TENSEI塵語

2005年06月30日(木) 読み終わった〜

きょう「デセプション・ポイント」は読み終われなかったかもしれない。
昼前に、昼食の誘いがあった。
早く行きたそうだった。
でもまだ11時20分ごろだったので、まだ早いよ、もうちょっと、と
制して採点を続けていた。
11時45分ごろにその人を探したけれど、どこにも見あたらない。
ケータイに入れてみたけれど、出ないので、もう1人で出かけたのだろうと
決めて、いつものように本を持ってランチに出た。
この時間がないと、なかなか読む時間が取れない。

レイチェル、トーランド、コーキーが、死ぬか生きるか、緊迫の連続である。
やっとのことで船に戻れたと思ったら、特殊部隊のヘリコプターの爆弾が
海底でいくつも爆発したのに触発されて、海底のマグマが噴火し、
船自体が時間を争う危機に瀕してしまう。
一方、レイチェルの父セクストンは、娘の犠牲的な危機など眼中になく、
大統領選に向けての欲望をむき出しにする。
そのセクストンに対し、思い切った行動に出る秘書ガブリエールの思いは、
この物語全体を通じて実によく描かれていると思う。

・・・ま、これから読む人もあるかもしれないので、この程度にしておこう。

3作とも、映画を見ているような小説である。
場面転換が映画の手法そのものであるだけでなく、描写も上手い。
頭の中に、映画のような場面が流れて行くように書かれている。
残念なのは、大道具・小道具が特殊すぎてイメージしにくいことだ。
時々、何をどうしようとして苦労しているのかわからなくなる。
緊迫度が増すほど、それがますますもどかしくなる。
巻末にでも、そうした大道具・小道具の図版でも置いておいてほしいものだ。
また、これも3作品に共通することだが、
学術的な事柄や秘密機構のの説明のわかりやすさは特筆に値する。
こんなことを知っていることでも驚きなのであるが、
その解説のわかりやすさには毎回感心させられる。
そうでなかったら、物語を楽しむ前に、停滞する情報に音を上げてしまう。

2、3日で一気に読んで作品の中に埋没するような楽しみ方ができなかった
のは実に残念だが、それでも十分楽しめ、読後の充実感も漂っている。



わーーーい\^o^/
今月は毎日書いたぞーーー!!
先月はもう廃止しようとまで思いつめていたのに、、、
しょーもないことでも、とにかく書いたぞーーー!!
これも、橋本さんの励ましのおかげですがな、、、うっ、、う、、(T_T)

でも、これでまた明日からいきなり5日のブランクなんてことも
あったりするんだよなー、、、、、f^_^;



2005年06月29日(水) 「デセプション・ポイント」(2)

ちょうど1ヶ月前にこれについて書いたとき、
「先々週読み始めた」とあるから、もう1ヶ月半もかかっているわけだ。
あと70ページほどである。
明日、採点をちょっと遅らせてでも、一気に読み終えるか、
採点を優先して、採点し終わったら読むことにして読めずじまいになるか、
迷うところだ。

毎日カバンに入れているが、落ち着いて読める機会はめったにない。
私の場合、このパターンは、その本を読まずじまいになるパターンである。
何日もあいてしまうと、気持ちも入り込めなくなり、興も薄れて、
字を追うのが億劫になり、やがて本を開く気もなくなる。
そうして、読まずじまいになってしまった本が多い。
もちろん、月を経、年を経て、敗者復活戦で勝利を収めるごとくに、
最初から改めて読み通してもらえる本も稀ではないのだが。。。

しかし、どれだけ日が開いてしまっても、引きつける作品も時々あるのだ。
最近では「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」がそうだったが、
この「デセプション・ポイント」も何日開いて再開しても、
印象が薄らいでいて興がのらないということがない。
それだけ、物語もヒロインも魅力的だし、翻訳も上手いし、
何といっても、「ダビンチコード」があまりに強烈で信頼が厚いのだろう。

レイチェルとトーランドとコーキーの3人は、
ついにNASA が発見したという隕石の真相にたどり着いた。
ここまでの科学的な会話が、理解するのになかなか骨が折れるのに、
ちっともうんざりしないのである(その代わり、時間はかかる)。
もちろん、そのきっかけの時点から特殊部隊の3人に命を狙われ通しである。
特殊部隊の3人は、指揮官の命ずるまま忠実に任務を遂行する。
きょう読んだところは、レイチェルとトーランドの、船上という舞台での、
その特殊部隊の2人との戦いである。
レイチェルとトーランドは優位に立った。
そして、レイチェルは、彼らの指揮官を脅迫できるところにまでこぎつけた。
指揮官はやむなくレイチェルの前に正体を現した。
何とその人物は、レイチェルがもっとも信頼する人物だった。
私も驚いたが、レイチェルのショックは計り知れないほどのものである。
一方、レイチェルが苦肉の策を講じて真相解明の資料をファックスで送った
先には、今はあの女がいるし、まもなくあの男も現れる可能性もあるし、、
おおーー、いったいこの先どうなるんだーーー?!!

読み続けたくてしょうがなかったが、ぐっとこらえてカバンに入れた。
読み続けたら、寝不足と二日酔いで、明日が悲惨になるのは明らかだ。



2005年06月28日(火) 試験監督

試験作るのも採点するのも嫌いだが、試験監督という仕事も嫌いだ。
授業しなくていいからラク、という思いにはなれない。
手持ち無沙汰というのは性に合わないし、
手持ち無沙汰な時間を強要されるわけだから一層厄介な時間に感じられる。
とにかくこの50分間の長〜〜〜いことといったら、、、耐えられないほど
退屈で退屈でたまらない50分間である。
もちろん、見張ったり観察したりする仕事なので仕事はあるのだが、
実質的には退屈極まりない50分間である。

もっとも、考え事をするにはいい条件がそろっているし、
今まで思いつかなかったことを思いついて嬉しいこともしばしばである。
お得な時間になることもあるわけだ。
しかし、それはあくまでも偶然の産物であって、いい考え事の時間だから
試験監督は楽しい、この時間が好きだ、とは言えないのである。

かつては、この試験監督時に読書したり採点したりすることもできた。
没頭するわけはない。
監督する合間合間に、本に目を投じたり、答案をめくったりする程度である。
試験時間の半分くらいをそういうことに費やせればいい方だった。
けれども、そのころはどうしようもなく退屈な時間ではなかった。
そこにはささやかな自由が許されていた。
私自身はそういう時、たいてい本を読んだ。
生徒を油断させないために、後ろで立って本を読んでいた。
けれども、ある時期から、ささやかな自由は奪われた。
カンニングが横行しているというのである。
それから一層注意を払って観察してみたけれど、どうも信じがたい。
早い話が、特定の試験監督の時に横行しているようだという。
(ま、私も、眠りこけている試験監督を生徒たちが笑っている現場を
 偶然目撃したこともあった、、、後で聞くと珍しいことではないと、、)
で、監督中他事をやるのは禁止、監督専念令が出されたのである。
これは前任校の話だが、今の職場も似たような経過だったのだろう。

私は、この試験監督を、2時間続けてやらされるのがすごくイヤなのである。
しかし、それは、4日間の中間考査ではなかなか避けられない。
5日間の期末考査では避けられる可能性もある。
試験中、ここぞとばかりに多くの教員が休暇を取る。
それに合わせて試験監督表が作られ、監督が割り振られる。
私も去年まで、たいてい1回ずつ取っていた。
ところが、そうすると、たいてい1、2日、2時間続きの監督が入るのだ。
それで、前回の中間考査も今回も、毎日出勤することにした。
午後に休暇を取っても、午前には取らないようにしたのである。
これで、割り振られる監督時間もかなりゆとりができるはずである。

ところが、きょうと最終日が2時間続きで、あと1日ずつ入っている。
これでは、休暇を取って5日間を4日間にしたときのペースと変わらない。
最終日はいくらか自由のある廊下監督との組み合わせだからいいけれど、
きょうは、自由のきかない教室監督2連続である。
しかもきょうは昼から出張なので、これでは自分の仕事が何もできん。
試験監督しながらそんなこと考えてたら、だんだん腹立ってきた(`ε´)
合計7コマ? なんで?

監督表や試験時間割を見て、計算してみた。
不当に自由を束縛される恨みは深いのだよ。
3年生の今回の試験のコマ数の総計は、56コマである。
それに加え、廊下監督というのが付くから、66コマになる。
さらにそれに加え、保健室受験等の監督が入るにしても、
1学年分は7か8くらいだろうから、仮に学年の監督必要人数74人とする。
これを、14人の学年担当者で割ると、5あまり4である。
つまり、1人あたり監督5回、4〜5人は6回ということになる。
それなのに、私が7回とはどういうわけじゃ?
前回も休暇を取らないようにしてたのに、ラクしすぎたんかね?

今回の監督表を見ると、私はここまでの累計が16回でトップになっている。
累計15回という人も1人しかいないが、この人も今回7回割り振られてる。
この人も、今回休暇を取っていない。
一方、2時間続きの監督が1日しかなくて、まだ空き時間があるのに、
今回5時間しか監督がなく、累計13時間という人もいる。
この人は、1日休暇を取っている。
これはいったい、どういう意図で組んであるのだろうか?
回数をこうして明記しているのは、不平等を克服するためではないのか?

今たくさんやっておくと、最後にラクできるよ、という甘言を私は信じない。
前任校で、監督回数が他の人より多いうちのひとりで、
学年末考査では2回くらい監督やればいいかなー、、と思ってたら、
いつもと変わらぬだけ入れられてしまったことがある。
文句を言ったら、休暇や出張の人が多くて人手が足りないから、、、と
申し訳なさそうに言われて、それっきりである。

要するに、休暇を取らなきゃ損だということだ。
次回から2日休暇を取ってやる!!
2時間続きが2日間になるのは避けられないけど、
休暇を取らなくても2時間続きが2日間入るんだから、我慢したら損だ!
学年末考査では全部休暇にしてやる!!
休めば、監督は入れられない。
全体の回数が他の人より少なくったって、入れようがない。
逃げるが勝ち、みたいに、休むが勝ち、なのだ。


・・・な〜んてことを、きょう試験監督しながら、わら半紙にメモしていた。
ある時は教卓に座り、ある時は生徒たちの背後に立ち、、、
そんな姿を目撃した生徒がいれば、試験中の生徒の態度を
逐一メモしているように見えたかもしれない。
この文章は、そのメモをもとに書き直したものである。
今までにも、こういう風にできた試験監督中の産物がいくつもある。
文句言いつつも、案外試験監督の時間を楽しんでいる面もあるf^_^;





2005年06月27日(月) INCREDIBLE か!!

