TENSEI塵語

2006年07月31日(月) いい曲に出会うと、、、

夏休みに入って10日が過ぎた。
あいかわらず、コンクール準備三昧だ。
のんびりできたのは昨日の午後だけだ。
しばらくまともな部活動から離れて、もうコンクールの練習はまっぴら!
と思っている私でも、同じく吹奏楽のために貴重な時間を費やすなら
やはり練習三昧の方がうんと充実感があると、今さらながら思う。
しかし、これをしっかりやらないと、コンクールは大混乱である。
先日は、地区内の500人余の生徒たちの、
今度は県内の2000人ほどの生徒たちの練習の成果が心地よく出せるよう、
とにかく今は手を抜くわけにはいかない。

急を要する仕事が昨日で一段落したので、
きょうから昼はのんびりランチに出て読書しようと思っていたが、
資料の入った封筒をひとつ家に忘れてきてしまったらしい。
しょうがないので、昼に取りに帰り学校に戻った。
昼食はまたもや車の中で運転しながらのパンである。
パンはうまかったけれど、こんなことばかりしてると、胃に穴があくわ。

しかし、何となく心楽しい感じが漂っているのは、昨日知った曲のせいか。。

吹奏楽の曲で、積極的に、聞くために聞く、聞きたくて聞くほどの曲には
なかなか出会えないのだが、昨日そんな曲に出会った。
いや、原曲は3DCGアニメのための音楽なのだが、
作曲者自身が、吹奏楽用に交響組曲として作曲したものである。
天野正道の「海のオーロラ」という曲である。

6曲構成のうち、最初の3曲はあまりおもしろくない。
だから、以前このCDの曲をチェックしたときは、
その途中で見切りをつけてしまったのかもしれない。
だから、そういう題名さえ覚えていなかった。
しかし、昨日、その第4曲「脱出」が名曲だということを知ったのだ。
7分ほどのその楽章の、前半もなかなか密度の高い展開であるが、
後半は美しいメロディーを熱っぽくたっぷりと歌い上げる。
聞いているだけでも、実に充実したオーケストレーションだと思う。
昨日だけでこの楽章を10回以上くり返し聞いた。
もちろん、演奏意欲もさんざんにかき立てられるのである。

この喜びは、何となく味気ない感じの生活に活力をもたらしてくれる。
この喜びは、昨日まで、私の雑然とした部屋の片隅に埋もれていたのである。



2006年07月30日(日) 放浪した

朝からトラブル続き。

昨夜、午前0時を回ったあたりでダウンしてしまったせいか、
朝5時にいったん目が覚め、寝なおして7時にすっきり起きた。
出足は快調だった。

朝食後、まず昨日用意した郵送用の文書を折りたたむ。
それから封筒にまとめて入れて行ったのだが、1種類が6枚足りなかった。
これは、紙折り機で失敗があったせいで、あとから余分に刷ったはずだ。
足りないどころか、これだけは余分が出るはずなのに不思議だ。

投函するために愛知県まで行く予定だったから、
学校で作業しようと、出校することにした。
パソコン室のエアコン工事で停電するとさえ言っていたから、
暑いかもしれないが、封筒の糊付けや切手貼りくらいはできるだろう。
その前にコンビニで不足分のコピーをとった。

学校に行ってみると、校舎は施錠されたままである。
部活はまったくやってる気配もなく、一般開放のテニスのおじさんたちだけ。
いつも休日に開ける鍵を持っていそうな教員は来ていなさそうだ。。
夏休み中のこんな日曜日に働いてるのはわしだけかー、、ろ淋しくなりつつ
とりあえず陰に車を移動して封筒詰めだけ続行して終わらせた。

封筒に封をするのに糊かセロテープがいるが、
職員室に入れるとばかり思っていたので持ってきていない。
とりあえずコンビニに行って糊を買い、喫茶店を探そうと車を走らせた。
・・・ふと思い出したのは、きょうから2年生の学習合宿だということだ。
そこに行けば、控え室か、廊下に長机を出して本部を作ってるはずだ。
それで、その施設に向かった。

案の定、去年と同様に廊下に長机を出していた。
学校は空っぽでも、ここに私よりたいへんな仕事をしている連中が
何人もいたわけだ。
その机を借りて封筒詰めの作業をした。
実に情けないつまらない単純作業である。
それを終えて、礼を言って、ポストを探しに走った。
10分以上走って、結局駅前のポストに投函した。
その途中で見つけたヤマダ電気がゲームも扱っている看板だったので、
そこに戻って1カ月以上前に故障したDSをやっと修理に出せて、
二重にホッとした。

なお、開いてる予定だった校舎が開いてなかったのは、
部品の間違いでエアコン工事が来週に延期になったということだ。
また、昼食を共にした友人の話では、ポストなど探さなくても、
最近はコンビニで投函できるのだということだ。
よく知らないために、余計な時間と労力を使ってしまうものだ。

帰宅して、3時から5時まで爆睡した。
横になったとき、ああ、きょうは休日なんだー、とうれしかった。



2006年07月29日(土) 疲れ〜〜

きょうは9時まで眠ってしまったけれど、10時には学校に向かい、
3時半まで仕事して、持ち帰った。
あ〜あ、ちょっと遅くなったけど大丈夫かなぁ、と心配しつつ帰ったが、
我が家にたどり着く直前の橋の上が長い渋滞になっていた。
きょうは中日花火大会なので、それが混み始めの時間帯なのだ。
おかげで、ほとんど休憩することもできず、市吹の練習に向かった。
私は花火を見るのが大好きなのだが、3年に1回くらいである。
こういう場合、あまり感情の方を優先させない。
実際、きょうあたりはそこら中でイヴェントがあるはずだが、
意外と多くの団員たちが合奏を楽しみに集まってるのだ。
連日積もり積もった疲労にもかかわらず、がんばって振ってしまったが、
さずがに終わってみるとかなり疲れた感覚である。

帰ってビールを飲みながら新聞を読んでいると、
また浅はかな文科省の新しい発案の話が出ていて、
批判の文章が頭の中に次々と湧き出てきたのだが、
それを書き留めるにはあまりに疲れているので、きょうはパス。また明日。



2006年07月28日(金) 静かな夏

きょうの主な仕事は県大会のプログラムの印刷原稿を作って、
印刷屋に渡すことである。
それは至難の業かもしれないという不安は前々からあった。
昨日ですべての地区大会が終わったのだ。
その翌日に、すべての項目を満たすプログラム原稿が可能なものか。。。
しかし、明日・明後日が休日で、印刷屋も休業である。
月曜日か、火曜日の午前中に納品してもらうには、
きょう原稿を渡しておかなければならない。
または、日曜日にこちらから出向いて届けるしかない。
土日にも、仕事は山ほどあるから、ぜひきょう中に終わらせたいと思った。

3、4日前に地区大会が終わったところからも、
参加申込書がすべて送られてきているわけではない。
電話で問い合わせたり、吹連サイトの地区大会結果で曲目を調べたり、
楽譜の出版社を検索して調べたり、、、幸い、
昨日最後だった2地区のうち、ひとつは私の地区だからわかってるし、
もうひとつの地区の事務局は親切にも地区大会参加申込書もファックスして
くれたので、かなり苦労が減って、4時には完成することができた。

並行してやっていたのが、プライマリー県大会の進行表の作り直しである。
帰宅してからは、吹連サイトの運営係に、
指定された書式に作り直してプログラムの原稿を添付ファイルで送ること。
2時間ほどして見てみたらもうアップしてあったのには驚きだ。

要するに、きょうもめまぐるしく仕事に追われた1日だったのだ。
これで数日めまぐるしい日々が続いているのだが、
来月の10日まで続くのだ。

そんな1日の合間に外に出ると、圧迫するような陽射しと熱気が、
ひどく異様な世界に感じられる。
とにかく、暑い、、、今週は連日本格的な夏を感じさせてくれている。
しかし、、、異様なのは、私の精神的な要員だけではないように思われる。
何か、静かなのだ。

蝉の声が、ぜんぜん時雨れてないのだ。
3日前だったか4日前だったか、思い切り腫れて暑くなった日、
昼ごろに、蝉の声がまったく聞こえないのに驚いた。
夕方の4時ごろに外に出たら1匹だけ鳴いている声が聞こえた。
陽射しと厚さだけは夏らしくなったが、これは夏の音ではない。
きょうでも、聞こえたのはやや遠方からの三重唱くらいである。
懸命な鳴き声が降り注ぐ大合唱はまだ聞けていない。

先週の大雨で、もういい加減羽化しないと、、と思って
地上をめざした蝉たちが、地中に流れ込んだ大雨に溺れてしまったのか、、?
とにかく、不思議に静かで、もの哀しい感じの夏である。

そういえば、、去年の7月4日に驚きをこめて書いたジャンボタニシの卵。
あのころ校門の前の田んぼの、道路との境目の段差のコンクリート壁に
数え切れないほど張りついていたピンクの塊は、
今年はいまだにぽつんとひとかたまりくっついているだけである。
去年は騒々しくにぎやかな(実は気味が悪い)光景を1カ月以上も
見せてくれていたのに、今年は、そういう視覚的にも静かな夏である。
まさかやつらも大雨に溺れたなんて、そんなことはありえないと思うが。。。

去年の暮れから気象の異状が続いているのだが、その影響だろうか??



