TENSEI塵語

2005年11月30日(水) 「Catch Me If You Can」を見た

実に無駄のない、緊密な、いい映画だった。
先日の「宇宙戦争」も、決して駄作とは思わない、いい映画だったと思うが、
こちらは、スピルバーグってこんないい映画作る人だったんだと再認識。

16歳から21歳の間に400万ドルも稼いだ、
偽小切手詐欺師の実話をもとにした映画である。
主人公はパイロットに化け、医者に化け、弁護士に化けて、
その信用で偽小切手詐欺を成功させる。
その、医者や弁護士に化けてから、その関係の映画やドラマを見て、
研究している姿がおもしろい。
彼は結局逮捕され刑務所に入るが、刑期を待たずFBIに採用される。
偽小切手を分析する能力を買われたのだ。
そんな、信じがたい人生を描いた、実話なのだ。

逮捕後の主人公をサポートするのが、逮捕まで彼を追いつめた捜査官だ。
捜査官カールは、彼にかなりの愛着を覚えている。
この2人の心の交流の描き方が実にみごとだ。
近年のスピルバーグの関心事らしい、家族、殊に父と息子の心の交流と共に、
犯罪者と捜査官の心の交流である。
・・・で、見終わった後、爽やかさに満たされるのが嬉しい。

また、その詐欺の才能と頭の良さを示すシーンとして、
転校を余儀なくされた学校で、1週間フランス語の授業の講師を装うなんて、
こんな場面も実に気がきいている。

私が重視するのは、メッセージの多さよりも無駄の少なさなのだ。



2005年11月29日(火) ワードと一太郎

昨夜、仕事中の妻からSOSが来た。
学年だよりを作る順番がきたそうで、最初に作った人の書式に合わせるため
ワードで作業していたのだが、段落の最後の行が開いてしまったのだ。
私も何度かこの厄介なトラブルに遭っている。
36字くらいに行あたりの文字数が設定してあるとして、
段落の最終行が10字程度で終わって、改行したとたん、
その最終行の文字の字間が開いて、均等割りのようになってしまうのだ。
それはまるで、英文の本などで、行頭と行末を揃えるために、
単語と単語の間を自在に調整する機能がそのまま働いたかのようである。
それが常に起こるわけではないし、むしろそうなることの方が少ない。
だからいっそう奇妙である。
その行を消して打ち直すとうまく解決できる場合もあれば、
それでもまた開いてしまう場合もある。
昨夜はそれでうまく行ったが、どうにもならないときは、
テキストファイルで保存して、一太郎で読み込んで編集することもある。

昨夜のもうひとつのトラブル。
その学年だよりの印刷を頼まれたのだが、Win ノートで作られたそれを、
私のMac で読み込んで、レイアウトを調整しようとしたが、うまく行かないい。
ページあたりの行数調整すらままならないのだ。
これはしょっちゅう体験していることだ。
教科書会社が提供してくれているCDRの、課題問題やテスト問題を
参考にするため、レイアウトを調整して印刷することがよくあるのだが、
行数を5行少なくしても、5行少なくなるとは限らない。
だから、いつも、適当に減らしてはようすを見て、それを繰り返すのだ。
これは、Mac 版のワードに限ったトラブルなのかもしれないが、
とにかく、私の印象では、ワードというワープロソフトは、
何が起こるか予想しがたい、一筋縄ではいかないソフトなのだ。
そして、ひとつのトラブルを解決するのにかなりの労力を要するのだ。

一太郎には、そういう不可解なトラブルはほとんどない。
99%素直なワープロソフトである。
慣れているからではない、そういうトラブルに遭ったことがないのだ。

ところが、世の趨勢は、一太郎を排除しつつあり、ワード主導になっている。
それはおそらく、Wun システムを作った会社の産物であるからであり、
PCを購入したときからバンドルされている確率が高くなったせいでもあり、
一太郎などというダサい名前より、
ワードというカタカナの方がスマートだと印象づけられたためでもある。
エクセルを使いたいと思ってオフィスを買うと、
ワードが入っているせいでもある。
エクセルというのは申し分がないほど優秀なソフトなので、
(セル内での行間設定や余白設定などできるようになると完璧なんだけど)
ワードもすばらしいはずだという錯覚にも陥るのだろう。

ワード愛用者にいろいろと不満を述べると、確かに使い始めの苦労を認める。
けれど慣れてくるといいのだと言う、その理由を問いただしても、
な〜〜るほど、というような意見は聞かせてもらえない。
使ってみなければわからない、というような結論で終わってしまう。
それで使ってみると、一太郎より苦労することが多いのである。
これは、ウインドウズとマックの評価とよく似ている。
商売で負けてしまったために、マックは長い間冷遇されてきた。
Win はMac の長所を採用し、本来のシステムではないところに
異質のシステムを構築したものだから、重たくもったりした機械になった。
けれども、商戦というのは恐ろしいもので、
必ずしもいいものが世間に広まるとは限らないものだ。
マスコミの力で、必ずしもいい考えが世間に広まらないのと同じだ。
世間の人々は、まずWin 機をありがたがって使う。
だから、Mac 愛好家は甚だしく不便になってしまった。
Win 対応、Mac 不対応という商品が多く出回ってしまったからである。
それでますます世間の人々はMac の優秀さを知らないまま、
Win 機をありがたがって使うことになる。。。
しかし、一太郎という一介のソフトには、そういうハンディはないはずだ。

私は、ワード愛用者の多くは、ブランド志向なのだろうと思っている。
ブランドとは焼き印のことであり、ブランド志向というのは、
お尻に焼き印を捺されてしまったために、そう動かざるを得なくなることだ。
ホントにいいかどうかよりも、焼き印の方が優先される傾向性なのである。

ワードが本当に優れたワープロソフトなら、
誰か、苦労なく使える秘訣を教えてくれぃ!!



2005年11月28日(月) 演劇「身毒丸」を見た

金曜日の試験問題も学校で全部作り終えたし、
明日の吹奏楽関係の会議の資料も、今夜できる分は作ったし、
待ちに待ったこのチャンスに「24 season4」を見たいと思って、
箱から出してシールを外し、第1巻のディスクを取り出すところまで進んだ。
でもなー、、、と我に返る。
見始めたら、短く勘定しても18時間だ。。。
断念した。ちょっとまだタイミングがよくないのだ。

それで「身毒丸(しんとくまる)」を取り出した。
90分の舞台を収録したDVDである。
先日、い〜でじシネマの格安コーナーで見つけた。
蜷川幸雄演出、藤原竜也主演、ということで、買ってみた。
夏に、この組み合わせの「近代能楽集」の公演を見に行きたかったが、
予定がどうしてもうまく行きそうにないので断念した。
その代わりに、、、というつもりで買ってみたのだ。

ストーリーの展開には、わかりにくいところが多かった。
もともとわかりにくい台本なんだろうけれど、セリフにも
和歌風あり、能楽風あり、講談調ありで、聞いて解釈するのに時間がいる。
その上、視覚の方に意識を多く奪われるから、聞き逃すことも多い。
だから、しっかり理解して楽しめたとはとうてい言えない。
けれども舞台上の演出には感服することしきりで、目が離せなかった。
音楽効果も実に巧いではないか!
こういうのを見ると、若いころたぎっていた血がまた騒ぎ出すのだ。

また後日見なければならないだろう。
関連サイトで粗筋を見つけたので、今後の勉強のためにコピペしておこう。


               1
夕暮れの街角を母親の写真を眺めながら彷徨っている少年に、「涙がとめどなく流れて止まらない」と彼の運命を嘆く歌が重なる。
中世のその昔、そのような語り口調と共に、社会からはみ出した乞食が、街角に立って口から耳へと伝えた物語があった。そしてこのドラマの主人公しんとくは、その時代の文字を持たない大衆が愛した悲劇のヒーロを現代に蘇らせたものなのだ。

