TENSEI塵語

2006年12月31日(日) 簡潔に1年を振り返る

きょうはまた意外と暖かい日になった。
穏やかな大晦日である。
昨日と同じように、忙しく優雅な1日を過ごした。
要所要所は何とか片づけたり掃除したりしたし、
明日1日、買い物にも出ずのんびりできる用意もしたけれど、
自分の部屋だけはぐちゃぐちゃのままである。
これじゃあ福も逃げるわ、まちがいない。

まあ、しかし、世の流れを見るに、良い年なんて、
もう金輪際迎えられないような気がする。
今までも年々悪くなる一方だったが、今年は一層その感が強い。
これからまたますます困ったことが襲ってくるに違いない。
・・・なんて気分は新年迎えるのに相応しくないんだけどなー。。。



2006年12月30日(土) 忙しく優雅な休日

今朝起きたのは11時半である。
8時ごろ目が覚めたのだが、もっと寝よーっと、、で起きたのが11時半。
短い1日が、掃除や買い物と、メールのやりとりでさーーっと過ぎた。

特に時間がかかったのは、橋本さんへの異議申し立てメールである。
「日本語には主語がない」なんてことを悦に入って(笑)語ってるので、
ちょっともの申したくなったのだ。
年末年始は心にゆとりができるせいか、
以前もちょいちょいこういう議論をして楽しんだものだ。
何と彼は、このやりとりを彼の独り言BBSに転載してくれている。
後日、私もどこかにまとめておきたいと思う。
明日は、「日本語には時制がない」に異議申し立てをするつもりである。
これは彼の説ではなく、ある学者の説の紹介だけれど、
自分でも書き、また相手の意見を聞くことにより、
日ごろ漠然と考え実践していることなどがより明確になる上に、
新しい視点を持つこともできるようになるので、ありがたい機会である。
だから、ゆとりの時間は必要なのだ。
めんどうな議論につき合ってくれる人にも感謝しなきゃあね。。。

もう夜中の1時ごろになっているけれど、
「24」の続きをこれから見るつもりである。
2、3話でも見ないと、落ち着いて寝られそうにない。
明日もきっと朝寝坊して、短い1日に、あちこち走らねばならないし、
忙しくも優雅な休日になりそうだ。



2006年12月29日(金) 「24」シーズン5

今、まだ夜中の2時を回ったところである。
まだ寝る前だから、普通なら前日の日記の範囲なのだが、、、
0時半ごろから「24」の最新作を見始めて、2時間分を見終わった。
明朝のゴミ出しが気になるので、もう寝なきゃいけないのだが、
あまりの興奮のために寝られるかどうか不安である。
どうせこの29日の日記は、「24」のことしか浮かばないだろうから、
29日付で書きとめておこう。
きっと今夜もこの話題しか書けないだろうから、書き足すことになるだろう。

見始める前に、前のシーズンはどう終わったんだろうと思い出してみたら、
そういえば、ジャック・バウアーは死んだことになって姿を隠したのだった。
どうやって、これから1日ジャックが活動するのだろう、、、これは
大いなる関心だった。

ところが、そんな関心など忘れさせてくれるほどの、衝撃の展開!!
始まってほどなくして、突然、彼(ジャックではない)が殺された!
そんなことあるものかーーー、、と信じられないながらも、
そろそろその死を我々も受け入れざるをえなくなるころに、、、
彼女も殺され、、、、ちょ、ちょ、ちょ、、ちょっと待ってくれ! と
気持ちの整理もつかぬうちに、彼が大重傷。。。
な、、なんでいきなりこんな悲しい別れが立て続けに、、、???

シーズン1のころは、まだ1〜2話のころはのんびりムードがあったが、
その後は最初から飛ばしまくる。
もう目が離せない展開の連続だ。
またもやジャックは、極悪人扱いされながら、真相究明に奔走している。

今夜はとにかく寝るとしよう。。。


【初雪】

一昨日も強い風が吹いたが、異様な、春一番かと思わせる生暖かい雰囲気。
昨日も強い風が吹き、これはどんどん大気を冷やして行った。
夜になっても吹き続け、窓を開けると一瞬息ができなくなるほどの
強い風が入り込んで来るほどだった。
夜10時ごろに空を眺めたときはまだ空は澄み月が輝いていたが、
真夜中には雪が降ってうっすら積もり始めていた。
今起きて外を眺めると、積雪は真夜中に見たのと変わりない。
屋根の上などに、ほんの2センチくらいのものである。
やっと冬が来たなぁ、という感じである。


【12:20】

朝7時に始まったドラマが11時になった。
まだ4時間しか経ってない。
あと20時間も見なければならないとは。。。

今、2話分、9時から11時までを見たところである。
まだ心臓がバクバクしている。
これで十分だ、もう腹一杯だ、と思っても、ドラマはまだ「序」なのだ。
また怖ろしく長い1日をジャックとともに過ごさなきゃいけないわけだ。

少し休もう。。。


【宛名職人】

住所録をメールで転送したら読み込むことができた。
ネットワークのファイル共有を利用するのがもっと簡単だったのだろうが、
最近はめんどうで使ってなかったので、メールを利用してみた。
もちろん、自分宛のメールに添付して、あっちのPCで開いたわけである。
移行する時のメディアが、ちゃんとMac フォーマットでないとダメらしい。
フラッシュメモリーなど、フォーマットおかまいなしで、
Mac からWindows 、Windows からMac へと自在にファイル移行できてたのに
「宛名職人」の住所録はそれがたいへん厳しいらしい。
フラッシュメモリーにコピーしただけで、ファイル形式が変化するようだ。
怖ろしく繊細な構造のファイルと見える。
またひとつ大いなる学習ができた。


【午前3時】

朝7時に動き出したドラマが、夕方の5時になった。
何とめまぐるしい展開であろうか。
前の4シリーズもこうだったのかな? 、、こうだったんだろうなぁ。。。

オードリーがシーズン4に引き続き登場している。
前回とは格段に毅然とした大胆な態度で、真相究明に献身している。
だから、ますます美しく見える。

本当はもう2話くらい見られる時間があったのに、
風呂上がりにつけたTVで、金スマの新庄劇場を見てしまったのだった。
ついつい、それで2時間近く費やしてしまった。
それはそれでおもしろかったからなのだが。。。



2006年12月28日(木) 脳の中は1000億人の対話

朝出勤したら、昨日本屋が置いて行ったらしい図書館用の雑誌が数冊。。。
その中の「ニュートン」が脳の働きを特集していた。
いつもなら、今度読まなきゃな、、と思ってそれっきりになるのだが、
幸いきょうは追試の答案を待つだけで、2時間以上ゆとりがあるので読んだ。

大学時代に、一般教養で取った生物学が、脳の働きについての講義で、
たいへん興味深かった。
卒業後も大体のところは覚えていて、生徒に勉強の話をする際に、
簡略した形で説明することもあった。
しかし、そうしょっちゅう話すことでもないし、だんだん曖昧になった。
2〜3冊の本を熱心に読んだこともあるが、
知りたいことや確認したいことが、どうも腑に落ちない感じだったので、
大学時代に知り得たことが曖昧になっていくままになっていた。

ニュートンの特集は、見開き2ページいっぱいにリアルな図が広がり、
その上に白抜きで解説がされていて、図の中に各部名称も書かれている。
その見開き2ページごとに、実に要領のいい筋立てでテーマが展開し、
実にみごとな説明である。
せっかくだからきょうはメモしておくことにする。


脳には1000億のニューロン(神経細胞)がある。
世界の人口が65億だとすると、世界の人口の15倍ほどということになる。
脳のニューロンは、本体というべき「細胞体」から突起が何本も出ている。
その突起の1本は「軸策」と言って、信号の送り手となる。
その他の何本かは「樹状突起」と言って、信号の受け手となる。
1本だけの「軸策」は、枝分かれしつつ、
他のニューロンの「樹状突起」につながる。
そのつなぎ目を「シナプス」と呼び、その数はひとつのニューロンにつき
数千から数万にも及ぶという。。。

・・・うーん、、気が遠くなるような膨大な話だ。
ひとりが、数千から数万人と関わりをもち連絡をとっているようなものか?
このひとつのニューロンが、細長い軸策などを含めても1ミリ程度だと言う。
たった1ミリ四方の範囲の中で、万単位の結びつきとは。。。


シナプスが、軸策と他のニューロンの樹状突起のつなぎ目だと言っても、
実はシナプスには隙間がある。
ここが、大学時代最も興味深かったところで、その隙間を物質が通ることに
よって、ニューロンの回路が成立するのだと言う。
その結びつきが強固になれば、より強い記憶となる。。。

