TENSEI塵語

2005年12月31日(土) ちょっとだけ振り返ってみると、、、

あれぇ、、楽天フリマでドラマの安いDVDを買いあさり、
「美しき日々」だの「パリの恋人」だの「秋の童話」「夏の香り」などなど
見てたのは今年だったのか、、、もっと前の話かと思っていた。
もう何ヶ月も前からそういう出品者たちは影を潜めているし、
そういう状況の変化もあって、もうずいぶん昔のことのように思われるのだ。

去年も似たような感想をもったのだから、1年というのは案外長いのかも。

まーとにかく、今年は4月から精神的なゆとりを失ってしまって、
愚痴っぽくなりそうな自己と闘う日々であった。
決していい傾向とは言えなかったが、
なぜか、塵語だけは6月からとりあえず毎日続いてきたようだ。
その日には書き終わらず翌日に書き足して更新したり、
ほんの2行で片づけてしまった日もあるけれど、今までなかったことだ。
これは何とか続けなくてはね。。。
しかし、愚痴は並べちゃいかんな、愚痴は。。。

それにしても、1年が終わり、新年を迎えるという特殊な感覚というものが
かなり薄れて来ちゃったなぁ。。。
ほとんどまったく意味を感じなくなってしまってきているのだ。
なーんとなく、周囲の動きに合わせてそのように振る舞っているだけで。。。
普段だったらやらないような掃除の機会くらいの意義はあるだろうけど。



2005年12月30日(金) 悠然と過ごす年末

去年のきょうはどうしてたのかな? と去年のを読んでみたら、
3日間で「24」を見終わったらしい。
去年も悠然と年末を過ごしていたらしいが、
今年は、「24」を見始める勇気が起こらない。
4日からの補習と補充授業のことが気にかかって、
24時間仕様で見るにせよ、18時間仕様で見るにせよ、
それだけの時間を「24」に支配してもらう勇気が出ないのである。
元旦というのは案外忙しいものである。
今回は特に開き直って、年賀状を元旦に出すことにしたからなおさらだ。
昨日、ぐたぐたと何の力も出ない中で、開き直ったのだ。
土日もろくに休めないまま、28日の夜中まで仕事のつきあいでは、
これはもう何ともしゃあないのだ。

きょうは昼前から父母宅に用があって出かけ、
その後買い物で夕方まで潰れた。
その合間合間に掃除・片づけ・年賀状と奔走した年も多いのだけれど、
もうとてもそんな気力はなく、きょうはそんなところである。
明日は買い物からは解放されて、最低限の掃除をして過ごそう。
ま、トイレと台所と、自分の身の回りの片づけを少しだけ、でいいだろう。

多忙は、いろいろなことをどうでもよくしてしまうのだ。
多忙は、投げやりの母である。

それにしても、「24」早く見たいものだが、、、
5日ごろから見始めることは可能かもしれない。
うん、そうだ、その予定で行こう。
「ラチェット&クランク4」が明日あたり届きそうだけれど、
これをやるのは2月の中ごろからになりそうだ。
そのころだったら、年休をとってやりまくることも可能だろう。
おーー、ちょっと元気が出てきたぞ〜o(^-^)o



2005年12月29日(木) 「富豪刑事」見終わる

うーーん、、どう見てもしょうもない内容のドラマなのだが、おもしろい。
そのおもしろさは内容自体にあるというよりは、さまざまな趣向にあるのだ。

そのひとつが、毎回の決まり切ったパターンだ。
焼畑署のこの刑事グループのメンバーは常に愚かである。
美和子をいつもはばにして、愚かな議論と捜査を続けている。
そこに、無邪気な美和子の「あのぉ〜、、」という挙手があり、
「ちょっとよろしいでしょうか?」と立ち上がると、
毎回見ている我々は、キタキタキタキター、と思うわけだ。
そうして、彼女の突拍子もない、財力なしにはなし得ない提案が出たり、
固定観念にとらわれた刑事たちには考えもつかない推理が披露されたりする。
そういう痛快さがまずひとつ。

毎回決まり切ったパターンはそれだけではない。
美和子の祖父の喜久右衛門は、この孫娘から捜査のための援助を乞われると、
「お前も警察でそんな重要な任務を任されるようになったか、、」と感涙し、
「お前は天使のような子じゃ、、」が口癖であり、
提案以上のもっと派手な計画を立てては美和子にたしなめられ、
孫娘には知られたくないはずの過去の悪行を、調子にのって披露し始め、
とにかく、悪どいことをして貯めた巨万の富を世のために使いたいという
贖罪の機会を与えてくれるのが、この溺愛する孫娘であるという構図。

刑事たちのパターンも、毎回同じである。
毎回、事件を解決してるのは美和子なのに、毎回邪魔者扱いである。
出世欲と自己保身しか考えてなく、
鎌倉警部も、美和子の解決した事件を全部自分の手柄にしてしまう。

事件が解決すると、リムジンの運転手が「お嬢様、お迎えに上がりました」
と迎えに来て、憂いを帯びた表情で岐路につく美和子の背後で、
「勝手に帰るなーーー」と同僚刑事が叫ぶラストもパターンだし、
その後で必ず、瀬崎龍平の喜久右衛門憎しの場面があるのもパターンだ。
(しかし、この瀬崎の長年の深い恨みにもかかわらず、
 喜久右衛門はほとんどまったく瀬崎のことを知らなかったという、
 きょうの最終回でもっともおもしろかったのは、この一瞬のセリフだった)

ま、このドラマがくだらないと排斥されるのだったら、
水戸黄門が40年ほどもちやほやされるのは犯罪的だと言っていいだろう。

このドラマの物語は荒唐無稽のものかもしれない。
連日、脚を棒にして聞き込みに回り、知力の限りを尽くして捜査にあたって
いる、現実の刑事たちがこれを見たら、怒るかもしれない。
しかし、私はまた強く思った。
日本の政治は、税金を教育にも回さなさすぎるし、
事件の捜査にも回さなさすぎるのだ。
じゃ、いったいどこに莫大な金額を回してるの? と考え始めても。
ちょっとこのままでは何ともよくわからないのだが。。。




2005年12月28日(水) 仕事納め

28日までみっちり出勤した記憶ってあんまりないなぁ、と思ったら、
一昨年とその前の年などは土・日が絡んでいて早く終わったようだ。
去年は28日に仕事から解放されて、「24」を見始めたようだ。

きょうの仕事納めはなかなか盛り沢山で、夜中まで解放されなかった。

まず、朝1番から2コマの補習。
それから補充授業の準備をしようと思ったら、
今朝用意した資料を全部家に忘れて来てしまったので、できず、
視聴覚室と社会科室の灯油を補充して歩いているうちに昼になった。
橋本氏との久々の昼食から学校に戻ったら、思わぬ仕事が待ち受けていた。
県教委に提出する図書館に関する調査用紙がまだ出てないと、
県教委から催促の電話が来たようだ。
1カ月ほど前に教頭から預かっていたが、まっったく失念していたf^_^;
〆切は1週間前の20日だったようだ。
さあてね、覚えていても、そんな時にこの仕事ができたかどうか。。。
午後は図書館のストーブ増設に立ち会うだけの予定になっていたのだが、
この調査用紙を処理しなければ年が越せないことになってしまった。

仕事を終えて、図書館の生徒を追い出して戸締まりをして、
学校を出たのが4時だ。
今夜は校務委員会の忘年会も用意されていた。
こんな日に飲み会に出るなんて、非常識にも思われるほど経験のないことだ。
6時半に一宮までバスと電車で行かなければならないので、
遅くとも4時には学校を出る予定だったが、何とかそれがかなったのだ。
運転し始めたらガソリンがほとんど空に近いことに気がついた。
給油に寄ってから帰っても十分な余裕がある。
給油中に、洗車の誘いがあり、20分ほどでできるというので、
それくらいなら何とか時間があるだろうと、やってもらうことにした。
洗車を待つ間、もう2カ月ほど読み継いできた水村美苗の「本格小説」を
ようやく読み終えて時計を見ると、もう30分以上経っている。
おいおい、宴会に遅刻するじゃないか、とやきもきし始めたが、
途中でやめてもらうわけにもいかないから待つしかない。
融雪剤がこびりついている状態だからと、ちょっと入念な洗車を頼んだのが、
時間的にまずい結果になったのだろう。
洗車が終わってガソリンスタンドを出たのは、
宴会のために家を出発する予定だった5時半を10分も回ってからだった。

20分遅刻して宴会に加わり、二次会にもそのまま居残って、
11時半の電車に乗って、午前0時ごろに帰宅した。
この宴会は4人ほど欠席があって8人の参加だったが、人数が適度だったか、
あっちとこっちで勝手に話しているような会にはならず、
共通の話題で8人がわいわいしゃべり合うようないい会合だった。

まあ、みっちり仕事納めをした、という感じの1日だった。



2005年12月27日(火) 寒い!!

