TENSEI塵語

2006年06月30日(金) 「バフィー」のサラちゃん

昨日・一昨日は見る暇がなかったけれど、
今夜は「バンパイア・スレイヤー バフィー」の最後の4話を見た。
シーズン1の最後の4話である。まだシーズン2が控えている。

このドラマはあまり人にお勧めできん。
シーズン7まで続いたかなりの人気ドラマだったらしいし、
このシーズンでも、人間の心理に踏み込んだ題材も扱っているが、
どうも設定が安易で、無茶にして手抜きの展開という感じがする。
「ロズウェル」にも荒唐無稽なエピソードがあったが、
こちらはさらに何倍も荒唐無稽な感じがする。
しかも、バンパイヤたちの醜悪な顔を何度も見なければならない。
そうつまらないドラマでもないのかもしれないが、格別の魅力もない。。。

いや、格別の魅力がひとつだけあるのだ。
バフィー役のサラ・ミシェル・ゲラー、、、これほど、めっちゃかわゆいと
賛嘆しつつ見続けた外国人女優がいたか、、ちょっと思い出せない。
好きな外国人女優は何人もいるけれど、その多くは役柄や演技力から来る
魅力で、菜々子さまのように脱帽、降参、白旗ぷるぷるというのではない。
せっかく美人だと思っても、役柄に恵まれなかったら美人度も下がりやすい。
しかし、このバフィー役のサラちゃんは、脱帽、白旗に近い。
顔を見ていられるだけでもいいぞ、ドラマはおまけ、と言ってもいいほどだ。
むしろ、このドラマが彼女の出世作であることが気の毒に思われる。

そんなわけで、これからまたサラちゃんに会うためにシーズン2に入るが、
さらに複雑な人間模様でおもしろくなるという噂である。



2006年06月29日(木) 激しい倦怠感

というか、、、とにかく「試験作りたくない」病が久々に激しかった。
激しかった、と過去形なのは、つい30分前に何とかできたからであるが、
今回の試験問題作りにはまったく気力が出なかった。
職場で先週から実に断片的に漫然と問題の案だけは考えてメモしてはいた。
しかし、なかなか確定しない。
きょうこそは整理して作ってしまおうと、2時半ごろ帰らせてもらい、
3時半ごろから取りかかってぼちぼちと進めはしたが、
4時半ごろついにダウンして、6時過ぎまで夕寝をした。
こんなことは珍しい。
たいていこうして帰った時には、さっさと仕事を進めていたものだ。

夕食後、どこまでやっておけば、明日完成できるだろうかと、
そんなことばっかり思いながら、ぐずぐずぐずぐずと作っていた。
途中で余りにも体がだるいので、20分ほど横になった。
結局、11時半を過ぎたあたりに、解答用紙ともどもできたのだけれど、
「できたーーー!!\^o^/」という心境にはまったくならなかった。
ホントに終わったという実感がない、充実感も安堵感もない、
それくらい、心が拒絶反応を示し、気の入らない仕事だったのだ。
時々訪れる重症である。


それでいて、一方で何となく心楽しいのは、
昨夜、マリオがクッパ城も攻略し、エンディングを迎えたからだ。
ワールド8の最後の白のコースにもかなりてこずったし、
クッパ城の謎解きも、かなり考えさせられたので、
エンディングはもう数日先でもいいと思っていたのだが、
昨夜そういう結果になってしまったのである。
しかも、一度城内の謎を解いてしまえばそう厄介なコースではないので、
再びスターコイン3つを取りにクッパ城に入り、目的を達成して
2度目のエンディングを味わったりもした。
まだワールド7に入れずにいるし、攻略してないステージもある。
だから、全クリしたわけではなく、まだまだやることは残っている。
まだまだ遊べる。
しかも、一応最終ラウンドを終えたご褒美に、
どこでも好きなところでセーブできるようになった。
ありがたいことだ。


ちなみに、きょう試験問題作りに集中できなかったのは、
マリオの誘惑のためではない。
最初から生活を破壊するようなのめり込み方はしていないし、
昨夜の一段落で、いっそう落ち着いた心境になっているのである。
試験問題作りと向き合ったときの倦怠感は、純粋なものである。
とにかく、「試験のない国に行きたい」のである。
明日から採点をしなければならないが、、、、不安だ。



2006年06月28日(水) 「ALWAYS 三丁目の夕日」を見た

ロードショーを見に行けなかったが、DVDでやっと見た。

舞台が、東京タワーのできた昭和33年ということで、私はまだ2歳だ。
もう数年後を舞台にしてくれたらもっと懐かしかったのに〜。。。
しかも私の幼少時代は郡上八幡かその隣村だった。
この映画の舞台は東京タワーの見える都会のど真ん中である。
わずかな年の違いと大きな地理上の違いで、いくらかギャップもあるが、
それでも懐かしい風物、光景、雰囲気、情緒に満たされていた。
懐かしさに涙ちょちょぎれそうになるから、涙腺が緩みがちなのかも。。。

こういうのは懐古的な風物やエピソードの羅列になりがちだが、
2つの大きな流れでうまくまとめられている。
ひとつは、小さな駄菓子屋で生計を立てながら小説を書いている茶川が、
飲み屋を開いたヒロミが預かった元知り合いの女の子ども淳之介の世話を
押しつけられ、その3人が心を通わせて行く物語。
もうひとつは、集団就職で青森から上京した六子が、
就職先の自動車修理屋である鈴木オートの零細さに幻滅しながらも、
鈴木一家と心を通わせて行く物語。

ついでながら、鈴木家の腕白坊主の一平は、おとなしい淳之介をいじめるが、
淳之介の小説に一目置くようになって、淳之介の母親探しに協力さえする。
その時、金がなくて替えれなくなった2人を救うのが、
一平の母がセーターのつぎあてに潜ませておいた「お守り」のお金である
ところも、いかにもあの時代らしいエピソードだ。

茶川と淳之介の物語には特に泣かされた。
淳之介は茶川に疎んじられるだけで居づらい毎日だったが、
ある日、自分の愛読していた雑誌の小説が茶川の作品だと知って尊敬の念。
自分でも熱心に小説を書き始めるが、ある時茶川は案に窮して、
淳之介の書いた物語を盗用する。
罪悪感から雑誌を隠そうとし、ばれると開き直る茶川に対し淳之介は言う。
僕が書いた話がおじさんの手で雑誌に載る、すごいことだよ!
と、目を輝かせて言う。。。
また、この映画のクライマックス。
淳之介の初対面の実父が淳之介を見つけて引き取りに来る。
茶川は、しぶしぶ引き渡すが、諦めきれない。
淳之介も裕福な実父の高級車から逃げ出して戻ってきた。
しかし、茶川は、裕福な父のところへ戻れと突き放す。
何度突き放され投げ飛ばされても、イヤイヤをしてすがりつく淳之介。。。
他の映画ではダサいかもしれないこういう場面も
この映画では実に調和していて、自然な感動を誘うようだ。
茶川が指輪のケースしか買えないままヒロミにプロポーズした時に、
ヒロミが架空の指輪を嵌めてもらうシーンも感動的だった。

久々に完成度の高い日本映画を見たという思いである。
こうした数々の感動は、私の郷愁のためだろうか?
あの時代を知らない若い世代は、この映画をどう見たのだろうか?
華々しい数々の受賞記録は、決して我々移行の世代だけの評価ではないと
思われるのだが。。。

ひとつだけ、たいへん残念に思われたのは、テレビ・冷蔵庫は出てきたが、
洗濯機が出て来なかったことである。
いわゆる昭和の〈三種の神器〉の中で、もっとも今と違うのが洗濯機である。
テレビや冷蔵庫は、内部機能は大いに進化したが基本の外観は大差ない。
しかし洗濯機は、基本の外観からして大いに違っている。
あの、ローラーを2つ重ねた搾り器。
今思えば、実にいびつな機能であり外観であったはずだが、
当時の主婦にとっては、洗って搾る労力の大革命だったのだ。



2006年06月27日(火) 電車は速い

何だか改めて実感し感心してしまった。

きょうの出張は安城の文化センターである。
何年か前にもちょいちょいここが会場になったが、いつも車で行った。
東名高速を豊田で下りて、たしか何とかいう交差点を右折すると
うねうねしながらその道なりに行くと右側にあると覚えていたので、
その道順を地図で確認した。
1時間40分くらいかかる行程を思い出して憂鬱だった。