この点をもう少し詳しくまとめておこう。

ニューロンの信号には「電気信号」と「化学信号」があり、
「電気信号」は軸策と樹状突起で、「化学信号」はシナプスで働く。

信号の送り手である軸策は、図で見ると、つながったままの腸詰めみたいな
格好をしていて、ソーセージとソーセージの間に開閉式の複数の穴があり、
その穴を「ナトリウム・チャンネル」と言う。
この「ナトリウム・チャンネル」は、軸策の中に生じた電流を感知して開く。
すると、電気を帯びたナトリウム・イオンが細胞の外から流れ込み、
軸策内部に電流が発生する。
するとまたその先のナトリウム・チャンネルがそれを感知して開き、
ナトリウム・イオンが流れ込み、、、という連鎖によって、
ニューロンの中の電気信号は、長い軸策の先端まで、
弱まることなく伝達され、シナプスに送られる。

軸策の先っぽには「カルシウム・チャンネル」という開閉する穴と、
グルタミン酸などの化学物質を蔵した「シナプス小胞」が複数ある。
軸策の先っぽまで電気信号が達すると「カルシウム・チャンネル」が開き
カルシウム・イオンが、外から軸策の先端内部に流れ込む。
すると「シナプス小胞」が先端表面に運ばれ、
化学物質をシナプスのすき間の部分に放出する。

対岸の樹状突起側には、「受容体」という開閉式の穴が待っている。
軸策先端から放出された化学物質が「受容体」に結合すると穴が開き、
細胞外のナトリウム・イオンが流れ込み、
こうして、電気信号が次のニューロンに伝達されるというわけだ。

このように、シナプスというすき間を飛び越えつつ、
次々にニューロンからニューロンへと信号がつたえられ、、、と、
単純に進んで行くわけではないようだ。
ひとつのニューロンには、数千から万単位の信号がひっきりなしに集まる。
だから信号の量が一定量を越えないと「発火」せず、無視され、
次のニューロンに送り出されることはない。


・・・こうして、書いたり読んだりしている間にも、
このめまぐるしいニューロンの活動が私の脳の中で行われているわけだ。
こういう不思議で精密な機械を、いったい誰がどうやって創り出したのか?
想像を働かせれば働かせるほど、不思議の念にくらくらして来るのだが、
そうしている間もやはり、この活動を彼らは続けてくれているわけだ。。。

さて、こういう基本的な脳の働きを明確にしつつ、
もっとも興味深いのは、記憶と忘却のメカニズムについてなのだが、
今夜はもう長くなってしまったので、またの機会にまとめるとしよう。




2006年12月27日(水) 「宛名職人」の謎

24日の続きで、やはり解決しない。
アジェンダのサイトで見つけた説明は、私がすでに試みた方法と同じ。

きょうは仕事もなくなったので、3時間休暇を取って帰ったのだが、
サポートセンターに電話してみることなどコロッと忘れて、2時間眠った。
起きてから電話してみようかなと思ったが、もちろん時間外になっていた。

結局、住所録がどうしてもOSXに移せないので、
今までのOS9のまま、レーザープリンターで宛名印刷した。
これでやるとハガキが頑固に反ってしまうのでイヤなのだが、しょうがない。
来年には何とかしておきたいものだ。

ここぞというところで融通が利かないのが、このソフトの欠点である。
宛名のレイアウトが保存できない、、、何で?
宛名の文字の大きさも、それぞれ調整したいのだが、自由がきかない。
こんなんではとても「職人」的作業にはほど遠い。
それなのに、毎年ヴァージョンアップしつつも変化がなかった。
最新のは知らない、、、私の持っているのは4年前の製品である。

それでも、自動でどんどん印刷してくれるのでありがたく利用する。
手が疲れずに済むし、書き損じもないので、そういう点がありがたいからだ。
しかし、今回の不可解な事態には、怒らずにいられない。
普通のアプリケーションだったら、まずあり得ないことだから。。。



2006年12月26日(火) アンコン無事に終わる

去年の12月25日と同じ題にした。
去年よりもさらに多い82チーム、プラス10分の上、
入れ替えに時間のかかる打楽器アンサンブルが増えて、、、
朝9時50分に開会して、55分に演奏を開始し、
昼休みと2つの休憩を挟んで、演奏終了が夕方の6時20分である。
審査の集計作業が最短時間でできるよういろいろ工夫をしても、
同点の審議もあるし、82枚の賞状を用意するわけだから30分はかかる。
表彰式や、県大会代表校への説明が終わったのが7時半ごろ、、、
それから片づけて帰宅したのが9時過ぎである。

進行が絶対に遅れないようにしなければならないので、ぴりぴりである。
油断したら簡単に10分くらいの遅れは出てしまう。
ほとんど座ってのんびりすることはない。
進行は順調どころか、5分早く進み、休憩時間を5分延長できた。

もう何もかもどうでもいいわぃ、というほどに疲れたけれど、
きょうもまた大きな達成感で爽やかな気分も伴っている。

とにかくきょうは早めに寝よう。
1年間の仕事がこれで終わったみたいな感覚でいるのだけれど、
明日も厄介な仕事が残っている。困ったものである。



2006年12月25日(月) 「のだめ」最終回

といっても、前半の最終回なのだろう。
何ヶ月かしたら、パリを舞台にした後半が始まるはずである。
TV曲も、このままでやめてしまうわけにも行くまい。

最終回の前半はいくつかのギャグに笑えたし、
のだめの郷里に迎えに行く千秋の姿もなかなかおもしろかった。
ラストは、涙、涙の演奏シーン、、、うーん、、ちょっと大げさすぎる。
このシーンは適度な感動にとどめておいて、
ラストは微笑ましくさっぱりとした軽口で締めくくってほしかったな。
今までにないタッチのドラマだったのに、ラストはかえって月並み。。。
大体、観客総立ちなんてコンサートは実際にはそうないですよ。
しかも、ベートーヴェンの7番だもんなぁ。。。
スピーカーで聴くのでなければ、そう圧巻と言うほどの迫力は出ない。

「のだめ」を楽しんで見てきたし、原作の漫画も後読みしているが、
いろんな意味で刺激になった。
シューマンのビアノソナタ第2番なんて、まったく今まで聴いたこともなく
そもそもシューマンの曲は1枚もCDを持ってなかったのに、
先日検索して買って聴いた。
ショパンのエチュードもガーシュインのラプソディー・イン・ブルーも、
持ってるつもりなのだが見つからないので、買って何度か聴いた。
ラプソディー・イン・ブルーは、先月、ポップスアレンジされた曲を
今度の市吹の定演の最後の曲に決めた。
このドラマのおかげで、なかなか埋まらなかった穴が埋まったということだ。

私がこのドラマを見てホッとするのは、
楽しんでこそ音楽なのだ、という考えが貫かれている点である。
登場する音楽の権威者の中にも、上辺の演奏技術よりも、
演奏の中に隠された心的傾向を見抜く人物が何人かいる。
そういうところが実に嬉しい。



2006年12月24日(日) 「宛名職人」に振り回される

今年は、この20年間ほどの中で、画期的に早く年賀状に取りかかった。
きょう宛名書きをすれば、快挙と言っていいほど早い投函のはずだった。
手書きにしていれば夕方には投函できていたし、
途中で妥協して、去年のようにこのメインマシンとレーザープリンターで
宛名印刷していれば、やはりきょう中に投函できていたはずである。

しかし、今後のためを考えて、いろいろと整備しているうちに、
作業が増えた上に、最後はとんでもない迷宮に入り込んでしまった。

私は、G4Mac のOS9 をメインに、mac miniのOSX をサブに使っているが、
先日買った複合機は、Mac はOSX にしか対応していない。
これが、たいへん優秀な複合機なので、年賀状裏面はこれで印刷を終え、
宛名もこれで印刷できるようにしようと決めたのである。

最初にまずぶちあたったのは、「市町村合併による住所変更」である。
今年の年賀状は元旦に裏面を作り、来たところに順次出すはめになったので
いちいち住所変更をしてあるからいいはずだが、今年に入ってからの変更は
ぜんぜんしていない。
もちろん、そんな変更はしなくても届くはずなのだが、
最新ヴァージョンの「宛名職人」ではそれが一発でできると知ったら、
この4年前のヴァージョンでできる手はないのだろうかと探りたくなる。
それで、サイトでいわゆる「辞書」というやつをDLすればいいことを知り
ログインのための手続きから購入手続きもして、住所録更新作業をして、
これだけで2時間は費やしたかもしれない。

