いて遊べない。

去年は26日に、卒業式のBGM選定をやっていたようだ。
去年は送辞・答辞のBGMを加え、退場の曲を変更したのだった。



2008年02月23日(土) 卒業生への音楽

きょうは日中ずっと市吹関係の仕事。
印刷屋にプログラムの原稿を送ったり、
先週の練習の録音をPCに整理して、聞き直して検討したり。。。

そのついでに、今練習しているコブクロの「蕾」の4種の録音を聞き比べ。

昨日、3年の学年主任が私に向かって、
「卒業式の退場のBGMは『蕾』にしてやって」と言い出した。
(私は卒業式の放送担当で、BGMも選定している)
一部だが、生徒の希望する曲なんだそうだ。

先日、私自身も、今年は「蕾」を流そうかなぁ、と思っていたので驚いた。
しかし、コブクロの歌をそのまま流すわけにはいかない。
シングルCDのカラオケヴァージョンを流す手もあるが、
カラオケヴァージョンは時折メロディーが途切れることがある。
で、団の録音が使えないかと思ったのだ。
しかし、どの録音にも傷がある。
当日欠席で1部のパートが抜けていたり、ドラムが大きすぎたり、
ピッチの崩れているところが露骨だったり。。。
ひとつだけどうにか許容範囲のものを見つけたけれど。。。

前任校の時には、吹奏楽部が生演奏でBGMをやった。
入場のBGMにXJapan の曲を採り入れた。
「Say Anything」「Tears」「Forever Love」、、、などなど。
そのために冬休みは編曲三昧になった。
でも、楽しかったなぁ、あの頃は。。。
退場は毎年、ユーミンの「卒業写真」と
『魔女の宅急便』の「風の丘」に決まっていた。
「風の丘」はキキが新しく住む町を見つけた時に流れる曲なので、
これから新たな生活に入る卒業生たちにふさわしいと考えたのだ。
その演奏のために、市販の楽譜をかなり改変したりもした。
卒業生への愛、というようなものではなく、
BGMというものにこだわる私自身の性癖のためである。

しかし、生演奏なら傷がいくらかあっても許されるけど、
スピーカーから流れる演奏に傷はちょっとまずい。

それで、きょう市吹の練習で、改めて2度録音させてもらった。
ところがやっぱりミスがある。
完璧な演奏なんて、なかなかできないものだ。
どうすっかなぁ。。。
明日、改めていくつか聞き直して考えよう。



2008年02月22日(金) ヒマ爺たち

3学期というのは私にとってはたいへん忙しい。
校誌の編集、図書館報の編集、アンサンブルコンテスト県大会の準備、、、
もちろん授業は相変わらずあるわけだし、
国語の教員ゆえに余分に押しつけられる仕事もある。

せめて図書館報くらいは図書部のメンバーにやってもらおうとしたら、
もう手抜きの天才みたいな人で、生徒に原稿頼んで書いてもらうところは
やってくれたけど、原稿全部こっちに回して添削はさせるわ、
余ったページにはどこかの印刷物をそのまま転用して済ませようとするわ、
まー、とんでもない話で、結局急遽原稿を書かされた。
任せた仕事の大半を戻されたようなものだ。
校誌の校正を頼んだら、1、2ページちょいちょいと見て、あとは無視、
が丸わかりの、めちゃめちゃな手抜き。
そうして、悠然と勤務時間中に新聞読んだり読書したり。。。
仕事頼むと、無言で受け取る、、、読書を邪魔されて心外かのように。。。
どの分掌主任も欲しがらないので3年間引き受けてやったけど、
来年度はもう図書部もクビだ。
3年がまんしてやったから、他の主任たちもわかってくれるだろう。

これは、私より若いヒマヒマおばさんの話だけれど、
きょうは、ヒマヒマ爺さんのせいで、心底怒った!!(`ε´)
ヒマ爺は、少なくとも3人いる。
タイプはそれぞれだが、もう顔見るだけでイライラするやつらだ。

とにかく、大きなものをいくつか請け負っているせいで、
3学期は休日もないし、なかなか学年末考査を作り始められない。
やっと昨日本格的に始めたのだが、1日、空き時間に草稿を作って、
ちょっと早く帰らせてもらって4時間近く頑張ったのだが、
できたのは半分よりもちょっと少なかった。
何とかしてきょう9割方作ってしまって採点もいくらかは進めたかった。
来週の月・火は休暇を取る人が多いらしく、試験監督が詰まっている。
きょうは割り当てどおりに監督に行っても、仕事のできる場所である。
きょうの仕事は試験監督だけでなく、高校入試の受付の仕事もあるから、
時間は貴重である。

ところが、来週の月・火に休暇を取っているヒマ爺が、
学校に電話を入れて欠勤届け、、、私が代わりに行くはめになった。。。
ヒマ爺の今までの行状からして、誰もがズル休み、さぼりと結論する。
アホか、お前は!!
試験期間中に3日も遊びで休むやつがどこにいるんだ。
下手すると、最終日も同じ方法でさぼるかもしれないけど。。。
ま、試験監督しながら居眠りしているのを私は2度目撃しているから、
奴が試験監督に行くより、私が行く方がましかもしれないけど、
時間の惜しい私にとっては実に痛いもので、心底怒ってしまった。
どうして、何でもないのにのんびり寝そべってくつろいでいる奴のために、
時間がなくて困っている私が、時間を切り詰めて働かなきゃいかんのだ!!

