TENSEI塵語

2006年05月31日(水) さんざんだった5月

5月といえば、1年中こんな天気だったらなぁ、、と思うような、
緑が目に優しい晴天の、すがすがしい日が10日くらいは味わえるものだが、
この5月は、ちょっと暑すぎるGWに始まり、梅雨のような状態が続いた。
5月らしい心地よい晴天に恵まれたのは、先週の木曜日くらいだ。
朝はすがすがしいいい日だと思う日は他にもあったけれど、
午後から嵐(大風だけのものも含めて)になるケースも多かった。
最終日のきょうは、暑い、と言わなければならぬ陽気だった。

もう梅雨は終わったと思いたいほどのおかしな天気が続いていたが、
来月は来月で、ちゃんと梅雨に入るそうだ。
ま、このまま暑い日が続くよりはいいんだけどね。。。



2006年05月30日(火) 言語障害?

「ER」16話まで見た。
第15話のメインのできごとは電車事故のように見える。
コバッチュとカーター、後からコーディーも現場で治療にあたる。
ER内の喧騒以上にたいへんさの伝わる場面である。
コーディーが、脚が電車の下敷きになった患者の脚を切断している最中に、
早すぎる陣痛に苦しみ始める。
後をカーターに託してERに帰ってしまうが、
カーターはインターン時代に1カ月ほど外科を経験しただけでわからない。
ER内で治療に追われるベントンの指示を電話で仰ぎながらの治療。。。
これだけでも十分に、あちこちでたいへんな緊急救命のドラマが描ける。
しかし、このドラマは欲張りなので、さらにクライマックスを用意している。
ここ数回登場している司祭の死が近づき、司祭に促されてコバッチュは
妻と2人の子を亡くしたときのことを告白する。
告白を聴き、慰撫の言葉をかけ、最後の務めを果たして司祭は息をひきとる。

もちろん、続く第16話も慌ただしいドラマである。
病室からわずかの隙に連れ去られた乳児の捜索、
レズビアンの精神科医への不当な嫌疑、その他多様な患者。。。

そんな中でも、グリーンの脳手術後の経過はいつも問題になり続けている。
言葉を忘れやすい、こう言っているつもりが別のように発音している、、、
そこから周囲の疑惑となり、精密検査や適性検査に通っている。
私はそういうのを見ながら、何だかぞっとしている。
いつからか呂律が回りにくくなったし、思った通りの語を発し間違えること
も多くなっている。
言うべき言葉を、遠いところに置き忘れてきたかのように、
まったく思い出せなくなってしまうこともある。
今まではそれらを、酒の飲み過ぎや寝不足のせいだと考えていた。
しかし、ひょっとしたら脳に腫瘍でもあるのだろうかと心配になるのだ。



2006年05月29日(月) パチンコ

昨日どこやらのパチンコ屋でまた、社内に放置された子どもが死んだそうだ。
また無責任なパチンコ狂いの母親が夢中になりすぎたらしいと思ってたら、
母親だけではない、夫婦なのだそうだ。
何で2人そろって、子どもを放置してパチンコに熱中してるんだろう?
交代で子どもを見ながら、交代で楽しむに決まってるじゃん!
まだそんなに暑くないと思ったのだろうか?
いや、そもそも、子どもを車に乗せたまま車を離れることができる、
その心境がまったく理解できない、、、暑かろうが涼しかろうが。。。
ま、正常な感覚だったら、夫がパチンコをやりたがったら、
妻は母として、子どもの世話に専念するわな。。。
男女差別とか男女平等とかの問題でなく、自然な感情として。。。
そうしてまた、正常な感覚の夫だったら、途中で代わってあげようとする
だろうし、さらにまた、正常な感覚の妻だったら、それを拒むだろう。

母親がパチンコに夢中になりすぎて子どもを死なせてしまう事件が
いくつも起こっているのに、社会的問題として対策が講じられないばかりか、
最近は「冬ソナパチンコ」まで登場する始末。。。
明らかに、子育ておばさんも含めたおばさんたちをターゲットにしている。
子育ておばさんだけではない、主婦が借金地獄に陥る現象さえあるのだ。
社会全体が、そういう事態を避けるべく動かなければならないのに、
かえって促進も許しているわけだ。
このパチンコ「冬ソナ」は明らかに女性を狙っている。
主役キャラはユジンだそうだから、明らかに女性狙いである。
正常な感覚の企業なら、こういう開発は自粛するだろう。
しかし、首相の地位についてる奴が、儲ける奴・勝つ奴はえらい!
餌食になった奴は自己責任! という奴なんだから、救われない。



2006年05月28日(日) 習慣

4月以来、週に4日ほどは娘が夕飯を引き受けてくれている。
何年か前まで部活が忙しくて母子家庭状態にしていたときでも、
食料品の買い込みだけはほとんど私がやっていたものだが、
(それでも家で休んでいられる休日だけは私が食事の用意をしていたものだ)
最近は、娘が材料も調達してくるので、ほとんどその必要もない。
だから、たまにスーパーで買い物する必要があると戸惑ってしまう。
何をどれくらい買ったらいいのか途方に暮れるのだ。
だから、ついつい時間がかかってしまう。

きょうは娘はバイトに出かけてたし、急ぐ仕事もないので夕飯の用意をした。
何となく段取りに戸惑って、ふっと考え込んだりする。
しかも、材料との兼ね合いを直感できなくて、辛めになってしまった。

習慣の力は恐ろしい。
習慣から離脱するのは簡単だが、復帰には時間と忍耐を要する。

脳トレと英語漬けとドラマを見ることと、寝酒の習慣はきっちり続いている。
大したもんだ。



2006年05月27日(土) 「ER」

「ER」シーズン7の第9話まで見た。
複数の主要人物がいて焦点がしぼりにくいが、
それぞれの人物の大きなテーマが見えて来るに従って見やすくなった。
グリーンの脳腫瘍、その婚約者コーディの医療過誤訴訟、
カーターの職場復帰への努力、メイ・チェンの出産と里子に出す別れ、
アビーと躁鬱症の母親との確執、ベントンの失職・復帰と甥の死、、、、

第4話か5話あたりまでは、さまざまなことがてんこ盛りで、
つかみどころがない感じがした。
とにかく慌ただしく落ち着かない、、、イライラさせられることも多かった。
イライラの理由は病院内のめまぐるしい喧騒のせいでもあるが、
それ以上に、登場人物たちが軽い言葉のやりとりに終始していたせいである。
このごろやっと彼らは時間をかけて語り合うようになり、
相変わらず病院内はめまぐるしい喧騒の中にあるけれど、
かなり落ち着いて各人物のドラマを見つめることができるようになった。
今後、最大の焦点は脳腫瘍のグリーンの運命ということになるのだろうか?
それとも、どれが中心ということなく、それぞれのドラマが発展したり
おさまったりしながら、多角的に進行していくのだろうか?

