TENSEI塵語

2005年10月31日(月) 自民党の新憲法草案

これを読んだのは、先週の土曜日の朝刊である。

戦争放棄は維持するそうだ。
しかし、自衛軍は明記するそうだ。
自衛軍がどういう活動をするものであるかは、
別に定める法律があるようで、それが載っていないからわからない。
「戦力を保持しない」と「交戦権を認めない」を削除して、
4項目にもわたるくどくどした自衛軍の規定があるのだが、
どうやら、今まではサマーワに水運びや土木作業に行っても、
非武装(?)の非戦闘員としてみなされていたのが、
この憲法が成立すると、武装した戦闘員とみなされるということなのだ。
そうなれば、現地の武装集団も遠慮する必要がなくなると思うのだが。。。
今までは、万一攻撃を受けた場合の対処が実に慎重に考えられていたが、
この憲法の下では、自分たちの安全(?)のために堂々と応戦できる。
そうして、米軍と肩を並べて、ドンパチやれるわけだ。
そうして、水運びや土木作業に行ったはずなのに、そっちのけで、
来る日も来る日も飽くなき戦闘状態になったりもするわけだ。
さらに、平和な状態をもたらすためと称して、応援が送れ込まれる。
ま、もしこんなことにでもなるなら、事実上の参戦である。
そんなことにならないように、軍隊をもたないこと、交戦権を認めないこと
を、国家に対して宣告したのが日本国憲法だったのに。。。

それは、戦後60年、日本が誇りとしてきたものを放棄することなのだ。
戦争放棄を維持しながら、平和主義も放棄するって、どういうこと?
詐欺じゃないの??

さらに何年もすると、第9条の戦争放棄と自衛軍は矛盾すると言い出して、
戦争放棄を放棄する新憲法を決議しようという計画なのではないか?

だから、憲法改正を今より簡単にできるようにもしようとしている。

「衆参各院の総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案して、、」

今まで各院の3分の2だったのを、過半数に緩めてしまおうというものだ。
過半数の議席さえあれば、1党だけの思惑で改案が提議できるわけだ。
またもや、自分たちに有利なルールを作ろうという汚いやつらだ。
憲法というのはそんなに浅はかなものであってよいのか。


第12条の、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ」
には笑えてしまった。
小泉クンがあの時憤慨のあまり口走ってしまった「自己責任」という語が、
こんなところに反映している。
こうまで根に持たれてしまったのだから、あの3人の人質は偉大だ(笑)


全体として、為政者への縛りを緩め、国民への戒めを増やした草案に見える。
前文にも現行憲法のような感動的な主張は感じられないし、矛盾は深まるし、
わざわざこんな低レベルで幼稚な憲法に変えようとは、一体どういう神経だ?
ま、こんなのが国会で議決されるとは到底信じられないけれど。。。

でも、こういうものを出しながら、国民の目を混乱させながら、
現憲法の下で現憲法をないがしろにして行くんだろうな。。。



2005年10月30日(日) 懐かしい前任校

混成バンドの練習で、前任校に行った。
去年も練習会場になったから、1年余ぶりだ。

行く前は、何だかもう記憶がおぼろげになっているような気がしたが、
行ってみたら、記憶の断片が磁石に吸い寄せられる砂鉄のように集まって、
嘗てのように校舎を歩き、職員室に入り込んでしまう。

担任一覧表を眺めると、懐かしい名前が並んでいる。
彼らが今目の前にいないのが、何かもどかしくて不思議な感じだ。

90周年の記念誌の編集を任されたせいで、学校の歴史にも精通したし、
学校のすみずみまで何があるかを知った。
15年もいて、いろいろなことをやらせてもらった愛着のある学校である。
けれども、もう本当にそんなことも無縁になってしまったのだと痛感して、
何か妙に寂しくてしょうがない気持ちにもなった。



2005年10月29日(土) シャルロット・チャーチ

中学生の混成バンドの練習の練習が終わって、市吹の練習に向かう前に、
妻を拾って行かなければならなかったので、駅で待つ間、
CD屋であれこれ見ていたら、シャルロット・チャーチが目にとまった。
この名前を初めて聞いたのは、サラちゃんに夢中になっていたころだ。
「天使の歌声」「癒し」などと盛んに宣伝されていた記憶がある。
しかしあの頃は、3カ月もの間、毎日サラちゃんだけを繰り返し聞きながら
蟻地獄に滑り込んだようにのめり込んで行く真っ最中だったから、
まったく他に心を向ける余裕などなかったのだ。

そんなことを思い出しつつ、試しにベスト盤を買って聞いてみた。
サラちゃんの非の打ち所のないアルバムを聞き込んできているのだから、
評価が厳しくなってしまうのはしょうがない。
全体としては、たいへんがっかりする歌声だった。
気に入ったのは2曲だけ、、フォーレのパヴァーヌをポップスアレンジした
「ドリーム・ア・ドリーム・エリジウム」と、
ジョシュ・グロバンとデュエットした「プレーヤー」ぐらいだった。
デビュー当時の12歳のころの歌だと思われるものは、
ボーイソプラノ風の平板な感じで、まぁどうってことない。
全体に表現力がまだまだっていう感じである。
選曲も、エンジェル・ヴォイスに、カルメンの「ハバネラ」とか、
ボギーとベスの「サマータイム」とか歌わせてもしょうがないと思うのに、
いろいろ歌えますよ、って感じで、プロデューサーの意図が安易である。
売り出しを焦りすぎて、完成度の低いアルバムを出してきたようだ。

1986年生まれということだから、今年まだ20歳にもなっていないのだ。
どうやらこのベスト盤の歌は、12〜15歳のころのものらしい。
そう考えれば、私の耳にはもの足りなくても、驚くべき歌声なのだ。
先に挙げた気に入った2曲など、とても10代の歌とは思えない。
CD市場で売り出すには、10年か20年早いのだ。
こういう才能は、焦らずじっくりと育てて欲しいものだ。



2005年10月28日(金) 実に難解な「紫野」

きょうはもう、あまりの忙しさが続いているので、精神が暴発しかけた。
なんてことをぐちゃぐちゃ書いてもつまらないので、情緒の世界に逃げる。


「紫野」という題名だけでもう、心に深い情緒が漂ってくる。
額田王と大海人皇子の相聞歌のせいである。

 茜さす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖ふる(額田王)

   紫草の野を行き来しながら あなたが袖を振っている
   でもここは御料地ですよ 番人に見られやしないかしら

 紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも
                           (大海人皇子)
   紫草のように美しいあなたを もし憎いと思うならば
   あなたを恋しく思ったりしないでしょう もうあなたは人妻なんだし

この2首については、私はとにかく「茜さす 紫野行き 標野行き」とか
「紫の にほへる妹」という、言葉の響きや調子が好きである。
何とも美しい響きを醸し出している歌である。
けれども、内容はなかなか複雑だし、歌われた背景にもいろいろ議論がある。
額田王はかつては大海人皇子の妻だったが、今は兄の天智天皇の妻、、、
といえば、いわゆる不倫の恋よりも複雑な様相を帯びているではないか。


まさしくんの「紫野」の歌詞も、この相聞歌を踏まえているのかどうか、
何やら意味深でとらえがたい男女の姿である。


     「紫野」
  君 いつの間に 誰 恋して
  眩暈を覚える 綺麗になったね
  その眼差しで 僕 見ないで
  垣根がほどける 綺麗になった

うん、まさに「紫のにほえる妹」なわけだ。
久々に逢った、長いつきあいのようだ。
恋を重ねて美しくなったと思わせる成熟した美しさが眩しいらしい。


  七重八重 山吹は 実をつけず 枝垂れ咲く

八重山吹という花は実をつけないそうだ。
愛は多くとも実を結ばないことの暗示だろうか、、?


  鐘の声の 風の声の うらぶれて 道遠く
  護りつつ犯しつつ 二人来た紫野

はてさて、「譲りつつ犯しつつ」とはどういう意味であろうか?


  君 知らぬ間に 誰 壊して
  妖しく哀しい 笑顔になったね

冒頭の優雅な感慨に比べて、何と恐ろしい歌詞であろうか。
人を傷つけ「壊す」ことによって「妖しく哀しい笑顔」になるとは。。。
そして、それがますます魅力的なのだ。


  ふと 今何か 僕 はじけた
  肩口すべって 揺らり一葉落ちた

うーん、、、難解。。。


  幾度の 初恋を 君すでに 脱ぎ捨てて

初恋は、最初の1回だけだぞー。
初恋のように初々しい真剣な恋を幾度か経験してきたということか、、?
それとも、初恋の相手(僕)と幾度か恋愛を繰り返したということか、、?


  紅色の 唇に 香り立つ 薄明かり

何という美しい情緒であろうか。


  与えつつ奪いつつ 二人来た紫野

「譲りつつ犯しつつ」「与えつつ奪いつつ」、、、ま、そういうもんだわな
という気もしてくる。。。


  幾度の 三叉路を 選び来て ゆき過ぎて
  また同じ 三叉路に 今二人 巡り来て

やはり、この2人は、別れたり結びついたりを繰り返して来たのだろうか?
先の相聞歌の情緒も重ね合わせると、
この2人には、今はもう妻もあり夫があるという状況なのかもしれない。
長続きしないながらも、惹かれずにいられない仲?
それとも、許されず結ばれないながらも、逢わずにいられない仲?


  迷いつつ刻みつつ 茜さす紫野

出た! 出し惜しみしていた「茜さす」が。。。
やっぱり「紫野」にはこの枕詞がないと落ち着かないなぁ。。。
「迷いつつ刻みつつ」というのは、
ためらいながらも今この時を大事にしたい、という思いかな?