               2
仮面の行商の男と、少年の家の小間使いがかつて芝居小屋のあった場所で、食い詰めた旅芸人の一座が、「母のない子に母親をおわけします」という売り文句で娘たちを売りに出しているという噂話をしている。
そこへ少年の父親が、母親を買い求めにくる。定まった家を持たない女なら大抵のことは我慢して居つこうとするだろうというのが彼の考えである。少年は自分にとって母親はたった一人で、他の母親などいらないと拒絶する。
しかし彼は、父親が買い求めた長い黒髪の女に、思わず心を奪われ、その心のときめきが歌で歌われる。そして女は、自分を社会からはみ出した仇花、撫子であると名乗る。

               3
家、夫、子供、社会の最下層を生きてきた女は長年あこがれ続けたその全てを一度に手に入れた。そして家の中では理想の家族が食卓を挟んで演じられる。
しかし女はそれが幻想だったことにたちまち気付かされてしまう。
自分を買い求めた男は、あくまで母として買ったので、妻ではないと冷たく言い、子供は頑なに心を開かない。そして自分の息子として育ててきたせんさくも実は母親を演じるために拾った子供である。乞食同然で旅廻りをしていた頃はまだ自由があった。しかし今は母という役を演じている人形に過ぎない。そんな時、義理の息子のしんとくの大人になろうとしている肉体が目にはいる。
家では父親の提案で、理想的な家族を演じる儀式として、家族あわせのゲームが行われるが、しんとくはその嘘に耐えられなくなって家を飛び出し、撫子は追いかける。

               4
しんとくの中では否応なくその女の存在が大きくなっていく。しかしそうなればそうなるほど、彼は死んだ母のイメージにしがみつく。そして彼は、女の髪の毛を食べるという、髪切虫を挑発的に女に示し、女に罵詈雑言を浴びせる。女は心を開かないしんとくの尻を泣きながら叩く。

               5
継母に理不尽に折檻されたと思い込んだしんとくは、仮面売りに出会う。そして彼は、自分の産みの母に会いたいと訴える。する仮面売りは不思議な穴を取り出す。その穴を地面に置くと死者たちがいる地下の世界にたどり着くことが出来る。彼はその穴を仮面売りから借り受け、地下の世界へと入っていく。

               6
地下の世界では極楽浄土を願う歌が歌われ、死者の車が行き交い、行く方不明の自分の子供を探し求める母親たちが徘徊している。そして彼は、火事の中を危険を顧みず自分を助け、代わりに焼け死んでしまった仏の母親に会いたいと一心に願う。そこへ彼の母親に扮した継母が現われ、たちまちにそこは地獄へと変じ、彼を翻弄する。しんとくは彼の守り神である髪切虫を呼ぶ。それと共に彼の悪夢は終わる。

               7
それから2年の年月が経つ。 あれから何一つ変っていない。女は家を手にいれたと思ったのは単なる錯覚で、自分は家の置物として買われただけである。形だけの妻、形だけの母、その中で山のような仕事に追われる日々。ある日彼女は、死者たちの写真を磨いていると、しんとくの母親の写真が消えてしまう。しんとくはそれを見て激怒し、彼女を殴りつける。 そんなしんとくを父親は、撫子の前で、激しく叱責し、あるべき家の形を教え諭す。決して受け入れることが出来ない、継母と義理の息子。しかし心の中では二人は男と女として激しく求め合っている。イメージの中では二人は抱き合い求め合うが、現実のしんとくは全てを拒絶して家を飛び出す。

               8
母親として拒絶され、女としても受け入れられない。しかし彼に見つめられると、心がかきたてられいても立ってもいられない。この地獄をどこかで終わらせないと彼女は破滅してしまう。そこで彼女は、彼に自分を見つめることが出来ないようにその目を見えなくする呪いをかける。彼の目がつぶれれば、自分は彼に見つめられることなく、見ることが出来る。彼女のその呪いが成功し、彼は盲目となり、いずことなく去っていく。

               9
それからまた1年の月日が経つ。
撫子は静かに狂い始めている。彼女は自分を閉じ込めている家を壊し、その場所に芝居小屋を建てたいという心の願望を述べる。
その入れ替わりにしんとくが母の仮面を付け、母に化けて現われ、義理の弟を破滅させる。

              10
子供たちはいなくなり、家の秩序は壊れたしまったと嘆く父親が現われる。そこへ家の権威の象徴であるハンコが現われ、失墜してしまった父親の権威をあざ笑い翻弄する。

              11
二人を縛りつけていた家は崩壊し、狂った継母と放浪の果てに戻ってきた盲目の義理の息子は初めて男と女として向き合い、やっとお互いを受け入れる。そして二人は社会に一生属さない忘れられた流民として生きていく覚悟をする。




2005年11月27日(日) 「宇宙戦争」を見た

試験作りに少しゆとりができたので、昼食後「宇宙戦争」を見た。
昼食にビールを飲んだので、昼寝をするか映画を見るかの選択肢で、
1週間ほど前に届いてそのままになっているこのDVDに目がとまったのだ。

ある人から聞いていたのでは、ラストが「はぁん?」となるらしかった。
また、「みんなのシネマレビュー」サイトのレビューも
  (あ! 試しにやってみたらリンクが入ったみたい)
賛否が激しく分かれていて、それはラストのせいでもあるし、
見終わった後に残る疑問点が多すぎるせいでもあるらしい。

それはもう、見ている間は目を離せない緊張の連続である。
ただ、私がちょっと不快だったのは、パニック状態の中で、
依怙地になりすぎたり頑固になりすぎたりして、
人の言葉に耳を貸さずわめき散らす場面が多すぎたところだ。
あまりにも、耳にうるさすぎるのだ。
トムくんが演じている主人公の小さな娘が好演だ。

さて、主人公たちが生き延びるための悪戦苦闘をしているうちに、
知らないうちに宇宙人の侵略戦争も終結してしまう。
娘を元の妻のところに送り届け、息子とも和解して抱き合ったところで、
物語は幕、、、そうして、戦争終結の理由が簡潔に語られる、というわけだ。
それは、あ、な〜るほどね、と思わせる説明である。
確かにそれは大いにありえそうな事態である。
けれども、この2時間近い物語の、どこにもその片鱗すらなかったのだ。
あまりに唐突で、文句を言う人が多く現れても仕方がない。

こういう映画を見るとき、普通は、どう生き延びて行くかと同時に、
どう攻略するか、その大どんでん返しをも楽しみにしているものである。
この映画には、その逆転劇がないのである。
それが、数々の非難の源になっているように思われる。
初めて見る人は、そのことだけは知った上で見た方がいいだろう。
わざと描かなかったとしか思われない。
いいのいいの、これで、、、
「闘い守る父」を描いただけなんだから、、、という大らかな感じ。

メーキングを見なきゃならないが、千秋楽も見なきゃいけなかったし、
もうひとつの試験も作らなきゃいけなかったので、お預けである。
  



2005年11月26日(土) 朝青龍が泣いた

今朝はよく眠った。
夕方の4時半ごろに、やっと明々後日の現代文の試験問題ができた。
苦汁の仕事である。
なかなか納得行く問題を思いつかない。
このままでは埒があかないと開き直るまで時間がかかるのだ。

今夜は何か映画を見たいと思ったが、もう眠くてしょうがない。
睡眠時間は十分だと思っていたけれど、疲れたのかもしれない。
とにかく、この数日間憂鬱でしょうがなかった仕事が済んで、うれしい。


・・・といいながら、大相撲ダイジェスト見ちゃったんだな。。
昨日琴欧州に破れて優勝お預けを食った朝青龍が、きょうは勝った。
それを市吹に行く車の中で聞いた。
7連覇という新記録の優勝を決めただけでなく、
年間最多白星・年間全場所制覇という更に2つの新記録のおまけつきである。
ラジオでも泣いたらしいことがわかったのだが、
映像で見ると、いつもの表情とのギャップがあまりにも大きくて、
ここまで来るのに、いかに精神的な闘いが激しかったかを知らされた。



