TENSEI塵語

2005年08月31日(水) 「エビータ」を見た

夏季休暇があと1日残っていたのを申請しておいた日だったが、
明日の試験の印刷にだけ、朝出勤した。
とにかく、昨日まで数日間も、問題作りが難航したのだ。
きょうも、枚数も多いし、類型も違うパターンを編集して、
ちょっと予定より時間がかかってしまった。

帰宅途中の昼前に買いものに寄ったら、マックのポスターが目に入って、
クラブハウスマックが明日までの限定だと知って、
電話で家族の注文を聞いて買って帰り、ビール飲みながら昼食にした。
うん、これはたいへん旨いではないか。
よかった、去年食べ損ねた月見バーガーのような恨みを残さないで。。。

それから2時間ほど昼寝した。
ビール飲んで昼寝なんて、休日の醍醐味ではないか。

起きてから、他にやることがあるような気もしたけれど、
ミュージカル映画の「エビータ」を見た。
「ファントム」の作曲家ウェーバーのヒットミュージカルのひとつ、
ということ以外、予備知識はなし。
冒頭で、お金持ちの老人の葬式らしい場面と、
民衆の母と讃えられているらしいエビータの葬式の場面が続き、
たいへんわかりづらく、何をしているのかわからない。
どうやら、最初の葬式の場面は、老人の娘と認めてもらえない私生児のエバ
を描いていたようだし、次の葬式の場面はエバの最期のようすらしい。
そして、エバの若いころからの物語に入った。

そこからはもうほとんど歌で物語が進行する。
対話も歌である。
さまざまなタイプの歌が続くとはいえ、基本的にアルゼンチンの情緒だから
聞きやすく魅力的な歌が多い。
「アルゼンチンよ、泣かないで」はサラちゃんのCDで何度も聞いた曲だ。
でも、それを初めて聞いたとき、すでに何度も耳にしたことがあるような
感じがしたので、いろいろなところで歌われているのかもしれない。

映画は、優雅な歌とは釣り合いがとれないほどの大事件の連続である。
郡部によるクーデターだの、ペロン大佐の逮捕だの、、、
内乱の砲火の間も、茶化すかのような説明役の皮肉な歌に紛れてしまう。
いったいこのエビータの物語というのは何だ? と、
途中でいったん映画を止めて、サイト検索をして調べなきゃならばくなった。
そのエバ・ペロンの生涯を下にコピペしておくが、
かなり忠実にできるかぎり細かいところまで、物語だけでなく、
歌詞のほんのちょっとしたところにも盛り込んでいるようだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
マリア・エバ・ドゥアルテはアルゼンチン、パンパス草原の貧しい村・ロス・トルドスで未婚のコック、フアナ・イバルグレン(1894年 - 1971年)と妻帯者である農場所有者フアン・ドアルテ(1872年 - 1926年)との間に生まれた5人の私生児のうちの一人として誕生。大都市ブエノスアイレスから離れた田舎町フニンで育つ。15歳で家出をしてブエノスアイレスに上京する。

ブエノスアイレスでは、さまざまな職業遍歴と男性遍歴を繰り返し、そこで出会った男たちを踏み台として出世。ラジオ・ドラマの声優、映画俳優として活躍しはじめ、B級メロドラマ映画やラジオドラマ「エル・ムンド」に出演していたころ、のちに大統領に就任することとなる軍事政権の副大統領兼国防大臣兼労働局長の肩書きを持つフアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会う。「エビータ」の愛称はラジオドラマのころから使われ始める。以後、ペロンの愛人として過ごし、その庇護の下で、自身のラジオ放送番組によってペロンの民衆向け政治宣伝を担い、貧富の差が大きかったアルゼンチンで貧しい労働者階級から大きな支持を得た。

1945年10月、米国の意向を受けたエドワルド・アバロス将軍によるクーデターが起き、ペロンは軍事裁判で有罪判決を受け(10月11日)刑務所に受刑、エバは国民に向かってペロンの釈放を呼びかける。1945年10月21日にアバロスが政権を放棄して釈放され、10月26日、ペロンと結婚。選挙母体であるアルゼンチン労働党の支援で選挙戦を戦ったフアン・ドミンゴ・ペロンは翌1946年3月28日にアルゼンチン大統領に就任。

ファーストレディとしての業績

夫のフアン・ドミンゴが大統領に選出された後、エバは政府における政治的な役割を果たした。ファーストレディ(大統領夫人)となったエバは国政に積極的に参加。慈善団体「エヴァ・ペロン財団」を設立し、労働者用の住宅、孤児院、養老院などの施設整備に務め、また、労働者による募金でミシン、毛布、食料などを配布、その一部は日本にも送られ、貧困層の不満を和らげた(逸らすととる見方もある)。正義党の婦人部門を組織するなど、ペロン政権の安定に大きな貢献をした。反面、財団を利用した蓄財や汚職の疑いも受けている。しかし、貧困者の優遇政策に務め、女性参政権を実現(1947年)したのも事実で、民衆・労働者階級から支持を受け、エビータと愛称で呼ばれるようになり、アルゼンチンで最も影響力のある人物だった。

このように、民衆から支持があったものの、アルゼンチンの白人富裕層からはひどく嫌われ、その経歴から「淫売」と批難を受け、女性として政治において活動的すぎる人物と見なす者も多かった。

1950年に「レインボー・ツアー」と呼ばれたヨーロッパ外遊を行い、スペインのフランシスコ・フランコなど、多数の国家元首と会見。これは第二次世界大戦後ファシストとして見なされたペロン政権をイメージアップする大規模な広報活動を目指すものであった。

エバは1951年、副大統領の地位を求めて政治的権力を得ようとしたが、この動きはエビータ自身と政府内における彼女の影響力の増大を嫌う軍部はこれに危機感を募らせたが、直後にエヴァが白血病と診断を受けたためもあってフアン・ドミンゴはそのポストを断念。

その死後

エバは33歳で子宮癌によって死去、その葬儀には数十万の市民が参列した。ペロン政権が軍事クーデターで1955年に倒れるまで、その遺体はミイラとして展示された。のち遺体はイタリアのミラノへ空輸され埋葬された。16年後の1971年に遺体は発掘されスペインに空輸された。国外に亡命していたフアン・ドミンゴはアルゼンチンに帰国し大統領に再び就任したが、1974年に死去した。エバの遺体はアルゼンチンに返還され、夫・フアンの遺体のそばに展示された。1976年の軍事クーデターによってフアン第3の妻でフアンの死後大統領職にあったイサベルが失脚すると、ブエノスアイレスのラ・レコレッタ墓地、ドアルテ家の墓に改葬された。



2005年08月30日(火) 秋の風情?

一昨日の夜、煙草を買いに外に出て、やけに涼しくなったのに驚いた。
きょうは昼から雨で、涼しい1日となった・



2005年08月29日(月) 「スピード2」を見た

やるべき仕事はあったのに、明日に延ばして、ついつい見ることに。。。

「みんなのシネマレビュー」というサイトがあって、
http://www.lares.dti.ne.jp/~jtnews/movie/database/treview/index.html

ちょいちょい参照するのだが、この「スピード2」は評判が悪い。
「スピード」が10点満点で平均点7.5点なのだが、
「スピード2」になると、平均点3.5点しかついていない。
感想など読んでみると、かなりの酷評が並んでいる。

でも、見たらやはりおもしろくて、夢中で見てしまった。

今回は、前座が車とバイク、メインが豪華客船、
最後のおまけがモーターボートと水上飛行機である。
前座とおまけは「スピード」にふさわしいのだけど、
メインの客船が「スピード」というタイトルにふさわしくない、
これが、「シネマレビュー」での不評の根本的な理由であろう。
同じシリーズにしないで、別のタイトルをつければ、
酷評を受ける必要もなかったに違いない。
とにかく、前作の方は、バスを爆走させ続けるしかないという
極めて異常な状況に置かれた緊迫感に占領されていたのだ。
客船を止めたい、客船のスピードを落としたい、では、
「スピード」の続編にふさわしくない。
しかも、前作よりもうんと悠長な場面が多かった。

でも、私は前作との関連をそれほど考えず、これはこれとして見ていたので
これはこれで大いに楽しめた。
客船が港町に突っ込んで行く長いシーンだけはどうも気に入らなかった。
サンドラは前作ほどかわいい感じではないけれど、多様な活躍をしている。
ラストの主役2人のやりとりも、相変わらず洒落ている。



2005年08月28日(日) きょうも「オペラ座の怪人」

久々にプロジェクターを引っ張り出し、スクリーンを広げて、
「ファントム」DVDを見た。
やはりこの演出と映像はすばらしい。
昨日からこの作品の世界に酔い浸っている感じだ。
これでヒロインがサラちゃんだったら、私の映画ランキング1位の座に、
「ベン・ハー」ともども並べてもいいほどなのだが。。。

それにしても、日本版予告編はひどい。
予告編の映像の構成については文句を言わない。
最後にダサいナレーションを入れるのはやめてくれぃ。
それに、作曲者ウェーバーのことを「現代のモーツァルト」なんて、、、
プッチーニ風の音楽じゃないか!



