TENSEI塵語

2005年07月31日(日) 「素数ゼミの謎」

昨日、メールで「素数ゼミの謎」という本を薦めてくれた人がいた。

「17年に一度だけ現れる不思議なセミを知っていますか、、、
 小さなセミに隠された壮大な進化の物語
 文藝春秋の本だって
 興味持ったら買ってみてねー
 んでもって読んだら貸してくだされー」

なんちゅーやっちゃ、、自分が読みたいから人に買わせようという、、(笑)
しかしまぁ、ちょっと検索してみると、買って読んでも損のない話だから、
早速注文し、きょう届いたので、早速読んでしまった。
1時間もかからないほどであるが、わかりやすくおもしろい。

日本のセミは地中での幼虫期間が6〜7年間、
それが、日本全国の至る所に毎年現れるが、
北アメリカには、13年間あるいは17年間地中で過ごした後、
地域別に一斉に大量発生するセミが存在する。
13年または17年に一挙に発生し、その土地ではそれ以外の年は出ない。
しかも、1平方キロメートルよりも狭い範囲に集中して発生する。

なぜ地中での幼虫時代が長くなったのか、
なぜ狭い範囲に一斉に発生するようになったのか、
なぜ13年とか17年という周期になったのか、という謎を、
種の保存という本能と、氷河期という時代に焦点をあてて解明したものだ。
私が下手にこんなところにその内容をまとめると、
せっかくのわかりやすい本が、難しい本のように伝わってしまう恐れがある
ので、書くのはやめておこう。
私としても、こんなところにまとめてメモっておく必要はない。
必要なときにはいつでも読み返せるていどの本だからである。

それにしても、一時に大量発生する素数ゼミの密度は、
10平方メートル(6畳間くらいかな??)に400匹くらいだと言う。
トイレに40匹いると想像した方がわかりやすいだろうか{{(>_<)}}
・・・おー、これは、文化祭のクラス発表でも使えそうなネタだ。
「素数ゼミの大量発生」って、ま、この本をネタにした研究発表なんだけど、
その大量発生のすさまじさも具体的に体感してもらおうという。。。
教室って何平方メートルなんだろう? 
50平方メートルくらいかな? ・・・だとすると、2000匹か。。。
本物を2000匹つかまえてきて教室に放せれば一番インパクトあるが、
そんな時期まで生きてないし、セミたちの生きる目的を損なうのもまずい。
セミの死骸を展示するかね、、、絵じゃインパクト弱いもんなぁ、、、
ゴキブリにしてみよかー、、、うーー、だんだん気持ち悪くなってきた。。。


きょうは、おもしろい本1冊読めたし、トイレ掃除もできたし、
大量の段ボールを潰して括ってすっきりしたし、
何といっても、2ヶ月連続塵語を毎日書いたという初の快挙!!\^o^/
なかなか気持ちのよい休日になったような気がするなぁ。。。
空はじめじめしているけれど、ぜんぜん外に出てないし。。。


(つけ足し)
上のは、珍しく夕方に書いた。
夜になって、夕食後、鵜飼を見に長良川まで歩いた。
いつでも行けると思いながら、なかなか行けず、今年初の鵜飼見物である。
こちら側の岸も整備され、観覧席のように作られていて、座りやすかった。
水の音、木のぶつかる音、闇夜にうっすら浮かぶ水面、闇に篝火、、、
何ともいえぬ味わいである。。。



2005年07月30日(土) 迷惑な花火客

2週間ぶりののんびり曜日である。

ゆっくり寝られたはずなのに、いつも起きるのと同じくらいの時間に、
強烈に左脚が攣って、何分間か悶え疲れて、起き上がった。
左のふくらはぎに鉛の玉が埋め込まれているような痛みである。
こういうことがたまにあるが、今朝のはとびきり激しい攣りようだったので、
屈伸運動その他でほぐしたりする勇気も出ない。
起き上がらざるをえなくなったけれど、目のあたりだけは、眠い。。。

昼食ぐらい誰かを誘おうかなー、、と思っていながら、
午前中はその眠気に負けて、気力も出ず、実際にダウンしてしまった。
結局きょうは、10時過ぎから1時間余り、3時過ぎから1時間余り、
昼寝するつもりでなく、ちょっと横になったら、昼寝した。
午前中の昼寝は、電話に起こされたので、
ホントはもっと長く眠る運命にあったのかもしれない。
好きなときに横になれる、昼寝できる、というのも休日の醍醐味だから、
のんびり過ごせたといってもよさそうである。

さて、きょうは長良川花火大会の中日新聞ヴァージョンの日で、
朝からしばしばドンドンと花火が上がって、そのたびに心も浮き立つのだが、
会場までのんびり歩いて行けるところに住んでいても、
よほどの衝動に駆られない限り、夜ははるばると市吹の練習に出かけるのだ。
そりゃあ、のんびり曜日を地元の花火見物で締めくくれたら最高なんだけど、
そういう贅沢を許してもらうのは3、4年に1度くらいで、
たいていは市吹の練習を優先する。
他の団員たちと同じ立場にしてもらっているのだから、
彼らと同じように、遊びに行くときは休み、用事のあるときは休み、、、
そうしてもいいはずなのだが、自主活動ゆえにかえってそれができないのだ。
鍵盤楽器担当で団員になっている妻もそういう点では私と同じ人種だから、
たとえ私が、きょうは休みたいな、と挫けそうになったいても、
さっさと出かける用意して、運転手(私)の行動を待っているし。。。

市吹から帰って我が家のあたりにたどり着くのはたいてい10時ごろである。
花火が終わるのは9時ちょっと前である。
対向車線の混雑ぶりや、長〜い車の列を傍観しながら帰るのは毎度のことだ。
しかし、やはり最後まで傍観者でいることは許してもらえなかった。
家まであと1〜2分で着くあたりまで来て、渋滞の列に入り込んでしまった。
なかなか動かない、、、20分以上も、めったに動けない渋滞の中にいた。
これは、実質的には、ビールのおあずけである。
もう!! こいつら許せん!!(`ε´) という気分にだんだんと陥っていくのであった。



2005年07月29日(金) めちゃ暑〜〜!!

もうホントにきょうの午前中の暑さといったら。。。
一昨日は去った台風の影響か、涼しい強風が吹き荒れていたが、
昨日は、風がほとんどなく、陽射しと照り返しがいかにも夏らしかった。
きょうの暑さは、夏らしいねー、などと悠長な批評をしていられなかった。
2時間目、というと、10時前後の50分間なのだが、補習をしていると、
立っているだけで汗が噴き出る、話せばなおのこと噴き出る、という感じで、
大して動いてもいないのに、大いに汗ビショ状態になってしまった。

そんな暑さの中で、とても怪異な事件が持ち上がった。
補習から戻って、職員室で涼んでいると(なかなか汗の流出が治まらない)、
司書が私のところに走ってきて、今朝の怪異現象を説明する。
今朝図書館を開けると、普段施錠したことのない司書室が施錠されていて、
カウンターのところの小窓も施錠されていて、
昨日施錠した人に確認したら、図書館の出入り口しか施錠してないと言うし、
更に不思議なことには、PCの背面スイッチまで切ってあったと言う。。。

私は、昨夜警備員が来て、本来の職務に忠実に施錠しまくったのかな?と
事務に確認に行ったら、そんな記録も形跡もないと言う。
それよりも、事務は、話を聞いて、他校のPC盗難事件と似ていると言う。
そう言われて、私はめちゃ暑な外気の攻撃も忘れ、真相解明に奔走した。
もちろん、最初にやったのは、司書室で盗まれたものがないかの確認である。
どう見てもそれはないどころか、物色した雰囲気すら感じられない。。。
それから、事務には図入りの報告メモを渡した。
入念な施錠も不思議だが、PCの背面スイッチまで切ってあるのが不気味だ。

結局、1時間半後に、昨夜7時に図書館に入った人を見つけた。
司書室の電気がついていたので消しに上がって、全部閉めて来たという。
その閉め方は、今朝の司書室の状況とまったく一致していた。
朝それを一言教えてくれていれば、こんな怪異事件には発展しなかったのに、
優しい奉仕的精神の人なので、かえって大騒ぎになってしまったのだ。
しかし、PCの背面スイッチには触ってないというので、まだ完璧でない、
昨日5時に施錠した2人のうちの1人の元図書主任を見つけて確認するまで、
それから30分ほど探し回らなければならなかった。

真相はつまらないが、波瀾の午前中を過ごして外に出ると、やはり暑い。
この暑さは半端でない。陽射しも相変わらずだ。。。
昼ごろ急遽決まったランチの相手は、笑いの女神さま(笑)だった。
次々に繰り出される笑い話に大笑いして現実をしばし忘れていたら、
窓の外に意外な光景を見た。
何と、いつまにか天気が一転して、雨が強く降っているのだ。
しかも雨は、職場に戻る途中、フロントガラスの前を見えなくするほどの
勢いになった。
その雨はそう長くは続かず、職場に戻ったときにはもう晴れたけれど、
それから1時間ほどして、また雷を伴う大雨となった。