私の場合、過去6シーズン分、140話近い歴史が欠如しているわけだが、
まぁ、何とか、そうわけわからないことにも出会わずに見れている。
しかしこの歴史の欠如は、現在の物語を理解するにはさほど支障はないに
しても、感情面・情緒面にはかなりの損失だろう。

今回は、私としては初めて、日本語吹き替えと日本語字幕を併用している。
医学用語が出てきたりした場合に、文字もあった方がいいと考えたのだが、
字幕と吹き替えのセリフとがこれほど違っているとは思ってなかった。
簡潔をモットーとする字幕の言葉の真意を吹き替えが語る場合もある。
こういう見方もおもしろいものである。
今まで音声は原語で、にこだわって多くのドラマや映画を見てきたが、
音声をほとんど聞きとらずに字幕だけを頼りにしていたのは、
ちょっと損な見方をしてきてしまったのかな、と新しい考えにとらわれた。
2回目は、字幕の方は英語にして日本語吹き替えで見るのもいいかもね。。



2006年05月26日(金) 「Here With Me」原曲を聴く

注文しておいた「ロズウェル」主題歌の原盤が届いた。
4種類のヴァージョンで聴くことができる。
実にアンニュイなムードの歌で、それはそれでいい感じである。
しかし、そう何度も繰り返し聴きたくなるわけでもないし、
心酔するに程遠いのは、すでにサラちゃんの歌に心酔しきっているためか?

今回は原曲を後から聴いた。
けれども、「スカボロー・フェア」や「ムーン・リヴァー」や
「タイタニック」の主題歌などは、かつて聞きあきた曲ながら、
サラちゃんの歌でまた生命を吹き返した。
聞きあきるほどでもなかった「若葉のころ」は突然注目の的になった。
本歌を凌ぐ名歌唱が、また今夜新たに発見されたという感じである。

ダイドの歌声を聴きながら、サラちゃんの卓越した歌声を思い、
「ロズウェル」を見たいと思いつつ「ER」を3話ほど見た。


5月らしい爽やかな晴天は昨日の1日限りで、きょうは曇、夕方から雨。
なぜ今年の5月は、あの爽やかな陽気が数日続かないのだろうか?

きょうは午後の授業がなくなり、昼から帰ろうかなと思っていたのだが、
仕事を片づけているうちに清掃の時間にもなり、
部活に来ていたひとりひとりと面談や練習方法の指示をして、
気づいたら6時近くになってしまっていた。
午後から休暇を取って映画「ダ・ヴンチ・コード」を観に行こうかなと
漠然と予定していたのだが、固い意志がないと実現は難しいようだ。



2006年05月25日(木) 「ER」を見始める

きょうは、昨日の夕方の、強風の末のにわか雨が功を奏したか、
音頭も湿度も風も陽射しも、どれも適度なさわやかな1日となった。
そんな中、2年生は修学旅行に発ち、3年生は遊園地に遠足、
そして、私が担当に入っている1年生は知多半島の海岸に遠足である。
生徒たちは潮干狩りと、海洋動物のいる施設を散策している間、
係の仕事をする以外は、1日中呆けて過ごしていた。
読むことも考えることもなく、のんびりと、バス内では目をつぶり、
遠足先では景色や生徒の動きをただ眺めているだけである。
のんびりした1日である。
しかし、日ごろ長時間屋外で過ごすことの少ない身には、
そんなのんびりした1日も、終わってみるとかなりの疲労である。

帰宅したら、注文しておいた「ER」のシーズン7、8が届いていた。
3日前に、2分の1シーズン分を2000円ほどで売っていたのを知った。
それが去年の9月ごろ発売だったらしくて、もう在庫が少なかったが、
シーズン7、8だけは今でもその値段で全話揃いそうだった。
実は3年ほど前に、一番最初の2話ほどを見てそのままやめてしまった。
評判のわりにおもしろく思われず、しかもあまりにも落ち着かない。
しかし、patamama おばさんもハマりつづけていたらしいし、
「ロズウェル」を教えてくれたおばさんも嵌り続けていると言うし、
アマゾンのレビューも絶賛だらけである。そのレビューの中には、
シーズン7、8がもっとも好きです、と書いている人もいる。
途中から見るのはいつもの主義信条から外れるけれど、
安価で手に入るこの2シーズンでもちょっと見てみようと思ったのである。

届いた製品は、3枚セットが4巻だが、小さくて薄い。
その薄さは、1枚入りのトールケースよりわずかに厚い程度で、
トールケースよりも高さも幅もかなり小さくなっている。
簡易紙ケースに、薄型のケースが3枚入っているという体裁である。
値段も仕様も、これで十分なんだよ。
日本のDVD商品は、場所的にも値段的にも余分が多すぎるのだ。

さて、さっそくシーズン7の第1・2話を見たが、嘗てと同じ印象である。
慌ただしいし落ち着かない。
一番の問題点は、その回のポイントがどこにあったのかが見えにくい点だ。
第1話は、ストライキ、学園祭のフットボール選手の乱闘騒ぎ、
心臓発作で死んだ妻の後追い自殺、さらにアビーの停学騒ぎに、
薬物中毒治療してカーター先生が退院してくる話も盛り込まれている。
第2話は、異常な早産、植物人間の手続きの問題、医療費み関する物語、
グリーン先生の婚約、カーターの復帰への意欲。。。

緊急救命室なのだから、多様であって当然である。



2006年05月24日(水) これぞ五月晴れ?

5月はGWが過ぎてから、1年中こんなんだったらいいのになぁ、という
適温・適湿度の中で青空の下の新緑を眺めることのできる月である。
たいてい毎年そうである。
1年のうちでもっとも心地よい貴重な月だということに決まっている。

けれども、今年の5月はそうではなかった。
梅雨入りしたかと思わせるようなじめじめした天気が続くかと思うと、
たまに晴れればやたらと暑い。
この1週間余も、何だか例年の5月とは思われない毎日が続いていた。
雨か曇、、、梅雨時と違うのはそれほど蒸し暑くない点だが、
例年のように快適な何日間はぜんぜん味わえなかった。
昨日も曇天の下に落ち着かない風が吹き、
暑いのか涼しいのかわけのわからん日だ、と挨拶したりしていた。

きょうは朝からとても爽やかな晴天だった。
先日の日曜日のような、やたらと暑いと思わせるような晴天ではない。
5月らしい晴れ方だし、梅雨の合間の晴れの喜びにも似ていた。
新暦5月に訪れた、原義どおりのイメージをもった五月晴れである。
爽やかな風に吹かれつつ、木々の新緑を見上げた。

ところが、午後になって、爽やかなどと言ってられない強風になった。
夕方になるにつれ、ますます風は激しさを増し、思いがけぬにわか雨も。。。
爽やかな1日も、結局は台無しになった。

とにかく、去年の暮れの大雪から始まって、不思議な天候が続いている。



2006年05月23日(火) 「Here With Me」を読む

歌を聞いていても、歌詞を気にすることはあまりないのだが、
(だから、気にするとしたらかなり例外的な生じたことになる)
「ロズウェル」を80話分も見ているうちに(つまり2回目も数えて)、
いくつかの疑問は深まるばかりで、しかも積極的に知りたくなってきた。

そこで、まずサラちゃんの「ルーナ」の歌詞(訳のみ)カードを読んだ。

   音も立てず 知らぬ間に去って行った
   ここにまだいるなんて 私どうかしてるわ
   者ひとつ動かしたくない 思い出はそのままにしておきたい

この部分は主題歌に使われてない、というか、省略されていて、
オープニングで歌われているのは次の部分だ。

   あぁ私は私 やりたいことをやるだけ 
   でも 逃げられない
   私は行かない 私は眠らない
   あなたが私とここで体を休めるまでは
   私は息ができない 私は去らない
   私は逃げられない どうすることもできない
   あなたが私とここで体を休めるまでは