晴れる晴れると天気予報は伝えていたが、
ほとんど曇で、時折雪のちらつく寒い1日だった。
暖冬予想が20年ぶりの寒冬になったばかりでなく、
1日単位の予想もなかなかままならない不安定な気象が続いているようだ。

明日2コマの補習を終えたら休みに入れる。
忙しすぎた今年も明日で終わりだが、、、年末年始の休みはたった6日。
忙しいぞ、この6日間は。。。



2005年12月26日(月) 「富豪刑事」を見始めた

筒井康隆原作のドラマ「富豪刑事」を借りて見始め、3話まで見た。
大富豪の孫の令嬢が、興味本位としか思われない気持ちから刑事となり、
周囲の反感にはまったく気づかず、
資力にもの言わせた破天荒の囮捜査を提案しつつ、
世間の常識のとらわれないが故の推理で難事件を解決していくドラマである。

何しろ、囮捜査として、国際誌は利用するわ、著名人パーティーは開くわ、
名画強盗を攪乱するために世界の名画を買い集めるわ、
犯人の手口を明らかにするために会社をひとつ設立するわ、、、
やることが大きくて、発想がおもしろい。
大がかりなわりに、綿密な作戦を立てているわけではないので、
思惑どおりに進んで行くわけではないのだが、
これがきっかけで犯人逮捕の糸口にはなるようだ。

ま、感想は全部見終わってから書くとしよう。
第2話の物語はちょっといただけなかった。
第3話でかなり盛り返した。

富豪のお爺さん喜久右衛門が実におもしろい。
また、ドラマのラストに必ず登場する瀬崎龍平を筒井康隆が演じている。
喜久右衛門に長年深い恨みを抱いているらしく、
秘書から刑事美和子の活躍の報告を聞いては怒りを募らせる。
これがまた堂々たる俳優ぶりで、毎回楽しみである。



2005年12月25日(日) アンコン無事終了

これで今年の大仕事がすべてぶじに終わった。
春の市吹の定演、夏のコンクール地区大会と、3日間にわたる県大会、
秋の混成バンドと吹奏楽祭、冬の県総文祭と、
きょうのアンサンブルコンテストである。
まだ来年に入って、1月の終わりに県大会の仕事が待ってはいるが、
とりあえず、今年はこれで大仕事は終わりである。

きょうのアンコンはとりわけたいへんだった。
出場チーム数が80チームにまで膨れ上がった。
1時間に可能な演奏数は12だから、単純計算で6時間40分かかる。
休憩なしでやるわけにいかないから、演奏だけで10時〜18時である。
遅れるわけにいかないので、進行には細心の注意を配った。
手伝いの生徒たち(出場生徒の時間外奉仕である)がよく動いてくれたので、
実にスムーズに進行した。会心の出来である。
手伝いの生徒もたいへんだったし、審査員も計時審判もたいへんだった。
みんな、ホントに協力的で、感謝感謝である。

きょう、とりわけ驚いた話。
ある学校が、ずっとコンクールでもアンコンでも音が冴えず、
アンサンブルも雑で、成績不振が続いていたのに、
きょうはクラリネットアンサンブルも金管アンサンブルもよかった。
特に金管8重奏は、音の厚みには欠けるものの、
実にバランスのよい、堅実なアンサンブルをしているので驚いた。
夏のコンクールの時にはこんな技術は少しも感じられなかったのだが、
プロの講師でも雇ったのだろうかと、そうまで思わせる変貌ぶりだった。

その金管アンサンブルは審査員にも高く評価されて、県大会へと選ばれた。
県大会の書類を取りに本部に来た顧問と生徒に、
いったいどういうわけ? と尋ねてみたら、驚くべき答えが返ってきた。
その顧問についてきた生徒が、他の生徒たちを鍛えたのだと言うのだ。
「私がみんなをひとりひとり鍛えたんです」と自らも興奮して言う。
必死でがんばってきたけれど、まさかここまで上位に入れるとは
夢にも思っていなかった、そう感じられるような興奮状態である。
残念ながらその子は、1年生の時には運動部に入ってしまい、
一時は吹奏楽から遠のいていたのが、2年になって復帰し、
しかし、進学校のしきたりによって、もうこれで引退なのだと言う。
その点は残念ではあるが、こういう高校生もいるのだと実に嬉しい話だった。
顧問でもなかなかできないことを、彼女はやってのけたのだ。
「ぜひぜひ将来は吹奏楽の顧問か講師になってね」と言ったら、
ひたすらうれしそうに笑っていた。



2005年12月24日(土) 少子化対策

人口減少傾向に入ったとか言って慌てている報道を読むと笑えてくる。
少子化対策として、生んだらこれだけ払うとか、
育児にこれだけ補助金を出そうなどと雀の涙ほどのお金を税金から拠出とか、
あんたら、ホントの理由がちっともわかってないんだね、と、
顔面に蹴りを入れてやりたいようなものだ。

女は家庭におさまってあたりまえ、という時代には、
経済的にいくら困難でも、生みたいだけ生み育てるのが普通だった。
よほど貧困な地方では、損になる子は殺したり棄てたり売ったり、、
ということもあったと聞くが、ま、普通は、
貧乏人が子沢山でも、何とか苦労して育てたものである。
私は3人兄弟だったが、父の給料が安くてやりくりたいへんだった話は
母からよく聞かされた。

少子化の原因のひとつは、考え方がより自由になったせいでもある。
我が家には2人の子どもがいるが、妻が欲しがったからいるのであって、
私は子どもなどいらないと思っていた。
私の友人夫婦でも、子どもを作らずに済ませた夫婦は2組ある。
しかし、こういう考え方については、少数派としておこう。

女性もできれば大学に進学し、仕事に就くのが当然の風潮になったのに、
子どもができたら仕事を続けるのが困難だというのが大きい理由だろう。
育児休暇など、かなり柔軟なものになって、制度だけは改善されつつあるが、
経営者や管理者など、世間のあらゆる場面での指導者たちの意識が問題だ。
そのあたりにまだ封建社会の意識構造が残存しているのである。
結局のところ、多くの女性たちがいまだに、
家庭と育児か、仕事か、という選択肢に迫られているのである。
この場合、夫である男の方も、家事・育児のしやすい風潮が必要なのだ。
家事・育児と仕事との両立しやすい環境という社会的意識変革がなければ、
些細な金銭的支援を施したところで少子化は改善されないだろう。

もしも公的に金をかけるとしたら、保育設備の充実である。
18年前私たちが今の住居に戻ってくる決心をしたのは、
子どもを保育所に預けて2人が仕事を続けるめどが立たず、
結局は、妻の父母の協力を必要としたからである。
保育所の時間制限もあり、また保育所が少なくて競争率が高いこともあった。
共稼ぎなどしていると、収入が多いということで不利にもなるのだった。
そのこと自体を恨むわけではない。
片親だけで、働かざるをえず子育てする人の苦労の方が多いわけだから。
私たちの場合は爺さん婆さんをあてにできたからいいけれど、
そういう人たちと遠く離れていてあてにできない人たちはたいへんなのだ。