とにかく、よくわからん歌じゃ。
結びは冒頭のリフレインである。


  君 いつの間に 誰 恋して
  眩暈を覚える 綺麗になった

この歌全体の意味については謎が多いけれど、
この一節と似たような感慨は、若かったころに経験がしたぞ。
その人とは何度かの三叉路を迷った末に結婚してしまったけれど、、(笑)




2005年10月27日(木) 長年の後悔

推薦入試の時期になり、作文の添削の依頼が次々に来る。
うんざりし、途方にくれる。
それによって潰れる時間もばかにならない。
もう十何年も前から、作文指導なんて重傷のアレルギー状態だ。

あぁ、なぜ国語の教師など選んでしまったのか。
国語と英語の教師にはなるものではない。
テストは多いし、教材研究も常に新ただ。
その上、こんな余計な仕事にも大いに煩わされるのだ。
他教科と同じ給料では割が合わぬ。

仏文科時代に、哲学科も卒業できるだけの哲学科の科目も修得したのだから、
あのまま倫理社会の免許を取って、社会科の教員になるべきだった。
社会科はいいぞぉ。
授業のノート1回作れば、ほんのちょっと修正するだけで何年も使える。
作文見るの苦手です〜、と言えば許してもらえる。
実際、倫理社会や現代社会の授業をやりたいと、何度思ったことか。。。

とにかく、国語の教員などになるべきでない。
そんな若者がいたら、やめとけやめとけと、親切な助言をするだろう。
もう昨今は、教員というものを職業に選ぶのもお薦めできなくなっている。
教育界を牛耳る連中がこんなにアホな連中ばかりだと知っていたら、
私自身ぜったい教員などになっていなかった。
国語科を選んだこと以上に、これこそが最大の長年の後悔なのだ。
教えるのが好き、というだけで学校に勤めるのが誤りだったと思い知らされたのだ。



2005年10月26日(水) 「加速度」


    「加速度」

  別れの電話は 雨の日の午後
  受話器の向うで きみは確かに 雨にうたれ 声もたてずに泣いていた

電話をかけてきたのは、もちろん公衆電話の彼女の方だ。
雨だからと言って、またの機会にしようなどと、悠長な気持ちではない。
今ここで電話しなければ、という切羽詰まった思いで、
意を決して電話したのだ。


  「最後のコインが今落ちたから 今迄のすべてがあと3分ね」って
  きみはとぎれがちに 小さくつぶやいた
  スローモーションで 時が倒れてゆく 言葉さえ塞いで

別れ話じゃなく、楽しい語らいの電話でも、
この最後の10円の時間は、なかなか複雑な様相を醸し出すものだった。
「切れたらそこまでね」と約束しておいて、妙に饒舌な時もあれば、
何を話しても残り時間が足りないような気がして話題に困ることもあれば。。
沈黙は気まずいけれど、電話がつながっている間は2人の時間なのだ。

「今までのすべてがあと3分ね」って、哀しいことばだ。
これでは何も言葉が出てくるまい。
ただ、今までのすべてを噛みしめながら、終わりが来るのを待つ時間だ。

現代はケータイ中心で、公衆電話などほとんど利用されないだろうから、
こういう究極の時間などというものは、骨董品的なものになってしまったな。


  ごらん愛の素顔は 2つの世界の 間で揺れる シーソーゲーム
  喜びと、、、悲しみと、、、


  最後の電話が コトリと切れて
  静かに僕の手に 残ったものは 発信音と 穏やかな雨のさざめき

  途絶える直前の 君の優しさは
  最後に ピリオド打たなかったこと
  まるで悲鳴の様に 云いかけた「それから」って

これで本当に終わってしまった。
でも、「僕」にはまだ完全に終わったような印象が薄い。
彼女の声を聞くことはもうないけれど、「それから、、、」と、
彼女が何かを訴えようとしていたことが救いになっているのだ。
かえって彼女の方が、言いかけたことが言えないまま切れた電話の、
プツッという音とプープーという音を、痛切に聞いていることだろう。
この2人がなぜ別れるのかはまったくわからない。
別れる理由が何であるにせよ、今までの2人の時間は、
いっきょに無にしてしまうにはあまりに重いのだ。

すべてを失った「僕」は、虚ろな眼で窓を眺める。


  自分の重みに耐え切れず落ちてゆく ガラス窓のしずく
  あたかも二人の加速度の様に 悲しみを集めて
  ほらひとつ またひとつ
  ほらひとつ またひとつ

ひとつ、またひとつと、悲しみを集めて耐えきれず落ちてゆくのは、
ガラス窓のしずくばかりではあるまい。



2005年10月25日(火) 親と子

「空蝉」という歌をあまり好きでないのは、こんなことありえない、
しかし、その割にこの老夫婦の姿があまりに生々しいと感じられるからだ。
家で待つのならわかるが、毎日駅の待合室にまで来て待っているなんて、、
何だか、大げさな舞台設定のように感じられるのだ。
しかし、舞台作品だったら、象徴的方法としてありえそうだ。
そのありえないことをしている姿が、切実な思いとして伝わり、
取り残されたような、置き去りにされているような、
虚ろさや哀しさといったような情緒がいっそう深く漂うのだ。
最近の駅の待合室は、明るくおしゃれな感じになりつつあるが、
昔の駅の待合室といったら、何となくみすぼらしく寒々とした、
灰色っぽい光景だった。
固く冷たい木のベンチ、こぼれた飲み物で汚れたコンクリートの床。。。
「名も知らぬ駅の待合室」と聞けば、もうそれだけで、
寒々とした寂しい場所をイメージすることができる。

この老夫婦の姿や哀感はよく伝わってくるけれど、共感はできない。
なぜ彼らは、熱い恋を守り通してここまで生きてきたのに、今抜け殻なのか?
なぜ、今、このように惨めで哀れなのか?

子どもなどはあてにしてもいけないし、生き甲斐にしてはいけないのだ。
子どもは親を離れていくものだ。
子どもは親の産物であり、作品でもあるけれど、
作品はやがて作者の手を離れて、独立し、ひとりで歩き始めるものなのだ。
創作家が常に新しい作品を出産しなければならないのと同じく、
親もさっさと子離れして、新しい生き甲斐を見つけて生きなければならない。

これは、大学時代に、プラトンを読んでいたころ、
「幸福とは出産である」という真理(?)にたどり着いた時に考えたことだ。
当時はまだ妻になるとは到底予想できなかった、しかし今は妻である人に
こんな話をしたとき、彼女はこう尋ねた。
「あなたが結婚して子どもができても、そう言えるのかしら?」
うーん、、なかなか鋭い問だ、と一瞬たじろいだが、
「だって、そういうもんなんだから」とあっさり答えるしかなかった。

私の我が子たちに対する接し方は、あのころ考えたのと同じである。
仲のよい友人や生徒たちと接する態度と変わらない。
違うのは、同じ屋根の下で寝起きすることと、
食わせ、経済的に保護していることぐらいだろう。
疎んじる気持ちはさらさらないが、早く親離れしてくれぃ、と願っている。
君は独立した個人なのだよ、親に縛られることなんてない、自由なんだよ、
親である私も、やりたいことがいっぱいあるんだからね。

こんな私だから、まさしくんの作詩にはいたく感心するけれど、
空蝉となってしまった老夫婦の心にはまったく共感できないのだ。



2005年10月24日(月) 「空蝉」

まー、ホントに時間に追われ、足りなくてあくせくした1日だった。
やっぱり土曜日に出校してゆっくり仕事しないと回らないことを痛感した。
一昨日は1日出校したけれど、吹奏楽部の練習で他の仕事はできなかった。
昨夜、いくらかの仕事をやっておいたので、きょう辛うじてこなせた。
夜中に目を覚まさず、朝まで眠っていたら、きょうはパニックだったろう。

・・・なんて、つい仕事の愚痴になってしまうので、まさしくんに逃げる。


「空蝉」という歌は、何か、生々しい哀しさが漂っていてあまり好きでない。
ついつい聞いてしまうが、聞いていてつらい、、重たい。


     「空蝉(うつせみ)」
  名も知らぬ駅の待合室で 僕の前には年老いた夫婦
  足元に力無く寝そべった 仔犬だけを現世(うつせみ)の道連れに

うつせみ(広辞苑では「現人」と漢字を当てている)は、この世、また、
この世に生きている人間のことだが、
「空蝉」と漢字をあてると、抜け殻、魂の抜けた虚脱状態、の意になる。
この老夫婦に付き添っているのは「力無く寝そべった子犬」で、
もうこれだけで、抜け殻のような老夫婦のイメージが漂ってくる。

しかし、この老夫婦を見ている「僕」はどうなんだろう。
今自分が座っている待合室が、何という駅なのか知らないのだという。
自分がどこにいるのかも興味がなく、あてもなく彷徨っている青年らしい。


  小さな肩寄せ合って 古新聞からおむすび
  灰の中の埋火おこすように 頼りない互いのぬくもり抱いて

「小さな肩」「古新聞」「おむすび」という素材もさることながら、
「埋み火をおこすように」「ぬくもりを抱く」という表現に完敗である。
この灰色の光景の中で、仲のよさそうな老夫婦は決して幸せそうでない。


  昔ずっと昔 熱い恋があって 守り通したふたり
  いくつもの物語を過ごして 生きて来た 今日まで歩いて来た

これはいいことではないのか?
これで、しあわせな人生だったと言えるのではないのか?
このふたりは、この待合室で、抜け殻のように何をしているのだろうか?


  二人はやがて来るはずの汽車を 息を凝らし じっと待ちつづけている
  都会へ行った息子がもう 迎えに来るはずだから

これは、あまりにも悲惨なシチュエーションじゃないかー。
この後の歌詞を聞けば明らかになることだが、
息子が迎えに来る約束ができていて、その電車を待っているのではない。
いつか迎えに来てくれるはずだと、毎日こうして待合室にやって来て、
1日中、電車が来るたびに息子の姿を探し求めているのだ。

息子はたぶん、若いころ、都会に出るときにそんなことを言って、
この夫婦を喜ばせたのだろう。
しかし、息子は、日々の雑事に追われて、そんなことは忘れているか、
忘れてはいないまでも、それどころでない。
大事なことは、その息子がもうかなり長いこと音信不通だということだ。
連絡がとれていれば、待合室であてもなく待つ必要などはないのだから。。。
この老夫婦には、息子が生き甲斐になってしまっていたのだ。

きょうも息子は迎えに来てくれなかった、、、その老夫婦の悲哀を、
まさしくんは、駅員のセリフで遠回しに表現している。
これは、「第三者」という歌でも、別れの時が近づいたふたりの思いを、
喫茶店の店員のラストオーダーを尋ねる言葉で表現したのと同じ手法だ。


  けれど急行が駆け抜けたあと すまなそうに駅員がこう告げる

  もう汽車は来ません とりあえず今日は来ません
  今日の予定は 終わりました

  もう汽車は来ません とりあえず今日は来ません
  今日の予定は 終わりました

老夫婦にとっては、残酷な、しかし、いくらか覚悟していた宣告なのだ。
ふたりは、この夜更けに、支え合って立ち上がり、淋しい家に帰るのだろう。

ちょっと待てよ、、、この「僕」は、老夫婦を見つめ続けていたせいで、
終電にも乗れなかったではないか。
明朝の電車までこの待合室で過ごすのだろうか、
それとも、明日もこの老夫婦を見つめてすごるのだろうか、、?
それもいいかも知れない、「僕」も彼らと同じく抜け殻なのだから。。。

この歌は、人生って何?何のために生きてるの? という問いかけのようだ。
熱い恋を、周囲の反対を押し切って、苦労しつつ守ったらしいふたりの、
行く末が、抜け殻のような哀しい老後だ。
それを見つめる「僕」も、生きる方向を見失っている。。。


この続きはまた後日書こう。



2005年10月23日(日) さらに疲労困憊

今朝は、脚にいやな予感を覚えて目が覚めた。
覚めるのとほとんど同時に、脚がつった。
もう何とも身動きとれず、痛みに耐えて悶えていた。
いつまで続くんだー、と耐えてるうちに、痛みはおさまった。
何度も経験し慣れてるほどの脚攣りだが、きょうはこのあとが違っていた。
起き上がって足に手を伸ばそうとしたら、起きあがりかけたところで、
また脚がつり、またしばし痛みに耐えなければならなかった。
そしてさらにまた同じことがもう一度。。。

それが起きる予定だった時間の1時間前だ。
まったく、悲惨な目覚めである。
眠り足りないし、ふくらはぎには重い玉のようなしこりが残った。
きょうは混成バンドの練習日だから、昨日と同じく1日中立ち仕事である。

重たくぼぉ〜っとしたような体を引きずるようにして帰宅した。
それでも、何とか夕飯前には簡単な仕事をして明日に備えた。
夕食後は何もする気にならず、ひたすら眠りへと引きずり込まれた。
横になったら、目が覚めたのは午前0時である。
さっきまでの疲れが嘘のような、すっきりした目覚めである。
しかし、明日の朝の目覚めがつらいコースである。
実質的には、寝不足で週の初めを迎えることになる。
明日からの1週間が思いやられる。

しかし、どんなに疲れても、
音楽をやらせてもらえてることに、感謝の思いを忘れてはいけない。



2005年10月22日(土) 疲労困憊、、

疲れたし、明日も朝から出なきゃいけないし、今夜は何も書かずに寝よう。
こんな調子であと3週間も体がもつのかいな、、?