昼までのめちゃ暑は、不安定な天候のしわざだったようだ。




2005年07月28日(木) 帰路の読書

最近は5時ごろに帰路につき、スーパーで買い物などする必要がなければ、
帰宅前に近所の喫茶店に寄って、1時間近く読書する。
この店は、外の光がふんだんに入り、たいへん明るい。
老眼が進んで難儀することの多い私にも、たいへん字が読みやすい。
ここで、本を読むしかない時間を過ごすのは、1日の楽しみのひとつである。
家に帰ってしまうと、やるべき選択肢がいくつもあって、
なかなか読書に専念というわけにはいかなくなる。
週刊誌を何冊も買わないで、コーヒー1杯で読みあさるのと違って、
自分で買った本を持って、それを読むだけのためにコーヒーを頼むのは、
これは一見むだな贅沢のようにも感じられるのだけれど、
友人とゆっくり話したいときに喫茶店に入ったりするのと同じで、
著者とゆっくり対話したいから、こういう場も貴重になるわけだ。

最近読み継いでいる小説は、板東眞砂子の「山妣」である。
同じ作家の「死国」を4年前の11月17日に読み終えて書いているが、
その作品には感心したものの、ホラーは嫌い、ということで敬遠していた。
今回、「山妣」の本を手にとって見たら、表紙に怖い絵は描いてないし、
読み始めてもあまり怪異に恐れおののくこともないので(笑)、ほっとして
読み進めているが、その代わり、すさまじくテンポが遅い。
最近読んでいた小説は、たいていテンポが速く、場面転換も鋭いものが多く、
この悠長な筆致は久々の感触である。
しかし、明治末期の新潟の山村の生活や、鉱山の遊女の生活など、
まったく縁のない世界が、ありありと想像の世界で映像化される。
こうして、「死国」の時と同じく、「死国」とは違った手法で、
じわじわと作品の世界へ引きずり込まれて行くのだ。

きょう読んでいたのは、第2部の中程である。
遊女の登場する物語をいくつも読んだことがあるけれど、
その生活の悲惨さを、これほど強く感じたことはない。
ゾラの「居酒屋」やパールバックの「大地」に出てくる人々や、
「レ・ミゼラブル」のファンティーヌに匹敵する悲惨さを感じてしまった。
なぜ彼女らはこんな境遇に耐え得たのであろうか、という驚きである。
そんな思いに身を沈めつつ、読み継いでいるわけであるが、
物語についての感想はもちろん読み終わってからにしよう。



2005年07月27日(水) 「23分間の奇跡」

昨日何冊かの本とともに「23分間の奇跡」も届いたので、寝る前に読んだ。
読むのに費やした時間も、23分だったかもしれない。
残念ながら時計を見ていなかった。

戦争で負け、占領されたある学校のあるクラスでの物語である。
子どもたちのドラマだが、大人が読んで考えるべきドラマであろう。

新しい先生がそのクラスにやってきて、古い先生を追い出し、
最初の授業を始める。
国旗に忠誠を誓うことをしつけられた子どもたちに、
「誓う」とはどういうことか、「忠誠とはどういうことか」と問いかける。子どもたちは今まで、意味もわからないままやらされていたのだ。
新しい先生はそんな子どもたちの安易な観念を次々に壊して行く。
今まで理由もなく押しつけられていたことから子どもたちを解放し、
今までわけもなく禁じられていたことから子どもたちを自由にする。
すばらしい教育である。
しかも、この先生は子どもたち1人1人の心をとらえる術を知っている。
この新しい先生に反発を感じ続けていたジョニーさえ、
ついにはこの先生を信頼するに至る。
「この先生は嘘をつかないで、なんでもほんとうのことを言う」と。。。



ここまでが約23分だというわけだ。
なかなか感動的な奇跡の23分間である。
しかし、最後の先生の胸の内は、我々を素直に喜ばせない。

「ここまでのやり方はすべて教えられたとおりに運んだまでのことだ。
 しかし、これで子どもたちはあたしのいうことをよくきくようになり、
 りっぱな市民として育っていくだろうと思った。
    (中略)
 先生の胸が熱くなったのは、さんさんとあたる太陽のせいではなかった。
 先生は、この学校の、いや、この土地の、すべての子どもたち、
 すべての男や女たちが、同じ信念をもって、同じような手順のもとに、
 教育されていくであろうことを思うと、胸が熱くなるのだ」
 



2005年07月26日(火) 台風それる

今年初めてこちらに向かってきた台風7号は、
昨日の朝の気象協会の予報では27日に岐阜のあたりと言っていたが、
急に東方向に進路を変えて関東の東海上を北上するコースになった。
夕方ごろ風雨が強まるという予報も外れ、雨もほとんど降らずに過ぎた。

私は朝から昨日見つからなかった備品探しで、
階段を何度も上り下りしながら校舎を歩き回っていた。
こういう日は、窓がほとんど開いてないので、
淀んだ蒸し風呂的空気の中で行動しなければならない。
いくつかの問題は解決し、3品目ほどは謎のまま諦めたころは、
昨日と同じく、汗びっしょりになり、
プールでひとしきり泳いだ後のようなぼーっとした気怠さに包まれていた。

昨日は終わったのが夕方だったけれど、きょうのその時間は10時半だ。
まだ1日の終わりにはほど遠い。
しかも、二日酔いで朝から実に不快で、
汗を流したことによってようやく二日酔いから立ち直ったところが、
その体力消耗の状態である。
もうきょうは帰った方がよさそうだな、と休暇を取ることを思いついたが、
運の悪いことに、夕方以降警報が出ている場合に学校に居残る当番の3人の
中に入っているので、帰れない。
しかも、体育祭の応援の過去のビデオを見たいという生徒が来たり、
自転車のチェーンが外れて困っている生徒が現れたりで、
エクセルで謎に包まれて困っている同僚がいたりで、
ぐったりする暇もなく、午前中が過ぎていった。

午後は、気怠い体で睡魔の拷問に苛まれながら、ほとんど読書で過ごした。

待ちに待った5時過ぎとなり、警報もまったく無縁のようすだったので、
帰路についたが、スーパーで買い物など、とても寄る気にならない。
ぐったりとした体で、よいしょ、とばかりに運転し始めたのだが、
スピーカーからサラちゃんの「若葉のころ」が流れてきたら全てが変わった。
それからアルバムの最初に戻って「ウインター・イン・ジュライ」、、、
もう聞き飽きてうんざりしていてもいいはずなのに、
なぜ未だに新鮮な刺激と喜びに満たされるのだろう。
「スカボロー・フェア」なんて、すでに10代のころに聞き飽きてしまって、
S&Gの歌声で聞くのはもううんざり、というほどの曲だ。
サラちゃんの声と情緒は、その歌自体にうんざりした上で何十回聞いても、
なお新鮮な味わいで、癒される。。。
で、何の苦もなくスーパーで買い物をし、
夕飯の用意もできるほどの活力を与えられたのだった。
夕飯後はさすがに思考停止状態に陥って、宵寝してしまったけれど。。。



2005年07月25日(月) 骨董品保管室

昨日の疲れが取れないまま出勤して、午前中は補習、午後は備品点検である。
事務から提示された図書関係・視聴覚関係の備品160余品の存在を、
備品シールの番号を照らし合わせて確認する作業である。
3時間たっぷりかかって、汗だくで、全クリはできなかった。
所在不明の備品が数個あったので、明日に持ち越しで探さねば。。。

視聴覚関係の備品点検は案外たいへんである。
もう使わなくなった古い機械でも、台帳に載っていたら確認である。
そのために、棚の中から重たい機械を取り出して大汗かくことになる。
その代表が、映写機である。
前任校で、数台の映写機をはじめ、3、40年前には使ったかもしれない
使い方のよくわからない骨董品の数々を、私は思い切って廃棄した。
それらを4階から降ろして粗大ゴミ置き場まで運ぶのは大仕事だった。
しかし、さっぱりしたー、と喜んだらすぐに転勤で、
またここで、3台の映写機はじめ、数台の骨董品と再会である。

こういうものを廃棄するにあたってはかなりの迷いがある。
もう20年もすると、半世紀前にはこんなのを使ってたんだよ、と、
不可思議で驚異の骨董品になるかもしれない。
文化祭等で展示でもすると、人々の興味の視線に囲まれるようになるかも。。
少なくとも、私の目には実に興味深い機械なのだ。

けれども、これらはもう金輪際使われることがない。
前任校にはフィルムが10本以上あったし、きょうは3本ほど見つけた。
それらのフィルムももう決して回転することなく、光に照らされる事もない。
映写免許を持つ教員も、もうどれだけいるかわからないし、
10余年もすれば、そんな教員も現役にはいなくなってしまうだろう。
不要なものは捨ててしまえ。
今年やるべき私の仕事が、ここでまたひとつできたようだ。