もうひとつ考えられる理由は、将来に対する不安だろう。
庶民冷遇の構造改革が、なぜ庶民にあれだけ支持されているのかわからない。
しかし、自分もいつリストラされるかわからない、
未来の自分たちの生活がどうなるのか見えにくい時代になってしまったのだ。



2005年12月23日(金) 「真下正義」を見た

昨夜遅い時間から「交渉人 真下正義」を見てから寝た。

今年度上半期の第1位にランキングされているそうで、
確かに、ユースケのおっとりした演技にもかかわらず(それも効果か)、
緊張感もあり、おもしろい映画ではあった。

しかし、どうもよくわからないのが、
この映画の緊張感を高めているのが、犯人が真下に挑戦してきている、
それは何故か、それはいったいどんな人物か、というところにあるのに、
とりあえず見ていた限り、犯人像が不明のまま終わってしまったことだ。
結局、ヒントのからくりもラストの収め方もよかったのだけれど、
何か釈然としない、拍子抜けの感じで見終わってしまったのだ。

この映画を見たことある人たちに、
「犯人像わからんまま終わったような気がするんだけど、
 ちゃんと見てればわかったはずなのか、
 まだ続編作って登場させる気なのか、、、
 でも、車爆破して死んじゃったみたいだし、、、」
と、メールしてみたのだけれど、はかばかしい返事は来なかった。
唯一、パタママおばさんからは
「真下はねぇ、、、監督の解説入りのやつが面白かったよ」
という返事が来たけれど、DVDのどこを探してもそんなメニューはない。


雪は、今朝起きたら、40センチ近く積もっていた。
10日間に3度の大雪という稀有な事態なのに、
その3度が毎回ヴァージョンアップしている。
昼に買いものに出ようと愛車の雪下ろしに行ったら、
実に哀れに雪に埋もれていて、おーい早く助けてくれぃ、と言ってるようだ。
真上に積み重なるだけでなく、庇のようになるほどのしぶとい積雪だ。
雪下ろしに疲れて、車の前方の雪をどけることなく発進したら、
用心にいったん止まったのが仇となって、前輪が空回りして動けなくなった。

昼は気温も上がったらしく、雨混じりの雪に変わり、
大通りはまだ雪だらけでもびしょびしょで走りやすかったけれど、
我が家の近辺の住宅地に入ると、凹凸の激しい圧雪で、
車が跳ねたり横滑りしたり、ちょっとしたスリルを楽しめた。



2005年12月22日(木) 風邪と雪

今朝は、不思議にすっきりと6時に起きた。
喉の痛みもない、、、早すぎるけど、本当に喉の痛みは消えている。
鼻もいたってラクだ。
時折出る咳の感じが、風邪の末期の雰囲気だ。
いくら何でも快方に向かうのが早すぎるような気もするが。。。
熱が出たときは、蒲団にくるまって汗びっしょりを繰り返して、
半日ほどですっきり治してしまうことがあるが、
今回は熱も出てないし、こういうときはかなり引きずるものなのだ。

その調子のいいのは、昼過ぎまで続いた。
けれども、アンサンブルコンテストのプログラムの印刷を始めたら、
わら半紙やコピー用紙よりも少し厚い紙を使ったせいか紙送りに難儀して、
最初は紙詰まりに悩まされ、それを解消したと思ったら今度は、
複数枚同時に排紙されるので、印刷されない紙が混じるようになった。
それを探して抜き出して印刷する作業がたいへんだった。
他にもいくつかトラブルがあって、疲れてしまった。
風邪もぶり返してしまったようで、昨日と同じつらい身体で帰宅した。

こんな仕事を抱えてなかったら、昼から帰って寝るところだったのに、
こんな仕事を抱え込んでいるためにかえって具合悪くしたのが悔しいことだ。
3時ごろには終わるだろうと高をくくっていたのが、4時半までかかった。
雪が積もり始める中を、ちょっと熱っぽいようなぼぉーっとしただるさに
悩まされながら帰った。

宴会が、一同雪に怖じ気づいて延期になったのは幸いだった。
この状態で出かけていったら、去年の1月5日の二の舞だったろう。
雪は今も一生懸命降っているから、延期は他の人たちにも幸いしたはずだ。

予想積雪は岐阜の平野部で30センチ、愛知でも20センチだという。
10日間で3度の大雪とは、ここに住み始めてからの記憶にない。
新潟では強風と雷を伴って、現在停電中なのだという。
なんとなく「デー・アフター・トゥモロー」の映画を連想させる。
いや、新潟の異常気象を聞かずとも、
昼ごろにはわりと暖かいねー、、と話しているのに、
それが次第にしんしんと冷え込んであっという間に雪に覆われる、、、
その冷えようを感じ、その情景を見ながら、
あの映画にはほど遠いけれど、あの映画の異常な状況を思い起こすのである。
ありえないことではないのだ、という思いにさせられるのである。



2005年12月21日(水) 風邪をひいたらしい

昨夜11時ごろからだんだんと喉が痛み始めた。
これが始まってしまったら、予防もくそもない、何ともしゃーないのだ。
前回の風邪が去年の1月5日だから、約2年ぶりである。

まだ今度の日曜日に大仕事を控えてるんだけどなぁ。。。
今までにない、80組も出場する超大型アンサンブルコンテストである。
熱まで出て寝込むようになったらパニックなのだが、今のところは何とか。。

きょうは、1時間目の合同LTで、冷凍庫のごとき武道場での学年集会が
大きなダメージになって、午前中、発熱かと思われるようなつらい時間も
あったが、昼から何とか持ち直して、アンコンの準備を進めた。
審査員の審査用紙も全部終わり、プログラム原稿もできて、
あとは、明日紙が届き次第プログラムを印刷して、事務局に届けたら、
私のやるべき準備は終わりである。
保護者会をやらないでいいということは、こういう仕事を抱えている者には
実にありがたいことだ。
今回は休日に閉じこもって、鬱屈して仕事する必要はなくなるだろう。

明日の夜は学年の宴会である。
私のための会でもあるかのように、岐阜で開いてくれるそうだ。
しかし、それでムリして出かけて悲惨だったのが、去年の1月5日だ。
発熱時の宴会ほど悲惨なものはない。
学年主任と煙草を吸いながら、明日は熱があったら休むけど、
休んでもまったく影響ないね、終業式だから、と話してたら、
うんうん休んでもかまわん、でも、夜は来てね、という返事。
そりゃ、そう言うわな。
何とかしたいもんだけど、こればっかりは運を天に任せるしかないわ。



2005年12月20日(火) 急がば回れ

職員室の印刷機を使うときに、しばしば不思議でならないことがある。
最近の印刷機には、紙揃え機能というのがあって、
印刷済みの紙が送られてくる側の仕切りを用紙サイズに合わせておくと、
きれいに揃えて紙を積み上げてくれるのである。
用紙サイズを合わせるだけではきれいにそろわないので、
ちょっとした工夫が施されている。
これのおかげで、印刷済みの束をほとんどトントンやる手間がなくて済む。
ありがた〜い機能なのだ。
ところが、印刷しようと思ってふと見ると、
この仕切りがたいてい広げられている。
その割合からすると、きっちりサイズで利用する人の方が多いらしい。
おそらく、きっちりサイズに仕切りを設定すると取り出しにくくなるので
広げるのだろうが、紙の束をトントンと揃える労力と、
紙の束をきっちりサイズから楽に取り出すコツとを比較すると、
比較にならないほど、後から紙の束を揃える方が厄介である。
それでいつも不思議の感に打たれるのだ。

