TENSEI塵語

2005年09月30日(金) 折り返し点

何と、4カ月毎日続いてるではないか!!
ま、半分ムキになっているわな。。。
最近の、困ったときのさだまさしというのもちょっとインチキっぽいが。。。

今週は久々の5日間フル授業日で、疲れた。
おまけに、出張もきょうの学校行事(授業公開)もあったから、
空き時間も4時間半ほど返上した。
月曜日は1時間、火曜日も1時間、水曜日が2時間、昨日が2時間、
きょうは空き時間は30分程度だった。
まー、今年はこのようなことは珍しくないので、たいへん慌ただしい。
やっておくべき仕事をうっかり忘れやすいし。。。
きょうなど、午前中全部詰まってる上に、始業前に交通当番まで入ってた
から、調子狂い通しだった。
もう、そう何でもかんでも放り込むなよ、と文句言いたいのだが、
ほっとした午後には、授業公開の受付係が入っていた。

ま、不満多き1日だったが、時折外に出て風に吹かれ、
空の薄い鰯雲を眺めるのは心地よかった。
まだ陽射しも強く、暑さを感じることもあるけど、秋だなぁとしみじみ思う。

そうだ、そういえば、やたらと忙しいこの年度がこれで半分終わったのだ。
もう半分? まだ半分?
そんなこと考える暇もなかったから、いつのまにかという思いから言えば
もう半分過ぎたんだー、という感じだけど、
まだ半分あるんかいな、と思うと、まだ半分である。
しかし、そんなことは実際ほとんど問題でない。
とにかく1週間1週間をどう凌いでいくかが、毎週の課題なのだから。



2005年09月29日(木) 「晩鐘」

さだまさしの新しい方のアルバムをきょうまでに3枚聞いてみたけれど、
(「とこしへ」「愛のつづき」「恋文」の3枚)
ちっともおもしろくない。
ネット販売サイトのレビューにはいい評価が並んでたのになぁ。。。
魅力的なメロディーに出会えない。
喉も発音も若いころの明快さを失って、どうもぎごちない。
歌詞についてはまだ吟味していないけれども、
メロディーあっての歌詞だからなぁ。。。
歌詞カードだけで判断したってつまらない、、、けれど、
歌詞の良さがわかるまで何度も聞く気になれるかどうか。。。


というわけで、相変わらず彼が若かったころの歌で、
昨日どちらを先に書こうか迷った「晩鐘」である。
不思議な題である。
歌詞の中でも伴奏の中でも、鐘の音などまったく関係ないのだ。

       「晩鐘」
  風花がひとひらふたひら 君の髪に舞い降りて
  そして紅い唇沿いに 秋の終わりを白く縁取る
  別れる約束の 次の交差点向けて
  まるで流れる水の様に 自然な振りして冬支度
  僕の指にからんだ 最後のぬくもりを
  覚えていたくて つい立ち止まる
  君は信号が待ち切れない様に 向こう岸に向かって駆けてゆく
  銀杏黄葉(いちょうもみじ)の舞い散る交差点で
  たった今風が止まった

  哀しみがひとひらふたひら 僕の掌に残る
  時を失くした哀れ蚊の様に 散りそびれた木犀みたいに
  眩暈の後の虚ろさに 似つかわしい幕切れ
  まるで長い夢をみてた ふとそんな気がしないでもない
  心変わり告げる 君が痛々しくて
  思わず言葉を さえ切った僕
  君は信号が待ち切れなかっただけ 例えば心変わりひとつにしても
  一番驚いているのはきっと 君の方だと思う

  君は信号が待ち切れなかっただけ
  流れに巻かれた浮浪雲(はぐれぐも)桐一葉(きりひとは)
  銀杏黄葉(いちょうもみじ)の舞い散る交差点で
  たった今想い出と出会った


この歌は、月並みなメロディーラインかもしれないが、
いかにも切なくしみじみとしたメロディーを使っている。
メロディーに惹かれて歌詞もじっくり聴いてみると、こんな歌詞である。

私がこの歌の中でもっとも好きな部分は、
「僕の指にからんだ 最後のぬくもりを 覚えていたくて つい立ち止まる」
の部分である。


いかーん、きょうも眠いわ。
昨日も尻切れトンボだったけれど、今夜ももうダメだー。



2005年09月28日(水) 「飛梅(とびうめ)」

昨夜寝る前には、さだまさしの「風見鶏」というアルバムを聞いた。
先日書いた「もうひとつの雨やどり」が入っているアルバムである。
今回のリニューアル盤には「雨やどり」も収められているので、
その二つを3回ほど交互に繰り返し聞いたりもした。
「セロ弾きのゴーシュ」という、「精霊流し」の状況を昇華させたような
歌もかなり気に入りである。

この中で殊に気にかかる曲が2曲あって、そのひとつが「飛梅」である。


        「飛梅(とびうめ)」
 心字池にかかる 三つの赤い橋は 一つ目が過去で 二つ目が現在
 三つ目の橋で君が 転びそうになった時 初めて君の手に触れた 僕の指
  手を合わせた後で 君は神籤を引いて
  大吉が出る迄と も一度引き直したね
 登り詰めたらあとは 下るしかないと 
 下るしかないと 気づかなかった 天神様の細道

 裏庭を抜けて お石の茶屋へ寄って
 君がひとつ 僕が半分 梅ヶ枝餅を喰べた
 来年も二人で 来れるといいのにねと 僕の声に君は 答えられなかった
  時間という樹の 想い出という落葉を
  拾い集めるのに 夢中だったね君
 あなたがもしも遠くへ行ってしまったら 私も一夜で飛んでゆくと言った
 忘れたのかい 飛梅

 あの日と同じ様に 今 鳩が舞う
 東風吹けば 東風吹かば君は 何処かで想いおこしてくれるだろうか
 太宰府は春 いずれにしても春


三つ目の未来の橋(のはず)で、「君」は転びそうになるんだな?
天神様の細道は、行きはよいよい、帰りはひたすら下り坂のようだ。
さりげなく、とおりゃんせの歌が流れるようだ。

2連目は、京都の自邸の梅が、太宰府に飛んで行った伝説を踏まえている。そうして、戻らぬ彼女を心で追い求めている。

3連目は、
  東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ
という道真の有名な歌を踏まえている。
しかし、この歌詞のキズはここにある。
「東風(こち)」の説明のように{東風(ひがしかぜ)吹けば」と
わざわざ入れてあるようなところが残念だ。



2005年09月27日(火) 「檸檬」

昨夜寝る前に、さだまさしの「私家集」というアルバムを聞いた。
昔何度も聞いたアルバムである。
温かい歌が多いアルバムである。
そんな中で、「檸檬」という歌は、昔はわざわざ聞く歌ではなかったはずだ
が、なぜか昨夜は歌詞を聴きながら涙してしまった。
今回リニューアルされたこのアルバムには、
「檸檬」と「加速度」のシングル盤ヴァージョンも収められているので、
2種類の「檸檬」を交互に3度ほど繰り返し聞き直した。

長いこと聴く機会がなかったのだが、
スクランブル交差点を見るたびにこの歌を思い出したものだ。
この歌の中の女性が、スクランブル交差点で涙ぐんでつぶやく場面が
印象的だったからである。
1番の、食べかけの檸檬が快速電車の赤色とすれ違う場面と、
2番の、食べかけの夢を各駅停車の電車のレモン色がかみ砕く場面の対比も
印象的だった。
「捨て去るとき」と「消え去るとき」の心得も、印象的だった。。。
昔はこの歌を聴くのがつらすぎて、引いていたのかも知れない。
お茶の水は四谷から近いので、よく行った、だから、
この歌のイメージも、心の中の風景に近すぎるのだ。


       「檸檬」
  あの日 湯島聖堂の 白い石の階段に腰かけて
  君は 陽溜りの中へ 盗んだ檸檬 細い手でかざす
  それを暫くみつめた後で きれいね と言った後で かじる
  指のすきまから 蒼い空に 金糸雀(カナリア)色の風が舞う
   喰べかけの檸檬 聖(ひじり)橋から放る
   快速電車の赤い色が それとすれ違う
  川面に 波紋の拡がり 数えたあと
  小さな溜息混じりに 振り返り
  捨て去る時には こうして出来るだけ 遠くへ投げ上げるものよ


  君はスクランブル交差点 斜めに渡りながら 不意に涙ぐんで
  まるでこの町は 青春たちの姥捨山みたいだ という
  ねぇ ほら そこにもここにも かつて使い棄てられた愛が 落ちてる
  時の流れという名の鳩が 舞い下りて それをついばんでいる
   喰べかけの夢を 聖橋から放る
   各駅停車の檸檬色が それをかみくだく
  二人の波紋の拡がり 数えたあと
  小さな溜息混じりに 振り返り
  消え去る時には こうして出来るだけ 静かに堕ちてゆくものよ



2005年09月26日(月) 子どもの遊び

小学生の5年間を郡上八幡で過ごした。
小学1年生の7日目に隣の相生村の駐在所から引っ越して、
6年生に上がるときに、岐阜市に引っ越した。
1年生になってしまってからの転校は、最初はちょっと不幸だった。
すぐにあった遠足では、弁当をひとりで食べなければならなかった。
けれども、その後は友だちに不自由することはなかった。

夏には毎晩のように踊りの会がどこかで開かれ、
冬には決して多すぎない程度の雪に町中が覆われ、
山と川に恵まれ、町中に水が流れている、
この水の町で少年期を過ごしたことは私の自慢のひとつである。
今でも、一番好きな町は? と問われると、郡上八幡と答える。
稀に散歩に出かけても、知ってる人間にはぜんぜん会えないけれど、
なぜか、あたたかい空気に包まれる気分である。