2005年07月24日(日) 疲れた〜〜〜

書きたいことはいくつかあるけれど、疲れたので眠ることにします。



2005年07月23日(土) コンクール準備

明日の地区大会の準備のため、事務局のいる高校に行った。

事務局を代わってもらったのは数年前だと思ってたら、
塵語を読み返してみると、2年前だったようだ。
まだあれから2年しか経っていないのは不思議な気がする。

それまでの10年間、コンクールの準備はひとりでやって来た。
部活も盛んで、担任のクラスも持っていた時は本当にたいへんだった。
時間的にはたいへんだけれど、ひとりでやっていれば、
準備から点検まで、自分の時間の都合のつくときにそのままできるので、
やりやすいと言うことができる。

10年もやっていると、こういうのを抱え込んで独占してることの弊害
というものを痛感しだしたので、事務局を交代してもらい、
私は理事のコンクール担当という係にしてもらって、
全部の仕事を一気に渡すのではなくて、少しずつ渡すことにした。
今では半分以上の仕事が事務局の先生に渡っている。

けれども、こういうやり方をすると、2人の仕事を統合して点検する機会が
必要となり、連絡を取り合ったり、わざわざ出かけることも多くなる。
漏れの点検というのも、ますます慎重にならざるをえない。
分担によって労力を分散させても、それだけ分軽減するわけではないものだ。
そして、明日が緊張の1日になることも、
前日であるきょう、不安や緊張に襲われることも、やはり変わりない。



2005年07月22日(金) 「わかもとの知恵」

図書館で「わかもとの知恵」という筒井康隆の本をたまたま見つけた。
健康・飲食・身辺・屋外・交際・遊び・勉強についての知恵の数々を、
子ども向けに書いたものだ。
挿し絵を、犬と仲良しの少年の絵本を描いている、きたやまようこが
担当していて、ほのぼのとした雰囲気のページが続いている。
開いて読み始め、そのまま借りて帰ってきた。

いろいろとおもしろい話に出会うのだが(知ってることも少なくないが)、
そういういろいろのことはおいおい書くとして、、、
もっとも驚いたのは、「赤ちゃんを泣きやまさせる知恵」である。
夜泣きなどで赤ちゃんが眠らないで困る時は、
TVの深夜の放送終了後の、ザーーっという音を聞かせるといいそうだ。
それが、赤ちゃんが胎内で聞いていた音とそっくりなんだと言う。
深夜じゃなくても、放送してないチャンネルの場合でもいいのかな?

うちの子どもたちはそれほど夜泣きで悩ませたりはしなかったらしい。
私は、いったん寝ると朝起きるまでなかなか起きない眠りようで、
妻が憎々しげに「夜泣き知らず」の異名を与えてくれたほどだが、
それでも、2度か3度は起こされて子どもを抱かされたことがある。
その時、TVをつけた覚えはないから、妻もこの方法を知らなかったはずだ。

たまたまpatamama おばさんと話す機会があったので、早速聞いてみた。
「知ってるよ。お母さんたちの間では有名な話」なのだと言う。
その割には、世間一般を見ると、夜泣きに悩まされてノイローゼっぽく
なっている若い母親が多そうなのだが。。。
また、別の方法で、自分が仰向けに寝て、子どもを上に乗せ、
子どもの耳が母親の鼓動を聞くように抱くのも効果的なんだそうだ。
なーるほど、、、これだったら、母親も起きてなくていいからラクだ、
と思ったら、さらに、子どもが寝ついたら、体をちょっとだけ回して、
ごろんと横に落とすだけ、、なのだと言う。
うーーむ、、、いかにもつわもの的なやり方だ。

今度、隣の席の保育も教えている家庭科の先生にも聞いてみよう。
知ってたら、授業ですでに教えているはずだ。
もっとも、このTVのザーーーという音が本当に信頼できる方法だったら、
の話だが。。。



2005年07月21日(木) 呆けまくり

宴会から帰った昨夜は、2時ごろ目が覚めて、眠れなくなった。
先月17日の飲み会の時もそんなことがあって、翌日眠い1日に耐えたが、
きょうもそういうつらい1日になった。

実が覚めてから、塵語を書き、寝ようかと思ったが、
コンクールの準備作業がまだぜんぜんやれたないことを思い出し、
審査員の審査・講評用紙を作ったり、出演者証のもとを作ったりしていた。
夜が明けて、5時から横になって目を閉じたけれど、眠ってしまわないのが
不思議、、、うとうとしてたのかもしれないが、何度も目を開けて
時計で時間を確認しながら横になっていて、6時に起き上がった。
目の疲れは癒されたようだ。

出勤してからも、コンクールの準備作業ばかりやっていた。
呆け呆け状態で、何度も失敗したりやろうとしていたことを不意に忘れたり、
はなはだ能率の悪い仕事ぶりだが、何とか大半の作業は終わった。

妻が月曜日から、目が真っ赤で、きょう、明日は仕事を休むことにした。
これは、私も以前2度ほどやったことのある、目の血管が破裂して、
白目の一部分が真っ赤に充血状態になるやつで、
2度目はあまりひどかったので医者に見せたが、放っておくしかない症状だ。
今回の妻のは2カ所破裂しているらしく、私の2度目のよりさらに激しい。
それで、職場の皆が心配して、休め休めとうるさいらしい。

仕事を休んで家にいても、あの目では買い物には行ってないだろうと、
帰り道、スーパーに寄った時に家に電話してみたが、誰も出ない。
これは不思議なことである。
洗濯物を取り込むためにベランダに出てるのかもしれない。
とりあえず、明日の食料になってもいい程度の買い物をして帰った。
帰って、まず買い物袋だけ玄関に置こうとしたら、錠がかかっている。
開けて入ると、妻子3人のスリッパが玄関にある。
出かけた? 3人で買い物に、、? こんな時間に、、?
いや、それぞれが出かけているに違いない。
妻も、休んでいたのだが、何かの用ができて出勤したのだろう。。。
買い物袋を置いて、駐車場に行ったら、妻の車がある。
入れ違いに帰宅したのだろうと思った。
ところが、車を置いて家に戻ってみると、相変わらず3人外出状態である。
いったいどこに出かけたのかなぁ、、、昨日・きょうと、近所の商店街で
夜店天国みたいな恒例の行事をやってるけれど、
そんなのに妻もついていくわけがないし、時間が早すぎるし。。。

着替えて、台所に行って、さあ夕飯作らなきゃ、、と、冷蔵庫を見て、
冷蔵庫のドアに貼ってある海老蔵襲名公演のチラシを見てはたと気づいた。
きょうは、3人で、国際会議場の海老蔵襲名公演に行く日だった。
一昨日もその話題が出て、夕飯は私ひとりになるので、
外で食べて帰るかどうするかと考えたりしたものだ。
その1時間というもの、思い出すきっかけはいくらでもあったはずなのに、
まったくそのことを忘れてしまい、思い出せなかったとは、、!
異常だ。

ちなみに、夕食後仕事を再開しかけたけれど、思考がまったく停止し、
何もできなくなってしまったので、横になったら、
あっというまに眠ってしまったらしい。
3人が帰ってきた話し声で目が覚めた。



2005年07月20日(水) あー疲れたーー

きょうは終業式で、それだけで1学期間を思って、あー疲れたー、を
噛みしめることになるのだが、おまけに夜には学年の飲み会があった。
1学期間の打ち上げという意味らしい。
はるばる名古屋まで呼びつけられて、さんざん歩かされて、
店にたどり着いたら、何と3階まで上れと言われて。。。
階段途中で討ち死にしている同僚がいるんじゃないかと思ったが、
(実際私はその3階まで直線で続いている階段を見上げて、クラクラしたし、
 自宅から歩き続けの建ち続けだったので、その階段を昇るのは辛かった)
幸いみな無事にたどり着いているようだ。

こういう宴会の趣旨は、だいたい、慰労と親睦ということになっている。
しかし、慰労という点については、たいていは逆効果である。
慰労どころか、疲労の増幅である。
市吹の定演などのあとの打ち上げは、
疲労の増幅であっても、確かに慰労になっている。
それは、何十人もの仲間がひとつの目標を成し遂げた後の心地よい疲労を、
共有しあい、分かち合うひとときだからだ。
そこには、あっちとこっちでいちいち言葉を交わさなくても、
やったね! よかったね! 楽しかったね! という空気が漂っている。
こういう打ち上げはなしでは済まされないものだ。
だから、雨さえ降ってなければ、野球の優勝チームの監督のように、
解散前に店の前の広場で胴上げされて、
疲労と泥酔の果ての瀕死のダメージを与えられるのだが、許せてしまう。
けれども、職場の宴会にそういう空気はない。
学校祭の打ち上げをやっても、そういう雰囲気はない。
共有するものが希薄だからだ。

疲労を増すだけであっても、ま、いくらか意義があるとすれば、
日ごろそう話すことのない人と、
日ごろそう話せないようなことを話す機会ができることだろう。
これがなかったら、疲労に耐えてそんな場に出かける意味は殆どなくなる。
もっとも楽しい酒の飲み方は、2〜4人程度の気の合う仲間で飲む場合で、
こういうのは、話も弾み、こだわりもなく、疲れ知らずである。
しかし、職場の宴会となるとそういうわけにはいかない。
前後左右が疎遠な人物で固められることもあるし、
下手をすると、大っきらいなやつが隣に来る場合もある。
逆に、仲良しが隣にいても、2人だけで盛り上がってるわけにはいかない。
さまざまな制約と気遣いを強いられるのが、職場の宴会というものなのだ。

若かったころはそういう宴会も、大いに楽しんでいたものだが、
どうも近年は疲れを先に感じてしまっていけない。
宴会の知らせを聞くたびに、またひとつ仕事が増えた、と思ってしまう。
ま、歳のせいなのだろう。



2005年07月19日(火) 本格的な夏?