うーーん、全編にわたるリズの思いが簡潔に要約されているではないか。。
このドラマのために作られた歌なのだろうか?
で、「ルーナ」の曲目解説を読んでみる。

それによれば、この曲はイギリスの女性シンガーDido Armstrong の曲で
’97年の作品で、それが「ロズウェル」にも使われた、ということだ。
さっそく検索をかけたらアマゾンでマキシシングルを売っていた。
4種類のヴァージョンで収録されているとか書いてある。
ついでに「ロズウェル」のサントラ盤も奨めていたので一緒に注文した。



2006年05月22日(月) えいご漬け

「漬け」というほど熱心にやっているわけではない。
1日に10〜30くらいのセンテンスを聞きとって書いているだけである。
しかし、こういうことが2週間毎日続いた、というのは初めてではないか?
任天堂DSのシステムが、継続しやすくしてくれているのだ。

私は、外国語を聞き取ることがたいへん苦手である。
若いころ、読み書きはわりとできたけれど、聞くと話すは悲惨だった。
それを克服したくていろいろ試みてきたけれど、長続きしなかった。
今のところ、5分時間があけば、ちょっとこのディクテーションを始める、
というほどに、自然に感心が動き続けている。

最初のころはこんな超初級段階で聞き取りに苦労してどうするんだと思った。
しかし最近では、1度で聞き取れる頻度も増えている。
和文を見なくても聞き取れる頻度が増えているのである。
しかし、何言ってるのかさっぱりわからなくて、聞こえる音声を無視して、
和文を見ながら英訳して、それが当たっていて、それから何度か聞き直しても、
何でこう聞こえるのか理解できないこともある。
そうしてまた、何でこんなに素早く器用に口が回るのか、不思議でならない。

とにかくこのまま続けてみよう。
成果は小さくても良い。
とにかく今はこの束の間のひとときが楽しい。
約30年間、ろくろく英語を書いたりしなかったのに、
意外と綴りを覚えている自分自身にも驚かされる。
これがどのあたりまで通用するのかも、興味深いことである。

ちなみに、このレッスンを始めたきっかけは、
生徒に勧めるべき英語勉強法を検証するためだった。
始めたときは、なかなかいい方法だと思い、勧めたくなった。
しかし、英語の先日試験監督に行って、指定された単語を書く問題を見、
答案作成中の生徒の答案用紙を眺めながら、考えを改めた。
この程度の単語の書取に苦労しているようでは、
初っぱなからつまづいてしまうだろう、、、と。



2006年05月21日(日) 白鵬、ついに優勝!!

いやぁ、痺れた〜〜。
数分経っても、TVの前に座っているだけの私の動悸がおさまらなかった。

まず、白鵬の2番前に、雅山が朝赤龍を思い突っ張りの連続で退けた。
白鵬はそこでまず、不気味な怪物把瑠都に絶対勝たなければならなくなった。
白鵬と把瑠都の緊張感はどんなもんであろうか?
白鵬にかかるプレッシャーはかなり大きい。
優勝の可能性を残すために勝たなければいけないだけでなく、
新大関として新入幕の把瑠都にぜったい負けるわけにはいかない。
しかも把瑠都は今場所破竹の勢いで、謎の力を予感させる。
把瑠都の方は、昨日優勝戦線から脱落したから、
その意味ではリラックスできるが、三役揃い踏みに参加させられたり、
今場所は予定していなかった上位戦になったり、
そうかといって、連敗はしたくないという思いも強いだろう。
この初対戦は、白鵬がきわめて冷静に、把瑠都が左回しを取りに来るのを
見て、回り込んで自分が左回しを先に取ってそのまま上手投げで決まった。
意外とあっさり勝負がついたが、機敏な反応ゆえの圧勝だった。

優勝決定戦は、激しい攻防から力相撲で決着した。
いつものことながら白鵬は回しを取りに入ろうとするが、
雅山はきょうはなかなか取らせない。
突っ張り合いになったが、白鵬はその動きを食い止めて、
こじ開けるように両上手をつかんだ。
しかし、幕内最重量を誇る雅山は重い。
両者しばらく機のさぐり合いとなったが、最後は渾身の寄り切り。
いやぁ、いい相撲だった。

新大関の今場所は、横綱を除けば現在の第一人者であることを、
一番一番、着実に証明し続けた15日間になった。
星の数では雅山と同じでも、雅山の突き押しになす術のない力士がほとんど
の中にあって、雅山に突きをさせなかった点でも、強さを証明している。

白鵬について初めて塵語に書いたのが、一昨年の11月25日、
大いに期待を寄せて書き始めたのが次の1月の場所である。
それからもどかしい何場所かがあったけれど、
この3場所ほどがめきめきと実力を伸ばしてきている。
やはり、琴欧州に先を越されたことが起爆剤になったのだろうか?

その琴欧州は今場所も膝の怪我が治らないままで苦しい土俵が続き、
負け越しの心配もあったが、きょう千代大海を破って辛うじて勝ち越し。
やれやれである。
昨日の白鵬と同じく、回しが取れないので、
突っ張ってくるところをはたき込んだ。
思う存分突っ張りまくれなくなった千代大海は、前頭下位の力士並みである。

優勝決定戦の前、モンゴル勢の先駆者である旭鷲山が、かなり長い時間
白鵬にアドヴァイスしている姿が印象的だった。
部屋も違い、土俵上で勝負することもあるけれど、
旭鷲山にとっては誇るべき希望の後輩なのだろう。
優勝を決めて仕度部屋に帰って、キスするように祝福し合う中に
把瑠都の笑顔もあった。さわやかな光景であった。
彼はいつ見てもいい表情をしている。

把瑠都の昨日きょうの上位戦は、予想以上にあっさり負けてしまったけれど、
把瑠都はトントン拍子に昇進して来るに違いないし、
もう私の脳裡には、白鵬と把瑠都が両横綱として、
力の入った熾烈な千秋楽結びの一番を見せてくれるようになる、
そんな期待のイメージが出来上がってわくわくしてしまっているのである。



2006年05月20日(土) 同じ作品を見直すということ

よくやることであり、珍しい感想でもないのだが、
ちょっと今夜驚いたこともあるので書きとめておこう。

何と、一昨日から「ロズウェル」を最初から見ているのである。
何か離れがたい雰囲気なんだなぁ、、、
第1話が遠い昔に感じられて懐かしく感じられるからだろうか、、、
最後に仲間があんなにふえてしまうからだろうか、、、
そうはいっても、「24」や「ダーク・エンジェル」よりも気に入ったとは
言い難いのだ。

今夜第4話を見た。
もうこのあたりの話はかなりの部分を忘れている。
見れば思い出すし、そうそう次はこうなるんだ、くらいは
思い出せることも多いが、まったく忘れているところもあるという具合だ。
第4話は、リズの大好きな祖母が訪ねてきて、元気だったのに突然倒れ、
ついに息を引き取る物語である。
死に際に祖母はリズに、あなたの前向きな生き方は神さまの贈り物、
自分の心の声に正直に生きなさい、とリズに語りかける。。。
また、この回のラストシーンは、リズがマックスの胸に飛び込んで、
抱擁してそのまま幕。。。

こういうシーンに思わず涙ぐんでしまう。
前に見たときには、どちらも驚きの方が先に立って、
今回ほどには涙腺を刺激しなかったように記憶している。
しかし、2回目の今夜は、これから60話に及ぶリズの未来を知っている。
「心の声に正直に」という祖母の言葉も、初めての抱擁も、
これからのリズとマックスにとって意味深いものだということがわかるから、
それまでの3話を見ただけだった前回よりも感慨深くなるわけだ。