それと同時に、インストールCD探しである。
4年前に買ったこのver10 版でもOSX 対応しているのだが、
付録の3枚のCDはすぐ手元で見つかったのだが、インストール用がない。
いろいろ探しているうちに、そういえば階下のiMac にインストールして、
そのままその机の引き出しに入れたと気づいて、そこから見つけ出した。
これだけでも30分は浪費したであろう。

もうこの後は順調に進むはずであった。
インストールなんて作業は簡単なものだし、
住所録のファイルはメモリースティックで移植してやればすぐ使える。。。
だから、きょう投函は無理でも、明日の朝には投函できそうだった。

ところが、この最後の段になって、実に頑固な障害に遭った。
OS9 で作った住所録をOSX の「宛名職人」は全く読み込もうとしないのだ。
こんな不思議な現象はない。
その頑固さは、「一太郎」のWindows 版とMac 版の関係と同じくらいである。
あるいは同種のOS 同士でも数ヴァージョン離れている場合みたいである。
そんなバカな話はない。
もちろん、今までそんな経験をしたことがない。

こんなことしなくてもいいはずなのになー、、とぶつぶつ思いつつ、
CSV 形式に変換保存して移植してみたけれど、やはり読もうとしない。
CSV 形式にすれば、別のアプリケーションでも読めるのだ。
実際エクセルは読み込んでくれた。
それが、同じディスクから生まれた兄弟のくせに、ダメなのだ。

こうして、厄介だった1日が、謎に包まれたまま終わってしまうのである。



2006年12月23日(土) 暖かい。。。

冬休み第1日の休日であるが、火曜のアンサンブルコンテストの
地区大会のために用意したものを、地区事務局の学校に運んだ。
きょう運んでおけば、あとのめんどうな仕事はやっておいてもらえる。
本当は昨日のうちに運んできょうはのんびり休もうと思ったのだが、
昨日はうまく連絡がとれなくて、きょうか明日にするしかなくなったのだ。

ホントは休みなのになー、なかなか休みが自由にならないなー、と、
半ば、ぶつぶつ不平を言うようなつもりで出かけたのだが、
出かけてみると、補習に出ている者もいるし、部活の者もいる、、、
そうじゃん! この時期、吹奏楽の顧問なんて休めるわけないじゃん!
こんな仕事でぼやいてちゃいけないじゃん!
この3、4年で、かつてあたりまえだった感覚が麻痺しつつあるようだ。

去年は12日と22日に雪が降った。
特に22日の雪はかなりの積雪になった。
今年は、きょうあたりでも、雪など予想しようもない暖かさである。
今月になってから、冬らしいねぇ、と言い合った日は3、4日あったろうか?
そういう点ではたいへん穏やかな日が続いている。
市吹の練習では、今夜は3月の定演の曲を全部通してみた。
練習場の暖房もかなり効いていたが、曲がたいへんなのでかなり汗かいた。
休憩時間に外に出たら、涼しくて気持ちいいねぇ、という言葉が
自然と出てしまったが、これは冬の夜のセリフではない。



2006年12月22日(金) 終業式

きょうで2学期が終わった。
長かった、、、、が、振り返ってみると、あっけなく過ぎた感じだ。
土日曜日を待ち望みながら毎週を過ごしているので、
じれったくもあり、あっという間でもあったような、変な感慨になるのだ。
決して楽な4ヶ月間ではなかったはずなのだが。。。

来週火曜日のアンサンブルコンテストの準備もほぼ終わり、
来週月曜日と水曜日の補充授業の準備もほぼ終わって、
今夜は、年賀状の裏面のレイアウトに3時間ほどを費やした。
こんな早くに年賀状の準備を始めるなんて何年ぶり、というか初めてかも。。

去年はここまでに2回ほど大雪に見舞われたが、今年はさっぱりである。
昨日もきょうも、夜はかなり冷え込んだが、昼は大したことはなかった。
年内に雪が降りそうな予感が微塵もない。

何はともあれ、2学期が終わった。
29日までは仕事があるし、明日明後日も仕事から解放されるわけじゃない。
しかし、何となく心は解放感に満たされている。
時間的制約がいくらかは大らかになるかれである。

明後日には年賀状を投函したいものだ。
そうできたら、ひょっとしたら私の新記録かも知れない。



2006年12月21日(木) 「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」

来週までにやるべき仕事の、大体のところを済ませたので、
90分以内で見られそうなDVDの中から、イタリア放送協会制作の
「レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯」第1話を見た。
生誕から、ヴィンチ村での幼少時の生活、それからフィレンツェに引っ越し、
ヴェロッキオのアトリエに入門させられ、20歳で独立し、
30歳でフィレンツェを出てミラノに向かうところまでである。

ドラマチックなおもしろさはまだ感じられないが、
当時の村や町の生活のようす、とりわけ、
ヴェロッキオのアトリエのようすが興味深かった。
芸術家の集まるアトリエというより、職人の集まる工房だったようだ。



2006年12月20日(水) 政治献金・政治資金??

一昨日腹の立った記事は、3大銀行が自民党への献金再開という記事だが、
もう不可解なことだらけ。。。

りそな銀行の自民党への融資残高が3年間で10倍になったという見出しで
表を見ると、’02年末5億円弱だったのが、今年度末は53億円台。
UFJ・みずほ・三井住友の融資が減った分を補う、とも書かれているが、
それらはそれぞれ2億円減らしただけで、7〜8億円を融資し続けている。
東京三菱も含めた5銀行からの自民党の借り入れ残高は’02年末から、
38億、54億、77億、そして今年度80億と増え続けている。

これの意味がまずわかりにくい。
毎年それだけ借り入れたというのではなく、残高だというのだから、
残高が減っている銀行には1億なり5千万なりを返済したということか?
ただし、りそなから多額を借りてほんの一部を返済に充て、
多額を政治資金に回し続けているということか?

そもそもの始めは、’90年の総選挙で、9銀行に150億円を融資させ、
さらに、’93年の総選挙では100億円を融資させた。
返済能力や担保などは不問の危険な融資なのだが、断れない。
企業献金で返済する予定だったが、選挙に負けたせいで予定が狂った。
’94年には共産党以外の国会議員たちが政党交付金なる制度を作ったので
政治献金は粛正されたはずだが、12年経っても借金が残っているようだ。
りそなが救済に乗り出して、返ってまた借金が増えたってことなのかな?

UFJ・みずほ・三井住友の3大銀行が自民党への献金を再開しようとした。
庶民感覚からすれば、そんな余裕があるほど儲かってるんなら、
法人税ちゃんと払えよぉ、預金の利息を上げてくれぃ、と言いたくなる。
もうちょっと高度な見方をすれば、要するに、
これらの銀行が自民党の借金の穴埋めをすることになるそうだ、、なるほど。
りそなの救済といい、今回の3大銀行の救済といい、
銀行側の善意によるものなのか、自民党からもちかけた悪巧みなのか、
そこまでは新聞には書いてない。
融資を受けられず少なからぬ企業が倒産して多くの失業者が出た一方で、
こういう政党には多額な融資だの献金だのと、実に慈愛深いのは、
恐らく見返りがあるからだろうが、それがまず、汚い政治、である。
我々の税金を集めた財源を、教育や福祉に回す分をけちって、
自分たちの活動資金(政党交付金)に豊富に充てることにした理由は、
クリーンな政治にするためという大義名分だったが、やはり嘘である。

晋ちゃんはさすがにこれはまずいと考えて、
昨日、3銀行からの献金は受け取らないと決断し、公言したそうだ。
よく言った!! えらいぞ!!
しかし、これも、今までの自民党のやり口から考えれば、
支持率アップ後や、来夏の参院選以降はどうするかわからない。
とりあえず、今はそう公言するのが急務を考えただけ、という感じだ。
かわいそうに、中川幹事長などは晋ちゃんの発言の前に、
銀行からの献金を擁護する発言をしたらしいが、
彼などは、晋ちゃんの命令で取引に腐心したひとりなのかも知れぬ。
あくまでもこれは単なる想像だが。。。

それにしても、先日の復党問題以降、政治資金というのがよくわからない。
なぜそんなに莫大な金を必要とするのだろうか?
今年の自民党の政党交付金は168億円余という。
それでも足りないのだという。
何に使ってどれほど必要なものなのか、明細を見せてほしいものだ。
我々庶民にはまったく計り知れない金額だ。
それ以外にも、個人的にパーティーなど開いて資金を調達している人も
いるようだし、企業献金だってまったくないのかどうか定かでない。
どこかの機関には報告する義務があるらしいけれど、
我々国民にもちゃんとわかるようにしてほしいものだ。
理解できればそう非難する必要もないのだから。。。