2005年11月25日(金) 琴欧州の金星

きょう琴欧州が朝青龍に勝った。夕方のラジオで聞いた。
先場所は、優勝決定戦もあって2回対戦があったが、勝てなかった。
2、3場所前には、当たった瞬間に意識が遠のいたらしくて、
茫然としたまま寄り切られるといった悔しい取り組みもあった。
きょうは勝った。
どう勝ったのか、夜のダイジェストが楽しみでしょうがなかった。

それを見ると、実に冷静な判断で、万全な押し倒しである。
うっちゃられる恐れがあると見るや、もう強引には行かない。
体勢を変えて、しっかりと横綱の逆転業を封じての勝利である。

まわしを取ったら強い、、、私はそういう相撲が好きである。
あたふた突っ張りなんて、相撲じゃねぇ、と思っている。
まわしを取ってきれいな相撲をやってくれるのが、横綱・大関を除くと、
琴欧州、白鵬、普天王である。
まわしを取られまいと、懸命にぴしゃぴしゃ叩いている相撲は、
たとえ勝ったにしても、惨めな相撲にしか見えない。

琴の若がかわいそうだ。
親方が引退し、その後を継ぐため、きょうが最後の相撲だった。
思い切り相撲を取りたいと、思い切りぶつかって行った。
ところが、対戦相手の駿傑は、ただ勝ちたい一心で変化、
琴の若が勢い余って素通りした後ろに回って、押し出した。
こういうやり口が私は大嫌いなのだが、きょうは格別に怒った。
こんな力士はすぐ除名すべし。
わざと負けてやれ、と言っているのではない。
琴の若は、粘り強い相撲を最後の記念に取りたかったに違いないのだ。
何考えてんだ、駿傑というやつは!! 仁義も何もないじゃないか!!
真っ向からぶつかって琴の若を負かしたのなら、私も文句を言わないし、
琴の若も、あれほど泣かずに済んだだろう。
彼が悔しがって泣いていたのは、負けたことではなくて、
最後の1番に相撲を取らせてもらえなかったことなのだ。
ひどすぎる!! 駿傑はアホだ。

千代大海が、きょうの朝青龍の負けで、優勝争いの有力候補になった。
しかし、きょうは魁皇に負け続けているので、変化で転がした。
つくづく卑劣な業だと思う。
突っ張りと変化にしか能のない力士は、さっさと引退しろ!!


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2005年11月24日(木) 切れかけ

試験作りもあって、1日中忙しかった。
いろいろあって、試験作りにも専念させてもらえない。
雑談を楽しむ3分すらない、という感じであった。
業後も、掃除当番を帰した後で掃除をひとりで続け、
それが終わったら虚しい会議の3連発である。
もう、、何度ため息をもらしたことか。。。
6時半近くにようやく解放され、急いで車に乗って、
迷惑な車をかき分けかき分けして、スーパーに寄って買い物して、
夕飯作って食べ終わったら、もう、何をする気力もなし。。。
もういい、、、何でもいい、、、テスト間に合わなくてもいい、、、
悪いのは私じゃない、、、仕組み自体がめちゃめちゃなんだから。。。

しかし、わずかばかり生き残っているらしい理性が、仕事へと駆り立てる。
よぉし、、まず風呂にして、すっきりしたところで仕事をしよう。
そう思って風呂をすませ、髪を乾かすついでに例のようにTVをつけたら、
やっていたドラマが「瀬戸内寂聴 女の一代記」、、最後まで見てしまった。
午前0時を回ってから、相撲のダイジェストを見ようとしたら、
男子体操をやっていたので、1時間ほど体操を見た後、
さらに相撲も見て、寝る時間が1時間近く遅れてしまった。
結局、帰宅後の仕事は放棄した形になった。
後悔はしていない。私が悪いんじゃない。
帰宅後の給料なんて1円ももらってないし。。。



2005年11月23日(水) 鴎外と太田豊太郎

きょうは勤労感謝の日であるが、勤労を恨めしく思う日である。
つくづく国語の教員などになってしまったことを後悔する毎日である。

きょうは試験作りに専念するはずだったのだけれど、
火曜日の高文連の会議の資料も作らねばならなかったし、
残りの授業の準備をもう少ししなけれななら亡かった。
一番きらいな試験作りから逃げていたところもあるかもしれない。
この忙しいのに、昼にはコンビニ弁当買いに自転車でぶらぶら出かけたり、
夕方には風呂場の大掃除に専念したり、、、困ったものである。

「舞姫」のモデルのエリスと鴎外の関係について、
十数年前に調べたことがあったが、記憶が曖昧なので調べてみた。
「舞姫」のエリスは、豊太郎が帰国する予定であることと、
相沢に「エリスと別れる」約束をしていたことを聞いて発狂した。
豊太郎は、そのエリスを置いて帰国する。
現実のエリスは、鴎外が帰国した数日後に追いかけて日本にやって来た。
鴎外の母や、妹の夫に懐柔されて、円満にドイツに帰って行ったようだ。
その辺の事情と、豊太郎に施された脚色を確認してみたかったのだ。

文久2  鴎外誕生。4人兄弟の長男。母峰子17歳。父も健在。
     [豊太郎は一人っ子。母30歳前後。父死亡]
    (長男として一家の期待を背負っている点は同じ)
明治7 12歳 東京医学校(東大医学部)予科入学。
    (入学は普通は14〜19歳。生年月日を2年詐称した)
明治14 19歳  28人中8番で卒業。
    文部省からの官費留学を希望したが、
    卒業成績が2位以内でないと資格がなかった。
     陸軍省に就職。
    (父の縁故で軍医として就職。自分の意志ではなかった。)
明治17 22歳 軍医として留学。[豊太郎の母は50過ぎ]
    (母は39歳。自分と家の名誉のためであることは同じ)
     母は健在。留学生仲間とはうまくやる。エリスも出てこない。
明治21 26歳 鴎外帰国。[27歳で帰国](「舞姫」より一年はやい)
     9. 7 鴎外帰国。
     9・12 エリス来日。
     母と妹の夫を中心にエリスを説得する
    10.12 エリス帰国。
    11. 7 海軍中将赤松氏の長女登志子と婚約。
     (婚約は帰国前から決まっていた。)
明治22 27歳 1月  執筆活動再開。
   3. 6 登志子と結婚。
     (母峰子の計画通り。養子ではないが赤松家の持家に移る。
      赤松家の老女、女中、鴎外の弟二人、妻の妹と同居。
      赤松家主導の生活)
明治23 28歳 1月 「舞姫」を『国民之友』に発表。
     9.13 長男於莵(オットー)誕生。
    10. 4 家出。
    11.27 離婚。
     (性格の不一致。家柄の違い。美人でない。
      母も登志子を気にいっていなかったという説もある)
明治35 40歳 判事荒木氏の長女志げ(22)と再婚。
     (「美術品らしき妻」という程の美人)

ちなみに、鴎外が最初の妻との間にできた子につけた名が於莵(オットー)、
再婚した妻との間にできた子どもたちにつけた名が、
長女茉莉(マリ)次男不律(フリッツ)次女杏奴(アンヌ)三男類(ルイ)、
なかなか洒落た男だけれど、不律って字はまずくない?