2005年10月21日(金) 流れ去る思考

談話室を覗いてみてびっくりした。
久々に橋本さんが書いていてくれたのだが、
渾身の作だったつもり(笑)の「風の篝火」についてではなくて、
「防人の詩」、、、あれ? これは、昨夜書きかけでどうにも眠くなって、
草稿保存状態のままで、まだ日記に登録はしてないつもりだったが、、、
と、塵語を開いてみると、もう登録されて載ってしまっているではないか。
あんまり眠くて、ボタンを間違えてしまったらしい。。。

このままではいけないので、昨夜考えていた言葉を思い出そうとしたが、
どうも思い出せない。
そもそもそのために書き始めたはずなのに、どうしても思い出せない。
しょうがないから、まぁこんなような感じだったかなぁ、、と、
まったく腑に落ちないままそれらしいことを書き足して終わらせたが。。。

一晩眠った上、多忙な1日を経ているので、この忘却はやむをえない。
昨夜の思考が逃げないようにする意識もまったく吹っ飛んでいたし、
とにかく職場にいる間は、そんなことを書いたことも忘れていた。
しかし、こういうことは今回だけではない、頻繁にあるものだ。
書いてる途中で、何を書こうとしたか忘れることもあるし、
離してる途中で、何を言おうとしたか忘れることもあるし、
せっかくいい考えが浮かんだのに、10分後には思い出せないこともある。
意識は、まったく自由奔放にさまざまな回路を流れていくから、
つかんだと思っても、いつの間にか彼方に流れ去ってしまうのだ。

ものを書く人や、ものを作ったり発明したりする人の中には、
常にメモ用紙を携帯し、枕元にも置いて、思いついたらすぐに書きとめる
人が多いそうだ。ψ(.. )ψ(。。)ψ(.. )ψ(。。)ψ(.. )
私は、そういうこまめなメモが苦手だ。
そうかと言って、思いついたことをしっかりと頭にとどめておくほど、
自分の精神をこまめに律していくほどの忍耐強さもない。
それどころか、忘れっぽいことにかけては、ランキングのかなり上位に
上る自信があるほどだし、周囲の人間もそう認めてくれるはずである。

忘れっぽくて、メモが苦手なのだから、要するにだらしないのだ。
それでかなり損をしていると思うから、そのたびに反省して、
よし、これからはしっかりメモを取るぞ! と決意を新たにするのだが、
いつも、翌日にはそのことをすっかり忘れてしまっているのだ(=_=;)



2005年10月20日(木) 「防人の詩」

    「防人の詩」
  おしえてください
  この世に 生きとし生けるものの
  すべての生命に 限りがあるのならば
  海は死にますか 山は死にますか
  風はどうですか 空もそうですか
  おしえてください

この歌を初めて聞いたのは、大学時代だったか、
何かの映画を見に行ったときの、「二百三高地」の予告編だった。
大砲が炸裂したりドンパチやったりして、人が死んで行くバックに、
「海は死にますか 山は死にますか、、、」と問いかけているのだ。
大自然の営みの中にあって、何てつまらぬ争いごとをしてるんだ、という
思いに自然と満たされてしまった上に、
切々としたオーケストラ演奏も聞こえるわけだ。
もう、直感的に、純粋に、今までで最高の反戦歌だ、と感嘆したものだ。
映画だって、戦争を賛美する戦争映画なんて作らんだろうと思ってたし。。

ところが、後に、まさしくんがこの歌で「右翼」呼ばわりされているらしい
話を聞いて、びっくり仰天したことがある。
「二百三高地」がどんなテーマでどんな内容だったかは未だに知らない。
この歌がそんな風に非難されるほど、戦争賛美の映画だったのだろうか?
しかし、この歌の、どこが戦争賛美なのだろうかと、不思議でならなかった。

ついでながら、私はこの「死にますか」を二度繰り返した後の、
「〜はどうですか」「〜もそうですか」がたいへん気に入っている。


  私は時折 苦しみについて考えます
  誰もが等しく 抱いた悲しみについて
  生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
  病いの苦しみと 死にゆく悲しみと 現在(いま)の自分と

この部分は、全体の流れの中で、どうも内容的に違和感があるのだけれど、
「苦しみ」と「悲しみ」が交互に使われてあったり、
生・老・病・死という一般的なものに、「現在の自分」というのを
忘れずに入れてあるところが偉い。


  答えてください
  この世の ありとあらゆるものの
  すべての生命に 約束があるのなら
  春は死にますか 秋は死にますか
  夏が去る様に 冬が来る様に みんな逝くのですか

季節は終わるけれど、死にはしない。しばらく去ってしまうだけだ。
夏が去っても、秋が去っても、まためぐってもどってくる。
しかし、そこをあえて、「みんな逝くのですか」と問うことで、
二度と帰らぬ「人の死」への悔しさのようなものが漂うようだ。

先には「限りがあるのならば」と言い、
今度は「約束があるのなら」と言う。


  わずかな生命の きらめきを信じていいですか
  言葉で見えない 望みといったものを
  去る人があれば 来る人もあって
  欠けてゆく月も やがて満ちて来る なりわいの中で

そう、この無常の世で、我々はいずれ老いて死んで行くのだけれど、
この世に生まれ、今生きているということは、かけがえのない奇跡なのだ。


  おしえてください
  この世に 生きとし生けるものの
  すべての生命に 限りがあるのならば
  海は死にますか 山は死にますか
  春は死にますか 秋は死にますか
  愛は死にますか 心は死にますか
  私の大切な故郷も みんな 逝ってしまいますか

最後の熱唱部分に入った。
「死にますか?」の繰り返しが、胸に食い込んでくる。
「なぜ私は死にに行かねばならないの?」
「なぜあの人は死にに行かねばならないの?」と問うているようでもある。

冷静に科学的に言うならば、海も山も春も秋も愛も心もふるさとも、
いつかは消滅してしまうのだよ、と言うこともできる。
しかしそんな遙か先のことを考える必要はないだろう。
我々の素朴な生の感覚では、山も海も泰然として存在し続けるのだ。

海は死なない、山も死なない、風も空も死なない、、、
だのに、なぜ我々は死ななければならないのか、、、
そして、なぜ、その限られた命をさらに短くし合うような愚かな行為に
走ってしまうのか、、、人間たちは。。。



2005年10月19日(水) また靖国問題、、、

まー、何度か書いたことでもあるし、呆れるだけで終わろうかと思ったが、
(いつ書いたかなー、と探しに行ったら、去年の1月2日と、
 2001年の8月11日だった。他にも書いた気がするが、見つからない。
 まとめておかないと、いちいちめんどうなんだけど、、、)
どうも、やっぱり、何かひとこと言ってやりたくなる。

相変わらず小泉クンは、「他国が口出しするのはおかしい」の一点張り。
しかも今回は「個人として」ということを強調しているようだ。
そうして、韓国や中国に「きっと理解してもらえる」と繰り返している。
「理解を求めていく」とか「理解してもらえるに違いない」と言い続けて、
もう4年が経ったわけだが、ますます怒りを買うばかりだ。

で、ふと思ったのだが、彼は韓国や中国の理解を求める努力はしないで、
ひたすら挑発することばかり考えていて、それを私は批判するのだけれど、
自分のこの挑発に、日本国民も巻き込もうとしているのではないか、、?

朝日の世論調査を見る限り、対中韓関係を心配する人が、
参拝賛成派・反対派合わせると65%だということで、まだ安堵なのだが、
以前の調査結果よりもこういう人が減ってはいないかと心配する。
とにかく彼は、「理解してもらえるよう努力する」と口にはするが、
中韓の国民感情はまったく理解しようとはせずに、
公式参拝したときには「他国が内政干渉するのはおかしい」と批判し、
私的参拝を装った今回は「他国が個人の信仰をとやかく言うのはおかしい」
と批判する。
何も知らない人が聞いたら、彼に同情を寄せるはずの言い方だ。

そんな風に同じ批判を繰り返して、徐々に国民をマインドコントロールして、
中韓でますます反日感情が高まろうが、
日本国民の半数以上が自分を応援してくれるようになれば、いいわけだ。
彼はとにかく狡猾さにだけは長けているから、そんな心配もしてしまう。

まぁ、これだけ、憲法もないがしろにし、司法判決もないがしろにした
首相というのも、今までにいなかったのではないか。。。
国の最高指導者がそんな風なら、我々も見ならっていいのかな?



2005年10月18日(火) ハードスケジュールの予告

今夜も、9時ごろ耐えきれなくなって横になったら、ふっと意識を失った。
昨夜が結局睡眠不足になってしまったから、こうなってしまうのだ。
こんなことを続けていると、毎晩同じことを繰り返すはめになるのだ。

しかし今夜は市吹の団長からの電話で起こされた。
来月の6日の、市民音楽祭のタイムスケジュールが届いたそうで、
びっくりして心配になって電話してきたようだ。
出番が、例年どおり最後なのに、2時10分からなのだと言う。
例年は、だいたい3時半ころの予定が、進行が遅れて4時近くになる。
なんでそんなに早いんだ? と尋ねると、出演団体が減ったみたいだと言う。
それにしても、数団体も一挙に減るとはどうしたわけだ?