真底本格的な夏の熱気を最初に感じたのは先週の木曜日の夕方だ。
外に出ると、西に傾いた太陽がじりじり照りつけ、熱風にさらされた。
去年の日記を読んだら、やはり13日ごろから俄に暑くなったようだ。
先週の木曜日は14日だから、1日遅いといえばそうも言えるが、
そんな違いはどうでもいいことだ。
要するに、7月10日を過ぎたら猛暑に入るのだ。
夏休みを10日早めるべきであろう。
9月の残暑の厳しさも考えれば、9月10日まで夏休みにすべきであろう。
イヤなら、学校も全館冷房にしなさい。(おっと、話がそれた)

その日からずっと暑い日が続いている。
朝方はまだ多少涼しい日もあったけれど、昼ごろからはもういけない。
昨日などは某高校の吹奏楽の練習を見に行ったのだけれど、
朝出かけるときからすごい暑さで、よっぽど引き返そうかと思ったほどだ。
猛暑の練習部屋で合奏練習をするやりきれなさは、イヤなほど経験している。
それでも、ドタキャンはできない(生徒もそのつもりで集まってるし)ので、
勇気を出してそこまで行った。
着いたときにはますますの暑さで、運動部の活動風景が暑さを増幅している。

案の定、昼過ぎに練習を終わったことは、上半身汗びっしょりになった。
しかし、11時ごろまでは、恐れていたほどの暑さは感じなかった。
本格的な暑さはこんなもんじゃないなぁ。。。
座っているだけでも汗がぽたぽた落ちるような酷暑の中で、
何人かの異種楽器の奏者を並べて、丹念に音程合わせをしようとして、
途中で何度も気が変になりそうだった何年も前のことが思い出された。
こんな暑い中で音が合うわけないや、と投げやりになりながらも、
それでもそれは絶対にやらなければならず、実につらい練習だった。
微妙なところを聞き取ろうとする緊張感と忍耐の連続である。
あの暑さはあの年だけのものではないが、夏の暑さの代表みたいに
あの年の暑さが思い出されるのは、その辛苦が最高に報われた年だからだ。

夏らしくはなったけれど、まだまだ本格的な夏の暑さではない。
昨日は、暑い中にも快い風にほっとするひとときに恵まれた。
エアコン生活では決して味わえない、自然の風の恵みを楽しむ余裕があった。
きょうは風の通らないところでは暑かったが、涼しい風が強く吹いていた。
風に吹かれていれば、暑さはさほど感じないですんだ。
しかし、こういう吹き続ける風よりも、昨日のように時折吹く風がいい。
感動的な風だからだ。
こんな呑気なことが言えるのだから、本格的な夏はまだまだだ。


それはそうと、晴れの日が続いたせいか、校門前の田んぼの水がなくなり、
生き物の姿が見あたらない。
こういう場合、あの忌まわしきジャンボタニシはどうなるのだろう??
気味の悪い卵もまだかなりへばりついているし、
白くなって崩れているのもある。
孵化しているものも、孵化しようとしている予備軍もわんさと控えている。
しかし、田んぼの光景は、生き物を一掃してしまったかのように静かだ。
どこでどうやって生きながらえるのか、などと考えていたら、
また何となく得体の知れない不気味な感じに襲われてしまった。。。



2005年07月18日(月) 生姜かわさびか?

カレーライスにソースをかけるか醤油をかけるかという論争がかつてあった。
私が子どものころは、自宅のカレーにソースをかけることがあった。
あの時代は、カレー粉を節約して、とろみを小麦粉で補っていた、
そんな風に薄味のカレーだったので、ソースをかけることもあったのだ。
母は醤油の方が美味いと言っていた。
ご飯自体に醤油が合うのだし、
今でも、ちゃんとしたカレー丼とかカレーうどんの類は、
和風出汁のつゆを巧妙にブレンドさせていい味を出しているから、
醤油をかけて食べても絶対不思議ではない。
むしろ、カレーのせいでご飯にソースが合っていたのが不思議だったのだ。
しかし、それ以上に不思議なのは、
あのころでも稀にレストランで食べたカレーにはソースはいらなかったし、
最近はどこの店で食べてもソースなどいらない味に仕立ててあるのに、
条件反射のようにソースをかけるおっさんやじーさんが残存していることだ。

目玉焼きにソースか醤油かという論争もあった。
ま、私の場合は、どちらかといえば醤油だが、今は塩・胡椒のみである。
目玉焼きにソースというのは、ソース好きの私にも考えられない。
しかし、目玉焼きにはソースだという人に3、4人出会った記憶がある。
ちなみに私の場合、塩・胡椒・バターで味つけしたオムレツに、
どちらかをかけようとすればソースだけれど、
何も味付けない卵だけを焼いた場合は(今はしないけど)醤油である。

私はうどん屋などに入って、そーめんを注文することはないけれど、
見ていると、そーめんについてくる薬味の1種で、生姜が多い。
生姜は冷や麦につけるものであって、そーめんにはわさびである。
冷や麦とそーめんは似て非なるものであって、混同してはならない。
子どもの時、家でそーめんを食べるときは、生姜が用意されてた気がする。
けれども、私は、許されれば粉わさびを水でといて入れていたと思う。
それは、子どもの時食べた、郡上の長滝の流しそーめんが美味かったからだ。
ま、概して、ネギと生姜よりは、ネギとわさびの方が合うものだし。。。

その点で、もうひとつ大いなる疑問なのは、しめさばの場合である。
スーパーのしめさばにも、飲み屋などで出るしめさばにも、わさびが付く。
これが私にはいまだに不思議である。
店で出された場合はしょうがないのでそのままわさびで食べるが美味くない。
スーパーで買って来た場合は、わさびは無視して生姜醤油で食べる。
子どものころ、時々母がさばを酢でしめていたが、
生姜を細く切って一面に入れていた。
その生姜も食べながらさばを食べていたのだから、わさびの入る余地がない。
けれども、世の中にはわさびでしめさばを食べる人が多いということだ。

そういえばここ2、30年、お好み焼きにマヨネーズとか、
焼きそばにからしマヨネーズとか、ご飯にマヨネーズが案外美味いとか、、、
こういうのを私と娘は受け入れて、使ったり使わなかったりで、
いろいろな味を楽しんでいるが、妻と息子はぜんぜん受けつけない。
忌まわしいものを見るかのように、私と娘の所行を眺めている。
ツナマヨ(タマネギベース)なんて、ご飯にぴったしなんだけどな。。。
同じ屋根の下で食生活を共にしていてもこれだけ違うのだ。
土地や生い立ちが違えば、味覚に大きな違いがあっても不思議ではない。



2005年07月17日(日) 「オールイン」を見始める

今朝は9時近くまで寝た。
休日2日目になって、ようやく強迫観念から多少解放されるのだ。
昼前に実家に行って来なければならなかったけれど、午後はのんびりできた。
読書もし始めたけれど、韓ドラの「オールイン」を見始めた。

4月から5月にかけて、土曜の夜中に、部分的に見ていたドラマである。
きょう見て確認したら、第1話は短めの後半、第2話は終わりの方だけ、
第3話は大半を見ていたようである。
次の回までTVで見たようだ。
ギャンブルの世界の物語で、緊張感もあるし、
TVの吹き替えはイライラしてしょうがないので、
オークションで5000円くらいで出てるのを見て、買った。
買ったけれども、見ようと思うような余裕がぜんぜんなかったので、
ちょうど2ヶ月ほどそのまま放ったらかしになっていたのである。

最近、夕飯の用意をしている時などに、
ふっと浮かんできて口ずさんでいた曲が、何の曲だっけ? と疑問だったが、
この「オールイン」のテーマ曲だったのだ。
見始めて、オープニングタイトルが始まったとき、びっくりしてしまった。

