TENSEI塵語

2007年10月31日(水) ちょっとだけ和菓子談義

昨夜はまたついつい宵寝してしまって、不規則な睡眠。。。
宵寝から起きて、ちょっと仕事して、風呂に入って、それからしばらくして
塵語を書いてから再び寝たのだが、書いてる途中から眠くなった。
終わりの方をどう書いたのか思い出せなくて、今読み返してみたら、
失敗だった。
赤福と白い恋人を同列に並べてはいけなかったのに、
なぜこんな蛇足を最後に書いてしまったのだろう、、???
とりあえず、この最後のところだけは書き直した。


そういえば今夜、車の保険屋のおじさんが更新のための判子を貰いに来たが
これが先日済んでいるはずなのに、書類に間違いがあったためで、
貰い直しの二重手間のお詫びらしくて、菓子箱を持ってきた。
孫を駅に迎えに行ったついでに買ってきた、と言っていた。
そんなこといいのにねぇ、、、と、後で袋を見て驚いた。
起き上がり最中、、、? まだあったんだー、、、という驚きでもあり、
私のもっとも苦手なお菓子だという驚きでもあった。
ま、幸い、家族は3人とも最中というものに好感をもっているからいいけど
私は、甘いものがあまり食べられなくなったある時期から恐怖感、、、
中の餡の重量感に比べて、最中という皮はあまりにも儚げなのだ。
最中の食感も、あまりにもパサパサし過ぎていて、つらい。。。
最後に食べた最中は「起き上がり」ではなかったけれど、
3分の1も食べられずに妻にやった覚えがある。

今までで私がもっとも感激した和菓子は、江南大口屋の三喜羅である。
前任校にいた時に、3度ほどおこぼれにあずかった。
中の餡もそんなに甘くなくさっぱりしているが、とにかく、
餡を包んでいる生麩の食感が絶妙である。
餡ものは敬遠ぎみの私でも、これはうまい! と感嘆した。
ある時、試験中の期間か何かで、職員室に残っている教員が少ないときに、
教頭が三喜羅を配っていて、余るからと私のところに2個置いて行った。
ひとつ目は旨かった。
ところが、2つ目を3時間ほど経った夕方に食べたら、表面が乾燥していて
もう何の変哲もない並のお菓子でしかなくなっていた。

今年、20年ぶりか30年ぶりくらいに、柿羊羹を食べる機会があった。
大垣の方に住んでいる人が学校に持ってきて、分けてくれた。
子どものころから何度も食べた印象からして、ご遠慮したい気もしたが、
色も昔より薄く明るい感じだし、懐かしい気持ちも手伝って、食べてみたら
昔にくらべてかなり甘みを抑えた上品な味になっているような気がした。
干し柿がそのまま羊羹になったような、そんな印象はなくなっていた。

葛餅とかわらび餅とかはもちろん、まあ、寒天が最高だな。
つまり、餡なしだと、わりと好きなお菓子はある、、あわ雪とか。。。
みつ豆が大好きだけど、あんみつは敬遠、、、市販のあんみつ買っても、
付属の餡は使わずに捨てて、みつ豆状態で食べる。
饅頭類では、葛饅頭みたいなのは今でも好きだけど、これも餡の味次第。
だから、今一番食べてみたいのが、大垣の水まんじゅうである。
大垣なんて、ふらっと行って来られるほど近い町なのに、
それすら億劫なもんだから、なかなか会いに行けないでいる。

赤福の思い出。。。
大学時代に赤福を一箱もらってしまったことがある。
下宿屋にいたころなので、仲間がいれば分けて食べたはずなのだが、
残念ながらみんな帰省中で、困ってしまった。
しょうがないから酒のつまみにして赤福をいくつも食べなきゃならなかった。
赤福を見ると、むっと胸がつかえるような気がするのは、
この時の〈荒行〉のしこりかもしれない。



2007年10月30日(火) 名物の誇りは?

朝日川柳の一句に、

言われなきゃ今も旨いと食っている

赤福が営業停止になっている間に、観光客は御福餅に殺到し、
このところ売り切れが続いていたようだ。
しかし、その御福餅も、製造日・消費期限の1日先延ばし表示と、
原材料表示順の誤りのために、目下立ち入り調査中、販売停止らしい。

赤福の偽装工作は、あれからいろいろと手の込んだ手口が発覚して驚いた。
しかし、私は、こういう食品業界の工夫には同情的である。

もちろん、ごまかしはいけないし、これらとはまったく別件の、
並かそれ以下の鶏を高級○○鶏として売るなんてのは大犯罪だと思う。

けれども、もしも赤福がああいう工夫をしてこなかったら、
今までにどれだけの材料がムダに捨てられてきたか、計り知れない。
観光客、、、それは人によっては唯一の機会である可能性が高いのだが、
その観光客に、もうありません、諦めてください、とがっかりさせたくない。
かといって、翌日以降、新鮮でない商品を並べて、敬遠されて、
売れ残る日まで待って捨てるということはできるだけ避けたい。
安全に配慮しつつ有効利用し続けてきた結果がこれだ。

用心深い、自己保身を第一とするお役所が大事にする法律と、
現場の苦慮から生まれた工夫のどちらが大切なのか、難しい問題である。
実際、赤福で食中毒なんて話は聞いたことがないし、
あんな単純なお菓子の人気は、ぜんぜん衰えていなかった。
また、ごまかしや欺きはいけないと思うけれども、
もしも正直に説明したとしたら、ちょっとでも新鮮なものをという思いが
購入者にはあるから、せっかくの工夫も何の意味もなさず、
古いものや再利用のものは敬遠され、捨てられる運命になっただろう。
そういう意味でもやはり難しい問題だったのだと思う。

私は、赤福が好きで擁護しているのではない。
和菓子にはあまり興味がない。
赤福が好きというわけでもないし、ましてや、なごやんなど嫌いである。
ただ、こういう事件を聞くたびに、
余ったものは捨てなはれ、、、でいいのかな? と思うだけである。

私が赤福に苦言を呈するとしたら、偽装問題以前の問題である。
そんなに大量生産してはいけなかったのだよ。
何で、伊勢の名物が名古屋でも買えるのかね??
赤福を食べたかったら、または、お土産にしたかったら、
ちゃんと伊勢に来なさい!! それでよかったんではないかね??

赤福の罪は、手広く儲けようという野心にあった。
伊勢まで来てくれなきゃ赤福は手に入らないぞ、と言えるだけの
誇りを持ち続けるべきだった。
伊勢市内の店舗にはいくらか置くけれど、そこで売り切れたら、
本店に行けば作り売りする、という形を守れば、偽装の必要はなかった。
手広く儲けようと考えたために、要らざる偽装工作もせざるを得なくなった。

旅行すると思うのだが、わざわざその店まで買いに行ったのに、
よその町に行ってもあちこちの店で山積みになって売られてるのを見ると
いとすさまじき心持ちになってしまうものである。




2007年10月29日(月) 同僚の死

昨日の先生の死を、今朝放送で教頭が生徒たちに伝えた。
その直後の1、2時間目に授業が入っていたのはありがたいことではない。
一応、生徒のようすを見、人の死について、またその先生について、
いくらかコメントはできる準備はしておいた。
けれども、生徒のようすはいつもと変わらないし、
何かを言ってくることもなかったので、いつもどおり授業をし終えた。

彼は去年の7月から1年3カ月ほど療養のため休暇に入っていたし、
2年生の生徒だと知らない者も多いし、知っていたとしても3カ月程度。
実在感覚がさほどなかったので、ひとつのニュースでしかなかったのだろう。