隣の席のおばさんも先日不思議な行動の記録を見せてくれた。
ゼムクリップケースの入り口に隠されている磁石を外して、
ケースの底に落とした状態で使っているのだ。
鬱陶しいのでわざとそうしたそうなのだが、そうではない。
入り口部分に磁石があるおかげで、ケースをちょっと振ると
クリップが入り口にくっついて集まるので、取り出しやすくなるのだ。
これなどは特許クラスのすばらしいアイディアなのだが、
不思議なことをする人は、やはりいるものなのだ。
磁石を底に落としてしまったら、使いにくさは100倍にもなってしまう。

便利な機能は、そのまま素直に信じて便利なままに使うべし。

私は便利なものは積極的に取り入れるたちで、
まだ開発途上の、値段の高いうちから購入して利用することが多いのだが、
未だに使わずに人から不審がられているのが、カーナビである。
利用頻度の割に高すぎる、というのがその主な理由だが、
地図や方向感覚を頼りに自力で新しい道を走るのが好きだからでもある。
迷子になるのも一興だし、それでさらに多くを学べると思っている。
ただ、渋滞回避対策として正確なものが出たら、買いたいとは思っている。

今朝、新木曽川橋からの渋滞が岐南町交差点まで伸びていた。
こんなことは今までに事故車がとまっているケースしかなかったので、
30分ほどかかる恐れもあるだろうと読んで、
多少の渋滞は覚悟で川島方面に向かい、138タワーの方から行こうと決め、
ちょっと強引な車線変更を許してもらって、測道に入った。
ほとんど渋滞がないまま、快適に出勤ドライブが完了した。
いつも私にカーナビつけろとうるさい、同僚のじーさんのカーナビは、
そちら方面はかなりの渋滞だと伝えたらしくて、彼は橋の上の渋滞に堪えた。
文明の利器も肝心の機能が不完全なのなら、まだまだ利用する時期ではない。



2005年12月19日(月) 雪の日の自転車

さて、数年ぶりかでよく積もった。
ニュースの発表では岐阜市は25センチの積雪と言っていたが、
それは県庁などのある南寄りの地域の積雪量ではないだろうか。
このあたりは35センチくらいは積もっていた。
昨日の夕方に完全に降ろしておいた車の上に20センチほど積もっていた。
妻のフィットなど、もともと丸っこいせいもあってかまくらになっていた。
2台も雪下ろしする気力がなく、乗せていくことにした。
この冬、早くも4度目である。
帰りの時間を合わせねばならないのが厄介だが、心配するよりはラクだ。

こんな日に普通タイヤで走れる神経が、私にはどうしてもわからないのだが、
堂々と20キロ前後でのろのろ運転し、さらに、
信号で止められるのを避けるために(次の発進が厄介になるからだ)
いっそうスピードを落として平然と妨害し続ける車に悩まされた。
スタッドレスをはいていても、安全なわけではない。
滑りにくくなるだけだ。
私は20年ほど前に、知多半島の学校から稲沢に帰る途中、
だんだんと雪が積もって普通タイヤで雪道を帰った経験をしてから、
普通タイヤでは絶対に雪道は走らないことにした。
走れないわけではないが、危険や不安が多すぎるのだ。

道中目にしたのは、歩道を自転車で走ろうとして難儀している高校生だ。
車輪が積雪に埋もれて走れなくて困っていた。
また、バイパスの車道の端を自転車で行く人や、
手押し車を押して歩いている人もいた。
雪に埋もれた歩道を避けて、ここならちゃんと進むことができるのだが、
これも安全なわけではない。
車道を走る車は、できるだけブレーキを踏みたくないし、
ハンドルを切るのも極力避けたいと思っているような状況である。
それに、特に自転車だと、いつ転倒するかわからないではないか。。。

こういう朝は、車で送ってもらって登校する生徒が増える。
送ってもらえず、バスもない生徒だと、欠席するか、遅れて登校する。
私はその方が賢明だと思う。
でなければ、1時間でも2時間でもかけて、歩いて登校する方がいいだろう。
自転車で登校した生徒の中には、3度転んだとか言っている生徒もいる。
転んだだけで済んだからいいようなものの、打ち所が悪いとか、
そこに走っている車が絡んだりしたら、、、と思うとぞっとするのだ。
歩道が走れる状態じゃないから、なおのこと心配なのである。
傘さし運転や二人乗り以上に、事故のもとになる可能性が高いのに、
雪道を自転車で遅刻することなく登校した生徒を歓迎するのだから、
学校の先生の感覚は不思議だ。

私自身は高二から1年余り(その後何ヶ月かは自転車を盗まれて電車通学)、
35分間の自転車通学をしていたが、豪雨や雪の日はバスか電車にした。
そうすると遠回りなので自転車の倍以上の時間がかかるのだが、
豪雨の中を合羽を着てバチバチ雨に打たれながら走るのは好きだったけど、
雪道を自転車で走るのはどうしても気が進まなかった。
滑りやすくて怖いせいでもあったけれど、それ以上に、
人の迷惑になり得るような走りをしてはいけないと思っていたからである。



2005年12月18日(日) うれしい大雪

今朝は意外と早く、7時過ぎには目が覚めてしまった。
不思議なことに、腰痛もかなり治まっていた。

学校に行って仕事する予定だったが、雪の中をわざわざ出るのは控えて、
まず、昨日打ち込んだアンサンブルコンテストのプログラム原稿を編集して、
各校に確認してもらうためファックスで送る準備をした。
10時ごろには道路の雪もかなりとけたので、出かけた。

17校にファックスを送り、通知表を作り、購入図書一覧を完成させるのが
きょうの主な仕事である。
昼も、降りしきる雪の中、コンビニに買いに走って昼食にした。
5時にそれらの仕事を終えて帰るころは、
3時ごろから積もり始めた雪がかなり激しくなっていた。

交通量の多い名岐バイパスさえ、びしょびしょ雪ではあるが積もっている。
前の車はつるつる滑りながら発進しているし、
驚いたことに、後続車がぜんぜんついて来なかった場面もあった。
156号線の、トンネルに上がる陸橋の坂道でのことである。
交差点で発進した後にはついて来ていたのに、
坂道を上ってしばらく走ってミラーで見たら、後続車がいないのだ。
それから3度ほど見てみたけど、一向に現れるようすがなかった。
当然のことながら、後続車は1台だけでなく、延々と続いているはずなのだ。
坂道の途中で止まってしまったとしか解釈のしようがない。
交差点の前で追い抜いて前に入れさせてもらっておいて、よかった。

もうそのころは、前も見えにくいほどに降りしきっていた。
降りしきる雪片は美しい。
路面の状況にはさまざまに気を配りながらも、私はごきげんである。
雪に取り巻かれた生活が大好きだからである。
冬は雪があってあたりまえという子ども時代を過ごしたために、
雪のない冬は寒いだけで、実にわびしく感じられるのだ。
深い緑と白の斑もように雪化粧した山を眺めてこそ、
日本の冬! を心から味わうことができるのである。

スーパーの駐車場には15センチほどの雪が積もっていた。
家のそばまで来ると、轍が走っているけれど、路上に積もりっぱなしで、
めりめり、ずぼずぼと車を走らせることになった。
ますますごきげんである。
買い物袋を玄関に置き、長靴に履き替えて駐車場に走り、
きょうの分の雪を2台の車から降ろしておいた。
朝から置きっぱなしの妻の車には20センチくらい積もっていただろうか。
車のまわりの雪も、蹴散らしたり踏み固めたりしておいた。
暗い中の作業だったけれど、雪と戯れることができるのは幸せだ。
朝の通勤時の渋滞だけは憂鬱だけど、雪はむしょうに心うきうきさせるのだ。
この1週間の疲れも忘れてしまうほどに。。。