しかし、何か白けたような、寂しい光景も目にすることがある。
かつて私たちが遊び場にしていたような場所に子どもの姿がないのだ。
小学校の校庭もたいてい閑散としている。
学校からの帰り道に歩いた用水端の小径、安養寺の境内、神社、相撲場跡、
城山の登り道、愛宕公園、裁判所の庭、、、どこも閑散としている。
春に行っても夏に行っても秋に行っても、子どもの遊ぶ姿をほとんど見ない。
子どもがいないのかというと、そういうわけでもないらしく、
親子連れで歩いているのは見かけるし、家の前で遊んでいるのも見かけるし、
春祭りのお神楽には、昔と同じように多くの子どもたちが、
化粧をし装束をして、笛や舞に出演していた。

40年前のあの頃、私たちは遊び場にはほとんど不自由しなかった。
城山の麓の由緒ありそうな安養寺の境内で、野球や缶けりやってても、
寺に上がり込んで廊下や階段で、めんこをやっていても、
裏の墓場でかくれんぼして走り回っていても、誰も何にも言わなかった。
裁判所の庭さえも、我々の野球場だったし虫捕り場だった。
野球といっても、ゴム鞠の手打ちか板打ち程度の野球だったが。。。
小学校の校庭も、遊び場に開放されていて、たいていにぎやかだった。
その日その日の偶然の都合で、歳もばらばらないろんな遊び仲間がいて、
その都度、ルールを作って遊んでいたものだ。
テニスと称する、田の字のように4分割のコートを地面に書いて、
ボールをツーバウンドさせて打ち合うゲームにも熱中したし、
通路や陣地を地面に書いて、走ったりつかまえたりしながら陣地に攻め込む
体当たり的なゲームにも熱中したし、
釘刺しや、おはじきを使った陣地取り遊びにも時間を忘れた。
もちろん、特に仲のいい友だちと水入らずで家で遊ぶこともあったし、
向かいの家の年下の兄弟と、ビー玉などをしてあそぶこともあった。
冬になって雪が積もり、崖の途中のちょっとしたスペースに
竹スキーや橇遊びにふさわしい場所を整備すると、
町内のいろいろな年齢の子どもたちも押しかけて一緒に遊んだりした。
どういうスケジュールで、どんな段取りで、どうやって集まって遊んだのか、
もう、今思い出そうとしても、よくわからない。
とにかく、日ごろ親しくなくても、その場で一緒になってしまえば、
何となくあれをやろう、これをやろう、ということになって、
自然と遊んでいたのだ。
せっかく家でのんびりしていても、
わざわざ呼びに来られて連れ出されることもよくあった。
家の中で遊ぶより、外で遊ぶことが圧倒的に多かったのである。
誰かの家に集まって玩具で遊んでいても、やがて外に出る羽目にもなった。

だから、子どものいない光景が不思議でしょうがないのである。

ひとつには、あの田舎町でも子どもたちは遊び場から閉め出されたのだろう。
安養寺の境内を見ても、裁判所の庭を見ても、見違えるほど整備されている。
かつて私たちが学校帰りに木片を浮かべて速さを競った用水路も、
飼う鯉が増えて、所有権を示す堰がいくつも作られてしまっている。
子どもたちが遊ぶのに不自由な環境は、田舎町にも広がったのだ。

それとともに、子どもたちの遊びが、個人主義的になってきたのである。
TVゲームに始まりゲームボーイ系のポケットゲームが流行ってしまい、
数人の子どもが集まっても、それぞれが自分のゲームに興じる時代である。
誰かの部屋に集まって、一緒に遊ぶというよりは、
ある者はTVでゲームをし、ある者は漫画や雑誌を読み、
ある者はケータイのボタンを押し続ける、、、寂しいから誰かといるけれど、
共同して遊びの世界を作るわけではない。。。


少年犯罪に極端なものが目立つようになって、いろいろな論評があるが、
それは依然として子どもたち全体のわずかな部分に過ぎないので、
その少年犯罪によって、近ごろの子どもは、、、などという短絡的な批評は
どうも感心しない。
しかし、いろいろと考えるその中のひとつには、
少なくとも、見境がなくなった、歯止めが利かなくなった、という
一部の少年少女の問題行動の原因のひとつには、
集団遊びの変容ということも大いに関わっているのではないかということだ。



2005年09月25日(日) 「きみに読む物語」の映画版

久々の完全休日である。

朝、10時までぐっすり眠った。
昼前に、100ページほど読書した。(水村美苗「本格小説」)

昼にマックに走って、29日まで限定月見バーガーを買って帰って食べた。
去年食べそびれてしまったので、、、でも、そう美味くもなかった。
味が薄すぎるので、自分で辛子とケチャップを足して食べた。
飲み物もビールで、あぁ、休日だなぁ、、と噛みしめた。
本当は自転車で出かけられると最高だったのだが、
子どもたちの自転車が2台とも、容易には再起できない状態になっていた。

それから「きみに読む物語」を見た。
それから、トイレ掃除をした。
それから、廊下に積まれている段ボールをたたんで縛った。
それから、千秋楽を30分だけ見た。琴欧州が優勝できなくて残念だった。
それから、授業の準備をした。
夕食後、早々に風呂に入り、風呂掃除と排水口の掃除もした。
風呂上がりにTVをつけたら、ベルリン・マラソンはもう終わっていた。
ボクシングのタイトル戦を5Rから見たら、7RでKOで終わった。
「あるある」のセルライト解消法がおもしろくて、ずっと見る羽目に。。
それから、普通の人の10倍の速度で年老いてしまうというプロジェリア病
の少女のドキュメンタリー番組もついつい見始めてしまった。
しかし、しばし見るのを中断して、台所掃除をした。
その番組の続きが、今横で放映され続けている。
世界に30人だけ患者のいる稀有な病気なのだそうだ。

内容豊富な休日だった。


「きみに読む物語」は、2月17日に読み終わって感動した物語である。
ロードショーは見に行けなかったが、予約しておいたDVDが一昨日届いた。
ラストは、本ほどには感動させてくれなかったが、
ノアとアリーの若いころの恋愛のようすがかなり泣かせる。
この熱烈な愛し合いようが、見る者の心に共感させられなければ、
年老いてからのノアの読み聞かせが説得力を持たないのだが、
演技も演出も、確かな効果をあげているようだ。
愛し合えることに歓喜するアリーの笑顔さえ、涙を誘うのである。
近年見た映画で、もっとも頻繁に泣かせられた映画と言えるだろう。
風景の美しさも特筆に値する。
少しだけ残念だったのは、アリーがロンとの婚約を解消して帰ってきた後の
ようすも、少しだけ展開してほしかったと思う。
しかし、良質な時間を過ごせたと思わせてくれる映画である。


このひとつだけでも、きょうの休日を満喫するのに十分だったはずなのに、
久々にゆっくり眠ることができて、めんどくさい感覚がなかったんだな。



2005年09月24日(土) 校内暴力統計記事に思う

私が教員になろうとしていた20年ちょっと前ごろは、
中学校の荒廃・校内暴力が大問題になっていた。
私はそれをいろいろ考えてみるに、子どもの自治活動を制限して
管理教育に走ったことが最大の原因だと考えた。
学生運動の盛んだった時代の反省から、物言わぬ子を育てようと、
庶民生活を豊かにする一方で、学校では子どもの自由を制限したのだ。
自ら考え、周囲に気を配り、奉仕精神豊かな子どもを育てるべき学校が、
言いなりになっておとなしくしている子どもを尊重するようになったのだ。
若いエネルギーと理不尽な管理との間に軋轢が生じるのは当然のことだ。
そんな思いを込めて、以前「理想の教育」という文を書いておいた。

http://www.geocities.jp/tensei128/educate.html

校内暴力は、その後あまり騒がれなくなったが、なくなったわけではない。
ただ、全体的な傾向として、主張のある反抗はめっきり少なくなり、
得体の知れない、何だかわけのわからない反抗が残ったという感じである。
ただ怠けたいから逆らう、ただ怒りたいから怒る、という感じである。
この20余年間の〈困った高校生〉のようすを比較しても、
20年前はそういう生徒こそいざという時頼りになったものなのに、
その後10年もしないうちに、〈困った高校生〉の多くはは軟体動物化して、
徹頭徹尾怠け者で、余計な羽目ばかり外すようになった傾向がある。

昨日の朝日の一面トップは、小学生の校内暴力の増加についてである。
2年連続増の1890件、対教師は336件の過去最多であるという。
しかし、報告しないですませるケースも多いだろうから、
これだけだと思ってはいけないし、言葉の暴力というのもあるはずだ。

この記事の報告の中で興味深いのは、教師に対する恨みによるのでなく、
喧嘩を止めに入った教師への暴力とか、注意した教師への暴力とか、
怒ってしまうと歯止めがきかなくなるという子どもたちの心性である。
見境がなくなるのである。
そういう子どもの多くは家庭で虐待を受けている、という指摘も書いてある。
それは大いにあり得ることだ。
あの校内暴力が社会問題だった時代の中学生がそろそろ親になっているのだ。
あの時代に救われないまま大人になって親にまでなってしまった者が、
我が子を大切にするかどうか、それはその人物の心しだいだけれど、
学校蔑視だけは十分に生き続けているはずである。
学校だけでない、彼らの反抗は理不尽な権威への反抗だったとしたら、、?
そういう心性が、虐待され、その捌け口を他に求める子どもに伝染したら、
被害は教師にも及ぶし、近所のおじさんにも及ぶし。。。
歯止めなどなくなるのだ。

それだけでない。
子どもたちの心の変化を考えると、昔と今の遊びの違いに思いが及ぶのだが、
これについては、次回に譲るとしよう。



2005年09月23日(金) アルバム「うつろひ」

今朝、寝坊した。
急いでも30分以上かかるはずの会場での集合時刻が9時半なのに、
起きたら時計が9時をさしている!!(◎◎;
とにかく大急ぎで用意して出かけて、他の先生と連絡を取ろうとするけれど、
誰にもつながらないまま、とにかく会場に急いだ。
悪いことは重なるもので、初めての会場なので、道に迷ってしまった。
幸い、初めての会場なので準備にもてこずったようなので、
合奏指導役の私が遅れても、ほとんど支障がなかったようだ。
みんな、道に迷ってたいへんだったぐらいに解釈してくれたようだった。