その子どもたちの誰の文だったか忘れたが、鴎外が死ぬ少し前に、
エリスの手紙と写真を目の前で焼かせたという話を読んだことがある。
エリス帰国後も、しばらく文通を続けていたと言うのである。
今それを確かめようとしても見つからないので確かなことはかけないのだが、
鴎外に取ってのエリス(実名はエリーゼらしい)を考える上で、
実に興味深いエピソードだ。

大正11 61歳 9.7 死去。



2005年11月22日(火) イライラの1日

というのは、昨日の話である。

一昨日の日曜は、試験問題にする箇所についてああでもないこうでもないと、
検討するだけに時間を費やしつつ、教材のプリントを作っていた。
いろいろなことを配慮するので、なかなか決まらないのだ。
それで、補習の準備をするのを忘れてしまっていた。
昨日の朝それに気がついて、早めに出勤して慌てて読み込んでいた。
そこへ、司書役の実習助手が欠勤という知らせである。
月曜日に彼女に欠勤されると、授業が詰まっている上に補習もあるから、
図書館の管理がパニックになるのである。
パニクったままとにかく補習の準備をざっと済ませ、ホッとしたのだが、
担任の代わりに朝のSTに行くことになっていたのを完璧に忘れてていた。
それを気づかされたのが、2時間目の前である。
2時間目がそのクラスの授業だから、いろいろ確認しようと向かったら、
時間割を読み違えていたらしくて、また慌てふためくことに。。。
気がかりなことがいろいろと降りかかって、頭の回路が狂っているらしい。

ただでさえゆとりのない月曜日がそんな風に最悪の始まりだった。
午後2時間取ってある委員会も、議題を見れば1時間以内のメニューだった。
ところが、飛び入りで出た検討不足の提案のために無駄な時間が過ぎる。
事前に検討して原案にすべきことをやっていない、
そのために、本来その原案作りに関与しないはずの人間の時間を奪うのだ。
休日を仕事で潰した上、まだ片づかない仕事を抱えている者にとっては、
迷惑この上ない厚かましさである。
仕事が遅いのではなくて、割り切れない、急いで結論を出せない仕事を
いくつも抱えているのである。
現代文の教材研究やテスト作りというのは、エンドレスなのだ。
とりあえず終わらせていても、まだいくつも問題点が発生するものなのだ。
その後、補習と面接入試指導をやり、雑用を済ませて、6時半に出た。

夜はもう開き直って、仕事を放棄し、サラちゃんのライヴDVDを見た。
明日の仕事は明日やればいい。
仕事から解放しないと、鬱憤から破壊魔になりそうで危険だった。
サラちゃんのライヴのおかげで、仕事のイライラからしばし解放された。

きょうは平穏な1日だったが、業後、図書館などの掃除をひとりでやって
足腰に大ダメージを受けた。
試験問題を早く作らなきゃいけないのに、
教育委員会から変な時に訪問があるせいで、こんな仕事も強いられるのだ。
やつらはいったいどういう神経してるんだ?
現場にいたことがあるはずじゃないのか?
ああいうところにいると、現場を忘れてふんぞり返る、哀しい性だ。
しかし、精神的に追いつめられるようなダメージに比べれば、
肉体労働なんてのは大したことのない疲労である。



2005年11月21日(月) 夢に向かって?

昨日、東京マラソンに高橋尚子が2年ぶりに出た。
2年前、終盤に失速して、アテネ代表を逃した曰わく付きの大会である。
あの時、見ていて、もう体が疲弊して限界なのかな、と思ったものだ。
何時から?とあまり意識しないでいたのだけれど、
2時ごろ新聞を見ていたら、TV欄で今真っ最中だと知ったので見た。
ゴールまであと数キロというところまで進んでいて、
彼女はもう独走態勢に入って、2位以降を引き離しているところだった。
右脚ふくらはぎに軽い肉離れ症状が3箇所ほどあるとか、
昨日のニュースで聞いていて、本当に走れるのか不思議だったが、
実際走っている姿を見たら胸が熱くなった。
去年骨折もしたはずである。
こんな風に着実に復活できるなんて、精神力の強さとしか思われない。
とっさの駆け引きで勝負する種目と違って、
長時間に渡り身体を酷使する種目だから、なおのことそう思う。

インタビューの話しぶりにも、毎回感心させられるのだ。
きょうもまた、最近の持論を力説していた。
夢に向かって日々努力する喜びを、自分が走ることでみんなに伝えたい。
うん、尚子ちゃん、説得力十分にあるぞ。

夢かぁ、、、私の夢なんて、退職して時間に追われなくなること、だもんな。
早くその時が来て欲しい、、、そればかり念じているのだ。
とにかく、日々の仕事を何とか凌いで、
ささやかながら夢とか抱負と言えるものがあるとしたら、
毎年の市吹の定演で、団員とお客さんに喜んでもらえることくらいだ。
とにかく、仕事上の夢とか抱負を求めるのは、あきらめた。
職場は、アホな上層部からアホなお達しが来てくだらなくなる一方だし、
周りは、新しい発想でものを考えることの嫌いな石頭ばっかりだ。
真剣に考えるだけ、エネルギーの無駄づかいだ。

一番の夢は、早く仕事を辞めて、
教育界のアホな実態を世間に暴露しまくることだったりして。。。




2005年11月20日(日) スーパーの新装開店

近所の一番利用しやすい大手スーパーが、
併設のホームセンターが移転したのを機に、改装した。
改装の約2週間、仕事帰りに寄りやすい大手スーパーがなく実に不便だった。
急場しのぎに利用している、町内の小さなスーパーで代用していたが、
そこではうまく手に入らないものもあって、不便だった。

木曜日にやっと新装開店したので、帰りに寄った。
行って驚いたことに、今までホームセンターがあった方に移動していたのだ。
つまり、うんと広くなったのだ。
こういうことをされると困るのである。
買い物のために歩く距離が増えるから困るのである。
仕事帰りのくたくたの身で買い物に寄る身にもなってほしいものだ。
今までも、買い物に寄らなきゃいけないのに、
あんまり疲れているために、あの広い場所で買い物する気にならず、
あり合わせをかき集めて夕飯の用意をしたことが何度あることか。。。
広い売り場がいいとばかりは言えないのである。

開店大安売りの品物が散見できて、ありがたい場合もある。
その日、もっとも人がたかっていたのは、牛肉売り場である。
見ると、いつもは100g998円とか980円とか、
正月なら1280縁で売ってそうな、しゃぶしゃぶ用のロースが、半額!
4人分も買ったら1万円近くにもなってしまうので、
いつもは上目づかいに見て諦める品だから、その見た感じはよく知っている。
正月用に買ったこともあるから、食べたときの感触も知っている。
その日はそれを1kg買って帰って、翌日しゃぶしゃぶにした。
贅沢な夕食になってしまったが、こんな機会はめったにないだろう。。。

ところがきょう行ってみたら、まだこの安売りをやっていた。
きょうはすき焼き用である。
えーーぃ、とばかりに、きょうも贅沢な夕食にすることにした。
こらぁ、困るじゃないかぁ、予定外の出費だぞー、、、と思ったのだが、
考えてみれば、家族で外食することを思えば、大したことのない夕食である。
もう結構、十分、と言えるほど食べられるし。。。
ま、食べれるときに食べておかないとね。。。

ちなみに私は、しゃぶしゃぶだとかすき焼きとかよりも、
一番高いステーキ肉を買ってビーフシチューを作るのが一番好きなのだが、
子どもが成長するに従って、まったく作らなくなった。
値が張るせいもあるけれど、あまり喜んで食べてもらえないせいでもある。
そういうステーキ肉でカレーにしてもいいのだが、、、、
ま、普通の人はステーキにして食べるわな。

話題が逸れてしまった。
ま、ともかく、改装休業とか新装開店なんてやられると、
いろいろ日常のペースが狂って困るのだ。



2005年11月19日(土) 昨日のつづき

きょうも、休日なのに出校して、、、でもあまりはかどらなかった。
行ったら、職員室には誰もいなくて、電話の応対に忙しかった。
土曜解放の生徒たちの欠席連絡の電話が絶え間なく来たのだ。
出校したついでに小論文を見てもらおうと持ってくる生徒もいるし。。。
とにかく予定の半分も仕事できずに、持ち帰り。。。
明日、家でやるべき仕事が増えた。

昨夜見た「小さな恋のメロディー」の余韻がまだ残っている。
1時間40分くらいの映画のうちの、半分くらいは、
主役の2人はお互いを知らない状態でいる。
その2人が一緒に行動するのは最後の30分程度にすぎない。
それなのに、なぜかこの2人に妙に肩入れしてしまうのが不思議だ。