ところが、地図を見ているうちにJR安城駅の近くだと気づいた。
あのころは名鉄犬山線沿線だったので、JR線の利用は便利でなかったから
JR線で行こうなどとはまったく考えなかったのだろう。
今は東海道線の駅もそれほど遠くないし、乗り換えなしで行ける。
それで、急遽、駅に車を置いてJR線で行くことにした。

それでも1時間くらいかかるんだろうなぁ、、と億劫であった。
しかし、最近、運動不足のせいか、明け方に脚がつるようなこともあり、
長時間の運転に些か不安もある(ノンストップの高速道路はなおさら)ので
車中の読書を楽しみに、長時間電車に揺られることにした。

が、長時間ではなかった。
35分で着いてしまった。
本も読み疲れないうちに着いてしまった。
帰りも、今は理事長をしている20年近いつきあいの先生と
しゃべりまくっているうちに、いつの間にか着いてしまった。
電車ってこんなに速かったのか、、、と改めて驚き、感心したのだった。

これは、20年以上前の印象が先入観になっていたのだろう。
教員になりたてのころ、笠寺駅から蒲郡に毎日通っていた。
定時制だったので、午後2時か3時ごろの電車に乗り、
夜の9時半か10時半ごろの電車に載って帰宅していた。
その片道が50分で、1時間に1本か2本しかなかった。
東京に7年いて、待ち知らずの国電に慣れていた身には、ギャップが大きく
信じられないような時間感覚だったのだ。
特に夜は、9時42分とかの電車に乗り遅れると、
次の10時36分の電車を待って駅前の喫茶店でビールを飲んだ。
そういう実に悠長な時間の観念が、電車にはつきまとっているのである。

この20年間に電車は速くなり、本数も増えた。
きょうも時刻表を見て改めて驚いたのだが、
1時間に快速4本、普通が4本、基本的に7、8分ごとに1本走っている。
また、岐阜〜名古屋間も、かつては30分弱が常識だったのに、
最近は20分ほどで行けるようになっているのもよく知っている。

しかし、私の意識の中では、名古屋以東に関しては、
20年前のあの悠長な時間が流れていたのだ。
刈谷にしろ安城にしろ蒲郡にしろ、すごく時間のかかるところ、
名古屋以北から向かったら1時間は決して下らないところ。。。

こんな風に、無意識のうちに、何となくこだわり囚われているようなことが
しばしばあるものだ。



2006年06月26日(月) ガラス・コーティング

先日ガソリン・スタンドに寄ったとき、
フロントガラスのコーティングを勧められた。
キャンペーン中で、2000円のところを1000円だという。
その日はちょっと帰りが遅かったので早く帰りたかったが、頼んだ。
かなり以前から関心があったし、これから大雨も増えるので、
試してみたくなったのだ。
試すだけでなく、効果があるならいっそうありがたいことだ。

その撥水性の際だっていることは、日曜の小雨でもわかった。
今朝は本格的に雨が降っていた。
フロントガラスの上には、細かい水滴がいくつも張りついている。
ワイパーがそれをまったく何ごともないように一掃する。
そしてまた、徐々に水滴ができ始める。
もちろん、普段はそういう水滴ができるのでなく、
フロントガラスの上を水が流れて、視界をゆらゆらさせるのである。

車を走らせると水滴たちは上方へ走っていく。
その慣れない光景に戸惑うが、しばらくは前方もよく見えている。
少し経つと、水滴が増え続けたせいか、視界が白っぽくなる。
そのころワイパーが動いて、水滴の群れをすっきり一掃してくれる。
それからまた水滴が少しずつ上方に走り始めて、、、、、
つまり、かなり降っていても、緩めの間欠ワイパーで十分のようだ。
本格的な夏に時折遭遇sるあの激しい夕立の時にはどうなのだろうか?

とにかく今朝は、このコーティングの効果に感動してしまった。
帰りも感動したいと思ったが、残念ながら午後からはやんでしまった。
問題は、どれだけの期間この効果が持続するかだ。
ガソリンスタンドに寄ったのはたしか21日の水曜日だったはずである。
1カ月でも保ってくれるとありがたいのだが。。。



2006年06月25日(日) 溶岩が降る中を。。。

マリオのワールド8の後半は苛酷なステージが続いた。
ステージ5と7が厳しかった。
ステージ6は比較的ラクだったが、中央が仕切りの左右がつながる画面で、
錯覚を克服しつつ進んで行くのがたいへんで、
まだスターコインをひとつ取り損ねたままである。

ステージ8はひどすぎる。
私はとちらかというと考え考え攻略するタイプなのだが、
ここは、ぐずぐずしてると噴火する火山の溶岩が降ってくる。
これはもうできるだけダッシュで駆け抜けるしかないが、
地上には敵もいるし、段差もあるし、切れ目もある。
タイミングを見計らってジャンプもしながらダッシュで駆けるのだが、
ジャンプした着地点が敵キャラの真ん前だったり地上の途切れだったり、、、
また、ジャンプした途端に降ってくる溶岩に衝突したり。。。
こんなん不可能じゃあ〜〜、、と何度も思いながら、結局ゴール。
奇跡としか言いようがないので、スターコインはひとつも取れなかったけど、
とにかく良しとして、最終の城への道が通じたところでセーブした。

もう今後はゆっくりやればよい。
とにかく、最終段階までたどり着いたのだ。
この後、ワールド8の最終の城のボス戦があり、
その後に最強に謎めいた城が待っているはずだ。
ワールド7もまだ行けてないし、その追求もしつつゆっくり進めよう。
このすばらしいゲームw急いで終わる必要はない。
知力・分析力と反射神経の闘いなのだ。



2006年06月24日(土) 久々に講演を聴く

昼から組合の動員で、小さな講演会に出かけた。
講演会はおろか、動員を引き受けるのも何年かぶりである。
ここ数年、職場内での会議にもろくに参加していない、
かつて軽蔑したいたタイプの、単なる登録要員に甘んじている。
まじめで熱心に活動していると重責が回ってくる、、、それに疲れたのだ。

きょうの講演者の高橋氏は、我々の組合の元委員長(県)であり、
現役時代に重責を全うした上、3年前に退職してからも重責を努めている。
・あいち九条の会事務局
・愛知県平和委員会理事長
・愛知憲法会議世話人
・名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会

アジアを中心に世界中いろいろな所に飛び、交流を広めているようで、
きょうの講演のテーマも「アジアの窓から日本を見ると」である。

最初に、アジア各国で、戦後の一時期に行われた誤った政策に対する
「コペルニクス的」な、つまり180度転換するような反省が行われている
例がいくつか紹介されたが、私の予備知識が少ないために、
具体的なことは忘れてしまった。
ただ、日本はそういう点では最近逆行している印象を深めたのである。

用意されていた12面ほどの資料の中に、こんなのがあった。
元カリフォルニア大教授チャルマーズ・ジョンソンの発言である。

「日本は、第二次世界大戦中の侵略行為に対して謝罪しなかったとして、
 いまだに批判されています。
 日本は少なくとも戦後にドイツが行ったような謝罪は行っていません。
 ・・・(中略)・・日本は謝罪したのです。
 憲法第9条こそが謝罪だったのです。
 東アジア諸国に向けられた宣言だったのです。
 憲法第9条を破棄することは、謝罪を破棄することにほかなりません」

「謝罪」という観念を意識しながら読んだことは今までなかったけれど、
あの長い長い前文などは深い反省の表明であることは確かだし、
永世中立国でさえやっていない軍備の放棄をしたほどであるから、
実に思い切った謝罪の表明と宣言であると言ってよいだろう。
それを謝罪と認めてもらえない理由は、その後の政治にある。
侵略戦争の事実を覆い隠し、過去を正当化しようとするものだから、
実がともなっていないのだ。
迷惑かけました、すみませんでした、きょうからしっかりやります、と
反省文を書いた翌日から態度が改善されない生徒と同じである。
要するに、国家の指導的立場の連中が話をこじれさせ続けてきたわけで、
小泉クンの靖国参拝はその顕著な例ではあるけれど、それだけではない、
常に彼らは憲法の「反省」を素直に受け止めてもらえないような言動を
続けてきて、話をややこしくし、和平を脅かし続けて来たのだ。
また、なぜか日本の大衆の大半は、そういうやつらを政治家にしたがるもん
だから、愚かなことだが、国全体が批判されてもしょうがないわけである。