定時制だった新任2年目に、職員室で隣の席だった先生が自殺した。
3〜4日行方不明だったのが、森の中で首を吊っているのが見つかった。
生徒指導の苦悩の末の自殺としか考えられない状況だった。
この時は、担任のクラスで1時間話をした。
生徒もひどくショックを受けていたし、私にもかなりの衝撃だったから。
・・・うん、いろいろ思い返しても、この印象がもっとも強いなぁ。。。

前任校では2人の先生が相次いで病死、ということがあった。
ひとりは、私の副担任をしてくれていた先生で、
手術のための療養に入ってから半年ほどの間、私には副担任がいなかった。
その翌年、私が生徒会主任を頼まれ、間もなく学校祭というころに、
その先生の訃報が届いた。
心臓移植手術はいったん成功したものの、適応が難しかったらしい。
この時は、手術に至る過程から学校挙げて大騒ぎだったが、
私自身にとってはそれほど大きな出来事ではなかった。
それからしばらくして、その先生の仲良しだった人が癌で療養に入り、
まもなく亡くなった。
3人目は誰じゃ? と冗談で言い合ったり、
お祓いしてもらわなきゃいかん、と言う教頭もいたが、
私の知っている限りでは、まだ前任校での3人目は出ていない。

その前任校に転勤して早々に知り合った友人が、
他校に転勤して数年後に、自殺した。
これは心底驚いた。
なぜ? なぜ? と不思議でならず、彼の日記を熟読した。
仲間の長老だったI氏と相談しながら彼の遺稿を整理し、本にもした。
我々の数倍も家族を大事にしていたのに、
なぜ自宅で首を吊ったか、いまだに謎だらけである。



2007年10月28日(日) 命拾い

きょうは、混成バンドの本番の指揮者が練習を見てくれる日なので、
朝、彼をホテルに迎えに行った。
ホテルの場所は以前に調べて大体あの辺だろうと見当ついていたが、
出かける前に改めて別の地図で調べてみたら、
まったく思い違いしていたらしいことに気づいて驚いた。
駅の東側と西側の違いという、正反対の思い違いだったから、
出かける前にそれに気づかなかったら、
どれだけ虚しくうろうろし続けたかわからない。

毎年この日は私の勉強日で、プロの練習をじっくり見せてもらうのだが、
きょうのうちにやっておきたい仕事があったので、
ちょっと抜け出して学校に行った。
すると、学校には校長も教頭も事務長も来ているので驚いた。
休日に学校に行くことはよくあるが、これだけ出てきているのは変だ。
教頭にそれを尋ねたら、「知らないの?!!」と驚かれた。
昨日、緊急連絡網で回したのだと言う。
私の留守中に電話があったのかもしれないが、出る者がいなかったのかも。

去年の夏に癌で入院して、その後療養生活に入った先生が亡くなった。
今夜が通夜、明日が葬儀だと言う。
明日の葬儀にはとても行けそうにないけれど、
今夜の通夜にもなぁ、、、このままの格好ではとても行けないし、、、
まだ混成バンドの練習に戻って、楽器運び手伝わなきゃいかんし。。。
しかし、ちょっとは世話になった人だし、
時には昼食をともにした人でもあるし、、、とあれこれ算段して、
仕事は中断して家に着替えに帰り、ついでに妻の仕事を手伝ったりもして、
再び混成バンドの練習場所に戻り、終わってから指揮者を駅に送り、
楽器運びをひとつ手伝って、通夜の会場に向かった。
ここまででかなり疲れを感じていたので、
さらに遠くに行くのをためらいながら、
しかも時間が遅くなってしまい、時間を気にしてやや苛立ちながら。。。

葬儀屋が建っている交差点の直前に来たとき、対向車は見えなかった。
余裕で行けると思った。
ところが右折するときに、ちょっとだけ地面の図柄に気を取られた。
いきなり対向2車線に2台の車が見えた。
何で??!! と思った瞬間、とにかく急ブレーキは踏んだらしい。
2車線の内側の車は私の車に向かってくるのが見え、その瞬間、
外側の車は私のすぐ前を走り抜けた。
しまった、やっちゃった! と思った瞬間、
助手席に突っ込んでくるはずの車が停止したのを確認できた。
それほど接近していなかったから、懸命にブレーキを踏んでくれたようだ。
お礼を言いたい、、、けれど、とにかくこういう時はまずどかなきゃ。。。
発進して入る道に入った時には、もう車の流れは動き出していた。
降りてお礼を言いたかったのだけどな、、、本当に奇跡のような出来事。
私が逆の立場で危険を回避した時は、何やっとんじゃ、ばかやろ、と、
しゃあしゃあと走り去った車を呪ったものだったが。。。

免許を取って以来、事故も3回ほどあったけど、
それらはみな相手の過失に巻き込まれたものばかり。
きょうほど自分のうっかりで怖い思いをしたことはなかった。
通夜の会場に入っても、その恐怖の余韻に支配されて上の空だった。
とりあえずやるべきことは済ませたけれど。。。

葬儀屋で働く友人の話では、葬式の行き帰りの事故ってのは案外あって、
「呼ばれたんだよ」と言われてしまうそうだ。

こういう体験は、自分にいつ死が訪れるかわからないことを、
改めて実感・痛感させてくれる。
そう、、人間、いつも明日があるとは限らないのだよ{{(>_<)}}



2007年10月27日(土) ゴールトベルク変奏曲

朝から中学生相手に3時半まで練習、
その後用があって学校に寄り、さらに例によって市吹の練習へ。。。
あーーー疲れた〜〜、、とぐったりしつつも、
車の中で、久々にグールド演奏の「ゴールドベルク変奏曲」を聞いてたら、
ビンビン刺激されて、何か、すべてが悦ばしいような活力が湧いた。

まだ高校生だったころか、初めてチェンバロの演奏でこの曲を聞いたときは
途中で眠ってしまった。
それからこの曲はきわめてつまらない曲の代表のひとつだった。
グールドの演奏を初めて聞いたのがいつか、まったく覚えていない。
大学時代だったのか、就職してまもなくだったのかよくわからないが、
その時からこの曲はバッハの最高の「ピアノ曲」に変貌した。
繰り返し聞けば聞くほど魅力的なメロディーてんこ盛りで、
ほんの些細な部分にも、生きた意味が感じられるようになった。
きょうも、あまりの感動に運転席でも涙ぐんでしまった。

レーザーディスクで、グールドのこの曲の演奏を見たとき、
機械を操作してそのようすを確かめる間ひざをついていたのだが、
50分ほどある全曲を視聴し終わった時も、そのまま正座し続けていて、
足が痺れているのに気づいて苦笑したものだった。
それほど夢中で、集中して彼の演奏を見つめ、聞き入っていたのだった。



2007年10月26日(金) 「ダンス・レボリューション」

ジェシカのダンス映画があるというので、買って見てしまった。
今まで闘う役しか見たことがない。
この映画ではまったく格闘しないが、このジェシカにはやられた。
こんな美人だったっけ?!! って感じである。
「ダーク・エンジェル」でも「ファンタスティック4」でも、
「そう美人とは思わないけど」の枕詞をつけながら、魅力を讃えて来たが、
この映画では徹頭徹尾美人である。
笑顔が多いせいだからだろうか?