その日は尾張吹奏楽祭の2日目でもあり、
昼の1時に尾西市民会館で中学生の混成バンドを振ることになっている。
市民音楽祭の方に余裕をもって向かえるようにその時間にしてもらっている。
ま、その時間にしてもらったおかげで、不可能ではない状態ではある。
混成バンドの演奏は20分くらいだから、1時半よりちょっと前に出発、
岩倉の体育文化センターまで車で30分もあれば着くはずだから、
音楽祭が時間通りに進行したとしても、団員の出番待ち時間に着くだろう。
しかも、音楽祭はたいてい進行が遅れるものである。
道中トラブルがなければ、何とかなる日程である。

しかし、今からでも間に合うなら、吹奏楽祭の日程を少しいじってもらうか。
今までにも2、3度あったことだが、
この日は売れっ子指揮者風になりがちなのだ(笑)


ハードスケジュールはその日だけではない。
その日まで、休日が全部つぶれる予定なのだ。
今週の土曜日は、吹奏楽祭に一緒に参加する学校との合同練習、
今週の日曜日は、高校の混成バンドの練習、
来週の土曜日は、中学の混成バンドの練習、
来週の日曜日は、高校の混成バンドの練習、
来月3日の祝日が、吹奏楽祭の第1日、
その週の土曜日がまだ確実ではないけれど、中学の混成バンドの練習、
翌日の日曜日が、この、ぎりぎりのハシゴをすべき当日である。
その翌週の12日がやっとこさ休日になるかもしれないが、
土曜日は学校に出て仕事しなければならないことが多いので、
次の休日は13日かもしれない。



2005年10月17日(月) iPod なの

今夜は久々に9時から11時まで眠ってしまった。
実にすっきりした目覚めで、、、困るのだ、こういうのは。
今はもう夜中の2時で、ウィスキーも2杯目が空きそうなのに、
ぜんぜん眠れそうな気配がない。
こんなんでは、明日1日が思いやられる。

それで今、iPod nano の充電中である。
先週末に届いたこのナノは、土曜日に必要なソフトをインストールして、
PCに接続したけれど、認識してもらえず、無用の長物のままでいる。
しかし、さっき再び接続してみたら、かなり不可解な反応を示したあとで、
ようやく認識してもらえたらしく、iTune にリストとして現れた。
とりあえず当面必要になりそうな音楽フォルダをコピーしてみた。
まだまだ試用の一過程にすぎない。

それにしても、この薄さは驚異だ。約7ミリ。縦9センチ、横4センチ。
胸ポケットでもどこでも入れて邪魔にならない小ささだ。
うっかりカバンの中に放り込んでしまうと容易に見つからぬ小ささだ。
しかも、見るからに美しいスタイルだ。

けれども、小ささと軽さでは、シャッフルに負けている。
薄さではシャッフルよりもナノの方が2ミリほど勝っているが、
とにかくシャッフルはメモリースティックよりちょっと大きめな程度の、
実にスマートな形をした色白の美しい姿をしている。
しかも、重量は22グラムで、ナノの半分である。

しかし、シャッフルは、液晶画面もなく、選曲に不便なので使いにくい。
小さい軽量だからといって、使い勝手がいいとは限らないのだ。
ナノを手に入れて、シャッフルは欲しがってた人に貸与した。
貸与された人は「貸」の字は忘れて「与」だけを心に取り込んでるようだが。
その人が、ナノも見たいというので、些か不安もおぼえつつ、
「これなの〜」と言って見せたら「え〜?これなの〜?」と言って見てた。
ノリのいい人なのだ。

マックの製品には、洗練の上に、何かそんな茶目っ気があるものだ。




2005年10月16日(日) 再び「風の篝火」

4週間前に、ホントに久々に聞き始めたのだが、
私の車の中ではまだまさしくんの歌が繰り返し繰り返し流れている。
こうして、100曲以上を聞き直してきたのだけれど、
あの最初の日に書いた「風の篝火」と「春告鳥」は格別心にしみるのだ。
伴奏とメロディーだけ聴いていても胸にしみるのだが、
歌詞も実に味わい深いし、まさしくんの歌声もぴったりな雰囲気だ。


     「風の篝火」
  水彩画のかげろうのような 君の細い腕がふわりと
  僕の代わりに宙を抱く 蛍祭の夕まぐれ

水彩画は「淡い」の象徴だし、かげろうは「はかない」の象徴だ。
「君の細い腕」は、蛍をつかまえようとしているのだろうか。
ほんとうは「僕」を抱いてくれるはずなのに、、、
その姿は薄暮に霞んでいるせいでもあるけれど、
何だか、「僕」にとって「君」が遠い存在に感じられているわけだ。


  時折君が散りばめた 土産がわりの町言葉
  から回り 立ち止まり 大人びた分だけ遠ざかる

  きらきら輝き覚えた 君を見上げるように
  すかんぽの小さな花が 埃だらけで揺れているよ

久々に都会から帰った「君」が変わったのは言葉だけじゃない。
それは、今までの手紙からも、薄々は感じ取っていたことだ(創作)。
それは信じたくなかったけど、今目の前にして、取り残された思いがする。
「君を見上げる」「埃だらけ」の「すかんぽの花」は「僕」の分身だ。
今も田舎臭いままで、「君」だけを思い続けている「僕」。。。


  不思議絵の階段のように 同じ高さ昇り続けて
  言葉の糸を紡ぎながら 別れの時を待ちつぶす

「不思議絵」といえば「錯覚」だ。
恋の苦しみには、錯覚がつきものなのだ。
本当はまだ自分のことを好きでいてくれるんじゃないだろうか、、とか。。。
けれども、この2人の場合は、いくら一緒に歩いても、言葉を交わしても、
もう何の甲斐もないことがわかっている。
それなのに、なぜここでこうして言葉を交わしているのか。。。
虚しい、、、虚しいのだけれど。。。


  君ははかない指先で たどる明日のひとりごと
  雲の間に 天の川 君と僕の間に橋がない

蛍祭は、6月下旬から7月上旬だという。
七夕の織姫と彦星には、かささぎの群が端を渡してくれるけれども、
君と僕のために飛んできてくれるかささぎなどはいないのだ。
とにかく「僕」は「君」の心が僕につながってないことを痛感するばかりだ。


  とつぜん舞い上がる風の篝火が ふたりの物語に静かに幕を引く
  降りしきる雪のような蛍 蛍 蛍 
  光る風祭の中 すべてがかすみ すべて終わる

「風の篝火」とは、日が暮れて突然現れる蛍の大群のことだ。
私はこの目で実際に見たことはないけれど、
宮本輝の「螢川」のラストで、実に魅惑的な光景を見せてもらった。
しかし、いくら無数の光に取り巻かれたところで、
蛍の光などは、所詮はかないものだ。
降る雪だって、淡いものだ。
「君」の姿も、もう淡くはかない彼方に行ってしまった。
もう、なにもかも終わりなのだ。
そして今は、なにもかもが涙でかすんでしまっているのだ。。。



2005年10月15日(土) 「つゆのあとさき」

  一人歩きを始める 今日は君の卒業式
  僕の扉を開けて すこしだけ泪をちらして
  さよならと僕が書いた 卒業証書を抱いて
  折りからの風に少し 心のかわりに髪揺らして

  倖せでしたと一言 ありがとうと一言
  僕の掌に指で 君が書いた記念写真
  君の細い指先に 不似合いなマニキュア
  お化粧はお止しと 思えばいらぬおせっかい

私は普段はあまり歌詞をじっくり聞く習慣がない。
メロディーがよければそれでいい、という聞き方なのだが、
言葉は断片的に耳に入ってくる。
「率標識」「泪」「卒業証書」「ありがとう」「記念写真」、、、
ぼんやり聞けば、卒業式の日のひとこまだと誰でも思うではないか。。。


  めぐり逢う時は 花びらの中
  ほかの誰よりも きれいだったよ
  別れ行く時も 花びらの中
  君は最後まで やさしかった

  梅雨のあとさきの トパーズ色の風は
  遠ざかる 君のあとをかけぬける

「花びらの中」、、、もちろん桜のことなんだよな。。。
「きれいだった」「やさしかった」、、輝いていて気立てがよかったわけね?
・・・ん?? 梅雨??? 3〜4月の話じゃないの???
単位不足で卒業保留になった子が、遅れて卒業するのかな?
それとも、外国人学校の話??

疑問に思い始めて、歌詞まで熱心に聞いてみると、
卒業証書が「僕が書いた」しかも「さよなら」だそうだし、
記念写真は「僕の掌に君が」書いてものだし、
「しあわせでした」という一言も、卒業式の言葉としては不思議だ。
「卒業式」っていうのは、「別れ」の比喩にすぎないのかな?


  ごめんなさいと一言 わすれないと一言
  君は息を止めて 次の言葉を探してた
  悲しい仔犬の様に ふるえる瞳をふせた
  君に確かな事は もう制服はいらない

この2番の歌詞では、「制服はいらない」が惑わせるが、
最初の3行はもう明らかに、彼女からの別れ話の場面である。
彼女を別れて去って行くのを、彼女の巣立ちとして優しく見送るらしい。
ま、ぐっと耐えて寛容を装ってみせる、つらい歌なのだろうが。。。


  めぐり逢う時は 花びらの中
  ほかの誰よりも きれいだったよ
  別れ行く時も 花びらの中
  君は最後まで やさしかった

それにしても、この「花びらの中」というのは何だ?
梅雨のころ咲いてる花があるには違いないが、
「花びら」が舞っている情景というのは、梅雨の情景ではない。
これは、幻想の中の桜の花びらにちがいない。
桜の花びらに取り巻かれているように、彼女は現れ、彼女は去ったのだ、
華やかに美しく、優しく。。。


  梅雨のあとさきの トパーズ色の風は
  遠ざかる 君のあとをかけぬける

晴れ晴れしたような、さわやかなイメージだなぁ、といつも思うのだが、
まさしくんが、CDの解説にこんなことを書いている。
「トパーズ色の風は少しばかり浮気です」
こんな意味を込めながら、こんな歌詞を書き、こんなメロディーを書くとは、
かなりいたずらっぽい(笑)




2005年10月14日(金) あ〜あ、、、

忙しいばかりの中間考査最終日になってしまった。
採点に追われるはずの午後が、芸術鑑賞会と中学校訪問で埋められた。
しかもその芸術鑑賞会なるものの「中国雑伎&京劇」のつまらないこと。。
どちらもTVで何度か見たことがあるけど、こんなんじゃなかったぞ。

てなわけで、明日、休日出勤しないと来週の仕事が回って行かなくなった。
とりあえずきょうはこれ以上書く気力なし。



2005年10月13日(木) 「夢の吹く頃」

きょうは1日中眠かった。
日中、外に出ると、春の陽射しのようだった。
ぽかぽかして眠気を誘うような陽射しである。
何をやっても気怠い1日だったけれど、
来週の授業や補習の準備はぽちぽちと進んだ。