きょうは3話だけ見て、部分しか見ていなかったときの空白を埋めた。
次回の第4話も、かなりの部分を見ているはずである。
その回のラストの時、すぐにでも続きを見たくてしょうがなかった。
先が楽しみである。


5時過ぎから、相撲の中継を見た。
期待の白鵬は、入幕3場所目の普天王に負けた。
残念だったけど、この普天王も、この3、4日見ている限りでは、
実に粘りのある、いい動きをする期待の力士だ。
また、白鵬と共に期待している琴欧州が、朝青龍の連勝を24で止めた。
この勝負も、見ててよかったー、と思わせるいい勝負だった。
白鵬、栃東、千代大海の3人が、痛そうにびっこ引きつつ退場した。
心配である。



2005年07月16日(土) 休み下手

明日、野球部の試合があり、去年と同じく、吹奏楽部も頼まれて応援である。
それは、今年転勤してきた若い先生に任せた。
きょう、朝9時半に集まって練習するというのも、任せた、つもりだった。
しかし、朝起きてから落ち着かない。
任されるということには慣れていても、任せっぱなしには慣れていない。
明日は絶対顔を出さないつもりだが、きょうは落ち着かなさに負けた。
学校でやらなきゃならない仕事も、あるといえばある。
結局、9時を過ぎたら、出校モードになってしまった。

2時前に帰宅して、昼寝した。
昼寝こそ、休日の醍醐味ではないか。
2時間ほど寝て、実にすっきり気分で起きた。
それからシャワーを浴びた。
出てから30分ほど相撲中継を見た。
ダイジェストでなく、仕切りもある生中継を見た。
相撲の生中継なんて、いかにも休日の醍醐味ではないか。
もっと見たかったけど、5時過ぎには中断して市吹の練習に出かけた。

明日はしっかり休日を楽しめるだろうか、、?
虚しい休日になりはしないかと、いささか不安である。
忙しい日が何日も続いたりしたときによく襲われていた不安である。
これといってやらなきゃいけないような仕事があるわけでもないのに、
強迫観念だけが残って、遊ぶのを邪魔するパターンである。
昼寝してしまえば、そういう強迫観念を忘れて眠ってるだけのことだから、
こういうときは昼寝が一番かもしれないが、
その代わり、あとで、何もできなかった1日、として振り返ることになる。



2005年07月15日(金) 音楽の不思議

今夜聴いているのは、亮太くんのタンゴである。
昨日は、サラちゃんの歌声に心身の疲れを癒してもらえたのだが、
今夜の亮太くんのバンドネオン(と、バックの小編成オケもだが)は、
もう寝ようかと思いつつ、橋本さんのようなじーさん寝ができずに
ぐずぐずしていた私の心身を活気づけてしまった。

亮太くんのCDを初めて買って聴いたのは、'02 年の11月18日のようだ。
実に新鮮で衝撃的だった。
べたべたした印象でうんざりしていたタンゴという音楽が、
実にスリリングで躍動感と緊迫感に満ちた音楽として迫ってきたのだ。

音楽は我々の心に働きかけるけれども、心情にだけ働きかけるのではない。
私にとっての世界を変えてしまうのだ。
バッハを聴いていると、私の小汚い部屋が宮廷サロンの雰囲気に一変する。そんな力を音楽は持っている。
そしてその世界に直接関わる身体の志向性も変えてしまうのだ。

まだ10代だったころ、生きるのがほとほとイヤになるような、
今から思えば実に生意気で傲慢だ心境に陥ってつらかったこともあったが、
何度音楽に救われて来たことか。。。
あのころはクラッシック一辺倒だったが。。。

私に〈生きる〉ということをもっとも教えてくれたのは、音楽だと思う。
文学や哲学もその類ではあったけれど、音楽が理屈抜きで訴えてきたのだ。
昨日と今日、瞬時に痛感した癒しが、それを証明している。



2005年07月14日(木) 保護者会からの解放

きょうから来週火曜日まで保護者会である。
今年は担任を外れたので、保護者会をやらなくてよい。
しかも、今年もし担任だったら3年生だから、
ズルして(?)2者面談で済ませるわけにはいかない。
去年、来年は3者面談をやらなきゃいけないな、と覚悟していたのだった。
けれどもそれがなくなった。
らっき!!どっかに籠もって読書してよっかな! と思ったりもしたが。。。

図書館関係のいくつかの購入伺いを書かなきゃいけないな、、と始めたら、
本の購入伺いの出し方が前任校と違うようなので、一苦労が始まった。
前任校では、購入伺いに「別紙請求書のとおり」と書いて、
本屋が置いていった請求書を貼って出すだけだったが、そうではないらしい。
本屋の納品書をもとに、「内訳書」なるものを作らなきゃいけないらしい。
その都度、司書役の実習助手が手書きで書いていたらしい。

先日、本屋注文用にPCで作ったリストを利用してそれを作ることにした。
まだ注文した本の3分の1くらいしか来ていない。
納品書の順にリストから探して番号をつけ、ソートして納品分だけまとめ、
正式の値段に書き換え、それをコピペして内訳書を作った。
合計金額はもちろん自動で計算してもらえる。
PCがあるのなら、ちゃんとこうやって活用しなきゃいけない。
もっとも、最初はどうしたらもっとも効率のよい作業ができるか考えなきゃ
いけないから、習慣をそのまま実行するよりもめんどうな点もある。
しかし、回を重ねるごとに便利になっていくものだ。

もちろん仕事はこの種のものばかりではなかった。
保護者会があれば発生しようのないことでも、
保護者会がないと、余計なことを思いついたり、
余計なことに関わったりするものなのだ。
だから、去年も一昨年も保護者会の真ん中に1時間のんびりタイムを
作っていたが、きょうはそんな時間はなかった。
おまけに十何回も1階と4階を往復して、ついにフラフラになってしまった。
忘れてたけど、ここんとこ、休日ものんびり過ごさないで来た上に、
先日の日曜日には疲れ果てて今週を迎えたのだった。

担任を外れても、保護者会を免除になっても、
「わがくらし らくにならざり じっとてをみる」(啄木からの引用)


帰りはぐったりしながら、サラちゃんの歌声を聴きながら帰った。
心身のしこりが全て溶け出してしまうような癒しだ。
やっぱり奇跡の歌声だ!!



2005年07月13日(水) 高校生への推薦図書

今まで毎年、読書感想文を夏休みの課題にするにあたり、
職員から生徒たちへの推薦図書を募集し、まとめたものを配っていたようだ。

私はこの質問が実に苦手だ。
人に薦めたい本はいくらでもあるけれど、
相手が高校生となると、いろいろ考えて、あれもダメこれもダメとなる。
ダメとまでいかなくても、どうかなぁ、、と疑問になれば、保留である。
それでも、単なるお薦め本だったら、かなり挙げることができるだろう。
しかし、ここでは、読書感想文を書くにあたっての推薦図書である。
そうなるとかなり厄介だ。

一昨年は、要請があったけど出さずじまいだった。
去年は図書部に入ったので、むりやり数編あげたけど、主任が掲載し忘れた。
今年は自分が主任になってしまったので、それを作る立場になった。
先週から時間の空いた短い時間に打ち込んで作っていたのだけれど、
自分のだけを残してそのままになっていた。
けれども、今朝、司書兼任の実習助手が催促してくれるもんだから、
どうしても急遽完成させなければならなくなった。
去年何を書いて出したか、どうしても思い出せない。。。

しょうがないから、感想文を書きやすそうな雰囲気だけ考慮して、
太宰治  「御伽草紙」
スパークス「きみに読む物語」
横山秀夫 「半落ち」
の3編を挙げておいた。

それにしても、いつでも数編コメント付きであげられるように、
ちゃんと吟味して用意しておかなきゃいけない。



2005年07月12日(火) へっとへと〜

8日に文句たらたら書いた通知表作りを、
計3時間あった空き時間をほとんどつぎ込んでやったけれど終わらなかった。
私のやり方は、他の人がやってるよりもかなり能率的なはずである。
図書館の大机にだーーーっと並べて、同じ数字は一気にゴム印で捺して行く。
いくらか所要時間が短縮されるはずである。
手書きの時はそんなことをする必要はないけれど、
手書きだったらとっくに終わっていたに違いない。

業後に仕事を持ち越したけれど、虚しい職員会議が2時間にも及び、
その後6時半ごろまでがんばってみたけれど、終わらず、
もうそのころは、頭クラクラ、目も霞んで、2回間違えてしまった。
まったく、最悪だ!!!
余計な仕事を押しつけておきながら、そのための時間はまったく配慮しない。
私が管理職になったら、そんなアホで非人間的な采配はしないけれども、
残念ながら、管理職になるためのアホみたいな苦労などする気もない。



2005年07月11日(月) 昨日の続き

さて、1時に楽器をトラックに積み込んでから3時まで自由散策になった。
しかし、そのころはもう雨は遠のいて、少々鈍いながら陽が照っていた。
鈍い陽射しながら湿度の高さが加わっているから、なかなかの責め苦である。

我々は業務入場の無料入場者なので、行列に並ぶのは自粛、となっているし、
行列に並んでやっと入れる段になって、入場券の提示を求められたら、
せっかく並んでも入れずに無駄骨になることがあるのだという。
しかし、そう言われてなくても、30分も並んで待つなんてできそうにない。
いったいどれだけ待つのか、よく確かめてないが、
あるアフリカ系のパビリオンで、本の数メートルの短い行列の最後尾に、
「あと130分」という立て札を持って立っている係員がいた。
これd2時間も待つの???