しかし、昨日の重労働と、超小型PCでのプログラム打ち込み、
きょうの通知表作りと、雪道運転の緊張とで、肩こりが尋常でない。



2005年12月17日(土) 腰痛の復活

きょうは1日高文連の総文祭の吹奏楽行事の仕事だった。
6時半ごろ仕事が終わって市吹の練習に向かうころは、腰が痛く、
左脚が抜けそうな感じなので、歩く歩幅もよちよち歩きのようになった。
無償奉仕で身体を損なうか?
まー、とにかくクタクタである。
しかし、午後、進行も安定していたので、
79チーム分という膨大さに億劫になっていた
アンサンブルコンテストのプログラムを入力してしまうことができた。
これは実に大きい収穫だ。



2005年12月16日(金) サラちゃんの「Dive」

今週は何度も泣きたくなったものだ。
きょうも慌ただしい1日。。。

とにかく、明日の必要物を作らなきゃいけない。
1週間でもっとも空き時間の多いきょうは、
1つ目は、短い教科会と、教員評価の管理職面談。たっぷり話してやった。
2つ目と3つ目は明日の貼り紙作りなど。。。
業後は、事務からせっつかれて、購入図書の明細表作り。
注文してない本が混じっていたりしてごちゃごちゃして、
結局完成しないまま、明日の準備のため稲沢の会館に走って、準備作業。。
まったくもう、やれやれ、、、って感じである。

疲れもピークに達しているように感じつつ、
夕方に家とは反対方向の稲沢まで行くのはたいへんな苦痛である。
重い体を運転席にドサッと下ろして、ため息をつく。
行きたくないなぁ、めんどうだなぁ、うんざりだなぁ、、、と思う。
けれども、スピーカーから流れる歌声に、たちまち元気になってしまう。

朝はたいていラジオだが、帰りは相撲がなければたいてい音楽である。
この1カ月以上、9割方はサラちゃんのアルバム「Dive」を聞いていた。
1年以上も前に買って、1回ざっと聞いた後、ずっと放っておいたCDだ。
そのころは、「ハレム」「ラ・ルーナ」「エデン」など、
5枚のアルバムに心酔しすぎていて、「Dive」の音楽が入って来なかった。
平凡なポップスアルバムにしか聞こえなかった。
1993年のアルバムだから、「エデン」よりもさらに数年前のものである。

今回聞き始めたらハマってしまったのだ。
実に心地よい控えめなロックの曲が並んでいる。
最後の3曲の並び具合など、圧巻である。
また好きな曲が7〜8曲増えてしまった。
曲自体はそれほどでなくても、歌唱力が名曲にしてしまっているものもある。

最初このアルバムを聞いたとき気に入らなかったのは、
それまで聞いていたのよりも声が硬質に感じられたからである。
先日、久々に以前よく聞いていたアルバムから抜粋したものを聞いた。
驚いたことに、10年くらい後の「ラ・ルーナ」や「ハレム」の方が、
若い声に聞こえるのだ。
本格的な声楽の訓練を積むことで、表現の幅を増したに違いない。

サラちゃんの12、3年前の声も、十分に魅力的である。



2005年12月15日(木) 「グッド・ウィル・ハンティング」を見た

とにかくもう忙しい。
予定外だったことまでどんどん舞い込んで、パニック状態である。
校内の仕事が並みにあるのに、校外の仕事が2つ重なっているのだ。
それを疎かにすると、多くの学校の吹奏楽部が当惑するのだ。
もう何を優先させるべきか、わけのわからない状態である。

今夜は、アンサンブルコンテストのタイムテーブルを作り直した後、
「グッド・ウィル・ハンティング」という映画を見た。
この忙しいさなかに映画なんて見てる暇などないのだが、仕事である。
今度図書館主催で映画会を行うのだが、
先日、係の生徒を集めていろいろ意見を聞く中で、
強く推薦された10作の中から、ネット上の評価をいろいろ読んで、
好き嫌いが少なそうであることと高い評価であることを基準にしぼって、
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」とこれの2作にしぼった。
前者は先日見る機会があったけれど、後者ははじめて聞く題名である。
見てから決めようと思って、注文しておいた。
帰宅時にレンタルに寄っている暇などないので、通販の方が便利である。
予想外に時間がかかって、きょうようやく届いた。

あるサイトでは、この映画の物語をこんな風に紹介している。
「深い心の傷を負った天才青年と、同じく失意の中にいた精神分析医が
 お互いにあらたな旅立ちを自覚して成長してゆく姿を描く
 感動のヒューマン・ドラマ。
 ボストンに住む青年ウィルは、
 幼い頃から天才ゆえに周囲から孤立していた。
 だが、彼の才能に気付いた数学教授のランボーは、
 ウィルに精神分析医のショーンを紹介する。
 ウィルはショーンにしだいに心を開いてゆくが、
 彼の才能に気付いた政府機関や大企業が接近してくる」

こういうあらすじからは予想できないほど、いい映画だった。
頑なな心の壁が崩れて行くようすがよく描かれている。
きわめて静かな展開なのだが、目が離せない。

しかし、今度の映画会は「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」にしよう。



2005年12月14日(水) 雪景色

今朝は、車に積もった雪も凍りついていたし、道路も凍っていた。
シャーベット状なのだが、ちょっと頑固な氷の粒という感じである。
昨日よりもかなり滑りやすい路上だった。
けれども、名妓バイパスに入ったら、濡れてはいるが普通の道路になった。
愛知県に入ると、何ごともなく平凡な道路になった。
ちょうど車に積んでいた雪が解け始めたらしくて、
車が止まったり、発進したり、曲がったりするたびに雪崩が起きた。
何ごともない平凡な道路に雪を撒きながら走っていた。

シャーベット状の道路は醜くて、枕草子風に言えば「わろし」だろうが、
山々や河原や木々に積もった雪景色を見ると、嬉しくてたまらない。
美しい風景なのである。
山のない地方で暮らしている人たちが気の毒に思われる。



2005年12月13日(火) 再び雪

昨夜の雪は、朝起きたらたいしたことなかった。
車の上には10センチくらい、道路のはびしょびしょ雪で、
想像するに、夜半まで降ったけれど、その後解けたがっていたようである。
こういう雪は、雪下ろしするにも、車で走るにもラクである。

ところが、出勤途中は降りしきる雪に車の列の方が劣勢で、
名妓バイパスでさえ、降った雪が踏み固められて行くような勢いで降った。
しかし日中は、寒風にもかかわらず、路上の雪はほとんど消えた。
時折太陽の光が射して、雪を空に帰してあげたようだ。

ところが夜になって、また本格的に降り始めた。
昨日より早い時間に降り始め、路上を白く覆い始めた。
冷え込みも昨日より厳しいようだ。
明日の朝はたいへんなことになりそうだ。

それはたいへん困ることなのだが、なぜか雪のためとなると、
困惑とともに、うきうきするような思いも伴うのだから不思議だ。



2005年12月12日(月)

いかにも冬らしく冷え込んだ1日だった。
朝から、細かい雪のような雨のようなものがかすかに降ったりして、
本格的に降りそうで降らない状態が続いていたけれど、
夜になって、11時ごろ外を見たら、道路ももう真っ白になっていた。
このまま朝まで降り続いたら、15センチか20センチになりそうな勢いだ。
一日中冷やしまくった後だから、積もり始めるのも早かったようだ。

スタッドレスタイヤの効果を過信しているわけではないが、
最低限の装備はしてあるという安心感で、雪を眺めていられる。
あくまでも最低限の装備に過ぎないので、雪道の出勤は憂鬱である。
どんな渋滞が待っているかしれない点でも、憂鬱である。
しかし、バスや電車を乗り継いで出勤するのはもっと憂鬱である。
とにかく、こんな風に雪に降られると困るのだ。

困るけれど、雪が降るのは何となく嬉しくうきうきするものだ。

さて、今雪は小康状態。
一時よりも冷え込んでないような気もするし、
積もってた雪もさっきよりひしゃげてしまったようにも見える。
ということは、この後それほど降るわけでもなく、
一旦積もった雪もとけながら固まるというケースもあるわけだ。
このあたりはそういう点で実に中途半端な地域だ。
郡上以北だったら、まず、降り出したらしっかり積もると予想してよい。
しかし、このあたりだと、本当に予想がしにくいのだ。