昨夜、塵語をたいへん苦労して書いて、酒も増えてしまって、
酔魔に増幅された睡魔に負けて、どうやって寝たのか覚えていない。
きょうから試験が始まり、のんびり試験監督しながら、
ふと昨夜のことが気になって、また途中でぶち切れてないだろうな、
どんな風に終わっているのかな、などと気になってしょうがない。

それにしても、インクレディブルなんて長ったらしい名前は何だ?
私は浅はかにも、インク・レディ・ブルみたいな切り方をして読んでいた。
ink lady blue? ink ready blue?
もちろん、こんなんではこれといって意味が見出せないので、
この長ったらしい名前は何だ? ということになるのである。
おそらく、そんな区切り方をさせたのは、ピンクレディの罪であろう(笑)

ちょっと待てよ、イン−クレディブルなんと違う? とふと思った。
クレディブルは、クレジットと親戚の言葉に違いない。
信用できん男??

試験監督を終えて、愛用の電子辞書で調べてみた。
信じられないほどすごいやつ、という意味に解釈できそうだ。
それとも、信じられんという烙印を捺されて、スーパーヒーローを降ろされ、
一般市民として鬱々としていた男という意味か、、?
言葉の上での意味は書いてあっても、語感がいまいちよくわからない。

帰ってDVDのケースを見てみたら、
ちゃんと「The Incredibles」と書いてあるじゃないかー!!
「ミスター、、、」じゃなくて、「・・・たち」じゃないか。
要するに「信じられんほどすばらしいやつら(家族)」という意味に違いない。



2005年06月26日(日) Mr.インクレディブル

試験作りが済んだので、午後、久々に映画でも見ようという気になった。
2週間以上も前に届いていて気になっていた「Mr.インクレディブル」を見た。
ディズニー&ピクサーのCGアニメである。
先月、い〜でじ!シネマのデイリー・ランキングで、
連日購入(予約だけど)1位を続けていたので、予約しておいたのだ。

特に、後半に展開されるスピード感いっぱいのアクションから目が離せない。
実写風の画面だが、アニメなので、実写よりも自在な表現が可能である。
主人公のボブ(元スーパーヒーローのMr.インクレディブル)は、怪力。
妻のヘレン(これも元スーパーヒーロー)は、体が自在に伸びる。
3人の子どもたちも特殊能力をもって生まれてきている。
長女のヴァイオレットは、透明になれるし、シールドを出せる。
長男のダッシュは走るのが速い、、水上さえ走れるほどに。。。
この四様の超能力を駆使してのアクションシーンが続くのだから、
めまぐるしい展開の中で驚きの連続を味わうことができる。

実はこの4人、15年前のスーパーヒーロー廃止制度により、
〈平凡な市民〉たることを義務づけられ、鬱屈した毎日を送っていた。
ボブは、保険会社の査定の仕事をしながら、弱きを密かに援助しつつ、
利潤追求一点張りの上司には叱られながら、イライラ毎日を過ごしている。
子どもたちも、能力を隠さねばならない掟のために、屈折してしまっている。
ヴァイオレットは、髪で顔の大部分を隠して、陰気な少女である。
ダッシュは、走るのが速すぎることを隠すためにスポーツを禁じられ、
ちょっとしたいたずらをしては、教師の叱責を受けたりしている。
そんな3人を抱えて、まだ赤ん坊のジャックジャックを育てながら、
家族全員が〈平凡な市民〉として平穏に暮らせるよう、
ヘレンは家族を守るために、専業主婦として、母として苦労している。。。

しかし、ボブは誘惑に乗り、再びスーパーヒーローとして生きようとする。
それはある人物の計略によるものだった。
そのボブの闘いに、3人の妻子も加わることになる。
子どもたち2人も、今まで禁じられていた能力を存分に発揮する。
その苛酷な戦いを通して得られたものは、家族の団結だけではない。
それぞれの、ひとりひとりの、自信、そして自立、である。
各自が自立できてこそ、絆も深まるのだ。
ヴァイオレットは顔を隠すことをやめ、デートの申し込みも巧妙に受けた。
ダッシュは、競技会に参加し、短距離走を自在に調整して2位でゴールした。
スーパーヒーローの闘いを経て、4人の〈低凡な市民〉としての生活が、
以前よりももっと幸福に再開されたようである。

これだけ見てもなかなかいい展開である。
しかし、この物語の大筋にはもうひとつ意味深い要素がある。

ボブをだまして誘惑し、戦わざるをえない状況にした悪者は、
スーパーヒーローMr.インクレディブル時代に弟子になりたがって拒否された
ひとりの青年だった。
彼は、自身には何の特殊能力もない。
それでMr.インクレディブルにも拒絶された(危険だから)わけだが、
今回の件は、15年かけた彼の復讐劇だったわけである。
自分のロボットを作り、元スーパーヒーローを呼びだしては闘わせ、
元スーパーヒーローを一人一人抹殺しつつ、無敵のロボットへと改善する。
それを都市部に送り込んで、他ならぬ自分自身がそのロボットをやっつけて
自分こそがスーパーヒーローとしての栄誉を得ようという目論見である。
これがどんな結果になるかは、今ここに書かない方がいいだろう。

個々の自立こそが家庭の絆、とか、
愛を受け入れられなくて憎しみ転じる愛憎の問題とか、
そういったことがかなり的確に表現されていた映画だと思う。

それにしても、最後の方でちょっと特殊能力に目覚めたジャックジャック、
何だか、この無邪気に笑うあかんぼうが一番怖いような感じだ。



2005年06月25日(土) 試験を憎む!

「テストのない国に行きた〜〜い!(T_T)」と叫び始めて20年近くになる。
勉強嫌いの子どもたちと同じ叫びだが、受けるのが嫌いなのではない。
試験を作ることと採点することとが、もうイヤでイヤでたまらないのだ。
小・中・高時代のささやかな経験や、教員になったころのことを思い出すと、
試験を作ることも採点することも、そんなに嫌いではないはずだった。

嫌いになり始めたのは、教員になって2校目の学校に赴任してからだ。
何かと忙しい学校だったが、その一番の原因は、
分掌主任というのがどいつもこいつも自分の仕事は最小限にとどめて、
部下たちに仕事を押しつけるのを誇りにしていたせいであろう。
それで、いつも膨大な仕事を抱え込んでいた。
その上、国・数・英に関しては、年間10回試験があるのだ。
定期考査5回、課題考査3回、実力考査2回、、、この計10回の考査が、
国・数・英の教員には否応なしに課せられるのである。
保健とか家庭科とかだと、年3回きりである。
ところが、我々の場合は、毎月試験を作り、採点し、
毎月、半月ばかりの間試験のために悩まされるのである。
それでうんざりしない人間がいたら、そっちが異常なのである。

それ以後、10回というほどではないにしても、
国語科は、全日制ではたいてい年7、8回の試験を課せられる。
しかし、本当の苦痛はそこではない。

この20年ほどの間に、ケータイ、ゲーム、PC、TV番組など、
著しい進化を遂げ、それによって世間の生活様態も変わった。
大ざっぱで投げやりで無神経な生徒も増えた。
採点時、解読不能に悩まされることもますます多くなる。
採点に時間がかかってしょうがないのだ。
試験問題を作るにあたっても、気を遣うことが多くなった。
だから、作る時点でも時間がかかってしょうがないのだ。

きょうは早起きして、月曜日の現代文の試験の問題を昼前に完成し、
午後から学校に行って印刷した。
夜、火曜日の古典講読の試験問題を作り終えた。
イヤイヤの仕事なのでなかなかはかどらないのだが、こればっかりは、
当日に、まだできてませ〜んf^_^; というわけにはいかない。
当日の朝に印刷するという強者も稀にはいるそうだけれど、
私は1度その強者のひとりが、当日の朝印刷しようとして、
印刷機が故障していて、パニクっているのを見たことがある。
(運よくそこには定時制があり、定時制職員室のを借りて印刷できたが、
 それがなかったらどうなっていたことか、、、)

とにかく、私にとっては、試験作りも採点も難行苦行である。
賃金支払ってでも、バイトを雇って全面依頼したいほどイヤである。
でも、試験期間はもちろん好きだ。
だから、試験がなくなってしまっても困るわけだ。



2005年06月24日(金) 迷惑メール(2)

仕事で疲れ果てて帰り、帰ってもなお仕事への強迫観念に駆られ、
PCを起動して、、、まず最初にやるのがメールチェックなのだが、
その次にやるのが迷惑メールの削除である。
稀に、迷惑メールだと思って開いてみたら、
珍しい友人からのメールだったり、買い物の確認めーるだったりしたことが
あるので、よほど明らかなけったいなタイトルでない限り、
いちいち開いてみては削除、開いては削除の繰り返しである。
めんどうだが、しょうがない。
ま、帰宅後の時点ではだいたい7、8通といったところである。
それから寝るまでに数通、さらに朝チェックして数通程度である。
4、50通も届くという人もいるそうだから、被害は軽い方かもしれない。

それにしても、4月の中旬にこの件について書いて以来、
メールの内容もかなり進化したようだ。
あのころの内容なんて、もう実に平凡な内容に思われる。

最近時々届く、もっとも驚かされたパターンはこれだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Re:落札通知

この度、あなた様を女性会員にセリをさせて頂きました。
その結果、小野美沙子さんが6万円であなた様を落札致しましたので
ご連絡する運びとなりました。
あなた様はVIP会員(無料にて近隣女性にプロフ紹介)とさせて頂き、
無料ポイント進呈致します。会員画面にてご確認下さい。(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