このヒマ爺はひどい。
このヒマ爺を副担任として組まされた担任は苦労していた。
他のクラスは副担任が教室に行くことになっている時間にも、
このクラスだけ担任が教室に行かなきゃならなかった。
他のクラス担任が副担任に頼める仕事も、彼は頼めなかった。
幸い、深刻には悩まない人なので、それでも何とかなってきた。
ヒマ爺はよく職員室のソファで眠りこけている。
我々が昼食をとるテーブルの上に足をのせても、全然平気らしい。
軽蔑すべき神経の持ち主である。
または、くだらん長話を大声でしていばっている。
若いころはいっぱしの仕事をしたという本人の話だが、
我々は、わがままで傲慢で怠惰な彼しか目にしていない。
こんな風にしか歳をとれなかったのだから、それが侮蔑すべき点だろう。
それなのに、職員会議や学年会議などで偉そうに訓辞を垂れる。
厚顔無恥としかいいようがない。

イヤな奴とも何とかうまくやっていく、それも給料の一部、と
思っていたが、このヒマ爺はもう許せん!!!!

他にも2人ばかり、我慢できないほどのヒマ爺がいる。
何か大きな機会があれば、この連中のこともここに記録するだろうが、
ホントにもう、さっさと辞めなよ、と喉まで出かかっている。
私は人権擁護派で、不当解雇には断固として抗議行動に参加するが、
超ヒマヒマ自分勝手おばさんやヒマ爺たちまで擁護する気はない。
不当雇用として抗議したいくらいだ。
こんな、口ばっかり達者な屍みたいなやつらに税金注ぎ込まず、
若い教員入れようぜ。



2008年02月21日(木) 保身と隠蔽工作

連ドラの「交渉人」を毎回見てきて、きょうが第7話だった。
毎回、みごとな大どんでん返しの交渉術でも見せてくれるのかと思ったが、
そういうわけではなかった。
それよりも、警視庁内の陰鬱で閉鎖的で自分第一主義的な空気が強調され、
そこに、ねちねちと気味の悪い真利谷や新聞記者が絡んで、
どうもすっきりしない、憂鬱なるドラマが続いていた。
しかし、それなりにやめられないおもしろさで見続けていたわけだが。。。

先週から、5年前のうやむやにされた事件が動き始めた。
玲子の父が殉職した少年グループの立てこもり事件で、
玲子は父の死の真相に疑いを持ち、真実を知りたいと思っていた。
刑務所の真利谷以外の少年グループのメンバーのところに脅迫状が送られ、
ひとりは殺され、ひとりは怯えて自殺を図った。
5年前のあの事件の裏にいったい何があるのか。。。

警視庁は、生命の危険にさらされた彼らの保護をしようともせず、
その事件とは関わらない方針をとる。
玲子は、父が何かの事件の隠蔽を告発しようとしていたので、
立てこもり事件のその機会に、警察側によって殺された、と読んでいる。
一方、脅迫状を送り、ひとりを殺したのは、立てこもり事件とは別で、
少年グループから抜け出そうとしてリンチに遭い、植物人間となり、
最近になって死んでしまった奈津子という女の恋人の復讐であるらしい。
・・・話がややこしくなってきているのだが、
来週の第8話は、もう最終回で、一気に結末に入るそうだ。

それにしてもそら恐ろしくなるのは、保身と組織的隠蔽の風潮である。


自衛隊のイージス艦が漁船の横腹に衝突して、
漁船に乗っていた親子2人が未だに海の中から見つかっていない事件で、
衝突に至る過程の究明が続いている。
今夜までで、その当時は4隻の漁船が漁に向かっており、
3隻は懸命にイージス艦との衝突回避に努め、救われた。
イージス艦の方は、衝突直前まで自動航行を続けていた疑いがある。。。

不思議なのは、防衛省側の会見での調査結果報告がころころ変わること。
しかも小出しにしか報告されない。
我々からすれば、イージス艦の船長を出せ、質問に答えさせろ、と言いたい。
恐らく、防衛省の立場が不利にならないよう、
様子を見ながら報告してるのだろうが、それでは誠実ではない。
せっかく石破防衛相が現地の漁協や家族に謝罪に赴いても、
その謝罪自体も保身術という嘘八百の演技にしかならない。
公の場にイージス艦の長を出して尋問するのが真相解明の近道なのだが、
防衛省はそれをしない、、、これで責任のありかは明らかだ。
大体において、ちっぽけな漁船でさえGPS航行記録を装備しているのに、
兵器である巨大艦が装備していないなんて、嘘に決まってるじゃないか!


報道番組を見ていると、毎晩道路特定財源のおかしな使い道が紹介される。
国会で野党が次々に指摘しているようだ。
首相始め大臣たちは、返答に行き詰まるとたいていこう答える。
「しっかり調査いたしまして、行き過ぎのものがありましたら、廃止、、」
しかし、暫定税維持だけ国会で強引に通してしまったら、
そこで約束した調査も見直しも廃止も尽く反古にしてしまうことは明らか。

国民はもっと怒らねばいけない。
暫定税として納めているのが、1リットルあたり約25円。
40リットル入れたら1000円。
月に4回給油したら4000円。
1年で4万8千円。
10年で48万円だから、20年間に100万円ほど貢いできたわけだ。
ところがその大半は、自民党の票田と献金、官僚の天下りと、
天下りで得た地位で私腹を肥やすために浪費された。
道路特定財源の恩恵を受けた庶民はごくわずかだし、
本当に庶民のためになる道路を作るために必要な財源は、
そんなに必要なかった。
自民党は、自党の既得権と、自党を支えてくれる官僚の既得権のために、
その実態を隠蔽し続けて、国民に多大な負担を強いていたのだ。





2008年02月20日(水) 「デス・ノート」第7巻まで

昨夜は市吹の定演プログラムの原稿の仕上げなどしていたのだが、
その後「デス・ノート」を読み耽って、塵語を書くのを忘れて寝た。
今夜で第7巻を終わった。
Lもワタリも死んでしまった。
しかし、Lの出身施設から第2のLと、それに対立する悪役も登場した。
ますます話が複雑になってきた。