大いに焦って始まった1日だったけれど、よく眠ったせいで、
元気で疲れ知らずの、冷静な練習を1日続けることができた。


帰ったら、さだまさしのCD10枚が届いていた。
これだけ一挙に手に入ると、どれから聞くか迷ってしまうのだが、
三文字熟語ばかりの題名が並んでいるのがおもしろく思って、
まず「うつろひ」というアルバムを聴いてみた。

忘れてしまっていたけれど、これは何度も聞いたアルバムだ。
レンタルで借りて、1週間の間車の中で繰り返し聞いていたけれど、
ダビングするほどの心のゆとりも時間の余裕もなくてそのまま返したのだ。

中学の時に読んだ「まぼろしの邪馬台国」を書いた盲目の学者、
宮崎康平のことを歌った「邪馬臺」という歌もこのアルバムに入っていた。

  盲いた詩人はいつも ザボン口に運びながら
  想い出たどる様に 見えない目を開いて 静かに海を見てた
  幻の国のことを まるで故郷を語る様に
  道のりについて 風景について 優しく僕に話した
    (中略)
  盲いた詩人がひとり その小舟に座っている
  得意の笑顔みせて はにかむようにじっと 静かに海を見てる
  有明の海に風が吹く
  あの人を追いかけて夢が吹く
  ああ悲しいほどに 焦がれ続けた 幻の人が 今
  きっとあなたを抱きしめている、、、不思議な夢を見た

愛情のこもった鎮魂歌である。


このアルバムで一番の気に入りは、「第三者」である。
伴奏に用いられているアコーディオンの効果が大きいのかも知れないけど。。

       「第三者」
  死んだ珈琲挾んだままで 外の信号の変わる数を
  テーブルに映る黄色で数えて ついでに想い出も数えて

  忘れかけてた君の癖が こんな時にふと目についたりして
  懐かしいものと出会った気がして 笑ったら 君は怪訝な顔をする

  もう 明日は第三者 信じるものさえも 違う異教徒になる
  一度は同じものを信じた 二人が奇妙にも 見知らぬ人になる日


  車のライトが時折横切る 前髪の奥の君の瞳には
  すでに僕の姿は消えて ろうそくの赤だけが揺れてる

  隣の席の笑い声が いくぶん僕らに気がねをして
  やがてこの店の ラストオーダーを 尋ねる時間が訪れる

  最後の 御注文はいかが お二人に似合いのデザートはいかがですか
  表は 季節の替り目の雨が降り始めて 音楽がやがて止まる

  もう 明日は第三者 最後の注文は何かありませんか
  もう 明日は第三者 最後の注文は、、、、
   (この後、4拍子からいきなり3拍子に変わって、アコのソロ、、)


別れ話の席のつらさを、こんな詩で表現するなんて。。。。



2005年09月22日(木) 昨日の続き

私は「もうひとつの雨やどり」の方を先に聞いてしまい、
後からもとの「雨やどり」を知ったので、長い間逆に思いこんでいた。
もとの「雨やどり」の方がパロディーとして作られたと思っていたのである。
このもとの「雨やどり」は、冗談まじりで笑わせる歌詞である。
歌い始めの歌詞は、「もうひとつの、、」と同じである。

  それは まだ 私が神様を信じなかった頃
  九月のとある木曜日に雨が降りまして
  こんな日に素敵な彼が現れないかと
  思ったところへ あなたが雨やどり

こちらは結びがちゃんと「雨やどり」で終わっている。
家族に会ってもらうというストーリーになっていて、

  でも爽やかさがとても素敵だわと
  うけたので 彼が気をよくして 急に
  もしも もしも 出来ることでしたれば
  この人をお嫁さんにちょうだいませませ

  その後 私気を失ってたからよくわからないけど
  目が覚めたらそういう話がすっかり出来あがっていて
  おめでとうって言われて も一度気を失って、、、
  、、、気がついたら あなたの腕に雨やどり

こちらは小粋で洒落ているし、「もうひとつの、、」は余情が漂っている。
こちらもおもしろくていいけれどやはり「もうひとつの、、」の方が好きだ。


「駅舎」は都会に出て傷ついて故郷に帰ってきた(らしい)彼女を
いたわるように迎える歌である。
この青年は、都会に飛び出して行った彼女を、
帰って来てくれるあてもないのに待ち続けていたのだろうか?

      「駅舎(えき)」
  君の手荷物は 小さな包みがふたつ
  少し猫背に 列車のタラップを降りて来る

  驚いた顔で 僕をみつめてる君は
  夕べ一晩 泣き続けていた そんな目をしてる

  故郷訛りのアナウンスが今
  ホームを包み込んで

  都会でのことは誰も知らないよ
  話す事もいらない

  驛舎(えき)に降り立てば それですべてを
  忘れられたらいいね


  重すぎるはずの 君の手荷物をとれば
  身じろぎもせず ただ涙をこぼすだけ

  ざわめきの中で ふたりだけ息を止めてる
  口を開けば 苦しみが全て 嘘に戻るようで

  季節のはざまで はぐれた小鳥が
  時計をかすめて飛ぶ

  泣きはらした目が 帰ってきたことが
  君をもう許してる

  驛舎を出る迄に 懐しい言葉を 思い出せたらいいね

  改札口を抜けたならもう 故郷は春だから


この歌には、歌の後に新しいメロディーによる長い演奏が続いている。
あたかも、駅を出た彼女を春が迎えてくれたかのような音楽である。
歌全体が、この女性を優しさで包み込んでいる感じである。
そして、映画を見ているようでもある。


まぁ、このあたりからさだまさし再評価が始まったのだが、
その当時はカセットテープに入れたものを聞いていたので、
CDは2枚しか持っていない(しかも1枚は正規のものではない)。
長年迷っていたが、昨夜、まず10枚のアルバムを注文した。




2005年09月21日(水) 「雨やどり」と「駅舎」

いい歌があるな、と思っても、
さだまさしの曲を積極的に聞こうとはなかなか思わなかった。
何かなよなよした感じで、生理的な拒絶反応があったのかもしれない。
積極的に聞くようになったのは、「もうひとつの雨やどり」や「駅舎」に
格別惹かれてからではないかと、思い起こしている。
それまでにも、「親父の一番長い日」や「防人の歌」を、
衝撃を感じつつ聞いたことはあったのに、それっきりだった。
「雨やどり」や「駅舎(えき)」を聞いて格別の感慨に浸ってから、
それまで関心をもった曲も関心をもたなかった曲も、輝き出した感じだった。
優しい視線というのを強く感じたのだ。


「もうひとつの雨やどり」
あれはまだ私が神さまを信じなかったころ
九月のとある木曜日に雨が降りまして
こんな日にすてきな彼が現れないかと 思ったところへあなたが雨やどり

こんな時に何でもいいからあなたとお話しをして
お友だちになれたらどんなに楽しいだろうけれど
あなたの気を引けるほど素敵な娘ではないし 
風邪をひかないでと願うのがやっとだった

娘は器量がよいというだけで 幸せの半分を手にしていると
誰か言った意地悪なお話、、、でもこっそりうなずいてる自分が悲しい

確かに私が他のお友達とおなじ位に
白いドレスや口紅や赤い靴が似合う素敵な娘だったら
もっと上手な笑顔を あなたにあげられたのに

だからあなたと街角でも一度出逢った時も
あなたが覚えているなんて夢にも思わなかったし
ましてやそれ以上の事なんて望みもしなかった
だからこそこんなに驚いています

本当に私はお裁縫もお料理も駄目だし
おまけに心配症でそれに引っ込み思案で
自信なんてかけらもないしあなたに迷惑を かけるのがきっと精一杯です

いきなりこんな大事なお話を 信じろというのが無理な事です
だってまさかあなたが選んだのが こんな小さな私の傘だなんて

あわてて駆け出してしまった胸の鼓動を
呼び戻す為に少しだけ時間をください
涙をこっそり拭う間だけ時間をください、、、、、、そしたら、、、、



続きは明日だ。今朝起きるのが早すぎたので、眠い。。。



2005年09月20日(火) グレープがデビューしたころ

夕食後、8時半ごろに睡魔に負けて横になったら、
目が覚めたときにはもう夜中の2時を過ぎていた。
起きてしまってそのまま1日の生活を始めるには早すぎるし、
酒飲んで寝直すには遅すぎる、何とも中途半端な時間である。
迷った末、何とか4時ごろまで眠れないかと寝なおしにかかったけれど、
もうぜんぜん眠れそうにないので、起き出して、少し仕事をした。
(だから今は実際には、翌日の未明である)


きょうは(昨日は)、通勤の行き帰りもラジオを流してただけだったし、
これといって音楽は聞かなかったのだが、
気がつくと頭の中を流れているのは、昨日書いた2曲である。
どちらもベスト盤などには入らない歌なのだが、惹かれるのだ。

グレープがデビューしたころ、TVで初めて見たときは驚いた。
あれが、中学の時だったか高校のときだったかはよくわからない。
とにかく、登校前に、朝のヤング720だったかの番組に現れたのだ。
なよなよした風貌のさだまさしが、学生服姿でヴァイオリン片手に現れた。
いかにも、インテリがこの世界に挑戦しました、という感じである。
ギターとヴァイオリンの2人組が、湿っぽい歌を演奏し始めた。

その「精霊流し」という歌は、ま、私好みの世界でもあったけれど、
メロディーラインが月並みだったし、全体に地味なイメージだったし、
まぁ、この連中は長続きしないだろうなー、、と注目もしなかった。
それからしばらくして、ドラマの主題歌で「無縁坂」を聞いたときも、
相変わらずの歌を歌ってるわ、と、微笑ましく思ったがそれっきり。
「無縁坂」の印象も、「精霊流し」とほとんど同じだった。