しかし、庶民だったらさんざん贅沢して30万円程度で開催できる会合に、
その300倍をうんと超える資金を使う人種だからなー。。。



2006年12月19日(火) 民主主義の下で生きること

何か、教育基本法成立から、新聞読むのもイヤになってしまったのだが、
それでも、やはり毎日何ページかは目を通すのである。
そして、またもや腹の立つ記事があったのだが、ちょっとまだまとめにくい。
忙しすぎて新聞も読めない日が何日か続くこともあるのだが、
今のところは何とか読めるのである。
新聞が伝えてくれるのはほんのわずかな情報なのだろうけれど、
ほんのわずかな情報さえまったく知らないというのは感心しない。

民主主義とは、国民に主権があるということである。
実際には、代表として選挙で選ばれた人たちに代行してもらうのだが、
大事なのは、「君たちは比較的多数で選ばれたのだから任せる!」のでなく、
その人たちがきちんとした政治を行うかどうか、監督することである。
主権は、いわゆる多数決で選ばれた政治家たちにあるのでなく、
常に国民にあるのである。
為政者たちの言動をチェックする意志が、どれだけ民衆の中に生きているか、
それが、その社会がどれだけ民主主義的かを計るバロメーターである。

私はそういう目で約30年間日本の社会を眺めてきて、
まだ、民主主義という制度の中で民主主義は生きていないと思っている。
いまだによちよち歩きか、若いころ目覚めかけたけれど叩きつぶされたか、
あるいは、一向に目覚めないまま還暦を迎えて呆け老人になったか、である。
考えるのもイヤになるし、考えてもムダ、という魔の囁きもある。
もう、日頃は擦り切れるほど忙しい毎日だから、
専門家のように情報収集もできないし、考える時間も限られている。
しかし、民主主義の社会の中で生かしてもらっている義務を、
完全にさぼってしまうわけにもいかない。
ほんのわずかなことであっても、できるだけの監督はしなきゃ。。。


書きながら、いくつかの例が浮かぶのだけれど、
今夜は、きょう買ったプリンターの整備をしながら書いた。
もう遅いので、ここでやめておこう。
ま、例のいくつかは、今までにも書いてきたことでもあるし。。。



2006年12月18日(月) 苦手な音楽

今夜はちょっと時間が空いたので、何か見ようかなー、と
手持ちのDVDをあれこれ頭に浮かべるうちに、
おー、そーいえばきょうは月曜か、のだめじゃん、と今夜は9時にセーフ。

きょうの演奏場面の聴かせどころは、シューマンのビアノソナタ第2番。
これは聴いたことがないはずだし、もちろんCD等も持っていない。
今まで知らずにきたのが不思議なほど、ちゃんと聴いてみたいと心惹かれた。

中学生のころは何でもかんでも、勉強みたいなつもりで聴いていたので、
シューマンも、「子どもの情景」とか交響曲・ピアノ協奏曲とか、
割とがんばって聴いたものだが、好きな作曲家として心に生き続けなかった。

大体私は、音楽史上ライバル的存在として挙げられる作曲家たちに対する
接し方が、かなり極端である。
ショパンは心酔してよく聴いたけれど、シューマンはあまり聴いてない。
シューマンのCDは1枚も持っていないはずだが、
ひょっとしたらカップリングでピアノ協奏曲くらいはあるかもしれない。
ラヴェルもピアノ曲・管弦楽曲ともに好きだが、ドビュッシーはダメ。
マーラーは1番好きな作曲家だが、ブルックナーは心酔できない。
プッチーニは好んで聴くが、ヴェルディはかなり億劫である。

それは、それらの組の両者を比較検討しつつそうなったのではなく、
長年音楽を聞いてきた中で、自然とそうなっていたのである。
しかし、私が苦手な作曲家たちが、音楽史上評価されている意味については
もっとよく聴いて、理解しなければいかんと、長年思っている。

ちなみに、苦手といえば、現代音楽は苦手である。
せいぜい、ストラヴィンスキーとプロコフィエフまでは好んで聞けるが、
メロディーも調整も定かでないようなのになると、
「そもそも音楽とは何か?」と問い直さざるを得なくなるのだ。



2006年12月17日(日) 都知事のTV生出演

いやぁ、2日間のんびりしたなぁ。。。
基本的には、アンサンブルコンテストの地区大会・県大会の両方の準備を
家に居ながらにしてできる範囲で整理していたのだが、
昨日の市吹の練習で夕方出かけた他は、ずっと家の中で過ごした。
夜中の3時過ぎに寝て朝は10時半ごろ起きる2日間だった。
目覚まし時計の世話になる必要のない2日間である。
風呂掃除とかトイレ掃除とか、少しかたづけなどもしたが、
腰がだるくなると、横になったりもして、気ままな2日間だった。
一昨日まで、休む間もないという感じの2週間が嘘だったような。。。

夜、風呂から出てTVをつけたら、石原都知事がニュース番組に出ていた。
公費の無駄づかい問題のつるし上げのために出てきたようだ。
その勇気には感心するし、その番組の中で紹介され、初めて知った
東京ワンダーサイトの試みそれ自体については、感心した。
画家である四男の公費海外出張の問題もさることながら、
慎太郎くんの15回の海外出張費の総額が2億4355万円という驚き。
アメリカへは10人も連れて行ったり、イギリスへは17人(?)と、
で、一人あたりの出張費用が200万円くらいって、豪遊なんじゃないの?
随行者はどんな部屋だったかわからないが、
慎太郎都知事の部屋は、規定額が首相と同じ4万円ほど(すごい!!)だが
ワシントンで泊まった部屋は11万円、どこそこでは8万円とか。。。
どれほどの部屋だったのか、創造するしかないが、
何かのドラマや映画で見た、超豪華なスイートルームなのだろう。

彼は、そういう計画は事務関係に任せているからと弁解していたが、
まったく惨めな答弁と言うしかなかった。
つるし上げる出演者の非難は容赦ない。
彼らの言うように、こんな贅沢な部屋はいらんよ、と一言言えばいいのだ。
ホテルの部屋に限らず、経費を切り詰めるように言えばいいのだ。
あれほど都政や教育政策に口出しして厄介なことをしてきたのに、
こういうところには口出しせず贅沢させてもらうのはどういう心境か、
理解に苦しむところだ。

私から見ると、慎太郎くんは小泉クンの先駆的存在で、
庶民はなせか選挙で選んでしまうけど、選ばれたらファシスト的になる
代表的人物のひとりであった。
その特徴は、都政なり国政なりを私物化しようという傾向である。
そういう流れで見ると、さっき感心したと言ったワンダーサイトも、
素直に感心できない、いかがわしさを帯びてくるから、、残念だなぁ。。。

それにしても、よくこんな分の悪い番組に出てきてくれたものだ。
四男の公費海外出張についての弁明も惨めなものでしかなかったし。。。
なんなんだろう、、TV局・都知事双方の意図は、、?


慎太郎コーナーの後は、のだめの人気にちなんで、
現代音大生の実態をレポートしたコーナーになり、これも見てしまった。
音大生の層は広くなり、昔とは違って庶民的になったものの、
卒業後、演奏家として生きていく道があまりにも狭い、という苦境。。。


そういえば、きょう本当に何ヶ月ぶりかで、
オーケストラの演奏をCDで聴いた。
デュトワが指揮したプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」全曲盤。
楽器相互のバランスが絶妙で、不思議な美しさを持つ響きを聴かせてくれる。
そうして心酔して聞いているうちに、のだめでも時々使われた
騎士たちの踊り(別名:モンダギュー家とキャピュレット家)が始まった。
そのテンポといい演奏表現といい、曲自体は悲しいほどのものではないのに
ついつい感極まって涙してしまった。
この部分と「ティボルトの死」の場面は、
ボリショイバレエのすばらしい振り付けの想い出とともに気に入りなのだが
残念ながら「ティボルトの死」の演奏は絶妙とは言い難かった。



2006年12月16日(土) 悪魔が本領発揮

晋ちゃん内閣が発足したのが9月27日、
私は、その日も怖ろしい時代が始まる懸念を書いたのだが、
その2週間ほど前の11日にも、晋ちゃんの台頭を「悪魔の到来」と書いた。
悪魔は着々と日本を黒雲で覆い尽くしつつある。