2006年07月27日(木) 地区大会の終わった夜

地区大会が無事終わった。
今年も何の問題もなく地区大会を終えることができた。
私は本質的に事務作業が杜撰である。
必要なことを予めまとめておき、チェックするなどという技は不向きである。
毎回毎回、頭の中で何度も当日の成り行きを思い描いては、
準備に必要な事柄を思い出して、作業を進める。
当日不可欠なものが欠けているということだけは避けたいのだが、
ま、幸い、地区大会の運営をするようになって十数年、
取り立てて当日困ったということはない。
冬のアンサンブルコンテストを含め、30余の大会を、
とにかく何とか無難にこなしてきたわけだ。
万事杜撰で行きあたりばったりの私の仕事としては奇跡と言っていいだろう。

こういう大役が無事に終わった日は、のんびりするのが常だったが、
今年はそうはいかない。
もっとたいへんな、3回に及ぶ県大会の準備が控えているからである。
夕食後から夜中の0時半ごろまで、県大会出場校のデータ入力と
それと連動したプログラム原稿用の計算式整備作業に没頭した。
今朝、もっとも出場校も多く、従って代表校も多い地区の事務局から、
昨日・一昨日の大会結果を送ったという連絡を受けて、
地区大会の会場に向かう途中で引き返して、学校でファックスを受け取った。
それと、きょうの地区大会で出た結果の20校ほどのデータを入力いたのだ。
明日中に印刷屋にプログラム原稿を渡さないとたいへんな日程になるので
もうクタクタだからといってのんびりしてはいられない。

愛知県大会は3日間を費やす。
2日連続の県大会で、各日の上位7位までを選び、
4、5日置いて14校の決勝戦、東海大会への代表校選びをする。
こういう方式を採っているいるのは、全国で愛知県だけだろう。
他は、少人数編成の大会と、大人数編成の大会の2つに分けて、
2日間で開催しているはずである。
参加校の多い都府県は、最初から2つの地区に分けて、
それぞれが2つの大会を催しているはずである。

それで、ふと思ったのだが、、、、
ひと夏に4日分のコンクールの準備をすう、、これって、ひょっとしたら、
日本一? かも?
私の身の上に「日本一」なる冠など想像したこともなかったのだけれど、
ひょっとしたら、この件に関してだけは、可能性がありそうだ。



2006年07月26日(水) 五線紙を作る

きょうは半日休みを取ることも考えていたが、結局1日仕事になった。

朝図書館の雑誌コーナーの新聞を入れ替えていたら、
昨日の新聞の、小泉クンの靖国参拝反対6割の記事が。。。
また、白鵬横綱昇進先送りの記事が。。。
そう言えば、昨日はまったく新聞を見てなかった。
それから15分ほど、昨日の新聞に目を通した。
小泉クンの靖国参拝については、先日の昭和天皇の述懐が影響してるようだ。
今まで賛成も反対も5割に達してなく、賛成が反対を上回っていたようだが、
あれで反対が一挙に6割に達したようだ。
自民党内では、靖国のことは総裁選の争点にしないよう心がけるらしい。
そうじゃなくてねぇ、、、もっと真剣に考え、議論したら?
怠慢だよ、君たち! いや、怠慢と言うより、ずるいだけなんだよね。

白鵬と朝青龍の対戦の模様を、私はついつい興奮して書いてしまったのだが、
スポーツ新聞の記者も評論家も、簡潔ながらやはり書かずにいられなかった。
専門家から見ても、千秋楽の一番は特筆すべき取り組みだったらしい。
評論家は横綱昇進を見送った審議会の判断に批判的である。

それからほとんどは、県大会の準備のためのファイル作りである。
次々に届くファックスや郵便物の報告をもとに、データ入力をする。
あんまり何通も届くので事務員がうんざりしていた。

途中、1時間半ほど手書きの楽譜書きをした。
生徒に頼まれて、低音楽器の楽譜をバスクラ用に書き換えた。
五線紙がないので、困って、ふとエクセルで作ってやろうと思い立った。
こんなことに今までなぜ思いつかなかったのだろう?
楽譜作成ソフト「フィナーレ」で作ることは試みたことがあったけれど、
五線のみの簡素な五線紙は作れず、諦めていたのだった。
市販の五線紙も顔負けのような五線紙ができあがった。
うれしかった。



2006年07月25日(火) コンビニサンドの日々

このところ連日、昼食はコンビニのサンドイッチである。
ゆっくり座って食べている暇がない。
移動の車の中で、運転しながら食べる。
部活が忙しかった何年か前もそういうことが多かった。

こういう場合、おにぎりを買うことが多かったのだが、
先日、とろとろ卵もはさんであるサンドイッチを見つけたのがきっかけで、
それ以来、いろいろなのを試している。
味わっている余裕などない昼食なのだが、どれも中味はいい味である。
実は、かなり前に食べた、とあるコンビニの野菜サンドの
きゅうりの風味が実に不快で、それ以来サンドイッチは敬遠していたのだが、
またしばらくはコンビニサンドも楽しみなランチになりそうである。

しかし、何となくコンビニサンドというのは、冷たく固い感じがする。
冷蔵棚に陳列してあるから、パンが固く冷たくなるのはしょうがない。
挟んである中味の調合に救われて食べられるが、
要するに、パンに潤いがないのが難点だ。
パサパサした感じだけでなく、整然とした三角形を守られているのも
気にくわない要素のひっつであるようだ。
しかも、たいていは、サンドイッチとしてはパンが少々分厚い。

前任校時代、車で5分かからないところにあった稀有な名のコンビニが、
調理パン部門はパンデスという銘柄で販売していて、それをよく利用した。
カツサンド系がもっとも気に入りだったが、たいていがナイスだった。
冷蔵棚に並んでいる点は同じでも、パンがしっとりしていたのは、
その店で調理して包んで並べていたせいだろうけれど、
パンの厚さもほどよく、そこはかとない甘みが漂っていた。
めったにお目にかかれない店で、今の生活圏内にないのが残念だ。



2006年07月24日(月) 激怒!!!!

今夜は、私が今任されている県大会事務局の仕事の、
もうひとりの事務局のいい加減な行動にあきれ果て、
前任者の不誠実な対応に電話で激怒して口論になり、実に気分が悪い。
数時間経った今でも気分が悪い。
十何年ぶりだろうか、、、こんなに個人攻撃したのは、、、?
忙しいのは自分だけだと思うなーー! ばかもの!!



2006年07月23日(日) 朝青龍vs白鵬戦に涙ぐむ

午前中は自室に籠もってひたすら地区大会の準備を進め、
午後から前任校へ2度目の練習を見に行った。
きょうは私が指揮台に立つことはしないで、指揮台は指揮者に任せて、
客観的に聞きながら、調整をしたり、自由曲の楽譜を書き換えたりした。

私が出てから体制が崩れてしまったのを辛うじて維持しているので、
大会4日前というのに欠席者もいるし、途中で帰る生徒もいる。
私がやっていたころは許されなかったことだが、
私がそれを咎めたり叱ったり説教したりする状況ではないので、、、

で、ありがたいことに、予定よりも早く練習を切り上げることになり、
急いで帰れば千秋楽結びの一番に間に合う時間に出られたのである。
ラジオで中継を聞きながら車を走らせた。
把瑠都が勝って9勝、また怪力を発揮したようだ。
これはまた夜中のダイジェストで見なければならない。
怪我人の琴欧州も怪我人の栃東に勝って、辛うじて勝ち越し、やれやれ。。。

琴欧州が勝ったところで家に着いたので、最後の2番をTVで見た。
千代大海はあいかわらず突っ張りの通用しない相手にはもろい。
まわしを取られたらなすすべがない。
私の相撲観では、こういうのは大関の資格がないのだが、
あの天才横綱千代の富士だった親方が、
こんな情けない弟子を許しているのが不思議だ。
千代大海を破って魁皇が9勝、千代大海9勝、琴欧州8勝、栃東8勝、
これが、新大関白鵬以外の大関の今場所の白星である。
これだけでも、白鵬が大関に加わってよかったなぁ、と十分思わせる。

結びの一番は、12勝の白鵬と14勝の朝青龍の一番である。
もう優勝は昨日決まっているけれど、双方にもあと1勝には重みがある。
それが実にいい勝負になった。
この14日間、朝青龍は速い先手の相撲で圧勝し続けてきた。
しかし、きょうは長い相撲になった。
立ち会い、ぶつかりあって、朝青龍は白鵬に上手を取らせない、
先に上手を取った朝青龍が上手投げ、、、白鵬こらえる、
向き直って両上手を取った白鵬がぐいぐいと寄って行く、、朝青龍こらえる、
さらに白鵬が寄ろうとすると、朝青龍が高々と吊った、
しかし動けないのでそのまま降ろす、、、
白鵬は朝青龍の上手を切る、、、また取られる、しかし十分ではない、
朝青龍が巻き替えに入ったところで白鵬が厳しく寄った、
土俵際、朝青龍は体を返そうと努力したに違いないが、
白鵬が両まわしをがっちりつかんでひきつけているので、
そのまま真後ろにつぶれ、白鵬が上にかぶさり、押し倒しで白鵬の勝ち。

いやぁ、本当にいい相撲だったー。
久々にこういう相撲を見ることができるようになったと、
まだ勝負がつかないうちから、嬉しくて嬉しくて涙ぐんでしまった。
そう、私にとっては、かねてからの念願のこもった興奮だったのだ。
そして、この一番は、少なくとも白鵬だけは現在横綱と互角に闘えるし、
2年近く前にそう期待したとおりに、白鵬が成長してくれたということを
証明してくれた一番でもあるのだ。
来場所こそは、終盤まで全勝で朝青龍について行って欲しいものだ。

さあ、これからますますおもしろくなるぞ。
把瑠都も成長してくると、ますます白熱するだろうし、、、楽しみだ。
琴欧州も早く怪我を治してくれぃ、、、先日の対白鵬戦でも、
力のぶつかり合ういい勝負を見せてくれたのに、、、そういえば、
あの時の琴欧州の負け方は、きょうの朝青龍とまったく同じだった。



2006年07月22日(土) 白鵬優勝には届かず

きょうは、コンクールの書類のやりとりのために、
支部の事務局をしてくれている人の学校に夕方寄ろうと思っていたら、
朝、その人から電話がかかってきた。
地区大会の準備に関わる問い合わせだったのだが、その後で、
来る予定なら、うちの練習見てやって下さい、と言う。
ためらっていると、「生徒が、どうしてtensei 先生は○○高校には行って
うちの学校には来てくれないの? と言ってます」と言う。
呼ばれないからじゃん!