高校時代は、フォークといえば、友人の影響もあって、陽水一辺倒だった。

大学時代に、ギター部の中の、フォーク好きの連中の中で特に熱心な2人が
「朝刊」を上手に歌えるように何度も練習しているのを聞いたり、
折に触れてさだまさしの歌をいろんな場所で耳にして、
何と優しい歌(歌詞)を作るんだろう、と思うことが多かったが、
取り立てて積極的に聞こうという気もちはまだ生まれなかった。
それを熱心に聴くようになったのは、結婚後、
妻が持っていた「風見鶏」とか「私家集」とかのアルバムのテープを借りて
聞くようになってからである。

こうして、中・高時代の産物の中で、
ロックではピンク・フロイドだけが私の中に生き残ったように、
フォークではさだまさしだけが生き残ったのである。
いや、この後者の場合は、あのころはそれほど関心がなかったわけだから、
歳をとるにつれてだんだん味わえるようになった、というべきかもしれない。
昨日話題にした「風の篝火」も「春告鳥」も、彼がまだ20代の時の作品だ。
他のお気に入りの曲の数々も、たいていがそのころの作品だ。
それが、30代のころに聞いた時よりも、
もう40代も終わろうとする最近の方が、一層胸に響いてくるのが不思議だ。



2005年09月19日(月) 「風の篝火」と「春告鳥」

朝、探し物をしていたら、さだまさしの「夢供養」が目に入り、
なんとなく久々に聞きたくなって、持って出て、仕事の行き帰りに聞いた。

私は歌を聞くときも、あんまり歌詞を聞かない。
洋楽だともちろんなのだが、日本の歌でも、メロディーさえよければいい。
歌詞に惹かれる歌は稀なのだが、さだまさしだと歌詞を聞かされてしまう。

たとえばこのアルバムだと、
「歳時記(ダイアリー)」とか「療養所(サナトリウム)とか
「パンプキンパイとシナモンティー」とか、
メロディーや雰囲気だけだったらほとんど聞く気にならない、おそらく
とばしてしまいそうな歌なのだが、歌詞のためについつい聞いてしまう。
歌詞自体がひとつのドラマになっているからだ。
あの長大な「親父のいちばん長い日」や、「雨やどり」「駅舎(えき)」
などなど、何度でも聞いて飽きないのと同じだ。

このアルバムで、メロディーともども好きなのは、
「風の篝火」と「春告鳥」である。
車をおりてからも、しばらく耳から離れない。


   「風の篝火」
水彩画のかげろうのような 君の細い腕がふわりと
僕の代わりに宙を抱く 蛍祭の夕まぐれ
時折君が散りばめた 土産がわりの町言葉
から回り 立ち止まり 大人びた分だけ遠ざかる

きらきら輝き覚えた 君を見上げるように
すかんぽの小さな花が 埃だらけで揺れているよ

不思議絵の階段のように 同じ高さ昇り続けて
言葉の糸を紡ぎながら 別れの時を待ちつぶす
君ははかない指先で たどる明日のひとりごと
雲の間に 天の川 君と僕の間に橋がない

とつぜん舞い上がる風のかがり火が ふたりの物語に静かに幕を引く
降りしきる雪のような蛍 蛍 蛍 
光る風祭の中 すべてがかすみ すべて終わる


・・・うーん、こうして書いてみると、聞いてただけのときより、
隙のない歌詞に感じられるなぁ。。。
ちょっとイメージが凝りすぎて、すぐにはわかりにくい部分もあるけれど。

「春告鳥」の方は、聞き始めたころ、歌詞を聞いていなかった。
言葉が難しくて、聞いていてもよくわからなかった。
ある時、「その人」「水面へと身を投げる」が聞こえて、ドキッとして、
じっくり聞いてみたら、別に自殺の歌でないことがわかって、
何度もこの歌のヒヤリングに挑戦したことがあった。
歌詞ごと味わえるようになるのに、いささか苦労した歌である。
実にしみじみした情緒で歌われる。


   「春告鳥」
衣笠の古寺(ふるでら)の侘助(わびすけ)の
たおやかに散りぬるも照り映えて
その人の前髪 わずかにかすめながら 水面へと身を投げる

鏡のまどろみの砕かれて 錦の帯の魚のふためいて
同心円に広がる紅(べに)のまわりで さんざめく私の心

  (要するにこれは、侘助が落ちて波紋が広がった水面を描きながら
   「その人」のために動揺する私の心を暗示したんだな)

春の夢 おぼろげに咲き 春の夢 密やかに逝く
古都の庭先 野辺の送り ふり向けばただ閑かさ

  (ここまでが1番だ。さらに2番)

化野(あだしの)の古宮(ふるみや)の嵯峨竹(さがたけ)の
降りしきる葉漏れ陽にきらめいて
その人のこぼした言葉にならない言葉が 音もなくこだまする

足もとにわだかまる薄氷(うすらひ)に もやめいた白い風たちこめて
春告げ鳥の問いかける別れに たじろぐ私の心

春の夢 おぼろげに咲き 春の夢 密やかに逝く
古都の庭先 野辺の送り ふり向けばただ閑かさ


・・・別れの時を、こんな情緒で描けるのが不思議だ。
どちらの詩も、恋の終わりの動かしようのないどうしようもなさが、
ひしひしと伝わって来るではないか。。。



2005年09月18日(日) 「サウスバウンド」読み終わる

これも、読めない日が多く、1カ月近くかかってしまった。
500ページ以上もある長編である。

最初読み始めたとき、小学6年生の子どもが主人公で、
子どもの世界の物語が延々と続くので、読むのをやめようかと思った。
しかし、父親が元過激派の、今は組織から離れ、
無政府的生活を送る孤軍奮闘の闘士である。
税金は堂々と納めず、雇われて働く気は一切なく、
国家の手先とおぼしき人物は誰でも彼でも敵に回し、何の引け目もない。
母親も元過激派だったが、今は一切の活動からも思想からも身を引いている。
かつての仲間をかくまい、彼が刑事事件を起こしたのをきっかけに、
東京に住むことをやめ、父の郷里でもある沖縄の西表島に移住する。

美しい自然、自給自足のために俄然働き出した父、親切な島民たち、、、
移住に不満だった子どもたちの心が、徐々に変化していく。
何はともあれ、父と母は、ようやく楽園へとたどり着いたのだった。
しかし、楽園は、ここでも長続きしなかった。
リゾート開発との闘いを余儀なくされることになる。。。

母親のこんな言葉も、小説の最後では非常に説得力がある。
「おとうさんとおかあさんは、人間としては何ひとつ
 間違ったことはしていないんだから。
 人の物は盗まない、騙さない、嫉妬しない、威張らない、悪に加担しない、
 そういうの、すべて守ってきたつもり。
 唯一常識から外れたことがあるとしたら、
 それは、世間と合わせなかったってことだけでしょう」
「それがいちばん大きなことなんじゃないの?」
「ううん。世間なんて小さいの。世間は歴史も作らないし、人も救わない。
 正義でもないし、基準でもない。
 世間なんて、闘わない人を慰めるだけのものなのよ」

父親が息子に語るこんな言葉も、非常に説得力がある。
「二郎。前にも言ったが、おとうさんを見習うな。少し極端だからな。
 けれど、卑怯な大人にだけはなるな。立場で生きるような大人にはなるな。
 これは違うと思ったら、とことん闘え。負けてもいいから闘え。
 人と違っていてもいい。孤独を恐れるな。理解者は必ずいる」


ちなみに、この父の名は、上原一郎、子の名は二郎である。
その名が出るたびに頭の隅にちらついたのが、太宰の「斜陽」である。
ヒロインのかず子が、道徳革命と称して世間との闘いを決意した、
その恋の相手の無頼作家役の男が、上原二郎という名である。
これが単なる偶然なのか何なのかは、もちろん知らない。


昨日からきょうにかけて、もうくったくたである。
3連休を満喫できる人々というのは、いったいどういう人種なのだろう?
前世でよほど功徳を積んだ人にちがいない。
私などは、前世で人をこき使い、虐げていた悪人だったのだろう。
その報いが、今降りかかってきているにちがいない。
そんなの、ひどいじゃないかー(`ε´)
いい思いした覚えなんてないんだぞーー(`ε´)
何でこんな思いだけしなきゃならないんだぃ(`ε´)(`ε´)

・・・な〜んてことを思った時間もあったけれど、
この小説が、そんなこせこせした思いを吹き飛ばし、大らかにさせてくれた。




2005年09月17日(土) 相撲

今夜はもう眠い。
疲れた。
しかし意地悪なNHKは、大相撲ダイジェストを1時半ごろに遅らせている。
いつもより1時間以上も遅い。
昨夜も1時過ぎに遅らせていた。
何で休日になるとこんなに遅い時間にするのか、腹立たしい。

今場所は初日を知らなかった。
日曜も月曜も、柔道に頭が行っていて、ぜんぜん知らなかった。
火曜日からは毎晩ダイジェストを見続けている。

1番期待の白鵬は、先場所の怪我が治りきってないらしく、
2つ黒星先行の、またもや苦しい場所になっている。
昨日五分の星にやっとこぎつけた。
その勝負で今場所も調子よかった若の里が、怪我をして休場に入った。

最近3番目に期待している普天王が、初日に朝青龍を破って、初金星。
今場所は快進撃かと思われたが、3日目からずっと連敗を続けている。
いきなり横綱を破った力士が、横綱にいいようにあしらわれている力士に
なかなか勝てなくなるのだから、勝負というものは不思議だ。
連敗続きとはいえ、なかなかいい取り組みを見せてくれる点は変わらない。

今場所の驚きは、2番目の期待の星だった琴欧州が、無敗で連勝中なこと。
淡々とした表情で、しぶとく、強い。
ばねが姿を変えて相撲を取っているのではないかとさえ思わせる。
どこまで連勝を伸ばすか、楽しみだ。

大相撲ダイジェストまで、まだ50分もあるぞ。
起きていられるだろうか?
ホントは、見ないでさっさと寝なきゃいけないのだろうけど。。。
そりゃぁね、夕方ビール飲みながら生放送を見られる身分だったら、
それが一番うれしいんだけどさ。。。