2005年08月27日(土) すばらしき「オペラ座の怪人」

ロードショーは見そびれてしまい、予約しておいた映画版ののDVDが
昨日外出から帰ったら届いていた。
夕食後少し宵寝(酔寝?)してしまったり、メールの返事に時間取られたり、
昨夜はなかなか見ることができず、そろそろ寝る時間になったのだが、
どうしても我慢できず、夜中の1時もかなり過ぎてから見始めた。
寝るのが4時ごろになってしまうと思っても、もうためらわなかった。
きょうがもし出勤だとしても、やめられなかっただろう。

ここ数年間で見た中で、最高の映画だ。
すでに、音楽は全編通じて名曲の連続だし、
台本も、20年間世界中でロングランされているわけだから確実だし、
残るは映像美だけ、ということになるが、おそらくそれに賭けてきたらしく、
もう最初から最後まで驚きの連続である。
群衆シーンなどの演出も実に気がきいていて精緻だ。
4時過ぎに横になってからも、しばらくは興奮のために寝つけなかったし、
4時間ほど眠って目を覚ましたときも、まだその余韻が残っていた。

たぶん、私がとりわけ感動する理由は、
すでにミュージカルを何度も見た長いファンとも違うだろうし、
この映画でほとんど初めてこの物語に接した人とも違うはずである。

2年前の4月か5月ごろにサラ・ブライトマンの歌声の虜になってしまい、
CDもDVDも見つかる限り手に入れる中で、
7月の初めにこのファントムのロンドン・オリジナル・キャスト盤を買った。
これを繰り返し聞く中で、私の中でサラちゃんの地位は確固たるものに
なっただけでなく、このミュージカルの音楽も非常に高い地位におさまった。
プッチーニやワーグナーのオペラよりも好きなオペラ、というほどに、
この全編の音楽が好きになったのである。
しかし、対訳本を何度か読んでも、どうもよくわからないところもある。
場面がなかなかイメージできないところも多い。
クリスティーヌがファントムやラウルとどういう気持ちで接しているのか、
どうもよくつかみがたい、、、これで、世界中の多くの人々に愛される物語
であるのは、なぜか、寧ろ不思議な感じを受け続けてきたものだ。
つまり、実際の演技的な部分はわからないまま、
音楽だけはだいたい覚えてしまって、心酔していたということだ。
映像化されたものは出ていないか、調べてみても、
このミュージカル版とはぜんぜん違う話のようなのしか出てないようだった。

昨夜、こういう点での今までの謎がすべて解けたのだ。
実にわかりやすく物語が展開していたではないか。
音楽だけを味わっていたさまざまな場面の意味が、
とびきり上質な映像とともに明らかになっていく感動をも味わったわけだ。
そして、聞こえる音楽も、意味がはっきり加わって、
ますます心を揺さぶってくるようになったわけである。


昨年、映画ができて封切られる前に、サントラ盤をさっそく買った。
この映画のためにウェーバーがかなり音楽を手直ししたと聞いたからである。
音楽の流れがオリジナルと違っているそうなので、
映画を見る前にそういう流れにも慣れておかなければならないと思ったのだ。
確かに、オーケストラがますます充実して迫力を増していた。
しかし、非常に落胆したのはクリスティーヌの声と歌の表情である。
その落胆が、ロードショーの間、見に行くのを延ばし延ばしにするのを
案外平気にさせていたのかもしれない。

しかし、昨夜見て思ったのは、クリスティーヌの歌声の遜色などというのは、
この映画全体の魅力から言えば、実に些細な問題だったということだ。
やっぱり、1、2度は映画館でちゃんと見ておくべきだった。
明日は、居間のスクリーンで楽しむとしよう。


きょうの昼には特典映像盤を見た。
全部見るとかなりの時間なので、サラちゃんの歌の映像と、
(コンサートの映像をパクって来たんだったら怒るぞ、と思っていたが、
 そうではなく、若いころのプロモーションビデオのようなものだった)
20年ほど前の、ミュージカルを作っていたころの思い出話の番組を見た。
だから、当時のサラちゃんの映像をちょいちょい見ることができた。
もう、めっっちゃかわいいので、ますますやられてしまった。
声といい顔といい、クリスティーヌはサラちゃんのためにある役なのだ。
(実際ウェーバーは、彼女ゆえにこのミュージカルを作ったのだ)

でもなぁ、40過ぎたおばさんに17歳の役を映画で演じさせるわけにも
いかないし、20年以上前だったら、こんなきれいな映像を作れたかどうか
わからないし、、、うまくいかないものだ、、、あーー、くやし!!
画質は問わないから、あのころ、ロンドン・オリジナル公演の録画が、
1本くらいは完全に保存されてないのだろうか、、?



2005年08月26日(金) 「僕の彼女を紹介します」を見た

去年封切られたころ、TVでもよく予告編みたいなのを見せられたが、
韓ドラに凝っていたさなかでも、そう見たい映画ではなかった。
第一に、題名が気に入らない。
第二に、ヒロインがかわいいという評判もあったが、そうでもないようだ。
第三に、その恋人同士のうち、どちらかかどちらもが死ぬらしい。
ま、そんなわけで、あえて見るような映画でもなかろうと思っていたわけだ。

それを、きょう成り行きで見るはめになったのだが、
見始めたらおもしろいの何の、、、前半はほとんど喜劇なのだが、
この笑わせ方は実に入念だ。
今までに見たことのない笑いの演出がいくつも盛り込まれている。
そうして前半で大いに笑わせておいて、後半は泣かせるわけである。
その泣かせ方も韓ドラ風になかなかしつこいし、
BGMにXの Tears というおまけ付きである。
「コミカルな笑いの後は号泣必至」という宣伝文句も、なるほどと思わせる。

しかし、喜劇部分が実に引き際よく快調なテンポを作っていたのに、
映画全体は引き際を見定められずにずるずると引き延ばしすぎた感が強い。
死んだミョンウが実際に姿を現してしまってはやはり具合が悪い。
それがしっかりとメッセージを伝え挨拶して去るなんて、興醒めである。
49日の奇跡とやらにこだわりすぎた失敗である。
不思議な紙飛行機をあれだけ登場させるなら、
あれをミョンウの象徴として上手に演出してほしいものだと思った。

そういう難点は、ラストの何分くらいだったのか、、、15分くらいかな?
そこまでは、かなりお気に入りの映画になったと言える。
あのおもしろい場面の数々を、ぜひまた見てみたいものだと思う。



2005年08月25日(木) 台風またそれる

台風11号が、一昨日あたりはこちらを直撃する雰囲気だったが、
結局先月の7号台風と同じように関東方面に向かった。
あの時と同じように、きょう1日雨も降らず風も吹かなかった。
このあたりにもっとも近づくと予想されていた時間も静かなままだし、
予想降雨量なるものも大はずれである。

台風情報の台風の軌跡図を見ていると、確かに予想し難いことがよくわかる。
北を向いたり東を向いたり、時には西を向いたり、、、
図で見れば短い曲線の集積なのだが、実際は悠長な動きなのだろう。
甚だしい例として思い出すのは、去年だったか一昨年だったか、
台風は概して北東方向に進むという我々の先入観に反して、
本州に近づいてから3日ほどかけてゆっくり西進し、
再三台風に見舞われてダメージを受けていた四国の南海上で突如北上し、
今年は四国いじめの年じゃ〜、と言わんばかりに四国に上陸した台風である。
今年の7号・11号もそうだが、台風のような自然現象でも、
意志とかしめしあわせというものが働いているのではないかと思わせる。
昔の人は、そういう意志をもっと強く素直に感じ取っていたに違いない。


今夜は、予想外に静かな夜を、宵寝して過ごしてしまった。
8時半ごろ、もう何だか耐えきれなくなって横になったら、
もう何を考える間もなく意識を失ってしまったようだ。
土日に疲れ果てたまま勤務を続けてきたからしょうがないことだ。

起きたら、何となく7年前に自殺した元同僚のNくんのことを思い出してた。
実に感傷的な気分。。。
なぜ、彼のことを思い出していたのかはわからない。
夢で見ていたのだろうか?
たった3時間の眠りから覚めたばかりなのに、夢を見たという記憶はないが、
そうだとしても、なぜ唐突に彼の夢を見ていたのだろうか?
人間の心というのは、自分の心でさえもわからない。
自然現象よりもうんと不可解で唐突である。



2005年08月24日(水) 「シザーハンズ」を見た

これも、11月に799円で買っておいた1本である。
これをなかなか見られないでいたのは、時間や心のゆとりのためだけでなく、
ケースの写真などを見ていると、ホラーを予想してしまうからだった。
何か、ハサミの手で夜な夜な美女の首をチョン切る男の話みたいな、
そんな印象を長く抱いていて、抜け出せなくなるのだ。
patamama おばさんが、そうじゃないの、と笑って力説する。
「ほんわか温かい気持ちになって、どわーーっと泣けるの」
で、勇気づけられ、連日の鑑賞欲の勢いで見ることにした。