若かったころ、中二の春休みに初めて見た「ベン・ハー」を、
それから10年ちょっとの間に10回以上見た。
ビデオなどない時代だったから、映画館やテレビで見られる機会は
全部逃さずにせっせと見たのである。
見るたびに感動し涙する箇所が増えて、「10分に1度泣ける映画」という
キャッチフレーズまで作って心酔してしまった。

これは読書における熟読の楽しみと同じである。
繰り返し読んだり見たりするうちに、意味の連関が深まって行くわけである。
ストーリーを知らずに、これからどうなるかハラハラするのも楽しい。
しかし、すべてを知った上で、さまざまな言葉や場面の意味を味わうのも
より大きな楽しみである。



2006年05月19日(金) 迷惑メール対策

通常の受診メールボックスに入ってくる迷惑メールが激減した。
迷惑メールが減ったのではなく、自動的にスパムメールボックスに入るのだ。
20日くらい前に、フィルター機能を使うことを実行に移した。
ずっと前から考えてはいたのだが、長い間ためらっていた。
下手な設定をすると、知人からのメールをそちらに送りかねないし、
あまりにも多様だから、少しくらいのことをしたって焼け石に水だろうと、
このアイディアにはあまり積極的になれなかったのである。
しかし、日に何通も送ってくる特徴的なアドレスのものを2種類、
まずフィルターにかけるようにしてみたら、効果覿面だった。
それから徐々に、この種のメールにしか使われそうにない
アドレスや題名の中の単語や文字列をフィルターに増やしてみた。
そういう選定は慎重にやらなきゃいけないが、今のところは当たりのようだ。
休日はとくに多いのだけれど、たとえば先週の日曜日などは
スパムメールとして集められたのは30通以上あり、
受信メールポックスに紛れ込んだのは10通ちょっとだった。
毎日探して削除する手間がかなり省けている。

メールアドレスを1字でも変えれば迷惑メールの連鎖を断ち切れるが、
1字でも変えたらさまざまな変更通知が実に厄介で、変えられない。
mac.com のアドレスを取って、両方使いつつ移行していく手を今検討中だが、
それにはかなり時間がかかるだろう。
ソネットにスパムメール対策のサービスはあるが、
ウインドウズにしか対応していない。
しばらくはこまめにフィルター設定をして凌いで行くしかなさそうだ。



2006年05月18日(木) もっとおもしろそうな「脳トレ2」

DS「脳トレ」を相変わらず日課としてきっちり続けている。
1週間前には脳年齢23歳を記録したが、その後は30代前半に落ち着いた。
20代をマークすると、博士から
「あなたの脳は筋肉ムキムキですね」と褒めてもらえるので笑える。
昨日娘が20歳だったというので、どんな風に褒めてもらえた?と尋ねたら、
別にどうということもなかったようである。
あ、そっかー、21歳の娘にとっては脳年齢20ってのは相応なんだ。
ということは、このトレーニングは年寄りこそより楽しめるということだ。

脳年齢の測定よりも、トレーニングの記録更新が楽しい。
各トレーニング1日1回限り、最初の1回のみ記録してもらえる。
計算20は15秒の壁を、計算100は1分30秒の壁を破れない。
書くのが遅いせいでもあるだろうが、途中でふっと迷いが生じて止まったり、
数字が変な恰好になって書き直したりしてはダメだ。
またそういうことがあると、立ち直るのに少し時間がかかるものだ。
その他、いろんな配置で出てくる数字の位置を順次に覚える循環記憶、
表示される文の音数を数える文字数え、
3つ並んだ数字の左2つと右2つを計算して
さらにその2つの答えを計算する三角計算、
2つの時計の文字盤を見て、何時間何分たったかを計算する時間計算など、
楽しい問題ばかりである。
0コンマ何秒でも新記録が更新できると実にうれしいものだ。

4日前から続編の「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」を加えた。
こちらのトレーニングはもっとおもしろい。
最初の漢字の書き取りはそうおもしろいわけではないが、とりあえずやる。
最後の1問だけは例えば「醤油」のような難問が出る。
今のところ満点ばかりである、、、でなきゃ困る。
ところが、部品だけ提示されて漢字を作る漢字合成は悲惨である。
漢字書取でロケット打ち上げていても、こちらは徒歩級か自転車級である。
左画面に表示される楽譜に従って、右画面の鍵盤をタッチペンで押す
名曲演奏というトレーニングもある。
トレーニング前に聞かされるメロディーで大体音階がわかってしまうので、
テンポよりも先に押してしまって誤りになってしまうこともある、
鍵盤の間隔が狭いので押し間違えることもあるが、これもおもしろい。
聖徳太子というトレーニングは、2つまたは3つ同時に聞こえる3字の語を
聞きとって書くというトレーニングである。
計算の答えを書くのでなく、答えは出ているので、+か−か×か÷かを書け
という算術記号というのも、なかなか厄介な問題だ。

こちらは新しいタイプの頭の体操が次々に加わってくる。
きょう加わったのは、記憶加算というものである。
2つの数字の足し算だが、すぐに黒塗りされて見えなくなる。
計算の答えを書くと、一方は消えて、残った数字と新しい数字の足し算だが、
残った数字は何だったかを覚えていなきゃならない。
これも実におもしろいものだ。



2006年05月17日(水) 「ブラザーズ・グリム」

なぁんだーー、こんな映画だったのかぁー、、、という感じである。
もっと楽しいファンタジーで、どこが童話の世界でどこが現実世界か、
それらが判別困難な感じに融合されているような幻想的なドラマを
期待していたのだが、まったく期待はずれ。
まぁ、そういう予想は外れても、おもしろいもんはおもしろいならいいけど、
不愉快な場面が多くて、しばしばイライラさせられた。
気持ち悪い場面もいくつかあるし、無駄な言い争い、無駄な闘い、、、、

見始めたときには、ヨーロッパの古い町の雰囲気だの、
視覚的な雰囲気にかなり魅せられたのだが、話の展開はかなりがっかりだ。
これって、ホントに好評ヒットしたのだろうか?
字幕のセリフを読む限りでは、決してみごとな台本とも思えないのだが。。。



2006年05月16日(火) 新入幕の横綱候補

きょうは午後から採点させてもらえず、睡蓮の理事会に名古屋へ。。。
帰りは急いだけれど、ラジオでの相撲は結びの白鵬戦しか聞けなかった。
1敗に白鵬、千代大海、雅山が並び、2敗が魁皇、旭鷲山、把瑠都。。。

新入幕の把瑠都が早くも10日目で勝ち越した。
先場所、十両の把瑠都の取り組みをいくつか見て、
おいおい、白鵬、琴欧州に続いてすごいのが現れてるぞ、と妻に話した。
でも、十両力士相手だからこういう相撲取れてるだけかもしれないけどね、
と入幕後まで判断は保留しておいた。

今場所幕内に入って、2日目に見たときは、もうちょっといい形が作れると
いいのにな、、、と思ったものだが、何の何の、その後に見た何番かの
実に力強いみごとな取り口。。。
とりわけ、白露山相手だったかの吊りにはしびれた。
序盤に2敗してしまったものの、その後は快進撃である。
大柄で怪力である、が、決して緞帳な動きではない。
白鵬には横綱になってくれぃ、と願い、琴欧州には大関で頑張れと願うが、
把瑠都の相撲を見ていると、こいつは絶対横綱になる、という感じがする。