2005年09月16日(金) 休日はまだ来ない

長い1週間だった。
暑さに苦しんだ3日間と、涼しさを喜んだ2日間と、
体感的にも、この数日間で1カ月以上の変化があった感じだ。

明日は中学校の混成バンドの練習で1日潰れる。
明後日も高校の混成バンドの練習で1日潰れる。
何日か前に、休みがないな、、と思ってカレンダーを見て、
月曜日が敬老の日で休みだと知って、涙が出るほど救われた思いになった。
けれども、昨夜からつらつら考えるに、
その月曜日にでも出校して仕事しないと、来週以降の仕事が遅れるのだ。
明日だったら、1年も3年も出校行事があって、学校が開いているので、
それを利用すればよかったが、明日の用事を変えるわけにはいかない。
それで、月曜日に自分で校舎を開けられるように、
明日、混成バンドの練習が終わってから学校に行って、
校舎の鍵を受け取る算段を、教頭も交えて相談しなければならなかった。
こういう無償の休日潰しをアホらしいと思いながらも、
後のことを考えると、こうでもしないと絶対に後悔すると結論したわけだ。

今週は何とか耐えて、宵寝はしないで過ぎていたけれど、
今夜はついに耐えきれず、8時から10時まで眠ってしまった。
横になって数日間の重さを噛みしめて、そのまま意識を失った。
30分ほどでいったん目が覚めたけれど、また横になって、意識を失った。
2時間後に再び目を覚ました時は、実に爽快な気分だった。
起きてから、数日前から億劫だった仕事に取りかかることもできた。

要するに、3連休はないし、
きょうの1日の仕事より明日と明後日の仕事の方が大変なのだが、
きょう、授業も掃除監督も終えて煙草を喫いに出たときの安堵感は何だろう?
とりあえず、苛酷なノルマから解放されたかのような充足感を覚えたのだ。
束の間の解放感だ。
錯覚といってもいいかもしれない。



2005年09月15日(木) 秋の風情

昨日まで、朝の空の雲だけが秋模様で、騙される日が続いていた。
もう1回夏休みをよこせ、と叫びたくなるほどの暑さが続いていた。

きょうも陽射しの強い晴れで、雲は彼方の山々の上にたなびいているだけ
だったが、涼しい風に癒される1日だった。
エアコンがついてないと文句言ってる暑がりおばさんもいたが、(笑)
まー、きょうはいらんでしょう、というしのぎやすい1日になった。
ただ、職員室は風通しが悪く、涼風をなかなか味わえなかったのも確かだ。

2、3年前までだったら、きょうは敬老の日の休日だったはずだ。
去年からだったか一昨年からだったかよくわからないが、
敬老の日は第3月曜日に移動してしまったらしい。
3連休よりは、週の途中に休みがある方が嬉しいのだが、
世間の感覚は違うらしい。
きょう涼しい風が吹いていなかったら、この変更をかなり恨んだことだろう。



2005年09月14日(水) 「FF7 - Advent Children」

「ファイナル・ファンタジー5」は1992年、
「ファイナル・ファンタジー6」は1994年だったそうである。
スーファミを買ったのは90年の暮れで、
もちろんまず最初は「マリオ・ワールド」に夢中になり、やり倒した。
それから定番どおり、「ドラクエ5」に夢中になったはずだ。
そして「FF5」へと進んだのだろう。
それから、「ガイア幻想記」というアクションRPGに大いにハマった。

「FF6」も「FF4」もやったが、「ドラクエ」は5だけでやめた。
「ドラクエ」もおもしろかったのだが、戦闘システムが悠長すぎた。
「FF6」が、ユーモアも利いていて、音楽も格別気に入って、
サントラ盤も、オーケストラ演奏盤も、CD付きピアノ譜まで買い込んだ。

その後もいろいろなゲームを遊んだが、「FF7」が出た時は、
そのためにプレステも購入して、発売とほぼ同時に始めた。
それが97年だそうだから、今から8年前なのだ。
グラフィックがそれまでより飛躍的に美しくダイナミックになり、
たちまちこのゲームの虜になった。
翌日仕事でも、明け方近くまで夢中になってゲームを楽しんでいた。
(ま、このゲームに限ったことではなかったけれど、、、)

戦闘パーティーの中で、主役のクラウドやティファよりも、
エアリスがお気に入りで、一生懸命戦闘に参加させて育てた。
ところが、ディスク1の終わりに、エアリスがイヴェントで死んでしまった。
我々が操作して展開する戦闘で死んでも、再起不能なわけではない。
けれども、システムに組み込まれたイヴェントで死ぬのは、本物である。
そういうストーリーだということだ。
エアリスの死のショックはあまりにも大きかった。
これは単なる玩具のゲームであり、そういう物語なのだと割り切れなかった。
我が子を喪って生きる気力を失う父親のごとく、生きる気力を失った。
このゲームの世界に生きていく意欲がまったくなくなってしまったのだ。
だから「FF7」は中断し、その後FFは1本も遊べなくなってしまった。

一昨日届いた「アドヴェント・チルドレン」を昨夜見た。
「FF7」より2年後の物語だそうである。
エアリスらしき女の子が、救世の女神のように現れる。
また「FF7」を最初からやってみたくなった。



2005年09月13日(火) 暑い!!

空は秋なのに、陽気は秋でない。
昨夜ちょっと蒸し暑い感じがして、今朝になったら涼しいかとも思ったが、
実はぜんぜん涼しいわけではなかった。
資源ゴミ回収で、段ボールの束や雑誌の束を下ろすだけで汗をかいた。
台車を使うので一度で運べたが、それだけで全身汗びっしょりになった。
そのまま出勤せざるをえなかったが、頭の汗も着ているものも、
学校に着くまでに乾かなかったほどである。

授業をしながらも、ポタポタと汗が落ちた。
教室は格段に暑い。
陽射しが強いので、窓際の生徒はカーテンを閉めずに座っていられない。
だから風が通らない。
教室の外は微風が通っているけれど、教室内は無風状態だ。
そして、教室内の40名弱の生徒たちがみな暖房機の役を果たしているのだ。
エアコンを設置して冷やして欲しいのに、熱する要素だけが完備している。

学校も民営化しちゃえ!
世間の人たちは公務員が減りさえすれば嬉しいみたいだから、
〈民意〉にもかなっているだろう。
民営化されすべてが私立学校になったら、
真っ先にエアコン設置競争が始まるだろうと思うんだがなー。。。



2005年09月12日(月) 気弱になった日

朝からばたばたと授業のプリントを用意したりテスト返しの用意をしたり、
そして、1、2時間目の授業を終え、3時間目が空き時間だった。

課題のチェックをしていたのだが、突然胸が締めつけられるような、、、
というのはちょっと大げさだが、そんな感じの軽い痛みに襲われた。
締めつけられるというより、両側から絞りこまれるという感じだったかも?
そう大した痛みではないが、仕事は続けられず、しばしこらえていた。
それは実際のところは1分か分くらいのことだったかもしれない。
隣の机で一心不乱に仕事していたおばさんにはまったく気づかれてない程度
だから、実際大した痛みではないのだが、やや呼吸も辛かったかもしれない。
少し深い呼吸をしたりして調整していたが、なかなかすっきりしなかった。
こんなことは初めてなので、深く恐れてしまった。

自分の身体にも、何が起こるかわからないな、と感じさせられたのだ。
今まで、盲腸に悩まされた一時を除けば、何ごともなく来ていた。
風邪もめったにひかないし、頭痛や腹痛さえめったにない。
3、4年に1度風邪をひくことがあっても、1日で治してしまう。
定期健康診断の結果も、赤血球数が少なめ以外はビシバシの正常値である。
コーヒー、酒、煙草、睡眠不足、、、と身体に悪いことばっかしてるのに、
病気知らずみたいに来ているもんだから、
日ごろは自分の健康について傲慢になっているかもしれない。

だから逆に、ちょっとした変調があると、不安でへこんでしまうのだ。

きょうのは何だったんだろう?
昨夜、柔道でドキドキしたり、選挙速報にカッカ来たりしたためだろうか?
今朝、職員室の机の上に置かれていた図書館用の新聞が、
選挙結果をデカデカと一面に載せていて、それを見て激しくカッカしたため?
その3時間目の空き時間が始まったとき、数分ほど外で陽射しを浴びていた。
きょうは、陽のあたるところと陰との暑さの差が格別に激しかった。
木陰に入れば、エアコンよりもうんと快いような涼しさだった。
その後職員室に入ったら、やけにヒンヤリしすぎている感じがした。
そんなことも関係あるのかな〜、、、と、
実は、他の恐れから目をそむけているだけかもしれないが。。。

身の危険が迫るまでにあと20年やそこらはあるだろうと安易に考えていた
けれど、案外早くに来るのかもしれないな。。。
人生、いつ、何が、どこで起きるかわからないのだ。
やっぱ、身辺整理(まずは部屋の整理)に早めに取りかからないとね。。。





2005年09月11日(日) 投票

わがまま駄々っ子小泉身勝手解散総衆院選挙の投票日である。
朝日の社説には、こんなおもしろい選挙は初めてだと書いてあったが、
ぜんぜんおもしろいことはない。
小泉クンが勝ったりすれば怒りが増すばかりだし、
かといって彼が負けるということは民主党が勝つということだから、
それは将来への不安が増すばかりである。
どちらになってもおもしろくない、不安な結果にしかならない選挙だ。
しかし、とにかく、小泉クンが勝ったりすれば、今まで以上に、
わがまま駄々っ子身勝手ヒットラーぶりを発揮するだろうから、
まぁ、ここらあたりで一発横面はり倒すような結果が欲しいものだ。
しかし、ホントに大衆というものは怖いもんなぁ。。。
何考えてんだか、わかりゃしない。
あんな気持ち悪い表情の男の写真集が売れまくったこともあるくらいだから。

きょうは、午前中は授業や補習の準備などの仕事。
昼から、「四月の雪」メイキングDVDを見て、
イェジンちゃんの表情にうっとりして、、、(笑)
それから昼寝して、5時ごろ目が覚めたときもうちょっと寝たかったけど、
投票に行かなきゃいかんことを思い出して起き上がった。
午前中はまだ覚えていたし、どう投票するか考えたりもしていたけれど、
午後は忘れかけていた。