原題はヒロインの名前そのままの「ハニー」。
ユニヴァーサル映画のサイトからあらすじを引用すると、

夜はクラブでバーテンダー、
昼はレコード屋でバイトしながら、市民センターで子供たちに
ヒップ・ホップ・ダンスを教えているハニー(ジェシカ・アルバ)。
彼女の夢はプロのダンサーになることだがオーディションに落ちてばかり。
しかし、ある日、大物ディレクター、マイケルの目に留まり、
ミュージックビデオのバックダンサーとしてデビュー、
振り付けも任されて瞬く間に成功を収める。
しかしそれと引き替えに、親友や子供たちと過ごす時間が無くなり、
自分を見失いがちに。。。。
そんなある日、パーティの席で迫ってくるマイケルを拒んだために、
彼女は仕事を干されてしまうのだが、、、


というわけで、映画自体はわりと平凡な軽いサクセス感動物語である。
ヒロイン次第では、見終わって、あ、そう、、で終わりそうな映画である。
しかし、とにかくジェシカの姿に目が釘付け。。。
明日また見たいくらいの映画になってしまった。

特典映像も熱心に見ていたのだが、明日も明後日も混成バンドの練習なので
我慢して中断した。



2007年10月25日(木) 77億円の学力テスト

文科省が実施した全国学力テスト。
朝日の朝刊の一面トップの見出しは、

  全国学力調査  「知識」より「活用」苦手

しかし、データを読んでみると、中3の平均正答率は

  国語知識  82.2%
  国語活用  72.0%
  数学知識  72.8%
  数学活用  61.2%

これは妥当な線ではないのだろうか?
いわゆる応用問題は、まず知識があって、その上での問題解決だから、
知識より正答率が下がってあたりまえである。
「活用」分野の正答率が「知識」の半分ほどだったら「苦手」と言い得るが
この程度の正答率の違いは当然ではないかと思う。

新聞には小6の算数の問題が1題だけ紹介されている。
「知識」の問題は平行四辺形の面積の問題で、
底辺と高さの数値が書いてあって、正答率は96%。
一方、「活用」の方は、長方形の公園と平行四辺形の公園の面積比較。
こちらは、略図に、区画ごとのさまざまな数字が書かれている。
こちらの正答率は20%に満たない。
前者は、数字が2つだけだから、平行四辺形の面積の求め方を知らなくても
とりあえず2つの数字をかけて正答することは可能だ。
その数字も4と6だ。
96%の小6生が平行四辺形の面積の求め方を知っていると断定できない。
ところが後者は、60、70、100、110、150、160という
6つの数字が提示されている。
「しろくにじゅうし」とは違って3桁のかけ算である。
この2つが比較の対象になるだろうか?

社説がまとめてくれている分析結果の要点はこうだ。

・基礎的な知識に比べて、活用する力が低い。
・全体として都道府県別の差は少ないが、沖縄など一部に低いところがある。
・就学援助を受けている子どもの多い学校の成績が低い傾向がある。

 同時に実施した生活習慣調査を重ね合わせると、こんな傾向もみられた。
・家で宿題をする方が点数が高い。
・朝食を毎日食べる方が点数が高い。

 文部科学省は今回の結果を各都道府県に通知し、今後の取り組みに生かしてもらうという。


おいおい、そんなこと、77億円もかけないとわからないことかい?
もうとっくにわかっている常識的なことだ。
文科省、教育の実態を知らなさすぎるのではないかいな??

ケチケチ教育財政が、日本の最大級の特色のひとつなのに、
どうしてこんな無駄遣いだけはできるのだろうか?

読解力に問題があるという指摘もされているが、これも明らかなことだ。
これも、こんな全国調査をしなくても明らかなことだ。
教育も社会全体も、「成功」することだけが目的となり、
従って教育がテスト対策偏重になり、塾通いを促進し、さまざまな習い事、
子どもたちに本当に必要なのは何かを見つめる「ゆとり」を失ったから、
読解力の衰えは必然的なのだ。

もうとにかく、税金の無駄遣いはやめてくれぃ!!!(`ε´)



2007年10月24日(水) 「エイリアス」シーズン4へ

昨夜シーズン3を見終わった。
昨夜もその前も、遅い時間に見始めて、それでいてなかなかやめられず、
3時過ぎまで見てしまい、睡眠不足。
これはまずい、、、と思ったが、何とか仕事等には支障なく過ごせたようだ。

シーズン3は、シドニーが2年間の記憶を失っていて、
CIAではシドニーは2年前死んだことになっていて、
ヴォーンはすでにNSCのローレンと結婚生活を送っていて、
スローンは今や改心して国際医療援助組織を運営して人々を救い、
CIAの協力者でもある、、、というところから始まった。

シドニーはなぜ死んだことになっていて実際生きているのか、
なぜ記憶を失っているのか、2年間どこで何をしていたのか、
その解明を中心的なテーマとして、前半の11話を費やした。
コヴナントという秘密組織と関わっていたらしい手がかりから、
危険な潜入捜査、またロシア外交官殺害容疑でNSCにも追われる、など、
たいへん緊迫した前半だった。

後半は北朝鮮に捕らえられる危機の中で、イリーナの姉が登場したり、
「乗客」という暗号で呼ばれるシドニーの異父妹が登場したり、
(ランバルディのメッセージを伝える重要な存在である)
実はコヴナントのメンバーでNSCに潜入していた、ヴォーンの妻ローレン
がさんざん事態を引っかき回したり、、、でとても忙しい展開。
ローレンは結局ヴォーンの銃弾によって死ぬけれど、
死ぬ前にシドニーにメッセージを残した。

その言葉に従ってシドニーが銀行の金庫から書類を出して見てみると、
それはシドニーを利用する極秘プロジェクトの文書で、その長は父ジャック。
シドニーは生まれた時から、父ジャックによって、
この極秘プロジェクトに従って育てられていたということになるらしい。

常に意地悪な結末でシーズンを終わるこのドラマのシーズン3は、
そんな意外な事実を仄めかして終わってしまった。
どうしたってシーズン4にすぐ向かわなきゃいけなくなるわけだ。



2007年10月22日(月) 給油支援活動疑惑

2003年2月に海自の補給艦「ときわ」がアメリカの補給艦「ペコス」に
補給したのは20万ガロンではなく80万ガロン、
当時の海自幹部は年内に気づいたが、長官には報告せず隠蔽した、
というところまでが明らかになって、ますます給油問題が波瀾である。
80万ガロンのうち67万ガロンほどが、
イラク戦に参加したアメリカの空母「キティホーク」に給油されたことから
転用の疑いがあるということで、国会では論戦が展開されているが、
庶民には、イラク戦云々以前に疑問だらけである。

20万の予定だったのが、その場でいきなり80万を要求され、
そのまま80万に変更して給油したのか、
もともと80万給油する予定でその通り行われたのに、
記録する際には20万と記録してしまったのか。。。
今のところ、記録ミスだと説明はしているけれど、
いずれにしても、きわめて不思議な話である。

ざるで給油してるんかねぇ??
いやいや、映像も見せてもらったけど、強靱そうなホースだったぞ。

幹部が長官らに報告しないで隠蔽したとしたら、
なぜ隠蔽しなければならなかったのかが、まったくわからない。
隠蔽したとしても、年度の決算時に勘定が合わなくて追及されるはずだ。
まさか、適当に購入して、適当に給油していたわけではないだろう。
今年度はこれだけ購入してこれだけ使う、
そういう予算執行が適切に行われたかを厳正にチェックしてもらわなきゃ!
そうだったら、当時の長官も、60万ガロンの誤差に気づいたはずだ。

これもまた、庶民感覚からの疑問である。
我々が納めた金を、少なくとも私の意に反して遣うわけだから、
そういうところはきっちりと納得行くように確認してもらわなきゃ困る。
彼らの最低限の義務のひとつである。

そもそも、どこの国の会社から、どれだけの値で買っているのだろう?
日本のこの給油活動で儲けていたのは、どこの国の企業?
もっとも安く提供してくれる企業であることは、確か?? ホントに??