予想とは正反対というか、異次元といってもいいほど、
実際の映画はコミカルなメルヘンだった。
エドワードはハサミの手で庭木の剪定をするのが得意で、
町の家々の庭木を楽しい形に剪定し、次いで犬の毛も刈り始め、
更には奥さんたちのヘアーカットまでみごとにこなし、町の人気者になる。

ところが、このメルヘンに、生々しい悪者が登場する。
エドワードが初めて恋をする女の子キムの恋人だ。
この悪者ぶりがいかにも現実的なので、メルヘンはぶち壊しだ。
結局、エドワードは、さまざまな濡れ衣を着せられて逃亡し、
生まれ育った古城に帰って、ひっそりと暮らすことになる。

いずれ、古城に戻ることになるだろうとは予想していたが、
なーんにも悪いことしてないのに迫害されて、
悪者扱いのまま終わらせるなんて、許せん!(`ε´)
こういう展開は嫌いだ。
ヒロインのキムも、なんでそこで別れてしまうのか、
成長してもエドワードの弁明をしなかったのか、どうも結末が解せん。

不可解な悲劇の結末に向かう直前の、氷の彫刻の場面は圧巻だった。
エドワードが氷を削ると、その氷片が雪となって降ってくる。
キムが幸福そうにその雪の中で舞う。
ここまでのメルヘンを完成させる美しい場面である。

老婆となったキムが幼い少女に語り聞かせているときに降っている雪も、
エドワードが城で氷の彫刻をしている、というラストである。
「エドワードが現れるまでここに雪が降ったことはなかった」とキムが言う。
実にロマンティックなラストで、それまでの気に入らない展開も、
自然と帳消しになりかけた。
しかし、城の窓から外に出る氷片があまりにも多すぎて不自然。
またそこでも興醒めしてしまった。



2005年08月23日(火) 「デンジャラス・ビューティー」を見た

サンドラ・ブロック主演のこの映画のDVDを貸してもらったので、
夕食後さっそく見た。
FBI捜査官が、潜入捜査のためにミスコンに出場するという筋立てながら、
ほとんどハラハラドキドキすることもなく、実に先の見えやすい展開で、
ただただ楽しめるコメディー映画だった。
サンドラは、何か不思議な女優だ。
「スピード」では、途方に暮れたり軽口叩いたりするのが可愛かったが、
この映画では本当に多様な表情を見せてくれる。
「デンジャラス・ビューティー2」は、すでに昨日予約注文した。



2005年08月22日(月) 「ダイ・ハード」を見た

「スピード」もこれも、い〜でじシネマで799円で売っていたときに
買っておいたのだが、それがもう届いてから9カ月も経っている。

うーーん、これも確かに評判どおりおもしろい。
普通の人はこれをとっくの昔に見て感心してるのだろうけど、
私は最近の連ドラの「24」を先に3シーズンとも見ているので、
コンパクトな「24」という感じがした。
もちろんそれは、「24」と同じように楽しめ、
2時間余りで完結してよかった、という意味である。

それにしても、警察はともかく、FBIまでこんなに愚かに描いて、
何のいやがらせもなかったのだろうか?
最後に、ジョンに駆け寄って事情聴取を迫る警視の「公務執行妨害」とは、
いったいどういうことであろうか?

この映画の不満は、約4つである。
ひとつは、魅力的なヒロインがいないこと。
主役の妻は常に沈着冷静で、最後にはニュースキャスターをひっぱたいたり、
それなりにはいい役柄ではあるが、もっと他のも見たいとは思わない・
2つ目は、差し迫ったあたりでの、呑気な会話の場面が長すぎることだ。
3つ目は、エンディングの音楽。
4つ目は、エンディングの映像で、ちゃんと帰宅し、子どもを抱き上げ、
ニューヨークから抱えてきたクリスマスプレゼントを渡すところまで
見せてほしかったということだ。



2005年08月21日(日) 混成バンド練習会

昨日の午後ときょう1日、混成バンド練習会だった。

混成バンドのトレーニングをもう10数年やっているが、
今までで一番人数が多い(100人ちょっと)ということよりも、
今までで一番、前途多難を感じさせる。
曲は4、5年前にもやったパーンズという作曲家の
「パガニーニの主題による幻想変奏曲」という曲である。
もちろん簡単な曲ではないし、10数分かかる長い曲なのだけれど、
以前やった感触で、まぁ行けるだろうと予想したのである。
いわば、無難な方の選曲のつもりだったのだ。
ちなみに、市吹で扱ったときは、他の難曲よりうんと短時間で仕上がった。

昨日は結局、ほとんど形にならないうちに終わってしまったので、
私自身が完全にへこんでしまった。
できるのだろうか、、、できないかもしれない、、、でもそれは許されない。
例年に比べて、今年のメンバー(希望者)は音の出が悪い、
小さい音でちまちま吹いている、だからこれから出させなきゃいけない。
しかし、金管のハイトーンが出ない、というのは何とかなるのだろうか?
木管の指の動きもかなり悪そうだ。。。

昨夜は憂鬱な思いでそのまま市吹の練習に出かけ、
憂鬱な思いをかなり吹っ飛ばして帰ってきた。

きょうの練習は、登録メンバーの6割くらいだった。
夏休み中の土日で、昨日も家族旅行などで2割近く欠席していたが、
きょうは、模擬テストでさらに2〜3割が欠席した。
きょう来ただけのメンバーで、とりあえずそれらしい形にはできた。
もちろん、まだぜんぜん形になってない部分も2、3カ所ある。
1ヶ月後の練習日までに、各自がどれだけ練習して来てくれるかが勝負だ。
不安だが、祈るしかないのだ。

それにしても、なぜこんなに、、??
混成バンドに希望してくる生徒は、熱心な方の生徒たちのはずである。
そういう子たちが、自分の楽器がどれくらい鳴るべきか、
どんな音で鳴るべきかを知らないまま、毎日練習しているわけである。
今朝も、ソプラノサックスを持ってきていた生徒が、
あまりにも小さい音で熱心に練習しているので、ちょっと話をして、
4倍くらいの音量にしてやった、、、もちろんまだまだ足りない、
とりあえずその楽器の音にようやく似てきた、という程度である。
音になってないような音で、何年も毎日難しい音符を見て指を忙しく動かす
練習ばかりしているなんて、実にかわいそうなことではないか。



2005年08月20日(土) 「スピード」を見た

昨夜、日付はきょに変わってから、何となく「スピード」を見始めた。
さっと引き込まれ、時間を忘れて夢中で見てしまった。
ヒロイン役のサンドラ・ブロックも気に入ってしまった。
「デンジャラスビューティー」を見たくなったけど、まだ手元になくて
すぐには見られないので、今夜はまた「スピード」を途中から見よっと。

爆弾を仕掛けられての人質救出アクションシーンは、
最初がエレベーター、次のメインがバス、最後が地下鉄電車なのだが、
前座であり、サンドラのまだ出てないエレベーターのが最高だった。

ラストの、キアヌとサンドラが生き延びて(役名忘れた)
交わした軽い会話につい涙ぐんでしまった。
そんな思いにさせるほど、ハラハラドキドキが長かったのだ。
心底ほっとした、という感じである。

人質はひとりも死ななかったけれど、
バスもキアヌの車も何台もの車を蹴散らしてしまったじゃないか。
その車の運転手たちは無事なのだろうか。
映画の中心にいる人物たちの命ばかり大切にしても、
その他の死はへいっちゃら、というのはちょっとまずいのではないだろうか。



2005年08月19日(金) 火の始末

朝出る時からまずたいへんだった。
少々寝坊もしたのだが、出かける前に、きょうの仕事に必要な資料を
PCから出してプリントアウトしなければならないことを思い出して、
その作業をしたりしているうちに、10分は遅刻という時間になった。
車に乗ろうとしたら、とっくに出かけた妻から報告が入った。
トンネルは閉鎖、岐阜市街に迂回しようとすると渋滞が動かない、、、
それで、かなり遠回りだけど、上流の千鳥橋から各務原市内を通って、
川島方面に抜けるコースを使った。
結果的に遅刻は30分くらい。。。
ま、休み返上で何度も出勤してるし残業も多いから、知らん顔した。

補習の準備だの、明日明後日の混成バンドの練習の準備だの、部活だの、
いろいろと仕事があって、ちょっと慌ただしかった。
それでも、「イン・ザ・プール」の読み残しの1編を読み終えた。
「いてもたっても」という題の短編なのだが。。。

ここには、煙草の火の後始末が、外出時に気になってしょうがない男が
登場するが、程度の違いはあっても、それは私自身でもある。

私は外出する前に、煙草の火の点検を数回する。
まず、灰皿とその周辺から煙が出ていないかを入念に確認する。
いったん部屋を出て、普通の空気を吸ってから、再度確認しに部屋に戻る。
それを2、3度する。
よほど確信持てる時はそれで終わりである。
たいてい、気持ちのゆとりのあるのんびり過ごしたときはそれで済む。
しかし、一心不乱に仕事していたときや、何か書いていたときは、
煙草も無意識に増えているから、いろいろと不安に取り憑かれる。
2階まで降りてから、また3階に戻って点検することもあるし、
いったん玄関を出てから、確認しないでいられなくなることもあるし、
車に乗って出発してから、戻って確認したこともある。
点検したときはそれでよかったはずなのに、
ちょっと気になり始めると悪い想像ばかりになってしまうのである。
で、点検に戻ってみると、何のことはない、平和そのものである。