それは顧問に呼ばれなかったからなのだが、生徒たちに説明して
その誤解を解くためにも昼から出かけなければならなくなった。
しかし、練習を見るにも、この学校の課題曲はほとんど聞いてない曲だし、
自由曲は10年ほど前県大会でも暗譜で振った曲だけど、よく覚えていない。
とりあえず1時間半ほど課題曲のスコアを研究して、用意して出かけた。
1時半ごろから5時近くまで、曖昧なところを指摘したり、
バランスの取り方を教えたり、これから3日間ほどの課題を与えたり、
ほとんど立ちっぱなしで悪戦苦闘して、市吹の練習に向かった。

その移動の車の中で、相撲中継を聞いた。
白鵬は魁皇を破って、12勝2敗までこぎつけた。
実力者の魁皇を強引な上手投げでねじ伏せたようだ。
これで、4人の大関仲間には完勝である。
初日の1敗が実に痛いのだが、なぜ負けたのか、見てないから解せない。
固くなって身体が思うように動かなかったのだろうか?
それにしては、結局のところは、これで大関陣では最高の成績になっている。
対雅山戦での負け方は、見ていても実に悔しい負け方だった。
こういう2敗もあることだし、まだまだ白鵬には不安が多い。
将来の横綱として大いに期待してはいるけれど、
私は、仮に今場所優勝しても、すぐに横綱に昇進には反対だった。
もう数場所様子を見て、毎場所12勝以上の成績が続けば横綱に、と、
そんな気持ちでいた。
大関と横綱では、その格の高さと責任の重さにおいて大きな違いがある。
だから、長い目で見た信頼性と安定感が必要だ。

そんなわけで、私は白鵬に早く横綱になって欲しいと焦りはしないが、
千秋楽で朝青龍と優勝争いをしてほしかった。
千秋楽か14日目を優勝を賭けて盛り上げることが、
私が白鵬にもっとも期待する役割なのだ。
しかし、千秋楽を前に、きょう、朝青龍が14戦全勝で優勝を決めた。
まずます、白鵬の初日の1敗が悔やまれるところだ。
しっかり経験を積んで、こういうポカをなくしてほしいものだ。
しかし、そんな意気消沈しそうな幕開けをした場所で、
結局は第2位の成績に盛り返している点は、たいしたもんだと思う。



2006年07月21日(金) 「スクービー・ドゥー」の2女優

「スクービー・ドゥー」はアメリカの人気アニメの実写映画だそうで、
みんなのシネマレビューでは酷評が並んでいる。
だいたいこのサイトは、こだわり派の辛口批評が多いのだが、
これだけ評判が悪かったら、もう問題外、絶対見ないでおくところだ。
しかし、先日までその顔に心酔しつつ「バフィー」を見続けさせられた
サラ・ミシェル・ゲラーの別の役顔を見たくて、
映画館に1回行くよりも安い値段で出ていたDVDを買って、見た。

特別な能力を持っているわけでもない、どちらかというと臆病で平凡な
4人の主人公たちと1匹の犬(これがスクービー・ドゥー)が、
探偵社を自称しつつ、ドジ踏みつつ、怪異現象を解決する話だが、
実際それほど夢中になれる映画ではなかった。
昨夜と今夜に分けて、何度か中断しながら見ることができたほどである。
コメディーなんだけれど、そう笑いのツボが合うものでもなかった。
耐えられないほどつまらないというわけでもなく、
そこそこにおもしらさはあるけれど、もっとおもしろい映画を知っている、
そんな感じである。

これで女優が平凡だったら、ほとんど取り柄がなくなってしまう。
おめあてのダフネ役のサラちゃんは、より痩せてるせいかメイクのせいか、
バフィーよりやや魅力減にしてもやはり登場するたびに目が惹きつけられる。
これだけでも、この映画を見てよかったと思える。
実に邪道な評価ではあるが。。。

もうひとり、主役の4人の中にリンダ・カーデリーニという女優がいる。
黒縁めがねをかけた地味な感じの、その代わり頭脳明晰らしく、
4人のブレインとして作戦を立てるヴェルマという役である。
黒縁めがねに妨げられてはいるが、美人の雰囲気である。
実際、メイキングでのインタビューの時はめがねなしで、
なかなかの美人で才気煥発という風貌だった。
不思議な魅力をたたえているという感じである。

特典映像では、もとの人気アニメも少し見せてもらえる。
あまりうまい絵じゃないし、女2人も美人に描かれていない。
この実写版の一番の取り柄は、
もとのアニメよりもうんと美人を起用したことだろう。
普通はその逆のパターンの方が多いものなのに。。。



2006年07月20日(木) 昭和天皇の靖国参拝中止

きょうの夕刊の一面トップは、宮内庁長官のメモ。
昭和天皇が死去直前の88年に語った言葉だということだ。
79年にA級戦犯が靖国に合祀されたことに批判的で、
それ以来靖国には「参拝していない、それが私の心だ」と語ったそうだ。
合祀した当時の宮司に対し「親の心子知らず」と批判している。
その宮司は、終戦当時の宮内大臣の長男だということだ。
たぶん、宮内大臣が終戦当時計らってくれたことを長男が台無しにした、
という意味なのだろう。

新聞には小泉くんの談話は出ていない。
ニュースでも見ようと思っていたが、疲れで宵寝してしまった。
彼のことだから、どうせ、心の問題だとか考え方は自由だと、
いつもどおりに、まことしやかに、コメントするのだろう。
あんたは一般市民のような自由をもっていないのだよ、と言いたいが。。。
実際に戦争の最高責任者のような立場に置かれて敗戦の宣言をし、
神として崇められていた立場から人間宣言をしなければならなくなるほど、
激動の体験を経た人の言葉なのである。
昭和天皇の靖国参拝中止は、実際に自ら歩んできた歴史認識に基づいている。
小泉くんの行動には、いつも歴史認識が欠如している。
きょうのこのメモの公表が今後どういう影響を与えるのかわからないが、
この2人の靖国参拝に関するこういう違いだけははっきりしている。

まぁ、これを機に、改めて議論が深まるようになることは歓迎だ。
ひょっとしたら、このメモはとっくに発見されていたのに、
そろそろ小泉くんの政権も終わりだし、日韓関係も危うくなってるし、
今が潮時という風に、一部の人々の計略で明るみにされたものではないか
という憶測も、ふと湧いてきたりするのである。



昨日は午後から心地よく晴れたが、きょうはまた1日雨。
明日にかけて大雨になるようだ。
今週は涼しいまま、終業式を迎えることができて、ありがたかった。
しかし、手放しで喜んでいられない。
こういう年は、9月が異常に暑いという例を何度か経験しているからである。


きょうは、前任校の吹奏楽部のめんどうをずっと見てくれている子から
昨夜SOSが来たので、夕方休暇をとって練習を見に行った。
同じ県立高校の生徒の指導に行くのに、なぜ休暇を取らなきゃいけないのか
実に不思議で釈然としないのだけれど、
議論するのもめんどうなので、とにかく休暇をとって行った。
くだらん会議でもくだらん講習でも、文書があれば出張になるが、
部活動の指導では容易に文書を手配できないし、
その紙切れ一枚が形式的お役所仕事では絶対的権威を発揮するのだ。




2006年07月19日(水) そんなに遠い話か?

きょう、実は、1年生の1クラスの授業が予定外に残って、
それを知った金曜日から、中途半端な1時間に何をするか悩んだのだった。
昨日からあれこれ考えて、夏は原爆投下と終戦の記念日の季節でもあるから、
教科書の「りんごのほっぺ」という文章の朗読を聞かせることにした。
女優の渡辺美佐子が書いたエッセイで、色白で赤い頬をした初恋の男の子が
広島に学童疎開してまもなく爆心地近くで亡くなった話を中心に、
原爆にまつわる詩を朗読する活動のことを書いたものである。
原爆記念日への意識付けに、できるだけ夏休み前に
こういう教材を取り上げたいと思っているが、いつもできるとは限らない。

教科書を開かせ朗読を聞かせる前に、念のため質問してみた。
夏休みの間に、今のような社会(もちろんいろんな面を説明する)になる
きっかけとなった記念日が3つあるけれど、何月何日の何?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・出ないんだなぁ、これが。。
海の日? みどりの日? などと言い合ったりもしている。
教室をぐるーーっと歩き回りながら聞いていくのだが、出ない。
やっとひとりが、8月15日、と答え、それは何の日と聞くと、
終戦記念日、、、、やれやれである。
じゃ、そのきっかけになったできごとは? と尋ねると、
やっとそこかしこで原爆だよ、何日だったっけ、と声がするが、
ちんぷんかんぷんの子もいるようだ。

結局その時間は、開戦、原爆、終戦、憲法発布、憲法施行の日を教え、
平和憲法について話し、朗読を聞かせたら終了で何も書かせられなかった。
夏休み中、このころになったら、しっかりTVのニュースや特別番組も
見てくれぃ、と頼んでおしまいにした。

それが2時間目のことで、4時間目の2年生の古典はちゃんと予定が組んで
あったのだが、ここでもこの質問をしてみることにした。
今年の春まで3年間見てきた生徒たちや今年の1年生から比べると、
同じ学校の生徒とは思えないほど日ごろからしらけた雰囲気の生徒が多い。
ちょっと雰囲気が重苦しい感じなのだが、できるだけ軽い感じで聞いてみた。
やはり、ほとんどが、知らない、わからない、首を傾げるという反応で、
ひとりの女子が一生懸命連想的に思い出して8月6日が出た。
それから15日の終戦記念日も出た。

それにしてもねぇ、、、2年生といえば、現代社会の授業を終えているのに
高1の必修科目である現代社会ではこういうことを扱わないのだろうか?
そういう私も、こういうことを学校で覚えたのかどうか定かでないが。。。

しかし、あまりにも知らなさすぎる、というより無関心すぎるじゃないか。
小中学校の教員も、教えなさすぎるのではないだろうか?
あの一連のできごとは、もうすでに遠い昔話にすぎないのだろうか?
いや、遠い過去の物語であるはずがない。
日本国憲法が書かれ制定された裏の事情や意図がどうあれ、
あの一連のできごとは、「お国のために戦う」ことが
実は「お国のために」ならず、かえって国を荒廃させることを教えたのだ。
原爆はその決定打であるとともに、将来への恐るべき脅威となったのだ。
国を愛するならもう金輪際戦ってはいけない。
攻められても、侵略されても戦うなってか? と思うのでなく、
(私自身も若いころは、そういう思いと葛藤したものである)
攻めるとか侵略するとか、そういうことのない関係であるように、
常に外交努力を積み重ねなければいけない。
戦えば戦うほど、国の荒廃を招くのだ。
核兵器があのころより格段にヴァージョンアップし、
ボタンひとつで広範囲を壊滅できる現代だったらなおさらだ。

首相が盛んに近隣諸国に喧嘩を売り、
暴力好きな大国の侵略行為に賛同して協力したがり、それを正義と呼び、
「お国のために戦う」式の思考の持ち主たちが愛国心教育を声高に叫び、
国際的暴力行為に参加できないことをもどかしく思う人々が
あの大切な憲法第9条を堕落させようと目論んでいる。。。
だから、あれから61年経った今でも、
あの一連のできごととそれに対する反省は、現代的意味を持っている。
あの61年前の悲劇とその意味を、忘れてはいけないのである。
それを忘れたような連中に、政治を委ねてはいけないのだ。
だから我々も、やがて選挙権をもつ生徒たちにできるだけ教えなければ。。。



2006年07月18日(火) 「サード・ウォッチ」

昨夜、何か見てから寝ようと思い、やはり短時間のドラマに手が伸びて、
「サード・ウォッチ」の第1話を見た。
「ER」のように慌ただしいドラマであるが、
ERに送られる前の、救急隊員・警察官・消防隊員たちのドラマである。
今のところ、ドラマについて特に書きたいようなことは思い浮かばないが、
救急隊員に、「24」のシーズン4のジャックの恋人オードリー役だった、
キム・レイバーがいて、これがかなりうれしい。
とにかく、昨夜から見始めたということを記録しておく。