おいおい、、いつの間に売りに出されたんだぃ?
しかも、ひどい安売りじゃないかぃ!
こんな失礼なメールもらって、アクセスするやつがいるんかぃな??
しかも、こんな安値つけておいて、VIP会員だの、
落札した女性がいるといいながら、近隣女性に紹介だの、
内容が支離滅裂である。


さらに、なんじゃこれは!! というやつ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
sub.真剣なお願いがあります

貴方の精子をください!
子供ができなくて困っています。
絶対迷惑はかけませんので中出ししてください!
一回10万円で妊娠できたらお礼として50万円さしあげます。

詳しくは、すぐ連絡先教えます。できれば本日中に返事ください。
一応プロフィールも載せておきますね (後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ま、6万円ぽっちで競り落とされるよりはましだけどね。
このメールを、そのうち塵語のネタにしようと思って、削除しないで
スパムメールボックスに保存しておいたのだが、
2日後のきょう、この続きが届いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以前真剣なお願いがあるとメールした理沙ですが…

ずっと待ってたんですが…ダメなんでしょうか?
本当に貴方の精子をもらえませんか?子供ができなくて困っているんです。
一回10万円は安いのでしょうか?
妊娠できたらお礼として50万円さしあげます。
絶対迷惑はかけませんので中出ししてください!
できれば本日中に返事ください。
一応もう一度プロフィールも載せておきますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

してみると、敵も容易には餌食にありつけてないということか。。。
いろいろ新手を考えるんだろうけど、
これでほいほいとアクセスする男がいたとしたら、異常だ。

その他にも、お金持ちの人妻ばかりだからおこづかい月100万円とか、
「メール遅れてごめんね」でいきなり始まるやつとか、、、
挙げればきりがないほどあの手この手で送ってくる。
似たようなのが繰り返し送られてくるところを見ると、
きっとランダムでなく、アドレスのリストか何かがあるのだろう。

ヤフー系の本屋で本を買うために登録したころから、
俄に増えたという記憶がある。
増え始めたころのこの種のメールのアクセス先もヤフー系が多かった。
しかし、本当にヤフーが悪いのかどうかという確証はない。

この種のメールが、実は何を目論んでいるのかを確かめることもできない。
これだけあの手この手で来られると、目的は何だ、とかえって興味深い。
〈出会い〉を装いながら、実は〈金払え〉だけなのかもしれない。
本当は、そこまで探検して、真相を明らかにしなければいけない。
けれども、配信停止手続きさえ迷惑メール増殖手続きの疑いがあるのだから、
触らぬよう努め、ひたすらポチポチ削除作業を続けるしかない。
見るたびに、余計な仕事を増やしおってー(`ε´)と、
腹立たしくてしょうがないが、いいかげんにしろーー!!(`ε´)と
怒りの返信をするわけにもいかない。。。


幸い、ケータイの方にはひとつも入ってこない。
CメールもEメールも、まったく平和でありがたい。
妻や娘のケータイには、そう多くはないがちょいちょい入るそうだ。
先日、前任校のときの卒業生が、日に40通以上も入ると嘆いていた。
そんなに来たら、削除だけで親指が攣っちゃうじゃないかー!


正体不明の迷惑商売、、、撲滅不能。。。
便利な世の中になったと喜んでいたら、
その便利さを悪用してアホな生き方をするやつらも湧いて出たということだ。



2005年06月23日(木) 千人の娘

妻は生クリームのドバッとのったケーキが苦手で、
若いころ喫茶店などで、ケーキといえば〈ミルフィーユ〉を頼んでいた。
薄い破片のようなパイ生地が何層にも積み重なっていて、
全体を数段に区切るように薄くクリームか何かが挟み込まれている感じだ。
私はそのケーキを見ていつも疑問に思っていた。
なぜこれが mille filles 千人の娘なんだろう、、、と。
ある時その疑問から解放された。
millefeuille という綴りを目にしたからである。
娘じゃない、葉っぱだ、「無数の葉っぱ」だ。
謎が解けてみれば、これは実にみごとな命名だと感心してしまった。

由来のわかりにくいお菓子の名前はいくつかあるが、
きょう、あるきっかけで思い出したのが〈モンブラン〉である。
Mont-blanc は、日本語で言えば、「白山」という感じである。
英語でいえば、Mt.White となるのであろうか、、?
しかし私は表面の真っ白いモンブランを見たことがない。
上部を覆っているのはマロンクリームらしくて黄色いのがほとんどだ。
山状に作られているのは認めるから、Mont-jaune と命名すべきだろう。
元祖モンブランは、あのマロンクリームの上に、
真っ白の生クリームをドバッとのせていたのだろうか?

もっとも難解なのが、〈ショートケーキ〉である。
昔、何メートルもの長いケーキを作って、それを小さく切ったから
ショートなのだろうか?
それにしても、何とも味気ない命名ではないか。



2005年06月22日(水) 神隠し?!

コンクール地区大会の打合会があって、午後出張した。
自分の学校が出場しない場合は行かないのが普通だが、
役員として出席するわけである。
地区の事務局からは数年前に解放され、今は大会の実務だけ仕切ってるので、
こんな忙しい年は、こういう会議は事務局に任せてしまってもいいと考え、
今年は打合会をさぼらせてもらおうと思っていたのだが、
10日ほど前に事務局をやってくれている人から電話があって、
教職員課の学校訪問日で抜けられそうにないからと、代行を頼まれた。
誤算である。
そんなわけで、きょうはただ出て雑用してるだけでなく、
会議での事務局の仕事(説明など)もやらなきゃいけなかった。

会議は5時半に終わったが、他の件の打ち合わせやら相談事やらで、
なかなか帰ることができず、出たのが6時半。
これでは、夕飯の材料を買って帰って作ってたらかなり遅くなる。
妻は今夜は私的な集まりの会合(宴会)で遅くなると言っていたので、
フライドチキン屋に寄って、買って帰ることにした。
これが1番早い、、、と思ったら、今ちょうど出てしまったので、
15分ほど待っていただかなければなりません、と来た。
こらぁー、ファーストフード屋が品物切らしてどうするんだー、
急いでるから来てやったんだぞーー、店長クビだーー(`ε´)(`ε´)
と思ったけど、15分待つ代わりにもっと厄介な仕事になることを思って、
本でも読みながら待たせてもらうことにした。
どうもきょうは、朝から、いろいろと時間のやりくりが狂いがちだ。

家に着いたのは7時半を回っていた。
娘も大学から帰ってるようで、2人ともいるようだ。
できたものを買って帰って正解だったね、すぐ食べられる。。。
しかし、玄関のようすでそう知れるだけで、なんか静かだ。
まず、3階の自室で着替えて、そのまま2人に声をかける。
坊ずの部屋は真っ暗で、中をのぞいたら案の定眠っていた。
通信のレポートを夜中に片づけることが多くて、こういうことは珍しくない。
声かけて返答だけ聞いたら、あとは起きられるときに起きればいいことにしている。
昼夜逆転生活に陥るのをできるだけ避けるために、
親があたふた働いている時間に寝るなんて失礼だ、とは言っているのだが。。

不思議なのは娘の方である。
灯りはついているが、声をかけても返事がない。
中に入ると、PCはついて、画面のアニメーションも動いているが、いない。
ベッドの上もちょっと見てみたのだが、どうもいそうにない。
あれ?? 着替えてる間に下に降りて行ったのかな?? と、
2階に下りていったのだが、どこにもいない。
帰宅してからまた出かけるなんて、こまめなことをする子でもない。
玄関を見ても、スリッパはない。。。
何か異様な感じだ。
娘の部屋のベランダの窓が開いていて、カーテンが風に吹かれていた様子も
思い出し、なぜか気にかかる。
しかし、こんな住宅地の中で、3階から連れ去るやつなんかいそうにない。
神隠しに遭ったとしか思えない状況である。

再び、娘の部屋に行ってみる。(きょうは予定外の雑事ばっかりだ)
PCも、その周りの光景もさっきとまったく同じである。
ベランダにも出てみたが、何の異変もなさそうだ。
とにかく、どこもかしこも静かな感じだ。
娘のベッドは、下の部分が洋服かけや棚になっているものなので、
その中ものぞいてみたが、やはりいない。
目の高さよりもほんのちょっと高い位置にあるベッドの上を見る。
布団の輪郭が平坦で、とてもそこに人間が寝てるとは思われない。
「ここにもいないよねぇ、、」と言いながら、ちょっと確認のつもりで
その布団をぽんぽんと叩いてみたら、
いきなりその向こうで娘が起き上がって、姿を現した(◎◎;

夕食を食べながら説明を聞くと、帰ってからPCをやってたら、
ウイルスソフトの更新作業が始まったんで、それが終わるまで横になったら
そのまま20分ほど眠ってしまったんだそうだ。
うー、、むむむ、、もう、こいつらー、めんどう見てやるもんかー(`ε´)




2005年06月21日(火) 日韓首脳会談

きょうの朝刊トップはこれだ。
小泉クンは、
「韓国民の方々の過去をめぐる心情を重く受け止めている」とか、
「率直にお互いの考えを述べあえて、実りある会談だった」とか言うが、
実は溝の深さを再確認するだけの会談だったようだ。
日中関係も日韓関係も、良好にするためには、靖国参拝をやめるしかないと、
彼自身もよくわかっているのに、彼には断じてそれができない。
ま、彼を首相としてまつりあげている限り、
日本は隣国とますます険悪な関係にならざるをえないということだ。

靖国問題については、もう今までに私なりの考えを何度か書いたので、
ここでいちいち繰り返すのはめんどくさい。
橋本BBSでは住人たちが実に綿密緻密な議論が続けているけれど、
そんなのも、もういい、って感じである。
どうしても疑問でならないのは、なぜ、
あんな挑発的な参拝を繰り返さねばならないのか、ということだ。
あれがあるからなおさら、会談での依怙地さが、信念でなく挑発になるのだ。

この会談について、島村農水相はこうコメントしたそうだ。
「断固として自分の主義主張を曲げようとしない首相はあるべき姿で賛成だ。
 おかしな譲歩をすれば、
 日本は『言えばいくらでもへこむ』という錯覚を与え、
 将来のためによくない」