小説の主人公はこんな程度ではない。
けれども、作者がこういう人物を描いたということは、
偏執的に火の始末を気にする人間が私以外にも少なくないということだ。
私以上に甚だしく気に病む人もいるということなのだろう。
私はある時、自分のそういう性向を異常に思ったこともあった。
火の始末だけでなく、学校の戸締まりに関してもこんな風だったのだ。
けれども、この小説の主人公ほどになると異常な精神的病であるならば、
私のは、用心するに越したことはない、という程度なのだ。
そして、同類が世の中には案外たくさん存在するに違いないのだ。
そう考えると、いくらか気が楽になった。
自分の性向を気に病むことなく、気が済むまで点検すればいいのだ。

この4日間に読んだ奥田英朗の2冊の連作集には、そんな効用もあるようだ。



2005年08月18日(木) ケータイ10年目

一昨日読み残していた奥田英朗の「イン・ザ・プール」の残り2編のうち、
「フレンズ」という題の短編を読んだ。
ケータイ依存症の少年の話である。
1日に200通以上もメールを打ち、
ケータイなしにはまともに生きていられない少年がよく描かれている。

私も、ケータイをうっかり忘れると取りに戻るという点では依存症かも
しれないが、通話は平均してしまえば1日あたり1回程度だろうし、
メールも1日あたりにへいきんすると、1〜2通程度だろう。
ケータイにメールが来ても、目の前にPCがあればPCから返信する。
ケータイメールの親指作業は今でも苦手だし、億劫である。
買ったときもそうだったし、今もそうだけど、9割方は緊急連絡用である。
その用をしっかり為してくれなければ困る、というわけである。

ふと、足下に落ちていた未開封のauの封筒を開いてみたら、
それは5月の請求書で、私のケータイ契約月数は121ヶ月だという。
ということは、8月の今は10年と4カ月ということか。。。
そんなに経ったのかな〜、とちょっと不思議な気もするが。。。

買ったのは、各務原のとあるホームセンターである。
何と、5万何千円もしたし、1〜2日後に取りに行ったはずである。
今のように手軽に買えるものではなかったのだが、
家庭用の電話を引くのに10万円以上したのだから、安いもんだと思った。
しかも、家庭用電話より便利なことも格段である。

通話だけでも十分便利だったのに、さまざまな機能がつくようになった。
けれども、私はめんどくさくてあまり使ってないのである。
メールを打つのも時々だし、写真を写すこともめったにない。
ケータイ歴10年だけど、活用実績は、
ケータイ歴1年の若者に遠く及ばないのかもしれない。



2005年08月17日(水) 「空中ブランコ」など

出勤しても仕事がなさそうな気もしたし、休んでもよかった。
しかし、出校日や始業式の前日に休んでしまうのは、どうも落ち着かない。
部活がらみで多忙だったころは、前日だろうが何だろうが出勤していて、
選択の余地がなかったものだから、そのころの精神的な名残かもしれないが、
割と暇になってから、出校日の前日に休んだら仕事が飛び込んでいて、
翌日出勤してから大焦りに焦ってバタバタしたこともあったので、
特に用事がない限り、とりあえず出勤してみることにしている。
何もなければ、途中で休暇をとって帰ってしまえばいいし、読書でもいい。
きょうも、補習の準備をし、楽譜の点検でもしたら、
あとの時間は「空中ブランコ」を読んで過ごせばいいだろうと、出勤した。

職員室に入ったら、来ているのは私の他に5人ほどである。
教頭もいない。
机の上に、本屋が図書館用に置いていった雑誌が積んであった。
一番上に乗っているのが文芸春秋で、芥川賞受賞作掲載、とある。
中村何とかという若い作家の「土の中の子ども」という作品である。
補習準備などよりも、まずはこれを読むことにした。
いつも、書き出しがおもしろくないなぁ、と思うのだけれど、
きょうのはなかなか読ませる書き出しである。
暴走族に因縁つけられてめった打ちにされる心理に興味もかき立てられて、
そのまま読み耽っていた。
明快な文章である。
しかし、昨日読んでいた直木賞作家の旧作とどう違うのかな?とも思った。

そこへ、去年までの図書主任が現れて、仕事を教えてくれた。
何と、きょうはそのために来るべきだったのだ。
きょう来た甲斐があったわけだ。
明日の読書感想文提出に備えて、
お願い&名票を貼り付けた角封筒を用意して配布しておくのだという。
そういえば、去年そういうのをもらってたなぁ、、、と、
さっそくその作業を1時間近くかけて済ませた。
不意に湧いたような仕事だけれど、きょうの出勤の目的が果たせてうれしい。

それからまた「土の中の子ども」を読み続けた。
生きる意欲が湧かない同棲する男女の話が延々と続いている。
女の方がわりとサバサバしているので救われるが、こういうのは好きでない。
しかしまぁ、それがどういう経歴から来るのかとか、
最後は多少希望のある結末になるだろうが、どんな解決かな? と、
そんな興味で、我慢して読み続ける。

昼になったので、「空中ブランコ」を持ってランチに出て、2編を読んだ。
昨日読んでいた「イン・ザ・プール」の続編の連作小説で、
精神科医伊良部の話だが、「イン・ザ・プール」より格段におもしろい。
昨日は、まぁまぁおもしろいながら、笑えるほどではなかったのに、
今度は思わず吹き出しそうになるので、他の客の視線が気になって困った。

学校に戻って、また芥川賞を読み続けた。
職員室の照明が暗くて粗悪なので活字がとても読みづらい。
主人公の前歴が明らかになる。
幼児期に両親に捨てられ逃げられて、親戚の世話になって虐待された。
山中の土の中に生き埋めにされて、諦めかけたが、自力で這い出した。
死ぬ直前に救われて、施設で育てられた。。。
しかし、その深層心理の叙述には、読みながら辟易した。
あんまり言葉を費やしすぎると、限定的で観念的になってしまうぞ。
結局、後半は類型的な展開になってしまった。
登場人物の存在感も希薄なまま。。。。


その後は「空中ブランコ」を読み続けて、10時ごろには読み終えた。
これはおもしろいし、結末がうれしくて涙ぐむこともあった。
精神疾患者の話という点では、さっきの芥川賞と似たようなものなのだが。。

1 空中ブランコ・・・空中ブランコフライアーの悩み
2 ハリネズミ・・・・やくざの若頭の悩み
3 義父のヅラ・・・・学部長の娘の婿となった大学病院医の悩み
4 ホットコーナー・・プロ野球の一流三塁手の悩み
5 女流作家・・・・・人気女流作家の悩み

それぞれの登場人物がそれぞれの悩みと闘う姿もおもしろいのだが、
それに対する精神科医伊良部の処方がおもしろいだけでなく、
伊良部の言動が回を追うごとにかわいくなっていくのもおもしろい。
人間の心というものは、一筋縄ではいかないものである。
この作者は、そういうことを認識した上で書いているようだ。
だから、伊良部のような破天荒の医者が、作品世界に溶け込んでいるのだ。

ちなみに、精神科医伊良部の治療法は、患者と無邪気に遊ぶことである。
患者が前向きに生きられるようになった功績が、自分であろうがなかろうが
おかまいなし、、、そんなさわやかな心理小説なのである。



2005年08月16日(火) 雷雨

昼前に学校に楽譜を探しに出かけた時は、いつものようにひどく暑かった。
ラジオで、豊橋だの浜松だの三重県だのが30〜32度程度なのに、
このあたりだけ35〜36度で突出しているのを聞いてイヤな予感がした。
案の定、夕方に2時間近く、激しい雷雨である。
この雷雨は6時前におさまり、晴れた。
ところが、夕食後、またもや激しい雷雨である。
1日に2度もあるのは珍しい。
そして、そのまま0時近い今も雨が降り続け、時折微かな雷鳴が聞こえる。

夕食後の雷雨の時は、この部屋に居ながらにして初の体験をした。
本を読んでいた目の前にまで、パシッと閃光が走ったのである。
あたかも目の前に雷が落ちたかのような光だった。
すかさず、バリバリッガラガラッという激しい雷鳴である。
私は、普段はそれほど雷を怖がらないのだが、この時は心底怖かった。
窓の外に稲妻が走るのを見るたびに怖れおののく心情になった。

妻は、夕方の雷雨がおさまって晴れ間が出てきた中をお通夜に出かけたが、
帰り道でこの激しい雷雨に襲われた。
フロントガラスの前がまったく見えなくなる豪雨の中を何とか帰って、
駐車場から自宅へと歩く間に、この激しい落雷と出会ったようだ。
本当に自分の目の前に落ちたかのような気がしたそうである。
思わず身をかがめたりしながら、傘をさしていながら全身ずぶ濡れで帰った。

先週の金曜日だったか、やはり午前中やたらと暑いと思っていたら、
昼に一転して、激しい雷雨になった。
窓の外の光景は、台風を思わせるような激しい風雨で、
四方八方で雷さんが大暴れしているかのようなゴロゴロが聞こえていた。
暑さも異常だが、雷雨も尋常でないような感じである。
お天道様は、何をお怒りになっているのであろうか?