今場所はぜひ白鵬が優勝してほしいと願っているけれど、
把瑠都に優勝が転がり込んでもおもしろいな、と思う。
突っ張りしか能のない千代大海や雅山みたいなのは嫌いだ。
特に、雅山はかつて大関だったこともあるけれど、
土俵マナーが悪すぎるから大関、横綱など決してなるべきではない。
朝青龍が休場した今場所くらい魁皇に花を持たせてやってもいいと思う。
旭鷲山の優勝ということはまずありえないだろう。

今場所は、休場した栃東を除いて、大関陣がしっかりしていておもしろい。
琴欧州もちょっと後退してはいるが、脚の痛みに耐えて健闘している。
これで朝青龍が健在だったらもっとおもしろい展開だったろう。
長い間、魁皇、千代大海、栃東が浮沈を繰り返して、
大関が不甲斐なさ過ぎる時代が続いていた。
琴欧州や白鵬などの新大関が誕生して、抜かれたベテランが奮起したようだ。
そこへ、把瑠都のような、まだ謎だけれど怪物を思わせる新人の登場である。
相撲がますますおもしろくなってきた。



2006年05月15日(月) 定期検診

毎年定期検診はあるけれど、忙しい授業の合間に何回もに分けて受ける。
その日がくるたびに、うっとうしい時間のやりくりをしなきゃならない。
しかし5年に1度は医療研究所にでかけて集中検診が受けられる。
今年はそれに当たったので、4月以来の各検診はすべてすどおりして、
きょうまとめて受診するために朝から名古屋に出かけた。

まとめて受診できるのはとてもありがたいことだけれど、
例年は受けないで済ませている胃検診があるのがたいへん厄介だ。
バリウムを飲むのがイヤというのがその最たるもので、
ホントにもうあれは泣きたくなるし、吐き気がするし、むせそうになるし、
飲み始めた瞬間から実に不愉快で不機嫌になってしまう。
その上、傾いたりする台に乗せられてあっち向けだのこっち向けだの。。。
それに、毎日毎日、朝起きると、煙草とコーヒー、
そして出勤の車の中で朝食、コーヒー、煙草、、、そういう週間を禁じられ、
水1杯も飲むことを許されず、煙草も禁じられる。
バリウムを飲んだ数分の苦行よりも、起きてから検診が終わるまでの、
この数時間の苦行が辛い。
体に異変を感じている人ならともかく、
去年もほとんど正常値に近かったし、自覚症状のない健康体なのだ。
その起きてから数時間の苦行の時間が、いかにも病人臭い気分になってしまう。

午前中は苦行ながらのんびり過ごさせてもらったので、
午後から学校に行って、きょうの2年生のテスト2冊の採点を終えた。
考査1日目に、いくらかでも採点し終わるなんて、
教員になって初めてのできごとである。
試験明けの金曜日の午後の授業で答案を返すつもりでやっていたのだが、
後で聞いてみると、その時間は修学旅行事前指導で授業はないそうだ。
自分では快挙と思って喜んでいると、えてしてこういう皮肉な結果になるものだ。

夜、風呂上がりにつけたTVでやってたドラマが面白くて最後まで見た。
ニュースキャスターを主人公にしたドラマのようだが、
新聞が手元にないのでタイトルがわからない。
深夜になってから、「ロズウェル」のシーズン2を見始めた。
何日か経って見直しても、おもしろい展開になってるなぁと思う。
第1話はさっそく訪れたマイケルの危機に、
「スパイ大作戦」的な手法で解決を図っている。
「スパイ大作戦」と決定的に違うのは、地道な工作によるものではなく、
テスの幻覚パワーとマックスの変質パワーを使っている点だ。
第2話半ばで中断したが、第2話はケネディの決断についての講義と重ね
合わせつつ、リーダーとしてのマックスの平和的決断を描く回だ。
明日続きを見るのが楽しみである。



2006年05月14日(日) 記憶力について思う

年天童DSで「脳トレ」を始めてから2週間が過ぎた。
単純計算問題は着々と記録を更新しているが、
私が苦手なのは、瞬間記憶、単語記憶の類である。
そりゃそうだ。
もう、日常生活でも忘れっぽいことではたぶんどんな環境に行っても、
ランキングの上位に入れてもらえる自信がある。
老化現象で忘れっぽいのでなく、若いころからずっと忘れっぽいのだ。
5秒前にやろうとしていたことさえ忘れてしまう。

それできょうは右脳鍛錬ソフト「ウノタン」の、記憶力編を手に入れた。
これは5種類のトレーニングをさせてくれる。
赤丸・青丸・貴丸・緑丸で作られた図形を覚えて、
後から出てくる4つの選択肢から選ぶ図形記憶。
数字の羅列を覚えて、後から出てくる選択肢から選ぶ数字記憶。
顔の絵を覚えて、後から出てくる選択肢から選ぶ顔記憶。
きょうはとりあえずレベル1なので、これらは満点かひとつ間違える程度で
あなたの右脳は「満開」か「全開」だというひょうかであった。
ところが、次の2つはクリア基準は超えたものの、6〜7割の出来だった。
何枚かの絵が表示されて、次に出てきた絵の中で、
さっき出てきた絵と違うのはどれかを答える状況記憶。
複数の絵が順々に提示されて、次に出てきた複数の絵の中から
さっき出てこなかった絵を選ぶ映像記憶。

この傾向を分析してみると、
一心に1本の線で頭の中に叩き込む場合には強いが、
複数の刺激を同等に保って維持することには甚だ弱い、ということになる。
これは日常生活で忘れっぽいのとかなり共通している。
私はしばしばこんな弁解をする。もちろん冗談である。
「感受性が強すぎて新しい刺激を受けると他の回路が閉ざされちゃうんだよ」
「感受性が強すぎて」は冗談だが「回路が閉ざされる」は本当である。

こういうトレーニングをすることに意味があるのかないのか、
ちょっと人体実験を続けてみよう・



2006年05月13日(土) 放心状態

きょうは1日中「ロズウェル」の余韻の中で放心状態みたいな。。。
私にはよくあることなのだが、これはどういうものだろう。
何か大きなイヴェントをやっと終えた時の心境にも似ているだろうか?
それとも、大切な仲間と別れたような淋しさに似ているだろうか?
よくわからないが、何か不可思議な心境だ。

きょうは当面の仕事からは解放されているので時間はあった。
起きたのが10時近くだから、起きていた時間は短いけれど、
自由に使える時間は十分にあった。
しかし、新しい他のドラマや映画を見る気分にはなれなかった。
日課のDS「脳トレ」と「えいご漬け」、それから昼寝に風呂、、、
市吹の曲をちょっと下調べしてから、市吹の練習へ、、、
まぁ、それだけで1日が過ぎてしまった。

夜中に、ついに「ロズウェル」の最終話だけ見直してしまった。
これが日本のドラマのように11話仕立ての分量だったら、
躊躇なく最初からまた見始めるところだが、全部で60話以上もあるし、
シーズン1はすでに貸出中で手元にない。
それでも、何となくまた彼らに会いたくなってしまったんだな。。。

マックスが、今まで失っていた生活の目標がわかってきた、と言い、
「人助けをしたい」と言う。
そうそう、その通りだよ、マックス。
エイリアン=すべて侵略者という偏見を払拭せよ。
人助けシリーズのシースン4を作って欲しかったなぁ。