映画を先に見てしまったので、映画との比較をしながら読み続ける。
原作コミックのおもしろさは、Lの緻密な推理とライトの駆け引きにある。
映画では、Lの独白はないので、推理の流れは発言時に限られている。
しかしコミックでは、Lの内面での推理が細かく語られる。
もちろん、ライトの内面での推理も細かく語られる。
このLはとても魅力的だ。
Lが死んでしまって、読んでいる者の心に空虚が訪れるほどだ。



2008年02月18日(月) 忙しかったー(T_T)

きょうは推薦入試日。
入試選抜委員に入ってるもんだから、それだけ拘束時間が長いのに、
校誌の校正もしなきゃならず、授業で配るプリント作りも。。。
夜は、「薔薇のない花屋」もニュース番組「ZERO」も見たけど、
市吹の練習日誌に時間を費やし、某音楽家にメールを送った。
身ひとつでは、あるいは1日24時間では、つらいわ。。。



2008年02月17日(日) 降雪予報期待外れ

きょうは市吹の1日練習で、もう足腰くたくた。。。
夜も家でいろんなことがあり、あたふたあたふた。。。
明日はちょっと早く出勤しなきゃならないのでもう寝なければ。。。

昨日の天気予報は、晴れのち雪。
夕方からびしばし降るかと思ってたら、まったくその気配なく、
夜わずかにちらついたかと思うとすぐにやんだりして、
夜中にもそう降った形跡なく、屋根や金華山が薄化粧、それだけ。。
きょうの天気予報は、晴れ時々雪。
天気予報は嘘つかなかったけれど、時々かすかにちらついただけ。
白銀の世界はまたお預けだ。



2008年02月16日(土) 社会科

昨日の朝日夕刊の素粒子。。。

太平洋戦争を知らないのにも呆れるが、
イラクの場所がわからないのもなぁ、、、学ぶにしかず。
高校の世界史日本史地理は必修が筋。


ま、世界史をちゃんと勉強すればイラクの位置を知らんということは
ないだろうから、無理に地理を必修にすることはないと思うけれど、
世界史と日本史は必修ですよ。
神奈川県教委の判断は正しい。
どうして現指導要領は、世界史のみ必修にしているのか不思議だ。

ちなみに私は、日本史は明治時代(本心は第二次大戦時)から、
世界史はフランス革命前から歴史を教えて欲しいと思う。
今の社会がどのような経緯で成り立っているか、その観点で教えてほしい。
歴史を学ぶのは現代を学ぶためだからだ。
近代以降の流れが、歴史教育の基本だ。
その上で、さらにその過去をさまざまな観点で分析していく。。。

社会科の教員にしばしば提案もしたのだが、返ってくる答えはいつも同じ。
「模擬テストの範囲に合わないから、、」
しかし、生徒たちの現実からかけ離れた別世界を何ヶ月も学ばせるうちに
生徒たちのほとんどは歴史に対する興味を失ってしまう。
近代あたりまで来たころには、授業の残り時間も少なく端折ってしまうし
生徒たちも、何のために歴史を学んでいるのかわからなくなっている。
早い話が、歴史も、テストのためだけに学ぶものでしかなくなってしまう。

現指導要領では、高校1年でまず「現代社会」を学び、
あとの2年間で「世界史」は必修、他にもう1科目を学ぶことになっている。
私の考えは違う。
1年生でまず「日本史」。
2年生で「世界史」。
それから、政経・倫理・思想史を含む「現代社会」。

こんな些細な点でも、指導要領の作者たちと意見を異にしてきたのだ。
そして更に、現場の実態を知らない脳天気なお歴々の作る指導要領は悲惨!
机上でこねこねしてるだけなんだもんね。。。

一昨日発表された新学習指導要領も、現場知らずの浅はかなものだ。
肝心なことは何もしないで、机上の論理をこねこねした結果だ。
それについては次回。。。



2008年02月15日(金) 疲れた〜

忙しい4日間だった。
授業なんて行ってる暇ないぞ、と言いたくなるような4日間だった。
しかし、授業は容赦なしに組まれている。
教員の本文は授業なんだから、授業が負担になるほどの雑用を抱えるのは
やはり間違いなんじゃないの?

その一方で、仕事は手抜きしまくりで、
5時になるとさっさとご帰宅なさる人もいる。
毎年、そんな「裕福」な身分に甘んじて、当然としている人もいる。



2008年02月14日(木) 職務怠慢

またまた鳩山法相の失言である。

 鳩山邦夫法相は14日の衆院予算委員会で、12人の被告全員の無罪が確定した鹿児島県議選の公選法違反事件に関し「冤罪(えんざい)と呼ぶべきではない」と発言したことについて、「今後公式の場では一切使わない。被告の方々が不愉快な思いをしたならば、おわびしなければならない」と陳謝した。

 鳩山氏は「寝ないで考えたが、やはり反省しなければならない。辞書を引いたら、ぬれぎぬ、無実の罪と書いてあった」と釈明した。社民党の保坂展人氏の質問に答えた。


失言は確かに失言なのだが、もっと基本的な疑問が湧いてくる。
「辞書を引いたら、ぬれぎぬ、無実の罪と書いてあった」ってねぇ、、、
今ごろ、一般の辞書を引いて、あ、こういう意味か、、、じゃないでしょ?
法的にはこういう意味だ、と、いつ尋ねられても自信をもって答える、
その立場でしょ?
しかも、法が適正に執行されているかどうか監督する立場なんだから、
「こういう冤罪が起こらないように」と叱咤する立場なんじゃないの?
勉強不足な上に、自分の仕事が何なのかもぜんぜんわかってない。
今後は「冤罪」という言葉を「使わない」ってのも幼稚な発言だ。