確かに、言えばなんでもころころ変わる節操のない態度はいけない。
しかし、誰もかもが頑固で、お前の言い分がおかしいとばかり言っていたら、
それは対話でも議論でもないし、進展がないばかりか、喧嘩するしかない。
何としても自説を通すんだ、と依怙地になったら、
相手を永遠に理解することはできない。

日本の誇るべき平和憲法の貴い理念は、相互理解による平和なのだ。
人同士でも難しい相互理解を、国同士で努力する、
そのリーダー的役割を、日本がやらなきゃいかん、というわけなのである。
その国の指導的立場の連中が、喧嘩へ、喧嘩へと躍起になっている。
平和憲法は誇りだが、彼らは日本の恥だ。
曲げてならないのは客観的真実であって、自分の思い込みではない。
対話とか議論とかは、その客観的真理に近づくためにするものであって、
自説の正当性を押しつけるためにするものではない。

真に「韓国民の方々の過去をめぐる心情を重く受け止め」たなら、
その心情にかなうように行動しなければ、一歩も踏み出すことはできない。
「重く受け止め」ていると口先だけで言いながら、
こころでは「おまいらにまけてたまるか」だから、
韓国民も我々も、その幼稚さにあきれてしまうわけだ。
ま、心にもないセリフでパフォーマンスする嘘つき首相だということだ。
我々は恥じ入って下を向かざるを得ないし、
隣国の人々は、憎しみ混じりに横目でにらむか、
冷ややかにそっぽ向くしかなくなるわけだ。


ちなみに、私がディベートなるものを嫌う理由は以上の事情による。
教育現場にディベート指導なるものを持ち込もうとする動きがあるが、
あんな反教育的なものはない。
弁護士や判事を教育するには大切なものかもしれないが、
要は頑固と硬化を訓練する役割演技に過ぎないのだ。
人は対話を通じて、より広く豊かに成長しなければならないのに。。。



2005年06月20日(月) あたふたあたふた、、、

毎週月曜日というのはなかなかたいへんである。
午前中3時間の授業、午後2時間の会議、そして業後は補習。。。
だから毎週のように土曜出勤をせざるをえなかったわけだ。

きょうは試験1週間前で補習がないから、気楽だった。
その油断のせいか、土曜日眠かったせいか、
土曜日学校開放講座に来た折にちゃんと準備しておいたつもりだったのに
朝、職場の机に座るなり、授業に行く準備を始めて、、、授業の台本がない!
紙1枚にいろいろなメモがしてあるのだが、あるはずのところにない!!
どこをどう探してもない!!
探すのに時間を費やした上、書き直すはめに。。。
これでかなり予定外の時間を費やしてしまった。

朝のつまずきは、後のわずかな空き時間を浸食してしまうのである。
夕方は遠回りして父母の家に寄らなきゃいけなかったし、
帰宅するまで時間に追われてバタバタし通しの週明けとなった。
イライラしながらもじっと座っているしかない会議の時間が
貴重なのんびりタイムだったかも。。。

ちなみに、なくなった授業のメモは、夕方、出てきた。
2、3ど見たはずのところに、涼しい顔して入っていた。
なぜそれが目にとまらなかったのか、、、謎だ。
悔しいのは確かだけど、あるはずの所にあったので、ほっとした。



2005年06月19日(日) 父の日、、とな?

日曜日にスーパーには行きたくないなー、、と、冷蔵庫を見たら、
豆腐2丁の賞味期限が昨日で切れている。
もちろん、これで捨てようとは思わない。
冷や奴で食べるのはやめましょうという意味だと解釈している。
暑いから、かえってチゲ鍋にするのもいいかも、、、と思ったけれど、
やはりそれはあまりにも自虐的な行為になってしまうので、
麻婆豆腐にすることにし、結局挽肉を買いにスーパーに行くはめになった。
日曜でも比較的空いているユニーに行くことにした。
駐車場に入ったら、店の入り口のすぐそばの車が出て行くところで、
難なく車が最もいい場所に停められるというラッキーな始まりであった。

それで、店内に入ってみると、いろいろな商品に、
「お父さんありがとう」のシールが貼ってあったりする。
同じようなデザインの垂れ幕みたいなのも店内に散見できる。
どうやらきょうは、父の日という日らしい。
「お父さん、きょうも買い物に来てくれてありがとう」と、
店からのお礼の言葉なんだな、これは、、、?
とにかく、駐車場から始まって、歓迎ムード満点じゃー。。。。

ちょっとポロシャツでも新調しなきゃなー、、と思って2階の売り場に
行ったら、う、、なんか、様子がおかしい。。。
この、箱入りのがずら〜〜っと並んでいるのは、なに??
相変わらず「お父さんありがとう」だから、
「来店ありがとう」なんだろうけど、なんでギフトになってるの?
自分で自分にプレゼントしなさいってこと?
そりゃ、よくやるけどね、、でもそれは密かな楽しみであって、
こんなお膳立てまでされちゃ、照れくさくって見ることもできないじゃん、
というわけで、早々に退散し、食料品だけ買い込んで帰った。

・・・なーんて、とぼけた書き方をしてみたけれど、
店内の平常と違う騒ぎようが、お前の来る場所じゃないぞ、と
言われているような気がして、ほんの少しであるが居心地が悪いのである。
きょうごろ家事にいそしんでいる親父などいない、
もしそうだとしたら、お前は一家の下僕だ、と言われているようなものだ。
そっかー、下僕かー、、そう言われてみるとそんなような気が、、、(=_=;)
おーい、そんなら今度は「下僕の日」っていうのを作ってくれぃ!(`□´)



きょうが6月19日だ、桜桃忌だ、と、
はっきり気がついたのが、その買い物の時だった。
あーしまった、前々から日曜日だと気づいてその予定にしていれば、
太宰の墓参りにも行けたはずなのに、、、と、ほんのちょっと思うだけで、
ま、桜桃忌じゃなくてもいつでもいいんだけどね。。





2005年06月18日(土) 眠た〜い1日

昨夜は国語科の歓送迎会で、ビールしか飲まなかったが、
がぶがぶ飲みすぎたかもしれない。
ま、行く前から、週の疲れが積み重なって、眠くて億劫ではあった。
飲んでる途中で寝てしまうんじゃないかという不安もあったほどで。。。

帰ってきたのは10時前だったが、10時半回ったころに沈没した。
このまま朝まで眠れれば、気持ちよく仕事に行けたはずである。

ところが、気分爽快で目が覚めたのが、夜中の1時である。
寝直そうと試みたけれど、目を瞑っているのが疲れる感じである。
それで、起き上がって、メールチェックしたりネット散策したりして、
昨日分の塵語を書きながら眠くなるのを待ったのだけれど、
やがて、3時を過ぎてもいっこうに眠くならない。

へたに眠ると寝坊が心配な時間になってしまった。
これが平日だったら、酒の力を借りてでもむりやり寝るのだが、
寝坊した場合、平日との違いが2つある。
平日だったら、出勤時刻がほぼ同じの妻が起こしてくれるが、
土曜日は妻は寝坊日なので、たいてい起こしてはくれない。
平日だったら、仮に寝坊して出勤が遅れても代わりの人がいくらでもいるが、
土曜の学校開放は最小限の人しか出てきてないので、代わりがいない。

そんなわけで、土曜日の寝坊は禁物なのである。
実際、3月に1度、部活の生徒たちと8時半に学校で待ち合わせていて、
起きたのが8時15分、、、ということもあった(3月12日の塵語だ)。
目覚ましを止めてから、2時間近くも眠ってしまったわけだ。
こんなこともあったので、ますます今朝は寝るのが不安になった。
それで、どうせ半日仕事で午後にも昼寝できることでもあるし、
起きていることに決めたのである。

ところが、4時過ぎたあたりから、しだいに眠たい感じになってくる。
若くて元気だったころは、3時から4時半くらいに寝ることが多かった。
窓の外が青くなり始めるのを見て寝るのが珍しくなかったのだ。
徹夜しても、たいていこの4時5時あたりが関門だった。
だから、今朝、後悔を伴いながら、4時過ぎから7時過ぎまでの約3時間を
耐えなければならなかった。

こうして1日が始まったものだから、たいへん眠い1日になった。
学校開放の講座の仕事にはほとんど影響はなかったけれど、
日ごろの雑用片づけの能率は頗る悪かったような気がする。
力が出ない、っていう感じである。
午後帰宅してから、2時間昼寝して、市吹の練習に備えた。
昼寝してかえって眠たくなったなぁ、、と思いながら市吹に出かけたのだが、
案外道路がすいていて、気持ちよく車を走らせることができたので、
目も心も冴えた。



2005年06月17日(金) 教員評価制度(その2)

今夜はちょっとした宴会があり、
(そういう場合でも、ちょっと時間があれば夕飯の用意をしていくのだ)
4月に転勤して行った教頭ともいろんな話をして、
その中で教員評価制度の話もあって、それが刺激となって、
帰路いろいろなことを思いついた。

ちなみにこの教頭は、同じ国語科だけあって、発想はよく似ている。
ただ、柄にもなく教頭になってしまったために、
公の場ではしゃちこばったことしか言えなくなってしまっただけだ。

まず、教員評価制度を、目標ー達成を中心に行っていくつもりならば、
習熟度別クラス編成は撤廃すべきだろう。
しかも、各クラスのレベルをまったく同じに編成してもらわなければ困る。
同じ目標を設定し、ラクなクラスを受け持った人がAで、
困難なクラスを受け持ったらDではあまりにも不公平ではないか。

同じ理由で、学校間の格差も、限りなく平等にしてもらわないと困る。
従順でお利口さんの集まる学校だったら、成果をあげるのは簡単だ。
反抗的で怠けもんの集まる学校だったら、成果を上げようと努力すれば
するほど、泥沼状態に陥ったりする。

評価判定方法を同じにするなら、土俵も同じでなければならない。
土俵の違いというものを公平に考慮できる校長がどれだけいるか、疑問だ。

たとえば、昨日の職員会議でこんなことがあった。
火曜日に授業開放(参観授業)があり、参観者のアンケートの声を
逐一羅列したプリントが早々に配られた。
こういう出し方をすること自体、大いに問題にしたいところであるが、
どうやら、校長が、1年生の指導が手ぬるいということを言いたいために、
性急にこれを出させたようである。