20万ガロンというのは、757キロリットルで、
ドラム缶に換算すると、3800本近くになると言う。
80万ガロンだと、ドラム缶で1万5千余本、、、これでも気が遠くなる。
これを金額にするといくらになるのか知りたくていろいろ検索したが、
それを教えてくれるサイトは見つからなかった。

今年8月末現在まで、海自が提供した燃料は48万4000キロリットル。大型の空母などに間接供与される可能性がある補給艦に限ってみると、
米仏伊蘭英5カ国に対し計105回、計26万7000キロリットル。
このうち米軍艦船が23万7000キロリットル(約6000万ガロン)で
圧倒的に多く、時期は01年度(41回)、02年度(45回)に集中。。


いやぁ、いろいろと考えさせられるなぁ。。。
国際社会から感謝されていると政府は説明するけれど、
それは結局金銭面の問題だけで、海自なんか送らなくても、
油を買うお金を送ってあげるだけでもいいんじゃないの? とか、
戦闘のためのお金をアメリカなどの国に送ってあげるよりも、
当のアフガニスタンに送ってあげて住民支援に役立てた方が、
今よりもうんと感謝してもらえるんじゃないの?? とか。。。
そうしてまた、長年の与党とか官僚とかは、
どうしてこんなに金銭管理・数字管理が杜撰なの??? とか。。。
地方公務員の方がよっぽど几帳面に管理しているじゃないですか!!
ま、上に行けば行くほど、ごまかさねばならぬことが増えるのは、
理解できないことではないけれど、実際問題、そんなことではいかん!!



2007年10月21日(日) これより無休日週間に。。

終日高校混成バンドの練習。。。

夕食後しばらくしてうっかり横になってしまったら、
夜中の1時過ぎまで眠ってしまい、たいへん困っているところである。
帰ってきたときにはそれほど深い疲労とは思わなくて、
昨日のんびりできたせいかな、、と楽観していたのだが。。。
来週も土日とも練習、再来週は土日とも吹奏楽祭や市民音楽祭で、
来月9日まで休日がないという受難の期間の初日がこれではねぇ。。。



2007年10月20日(土) 恐るべき世間体

校長に促されて「朝読」実現へのとりまとめをしているのだが、
全国的にはそうではないのだろうけれど、少なくともこの界隈では、
妙な観念がまかり通っているらしいことがわかってきてびっくり!である。
何と、「朝読」を採り入れると、底辺校の烙印を捺されるそうなのである。
その理由は、この界隈で「朝読」に踏み切った学校は底辺校だけなので、
世間はその仲間入りをしたと見る、ということなのだそうだ。
だから「朝読」導入などもってのほか、という教員が多いようだ。

私にはまったくそんな観点はなかった。
現代の生活環境の中で生活している小・中・高生には、
「朝読」のような、毎日一定時間読書する時間を学校で与える必要がある、
進学校・底辺校に限らず、その必要がある、と考えるだけである。

教育行政は、「総合学習」などというややこしいものを導入するよりも
まず「朝読」を教育課程に導入すべきだったし、
教育再生委員会とやらも、「朝読」を提唱すべきだった。
そうして、小・中・高一貫して読書を日常の営みに組み入れるべきだった。
しかし彼らは短絡的な見方しかできないので、
「総合学習」だの「道徳」だのと、科目的な発想しかできなかった。
その一方で、読書の重要さを訴え、数年前に「子ども読書の日」などという
年に1日の特別な日を制定したりもしたのだが、
そんな1日の制定がいったい何になるのだろうか?

私の高校時代を振り返ると、「朝読」はそう必要でなかったはずだ。
時間はたっぷりあった。
音楽を聞くか、ギターを弾くか、読書するか、
それくらいしかすることがなかった。
勉強、勉強とそううるさくは言われなかったし、
今のように、ゲームだのパソコンだのケータイだのゲーセン、カラオケ、、
そういう遊び道具には恵まれてなかったし、遊ぶお金もなかった。
あのころ、音楽や読書を集中して楽しむことができたのは実によかった。
今の子たちは、いろいろと恵まれ過ぎていて、かえってかわいそうだ。
TV番組だって、昔に比べるとおもしろい番組が多いし、
いったん見始めたら、予告PRについ釣られて予定外に見てしまったり。。
漫画の本だって氾濫しているし、ビデオやさらにはDVDの普及で、
映像作品にも自在に親しめるようになってしまったし。。。
小中学生などは遊びだけでなく、塾、習い事、スポーツクラブ。。。

多くの子どもたちは思っている、、、
勉強どころじゃないし、ましてや、読書どころじゃない。

で、「朝読」というのは、1日10分だけでも本を読ませたい、という
そんな消極的な理念で行うものではない。
「読書どころではない」ような、物の氾濫した恵まれた環境の中に、
選択肢として読書も割り込ませようという試みなのだ。
帰宅してからはぜんぜん勉強しない生徒は多い。
それについてのささやかな対策案も私は持っているが、
(そういうことについて議論できる場もぜんぜん作れない)
勉強しない怠惰な生活の中に、読書の選択肢も食い込ませようという、
これまたささやかで地道な効果を狙った試みなのだ。

そういう点も含めて、基本的なところから議論したいと思っているのに、
まったく無関係な懸念によって、最初から拒絶する人が多数のようなので
驚いてしまったわけだ。

教員になってから、生徒の読書不足を嘆く声をいくつも聞かされた。
国語の教員にとってこれはとても微妙で辛い問題だった。
やっとひとつの打開策として「朝読」にたどり着いた。
前任校ではこれは案外支持されて、今も私が計画した通りに実施されている。
しかし、支持された理由は、真っ向勝負の「朝読」の意義ではなくて、
その副次的要素によるものだった。
今回は、副次的要素にもならない理由で、議論にさえならないようだ。

私には、教育というものを考える際に、
彼らが何を足場に考えているのか、どうもよくわからない。




2007年10月19日(金) 果てしない物語

「エイリアス」シーズン3の第13話まで見た。
通算第57話ってことになるかな?
人物関係はますますややこしくなり、話も入り組んできて、
次々に驚くべき事態が生じ、驚くべき人物が現れるので、たいへんだ。

今夜もため息をつき、もう3時になりそうなので続きを断念して、就寝。



2007年10月17日(水) 途方もない税金無駄遣い

今朝ラジオでちらっと聞いた驚くべき話を、検索してみた。
思い出したのは、去年の11月に発覚したタウンミーティングの
不思議な巨額の無駄遣いだが、あの不思議な会計のからくりについても
まだ説明してもらっていない。

 安倍晋三前首相の肝いりで設置された政府の「『美しい国づくり』企画会議」に約4900万円の国費が投じられたことが、政府が16日に閣議決定した答弁書で明らかになった。同会議は日本画家の平山郁夫氏ら有識者12人を集めて4月に発足したが、2回会合を開いただけで、目立った成果もなく9月に解散した。

 喜納昌吉参院議員(民主)の質問主意書に答えた。それによると、同会議を運営するために内閣官房が支出した経費の内訳は、
職員9人の人件費 約1600万円
事務所費     約3100万円
通信・交通費   約200万円。
一方で同会議の実績は、日本特有の生活様式や気質を問うアンケートだけだった。

 答弁書は「わが国の良さ、素晴らしさを国民が再認識する機会を作った」と意義を強調したが、政権を投げ出した代償は高いものとなった。



職員って、どんな人?
公務員じゃない人を特別に雇うわけ?
人件費1カ月あたり267万円、ひとりあたりの月給約30万円。
半年で2回の会議のために彼らはどんな仕事を毎日してたのかな?
どういう人たちを雇って??