大して積もらなかったら、資源ゴミ回収があることを思い出して、
出すものを整理した。
煮え切らない態度をされると、めんどうや苦労が増えるものである。



2005年12月11日(日) 小学校教師のむだな仕事

きょうはよく働いた、、というか、働きづめだった。
朝起きて、まず坊ず(体調不良)をスクーリングに送った。
帰ってから補習の準備と授業のプリント作り。
昼に買い物に出て、ついでに昼食マックも買い込んで帰る。
それからまた授業のプリント作りの続き。
それから妻の車のタイヤの交換に走ったが、
交換は3、4時間後になるというので、帰って原稿整理。
坊ずから電話が来て、やはり体調が悪いので迎えに来てほしいと言う。
こんなことは初めてだ。
もう1時間授業があるというので、その間にタイヤ屋に車を預けて、
10分ほど急ぎ足で家に戻って、自分の車で迎えに行った。
戻ってからまたタイヤ屋に歩いたら、もう交換が終わっていたので、
そのまま最近借りた賃貸倉庫に行ってとりあえず仕事はおしまい。
帰ると娘がカレーを作り終えていた。

こう書くと父子家庭みたいだが、妻はきょうは通知表書きに専念している。
足萎えになりそうなほど座りっぱなしである。
いつも思うのだが、あの所見書きはたいへんすぎる。
最近は総合学習の評価も所見書きになったから、仕事が倍になっている。
それを終業式の10日も前に教頭に提出して検閲を受けるのだ。
読む教頭もたいへんだろうと思うが、かなり細かいチェックを入れて返し、
修正させるのである。
私が大学生だったころから聞かされていた話であるが、
相変わらずそんな通知表書きが学期ごとに続けられて来たのである。

私に言わせれば、保護者懇談が終業式前にあるのに、
どうしてわざわざ所見を同時に書いて渡さなきゃいけないんだ? である。
我々が小学生だったころ、毎学期のこんな保護者懇談はなかった。
毎月授業参観日に懇談会はあったようだが、個人懇談ではなかった。
よほどの問題がない限り、個人懇談というのはなかったはずである。
そういう時代には、通信簿というのは、成績の数字だけでなく、
こんな様子でした、という担任からの通信は大切だったかもしれない。
しかし、今は懇談でしゃべってしまうのである。
しゃべり忘れたことをちょっと書くには便利かもしれないが、
ムリして、心身すり減らして書かなければならぬほどのものではない。

昨日妻が言うには、大阪からの転校生の通知表を見たら、
所見欄には「保護者会で済み」という趣旨のゴム印が捺してあったそうだ。
実にもっともで賢明な措置である。
しかし、こちらの市教委も校長・教頭も、
とてもそんな気の利いた裁量ができる雰囲気ではない。
とにかく、実質をいくら損なってでも形式を重んじる点ではピカ1だからだ。
それは、この通知表に限った話ではないのだ。
高校にもアホな制度がどんどん入り込んできて、
振り払おうにももう何ともしょうがなくなってきて困っているが、
20年以上妻の仕事を見てきて、ある時痛感したのは、
もしも私が小学校に勤めてたら、3月ももたずにやめただろうということだ。
空き時間がないことや、給食指導があることだけではない。
市教委の学校訪問に備えてのあきれるほどの周到な体裁整えもそうだし、
週ごとの進度表や、それに書く反省欄など、その最たる要素である。
ご丁寧に、小学生に書いてあげてるような校長・教頭のお返事が書かれる。
自分がそんなの書いてるところを想像すると、屈辱的でもある。
(尊敬できる校長でもいれば、それもいいかと思うけどね、、)
涙ぐましいほどのやりとりであるが、それで教育活動が高まるかというと、
クラスぐちゃぐちゃの教員はいくらでもいるし、
ひとつの学校にたいてい1〜3人の指導力なし教員がいるようだ。
そういうやりとりを怠らぬようにしていても、
実質的で適切な指導や支援ができるわけではないということだ。
つまり、そういう形式さえしっかり踏んでいれば満足してしまう体質なのだ。
現実の問題がたくさん起こっていようと、根本的な解決に乗り出そうとせず、
過去の遺物さえ大事に撫で回していれば安心していられるわけだ。

とにかく、小学校には職員が少なすぎるし、むだな仕事が多すぎる。
そのとばっちりはどこに来るかというと、家族に来るのである(`ε´)



2005年12月10日(土) 新しい活動への不安

昨日、帰宅途中にケータイにメールが入った。
「明日、ぜひ来てくださいね」
何のこっちゃ? と思ったが、差出人名と照らし合わせると、
2週間前に話のあった練習への誘いが、実は土曜日らしい。
これは驚くべき勘違いだった。
その時からずっと、12月10日は日曜日と決めつけてしまっていたのだ。
だから、ここ数日間、土日の日程を思うたびに、
土曜の午前中は出校して仕事、日曜の午前中は練習、と決まっていた。

そんなわけで、きょうは予定していた雑務の処理ができなかった。
練習は昼過ぎには終わったが、いったん学校に帰って必要なものを持って、
帰宅した後は、ほとんど昼寝で終わってしまった。
夜は市吹の練習だから、きょうの仕事はもう諦めである。
明日は忙しい日曜になりそうだ。
時間のかかる仕事を4つほど抱えてしまっている。

きょうの練習というのは、前任校の吹奏楽部が3月に演奏の機会があるが、
部員が足りなくて、卒業生をおおぜい加えてやりたいということになり、
曲目の相談などもあるから来てほしい、と、正顧問ではなく、
何年か前からの腐れ縁のようにめんどうを見てくれている非常勤講師から
頼まれて行ったのである。
集まった卒業生たちのほとんどは市吹のメンバーで、
卒業生ではない市吹のメンバーもさらに加わって、
毎週のように見ている顔ばかりで(今夜もまた再会した)珍しくもないが、
何年かぶりで見る卒業生も2、3人いた。

これに深入りするわけにはいかないなぁ。。。
3月は19日の日曜が市吹の定演、21日の祝日が部活の方の定演、
このきょうの練習の本番が26日だそうだから、これでは忙しすぎる。
何とか、選曲だの編成だのが落ち着いたら、手を引くようにしなければ。。。



2005年12月09日(金) 「電車男」映画版を見た

電車男役の山田くん、震えすぎ、おどおどし過ぎ、泣きべそ多過ぎ、、、
そこまでやらなくてもいいんじゃないの?
しかもまた、走りすぎで惨めな姿をさらし過ぎだよ。
それもまた、やり過ぎなんじゃない?
いかにも作り物の人物になっちゃうよ。

エルメス嬢は、微に入り細をうがつ、原作どおりの完璧なイメージ。
原作に、中谷美紀に似てる、とあったので中谷美紀になったようだが、
申し分がないほど、原作のエルメス嬢そのものという感じがした。
すばらしい演技である。
ホントに惚れてしまうわ。
ちょっと老けた感じに見える部分もあったけれど、大目に見よう。
電車男にはもったいなさ過ぎるのに、やっぱり応援しちゃうんだな。

映画化にあたって、もっとも頭を悩ませたのは、住人たちの設定だろう。
掲示板の中では、匿名で正体不明の住人たちである。
引きこもりの青年、看護婦、冷えた関係の夫婦、漫画喫茶での3人組、、、
そんな人物たちが電車男を応援する設定になっている。
この中では、木村多江が演じる奥さんが白眉だった。

でも、やっぱり本の方が笑えたし、感動的だったなぁ。
映像として具体化されるほど、イメージは制限されてしまうのだ。
読んでおもしろい言葉も、声で発せられると幻滅したりするものだ。

さて、その原作へのさまざまな疑義がネット上で議論されているようだが、
私はあまりそういう論争には興味がない。
もともと、ある小説家が2チャンネルを模して書いたものと思い込んで
感心しながら読んだ作品である。
嘘でも芝居でも、何でもかまわない・