毎年同じ生徒が入学してくるわけではない(あたりまえだ)。
今年の1年生は、一昨年の1年生とも違うし、去年の1年生とも違う。
それにまた、去年も一昨年も教科担任によっては無法状態の授業もあった。
校長が信頼しているに違いない教務主任の授業さえ惨憺たるものだった。
(この事務屋の教務主任は、事務能力にはなかなかの能力があるようだが、
 授業でも何でも、恐ろしいほど生徒の実状を見ていない)
ところが、先日の参観授業に2、3の保護者が書いていたことを見て、
さっそく職員会議で激怒!!である。
短絡的な校長だ。
たまたま昨年は、困った授業が参観されなかっただけかもしれないし、
わざわざそういうことを書く人がいなかっただけかもしれない。
公平に眺めればそれだけのことだ。

さらにその内実に言及するならば、アンケートの槍玉にあげられたのは、
非常勤講師による家庭科の調理実習である。
予想していたよりも楽しそうに授業していたが、
生徒の態度がひどく、小学生以下のように見えました、とかいう内容だった。
ひどいのはもちろん一部の生徒だろう。
そんなことは、大いにありうることである。
私の授業はだいたい生徒は整然としているけれど、それでも、
昨日は1度「こら! そこの小学生!!」などと叱らなきゃいけなかったし、
グループ別の研究・討議など、無法状態になるのが不安でさせられない。
一斉授業の拘束から解かれたら何しでかすかわからないものである。
まして、調理実習のような動きのある活動となるとたいへんだろう。
今の1年生には、授業中でも勝手に立って歩く生徒がいるというから、
私が2年間見てきた生徒たちとは違う雰囲気が作られているはずである。
また、そのコメントを書いた保護者は小学校か中学校でも調理実習を参観し、
それとの比較で「小学生以下」という酷評をしたのかもしれない。
しかし、小・中学校ではほとんどの親が参観しているのである。
日ごろ暴れ回って担任をさんざんてこずらせ、かき回している子どもでさえ、
親が見ている前で暴れ回ったりはしないものである。

何はともあれ、短絡的判断というのは禁物である。

この短絡的な校長の目標は、(だんだん校長評価の話になってきた)
定員割れを起こさせない、である。
この目標のために、彼は近隣で行われている進学のための学校行事を
すべて導入しようとする。
それが、在校生の実態に合っているかどうかはお構いなしである。
判断の根拠は、生徒の指導に現にあたっている教員の意見ではなく、
近隣の中学校の管理職の意見である。
また、その目標達成のために、学校中歩いて授業や部活動を見て回り、
登下校時の生徒を監視して、自らも注意して回る。
これは、校長室にこもって生徒をほとんど見ることのない校長に比べれば、
なかなか感心なことだと、私は思っている。
けれども、そこにしばしば大問題が生じる。
生徒の事情や、指導過程をまったく配慮せずにやみくもに叱ったりするので、
あとで担任等々がいろいろと苦労させられたりもするのである。
彼の目標は、定員割れを起こさないために、
外からの見てくれをよくすることにかかっているので、
目の前の生徒の内面などはどうでもよい。
功を急ぎすぎて、許可されていることなのに生徒を激怒したことさえある。
俺がいないと学校はよくならんと悦に入っているかのようである。
去年も、あの校長おかしい、もう学校に来たくなーい、という声を
何度聞かされたことか。。。
こんな〈悪評〉を生徒が中学生に吹聴したら彼の努力も台無しになりそうだ。

「目標設定−成果」ということにこだわる弊害はこういうところにある。
画一性・一貫性というものは、確かに公教育では重要である。
しかし、画一性・一貫性にしがみついてしまっては教育できないものである。
相手は人間だからだ。
しかも未成熟な人間だ(我々もまた、相変わらず未成熟だ)。


やっとこさきょうの本題に入ってきたところだが、さすがに疲れた。。。
また続きを書こう。





2005年06月16日(木) ジュリーニの思い出といえば、、

夕刊に指揮者のジュリーニが亡くなったと報じられていた。
残念ながら、ジュリーニのCDは1枚も持っていないはずである。
同じ曲でも、下手すると10種類の演奏を買い込んでいる私でも、
そういう中にジュリーニの指揮した演奏はないはずである。
ひょっとしたら、手当たり次第に買い漁った廉価版の中に
紛れ込んでいるかもしれないが。。。
彼は世間では大指揮者のひとりだったけれども、
私にとっては格別の感動をもたらしてくれる指揮者ではなかった。

しかし、彼は特別な思い出の中にいる指揮者である。

高二のころだったはずだが、父に頼まれて夕方、庭で洗車をしていた。
縁側に置いたラジオから、マーラーの「巨人」が流れていた。
初めて聞くその曲の美しさに魅せられながら、車の掃除をしていた。
掃除が一段落し、縁側に腰かけてのんびりラジオに耳を傾けた時に、
第3楽章が始まった。
不思議な音楽である。
哀切極まりない感じがした。
それから、次の楽章に入ると怒濤のような嵐、、、
そしてまた美しいメロディー、、、
もうこの初めて聞く作曲家の音楽に完全に囚われてしまった。
そのラジオで流れた「巨人」を指揮していたのがジュリーニだった。

その翌日くらいに学校が終わるとレコード店に走ったのだが、
当時仲のよかった店員のKさんと話し合いつつ、聞き比べて買ったのは、
ジュリーニの演奏ではなく、ブルーノ・ワルター盤だった。
「巨人」の次に買ったのは「大地の歌」だったが、これもワルター盤。
次に買ったのは「復活」だったが、これはショルティ盤。
第五交響曲は、またまたワルター盤。
こうして聞いている間に、マーラーは私の最愛の作曲家になった。

今ではマーラーのどの交響曲も、数種以上の演奏を持っているが、
その中にジュリーニの演奏はない。
しかし、彼は、私のマーラーにまつわるいくつかの貴重な心の風景に、
いつでも登場する重要人物である。
マーラーについて思うとき、あの縁側の「巨人」の思い出は欠かせないからだ。



2005年06月15日(水) 連続15日!

おーー、今月はなんと、休まず15日まで来たではないか(^O^)/
いや、先月から数えれば、連続18日ではないか。
たまにこういう月があるもんだ。
喜んだのも束の間、、、なんてパターンも多いのだけれど。。。

実は、先月はたいへん書くのがつらかった。
なーんにも文章が浮かばないので、困った。
これほど文章というものが遠く感じられたことはなかったのでは、、、と
思うほど、何を思っても文章にならなかった。
先月の中旬に定期考査があり、試験監督しながら思いついたことを走り書き
するのが楽しみのひとつでもあり、それが塵語の下書きになったものだが、
先月のそのころは、試験監督中ひとつの文さえ書けなかった。
それでも苦し紛れに何とか期間をおいてつないできたようだが。。。
少年時代は文章苦手人間だったから、本性に戻ったのだろうと思った。

こういう時期には、この日記システムが気がかりとなり、足枷にも感じられ、
廃止してしまった方がいいのではないか、と真剣に考えてしまう。
しかし、書きたいことがあるときに書く場所がある、ということが大切だ。
そしてまた、それをほぼ毎日読んでくれている人が、
少なくとも1人はいる(笑)、ということも大切だ。
そういう場所を維持するためには、そうそう気紛れに頼っているわけにはいかない。

しかしまぁ、こりゃ今月はもう1日もさぼれないぞ。プレッシャーだぞ。


書けなくなった理由はだいたいわかる。
ついつい、仕事が忙しすぎる愚痴に陥りそうだったからである。
また、そのために、ゆとりある時間にも恵まれなかったからである。
今もその状態から抜け出していないから、
いつでもまた先月のような転落があるかもしれないわけだ。



2005年06月14日(火) 笑う門には福来たる

よく笑う人には健康が来るそうである。
そんな感じの話を今朝の車のラジオで聞いた。
糖尿病が治るとか、癌にもいいのだとか言っている。
実際、落語家や漫才師や吉本興業の協力を得た実験が行われて、
そのデータが示す可能性なのだそうだ。
そういえば、ずっと前、patamama おばさんもそんな話をしていた。
もし笑いにそんな効果があるとすれば、あのおばさんこそ世界有数の名医に
なることだろう。

さっき、「笑い 健康」と打ち込んでググルってみたら、
今朝のラジオの話と似たようなことが書いてあるサイトに行けた。

http://www.geocities.co.jp/Beautycare-Venus/2206/warainokennkou.htm

http://www.asahi.com/health/jhcolumn/030520/

「免疫のバランスを正常にする力がある」とか、
「よい遺伝子のスイッチをオンにする」とか、
笑いによってもたらされる心理的感慨を思い起こすと、
そんな力が宿っていても不思議ではないような気もしてくる。

笑いがそれほどの奇跡的な身体的効果をもたらすものかどうか、
まだまだ確固たる真理に昇格するにはほど遠いところにあるだろう。
しかし、実際には病気治癒ほどの力はないにしても、
笑いの多い生活がより幸福な生活であることは間違いないだろう。
人と談笑しながら、笑いの余韻の中でふっと寿命が尽きたら、
幸福な人生の締めくくりなんだろうな、、、と思う。



2005年06月13日(月) 腰痛緩和

3月中旬からずっと腰痛に悩まされた。
きっかけが不明なのだが、気づいたら痛くてしょうがない状態だったのだ。
腰も痛いのだが、右脚にずっと外側のくるぶしまで痛みが走っていた。
ま、だいたい私の腰痛というのはそういうもので、
生活に支障のない程度の軽い痛みは常にあると言っていいし、
立ちっぱなし状態が長く続いたりすると硬直して痛みに悩まされる。
痛み始めて1週間くらい後に市吹の定演があったのだが、
2時間の立ち仕事に耐えられるだろうかという不安はクリアしたものの、
その夜の打ち上げで座っているのはかなりの苦行であった。
ビールが飲めるから、その苦行に耐え得たとしか思われない。
椅子に座っていても、立っていても辛い状態が長く続いていた。
休日にこの場所で仕事をしたりしていても、
1時間しないうちに横になりたくなって、症状のひどさを痛感していた。
医者に行こうにも、土曜日しか行ける日がないのに、
土曜日に仕事に行かないと遅れた仕事が片づかない惨状だし、
その上、土曜の学校開放の講座を依頼されて、医者に行くきっかけもない。