なんとなく、まさしくんのこんな歌詞が胸に響いた。
また、珍しく、色恋沙汰が表面に表れてない、美しい詩である。


     「夢の吹く頃」
  待ち続けた 風を孕み 鳥が今 翼を広げて
  北の空へ 舞い上がる 空に 橋を架けながら

  そんなふうに 誰もが皆 いつか吹く風を 待つのだろう
  いつか咲く 花を待つのだろう 愛を 抱きしめながら

    夢は咲き 夢は散る 夢が舞い 夢が逝く

    坂道のぼれ 泣かずにのぼれ  
    高く 高く 高く
    いつか夢が きっと夢が そこに 吹いて来るまで

雰囲気としては、「防人の詩」に似てるなぁ。。。
「夢は、、、」の語を変えたリフレインがたまらない。
第1連の比喩も美しい。
次の2番の第1連の比喩も、第2連に効果的に結びついている。


  時代(とき)を越えて 生き続けて 今枯れかけた 大きな樹
  けれども その枝さきで 今年の若葉が 生まれてる

  そんなふうに 誰もが皆 消えない灯を 持つのだろう
  消せない愛を 持つのだろう 口に出さないばかりで

    夢は咲き 夢は散る 夢が舞い 夢が逝く

    この海わたれ 泣かずにわたれ
    強く 強く 強く
    いつか夢が きっと夢が そこに 吹いて来るから


「夢が、、、」のリフレインは、次の連ではひたすら肯定的になる。

    夢が来る 夢が来る
    夢が吹く 夢が吹く

    坂道のぼれ 泣かずにのぼれ
    高く 高く 高く
    いつか夢が きっと夢が そこに吹いて来るから


私の夢など、些細なものだ。
好きなときに好きなことに没頭したい、、、これである。
ま、努力しなくても、海なんてわたらなくても、
10年以上生きていれば、そういう日がきっと来る、つまらん夢である。



2005年10月12日(水) 桑田節

サザンの「キラー・ストリート」を買って以来よく聞いている。
しかし、2枚組で30曲もあるので、なかなかどれがどの曲か区別できない。
それで、まず、適当に耳についたところから14曲ばかりピックアップして
ディスクを1枚作った。
まずこれだけは覚えてしまおう、というわけである。
覚えてしまおう、というのは、聞けば題名がわかるし、
題名を言われれば、主要なメロディーは思い出せる、という程度であるが。。

5年くらい前に、サザンのメドレーをやるなら、メドレーに入れたい曲
ということで、思いつくまま書きとめたことがある。
それを、すでにメドレーとして出版されていたものや、
すでに自分でメドレーに仕立て上げて演奏したものも含めて再録すると、

「チャコの海岸物語」
「いとしのエリー」
「匂艶The Night Club」
「メロディー」
「Ya Ya(あの時代を忘れない)」
「私はピアノ」
「夏をあきらめて」
「真夏の果実」
「シュラバ・ラ・バンバ」
「涙のキッス」
「エロティカ・セブン」
「愛の言霊」
「恋のジャックナイフ」
「あなただけを」
「Love Affair」
「パラダイス」
「つなみ」
「ホテル・パシフィック」などなど。。。

要するに、特に気に入った曲を集めてみたわけだが、
20年余りに渡るこういう作品から、数パターンの桑田節を感じてきた。
この「○○節」というのは、何となくこの人にしか出せない味だなぁ、
と思わせるようなメロディーと情緒の作り方である。
ま、いかにもこの人の曲らしいと思わせる個性みたいなものである。

最近よく書いたまさしくんにも、さだ節というのがあった。
けれども、もう20年ほど前の曲から、さだ節は影を潜めてしまった。
Yuming 節というのもあるし、Yoshiki 節というのもある。
もちろん、他にもあるはずだが、長期に渡っての特徴が見られないか、
特徴があってもそれほど魅力を感じないものについてはわざわざ挙げない。
クラッシックの世界にも、マーラー節とかショパン節とかは顕著な例だ。

サザンの曲に関して驚きなのは、もう30年目になるかなったかという今、
桑田節がまだ生き続けていることである。
今夜とりあえず選んだ14曲も、今まで魅力を感じてきた桑田節が
色濃く出ているものを選んだ。
もう新しいいいメロディーなんて、そう簡単に作れなくなっている現代に、
自分らしさを失わないいいメロディーを何曲も作れるのは驚異だ。


今回のアルバムに、笑える歌がひとつある。
「『丸屋』唐揚げ 美味なタレOK!
 蕎麦もイケイケ 我ら Loco DJ」
と、どこかの食堂の料理を讃えたような歌だ。
しかも、歌にするのがためらわれるような、それでいて魅力的なメロディー
の曲である。

ついでながら、もうひとつ。
彼の歌は、歌詞が聞きとりにくい。
唐突に英語を混ぜたりするためでもあるが、あ作為的な発音のせいでもある。
しかし、聞きとりにくくても、句の末尾や文末は割と耳に残るものだ。
桑田節をさらに心地よくしている要素として見逃せないのが、
歌詞にしばしば見られる脚韻である。



2005年10月11日(火) 明暗

今朝、実に恐ろしい思いをした。
ちょっと精神的にも呆けてて、何か不安な感じもずっとあったのだけれど。。

今朝、職場まで数分のところで、ふと指に挟んだ煙草を見たら、
火は先っぽについているのでなく、先よりも1センチほど中についていた。
火をつけるとき見ていなかったので、変なところにつけてしまったらしい。
これは危険だぞ、、、と思っていたら、ぽろっと先が落ちた。
運転席の足下のマットの上にである。
こういう時に限って、なかなか赤信号にはぶつからないものである。
走りながら足をアクセルから離し、惰性で走らせておいて、
足をマットの上で滑らして、もし火に当たれば消せるようにしてみた。

やっと赤信号で止まって、マットの上を眺めると、
煙草の火玉は、意外と離れたところにあって、マットの端でくすぶっていた。
それで、足でそれをもみ消した。
安心して前を見ると、同じく信号待ちの前の車がうんと間近に、、、!!!
とっさにブレーキをぐっと踏んで、、、、、何ともなかったようだ。。。
しかし、その見た感じから言うと、あと10センチ足らずだったかも。。。
うっかりブレーキから足を離したために、微妙に進んでしまったのだ。

普通の精神状態のときだったら、ギアをニュートラルに入れておいて、
サイドブレーキをかけてから足を離すのに、今朝は呆けてて迂闊だった。
もう1秒でも遅かったら、大きな事故ではないにしても、
事故処理に多くの時間をとられ、今朝済まそうとしていた仕事もできず、
1時間目も他の人に代わってもらわねばならず、
車屋や保険屋に連絡して右往左往しなければならなかっただろう。

ほんの1秒かそこらの差で気がついたおかげで、
とにかく表面上は、きょう1日を波瀾もなく平凡に過ごすことができた。
いらんことに煩わされるか、平凡に過ごせるかの、この違いは絶大である。
何度思い起こしても、あの瞬間は奇跡であったようにも思われる。

しかし、きょう1日は、いろんな場面で調子外れだったな。
無事に家に帰り着けてよかった、、、とそんなことをしみじみ思ったものだ。



2005年10月10日(月) 太宰のドラマを見た

体育の日ということになってるらしいんだけど、私の知る限り、
案外どの地域の体育行事もこの日を避けてるんだよな。。。
岩倉は先週だったし、妻は昨日勤務先の町の運動会に児童を引率するために
出かけたし、この住んでる地域の運動会は来週だし、
学校の運動会なんて、ほとんど先週までに終わってるし。。。
決めた人もバカなんで、だいたい3連休の最終日に体育の日なんてねぇ、、、
月曜日にしないで、金曜日にしたらもうちょっと活用してもらえたのに。

きょうは、昨日のぐたぐたとはうって変わって、
朝9時半から夕方4時まで、昼食だけはさんでずっと試験作り、
それから、食料品買いに出たり、明朝の資源回収の準備をしたり、
トイレ掃除をしたり、夕食後早めに風呂に入って風呂掃除、、などなど、
まぁ、仕事三昧みたいな1日になってしまったような。。。
ま、試験作り終わったから、何かすごいウキウキ気分で、身体も軽いわ。


夜9時から「太宰治物語」のドラマを見た。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」と迷ったけれど、
やっぱりその時間になると、どうしても私の心は太宰に向いてしまった。

豊川悦司が好演だ。
あ、そうそう、、こんな感じだったんじゃないかな、と思わせてくれた。
実際はもっともっとイヤ〜〜な感じのところがあったと思うんだけど、
あんまりTV画面でイヤ〜〜な感じを見せてほしくない。
ドラマ全体も、修羅場になりそうなところをさらっとやり過ごして、
かえってありがたい演出だと思った。
あんまり生々しいドラマにはしてほしくないものである。
山崎富栄との心中を生々しく再現したりしないだろうな、、と、
ハラハラしている気持ちもあったが、そこもさらっと過ぎてくれた。
きわめて冷ややかに「ドラマ」を期待していた人には、
何ともたよりないドラマに見えたのではないだろうか。
でも、私には、何もかもが、ちょうどよい感じのドラマに感じられた。

で、私の精神をビンビン刺激し続けた。
あのころ、十年近くもの間、作品自体に心酔しつつ、
一方で、いつも太宰の実像を、ああかこうかと様々に思い描いていたのだ。
もう十何年も太宰から離れていたけれど、久々に読みたくなった。
今読んでいる水村美苗の「本格小説」を読み終えたら、太宰の全集を読み返そう。



2005年10月09日(日) テニス

1日、横になったり起きたり、ぐたぐた生活した。
何をやる気も何を読む気も何を見る気もせずに、ぐたぐたしてた。
買いもんにもまったく出る気なし、で冷蔵庫などの残り物で算段したものの、
夕飯時になっても動く気にならないかもしれないという不安があるほど、
何をする気にもならなかった。

夕方何気なくTVつけて、何かやたらと笑いが多いのにおもしろくない
バラエティ番組もさっさと切り換えてたら、テニスが画面に映った。
シャラポアが試合してるのかと思ったが、そんな情報はなかったような、、、
でもそっくりな感じで、その代わり、打つたびの絶叫がない。
ちょうど、すごいサーブを2本続けて見せてくれたので、見続けたら、
その選手は、チェコのヴァイディソヴァという選手だった。
こっちも16歳だそうだけれど、とても16歳に見えん。
相手の選手は、ゴロビンというフランスの選手だが、
こちらはかなり老けて見えるけれど、17歳だという。
こちらの選手も、驚くほどの動きを見せて、第1セットは6対6で、
結局最後のセットでヴァイティソヴァが辛勝した。
6ポイント以上で2ポイント以上の差をつけたら勝ちというセットである。

結局この試合は、第2セットで、ゴロビンが足の爪の負傷のために
リタイアして終わり、十分には喜べないヴァイティソヴァの優勝となった。
もっと見たかったのに、見る方も残念だった。