今夜は、地区大会のプログラム原稿作りにかなり時間を費やした。
地区大会の準備はできるだけ早くすませて、
地区大会の結果が出そろってから数日間しかない県大会の準備を、
迅速に進めるための整備をしておかなきゃならない。



2006年07月17日(月) 2度目の合奏練習

きょうは休日、朝から大雨、、、本来なら家に籠もる日だけれども、
一昨日約束してしまったので、一昨日の学校に2度目の練習に行った。
一昨日は1回目だし、全体合奏の場に終始していたので、
曲の流れを修正したり、聞こえにくいところを聞こえやすくしたり、
まぁ、全体的な演出に関わるような練習が主になった。
でも、練習が終わってから、とにかく課題曲冒頭のトロンボーンが
すっきり聞こえないことが気にかかっていたので、
きょう行ったらすぐにまずトロンボーンだけ見るよ、となってしまったのだ。

その理由は想像どおり、ハーモニーがまったくできてないせいだった。
3番トロンボーンが異常によく聞こえてきてあとがもやもやしていた。
1番も2番も音を出させてみたらかなりビッチが低い。
どの音を吹くときも、スライドを前に出しすぎる傾向にあるようだ。
ポジションの取り方を修正させるため、音の動きを練習させ、
ハーモニーを何度か鳴らさせ、楽譜どおりのリズムの奏法をひとりひとり
修正して、6小節12拍の練習に30分余りを費やしたが、
もちろんまだ十分ではないし、これから何日もかかる練習だ。
ただ、要するにこういう練習が大切だということを教えられてないのだ。

この練習をやったおかげで、合奏練習では課題曲前半の流れがよくなった。
生徒たちも、何が原因かわからぬまま、流れに乗れないでいたのだろう。
だから、今度は一昨日とは違った面での練習が可能になる。
すると、またいろいろなところが気になり出すのである。
というか、基準が上がるので、ここもあそこももっといい響きにならないか、
と、いろいろと欲が出てくるのである。
しかし、時間が限られているので、宿題にするという形で終わりにした。

ま、悪い癖で、1度でも手をかけてしまうと後に尾を引くのである。
しかも、この課題曲「海へ、、、」は、抒情的な美しい曲で、
生徒たちにも人気があるが、誰から見ても私好みの曲、、、つまり、
私を知っている人なら誰でも、
いかにもtensei 好みの曲だと認めるような情緒の曲である。
コンクールで点数を稼ぐには不利な要素が多すぎるので、
自分が出場校の顧問だったら選ぶのを断念して別の曲にしただろうが、
練習を頼まれた先がこの曲を選んでいると、いい機会になる。
そして、こういう曲になると、ついつい入れ込んでしまうのである。
音楽表現というのは、曲に自分の魂を吹き込む行為だから、
少なくとも練習中は、自分の魂を注ぎ込み続ける。
だから一層、1度手をかけてしまうと、無縁ではいられなくなるのである。



2006年07月16日(日) 日曜日の職員室

土曜日はたいてい学校に誰かいるものだが、
日曜は誰もいない場合もあるし、体育館やグラウンドで部活をしていても、
その顧問が校舎を開ける鍵まで持っているとは限らない。
昨日野球部の顧問と相談して、昼前に練習を終わって職員室を開けると
聞いていたので、11時半ごろに学校に行った。
野球部の第2顧問は、大会役員の仕事で球場に向かったので、
職員室は、その正顧問と私の2人だけである。

きょうの私の仕事は、各地区大会で県大会の代表校が決まったら、
その場で渡してもらう文書や前売りチケットを入れた封筒を、
代表枠の分だけ梱包して宅急便で各地区の事務局に発送する仕事である。
その中味の準備に昨日2時間と一昨日の半日間を費やしていて、
きょうもまだ若干の補足をして、やっと梱包作業なのである。
前々任者がまとめておいてくれたマニュアルを頼りの初の仕事なので、
なかなか要領を得なくて余計な時間がかかったかもしれない。

梱包作業も楽ではない。
適度な大きさの箱をホームセンターで2つだけ買うことができたが、
学校にたまっている箱は、どれも大きすぎるか小さすぎるかなので、
解体して切ったりしながら、ガムテープで止めて、、、こういう仕事を、
孤独に取り残されたようなところでやっていると、
あ〜あ、昨日か一昨日これを終わらせる予定だったのにな、、、という
思いがもたげてきて、先週の金曜日から今週の初めにかけて、
私の仕事を遅らせた連中のことがまた頭に浮かんでくるのだ。
問題なのは、あいつらは今ごろのほほんとのんびり曜日してるってことだ!
・・・これは、心の中に潜む魔である。
こういうことを考えてはいけない。
しかし、振り払ってもまた、被害妄想の邪念に囚われるのである。

しかし、日曜日に出て働いているのは職員室の2人だけではないのだった。
しばらくすると、試合ボールを返しに来た先生が現れ、
雨で試合が中止になった先生が仕事をしにやって来、
試合の引率に行っていたが体育館シューズがなくて不便だと取りに来た人も
あり、、、運動部の顧問たちはやはりそれぞれにたいへんなのだ。
考えてみれば、各校の吹奏楽部の顧問たちも、この3連休の2日くらいは
必ず練習で休日出勤だろう。
私も本来はそのように休日をつぶして当然の生活だったはずである。
吹奏楽部員が少なくて、それを免除してもらえているありがたい立場である。
だからこの程度の労力で許されているのだ。

あんまりぶつぶつ不平を言えるほどの立場ではないわ。。。



2006年07月15日(土) 「バフィー」見終わる

午前中、仕事に出た。
まだ仕事は終わらない、っていうか、失念していた領域に気づいて、
慌ててそちらの方の準備をしたと言った方がよさそうだ。
たとえよく知っていたにしても、昨日までに許されていた時間では、
とうていそこまで終えることもできなかったのだから。。。
だから、明日も学校で仕事である。明日こそ一段落したいものだ。

午後からは、頼まれていた高校の練習に出かけた。
1年ぶりに、暑い夏の練習を体験した。
10年ほど前までは、日課で、あたりまえで、
それだからこそうんざりする、つらい、苛酷な練習だった。
今は、慣れないからつらいという感じである。
しかし、かつても今もそうだけど、合奏練習中は暑さを忘れているのである。
暑さは、集中から解放されたときに、一気に襲ってくるのである。

どうしようもないほどの疲労感を癒しつつ休憩した後、市吹の練習である。
ここでも合奏練習中は疲れを忘れていて、
休憩時間や終わった後に、どっと疲労に包まれる。

帰宅して、ビールを飲んで、相撲ダイジェストまで2時間以上あるので、
「バフィー」のシーズン2の最終の2話を見た。
この2回仕立ての最終話は、今まででとびきりたいへんな展開だった。
疲れて眠りかけていた精神がドラマに集中した。



2006年07月14日(金) ヒマヒマおじさんに脱帽!

今朝、妻の声で目が覚めたら、何ともう7時半だった。
いつも、そろそろ出ようとする時刻である。
妻もその時に起きて、驚いた声に私も目が覚めたという次第で、
よくその時間に起きてくれたものである、5分も遅かったらパニックだった。
何とか20分以内に家を出て、始業の5分前に職員室に入った。

昨夜、疲れてることがよくわかってるのに、相撲ダイジェストを見てしまい、
寝るのが2時ごろになってしまった、それも一因だろう。
なぜNHKは相撲ダイジェストを1時過ぎた深夜にやるのか、不思議だ。
夕方リアルタイムで見られない勤め人のためにやるのではないのか!(`ε´)
そんな憤りを抱きながらも、無理に起きて見ていたのだった。
たいてい就寝は1時半から2時の間くらいだから通常どおりなのだが、
昨夜は自分でもいつもと違う疲労を感じていた。

しかし、きょうは保護者会で午後の授業はカット、
私は運よく1時間目だけが授業なのだった。
しかも、担任じゃないから保護者会をする必要もない。
だから、授業を終えた後、図書の仕事を1時間半ほどやって、
昼前から夕方まで、時折部活やクラスの生徒のめんどうを見たり、
事務から借りたカラープリンターを司書室に設置する作業もしつつ、
吹連の仕事に時間をかけることができた。
各支部の地区大会で選ばれる県大会への代表校に渡してもらう書類を
各支部の事務局に送らなければならないのだが、
これがなかなか慎重を要する、手間のかかる仕事なのだ。
本当は、この作業に一昨日くらいから取りかかりたかったのが、
ずるずるときょうにもつれ込んでしまったので、きょうは気が抜けなかった。

前任校で担任をやっていたころは、
支部の事務局として地区大会の準備作業と、保護者会と部活が重なっていて、
保護者会を2時半までと4時以降に区切って、2時半から4時まで部活を見、
午前中の空き時間と帰宅後に授業の準備と大会の準備にバタバタしていた。
まだ10年ほど前のことで、まだ老いぼれていなかったのだ。
もちろん、コンクール前でもあり、休日は部活で潰れていた。
それに比べれば、今はかなり余裕の日程だと言える。
しかし、今は、県大会の運営と地区大会の運営の両方を抱えている。

そうして、あれもやらにゃこれもやらにゃ、、、と行き来してる時に、
思いがけない光景を見た。
火曜日の塵語に登場した数学科ののんびりおじさんが、通知表を書いている。
担任たちが保護者会をやっている午後の時間である。
保護者会で通知表を渡すことになっているので、
私も一昨日遅くまで残って仕上げたのだが、そのペースが作れるまでは、
とりあえず1日目の分だけ先に作って渡すことになりそうだなと思っていた。
私自身担任で三者面談だったときに、一度だけ、
その日の分だけ通知表を書きながら時間のやりくりをしたことがある。
このヒマヒマのんびりおじさんも、きょうの分だけ担任に渡して、
残りをゆっくり書いているのかな? と思って、笑いながら尋ねてみた。

すると意外な返答が。。。
「いやぁ、僕はねぇ、通知表は終業式に渡すもんだと考えてるからねぇ、
 終業式までに書けばいいと思ってるんだよ。そうじゃない?」
ニコニコしてそう答える。
絶句さざるをえない。
あんた、それは自分が担任をやってるときに言えるセリフでしょうが!!?
その通知表は、担任に代わって作るものであって、
副担任が、自分の考えで、作って利用するものではない。
単なる、多忙な学期末の仕事分担の一環なのだ。
2、3のやりとりの末「でも担任はきっと困ってるよ」とだけ言っておいた。
彼は何も言わなかった。むっとしたのかもしれない。