以前、死刑執行についての失言もあったけれど、あの時も、
なぜそういう制度になっているか、理由を説明すべき立場なのに、
自分の責任を軽くしたいだけのために発言したとしか思えなかった。
あの時も、勉強不足な上に自分の職務を理解していないと思った。

それにしても、彼はおおぜいの検事たちを前に「冤罪でない」発言を
したらしいが、反論する検事たちがいなかったらしいのも不思議だ。
国内有数の明晰な頭脳の持ち主であるはずの検事たちが、
彼の勉強不足の個人的見解に異議を唱えなかったのが不思議だ。
法相が間違ったことを言ったって、それに逆らうことはできない、、かな?
それもまた、職務怠慢である。
「HERO」の久利生検事なら、「冤罪以外の何ものでもありませんよ」と
言うだろう。

鳩山は法相のポストに就いたが、もともとその職についての認識も薄いし、
その職について勉強もしていない。
そして、どこかのおっさんが、喫茶店か飲み屋で思いつきで言うようなこと
を、公の場で堂々と発言しているのだから、ますますたちが悪い。
こういう人事をした首相も、本当に人を見る目がないことを暴露している。
このまま彼を法相として奉らせようとするなら、それも職務怠慢だろう。



2008年02月13日(水) 「デス・ノート」今、第3巻

きょうは1日、空気も冷たく、強い風が吹いていた。
夕方になって風はおさまったが、かなりの冷え込みようだ。
先日土曜日の雪が降った時など、比較にならないほどの冷え込みだ。
これからまた雪が降るのだろうか?

昨夜から「デス・ノート」のコミック原作本を読み始めた。
映画と原作の違いは初っ端から感じられた。
映画では、義憤に駆られる中でデス・ノートを拾うのだが、
原作では、正義とかそういう意識がないうちにまずノートを拾う。
映画ではライトくんは最初から大学生だが、
原作では高校生で、模擬テスト全国1位の受験生である。

映画を先に見た私にとって、もっとも驚いたのは、この第3巻で、
ライトくんは東応大学なる大学を受験して、満点で合格するのだが、
Lも同じく受験して満点で合格、2人揃って入学生代表となり、
それを機にLがライトに近づいてきたことだ。
そして、映画よりも激しい心理戦が展開し始めた。
子どもたちの話によればこのLはやがて死に、第2のLが登場するそうだ。
ますます今後の展開が楽しみだ。
しばらくこの物語から離れられないかもしれない。



2008年02月12日(火) 便利になる道路

先週水曜日の冒頭で話題にした岩戸トンネルが、今朝開通していた。
今まで1車線対向だったトンネルは北向き2車線となり、
新しくできたトンネルが南向き2車線となり、渋滞なし。
開通は3月25日、と工事現場のどこかに書いてあったような気がして、
ずっとそう思っていたが、意外と早い開通に喜んでトンネルに入った。

しかし残念ながら、トンネルを出た後、つまりトンネルの南側の整備は
まだ終わってなくて、1車線に減少するのでそこで渋滞になった。
未完成なのに開通するなよー(`ε´)
帰りも一部2車線だったので喜んでそっちに移ったが、
すぐに車線が閉鎖されていたので、大渋滞になっていた。
閉鎖された車線は舗装工事をしているようだった。
・・・そうか、この旧トンネルの方を改修したかったので、
未完成のまま開通したわけだな。。。
本当に便利になるまでまだしばらくかかりそうだが、
ほんの束の間だったけれど、その便利さを体感できた。

きょうは午後から鶴舞に出張した。
今まで鶴舞に車で行くには、一宮の浅野から名古屋高速に入って南下し、
途中東名阪道に入って楠まで東に走って、名古屋市内に向かった。
料金所は3カ所。
しかし、最近新しいルートが開通した。
東名阪道に入る必要なく、南下し続ければ名古屋環状線に入れる。
料金所は2カ所。
きょう初めてそれを体験したが、名古屋が近くなった。
私は2年間名古屋に住み、名古屋で車の免許を取り、
4年近く名古屋を通り越して稲沢と知多を往復していたから、
この便利さが非常によくわかる。
帰りもそれを味わった。
しかし、残念ながら、岐阜市民の私にとっては、
名古屋高速は便利になっても、それを降りてからが長いのだ。
もうあと4〜5キロでも北へ延ばしてくれるとありがたいんだがなぁ。。。

走りながら、こういう有料道路というのは、
道路特定財源でどう位置づけられているのか、疑問と謎に包まれた。
名古屋高速などは特に、利用料が安くない。
建設には莫大な費用がかかるが、それは利用料で戻ってくるのではないか?
利用料は、補修費と料金所の設備人件費で消えてしまうのだろうか?
そういう明細は国民には何も知らされてないのではないか?
それに、自民党は「厳正な」計算の下に計画し予算を立てているそうだが、
現に利用する住民の欲求をどれだけ調査しているのかもわからない。
我々から税金を巻き上げないと困る、と言いながら、
我々に知らされていないことが多すぎる。



2008年02月11日(月) のんびり曜日

昨夜もその前も、どう眠ったのかよく覚えていない。
飲み過ぎなのだが、塵語を書いている途中で眠った気がして読み返したら、
とりあえず完結して終わったらしいが、うーん、、、これはちとまずい、
というわけで、きょうはその最後の方の書き直しから始まった。