事務所費が1カ月あたり500万円余。
どこにいくつ設置していたのだろう??
半年でたった2回の会議を開くために。。。

庶民はどうしているか?
事務職はもちろん兼業のボランティアで、会議の方からの報酬はない。
年に数回の会議で、参加者が30人程度でも、会場・交通費・通信費、、、
いろいろ込みにしても、おそらく10万円そこそこで運営している。
だから、明細を教えてもらわないと、
頭がくらくらするような不思議さに包まれる。。。

こういうことを知るたびに思うのは、
庶民感覚を微塵も知らない人たちが、政治をしている、
庶民から巻き上げた税金を湯水のように特定の人たちにばらまいている、
という理不尽さだ。


テロ特措法関係の話でも、給油量20万ガロンが実は80万ガロンだった、
なんていうのがあったけれど、そのお金を払ってるのは、誰??
アメリカが払ってるのだから、日本人にはどうでもいい話??
日本が油を買って給油しているのだったら、書き間違えでは済みませんよ。
給油量や金額だけでなく、油の購入先から、落札や選定の過程まで、
また、給油後の用途も、きっちり国民に報告してくれなければ。。。

だってねぇ、、、彼らの金銭感覚は絶対におかしいから、
法外な値で売りつけたところからどんどん買って、
アメリカの要求するままに好きなだけ給油してあげて、
それがテロリストとは無縁な庶民を殺すのに使われても頓着なく、
何兆円になっても安いものだとまったく野放図、、、であっては困るのだ。
法的にも微妙な活動で、巨額の費用が動くような状況で、
4倍もの違いを、書き間違いとか報告ミスで済ませてしまう体質なんだから
彼らは我々と同じ国民なのか、我々国民の代表なのか、
疑わしくなってしまう、、、っていうか、非国民だと思ってるけど。。。



2007年10月16日(火) 悪条件

担任のくせして定期考査の最終日に休暇を取るなんてことは、
私自身は一度もやったことがない。
帰りのホームルームなど、試験の続く間はなしでもいいくらいだが、
最終日は案外やることが多いものだし、清掃も久々にある。
きょうはしかも特別に、年に一度の、教室の床の油ぶきだった。

数日前に、ある担任が、きょうのことを頼みに来た。
休まなきゃならないが、副担任も休むらしいので、
どこのクラスにも属していない私のところに頼みに来たのだ。
朝と帰りのホームルームと、油ぶき作業の監督で、
それ自体は大したことはないけれど、
普段の掃除の状況がわからないのがちょっと厄介なところだ。
しかも彼は、私が尋ねる前に、ちっとも掃除やらないんですけど、、、
などと断りを入れる。。。
あのねぇ、日ごろちゃんと指導できてないんだったら、
適当な人に押しつけたりしちゃダメなんだよ、困っちゃうんだよ。

しかしまぁ、そう文句を言ってもしょうがないので受けたのだが、
実際には、生徒たちは、直前に指示したとおりにきっちり作業してくれた。
この作業をさせる時の最大の不安は、通常清掃と違って、
ホームルームの後、帰りの解散をしてからの清掃作業になるので、
生徒が行方をくらますとか、勝手に帰ってしまうとかの不安があるのだが、
そんなこともなく、最後までちゃんと残るべき子が残って片づけてくれた。
とても、日ごろの清掃がうまく行ってないようには思われない。
(そういえば、この担任から2、3度、
 何で先生の授業のときはうちのクラス静かなんですか? と、
 妙な質問を受けたこともある)


さて、その担任代理を引き受けたときにも失念していたし、
試験の時間割が発表されたときにも失念していたことがある。
きょうは吹連の理事会で出張だった。
油ぶきの後、大急ぎで昼食をとって出張に走らねばならなかった上、
きょうの2時間目の古典のテストの採点がまったくできなかった。
明日からしばらくの授業がたいへんだ。
明日の授業をきっちりやれば、今週中に試験を返すのが難しくなる。
昨日までわりと余裕の日々を過ごしてきたのだが、
きょうからはたいへんな悪条件であくせくしなきゃならないというわけだ。

結びつかないんだもんなぁ、、、この仕事、その仕事があることがわかって
いて、そこにあの仕事が入ってきても、
それが重なって困ったことになるということになかなか気づかない。



2007年10月15日(月) 「ファンタスティック4」2作目

明日からは忙しくなりそうだけど、きょうは当面の仕事も終わり、
家でいくつか整理したいことがあったので、時間休を取って帰った。
帰る途中で、ふと、やっぱりジェシカちゃんに会って行こうかな、と
そんな思いが強くなって、少し引き返す感じで映画館に。。。

「ファンタスティック4」の1作目をDVDで見た去年の4月11日には
こんな風に書いた。

宇宙嵐の研究に向かった5人が嵐に巻き込まれ、超能力を持った体に。。。
映画の中では、DNAが書き換えられたという分析。
その超能力というのが、
・超高熱を発して燃える
・透明になる&シールドを発する
・ゴムのように体が伸びる
・岩石のような体&怪力
そしてもうひとり、これは悪役になってしまうが、
・鋼鉄の体&電気

何かくだらない展開に思えたが、
ダーク・エンジェルのジェシカちゃんがますます美人なので許して見ていた。
最後はなかなかおもしろい結末になってよかった。
この超能力を授かった4人が、ダーク・エンジェルのように迫害されず、
世間の人気者になるところがうれしかった。
登場人物たちをあまりいじめて欲しくないものだ。
いじめはきらいだ。


最近、8月の終わりにも見たのだが、楽しいけれど、
わざわざ映画館にまで行って見るほどのものでもないと思っていた。
でも、このごろ、どうしようかな、見に行こうかな、と迷っていたのは、
今年度から図書館に入れた雑誌スクリーンのせいだ。
先月号の表紙にジェシカがいるし、雑誌の中にはこの映画の特集も。。。
だから、帰り道でふっと生じた心の誘惑に負けた。

観客は何と5人(笑)
指定された席は、スクリーンと同じ高さの特等席(先日もそう)。
レディーズデイで女性がひとりいたから、
8000円そこそこの収入で1回上映してくれてるわけだ(笑)

今回の最大の敵は、星喰い!
狙った惑星は8日以内に破壊し、そのエネルギーを吸収する奴らしい。
その手下として先にやって来るのが、シルバー・サーファー。
最初見たときは、何でサーフィングボードで宇宙を飛んでるんだぃ? と
思うのだが、見ているとなかなかかっこいい。
特に、最後、星喰いに反逆する場面は実にかっこいい。
そんなわけで、映像も1作目にくらべると何倍も壮大になっているようだ。

また、ジョニーのちょっとしたアクシデントのせいで、能力の交換が起こり
ジョニーが岩になったり、スー(ジェシカ)が燃えたり、なんてのも
おもしろい見せ場だった。
前回からの悪役のヴィクターは相変わらずわがままな駄々っ子だしー。。。

「銀河の危機」だというのに、こんなに楽しく見てしまうとは、、、
いいことなのか、いかんことなのか。。。




2007年10月14日(日) 「エイリアス」シーズン2終わる

昨夜は、まず「海猿」を見た。
これは去年の9月4日にも書いているが、その時と感想はそう変わらない。

それから、「エイリアス」を2話ほど見て寝ようかなー、と思いつつ見て、
その2話の終わりにたいへんなことをヴォーンが言い出したので、
こりゃ、まだ寝れんぞ、、、と続きを見ようと思ったら、続きがなかった。
その驚きのラストが、シーズン2のラストだったのだ。

結局、寝たのが3時で、次に気づいたのが正午だった。
途中で目を覚ましたような記憶がまったくない。

きょうの午後に特典映像を見ていたのだが、
メイキングを見ていても、本編の場面を思い出せないことがままあって、
昨夜の最終回をもう1回見直してみたら、
1年以上も前に見たのを見直しているほど、久々に見る感じがした。
それほど覚えていなかったのである。
見ているとき眠かった、ということはぜんぜんなかったと思うのになぁ。。

そういえば先日も、前夜に見たところを思い出したくて見直したとき、
やはり、見たばっかし、という感じがまったくしないで見た覚えがある。
意表をつくような出来事が次々に起こるし、その展開も速いので、
頭の処理能力がついていかないのだろうか?