ヒマヒマおじさんと話しながらペアの担任は誰かを思いだしてみたら、
去年私とペアだった担任だった。
去年私はとうてい間に合いそうもないと思って、
彼に保護者会のタイムテーブルを借りて、とりあえず1日目のだけでも
先に作るから、と言ったら、
「どんな風でも間に合わせていただければけっこうです」と言った。
結局、保護者会までに全部を作り終えて、担任印まで捺してあげたら、
たいそう感動してくれた。
小・中ではどうか知らないが、
高校の保護者会では通知表は重要アイテムのひとつである。

それにしても、きょうはこのヒマヒマのんびりおじさんに心底あきれた。
これほど人のことを考えない教員に会ったことがねい、
と言いたくなるほどだが、、、、他にもいたような気がするが。。。
利己主義者というより、唯我主義者と言うべきであろうか。。。
ま、人のことは思いやれないからヒマヒマしていられるのだ。
私はよく、例えば橋本さんをヒマヒマおじさんとからかったりするが、
それはほんの一面を取ってネタにしているだけの話であって、
今回のようにあんまり徹底した無頓着なヒマヒマぶりを見せられると、
冗談や茶かしではなくなってしまうので、口にできない。
真実ではないという前提があるから、軽口たたけるのだ。
真実だったら、無頓着なヒマヒマは憎むべき対象になってしまう。



2006年07月13日(木) バテたーー_(_ _)_

今週は毎日、基本的に曇天である。
上空を雲で蓋をされて、熱気だけが日に日に高まってきた。
一昨日くらいまでは、暑いといってもまだ大したことないと余裕かまして
いたものだが、きょうはとてもそんなことは言えなかった。
実にサウナ的な空気の中を温風が走っている感じだった。
もっと暑い状態を過去に経験してるので、気温的には最高ではないが、
不快度は最高水準(`ε´)(`ε´)(`ε´)(`ε´)(`ε´)だった。

きょうは1・2・4・5時間目の授業の予定でいたのだが、
変更が入っていて、2・3・4・5・6時間目と、5連続だった。
もう最悪もいいとこである。
時間割変更もらってねぇそーー、と思ってたら、
隣のPCの机の下に裏返しで落ちているのを発見した。
3時間目と6時間目にこれこれの仕事をして、、、と予定していたのが
朝から狂ってしまって、そこからすでにイライラの始まりである。
先週の金曜日から、3、4人の無頓着な教員のために、
仕事の段取りが狂いっぱなしだ。
生徒の不始末で予定が狂うことにはあまり怒らないけれども、
無頓着な教員の態度は腹立たしい。

この腹立たしさの根源は、空き時間が少ないことにあり、
さらにその元をたどれば、数年前完全週休2日になったときに、
持ち時間の基準時間はそのままにしてしまった県教委への腹立たしさである。
積年の怒りがこういう時にこみ上げるのである。
週休2日にして、いかにも休養を与えているような顔をして、
結局は無償の残業および土曜出勤を強いることになるのだ。
上っ面で善人ぶっているやつが大嫌いだから、ますます腹立たしいのだ。

もう足腰が壊滅的だったが、授業後もいろいろと仕事がある。
5時半に、やりかけの仕事も放って、ぐちゃぐちゃのまま、
もう帰るっ!!!!! とばかりに学校を出た。
渋滞の流れに合わせるのがつらくてしょうがなかった。
もう、運転席に座っているのもつらいのだ。
走る凶器と化しているときの方が、神経が澄んで疲れを忘れられるほどだ。
それですんなり帰宅できるわけではない。
ホームセンターに寄って、吹連の仕事をするためのグッズを買い込み、
スーパーに寄って夕飯のための買い物をし、酒屋で酒の補充。。。

で、夕食後、バタッ_(_ _)_、、、、、である。
さいわい今夜は、40分ほど横になっていたが、眠ったのは20分くらいで
理性を働かせて起き上がることができた。
こういう夜は何もかも投げ遣りになる。

しかし、明日もどうせちゃんと仕事させてもらえそうにないから、
今週も土曜出勤は間違いないだろうし、
3連休はあってないようなものだろう。
まあ、あえて抱え込む必要のない仕事を
抱え込んでしまう私がばかなんだろうけど。。。
でも、延々と人と仕事を押しつけ合うのもイヤだしなぁ。。。


暑くて、授業ばかりで、バテた話を書くつもりが、横道に逸れたようだ。
それだけ、〆切に追われてイライラしているのである。
そして、それだけ、あの成績処理を遅らせ、何度もやり直しさせた
無頓着なやつらに腹を立てているのである。
やつらが普通の教員なみの仕事をしてくれてたら(火曜日の塵語参照)、
こんなにイライラしなくて済んだのに。。。



2006年07月12日(水) 戦争したい人々?

北朝鮮がミサイル発射して問題になったのが1週間前。
私は日米同盟なるもののとばっちり程度に思って気にかけてなかったのだが、
閣僚たちの大騒ぎが、実に不安な思いに駆り立てる。
まるっきり喧嘩腰である。
あの平和憲法が存在しなかったら、
もうとっくに報復攻撃をかけていたかもしれないと思わせるほどに。。。

制裁だ、制裁だと、国連に出した決議案は採決を先送りされた。
対話なのか時間稼ぎなのかはともかく、中国が交渉に入った。
アメリカもそのなりゆきを見守る構えだから、
アメリカだけが頼りの小泉くんも大人しく待つしかない。
本来日本が率先してすべきことを中国にしてもらってるとは悲しいことだ。
日本は、中国や韓国と関係を深めつつ、北朝鮮と対話する努力をする義務を
担っているはずなのに、小泉くんは中・韓両国にさえ喧嘩を売っている。
これで、平和な外交が築けるわけがない。

そういう気がさらさらないと思わせるのが、
閣僚たちの間に出てきた、先制攻撃論だ。
あの、小泉くんの「イラク攻撃を支持します」と同じく、
どんな過激な武力行使論も、口にするだけでは憲法違反ではないらしい。
私は、公の場で口にしたら、それは国家反逆罪に等しいと思っているのだが。

それにしても、かの日本の政治の指導者たちが挑発してるのは誰なんだろう?
一見、北朝鮮に見える。
しかし、実は、彼らが挑発してる標的は、日本の国民なのではないか。
それを何年か前から続けてきた。
ほら、テロは憎いでしょ?
イラクをフセインから救いたいでしょ?
英雄アメリカに協力できないなんてくやしくなーい?
北朝鮮から本格的に攻撃されたらどうする気だい!
中国や韓国も、ちっとも俺たちのこと理解してくれないじゃないか!
このままでは、やられ放題にやられちゃうぞ。
現に、北朝鮮からミサイルぶっ放されたんだよ!
あいつらやっつけないと、やられちまうんだぜ!!

とにかく、喧嘩腰になって国民感情を煽っているというのが私の印象である。
どうしてそんなに戦争やりたいの? と尋ねたくなる。
仮に先制攻撃したって、完璧な壊滅ができないことはわかってるはずだ。
先制攻撃は、泥沼の戦争へと誘い出すだけのことである。
本当に自国を愛する人は、他国に喧嘩をふっかけるような愚かな事はしない。
愛する国を壊すことにしかならないからだ。
にもかかわらず、この何年かの政府の言動は、
何とかして武力攻撃に走りやすい環境を作るべく、
国民感情を煽ることに専念しているように思われる。
そうして、さらに、そういう発言をすることによって、
ますます周辺諸国の信頼を得がたくなってしまうのだ。

今こそ、中国と協力して事態収拾に努めねば、、、と私は思うのだが、
小泉くんは8月15日に絶対靖国参拝をやろうとしているようだ。
愚かの極致である。
いつか、教科書に、日本戦後史史上最悪の首相として小泉くんの軽薄な
行状の数々が記載される日が来るのだろうか。。。



2006年07月11日(火) のんびりに慣れた人

昨日は成績資料をまとめる仕事で、予定より1時間以上帰るのが遅れた。
なかなか生徒の成績の数値が確定しなかったので始めるのが遅くなった。
生徒の定期考査の成績個票をそれぞれの生徒に配って確認してもらって
最終的なデータを出そうとしている。
案の定、点数が誓うというクレームが入って確認してもらうのだが、
担当教員もなかなか都合良くつかまらないし、確定が遅れるばかりだ。

本当はそれを金曜日に済ませたかった。
金曜日にはどの教科も今学期の評定を出しているから、
生徒のテストの点数はもうPCに入力してあっても不思議でない。
しかし、体育科の保健の点数がぜんぜん入っていないので作業ができない。
担当者を見つけてそれを尋ねると、成績処理を体育科のPCに入れてある
ので、そっちにはまだ入れてない、と悠々と言う。
頼むから午前中に入れるか、データだけでも下さい、と頼んでも、
夕方教科会だから、それが済んでから、、と言う。
教科会は評定段階の審議でテストの点数は会議によって変わるわけじゃない、
と言っても、ぜんぜん受けつけない。
この男はマイペースでしばしば周囲に迷惑をかけている男だ。

そのために、土曜日に、講習会に行く前に出勤して、
確認用の成績データを作るはめになった。
確認用のを金曜日に生徒に配布してもらいたかったのだが、
昨日の帰りになってしまったので、昨日の作業が遅れることになったのだ。
しかし、とにかく昨日すべてが一件落着してほっとしていいはずだった。

きょう、朝から3時間連続授業を終えて職員室に戻ったら、
数学の評定に間違いがあったので、2、3の資料を作り直せという話。。。
その作業はどうってことのない、短時間ですむもので、終わったのだが、、

その担当の数学の先生にいろいろと事情を尋ねてみると、
そう簡単な話に思われない。
評定を変更するのはそのひとりだけでいいの? と念を押しても、
それでいいのだと言う。
でも、どうも疑いが晴れないので、
手元のデータと担任に配布されてるデータを点検してみることを進めたが、
その必要はないだろうと言う。
そんならいいけど、、、と思ってたら、20分ほど後になって、
自分で思いついたような言い方で、評定一覧表が欲しい、と言ってきた。
彼のために、PCのデータを印刷して渡した。
しばらくすると、彼がそれをそのまま配っている。
問題ないみたいだから、、、と言うので、
それならもう配ってある資料だから配る必要がないとそれをやめさせた。

昼から用事があったので、休暇を取って出ようとしたちょうどその時に、
その数学の先生がまたやって来て、評定がやっぱり変だと言う。
ほとんど4と5ばっかりなのだ。
だから早く確かめるように言ったのにーーー(`ε´)
その理由は、評定を決める画面での基準点の設定がおかしいと思ったので、
出発が遅れることを気にしながら、作業を代わりにやってあげた。
本当に評定の基準値が大幅に狂っていた。
出発が予定より30分遅れた。

この数学の教師は、忙しくなる仕事をのらくらと拒絶する。
担任は絶対しないし、補習も小テストも担当するのを拒絶するようだ。
ひとつでも非日常的な仕事を頼まれるだけで「忙しい」を連発する。
マイペースにのんびり仕事をするのが長年の習慣なので、
我々と忙しさの感覚が数倍も違う。
私が提案したことをさっさとやってくれたら、1時間前に解決できていた。
ところが、きょうの経緯を思うと、動作も思考回路もちょー緩慢なのだ。
思考回路の働きは数千倍も違うんではないかと思ってしまう。

こんな奴と、何で同じ給与基準なんだろうか?