それから、「デス・ノート」の特典映像を見たり、
5週分の市吹の練習日誌を書いたり(もっとも先月のはもう忘れていて、
「すみません、思い出せません」式の弁解ばかりなのだが、、)、
トイレ掃除したり、明朝の資源ゴミ回収の準備をしたり、
過ごしている間は、いったい何やってんだか、、と思うような過ごし方
だったのだが、ま、休日にしかなかなかできないような過ごし方である。
眼鏡屋にもうひとつ眼鏡を作りに(遠近両用)行く予定だったのだが、
出かける気力だけは生まれなかった。

夕食時に、「デス・ノート」の原作を読んだことのある妻子に、
映画と原作の違いを根ほり葉ほり尋ねて、盛り上がった。
私は原作を知らないまま、あれはあれでたいへんいい物語になっていると
思うのだが、妻子も、原作とは違うけれど、原作のゴチャゴチャした所を
すっきりとまとめた点で、あれはあれで上手いと思っているようだ。
(妻子は先日TVで放映されたのを見ている)
思うに、原作のライトくんはもっと冷ややかな人物なのではないか?
娘が原作本を自室から廊下に出しておいてくれる約束をしたのだが、
まだ出してくれていない。

最近頻繁に聞いているCDは亮太くんの新譜「コラボレーションズ」で、
ピアニスト、ギタリスト、ウクレレ奏者、和太鼓奏者、歌手、女優との
共演なのだが、この中の、チャーリー・コーセイとの「下弦の月」に
娘が熱狂しているのを妻から教えられてびっくりした。
「モノノ怪」というアニメのオープニング曲と聞いてさらにびっくりした。
何も知らずに曲から入った者にとっては、想像もしないことである。
何でこれがアニメの音楽なんだ???
改めてCDに付いている冊子を読むと、小さい字でちゃんと書かれていた。

ちなみに、そのアルバムの中の寺田恵子が歌う「揺監歌」は
「火曜サスペンス」のエンディングに似合いそうな歌である。



2008年02月10日(日) 現代のラスコーリニコフ?

映画版の「デス・ノート」を見終わった。
3回に分けて見たけれど、思いがけず、非常に緊迫した4時間半だった。

4年程前からうちの子どもたちがコミックを読みつつよく話題にしていた。
私はほとんどそれを、聞こえていても聞き流していた。
だから、ノートに名前を書いた人物が死ぬ話、としか知らなかった。
どちらかというと、くだらない設定の物語みたいに軽んじていた。

夜神月(やがみライト)は、極悪な殺人犯も裁ききれずに野放しにする
現代の法制度に義憤を覚える。
そんな時、死神リュークが落としたデス・ノートを拾う。
彼は犯罪者を次々にノートに記載して殺していく。
ネット上で「キラ」(Killer のもじりか?)として、
現代の救世主かのように、信者を増やしていく。
確かに、明らかに極悪な殺人犯なのに、精神鑑定などで無罪になる、、、
被害者の家族や近い関係にあった人たちには堪らなく口惜しい事態である。
(しかし、一方で冤罪ということもあるから、微妙な問題だ)
ライトの行為は一見、胸がスカッとするような正義にも見える。
ところが、やがてそれだけでは済まなくなってしまう。
邪魔をしようとする者は、犯罪を阻止する側の人間でさえ
殺さなければならなくなるのだ。
つまり、裁く必要のない人間まで、必要悪として殺してしまう。

物語もおもしろかったのだが、私が見始めてまもなく夢中になったのは、
ライトの陥っていく苦境が、ラスコーリニコフを思い出させたからだ。
ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだのは、浪人生活に入る前、
現役受験で受けた早稲田の合格(実は不合格)通知を待つ間だった。
浪人後、上智に入ってからも、倫理学の講義ではたいてい、
ラスコーリニコフの行為が主要テーマのひとつになっていた。

ラスコーリニコフは高利貸しの老婆を殺す。
それによって救われる人々が大勢いるからだ。
しかし、彼がその場を離れる前に訪れて老婆の死を発見したリザヴェータも
殺してしまう。

「罪と罰」が終始緊迫しているひとつの理由は、
ラスコーリニコフと警官や判事(名前は忘れた。ポルフィーリーだっけ?
検索して調べてもいいのだが、ちょっともう気力がない)の心理戦だが、
この「デス・ノート」では、ライトと探偵「L」の推理・心理戦である。
(しかし、何でライトの敵が、light の頭文字の「L」なんだ?)
また、「罪と罰」を感動のドラマにしているヒロインがソーニャだが、
「デス・ノート」には、ソーニャのような役割のヒロインは登場しない。
この点は、「罪と罰」との大きな違いである。

人は人を裁けるのか、、、本当に難しい問題である。
裁ききれず無罪にして野放しにする一方で、
裁きの功を焦る余りに冤罪という取り返しのつかない罪を犯すこともある。
総理大臣や大統領の政策によって多くの人を死なせても。
我々は彼らを裁くことができない。
それどころか、なぜかそういう場合は英雄的扱いである。

デス・ノートを手にしたライトの功績は、犯罪を減らしたことである。
犯罪を犯せばやがて死が訪れる、その恐怖が犯罪自体を減らすのである。
現行の法では、犯罪は減るどころか増える一方だ。
ライトはデス・ノートによって、悪や不正のない理想社会を夢見た。
その思い自体は正義なのだが、現代の社会では犯罪でしかない。
人が人を裁くことの難しさや複雑さをまた新たに感じさせられたのだった。



2008年02月09日(土) 2年ぶりの積雪

3週間ぶりの休日になるはずだったが、昨夜ふと思いついて、
火曜日の吹連の理事会の資料を準備しに出校した。

11時ごろから静かに細かい雪が降り始めた。
それが、きわめて順調に積もり始めた。
昼間に降り始めた雪が道路にも積もるなんてことはこの辺りでは珍しい。
1時間ほどで校庭には3センチほどの雪が降り積もった。
私が帰路についたのは1時ちょっと前だが、少し気温が上昇したか、
降り積もっていた雪もかなり水っぽくなっていた。
それでも、帰りはずっと雪道を運転しなければならなかった。
名岐バイパスにさえ雪が敷かれていて、橋の上はかなり真っ白だった。
帰宅したころにはまた細かい雪が降りしきって積もり始めていた。