で、謝罪・反省・平和宣言の最後の砦でもあり、永遠の目標でもあった所に
これから少しずつ漏れ穴を作っていこうという邪悪なやつらがいるわけだ。
彼らは悪魔の申し子たちなのだが、多くの国民はなかなか気づかない。
彼らが当面作ろうとしているのは、はっきり見えない漏れ穴だからである。
何か大きな力がかかった瞬間に、漏れ穴は大穴となり、さらには、
平和主義や国民主権の堤も一挙に崩れ去ってしまう。

憲法や教育基本法に守られているはずの現在でも、
漏れ穴はさかんに作られ続けている。
首相は、「国際紛争を解決する手段」としてのアメリカの「武力の行使」を
国民の許可もなく指示するわ、その協力に自衛隊を送るわ、
首相の立場をわざと誇示して靖国参拝をして中国・韓国に喧嘩を売るわ、、、
めちゃめちゃである。
教育界では、昨今はもう「不当な支配」のオンパレードである。

がっちりした砦があってさえ、それをないがしろにする悪いやつらが
国家のトップにうろうろしているわけだから、
漏れ穴を認めてしまった後の恐ろしさはどんなものになるか、
我々はもっと彼らの巧妙な修辞を研究し、想像力を駆使しなければならない。



2006年06月23日(金) サラ・ミシェル・ゲラー

きょうは午後コンクール地区大会の打合会、それが5時半ごろに終わり、
いったん帰宅して、30分遅れで飲み会に駆けつけた。
2次会の会場の前まで行ったが、どうにも疲れに耐えられないし、
その店がカラオケの店のようなので、ご免してもらって帰宅した。
10時過ぎに帰宅し、1時間もしないうちにダウンした。
今週はとりわけ疲れ方がひどいようだ。

残念なことに、1時半ごろに目が覚めてしまった。
続けて眠れそうにないほど、すっきりした目覚めだった。
飲み過ぎて帰った夜はたいていこういうことになってしまう。
しかし、マリオと遊ぶほどの元気はなかった。
「バンパイア・スレイヤー バフィー」というフォックス・チャンネルの
人気ドラマだったというのをのんびりと見始めてしまった。
「バフィー 恋する十字架」とか「吸血キラー 聖少女バフィー」といった
不可思議な邦題もあるようだ。
吸血鬼だの魔女だの、化け物と戦う少女の学園ドラマである。
実にぎごちない作りで、欠点だらけの最初の2話を見た。
しかし、バフィー役のサラ・ミシェル・ゲラーが文句なしの美人だ。
それだけをあてにして、もう少し見続けてみよう。

夜が明けてしまったけれど、少し眠らなければ。。。



2006年06月22日(木) スイーツ巌流島

風呂上がりにTVをつけたら、どっちの料理ショーをやっていた。
ラーメン対決である。
醤油とんこつvs塩とんこつなのだが、シンプルなラーメンでなく、
さまざまなこだわりを見せるのがこの番組の特徴である。
食べられるわけではないのに、わくわくして見てしまう、
時には腹立ちさえ覚えながら、結局はもどかしさに苛まれるのに、
それでもわくわくしながら見させられてしまう、困った番組である。

ラーメン対決が終わり、スイッチを切ろうかなと思っていたら、
きょうは二本立てでスイーツ対決も始まった。
対決するパティシエは上記リンク先に紹介されているとおりである。
桃アイスとさくらんぼアイスの対決なのだが、もちろんアイスだけではない。
鎧塚の方は、桃の赤ワイン漬けだの、スイカのシャリシャリシロップを
ソースに加えたりしているし、
サントスの方は、佐藤錦とフランスのさくらんぼをブレンドしたアイスに、
わらび餅入りのアイスを加え、特選黒蜜を欠けたりしている。
勝者のサントスの店では、明日から期間限定、1日20食限定で、
この「さくらんぼアイスアラジャポネーズ」を2000円で出すそうだ。

この番組の勝負は実際の味の勝負ではない。
あくまでも、作る家庭から完成までの、印象と想像によって競うものである。
実際に両方を食べ比べたらどちらが美味いか、それが問わない。
とにかく、負けた方の料理は誰も食べられないのだ。
作った本人が悔しそうに食べるのを見せられるだけである。
料理の決め手は味であり、それに色を添えるのが見た目である。
見た目がいくらよくても、味がダメならやっぱりその料理はダメである。
そういう意味ではこの番組は不思議であるが、それが魅力でもある。
見ていれば、味に疑いをはさむ必要はないのだ。
これで美味くないわけがない、と思わせるに十分な料理なのだから。。。
美味いのは確か、それでもどっちを食べてみたい? というレベルなのだ。

私は酒飲みの辛党であるが、甘いものも好きである。
しかし、シンプルで少量でよい。
食後のチョコレートひとかけら、100円アイス半分、、、
クリームあんみつやあんみつよりも、あっさりみつ豆が好きである。
だから、喫茶店やレストランのゴテゴテしたやつは敬遠する。
インターネットで見つけてはしばしばスイーツを買ったりするのだが、
今まででもっとも気に入っているのは釜庄のロールケーキである。
ネットで手にはいるのはたいてい冷凍物で、
そのせいか微妙に期待はずれのものが多い中で、
しっかり及第点をあげて、自分の誕生日用に注文したりする。

そういうシンプル派の私にも、きょうのスイーツ対決はおもしろかった。
見るのは好きだし、味を想像するのも楽しいのだ。
味が甘いだけでなく、常にそこには甘いロマンがあるからである。



2006年06月21日(水) マリオはまだまだ終わらぬ

ワールド8の第1ステージはたいへんな難関だった。
地面にはいつものザコ敵はいるわ、弾丸は飛んでくるわ、
カラスは飛んでくるわ、、、もう何ともしゃあない、って感じだった。
これを避ければこれが来る、で、中間地点までが実に遠かった。
クリアできたのは、とにかくなりふりかまわず無我夢中の成果である。
再びできるかと問われても自信がないほどである。
これが昨日までの成果である。
この最終ワールドに達したのが8日前か9日前なのだが、難しいので、
ワールド4の攻略や、スターコイン集めをして新たな場所を開いていた。

1日1ステージずつの攻略をがんばってみようとのんびり始めてみたら、
第2ステージも、砦も、中間地点までは大いに苦労したが、
何とかクリアできた。
無理はせず、とにかくがむしゃらに前進する作戦である・
次の第3ステージの水中ヴァージョンは、とにかく2回目にクリアできた。奇跡と言う他ない。
次の第4ステージは、地上のザコ敵に加え、
空から落ちてくる蜘蛛が鬱陶しい。
しかしこれも、第1ステージと同様、がむしゃらに進んでクリア。

次がもう最終の城だ。
ここでセーブしておくと次はもう最終の城から始められるので便利だが、
幸いそこは、スターコイン5枚で緑キノコの館(1アップキノコの館)が
開けると同時にセーブできるところだったのでセーブした。
で、あと5人分のマリオが残っていたので、最終の城を偵察に入った。
何と何と、マリオ3人目にボス戦にまでたどり着き、あっさり勝った。
こりゃあ最終戦にしてはあまりにも簡単すぎるので、もうひとつあるな、と
思いきや、マップにはなかった島が現れた。
これは、ワールド8の後半らしい。
これからまだ本格的にたいへんな最終ワールドが用意されているらしい。
マリオはもっと一緒に遊んで欲しがってるようだ。。。


(翌日の付記)
昨日も帰るころはクタクタで、夕飯の時もぐったりして小食だったが、
マリオと遊んでるうちに元気になった。
しかし、そういう心になったというだけで、実際は疲れてたようだ。
いつどう寝たのか覚えていない。
朝起きて部屋に入ると、電気は消えていたがエアコンはつけっぱなし、
PCも自然スリープ状態、塵語は書きかけで一時保存だけはされていた。