2人が初めて肩を並べて歩く場面で「若葉のころ」が流れる。
いい場面である。
その場面の中間に、墓場に腰を下ろしてリンゴを囓りながら話す場面がある。
そばの墓石に書かれてある文字を読んで、メロディーが驚く。
その墓の主は、結婚50年目に奥さんが亡くなり、
それからすぐに旦那の方が亡くなったらしい。
メロディーが「奥さんが亡くなってすぐに亡くなったのよ」と言うと、
ダニエルが「それだけ愛してたんだよ」と言う。

「50年は長いわね」
「休みも入れて150学期だ」
「(気が遠くなる風)そんなに長く続かないわ」
「続くよ。もう1週間も愛し続けてるよ(^o^)」

実に不正確だが、だいたいこんなやりとり。。。
何とも微笑ましいんだな、こういうのが。。。
学校さぼって遊園地と海岸に遊びに行ったら、もう結婚の約束しちゃうし。


この2人の俳優は、大人になってからはもう俳優としては成功せず、
引退してひっそり暮らしているそうだ。
特にマークんの方は、子役の時のイメージが強すぎて、
以後、俳優業には恵まれず、今は整骨士かなんかの仕事をしているそうだ。
確かにこのダニエル役のマークんはかわいらしすぎる(笑)



2005年11月18日(金) 「小さな恋のメロディー」を見た

30数年ぶりになるのかなぁ。。。
何てかわいい映画なんだ!! と、うれしくてたまらない。
あのころ、つまり、この主人公たちの年齢に近かったあのころは、
これほどいろいろの場面を楽しんでいなかったに違いない。
とにかく、トレーシー・ハイドは抱きしめたいほどかわいいと思ったのに、
マーク・レスターは気持ち悪いやつだ、と思っていた記憶があるから。。。

この歳になって見たら、マーク・レスターの一挙一動もかわいく見える。
学校の中のさまざまな風景もおもしろい。
トレーシー・ハイドが演じているメロディーの父親のギャグに大いに笑い、
メロディーが「どうして一緒にいちゃいけないの?」と泣く場面に、
彼女の家族とともに泣いた。
何か、この主役の2人を見ていると、歳なんて関係ないぞー、
一緒にいろー、と応援したくなってしまうのだ。

無邪気、と言うと聞こえが悪いが、屈託のない素直な恋。。。
それは、大人の世界では描きにくいことだ。



2005年11月17日(木) ワイン

ボジョレ・ヌヴォ解禁というので、周囲がうるさいのにつられて、
楽天のとあるワイン屋で適当に4本ほど注文した。

去年も、まったく同じ経緯で、「幻の3本セット」というのを買った。
どれも曰くありげな解説つきだったが、もう銘柄はどこにも控えてない。
飲んだ感想は、どれも、飲みやすいけれど、思わず「美味い」と言いたく
なるほどではなかった、という程度だ。
白ワインには何本か「美味い!」と言えるワインに出会ったけれど、
赤ワインは苦手なのかもしれない。
そう思って、「解禁間近」という宣伝も無視し続けていたのだが、
解禁日のきょう、大騒ぎしている人たちにつられて、注文してしまったのだ。

「美味い」と言いたくなる赤ワインには、今まで2度ほど出会った。
けれども、銘柄を控えていないので、狙って買うことができないのである。
だから、こういう機会に探したくなるのだ。
いいワインを見つけたら、然るべき時期にまとめ買いして楽しみたいものだ。
きょう注文したものを控えておこう。
そして、この順番に飲んで、ちゃんと記録することにしよう。
そしてまた、来年は解禁前にしっかり注文作業をして、
今回すでに売り切れになっていたワインも狙ってみることにしよう。

【ドメーヌ・デ・ロンズ】ボジョレー・ヴィラージュ・プリムール
【ジョルジュ・デュブッフ】ボジョレー・ヴィラージュ・ヌーヴォー
【ルイジャド】ボジョレーヴィラージュプリムール
【フランク・サンカン家】ボージョレ・ヴィラージュ・ヌーヴォー


そういえば、財宝温泉の梅酒も切れて久しいから、注文しなきゃ。。。
梅酒については、もう最高の銘柄を見つけてあるのだ。



2005年11月16日(水) 「マイリトルシェフ」を見終わる

今夜は最後の2話を続けて見た。
いやぁ、泣かされたなぁ。。。
結末も予想通りだったが、うまく描かれていた。
全体として、1話1話がしっかり満足行くドラマに仕上がっていたので、
落ち着いて毎晩(1日だけ休んだけれど)1話ずつ見ることができた。

最近しばしば思い出したのは、名古屋の南区のマンションに住んでいたとき、
マンションの向かいにあったチョーまずい中華料理屋である。
この店で、3度ほど食べたことがあった。
1度目は近いところで済ませようと入ったのだが、余りのまずさに呆れた。
とても金を取れる代物ではないし、家庭料理としても食べてもらえない。
いったいここの料理人の味覚はどうなってるんだ? と不思議だった。
しかし、常連らしき客が料理人と談笑している。
ますます不思議でならなかった。
その後も1、2度入ったのは、好奇心のためである。
改善されているかどうか、検証してみたのである。
けれども、ちっとも変わりない。
料理人としての誇りが君たちにはないのか、と心の中で叫んだ。
実に不幸な食事であった。
突っ返すように大半残して出ても、何の反省もないらしいのだ。

その店は、最悪の代表なのだが、この類の店は案外多いのである。
いつ行っても今いちのまま、まったく成長のない店。
いや、客が入ることによって、かえって味が落ちて行く店。。。
金を取って客を不愉快にさせる飲食店というものは案外多いものなのだ。

このドラマのテーマは、人を幸福にする料理人魂、である。
主人公の駆け出しシェフの瀬里は、客のことを知って、
その客にもっともふさわしい料理を作る。
それは、商売としては大いなる欠陥なのかもしれない。
けれども、食べた人を確かに幸福にするし、
食べられないで見ているだけの我々も、一時、幸福な思いに満たされる。
夢のようなレストランを描いたドラマである。



2005年11月15日(火) 「若葉のころ」がきっかけで、、

思いがけない展開の一例をひとつ。。。

サラちゃんの「若葉のころ」を聞くたびに、
この歌はクリスマスのころの歌なのか5月の歌なのか、疑問に思っていた。
きょう、ついに歌詞カードを読んだ。
それは結局、どちらとも言えないが、
どちらかと言うと、クリスマスのころの感慨なのかな、と思った。
そんなことを書こうかなと思って、歌詞を写そうかなと思ったのだが、
簡単に済ませることはできないかと、検索してみた。
歌詞が全部書いてあるサイトは見つからなかったけれど、
探しているうちに、「小さな恋のメロディー」サントラ盤を見た。
この映画の中で使われ炊いた歌だったんだー、と驚いた。
その傍らに、映画のDVDの宣伝もあった。
中学生のころに見て、しばらく心から離れなかった映画である。
以前出ていないかと調べたことがあったが、見つからなかった記憶がある。
そのDVDが無性に欲しくなった。
そのサイトから直結していたのはアマゾンだったが、
い〜でじシネマとHMVも回ってみて、HMVで買うことにした。
そんなこんなで、1時間弱の時間を費やしてしまった。