それにしても、スポーツのインタビューはいつもばかばかしい。
インタビュアーが
「シャラポア2世とも言われてますが、
 シャラポアもこの大会で大きな飛躍をしましたが、今後、、、」
なんて質問してたのだが、もうこっちまで恥ずかしくなるようなアホだ。
「そんな風には言われたくない」ってはっきり答えた上で、
「それに私はこの大会で4度目のタイトルですから、、、」
彼女らの厳しい練習に耐える思いは、のほほん顔で安易な質問をして
間を持たせればいいと考える君たちとは違うのだよ。
ホントにもう、日本の恥さらしになるような質問するのやめてよね。
そういえば、シャラポワも、ベイビー・クルニコワと呼ばれたときに、
「クルニコワはシングルスで優勝したことがないけど、
 私はもう2回も優勝したわ」と、答えたそうだ。


続いて、男子の決勝戦の模様も放映された。
クロアチアのアンチッチと南アフリカのムーディの試合で、
アンチッチが第1セット6対1で圧勝しながら、
第2セット、2度も、あと1ポイントで優勝というところに行きながら、
6対7で逆転負けし、第3セットはムーディが6対4で勝って優勝という、
勝負の明暗というのは、こんなに凄まじいものだと感じさせる試合だった。


テニスを見ているうちに、やっとぐたぐた心から解放され、動けるようになった。



2005年10月08日(土) 「昨日・京・奈良、飛鳥・明後日」

きょうは休日だけど、休みはそう簡単にはもらえなくて、
中学生の合同バンドの練習日で、1日立ちっぱなしの悪戦苦闘。。。
それにしても、まだまだしっかり吹けないところもあるけれど、
楽器を持ってたった1年ちょっとの子たちが、ここまでやれるか〜、と、
感心することしきり。。。
ま、こちらも手を変え品を変えして、いろいろと引き出そうとするわけだが、
若いということは本当にいいことだ。


・・・というわけで、きょうは、昨夜久々に聞いて感激した、
まさしくんの底抜けに明るく楽しい青春の歌に注目。


「昨日・京・奈良、飛鳥・明後日」

  駅前旅館をバスが 出たのは8時5分
  これからわしらは修学旅行の第2日
  794(なくよ)ウグイス平安京から 大化の改新へ
  半分寝ながら 向かっているところ

  プレイボーイの山下が ガイドにべたついて
  週番の広田は ビニール袋に蒼い顔
  坂元たちは 夕べのぞいた女風呂談義
  誰の乳がでかいのちいさいの

   春日大社に興福寺 誰かが唄った東大寺
   柱の穴がくぐれずに 秋田が静かに落ち込んだ
   鹿せんべいを喰った奴 こそこそ土産を選ぶ奴
   ひたすら眠りこける奴 ため息ばかりついてる奴

いやぁ、ほほえましい光景の連続だなぁ、、、と、楽しい。
「誰かが唄った東大寺」ってのは、さりげなく自分のことだな?

  昨日 京 奈良 飛鳥 明後日 青春は青空なのぢゃ
  あゝ 美しき思い出の 修学旅行〜

楽しいエピソード集のまとめがこれだ。
「昨日今日なら、明日か明後日」にも聞こえる語呂合わせといい、
「青春は青空なのぢゃ」という感慨といい、、、
「修学旅行〜」で急に短調になり、舟木一夫風になるところが極めつけ(笑)
実にみごとな出来映えなのぢゃ。


  昨日京都で謎を見た 女は一人じゃ便所へゆけぬ
  ブラシ持っては金閣寺 しゃべり続けて銀閣寺
  八瀬(やせ)の大喰い食べ続けては 京都大腹三千人
  おそらく生涯 治らぬことだろう

名所の散りばめ方が実に巧妙だ。


  クラス委員の福田と野原に あやしい噂
  記念写真に隣同士で 必ず写っとる
  立山の奴が今夜 井上に告白するから
  わしはそのシナリオ書きに まっこと忙しい

   龍馬に中岡慎太郎 舞妓に月形半平太
   わしの相手が見つからぬ 人の世話ばかりじゃ身が持たぬ
   姉三六角蛸錦 四条五条の橋の上
   わしは独りで見栄を切る 弁慶すらも現れぬ

「蛸錦」って何だぃ?? と思って調べてみたら、
姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通の頭を取って並べたもので、
実際、京都の東西に走る通りを北から順に並べた歌が昔からあるようだ。
錦小路通の次は四条なので、「姉三六角蛸錦」を「四条五条の橋の上」の
枕詞のように使ったものだろう。

「わしは独りで見栄を切る 弁慶すらも現れぬ」のあとの、
この2番の歌詞のまとめが「孤独なのぢゃ」だから笑える。


  昨日 京 奈良 飛鳥 明後日 青春は孤独なのぢゃ
  あゝ 美しき思い出の 修学旅行〜


  宅間の酒が見つかって 男は連帯責任と
  全員正座の腹いせに あいつ後ほど布団むし
  いつか笑える時が来る ふと懐かしむ時が来る
  そんなこんなで日が暮れて ああだこうだで明日が来る

  昨日 京 奈良 飛鳥 明後日 青春はときめきなのぢゃ
  あゝ 美しき思い出の 修学旅行〜 修学旅行〜 修学旅行〜〜♪


「いつか笑える時が来る」「ふと懐かしむ時が来る」
「そんなこんなで日が暮れて」「ああだこうだで明日が来る」
エピソードだの名所巡りだのが入り乱れた歌を、
実に心地よい2組の対句でまとめている。
そして、要するにそういうもんぢゃ、と安らかに納得する。
本当にうまいなぁ、と感心することしきり。。。



2005年10月07日(金) 焦った朝

きょうは朝2時間空き時間があって、つい眠ってしまったようだった。
職員室の席で座ったまま目を覚ましたら、教頭が笑いもせずに、
「よく眠ってたね」と言った。
それでも眠くて眠くてしょうがない、、、ついまた眠ってしまう。。。
もうあと20分もしないうちに3時間目が始まるから、覚まさなくては、、、
とにかく外を歩いてこようと外に出、そのまま車で出かけた。
そうしたら、急な坂を下りたところで、工事中で行き止まりになった。
前にも進めないし、後戻りできるほどの坂でもない。
下りて助けを求めて歩くうちにどこを歩いてるかわからなくなった。
何かわけのわからない複雑な地形である。
ふと、授業が始まっちゃったじゃないか、と気がついて、電話しようと、
ケータイを開いたら、ゲーム画面ばかり出て電話ができん。
何とかゲーム画面を解除しようと、いろいろボタンを押してみるが、
何ともならず、気は焦るばかりで、、、何しろ、居眠りのあとの行方不明、
あとで何言われるかわからないもんだから、もうひたすら焦りまくって、
その場所からの脱出と電話に専念するんだけど、何ともならずパニック、、、
やっと、あるボタンを押したら、電話モードの画面に変わった! やった!


・・・と思ったところで目が覚めた。
寝室のベッドの上だった。ひときわ静かな朝だ、、、と時計を見たら、
7時10分!! 何と妻もまだ寝てるではないか。
まだ遅刻するほどの時間ではないが、はね起きて焦って仕度した。

今朝は4時半にいったん起きたのだった。
3時間ほどしか眠ってなかったのに、実にすっきりした目覚めで、
起きて、メールチェックなどしてから、昨夜し忘れた仕事をした。
で、それが終わってから、いつも起きる時間まで横になるだけ、、、と
思ったのが間違いだったのだ。

私はめったに夢を見ない(という言い方は正確でないそうだが、、)
とにかく、いつも眠りの深いところから一気に目覚める感じである。
だから、起きてから、あー夢だった、、という経験はめったにない。
年に数回か、、、十回はないだろうというほど少ない。
妻などは眠りが浅いらしく、しょっちゅうしょうもない夢に苦しめられる
そうで、私のような眠り方ができるのが羨ましいそうだ。
しかし、年に数えられる程度しか夢の世界で遊べないのに、
その貴重な機会のひとつが、今朝みたいに疲れるしかないような作品だ。

それにしても、おかしなことだらけの夢なのに、
なぜ夢の中では、疑問も抱かず真剣に生きていられるのだろう?
上に書いた夢の話には、細部がかなり省略されていて、
最初の坂道は、車を降りたあとでは切り立った崖になっていて、
車は消えてしまっていたし、
道を教えてくれる人たちにはスマップの面々がまじっているし(笑)、
ケータイにはリモコンみたいな装置もついて、やけに巨大だし、
そもそも、私のケータイにゲームをやれる機能なんてついてないし。。。
途中で、こんなの変だ、現実と違う、これは夢だぞ、と気づかないやつは
アホだと言ってもいいほどへんてこりんなのに、真剣なんだもんなー。。。

夢を見るメカニズムと心理は不思議だ。

こんなことは、起きてから1時間もすればほとんど忘れているのだが、
なぜか今夜は今朝の夢の内容をまだよく覚えていたのでつい書いてしまった。
あんまり不思議だから。



一昨日、サザンの新譜アルバム「キラー・ストリート」が届いた。
昨夜はそれを半分(2枚組の1枚)を聞いた。
桑田節はまだまだ生きてるんだな、と感心した。
まさしくんは、もう最近はさだ節を失ってしまってるというのに。。。
きょうは、まさしくんのCDがさらに5枚届いた。
久々に「昨日・京・奈良・明日香・明後日」を聞いて、ちょっと笑った。



2005年10月06日(木) もっと難解な「まほろば」

これこそ本当に困った歌である。
ぼんやり聞いているうちは、まだよかった。
断片的に古風な表現が聞こえてきて、これは万葉集、これは方丈記、、、
などと、古典を巧みに散りばめて歌っているのに感心していた。
ところが、ちょっと耳を傾けて、ここに登場する男女を思い描いてみると、
わけがわからなくなり、巧みな修辞も宙をさまよい始める。
虚しい修辞が羅列されているようにしか思われなくなってしまうのだ。
こんな歌詞である。

       「まほろば」
  春日山から飛火野(とぶひの)辺り ゆらゆらと影ばかり 泥む夕暮れ
  馬酔木(あせび)の森の馬酔木(まよいぎ)に たずねたずねた帰り道

   遠い明日しか見えない僕と 足元のぬかるみを気に病む君と
   結ぶ手と手の虚ろさに 黙り黙った 別れ道

    川の流れは よどむことなく うたかたの時 押し流してゆく
    昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い

   例えば君は待つと 黒髪に霜のふるまで
   待てると言ったが それは まるで宛名の無い手紙

  寝ぐらを捜して鳴く鹿の 後を追う黒い鳥 鐘の声ひとつ
  馬酔(まよい)の枝に引き結ぶ 行方知れずの懸想文(けそうぶみ)