昨日、改悪教育基本法と、防衛庁の防衛省昇格が可決された。
国民の多くは、これがまだ大した変化ではないと楽観しているようだ。
そうでなければ、晋ちゃん内閣の支持率が順調に下がっているとはいえ、
46%とか48%にとどまっているはずがない。
やらせや税金の過激な無駄づかいなど不正てんこ盛りのTMや、
卑怯極まりない復党問題も含め、この教育基本法の衆院単独採決など、
たった2カ月足らずの間に、支持率10%台に落ちていても不思議でない。
ひとつひとつの問題を、そこにどういう意味があるか、
深く考えない国民がいかに多いか、世論調査のたびに痛感する。
おそらく、何年か経ったときに、あれがこの伏線だったと気づく人は
まだいい方で、多くは、どうしようもなくなった時代になって初めて、
こんな世の中に誰がしたんだ、と憤ったりもするのだろう。

私が最近の晋ちゃんのコメントでもっとも気になっているのは、
「教育基本法の改正は私の悲願でありましたし、、、」というものだ。
日本という国はお前の所有物じゃないぞーー!!(`ε´)と怒鳴りたかった。
「私の悲願」を実現するために政治家をやっとるのかね、君は?
「国民の願い」を最優先に政治をしなければならないのだよ。
教育基本法など改めなくても、国民のことを真剣に考えた政治をすれば、
みんなが日本という国家をも自然と愛してくれるのだよ。

小泉クンの時から、国家は首相の所有物的感覚が顕著になった。
小泉クンにとって国家とは、米大統領と仲良くするための道具だった。
晋ちゃんの感覚は、それよりはうんとレベルが高い。
軍隊を持てる国(そのメリットは様々だろう、、もちろんデメリットも)に
したい一心で、今回早々に伏線を張ったのだ。
いきなり改悪憲法の国民投票をしても悲願は果たせないだろうから、
予めいろいろな所を崩しておいて、心理的に誘導する作戦なのだろう。
そして、我々のような、自由や人権や民主主義というものを、
こよなく愛し、守ろうとする人種を、悪者に仕立て上げて行くはずである。

改悪教育基本法の目玉は「愛国心」である。
私は、もう既にずっと前から愛国家だった。
しかし、昨日の可決で、日本という国家も、そこに住む多くの庶民も、
ますます愛せ泣くなった。
国土や自然、そうして文化的遺産はこの上なく誇り愛していても、
政治的指導者たちは、アホで厚顔無恥な輩としか思えないし、
そんな連中を数十年もの間、ありがたそうに奉ってきた大衆心理も、
無知でアホな国民心理の見本としか思えない。
日本国憲法も教育基本法(今までの)も世界に誇れる理想的なものだったが、
日本の社会は、それとはまったくかけ離れた恥じるべきものである。



2006年12月15日(金) 座礁

この2週間はとても忙しかった。
土日もしっかりと仕事が入っていたから、なおさらだった。
担当教科のだけでなく、学年全体の成績処理も順調に片づけたし、
アンサンブルコンテストの仕事も、膨大ながら順調に片づいている。
昨日は7時まで学校に残って通知表を作り終えて、
帰ってからアンコンのプログラムの原稿を作った。
予定よりもさっさと仕事が片づいていくので
明日明後日は余裕の休日が送れそうな予感がしてうれしかった。

きょう、2時間目と3時間目だけが空いていた。
授業後には成績会議と職員会議があるから、その2時間は貴重だった。
国語科のもうひとりの1年生担当者と冬休みの課題について相談した後、
読書感想文コンクールの賞状を作っておこうと思った。
これは昨年の11月5日に書いてあるように、
その日にPCで作業をして適切な書式ができているから、
20分もあれば片づいてしまうだろうと高をくくっていた。

ところが、PC室に入ってその作業に取りかかろうとしたら、
その時のファイルが見つからない。
私のバイオノートでやったと思っていたのだが、
その中にはその日のものも、3月に作った賞状ファイルも入っていない。
その時利用していたメディアの中に、3月のファイルは入っていたが、
読書感想文の賞状のファイルは、未完成のものしか入っていない。
それじゃ、PC室のマシンで作業したのだろうかと、ファイルを探したが
やはりまったく見つからない。。。

待てよ、、、そのマシンは確か昨年度の寒くなったころに買ったもので、
11月に作業していたのは古い方のマシンではなかったか。。。
担当者が2時間目の授業を終えて帰ってくるのを待って相談したら、
古いマシンを引っ張り出して、動作するように接続してくれた。
苦労してレイアウトした貴重なファイルは、
その古いマシンの中に確かに保存されていた。
ありがたいことである。
早速、今年用にデータを入れ替えて、賞状を印刷する作業に取りかかった。
数分もあれば終わるはずであった。

ところが、そのマシンからプリンターが動かない。
去年と同じプリンターなのに、去年使った組み合わせなのに、動かない。
いろいろ試みたが、4時間目の授業の時間が近づいたので断念した。
ファイルだけはちゃんと救出して、古いマシンを外して片づけた。

思いがけず、徒労の1時間半だった。
実に痛い、徒労の1時間半である。
1時間半かけて、去年作ったひとつのファイルを救い出しただけだ。
それはそれで、貴重な紆余曲折の成果だったのかもしれないが。。。

昨日まで実にうまくスケジュールがこなせていると思っていたが、
きょうは思わぬブレーキがかかってしまった。
順風満帆みたいな気分で満足して油断していると、
思わぬところで暗礁に乗り上げるものらしい。。。
人生を司る神さまというのは、たいてい意地悪でいたずら好きなものだ。



2006年12月14日(木) タウンミーティングの後始末

タウンミーティングの最終報告が出たそうだ。
改悪教育基本法の成立に影響のない時期まで調査を引き延ばした、という
見方もあるようだ(ま、予想されたことであるが、、)
とにかくあいつらはやり方が汚い。

税制について考えるときも、裕福な企業をさんざん優遇する。
そうして、政党助成費だのTMだの、何だのかんだので無駄遣いしまくって
消費税を上げることばっかり積極的だ。
彼らにとって庶民は、選挙の時だけは神さまになるかもしれないが、
当選させてくれた以上は、アホなごみに過ぎないのだ。
ホントにアホだ。
虐げることしか考えてないやつらに、また虐げて下さいと言わんばかりに
票を投ずる人たちがわんさといるのだから、アホ集団と言うしかない。
何十年欺かれ続けてきても、いっこうに目が覚めないのだ。

タウンミーティングの責任取りとして、
晋ちゃん首相は、給料から100万円を返納するそうだ。
おーー、立派立派、晋ちゃんさすが、潔い!! などと誰か思うのかな?

残念ながら、我々のもとにまで詳しい報告は届かないのだが、
昨年のTM1回分の平均の経費は1300万円だと言う。
返す返すも、とんでもない経費だと思う。
必要経費をどれだけ高く見積もっても、1100万円の無駄づかいである。
これ以上の詳しい報告がないので困ってしまうのだが、
仮に昨年30回行われたとしたら、3億以上の無駄づかい、
それ以前もそれくらいの経費だったとしたら、18億以上の無駄づかい。

返納金は100万円????
最近字が読みづらくなって困っているのだが、10億円の間違いでは?
10億円でも到底足りない。
それはねぇ、我々の水準に置き換えてみると、
公費を1000万円無駄づかいしたので、責任とって6千円ほど返します、
みたいなもんじゃないの?