それで、雨傘を日傘代わりにさしたり(なりふりかまっていられない)、
噴霧器の下を歩いたりしながら涼を求めつつ歩いて、
行列のまったくないパビリオンを見つけると中に入って涼んだりしていた。
行列のまったくないパビリオンというのは、
中で民芸品を展示したり売っていたりするだけのところである。
しかし、椅子などが置いてあると、たいてい大勢の人がくつろいでいた。
みな、暑さに参って、ひたすら涼しい休憩所を求めているのだ。
私は観覧車に乗ってこの会場全体を眺めたかったが、
観覧車ははるか彼方だし、そこでもやはり希望者が長蛇の中にいるだろう。

それにしても、この暑さの中で、何時間も長蛇の中で過ごす人たちの、
活力と気力は、いったいどれほどのものなのだろう。
想像を絶するほど莫大な活力と気力というような感じである。
昨日はそれでも、この季節にしては過ごしやすい陽気だった。
今までにもこれより暑い日があったし、これから1〜2ヶ月の間には、
日陰でじっとしていても耐えられないほど暑い日が続くことがある。
昨日でも、たった2時間の間に、小型救急車が疾走するのを3度見た。
夏の万博観覧は命がけなのだ。

結局のところ、数千円の入場券を買って入る以上は、
見るべきものをしっかり見なければ何のために入場したのかわからないから、
しっかり予約するか、整理券をしっかりせしめる努力を惜しんではいけない。
この業務入場のおかげで、かなり万博のイメージがわかりやすくなった。
しかし、私はそういう努力は惜しむので、来る資格はなさそうだ。



2005年07月10日(日) 万博会場へ

朝、5時半に起きた。
雨は降ってないようだ。
どんよりした曇りようで、いつ降り出してもおかしくない感じだ。
曇っているのは歓迎すべきだろう。
この時期だから、日照りの中の暑さはたまらない。
ステージは日陰になっているにしても、あの熱気の中での演奏は悲惨だ。
午前中は雨が降らないことを祈りつつ出かけた。

1ヶ月前にきょうのこの行事についてあれこれ書いたのだが、
あれからいろいろな変更もあったし、予想と違っていることもあった。

変更点の1は、朝の集合が2手になり、
私は7時半までに岩倉駅に着けばよくなったので、ちょっとのんびりできた。
変更点の2は、演奏後1時にバスで帰ることになっていたが、
3時まで会場内で自由時間となり、3時半出発ということになった。
行列のできているパビリオンに入るのはムリだろうけど、
会場内のようすをじっくり見て回ることはできることになったわけだ。

さて、会場に着いて、40分ほど歩かされて着いた愛知県館の、
「おまつり広場」なるものは、予想とかなり違っていた。
広く開かれたスペースの一画にステージが設けられていると思っていたが、
その「広場」なるものは、特別に仕切られたイヴェント場なのだった。
だから、無差別にさまざまな人が通り過ぎるような場所でなく、
基本的には、何らかの目的を持った人が入り込む場所となっている。
それがイヴェント目的でなく、売店目的であるにせよ。。。
また、客席はステージからかなり離れたところにあると聞いていたが、
そんなことはない、実に適度な距離にベンチが並べられている。

雨は、愛知県館まで歩く間に2度降った。
1度は傘を開かないうちにやんだが、2度目はしばし傘を開く必要があった。
けれども、3分ほどでやんでしまった。
3度目に降ったのは開会の30分前くらいで、なかなか勢いもよく、
これで降り続くのかな? と思わせたけれど、数分でやんだ。
それ以後は結局もう降らなかった。
我々の出番の前ごろにはあたりもかなり明るくなり、気温も上がって、
もわ〜〜っと蒸し暑い雰囲気が漂い始めた。
けれども、雨でもなく炎天下でもなかったおかげか、
客席はほぼ埋まり、立ち見もいる中で演奏をすることになった。
そういう状況を予想していなかったので、ちょっと戸惑ったけど、
それはそれで、予想外にいい環境で演奏させてもらえたと言える。

もっと予想外で、腹立たしかったのは、プログラムの時間設定である。
早く終われ、そして早く片づけろ、時間が窮屈だ、遅れてはならぬ、
そう言われて、演奏時間を15分くらいに切り詰めて用意した。
ところが実際には、30分くらい演奏させてもらえばよかった、と後悔した。
それくらい時間の余裕があり、演奏開始を待つ客を待たせることが多かった。

それは我々の時だけではない。
とにかく、プログラムの段取りが下手くそ過ぎる。
〈太鼓友の会〉がまずオープニングセレモニーとして演技して、
それから岩倉市紹介ビデオ、、(ちょっと待って、それ違うんじゃない?)
それから少し間があいて、教育長・市長等の挨拶、
その後、ジュニアオケの準備をしてスタンバイしたら、
ジュニアオケの演奏開始時間まで、まだ15分以上もある!!
どうするかな? と思って見ていたら、各自練習をしばらくさせた後、
指揮者がいろいろと注意を与えていたようだし、
演奏し始めたので、早く始めることにしたのかと思ったら、中断、、、
どうやら、舞台上で練習までしてしまったらしい、、(やっちゃダメ)
結局ジュニアオケは、時間まで待ってスタートしたが、
20分取ってあるところを、10分で終わってしまった。
ジュニアオケの次は我々だと聞いていたが、間に他のが入っているのかなと、
疑問になって確かめてみたが、やはり次なのだと言う。
予定ではこの間が何と25分も取ってあり、それが35分になってしまった。
長すぎる!!
結局我々はゆっくり準備して、待ちきれずに10分早く演奏を始めた。

いったい誰がこんな計画を立てたのか、、?
こういうイヴェントをまったく経験したことのない人に違いない。
〈太鼓友の会〉が派手にドンドコドンドコやって盛り上げてくれたところで、
市長の挨拶に決まってるじゃないかー。
それから、市の紹介ビデオ上映の間に、舞台セッティングして、
紹介ビデオが終わったら、ジュニアオケが入場する。
配置について演奏する。
何分演奏するかぐらい、きちっと打ち合わせしなさい。
次の我々との入れ替えは10分あれば十分だ。
きょうのタイムテーブルはムダだらけだ。
何が、時間が詰まってて、遅れたら困るだー(`ε´)
1ヶ月前、もっとよくこういう点まで見せてもらっておくべきだった。

さて、午後のことについても書きたいが、
もうかなり長く書いたし、疲れても来たので、明日書くとしよう。



2005年07月09日(土) 「Image essentielle」

ヒーリングミュージックCD「イマージュ」は1から4まで持っているが、
先週の土曜日に「Image essentielle」を衝動買いしてしまった。
いわゆるベスト盤だろうから、持っている1〜4の抜粋だろうと思ったが、
1〜4に入っていない曲も何曲か入っていて嬉しかった。

こうして聞いていると、加古隆「映像の世紀」は別格として、
小松亮太のバンドネオンが格段に魅惑的である。
心がかき立てられながら、なぜか、心が安まる。
葉加瀬太朗の「情熱大陸」の2曲も、実に巧い。
メロディーはほんのわずかなのに、これだけ楽しませるとは。。。
「情熱大陸メインテーマ」の第2主題など、ついつい涙腺が緩むじゃないか!
鳥山雄司の「世界遺産」も、ヨーヨーマの「新シルクロード」も傑作だ。
「新シルクロード」のテーマには、深いものを感じてしまう。

ほとんどの曲のメロディーが、今ではもうありふれた動きだ。
微妙な点で今までに作られたメロディーと違うというだけのことだ。
けれども、味つけ次第でこんなにも新鮮な音楽になるのが不思議だ。


さて、明日は万博会場に行っての市吹の演奏日である。
きょうは1日中降ったりやんだり、、、明日も雨マークになっている。
暑くなさそうなのはありがたいけど、楽器を扱うのに雨は厄介だ。
屋外の演奏だから、音も湿ってしまう。



2005年07月08日(金) 多忙、、、

昨日のロンドンのテロ事件のことはチラチラと気にかかるのだけれど、
仕事が忙しすぎて、詳しく知ろうという気力も起こらない。
庶民を金銭的なゆとりと仕事上の多忙を与えて、
世の中の諸問題への関心を麻痺させるというのは為政者の一手段だが、
今年度のこの忙しさは、為政者によるものではない。。。