一方、四国は雨が降らず、渇水寸前という報道である。
去年だったか一昨年だったか、次々に発生した台風の大半が、
わざわざ四国経由で日本の上空を駆け抜けて行ったのとは対照的な年である。
風雨に恵まれすぎて不安に苛まれる年もあれば、
渇水の不便に苦しめられる年もあるということだ。
お天道様が何に怒ってるかわからないが、とにかくお天道様は非情なのだ。



2005年08月15日(月) 「真実の行方」を見た

リチャード・ギア好きなおばさんが「Primal Fear」というDVDを
貸してくれた。こちらから貸してと言ったわけではない。
暇なときがあったら、ちょっと見てみて、という程度のことだ。
どんな映画かという説明もなし。
ま、話し始めたら全部話してしまいかねないので、説明しないのだ。
昨夜(というよりきょうの未明だ)気紛れに見始めてみた。
どんな映画かさっぱり知らないまま見始めた。
題名についても、何かよくわからないまま、「主な」「初期の」「恐れ」と
断片的な訳語だけ曖昧に浮かべてはいたけれど、ほとんど意識の片隅。。。

主人公は弁護士で、要するに真実追究の法廷サスペンスだ。
法廷ものはたいていおもしろいものだ。
司教が惨殺されたときに血まみれで逃げていた少年が容疑者として捕まる。
マスコミに注目されて華々しい活躍を続ける弁護士マーティンは、
この少年アーロンを無罪にすべく、弁護をかって出る。
ところが担当検事になったのは、マーティンの元恋人ジャネットである。
アーロンは、孤児となり路頭に迷っているところを司教に拾われ、
司教を父親同様にしたいつつ、ミサなどの手伝いをして仕えていた。

マーティンの捜査の中で次第に明らかになるのが、司教の秘密の時間と、
その犠牲になる司教に拾われた少年少女たちの生活である。
そして、アーロンの中にもうひとつの凶暴な人格ロイが存在することも。。。
ロイは最終公判で、ジャネットに追及されているときに現れ、
ジャネットに暴力を振るった。
公判は中止され、アーロンは多重人格者として病院行きとなった。

映画の最後に用意されていた大どんでん返しは、
いくつかの可能性として私の頭の中にも浮かんではいたが、
それにもかかわらず衝撃的だったのは、
アーロン/ロイ役のエドワード・ノートンの演技のうまさのためだろう。
見終わった後で、「みんなのレビュー」サイトを見てみたら、
(ここへ行くために邦題を調べたのである)
多くのカキコがノートンの演技を絶賛していた。

もうひとつ、この映画で驚きだったのは、映画の途中でも流れ、
エンディングでも流れていた歌が、サラちゃんの「ハレム」だったことだ。
もちろん、9年前の映画だし、歌っているのは別の歌手である。
てっきり、サラちゃんのオリジナルの歌だと思っていたのに、、、で、
CDの解説を読んでみたら(今まで読んでなかった)、
「ポルトガルの巨匠カルロス・フレデリコ・デ・ブリトーが書いた
 『海の歌』は若きカントの女王ドゥルス・ポンテスが歌い、
 映画『真実の行方』のサウンドトラックにも使われ、
 世界の著名曲になった」
と、ちゃんと書いてあった。



2005年08月14日(日) 郵政民営化は米国の国益に

きょうは、何週間ぶりかで、「オールイン」の続きを何話か見る予定が、
昼寝もしてしまったし、夕方から夕食後は吹奏楽の名曲探しに没頭して、
1話しか見ることができなかった。

橋本BBSで、越前氏が紹介していた、森田実のインタビューが、
いちいちもっともに思われるし、とても明快なので、
熟読すべく、asahi.com からそのままコピペしておこう。(行換え等加工)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の解散・総選挙をどう見ればいいのか。識者に聞く。

<上:政治評論家・森田実氏に聞く>

 ――小泉首相がいう郵政民営化の真の狙いは、何なのでしょうか?

小泉さんは郵政民営化は自分の信念だと言いますが、
その根っこに一番重要な日米関係があることを隠し続けていますね。
米国政府が毎年、日本政府に突きつけてくる
『年次改革要望書』の存在をご存じですか。
93年の宮沢首相とクリントン大統領の日米首脳会談で決まり、
翌年から始まった。
米国の国益にとって都合の悪い日本の制度、法律の変更を迫る要望書です。
日本のこの10年間のあらゆる構造改革の、いわばバイブル。
米国政府の最後の大きな要求が郵政民営化なのです。

 ――米国の圧力?

小泉さんがやりたいことと米国の利害が一致しているんですよ。
クリントン大統領が米国の財政難を救うために、
日本の郵政民営化に目をつけたんですね。
法案が提出されたとき、米国のウオール街は大変だったそうです。
『郵政公社の覆いが取れ巨額マネーが世界のマーケットに流出してくる』と。
郵貯・簡易保険の340兆円は国民がつめに火をともすようにためた金です。
郵政民営化は日本国民の利益になると小泉さんは言いますが、
米国ファンドのごちそうになるだけだと、私は見ています。

 ――総選挙で与党は勝てますか?

小泉さんは『与党で過半数を取れなかったら退陣する』と大見え切りました
が、そこには数字のトリックがありますね。
衆院の過半数は241。解散時の自公与党の議席は283で、
そこから自民の造反議員37を引いても、過半数を5議席も上回っている。
何のことはない、現状維持でいいんですよ。
無所属で立って当選した造反議員を入れていけば、勝利の幅がどんどん広がります。

 ――選挙後は?

勝利すれば、小泉さんは郵政民営化法案の修正案を国会に出すでしょう。
しかし、それよりも重要なのは、首相の乱暴な政治手法が国民に支持され、
承認されたということになる。
議会を、党を、民主主義を無視していい。『小泉対国民』なんだと。
ヒトラー以上の強権小泉独裁体制が誕生します。

 ――民主党の政権交代の可能性は?

民主が勝つとすれば、争点を『郵政民営化に賛成か反対か』に絞ろうとする
小泉さんの思惑を打ち破れるか、にかかっています。
最大の争点が郵政民営化でなく増税問題になれば、
小泉さんも解散も無意味になってしまう。
民主は自民の分裂を突いていくしかない。
解散時の議席は175。
自民の造反議員の37プラスアルファを獲得できれば、
比較第1党の可能性はあります。
サラリーマン増税反対がポイントになるのでは?

 ――投票率は上がりそうですか?

小泉さんが『郵政解散』といっていることには、
投票率を引き下げようという明確な戦略を感じますね。
メディアが『総選挙の争点は郵政民営化』と大騒ぎすればするほど、
有権者はしらける。
外交や景気、失業、北朝鮮、治安など重要課題は山積み。
戦後60年の節目の総選挙です。
21世紀の日本をどんな社会にしていくか。
争点を郵政民営化だけに絞ろうとするのは、
あまりにも国民を愚弄ぐろうしていると思いますよ。
   




2005年08月13日(土) 「ターミナル」を見た

午後、時間が空いたので借りたDVDを見てみた。

実は、この映画の短いCMやポスターなどから先入観を抱いていて、
見始めてからしばらくの間は、いろいろと戸惑った。
まず、てっきり哀感漂う映画かと思っていたのに、喜劇なのに戸惑った。
ポスター(DVDケースのだけど)のトムは泣いてるじゃないかー。
しかも、てっきり誰かを待って自ら待ち続ける話かと思ってたら、
母国の国情激変のために、ビザが無効になってしまって入国不可となり、
そういう大がかりな事情のために、待たされてしまう話でもあった。

要するに、亡き父とのささやかな(本人にとっては大きな)約束を果たしに
ニューヨークにやってきて、立ち往生させられてしまうわけだ。
空港内に閉じこめられ、手持ちの金も使えない状態にありながら、
彼の立ち往生の半年間には、多くのドラマが展開する。
食べるための収入を得る工夫、スチュワーデスとのロマンス、
親友たちもできるし、空港内に働く人々からの信頼にも包まれる。
立ち往生し、先に進めなくなった彼の人生は、停滞しない。
それは、彼の人格の温かさのためでもあろうし、
何といっても、父との約束という、大きな〈目標〉があったためでもあろう。