このドラマの最大の欠点はエンドタイトルである。
連続ドラマのエンディングは大切である。
毎回のエンディングにもっともハマってしまったのが、
「Hero」(歌)と「王様のレストラン」(ナレーション)である。
一件落着したのに、そのエンディングのせいで次がまた見たくなる。
「ロズウェル」のエンディングの音楽は、オープニングの「Here With Me」
の歌を消して伴奏のコードだけを流しているようなものである。
何か不完全燃焼という感じで、毎回毎回これが不満だった。
せめて最終話だけでも「Here With Me」を全部聞かせてほしかった。
あのエピローグの部分で。。。



2006年05月12日(金) 「ロズウェル」見終わる

見終わったー。
最後の2話は随所で泣けた。
荒唐無稽な話という思いはつきまとうし、
ラストをもう少し丁寧に描いてほしかったな、と不満にも思うけれど、
そんなことは吹っ飛んでずっと見続けてきたし、感動させられたのだ。

そういう思いの裏にあるのは、
なぜこういう風に人間的に生きようとしている彼らを、
エイリアンとその仲間という烙印だけで迫害するのかという思いである。
確かに、彼らを保護する任務にあった者は、人間を冷酷に殺すこともあった。
しかしそれは、彼らのまったく知らないことだったし、
彼らはとにかく人間として、人間と同様の生活をしたがっていただけだ。
エイリアンは悪という十把ひとからげの烙印で追いつめて、
その人物自身を見ようとしないために、
彼らとその寛大な仲間たちがさまざまな窮地に陥ってしまう。

追いつめるFBIや軍部の連中の冷酷さといったら、
お前らこそ人間なのかよ、と憤りを伴わずに見ることができない。
奴らは、偏見と護身だけで、簡単に人を殺して平然としている。
もちろん彼らは、市民を守るためだと正義の言葉を口にするが、
実は、個々の人物をしっかりと見て言っているわけではない。
ある人物がエイリアンに殺されたとしか思われない、
彼らはエイリアンだという疑いがある、ゆえに彼らは人間を殺す、
という形式的な三段論法だけに頼って躍起になっているだけだ。
早い話が、エイリアンはすべて危険と決めつけて、
真実を見るよりは命令系統の指示だけが大事という人種である。
これもひとつの社会の縮図だ。
「24」にも「ダーク・エンジェル」にも描かれていた愚かな縮図だ。

この物語は、異星人をめぐる物語ではあるけれど、異星人には限らない、
人種差別やこの世のあらゆる偏見にもつながる物語なのだ。
マックスたちの味方となる地球人たちは、彼らがエイリアンだと知りつつも、
さまざまな葛藤の中で、その人自身がどういう存在かを重視する。
大切なのは、十把ひとからげにしてしまう偏見でなく、
個々の人間がどういう人物かである。
大切なのは烙印でなく(あたりまえだ)個々の心である。
そして、その人の心に迫れるのが、愛である。
ただドラマを見ているだけの我々と、マックス、マイケル、イザベルや、
その仲間になったリズ、マリア、カイル、保安官、アレックス、ジェシー、
そしてマックスとイザベルの養父母に対してまでも、
何となく家族のような感覚で親しみを覚え感謝の念を感じたりするのも、
そういう意味での愛の物語だからである。



2006年05月11日(木) 首が痛い

昨夜、テストを作って、その後風呂に入り、頭や体を洗っている時に
異変が起きたらしく、方から頸にかけて次第に痛みが広がった。
湿布薬のおかげか、朝になったらかなり緩和されていたけれど、
昼過ぎあたりにはまたかなりつらい状態。。。
こういうときに限って、1、2、4、5限授業のはずが、
2、3、4、5限授業と4時間連続に変更されている。
1時間でも途中に空き時間があれば、2、30分でも横になりたかったが、
なかなかうまく行かないもので、硬直してくる痛みを放置するしかなかった。
不運というべきか、時間割係の意地悪というべきか、、、、
ま、自分でもそんな事態は予想できないんだから、人には何の責任もない。
人生にはこういう風に不運に不運が重なったり、
反対に幸運に幸運が重なることがあって、それも人生が面白い一因なのだ。

早退させてもらって休んだので、今はかなり楽になっている。
そうなると、やはり「ロズウェル」の続きである。
第10話の大晦日の夜は、とりあえずホッとさせる結末だった。
第11話は、「奥さまは魔女」のパロディーと重ね合わせた、
中休みのお遊び的な内容だった。
しかし、第12話からまた深刻な事態になった。
リズは自分の体から発する不可思議なパワーに悩まされるようになり、
マックスと離れて自己を見つめるために寄宿学校に転校した。
マリアは、歌手デビューの話が本格化し、ニューヨークに出ることになる。
50余話の間続いていた仲間関係が、離れ離れになってしまう。
でも、それだけではないだろう。
残りはあと5話ほどである。
これから大いなる波瀾のクライマックスが展開されるのだろう。
続けて見たいが、ぐっと我慢して、もう寝るとしよう。



2006年05月10日(水) 梅雨のような、、、

きょうの脳年齢は23歳である。
文字結びのテストさえなきゃこんなもんさ。
一昨日40歳に後退し、昨日はさらに43歳に後退していた。
気をよくして、テスト問題を作った。

「ロズウェル」は2話だけ見た。
危険な冒険や闘いはひと休みだが、いい話だ。

今場所から大関の白鵬が4連勝している。
一昨日はダイジェストで見たけれど、昨日は寝てしまった。
きょうは見ないといけない。

それにしても体が重いのは、連休明けのせいなのか、寝不足のせいなのか、
それとも、昨日からの梅雨のような重っ苦しい気圧のせいなのか。。。
梅雨が1カ月早くやってきたような変な天候である。

昨年の12月から、今までの常識とは違う空模様がいくつか。。。
何か変だな、と思うようなことがいくつも起きると、
「ディ・アフター・トゥモロー」みたいな事態も決して単なるフィクション
ではないような気がしてくるのである。



2006年05月09日(火) イザベルの結婚?!!

「ロズウェル」のスタッフたちは、時々とんでもない展開を作り出して、
それを辛うじて丸く収めてしまうのが好きなようだが、
何と、数話がかりでイザベルを普通の人間と結婚させてしまった。
きっとそれまでに破綻するんだろうな、と我々は予想するのだが、
本当に結婚させてしまい、初夜も1日遅れで迎えさせてしまった。
それが、シーズン3の第7話である。

もちろん、そこに至るまで波瀾続きである。
イザベルが前世でヴィランドラだったときに永遠の誓いをしたギバーが、
結婚初夜の夜に地球人の姿を借りて迎えに来る。
それまでにもイザベルは夢に現れるギバーの誘惑と闘っていたが、
マックスやマイケルが応援に駆けつけたにもかかわらず、
結局、自分だけの力でギバーを撃退する。
イザベルは、ついに人間的な幸福を手にする。
スタッフたちの彼女たちに対する愛情の賜物であろうか。

幸福そうなイザベルの表情は、我々にも喜びをもたらすが、
しかし、この結婚がこのまま平穏に続くのかという不安も拭えない。

一方で、マックスとイザベルを愛情深く育ててきた養父が、
ついにマックスの謎について調査を始めた。。。



2006年05月08日(月) 「脳トレ」10日目

夕食後、メールチェックなどしたら、「ロズウェル」である。
シーズン3を見始めた。
イザベルがますます美人になった。
養父の部下の弁護士と恋愛し、第3話ではついに結婚の承諾をしてしまった。
マイケルに人間の複数の友だちができて楽しそうだ。
マリアがそれを広い愛情で見守っている。
マックスはリズの父に危険視され、交際も出入りも禁じられるが、
それでますます互いの心は強く惹きつけられているようだ。
このハッピーな3組の恋愛は、このドラマでは決して手放しで喜べない。
我々はこうした展開についつい警戒心を抱いてしまう。
一方では、物騒で謎めいた事件が起こり始めているようだ。。。