その腰痛が、最近はかなり緩和されてきた。
今こうしていても、確かに右足の方に時々痺れを感じる。
しかし、先月まで痛みに耐えられなくて横になりたいと思ったのとは違う。露骨な痛みを感じなくなってきたのである。

先月のGWのころから、ラテラルサイトレーナーという、
少々ひねりを加えた足踏み器を使っている。
これは、TV通販で12800円で売っていたのを、楽天の雑貨天国で
6980円で買ったものだが、今は3980円でも売っている。
これで3分ほども足踏みするとかなり疲れる。
しかし、この後で私は脚の深い屈伸運動を少しやった後で、
若いころ腰痛に悩んでいたころに本で読んだ屈伸運動を数十回やる。
それは、踵をつけたまま、上体をまっすぐにしたままする屈伸である。
あまり深くはできない、中腰程度の屈伸運動だが、
この一連の運動をした後は、椅子に腰かけている時の痛みが和らいでいた。
それで、この一連の運動を毎日続けることにしたのだ。
毎日のつもりが、週5日程度なのだが、ダイエット目的ではなく、
硬化した体をほぐす目的でそんなことを続けてみた。

私が使っている健康器具は、他は、青竹とストレッチプロだが、
青竹踏みは腰痛とほとんど関係なさそうなので、今回の言及は避けよう。
ストレッチプロは、踵が爪先よりも下になる姿勢で立ち、
体の柔軟性を作る器具のようである。
ただ直立しているだけでも大いに効果があるらしいが、
マニュアルには前屈姿勢をとる方法も書かれている。
私はそれらに加えてさらに、体をひねることも工夫して加えてみた。
直立どころか手を上に伸ばして、思いっきり体を伸ばす。
そこにさらに、左右交代の伸びを加えてみた。
そうすると、かなり腰をひねることにもなるのである。

どちらも即効性かあったわけではないが、この2、3日、
腰痛がかなりかんわされているのに気づいて、ありがたく思っている。
やはり「継続は力」なのである。



2005年06月12日(日) 貴重なる休日

昨日は午前中処理の遅れている仕事を片づけに出勤した。
午後いったん帰宅して、夕方からはいつものように市吹に出かけた。
今朝は8時に起こされて、坊ずをスクーリングの会場に乗せていった。
昨日梅雨入りして、1日中優柔不断な雨が降り続けていたが、
昨夜からはやんで、今朝は少々湿っぽいけど涼しい風が吹いていた。
さわやかなような、何だかだまされているような、妙な雰囲気である。
会場に送り届けた帰り道、何を思っていたのか、
いつも左折する道を1本間違えて、ちょっと遠回りしなきゃいけなくなった。
帰ってきたら、妻の姿が見あたらない。
ベランダで鉢でもいじってるんだろう、と思っていったん自室に入り、
着替えてから下りて朝食をとったが、ベランダにもどこにも妻がいない。
こんなことは、何年かにいっぺんもないことだ。
この、やけに静かな湿っぽい涼しい風。。。
神隠しにでもあったんだろうか、、、と不思議な雰囲気である。
玄関を見たら、スリッパが置いてあるので、神隠しではなさそうだ。
昨夜、市吹の準備をしているときに指に大けがしてしまったから、病院か、
または美容院か、、、しかし、いつものパターンだと、
美容院に9時ごろから行くことはないし、病院はきょうは休みのはずだし。

そんな不思議な雰囲気で始まった1日だが、結局何ということもなかった。
ちなみに、妻は12時過ぎに美容院から帰ってきた。
電話予約入れたら、今ならいいよと言われて、大急ぎで出たそうだ。

午前中、昨日の午前中にやり残した仕事を片づけようと、
まず、授業のプリントを作ろうとしたら、教科書を忘れてきていた。
これは大ショックである。
明日の夜に焦ってやらなきゃいけなくなる。
でも何ともしょうがないので、明日の補習の準備だけのんびりやった。
時々、「デセプション・ポイント」を読みながら。。。

その仕事が終わって、昼食後しばらく「デセプション・ポイント」を読み、
台所の洗い物担当者の坊ずが、放ったらかしで学校に行ってしまったので、
台所の片づけをし、
30分ほど横になり、
また読書の続きをし、
い〜でじシネマにDVDを3品予約し、
食料品の買い出しに出、
トイレ掃除と、キッチンの床などの掃除をし、
また読書の続きをして涼み、
買ってきた米をあけて、ご飯を炊き、
明後日の資源ゴミ回収に備えて段ボールと雑誌と新聞を括り、
夕飯の準備をし、、、いやぁ、何と休日らしい休日であろうか。
家にいる日ならではの過ごし方ではないか。

休日の醍醐味は、日ごろ仕事に追われてできないことをやりまくる、である。
昨日のように、休日でも出勤して日ごろ滞っている仕事を片づけるのも、
それはそれで、休日のありがたさである。
私は本当は、休日くらいはひとつのことに専念したい方である。
そのひとつのことが一気にたくさんできたと実感できるといいと思う。
映画を見まくる。
ドラマを見まくる。
本を読み耽る。
楽譜書きに専念する。。。
そういうこともなかなかできず、欲求不満なのでこれはなかなかできないが、
本当は、塵語に書いたことを整理して、サイトの方にアップしたい。。。
なんか、特にこの4月以来は、雑事に追われ通しで、余裕がない。
しかし、きょうみたいな過ごし方も、これはこれで悪くない。
「デセプション・ポイント」はますますおもしろいし。。。



2005年06月11日(土) 万博に市吹(2)

ステージが狭いのは確かだから、その点は最初から開き直った。
ステージの前も使おうと決めたのである。
つまり、打楽器と金管楽器はステージ上、木管群やホルンはステージ前、
それでは段差がありすぎるので、ステージ前に台を組まなきゃあな、と、
その方の算段に入っていたのである。

ところが、演奏が終わったらすぐ帰れという指令に変わって、
1日のイヴェントの最後にゆっくり片づければいいという状況でもなくなり、
その上、市の運営側から、参加団体が多くて時間があまりにも窮屈だから、
絶対に演奏・片づけの時間を守れ、というお達しが来た。
それで、団長から、打楽器を極力身軽にして、全員をステージに乗せられる
ようにしようと、要請されたのである。
ドラムセットやティンパニは置けないということになってしまった。

そのころ万博用に練習していた曲が櫛田翁の「Foojin - 雷神」という曲で、
打楽器奏者7人いても大忙しという、打楽器フル活動の曲である。
ティンパニやマリンバのような場所を取る打楽器なしではやれない。
また、そのころやっていたもう1曲も、ティンパニなしでは曲にならない。
結局、新たに選曲し直さなければならなくなってしまった。
これがまたなかなかたいへんなのだ。
7人も打楽器奏者を必要とする曲なんてそう容易には挙がらない。

もう、当初と話がいろいろと変わってしまっているので、
辞退しようと、団長に提案したのだが、辞退できる段階ではないらしい。
とにかく、ただでさえ仕事が忙しくて参ってるのに、
実につかみどころのない悩みを抱え込むことになってしまったわけである。

大体、こういうイヴェントというのは、観客がいるのかどうかわからない、
たまたま近くに座っている人、立ち止まって聞いている人もあるかも
しれないが、ただ歩いている人、別の話題に興じている人もいるものだ。
だから私はこういうイヴェントはきらいなのだが、
こういうイヴェントで演奏するときには、ソロ・バフォーマンスある
ポップスなどは場違いだし、いつも受け狙いで演奏する演歌・民謡系もやめ。
何となくBGM的に耳に入るメロディーのものがいいんだが、、、等々と、
いろいろ考えるが、とにかく、それプラス打楽器7人の条件がつらい。

結局、先週に決定して今練習しているのは、
「となりのトトロ」3曲メドレーと、
「ラ・マンチャの男 セレクション」である。
できれは日本的情緒でまとめたかったが、そうも言っていられなくなったのだ。

打楽器のスペースはなんとか減らしたものの、
本当に60余名がステージに上がれるのか、大問題が残っている。
平面図の寸法どおりに枠を囲ってみて、その中に配置するという、
4週間前の試みを、もう1度真剣にやってみなければならないだろう。

これらは、私の側で直面した厄介事なのだが、
団長の方では、参加者名簿や、参加者・楽器の保険申請書を作ったり、
市の行事に参加するのとは違う厄介な仕事も抱え込んで奮闘している。
主催者のスケールが大きくなると、余計な手続きも増えるものだ。



2005年06月10日(金) 万博に市吹

1ヶ月後の7月10日は実に厄介な徒労の1日になりそうである。
早朝に出て、万博の愛知県館の屋外ステージでほんのちょっと演奏して、
そのまま帰って来る、それでも1日拘束される虚しい日になりそうである。
愛知県館の野外ステージでは、ほぼ連日、各市町村の日という企画で、
各市町村におまかせのステージを展開するそうだ。
もちろん、平日にあたっている市町村もあるわけだが、
7月10日は日曜日なので、市吹も出ることになったわけである。

その話を聞かされたのが、3月の定演の2週間くらい前である。
私はいろいろな意味でそれが億劫だった。
第一に、屋外での演奏が嫌いである。
第二に、朝が早すぎてたいへんである。しかも場所が遠い。
第三に、趣旨が不明で、どんな曲を演奏すればいいのかわからない。
ま、そんなめんどうな雰囲気が漂うので拒否しようと思ったのだが、
演奏以外の時間は会場内の見学が自由なのだという。
考えてみれば、それくらいのご褒美は当然であろう。
それならば、団員たちのためにも拒否してはいけない、と判断してOKした。

ところが、先月、2つの点で状況が一変したのである。

ひとつは、自由見学が禁止されたのである。
11時ごろ演奏したら、昼の1時ごろにはバスで帰れ、ということになった。
これでは私がOKした唯一の理由がなくなるではないか。
なんでも、イヴェント出演者がチケット買ってないくせに見学しているのは
けしからん、という、入場者からのケチがついたそうである。
いや、我々は行きたくて行くんじゃない、
出ろと言われたからしょうがなしに行くんだ、と私は思っていたけれど、
どうもいろいろ話を聞いてみると、イヴェント出演者は、
出演希望者という扱いを受けているようだ。
つまり、イヴェントに出させてやっている上に、見学自由では、
入場券で入ったお客さんたちに申し訳ない、と主催者は考えたようだ。
どうもいろいろなことが食い違って、ますますよくわからなくなる。