それにしても、なぜこんな予算が計上できたのだろう???
不思議だ。
教育や福祉にもっと予算を回すべきだという声に対しても、
財政難、財政難ばかり唱えているくせに、
こういうところには、ぜんぜんいらない大金を注ぎ込んで平然としている。
どういう神経があると、こういうことが可能なのだろうか?
あまりにも不思議だ。
彼らは本当に我々と同じ人間という類なのかさえ、疑わしくなってくる。
神経回路があまりにも違いすぎるのだ。



2006年12月13日(水) 霧の中

濃霧、というほどではないと思うが、
今朝は自宅周辺と職場周辺で霧が立ちこめていた。
3日前の日曜日に出かける時も霧の朝だったから、今年2回目である。
無灯火では危ないというほどではないが、
霧に包まれた光景というのは、何やら穏やかならざる雰囲気である。

その後は晴れず、かなり冷えた。
本格的に冬が来たなぁ、、と思わせる冷え込みだった。
例年よりかなり遅いペースで冷え込みつつある。
そうして昼前からまたもや雨が降ってきて、本格的な降りになった。


それにしても、教育基本法を産院でも今週成立させると先週報道されたが、
いったいどんな審議がなされているのか、ちっともわからない。
まぁ、国会というところは、(本来は議論し決定するところだけれど)
議論なんてまったくしないで、審議のフリだけして採決の儀式をするところ
だから、審議の芝居の内容を教えてもらってもそうおもしろくないし、
イライラするだけだということはわかっているけれど、
これほど霧に包まれて何にもわからんというのでは、
問題点もつかめないではないか。

きょうの朝日の社説でも、たくさんの疑問が残っている、と書いている。
挙げられている疑問点を読むと、
こんなこともまだろくに議論されてないのか、という感じである。
もちろん、私が先月の15日にあげた質問に対する答えも、
まだどこかで読んだり聞けたりしたものはない。
何十時間も審議時間をとるとか聞いていたが、
いったいそれだけの時間をどう浪費しているか、知る術がない。

それでも、採決に踏み切れるとしたら、
与党にとって、この改悪の目的が簡潔明瞭だからに違いない。
日の丸に敬礼し君が代を声高に歌える子どもを育てる。
(それを指導しない教師は処分する)
お国のために闘いますと、颯爽と言える子どもを育てる。
お上(が何をしようと)を敬う心を培う。
神風が我が国を守ってきた栄光の歴史を教えつつ、
敗戦後の屈辱の歴史と、屈辱を晴らす気概を子どもたちに養う。
(何しろ、歴史教育の例として文科大臣が挙げたのが元寇だそうだから
 こういうことしか頭にないんじゃないの?)
まあ、こんなところであろうか。。。
こういうことをはっきり言うわけにはいかないから、
彼らにとっては国会審議なんて邪魔くさくてしょうがないのだ。
党議拘束もしっかりしてるからどうせ最初から可決と決まってるんだし。。



2006年12月12日(火) カラスの群れの謎

今朝は雨がやみかけで、長良川を渡るころは霧が深かった。
午前中は小雨が降ったりやんだりしていた。

朝、校門前の田んぼが広がる景色の中で、
その間を走る道路沿いの電線に、やたらと雀が群がっていたのだが、
2時間ほどすると、それがカラスの大群に代わっていた。
カラスは日ごろからよくやって来るのだが、こんな大群はめったにない。
雀の大群はどうしたかと言うと、屋根のない四角い民家の屋上に止まって、
チュンチュンチュンチュン騒いでいるようだ。
半端な数ではないから、その家に在宅の人がいるならさぞ迷惑だろう。
カラスはその付近にも数羽うろちょろしているが、
雀たちはそれを怖がって飛び立つという風ではなく、安住しているようだ。
カラスは午後になると、田んぼに下りて啄む姿が多くなったが、
全体の数はなかなか減らなかった。

ある日いきなり、こんな風に寄り集まるカラスを見ることがある。
前任校時代に何度か経験したのは、夕方帰宅する途中で見た大群である。
毎日通っていてもそんな光景は見たことがないのに、
ある日とつぜん、電線に数十羽か百羽かの大群が並んでいるのを見て、
異様な光景に、車の中にいても身がすくむ思いである。
ある時は、コンビニに車を止めるときに電線の大群に気づき、
車を降りる勇気が出なくて、コンビニに寄らずに逃げたこともある。

その道路の場合は、近くに山(低い山だが)もあるし、原生林もある。
カラスがたくさんいる場所であることは納得できるのだが、
なぜ、ある日突然、道路の上に寄ってきて集会を開くのかが不思議である。
きょうの場合でも、彼らは突然あそこで集会を開いて何をしてたんだろう?
繁殖期前の、伴侶探しのための合コンみたいなものかなぁ、、と思って、
ちょっと検索して調べてみたら、カラスの繁殖期は3〜7月だと言う。
秋から冬にかけては、群れをなして森や山で眠るのだと書いてある。
この突然の大群について説明しているような記事は見あたらない。
突然大群で現れたのも不思議だが、カラスたちも、場所を譲った雀たちも、
1日中場所を変えずにこのあたりで過ごしていたのも不思議だ。

毎日群れをなして、場所を変えてるだけなのかもしれないけどね。。。
それに出くわすことがめったにないので、異常発生みたいに驚くだけかー?



2006年12月11日(月) 演奏家ドラマの良し悪し

先週はばっちり最初から最後まで見たのだが、
きょうは「のだめ」の前半を見忘れた。
アンサンブル・コンテストの進行上の打ち合わせメールを書いてから、
風呂に行って、出たら下の部屋で見ていたので気がついた。
仕事で頭がいっぱいだったというよりは、
きょうは月曜日という感覚が希薄だったのだ。
土日が忙しいと、週の初めに曜日感覚が狂ってしまうのである。

先週は、モーツァルトのオーボエ協奏曲を楽しげに演出してるのがよかった。
きょう見た後半部分だけだと、のだめがショパンのエチュードを
いきなり弾き始めた演奏場面がよかった。
漫画からは音は流れないが、ドラマだと音楽が入るのがよい。

しかし、ホントに具体的に音楽が流れ、演奏シーンが動いて入るのが
効果的かどうなのかというのは、その状況によってさまざまだ。
「のだめ」の演奏シーンは、今まで見てきた演奏家ドラマの中では
もっとも違和感の少ない無難なものだとは思うけれど、
客席が僧立ちになるほどすばらしい演奏だったかと言うと疑問だったりする。

映画「砂の器」の音楽も、巡礼の旅の映像も感動的だったけれど、
主演した加藤剛の指揮姿があまりにもひどくて、映画のキズになった。
中学生のころ見た「チャイコフスキー」の伝記映画でも、
チャイコフスキー役の俳優の指揮姿がまったくダメで感動を削がれた。
その他、演奏シーンがまったく演奏と合ってないドラマが多かった。
ドラマ「ロング・バケーション」でもキムタクの演奏姿はなかなかのもの
だったが、この曲で客席総立ちというのはどうかなー、、といまいち。。。

より具体的であることは、わかりやすく便利でありがたいものだけれど、
かえって効果を損なうという棄権が絶えずつきまとっている。



2006年12月10日(日) 疲労困憊

1日、豊田で総文祭の仕事。
体はくたくたでも、精神的にはかなり楽しい。
コンクールでも何でも、年に何回もこういう仕事をしているけれど、
一緒に仕事している生徒たちが、溌剌とした献身的な子ばかりなので、
清々しく、ストレスというものがないのだ。
それが救いだ、、というより、少なくとも精神的にはリフレッシュになる。

アンサンブル・コンテストのタイム・テーブルも、かなり苦労したが、
何とか原案ができて、支部長と事務局に添付ファイルで送ったところだ。

本当に忙しい土・日であった。
しかし、部活も見ながらこういう仕事もしていた時よりは暇なのかな?

いつもより早い時間だが、もう眠くてしょうがないので、寝るとしよう。



2006年12月09日(土) 選挙のしがらみ

この2カ月の間に福島県、和歌山県に続いて宮崎県と、3県の知事が逮捕。
選挙の時にお世話になってしまった、おかげで当選できた、
だから、お返しに便宜を図るほかなくなってしまったなれの果てである。
見返りを期待しての支援なくして当選ということがありえないのならば、
永遠に善政というものは期待できないだろう。
また、もしもそういうしがらみとは無縁に当選できたとしても、
利益を求め、便宜を図ってくれる知事や議員を求めている奴らがいる限り、
清廉潔白なる知事などというものはいずれ排斥されるのだろう。

それにしても、選挙の時にこんな援助をしたんだからと言って、
ルール違反を要求してくるような企業は、恐喝行為なんだから、
その時に訴えて取り締まってもらうべきであろう。
そういう連中の言いなりになって儲けさせてしまうものだから、
ますます汚い金が回り、清くない一票が氾濫するのだ。
でも、、できないんだろうなぁ、、、知事の椅子にしがみつきたいから。。

しかし、知事になる=犯罪に手を染める、では悲しいではないか。
知事の仕事って、なあに?
知事にしても国会議員にしても閣僚にしても、
金や票を貢いでくれる大企業第一なんだもんなぁ、、、救われんわ。。。
少なくとも、こういうのは民主主義だと、とても言えない。