少々中だるみしようが、回りくどい展開になろうが、
我々は彼らの生活を見守り続ける。
見始めて2週間ながら、長いつきあいのような感じがして、
もう家族のような気持ちで彼らとつきあっているようなものだ。
それは、「24」のジャックやキム、トニーやミシェル、それだけでなく、
途中から悪役の憎まれ役になってしまったニーナさえそうである。
もちろん、「ダーク・エンジェル」のマックスやローガンも同じである。

それでも、「脳トレ」はしっかりと、一通りのトレーニングを続けている。
脳年齢は、3日前が50歳(笑)、一昨日が42歳、昨日が28歳、
きょうはまた成長(?)し直して40歳。
脳年齢とはいったい何か? 慣れ? 熟練?
とにかく、指定される問題にも左右されるのだ。

しかし、とにかく、脳年齢チェックをしてから、
一通りのトレーニングをするのが日課になってしまっている。
メールチェックといくつかのサイト訪問、この塵語を書くこと、
「脳トレ」を一通りやり、「ロズウェル」を見続けること、
それが最近の私の、実に規則正しい日課になっている。
言い換えれば、日課は液晶画面に支配されているということだ。
情けないことだが、何も継続できないよりはいいようにも思われる。



2006年05月07日(日) シーズン2見終わる

「ロズウェル」シーズン2全21話を、3日間で見終わってしまった。
ある仕事を早めに片づけておきたい気持ちもあったので、些か後悔もあるが、
とにかく、時間の許す限り見続けてしまった。
驚くべき波瀾の展開の多いシーズンだったなぁ。。。

きょう見たラスト6話のうちでは、
第17・18話あたりで、アレックスの死を他殺と推理して調べるリズに
対して、マックスもイザベルも、マリアやカイルさえも、
まったく耳を貸そうとしないことに違和感を覚えた。
話だけは聞いてもいいはずなのに、その前に拒んでしまう。
こういうのは過剰な作為に思われて、見ていてイライラしてしまう。
それは確かに結末に向かっていい硬化をあげていると、
最後まで見た場合にはそれなりに納得できるのだが、
見ている間は不自然な頑なさが感じられてイライラせざるをえなかった。
人間の心というものは、そう唐突に、掌返したようには変わらないものだ。

それにしても、アレックスの死をきっかけに、マックスとリズだけであなく、
幼いころから兄弟のように成長してきたマックス、イザベル、マイケルの
分裂状態には実につらいものがあった。
もともとはイザベルがもっとも冷静な立場を守っていたのに、
アレックスとの恋愛と死別を通じて、もっとも地球人化してしまったのだ。
地球にもロズウェルという町にももっとも馴染めずにいたマイケルは、
マリアとの心のこうりゅうによって、緩やかに地球人化した。
マックスは、もっとも人間的な心を持っていたが、
前世の自分を知るにつれ、3人のリーダーとしてだけでなく、
本来は王であり、前世はその妃であったテスの存在もあって、
本来の姿に近づこうとしていくわけだ。
こういう心の波瀾はよく描けている。

彼ら3人には、最終回で故郷に帰るチャンスがあった。
けれども、結局、テスだけを帰して、3人は地球に残った。
この経緯も書いておきたいけれど、これから見る人のために控えよう。
これからどういう展開になるのか、シーズン3を見始めたいところだが、
今夜はもう寝るとしよう。



2006年05月06日(土) 相変わらず「ロズウェル」

第14話まで見た。
第11話からの、ほとんど絶望的な展開も、極めて人間的な解決だ。
本当に、仲間というもの、心を開くということ、誠意を伝えるということ、
そういうことが大切だということを感じさせる。
この4話も、「24」ほど心臓バクバク、冷や汗びっしょりではないけれど、
緊迫した展開ではあった。
これから後半10話への泥沼的展開のようにも思われた。
話の設定は、かなりストーリー展開に都合良く作られていると思う。
けれども、大切なことは、人間の心を描いているかどうかということだ。

さあ、これからまだ、眠たくなるまで見るぞ。



2006年05月05日(金) 「ロズウェル」シーズン2

シーズン1に比べると、何というめまぐるしい展開だろうか。
第1話で、いきなり、頼りのナセドがスキンズなる種族に殺される。
それから、スキンズの存在に脅かされ、我々もその緊張感に包まれる。
その間に、50年前の過去が、当時の軍人から語られたり、
14年後のマックスがリズの前に現れて、運命を変える懇願をしたり。。。
スキンズとの闘いが終わったと思ったら、
もう1組のマックスたち4人が登場する。
マックスは彼らの計略で、異星人たちの会議に参加させられる。
彼らの過去が、ますます凄絶なものだったことが明らかになる。
しかしマックスは、故郷の星の平和(本当かどうかは不明)よりも、
イザベルやマイケルと共に生きることを選ぶ。

そういえば、シーズン1の終盤を見ていた時に、
地球人たちよりもマックスたちの方がよっぽど人間的だと思ったのだった。

第10話は、とりあえず幸福なクリスマスの光景で終わったけれど。。
つまりは、きょう1日でそれだけ見てしまった、ということだ。



2006年05月04日(木) 「ロズウェル」シーズン1 見終わる

きょうは昼過ぎまで部活につきあって、
帰宅してから、トイレ掃除と夕食をはさんで、最後の5話を見た。
「24」ほど腋の下びしょびしょ、心臓バクバクにはならなかったものの、
いったいどうなるんだぃ、これは、、、と夢中になった。
「ダーク・エンジェル」のようにヒロインに格別の思い入れがなくても、
シーズン3まであることがわかっているからそう心配ではないにしても、
6人の無事をひたすら祈りつつ見続けた。
ついに保安官にも素性を明かしてしまったけれど、
マックスは保安官の息子の命の恩人にもなり、保安官も完璧に仲間になった。
私のを借りて見るであろう人がひとりか2人はいそうだから、
詳しく書くのはやめておこう。

最初のころはのんびりしているが、ほどよい緊張を含んだドラマと思って
いたが、かなり事情が複雑なようだ。
非常に現実的な葛藤と、SFファンタジー的な要素が融合している。
学園恋愛ドラマに緊迫感を付与しているのがSF要素だというわけである。

シーズン1は、地球人に追われる展開だったが、
シーズン2は、他星人たちとの闘いになるような幕切れである。
おーい、もうちょっとのどかな展開にしてくれよーー、と、
見るのが億劫な感じなのだが、もちろん見続けるに決まってる。

葛藤を乗り越えつつ絆を深めていく仲間たち。。。
きょうでその仲間も、とりあえず10人になった。



2006年05月03日(水) 憲法記念日

憲法記念日という言葉を聞くたびに、清水義範の名歌(笑)を思い出す。

  この味がいいねと君が言ったから 7月6日はサラダ記念日

という俵万智の名歌をもじった歌で「騙し絵 日本国憲法」にある。

  この味がいいねと君が言ったけど 5月3日は憲法記念日

そう、この日にどんなことがあろうと、何はともあれ憲法記念日なのだ。
日本中の大半の人が忘れていようと、
子どもたちの大半は学校を休ませてもらえるこの日の名前さえ知らなくても、
あちこちで人が溢れ、長い渋滞ができようと、とにかく憲法記念日である。