しかし、団員の多くは、何十年に1回という日本での万博、、、というか、
何百年の間にあるかないかという愛知での万博という場所で演奏するという、
それ自体が貴重な体験のように感じられる傾向もあるようだ。
だから、そういう条件の変化にもかかわらず、ほとんどの団員が参加予定だ。
今のところ、出る予定は60〜65人なのだと言う。
定演以外でこれだけ参集したことは、今までに例がない。
ま、それならそれでありがたいことだ。

で、もうひとつは、その大人数に関わることである。
その舞台はそれほど広くない。
毎年定演を開いているステージも狭くていっぱいいっぱいなのだが、
平面図を見たところによると、それよりもかなり狭いのである。(つづく)



2005年06月09日(木) 職員会議なるもの

私は、会議というのは物事を多角的に検討するためにするのだと思っている。
中学時代にそれを肌で学んだのだから、30年以上の信仰である。
おそらく、企業の会議も、実際の成果や利益が切実だから、
そういう理念で行われているに違いない。
しかし、学校の職員会議は、何だ!?
多角的な意見を封じ込め、ごり押しにあくせくしてるではないか。
20年ほど前にいた学校では、
職員会議は伝達の場で、反対意見への拍手や採決はそぐわない、と言われた。
それのどこが〈会議〉なの?
そんな学校でも、私も必死だったし、仲間もがんばってくれて、
依怙地な管理職を屈服させたこともあった。

最近は、考えることをやめ、安眠し、盲従する教員が増えた。
職員会議で別の視点を提示して意見を言っても、孤独になるだけだ。
伝達会議などという矛盾概念の時間に身を置いていると、
イライラしないでいられない。
イライラしないためには、確かに眠りこけるしかないわけだ。
まー、そんなんだったら、説明は1分以内で要点だけにして、
後はプリントを読んでおいてください、ということにして、
さっさと終わって、それぞれの仕事に戻る方がよかろう。
忙しいんだから、不毛な時間は最小限にしてほしいものだ。



2005年06月08日(水) 「志望理由書」を書かせる?

昨日の夕方、歯医者に向かう途中で、はたと気づいてぞっとした。
「総合」の時間の「小論文」のメニューは明後日からではなかったか。。。
まだなーんにも決めてない。
3月に担当者の会議でだいたいの計画を立ててから、
この小論文ではどんな課題を出したりいいか悩んでいたけれど、
悩んだだけで、具体的には何もはっきりした答えを出していない。

この小論文指導というのは、昨年も3回行った。
3週(つまり3時間)使って、メモ取り・構成・小論仕上げの練習をさせる。
「総合」の元締めの教務主任が、グループ研究で本校の歴史調べなどという
言うは易く困難極まりない案を提示するので、
もっと指導しやすい(というか監督しやすい)対案で私が出したものである。
で、言い出しっぺにすべての責任が負わされてしまったのである。
去年は、その時期が近づくと、1週間ほどいろいろな資料にあたって、
頭を抱え続けたものである。

昨日は、その日がもう間近に迫っていることに気づいて、焦ったのだ。
頭を抱える暇もない、即座に決めて、マニュアルを準備しなきゃならない。
これは苛酷な試練だ。

運転しながらの数分間に、とりあえずひとつは、志望理由書だろうと決めた。
AO入試も近いし、秋には指定校推薦や一般推薦の入試がある。
いざそういう類の作文を書かねばならなくなったときに、
どうやって書いたらいいかわからない、ということがしばしばである。
今取り組ませておけば、いざというときに、担任もラクできるだろう。

ところが、それを運営するには、私としては大問題がある。
小論文指導は若いころからうんざりするほどやってきたけれど、
この「志望理由書」なるものがもっとも苦手で、よくわからないのだ。
授業の課題として課す以上、マニュアルと例文が必要だ。
今までに見た参考書には、適切なマニュアルと例文が見あたらなかった。
実は、それが3月以来ずっとためらい、決めかねていた理由なのである。

歯医者に着いた。
予約時刻まで、まだ15分ほどある。
歯医者の隣は、このあたりでは大手の本屋である。
藁にもすがる思いで、本屋に飛び込んだ。
すると、、、何と何と、あるではないか、文庫本大の小さな本ではあるが、
「志望理由書」「自己推薦書」の書き方、という本が。

それをもとに、昨夜からきょうの空き時間を使って、
両面刷り3枚のプリントを用意した。
「志望理由書」または「自己推薦書」を書こう、という題である。
もう1問、一般的な小論文の問題も用意しようと思っていたけれど、
どの生徒にもこの課題に取り組ませることにした。
今年の入試に必要のない生徒もいるはずなのだが、
現代の就職活動は、学歴以上に自己PRの時代らしいから、
今こういうことに取り組ませておけば、将来何らか役に立つだろう。



2005年06月07日(火) 教員大学院ねぇ、、、

朝刊を見たら、「教員大学院 実践を重視」という見出しが一面トップ。
「即戦力へ教育実習倍増」「現職対象に運営力養成」という見出しもある。

一読してもなかなかどういうことなのか捉えがたかったが、どうやら、
この議論の根幹には、教員は修士号くらい取ってなきゃいかん、という、
誤った思い込みがあるようだ。
また、教育実習を現行の4週間から(え? 2週間じゃないの?)
8週間に増やして、即戦力を養成する、とか何とか言っているようだ。
ま、それだったら、今みたいに単に実習させるだけでなく、
試験官をつきまとわせて、採用試験そのものにしてしまう方がいいだろう。
しかも、もし高校だったら、第一線の進学校と、最底辺の困難校と、
その中間の無気力でおとなしい生徒の集まった学校と、
最低3ランクの学校で実習を行わせることだ。

この教員大学院を経た6年制で免許状を認めるのか4年制も認めるのか、
この教員大学院を、教員養成学部をもつ大学だけに認めるのか、
まだまださまざまな論議を残しているようだけれど、
考えている連中が、現場知らずの浅はかなインテリ(?)ばっかなんだから、
実りある結論は期待できまい。
アホなやつらが教育現場をグチャグチャにし続けているのに、
現場は呆れながらもそれに従わざるをえないとは、、、
アホな土台の上に学校が建てられているのだから、教育が不毛になるのは当然だ。

とにかく、大学院出ていてもグチャグチャの授業しかできない教員もいるし、
短大しか出ていなくても、将来有望な学年主任が見切りをつけ、
管理職もどうにも手をつけられなかったほどの子どもたちの心をとらえ、
授業を楽しいと思わせ、歌うことを楽しいと思わせる教師(私の妻)もいる。
何年経ってもグチャグチャの授業を続け、反省し対策することなく
開き直ってしまって、周囲に迷惑かけ続けている教師もいれば、
新任の時からちゃんと子どもたちの心をとらえ、
その後、どんな子どもたちと出会っても、いつも対処の方法を熟慮し、
人間関係を築いて、クラスや授業を良好な環境にしている教師(妻)もいる。
(ちなみに、上記のいい例は私の妻だけど、悪い方の例は私ではないぞ)

大切なのは、学歴でもないし、実習期間の長さでもない。
理念とセンス、そして、柔軟性である。
教員に必要なのは、現状の本質を見抜く力と、それに対処する発想力だ。
いつも臨機応変に生徒と応対しなきゃならないし、
そうかといって、根本を見失ってもいけない。
これを、大学や大学院で養成できるんだったら、6年制でも10年制でも
どれだけでもがんばってやりなさい。
大学の教授陣に、どれだけそれだけの資質を持った人物がいるんだぃ?
また、そんなものを、8週間の教育実習で身につけることができる?
100万人に1人くらいは、そんな短期養成を可能にする学生がいるかもしれないけど。。。(笑)



2005年06月06日(月) お葬式

patamama おばさん(最近BBSからは姿を消しているがメールは来る)が、
先月から葬儀屋で働いていて、葬儀にも次第に精通していく中、
今夜お葬式の番組があるから見てね〜、とメールが来た。
私は次男だから、妻子に死なれない限り喪主にはなることはないと思って
いたが、今二世帯住宅にして住んでいる妻の親が亡くなると、
私がその喪主になる可能性もあるのだという。

まあ、ちょっと知っておいてもいいことかも知れないと思い、TVをつけた。
残念ながら、メールチェックしたのが8時半過ぎたころで、
2時間番組の最初の30分は見られなかったが。。。

恐るべき、葬式の煩わしさ!!!
想像していたよりも、何十倍も煩わしく、厄介なもののようだ。
番組では、夫が死んでから妻が葬式までにやるべきこと、というテーマで、
葬式前後にやらねばならないことを順次紹介して、
体験者のうんざりし尽くしたような告白も聞かせていた。
詳しく書こうとは思わないし、もうどんなことがあったか覚えていない。
番組のまとめでは、葬式までに喪主がやるべきことは70余項目!!
それからさらに、葬式後にかなり重い仕事がおよそ10項目。



死別の悲しみとは別の、金銭、義理、しきたり、序列、、、そんなことに
縛られ、振り回されして葬式を迎えるわけだ。
生きる気力も失うほどのショックの中にいるかもしれないし、
混乱してただでさえ何も手につかない状態に陥っている配偶者に、
そんな精神状態とは無縁の細々とした雑事を課して振り回すわけだ。
誰がそんな試練を課しているのか?
・・・世間である。
なぜ、人間というのは、余計なものを生み出して互いに苦しめあるような
ことをするのだろうか?
戦争や自然破壊と同じく、愚かとしか言いようがないではないか。

私は風葬志願者で、お経もあげてほしくないし、
キリスト教式に葬ってもらうにしても洗礼も受けていないから、
何もしなくていい、骨の処理に困ったら、長良川か海に流してもらえばいい、
と思っていて、その手続きを遺言として残しておこうと思っている。
ところが、patamama おばさんに言わせると、
死んだ本人はそれでいいかも知れないけど、近所の人は、
あそこの嫁は旦那の葬式もあげてやらなかったと、非難するんだよ、、、
本人の希望であっても、世間というのはそうは考えないものだということだ。
しかも、骨を粉状に砕くのはかなりたいへんな作業なんだそうだ。
うーーー、、、いったいどうしたらいいんだ?