もうここまで、かなり激しい展開をしてきた。
しかし、謎だらけである。
スローンも、シドニーの母のイリーナも、
究極のところ何をもくろんでいるのか、まったくわからない。
特に、イリーナがシドニーに送るメッセージは謎めいている。

ここまでをもう1度見直してもおもしろいだろうけれど、
先はまだまだ長いようだ。
来年の春にはシーズン5が放映予定なのだという。
いったいこの物語はどこに進んで行くのか。。。



2007年10月13日(土) 今までで最もアホな運転手

午前中仕事に出た。
昼は、ヘギョちゃんフリークの橋本さんが「ホテリアー」を再見したいと
言うので、昼食をおごらせて貸してあげた。

その帰りのことなのだが、この四半世紀の間ほとんど毎日のように
車を運転してきた、そんな中でも見たことのないアホな車を見た。

そりゃあね、休日はいろんな運転手がいますよ。
本当に、休日の運転は要注意である。
週に1回か2〜3週に1回しか運転しないドライバーもいるだろう。
ゆっくり過ぎるくらいの速度で走ってるので追い抜こうとしたら、
いきなり中央の車線に入ってきて、さらに右折車線に、、、これも危険だ。
どこを見て走ってんだぃ!! と怒りたくなる。
道はわしのためにあるんじゃぃ、と思い込んでいるその態度が腹立たしい。
運転の要点は、ハンドルさばきとか速く走れるといくところではなくて、
気配りと状況判断である。

きょう遭遇したのは、本当にとんでもない奴だった。
後ろからの影やミラーの小さな映像から察するに、決しておばさんではない。
そう老けているわけでもない、20〜30代の男に見えた。

バイパスのある交差点の手前で、軽自動車がゆるゆると割り込んで来た。
3車線あるうちの、右車線から真ん中の車線に入ってきたのである。
その車の進行が、何となく左寄りに傾き始めた時、
私は強引に追い抜いてしまうか、ようすを見て入れてあげるか迷った。
しかし、前のトラックが邪魔なんだなとも思ったし、
左端の車線に入りたがっているのかもしれないと思って、前を譲った。
そんな判断を迷わねばならないほど、きわどい間隙に入ってきたのだ。
そのために私は減速を強いられた。

その車は、すぐには左車線に移らなかった。
これは意外だった。
右車線にいたトラックはもうずっと先の方に進んでいる。
彼がわざわざ左に車線変更したのはトラックが邪魔だったのではなくて、
左方向に行きたいと思ったらしいことはもう明らかなのに、
相変わらずゆるゆると真ん中の車線を走っている。
むりやり割り込んだのなら、ちゃんと走れよーー、と思っていると、
いきなり、意外なことが起こった。

交差点に入る直前で、右のウインカーが点滅して、停まったのだ。
こんなのは、今までの私の経験的マニュアルには、ない。
その交差点は3車線+右折車線の、4車線になっている。
一番右の車線から、右折車線に入らず右折する車は見たことがある。
しかし、交差点の手前でわざわざ中央の車線に移っておいて、
交差点に入ったら右折したがる車を、見たことのある人がいるだろうか??

彼は身動きできなくなってしまった。
右折車線で正当に待つ人でも、対向車の切れるの待たなきゃいけないが、
彼はその2つ隣の車線で停まっているのである。
右車線は、次々に車がびゅんびゅん疾走してくるのである。
軽自動車の発進力で、その間隙を縫って右折するなんてできるわけがない。

・・・いや、彼は身動き取れる。
普通はそのまま直進して、次の交差点から右折して目的の道に戻る。。
それが本来の筋道である。
そんなことはそう難しいことでもめんどうなことでもないのだ。
真ん中の車線にいながら右折させてもらおうなんて、
少なくとも私自身は、この四半世紀の間、ちらっとでも考えたことがない。
しかし、彼はとにかくそのままありえない右折に執着して
背後の迷惑をまったく省みようとしなかった。

私は結局、左車線の車の流れが途切れたときに追い越してそのまま帰った。
あーいう運転手の免許証は取り上げて、免停処分にしてもらわなきゃ困る。



2007年10月12日(金) ま、そう騒がなくても、、、

不二家の原料問題、白い恋人の賞味期限問題に続き、
何と何と、赤福餅が製造日(謹製日)・消費期限を貼り替え(?)ていた
とかで、きょうからしばらく閉店、商品も引き揚げたそうだ。
観光客が気の毒だ。
伊勢の土産は、そう悩まなくても赤福さえ買っておけばよかったのに、
とりわけ、きょうの伊勢のお客たちはお土産に困ったことだろう。

確かに「偽り」という形で公表されたのは、確かに信用という点でまずい。
農水省というお役所が定めた規定に違反しているのも確かかもしれない。

しかし、製造後冷凍し、解凍した時点を製造日とするというのは、
それほど罪深いことだろうか?
34年もそれを続けていたのに、赤福で食中毒なんて話は聞いたことがない。
赤福なんてまずいぞー、なんて評価が台頭してきたこともない。
いろいろ読んでみたけれど、売れ残って賞味期限が切れかかったのを
冷凍して保存したわけでもないようだ。

製造したけれど出荷に至らなかったものは処分すべきだったのだろうか?
あるいは賞味期限ぎりぎりのものを出荷して、売れ残るのを待つべきか?
そのまま放置して、出荷の際に製造日や賞味期限をごまかすのは確かに罪だ。
しかし、冷凍保存するなら、半年とか1年などというなら問題だけど、
ほんの短期間のことであればそう罪はないだろう。
実際、今まで何の害も聞いていないのだ。


私が、世論に反してこんなことを書きたくなるのは、
お役所のお達しというものに対して、多大な疑義や怒りを抱いているからだ。
現場知らずの無責任なお役所仕事に対してである。

私はもう30年ほどスーパーで食料品の買い物をしているが、
賞味期限や消費期限についての規制が厳しくなってから、
生ものの賞味期限や消費期限は2〜3日短くなった。
だから、嘗ては4日目に調理しても何ともなかったのに、
最近では、うっかり4日目になった生ものは捨てるようになった。
お役所の、安全に対する机上の観念が、物の廃棄を促進するようになった。

きょうどれだけの赤福餅が回収され、捨てられる運命になったかわからない。
実際上の安全面では問題がないのに、、、もったいない話である。
きょうに限ってそうまでする必要があったのだろうか?
農水省が指導するなら、製造日・解凍日・消費期限の明記であって、
いかにも害のある食品を平気で売っていたような
罪を着せるほどの問題ではない。
冷凍保存も製造過程の内、というのも、私は納得できるのだが。。。


きょうは午後睡魔と闘いつつ、きょうの答案の採点を終えた。
かなり気楽な休日が過ごせそうで、うれしい。



2007年10月11日(木) 映画「HERO」、、ドラマ「医龍」

テストの印刷をきょうしておこうと思って点検していたら、
解答用紙に間違いを見つけ、これは帰宅後の仕事に。。。
事務的な仕事を済ませ、試験明けの授業の教材をひとつ作り、、、
本を読み始めたら、眠くなってしょうがないので、
ふと思い立って、時間給を取って、今年できたショッピングモールへ。。。
いつもの帰路よりほんのちょっと遠回りするだけだが、入るのは初めて。

15〜20分で着くけど、映画館のエリアは3階の一番奥にあるので、
仕事帰りに寄るには、30分くらい余裕を見た方がよさそうだ。
ただ、時間が来ても、宣伝や予告編を15分くらいやっていたから、
10分くらい遅刻したってかまわないだろう。
この時間の観客は10人そこそこしかいなかった。


この映画は、6年前の連続ドラマの続きであるだけでなく、
何と、ちょっとつまらなかった2時間スペシャルドラマの続きである。
あれを踏まえた流れになっているので、知らないとおもしろさが半減する。
先日再放送してくれたのは、このためのサービスだったのかぁ。
でも、TVドラマの物語を踏まえた劇場用映画、って反則では?