夕方から市吹の練習に行くかどうか、2時ごろには大いに迷っていたが、
昼寝して起きたらもう雪も雨混じりで、道路の雪もとけかけていたので、
練習にも出かけた。
名岐バイパスなど、車の多い道路の雪はもう消えて、
しかもいつもより車の出が少なかったので快適なドライブになった。
夜はもうすっかりやんで、道路の脇には雪が残っているけれど、
車が走るところにはもうぜんぜん雪が残っていなかった。
しかし、我が家の前の道路には一面雪が残っていた。
家並みの北側だし、車の通りも少ないからである。

岐阜よりも三重や名古屋の雪の方が多かったようだ。
ニュースでは、岐阜6センチ、名古屋13センチの積雪で、
高速道路も通行止めになり、セントレアの滑走路も閉鎖されたそうだ。
市吹に向かう途中、東海北陸道と名古屋高速の閉鎖された入り口を見た。



2008年02月08日(金) チョコレートの裏

何にも知らずにチョコレートを優雅なお菓子として40余年間食べていた。

今朝のラジオで、職場に着く直前にレポーターが話していた。
世界のカカオ畑では、子どもたちが苛酷な労働に従事している。
9歳とか12歳とかの子どもたちが1日13時間働いているところもある。
学校に行かせてもらえず、働かされている。
カカオの最大産地コートジボアールでは10何万人の子どもが働き、
その中には、他国から送られてきた奴隷として働く子が1万何千人。。。

驚くべきこの話を、それから1日ずっと忘れていた。
仕事は、考えるべきこともやるべきことも多かったし、
きょういきなり、通夜の手伝いにも行かなきゃならなくなった。

夜になって落ち着いたので、今朝の話を思い出して、ググルってみた。

子どもの奴隷が作るチョコレート

チョコレートと児童労働

こんなこと、想像したこともなかった。
優雅なスイーツどころか、悲劇の上に成り立っている商品ではないか。

しかし、カカオ畑の持ち主を攻めるわけにはいかないようだ。
彼らも苦しい。賃金を払えるほどの収入がないらしい。
問題の根は自由貿易にあるようだ。



2008年02月07日(木) 2人の卒業生の話

今、職場では単位認定に関する内規について議論されているのだが、
これについてここであれこれ書くのはやめておこう。
どの部分が守秘義務に抵触するかわからないから。

こういう問題を考えるたびに、思い出す2人の生徒がいるのだ。

ひとりは、23年前に担任した生徒である。
3年生で卒業前に7科目だか8科目だかが不認定科目になった。
追認考査を受けられる科目数に制限があって、それを遙かに超えていた。
彼ひとりだけ、そのまま留年が決まるはずだった。
ところが校長が、何とか卒業させなきゃいかん、と力説し始めた。
ちょうどそのころに、彼は岐阜県の私大に合格した。
校長はますます留年させないことに固執した。
大学に合格したのに、高校を卒業できないのはおかしい、と言い始めた。

我々は抵抗した。(私も担任ながら抵抗した)
彼は、どれだけ注意しても、授業中に他事をやっているか眠っているか
どちらかで、高校卒業に必要とされている多くの勉強をしていない。
彼の他に、生活指導面で苦労させられる生徒が何人もいたが、
その連中は授業に参加もしていたし、行事になるとリーダー群だった。
しかし彼は学校の教育活動に参加する意思をほとんど見せていなかった。
卒業のための要件に、大学合格という項目はない。
内規はそう簡単に歪められない。

しかし校長は頭を下げて職員にお願いした。
なぜ、あの校長があれほど彼の留年を阻止したのか、わからない。
とにかく、3月1日の卒業式を越えて、3月の中旬まで卒業認定を延ばし、
補充授業や補充課題と追認考査を行ったのである。
そのために担任の私は何度も何度も彼の家を訪れて課題のチェックをした。
通勤だけで片道40キロ以上もある上に、更に遠方に何度も通ったのだ。
課題の消化状況も決して良好ではなかったし、追認試験の結果もいまいち、
しかし、校長の、通したってくれ、で、彼は卒業した。

後日談は悲惨である。
彼は卒業後の第1学期に、その母校の高校1年生の女子生徒をナンパし、
数日間連れ回して学校を休ませ、揚げ句に退学させて同棲し、すぐ捨てた。
そして、その年に大学も退学した。

校長の手厚い温情と我々の苦労はいったい何のためだったか、
非常に考えさせられる一件だった。

もうひとりの卒業生は、私が次に赴任した学校でのことである。
これはもう、授業中眠ってばっかり、で有名な生徒だった。
これも大量の不認定科目を抱え、それでも校長が再追認までお願いし、
我々が会議の採決で否決して留年となった。
そういう民主的なシステムの生きている学校だったのだが、
実は、こういう時に、留年に賛成するのは実につらいものである。

私はこの生徒の留年して居残った4年目だけ教科担任だった。
奴がいるから頼む、と教科内で依頼されたのだった。
眠ってばかりが有名だったが、彼はほとんど眠らずに授業を受けた。
1、2年次に知ってていいはずのこともほとんど知らなかったけれど、
とにかくまじめに授業を受け、どの科目も最底辺でない成績で卒業した。
彼は、年度の月日が進むごとに明るくなった。
彼のために苦労することはなく、困った君は他にいた。