2006年07月10日(月) 「バフィー」

もう日の変わるころになって、不意に思い出して、ゴミ出しの準備をし、
さらに、冷房のきかない老化で汗だくになって、新聞紙をまとめ、
段ボール箱を潰して括り、、明朝は資源ゴミ回収もあると思い出したのだ。
この月1回の資源ゴミ回収の用意はたいてい日曜日にやっておくのだが、
昨日は1日死んでいたので、まったく思いつかなかった。
前夜遅くになって思い出してバタバタするのは最も悲惨なパターンである。

おかげで、もう1話バフィーを見たかったのに、見損なってしまった。

今夜はシーズン2の第15・16話を見た。

10話ほど前からかなりおもしろくなってしまっている。
ちなみに、このドラマの中心人物たちは、バンパイアスレイヤーのバフィー、
それをサポートするウォッチャーの堅物司書のジャイルズ、
バフィーの親友のウィローと、その片思いの幼なじみザンダー、
そしてなぜか、高慢で軽薄な、自称誰にも負けぬ美貌を誇るコーデリア。
また、バンパイア側では、呪いによって人間の心を持たされたエンジェル、
バフィーは200歳のそのエンジェルに心惹かれてどうしようもない、
また、人間世界を滅ぼしバンパイヤの支配を目論む中心バンパイヤとして、
シーズン1ではマスターと呼ばれるバンパイヤが牛耳っていたが、
シーズン2では、スパイクとドゥルーシラという男女が画策している。

第6話あたりから振り返ってみようか。。。

第6話:ハロウィンのコスチュームのままの人間に変身する魔法をかける男、
    この男はジャイルズの昔の仲間らしい、、、ジャイルズの過去は?
第7話:バフィーの旧友ビリー(ロズウェルのマックス)が転校してくる。
    しかし、実はビリーは、バフィーをスパイクに引き渡す代わりに、
    永遠に若く生きられるバンパイヤにしてもらう密約をしていた。
第8話:ジャイルズは単なる堅物の司書のウォッチャーではなかった。
    昔、おもしろ半分に夢遊霊アイゴンを呼び出したことがあり、
    ついにそのアイゴンの魔の手が迫ってくる。
第9話:バフィーに強敵、古代からの暗殺団タラカ騎士団が現れる。
    また、不思議なことに、もうひとりのスレイヤーも現れる。
第10話:スパイクは衰弱するドゥルーシラを救うため、儀式を行おうとする。
    生贄にされようとするエンジェルをバフィーが助ける。
第11話:母の新しい恋人テッドが、バフィーにはどうも気にくわない。
    ある時口論になって、バフィーはテッドを殺してしまうが、
    生き返って戻ってくる。。。
第12話:学校の性教育の一環として卵が配られる。
    鶏の卵に見えるが、実は人を思うままに操る幼虫が隠れていた。
    バフィーの仲間も母親もその幼虫に寄生され、バフィーの敵となる。
第13話:バフィーの17歳の誕生日、悪魔ジャッジの復活を目論むスパイク、
    ドゥルーシラにエンジェルが殺される夢。。。
    感極まったバフィーとエンジェルは結ばれる。。。
第14話:至福を知ったエンジェルは、呪いがとけて、
    かつての凶悪なバンパイヤに完全に戻ってしまい、
    スパイク、ドゥルーシラとともにバフィーの抹殺を誓う。
第15話:狼男が現れたが、その正体はウィローの新しい恋人だった。
    もちろん本人が望んでそうなったわけではない。
第16話:ザンダーはコーディリアの気を引くために、
    魔女の娘に魔法をかけてもらう。
    ところが失敗したらしく、コーディリア以外のすべての女性に
    魔法がかかり、大騒ぎになってしまう。
    バフィーと魔女の娘はザンダーを取り合って戦い、
    バフィーはネズミに変身させられてしまう。
    ザンダーを追いかける女の群衆の中で、ウィローは斧を持ち、
    バフィーの母さえナイフを持って、愛憎をむき出しにする。。。

荒唐無稽な話ばかりだが、このドラマはほんのちょっと怖い喜劇なのである。
そんな風に楽しめるようになると、このドラマはたいへんおもしろい。
また、人間誰しも意外な一面をもっている、というのがテーマなのかも。。
バフィー役のサラちゃんがめっちゃかわいい上に、
話がめっちゃおもしろくなってきたら、まーいかんわ。。。
あいかわらず展開が杜撰なのだが、逆に言えば、引き際の良さが魅力だ。



2006年07月09日(日) 摩訶不思議の湿布薬

昨夜、どう寝たのかまったく覚えていない。
朝起きたら、部屋の電気もPCもエアコンもちゃんと電源落としてあった。
しかし、そんな作業をした覚えがない。
そういえば、塵語も書きかけだったはずだが、、、と調べたら、
ご丁寧なことに書きかけ状態できょうの日付でアップしてあった。
正気だったら草稿保存にしておくのに、やはり判断ミスもあったらしい。
しかし、そんな作業をしたことなども、まったく思い出せない。

もっとも驚いたのは、風呂に入ろうとしたら脛に湿布薬が貼ってあることだ。
この湿布薬は妻が病院でもらってきたもので、
妻に相談したときに出してくれるので、私が使うことはめったにない。
私自身はインドメタシン入りのを自分で買って持っている。
昨夜私が寝るよりうんと前に妻は寝ていたから、相談もしていない。
しかし、そらが脛に貼られているのは厳然たる事実だ。
この1週間ほどを振り返っても、この湿布薬を貼った記憶はないし、
風呂に入るときには気づくはずだ。
妻にこの不思議の事実を話すと、さっき封の開いた湿布薬を見て、
誰がこれを持ち出して、封を開けっぱなしで置いておいたのか、
不思議に思っていたところだと言う。
して見ろと、昨夜私は湿布薬を探して、自分のを見つけられずに、
妻の湿布薬を見つけ出して、袋の封を切り、
少々めんどうな仕組みになっているシートを剥がしながら貼ったのだろうか?
そんな記憶は1ミクロンもないのだが。。。

就寝時の記憶がほとんどない経験は今までにも何度かあるけれど、
これほど激しく記憶を失っていたことがあっただろうか、、、?
脳の損傷が進んでいるのだろうか、、?

ちなみに、きょうはほとんど1日死んでいた。
8時ごろに不本意ながら起こされ、大雨の中坊ずをスクーリングに送った。
帰ってから昨夜の塵語の続きを書いてアップし直してから、1回目の昼寝。
起きてから「バフィー」を1話だけ見て、昼食。
それから、ネットで遊んでいるうちに、また全身がだるく、2回目の昼寝。
その昼寝から目覚めて、やっと息を吹き返したようだ。
部屋を簡単に片づけ、簡単にトイレ掃除もし、夕飯の用意もし、
家族のPCのメンテを2台ほど。。。
昼間は、もう風呂に入っちゃおうかなと思っても気力が出なかったが、
夜になって普通の気分で風呂場に行ったら、脛の湿布薬に気がついて、
謎に包まれたというわけだ。

とにかく、先週は激しく疲れた1週間だった。
そういえば、先週は日曜日も採点三昧だったのだ。
昨日は、まだ仕事だというわけで気が張っていたようだが、
きょうは休みだと思うと一気に疲労感が全身を覆ってしまったらしい。

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あるある大事典からのメモ
夏バテ予防 冬瓜の食べ方

・薄切りにして塩もみにしてゴマ和え
・豚肉と炒めて塩・胡椒・醤油で味つけ(カリウム+ビタミンB1)
・挽肉と炒めて麻婆味で
・カレーに入れてもよし(水が多く出るので水の量に注意)



2006年07月08日(土) 指揮者の仕事

きょうは、地区大会と同じホールで課題曲講習会の日だった。
講師は、地区内にある高校の指導者で、私がこの地区に来てお近づきになる
以前から、大会などで見てたいへん気に入っていた先生である。
もう10年以上も前から彼の下で支部の事務局として仕事してきたし、
今はやはり県の事務局次長として彼の下で雑用をしている。
彼に身を捧げるつもりではないけれど、頼まれるとイヤとは言えないのだ。
吹奏楽というそれまで無縁だったジャンルの顧問になって4年、
コンクールなどというそれまでまったく無縁だった経験を始めて2年を経、
まだ甚だ自信がないまま、こちらの地区に転勤で移ってきて、
2年目のコンクールの時、トイレで出会った彼は第一声こう言った。
「tensei さんは、ああいう文学的な音楽が好きか」
そして、それまで天上の人みたいに思っていた人に親しく話しかけられて
もごもご返答している私に、「大丈夫だよ。行けるよ」と笑いかけた。

それから1、2年もしないうちに彼は「天上の人」ではなくなったし、
ズケズケとからかい合って話す仲にもなったけれど、
バランス感覚のとれた思考や適切な指導ができる点で常に尊敬している。
そもそも、きょうの講習会の一番大元を作った私は、彼に頼んだのだ。
他地区から呼んだり、プロの音楽家を呼ぶこともできるけれど外れもある、
指導者としては最高に信頼できるから、やって、お願い、と。。。
そして、モデルバンド方式でなく、
学校単位または個人的に講習を受けに来る生徒に、
合奏練習を通じて直接教えてやってもらう方式を採ったのである。

この講習会に、私は事務局を退いてからも時々聞きに出かける。
自分の感覚を確認しに行くのである。
そうして、やっぱり似たようなところが気になるもんだな、と安心する。。

それにしても、かなりよく仕上がっている学校も、もどかしい演奏だ。
ここが山とか、ここが頂点とか、ぜんぜんはっきりしない。
さあ、ここで来い! と思っても肩すかしを食わされてしまう。