彼は、違法行為の誘惑をはねつけて、合法になる日を待ち続けた。
誘惑にのってしまっていたら、約束は果たせなかったろう。
しかし、その合法の日も、権力からの脅迫によって阻止されそうになる。
それを救ったのは、空港での親友のひとりの犠牲的行為である。
彼はその犠牲を無にすることのないよう、勇気を出して空港を出る。
彼の目標である父との約束は、いとも簡単に果たせてしまう。
この半年間の苦労に比べれば、いとも簡単に果たせてしまうのだ。
しかし、彼の感慨は、空港で足止めを食うことなくそこに行った場合の、
何倍も深いものになっているのであろう。



2005年08月12日(金) 混成バンドの準備

コンクールの仕事も終わり、ほっとした後にいつものしかかってくるのが、
混成バンドの曲選びである。
去年は、櫛田氏の新曲を初演することになっていたから、ラクができた。
それまでは毎年、胃の痛くなるような難問として、
8月中旬の、夏期休暇中の私を責め苛んでいた。
一昨年は、数日悩んだ末、例年の本番指揮者の希望曲に決めたら、
実際練習を進めるうちに、大失敗の選曲だったことに気づいた。
やっぱり、あまり複雑でない、明快で美しいメロディーを持った曲を
選ばなければいけないと痛感したものだ。

今年の最初の練習会は、20・21日の土・日である。
もう決めて、今年の本番指揮者に了承してもらわなきゃいけない。
今年初めて頼む指揮者がどんな人かはぜんぜんわからないから、
そういうことは考えないようにしよう。
事務局は知った人物だそうだから、とにかくその方面はお任せ。

今年の混成バンド参加生徒は、ここ3年ほどの90人レベルを更に越えて、
103人だという。
だんだん減るものだという予想と反対に毎年増えるばかりである。
アルトサックスとトロンボーンが特にやたらと多くて十数人いるようだ。
100人編成でも8人程度いればいいパートが、その倍もいる。。。
そして、パーカッションは9人だそうだ。

とりあえず、今年の市吹の定演でやった「第六の幸福をもたらす宿」を
候補のひとつとし、きょう出かけたついでに学校に寄って、
書類整理をしたついでに、その楽譜を持ち出してきたのだが、
木管群のハイトーンなど、いろいろと不安材料がある。
帰宅してぼんやり考えていたら、ふっと思いついたのが、
バーンズの「パガニーニの主題による幻想変奏曲」だ。
数年前混成バンドでやった曲だが、あの時の生徒ではないし指揮者も違う。

またお盆休暇中に、学校に行って楽譜を取って来なければならなくなった。



2005年08月11日(木) 「山妣」読み終わる

ぜんぜん読めない日も多くて、20日以上もかかってしまった。
読んでいても、なかなかページを次々にめくるような読み方はできない。
明治末期の越後の奥深い山村や山間の生活が描かれているので、
情景をイメージするのに骨の折れることが多い。
セリフの部分になると、方言が使われているので、
時には繰り返し読んで、意味をとらえ直さなければならないこともある。
しきたりや慣習についても馴染みの薄い事柄が多い。
文章自体はたいへんわかりやすく綴られているのだが、
そうしたさまざまの難解な材料が散りばめられているので、
これでもしお堅い文章を書く作者だったら、さっさと投げ出していたろう。
きょうは午前中に残っていた150ページほどを一気に読んだ。

最初は「やまんば」という化け物をめぐる話かと警戒しながら読み始めたが、
そういう話ではないことが、第2部から第3話の最初ではっきりする。
題名には「やまんば」でなく、「やまはは」とかながふってある。
「妣」という字を辞書で調べてみると「死んだ母」という意味である。
しかし、この小説の「山妣」は死んでいるわけではない。
読み終わってその意味を考えてみると、
「人間であることを忘れて山でひとり生き続ける母」ということだろうか。

「死国」のような幽霊みたいなものが出てくる話ではなくて、
希望なき運命に墜ちた普通の人間たちの生き様を描いた話であった。
普通の人間といっても、まずちょっと不思議な人物が2人いる。
両性具有の舞台役者涼之助と、
村の地主の一人息子鍵蔵の後妻てる(正体不詳)なのだが、
この2人はまったく無関係な生涯を送ってきて出会いながら、実は、
山妣と噂され、山中に隠れ住んでいるいさの生んだ子なのだった。

いさは、かつて遊女生活から抜け出すために、金を盗み、人を死なせ、
一緒に逃げてくれるはずだった文助に金を持ち逃げされ、
山中に身を隠して暮らすしかなくなった女である。
一度死にかけた時に助けてくれた、山を渡り歩いている重太郎という男に、
山の中で生きる知恵や獣の解体法などを教わり、一人で生きてきた。
その重太郎は、涼之助が生まれたとき、山の神の怒りに触れたのだと、
いさにも見せずに涼之助を抱いたまま姿を消した。
そして、東京の役者扇水に涼之助を託した、という経緯である。

下巻(第三部)では、村人たちの熊狩りを中心に、
涼之助の旅立ち、文助の金鉱脈探しが絡まり、痛々しい死が続く。
文助が死に、てるも死に、鍵蔵も死ぬ。
熊に囓られ食われしての、凄絶な死である。
盲目の瞽女琴まで死なさなくてもいいではないかと、一瞬作者を恨んだ。
気立てのよい無邪気な娘を、誤解の鉄砲で死なせるとは残酷な作者だ。
しかし、琴はささやかな快楽の中で、涼之助に阿弥陀さまとの出会いを感じ、
悦楽の中で死んだので、今後、煩悩に苦しみながら旅を続けるよりは、
この突然の死の方が幸福だったのかもしれない。

下巻の光は、いさの母としての姿だろう。
母親らしい言葉をかけるわけでもなく、きわめて無愛想である。
人間としての感情表現も言葉のかわし方も忘れてしまっているかのようだ。
24歳(?)にして初めて母に会った涼之助も、何日も過ごしていながら、
山妣であるいさを母とはなかなか認めることができない。
餌だけを与える親であるに過ぎない。
母親としての心も長年の間に捨ててしまっているのであろうか。
涼之助が旅立とうとする朝も、出かけてしまっていて別れも告げられない、、
実に素っ気ないように見える、、、
しかし実は、出かけていく涼之助を追ってずっと見守っていたようである。
琴が撃たれ、涼之助が危険な目に遭うときから、我が子を守る母となる。

そして、涼之助が改めて旅立とうとする場面である。(行空きは中略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「いいのかい。私が行っても」
娘を亡くした後だ。置き去りにするようで、気が進まなかった。
「気にするな」
いさは、魂もなにもかも抜けでてしまった表情で言った。

「それじゃあ、、、」
涼之助が北に向かう雪道を指さして口ごもると、いさは唇を結んで頷いた。
何か言葉を探すように視線を彷徨わせていたが、やがてそっと片手を上げた。
土や血のついた掌で、涼之助の頬に触れた。獣の臭いがぷんと漂った。

いさは大きく息を吸った。そして涼之助の頬から手を放すと、
くるりと背を向けて、斜面を登りはじめた。
さよなら、とも、達者で、とも、いわない。
ただ、ゆっくりと檜の混じる木立のほうに歩いていく。


道が山襞の向こう側に曲がってしまう前、涼之助は後ろを振り返った。
山の斜面が輝いていた。ところどころに枝を張る木々。
踏み荒らされてでこぼこした雪道。
周囲に視線を走らせたが、いさの姿は見えない。
帰ってしまったのか。
がっかりして、また前を向こうとした時、山襞のせりだした部分に、
一本の木が見えた。清々しいまでに白い幹を伸ばす樺の木だ。
根の下は雪があまり積もらずに、洞になっている。
その暗がりに、ちんまりした影があった。
知らない者ならば、ぼうぼうの髪や見にまとった毛皮にだまされ、
一頭の羚羊だと思ったかもしれない。
だが、それはいさだった。山の風景の一部となったように、
身じろぎもしないで、涼之助を見下ろしている。遠すぎて、
その表情まではわからないが、食い入るように涼之助を見つめている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・








2005年08月10日(水) 高速道路のマナー

きょう、県大会の決勝戦(東海大会への「代表選考会」と言う)が終わった。
地区大会1日と県大会3日、計4日の、大会進行に神経すり減らし、
決して間違えるわけにはいかない審査員紹介と成績発表に緊張する重責から
やっと解放されて、しかもしばし勤務からも解放される。
つまりようやく数日間の夏休みに入るわけだ。

この数日間に、自宅と豊田を3回往復した。
約77キロ、高速道路分の距離は約60キロである。大した距離でもない。
2日に1往復程度のペースだから、そううんざりする必要もなさそうだが、
なぜか、走る前も走っている最中も、うんざりした気分に包まれるのだ。
まだ若かったころ、蒲郡から岐阜へと何度も走った、
あのころの長距離にうんざりした思いをずっと引きずっているのだろうか?