最後の最後まで迷っていたけれど、結局、比例代表はいつもどおりだが、
小選挙区の方は、自民党で郵政民営化に反対した人物に投票した。
自民党政治に長らく加担してきた人物に投票するなんて、初めてだし、
踏み絵を踏むような勇気を要したのだけれど、今回は特別である。
小泉クンに勝ったと言わせたくないし、自民も民主もノーという立場を
表現しようとすれば、こういう今までとは違う投票をするしかなかった。

もともと私は、何党だから支持、という投票を好まない。
その人が何を主張し、何をするつもりか、何をしてきたかが大事である。
ところが、政党には党議拘束などというものなどをかけるところもあり、
議員個人の考えがどうあれ、党の方針になびいてしまうことが多いから、
たいていの場合、政党を見て投票するしかなくなってしまうのである。
それだったら、全部比例区にしてしまった方がいいと思うのだ。
しかし、今回はちょっと違った事態が、この選挙区内にあった。
小泉クンのゆゆしき野望を阻止するのに大きな貢献をしたのだから、
(もっとも、直接的な衆議院では果たせず、間接的に参議院で生きたのだが)
今までのことはともかく、この一事を今回だけは取り上げたくなったのだ。

個人のたった一票なんて、それだけを取ってみればなんの力もないんだけど、
投票する以上は、いろいろ考えた上でしなくちゃね。



・・・・で、深夜である。
画面の端っこに選挙速報が示される、柔道世界選手権を見ていた。
選挙速報が、ここまでひどいと思っていなかった結果で、
歯ぎしりしたくなるような、そこら中殴りつけたくなるような思いをこらえ、
柔道を観戦していた。

この、一瞬の攻防の鮮やかさというものは、実に感動的である。
新谷の優勝戦の土壇場での1本勝ちと言い、
高井の準決勝での鮮やかな負け方、敗者復活戦での2つの1本勝ちといい、
もうホントにみごととしか言いようがない。

じっくり練り上げたマスコミ操作と虚言・ごまかしで圧勝した小泉クンは、
これからますますいばりまくるだろう、、、謙虚を装いつつ。。。
有権者たちの大半は、自民独裁、好きなようにやってちょうだい、を望んだ。
そこに明るい未来を見出したかのように、、、と、なんでこうなるのか、
私にはまったく理解できないのだが。。。
小選挙区制などという、一部の政党だけに有利なルールを許したのが、
(これは、スポーツで言えば、一部のチームや選手に有利なように
 ルールを変えるようなものだ)
日本の不幸の始まりだった。
とうとうもっとも恐れていた状況を迎えてしまったという気がする。
何といっても、もっとも危険な首相の下での自民圧勝なのだから。。。



2005年09月10日(土) 今夜も柔道だー

試合が始まると目が離せないじゃないかーー。
昨夜も痛感したのだが、ホントに、一瞬の隙と機転と力の攻防なのだ。
今夜も、昨夜より軽量級だっただけに一層それを感じさせられた。
昨日の泉にも泣けたけど、きょうの内柴、すばらしい。
最後に上には上がいることを痛感して、ますます磨きをかけることだろう。
明日もあるようで、また夜更かしになりそうだ。

きょうは、午前中、中学生相手に吹奏楽の練習をして、
友人とランチしてから帰って、3時間近く昼寝した。
起きるのがつらくてしょうがなかった。
そうしてまた、午前中の練習場所へ引き返すような格好で、
それよりちょっと遠い市吹の練習場所に出かけるというわけだ。
しかし、昼の談笑と昼寝の効果か、なかなか元気に出かけることができた。


明日は、わがまま駄々っ子小泉身勝手解散総選挙の投票日だ。
実に複雑な思いで迎えなきゃならない日だ。
自民党が勝つと、小泉クンは「郵政民営化が国民に支持された」と言う。
それを言わせたくない。
自民党が過半数を制したとしても、国民のたかだか3割程度の票でしかない。
その票のうち、郵政民営化に賛成だから投票する人はどれだけいるか?
たかだか2割かそれ以下の郵政民営化賛成票をもらって、
「国民の支持が得られた」としたり顔に言える神経は、アホである。
私自身は小泉クン就任以来、彼の顔がアホ面に見えなかったことはないが、
最近は、彼がTV画面に現れるたびに吐き気を催すようになっている。
郵政民営化に賛成も反対も、ろくな説明をもらってないのだよ。

かといって、民主党が政権を執ってくれてもこまるしなぁ。。。



2005年09月09日(金) 体育祭も終わる

昨日ほどでないにしても、きょうもいい天気の中で体育祭。
フィールドで召集や決勝の係の仕事をしている人たちはたいへんだが、
警備だってたいへんなものである(比較的ラクだからありがたいけどf^_^; )
いずれにせよ、陽射しを浴びて過ごす時間のほとんどない人間にとって、
陽射しの中に長時間いなければならぬというのはたいへんな重労働なのだ。
立っている時間も歩いている時間も多いし。。。
その挙げ句に、テントの片づけなど、重労働が待っているわけだ。
前任校時代よりはうんとラクなことは確かだけど、疲れるのは確かだ。

翌日は休日にしたいということで、金曜日に設定された。
みんな、明日はゆっくり休むのだろう。
しかし、私は休みではない。
打ち上げ宴会も、最初から断った。
翌日暇ならもちろんつきあいに乗って、疲労の極致に至るのだが、
体調を整える必要もあるし、楽譜を見て練習計画を立てる必要もあるから。
なぜ、こんな余計な仕事を、ためらいつつも引き受けてしまうのか、
我が身が恨めしいほどである。
諸葛孔明ではないけれど、3度もお願いしますと言われると断れないのだ。
孔明でも3度で折れたのに、凡人が折れないのは傲慢な感じもするのである。

今夜は明日練習する曲の勉強をしておかなければならなかった。
ま、やるにはやったんだけど、TVで柔道の世界選手権を見つけて、
それをかなり見てしまった。
体育祭の仕上げとしては、実に高級なクライマックスではないか。
すばらしい試合をいくつも見ることができた。
いささか、明日の練習に不安がないわけでもないが、いい時間を過ごせた。



2005年09月08日(木) 快晴の文化祭

台風が去った翌日なので、思いっきり晴れた。
日射しは強いけれども、風は涼しい。
木陰にいるのがもっとも心地よい陽気である。
午後の大半を、校門前で門番しながら木陰で過ごした。
(午前中は吹奏楽部の発表のサポートをしていたり、バザー食を食べたり)

昼に生徒会の学校祭実行委員が「高校生クイズ」と題したプリントを
5枚置いていった。
1枚あたり20問のクイズを、5種類用意したらしい。
予想よりも売れ行きが悪いので、教員にも配布しているようだ。
見ると、なかなか難しい。
1〜4は知識を問う問題だが、5だけはなぞなぞ系の問題である。
私はいたってもの知らずなので、知識を問うクイズは苦手である。
知らなきゃ答えようがないので、楽しみに欠ける。
知らないことは絶望的なのだ。勘で当たったっておもしろくもない。
なぞなぞ系の問題は、考えれば解ける可能性があるから希望がある。
さまざまな視点から物事を考える訓練にもなるし。。。

というわけで、午後の大半を校門前の木陰でパズルを解いて過ごした。


こういうタイプの問題がもっとも楽しい。

「3−2=36 
 数字をひとつ移動させて、正しい式を作ってください」

「5+5+5=550 に線を1本書き足して正しい式にしてください」

とにかく材料がこれだけに限られているのだから、ありがたい。
前者は10分ほどあれこれ考えさせられてしまったが、後者は10秒以内だ。

次のような駄洒落が答になるような問題はもっとも苦手で時間がかかる。

「メロンとイチゴとリンゴを盛った皿を見て、そわそわしている人がいます。
 その人はどの果物を見ているのでしょうか」

こういうクイズの好みや評価については、また後日書くことにしよう。


ま、そんなわけで、文化祭のようすもそう見ることなく終わってしまったが、
全校的にも、台風によって妨げられた体育祭準備も並行して行われ、
何やら慌ただしい様相で文化祭が進行したようだった。
私自身は、転勤以来、警備という係に入れてもらえているので、
前任校時代からすると信じられないほど負担を軽減してもらえている。

それでも、また今夜も2時間の宵寝をしてしまった。
ちょっと腰を癒すためにと思って横になったら、瞬時に意識を失った。
やはり疲れが蓄積されたいるのだろうか?
明日の打ち上げ宴会を先週断っておいたが、やはり正解だった。
明後日は、初対面の60余名の中学生たちと初練習をしなければならない。
明日の宴会でこれ以上心身を痛めつける必要などないのだ。




2005年09月07日(水) 台風の影響

今夜は、夕食後部屋に上がって20分もしないうちに沈没し始め、
階下に降りてベッドに横になったら、そのまま意識を失った。
それが8時半ごろだったかもしれない。
10時ごろいったん目が覚めて、普通なら起き上がるところだが、
次に気づいたのが午前0時過ぎだった。
自室の電気もPCもエアコンもつけっぱなしだと思い出したので、起きた。

昨夜は、寝るぞ、と3時過ぎに横になったものの、
いつ召集の電話が入るか気になったのと、風雨の音が耳についたのとで、
なかなか眠ることができず、4時過ぎにいったん起き出してしまった。
横になる前の眠気も、目の疲れも取れていた。
5時過ぎに再び横になり、眠ったのは5時半から6時半の1時間程度だ。
うとうとしたような眠りだったらしく、珍しく夢を見た。
複雑で支離滅裂なドラマを久々に堪能したが、残念ながらもう忘れた。