映画は久利生公平の精神と、感化された仲間たちの
集大成的作品になっていて、たいへんよかった。
韓国まで行かなきゃいけなかったか、些か疑問の残るところだけど、
そこまでもやるぞ、という久利生流を表現するわけだから、ま、いいか。。

幸四郎が弁護士だったので重みが増したように思うが、
タモリはやめといてほしかった。

ラストは、やっと落ち着くべきところに落ち着いてよかった。
これ以上待たせたら雨宮がかわいそうだ。
ホントは、TVドラマの最終回で落ち着いておくべきだったのに、
演出家があまりにも意地悪だった。

「あるよ」のマスターはホントにいい人だ!


夜、なーんとなく新番組の「医龍」を見てしまった。
2シーズン目らしい(前シーズンはまったく知らなかった)。
今夜の初回だけは2時間番組だったにもかかわらず、
頻繁なCMに閉口したにもかかわらず、見てしまった。
時折、病気や手術方法の、図解入りの詳しい説明があったりする。
緊迫した手術場面で、心臓をいじったりするので、こっちも痛くなってくる。
チーム・ドラゴンがめでたく再編成されたものの、
儲け主義に利用されそうな雰囲気になって、初回の幕を閉じた。

何か、来週以降も見続けそうな予感がするなぁ。。。
原作は漫画だそうで、、、驚き!



2007年10月10日(水) セキュリティ??

まー、ホントに頭に来る会議だ。
4時50分に始まって、6時半近くまで、不毛の会議。

最近、ほんの一握りの教員の不始末で、生徒の個人情報が漏れる事件があり
異様にピリピリしている。
アホらしい限りだ。
車からPCやメディアを盗まれたとか、
最悪なのは、ウィニーとかシェアとかをインストールしていながら、
個人情報を大量に保存していた迂闊な者たちである。
そんなものは、家に置きっぱなしでも常にいくらか危険にさらされているし
職場に持ち込んで行き来しなくても、
職場以外の外出に持ち出したりすれば同じだけの危険にさらされている。
個人情報漏洩にならぬようにユーザーが気をつけるのは個人の問題だ。

きょうの会議は、ネットワーク委員会なのだが、
来年から新たに始まる県の学校の通信システムの改変に伴い、
個人のPCを学校に持ち込むのを禁止すべきか許可すべきか、
許可すべきならどういう条件で許可すべきか、という問題に終始した。

私自身の結論は簡単に出ている。
学校のネットワークに接続しない限り、自分の公務のためである限り、
持ち込みは自由である。
でなければ、学校のPCに入っていないソフトを使う仕事は自宅でやれ、
PCの順番待ちで、順番が回って来なくて職場でできなかったら自宅で、、
ということになってしまう。
実際、我々は勤務時間外に自宅で仕事を自主的にやることに慣れているが、
個人のPCを持ち込むのを禁止するというのは、
時間外勤務を強制することに等しいのだ。
それだけの報酬を県は用意しているかというと、皆無である。

職場にノートPCが20台入った。
しかしそれは2〜3人に1台という割合に過ぎない。
また、さまざまなソフトをインストールしてくれるわけではない。
個人のPCを持ち込むな、と言うなら、持ち込む必要のない環境を整えろ!現場知らずの事務屋が、保身のためにやいのやいのと偉そうなことを言う。
現場はそれに振り回されて、無理難題を抱え込む。
ここ何年かの現場の混乱の、またひとつの典型的症例ができたわけである。

しかし、県の指導を仰いで来た教員や、素直な若者たちは、
完全に県の自己保身対策論議に冒されてしまっているようだ。
君たちの論法を突き詰めて行くと、
職場以外ではPC使うな!!! となってしまうのだよ。
自宅では一切PCを使うな!! ということになってしまうのだよ。
だってねぇ、、、学校の通信システムにはつながらないにしても、
どこにつながるかわからないから学校に持ってきてはいけないと言うなら、
自宅でも無線LAN を使ってはいけないことになるじゃん!
ていうか、インターネット不可の環境でしかPC使用はしていけない、
という事になってしまうわけだ。

何か、現場重視でなく、事務屋的感覚の教員が増えてきたなぁ、と、
悲しくなってしまった。
だから現場無視の理不尽な教育政策に唯々諾々の環境になってしまったのだ。



2007年10月09日(火) ますます混迷のドラマ

きょうも最大の話題は「エイリアス」である。

昨日試験問題をほとんど作ってしまったので、
きょうの空き時間はかなりのんびりムードで過ごすことができた。
午後は授業が入っていないので優雅な午後が過ごせそうな予感だったが、
それは錯覚で、残念ながら出張が入っていて、会議で厄介な議論をした。
夜、試験問題を完成させようとしたけれど、完成させる前に
もうちょっと検討すべきところがいくつか見つかって明日に延期した。

ついに、SD−6の系列の世界的組織は一挙に壊滅した。
しかしそれはスローンの陰謀だったようだ。
スローンの新たなる作戦の始まりのようだ。
本来はこれがシーズン1のラストになるべきである。

スローンの作戦大段階は、CIAに組織を壊滅してもらうことだったが、
第2段階は、ある人物のコピーを活用すること。
きょうの段階でも、それはかなりの危機を感じさせるものだった。
しかし、本格的にそれが危険な展開になるのはこれからだろう。

ますます疑心暗鬼に悩まされそうな展開である。



2007年10月08日(月) 「エイリアス」シーズン2も後半へ

3連休唯一の朝からゆっくりできるはずの日だったが、
起きる前から試験問題作りに脅迫された。
朝、目が覚めてから2度寝、3度寝したが、どちらも30分程度で目覚め、
そのたびに、試験作らなきゃと急かされて、9時には起きた。
それから夕飯後約1時間まで、すべてを試験問題のために費やしたわけでは
ないけれど、最低6時間は試験問題のために費やしたようだ。
もちろん完成したわけではない。
これから検討を加えるべき下地ができただけだし、
ひとつ資料を職場に忘れてきたので、2割弱はまだ手つかずである。
国語のテストは特に、だが、急いで作ってはいけないし、
小間切れで(つまり時間を寸断される中で)作ってもいけない。
知識中心の他教科と違って、尋ねるべき内容が定かでないのだ。

せっかくの休日がこんな風に潰されるのは、本当に悲しいことだ。
やりたいことも、やるべきことも山積みになっているのに、
それらをすべて捨てて、やらなければならない。
そんな時間は勤務時間内に保証されていない。
先週も空き時間に試験問題に取り組んだが、中途半端な自由時間で、
何度も何度も中断させられて、思考が停止した。
きょうは、その断片をつなぎ合わせたりもしながら、約6時間である。
集中して取り組まないと、間違いも生じる。

その仕事が一段落して、「エイリアス」を見続けた。
シーズン2の12話まで見終わった。
シーズン1の半ばからとてつもなくおもしろくなってきたのは、
「疑心暗鬼」度が高まってきたからだろう。
「24」の感想に「誰を信じていいのかわからなくなる」と書いたことが
あったが、そういう点では「24」を凌いでいる。
(もちろん、緊張感の深さと持続という点では「24」が最高である)
ヒロイン自体が二重スパイという設定だから、
信用、という点で緊張感が高まるのは当然のことである。