以上、2人の卒業生のことは、教育的配慮って何だろう、と考えるときに、
ふと思い出してしまうのである。
もちろん、難しい問題である。
生徒は人間だから、何がいいか悪いか、一律には語れない。。。



2008年02月06日(水) 道路財源の怪

通勤に使っている鵜飼大橋は、5年前、
私が今の勤務先に転勤になった新学期前に開通したものだ。
通勤に名岐バイパスを使わなきゃならなくなったのだが、
それまでの私は、この名岐バイパスに入るまでの道順が嫌いで、
この道路を避けていた。
ところが、ちょうどタイミング良くこの大がかりな橋ができたおかげで、
名岐バイパスへのもっとも便利なルートになった。
さらに言えば、私の実家に行くにもとても便利になり近くなった。

その代わり、その橋の先にある156号線の岩戸トンネルへの車が集中し、
朝夕はかなりの渋滞になった。
トンネルの方は片側1車線のまま、車が増えたからである。
それでも岐阜市街地を抜けて行くよりは便利で早いので愛用されている。
渋滞があれば、割り込みなどという悪いことを考えるやつも多くなる。
最近はその割り込みもかなり過激になって、
分岐の直前で当然のようにグイッと割り込む車が増えて、とても危ない。
で、今、岩戸トンネルがもうひとつ増設され、
片側2車線の道路も作られつつあり、たぶん3月末には開通しそうである。
ここまで5年かかった。
トンネルが作られつつあることを知ってから3〜4年かかった。

こういう道路は作ってもらってよい。
何も、税金を道路のために使うな、なんてことは言わない。
きょう、宮崎県元タレント知事も、自民党に招かれた席で、
県の道路の惨状を訴えていたが、道路整備も必要である。
地方に行けば行くほど必要である。
(首都に住んでたころは、車なんかい〜らない、と思っていたが、
 こちらで働き始めたら、車なしでは生活できないと思った)

問題は、10年間で59兆円は、本当に要るの?
ガソリンの暫定税はどうしても25円も要るの? ということなのだ。

自民党が59兆円(実は66兆円)を割り出した計画書なるものがあるが、
先日報道ステーションで紹介されたような不要道路もあるようだ。
(この塵語では1月29日付けの記載)
きょうの朝日新聞朝刊には、昨日の国会論戦の記事があり、
例えば、開かずの踏切解消に厳選(40分以上遮断)した
1400カ所について、それがどこなのかは明らかにしないそうだ。
実は、そんなにないんじゃないの? と勘ぐりたくなる。
そういえば、昨日の報道ステーションでの映像で、
民主党議員が「国民が納得して税金払うと思いますか!」と叫んでたなぁ。

きょうの新聞には載ってないのだが、昨日の報道ステーションで、
過去の1年間あたりの工事件数は、自民党の今後の10年計画の十分の一、
つまり計画の1年あたりの件数の十分の一だという。
必要に駆られて暫定税も搾り取っていたのだから懸命に工事していたはずだ
が、今後の計画の十分の一しかなし得てなかったわけだ。

もしこれが本当だとしたら、疑問は大きく2つ湧いてくる。
ひとつは、10年間で59兆円を確保しても
実際には6兆円しか使えないのではないか、ということだ。
余る50余兆円はいったい何に使う気だ? ということにもなる。
もうひとつは、今までも同じだけの財源を確保していたのに、
今後の計画の十分の一しか工事していなかったということは、
50余兆円×4だけの余りが出ていることになるのでは?

税金搾り取って財源を確保したものの、余って困ったらしい形跡は、
膨大な数の宿舎を建てたり、いくら何でも、
カラオケセットだのマッサージチェアだのスポーツ用具はないでしょう?
ひどい使い道である。
納税者をばかにしてるとしか思えない。

先日の朝日の世論調査を見ると、早くも世論は暫定税に甘くなっている。
自民党は、資金源と票田のために暫定税を死守しようとしている、
という点にまず問題意識を据えるべきである。
また、一般財源化や環境税化についての賛成が増えているようだが、
これは「財源はどうするんだ?」の連呼の魔術に踊らされているのだ。
私は、「暫定」税を安易に転用するのには反対である。
あくまでもこれは「暫定」という緊急措置であったはずだ。
それに、いくら一般財源化しても、今のままでは無駄遣いが増えるだけだ。

まず第一に、自民党はいったん与党から退いて、
自民党の既得権的な税金の無駄遣いを一掃することが急務だ。
これでかなりの財源が確保できるはずである。
その上で、福祉・教育・温暖化防止のためにどれだけの財源が必要か、
よく検討して、法人税を上げるなり、消費税を上げるなりすればよい。
我々は、福祉・教育のためなら、納税を厭わない。
そっちをなおざりにし続けるから、増税大反対を唱えなきゃならないのだ。
無駄遣いばっかりしてるくせに、税金払えとは何事だ。
年金さえまともに支給できない国に、何で納税しなきゃいかんのだ。
国民の生活に配慮できない国に、何で納税しなきゃいかんのだ。
徴税する資格のない政府だということを肝に銘じてもらわにゃ困る。

あ、それから、あの、国内で消費していながら消費税が帳消しになる
大企業優遇の理不尽な消費税還付、、、あれも撤廃してね。
「財源はどうするんだ?」は、そういう一切を整理し尽くしてから、
それでも足りない時に問題にしてもらわなければ。。。
「無駄遣い財源どうするんだ?」と言われても困るんだよ、
金持ちのどら息子たちよ。








2008年02月04日(月) 作文攻め

ここ数日、自由に使える時間が少ないのだが、作文攻めである。
校誌の原稿、図書館報の原稿、、、この図書館報の原稿など、
仕事を依頼した図書部の1教諭が、誠実に編集作業をしようとしないので、
生徒の原稿の添削も全部やらされ、大量の原稿を書くはめになった。
大仕事を2つも3つも抱えている中で、これはかなりの負担だった。
その負担に耐えている中で、当の担当者は勤務時間中に新聞読んだり、
読書に興じたり、涼しい顔をしている。