   二人を支える蜘蛛の糸 ゆらゆらと耐えかねて たわむ白糸
   君を捨てるか 僕が消えるか いっそ二人で落ちようか

    時の流れは まどうことなく うたかたの夢 押し流してゆく
    昨日は昨日 明日は明日 再び戻る今日は無い
 
   例えば此処で死ねると 叫んだ君の言葉は
   必ず嘘ではない けれど必ず本当でもない

    日は昇り 日は沈み振り向けば 何もかも移ろい去って
    青丹よし平城山(ならやま)の 空に 満月


1行目「なずむ」のは、日暮れだけでなく、2人の影でもあるだろう。
行き悩み、迷っているのだ。
2行目「あせびのもりのあせび」と読まずに「まよいぎ」と読んでいるのは、
「馬酔い」と「迷い」を掛けているのだ。
5・6行目は方丈記の冒頭文を連想させる。無情に無常なのだ。
7行目の「黒髪に霜の降るまで」は万葉集の歌を思い出させる。
「明け方まで外で待つわ」という意味にも取れるのだが、
もちろんここでは、白髪の婆さんになっても「いつまでも待つわ」だろう。
9行目。夕暮れになっても、帰るところが見つからない。。。

さて、この男女に目を向けてみる。

   例えば君は待つと 黒髪に霜のふる迄
   待てると言ったが それは まるで宛名の無い手紙

   例えば此処で死ねると 叫んだ君の言葉は
   必ず嘘ではない けれど 必ず本当でもない

「いつまでも待つわ」という彼女の言葉を、あてにならないと言い、
「今すぐ死ねるわ」という彼女の言葉を、本当でもあるし嘘でもあると言う。
何だ、君は?
彼女のことをまったく信じないで、つっぱねてるではないか。
君は「遠い明日しか見えない僕」なのか?
彼女の方が「永遠」ということを信じてるのではないか?
彼女は「足下のぬかるみ」ばかり「気に病む君」なのか?

ひとつの恋愛のドラマをここに読み取ろうとすると、わけがわからなくなる。
私はこの歌詞にかなり悩まされた。

けれど、ある時、発想を転換して、人の心の無常を歌ったもの、と考えたら、
案外すべての言葉が意味を持つような気がした。



2005年10月05日(水) 再び、難解な「飛梅」

まさしくんの歌には、わかりやすい歌詞の歌も多いのだが、
昨日の「春告鳥」を筆頭に、「線香花火」「晩鐘」、、、など、
何かとらえがたいものを漂わせた、それ故に余情を膨らませた歌もあるのだ。
そのわからないところは放っておけばいい、というのが私の信条だが、
何度も聞いていると、気になってしょうがなくなるのである。

昨日の「春告鳥」にしても、かなり長い間歌詞をろくろく聞いていなかった。
聞き取りにくい単語も多かったし、漂う情緒だけを楽しんでいた。
しかし、何度も何度も聞いているとだんだんと言葉の連鎖も気になり始める。
最初の部分がイメージできたとき、その言葉の力に驚いた。
そして、この歌の情緒にますます深く惹かれるようになった。

いまだに「春告鳥の問いかける別れに」という詩句が難問のままだ。
別れを言いだしたのは「その人」なのだが、
「その人」を「春告鳥」に喩えるのはどうも変だ。
「その人」は春の終わりを告げた人だから、「春告鳥」と呼んでは変だ。
だから、昨日書いたようなイメージになった。
その時、もう「その人」は去って、「私」が取り残されていてもいいのだが、
私は、まだ一緒にいる方のイメージを取る。


「春告鳥」よりも難解なのが、「飛梅」だ。
この歌は、最初はわかりやすい歌のはずだった。
故事も踏まえているし、本歌取りもしていて、おもしろいなと思ったものだ。
しかし、何度も聞いているうちに、だんだんわからなくなった。
これは何なの? という思いになる。
1番はわかりやすいのだが、2番のヒロインの姿がとらえにくいのだ。


        「飛梅(とびうめ)」
  心字池にかかる 三つの赤い橋は
  一つ目が過去で 二つ目が現在(いま)

これはまさしくん特有の比喩だと長い間思っていたけれど、
先日太宰府天満宮を検索して、実際の言い伝えどおりだと知った。
心字池にかかる御神橋は、太鼓橋ー平橋ー太鼓橋の連続する3つの橋で、
それぞれが、過去ー現在ー未来を表すと伝えられているそうだ。
その三世一念の橋を渡りつつ、水の禊ぎを受けるのだ、とまで書いてある。


  三つ目の橋で君が 転びそうになった時
  初めて君の手に触れた 僕の指

三つ目の「未来」で転びそうになるとは、、、不安な恋の行方である。
ところで、この2人の関係は、、?
初めて手に触れた、というところを見ると、これが初デートだろうか?
まだ始まったばかり、とバカにしてはいけない。
案外、このころが一番心が盛り上がってたりするものなんだ。


  手を合わせた後で 君は神籤を引いて
  大吉が出る迄と も一度引き直したね

けなげな姿だ。
このまま仲良くいられますように、と願ってやまない姿だ。


  登り詰めたらあとは 下るしかないと 
  下るしかないと 気づかなかった 天神様の細道

この2人のその後はそうだったみたいだし、確かにそうなんだけどさ、
でも、すべての恋がそうだというわけじゃないんだよ。
むしろ、だんだんはしゃがなくなる、と言った方がいいんだよ。
そうして、冷めるんじゃなくて、愛し方が変わるんだ。
・・・・これは余談だけど。。。


  裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って
  君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を喰べた

妻はこの部分について、「餅を食べた」が詩になるんだから、、と感心する。
私も確かに同じように感心して、
「映画にしちゃうんだよね」と答えるけれども、さらに、
「僕」は、甘いものを好きでないのに、つきあって食べたんだな、と思う。
これも余談に過ぎないけど。。。


  来年も二人で 来れるといいのにねと
  僕の声に君は 答えられなかった

これが一番難解なところだ。
なぜ? どうして? どうして「君」は答えないの?
「君」は「僕」のことをそんなに想っていない?
いいや、そんなはずはない、、、大吉が出るまで神籤をひいたり、
このあとの歌詞の「君」を見る限り。。。


  時間という樹の 想い出という落葉を
  拾い集めるのに 夢中だったね君

  あなたがもしも遠くへ行ってしまったら
  私も一夜で飛んでゆくと言った

こんな強い思いを抱いているのに、なぜ、「来年も2人で来れるといいのに」
に、「うん」と嬉しそうに答えられないのだろうか、、?


  忘れたのかい? 飛梅

  あの日と同じ様に 今 鳩が舞う
  東風吹けば 東風(こち)吹かば 君は
  何処かで想いおこしてくれるだろうか
  太宰府は春 いずれにしても春

いずれにしても、もう別れてしまったのだ。
「君」は離れても飛んできてはくれなかったし、
「僕」は今ひとりで、初デートの天満宮を歩いているのだ。
「君」がいてもいなくても、梅の花の匂う初春は訪れるのだ。
「君」も同じ思いでいてくれるのだろうか、、、そんなことはちっともわからない。。。


さーて、、、難しい問題だ。
「来年も2人で来れるといいのにね」に答えられなかったのは、なぜ?
普通は喜ぶはずだ。
思いが浅いはずはない。

唯一私を8割方でも納得させてくれるプロットはこれだ。
2人が初デートで天満宮に来たのは、合格祈願のためだ。
しかし、彼の志望先は東京である。
彼の合格を祈りながらも、彼女には離れ離れになる恐れと不安がある。
もちろん、そうなったらついて行きたいが、そんなことは許されない。。。

これは今夜やっとこさ不意に思いついた。
こう考えれば、何とか彼女の矛盾は解決する。
しかし、割り切れない思いは相変わらず残る。



2005年10月04日(火) 再び「春告鳥」

きょうは高文連の吹奏楽の委員会で名古屋に出張。
先週の火曜日は吹奏楽祭の打合会で出張、来週の火曜日も県の理事会。。。
去年は出張というと喜んで出て行ったものだが、
今年はただでさえ少ない空き時間が潰れるから、仕事がたまるのでイヤだ。
さぼれない立場にいるから、ますます困る。


さて、帰り道は相変わらずまさしくんの歌が流れている。
「春告鳥」が流れ始めると、いつも精妙な詩に驚いてしまう。
2週間前にちょっと書いたが、書くべきことをほとんど書かずに終わってる
ので、もうちょっと書いてみようという気になった。

先日ちょっと検索してみたら、
侘び助椿の咲く衣笠の古寺というのは等持院、
嵯峨竹の生える化野の古宮というのは野宮神社の可能性が高そうだ。
(そういえば、昔、黒木の鳥居、見に行ったぞ)


       「春告鳥」
  衣笠の古寺(ふるでら)の侘助(わびすけ)の
  たおやかに散りぬるも 照り映えて
  その人の前髪 わずかにかすめながら 水面へと身を投げる

  鏡のまどろみの砕かれて 錦の帯の魚のふためいて
  同心円に広がる紅(べに)のまわりで さんざめく私の心

侘び助椿の花びらが春の陽を受けながら池に落ちて波紋が広がる光景だろう
が、何と凝った描写であろうか。
静かな水面を「鏡のまどろみ」と歌い、鯉を「錦の帯の魚」と歌う。
「鏡」「帯」「紅」と、何やら艶なるイメージを漂わせるではないか。
「同心円」というちょっと場違いな言葉が入らなかったら、
どんな光景を歌っているのか、さっぱりわからないのではないだろうか。

大事なのは、その波紋が広がった池のそばで、「私」の心も波立っている
ということだ。
「その人」の(発した言葉の)ために動揺しているということだ。
侘び助が「その人」の顔の前をよぎることによって、
「その人」がさりげなく登場する。
そうして、池に波紋が広がる光景と、2人の男女の心が融和する。

映像美に凝った映画の一場面を見ているようなイメージだが、
実際に映画にしてみても、何のおもしろいこともあるまい。

ちなみに、椿の花は、花びらが散るのでなく、
花全体が首からボトリと落ちる、と聞いたことがあるが、
「たおやかに散りぬるを」はどう読んでも、花びらの散るイメージである。
侘び助は花びらが散るのかどうか、検索してもよくわからない。
「水面へと身を投げる」イメージは、ボトリの方が似合っているけれど、
花びらでもいっこうにさしつかえない。


  化野(あだしの)の古宮(ふるみや)の嵯峨竹(さがたけ)の
  降りしきる葉漏れ陽に きらめいて
  その人のこぼした言葉にならない言葉が 音もなくこだまする

「私」には「その人」が今も眩しく見えるようだ。
けれども、「その人」の口から、聞きたくない言葉を聞いた。
「その人」が、言葉にならない言葉を告げたのだろうか?
それとも、「その人」がきっぱりと発した言葉は、
「私」の中でははっきりとした形を持たず、心に反響し続けるのだろうか?