私は人間存在のすばらしさを賛美するので、
こういう愚かな発明や愚かな行為に気がつくと、怒りが倍増するのだ。
また、その愚かさを何十年、何百年たっても是正しない愚かさのために、
ますます腹立たしさとうんざりする思いが倍増するのである。



2005年06月05日(日) 強迫観念

昨夜は休日前にしてはわりと早く、1時半ごろにはフラフラ状態で寝た。
今朝は休日にしてはかなり早く、7時ごろに起きてしまった。
せっかく早起きしたことだし、早く仕事を済ませて、
昨夜新聞の広告で見た「ミリオン・ダラー・ベビー」でも観に行こうかな、
と思いもしたけれど、仕事に難航して、終わったのが正午ちょっと前。
何か、もう映画に出かけるタイミングを失ってしまった感じである。

じゃ、昼食をとって、トイレ掃除と台所掃除をしたら、
先日手に入れてからまだ見られないでいる「オールイン」を見よう、
4話分くらい見られるかな、と思って、昼食をとって、やがて掃除を始めて、
終わったのが3時過ぎだ。
それから「オールイン」を見ようかどうか迷ったけれど、
昨夜書き始めてすぐやめてしまった塵語の続きを書いたり、
あれこれサイト検索したりしているうちに、5時ごろになってしまった。
それで食料品の買い物に出た。

ざっと大まかに言えばこんな感じで1日が終わってしまったのだが、
映画も観に行けず、ドラマも見られず、本も読めないまま、、、しかし、
これは、仕事を実際にしていたり、掃除を実際にしていたり、
PCでサイトを散策したり、諸処にメールを送ったりしていた、
そういう実際的時間な行為に時間を取られていたためばかりではない。
久々に悪性の精神的な病に冒されているのである。
忙しくなり、始終〆切に追いまくられるような生活になると、
その「あれもこれも」状態が日常化してしまって、心の中に脅迫者が巣くい、
「そんなことしてていいのか、先にすることはないのか」と責め立てるのだ。
実際問題それほど忙しいわけではない時でも、何か落ち着かない。
それで、余暇を楽しもうという心を妨げるのである。

数年前までこの症状がひどかった。
1冊も本が読めないほどの年もあった。
それでも、必要に駆られると趣味の方の分野に没頭する時期もあったから、
実際上は二進も三進も行かないほどの多忙ではなかったはずなのに、
いったんこの病に冒されると、脅迫者は執拗に責め立てるのである。
この4月からこの病気が再発している。
こういう場合、実際に動いて掃除でもしているとか、買い物に出るとか、
友だちと会う約束しているとか、先日の模試の監督とか、、、
そういった拘束はかえって救いになる。
自分で自由に使える時間がかえって重荷となり、金縛り状態に陥れて、
虚しい時間を増やすことになる。



2005年06月04日(土) 土曜の学校開放(2)

土曜日の学校開放なるものは、施設の提供だけでいいはずである。
朝から自宅で勉強しようとしても気の散りやすい生徒たちのために。
1日中自室にこもって勉強するのはなかなかつらいので、
場所を変えて気分転換したい生徒たちのために。
教員は何のためにいるのかというと、監視と、質問・相談に応じるためだ。
生徒はひたすら独自の勉強をやっていればよい。

実は、一昨年これを始めたときは、自習形式をとったようである。
ところが、これが生徒たちには不評だったようである。
学校に来ても自習するだけなら来る必要がない、で崩れてしまったようだ。

それで、去年は補講形式を採用した。
生徒のアンケートによれば、概ね「ためになった」と好評だったようだ。
それとともに、去年から始めた夏休みの学習合宿も補講形式だったが、
これも「ためになった」と概ね好評だったようである。

本当に「ためになった」のなら、もっと受験に成果として出てほしいものだ。
こんな一過性の感想にだまされてはいけないのだ。
「ためになった」は、受講した生徒の率直な感想だとしても、
それは裏を返せば、自分ではほとんど勉強ができていないということである。
自分では何もできないから、講義を聴いて勉強できたつもりになっている。
で、片っ端から忘れてしまうわけである。
おそらく、学習合宿で「ためになる」勉強ができたつもりになった生徒の
多くは、それから補習が始まるまで休息状態に入ってしまったことだろう。
土曜の講座に出席して「ためになる」勉強ができたつもりになった生徒の
多くは、午後はもう安心しきって、翌日には講座の内容の半分以上も
思い出せない、月曜日にはその大半を失って新たな週を迎えたに違いない。

補習補習と大騒ぎで生徒を駆り立てるのが流行になっているけれど、
どんな生徒にもそれが有効かというと、そうではない。
それが有効なのは、自力勉強の習慣がついている生徒たちである。
そういう生徒たちならあえて補習で教える必要もなさそうだが、
残念ながら、そういう連中になら補習はいくらやっても有効である。
彼らは教わったことを自分の中に取り込む力をもっているからである。
こういう生徒はだいたい第一線の進学校に集まっている。
で、これだけの指導をしたからこれだけの成果をあげたなどと、
自他ともに認めるような結果が出たりするわけだ。

で、それを見て、どこの学校でも、補習だ、補講だ、と騒ぐ。
しかし、自力勉強の習慣をもっていない生徒が多い学校では、
たいていこういうものは自己満足で虚しく終わってしまうものだ。
補習を受けても受けっぱなしで、そのまま忘れ去ってしまうからだ。

だから、一番の課題は、自分で勉強する習慣を作ることなのだが、
こんな難しい課題はない。
土曜の学校開放や、夏休みの学習合宿こそ、このための時間として、
そのためには生徒にどう話をして、どう支援してやるかに知恵をしぼるべき
なのに、すぐに安易な方向に走って徒労を増やしているのが残念だ。



2005年06月03日(金) 11111

この塵語を書こうとアクセスしてみたら、
私が11111人目を踏んでしまったようだf^_^;

それにしても不思議だ。
そう大勢でないのは確かだけど、毎日複数のアクセスがあるようだ。
橋本さんがカウンター増やしに協力して何回もアクセスしてる?
いいや、彼はそんな妙な気の遣い方をする人ではない。



2005年06月02日(木) 土曜の学校開放

今朝、明後日の土曜開放の日程表が机の上に置いてあった。
学年間の連絡用に置いてあるだけだと思って私は見もしないで傍らに除けた。
ところが、生徒の下校時に私のところに明後日の欠席を届け出る生徒がいて、
頭の中がその時???で満たされた。
その生徒によると、進路部の担当者は私のところに行くよう言ったそうだし、
そのクラスの朝の出欠確認者が私になっているそうである。
朝置いてあった紙を引っ張り出して見てみると、確かにそうなっている。
出欠確認だけでなく、1、2時間目に講座をやることにもなっている。

4月30日だったかの第1回の時は確かに引き受けた。
前日の祝日に半日出校して、講座の準備もした。
しかし、その後、打診はないので、まだいいのだろうと思っていた。
進路主任に確認したら、3年の国語担当の2人で交互にお願いしますと、
言ったはずだという。
この今年からの進路主任は極めて控えめな人だけに、
さすがの私にも文句が言いづらい。
それからの職員会議の間もずっと教材の検討をしていた。

しかし、こんなことではいけないのである。
受験生が本当に志望校に合格したいのだったら、
押しつけられた講座なんてものは、じゃまくさいと思わなければいけない。
授業とか補習とかは、確かに安心感をもたらす。
けれどもそれは参考書の数ページを頭に入りやすくするだけの効果しかない。
それを自分のものにするためには、3度4度の復習が必要である。
一斉授業にはロスタイムが多い上、その後の苦労も不可欠なのだ。

私が受験生となって予備校に通っていたとき、
講義にまじめに出たのは2ヶ月くらいだった。
それから、予備校の学習室に入り浸り、やがて市立図書館に籠もった。
覚えることが多すぎて、講義の悠長さに耐えられなくなったからである。
講義に出るよりは、どんどん覚えるべきことを覚えようと決めたのである。
                          (つづく)



2005年06月01日(水) 興味

朝、バタバタと大量のプリントの印刷などして、やっと一段落して、
9時ごろ校門に煙草を吸いに出た。
出たら、今年初の、蛙の大合唱である。
校門前の右方には田んぼが数枚広がっている。
一昨日耕耘機が入って、土を耕していたが、今朝は水がはってあった。
環境が整ってきたので移住してきたか、湧いて出たかのように、
今朝はさっそく蛙の大合唱である。
喫煙室を奪われ、校門外に追い出されてから、自然との交流が増えた。

その蛙の大合唱が、3分くらい経ったあたりで、ピタッと止んだのである。
驚くほどの静けさになった。
なぜいきなり止んだのであろうか?
そして耳をすましていると、断続的にrrrrrrrという一匹の声だけ聞こえる。
しかし、もう合唱になることもアンサンブルになることもない。
昼に出たときも夕方に出たときも、もう大合唱を聞くことはなかった。
朝の儀式なのであろうか?
いったい、彼らの生態はどういうことになっているのであろうか?

大合唱の最中、田んぼの中に2羽のカラスがいた。
実に穏やかに、たたずんだり、2、3歩移動したりしていた。
時折、くちばしを水の中に入れたりしていたが、
合唱団員を餌食にしているわけでもなさそうだった。
生きた蛙をしとめたならば、まずは飛び立つに違いないし、
その場で餌食にするとしても、もっと激しい動きがあってしかるべきだから。
ゴミ袋を啄んで餌を求め、主婦の朝の仕事を増やすカラスたちが、
周りにわんさと控えている生きた新鮮な餌に無関心なのは不思議ではないか?
彼らは生きた物など眼中になく、死体にしか関心がないのであろうか?
そして、仮にそうだとしても、死体や腐乱物しか好まないというのは
いったいどういう感覚なのであろうか?

こんな風に、ちょっとしたことからさまざまな興味を抱くのだが、
たいていはとりとめもないものになってしまって、忘れてしまうものだ。


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