2006年12月08日(金) 繁忙期に入る

定期考査後というのはやたらと忙しい。
成績処理と新しい授業の準備だけでもなかなかたいへんなのだが、
私の場合はアンサンブル・コンテストの準備というのがある。
今回の出場数は何と83チームにも及び、その整理をしなければならないが
今のところまったく手つかず状態である。
やり始めるとかなり細かい作業になり、連続した長い時間がほしい仕事だ。
そこに、明日の土曜開放の講座の担当が入り込んだので、
その準備といい、明日半日以上がそれで潰れてしまうことといい、
これだけでもかなりの時間を費やしてしまったし、費やすことになる。
明後日は吹奏楽の県レベルの行事で、1日中ステージ進行係である。
重たい仕事がてんこ盛りである。
かなり憂鬱である。。。



2006年12月07日(木) 「有頂天ホテル」再視聴

試験処理、、その他さまざま、、、で忙しい毎日である。
こういう時は映画なんて見てる場合じゃないし、まして2回目なんて。。。
しかし、これは仕事のために見たのである。

図書館企画の行事として、今度の保護者会の午後の時間に映画会を催す。
どの映画がいいか、図書委員の希望や推薦をもとに4作に搾り、
さらにそれを図書館に来た生徒たちに投票させた結果、
最も希望が多かったのが「有頂天ホテル」だった。
実に意外だった、、、今どきの高校生、こんなのに興味あるか、、、と。
それが「ブレイブストーリー」と100票以上で接戦をした。
図書委員会で搾られたあと2作の
「ダ・ヴィンチ・コード」と「プロデューサーズ」は30票程度だった。
この2作は私にはたいへんおもしろい作品だったが、
一般の高校生には辛いだろう。
それにしても「パイレーツ・オブ・カリビアン」の新作が
候補に残らなかったのはなぜだろう?

さて、以前見たのは8月11日だった。
その時がっかりした印象がずっと残っていたので、2度目は億劫だったが、
見てみたらそれほどつまらない映画でもなかった。
テンポがあまりよくないのは、盛り沢山にし過ぎたせいだ。
筋立てが盛り沢山すぎて、腹にもたれる感じだ。

ラストのまとめ方はさすがにうまい。
抑圧されていた歌手志望の女は、自分らしく歌うことで
カウントダウンパーティーの主導権を握り、楽しく盛り上げる。
マスコミから逃げる、わがままで傲慢な(しかし小心な)政治家は、
駐車場係をやりながら年を越す。
このあたりが落ちといえば落ちなのかな?
ま、明るく軽快なラストを迎えることができてよかった、という感じだ。

それにしても、アクション性も乏しいし、、高校生こんなの好きなのかなぁ?
おまけに、メッセージ性も、弱い。
自分らしく生きればいいじゃん、っていうあたりがメッセージみたいだが、
どうもすっきりと入って来ないんだな。



2006年12月06日(水) 需要と供給のアンバランス

ゲーム機の発売方法はけしからん。
需要に供給がまったく追いつかない状態で売り出す。
わざとやってるとしか思えないのだが、それに伴う数々の不正行為に
どう責任をとるというのだろう、、、いや、責任など感じていない。

発売日に売り切れてしまっているので、わずかな在庫品に人が群がる。
私は今夜9時に、任天堂のWii(ウィー)を買おうとしたが、
販売時刻の2病魔にボタンを押して、問題外だった。
アクセスが集中しすぎて、購入画面に入ることもできない。
争奪戦に加わることさえできないのだ。
任天堂DSの時にも同じ体験をしている。
CMははでに流して購入意欲をかき立てておいて、品物はわずか。

しかし、正規の在庫は尽きてしまっても、販売品は出回っている。
ねっとオークションで、定価25000円で出されたものが
たいてい3万円以上で落札される。
最初から3万5千円とか、5万円くらいの値をつけて売る人もいる。
最初に3万くらいの値をつけていて、そのまま誰も入札せずに流れるのも
あって、3〜5千円高い程度なら買ってもいいかな、という気にもなったが
私の場合は、年内も年始も、ゲーム・DVDともども、いろいろあるので、
2〜3カ月は静観しようと思い直した。

プレステ3の発売日の報道で、前夜か前々夜から並んで買った客の中に、
20台ほどを買い込んでトラックに積む姿も見られた、、とあった。

品薄を、さらに品薄にして、高額で転売して稼ごうとするわけだ。
これは犯罪ではないのか?
犯罪でないどころか、こうした「努力」を惜しまないのが、
小泉クンの言う「勝ち組」というものなのか。。。
そうなんだろうな、、、自民党が作り上げてきた倫理というものは。。。
ライブドアの堀江クンを「勝ち組」の代表みたいに賞賛してたくらいだから
手段を問わず設けた奴が勝ち、理性を働かせてためらう奴は負け。
確かにわかりやすい社会だわい。。。

話が逸れてしまったが、アメリカでは、
3日並んで買ったプレステ3を同窓生に強奪され、
その強奪した人が警官に射殺された、なんて事件もあった。
嘗て、ドラクエのゲームソフトの発売のころに、警察沙汰にはならないが、
子どもたちの間で、奪い合い(つまり、過激ないじめ)が多発した。
これらはみな、需要が多いことが最初からわかっているのに、
供給がまったく追いつかないまま発売に踏み切ったための悲劇である。
企業のこのいい加減な計画が、不正を頻発させているのである。
何年経っても、反省なく、こうしたことを繰り返すとはどういうことだ?



2006年12月05日(火) 人間イエスへの関心

忙しい週なのだが、きょう最終日実施の古典の試験も
採点をし終えて帰ってきた解放感のも手伝い、
「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」というインタビューDVDを見た。
実に難解な語り口(字幕の翻訳がよくないのかも)のインタビューだけだが
ついつい番組全部と、特典映像のインタビューも全部試聴してしまった。
3時間近くを費やした。
持ち帰った仕事はやらずじまいである。

「ダ・ヴィンチ・コード」で、歴史的真実として語られた
イエスにはマグダラのマリアという妻(または愛人)がいて、
マグダラのマリアはイエスの子を生んだという〈仮説〉は、
私にとっても衝撃だった。
マイナス的な意味での衝撃でなく、喜ばしい意味での衝撃だった。
これには、まだ10代だったころの経緯がある。

中学時代に聖書を読み始めたのは、映画「ベン・ハー」の影響である。
聖書について説いた解説や、トルストイの民話なども大いに参考にして、
聖書を読んでいた。
当時有名だった2つの組織の集会にも誘いを受けて行ってみたが、
これらは、1、2度でイヤになってやめた。
最初は敬虔な宗教的境地みたいなものに憧れていたと思うのだが、
やはり、人格的にして絶対的な神という実在は、心底信じられなかった。
それは、仮想的だが人間が求めずにはいられない存在に過ぎなかった。
それよりも、関心は、聖書の中ですばらしい言葉を語っている、
思想家としてのイエスに集中していった。
高校から大学にかけて、人間としてのイエスはどういう人だったのか、
その実像に何とか迫りたいものだという思いに駆られていた。
あのころはインターネット検索などという機能もなく、漠然としていた。
かろうじて遠藤周作らのおかげで、とりあえずの「人間イエス」像を描き、
何となく満足して、探求は中断していた。。。

「ダ・ヴィンチ・コード」に始まった問題提起は、
次々に驚くべき仮説的実像をもたらしてくれている。
それらは私にはビンビン響いてくるほど刺激的なのだ。

今夜はもう遅いので、この辺でやめておこう。



2006年12月04日(月) 「公共」の意味

朝日新聞朝刊の「私の視点」コーナーに、
東京基督教大学教授(哲学)稲垣久和という人の寄稿があった。
『教育基本法 「公共」の意味 議論を』というタイトルである。
私も、改悪案の「公共」とか「公」という語が気になっていたので、メモ。

「公共」という語は、次のような意味である。

・特定の国民だけではなくすべての人に開かれている共通の関心事
・異質な他者と対話し、触れ合いながら、協働で生活を築き上げる広場
○つまり、「市民社会」を形成するためのダイナミックな概念

(02年の中央教育審議会の中間報告でのとらえ方)
・国境を越え、国際的に市民社会の成熟をめざす積極的な概念
・例えば、地球環境問題など、人類共通の課題が顕在化し、
 国際的規模にまで拡大している現在、
 互恵の精神に基づきこうした課題の解決に積極的に貢献しようという
 新しい「公共」の創造への参画も必要