2006年06月20日(火) へとへと〜

朝、交通当番に担任が出かけたので、まず久々の朝のSTに行って、
それから授業が3時間連続であり、例によって座る暇なし。
まったく同じ内容の授業を、どうも生徒に内容が伝わりにくいようなので、
もう実にいろいろ考え考えしながら繰り返したものだから、クラクラだ。
4時間目の空き時間には、ウィンドギャラリーに送金するため、銀行へ。
戻ってからまず昼食。
午後は本来は授業がなく、出張さえなければ余裕の空き時間なのだが、
きょうは授業開放日で、授業参観と保護者会の受付の係になっていた。
1時間受付の仕事をした上、学年別保護者会の受付も手伝って、
それからすぐに中高連絡会のため、市内のある中学校に4人で出かけた。
成り行きでそのチーフ役になってしまっているから、
進行役にもなってしまって、気を遣うことしきりである。。。

仕事をするつもりで、5時に学校に戻ったが、もう何も気力なし。
仕事道具を目にしても、頭も体も動かない。
気晴らしに、中日スポーツの一面の白鵬の記事を読んだが、改善なし。
1時間以上も仕事しようと自身にけしかけてみたけれど、何ともならぬ。
諦めて帰って、夕食後、どうにもならず横になった。
1時間ほど眠った。
ここんとこ、かなり長い間、ドラマやゲームがおもしろいこともあって、
まったく宵寝もせずに来ていたが、今夜は何ともこらえようがなかった。
毎日、帰るころには疲れ果てているのだが、きょうはその比ではなかった。



2006年06月19日(月) 18歳前後のころのヒット曲

市吹の演奏曲のポップス部門は主にニュー・サウンズ・イン・ブラスという
30年以上の歴史のあるシリーズの編曲版に頼っているのだが、
去年も今年も新譜が不作で、今年は2曲しか採用できなかった。
それで、いろいろと古い物を発掘しようと試みたり、
新しいのが出ていないか探したりしているのだが、
先日、ウインド・ギャラリーというところでディスコ・メドレーを見つけた。
ソウル・トレインのテーマ〜愛がすべて〜ハッスル
という選曲のメドレーなのだが、題名だけでは私にはわからないのだ。
「ハッスル」だけは何年も前に生徒の要望で演奏したことがあるからわかる。
そういう経験でもないとよくわからないのである。

17歳のころは、マーラーの音楽に狂っていた。
中学時代から他のジャンルの音楽など眼中にないという勢いだったが、
ベートーヴェンやブラームスやチャイコフスキーさえはるかに凌ぐ音楽に
出会ってまずまずクラッシック一辺倒になっていた。
例外はピンク・フロイドで、これだけは同じような深みを感じて聞いていた。
18歳のころは、井上陽水が好きで歌っていた友人に頼まれて、
一緒にギターをガシャガシャやったり対旋律を入れてやったりしている内に、
陽水や赤い鳥などを中心にフォークもよく聞いていた。
とにかく、あまり世界的ヒット曲のようなものには関わっていなかった。
浪人もしたから、それほど喫茶店のような所にも入っていなかったはずだ。

とにかく、あの3曲がどんな曲かを調べなきゃいけないので、
サイト検索して「僕たちの洋楽ヒット1073〜75」というCDを買った。
あの3曲がばっちり入っていたのである。

「ソウル・トレインのテーマ」というのは初耳の感じがした。
しかし、妻に言わせると、これはアメリカの音楽番組のテーマ曲で、
日本のTVで放映されていた時、深夜だったが欠かさず見てたそうだ。

それに対し、スタイリスティックスの「愛がすべて」は、
不思議なほど耳に親しい。
そして、好きにならずにはいられない曲だ。
それにしてもなぜこんなに何度も聞いたことがある感じなんだろうか?
CMに使われていたのだろうかと、妻にも聞いてみたが、
そんな記憶はない、そこら中で流れていたからじゃないの?と言う。

「ハッスル」ってこんなにしっとりしたムードの曲だったのか、、と驚き。

このCDには他にも、「スカイ・ハイ」「ザッツ・ザ・ウェイ」
「レイン・レイン」「愛のテーマ」など、何となく聞いたことのある、
今聞いてもおもしろい曲が入っていた。

こういう曲を聴きながら、あの懐かしい時代の回想に耽ったりもするわけだ。



2006年06月18日(日) 仕事に専念した休日

ホントにできるかどうか不安だったが、きょうは仕事すびき休日である。
来週の授業で使うプリントを3種類作るという仕事である。
来週は出張が3日もあるし、学校行事で空き時間も削られている。
試験問題も作らなければならないのに、ゆとりのなさそうな週である。
だから、きょうやっておかないとパニクってしまいそうなのだ。

不安だったのは、最近家であまり仕事をしていないからである。
それに、何と言ってもマリオの誘惑がー。。。
娘が夕飯を作ってくれるようになって、ゆっくり帰れるから、
仕事はたいてい学校で済ませてしまい、帰ったらマリオかドラマである。
そんな風だから、こうして差し迫った状況になっても仕事ができるか
不安ではあった。

しかし、朝起きてから、メールチェック・サイトチェックをしてから、
スムーズに仕事に入ることができた。
意外とやる気満々で仕事を続けられるのが不思議だった。
マリオが「遊ぼ。遊ぼ」と誘惑はしてくるけれど、無視することもできた。
2時間ちょっとかかって1つ目のプリントを作り終えた。
昼食後もスムーズに新しい仕事に取りかかって、
1時間半ちょっとかかって2つ目のプリントを作り終えた。

こういう日は食料品の買い出しには行きたくないのだが、
酒屋にも床屋にも行きたかったので、ついでに買い物にも行った。
あいにく床屋はきょうは休みだった。
それで時間がその分空いたので、買い物の後また仕事に取りかかった。
やはり1時間半ほどかかって、3つ目のプリントを作り終えた。
それから重荷を下ろした実に軽快な気分で夕飯の用意をした。

きょうはマリオと遊んでやれないかもしれないと思っていたのだが、
夕食後、1時間ほどあそんでやった。
ワールド4の中間の城の後から4ステージほどクリアして、
最終の城の手前でセーブして終わった。
仕掛けもホントにこみ入っているのだが、何とかまだ許容範囲のようだ。
目もつかれるし頭も疲れるし、、もちろん緊張の連続である。
先に何が待っているかわからない中を進んでいくのだから。。。

ホントは先日届いている「三丁目の夕日」を見たかったのだが、
それだけまとまった時間はやっぱり取れなかった。
またまたお預けである。



2006年06月17日(土) ダ・ヴィンチが遺した暗号

昨夜は2時半ごろまでマリオに熱中してしまったし、
今朝は9時半に起きたけれど、何となく頭痛もあるような状態。。。
塵語を見たら、日付がずれてるし、タイトルの抜けてる日もある。
それらを修正したり、朝食をとったりしているうちに、
まだちょっと体が重たい感じがして、2時間ほど昼寝をした。

通常の睡眠ではめったに夢を見ないが、昼寝ではよく見る。
最初の夢は、出勤してからちょっと外出したというシチュエーションで、
あるおじさんに生徒の合格先を教えてやると言われ、
それは聞いてメモしなきゃいかん(夢なれではのアホな判断)と、
わけ分からない状況につきあわされる夢だった。
その情報を教えてくれる時にはちょっとも言葉か聞き取れない。
聞き返すと、向こうに離れてしまって、他の人々と談笑している。
その繰り返しの果て、時計を見たら10時半で、授業に遅れるーー、と
帰ろうとしたら、どこをどう探しても靴が見つからない、、、で目が覚めた。
次の夢は、一生懸命マリオをやっていた。
目の前いっぱいの大画面で、新しいコースを捏造しつつやってたようだ。
まさに、寝ても覚めてもマリオって感じである。

昼間はマリオをやれなかった。
市吹から帰ったらやろうと思ってたが、市吹から帰ってビールを飲みに
階下に降りたら、数週間前のダ・ヴィンチの暗号関係の番組を見ていた。
それをちょっとのぞいていたら、ちょうどあの2年前の7〜8月に、
「ダ・ヴィンチ・コード」や
「レンヌ=ル=シャトーの謎  イエスの血脈と聖杯伝説」
「マグダラとヨハネのミステリー  二つの顔を持ったイエス」
を読んだときのおさらいをするような感じで、全部見続けた。