2005年11月14日(月) 大学時代を思い出す

久々の休みはあっても、一夜明ければまたバタバタの1日で暮れてしまう。
授業に会議だけではなく、補習に小論文指導に面接練習指導。。。
もうこの時期に推薦入試のためにバタバタしている生徒もいれば、
年が明けてからの試験に臨む生徒もいる。
そういう生徒たちに取り巻かれていると、
どうしても自身の受験の時から大学時代のことを思い出してしまう。
今はどうか知らないが、私が受験した頃の上智大学には、一般入試でも、
一次の学科試験に合格すると、二次試験で作文と面接があった。
作文対策も面接対策も、なーんにも考えずに受験していたものだ。
雑談みたいな面接だったから、まぁどうでもよかったんだけど。。。
それどころか、過去問も知らずに受験して、
英語の長文問題が10問以上も出て、問題用紙を見て度肝を抜かれるという
ような、呑気な受験ぶりであった。
昨今の懇切バカ丁寧な進路指導を見ていると(やらされていると)、
よくあれで受かったもんだと、我ながら感心してしまうのだが、
そんな感覚に囚われてしまうのは、昨今の錯覚や幻想に惑わされているのだ。
・・・おっと、話が別の方向に進もうとしている、
昨今の受験指導のアホらしさについては、別の機会に譲るとしよう。

そんな大学時代を偲ぶことの多い最近なのだが、
先日の吹奏楽祭の日に、講師の送迎役にあたっていたクラリネット奏者の
Tさんが、本部でずっとドイツ語の勉強をしていた。
その熱心な勉強の理由を尋ねているうちに、話は、彼女がドイツ語の先生に
連れられて、先日、上智と隣接するイグナチオ教会に行った話に発展した。
「あんないい所に通ってたんですかー?」
と、驚きの声をあげるので、私はもちろん嬉しくなった。
そう、本当にいいところなのだ。
緑に恵まれた都心。
近くには迎賓館、大学の隣はホテルニューオータニ、少し歩けば赤阪、
市ヶ谷方面にまでのびる桜並木の土手、、、あの土手の遠景はすばらしい。

今夜は、一昨日久々に大学に行ったという友人から電話があって長話をした。
他の友人たちの最近の消息に加えて、
あそこはこう変わっていた、あそこはこんな風だったっけ? と、
大学時代を記憶から掘り起こすひとときになってしまった。
もう、10年以上も四谷に行っていないのだ。
行きたい!!! と切に思った。
でもなぁ、、、とカレンダーを眺めて、、、きょうは終わり。。。



2005年11月13日(日) 休日!!

4週間ぶりかの休日である。
昨日は午前中3時間ほど出校してみっちり仕事したけれど、
翌日が1日練習だとか本番だとかのストレスがないありがたさを痛感した。
実に気楽に仕事ができた。
帰ってから2時間ほど昼寝をしてから市吹の練習に出かけた。

きょうは坊ずをスクーリングに乗せて行ったり、母宅に行ったり、
買い物に行ったりしなければならず、家でぐたぐたというわけではなかった。
けれども、昼はビール飲みながら昼食、それからちょっと仕事して、
3時間ほど昼寝した。
ビールと昼寝、、、いい休日じゃ。。。
これだけ寝ると、夜になっても体が軽いわ。久々の感覚。
ただ、寝るのが遅くなって、明日寝不足の重い体にむち打って
出勤しなければならなくなる恐れがある。

本当は穏やかな陽射しの中、自転車を乗り回したかったけど、
それだけの時間はなかった、というより、昼寝を優先してしまった。
ま、来週も日曜日はちゃんと休めそうだし、何の用事もなさそうだし。。。

晴れた休日に車の中でサラちゃんの歌声を聴いていると、
何ともいえず美しい世界の中を走っている感じがするのだ。
休日に車を走らせているというのは、あまり幸福な状況ではない。
たいていは、望んでいない用事のために車を走らせているものだ。
けれども、その歌声に包まれていると、至福の時という感じがする。
晴れた休日にはとびきりそんな感じがするのだ。
もうとっくに聞き飽きていてもいいほど聞いているのに、
いまだに新鮮な驚きがある。不思議だ。奇跡だ。


夜はのんびりと「トリック SP新作」を見た。
TV放映のドラマを2時間以上ものんびり見られるなんて、奇跡の休日だ。
相変わらず雑なドラマだった。
でも、これほど笑わせてくれるドラマは珍しいし、
きょうの作品は、ギャグとしてはますます磨きがかかった感じだった。
人に薦めたくなるほど完成度の高いドラマではないけれども、
とにかく私は仲間由紀恵の山田奈緒子という前代未聞のキャラが好きなのだ。
ドラマ自体は傑作と言い難いけれど、このキャラは傑作なのだ。
「ごくせん」のヤンクミも傑作だったけど。。。



2005年11月12日(土) 「マイリトルシェフ」(2)

何か、、毎回泣かされているような気がする。
こういうドラマを見るとき、たいてい白々しいような場面がつきもので、
そういうところを割り引きながらそれなりに感動したりするものだが、
意外と白々しいところが感じられない。
テンポもいいし、じれったかったりイライラしたりすることもない。
それでいて、なかなか厄介な人間模様をうまく描いている。
心の料理が、人間関係を動かしていくところが何ともおもしろい。
時代劇などでよく使われていた定番メニュー(「控えぃ、控えぃ」
「この印籠が目に入らぬか」とか「あっしにゃぁ関わりのねぇことで」とか
「天に代わって成敗いたす」とか、、)にあたるものがここにもあって、
シェフ役の矢田亜希子が、片耳を揉みながら目を閉じて料理を考え、
不意に閃いて「うん、素敵!」「うん、そっちの方が素敵!」と笑顔。
「素敵」っていう言葉が、こんなに素敵だったのかと、驚かされる。

今夜で第6話まで見たわけだが、深刻な要素も入り込んできている。
こういうドラマは半分過ぎたころから、路線転換する場合があるので、
このままのタッチでドラマを進めてほしいものだと、切に願う。



2005年11月11日(金) 使わないとね、、、

パート譜の移調をするために、スコアメーカーを久々に使った。
パート譜をスキャナで読み込んで、それをスコアメーカーで楽譜に変換し、
一挙に移調する手である。
ところが、スキャナで読み込んだ楽譜画像を、なかなか認識してくれない。
6回スキャンと保存を繰り返して、やっと楽譜に変換してくれた。
スキャンの出力を「文字/線画」に設定するのを忘れていたのだった。
かつて毎日のようにやっていた作業なのに、
しばらくやらなかったので忘れてしまっていたのだった。

エクセルのいくつかの裏技や計算式も、
久しく必要に駆られてないものは忘れてしまっている。
使わなきゃ錆びたり風化したりするのは、我々の脳も同じのようだ。



2005年11月10日(木) 「マイ・リトル・シェフ」

1夜に1話ずつ見続けて、今夜で第4話まで見た。
毎回、なかなかウルウルさせてくれる。
客の話を聞き、客を観察しながら、
客のためにもっともふさわしい料理を考えるシェフの物語である。
第3話は、結婚前に、3年前別れた男をデートに誘う女性の話、
きょうの第4話は、母を早くに喪い、父に育てられた娘が、
父よりも1歳上の研究家肌の男との結婚を許してもらおうという話である。
今のところ、第1話から一貫しているのは、このシェフの料理が、
その客にとって大切なことを思い起こさせるというテーマである。
笑いもあるし、涙もある、いいドラマだ。
普通の連ドラと違い、1話見て満腹になる、という感じの展開である。
おかげで、ひどい夜更かしをして翌日がつらいということもない。

DVDのメニューに、各回の「きょうのレシピ」というのがあって、
作り方の紹介とともに、作るところを見せてくれるのかと思ったら、
文字で作り方の書いてある料理の本と変わらないのでがっかりした。
それにしても、この材料の品目の多さは何だ?
とても素人に用意できるようなものではないじゃないかー。



2005年11月09日(水) 背後のスピーカー

いや、もう、まったく、異様な体験の3分間であった。

朝礼で話をするはめになった、その最終決定は一昨日のことだ。
夏休みの読書感想文の講評をしなさい、ということであった。
体育館が夏休みから2月まで使えず、朝礼は外のグランドである。
前々から、外で話すようなことじゃないから、と辞退していたが、
何か、去年からこうすることに決まってるそうで、
頭の堅い人たちの集まりだから、なかなかそれを断念できないようだ。