2005年12月08日(木) 12月8日

・・・と書こうとして、去年か一昨年のきょうも書いたような、、、と
見てみたら、やぁ、2年前に詳しく書いてあるではないか。
その時に書いたことをできるだけ繰り返さないように書こう。

きょうも、現代文の授業の2つのクラスで、きょうは何の日? と
尋ねてみたのだが、真珠湾攻撃かなぁ、と囁いて議論してた2人がいただけ。
一昨年尋ねて、説明した学年の生徒たちである。
一昨年1年生だったが、今3年生で、もうすぐ卒業する生徒たちである。
その95%以上が、12月8日はどういう日か、知らないのだ。

私は、平安京遷都が「鳴くよ鶯」だとか鎌倉幕府が「いい国作ろう」だとか、
そんな風に躍起になって年号覚えさせる意義がどれほどのものか疑問である。
そんなことは、だいたい、でいいのである。
8世紀の終わりごろとか、12世紀の終わりごろで十分である。
文章書いて発表する人は正確に書かなければならないだろうけれど、
現代人が現代を生き、現代を考えていく上で、
794年とか1192年などという数字は大して重要ではない。
日本の歴史を語る際に、何も見ないで数字まできっちり正確に語れたら
かっこいい、という、それだけの話である。

けれども、8月15日とか、8月6日、9日とか、11月と5月の3日とか、
12月8日とかは、1日も間違えずしっかり覚えていて欲しいと思うのだ。
そして、その日の意味をしっかり噛みしめて欲しいと思うのだ。
あの、すばらしい日本国憲法に保証された社会に直結する日だからだ。
平和と自由と人権を大切にするために、神棚に上げて拝むべき日なのだ。

実に残念なことだが、そういうことをおろそかにしてきたために、
戦後の社会は、還暦を迎えて老化し、耄碌してしまった。
ヒットラーのごとき首相を礼賛する有権者が繁殖してしまい、
その支持に有頂天になっているヒットラーは、実はポーズだけで、
ブッシュ大統領に嫌われたくない一心の哀れなパシリみたいなやつである。
国民にはお国のためと欺いて、ブッシュにせっせと貢ぎ物をするやつである。

きょうもそのアホな首相は、ばかやろう! と言いたくなる閣議決定をした。
イラクの自衛隊撤退をまた1年遅らせると言うのである。
自衛隊を守ってくれていた、イギリス・オーストラリア軍が
4月には撤退すると言うのに、、、である。
自衛隊派遣が支援活動をややこしくしていることが、まだわからないのか、
という感じである。
たぶん、支持率急落のブッシュじいさんから懇願されたのだ。
君だけは僕を裏切らないよね、、、と。
それで、アホな首相はまたもや有頂天になってしまったわけだ。

その小泉クンの記者会見らしきものをたまたま見た。
ホントにもう、吐き気がするほど気持ち悪い表情なのだが、
数年前彼の写真集を買い求めた人たちは、今も見てうっとりするのだろうか?
「日本の利益になる!!」などと、つまりつまり語っている。
復興支援活動を、自らの利益のためになどと言える神経も不思議だ。
国家的ボランティア活動ではないんですか??
自国の利益のためだったら、国際「貢献」でもなんでもないじゃないか。
早い話が、侵略活動じゃないか。

話が横道に逸れたようだが、実はそうではない。
小泉クンの記者会見が、何となく開戦宣言に感じられたから、
こんなことを書こうと思い立ったのだ。
彼にとっては、首相になれた今となっては、
平和主義も自由も人権尊重も、邪魔くさくてしょうがない。



2005年12月07日(水) ぐちゃぐちゃだ

毎日の授業の準備
採点と成績処理
総文祭の準備
アンサンブルコンテストの準備
図書館報の編集
校誌の原稿依頼
読書会と映画会の計画

どれも時間のかかることばっかりなのに、いっぺんに集まってしまった。
そこに、総合学習の準備なども入り込んでくる。
今週はタイヤ交換や新しい賃貸倉庫の手続きなどもしなければならなかった。
どれも集中して片づける時間が得られないので、
何もかもが中途半端なまま、抱え込み状態で遅々として進まない。

圧迫感が精神を抑圧するので、思考も投げやりになる。
多忙は自由な思考の敵なのだ。



2005年12月06日(火) 氷の世界

今朝は、腰は相変わらず痛いけれど、一晩寝た後のよりひどい状況には
なっていなくて、意外とすんなり起きることができた。
だから出勤しなければならなくなったけれど、嬉しかった。
起きられないほどの腰痛のつらさよりは、仕事のつらさの方がましである。

幸い、雪はかなり早くやんだらしく、堅い塊と化していた。
腰が痛いのに雪下ろしは酷だぜ、と昨夜は思っていたのだけれど、
予想外に簡単に車の雪下ろしが終わった。

あちこち凍結していたので、今朝は長靴を履くまでもなかった。



2005年12月05日(月) 初雪と腰痛

きょう昼食に出たとき、はら、、はら、、と雪が漂っていた。
車のラジオからは、岐阜ラジオのアナウンサーが岐阜市内は初雪だと報じた。
粉のような雪が斜めに降っているようだった。

雪と腰痛が直接因果関係にある、という話ではない。
実は、中学校の時に、雪の降りしきるある日、
廊下で突如腰痛のために立っていられなくなり、
四つん這いで保健室に行って、腰痛を訴えたことがある。
保健室の先生は軽いお灸を据えてくれた、そのとろけるような快感が、
いまだに忘れられないという思い出があるのだが、そんな話ではない。
(その時のような腰痛はその時だけだし、お灸いっぱつで治ってしまった。
 先生は、神経痛だろうと言っていたけれど、何だったかよくわからない)

まだしばらくは雪の心配がないだろうと思って、タイヤの交換も
2週間ほど先でもいいとのんびりしていたのだが、考えを変えたのである。
昼食を早々に終えて戻ったら、明日返すべき答案の採点を済ませて、
3時過ぎに早退させてもらい、まず柳津の倉庫にタイヤを引き取りに行った。
雪混じりの雨が、びしょ、びしょ、とフロントガラスを打つ。
積もることはないと思うけれど、今夜まで降ったら明朝は凍るだろう。
タイヤを積むときには、腰を痛めないよう細心の注意を払う。
タイヤを積み終えて、各務原の車屋に走る。
この時期のお定まりの行動であるが、明日から倉庫を近所に変えるので、
もうこういう慌ただしい行動はしなくてよくなるのである。

幸い、車屋に着いたのが4時半だったので、まだ殺到する前で、
タイヤ交換はすぐに済ませることができた。
その後、いろいろと相談や打ち合わせをしていて、5時過ぎに店を出た。
長良川を渡るころには、本格的な雪になった。
これで本格的な初雪に出会ったわけだ。
もしも、タイヤを交換しないままこの雪に出会ったら、
大いに気に病んだに違いない。
どうせ降るなら存分に降りなはれや、凍結よりは雪の方がましだし。。。
それにしても、土曜日に週間予報を見たときには、
ぜんぜんこんな気配もなかったのに、どうして、、、? と思いつつ、
スーパーに入った。

きょうと明日の食料品を買って、車に戻るころはまた雨になっていた。
買い物袋は重いのに、冷たい雨はつらい。
けれども、何か、大仕事を次々に片づけた満足感に満たされ、、、

悲劇は家に着いた時に起こった。
助手席に載せていた買い物袋を一挙に持ち上げて降りようとしたとき、
腰をひねってしまったらしい。
左の腰がかなりのダメージである。
力が入らなくて、脚がカクンと折れるときもある。
何とか夕飯の用意は済ませたけれど、実に不便な痛みである。
明日の朝起きるときにはかなり痛いのではないかと予想できる。