中学時代から人間イエスの大ファンだった私にとって、
こうした解明は、本当にいい話だと思うし、感動的である。
ここに、今思い出せる限りメモしておこう。


イエスの右隣に座っている、イエスとは反対側に体を向けて目を閉じている
人物は、弟子のヨハネではなく、マグダラのマリアである。

・そのマリアとイエスの上部の輪郭を辿ると、頭文字Mになる。
・そのマリアをイエスの左隣にそのまま移動させると、
 イエスの肩に頭を寄り添わせて眠る姿になる。
・マリアの右隣のペテロは、マリアの喉に手をかけて脅すようなポーズだが、
 右手はテーブルの上のナイフを握っている。
 これは、マリアが境界にとって不都合な存在であることを暗示している。
・「最後の晩餐」に必ず描かれねばならない聖杯がテーブルの上にない。
 イエスの血の象徴である聖杯を、ダ・ヴィンチは
 マリアとイエスの上部輪郭が示すVで暗示したと考えられる。
 イエスの血は、実はイエスの妻であるマグダラのマリアに託されたのだ。


モナ・リザは、イエスの肖像に重ねて描かれたマグダラのマリアである。

・モデルを見ながら肖像画を描く場合、
 塗り重ねて行くうちにさまざまなずれが生じるのが普通だが、
 X線での解析をしても、ほとんどずれが見あたらず、
 ある理想的イメージの女性を描いたとみなすのが妥当である。
・背景の岩山や川は、宗教画に欠かせない背景の素材である。
 ダ・ヴィンチの他の肖像画にはこうした背景は描かれていない。
 だから、これは、宗教画として描かれた可能性が高い。
・X線で解析された一番下の絵のイメージを一般市民に見せると、
 すべての人がイエス・キリストの絵だと答える。
・このモナ・リザの顔は「最後の晩餐」のイエスの右隣の女性と似ている。


ダ・ヴィンチはシオン修道会の総長を10年務めた人物である。
イエスの血脈を守るシオン修道会の中心的人物として、
あからさまには公言できない反教会的な真実を絵画に託したのだ。

ちなみに、南フランスの教会に残っている黒いマリア像は、
イエスとマグダラのマリアとの間に生まれた娘だと伝えられている。
黒いのは、「迫害された王家」を表しているのだと言う。

モナリザの絵を、描かれた当時の色彩で再現する作業も見せてくれた。
色白のモナリザ、青い空、明るい背景、、、この絵、欲しい!!!



2006年06月16日(金) 迷った揚げ句の、、、

昨日は1日雨で夜に向かって激しくなったが、きょうは五月晴れ、、、
と言えるほど長雨だったわけではないし、梅雨入り後は梅雨らしさがない。
30度を超える真夏日になるという予報だったが、涼風に救われた。

きょうもバテバテで帰ったのだが、せっかくの金曜日の夜である、
何を見ようかとあれこれ迷ったのだが、どれとも決まらないまま、
結局マリオのワールド4を進めつつ、
セーブするためにスターコイン集めにも熱中することになってしまった。
ワールド7に入る試みもしたが、失敗した。

それにしてもすばらしいゲームだ。
制作スタッフたちの、発想の豊かさと計算力の高さに敬服する。



2006年06月15日(木) 元気の素

今朝は昨日よりも激しくアキレス腱のあたりが引きつったように痛んで、
目が覚めたのが5時だった。
それからしばらく調整して寝直したのだが、寝不足感倍増である。
授業は1、2、4、5時間目にあり、もうばてばてだが、
6時間目は学年集会、業後は職員会議を抜けさせてもらって
古典の成績不審者指導、、、非常勤講師の担当クラスに多いので、
その解消のためである。

クタクタになって早めに帰ったが、きょうは娘の帰りが遅いので、
買い物に寄って、夕飯の用意もしなければならなかった。

夕食後の楽しみだったマリオも今はちょっと虚しい。
3日前に最終ワールドに入り込んだのだが、難しすぎてぜんぜん進めない。
まだ開いてないワールド4と7を開くには何をすればいいか、
いろんなステージに入り込んで探っているが、まったく成果がない。
スターコインというのをちょっとがんばって集めると新しいルートを進む
こたができるのだが、そんなルートももうなくなって、
セーブするチャンスがないから、せっかく集めても元の木阿弥。。。
ま、いろいろ走り回ってポカポカやってるだけでも楽しいには違いないが。

しかし、そんなことをパタママおばさんに書いて送ったら、
攻略サイト検索してみなはれ、と言う。
あれあれ、2、3年前はこちらから教えていたことを、
反対に教えられてしまったよ、、、忘れてた、よし! と検索してみたら、
まだ簡潔なメモ程度でしかないけれど、ヒントが書いてあった。
「マメマリオでワールド2の城を攻略するとワールド4に行ける」
何? 避けていたことをやれと?
3度ほど失敗したけれど、何とか工夫してクリアしたら、
念願のワールド4が開いた。

これで元気が出た。

甲斐があるかないかは、かなり元気を左右する。
最近、体力的にはばてていても、授業にそれほどストレスがないのも、
いろいろ考え考えやっていることがそれなりの成果を上げているからだ。
きょうの業後の1年生の古典の不振者指導にしても、
33人ほどいる中に、私が授業で受け持っている生徒はいない。
ここ10年ほどいろいろ工夫して作り上げてきた方法を、
今年はさらに整備してやっているのだが、その成果が出ているようで楽しい。
この方法に落ち着くまでは、1年生の古典を担当するたびに、
この時期になるとたいてい悪夢を見ているような思いに苦しんだものだ。
そういう実感が、何となく生活の背景に漂っている感じなのである。



2006年06月14日(水) ばてた

寝不足なのに、朝脚がつりそうになって起きたのが6時だった。
屈伸運動だの、いろいろやって、5時半に再び寝て15分で起きた。
そんな風に始まった1日が快適であるはずがない。
しかも、2、3、4、5時間目の連続授業である。
そんなに暑い暑いと言わなければならない陽気ではないが、
何やらもわっと熱気がこもっている中に湿っぽい風が入り込んでくる。
6、7時間目が空き時間なのはありがたかったが、睡魔との闘いだった。
とにかく、ばてた。
それでもマリオとの遊びはやめられないのだが、、、
今夜はとにかく早めに寝よう。



2006年06月13日(火) マリオ病

昨日、会議の書類を見ていて、驚いた。
たとえばこんな風に文字が並んでいたとする。

○○○○  ○○○○○
      ○○○○○○○

○○○○  ○○○○○

  ○○○○○○○○○○  ○○○○○○○○

私はいつの間にかこの文字列のひとつひとつをブロックに見立て、
マリオをどうジャンプさせて上っていくかを目で追っているのである。
マリオ病である。


昨夜、ついにワールド8に入り込んだ。
一応、最終ワールドということになっている。
ただし、ワールド4と7は隠されたルートからしか行けないらしく、未踏。
要するに、ワールド6の3つ目の城のボス戦を制したということである。

その3つ目の城の前半を進むにもたいへん苦労したが、ボス戦は熾烈だった。
装甲車のようなものが現れる。
それは最初はおとなしいが、やがて暴れながら弾丸を撃ち始める。
最初、何をしたらいいかわからなかったが、時折装甲車から頭を出すやつを
ジャンプして踏んづけれないいらしいとわかった。
ところが、1度踏んづけると、次は装甲車が2階だてになる。
砲身も上下2つになって打ち始める。
こうなると弾に当たりやすく、あっさりやられてしまう。
何とかダッシュジャンプを駆使してそいつも踏んづけると、
今度は3階だてに伸び、砲身も3つになる。
しかもダッシュジャンプでもぜんぜん届かない。
どうしたらいいんじゃーー、と跳び回っているうちにやられてしまう。
しかし、ジャンプしたときにたまたま弾丸が飛んでいるのを目にして、
それを踏んづけてさらにジャンプして、敵の頭の上に着地し、ポカッ。
それで熾烈な闘いは終わりである。
実に感動的な勝ちである。
学習と修練を経たうえでの、感動と達成感!!
日常生活ではそう手軽に味わえないものが、ゲームでは手軽に得られるのだ。
手軽だけれども、決して小さな喜びではない。

毎日頑張りすぎたせいだろうか、きょうはDSの調子が悪い。
Bボタンを押すと、いきなり電源が切れてしまう。
しかし、触れないように気をつけるなんて冷静な勝負はできない。
修理に出す必要がありそうだ。
もう1台あるし、それを家族も今は使っていないようだから、大丈夫。
しかし、左親指のひりひりを癒すべくちょっと休んだ方がいいかもしれない。