各校の指揮者が、どんなに曲想が変化しても、
同じ姿勢で同じ振り方をし続けるのも不思議だ。
私にはとうていできない不思議な技だ。
テンポを指示するのも指揮者の仕事のひとつではあるけれど、
それは些細な部分にすぎない。
指揮者の仕事は、曲の流れと表情を指示して統一すること、である。
それを演奏者たちから常に引き出すよう努めなければならない。
素人の演奏家たちを相手にするならなおさらだ。
これは、中学時代にすでに直感的に知っていたことでもあるが、
オーケストラに指揮者というものが誕生した歴史を見ても明らかなことだ。

専門的な指揮者が生まれたのは19世紀の後半である。
それまでは、コンサートマスターが演奏しながら指示すれば良かったし、
または、作曲家が自作を指揮することもよくあったようだ。
作曲家と指揮者の兼業でもっとも有名なのはメンデルスゾーンである。
これを指揮者の誕生としても、かなり遅くなってから生まれたものである。
ベートーヴェンやマーラーの指揮は、
かなりオーバーアクションだったという話である。
音楽に激しい感性を注ぎ込んだ点で革命的な仕事をした2人だから、
指揮する際にも、内面から激しい感情の起伏が噴き出たのだろう。

近代のオーケストラに指揮者という役割が不可欠になってきたのは、
音楽の構成や表情が複雑になってきたからである。
ルネッサンス期やバロック期の音楽には、その必要性は乏しかった。
現代は、指揮者を置いているバロック合奏団もあるが、
その指揮者を見ていると、テンポと強弱を指示しているにすぎない。
ところが、大オーケストラを率いる大指揮者となると大変である。
汗だくになり、髪振り乱し、、、いや、髪のない者も多いが、、、
で、あれは何をしているかというと、踊っているのではなく、
奏者の持つ可能性を引き出しているのだ。




2006年07月07日(金) もしもあの時。。。

きょうは曇空の下、昨日延期になった球技大会が行われた。
外に立って何をしているわけでもないのに汗ばむような蒸し暑い日だったが、
照りつける太陽がお隠れになっていらっしゃったので、
たまらん暑さだと不平の声を聞く必要のない、まあまあの条件であった。
しかし私は、暑さよりも、昨日・一昨日の足腰のダメージが残ったまま、
グランドに出て立っている時間のダメージが加わったせいか、
この上ないと言いたくなるほどの疲労を背負って帰宅した。
夕食後、「バフィー」を1話見たあと、横になったけれど、
腰がどうにもだるくて、横になっているのもつらくなって起きた。
しかし、また30分もしないうちに、耐えられず横になり、
足を上に上げて、足首をぐるぐる回したり、自転車こぎみたいなことをし、
そうしてしばらく横になっていたら、1時間ほどうとうとしたようだ。

ここ何年か、私は女子のバレーボールのコート監督を指定されることが多い
が、もう、何とも、歯がゆいというか、もどかしいというか。。。
試合の得点の半分以上はサーブ1本で決まってしまうし、
その他は、とにかく相手のコートに強引に弾き返して相手のミスを待つ、
そう考えた方が得策のような、その程度の勝負である。
バレーボール部員がいると、三段攻撃に持っていこうとしがちであるが、
そうするとかえって墓穴を掘ることになる。

私自身の球技大会でもっとも思い出深いのは高校時代のハンドボールである。
授業でも、ハンドボール部員と争うようにプレイしていたけれど、
高校時代の球技大会は、運動部員は部活と同じ種目には出られなかったので、
どんどんゴールを決めることができた。
パスをカットして速攻というのも、何度も気持ちよく決めた。
爽快な圧勝の思い出である。

バレーボールについて言えば、中学時代の体育の授業でもよく褒められ、
高校では、部活には入らなかったものの、友人と同好会を作り、
週に1度はバレー部の友人を呼んで特訓を受けたりしていた。
その末に、もっとも得意なのはレシーブで、
これは大学時代にもまた教員になってからも、様々な親睦の球技大会の場で、
相手チームに「あいつの所にサーブを打つな」と言われることが多かった。
かなり強いサーブでもレシーブしたボールがセッターの位置に行く確率が
高いし、かなり強いアタックも、行き先知らずで拾えるのだ。
トスもかなりいい位置に上げられるようになっていたのだが、
残念ながら、アタッカーとしては成功率が低く、自信がもてないままだった。

小学校6年生の時にサッカーのゴールキーパーに憧れて、
サッカークラブでキーパーをしていたが、ある時、
ボールをつかもうとした瞬間にボールを蹴られて、右手の親指がひん曲がり、
1カ月ほどの間、病院通いをするはみになった。
「もうサッカーはやめとくれ」という母の願いを聞き入れて、
中学に入ったらバスケットボール部に入った。
体育の授業でも「すばらしい動き」と先生から褒められていたし、
レギュラー候補どころか、将来Fくんとキャプテン争いをしたはずである。
部活ができない日も、いつもバスケットコートでボールを遊んでいた。
生徒会活動やクラス活動の盛んな学校で、クラス討議が長引いたりすると、
ひとりイライラ、心の中で激怒していたものだった。

そんな熱心なスポーツ少年が、中一の夏休みに音楽と出会った。
オーケストラの奏でる音楽に心酔してしまったのである。
自分がオーケストラの一員として演奏したり、
またそれを指揮したりする夢を見ては汗びっしょりで目覚める日々が続いた。
それまでは淡い欲求でしかなかった、楽器を弾きたい欲望が圧倒し始めた。
バスケット部の有望格なんてものはもうどうでもよくなった。
とにかく音楽活動に関わりたい。。。。
そうして、バスケット部をやめて音楽部に転部した。

あの時の選択の実に紆余曲折した経緯の果てが最近の生活である。
吹奏楽連盟の県の役員を押しつけられ、地区と県の両方の大雑用係であり、
また一方で、市民バンドの運営のもっとも大事なところを預かっている。
もしもあの時スポーツ少年のままだったら、今ごろはどうしてるんだろう?
ちなみに、私の妻は、その音楽部に転部したときの部長である。
その時からずっとつきあっていたわけではなくて、紆余曲折の末である。
もしも、あの時、スポーツ少年のままでバスケット部を続けていたら、
今の妻とも出会わなかっただろうし、
その後のさまざまな出会いもまったく別人だったはずである。

人生というのは一度限りで、やり直しがきかない。
にもかかわらず、さまざまな岐路に直面せざるをえない。
その岐路のひとつを選んでしまえば、他の道の行く末は謎のままである。
そうしてみると、人生というのは未知に満ち満ちていると言えるのだ。



2006年07月06日(木) 「学ぶために働く」

きょうは昨夜予言したとおりになった。
曇り空時々晴れで雨は降らなかったのに球技大会は中止、
5時間分のノルマを果たしに教室に足を運び、クタクタ、、、
職員会議に課題チェックの仕事を持ち込んだけれど、案の定、少し眠った。
もう、何ともしょうがないのだ、この疲れようは。。。
今夜もたまらず横になったけれど、眠ってしまわないよう努力した。
最近はもう、学校のさまざまなシステムに対して文句たらたら、
それについてはもうきりがないほどなのだが。。。

きょうの橋本日記のテーマは「学ぶために働く」。
その趣旨はそちらを読んでいただくとして、
私が四半世紀ほど前に就職についてさほど真剣に考えてなかったところから
一歩抜け出して、いよいよ決めなければならなくなったとき、
高校の教員を選んだ理由はいくつかあるけれど、
もっとも大きな理由は、もっとも勉強を続けやすい環境、ということだった。

当時やろうとしていた勉強ができたというわけではないけれど、
確かにいろいろな勉強をさせてもらえたし、それは今も継続中である。
特に「現代文」なんて教科をやっていると、さまざまな分野について、
教材からだけではなくて、予備知識として知らざるをえなくなる。
「わかりやすい授業」ができるかどうかが我々の死活問題だから、
生来怠け者の私でもいろいろと勉強せざるをえなくなるのだ。
古文や漢文も、若かったころはその分野の優等生だったと言っても、
フィーリングで対処していただけに過ぎなかったが、
教員になってから本当にいろいろなことを知ったし考えた。
また、思いがけず吹奏楽の仕事が入ることによって、
音楽についてそれまで考えもしなかったような勉強もできた。
音楽活動は大学時代に諦めたはずなのに、不思議なことである。

そもそも、「教える」という行為こそ、もっとも勉強になるのだ。
「教える(又は書く)」という行為の中で、我々は自分の無知を痛感しつつ、
より確実な知識を求めたり、説明したり導いたりする工夫に頭を悩ませる。
これはとても貴重な体験の積み重ねである。

私はしばしばこういう感想を抱いた。
生徒たちは授業料を払いながらろくろく勉強しない、
我々は給料をもらいながら、うんと勉強させてもらっている。。。
実際これは理不尽なことながら、とてもありがたいことなのだ。

我々は初心を忘れがちである。
最初の思いからすると、この職業はちゃんとそれに適した職業なのだ。
そう文句たらたらいうべきではない。

しかし、さまざまな不満を募らせているのは、
教育知らずの「偉い人たち」が空想で思いついたくだらん雑務が増えて、
非本質的なことに教育界が振り回されているからである。
彼らは気楽でいい。
教えるとか、説明してわかってもらわなければならぬ義務がないから、
本当の意味での勉強を怠っても、いい加減な提案で報酬を得られる。
そうして、いっぱしの仕事をしたつもりで悦に入っている。
現場からバカにされているということに気づくような良識もない。
哀れなやつらだ。



2006年07月05日(水) 宵寝

左脚が攣りそうになってあわてて左脚をつかみながら起きた。
部屋は暗いし、妻がいない、、、何となくいつもの朝の風景と違う、、、
で、気がついた。
9時ごろに横になったのだった。
すぐに起きて青竹踏みでもやらなければ、、、と思っていたはずだが、
そのまま眠ってしまったらしい。
最近としては珍しい失態だ。
時計を見たら午前0時にあと5分ほどという時刻だった。

1日に4時間か4時間を超えて授業があった日は、足腰がつらい。
ただでさえ他の人よりも3階や4階に上がる回数が多い上に、
授業のたびにあっちの校舎の2階か3階に上り、立ちっぱなしの授業。。。
腰痛持ちには、この立ちっぱなしというのがかえってつらいのだ。
きょうは3階と4階での掃除の監督を終えて職員室に戻った時には、
まーあかーーーん、、、と全身の疲れを嘆かずにはいられなかった。

しかし、運の悪いことに、きょうからの雨が続きそうなので、
明日の球技大会は中止になる可能性が大である。
明日授業だと6時間目に「総合」の授業もあり、その教材を依頼されていた。
明日になってから準備すればいいか、、、と気力が出ないのだが、
明日もまた4時間授業が入っているから、そんな時間はなさそうである。
だからまたそれから印刷室で立ちっぱなしの作業をしなければならなかった。

宵寝の目覚めはたいへんすっきりしていいのだけれど、
困るのは、このまま起き続けて1日を過ごすのは困難だということだ。
それどころか、たいてい朝の5時か6時ごろには眠くなるものである。
遅くとも3時ごろには寝直さなければならない。
そうして迎える朝は、眠くて、重たくて、気怠い目覚めだ。
もう今からそれが憂鬱である。

しかも、明日も4時間の授業で、加えて「総合」の監督もあるはずだから、
きょうと同じく疲労に苦しむはめになるだろう。
一度宵寝でリズムが狂うと、しばらくその悪い連鎖が続く恐れがある。
しかし、、、いっか、、、明日は職員会議だから、眠れるかもしれない(笑)



2006年07月04日(火) バ〜フィ〜〜〜!!