高速道路で、私は追い越し車線の車の流れに合わせて走る。
それが一番気楽で、イライラしない走り方だ。
ところが時折、目の前や2、3台前に困ったやつが現れる。
トラックやバスのような大型の車が多いのだが、
ちょっと車間距離をあけていると(規則で奨めているよりは狭いのだが)、
つっと追い越し車線に割り込んで来るのだ。
後続車にブレーキを踏ませるような車線変更をしてはいけない!!
しかも、そうまでして追い越しに入ったのに、
追い越すべき左車線の車と大した違いはなく、ゆっくり追い越すのだ。
どうしても追い越さなければならなかったとは到底思えない。
こらぁ、追い越しにかかってもいいけど、ちゃんと前の車について行けぃ!
やっとのことで追い越し終わり、あたふたと走行車線に戻った後には、
我々の車線の前方にいた車ははるか彼方に去ってしまっている。
平和な走行を乱すやつらだ。

一般道路でも高速道路でも、走行の平和を乱しているのは、
暴走車だけでなく、流れに合わせて走れない自分勝手な運転手たちである。
それが、余計な神経を使わせ、余計に疲れさせてくれるのである。




2005年08月09日(火) 昨夜の続き

そういえば、「自爆解散」と言ってる人もいたなぁ。。。
きょうの朝刊には「逆切れ解散」とか「自己愛解散」ってのもあった。
昨夜の、選挙についての素朴な疑問がもしも現実的な問題であるなら、
「自爆解散」というのはかなり的を射た命名だろう。
わざわざ民主党に政権を譲るためにするようなものだ。
わがまま坊やが腹いせにやっているならいいが、
もしも、そこに何らかの思惑があるならば、不安にならざるをえない。

参院で否決されたら衆院解散なんて、、、参院で否決されるようなことを
衆院が可決したから、その制裁措置かな、と考えたりしたものだったが、
やはりこの衆院解散は筋違いの対応と見るのが普通のようだ。
衆院での可決にしたって脅迫しまくって可決に何とか持ち込んだに過ぎない。
今回は、もっと強烈な脅しをかけたけれど、乗ってもらえなかった、
それだけの違いだ。

昨夜の小泉クンの記者会見で、否決された郵政法案を、
ガリレオの「それでも地球は回っている」になぞらえているので、笑った。
ガリレオの話をくそまじめに詳しく説明しているので、恥ずかしかった。
つまり、反対意見が多くて認められなかったけど、真理だ、と言いたいのだ。
で、国民の意見を確かめたいので、解散総選挙に踏み込んだというわけだ。
しかし、争点を勝手にそんなところに搾られては、大半の国民には迷惑だ。
そんなに明快な説明をしてもらってるとも思えないし。。。



きょうも、豊田まで出かけた。明日の、県大会決勝戦の準備のために。
汗だくになって重労働もしたので、疲れた。。。
豊田の会館ならではの、練習室のリノリウム敷きである。
板の間に土足でも上がれるように敷くのだが、これが実に重い。
すでに腕が痛い、、、筋肉痛は必至。。。



2005年08月08日(月) 衆院解散、、素朴な疑問

郵政民営化法案は参院で否決された。
小泉クンはかねてからの〈約束〉どおり、衆院解散に踏み切った。
造反議員たちを、解散総選挙では公認しないことも宣言した。
そして、そこには公認候補者を立てるような話である。

そこで、素朴な疑問。
こんなことしたら、今までの自民票が割れて、
民主党に持って行かれることになるんじゃないかなぁ、と素朴な疑問。。。
だって、造反議員だって、自民党のレッテルでもらった票もあるだろうけど、
当選した以上は、自分なりの支持基盤を持ってるんじゃないの?

それに、何が「郵政選挙だ」だ!!
そんな風に言ったら、投票できる人はいなくなるぞ。
だって、法案の何がよくて何がいけないのか、庶民にはまったくわからん。
ほんの2割程度の自民党支持者の惰性の投票で仮に過半数を取ったら、
郵政民営化は「国民の総意だ」って威張るに違いない、、、あほだ。

「わがまま解散」「腹いせ解散」「やけ糞解散」「お子ちゃま解散」など、
政治家からも市民からもぼろくそに言われてる(笑)
ま、ブッシュ様との約束が果たせず、米大統領に見切りをつけられたら
日本での政治生命が断たれる、というのが最近の政局らしいから、
小泉クンが本来のわがままぶりをはっきしていることは間違いない。

他にもいくつかあったが、もう眠い、、、忘れた。。。



2005年08月07日(日) 缶ビール10本の会談?

昨夜は岐阜新聞主催の花火大会で、直接帰ってもなかなか家に着けないので、
疲れていても市吹の練習に行くしかなかった。
帰りはまだ渋滞が残っていたけれど、
先週とは道を変えたので、何とかスムーズに家に帰ることができた。
そして、ビールを飲み、ウイスキーを飲み始めたところで、睡魔に襲われた。
珍しく、0時にならぬ前からここで居眠りを始めたようだ。

朝は、5時にも6時にも目が覚め、また眠り、7時に目が覚めた時、起きた。
昨日と一昨日の文の塵語を書いて、朝食をとったら、もう体が動かない。
で、昼前まで少し眠った。

昼には、急いでクリーニングに出すものがあったので、スーパーに行き、
食料品を買い込むついでに、昼食用の弁当も買って帰って、ビールを飲んだ。
ビールを飲みながらの昼食は、休日ならではの至福の時間だ。
そして、またしばらくして睡魔に襲われ、しばし眠った。
眠ったり起きたりの1日になってしまったが、
これでようやく動く気力が生まれた。やっと生き返ったという感じである。

夕飯の時に朝刊を読んでいたら、郵政民営化法案採決の記事。。。
明日の採決で否決の可能性が高まり、衆院解散は必至の様相だという。
参院で否決されたら衆院解散という、このからくりから私にはわからない。
参院で否決されるようなことを衆院は可決したのだから、
衆院はアホだから解散すべきというルールがあるのだろうか?
しかし、衆院解散阻止要求をしている向きもあるというから、
それが当然のルールであるとは考えがたい。

前首相の森じーさんが、小泉クンを訪ねて、衆院解散断念を説得したそうだ。
小泉クンは、缶ビール10本を出して歓待したそうだが、
森じーさんの説得には聞く耳をもたなかったそうだ。
「郵政民営化法案は俺の信念だ。殺されてもいいという気構えでやっている」
「可決させてくれ。好んで解散するわけではない」
これを読むと、解散総選挙というのは、
おらおら、お前らクビになるぞ、失職してまた選挙の苦労味わいたいのか?
という首相の脅迫なんだろうか、、と思ってしまう。
要するに、首相のわがまま権??

頑なな小泉クンに森じーさんは匙を投げ、「変人以上だ」と呆れたら、
「そうだ、それでいい。俺は非情なんだ」と答えたそうだ。
彼の非情さは就任時から明らかで、私は常にヒットラーになりゃせんかと、
心配し続けていたのだが、ビール数本あけるうちに本音が出たらしい。
彼には国民への思いも、自党の同士への思いもない。
憧れのアメリカの、その大統領のブッシュさまのお気に入りになれて、
有頂天になっているのかもしれない。

それにしても、今回の自民党の割れようはどういうことだろうか?
庶民のほとんどが反対していた消費税の時にも、自民党は結束していた。
今回の法案は、庶民には理解できないことが多くて、庶民はあやふやである。
ところが、自民党内では、たいへん深刻な離反騒動が相次いでいる。
自己の賛成投票を苦にしてか、自殺した議員もいる。
よほど今までの郵政で甘い汁をすすっていた議員がいるのではないかと、
勘ぐらざるをえない。



2005年08月06日(土) 困った忘れ物

きょう、大会2日目の仕事が終わったら、そのまま市吹の練習に行くことは、
よくわかっていたし、あたりまえのこととして、常に頭にあった。
どんなに疲れていてもそのまま帰宅するのでなく、市吹に行かざるをえない。
なぜなら、帰宅しようとしても、花火大会の混雑に阻まれるからである。
7時半前後に花火大会会場のあたりに入り込めば、
動かぬ渋滞にはまり込んでますます疲労感に苛まれる。

豊田を出たのは6時半近くで、幸い渋滞もなく、
1時間かからずに市吹の練習場の公民館に着いた。
7時半の合奏時間に間に合わない可能性の方が高いと思って、
いつでも車中から電話できるように用意しておいたのだが、その必要もなし。
やれやれ、、こんなにうまく事が運ぶとはね、、日ごろの心がけが、、、、
あっっ! と、さっと血の気の引くような感覚に襲われて、気づいたのは、
市吹用のかばんがないことだ。
盗まれたのでも、豊田に忘れてきたのでもない。
昨日の朝家を出る時点から、市吹用のかばんを持って出ることを、
まったく失念していたのである。
今練習している曲のスコアは、そのかばんの中にしかない。
そのかばんがないということは、スコアなしで練習を見るということになる。
困った!!