さて、きょうの1面トップの見出しは、改憲に関する世論調査で、
「国民投票法53%が慎重」
たった53%?? いったい何考えてんじゃぃ?
あの案(昨年の10月31日参照)内容はひどすぎたじゃないか。
小選挙区制など、自分たちに有利なルールを作って勝負をしたがる
ずるい人たちの考えそうな案であることが明らかだったじゃないか。
私はあの案を読んで、とんでもない、と反対である。

ところが、この調査の質問項目を読むと変だなと思う。
「手続きは必要なのだから早く決める方がよい  32%」
これはどういう意味の選択肢であろうか。
「手続きは必要」って、現に今手続きはあるではないか。
きょねん出てきた国民投票法の改案は、
「より簡単に安易に改められる手続き」という目的であって、
現在そういう手続きにあたる法がないというわけではない。
こういう質問項目を作る人や、これを選択して答えた人の真意がよくわからない。


「改憲の必要がある 55%  改憲の必要はない 33%
 第9条に関しては、必要がある 43%  必要がない 42%」

必要がないと考える人の考え方にはおそらく大差はないだろう。
しかし、改める必要があると考える人の中には、
自衛隊の存在と権限を明記して今までの精神を強固にする考えもあれば、
アメリカの起こす戦争にいつでも参戦して協力できるようにする考えもあり、
そういう正反対の考え方の間にさまざまなレベルのとらえ方があるはずだ。
いかに議論を要する問題かがよくわかるのである。
決して、小泉くんやその周辺の連中の趣味で突っ走ってよい問題ではない。
そしてまた、国民も、約半数が憲法をよく知らないという国民も、
こうして新聞に大文字で書かれたりする風潮に安易に乗ってはいけないのだ。



2006年05月02日(火) お天道様が忙しかった日

朝起きたら、外は雨が少し降ったらしく、湿っていた。
ほどなくして始まったのが、稲光と雷鳴だ。
このあたりからは遠いようだが、落ちまくっているような音が聞こえる。
一蹴だが、部屋の電気が途切れるような瞬間もあった。
それから、バケツの水をひっくり返すような豪雨である。
これはそれほど長く続かず、出かけるころにはやんでいた。
それからしばらくの間は曇り空だったか、風か出るとともに青空も広がった。
午後は、強風の荒れ狂う中、青空を眺めた。
暗くなるころには風もおさまったが、ひんやりとした空気になった。
朝の嵐がやっと去ったという感じである。

世の中には3日前から9連休に入った人もいるらしいが、
我々は明日から本格的に5連休である。
その間には仕事に出ることもあるし、宿題もあるのだけれど、
授業がなきゃ休日と割り切る習性も身についているから、5連休である。
きょう、授業を終えたときのホッとしたことといったら。。。
そのせいか、昨日から予定していた、
娘の大学の授業料を振込に行くのを完璧に忘れてしまっていた。



2006年05月01日(月) またまたアホと言いたくなる

悪いのは県教委なのか、文科省なのか。。。
きょうのコンピューター委員会に出てきた話題。
PCを使えない教員の研修計画を立てろだとか、
教員の80%を、PCを使って授業ができるようにしろ、とか。。。
まったくばかばかしくて、そういう通達を書いた奴の顔が見たいものだ。

現実的にPCをまったく使ってない教員はいない。
成績処理だの、一部の書類はPCで打ち込まなきゃいけないから、
人に捜査方法を聞きながらでも、何とか使っているものだ。
そうやってとりあえずは使い始めるものなのだ。
そりゃぁ、この程度のことは人に聞かないでやってほしいものだと、
ちょっと不満に思うことはある。
けれども、彼らが覚えようとしないのは、日常的に使う必要がないからだ。
日常的に使う必要性を感じていない人に、1度きりの講習など無駄である。
やるなら、1週間缶詰にして教え込むべきであろう。
PCを修得する条件は、日常的に使うことと、
より便利な機能を追求する心と、より美しいレイアウトを追求する心である。
そういう欲求がなかったら、ちょっとくらい教わっても忘れてしまう。

私が最初PCを買ったのは、楽譜書きのためと、成績処理のためである。
それまで、ワープロ専用機でワープロと表計算を使っていた。
ある時、4クラス分の成績を出していたら、3学期にパンクしてしまった。
それで、楽譜書きのためにPCを買おうか迷っていた気持ちが決まったのだ。
それから、インターネットを始め、メールも始め、
より豊富なフォントとレイアウトを求めてワープロもPCに移行した。
Win PCを使い始めたのが12年くらい前で、
9年前にMac に替えてからもうPCは手放せなくなった。
8年ほど前に生徒会主任をやったとき、書類をいろいろ整備しているときに、
隣でKクンがいろいろとエクセルの機能を教えてくれた。
こういうことができんかなぁ、、と言うと、たいてい彼が方法を言う。
そうして、自分でもいろいろ調べて関数を使うようになった。
しかしそれは、必要な時に刺激を受けたから強くインプットされただけで、
使う気のないところへあれこれ言われても、そのまま忘れ去っただろう。

だから、県教委のアホ通達は、例によって形式主義の机上の空想である。

私は授業でPCを使いたいと、何年も前から思っている。
しかし、授業のたびにPCとプロジェクターとスクリーンを運ぶわけには
いかないので、ずーーっと諦めている。
授業で活用したいと思ってパワーポイントの勉強をしかけたけれど、
結局のところしばらくは使い道がないので、中断して保留にしている。
そういう考えを長い間持ち続けていた者からすると、
教員の80%が授業でPCを使えるようにしてほしいという通達もアホだ。
そんなに多くの教員が使い始めたら、今のように多くても1校に3、4台
程度では足りない、、、というか、1教室に1台必要である。
それも、プロジェクターとスクリーンの両方が、である。
近い将来にそれだけの予算が組めるようになるとはとても思えない。

そこにはきっと、役人たちの無責任な形式主義が働いている。
実際、妻の職場(小学校)では、全教員分のノートPCが配布され、
教室にインターネットも引かれ、授業で使うようにうるさく言われているが、
PC以外の必要な機材は1台ずつしかないので、かえって厄介だという。
もしも、みんなが熱心に活用し始めたらプロジェクターは取り合いになる。
プロジェクターが使えなければ、15インチ程度の画面で、
30何名かの生徒たちと授業をやらねばならないわけだ。
それではほとんど何のメリットもない、時間のむだが多い。

全教室分のプロジェクターを用意できない県教委や文科省は言うだろう。
そうしょっちゅう授業でPCを使ってもらわなくてもよい。
年に数回でもPCを使った授業ができるよう計画的にローテーションを、、、
、、、と、だからお前らはアホだと言うんだ。
先に環境整備してくれさえすれば、一生懸命研究するんだけどな。。。
苦労してやり方を知っても、使えないんじゃばかばかしい。

そういうところに大金を使うなら、徹底的に整備してほしい。
大金を使って中途半端で無駄にするなら、そんなところに使わずに
しっかりと、まず小中学校の教員を増やしてほしい。
まずその方が重要な急務なんじゃないの?
なんでそんな大事なことから目をそむけて、
やたらと恰好つけた形式的通達を出して自己満足してるの?
ホントにもう、ちゃんとした仕事をやれよ〜〜!(`ε´) って感じである。


きょうは突如の夏日。
予想最高気温29度だったが、実際はもうちょっと高かったかもしれない。
1週間前は寒くて寒くてガタガタ震えてたのに。。。
ただ、この時期のありがたいことは、
それだけ気温が上がっても爽やかで落ち着いていることだ。



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