それに対し、「公」という語はどう使われてきたか。

・国、官、政府、お上、天皇、、、つまり「おほやけ」


「公共」と「公」、「公共の精神」と「公の秩序」というものの区別が、
審議中の改案でははっきりされてなく、曖昧なままである。

「愛国心」を強調し過ぎれば「民族主義」に向かわないとも限らない。
その場合の「公共の精神」とは、戦前の場合は「滅私奉公」であった。


・・・要するに議論不足だということだ。
先月の15日に私が並べてみた6つの素朴な疑問に対する答えも、
まったく目にしたことも耳にしたこともない。
ま、国会というのは、本来は議論して物事を決するところなのだろうけれど
現状は単なる儀式の場で、議論なんて微塵も行われてない、
荒廃し切ったところだから、議論を、議論をと訴えても甲斐がないだろう。

先日誰かも書いてたなぁ。。。
私とまったく同意見で、
今までの基本法をしっかり実現する努力をすることが、教育改革だと。。。
しかし、「自由」や「民主主義」とはかけ離れた精神の自民党には
「自由」や「民主主義」の教育なんてのは難しくて手に負えない。
「放任」とか「自分勝手を許す」くらいの意味にしか考えてないからである。
その代わり「愛国心」はわかりやすい。
行く行くは、自分たちが何をしても文句を言わない国民が増えるだろうと、
ワクワクしているかも知れない。

・・・話が逸れてしまった。
そういえば、公務員とは「公の奉仕者」であるという言葉を、
私は「世間一般の奉仕者」「国民の奉仕者」という意味にとらえ、
「本来こうすべきことを責任もってする者」とずっと思ってきたが、
多くの同業者が「お上の奉仕者」、つまり、
「上がこう言ってるんだから(おかしなことだけど)しょうがない」と
お上に従順になることに唖然とし続けて20余年になる。
今整理して考えると、「公=お上」で「不当な支配に屈」し続けてきたのだ。



2006年12月03日(日) 再び「ダ・ヴィンチ・コード」の余韻

またまた、ダ・ヴィンチ・コードの余韻に冒されて、雑然とした1日。。。
「ダ・ヴィンチ・コードの謎」というDVDを見たり、
サイト検索しているうちに、「トマスによる福音書」という
新約聖書には採用されなかった福音書が邦訳されて出ているのを知ったり、
マグダラのマリアに関する本を見つけたりして、注文したり。。。
きょうのサイト履歴は凄まじい数だ。

それにしても、大学時代、新聞に載っていたのを切り抜いて壁に貼っていた
あのマグダラのマリアの絵は、誰の描いた絵だったんだろう。
ティツィアーノが描いたものと似ているが、どうも違う。。。
きょうも、グーグルで何ページも検索して探してみたが、出てこない。


昨日クリプテックスの中から出てきた暗号文は、きょうの昼に、
そういえばアルファベットの順を入れ替えて照合する方法があったなぁ、と
思い出して、照合表を作ってやってみたら簡単にできてしまった。
「I LOVE YOU」が「R  OLEV BLF」になる類だ。

答えがわかったので懸賞の応募サイトに行き、指定されたIDを入力したら
そこにヒントコーナーが用意されていて、暗号の名前が付いていた。
後でその名前が思い出せなくて検索したら、暗号解読のサイトを見つけて、
しばし頭を悩ませて遊んだりもした。
暗号解読
暗号の化学
懸賞の暗号を解いた方法の名前はわからずじまいなのだが。。。



2006年12月02日(土) 映画「ダ・ヴィンチ・コード」

ロードショーには行きそびれて見ずじまいだったが、
DVDが発売日に届いていて、昨夜やっとこの映画を見た。
封切られた映画より25分長いヴァージョンらしく、3時間かかるので、
なかなかそれだけの時間を割く勇気がなかったのだ。

私にとってはたいへんおもしろい映画だった。
夢中で読んだ小説ではあるけれど、読みながら、
豊富な挿し絵だの写真がほしいといつも思っていた。
映画はそういうものを常に視覚的に提供してくれつつ物語が進む。
そういう物か、、、そういう場所か、、と明らかにしてくれる上、
セリフのやりとりの中で、一昨年の7月18日から21日にかけて、
小説を夢中で読みながら書きとめたことを、きわめて簡潔に要約してくれる。
視覚的な確認になるとともに、知識のおさらいにもなるのだ。
そうして、内容を知っていても、一応映画の展開としてのスリルも、
少なからず感じることはできるし。。。

しかし、原作を読んでない人、キリスト教には関心のない人、
ましてや、イエスが神か人か、などという問題に関わったことのない人が、
いきなりこの映画を見ても、わからない部分が多くて、
おもしろくないだろうな、、と思う。

原作では、殺人容疑をかけられているラングドンと
それを助け協力するソフィーの逃亡劇と謎解きの旅という要素に、
シオン修道会が守り続けてきた聖杯の解明という要素が加わって、
全編まったく隙のない緊迫感に満ちた推理サスペンス作品になっている。
原作では、イエスとマグダラのマリアの関係、
キリスト教公認の経緯と、ニケーア公会議でのイエスは神とする決議、
その後の聖杯伝説をめぐる闘いや、シオン修道会の秘められた歴史が
非常にわかりやすく説明されている。
しかし、映画ではあまり冗長な説明は好まれないので、
必要最小限の説明が、短いセリフのやりとりで進められる。
いきなりこの映画を見て、このセリフのやりとりにつまづいてしまったら、
もうこの映画はおもしろみを失ってしまうだろう。

原作を読んでいて物語を知っていたら、緊迫感はかなり緩和されてしまうし、
原作を読まずにいきなり映画を見たら、理解に苦しむだろうし、、、
ロードショー封切りのころのこの映画に対する不評はもっともなことだ。
映画作りは難しいものだ。
私は、この作品が視覚的な世界になったことを大いに歓迎するが。。。
「デセプション・ポイント」も早く映画化してほしいものだ。
この作品もとりわけ具体的な映像がほしいものだ(去年の6月30日参照)


ちなみに、この初回限定BOX には、ラングドンの手帳の複製と、
クリプテックスのやや小さめの模型がおまけで付いていた。
おお、これは、現在のダイヤル式の錠前の元祖ではないか。
中に秘密文書を封入できるとは、何というロマンあるアイテムではないか。
さっそく、このおまけのクリプテックスの暗号はわかって開けることが
できたが、中から出てきた懸賞の暗号問題は、さっぱりわからーん(>_<)



2006年12月01日(金) 政治家の再教育

きょうの朝日新聞の「声」欄は「造反組復党」特集で、5つの投稿。。。
いやぁ、みんな怒ってるなぁ、、、そりゃそうだわなぁ。。。
あの転身が金のためだということに触れている人はいないが、
政治資金のためだということがプラスされればなおのこと怒るはずである。

その中のひとりに、「大丈夫ですか? 日本は。。。
教育基本法改正よりも、政治家の『再教育』が必要なのではないですか?」
と結んでいる人がいた。
そうだ、そうだ〜!
そういえば、免許も資格試験もないんだもんなぁ。。。

まず、倫理・道徳の勉強をしてもらさなきゃいけないのはもちろんである。
憲法や教育基本法についても、もっと勉強してもらわなきゃいけない。
よくわかってないから、改めようなんて暴挙にあくせくできるのだ。
とりわけ「平和主義」という点については、よく勉強してほしいものだ。
また、3万円で1カ月生活するような、貧困実習もしてほしいものだ。
金銭感覚がまったく庶民と異なっているから、
庶民には理解しがたいようなことが、彼らの世界では横行している。

もっとも学習してほしいのは、「民主主義」についてである。
彼らは、選挙と採決・多数決さえ行えば、民主主義だと思っているようだ。
その制度を手続きとしてこなすことが民主主義だと思っているようだ。
それは、本質的なところをわかっていないからそうなるのである。
君たちは、自分の政治生命のために働くんではなくて、
国民の生活のことを考えて働く人たちなんだよ、
その国民というのは、献金してくれる大企業のことだけじゃないんだよ、
という、きわめて基本的なところから、教育する必要がある。
具体的には、党議で縛ってもいけないし、縛られてもいけない。
世論を尊重しなきゃいけないし、
議員会館に陳情に来た人たちを適当にあしらって追い返してもいけない。
総理の身勝手な方針よりも、国民の声に耳を傾けて、
様々な層の国民にとって、もっともよいことを国政に反映させること。
税金は、国民の生活の助け合いのために使うものであって、
政治家の政治生命のためや、首相が憧れの米大統領と仲良くするためや、
党への献金や票のとりまとめのお礼のために使うものではないということ。
こんなことからして教えややらにゃいかんと思うと情けない限りだが、
実際、な〜んにも基本的なことがわかってないのが与党に属してるのだから
日本の将来はぜんぜん大丈夫でなくて、暗黒な悲惨が予想されるのである。


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