明朝のための備えを万全にしたつもりだったのに、
思わぬところで、明日への憂いを抱え込むことになってしまった。
経験上、こういう腰痛は長引くのだ。。。

ちなみに、9時を過ぎた今も雪は降っているし、雷も伴っている。
隣の家の屋根に積もった雪を見ると、水気の多そうな雪のようであるが。。。



2005年12月04日(日) 「恩讐の彼方に」を聞く

図書館の行事として、長年、読書会が催されている。
2週間後に実施しなければならない。
その方法も、かなり曖昧になってしまっている。
作品選択も、かなり安易になってしまっている。

朗読を聴きながらの読書会を試みてみようかな、と考えて、
手持ちの朗読CDを探してみた。
その中に菊池寛の「恩讐の彼方に」があった。
中学時代に読んだ小説だ。
青の洞門」の実話をもとにした作品である。

活字を見ないで朗読だけ聞いていても、緊密な構成の小説だ。
主人公が贖罪の念に改心する様も、村人たちの心情もよく描かれている。
しかし、朗読は1時間半もかかるようだ。これが問題だ。



2005年12月03日(土) 「情婦」(??)を見た

見終わった今は夜中の2時ごろだ。
どうせきょうは大した話題もできそうにないから、書いてしまっておこう。

これはすばらしい映画だ。文句なし。
57年の白黒映画である。私の1歳のころの映画である。
(そんな時代があったのかと訝しく思われるほど昔の作品である)
往年の名画を薦められてみても、数々の賛辞ほどの感銘を受けない私も、
この映画には脱帽せざるをえない。

基本は法廷サスペンスで、そのやりとりも、その結末もみごとなドラマだが、
ウィルフリッド弁護士に漂うユーモア感が何ともいえずかわいい。
かわいいけれど、情熱的でもある。
それをハラハラ見守る付き添い看護婦とのやりとりもおもしろい。
そうして、どんでん返しにどんでん返しの重なったラストの、
やりきれない思いを、この2人がさわやかに払拭してくれる。
作品の性質上、ストーリーを書けないのが残念だ。

「情婦」という題に疑問をもって、原題を見たら、
Witness for the Prosecution 、、、大分違うような気がすると思い、
辞書を引いてみたら、「検察当局の証人」となる。
「検察側の証人」という作品の題名を見たことがあるぞ、と検索してみたら、
クリスティーの短編を映画化したものだということだ。
「検察側の証人」という邦題にしておいてほしかったなぁ。。。



2005年12月02日(金) 138タワーのイルミネーション

きょうは午後ずっと進路検討会で採点をさせてもらえなかった。
一昨年は、学年違いで係として出て、何もわからなかったのだが、
今年は生徒のことはよくわかるにしても、
どうもあまり実のある会議に思われなくてつらい数時間だった。
ま、3年間見てきた生徒たちの現状がわかるという点では、
一昨年に比べると雲泥の差で楽しめるところもあったのだが。。。

遅くなる予定だったので、家の夕飯の用意は任せてあった。
ところが、予定よりも早く、6時ごろには会議が終わってしまった。
急いで帰る必要もない珍しい夕方なので、
バイパスを使わず(この道を走ると闘争心が湧いて落ち着かなくなる)、
川島方面からのんびり走って帰ることにした。

138タワーの傍を過ぎようとしたとき目に入ったのが、
タワーの下に広がっているイルミネーションだ。
昨今は、商店だけでなく、一般家庭でも飾っているところがあって、
私自身は目立つことが嫌いなので自分の家に施そうとは思わないが、
こういう光景を眺めるのはいたって好きなのである。
信号待ちなどで車を止めた傍らにそんな家があったりすると、
ホッとするような微笑ましいような思いでしばし眺めて楽しんでいる。
家の近所の大公園でイルミネーションが始まると、行きたくて落ち着かない。
ま、花火大会を見たい心境に似ているのかもしれない。

きょうは、その138タワーをいったんは通り過ぎた。
ところが、何となく気をそそられて、引き返して駐車場に入った。
駐車場からよく眺めてみると、タワーの下だけでなくその奥にもあるようだ。
降りて歩いてみることにした。
奥に広がっているのは、まさに幻想空間だった。
まず、花畑を模した一画。
それから、幻想的な光を放つ通りを抜けると、
光の森のような大きな一画があって、ぐるっと回ってみると、
中が迷路のようになっていて、中央に建物がひとつ作られている。
寒いので早々に同じ道を引き返したが、やはり新鮮な幻想世界の中である。
これはなかなかすばらしいではないか。

都市の中に凝ったイルミネーションスポットがあるが、
遠くまでわざわざ出かけて行って見ようというほどの情熱はない。
何かのついでにたまたま見られたら儲けもの、という程度である。
そういう所まで行けば、もっと豪華で洗練されたものが見られるだろう。
でも、こんな辺鄙な場所に、しかも身近に通りかかるようなところに、
こんなにワクワクさせるようなイルミネーションがあるのがうれしい。
離れてただ眺めるだけでなく、
その中に取り巻かれるように身を置いて鑑賞できるのがよい。

ついでに、そこから少し北にある環境楽園にも寄ってみた。
ここのイルミネーションは、簡素な平凡なものだった。
でも、夜の遊歩道の情緒は悪くなかった。



2005年12月01日(木) 泣きたくなった

そういえばきょうから12月ではないか。
イヤんなるほど忙しい今年度から解放される時が近づいているということだ。

今月の17日に高文連の吹奏楽の総文祭の会場地区に当たっていて、
その関連の仕事にも振り回されているのだが、
(引き受けたときの約束と違う!!(`ε´)
 会議に出るだけの契約だったはずなのに〜〜〜)
きょうはそのひとつの仕事に泣かされた。
先日、招待状と封筒をどさっと渡されて、地区の中学校に送れと言う。
これはなかなかの難問なのである。
中学校の住所録のファイルは、高校の教員は持っていないのである。
新たに打ち込むなんて、そんなアホなこと、、、と思って何日か過ぎた。

ここ2、3日、督促が続いた。
今朝出勤したら、ファックスが届いていた。
中学校の住所録は、県教委のHPでエクセルファイルがDLできるという。
とにかくすぐに送れ、何してんだ、という感じである。
それをDLしてみた、、、が、そのまま使えるものではないし、
吹奏楽部のない学校も多く含まれている。

きょうは忘年会だったが、それを休んででも明日投函することにした。
要するに、ぷっつんしてしまったということである。
その仕事自体、そう意味ある仕事とは思わない。
けれども、意味のない仕事を引き継ぎ、押しつけるのが教員の習性らしい。
親しい相手だったら、議論して無駄な仕事は省くのだが、
そんな相手ではないし、とにかく印刷された招待状と封筒があるのだ。
無駄な仕事だけれど、それらを無駄にするのも忍びないような思いで。。。

忘年会をキャンセルして仕事なんて、それだけで泣きたくなる状況だが、
泣きたくなる事態は、帰宅後仕事を始めてから何度もあった。

まず、洋形2号という封筒に宛名印刷するので、
カラープリンターを使うのが無難だと思った。
ところが、私のカラープリンターで試しの印刷をしてみたらかすれて読めん。
インク交換もさせられてノズルのクリーニングを10回ほどもやったけれど
改善せず、、、しかしレーザープリンターで封筒印刷をするのは不安なので、
階下のプリンターを使うことにした。それは最後の話にして。。。

いろいろ試行錯誤した結果、宛名職人に手入力することにした。
エクセルでやろうと思っていたのだが、組数字の問題があったのだ。
宛名氏名の欄に学校名を入力していく。
すると、時々変換に手間取っていると、妙なウインドウが現れてフリーズ。
そのたびに怒り狂ってしまった。
そのウインドウは親切から作られたものに違いないが、迷惑でしかなかった。
5回フリーズして再起動、、しかも、保存を怠った範囲は入力し直し。。。
1時間ほど余計な時間を使ってしまったが、時間の問題よりも、
精神的なダメージの方が大きかった。

まだあるんだけど、もういい!!
思い出せば腹が立つばかりだ。


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