前任校で、グランドの指令台で話さねばならなかったのは、
7年ほど前に生徒会部の主任になった年だけである。
その時、話しにくくて、毎回大いに困惑していた。
指令台の背後に校舎があり、そこにスピーカーが取りつけてあって、
背後からのスピーカーの声に煩わされて困った、、、そんな記憶がある。
だから、あの年、グランドで話すのは億劫でしょうがなかった。
そんな印象も何となく残っていて、今回も億劫でしょうがなかった。

3分間で話せ、とのお達しなので、一応、ゆっくり読んで2分40秒ほどの
原稿を書いて、暗唱まではしなかったけれど、流れだけはつかんでおいた。
結婚式のスピーチなど頼まれたときにやる手である。
朝、車の中で話の流れを2回ほどたどってみて、確認しておいた。
もっと長い講話を頼まれたときはこんなことはしない。
要点だけ書いたメモを用意して、後はほとんどその場で浮かんだ話をする。

で、時間が来て、指令台に上がったのだが、
話し始めて最初の2区切りを発しただけで、もう混乱してしまった。
ここでも、背後からのスピーカーの声に混乱させられてしまうのだ。
微妙に遅れて聞こえてくるスピーカーからの声が、
自分が一言発するたびに耳元で大声で茶々を入れられている感じだ。
その瞬間瞬間に、自分が今何を話したかを忘れてしまって、
次の言葉が出てこない。
スピーカーの声に負けまいと少し声を大きくしてみたら、ますますひどい。
まだ3センテンスしか話さないうちに、もういい加減にしてくれぃ、
静かにしてくれぃ、って感じで、イライラして逃げ出したくなった。
いつまでも執拗に追いかけてくる魔物のような感じである。

後から思うに、前任校の時よりもスピーカーが遠いので、
その微妙な遅れ加減が、ますます異様な感触だったのかもしれない。
とにかく、何を話したか何も覚えていない状態で混乱のまま終わったが、
たぶん、覚え込んでいたことをつなぎあわせて何とかしのいだのだろう。
台を下りたら、係の先生が、4分だと言った。
次の言葉が出ずに困った時間の合計が1分以上もあったらしい。
まー、ホントにこりゃたまらんわ、と、つくづく思った。

校長講話が先にあったので、校長に、気になりませんかと聞いてみたら、
首を傾げて笑っていた。
プロは違うねー、と讃えておいたが、耳が遠いんじゃないの?と心で言った。

そんなわけで、朝っぱらからもう実に気分の悪いイライラ気分に陥ったが、
それとは裏腹に、授業ではいつもよりも調子よく雑談などもしていた。
あいかわらず、寸暇を惜しむ忙しい一日だった。
授業後も、小論文指導と面接指導の生徒が次々に来るし。。。
夜は、息子に数学を教えてから、、、堪らず、2時間ほど宵寝をした。



2005年11月08日(火) 「マイ・リトル・シェフ」を見始める

3300円で買った中国字幕の入る「マイ・リトル・シェフ」を、
昨夜見始めて、きょう第2話を見た。

見たことがないのに、買って見てみようと思ったのは、料理ドラマだからだ。
「王様のレストラン」も「ランチの女王」もおもしろかった。
さまざまなグルメ番組が紹介してくれる料理も、
思わずため息をもらしてしまうほどの感動を与えてくれる。

料理は画面の向こうにあって、自分で味わうことができないのに、
感動してしまうのはなぜだろう?
もちろん、味わって感動しているわけではない。
味を想像しているのだとしたら、もどかしい思いの方が強い。
見て感動しているところも、確かにあるにはある。
けれども、やはりどこに感動しているのかをつきつめて考えてみると、
料理人の魂というか、理念というか、心意気というか、
そういうところに感動しているのだと思う。

「王様のレストラン」は、フランス料理店を舞台にしていたけれど、
どちらかというと、料理そのものよりは、
おもてなしする心ということに主眼が置かれていた。
「ランチの女王」も、幸福なランチを食べたい女性を通して、
レストランのあるべき姿を描こうとするものだった。

今度の「マイ・リトル・シェフ」は、作る側からの真っ向勝負である。
誰のために、どういう人のために作るのかわからないと、
どんな料理を作ったらいいのかわからないという、
究極のシェフの物語のようだ。
そんなことを言っていたら商売としてはなかなか成り立たないと思うのだが、
〈こころ〉というテーマが溢れていそうなので、今後が楽しみだ。
第2話だけでも、ちょいちょい涙ぐんでしまった。



2005年11月07日(月) 癒し

朝起きたら、肩にのしかかってくるような重い凝りが感じられる。
ゲルマニウムネックレスの神通力ももう効かないか、、?
本番ステージというのは、もうかなり慣れっこになったつもりでも、
かなりのストレスを伴うものなのだ。
何しろ、1回きりの、取り返しの効かない極限の時間なのだから。。。

適当にほぐしてごまかしつつ、とにかく出勤したら、
1日中暇なしのばったばたである。
土曜日に出勤して仕事しても、日曜の夜に疲れに耐えて仕事しても、
焼け石に水、、、などと思ってはいけない。
それらをしておいたから、きょう何とかしのげたのだ。
とにかく、余計な仕事が多すぎるし、その振り分け先が偏っているのだ。

いらいらし尽くして、車に乗って帰路について、、、
きょうも、サラちゃんの歌声にひたすら感謝である。
この世に奇跡というものがあるのだということを、
いつもあの歌声が教えてくれる。



2005年11月06日(日) 癒し

たいへんな3週間が終わった。
きょうもそのクライマックスだったが、何とか無難に終えることができた。
来週の日曜日には1日ゆっくり休めるだろう。

金曜日は朝からもう疲労感が体全体にのしかかってきていて、
それなのに、授業は増えてるわ、空き時間もばたばたし通しだわ、
業後も仕事が多すぎるわ、で参っていたが、帰りの車の中で
前日作ったサラちゃんのCDを聞いていたら、元気になってしまった。
体のそこかしこで怒っている、それを解きほぐしてくれるだけではない。
優しく癒しつつ、アドレナリンの分泌も盛んにしてくれるような感じだ。
昨日もきょうもその歌声に掬われた。
きょうは、2つの本番を終えるまではさすがに聞かないようにしたけれど。

帰宅して夕食の後も、10分ほどは横になって休んだけれども、
土曜日に出校してできなかった授業の準備を2つした。
それが8時過ぎにはとりあえずできたので、風呂に入り、
それから、「ラブストーリー」という韓国映画を見た。
貸してくれた人から、早く返せ〜、と催促があったからである。

この場面はいらないな、という場面もある映画だったけれど、
もう、とにかく、全編通じて、イェジンちゃんのかわいいことといったら。。
「夏の香り」の時は、時々そう思ったのだが、この映画では、良すぎる!
特典盤の記者会見の表情にも参った! 降参! 脱帽!