今夜は、進級・卒業に関する内規改訂についての意見書を書いた。
もうホントにアホな提案が次々出るので、休まる暇がない。

きょう、教務主任から、短期間の「朝読」さえ教務部会で却下されたという
報告を聞いた。
私自身は、短期間の「朝読」などそう意義を認めていないのだが、
今後の進展のためのささやかなきっかけにはなりそうな気がしていた。
しかし、教務主任から会議の内容(意見)を聞いていて、
教務部の面々はどれもこれも浅薄なアホばっかりだと思わざるを得なかった。
こんな連中と教育活動を共にしなければならないのは、悲しいことだ。
読書の問題に限らず、生徒の家庭学習を促進するための方策を、
教務部にいながら何一つ提案することのできない無能集団である。
このアホどものために、また作文をしなきゃならんのかな、、、と思う。



2008年02月03日(日) インフルエンザ

昨日は土曜講座のために出校して、昼過ぎまで仕事して帰った。
帰ってから、先週市吹の練習で録音した演奏を聞いて検討していたので、
昼寝は1時間ほどしかできなかった。
夜市吹の練習に行ったら、インフルエンザと風邪の欠席が数名いた。
練習に来た者の中にも、今週始めからダウンして
病み上がりで練習に来ている者が数名いた。
きょうは市吹の1日練習日だったのだが、
昨日は休んできょうマスクをして出てきた者が数名である。
痛々しい雰囲気だが、念のためのマスクで、とりあえず元気だった。

こんな事態は、市吹を振るようになって20年近いが、初めてである。
こんなに何人もが同じ時期に風邪やインフルエンザで倒れたことはない。
もちろん、毎回の練習で10〜30人が欠席する中に、
本物の病欠も多少ながらある。
しかし、これほどの人数がほぼ同時期に病に倒れた例は思い浮かばない。
13、4年前に、定期演奏会当日に、ドラムセット担当者が、
インフルエンザで起き上がれずに出られなかった事件が印象的なほどだ。
あの時は、ドラムセット2人制で、幸いもうひとりのドラマーの現団長が
何とかひとりでこなしてくれたので演奏会が破綻せずに済んだが。。。

今年は、というか、今冬は、インフルエンザ流行警報が早かった。
11月ごろからもう出始めていた。
とりあえず今のところ私は大丈夫である。
毎年、風邪やインフルエンザの巣窟のような学校に勤めていながら、
高熱に苦しむ風邪にもインフルエンザにもなかなか冒されないまま、
春を迎えてしまう。
時には、インフルエンザでも何でもいいから、学校休ませてくれぃ、
ちょっとゆっくり眠らせてくれぃ、と思うこともあるが(今週もそうだ)、
神さまは私を酷使することを選んでくださってるようだ。
もちろん、本当に病に冒されて苦しい思いをするのはいやだ。

38度3分あたりまでの発熱で苦しんだことは何度かある。
しかし、そういう時は、授業や指揮は何とかこなして、
そういう義務が終わってから熱を計るとそうわかって、
帰路の、我が家が近づくに従って体がつらくなり、
帰宅後はもう風邪薬を飲む間ももどかしく、蒲団にくるまるという具合。
この程度だったら、仕事は何とかこなせる可能性はある。
インフルエンザにかかるとどんな感じなのだろうか?

私が一番恐れるのは、ステージ本番に起き上がれなくなることである。
公務の方は、いざというときにはいくらでも代役がいる。
代役というのも変だが、とにかく何とかなる。
しかし、練習を重ねてきた本番ステージとなると、代役は難しい。
まったく不可能とは言わないが、練習の成果はそのまま出ないだろう。

今まで、ステージ本番を迎えるにあたり、
自分の身の上を心配することはほとんどなかった。
緊張感が病もはねのけてしまう、というのが持論で、
大事なときに病に取り憑かれるのは気の緩んでいた証拠とさえ思っていた。
しかし、この冬はさすがに不安にならざるを得ないほど、
インフルエンザが猛威を奮っている印象だ。




2008年02月01日(金) 「平等」という語

忙しい。。。
1日が24時間ばかでは足りないし、1週間が7日ばかでは休めない。
先月の20日は家にこもっていられたけれど、ほとんど仕事していた。
それから休みなし。
明日と明後日も休みなし。
学校の、時間のかかる仕事を抱え込んでいるし、出張もある。

一方で、毎日、空き時間には新聞読んだり読書したりして、
勤務時間が終わったらすぐに帰宅し、休日は完璧に休日、
それでいて、たいへんだ、忙しい、と苦情を言っている人もいる。
その人に尋ねると、家で仕事するなんてことはほとんどないそうだ。

うーーーん、、、?

そういえば、時々痛感することだけれど、
なぜこういう違いが生まれるかというと、
役をいくつも持っている人とひとつしか持っていない人がいて、
それぞれの役や立場ごとに平等に仕事が回ってくるので、
役がひとつしかない人と、5つの役を持っている人とでは、
数倍以上の仕事量の違いができてしまうのだ。
平等な振り分けには容赦がない。
他ではこういう仕事をしているから、これについては軽減、なんてことはない。
とにかく、各部門で平等配分されるからたいへんなことになる。

きょうの「エジソンの母」は、この「平等」の問題を含んでいた。
「平等なのにどうして世の中には金持ちと貧乏人がいるの?」と賢人が問う。

思うに、人間は神や法の前では平等であっても、人の前では平等でない。
                           (つづく)


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