大したことのない強風の中を出勤し、早速、校務委員会と職員会議があった。
(さらにその後、学年会もあった。遊ばせてはくれないのだ)
きょうの芸術鑑賞会が、午前11時までに解除されなかった場合は中止で、
それの今後の対処についての話が主だった。
私もかつて7、8年の間、こういう公演の折衝役をやっていたので、
思い出したのだが、こういう学校回りの劇団等は、契約したからといって、
100万円前後の公演費の多くを持って行ってしまうことはない。
きょうの午前中の準備費用も自己負担にして再公演を検討してもらえるのだ。
それで、とにかく、劇団の日程と、会館の使用状況と、学校行事の都合で、
新たな公演日を探してもらうことになった。

午前11時になっても警報は解除されず、午後の芸術鑑賞会の中止が決まり、
その15分後に、警報が解除されてしまった。
ほんのわずかの時間の差なのだが、自宅待機の生徒全員に、
事前指示の内容を変更する連絡を徹底することは不可能なので、中止である。
午後は、警報解除を知った生徒がぽつぽつと登校して、
それぞれに学校祭の準備作業に取り組んでいた。
いろんな生徒にいろんなことを頼まれて、歩き疲れてしまった。

ちなみに、市内で最悪の1、2位を争う小学校に勤める妻は、
1日中、会議と肉体労働を強いられて、フラフラで帰ってきていた。
子どもが登校している毎日はほとんど空き時間なしで働いている小学校なら、
こんな日くらい、のんびりとそれぞれの雑務を整理する日にしてやればいい
のに、何かしら命じて統率していないと気が済まない管理職の集団らしい。
我々のような労働者にとってもっとも不幸なのは、
神経質で小心者の管理職の下で働くことなのだ。



2005年09月06日(火) 台風近づく

今朝のラジオの気象協会の話では、台風がこのあたりにもっとも近づくのは
明日の昼だということだった。
学校行事の日程からすれば最悪の経過であるが、
TVの解説では、北方の偏西風の影響で北寄りに進む可能性もあるという。
日本列島からかなり離れた海上を進めば、暴風警報も出ないかもしれない、
という期待もささやかに抱かせたのだが。。。

午前中は穏やかな曇り空で、体育大会の予行が行われた。
ありがたいことに、体育大会の私の係は、警備なので、きょうは暇。
暇つぶしに雑草を抜いてみたら、実に快く抜けるので、
調子にのって抜きまくっていたら、数人での除草作業に拡大した。
涼しいはずだったのに、ポタポタ汗が滴るほどの労働になって、まいった。
しかも途中から晴れ間も出、さらには風も出始めて、
除草が終わって見張り番の仕事になってからも大きなダメージを受けた。

午後はしばしば強風が吹くようになったので、外の活動が制限された。
今朝の気象協会の説明では、きょうでも強風圏内に入るので、
10m〜15mの風が吹くだろう、ということだった。
10mの風というのは、傘をさしていても煽られるくらい、
15mの風というのは、立っているのもたいへんなくらいの風だそうだ。

さて、きょうの私自身の最大の関心事は、夜間の非常配備で、
これで今年は3度目なのだが、そのたびにやきもきさせられるわけだ。
前の2回は、夕方6時ごろまで待機していたけれど、
あっけなく進路が逸れて警報が出そうにないと判断できたので、帰宅できた。
きょうは、夕方6時ごろはまだ台風は九州にいたので、とりあえず帰宅した。
もしも警報が出たら、県教委から教頭に非常配備の連絡が入り、
教頭から我々当番に連絡が入ったら出校するという段取りになるらしい。

今夜はそれに備えて、10時ごろには寝た、、、というのは嘘で、
備えるも何も、そんな考えもなく、ちょっと横になったら意識を失ったのだ。
このところ、毎晩のように、1時間程度の宵寝が続いている。
今夜は2時間ほど眠って目が覚めた。
目が覚めたときには、岐阜県にも愛知県にも暴風警報が出ていた。
午後10時台に警報が出たようだ。

で、今は翌日に入った午前2時である。
時々激しい風の音を伴って、雨がガラスを叩きつけたりもする。
いまだに連絡がないのは、このあたらどういう仕組みになっているのか
わからないが、あんまりひどくならないうちに命令してほしいものである。
酒を飲めないのがつらい。
でも、今夜は酒を飲まなくても、十分に眠くなってきている。
久々の休肝日となって、よかったのかもしれない。

念のため、学校に電話してみたけれど、誰も出ないから誰もいないのだろう。
あれほど、非常配備体制なんて大騒ぎしているくせに、おかしな話だ。
もう寝るぞ。




2005年09月05日(月) こんな時に台風とは、、、

4、5日前に、台風14号の進路図を見て、
日本列島の南東方面の海上からずっと北西の方向に進んできて、
沖縄付近に近づいたあたりから次第に北寄りにカーブしているのを見て、
なーんとなくこの台風は、九州に上陸してから、
日本海側を列島に沿って進むような気がする、と適当なことを言ったのだが、
それがそのまま当たりつつある。

きょうはその影響で終日雨だった。
明日もきっと終日雨だろう。
きょうは体育祭の準備と予行だったが、雨で潰れた。
明日もできないに違いない。

明後日こそ台風がこのあたりにもっとも近づき、警報が出るかもしれない。
明後日は芸術鑑賞会で、これは予算的にも大きな損失である。

なぜ、今週なんだ?!!(`ε´)
来週来てくれなきゃいけなかったのに、なぜこんな週に来るんだ?(`ε´)
台風が来る以上は、暴風警報による授業中止という恩恵を伴わねばならない
のに、これじゃ、百害あって一利もないではないか。
もうちょっと考えて行動してほしいものだ。



2005年09月04日(日) 郵政民営化はそんなに大事か?

自分の誕生日にちなんだ数字がならぶ12800を自ら踏んだようだ。
ま、そんなことはともかくとして。。。

patamama おばさんが、とある葬儀屋に勤め始めて4カ月になる。
転職の相談を受けたとき、条件としては私も初めて肯定的に推進したものの、
唯一の気がかりは、お笑いおばさんがそんな辛気くさいところで働いて、
冗談も言えず、笑うこともできず、鬱屈してしまうのではないかということ
だったが、それはまったくの杞憂だったようだ。
職場にも変人・奇人がそろっていて、明るい人も多く、
笑いのネタには事欠かないらしいので、健康な生活を送れているようだ。
何ごとも、外から見ただけの先入観で決めつけてはいけないものだ。

彼女の目下の最大の関心事は、葬儀屋に運びこまれる腐乱死体の多さである。
殺されて棄てられた腐乱死体ではない。
人知れず亡くなって腐乱する、一人暮らしの老人の死体の多さである。
最近再開した日記にも、この話題が多い。
http://www2.diary.ne.jp/user/163108

最初は笑い話だと思っていたのだけれど、一度そうからかったら叱られた。
どうやら、これを社会問題ととらえているようだ。
確かに我々はそういう現実を知らない。
行政は知っているはずなのに、対策を講じる気配もない。
郵政民営化否決ごときで解散総選挙、議会はしばらくお休み、
それに対する批判と提言が自民党の長老からもあったはずなのに、
何がどうあろうと郵政民営化、、、ちょっと待ってよ、
他にも考えるべきこと、大事なことがあるじゃない、という、
一庶民の率直な訴えなのだ。


これと関連して、橋本BBSに越前氏が引用してる文章をコピペしておこう。
この話の信憑性について、今すぐ判断はできないけれど、
あそこはもう最近議論活発で、数日経つと探すのがたいへんになってしまう。

筆者は、プリンセス・テンコーに似ているらしい、ヘアメイクを職業とする
一庶民の女性らしい。
この人は要するに、郵政民営化ひとつ否決されただけで、
他の議案すべてを捨てて、解散してしまったことをかなり憤っているようだ。
そうだ。確かに、郵政問題しか眼中にない首相なんてのは、いびつだ。
そういうことを問題にしない報道機関も異常だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今や、ニポンの恥どころか、地球の恥と言っても過言じゃないコイズミが、同じく地球の恥であるブッシュとの密約、「郵政民営化」をムリヤリに推し進めるためだけに衆院を解散して、「郵政解散だ!」「郵政解散だ!」って1人で大騒ぎしてるけど、コイズミが考えた欠陥だらけの郵政民営化のバカ法案なんて、審議中だった61件の法案の中のたった6件にしか過ぎない。そして、コイズミ1人のワガママのせいで、残りの55件の法案もすべて廃案になったワケだけど、その中には、ニポン中の障害者やその家族が心待ちにしていた「障害者自立支援法案」、臓器移植を待つ多くの患者たちの命に関わる「臓器移植法改正案」、凶悪化する少年犯罪を抑制するために14才以下でも少年院に送致できるようにするための「少年法改正案」、ライブドアのような悪質極まりない乗っ取り会社から放送局を守るための「電波・放送法改正案」、人身売買の防止や風俗店などの違法行為の罰則を強化するための「風俗営業法改正案」、そして、日本歯科医師会が橋本龍太郎に1億円のヤミ献金を送ったことから提出された「政治資金規正法改正案」などが、すべて廃案になってしまったのだ。

コイズミ1人のワガママが、ニポン中の障害者やその家族の希望を奪い、臓器移植を待つ多くの患者やその家族の希望を奪い、少年犯罪の犠牲になった子供たちや家族の思いを踏みにじり、イノシシ社長のような守銭奴や橋本龍太郎のような人間のクズをのさばらせることになったのだ。これらの55件もの法案をすべて廃案にしたことについては、たったのヒトコトも触れずに、コイズミの口から出て来るのは、ブッシュのための郵政民営化のことだけだ。それも、自分の考えたお粗末な「郵政民営化の法案」について賛成か反対かって話だったのに、いつの間にか、「郵政民営化」そのものに賛成か反対かって話にスリ替えるって言うコソクさだ。郵政民営化を語る前に、自分がブッ潰した「障害者自立支援法案」や「臓器移植法改正案」について、全国の障害者たちや臓器移植を待つ患者たちに謝罪をするのが先だと思うのは、あたしだけだろうか?‥‥なんて思う今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