昨年度担任していたときより、今年度は忙しさが倍になった感じだ。
去年は、週の半分は、昼食を外に食べに行っていた。
そのおかげで、読書もかなりできた。
空き時間に本を読むこともできた。
ほとんど毎日、5時過ぎに帰っていた。
今年度は、6時前に帰れることは稀だし、昼食時間に外出などできないし、
空き時間に読書なんて、到底考えられない。
去年は土曜日に学校に行かないと仕事が追っつかないなんてことはなかった
が、4月以来、ほとんどの土曜日は出校して仕事している。
休暇も、去年は1学期だけで7日分近く取ったはずだが、
今年度はまだ2日分程度しか取れていない。
要は、私にとっては、担任だった去年・一昨年よりも、
担任を外れた今年の方が数段忙しいのである。

ところが、担任の仕事をもっと副担にも回さないといけないと主張する人が
いて、それがなかなか頑強なもんだから、
たとえば今回は、通知表は必ず副担任が作るなんてことになった。
来週の授業の準備だの補習の準備だのもできなくて困っているのに、
きょうはその通知表の仕事の半分をやってから帰ったので頗る遅くなった。
やりながら、いろんな思いがこみ上げてくる。

この仕事は、実はたいへん余分な仕事である。
成績処理がPCで行われていれば、通知表もPCで打ち出せるはずである。
1学期の場合だ表紙と成績で2〜3時間はかかる仕事が、
2〜3分の操作で、あとは印刷されるのを待つだけ、という仕事になる。
早くそうできるようにしなければならなかったのに、
こんな状況の時にこんなことをやらされて、ますます無駄な時間に思われる。

私が担任として通知表を作ったら、評定も欠席時数も全部手書きである。
いちいちゴム印を取り替えるなんて、無駄な労力は使わない。
くちゃくちゃな手書きの人もいるが、私のはまあまあきれいだ。
ところが、私の担任は、ゴム印でお願いします、という。
そんなことまで注文するやつがあるか!(`ε´)
ゴム印でやりたきゃ自分でやれ!!(`ε´)
担任の時は、いわば自分の通知表だったから自分の自由でよかったけれど、
副担任として請け負った通知表は、人の通知表だから自分の自由にならない。
余計な気を遣わなきゃならないし、余計な労力と時間も費やさねばならない。

つまり、教務が何気なく、通知表の仕事を副担任の仕事と決めたのだけれど、
これは総体的にいえば、多忙化を促進することになったのだ。



2005年07月07日(木) ロンドンで同時多発テロ

また、市民を生贄にするテロがロンドンで起こった。
昨日は7年後のオリンピック誘致が決定して祝杯をあげたが、
きょうは一転して大惨事だ。
地下鉄3カ所とバス1台で爆発したということだ。
乗り物に閉じこめられている状態でいきなり爆発に遭う恐ろしさ。。。
しかも、地下鉄といえば、ただでさえ逃げ場のない閉塞感を感じさせる場所ではないか。

詳しいことはまだよくわからない。
さっき、死者が33人と報じられていた。
重体の人たちも多いようだから、まだ増える恐れがある。
身に覚えがなくてもいきなり処刑された人たちだ。

喧嘩は、当事者たちだけで正々堂々とやってくれーーぃ。



2005年07月06日(水) 再びジャンボタニシ

一昨日、ぎょえーーっと叫びたくなったのは、もちろん増えていたからだ。
それはそれは異様な光景なのだ。
きょうも、コンクリート壁はあまり見ないようにして田んぼを眺めてたら、
まだ20センチも伸びていないほどの苗にも卵か産みつけられているのを
2つほど発見した。
それだけでない。
ゴミを詰めて縛ったスーパーかコンビニの袋が田んぼに捨てられていて、
その袋にさえ2つ(2塊である)産みつけられていた。
何にでも生むんだー、と、何となく微笑ましい感じがした。

しかし、そんな呑気なことを言っててはいけないようである。
帰ってから、橋本さんが談話室に書いてくれているのを読んだ。

  妻が散歩の途中、「こんなもの、今の内に殺さないといかん」
  と潰して歩きます。

  もとはと言えば鹿児島の業者が食用にと輸入したものだとききました。    
  ところが毒があるということがわかり、川に放置したのが、
  一気に日本中にひろがったのだとか・・・

例のサイトでもうちょっと読んでみると、
22年前に農水省が有害動物に認定したそうだ。

眺めて気持ち悪がっててはダメじゃないか。
「卵の期間の前半に、卵が水中に落ちると孵化できません」とあるから、
橋本さんの奥さんのように、逞しく落としてやらなきゃダメじゃないか。
しかし、もうあの卵たちは、大半が数日を過ぎているじゃないか。
仮に新しいうちだったとしても、見るのもイヤだし、
あの広範囲に散らばった卵を、貴重な喫煙タイムに掻き落として歩くなんて。。。

そーいえば、あの田んぼの主は、いったい何してるんだ?
放っといたら、田んぼ中ジャンボタニシで敷きつめられて、
あぶれたタニシが道路にも学校の中にもゾロゾロゾロゾロ。。。{{(>_<)}}
うーーー、夢でうなされそうだーー。



2005年07月05日(火) 五月晴れ

今朝は晴れた。
久しぶりに晴れた。
雨上がりの晴れというのはいつでも感動的なものであるが、
じとじとじめじめした日が何日か続いた後の晴れはいっそう意義深い。
今は乾燥機や除湿機やエアコンなどで、洗濯物でも布団でも、
強引に乾かそうと思えば乾かせるけれど、一昔前まではそうはいかなかった。
一昔前までの主婦たちにとっては、何日も湿気に塗りこめられて、
ようやく晴れたその日は、嬉しい洗濯日和、布団干し日和だったはずだ。
梅雨の合間の晴れというのは、
閉ざされた世界からの解放のような感動的な陽ざしであったにちがいない。

平安時代も、雨は嫌われていたのだろうか?
清少納言が、夏のことを書いたときに、「雨など降るもをかし」と
わざわざつけ足したのは、その証拠のひとつになるだろうか?
「長雨」に閉ざされている日々は「眺め」の日々でもあった。
雨が、通ってくるはずの恋人の足を遠のかせ、
逢いたくても逢えず、物思いにふけるしかない毎日。。。
長雨で物思いに耽っている間に、私の容貌も衰えてしまいましたよ、
なんていう歌もあったような気がする。
五月晴れは、そんな鬱屈した日々からの解放であったのかもしれない。

念のため調べてみたら、きょうは旧暦の5月29日である。
7月に入ってしまっているが、やはり旧暦ではまだ五月なのである。
明日は7月7日だけれども、本当の七夕はまだ5週間も先である。

五月晴れというのは、格別な感動を伴った言葉である。
しかし、こういう意味での五月晴れは、最近では死語になりつつある。
新暦5月の、青葉若簿の輝く晴れ、鯉幟の似合う晴れ、
あれも確かにそれなりに印象的な晴れではある。
五月晴れはだんだんとこちらの晴れを表す言葉に移行しつつある。
しかし、梅雨の合間の晴れほどの、意味深さはあるまい。
旧来の五月晴れという言葉はぜひ残してほしいものである。



2005年07月04日(月) ジャンボタニシ?

先日から気になっているのが、ピンクの卵である。
校門の前の田んぼの、道路との境目の段差のコンクリート壁をのぞき込むと、
3センチくらいの長さの楕円形で山形の卵の塊がいくつもはりついている。
小さいピンクのつぶつぶが塊になっていて、実に気味の悪い卵である。
見たら目をそむけたくなるようなものなので、じっくりは見ていない。

それが不思議でしょうがないのだ。
晴れた日など、まともに強い陽にあたっているし、
コンクリートなど、焼けつくような熱さになっているだろうから、
干からびてしまいそうな感じである。
普通、生物はこういう環境を避けるのではないだろうか?
ざっと見渡しても、そのコンクリートの壁面にしか見あたらないのも変だ。
本来の純然たる自然の中で暮らしていたら、どこに産卵するのだろうか?