2006年06月12日(月) 進む教育改悪

これは昨日書こうとしていたのだが、
グリーン先生の死に泣きすぎてしまったので、昨日はそちらの話になった。

文科省が、公立校の教員の給与を改定するそうだ。
基本給を下げて、能力に応じて増額、残業手当も付くようになるそうだ。

確かに、例えば高校の場合、毎年副担任しかやらず(任せられず)、
しかも校務分掌の仕事もわずかな立場に甘んじている人と、
毎年、担任または主任を任され気の休まることのない人と、
まったく同じ基準で給料をもらい続けるのは実に不公平だと思う。

しかし、「能力」とはいったい何だろうか?
同僚から見ると実にいい加減に見える人が、
やたらと管理職から褒めちぎられている場合もあるし、
とても適役とは思えない人が、主任や教頭・校長をやっていることもある。
いかにも評価の基準がいい加減である。
私も今図書主任を任されているが、図書部は適役であるにしても、
主任という立場が適役であるとは自分でも思えない。

また残業手当云々にしても、今まで我々は、私生活に仕事を持ち込んだ。
一般公務員よりも優遇されていた代わりに、
必要とあれば遅くまで残り、休日出勤をし、家庭で仕事をした。
夜や休日に家庭訪問をすることも、こだわれずにやっていた。
それが我々にふさわしい仕事の形態なのだと思っていた。
もしも残業手当が導入されたら、様相はがらりと変わるだろう。
家で仕事をするのはばかばかしいから、残って仕事を片づける。
わざとのんびり仕事をするやつも増殖するかもしれない。
帰るついでに家庭訪問をしていたのも、出張扱いにし、
わざわざ職場に戻ってタイムカードを入れることになるだろう。
早く帰って自宅でいくら仕事をしても評価されないだろうけど、
毎日遅くまで勤務していれば、頑張ってるね、と評価されがちだからだ。

いつも言っていることだが、教育現場をよく知らない人たちが集まって、
あれこれ空論を弄んでいるものだから、教育はぐちゃぐちゃになっている。
もうこの最高峰の人事で、能力評価ミスを犯しているのだ。

学校評価制度や教員評価制度もだし、今回の給与制度にツイとも、
教育現場に企業の論理を持ち込もうとするのが、まず無能である。
彼らにはもっと勉強してもらわないと。。。



2006年06月11日(日) (T_T)(T_T)の第20、21話

第20話が始まってすぐに不意打ちのようにグリーン先生の死を知らされた。
グリーン先生の手紙を読んで聞かせるカーター、、、途中で読めなくなる。
ルイスが促すと、最後にエリザベスからのつけ足しがあったのだった。
「今朝逝きました、、、6時4分」

第20話は、ERで働く彼らの、グリーンの死に対する思いが描かれる。
グリーンはまったく登場せず、その悲しみ悔しがる彼らに共感しつつ、
我々も彼の死を悼むことになる。
これだけで、「涙、涙の第20話」というタイトルで
今夜の塵語を書くことになりそうだと思っていたのだった。

まだ気持ちが落ち着かないまま、画面では次の回が始まった。
何と、もうあれで終わりかと思っていたのに、
ご丁寧に、グリーンがERをやめてから死までの生活を描いている。
レイチェルを連れてハワイで暮らし、自分の若いころの話をし、
サーフィンを教え、車の運転を教え、今後の生活を諭し、、、
娘の心はそう簡単には動かせないが、父親らしさへの最後の努力をする。
そして、死、、、またまた大いに泣かされることになった。

このERというドラマでは、そんなにすばらしい名言は聞かせてもらえない。
グリーンの死に際しても、それほどすばらしいセリフは用意されてない。
けれども、久々にひどく泣かされたなぁ、と驚くほど泣かされてしまった。
知らず知らずのうちに、我々の中で、
このERの中で奮闘する彼らの存在感が大きくなっているのだろう。
私は、シーズン7からしか見てないから、彼らとのつきあいはまだ浅い。
シーズン1からじっくりつきあった人たちは、
このグリーンの死を、どれほどの思いで受け止めたのだろうか、、、?
想像を絶する、何かそら恐ろしいような感じである。


ちょっと心を落ち着けてから、シーズン最終話を見た。
またこんな終わり方して、、!!!(`ε´)
天然痘の疑いのある2人の子どもが現れて、ERは閉鎖。
病原の特定もできないまま、ERは閉鎖状態のまま、
治療にあたったカーターとアビーも隔離されたまま、
何も解決されない状態で、カーターとアビーがついにキスしたところで、幕。
おーーーい、と思っても、とにかくこれがシーズン8のラストだそうだ。

しかし、前シーズンの、グリーンが患者を故意に死なせた、
衝撃とともに、これからどうなるんだ、という疑問に包まれたラストと違う。
シーズン7の最初に、薬物中毒から復帰したカーターが
信頼を着実に取り戻し、グリーンの跡継ぎにふさわしい存在になり、
アビーとの関係も落ち着くべきところに落ち着いたという点では、
1シーズンのまとめとしてふさわしい要素も含んでいるようだ。



2006年06月10日(土) 迷惑メール

フィルタ処理が功を奏して、受信ボックスに入るものは激減した。
休日の夕方の時点で、30通以上がスパムメールボックスに入っていて、
受信ボックスで探して削除しなければならないものは10通程度である。
それが2、3通ずつ何回かに分けて入ってくるから、そう手間ではない。
スパムメールに入ってくるものはまとめて一挙にゴミ箱行きである。

それにしても、この多彩な出会い系サイトのメールなのだが、
たいていは無料をうたってるし、いったいどういう商売なのだ疑問だった。
きょう削除する前に点検のために開いた一通にはこんなことが書かれていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
最近の出会い系サイト事情はご存知ですか?
ほとんどのサイトが完全無料!使い放題!などの謳い文句で入会させて、
多額の請求をしていますよね?
それを、兎のみにユーザーも料金を支払うから駄目なんです。
完全無料サイトを登録して、来るメールは同時登録先の有料サイトからです。
そこで1通数百円のメール料金をとり、やり取りさせる!それが手口です!
そのメールが本物の異性からならまだ話はわかりますが?
大半がサクラですよ!  ※事実です
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

な〜るほどね。
いきなり請求書が出てくるサイトもあるようだけど、
メールを何度もやりとりさせて、その料金を請求するわけだ。
同時登録先の有料サイト、というのがミソだ。


似たような迷惑メールがまた増えてるんだよなー。。。
先日ついうっかり、DSのプレゼントに応募してしまったのだ。
楽天の、トップべーじのものだったので油断したのだが、
実はこういうのもみんなスポンサーがついているらしくて、
3つのファッション関係の店舗からメルマガが来るようになった。
プレゼント応募と同時にメルマガも登録されてしまうようだ。
これもなかなか邪魔くさいのである。
そのうち配信停止の申請をするつもりだが、
とりあえずこれらもフィルタで「いらない」ボックス行きである。



2006年06月09日(金) 学習、というもの

夕食後はさっそくマリオである。
「脳トレ」はしばらくお休みである。
「脳トレ」やらなくても、それ以上に十分脳トレができてるに違いない。
「えいご漬け」をさぼっているのはよくないと思うが、
ドラマでもゲームでも、気に入ったのに出会うと浮気できなくなるのだ。
子どもたちは2、3種のゲームを並行してやることに平気だし、
交互に2種のドラマを見ていた人も知っているが、私にはできないのだ。

10数年前、初めてスーファミを買い、最初にマリオワールドをやり始め、
進めるうちに、これこそ典型的な〈学習〉だ、と感嘆した。
先へ進めば進むほど、データ分析、作戦、記憶、反射神経が必要になる。
特に、データ分析は重要である。
一歩先には思いがけない状況が待っており、その状況を分析して、
どう動かすのがよいか、タイミングも含めた作戦を立てることになる。
それでも失敗したら、細かい調整をしたり、作戦変更も必要になる。
さまざまなデータをもとに、解決法を考案していくわけである。
こんなすばらしい知育玩具はない、、、これが10数年前の感慨だったが、
それ以来、ゲームに取り組むたびにその思いは強くなる。

きょうの目標はワールド5の中間の城でのボス戦を終えることだった。
この城の中は、まずボス戦にたどり着くまでがたいへんだった。
自動でせり上がっていく台の上に、トゲトゲのついた大きな玉が転がって
来て、それに触れないようにジャンプしてかわすのだが、
壁にぶつかって戻ってくるのと、そのまま落ちてしまうのとがある。
その間にスターコインを取ったり、ヴァージョンアップアイテムを取ったり
するのだが、うっかりするとせり上がる台とブロックに押しつぶされる。
極めつけは、玉が同時に2つ転がる上にさらに巨大な玉が現れるところ。
しかもアイテムを取らねばならないが、せっかくアイテムを取っても、
すぐに玉に触れて台無しになり、うかうかしていると死んでしまう。