仕事せざるをえないのを恨みつつ、いらいらしながらとりあえず仕事を終え、
あまり遅くならないうちにと「バフィー」を見る。
今夜の「インか定刻のミイラ女」はこれだけ単品としてもおもしろかった。
いや、毎回それなりにおもしろいことは否定できないのだが。。。

困ったことに、バフィー役のサラちゃんを一目見ないと、
床に就く心の準備に入れないことだ。
この子はホントにかわいい。
会えないまま1日を終えることなんてできない! って感じだ(笑)

他の作品は? と「みんなのシネマレビュー」で検索してみたが、
あまり作品には恵まれてないようだ。。。

   邦題                  年【国】    平均点
スクービー・ドゥー2 モンスター パニック  2004年【米】  4.66点
THE JUON/呪怨               2004年【米・日】 4.73点
スクービー・ドゥー              2002年【米・豪】 4.47点
クルーエル・インテンションズ         1999年【米】   6.69点
シーズ・オール・ザット            1999年【米】   6.97点
バニラ・フォグ                1999年【米】   7.00点
スモール・ソルジャーズ(声)         1998年【米】  5.30点
バフィー〜恋する十字架〜           1997年【米】   8.00点
スクリーム2                 1997年【米】   5.64点
ラストサマー                 1997年【米】   5.00点
ファニー・ファーム/勝手にユートピア     1988年【米】   4.00点



2006年07月03日(月) 「HERO」スペシャルを見た

「HRRO」は、放映時には知らなかったが、レンタルビデオで繰り返し見、
DVDを買ってからも繰り返し見ている大好きなドラマなので、
こりゃあ見ないわけにはいかない。
さいわい、きょうすべての採点を終えてきた。

前からの噂でもきょうの新聞の紹介でも、
「久利生検事 今夜限りのカムバック」ということなのでなおさらだ。
だから、てっきり、あのシリーズのメンバーとともに、
雨宮とのその後を描きつつ、とんでもない大事件、、、政界を揺るがすほど
の大事件に取り組んで、下手すると非業の死、、? とまで想像していた。
ところが、、、である。

今回の舞台は山口県の虹ヶ浦というところになっている。
久利生は、前回左遷された石垣島から札幌に赴任していたようだ。
札幌から赴任してきた久利生が、この虹ヶ浦支部の検察官・事務官たちの
心を変え、被疑者の心を熱い説得で溶かすというドラマは以前のとおりだ。
しかし、2時間ドラマという長さのせいか、
被疑者の真相告白がやたらと長くなり、火曜サスペンス風になってしまった。
それはそれで感動するところもあるのだけれど、
本来の「HERO」のテンポやリズムに親しんだ者にはやや違和感があった。

町を生かし支えている大企業、その先代社長は町の尊敬の的であり、
その社長に助けられ育てられた専務滝田も人格者として尊敬を集めている。
しかし、二代目の若社長の、東京での不倫をネタに強請に来た男を、
滝田が殺してしまう。
滝田は、社長の不倫が知られないまま、早くあっさりと起訴されること願う
が、
久利生が真実を追究するうちに、社長の不倫は明るみに出てしまうし、
滝田が「殺意をもって」強請の男を刺したことも明言されてしまう。
視聴者は、町のためにもこの滝田を罰して欲しくないと願うところだが、
状況はますます悪くなって、起訴せざるをえなくなるわけだ。

ラストは裁判の展開になるのだろうと思ったが、この後の展開が謎だ。
情状酌量をどれだけ求められるかの裁判の模様は描かれない。
その代わりにいろいろなことを小出しにして、中途半端に終わった感じだ。
社長の不倫は、虹ヶ浦の海を埋め立てて「開発」しようともくろむ
代議士の策謀であったことがほのめかされ、
実際、その不倫相手の女が代議士の事務所から出てくる。
しかし、それだけのことだ。それ以上には発展しなかった。
また、その代議士の汚職事件を、特捜が断念したニュースが流れる。
そねもまた、それだけのことだ。
そのニュースを見ながら、東京の鍋島次席は、久利生を呼び戻しましょう、
と言い、久利生があの城西支部に呼び戻されて、
あの懐かしい連中と再会したところで終わり、である。
雨宮も、懐かしそうに嬉しそうに声をかける、それだけのことで、
あの石垣島での再会以来どうなってしまっていたのか、ぜんぜん不明。。。
ま、連中の相変わらずの雰囲気に束の間浸れたのはよかったけどね。

何のためにこのスペシャルドラマを作ったのか、よくわからない。
この作りは、数年ぶりにシーズン2として再開するための「序」みたいだが、
そんな予定は微塵もあるように思われない。
これで本当に最後の最後にするためだとしたら、
実に杜撰でいい加減な作品だとしか思われない。



2006年07月02日(日) 小松亮太に泣く

きょうはせっせと採点した。
火曜日に1年生の古典の3冊の答案が入り、木曜日に2年生の2冊が入り、
しかし、明日の1年生の現代文のテストを作るのにてこずって、
木曜日にやっと作り終わって金曜日に印刷していたペースだから、
大いに遅れていたわけである。
金曜日に学校で1時間ちょっとやり、昨日1時間半ほどやったが、
もちろんまだそれだけでは焼け石に水程度の分量である。
自分で作った試験じゃないので、採点にも少し手こずるという面もある。
家で採点できる自信はなかったけれど、持ち帰ってよかった。

きょう採点を元気づけていてくれたのは亮太くんの「タンゴローグ」である。
自作も含め、国内外の新作を集めたアルバムで、
ゴールドブレンドのCMの曲を編曲したものも最後に入っている。
4回は繰り返し流していた。
実は、それほど好きなアルバムではない。
好きな曲もいくつかあるし、演奏はすばらしいものだけれど、
ちゃんと聴くにはあまりおもしろくない曲も少なくないからである。
しかし、この程度の方が、仕事のBGMにはふさわしいのである。
曲に溺れてしまうようでは、いろいろと葛藤が生じてしまう。
実際、適度なアルバムのつもりでも、時折音楽に気を取られたりもするのだ。

何かバックに音楽をかけようかな、と思ったときに、亮太くんにしようと
思い立ったのは、昨夜の市吹の行き帰りに聴いていた「2002年ライヴ」
の余波である。
これはもう非の打ち所のない名盤で、時々聴くのだが、
聴くごとに感動が深まる感じだ。
実に自由なテンポ感、こちらの身体を衝いてくる鋭いリズム感、
語りかけ、もの言ってるような表現力、、、演奏されているのはタンゴの
音楽だが、ピチピチした人間的な生き物が跳ねている感じである。
ま、それはちょっとした譬えなのだが、
とにかく、実に生き生きとした、非の打ち所のない演奏である。
あまりのすばらしさに、運転しながらでも涙ぐんでしまうのだ。

こんなすごいタンゴを聴くことができるとは、、!!
タンゴなんて、もっともつまらないジャンルの音楽だと、
長い間見切りをつけていたのに、それはひどい過ちだったと教えられた。
実に刺激的で躍動感のある、美しく、深みのある音楽なのだ。
サラちゃんの歌声にも、同様にこんなすばらしい歌声を聴けるとは!と
何度も感嘆したものだが、こういう出会いがあるたびに、
ホントにいい時代を生きさせてもらえてるなぁと、
神さまに感謝せずにはいられなくなるのである。



2006年07月01日(土) 無知を知る

昨日は試験監督が2時間続きで入っていた。
1時間目は数学、、、ルートの問題が多く、3、4問計算問題を解いて
やめてしまった。これはもうできなくてあたりまえ、
数学の試験監督を楽しめるのは、1年の1学期の中間テストまでである。

2時間目は家庭科である。
これも以前見たときに、料理のこととか縫い方のことだとか、
こんなもん知らなくても、毎日夕飯作れるし、ボタン付けもできるわい、
と負け惜しみを言いたくなるほどわからなかったので、意欲なく、
それでもぼんやりと問題を眺めてみたら、、、

最初は「家族」についての問題である。
こんなん楽勝だろう、と思ったら、さっぱりわからない。

「家族とは(   )を中核とし、親子・兄弟関係などの近親者を構成員と
 する(   )の集団をいう」

わからんがな、、、何を中核とするんだ? 父? とは限らんし、、
両親? って言い方も変だし、じゃあ、夫婦か?
一方が逃げ出した離婚家庭の場合は家族って言えなくなるからそれはダメ。
世帯主あたりが無難だけど、上の文の中に入れると、何か変。。。
「(   )の集団」っていうのも、ちっとも適当な語が浮かばない。
選択肢が作ってないのだ。

「家族の生活の場を(   )という」

「家庭」?

「私たちが生まれ育った家族のことを(   )という」

え?? 何て言うの? そんな言葉あるの?

「私たちはやがて( 同上 )から独立し、自分の意思で人生を選択し、
 生活を共にするパートナーを得て、新しい家族をつくっていく。
 これを(   )という」

うーーん、ますますムズい、、、独立→自立→結婚という一連の経過を
どう一語で表すのだろうか、、、それに必ずしもこういう順序でない場合も
あるように思われるのだが。。。

「長寿社会では(   )の生活が長い」

「老後」?
しかし、前後の文とどうもつながらない。

「住居と家計をともにしている人々の集団を(   )という」

ん? これが「家族」じゃないのか? でも、最初の定義とズレがあるなぁ。
これは「所帯」にあたるんかな?

こんな身近な事柄についても、知らないことばかりらしい。
極めつけにこんな設問を見た。

「共働きで子どものいる家族のことを何というか」

「共働き家庭」なんて言葉は使うようだけど、そんな答えじゃないわなぁ。
20年以上、共働きで子どものいる生活をしてきたのに、知らない。
半世紀以上も家族生活の中にいたのに、
「家族というもの」について何も知らないらしい。
あたりまえのように生活しながら、実は何もわかっていないということが
ほかにもいろいろあるに違いない。


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