癒し系などという軽々しいことばが流行っているけれど、
サラちゃんもイェジンちゃんも、癒し「系」なんてもんじゃない。
癒しそのものなのだ。



2005年11月05日(土) 身代わり書道

きょうは吹奏楽からは解放されたけれど、自主出勤して仕事をした。
きょう1番の仕事は、読書感想文の優秀賞の賞状作りである。

賞状の用紙だけを買って、中の文字を全部PCで印刷するのは得意技だが、
厄介なことに、文と、年月日のところと、学校名の印刷された賞状が、
司書室に100枚以上も印刷されて残っている。
しかもA3よりもちょっと大きめの立派な賞状である。
これを全部捨ててしまうわけにもいくまい。
よくよく見れば、賞の名称から受賞者の氏名、年月日、校長名まで、
筆の手書きで書き込むために作られたものである。

これには参った。
書道を小学校の1年生の時から中二までやって、一応五段か六段か、
特別会員の手前までやっていたのだから、自分で書けばよさそうなものだし、
ペン書きの字を見たことのある人は、書けるでしょ?と言ってくれるのだが、
太筆ならともかく、私は細筆・中筆はからきしダメである。
書道を習っていたころも、清書ができあがって、細筆で名前を書いて出すと、
名前書かんときゃよかったな、とよく先生に言われたものである。
祝儀袋や香典袋に書くときも、何度練習してから書いても、ダメである。
最近はもう諦めて、サインペンで書いて知らんぷりしている。
半紙に大きい字を書く分には、それほど抵抗なく書ける。
妻が書道の授業をしなければならなかった年や、子どもが小学生だった頃は、
お手本をしばしば書かされたものだが、数枚練習すれば勘が戻って、
いかにもお手本らしい楷書が書けたものである。
しかし、細筆・中筆はまったくダメである。
行書や草書に入る前に書道をやめてしまったから、ますますダメである。
まったく役立たずの書道である。

で、誰かに頼まなければならないのだが、
こういう労を誰かに押しつけるのが、たいへん申し訳ないしイヤなのである。
それで、PCで何とか賞状のレイアウトに合わせて印字できないか、と、
きょうの第一の仕事はそれだったのである。
自分ですべて作るよりも、空いたところに合わせるという厄介さはあるが、
位置の微調整を繰り返せば必ずできるはずだ。

まずindex の計算式を使って、賞の名前や氏名が自動で入るようにし、
プレビューを見ながら、フォントサイズを試行錯誤で決めて行き、
だいたいの配置が決まってから、A3用紙に印刷してみて賞状と重ね合わせ、
十数枚試し刷りをして、ようやく配置が決まって、賞状の印刷ができた。
賞状の用紙がかなり厚いので、自動印刷のマクロは使うのをやめた。
太楷書体は字があまりに整いすぎているので、行書体を採用した。
これだけで、2時間近くを要してしまった。
平日に仕事の合間にできるような作業ではない。
筆で書けるなら、筆で書いた方がよっぽど楽だし早いはずである。
今まで何度自分で書けないことを恨めしく思ったことだろう。
なまじ習っていたことがあるもんだから、かえって悔しいのだ。

しかし、来年からはこれで、筆で書くよりも早く簡単にできるわけだ。
最初は労力がかかるけれど、今後、実質的には省エネになるはずだ。
誰の手を煩わせる必要もないし、10分もあればできてしまう。
次に誰が図書主任になろうと、PCさえ使えれば難なくできるわけだし。。



2005年11月04日(金) むだな時間

昨夜、TVで「花より団子」じゃなくて「花より男子」の予告を見た。
このタイトルは、古本屋などでしばしば見たことがある。
ま、予告編を見ていても到底見たくなるようなドラマではなかったのだが、
ちらっと見えた意外な顔が、、、、、、菜々子さま??!!
見間違えるはずがないが、こんなドラマに出るわけないと思い、
さっそく検索してみたら、特別出演できょうの第3話に登場するらしい。
うーー、困った、、見ないわけにいかないじゃん。

主役でない菜々子さまを使うとは、何とファンに失礼なスタッフだろうか。
むだな時間が多すぎるじゃないかーー(`ε´)
何時何分から何分まで菜々子さまが出ますよと、どっかに明記してくれい!
1時間もへぼいドラマを見させられたじゃないかー(`ε´)
菜々子さまの登場シーンだけ録画しようと思ったら、不覚にも
HDがいっぱいになってて、3場面のうち1場面しか録画できなかったし。。
と、とにかく、菜々子さまを安易に使うべからず。
ちゃんと見る価値のあるドラマで使ってくれたまえ、、いいね!

でも、このドラマのギャグにはちゃんと笑えるものもあった。
それに、来週はちょっとおもしろい展開になりそうな予感もある。
ひょっとして、来週も忘れなければ見るかもしれない。
忘れてしまうケースが多いのだけれど。。。
それにしても、主役格の若手の演技に、見るに耐えないところがある。
何とかしてくれぃ!

ま、むだな時間も多かったけど、貴重なうれしい機会でもあったぞ。



2005年11月03日(木) iTunes のすごい機能

サラちゃんの「A Question Of Honor」をPCに取り込もうとして、
先日今年転勤してきた吹奏楽仲間のNくんが教えてくれたことを思い出した。
iTunes は、インターネットに接続していると、
CDのタイトルを検索して、曲名を全部書き込んでくれる。。。
やってみたら、本当に曲名を書き込んでくれた。
今までこれが実に億劫な作業だったのだ。
この機能は以前はなかった。
CDを入れても、track01、track02、、、と表示されるだけなので、
曲名を自分で打ち込まなければならなかった。
iPod nano に付いてきた新しいiTunes をインストールしたら、
「データベースを検索しています」というウインドウが出るので、
これはいったい何なんだと思っていたら、上記の機能だったのだ。

調子にのって、サラちゃん究極のベストアルバムを作ろうかな、、と、
「ラ・ルーナ」や「ハレム」も入れてみたら、拒否されない。
コピーガード施してあることはCDにも書いてあったし、
実際、以前受け付けてもらえなかったので、ぜったい不可能と思っていた。
ところが、きょうはちゃんと読み込み始めるのでびっくりしてしまった。
CDにも焼けた。
これはいったいどういうわけだ???



2005年11月02日(水) 疲れた。。。

今夜は、昨日の続きを書きたかったけど、頭が働かない。
何も書けん。

何も書けんと書いても、毎日書き続けていることになるんだなぁ。。。

明日は江南の文化会館で吹奏楽祭1日目。
不特定に運営を手伝いながらのんびり過ごせる日のはずだったが、
昼から一宮市内の中学校に走って、混成バンドの練習をすることになった。
日曜日は、その中学生の混成バンドの本番を振ってやって、
市吹の出番を振りに走る。久々の本番ハシゴだ。
土曜日は来週の円滑な仕事のために自主出勤しなければならないだろう。

休日が遠い。。。
疲労困憊して来週を迎えそうだ。



2005年11月01日(火) 非平和主義の日本

せっかく菜々子さま久々のドラマ「火垂るの墓」をTVでやってくれても、
9時から0時近くまでなんて、とても見てられんわ、というわけで、
夕飯前に録画予約だけしておいて、、、見れたのは最後の40分ほどだった。
どうやら菜々子さまの役は、4人の我が子を生きさせるために、
亡くなった従姉妹の子、清太と節子をいったんは引き取って育てながら、
見捨てざるをえなかった澤野久子役だったようだ。
原作では憎まれ役で終わっていたはずなのだが、
彼女にとっては、戦争は勝つか負けるかよりも、生きるか死ぬかだ、
ということがよくわかる描き方だ。
宮本輝の「泥の河」でも親父がそんなことを言ってたような記憶がある。

ま、このドラマについては、今度の休日にゆっくり見てから書くとしよう。
(今度の休日って、2週間後なんだけどさ、、、)

戦後60年目のこのドラマのエンディングは、
現代の戦時下の子どもたち(おそらく中東の)の笑顔の姿である。
清太と節子のように戦時下で苦しんでいる子どもが世界にはまだいる、
というメッセージのようである。
そう、まだ戦争は終わっていないのだ。
それは、一応は知っていることであっても、しっかり認識しているとは限らない。

日本国憲法は、前文で、世界の平和を求めるのだと言っている。
小泉クンはこの前文を知らないし、読んだこともない。
日本の歴史についても、それに関する論争についても我々以上に知らない。
もし知っていたら、イラク攻撃を支持します、なんて言えるわけがないし、
靖国参拝を繰り返して中国や韓国の怒りを挑発するはずがないし、
あんな新憲法草案を発表させるわけがない。
きょう発表された内閣の人事にしても、今朝のラジオの解説者によると、
日中・日韓関係をこじらせるばかりで修復できそうな人事でないそうだ。
世界の平和と友好に尽力すべき日本の最高指導者の地位にのし上がった男が、
隣国に喧嘩を売ってニタニタしているし、武力紛争を支持している。
またそんなやつを国民の半数ほどが支持してしまっている。
いったいどうなってるんだ、まったく、、??


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