私よりも熱心にその卵を観察している人がいて、
尋ねてみたところ、オオタニシの卵だという。
タニシといえば田んぼの水底の泥の中を這い回っているはずなので、
こんな垂直のコンクリート壁を昇って産卵するとは信じがたい。
それで、例によって何でも事典のインターネット検索をしてみたところ、
オオタニシの卵はオレンジ色で、しかも体内で孵化させると書いてある。
どう検索して読んでみても、ピンクの卵はオオタニシではなさそうだ。

教えてくれた人にそのことを話すと、しばらくして、
ジャンボタニシだと、訂正してくれた。
どこがちがうんじゃー、と思いながら検索してみると、ぴったりである。
たとえばこのサイトに紹介されている。

http://konarc.naro.affrc.go.jp/padi/machin/tanishi.html

うーーむ、、納得せざるを得ない。。。
とにかく、ジャンボタニシはコンクリート壁をえっちらおっちら昇って、
卵を産みつけるわけだ。
そして、貼りつきっぱなしで無事孵化するのを願い、
落ちて台無しにならぬことを祈っているわけだ。
ここまでが先週までの話である。
それにしても、あの光景のぶきみなことといったら。。。{{(>_<)}}

きょうで、3、4日雨が続いている。
やっと梅雨らしくなった。
じとじとじめじめむしむししたイヤな天候である。
そういえば、あの卵の群はいったいどうなってるんだろうかと、
怖いもの見たさで、ふっとのぞき込んでみた。
思わず、ぎょえーーっと叫びたくなり、すぐにその場を離れた。。。



2005年07月03日(日) 「純愛中毒」という題の映画

昼から夕方まで集中して、4つの仕事を片づけた。
昨日はある学校の吹奏楽部から頼まれて練習を見に行ったので、
きょうに持ち越しになってしまった仕事だった。
よく働いたから、夕方からは仕事から自分を完全解放することに決めた。

韓国映画の「純愛中毒」を貸してくれる人があったので夕方からそれを見た。
この人は、韓ドラにせよ何にせよ、私などから借りてはハマりこんで、
ヨンさま〜〜とか、しーちゃーーんとか、最近はビョンさま〜〜〜とか、
あの昔の寺内貫太郎一家のきんばーさんのじゅり〜〜〜!!みたいに
次々にのめり込んでいるおばさんだが、ビョンくんはかなりの衝撃らしく、
何といつの間にか自分でこの映画とデビュー作の映画のDVDを買っていた。
それは画期的なことで、男には見えにくいビョンくんの魅力というものが
女性から見るとあるようなのだ。

物語は、ホジンとテジンという極めて仲のよい兄弟と、
ホジンとウンヌという極めて熱烈な純愛夫婦をめぐる愛の物語である。
テジンはカーレースに参加して大事故に遭い、意識を失う。
ホジンもまた、そのカーレースに駆けつける途中、ほぼ同じ時間に、
タクシーがトラックと衝突し、意識を失う。
テジンはやがて意識を取り戻すが、ホジンは意識を取り戻さない。
意識を取り戻したテジンは、ホジンの行動をそのまま取り始める。
そして、自分はホジンだとしか名乗らない。
医者がどう診断しても、ホジンの魂がテジンに移っているとしか思われない。
ウンヌはそれをなかなか受け入れられないが、
ホジンとウンヌしか知らないはずのことをテジンが語るのを聞いて、
テジンの姿をしたホジンを愛するようになる。。。。

物語はまだ続くが、紹介はこの程度にしておこう。
緊迫感もあるし、時間経過の表現も巧妙で、なかなかいい映画だと思う。
しかし、ラストのシーンは蛇足だし、時間経過の巧妙な表現を台無しにした。
非常に惜しいことである。
もうひと工夫して、感動的なラストを作って欲しかったものである。
韓ドラでも、長く入念な展開の割に、ラストでつまずいているものが多い。
それにまた、以前から思っていたことだが、この題名がいけない。
原題でも、この「中毒」などという言葉を使っているのだろうか?
この奇妙な題名ゆえに、そんなに見たくない印象を与えてしまうではないか。

夜は、TVでスターウォーズの第1作を見始めたら、止められなくなった。
DVDも買ってあるのに、何でわざわざCMで中断されまくりの、
吹き替え版を見なきゃいけないんだ? と思いつつも、ついつい見続けた。



2005年07月02日(土) 腐った民主主義

郵政民営化法案に関わって、またまた出てきた自民党の〈党議拘束〉。
採決で反対票を投じたり欠席したりしたら、
除名するとか、次回の選挙で公認しないとか、脅しをかけるものらしい。
こんなことが、なぜ公然と口にできるのであろうか?
しかも、マスコミがそれに批判も交えず報道しているのも奇妙だ。

こんな脅しをかけて賛成票を投じさせようとするのは、
我々が投票に行ったときに、○○に投票しないとあの家に住めないように
してやるぞ、と脅され、名前を書くところまで監視されるようなものだ。
村長選挙にしばしばあるという噂の、
○○に投票しないと村八分になるというのと同じである。
これは、表面だけは民主制の手続きを装った独裁政治である。

ま、日ごろの国会の様子を見ていても、
とても〈議論〉というものをしているとはいえない惨状であって、
国会議員なんてものは、本来の仕事を知らない税金泥棒の集団である。
それに加えて、脅しでもって採決を左右していこうなんていうのは、
民主制における犯罪的な行為ではないか。
自由民主党という政党も、国民の自由と民主を守る政党ではなく、
政治家や財界の自由と民主のためにだけあくせくする政党だと思っていたが、
党員の自由さえ公然と束縛してよく〈自由民主〉の看板を揚げられるものだ。

選挙で当選すると、いかにも自分の価値が支持されて当選したかのように
コメントする政治家たちが、
次回の選挙では自民党公認として立候補できないと脅されると、
もうそれでびびりまくって、自身の主張を撤回してウソの投票をする。
自身の人徳ゆえに選ばれたのでなく、
惰性的な政党支持による投票で棚ぼたをいただいたに過ぎないことを、
よくよくわかっていらっしゃるようだ。

ま、いいんじゃないっすか?
君は自民党員として支持されて議員となったんだから、
個人的な信念など捨てて、党の脅しに屈しなきゃいけない。
日本という国はこの60年間、何をどうされても、どんな目にあっても、
自民党さまの仰せに従います〜、と盲従する多くの自民党信者によって
動かされてきたのだ。
民主主義の国というよりは、新興宗教の国と言うべきなのだ。
だから、党議拘束などという言葉が堂々と現れて、問題視もされないわけだ。



2005年07月01日(金) 誤解

見た感じとか、現在こうであるという結果的現象とかと、
当人の内面とか、現在に至るまでの経緯とかとの間には、
案外さまざまな食い違いがあるものである。
そうやって目に見えるものからだけではわからない部分を誰もが持っている。
だから人間というのはおもしろいのだし、
小説というものが飽きることなく生産され続け、読まれ続けるのだ。

たとえば、私自身についても、さまざまな誤解がある。
教師だから小さいころからよく勉強し優秀だったと思っている人もいるし、
国語の教師だから、国語の得意な少年だったのだろうというのもあるし、
少年時代からずっと読書の虫だったろうから図書主任が適任だろうとか、
そういうのはみんな現在から勝手に想像した誤解である。
13歳までは国語の授業は苦痛だったし、16歳までは読書嫌いだったし、
18歳までは勉強嫌いで好きなことしかしない怠け者だった。
何か、ものの弾みで方向転換しながら、今、エラそうに教員面してるが、
(できてないかもしれない(=_=;)、、、でも、
 「先生は優秀だから」なんて気恥ずかしいことを言われるもんなぁ、、)
もしもタイムマシンであの頃に戻って、私の少年時代を見ることができたら、
そこに見られるtensei少年は、身勝手で短期で、ろくにものも考えず、
怠け者で遊んでばかりいるアホな子どもであるはずだ。

こんな誤解もある。
私が、食料品の買い出しや夕飯作りを始め、いろんな家事をやっている、
そんな話を聞いて、家族思いで家庭的な人間だと評する人が案外多い。
中には、奥さんの尻に敷かれた悲惨な生活だと評する向きもある。
確かに私は家族を粗末には扱ってないけれど、ぜんぜん家庭的ではない。
太宰が「桜桃」という小説で「子どもよりも自分が大事」と言っているが、
(この小説自体は愚痴っぽいだけのような気がしてあまり好きではない)
私もある意味ではその類で、家庭よりも自分が大事、である。

夕飯をさっさと作るのは、早くビールを飲みたいだけのことである。
妻が帰るのを待ち、夕飯作るのを待つなんてことができないからである。
私が作るのはビールのつまみであって、それを4人分に拡大しているだけだ。
作り終わったときか、もうすぐできあがるあたりで飲むビールの一口目こそ
1日のもっとも幸福な時間かも知れない。
その日によっぽど格別いいことがなければ。。。
たいていは、このビールのために毎日仕事に行っているようなものである。
買い物に走るのも、これに困らないためでしかない。

夕飯ができあがったころに全員集まることもあるし、
食べている途中で全員集まることもあるし、
食べ終わってもまだ娘がかえっていないこともある。
どんなパターンであれ、私は食べ終わってちょっと経つと、自室に上がる。そうして、ほとんど自室にこもって自分の生活をする。
家族と共に過ごす時間はほんのわずかである。
時折階下に降りて顔を合わせれば言葉を交わすし、
居間のTVがおもしろそうな番組だったら、しばし一緒に見ることもある。
けれどもたいていは、家族から離れた自分の時間を尊重する。

そろそろ睡魔と酔魔に疲れてきたので、きょうはこの辺にしとこっと。


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