シーズン2に入ったら、夫を裏切り、娘を捨てて犯罪組織を動かしていた
シドニーの母親が、CIAに協力を申し出て、拘束された。
今のところは協力的だし、娘を愛する母親を演じている。
度胸も座っているし、態度も潔く、毅然としている。
長年の緻密な作戦の末、シドニーのために帰ってきた正義の人と思いたいが
もちろん真意に疑念が残る。

それというのも、このドラマは、ミッションはわりと成功するのだが、
全体として、どんでん返しの連続でもあるからだ。
見続ければ見続けるほど、何を信用していいか不安に駆られるのだ。



2007年10月07日(日) 早起きと夜更かし

私は早起きが苦手である、、、というより、早寝が苦手である。
つまり、夜更かしを控えるのが苦手である。
ついつい夜更かしをしがちである。

例えば、通常勤務よりうんと早く出かけなければならない朝があるとする。
朝、5時には起きなければならない日があるとする。
通常の2時間近く早く起きなければならないので11時半ごろ寝るとする。
そのために、9時ごろから酒の力を借りる。
通常より2時間近く早く飲み始めるわけだ。
そうして、寝るべき時間だし、いい加減寄ってきたから寝るとする。
ところが、なかなか眠れないのだ。
で、ふと気がつくと、眠っていたらしいが、寝てから2時間ほどだ。
それから起きる時間までに、眠っては目が覚め、眠っては目が覚め、、を
何度も繰り返すはめになる。

つまり、早寝早起きが苦手なのだが、早寝が苦手だから朝が不安なのだ。
朝ちゃんと起きられるかどうか、というのは、誰もが抱える問題だろうが
私にとっては普通の人よりも緊張を強いられる問題ではないかと思う。
休日はそういう緊張から解放されるのがありがたい。
しかし、9月に入ってから休日にも仕事が入っていることが多い。
吹奏楽の仕事なら、それ自体は休日がつぶれてもったいないとは思わないが
朝のんびりできないのだけは、たいへんな精神的負担だ。
睡眠不足をさらにため込むことにもなるし。。。

昨日からの3連休も、昨日は中学生の混成バンド、夜は市吹の練習、
帰宅したのが夜の10時半なのに、今朝は市民体育大会の開会式の演奏で、
またまた早起き(と言っても平日と同じだが)しなければならなかった。
このごろは「エイリアス」を見ているせいで、寝る時の葛藤が激しい。
ついつい見てしまうドラマをどこで中断するかはたいへんな難題である。
昨夜もその前も、危うく中断に成功した、という感じだった。
そんなわけで、休日なのに4時間半〜5時間という睡眠時間が続くわけだ。

きょうの午後は疲れ果てて、ゆっくり昼寝した。
こういう睡眠は、さっと眠りに落ち、
3時間ほどですっきり目覚めるから不思議だ。



2007年10月06日(土) 東野圭吾「ゲームの名は誘拐」

中学生の混成バンドの練習が終わってから市吹の練習までに時間があった
ので、喫茶店に入って、しばらく放ってあった「ゲームの名は誘拐」を
最後まで読んだ。
読み終えてから知ったのだが、映画「g@me」の原作だったらしい。

今まで読んだ東野作品に比べると、軽快な短編小説、という感じだ。
300ページちょっとあるけれど、そんな感じがする。
味わいが、短編小説を読んだ後の味わいに似ているのだ。
狂言誘拐の経緯を短くは語れないので、長くなってしまっただけだ。

200ページ近い、狂言誘拐成功までの物語も、それだけでおもしろい。
しかし、大どんでん返しのその後の数十ページがその数倍もおもしろい。
この入念な誘拐ゲームは、最後の数十ページのための素材でしかなかったのだ。



2007年10月05日(金) シーズン1を見終わったが、、、

制作者たちは、なぜここでひと区切りにしたのだろうか?
何ひとつ区切りがついてない。
ますます話が大きくなり、ますます話が混乱している。
大きな何かが解決し、しかしまた新たな問題が、、という程度ならわかる。
しかし、この結末は1シーズンの終わる1〜2話前の「次回に続く」だ。
22話もつき合わせて、何という結末だろうか。

・・・とりあえずシーズン1を見終えて一段落したいと思っていたが、
結局、すぐに次を見ざるを得なくなった。
シーズン2に入ったら、シーズン1最終回の残されたいくつもの難題は、
第1話のうちに何とかすべて解決した。
シドニーの親友のティッピンくんだけは、
正義の新聞記者を続けられなくなってしまったけれども。。。

シーズン2は、シドニーの母親が現れて、謎の行動。。。
とにかく、このドラマは回を追うごとにおもしろくなってきたけれども、
シーズンが変わってますますおもしろくなりそうな気配である。
ついつい時間を忘れて見続けてしまう。

しかし、明日は中学生相手の1日練習、、、そろそろ寝なければ。。。



2007年10月04日(木) 「エイリアス」が20話まで、、

小麦粉の高騰による物価値上げが、バイオ燃料ブームのためだそうな、、、
そんな話についても一言もの申したいし、
ガソリンの値上げについてももの申したいし、
教科書検定問題にももの申したいし(しかも「つくる会」が逆襲したし)、
法相発言が波紋を広げている死刑問題についても、、、などなど
書きたくなるような問題がいっぱいのきょうこのごろであるが、
ニュース等で間接的に知らされるだけのそういう事件より、
目の前で展開される「エイリアス」に現を抜かしているのが現状である。
実に困った事態だ、、f^_^;

第10話以降、緊迫感は増すばかり。。。
SD−6が攻撃に遭い、壊滅を願うシドニーがそれを救う。
ランバルディの日誌を命懸けで手に入れたシドニーが、
その日誌の内容のために、FBIの「魔女裁判」を受けるはめに。。。
シドニーは、かつての恋人と再会して、結局知らずに殺してしまうし。。。
とにかく、いろいろと複雑な状況になってきているのだ。

今夜はシーズン1を見終わろうと思っていたのだが、仕事を思い出した。




2007年10月03日(水) 相変わらず「エイリアス」三昧

夕方空を眺めたら、モコモコの雲が空一面を覆っていた。
ちぎれ雲をたくさん集めて来て敷きつめたという感じである。
不思議な感覚の光景だった。

いろいろ書きたい話題があったはずなのに、忘れた。
帰宅後は、時間さえあれば「エイリアス」を見ている。
ますますおもしろくなっている。

もう眠い。。。



2007年10月01日(月) 緊迫感高まる「エイリアス」

土曜日から曇か雨の冴えない天気で、そのおかげで涼しくなった。
先週後半から明け方は寒いほどで、油断すれば体調を崩しそうだ。
最高気温20°そこそこなので、生徒の制服の以降も進み始めた。
しかし明日からまた気温が上がり、30°近い日々が復活しそうである。

きょうは久々の月曜日。
授業と会議が詰まっている日で、土曜日に仕事に出なかったもんだから、
朝からバタバタ、あたふたあたふたの様相だった。
何とかこなしたけれど、疲れが少ない。
湿っぽくても快適気温だったのがよかったのではないかと思う。


夜、「エイリアス」の続きの3話だけ見た。
一昨日までは、気楽に見られるホームドラマ的アクションドラマと思ってた
が、二重スパイがバレそうになるわ、父親に銃口向けられるはめになるわ、
信頼する(すでにシドニーの恋の対象かも?)ヴォーンくんが、
シドニーの父をかつての事件の容疑者として告訴しようとするわ、、、
(せっかくシドニーが父を尊敬し始めたところなのにねぇ。。)
もうさまざまな要素が絡み合って、緊迫の度を増してきた。
とにかく、二重スパイであることがいつバレるかわからないというのは、
これだけで通奏低音的な効果で緊迫感を与え続けるのである。


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