急遽、倉庫から、まだ練習したことのない楽譜を2冊引っ張り出して来て、
それらと、スコアなしでも振れそうな曲を選んで、
何とか練習時間を埋めたのだが、、、それにしても、、、
帰りに市吹に行くということと、かばんを持って出ることが、
ぜんぜん結びついていないとは(私には珍しくないアホな行為だが)、
いったいどういう頭の構造なのであろうか。。。



2005年08月05日(金) 大会での仕事

きょうと明日の私の主な仕事は、事務局からの連絡係ということで、
マイクを前に、審査員を紹介したり、審査結果を発表したりと、
絶対に間違えてはいけない、たいへん緊張する仕事なのだが、
もうひとつ、前回の理事会で、最近進行が遅れてばかりなので、
遅れないようにどう工夫するかを、私が進行係と検討することになって、
知多地区で割り当てられてやってきたKくんと取り組んでみた。

コンクールでの各団体の演奏時間は、12分以内ということになっていて、
タイムテーブルは、入れ替え時間を含めて15分ずつに切ってある。
単純に見れば入れ替え時間3分ということになるが、
演奏は12分きっちりやるわけでなく、何十何秒か、時には1分以上、
時間を残して終わることもあるので、実際には3分以上入れ替え時間がある。
しかしそれだけの時間に、椅子と譜面台の数を出演者の数に合わせて配置し、
打楽器もそう入れ替えするのだから、大忙しである。
のんびりやったら10分もかかるだろう。
ステージ係の10名ほどの生徒たちは、1団体演奏している間に、
次の椅子・譜面台の配置を舞台配置図を見ながら検討し分担する。
各団体には、打楽器移動要員を余分に連れてくるようにお願いしている。

そうして最初の2、3団体の入れ替えのようすを見ていたら、
てきぱきと動いてはいるが、演奏が終わった団体の打楽器の撤去が遅れると、
次の団体の打楽器が動けなくて、準備がちょっと遅れそうだとわかった。
それで、打楽器を置いてある場所から、とりあえず邪魔にならぬ場所に
移動するところを手伝うことにした。
とにかく、次の団体のために早く場所を空けることだ。
そうすると、次の団体が準備してる間に、
前の団体の子が自分たちの楽器を引き取りに来てくれる。
これを徹底すれば、普通の編成であれば、15分ごとの進行が可能のようだ。

ところが、最近は、自由曲に凝った曲を引っさげて来るところが多く、
打楽器がやたらと多い。
ティンパニ、バスドラム、スネアドラム、シンバル、グロッケンで済ませる
かわいい編成の団体など、県大会ではまずない。
それに、シロフォン、ヴィブラフォン、マリンバ、銅鑼や、
トライアングル、タンブリンの類の小物楽器は、ほぼ標準だし、
中にはハープを2台も持ってくるところもあるし、
チャイム、トムトム、ボンゴ、コンガ、ウッドブロック、、、
とにかく、ありったけの打楽器を並べるような団体もある。
とにかく、打楽器が多いのだ。
これだけでも、もう20余年前に作られた15分単位のタイムテーブルは、
今では到底通用しそうにないことがわかる。
しかも、ピアノを使用する団体が増え、その出し入れや移動に時間がかかる。

それでも、7団体ずつで休憩時間が入れてある、その7団体分で、
7団体目の演奏が7〜8分遅れで始まる程度の遅れにとどめることができた。
要するに、1団体あたり、もう1分の入れ替え時間が必要なのだ。
タイムテーブルは見づらくなるが、もう現代では、
16分単位の進行表が必要なのだと、次の理事会で提案することにした。

そんな仕事をやってるうちにへとへとになってしまい、
審査結果発表が実に不安になってしまったが、
何とか間違えずに言うことができ、とりあえずほっとした。
まだ、明日もあるが。。。




2005年08月04日(木) 多忙多忙、、、

午前中は、午後の講座の予習、というか、台本作りというか、
要するに、説明するための入念な準備と部活とであたふたした。
午後は、学習合宿の会場に行って、70分×2コマの講義をした。
それからまた学校に戻って、午前中できなかった明日の台本の準備。。。

夏休みに入って2週間が過ぎたけれど、休日は2日あっただけだ。
明日と明後日は、豊田に1泊して2日間県大会の運営の仕事だ。
それが終わると、3日目の休日が来るには違いないが、
東海大会への代表選考会まで3日しか準備期間がないから、
出かけなくてもいい状態で、仕事にだけは追われそうだ。

しかし、私の仕事はまだましのようだ。
きょうでもあたふたと時間に追われてはいたけれど、
部活を見る時間以外は、たいてい冷房のきいたところで仕事すればよかった。

小学校に勤める妻は、きょうは草刈があったそうだ。
この暑い最中に、である。
他の日でも、プール当番なんて仕事もある。
我々の勤める高校だと、大半の草刈は用務員さんがやってくれる。
年1〜2回だけ、生徒にやらせる機会もあるが、こんな暑い時期ではない。
(しかし、自分でさっさと刈る方がラクなレベルの作業だ)
小学校は事務員も少なく、用務員さんはいないに等しく、
そのために、集金や納入金の処理は担任などの担当にされてしまう。
小学校の先生は忍耐強い。。。
よく数十年間も、さまざまな悪条件に抗議運動もせず、忍従してきたものだ。
近年はさらにひどい状況になっているというのに、やはり耐えている。。。



2005年08月03日(水) 納豆の糸

夕食後しばらくして、ちょっと横になりたくなって、
居間を通って寝室に入ろうとしたら、「トリビアの種」特集をやっていた。
直径10mの輪ゴムは何m飛ぶか、なんて実験をクレーン車を使ってやって
いたので、横になるのも忘れて見始めてしまった。
1km先、1.5km先にも人を配し、
途中にある橋にも規制をかけて飛ばしたが、15mしか飛ばなかった。
この実験はスカだ。
私には輪ゴムの形状が悪いのではないかと思われたのだが。。。

猫がくわえて走れる魚はどれくらいの大きさのどんな魚か、という実験が、
くだらないと思われたけれど、見ていたらわりと笑えた。
のらねこが何匹かいる公園の人通りのない場所に、
小さな魚から始めて、200gずつ重くなるように大きい魚にしながら、
それを置いておいて、くわえて持っていくかどうかを見るのだ。
1kgを超えると、尻尾のあたりをくわえて走る猫の姿が、
ヘコヘコした走り方になって、とてもかわいい。
やがて、魚をくわえていく猫が、ふてぶてしい表情の3匹にしぼられて、
その登場ぶりが、悪役プロレスラーの登場のようになってきた。
結局、くわえて行った最大のは、2kgの鰹だった。
どうってことのない実験だったけど、猫の様子がおもしろかった。

この番組は、話題性に乏しそうなネタでも、
演出や語り口で、おもしろさや意外性が高まるよう工夫してあるものだ。

何といっても驚いたのが、納豆の糸はどれだけ伸びるかの実験である。
自分では、1mも伸ばしてみたことないもんなー、、、
ま、いくら伸びても、2、3mといったところでしょ? と思った。
ところが、また、さっきの輪ゴムの実験のように大がかりだ。
体育館に、ばかでかい物差しを立てて、リフトで上がろうという。。。
2、3m程度と思ってる者から見ると、ばかげた設定だ。
ところが、納豆の糸はなかなか切れない。
なんと、記録は12m60cmである。
これは実に驚いた!



2005年08月02日(火) 学習合宿

昨日ときょうで、もう数時間費やしていながら、まだ教材が決まらないのが、
明後日の学習合宿での講座の準備だ。
70分の講座を2コマやってほしいと言われている。
明後日からの3日間の日程の中で、国語の講座は5コマらしいが、
5・6日はコンクール県大会の方に行くし、
その前日も忙しいかもしれないと言って、全部断ったのだが、
4日だけは何とかお願いと、再三頼まれたので、しょうがなく引き受けた。
それで、準備に四苦八苦というわけである。

校長提案で出てきたときに、私は大反対、
代案も出したけれど却下され、強引に決まったが、今でも私は反対だ。
ところが、去年実施したら、参加生徒のアンケートが好評だったといって、
今年度は2年生にも拡張され、昨日から明日までの日程でやっている。
好評なアンケートは、私に言わせれば、錯覚によるアンケートだからだ。
去年のその後を見ると、到底それが生きたとは思えないし、
めんどうな3日間を演じあった、空虚なイヴェントに過ぎないのだ。

ま、それでも、自分が引き受けた時間を虚しくするわけにはいかないので、
準備に手を抜こうとは思わないが、それにしても、準備がたいへんで困る。




2005年08月01日(月) 「22才の別れ」

きょうの昼食の後で行った喫茶店は、珍しく懐かしのフォークソングを
雑多に流していた。
店に座って、2曲目に流れて来たのが「22才の別れ」だった。
こりゃいかーーん、と思ったら、少しの間感傷的になってしまった。
幸い、同席者が2人いたので、感傷が深まらずにすんだ。

しかし、この曲については、かなり前に詳しく書いたような記憶があって、
ちょっと探してみたら、意外にもすぐに見つかった。
’02年の4月27日の塵語に書いているので、繰り返すのはやめよう。

今夜は、数日後の県大会の仕事の件で連絡をとりあったり、
遠方からの友人からの久々の電話もあったりで、遅くなってしまった。

しかし、ま、これだけでも書けば、記録更新は続けられるから、、f^_^;
先月なんか、1行で済ませた日もあるもんなー、、いんちきだよなー。。。
でも、今月もがんばろっと!p(^-^)q


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