何回かそこで失敗するうちに、すぐに右に飛んで玉を避け、
さらにすかさず左に飛んで避けて、そのまま上に足場に飛んで逃げる、
そういう作戦を思いつくのだが、その時になると忘れてしまっていて、
わずかにタイミングが遅れて、たいへんな目にあってやられてしまう。
何とかうまく逃げて、足場をぴょんぴょん飛びながら逃げていくと、
ブロックにジャンプを妨げられて下に落ちてしまったり、
普通のジャンプじゃ届かないところでダッシュジャンプを使って、
勢い余ってそのまま落ちてしまったり、、、なかなかうまく行かない。

やっとのことでボス戦にまでたどり着いたら、
用意されてある台(いわば土俵である)がつるつるで、
逃げたつもりがそのまま勢いで滑り続けておちてしまったり、
敵の動きにこちらのジャンプのタイミングが合わなくて、あっけなく即死。
夕食後の朝鮮では結局、もう一撃に失敗して全滅した。
それまでの2ステージ分のクリアも水の泡である。
夜中に再挑戦して、やっと攻略してセーブして終わることができた。
その攻略のために使ったマリオは、夕食後の時の半分以下になっていた。



2006年06月08日(木) いやぁ、つかれたー、、

きょうは授業が5時間中4時間あり、その後1時間の除草作業である。
もう、足腰疲労困憊、頭はぼーーーっとしてしまった。
さいわい、雨が降り出して10分早く終わったという恩恵はあったが。。。

こういうときは職員会議できっとうとうと眠るに違いないのだが、
きょうは提案事項を抱えていたので眠らせてもらえなかった。
さいわい、この職員会議もトントンと進んで4時半ころには終わった。
それから1時間ほど提出物の処理だけして、5時半過ぎに帰路についた。
忙しいなぁ、疲れるなぁと思ってるうちに、
いつの間にか、明日1日仕事すればまた休日が来ると気づいてホッとした。

最近は帰宅して部屋に入ると、
「マリオや、今帰ったよ。あとで遊ぼうね〜」って感じである。
ERを見る時間はマリオに浸食されて、1日1話になってしまった。
昨夜で第15話である。
書きたいことがいくつかあったが、疲れて書けなかった。
いざ書こうと思っても、エピソードを手際よく整理するのがなかなか難しい。
マリオはさっき第3ワールドをクリアしたところである。
第1ワールドを永久にクリアできないのではないかと思われたほどだったが、
何とか苛酷なコースに耐えて、着々とこうりゃくできているようだ。



2006年06月07日(水) うぅ、、つかれたー、、

きょうは精神的な疲労の話ではない。
きょうの難点は、1時限目のLTが全校集会だったことと、
7限目の授業が3限目に移動して、1〜5時間目が詰まってしまったことだ。
この連続授業は腰痛持ちにはつらいっすよ。
立ちっぱなしというのがとてもこたえるのだ。
授業中はできるだけあちこち動くようにするけれど、所詮は教室内である。
短い放課時間にたばこと雑談でリフレッシュをするとなると、
結局、午前中いっぱいは立ちっぱなしで、座れるときがない。
くたくたである。
昼食時には座れるが、こうなると昼食はつらい大仕事である。
食欲はないのに、むりやり押し込んで、ほとんど残してしまうことになる。
全校集会までは計算に入ってなかったに違いないが、
時間割係のおばさんを恨まざるをえなくなる。
しかし、、、、6〜7時間目が空いたのはすごくうれしかったので、
そのころにはもう時間割係に感謝感謝の思いに変わっているのだった。
人間の心というものは現金なものである。
もう、階段を上り下りするのがつらくてしょうがないのだけれども、
(それから帰るまでに4階への上り下りが6回である。こういう人は珍しい)
6〜7時間目が空き時間になったという解放感の方が勝るのである。

けれども、とにかく空き時間が少ないものだから、
そこからは、授業のプリントだの、会議の資料だの、図書館の通信だの、
作ったり印刷したり、いろいろと忙殺されて、
6時半にようやく帰路につくころには、足腰の疲れだけでなく頭痛もある。
ま、最近は家ではめったに仕事しなくなったので、その代償でもあるけれど。

明日は4時間授業がある上に、除草作業の1時間がついている。
まー、いい加減にしてくれぃ、って感じである。
きょう忙しくて除草担当区域の見分ができなかったから、
明日の唯一の空き時間はそこを見て、生徒への指示を考えなければならない。

さ、気分転換にマリオと遊んで、早めに寝るとしよう。



2006年06月06日(火) 味わい深きスーパーマリオ

夕食後、休み休みマリオを遊んで、2時間か2時間半も遊んだだろうか。
昨日どうしてもクリアできなかった第1ステージの最後の方がクリアでき、
ついつい調子にのって第3ステージの最後までクリアしてしまった。
予定外に頑張りすぎて資力へのダメージが大きいようだ。

スーファミを手に入れて、「スーパーマリオ・ワールド」を遊んだのは、
15、6年前である。
あの時は完璧に遊び倒した。
表を完全性はして、裏のワールドまで遊んだ。
その苦労は並大抵でなく、夜中に眠れず攻略法を思案しているうちに、
閃き、考えがまとまり、段取りをつけると起き上がって朝鮮したりした。
それがもう明け方でもおかまいなしだった。
攻略本は途中から使ったが、隠しルートを見つけるのには参考になったが、
ひとつひとつの攻略のためには必ずしも的確ではなかった。

あれから10数年が経ち、ゲームはさまざまに進化したけれど、
ずっとマリオをもとめていたのは、単に郷愁のためばかりではない。
あらゆる点でかわいいのだ。
しかも、ほとんど右方向に、まれに上下方向にスクロールして行くだけの、
単純な紙芝居的アニメーションに仕掛けられたさまざまな罠。。。
趣向ではラチェットもすばらしいが、かわいらしさもシンプルな味わいも、
スーパーマリオならではのものである。



2006年06月05日(月) 疲労感

短い睡眠ながら朝はすっきり起きられるのだが、
仕事に出て生徒の姿を見ると疲労感に教われるなぁ。。。
1年生はまだいいのだが、4月以来悩まされているのは2年生だ。
いいや、そう困りはしない、気にしなければ何でもないはずなのだが、
とにかく生気が感じられないのだ。
ひたすらぐずぐずと、ぐったりしているのだ。
どんな話をしても、何の反応も感じられない。
何なんだろう、これは、、?
久しく感じなかった、あまりにももどかしい世界に放り込まれるのだ。
無気力というよりは、脱力の世界と言った方が正確のように思われる。

我々の疲労感というものは物理的・生理的なものではなく精神的である。
甲斐というものが多少なりとも感じられれば癒されるが、
甲斐というものが感じられないと、深い疲労感に襲われるのだ。



2006年06月04日(日) マリオと再会

DSのソフト「ニュー・スーパー・マリオ・ブラザーズ」が出たのを知って、
注文しておいたら、予定より早くきょう届いていた。
さっそくやってみたら、宣伝から察知できたとおり、
あのスーパーファミコンの時のスーパーマリオとまったく同じ構造だった。
うれしい。
夢にまで見たスーパーマリオの再来である。

「マリオカート」もやったし、「マリオとワリオ」もやったが、
根本的にまったく異質のゲームだった。
「ヨッシーアイランド」は同じ形式のゲームで、とても楽しめた。
ファミコン時代のマリオシリーズが復刻されたけれど、
操作性がいまいちであまり楽しめなかった。
スーファミ時代で私がマリオシリーズや「FF」「ドラクエ」以外で
もっとも気に入っていたのは「ガイア幻想機」で、
これは「スーパーマリオ」と同じく謎解きとアクションのゲームである。