‥‥そんなワケで、これは、解散前の国会でも取り上げられたから有名な話だけど、コイズミから、「金はいくら使ってもかまわないから、国民に郵政民営化をアピールする広告を作れ!」と命令されたコイズミのタイコモチ、竹中平蔵は、自分の知り合いが経営する広告会社に、国家予算から莫大な契約金を払って国と特別契約をさせ、郵政民営化のPRを一任させた。ようするに、身内に国の予算が流れるようにしたってワケだ。そして、その広告会社が提出した企画書の中に、次のような呆れ返る文章があったのだ。

「このキャンペーンは、まずは女性や老人などのIQの低い人々を対象にPR活動を進める。」

そして、この企画書を見たコイズミは、ニンマリと笑ってOKを出したと言う。つまり、コイズミ自身も、「女性や老人など」を「IQの低い人々」だと思ってるってワケで、国民の中で「頭が悪くて何でもすぐに信じそう」だと思ってるジャンルから騙して行こうってワケで、これじゃあ、オレオレ詐欺や悪徳リフォームとまったく同じじゃん。それにしても、「女性はIQが低い」と思ってるクセに、次々と女性の刺客を送り込んで来るなんて、どこまで女性をバカにすれば気が済むんだろう。(中略)

さて、何でブッシュがニポンの郵政民営化を望んでるのかって言うと、それは、郵貯、簡保の340兆円(3兆ドル)が欲しいからだ。そして、そのためにブッシュは、コイズミに、4分割の民営化を指示したのだ。今のままの郵政省をそのままの形で民営化する案や、郵貯と簡保は今のままで郵便だけを民営化する案などに、ことごとくコイズミが反対し、すべての意見を無視して、「4分割の民営化」をガンとして譲らなかったのは、ブッシュとの約束があるからだ。

ようするに、郵政省を4分割して民営化すれば、340兆円もの預金高を持った世界最大の銀行が出来上がる。そして、郵便業務や窓口サービスとは切り離されるのだから、過疎地の郵便局はどんどん潰れて行く。昨日のテレビでの討論会でも言ってたけど、フランケン岡田のしつこい質問にブチ切れたコイズミは、「私は『郵便局は無くならない』とは言ってないよ。『郵便業務は無くならない』って言ってるんだよ。過疎地の郵便局が無くなったって、コンビニとかクリーニング屋とかで郵便を受け付ければいいでしょう!」って言い放ってた。あたしには、クリーニング屋のおじさんが、山道を1時間も歩いた先にあるお年寄りの家まで、ハガキ1枚を50円で届けてくれるとは思えないんだけど‥‥。

つまり、本当の意味での郵政民営化をするのであれば、今のままの形で民営化して、黒字の郵貯と簡保が、赤字の郵便や窓口サービスをフォローして行く形をとるべきであって、今まで通りのサービスを確保するためには、それしか方法は無いのだ。コイズミは、郵政民営化がしたいだけなのに、何で「4分割の民営化」にばかりこだわるのかって言えば、分割しなかったらアメリカにお金が流れないからだ。

そして、これもニューヨークタイムズに書いてあったんだけど、ブッシュがイラク戦争とアフガニスタン戦争のために使ったお金は、現時点で約30兆円、そして、これから5年間に掛かる予算が約50兆円、他に、退役兵に掛かる予算が約35兆円、借金してる戦費に掛かる利息が約25兆円、ブッシュが戦争を始めたことによってもたらされたアメリカの経済に対するマイナスが約13兆円、合計で約153兆円だそうだ。そして、あと5年ですべてが解決するはずがなく、この状況は10年、20年と続いて行くだろうから、最低でも3兆ドル、つまり、340兆円は掛かるだろうと予測をして、この、ブッシュの始めた戦争を「3兆ドル戦争」と呼んでいる。

でも、ブッシュは、コイズミと同じで、莫大な借金を繰り返しながら人殺しを続けて来た。だから、巨大ハリケーン、カトリーナが来ることも分かってた上に、去年の12月のスマトラ沖地震が起こった時点で、もしもアメリカに同規模の津波が来たら、ニューオーリンズが大被害に遭うということもシミュレーションしてたのにも関わらず、それからの9ヶ月間、何の対策もせずに、今回の大惨事を引き起こしてしまったのだ。よその国を攻撃するのにお金を使い過ぎて、川の堤防を工事する予算も無かったのだ。そして、こんなバカを大統領に再選させたのは、アメリカ人自身なのだ。

見も心もブッシュに捧げてる飼い犬のコイズミは、ご主人様のブッシュが人殺しのために作った莫大な借金の穴埋めをするために、郵政民営化を推し進め、郵貯と簡保の3兆ドルをアメリカのハゲタカどもの前にバラ撒くってスンポーだ。そして、ブッシュが大統領に再選を果たした時に、世界各国のマトモな人たちは、「アメリカ人はバカなのか?」って言ってたけど、今回、衆院解散後にコイズミの支持率が上がったって言う摩訶不思議な現象を見て、世界各国のマトモな人たちは、「ニポン人はバカなのか?」って口々に囁いてる。ちなみに、コイズミは、今回の選挙で勝ったとしても、来年の9月の任期で退陣するって言ってるけど、もしも選挙で勝ったら、ブッシュがコイズミの継続を指示するそうだから、再来年も、その次の年も、そのまた次の年も、コイズミの独裁政治は続いて行き、ニポンは完全に北朝鮮になるだろう。



2005年09月03日(土) 疲れ、、、

きょうも明日も出勤。。。

やはり、疲れた、、、かも。。。

これぐらいで疲れるわけないんだが、、、ってのは数年前までの話かな?



2005年09月02日(金) 数学の家庭教師

昨日もきょうも、夜ゆとりがあったので映画を見たかったが、
数学の家庭教師をしなければならなかったので、泣く泣く諦めた。

長男は小五のころから不登校で、中学校にもほとんど通っていない。
それでも義務教育は卒業できる、、、というより、卒業させられるのだ。
おかしいことだと思うけれど、そうは置いておけないということなのだ。

で、今は通信制の高校生で、月に1回か、多くて2回程度の登校なので、
これは1日も休むことなく登校している。
もちろん、去年はかなりの心のケアやマインドコントロールが必要だった。
1年過ぎてようやく行くのが普通という感じになってきたようだ。
もともとが律儀すぎる性格が学校生活で破綻してしまったので、
レポートも最初から律儀に期限どおりに提出しているようだ。

中学校の勉強をほとんど習わないまま高校生になってしまったので、
試験が心配だったが、要求水準がそう高いわけでもないので、
去年1年間は、自力で何とかなった。
ところが、今年、数学1を受講したら、さっぱりわからん、に陥ったらしい。
それを妻から聞かされたのは2週間ほど前だが、私からは黙っていた。
中学時代、せめて家で教えようと試みたことがあったけれど、
もうそのころには「学校の勉強」というものを拒絶する状態にあった。
今は、通信に通いつつ、自力でリハビリしている段階だと考えているので、
こちらからは余計なお節介をしないようにしている。
救いを求めに来るかどうか、成り行きをなにげなく見ていたら、
昨日の夕飯の時に泣きついて来たので、教えることにしたのである。

数学1の最初でつまずいているらしいから、てっきり因数分解かと思ったら、
それよりも前の段階でつまずいているらしい。
(a2乗)3乗と、a2乗×a3乗なんて計算がまったくちんぷんかんぷん。
(a2乗)3乗はa何乗? と試しに聞いてみると、
「えーーと、、2×2が4で、2かけて8で、、、8乗」と答える。
意味が分からずに見た目で混乱している状態のようなので、
細かく説明しながら、
(a2乗)3乗=(a×a)×(a×a)×(a×a)=a(2×3)乗
a2乗×a3乗=(a×a)×(a×a×a)=a(2+3)乗
のように書いてやったら、目から鱗の感じだったようだ。
そこから始めて、テキストのいろんな計算をやらせてみた。

私も経験があるが、1度わからなくなるともう頭が受け入れなくなるものだ。
私の場合は、幾何のベクトルが障害になって、以後苦手意識にとらわれた。
高校2年の時、代数は得意科目のひとつにとどまっていたが、
幾何の方はもう先生の説明がほとんど理解できなくなり、
それ以後、数学はわからん、という意識が深まるきっかけになってしまった。

今夜は、式の展開と、因数分解を教えた。
最初でつまずいているだけに、すべてゼロからの出発という感じである。
その場で即席のよく似たパターンの問題をいくつも作って練習させた。
明日の午後、私が帰宅するまでの間に、テキストの問題を宿題にした。

しかし、この辺だったらなんとか教えられるとしても、、、、
もうちょっと先に行くと、家族で一番数学のできる父にもお手上げじゃー。



2005年09月01日(木) 大統領夫人としてのエビータ

自分の担当するラジオ番組で、逮捕されたペロンの釈放を訴え、
労働者の仲間と宣伝し続け、ついにペロンを大統領にしたエバは、
大統領夫人になってからも、自らの活動を続けた。
寄付金や募金などで基金を作り、貧民救済に尽力していたようだ。
それは一時しのぎの救済に過ぎなかったのかもしれないし、
その基金の経理は杜撰で、使途についての疑惑も多いようだ。
また、労働者や貧民の味方という立場で活動を続けながら、
自身のファーストレディというイメージを損なわないように、
高級ブランド品で身を固めてもいた。
それでもエバは、多くの庶民から、「聖母エビータ」と讃えられ慕われた。

どの時代でも言えることだろうが、
庶民のための政治を行う為政者はめったにいないし、
庶民の最底辺仁まで目をかけてくれる為政者などほとんどありっこないのだ。
エビータの活動は、彼らに夢を与え、希望を与えたのだろう。
そして、実際、エビータのしたことをまとめると、
国内の消費を活気づけ、イギリス資本を追い出したこと、となるらしいのだ。

庶民の支持を集めれば集めるほど、上流社会や軍部の批判は強まり深まる。
閣僚会議と思われる場面でも、エビータ批判が噴出する。
しかし、エビータの夫のペロンに、脚本家はこう語らせている。
「公約を果たし、支持を集めているのは彼女だけだ。
 我々も、彼女のように、ひとつくらい公約を果たさなければならない」


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