それにしても、あだしの、ふるみや、さがたけ、はもれび、、という
美しい響きの言葉の連鎖が何ともいえない。


  足もとにわだかまる薄氷(うすらひ)に もやめいた白い風たちこめて
  春告鳥の問いかける別れに たじろぐ私の心

2人の間には沈黙の時が流れ、鶯の鳴き声が聞こえる。
その鳴き声が、「その人」の代わりに問いかけているかのように聞こえる、
そんなイメージだ。

  春の夢 おぼろげに咲き 春の夢 密やかに逝く

古来、「春の夜の夢」といえば、はかなく短いものの象徴だ。
もちろん、ここでの「春の夢」は、恋のことだろうが。。。


  古都の庭先 野辺の送り

いかにも静かな光景だ、、、「私」の心と裏腹に、、、あいかわらず。。。


  ふり向けばただ閑かさ

別れがもたらすものは、何もかもなくなってしまったという虚ろさだ。
もう何もない、、、あるのは静けさだけだ。



・・・うーん、、、きょうは細々と書き過ぎちゃったなぁ。
作者が読んだら、そんなんじゃねぇぞ〜、と怒ることだろう。



2005年10月03日(月) 「線香花火」

はかなげでか弱いがゆえに、その風情を愛さずにいられない線香花火。。。

      「線香花火」
  ひとつふたつみっつ 流れ星が落ちる
  そのたびきみは 胸の前で手を組む
  よっついつつむっつ 流れ星が消える
  きみの願いは さっきからひとつ
  きみは線香花火に 息をこらして
  虫の音に消えそうな 小さな声で いつ帰るのと きいた

これだけでもう、けなげな彼女に恋してしまうじゃないか。。。
(ま、たいていの歌のヒロインに恋してしまうんだけどさ、、)
彼女のひとつだけの願いは、もっと一緒にいさせて、という願いだろう。
状況説明が乏しいのは、小説でなく歌の歌詞だからしょうがないが、
私は上京していた7年間という経験があるので、どうしても、
都会に出ていた男が夏休みに数日だけ帰省したように聞いてしまう。


  あれがカシオペア こちらは白鳥座
  ぽつりぽつりと 僕が指さす
  きみはひととおり うなづくくせに
  みつめているのは 僕の顔ばかり
  きみは線香花火の 煙にむせたと
  ことりと咳して 涙をぬぐって 送り火のあとは 静かねって

「送り火のあとは静かね」って何だろう?
この2人の関係の間に誰かの死が絡んでいる? などとは考えない。
盆の終わりだ。
盆が終われば、彼は都会に戻ってしまうのだ。
その淋しさが、やっと言葉になって出たのだ。
それに加えて思うのは、子どものころ花火で遊んだとき、
派手なのを先にやり尽くして、線香花火は最後にしみじみやるものだった。
線香花火には、送り火の風情が漂っているのだ。


  きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
  露草模様を 信じたんだね
  きみへの目かくしみたいに 両手でそっとつつむ
  くすり指から するりと逃げる

この優しい眼差しは何だろう。
彼もまた、いとおしくて、離れたいわけではない。
けれども、生活の場に戻り、彼女としばし別れねばならない。

  きみの線香花火を 持つ手が震える
  揺らしちゃ駄目だよ いってるそばから 火玉がぽとりと落ちて ジュッ

線香花火が終わってしまったときの、あの淋しさ。。。
この夏の休暇も終わるのだ。


いくつか、まさしくんの歌詞について書いてきた。(まだ続くかも、、)
これは、ある1日、ある数日のできごとを、
わざわざ分割して、何日もに分けて連載したというのではない。
日々の、もっとも大きな感慨の中から選んで書いたらこうなったのだ。
つまりは、毎日これらの曲を聴き続けているということであり、
一見、書くことに困って連載に逃げているように見えるかも知れないが、
実は、正真正銘の日記なのである。
サラちゃんを何週間も聞き続けても、こういうことはできない。
その声と歌唱は、何百回聴いても新鮮な感動に満たされるが、
言葉でそれを表そうとすると、毎回ほとんど同じ賞賛で終わってしまう。


それにしても、女性に優しい眼差しを注いだ歌が多い。
そんな雰囲気が何ともいえずいい。
いつも女性をからかっていじめてきたたちの悪い私とは大違いのようだ。



2005年10月02日(日) 「案山子」

今朝は早起きをして、岩倉の市民体育祭へ。
例年のとおり、開会式のマーチ等の演奏である。
正直言えば、雨が降ってほしいのだが、雨でお流れになったのは、
この15年間で1回だったか、2回だったか、、、
一昨年かその前の年のように、傘さして指揮したこともあるし、
去年のように開会式が終わった途端、土砂降りになったこともある。
きょうは、おだやかな曇り空の下で、慣れた感じで進行した。
その帰路、各務原の家に寄って、少し買いものにも回って、
午には帰ってビールを飲みながら昼食にした。

行き帰りには昨日と同じく、ベスト盤その1を聞いていた。
きょう書こうと思い立った歌は、珍しく色恋沙汰とは無縁の歌である。


      「案山子(かかし)」
  元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
  寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

初めて聞いたとき、思わずこれで苦笑してしまった。
東京にいたとき、母からの時々の電話の要点といえば、お定まりのように、
「元気? ちゃんと食べてる? お金ある? 今度いつ帰る?」
だったからだ。
ほとんどそのまんまの、率直きわまりない歌詞で始まってるのだ。


  城跡(しろあと)から見下せば 蒼く細い河
  橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突
  この町を 綿菓子に染め抜いた雪が
  消えれば お前がここを出てから 初めての春

  手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
  お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ

・・・だったなぁ、、、たまに事務的な用件で電話するだけだったのに、
それだけでもひどく喜んでくれて、雑談が次々出てきて用件忘れられて。。
この歌の場合、兄が母の心を思いやって弟に語りかけているので、
母の存在がひっそりしているだけに、泣かせるわなぁ。。。


  山の麓 煙吐いて列車が走る
  凩が 雑木林を転げ落ちて来る
  銀色の毛布つけた田圃に ぽつり
  置き去られて雪をかぶった 案山子がひとり

  お前も都会の雪景色の中で ちょうど あの案山子のように
  寂しい思いしてはいないか 体をこわしてはいないか

そうか、、、田舎に暮らしていると、都会での一人暮らしというものは、
寒々とした荒れ野で孤独に生きているような気がするのかもしれないな。
実際、当の本人は、望みかなって、意気揚々と楽しく毎日を送り、
よけいな心配しなくていいから、という感じで、母の心も忘れている。
親不孝な息子である。


  手紙が無理なら 電話でもいい 「金頼む」の一言でもいい
  お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ

  元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
  寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る
 
  寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る


歌は、このリフレインで終わる。

この歌ができたのは、どうやら私が大学の2年か3年のころだったようだ。
大学時代にこの歌を聞いた記憶がほとんどない。
同じ下宿だったIくんがラジカセで鳴らしていたいろんな歌の中に、
「天までとどけ」とか「セロ弾きのゴーシュ」などは入っていたけれど、
この歌は結婚後、妻の持っていたカセットテープで聞いて、
新鮮な驚きだったように覚えている。
あのころ、もっと頻繁にこの歌を聞いていたら、
冷たい親不孝な息子でなくなっていただろうか、、、さぁそれはわからない。
私自身は、親となった今でも、子どもの不在に素っ気ない親である。
たぶんこの歌の心は、男よりも女性の方に強く響くのだろう。
ホントに、妻を含めておばさんたちの子どもへの思い入れは、
私などには想像しがたいほどに深いみたいだから。。。
それでも、なぜか、私の素っ気ない心にさえしっかりしみてくる1曲である。



昼から、先日の「きみ読む」の特典映像盤を見た。
メーキングの抜粋されたシーンを見ているだけでも、先日に劣らず泣けた。
よほど場面場面がしっかり作ってあるんだろうと思うし、
アリー役のレイチェル・マックアダムスの演技に引き込まれてしまうのだ。



2005年10月01日(土) 「主人公」

昨夜は、「夢供養」「風見鶏」「私花集」「うつろひ」「帰去来」の
5枚のアルバムから、ベスト盤をMDにした。
ステレオにCD5枚入れてプログラムしておけば、
勝手に1枚のMDに入れてくれるから、もっとも楽な編集方法である。

選んだ曲は、「風の篝火」「春告鳥」「もうひとつの雨やどり」「飛梅」
「晩鐘」「雨やどり」「檸檬(アルバムヴァージョン)」「秋桜」
「第三者」「鳥辺野」「線香花火」「歳時記」「まほろば」
「檸檬(シングルヴァージョン)」「主人公」「案山子」である。
渋〜〜い選曲だが、多少明るい曲も入っている。

きょうは、月初めでもあるし、折り返し点の初日でもあるから、
明るめの歌について書こう。


      「主人公」
  時には「思い出」行きの 旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
  「あの頃」という名の駅で下りて 「昔通り」を歩く
  いつもの喫茶(テラス)には まだ時の名惜りが少し
  地下鉄(メトロ)の駅の前には 「62番」のバス
  鈴懸並木の古い広場と 学生だらけの街
  そういえば あなたの服の模様さえ覚えてる
    あなたの眩しい笑顔と 友達の笑い声に
    抱かれて 私はいつでも 必ずきらめいていた


  「あるいは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど
  時を遡る切符があれば 欲しくなる時がある
  あそこの別れ道で選びなおせるならって……
  もちろん 今の私を 悲しむつもりはない
  確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる
  そうでなきゃ あなたに とても とても はずかしいから
    あなたは 教えてくれた 小さな物語でも
    自分の人生の中では 誰もがみな主人公
  
    時折り思い出の中で あなたは 支えてください
    私の人生の中では 私が主人公だと


自分もよくやったなぁ、、、「あの頃」という名の駅で降りて、
「昔通り」を歩く「思い出」行きの旅と散歩。。。
四谷や市ヶ谷・お茶の水あたりはもちろんだけど、
戸越や中延あたりを歩くと、変わったところやそのままのところに、
どちらにも驚きながら、、、やっぱりしみじみ感傷的になってしまって。。

この歌のヒロインは、自分のやりたい道のためか、嘗て恋を捨てたようだ。
「飛梅」や「歳時記」のように、好きだけど自ら別れを選んだヒロインの、
つらい時期を乗り越えた後の、1歩下がったところで思い出と向き合える
時期に達した、前向きな姿を歌ったものだろう。

ヒロインにどんな事情があったにせよ、
「自分の人生の中では 誰もがみな主人公」
「私の人生の中では 私が主人公」
は、普遍的な、万人向けのメッセージだ。
メロディーともども聞けば、いっそう感動的なメッセージだ。

でも、こういうことを教えてくれた人と別れちゃいけないんだよ、君!
何とかならんかったのかね! 、、という感じにもなってしまう。
その難しさは、自分でもわかってるつもりなんだけど。。。


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