任天堂64の時代に入って、当然のことながらマリオに手を出したけれど、
実にやりにくい上に、立体マリオはかわいくなくてすぐやめてしまった。
「マリオ・ストーリー」は夢中になったけれど、
アクションでなくコマンド方式だったので物足りなさがつきまとった。
「FF}や「ドラクエ」にも夢中になったのだが、
コマンド式の戦闘はもうめんどくさい気持ちが強くなっていた。
そんな時に私をめちゃめちゃ夢中にさせたのが、
「トルネコの大冒険」や「風雷のシレン」である。
この「不思議のダンジョン」シリーズは学期的な知的ゲームだった。
しかし、それももう作られなくなった。

さらに現れたのが、「ラチェット&クランク」である。
これこそ極めつけ、基本はマリオシリーズのアクションでありながら、
途中でさまざまなゲームを用意している。
パズルあり、シューティングあり、レースあり、飛行あり、、、
パート2では、ファミコン時代のマリオを再現したようなコーナーもある。
これこそ、ゲーム時代の集大成と思わせるすばらしいゲームである。
この3、4年ほどに私がやったゲームは、
このラチェットのシリーズと「イコ」だけである。
あとはweb で配信しているパズルゲームくらいのものである。

この十年余の間、いつも思っていたのが、
復刻でもいいから、あの「スーパーマリオ」を発売してくれぃ、だった。
マリオ・シリーズの精神はラチェットによって極められたのだけれど、
「スーパーマリオ」は私の郷愁なのだ。
きょうはいくつかのステージを何とかクリアしながら、感激してしまった。
難点はもちろん画面が小さすぎて、老眼には苦労が多いことだ。
あの頃ほど長時間熱中することはできないけれど、ゆっくり楽しむことにしよう。



2006年06月03日(土) 省燃費走行

2、3カ月ほど前に、燃費を示すメーターを偶然発見した。
走っている最中の燃費を示すメーターはいつも見えている。
しかしそれはその走っている瞬間瞬間の状態を示すだけである。
だから、そんなのはほとんど無視して普通に走っていた。
ところが、給油してからのトータルの燃費を示すメーターを見つけた。
車が作られてからの総走行距離を示すところを切り換えると
給油してからの総燃費が表示されることに偶然気づいたのである。
取説はめったに読まないので、ぜんぜん知らずにいたのだ。

それを発見したころは、1リッターあたり8キロくらいだった。
それから工夫して走ってみたら、1リッターあたり9.5キロほどになった。
それからいろいろ気をつけながら運転するようになったが、
最近ではたいてい1リッターあたり10.5キロくらいが標準になった。
ただし、それは理論的な数値らしくて、実際はもう少し少ないらしい。
長年やって来た「走行距離/給油量」で計算すると、
たいてい1リッターあたり9キロ台の後半くらいである。
アイドリングや、ヒーター・エアコンを使う際のロスは計算されないのかも。
しかし、以前と比べ、1リッターあたり1キロ以上は燃費が伸びている。

燃費節約の要点は、できるだけアクセルを踏まないことにあるようだ。
ゆっくり走るということではない。
速度が安定しているときにはエンジンの惰性的な回転に任せてしまう。
速度を調整したいときも、できるだけ優しくアクセルを踏む。
このアクセルの踏み加減で加速時の燃費が少し変わるようだ。
また、以前は赤信号を前方に見ても、とにかくそこまではアクセルを踏んで
さっさと赤信号待ちの列に加わろうとしたものだが、
最近はほとんとアクセルから足を浮かせて調整しながら近づくようになった。
もっとも、後ろの車の流れにもよるのだが。。。
こういう配慮をしながら走るようになっても、相変わらず、
より速く走れる車線を選んで走る習性は変わらないし、
車の流れに背いて背後の車をイライラさせるような走り方はしたくない。
あの傍若無人で無神経なドライバーたちの仲間入りができたら、
もっと燃費が伸びるかもしれないのだが。。。
いずれにせよ、毎日、特に夕方は車が多いし長い渋滞もあったりするので、
そんなに大きな省燃費は期待できない。

以前は、給油の警告ランプが点くころが420〜430キロくらい、
時によっては400キロにも達しないこともあったのだが、
最近はたいてい500キロ前後である。
同じ量のガソリンで7、80キロ余分に走れるようになっているから、
給油間隔も以前より2、3日長くなっていることになる。

最近のささやかな省エネ実践報告である。



2006年06月02日(金) 「ER」のおもしろさとは、、?

昨夜は半分眠りながら書いていたので、
肝心なことを書かないまま終わってしまったようだ。
今夜はさらに4話を見た。

このドラマはエピソードの羅列のようだと、昨夜書いたのだが、
1つのシーズンに何か統一的な大きなテーマがあるわけでもなさそうだし、
1話1話もまた、あまり関連のない個々の人間のドラマの集まりだ。
その場限りで終わってしまうドラマもあれば、
その1話の中で何度も取り上げられるドラマもあれば、
それが次回にも取り上げられることもあれば、
何話か後に再び取り上げられることもあり、さまざまである。
1種類のドラマに格別多くの弛緩を割くことなく、
多くの登場人物が、そこに集中して関わり続けることもない。
むしろ、ERという現場はそんなことを許さない場所であり、
次から次へと新たな生死のドラマが担ぎ込まれる場所なのだ。
患者たちも決して都合良く生きたり死んだりしない。
これは生かしてあげたいものだ、と思う患者もどうしようもなく死んで行く。

こうして20数話を見てくるうちに、このドラマのおもしろさは、
リアリティーというところにあるのかな、と思うようになってきた。
多くのドラマは予定調和的である。
死なすわけにはいかない人物は死なないようにできているし、
ひとつの大事件が起これば、ドラマ全体がその解決に集中する。
現実というものはそんなものではないはずなのだが、
我々はドラマや映画にそういう要素を求めるのだ。
しかし、ERの世界は現実にありそうな展開に満ちている。
程度の差はあっても、意外な展開に満ちている、ということだ。

そもそも、主人公というものがないのだ。
主人公はERの医師・看護師たちであり、約12名いる。
きょうはそこからマルッチがクビになり、メイ・チェンが辞職した。
仕事を探しにシカゴに戻っていたスーザンが急遽雇われた。
私ははじめて見るが、かつてここで働いていた懐かしい人物らしい。
彼らはみな、格別な正義漢、道徳家というほどの人物ではない。
こういう面もあればこういう面もあるという普通の人物だ。
ただ、患者の命を救う〈仕事〉に懸命であるという点だけは共通している。

カーターが念願かなってチーフになった。
シーズン7から見始めた者にとっては、薬物中毒から復職したカーターが
信頼を得ていく過程というのが、長い大きなテーマになってるかもしれない。
脳腫瘍の手術を受けたグリーンも大きな流れの中のテーマなのだが、
ここのところ、その件にはまったく触れず、健康そのものである。
シーズン7のラストで、彼は驚くべき行為に出た。
手術で一命をとりとめた凶悪犯を故意に死なせたのである。
これは大波乱のシーズンが始まるかと思ってシーズン8に入ったのだが、
第1話の聴聞会で少し扱われただけで、そのままうやむやになった。
何が善で何が悪かということを考えさせる大事件であるはずだが、
このドラマはこういうところにあまり拘泥しない。
この、キャスト表の筆頭に掲げられているグリーンが、
このシーズンの中で死んでしまうそうだ。
そんなことがあっていいものか、と思うのだが、
この「ER」というドラマシリーズではそういうことも起こり得るのだ。



2006年06月01日(木) シーズン7の最終話

「ER」シーズン7のラスト4話を一気に見た。
他の日課は全部なしにして、ひたすら見た。

何なんだ、このラストは??
これが、22話にも及ぶ1シーズンの物語のラストなのか?
今まででもっとも「さあ、次回はどうなる?」という終わり方だ。

このドラマの各回の終わり方には特徴があって、
どうにかこうにかいろいろなことが一段落して、
誰かがほっと一息ついたり、感慨に耽ったりするところでエンディング。。。
そのエンディングに入る時の情緒がわりと気に入っていた。
次回への興味をかき立てられるというような終わり方はめったにしない。
喧騒の後の穏やかな情緒、、、続きを見るかどうかはまったく自由だ。
とりあえず続きを見ないではいられないような、扇情的な終わり方はしない。

しかし、最終話だけは非常に扇情的に終わった。
4話を見るためにすでに3時間余を費やしているにもかかわらず、
さらにシーズン8の第1話だけ見ないではいられなかった。

不思議な作りのドラマである。
シーズン7とは言いながら、このシーズンのテーマがあるように思われない。
ほとんどエピソードお羅列だ。


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